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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

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【雑記・音楽】2018初夏の音楽活動~チョ・ソンジンとフジコ・ヘミング~ 

2018初夏コンサート
5月に引き続き、6月の文化的活動が終了。というわけで、5月に引き続きレポートです。

6/13 アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮フランクフルト放送交響楽団(ピアノ:チョ・ソンジン)(フェスティバルホール)
一言でいうと、(控えめに言って)素晴らしい! 非の打ち所のない、ものすごい充実した時間でした。クラシックのコンサートって、2時間以上も座って聴いていると、やっぱり時々は眠くなったりぼ~っと意識をあっちへ持っていったりすることがあるのですが(すみません、素人の音楽ファンってこんなものですよね^^;)、そんな一瞬がまるでなかった。
まずは、曲のラインナップを。
・ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18
・(アンコール)ショパン:前奏曲集28-17
・ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調Op.95「新世界より」
・(アンコール)ドヴォルザーク:スラブ舞曲集第1集第8番

初っぱなのワーグナーから、なんだ、このオケ?って興奮状態に入った私は、テンション上がりまくりでそのまま約2時間半弱、交感神経暴れまくりでした。まさにここは「序曲」で、この先のコンサートの内容を予感させる始まりだったのですね。
何回も書いていますが、ただの素人の音楽ファンなので、まるきり耳はよくありませんので、まぁいい加減な事を書いているかも知れませんが、ほんっとに素晴らしかった。あぁ、シンフォニーホールで聴きたかったなぁ。フェスティバルホール、前に比べてよくなったとは言え、クラシックには箱がでか過ぎると前にも書きましたが、贅沢をいっぱい言いたくなるような、もったいなくって有り難い演奏でした。
「新世界より」、何十年ぶりに生で聴いたけれど、第1楽章冒頭のあの宇宙を感じさせるところ、まさに「新世界」を感じました。管楽器が素晴らしい。クラリネット、オーボエ、ホルン、ちょっと鳥肌が立つ音で、息づかいが感じられる音色。つまり、管楽器って人が「吹いて」音を出しているから、音に「息」が色をつけているような気がするのですが、それが感じられるんですね。
そして弦楽器。有名な第2楽章の途中で、各楽器の最前列の演奏者だけが弾くところがあるのですが、そこになってふと気がついたんです。心地よすぎて忘れていたけど、今まで、この人数であのぶれのない音を出していたのか、って。集団で音を出すと、(うちらの津軽三味線なんか特に)これでもか!って分厚い音を押しつけちゃうけれど、(音量がどうというのではなくて)ひとつの透き通った音に聞こえていたんですね。あの数のヴァイオリン・ヴィオラから出ている音には思えない。
こんな美しい第2楽章、かつて聞いたことがあったっけ?
以前どこかで書いた気もするけれど、私が中学生の時、クラシック音楽ってすごいなぁと思ったのは国民楽派の音楽を習ったときからだったのですが(ピアノは習ってたけど、そして、私は最初からベートーヴェン大好きっ子でしたけれど、環境的にクラシック音楽じゃなくて民謡と歌謡曲の流れている家だった^^;)、ドヴォルザークの9番は最も好きな交響曲のひとつ。それが、これまで聴いてきたものとはまた違う、別のすごいものを聴いた気がしたのです。
そして、指揮者のアンドレス・オロスコ=エストラーダ氏(コロンビア生まれ)。あんまり大きな人じゃないのですが、その指揮はダイナミックでいて繊細。すごい指揮者だと思ったら、2021年からウィーン交響楽団の音楽監督に就任が決まってるんだとか。

……実は、個人的にはもうちょっと暴れ馬みたいなところのあるオケの音が好きなので(若杉弘さんが首席指揮者をしていた頃のケルン放送響なんかよい感じでした)、あまりにも洗練されて美しくて優等生な音に、たまに「暴れて~」とか言いたくなっちゃったけれど、ここまで完成されているともう何も言えない。いや、すごいオケでした。次に来日したら、ぜったいに行こ。
マーラーも聴きたかったなぁ。大好きな5番。どうして同じ都市で2つのプログラムしてくれないのかしら。
最後のアンコールのスラブ舞曲がきらっきら、でした。たぶん、何年も忘れられないコンサートになる。

