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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

ようこそお越しくださいました(道先案内) 

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この記事は表紙として常にトップにあります。通常記事は次の記事からです。
こちらは、掲載している小説などのあらすじ・紹介リストです。
掌編から長編まで取り揃えています。
お時間がありましたら、ぜひ『続きを読む』をクリックして覗いてみてください(^^)
なお、左のカテゴリからクリックすると、物語を始めから読むことができます。

ねこ好きの方は……【迷探偵マコトの事件簿】で猫ブログ感を…
旅好きの方は……【石紀行】で巨石を巡る不思議な旅へ…
本格的な物語をという方は……【清明の雪】で京都ミステリーを…

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Category: 道先案内

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【雑記・近況】表現するということ 

うつぎ
COVID-19のために、以前よりもはるかに余裕ある時間を過ごしているのに、ブログの更新が滞っている大海です。
余裕、というのは語弊があるかも知れません。この期に及んで、実はこれまで結構しんどかったんだなぁと気がついた次第でして。
これまで、週に1回は車で片道1時間はかかる出張先に出かけていたのですが、出張に行くという行動自体のしんどさもさることながら、出張しようと思ったら、その時間分の仕事を片付けておかなければならないから、前日の帰りが必然的にかなり遅くなって、よれよれだったのですね。いや、よれよれといっても、その渦中にあるときには気がついていないのです。
現在、出張停止命令が出ているために、「片付けておかなければならない仕事」を本来の出張日に残しておけるようになったので、時間も身体も大いに楽。それを最も物語っているのが、チリテレ2号くんの走行距離ですね。こうして、毎日普通に職場に行ったらいいというだけが、こんなに楽とは! なわけです(って、職場が近くないけど、道が空いてるし)。

さらに、普段の日常業務も明らかに減っていて(同僚いわく「実はこれくらいが丁度良いんじゃないか?」)、帰宅時間もやや早め。お陰様で、お弁当作る時間があるので、なんかちょっと健康的。日常の仕事は、雑になっていたところが減って、後回しになっていたことも結構片付いて、自分で余裕があるのが分かる。それに、何より、土日の学会・研究会が全中止状態というのが大きい。
でもなぜか、睡眠時間は相変わらず4-5時間なのはなぜ? 余計なことせずに寝たら良いのになぁ。

それはともかく、これであまり困っていないってことは、これまで結構無駄なことが多かったんじゃないかって、そういうことなのかなと思ったり。

これって、いつか揺り戻しがくるのかしら。もう身体がなまってついて行けないかも(;_;)
でも、やっぱり日本人、働き過ぎだったんじゃないか? と思ったり。
一方で、今回のことで、お仕事を失った人も多い中、仕事を続けていられるってことは有り難いんだって思ったり。
with COVIDがどんな展開になるのか分からないので、柔軟な考え方が求められているってところなんでしょうね。

ただ、オンライン会議は増えてるから、資料に目を通したり、アイコンタクトで終われないから確認事項が増えたり、なので、パソコンに向かっている時間が増えたせいか、ものすごく目が疲れるんですね。
たまに森を見なくちゃって思ったら(緑を見るため)、まぁ、うちの家の庭のジャングル化が進んでおりますわな。遠くの屋久島より、近くのジャングル?
時間があるなら庭掃除しろって思うのに、出来ないのはなぜかしら。外出しないなら断捨離活動したら良いのに、やっぱり出来ない。創作活動にいそしめば良いのに、なんか料理したり、本棚あさったり(片付いてはいない)、ドツボにはまってピアノ弾き続けたり。

ねこさん
というわけで(前置き、長すぎ!)、今日はそのピアノのこと
この頃、ピアノを弾きながら、ふと我に返る時がありまして。
これって、どこに向かっているんだろう? って。

小説書くのって、私の中では(ほぼ)完全なオリジナルな世界なので、まだ私が表現することには意味があると言ってもいいかなと思う。でも、音楽、とくに競技人口の多い種目?であるピアノって、まぁ、どうなのって思うわけです。いや、三味線や民謡だってどうよって話ですけれど、私、和物に関しては自分なりに「日本の伝統を守る」自負心のようなのものはあるのです。
この間、胡弓に手を出したときも、この胡弓を作る職人さんの手からこの楽器を譲り受けたという強い気持ちがありまして。しかも、胡弓なんて、見たこともない人も多いでしょうし。いや、三味線だって触ってことのない人の方が多いかも。

でも、ピアノって、ものすごくポピュラーで、プロは別にしても、驚くようなアマチュアがごまんといるわけです。
さらにクラシックの世界で言うと、オリジナルを弾いているわけじゃなくて、まぁ、モーツァルトとかベートーヴェンとかショパンとか、あれこれあれこれ、世界中でみんなが同じ曲を弾いているわけです。もちろん、プロの演奏でなくても、100人弾いたら、100人とも違う演奏、個性が表れると言いますが、いやいや、そりゃ、高いレベルの話ならそうでしょうとも。

でも、「私が」ピアノを弾く、しかもこの時間をかけてこの曲を弾いているわけは何だ? もう若くもないし、頑張ったからってあと何年続けられるか分からないのに、なにを目指しているの? 
このリビングで存在感半端ないグランドピアノといい、1曲弾くために費やする時間の膨大さといい、この私が、コロナでちょっと余裕が出来たとは言え、まぁ、そこそこ忙しい仕事をしている私が、これを持ってして一体どこへ向かって何を主張しているのか?