さて、ここまでオケの話しかしてないんじゃないの? と思いましたよね。
そうです。本題はここから? なんです。
先日、2015年(前回)のショパン国際コンクールで2位だったシャルル・リシャール=アムランのピアノを聴きに行ったご報告をしましたが、もちろん、1位のピアニストの演奏も聴かなくちゃ片手落ちじゃありませんか?(なわけないけど) 
実はショパンコンクールのドキュメント本を読んだ時点では、俄然、2位のアムラン氏に興味があったのです(たぶん、書いた人がアムランびいきだった)。もちろん、彼のコンサートは素晴らしくて納得して帰ってきたのですが……今回のソリスト、チョ・ソンジン(1994年ソウル生まれ)を聴いたら、なんか吹っ飛んじゃいました。ごめんなさい、アムランさん。
でも、アムラン氏のピアノも、もう一度でも二度でも聴きたい、素晴らしいものでしたよ。アムランさんのおかげで、その日、コンサートの後、ピアノのレッスンだったのですが、「ノクターン嬰ハ短調」、先生に褒められちゃいましたよ。「どうしたの? 今日、なんかすごく音がいいよ」って。←レベルは低い^^;

でも、一体なんでしょ。これは理屈じゃないんですよね。久々に「恋に落ちました」。
(前に恋に落ちたのは、お化け屋敷で大野くんの座る椅子ががたって傾いたときだった。そう、恋は理屈じゃない)
恋に落ちると、「次はどこで弾くのだろう」とか、ネットで検索しちゃったりして。あ~、昨日軽井沢で弾いてたんだって。なんて、悔しがってたりするわけです。
ともかく、このラフマニノフの2番は反則だわ。もともと曲自体がロシアのロマンチシズムの極みみたいで素晴らしいのもあるけれど、とは言え、ラフマニノフの協奏曲。オケは容赦なく襲いかかってくるし、重力奏法でがんがん戦わないと負けちゃう~という曲じゃないですか。特に、先に書いたという第2楽章・第3楽章はともかく、後から書いたからか、疾走感が半端ない第1楽章でいきなりソリストが打ちのめされることもあるような曲。

ショパンコンクールの時は21歳、そして今、24歳?の彼の音楽は、まだまだ若いと思うのですが、音がひとつひとつ際立っている爽やかさ・力強さがある一方で、ものすごくなめらかなピアニズムがあるんですね。ソナタなどピアノだけの曲と、協奏曲のようなオケと絡む曲を弾く場合、自ずと弾き方って変わってくると思うのですが、つまり協奏曲では少々ミスタッチしようが、ひとつひとつの音よりも流れの方が遙かに大事だと思うのですが、その協奏曲でこんなに綺麗で音のひとつひとつ取り出して輝きを確かめたくなるような宝石みたいな音を出して(ちょっと粒が明瞭すぎるきらいはあるけれど)、しかも絹みたいになめらかさもあって、アジア人らしい適度な湿気もあって。
弾いているときには、身体を少しオーケストラの方へ傾けて、時に一生懸命オケの音を聴いているようで(いや、実は闘志むき出してガン見してる?)、たまにビクターの犬?思い出していたのは内緒です。そして、右手だけが鍵盤の上にあるときの左手、すっと手のひらを返すような仕草が、なんか音の名残をつかみ取ろうとしているようで、あの手にもやられたかも(←バカ丸出し^^;)。
そう言えば、綺麗な手なんですよ(CDのジャケット見ると)(そして、私は手フェチ。大野くんファンの理由のひとつはあの手の綺麗さでもある)。