私のピアノ歴といえば、まずは幼稚園からヤマハ音楽教室に行き、オルガン習う。小学校2年生(多分)から近所のピアノの先生に習う。中学生になって、学校が遠かったのとクラブが忙しくて辞める。多分純粋ピアノ歴6年足らず。一応、ソナタアルバムの1冊目に突入したくらいで、最後にモーツァルトのトルコ行進曲、弾いてましたわ。
そう、バッハも、ショパンも弾いたことがなかったのです。

そして、2018年8月、何を思ったか、40年?ぶりに再開。
まぁ、今更、指が動くわけでもなく、右手も左手も、パソコン打つときくらいしか活躍してなかった小指も薬指も「この期に及んで何をさせるねん」と思っていることでしょう。しかも記憶力の減退(暗譜が大変)、目も悪い(オタマジャクシが小さい)。
うちに弾かずにおいてあったピアノが可哀想だからと再開したのが、思わぬ深みに。

三味線仲間にピアノの先生がいるのですが、その人はピアノも三味線も教えていて、いわく「極めるための奥深さは置いといて、とりあえず1曲弾けるようになるまでに掛かる時間を考えると、ピアノは生徒さんの満足度がおそろしく低い」。
あ~わかるわ。まぁ、三味線の奥深さは十分分かった上で言いますが、「単旋律」を弾く三味線と比べると、ピアノって、両手と足(ペダルの恐ろしさを今更に知る)、しかも手も指10本、フル稼働なわけです。指使いひとつ間違えたらもう弾けません。スケール弾いていて、あれ? 指1本足りない! なんてことはざらにありまして。
基礎が足りていないので、指の弱さとか、届かない9度とか、ペダルの使い方とか、もう必死。

先生が弾くと、スケール弾く(ドレミファソラシド~って順番に弾く)だけで音楽なんですね。
再開して2年10か月の私、まだスケールさえ、まともに音楽に出来ません(いや、スケールとアルペジオと和音を音楽に出来たら、どんな曲でも弾けると言われますが)。
これで何かを「表現」できる時が来るのだろうか? 
そもそも表現するってなんだろう? 何を、何のためにどこへ向かって?
ここで私が一生懸命練習してても、どこへ向かっていくのか分からない私のピアノ。

数あるブログを拝見すると、1曲仕上げる時間の早さといい、そのクオリティの高さといい、すごい人たちがいっぱい居る。
こんなふうに弾けるようになるまで、私って譜読み時間も半端なく長く、えっちらおっちら弾けるまでも長く、なんか少しだけ自分のもの出来たかなと思うまでも長く……と思ったらすぐに弾けなくなり……果てしない

でも、私と同じような大人再開組(といっても、1回辞めるまでのピアノ歴がかなりの人たちも多い)もいるけれど、皆さん、真剣なんだな。飯の種になるわけでもなく、どうなるわけじゃなくても、夢中になる何かがそこにあるとしか言えない。
何より、グランドピアノの弦を張ってある中を見るだけで、わくわくするのはなぜかしら。
88鍵、230本ほどの弦。ここから出る音は宇宙。

小説の場合は、やっぱり自分が作り出している世界という気持ちはあるから、自負心が勝るかな。
まぁ、たまに「あぁ、ここまで描かれちゃったか。もう私、これ以上のことは書けないわ」という作品に出逢うことはあるけれど(一番最近の衝撃は、やっぱり『女城主直虎』の政次だなぁ)、どちらかと言うと、色んな作品から刺激を受けて、私も自分の世界を描きたいと思う、あるいは思える。
あるいは、そう思えるくらいに付き合いが長いんでしょうね。酸いも甘いも知り尽くした関係?

ピアノに関しては、森に迷い込んだところ、まだまだ右も左もコントロール不能、ということかも。
いずれ、私の表現したい世界はこうなのだという自負心が生まれてくるものかしら。
まだ決めつけるのは早い。
10年目にかっこよくベートーヴェンのソナタを弾いている自分の姿をイメージして、あれこれやりくりしながら頑張ってみるかな。自分なりの基準でかっこよく。
悲愴とレッスンノート
(だんだん書き込みが増えて見にくくなる楽譜とレッスンノート←ボケ防止?)

来週は発表会
ピアノの森? 羊と鋼の森? 深い森の中におりますが、自分なりの『悲愴第2楽章』の世界、描くことができたらいいな。
でも考えてみたら、再開したとき、ショパン弾いたり、ベートーヴェンのピアノソナタに手を出そうなんて、思える状況でもなかったんだから、進歩してるのかな。
もう来年の発表会の曲もほぼ決定しているし……次々と何かを求めているうちは、幸せなお付き合いが出来ているんだろうな。
先生からお勧めされているのはショパンのノクターン13番。
ショパンコンクールの1st stageでソンジンくんが弾いてた……
他にも候補があったけれど、感情を載せやすい気がしたのでした(言ってみてるだけ)。
そう、自分を表すってこと、どこかでちょっと考えているのだな(できないけど)。

来世では目指すか、ショパンコンクール
あ、だめだ、『ダーウィンが来た!』の撮影隊になるんだった

『私のピアノは、今が一番よい音を奏でていると思います。つらいこともたくさんあった人生が全部詰まっているから。
人生って、うまくいかなくても、そんな人生の方が素敵じゃないかしら。幸せって雲の彼方にはない。自分で作るものだから。でも、それは歳をとって分かったこと。この絵日記を読むと思い出します。白い雲を眺めながら、憧れ、ときめき、夢見たその時間を。
歳を重ねていくって、あっという間。でも、気持ちは歳をとらない。だから、演奏会の前や好きな人に会う前は、いまもドキドキするのです。』

(フジ子・ヘミング)
*絵日記:14歳の時に書いた夏休みの絵日記。

フジコさんのようなつらい人生なんてことはなかったけれど、それなりに、つらいことや悲しいことはあって、泣いたり、ちょっと危ないこともあったり(生命危機?)、仕事を2週間もさぼったり(あまりにも人の生死がつらくて)だったけれど、誰でもなく自分がここに至るまでの紆余曲折はやっぱり、どこかで自分を表現する形になっているのかも。
仕事でも、小説でも、こうして書いているものでも、ピアノの音にでも。
三味線は……逆に手が少なすぎて、音に表すのが難しい(それはかなり高度だ)。
となると、10本の指を使わざるをえないピアノは、実は、何かを表すのに向いている楽器なのかも。

うまくいかなくてもいい。
夢見て、泣いて、ドキドキして。
それが全部よい音になる。
人生も。ピアノも。

(暮しの手帖社『発見!フジコ・ヘミングさん14歳夏休みの絵日記』より)

らっきょうとシャクヤク
 おまけ:うちで漬けてるらっきょう。3年もの、2年もの、1週間前。
 トップの写真はうちのウツギ。切っても切っても道路にはみ出てご迷惑を…

Category: あれこれ

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【雑記・本】ブックカバーチャレンジ第2弾~教科書って偉大だった~ 