去年、同じオケと別のところで演奏したラフマニノフの動画(続きを読むに納めました)を見たら、それも、すごくよいけれど、まだなんか闘ってる感が半端なくて(鬼の形相になってるときが^^;)、でもきっと回数を重ねて進化したのでは。
断然、この日(私が聴いた日)の演奏の方が良かった。若いってすごい。回数を重ねて、どんどん上手くなっていくんだぁ(三味線にもそういう子がいるんですよね)。
ちなみに、先日、バレンボイム氏の『悲愴』を貼り付けておいたら、TOM-Fさんが「髪の毛がはっちゃけててすごいことになってる」と指摘してくださいましたが、いや、弾いているときにはこうでなくちゃね。涼しい顔でしら~っと弾かれちゃ、こっちも感情移入できないし。普段の彼は、控えめで思慮深い印象だそうですよ。
40分あまり、一瞬も目を離せなかった(もちろん耳も)、そんなラフマニノフでした(*^_^*) あの音を箱詰めにしてお持ち帰りして、部屋に置いときたい。まだまだ技術が先走って何かがついてこない面もあるでしょうけれど(てか、この年ですでに完熟していたら困りますよね←それを言うなら円熟。トマトじゃないんだから)、彼は若い。この先まだまだ延びて行くであろう彼の音楽に期待するのでした。

雑談だけれど、昔、初めて片岡孝夫(現・仁左衛門)の『勧進帳』の弁慶を見たとき(私が歌舞伎に嵌まった頃は、先々代の勘三郎さんがまだ生きていた頃。仁左衛門さんも先々代、梅幸さんとの人間国宝そろい踏みが今でも忘れられない)、何だよ、若いな~と思ったものでしたが(えらそ~に)、いや、その人が、今や押しも押されぬ円熟役者。
昔から優男が上手かったんだよな~。あの色気は天性のものもあるだろうけれど、やっぱり役者としての幅と余裕は、年輪が証明するもんですよね。でも逆に、孝夫の時の青臭い弁慶が、今でも忘れられないんですよ。あの時からもしも「私(観る人)が求める全ての要素を兼ね備えた完璧で納得の演技」なんかされてたら、きっと印象になんか残ってなかったと思う。
若くてまだまだな弁慶だったけれど、底知れぬオーラがあったんです。
ソンジンくんを初めて生で聴いて見て、感じたのもそのなんか……オーラかも。

……それにしても、この先、クラシック界はどうなっていくのだろう。上手い人は数多出てくるだろうけれど、カオスだろうなぁ。要するに、聞き手としては自分の好みに合った演奏に出会えるかどうか、ということだけなのかも。
うちの業界でも、今までってレジェンドのような大先輩が支えてきたけれど、今の若い後継者たちは良くも悪くも小粒。確かに技術もあって知識もあって大したものなんだけれど、突き抜けた大物感がないんだよなぁ。時代なのかなぁ。もちろん、それはそれで悪くないんだけれど。
ソンジンくんもアムラン氏もそれぞれいいところがあって、それぞれまだまだ足りないところがあって、で、批評する人はあ~だこ~だ言って、あげくはその人の音楽以外のところにまた、あ~だこ~だ言って。周りがあ~だこ~だ言い過ぎて、若い人の秘めたる大物感をつぶしていかないようにしなくちゃな。
好き嫌いはあるだろうけれど、ど派手なリムジン?だったかを乗り回していたパバロッティは、それでもやっぱり私の中では最高のテノールだったし、お気に入りの女性ヴァイオリニストに肩入れしすぎと叩かれた帝王カラヤンはやっぱり今でも追従する人がいないものすごい指揮者だった。

そう考えたら、コンクールの審査なんて、本当に大変だろうなぁ。
かのショパン・コンクールの評をいくつか読んで思った。みんな(審査員でさえ)どこかに肩入れして聴いちゃうから、その時点でバイアスが掛かる。これって、何かに似てない? そう、甲子園。どこかのチームのけなげなピッチャーとかに肩入れして見ちゃうんだよなぁ。そして負けると一緒に泣く。「かわいそ~」って。
でも、実は、当の本人は結構図太い面も持ってたりしてね。
ショパンコンクールのファイナルではショパンのピアノ協奏曲のどちらかをやるんだけれど、このオケ(ワルシャワ)がくせ者。どど~ん、と重い音で、しかもものすごくテンポがゆっくりなんだそうな。これにやられちゃうコンテスタントも多いのだとか。
優勝した後のガラで同じ曲(第1番)を演奏したソンジンくんは、「ファイナルの時とガラで弾き方が変わりましたね」と言われて(インタビュアーは優勝して解放されたような素晴らしい演奏だったと言いたかったのかも)、「僕は変わっていませんよ。変わったのはオケです。序奏のところなんか、ファイナルの時は4分もかかっているのに、ガラでは3分だったんですよ」(後でyoutubeで確かめたんだそうな)! いいね、この図太さ、かなりすき。
頑張れ、若者。周囲の雑音なんか意に介さず、突き進め。
つかみ取るべき未来はまだまだその道のずっと先にあるんだから!

6/17 マリオ・コシック指揮スロヴァキア国立放送交響楽団(ピアノ:フジコ・ヘミング)(フェスティバルホール)
さて、こちらはまた奇しくも「新世界より」を立て続けに聴くことになった演奏会でした。が、それは結果論で、実は、何よりも私のピアノの上にかかっているこの版画の作者フジ子・ヘミングを見に行きたい・聴きに行きたいと、それだけでした。
にゃんすきー
彼女は絵も描くんですよね(お父さんは画家)。版画や絵には実際に飼っている猫さんたちが登場しまくるのですが、私が有り難くも手に入れることが出来たのはニャンスキーという名前の猫さんの版画。なにしろ、ピアノを弾くのは「猫たちを食わせるため」と公言されている彼女。
若いときに才能を認められながら、戦争、無国籍(お父さんがスウェーデン人で、日本の生活に馴染めず帰っちゃった)、貧しさで留学中も暖房を入れることも出来なくて風邪から中耳炎などで聴力を失って、プロのピアニストの道を絶たれて、挫折の中、それでもピアノを弾いていた(教師の資格をとって教えていたそう)、それはもう、技術としてのピアノじゃなくて人生としてのピアノですよね。

登場されたとたん、私が思い出したのは、先代の四世・茂山千作さんが舞台に現れた瞬間、それを初めて生で観た時のこと。その時、まだ何も演技が始まってないのに(いや、役者さんにとっては舞台に一歩出たとたんから、もしくは、出る前からが演技だろうけれど)、もう「可笑しい」んですよ。うわ、狂言ってすごい、と思ったら、弟の千之丞さん(あ、もう先代になるのね。童司くんが襲名。狂言を見に行かなくなって久しいけど、また行こうかなぁ)が「あの人はほんとうにすごいというのか、得というのか、舞台に出ただけで観客が笑う」と言ってたから、狂言役者の中でも希有な人だったんでしょう。もう、身体から「狂言役者・茂山千作」という空気がわき出している。
フジコさんが舞台に現れたとたんに思ったのは、そういう、何か特別な人が持つ雰囲気でした。

プログラムは……
・スメタナ:モルダウ
・ショパン:ピアノ協奏曲第1番
・リスト:「ラ・カンパネラ」(もう1曲、ラフマニノフの前奏曲だったかな)
・ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
・アンコールはたぶんスラブ舞曲のどれかだったと思うけれど、済みません、確認できないまま。
あらゆる意味で、4日前のコンサートとは全く異質のものを観て聴いた、という印象。

実は、フジコさんは名古屋で(先日演奏会があったのですね)駅でこけて手を負傷されていたそうで、辛そうな演奏ではあったのですが、でも「カンパネラ」は彼女の気持ちや年輪が刻まれているようでしたね。ショパンの時はあちこち危なげだったですが、よく考えたら御年80代であの姿は本当に偉いものだと思います。
「もう今日は弾けないと思ったけれど。本当に歳はとりたくないものです」ってMCも。分かるわぁ。怪我がね。治らないのよ。それに、本当に身体が反応しないのよ。怪我の一瞬。若い人には分からないだろうなぁ。
オーケストラがちょっと抑えながら合わせてくれてたのもあるだろうけれど、演奏会ってある意味すごいなぁと思いました。普段レコードとか聴いていると、録音の技術でいい状態の音を選びながら作っていくけれど、生ものは本当に色々あるのですね。ただ、こうして目にすることが出来て、それはものすごく刺激的だった。