最近、あることに嵌まっています。
というのか、ちょっとテレビっ子していて、お気に入りの番組がいくつか。
とくに、『岩合光昭の世界ネコ歩きでは、妙な遊び?をして楽しんでいます。
それは「勝手にナレーション」
岩合さんがネコに話しかけながら撮影をしているのですが、岩合さんの声の他にナレーションが入るのです。以前、番組の中でこのナレーションについて舞台裏の話が出ていたのですが、台本があるわけじゃなくて、ナレーション担当の俳優さんとかが自分の好きに言葉をあてはめているんですって。映像見ながら練習もするらしい。
これって、ある有名な司会者さんが、競馬だったか何かの中継の練習を、古い映像見ながらやってたのと一緒や!
で、なぜか自分で「勝手に世界ネコ歩きナレーション」練習中なのでした。

え? いつか、私に『世界ネコ歩き』ナレーションの仕事が降ってこないか、狙ってる? 
いやいや、人生、何があるか分かりませんからね。備えあれば憂いなし? 幸運は準備した者の上に降ってくるとも言いますから(そんなわけはない)。
でもこれって、やたらめったら言葉を入れたら良いというものでもないのですね。書き物といっしょ。端的にうるさくない程度に、でも、ネコへの愛をたっぷり込めて、観る人に心地よく番組を楽しんでもらう必要があるのです。うん。
(って、ここで力説してもしょうがないけど)

生まれ変わったら『ダーウィンが来た!』の撮影隊になろうと決めているけど(なんでやねん)、世界ネコ歩き、ただの旅行番組と違って、ネコを通して見た色んな街の日常の景色、人々の暮らしが垣間見えて、とてもお気に入りです

さらに、以前、休みの日に『マルモのおきて』を一気見してしまって、泣きまくっていたのですが、このGW中にJ:COMで『流星ワゴン』を一気見してしまって、またも大泣き。リアルタイムでは見ていなかったのですが、もう、子どもを出すのは反則やわ~と思いつつ、見切ってしまったやん。
メインは子どもじゃなくて、香川照之と西島秀俊の、もうすでに可愛くない年齢の親子の話なんだけれど、二人とも可愛く見えるという、名優のすごさを感じる、大人のお伽噺でした(原作:重松清)。


話はタイトルの件に戻って。
前回の記事【7日間ブックカバーチャレンジ】には幾人かの方に乗っかっていただき、すごく面白かったです。
いや、もの書きの人たちの挙げる本は、世界観が独特で、その人が書いているもの・世界、時にはその人の生き方・感じ方に影響しているのがそのまま表われているようで、興味深かったです。思わず、プラナリアを想像してしまいました。あの生き物、食事シーンはけっこうえぐいですが、赤いものを食べたら赤くなるというあたり、似てません?
なんだか物書きの正体見たり、な感じがしました(良い意味でね)

で、今回、本を選んでいる中で、この「私にとってとっておきの7冊」には入らなかったけれど、もしこれがあと7冊なら入れてたかも、って本は結構あったのですね。でも、これも言い出したら切りがないので、ある基準でまた新たに選択してみました。

題して『教科書は偉大だった』
って、何のことや? なんですが、私の場合、小学生の時の読書って、そんなに種類は多くなくて、メインは子ども向けの少年探偵団とホームズとルパン、だったのですよね。
でも、それこそ本が壊れるくらい読んだのは『3匹荒野を行く』と『狼王ロボ(シートン動物記)』でした。何回も読んで、何回も泣くという(;_;) その頃から、『ダーウィンが来た!』につながるものがあったのですね。
ちなみに、あとは『リラの花咲く家』(『若草物語』と同じ作者なのになぜこっち?)と『石の花』(ロシアのウラル地方の民話、なんでそんなに好きだっんだろう?)、『誰も知らない小さな国』(思えばこれも真のふるさとが北海道になった理由だ)、そして、こども向けの百科事典。うちの家にあった私の本はそんなくらい。
(以前ご紹介した、じいちゃんの直筆本の方が、多かったくらい)

そういえば、この間、録画した『ダーウィンが来た!』を見返していたら、狼の回が残っていて、狼って一度番いになると、一生添い遂げるから、一方が死んじゃったら、その相手も群れの中で居場所を失って、一緒に死んじゃったりするんだって、あぁ、そうか、あのロボの話はまさにそういう習性だったのかと、思い出してちょっとべそをかいておりましたとも。

あ、話が逸れております。
要するに、うちの家はそんなハイソな家庭でもなく文化的環境でもなく、普通に農家系だったので、家には本の類はあまりなくて、友達の家で世界の名作全集的なものを読ませてもらったり、学校の図書館の本を読んでいたのですが。
そんな中で、中学校に入って、学校の授業で習ういわゆる「文学」に新鮮な感動を与えられたのでした。
どうやら当時、私は結構素直なこどもだったらしい。

その中のひとつが夏目漱石『こころ』なのですね。
教科書だけではなく、先生(予備校の先生含む)から教えてもらったり、授業でちょっと話題に上ったものを色々つなぎ合わせて、読書の幅は広がったなぁと思うのです。
そうした学校や予備校で知った世界を少しだけ思い出してみました。


1.『ワインズバーグ・オハイオ』……シャーウッド・アンダーソン
ワインズバーグ
確か、高校生の時に英語の授業でこの中の何編かを読んだのです。なぜか妙に嵌まってしまって、アメリカ文学への道を開いてくれました。結局、マーク・トウェーンもヘミングウェイもいくつか読んだけれど、何故か最後まで記憶に残ったのはこの『ワインズバーグ・オハイオ』。全部英語で読むのはしんどかったので、すぐに訳本を買い(写真左)、本棚にずっと残っていたのですが、カオスな本棚のどこかに埋もれちゃって、で、つい数年前、急にまた読みたくなって、新版を買ったら(写真右)、後から昔の本が出てきたという。
字のサイズ
ちなみに字の大きさはこんなに違う^^;
後から気がついたのですけれど、これもワインズバーグという架空の街の群像劇的物語。前回おまけに挙げた『星々の舟』や『霧笛荘夜話』に通じるものがあるようで、そういう書き方が好きなのかもしれません。