そして、オーケストラですね。
ほんとに申し訳ない。客席にはきっと、私のように「一度、フジ子・ヘミングを見たい」という輩がいっぱい居たんでしょう。私がもっとも愛する『モルダウ』の最初の部分で、いきなり後ろの席のおばちゃんが「スメタナやんな」とか言うし。いや、この曲はここなんよ。この冒頭の弦の響き、向こうから水が湧き出してくるようなこの静かな響き、ここが大事なんよ。静かに聴かせてくれ~! と叫びそうになったのは私だけではないはず。
しかも、『新世界より』では、楽章の間に拍手が起こるし。時々、間違えて拍手する人がいても、大概、第1楽章の終わりでやっちゃっても、回りの雰囲気に気がついて第2楽章からはやらないってことが多いのですが、なぜか、当たり前のように、私の周辺でも毎回拍手してるし。ああいうとき、どうしたらいいんだろう。
民謡でもジャズでも、他の音楽なら、盛り上がったところで、曲の途中でも拍手しまくって、その拍手が演奏家を鼓舞してまたいい演奏が聴けるってのはありますし、クラシックだけそんなこと言われてもって人もいるかも知れないけれど、いや、これはだめなんよ。歌舞伎で大向こうのプロじゃない人が、とんちんかんなところで「○○屋!」ってやっちゃうようなもので、流儀に反してるのよ。
例え楽章の終わりに間があっても、そこは演奏家は集中しているのよ。次の楽章へ向けてイメージをつなげているのよ。拍手しちゃだめ~!
若い頃、もちろんクラシックは聴く一方で曲の細かいところなど覚えていないし、曲によっては「じゃんじゃかじゃん!」って気前よく終わったような後にさらにコーダがあったりして、拍手のタイミングに困ったことがあって、それでいつも、コンサートで聴く予定の曲は予習していったものでした。最後の部分は覚えていくという。だって、やっぱり演奏する人への配慮も必要だろうと、若い駆け出しクラシックファンとしては、素人なりの努力もしていたのです。
いや、そんなことを他人様に要求しているわけじゃないけれど、聴く方にも流儀・たしなみってものが……
う~ん、ごめんなさい、オケの皆様。色んな意味で集中力を欠くコンサートになっちゃいましたよね。

でも、そこはさすがにプロ。第3楽章と第4楽章の間になると、もう、指揮者もオケの皆さんもしら~んぷり。そして、このオケは面白いことに、『モルダウ』よりも、フジコさんに合わせながら抑えるように演奏していた『ピアノ協奏曲』のようが、そしてさらに『新世界より』の第1楽章の方が、それよりもっと第2楽章の方が……というように尻上がりでした。第4楽章はよかったなぁ。あ~そうそう、これがスラブの音だわ、と思える高揚感がありました。なんか懐かしい音とテンポとリズムのある『新世界より』だった。
フランクフルト放送響の『新世界より』は本当に異次元の新世界だったけれど(素晴らしかったけど。なんか、宇宙の彼方から地球に呼びかけている感じ)、こちらの『新世界より』はやっぱり草のにおいがしたわ。私が中学生の時から大好きだった、ドヴォルザークの世界。アメリカから故郷に呼びかけている。
ふたつの『新世界から』はまったく空気感が違って、どちらも本当に楽しめました。

予定コンサート
次の文化的活動の予定は秋。またまたご報告いたします(*^_^*)
続きを読む、からはソンジンくんのラフマニノフをどうぞ(^^)

【追記】TOM-Fさんが曲目に興味を示してくださったので。
・アシュケナージ指揮アイスランド交響楽団
  セグルビョルンソン:氷河のノクターン
  ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:辻井伸行)
  ラフマニノフ:交響曲第2番
…またまたラフマニノフの2番だよ。攻めるなぁ(^^) 