2.『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』……J.D.サリンジャー
シーモア
これも、高校生の頃に英語の授業で出てきたのだと思うのですけれど、少なくとも自主的に手に取った本ではない。
そして、やっぱり嵌まりました。サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』も読んだと思うけれど、何の記憶もない。
でも、このグラース家の一連の物語には、なんだか強烈に惹き付けるものがありまして。
本当なら、この横に『フラニーとゾーイー』『ナインストーリーズ』の2冊が並ぶはずんだけれど、カオスな本棚が……(以下略)
思えば、このシリーズも、一家の物語という意味では共通の手法なんですね(入れ子方式、というの?)。
幸福の絶頂にあったはずの長兄のシーモアの自殺にまつわるもろもろを、次男の(サリンジャー自身とも言われる)バディが語っていくという、なんで、こういう手の話に嵌まるんかなぁ……多感な中学・高校生あるあるですね。
でも、今、改めて読むか?と思うと「?」かもしれません。

3.『アカシアの大連』……清岡卓行
カオスな本棚が……(以下略)
そのため、ブックカバーの写真は撮れませんでしたが、清岡卓行は学校の授業で詩が出てきて(何の詩だったか記憶にない)、詩集を図書館で借りて、そしてこの『アカシアの大連』に行き着いたのでした。
当時、森川久美さんの漫画で『南京路に花吹雪』が大好きで、なんとなく中国ノスタルジックな気持ちになっていたのでしょうか。
戦後まだ35年ほど?、まだ「語れないこと」が多くあった時期、多感な少女だった私(ということにしておきます)は、あれこれ過去に思いを馳せていたらしい。

4.『背教者ユリアヌス』……辻邦生
カオスな本棚が……(以下略)
もしかすると、実家に置いたままかも知れないのですが、いや、これはもう、私一人で嵌まったのではなく、当時の友人全員で嵌まりまくったというバイブル的小説でした。実は、小説そのものを授業で習ったわけではないのです。うちはクリスチャンスクールでしたので、ユリアヌスはまさに歴史的には「背教者」ですから、聖書か世界史か何かの授業で出てきた時に、おそらく先生からこの小説の存在を知らされたのだと思います。もちろん、キリスト教の学校でこの本は禁書である、なんてせせこましい話はなかったと思います。だって、みんなで読んだのですから。
この本は、当時の私たちにとって、ガンダムと同じくらい、すごい影響力だった(比べるのが変?)。
でも、あの時のテンションで今読めるかどうかはちょっとアヤシイので、まだ文庫本は買い直していません。私の読んでいた本は、ハードカバーで、上下2段の文字がびっしりと詰まった重たい辞書のような本でしたしね~。
この勢いで『春の戴冠』を読み、頭の中でヴォルテラ家のイメージが完成したのであった(要するにメディチ家だったのね)。

5.『安乗の稚児』……伊良子清白(詩)
こちらは、予備校の授業で出てきた詩。多分、ほとんどの人が知らないと思いますが……
この『安乗の稚児』を初めて読んだとき、まさに雷に打たれたような衝撃でした。
う~ん、もう、これは私のなんとなくの原風景です(これは、藤原新也氏のある写真にもつながっている)。
貧しい村なので父ちゃんも母ちゃんも仕事に出ていっていて、稚児一人、小籠に座って恐れも知らずほほえんで海を見ている、って情景。しかも「反響(こだま)する心と心」……側に居ない両親との心の繋がりと教えられた気がしますが、今は、こどもは海と心を通わせていて、一人この世界に産み落とされて、やはり一人大自然と対峙しているという、そういう印象で読んでいます。
この詩のシーンを見たくて、安乗まで行ってきましたよ。
そして、後からこの詩人は先輩であると知って、またもや、背中がぞわ~っとしました。

6.『隠された十字架』……梅原猛
隠された十字架
これが授業で聞いたものかどうかは、実は定かではないのですが、私が寺社巡りを始めたきっかけになった本。
そして、今、文字になって残っている歴史は疑え、という視点を教えてくれた、これこそバイブルかも。歴史を一方向(後に権力を得た者が作った歴史)からだけ見てはいけないという考えは、まさに後に網野史学に嵌まった根っこを作ったかも。

7.寺田寅彦随筆集
寺田寅彦
こちらは古い随筆集がどこかにいっちゃって、新しく買い直しました。
これも多分、予備校の国語で出てきたんだと思います。ほんとに、昔の理系人間って、文学にも精通していたんだよなぁとしみじみ思います。短いエッセイばかりなので、時々拾い読みしている。

実はこの後に、私が一時真面目に何かを掴もうとして読んでいた、謎の哲学書類を挙げようと思ったのですが、なんか、もう今となっては海馬のヒダの奥深くに挟まってそのまま腐ってるみたいで、内容も何にも覚えていないので、この辺で置いておきます。
予備校の英語の先生が、学生運動やってた人で、哲学好きで、すごく影響を受けたんですね。もう一人、言語学を得意分野にしている英語の先生もいて、なぜかジャック・デリダを英語で読まされていたという。それ、受験に役に立ったのか?って話ですが、いや、何の役にも立たなかったけれど、個人的には、人生の一コマにすごく重い駒を残したかもなぁ。

代わりに、見つけましたよ!
COSMOS.jpg
伝説の映像作品、COSMOSの豪華本。しかもこちらのセーガン博士、ジュピターがガス惑星であるという解説をされているところ。
宇宙から人体の不思議まで、本当に世界を広げてくれた番組でした。
そして、なぜか、この本を見つけた同じ箱の中に入っていた、竹宮恵子さんの豪華本。
けーこたん
なんと直筆サイン入り。サイン会に行ってもらったんですよね~。
そうそう、やっぱり自分の創作の原点の数十パーセントはけーこたんから来てるのかもなぁ。
そうするとやはり、漫画シリーズもしないといけないかしら? 敢えて外したミステリーとSFも膨大な数だけど^^;
ちなみに本棚を探ってみたら、すごい数だけど、内容覚えてない話も多いのがミステリー。途中まで読んで、「あ! 私この犯人知ってるわ!」ってこともしょっちゅうある^^; 
余談ですが、SFは、ほぼ全部読んだのはロバート・ハインライン。『月は無慈悲な夜の女王』が大好きで。でも、友人たちと一緒に嵌まったのは『デューン砂の惑星』でした。これ、私らにとっては古典だけど、わりと最近?映画になってましたよね。砂虫がえぐかったような記憶が。
カオスの本棚
おまけのカオスな本棚。
え? 綺麗ですか? それはね、下半分が写ってないからよ
3面のうち2面のそれぞれ半分しか写っていないけれど、これ、本が2重になってて、奥に何の本があるのかもう分からない。このミニ書庫には小説はありません。
寝室とミニ書斎にも大きな作り付け本棚がありますが、そっちも大概なカオス。小説や漫画や、ちょっとだけ仕事に絡んだ本も。
仕事の本は基本、職場にあるので、あまり家にはないのでした。