・フランツ・ウェルザー=メスト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  モーツァルト:オペラ『魔笛』序曲
  モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調(ピアノ:ラン・ラン)
  ブラームス:交響曲第2番 ニ長調
…泣くほど高かったチケット(;_;) 1ヶ月以上悩んで、でも、ウィーンフィルのブラ2とラン・ランのモーツァルトの誘惑に勝てなかった。ラン・ランのオレンジ転がしにちょっと興味津々。そういえば、ソンジンくんはラン・ランの代役でベルリン・フィルと共演したのよね。

・ヴァレリー・アファナシエフ
  ベートーヴェン ピアノソナタ『悲愴』 『月光』 『テンペスト』 『熱情』
…一度聴いてみたかったピアニストシリーズ。しかも怒濤のベートーヴェン。弾く方も大変だろうけれど、聴く方も覚悟がいるな、これ。『熱情』の前に熱出さないように聴かなくちゃ。私の中では『テンペスト』の中には全てが入っていると思うので(30-32番のあの世界の濃縮)、そこで倒れるかも……
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Category: 音楽

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【旅2017・スペイン】(13)バルセロナ・タパスツアーと夜のサグラダ・ファミリア~その2・タパスと夜景~  

前回の記事「タパスツアー」その1に一部写真の内容に誤認がありましたので、書き直しました。ついでに少し写真を追加。
そして、今回の記事、自動保存設定にしていたのに、なぜか上手く保存されずに記事がぶっ飛んでしまいました。しょんぼり。
気を取り直して、再度書きます……


さて、ついにタパスの時間がやって来ました!
タパスの皿
ツアーでは3つのお店を、その時々でセレクトして連れていってくださいます。
タパスのお店では、こんなふうにカウンターのところにタパスが並んでいて、自分で取りに行くというシステムのところも多くあります。日本の串屋と同じで、爪楊枝や皿の数が課金システムになっているみたいです。飲み物は別に注文。
タパスの店
こちらのお店は青い扉が印象的なカジュアルなお店。ガイドブックに載っているところではなくても、ぶらっと入ってもそんなに当たり外れはないと思うのですが、こうして連れて行ってもらえると色んなタイプのお店に出会えてよいですね。

そう言えば、これまで行った国の中で、どこで何を食べても美味しいと思ったのはフランスでしたが、よく考えたら、パリは素通り、ほとんど海辺の田舎町にいたし(素材が美味しい)、後半の南フランスでは現地の日本人ガイドさんをお願いしていたので外れなく美味しいものにありつけていただけかも知れません。
ちなみに日本人ガイドさん、ちょびっと贅沢ですが、母と一緒だったので言語の不自由なく説明してもらえるからサンタフェで初めてお願いするようになってから、嵌まりました。ものすごく楽。それに親切で、何でも聞けるし、特にレストランとか困らなくて助かります。それで、今回の旅でも、一人きりだったのに南スペインでお願いしちゃったら、本当に楽しかったです(^^)/

それはともかく、スペインのご飯、総じて美味しいというのか、抵抗なく受け付けるというものばかりでした。カジュアルなお店も多くて取っつきやすい。それにスペインの方々は親切で、イタリア人ほどやかましくないので居心地がいいと感じる日本人観光客は多いのでは。(でも、やかましいの、嫌いじゃない^^; だって、イタリア語が分からなくなったら関西弁でしゃべっていても、大概困らない……テンポが似てるのかな?←ほんまか?)