というわけで? 第2弾、おしまいです。
読んでくださってありがとうございます。

Category: 本(ご紹介・感想)

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【雑記・本】7日間ブックカバーチャレンジ~ars longa, vita' brevis~ 

今、Stay Homeのために、ネット上では色んなイベント?が行われていますね。
その中でFace Book?で「7日間ブックカバーチャレンジ」というのをやっているようです(私はFace BookもSNSもしていないので、ブログで見かけただけなんですが)。
面白そうだなと思って、便乗することにしました。
ただ、そのルールは「7日間、好きな本を1日1冊、投稿する。ただし、ブックカバー(表紙画像)のみ、内容説明なし。その都度、誰かをこの企画に誘う」というもののようです。7冊という縛りはないみたい。

でも、いくつか記事を見せて頂いたら、「説明なし」でアップしてる人なんてほとんどいません。
みんな自分の好きな本に関しては一言、言いたいんですね。
というわけで、わたしもやってみようと思いました。
でも、7日間も毎日投稿するの面倒だし、一気にまとめていっちゃいます。
内容説明は極力なしにします。ミステリーはきりがないので選択肢から外しました。
そして、できるだけ自分の一番深いところで大事にしている本をピックアップしてみました。
ひとつに決められなかったので、全集でアップしちゃったものもあるけれど。


1.『鬼平犯科帳』…池波正太郎
鬼平犯科帳
『剣客商売』と迷いました。でも、やっぱり鬼平かな。昔から、海外旅行に行くときは数冊必ず持って行っていました。
でも、年を取ったのか、最近は『剣客商売』の小兵衛の渋みが心にしみるようになっています。
池波先生の本は、小難しいことを書かずに、さらっと小気味に要を付いてくる。やっぱり江戸っ子ですね。


2.『こころ』…夏目漱石
こころ
やっぱりこれは外せないかな。右は普段読んでいるもの。読み返す度に付箋が増える。
左は初版本の復刻版の表紙。もちろん中までそのまま復刻されているので、夏目漱石の「つぶやき」のような前書きとか、おもしろいんです。昔は本そのものが芸術品だったのですね。
こころ中表紙
この「こころ」初版本の中表紙には『ars longa, vita' brevis』なる版が印字されています。芸術(の達成には)は長く(時間がかかり)人生は短い……漱石自身が選んだ言葉でしょうか。
『こころ』と『それから』は私のバイブル。


3.『ジャン・クリストフ』…ロマン・ロラン
ジャンクリストフ
私をクラシック音楽に縛り付けた?本といってもいいかも。
これを読んで『Eroica』(ブログでは未発表のジョルジョ・ヴォルテラと相川慎一の親子葛藤…親子じゃないけど…の物語)を書き、私が最も愛するピアノ曲がベートーヴェンの『熱情』になったのでした。何しろ読んでいる間中、アドレナリンが出まくるという、なんかすごいテンション高く読んだ本でした。
しかし、今本を開いたら、このびっしりした文字に目眩が……


4.『戦争と平和』…トルストイ
戦争と平和
こっちのほうが字のつまり方が半端ない
実は、ものすごく夢中になって読んだのに、相変わらず最後の何ページかは読んでいないという。トルストイの説教? 歴史論? がちょっと面倒くさくなって^^; 何しろ、アンドレイ公爵が3巻の終わりで死んじゃって、4巻はけっこう読むのがしんどかったのもあります(『銀河英雄伝説』もヤン・ウェンリーが死んじゃったところから読むのが苦痛でした(@_@))。
この当時、映画の『ドクトル・ジバゴ』を見てロシアに夢中になっていたのでした。


5.『The Damon-Haunted World』…Carl Sagan
カールセーガン
セーガン博士の著作は、1冊だけ選ぶのはとても難しいので並べてみましたが、どれか選ぶならこれかな。
訳本では『人はなぜエセ科学に騙されるのか』という色気のないタイトルになっているけれど、科学の限界とその中にある希望、人類の来し方行く末について、考えさせるものでした。英語のタイトルの副題が気に入っています……Science as a Candle in the Dark……そうあって欲しい。
今ではこういう科学関係の本はあふれかえっていて、この当時よりもずっと情報も知識も増え進んでいるので、もう古典のような本かもしれませんけれど、そこに書かれた「(当時の)事実」よりももっと大きな「教え」がこうした本の中にありますね。
(以前は、科学者であり哲学者とか、2足のわらじ系の理系人間がもっといたように思うのですよね。)
たまに、ダーウィンの『種の起源』とかシュリーマンの『古代への情熱』(竹流の愛読書のひとつ。あ、そういえばこの人のもうひとつの愛読書が『鬼平犯科帳』だ^^;)を読み返したくなるのはそういうことだ。


6.ピアニストが語る!…焦 元溥
ピアニストが語る!
ピアニストへのインタビューの本。これを読むと、音楽が歴史とともにあったことがよく分かるのです。まさに事実は小説より奇なり、です。とくに、アジアのピアニストがヨーロッパ勢とはまるで違う環境下でどんなふうにクラシック音楽を学んでいったのか、そこにはまだ記憶に新しい戦争が絡んでいたりするんですね。亡命の話とか、本当に音楽の話じゃなくて、歴史の話ですものね。藝術はその時代の社会に大きく影響される。だからこそ、重みがあるのでしょうね。
そう言えば、これに関連して最近読んだ小説で面白かったもの。
革命前夜
私が亡命ピアニストをちょっと書いてみようと思ったネタ本。
これは、ドイツに留学してバッハを学ぼうという日本人の青年の物語でした。