プライベートツアーでなくても、今回のような日本人ガイドさんのツアー(オプショナルツアー)はネットでも色々と探し当てることが出来ます。日本人ツアーはあんまり、って人もいますが、やっぱりガイドブックで自分の力だけで回るのは限界がありますよね。もちろん、それも旅の醍醐味なのですが、若くて時間がある旅行ならまだしも、年取ってもう二度と来そうにないし、時間は効率よく使いたい、なんて時には重宝します。ガイドさんはたいてい現地在住の人なので、色々土地の情報も聞けるし。私は今回、ツアーの翌日にその1で教えてもらった石鹸屋さんに行ってお土産を買い、市の博物館にも行ってみました(^^)/
(書き直したら、余談が長くなった……)
ビールを注ぐ
こちらのお店では、お兄さんが見事なビール注ぎの技を披露してくださいました。
タパス
ちょっと写真がボケていますが、トップの写真にあるようにこちらのお店に並んでいる、パンの上に具を載せてあるのは、フィンガータパスでピンチョスといいます。ちなみにタパスとは、タパ=小皿の複数形。小さいコロッケみたいなのは、本当にコロッケ。ポテトと挽肉のコロッケはトマトソースもよく合います。
タパスの店2
2軒目に連れて行ってくださったのは、ちょっとお洒落な雰囲気のお店。お店の外のテーブル席は大人気で既にいっぱい。でもお店の中もなかなかお洒落ですよ。
ワインの壁
ワインのディスプレイも見事ですね。ツアー料金には各お店で飲み物も1杯ずつ含まれているので、こちらではシャンパンを頂きました。小エビのフリットも美味しかったですが、こちらの豚が何とも美味。
豚
そして最後に連れて行っていただいたお店は、生ハムが売りのお店。
タパスの店3
南スペインでも生ハムを注文しましたが、そこでもやっぱりお皿にめいっぱい生ハムが並んでいて、これを食べきるのは無理!って量でした。どうですか、この生ハムの迫力。
生ハムの皿
こちらでは、パン・コン・トマテの食べ方を伝授いただきました。焼いたパンやバゲットに、まず生のニンニクをがりがりとこすりつけ、更にトマトもこすりつけます。そしてオリーブオイルを好みで垂らして食べます。これと生ハムでもうご馳走ですね。
パンコントマテ
付け合わせには、ちょっとあっさり目のポテトサラダ。こちらもパンに載せて食べましょう(o^^o)
タパスの皿2
壁にはこんなふうに、生ハムの原型が。
壁にかかった肉

そして、夏の長い日が傾き、ようやく辺りが暗くなってきました。サグラダ・ファミリアまでは少し距離があるので、タパスを楽しんだボルン地区からはタクシー移動です。タクシーを降りたら、いきなりこの幻想的な景色が。
夜のサグラダファミリア
こうして夜に見ると、ちょっと蟻塚みたいですね。
夜のサグラダファミリア2
でも何だか分からないけれど、やたらと写真を撮ってしまうのです。ただ、撮っても撮っても、後から見たら同じような写真なんですけれど。例のごとく、池の反対側から見てみます。そして例のごとく、全部は入りません。あまり後ろに下がる空間もなく、あんまり下がったら池が写らず、広角レンズでもあればよかったのですが。でも、なかなか写りはよいですよね。
夜の逆さサグラダファミリア
仕方が無いから、正位のサグラダ・ファミリアと逆位のサグラダ・ファミリアを別々に撮って並べてみましょう。
なんか、タロット占いみたい。サグラダ・ファミリアの正位と逆位にはどんな意味があるのかな。
夜のサグラダファミリア5
夜のサグラダファミリア3池に映る
あれ? ちょっとズレちゃった。どうでしょう、この逆さサグラダ・ファミリアのくっきり度。ガイドのKさん曰わく、夜と早朝は静かで鳥が池で遊んだりもしないので、池の面が凪いでいて、特にクリアな姿が映るのだそうです。
夜のサグラダ・ファミリア2
いつまでも見ていて飽きませんが、これでタパスツアーはおしまいです(o^^o)
帰りはホテルまでタクシーでホテルまで送迎つき。無事に楽しい行程を終えました。Kさん、楽しいツアー、ありがとうございました。あ、こんなところで言っても聞こえませんね。それでは、もしこれを読んで興味を持ってくださった人がいたら、バルセロナに行くときにはこのツアーを利用してみてください(^^)/