7.網野善彦(全集)
網野善彦
私が全集で持っているのは夏目漱石(初版本復刻版)と網野善彦だけです。あ、メトロポリタン美術館全集もあるけど。
日本の歴史を通史として見直した歴史学者。歴史学と民俗学を分かつことなく語る視点が面白くて、嵌まりました。
日本の歴史を
文庫本などになっているのでは、これが一番読みやすいかな。


番外にちょっとだけ、小説を。
8.『星々の舟』…村山由佳、『霧笛荘夜話』…浅田次郎
霧笛荘と星々の舟
別にまとめて載せる意味はないんだけれど、スペースの都合上。
共通点があるとすると、どちらも関係性のある人物を順番に描いていくというパターン。ひとつは家族、ひとつは同じアパートに住む人々。こういうふうに人物を重ねながら物語を紡いでいくのって、ちょっと憧れていたりするのでした。
しかし、この作者さんのどちらも、私は別にすごいファンでもなく、他の本をほとんど読んでいないという(何冊かは読んだけど)。でもこの2冊は、私の本棚の特別コーナーに置かれている。


選びきれないので、このへんで。
えっと、他の人を招待するというルールはもう、おまかせで。
久しぶりに懐かしい本を手にとって、楽しかったです(o^^o)


チョ・ソンジンさんのライブが始まっちゃった(You Tubeで)ので、お開きです~(o^^o)←4/26(日)23:00
シューベルト『さすらい人幻想曲』中(o^^o) ライブと思うと嬉しい。このひと時を彼と共有しているのね。
5月の私のソンジンウィーク(年休とりまくってコンサート5つ行くつもりだった^^;)はCOVIDのせいで吹っ飛んだので(一部は12月に持ち越し)、楽しみます
ついにスマホの壁紙?もソンジンくんになっちゃった
(と思ったら、すぐ終っちゃった。くすん。もう1回聴こう! You Tubeっていいなぁ)
ソンジンくん、ベルリンから
ドイツグラモフォンの力か? You Tubeにしては音がむっちゃいい。そして、いつ見ても、見惚れる美しい手。やっぱりドイツグラモフォンの撮影技術か、ピアニストのあらゆる姿を余すことなく撮影? 横から前から上から、そして表情アップ、指アップ。いや~、全てに見惚れる。
ピアニストの手ってほんとに、美しすぎる。彼の『さすらい人幻想曲』、ほんとに素敵。一度ご覧くださいませ。

おまけに、といっても、元の曲知らないと楽しめないかもしれないですが(いや、そうでもないかも)、堂本光一くんの『家のかたまり』が素晴らしくて。
堂本光一くん『家のかたまり』
もとはすごくロマンチックなラブソング(『愛のかたまり』:作詞・堂本剛、作曲・堂本光一)なんだけど。
……うん、自粛しよう。ちなみにこの動画、光ちゃん、自分で録音・編集・文字入れしたらしい^^;

Category: 本(ご紹介・感想)

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【雑記・近況】文章を書くということ 

うちのさくらと雲


何ヶ月も前のことですが(まだコロナがニュースに上がる前)、大學の同窓会がありました。
その時、10年近くも会っていなかった同窓生から、声を掛けられました。
「大海さん、といえば、『大草原の小さな家』とジュピターだなぁ」
え? なんの話? ですよね。

実は、身に覚えがありありです。でも、内容は自分ではあんまり覚えていませんでした。
なんのためにそれを書いたのかは全く覚えていないのですが、大学内に配られる某かにエッセイを書いたことがありました。

その内容が、『大草原の小さな家』のインガルス一家のリアル話について、だったのです。
現実にはあの後、一家は離散しており、あんなハッピーな物語ではない、そう考えたらがっかりだ、とか書かれた文章をどこかで読んだのでしょう。それをもって物語を貶めるような書き方をされていたのが気に入らなかった大学生の私。
(ちなみに、うちの大學は文学系でもなく、文系でもなく、大きな範疇ではばりばりの理系ということになるのでしょう。もっともサイエンスかというと、アートであるべき学問かも知れませんが)

物語が素晴らしいのは、人々のイマジネーションをかき立てるからであって、あの物語の価値は、その後の一家がどうであったかというリアル後日談によって下がるものではない、物語と向き合う我々にとっては想像力の豊かさと、そこに描かれた内容から何を得るか、ということこそ何よりも大事だ、とかなんとか、書いたらしい。

そこに登場したのが、ジュピター(木星)の話(なぜ? 思考回路がおかしいのは今も昔も変わらんみたい)。
たとえば、木星に生命体がいるとしよう。それが地球に存在する生命と同じようなものである、つまり我々がそれを生命と認識できるような形態をしているなどと思っているようではだめ。そもそも、木星はガス惑星。あのガスの雲の中に、想像を超えた生命体がいると想像する、それだけでどんなに楽しいか!
……ってな内容だったのかな。(多分、その時から私の思考は大して変わっていないだろうから。でもなんで、インガルス一家と木星がつながってたのか、やっぱり不明)

学年はたかだか100人ちょっとなので、話をしたことのない人ってのはいないんですが、すごく親しかった人というのでもないんです。でも、その人が、私の書いた文章を、しかも、我々の専門とする学問とはなんの関係もない、30年も前の短いエッセイを覚えてくれていたのが、なんか気恥ずかしくも嬉しかったのでした。
拙い文章だったとは思うけれど、気持ちが伝わっていたのがやっぱり嬉しい。
でも、大海=『大草原の小さな家』=木星のガスの中を漂うでっかいクラゲみたいな謎の生命体……ってのはどうなの…


 
話変わって。
最近、仕事絡みで、他人様の書いた文章(一応、理系文章ね)をチェックすることがあるのですが、内容はある程度納得できても、日本語がなっていないものがすごく多い。
かくいう私も、文章の専門家ではないし、大した文章を書いているわけでもないので、えらそうに言うべきではないと思いますが、それでも言いたくなる。

文章とは、他人に伝えるものなので、主旨が分かるように明快に書く、何が言いたいのか分からんってのは困る、起承転結のない、転んだまま終わったりするのはだめ、理系文章でも起承転結はあるのよ、いや、理系文章だからこそ明快な起承転結が必要なんだ、とか、あれこれ言いたくなるような文章もよくあるけれど、そこまで読めたらまだいいのかも。
そのずっと手前のところで引っかかって、まず「てにをは」からおかしいやろ!ってことがよくあるのです。

日本語の文章でも要旨だけは英語で書くことが多いのですが、明らかにへんちくりんな翻訳ソフトを使ったな、ってのがわかる英文もある。でも英語の文章だったら、「ちゃんと英語の分かる人にチェックしてもらいなさい」って突き返すわけだけれど、そもそも日本語の本文がなってなかったら、どうしたらいいの?

本当は突き返したい。
日本語がなっていません。文章の書き方を1から勉強しなさい。

海外の論文では「Method」のところを読んで、そこでもう判断されて突き返されるそうですが、日本は甘いのかなぁ。
私が甘いのかなぁ。あれこれ丁寧に「これは目の付け所はとても良いと思うのですが、こういう手法ではあなたの言いたい結論にはたどり着けないのです」……いや、それどころか「まずは、てにをはを見直しなさい。この文章は1文目から読む気がしません」って言いそうになる。

言いそうになるんだけれど、自分にも絶対の自信がないから、ちょっと立ち止まって考える。
(で、結局、やっぱりダメなのはダメ、と、ダメ出しを具体的にA4に5枚も書いたら、その論文を編集の先生がrejectしてくれました。でもなぁ、ほんとは、スタートラインの目の付け所は私にも興味あるところだったので、気を取り直して、ちゃんといい形に書き直して欲しいなぁ。そのことも書いたんだけれど、伝わったかなぁ)

我々の受けた教育では、理系だからって、国語をおろそかにしていたのかしら。
ジョブスのスピーチでもいい、TEDでもいい、人に伝えるためのテクニックをもっと学べるようにしてほしかったなぁ(今はやってるのかなぁ)。
でも、せめて日本語の文章をちゃんと書いてくれ! 内容はその後についてくるもの、だよね。
(えらそうに言っちゃってすみません。言ってる自分の文章が怪しいことは多々ある)

でも、文章って、こういうブログの文もそうだけれど、自分の手から離れて誰かのところに届いて、思わぬ形で残っていたりするんですね。自分がコロナでやられちゃった後も、このブログに書いたことは、ネットのデジタルな海もしくは宇宙を、クラゲのように漂うのか……う~ん。
できれば良い形で漂ってほしいものだけれど。

コロナにやられちゃうって、喘息状態の私には結構リアルな話で。
職場でもらわないとも限らないし。
で、最近、とりあえず家の片付けしとこう、とか、家族にどこに何があるか、書き残しておいた方がいいかなとか、真面目に考えているのは私だけではないはず

ねこさん7


関係ないけれど、先週末、新車の1ヶ月点検に行きました。
うちの駐車スペースの上は、枝垂れ桜(トップの写真は家の枝垂れ)。
嵐で花びらが散りまくり、新車のボディにくっつきまくり。
「今洗っても、まだ散ってくるので、散り終わってから洗車します」と言い訳する私。

で、点検が終わったら。
うちのチリテレ2号くん、ぴっかぴかになってました^^;
「洗っときました」
わ~、す、すみません(@_@) 
トヨタの整備のおにいちゃん、ほんっとにありがとう!
(新車にこの扱いはゆるせねえ、見過ごせねえ、ってことね(^_^;))

Category: あれこれ

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【雑記・花】2020年の桜~バーチャル花見?~ 

さくら2
花見も思うようにできない2020年春。いつも行く公園は、例年、早朝は釣り人と犬の散歩の人をたまに見かける程度なので、今年も早朝花見散歩をしてきました。
さくら1
大きな木は、枝振りが変わってきていて、年老いていくのも分かります。一方で、所々に若木も植えられていて、次の世代に受け継がれていくんですね。
魚釣り
今年は釣り人も少ないかも。
ねこ1
ねこさんも、いつももっと見かけるのですけれど、今年はこの子にしか出逢いませんでした。
桜花火
今年のBest of 桜花火。
桜キャンバス2
今年は、新しい遊び?を。題して「桜キャンバス」。サクラの枝で囲まれた部分をキャンバスに見立ててみる、という。桜キャンバスは四角とは限りません。太さも形も様々、額縁に桜が飾られていたり、額縁の中の世界がまた面白かったり。
桜キャンバス3
枝で囲まれた小さな宇宙です。
桜を撮る
桜を撮る人。
ひかり
光に透ける花。
空と桜
青に映える桜。
山桜2
そして、大好きな山桜。今年は花盛りが遅めだったのか、間に合いました。いつもソメイヨシノが満開の頃には少し盛りを過ぎているのですけれど。白の桜もあります。
山桜4

今年は、動画を作ってみました。
ちょっと画面が揺れる部分があるので、酔わないように気をつけてください(o^^o)
お楽しみいただけますと幸いです。


よろしければYouTubeに飛んで、もう少し大きめの画面でお楽しみください→sakura2020

Category: ガーデニング・花

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【雑記・近況】君と走った117371km 

君と走った117371km
「遅くなってごめんね」
「うん。今日もお仕事、お疲れ様」
「じゃあ、帰ろうか」
「安全運転でね」
元カレと私の会話は、毎夜、こんな感じだったでしょうか。

それが、今のカレときたら。
「おい、遅いやんけ」
「お待たせして済みません」
「さっさと帰ろうや」
「はい。すぐに」

元カレはちょっと渋い紺色でしたが、今のカレは真っ赤。
思った以上に赤いので、何だかイカツイ印象です。
あ、そうそう、カレとは車の話ですよ(o^^o)

元カレですが。
10万km越えそうになった時点で新車預金を始めたのですが、去年、それがそっくりグランドピアノに化けてしまったため、新車は数年後にお預けとなっていたのですが、去年の走行距離がほぼ2万km。職場が遠くなったのと、父の病院・実家との往復が頻繁だったのと、あれこれ重なったわけですが、考えてみれば、通勤だけで最低、月に1000kmは移動するので、それだけで結構な距離。
今年、車検予定だったのと、タイヤをそろそろ4本とも履き替える時期だったので、一応査定してもらったら20万は出るとのこと。
お金計算もあれこれあったけれど、何よりも、一部のみなさま、ご存知のように、愛着がかなりありまして……でも、次の車検まで待ったらそろそろ電気系統の交換しないといけないし、人生の逆算をしたりもして(この先、どのくらい車生活をするかってことね)、ここで売れるうちにと決心しました。
決めてからも随分長い間ぐずぐず思っていましたが。

私、ものにたいてい名前つけちゃうんですけれど、それって良くないのかも。
元カレはチリテレくん、ピアノはヤマハくん(でもYAMAHAではない)に大橋姫(鬼女伝説をもじったわけではない)、冷蔵庫は大野くん……などなど。
名前をつけると、なんか執着が生まれちゃうかもですよね。

ということで想い出に浸ります。
元カレ・チリテレくんと走った117371km。
チリテレくん、この車種の100万台到達記念特別色だったので、1年に何回かしか同じ色の車に出逢いませんでした。色が気に入って即決したというお気に入りの相棒。

新車になった翌日、友人親子と京都に行きました。
町屋の旅館に泊まって、翌日、志明院へ。新車になったので交通安全のお守りをもらいに行くためでもありました。志明院というのは、すごい山奥にありまして、道はほぼ舗装はされているものの、それなりの悪路。途中から携帯の電波は届かない。
それが、山を降りていく途中、いきなり「ば~ん! がらがらがら~」って!
なんといきなりタイヤがバーストしたのです。1日目の新車なのに?

JAFに電話~と思ったけれど、携帯のアンテナは立たない。
焦ったけれど、幸い10mほど歩いたら電波が繋がったので、何とかJAFに来てもらってスペアタイヤに替えてもらって、このまま高速に乗るのは危ないから京都市内でタイヤを履き替えなさい、と言われてトヨタのお店に。

見てもらったら、パンクと言うよりも、人為的にタイヤを切られたみたいで、それが山道をがたがた走ったのでバースとしたということみたい。宿には駐車場がなかったので、町の駐車場に停めていた夜の間にやられたみたいです。
志明院の不動明王が守ってくれたのでしょう。これがもし、高速道路でバーストしたら死んでたかも。しかも携帯通じるぎりぎりのところで。
そんな事件のおかげで一気に距離が縮まったチリテレくんと私。

岩屋巨石とちりてれくん2011-9
巨石紀行には随分付き合ってくれました。あまりにも遠い東北や九州に行くときは、さすがにレンタカーだったのですが、四国、山陰、長野あたりまでは一緒に行きました。最近の遠出は、ほとんど和歌山方面だったかも。
上の写真は、広島尾道の向島にある岩屋巨石の駐車場?なのか、山に登る私たちを待ってくれていたチリテレくん。

岩上神社とチリテレくん2016-2
こちらは淡路島のイワクラ巡りをしたとき、岩上神社の境内で待ってくれているチリテレくん。
でも、こんな小綺麗なところで待つってことは少なくて、巨石巡りと言えば、大概は道なき道を行く系が多いので、チリテレくんはいつも、藪の中とか、あぜ道とか、地面ドロドロの空き地とか、そんなところで待っていてくれたのでした。

淡路SAの君
お別れするのを決めてからもぐずぐず思っていた私。
納車の日、朝から淡路島にラストランに行ってきました。
そう言えば、今までの車も全部(チリテレくんは3台目)、なぜかストランは淡路島のSA。最初は父のマークIIをもらったので、14年目くらいでタイヤの車軸のボルトが外れたりして乗り換え。最後に淡路SAに行って帰ってきたら、確か往復で橋代(明石海峡大橋代)が5600円くらいしたのでした。往復割引ないんか~と叫んでいたものでした。
今は往復で2000円弱ですね。でも往復割引、ありません(;_;) SAで引き返してきても…

117371kmの最後の数km、高速の出口を間違えちゃって迷子になったりして。
それも、君と私らしい、よね。

君と見つけた光る石
そう言えば。
これは高知県の足摺岬の山道(唐人駄馬遺跡の近く)で、君と一緒に見つけたもの。
山道を走っているときに、視界の端で何かが光った!と思って、チリテレくんに待っていてもらって、山の中へ道なき道を入って行ったけれど、近づいてみたらただの苔むした石。
でもこのおかげで、確信できました。
真正面から光が当たったら、普通の石でもこんなふうに真っ白に光るんですね。やっぱり、古代には灯台の役目を果たしていた巨石もあったに違いないのです!

てるてるぼうず
チリテレくんに同乗してた相棒たち。
まずは姫路城からやってきたてるてる。この子のおかげで「大雨予報」だった夏至の日、伊勢の二見ヶ浦で、太陽は見えなかったけれど、明るくなった空は見ることができたのかも?
「えっと~、予報は大雨ですけど、晴れにしろとは、ちょっと荷が重いんですけど」
というように、よく後ろ向けになっちゃうんですけどね。

見守ってくれてありがとう
郵便局のマスコットですが、今はポスくまくんに変わっていて、もうこの子たち(3人いた)は販売されていないとか。あ、横にいるイルカは、今民営化で揉めている須磨水族館から来たのかな? たぶん。
郵便バックを抱えているので、ついでに志明院のお守り(毎年、訪ねています)も持って頂いています。
てるてるも郵便屋さん小僧も、一緒に新車にお引っ越ししました。淡路SAで、新しいお守りキーパーに猫バスを買ったんだけれど、なんか、結局そのまま……(o^^o)

(追記)3人合わせてポスティーズ、この子は真面目で物知り、お花屋さんのキミックといいます。タグを付けたままだったので確認できたけれど、すでに郵政のHPからも消えていました。

新しいカレは、上に書いたように、なんか厳つくって、とにかくうるさいのです。
いちいちぴ~ぴ~言うんだけれど、「今のぴ~、なに~?」ってことが多々あり、特に家の駐車場に入れるときにうるさくって。いや、そこ、絶対当たらないからって分かってるんだけれどね。
運転し始めの頃、父が横に乗っててあれこれうるさく言ってくれていた、そんな感じ?
しかし、9年経つと、モデルチェンジ2回の結果、安全性は格段に良くなっている。でも、人間が瞬時にそれに対応できてない^^;

まだ十分仲良くなれていないし、まだ元カレが懐かしいけれど、そのうち慣れるかな?
あ、今カレですが、結局、「チリテレくん2号」です

Category: あれこれ

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