ここでひとつお断り。旅記事と言えば、やっぱり美味しいグルメ情報も書いておいてほしいですよね。しかし、このスペイン旅行、美味しい記事はこの後、ロンダのご飯のみ(@_@) なぜなら、この後、私のお腹が壊れちゃったのですね。
原因には思い切り心当たりがあります。連日、体温以上の気温。暑くて観光中に、スタンドバーやカフェに入って、美味しくて冷たい野菜ジュースなどをやたら飲んでいたのですね。野菜ジュースやフルーツジュースは、氷や水がくせ者。水は硬水だし、合わない人はあわないですよね。しかもお腹があまり強くない人には危険性大。
そこで、お勧めなのは、旅行1週間前からのビオフェルミン予防投与。もちろん旅行中も続けるといいですね。私、今回の旅ではちょっと油断していました。やはりしっかり用心してかかったほうがよさそう。

さて、この翌日。
教えていただいた石鹸屋さんでお土産の石鹸を買い込み、市歴史博物館に行ってみました。
ヨーロッパの古い街の多くは、地下に古い時代の街があって、時代が変わると、その上に新しい街が築かれてきています。だから家の地下を掘ったら遺跡、という状態(で、時々ゴミ捨て場に利用されていたりする)。
で、古い町に行ったら、とりあえず地下に潜ってみたくなるのですね。これまでに潜った中で感動したのはマルタの地下遺跡。ローマでも幾つかの教会の地下に潜ってみたらエトルリアの遺跡、なんてところがあります。噂では、いまどきは、ローマの地下遺跡の発掘も進んでいるとか。規模でびっくりしたのはナポリの地下遺跡。普通の家みたいなところを入って行ったら、そこは地下遺跡なのですね。大きな規模になると、遺跡が地下の貯水槽になっていたりしますし、ナポリの場合は、戦争中の防空壕に使われていたとか(ムッソリーニに対する落書きもあった)。
で、こちらの市歴史博物館も地下遺跡がありますよ、とKさんに教えていただいたので、行かない手はない。
バルセロナ地下遺跡
地上階には展示物も色々ありますが、やはり地下1階のローマ時代の遺跡は圧巻ですね。結構広い空間です。
バルセロナ地下遺跡2
このあたりは浴場だったかな。色んな温度の浴槽があったそうです。排水路なども道の脇にちゃんと作られていたので、やはりローマというのはすごい文明だったのですね。
バルセロナ地下遺跡4
ワイン製造工場、オイル製造工場などもあって、豊かな生活が感じられます。
バルセロナ地下遺跡3
モザイクや壁画も残っていました。なんだかポンペイみたいです。
バルセロナ地下遺跡5
博物館の中では、バルセロナの歴史を映像で見ることができます。言葉が不要の良くできた映像で、結構見入ってしまいます。
壁画
博物館の出口は、なんとあの「王の広場」のコロンブスがイサベルに謁見するために上ったと思われる階段のところ。
えっと、ついでに、トイレ事情。実はお腹の具合のよくなかった私は、お手洗いにお世話になりましたが、こちらの博物館も綺麗なおトイレでした。あ、写真も撮ってみるんだったな。
お時間がありましたら、是非、歩くだけでも楽しい博物館ですから、訪れてみてください。あ、ガウディで忙しいですよね……色んな旅の楽しみ方がありそうです。

さて、予告編ふたつ。
実は、バルセロナから行ける近郊の観光地、モンセラットが抜けているのですね。
モンセラット
写真を見ていただいて、あ、いかにも大海が好きそうだ、と思われたかもしれません。そう、こちらは、石紀行でご案内予定です。何しろ、ガウディよりも先に計画に入れたところですから(なのに、石に夢中で、黒いマリア様には会えなかった……)。
そして、次回からは、スペインの旅は南スペインに移ります。南スペインは時間が限られる中、行きたいところを挙げて、旅行会社に無理に予定を組んでいただきました。どうしても見たいもの、結構距離が離れていたのを無理矢理……その最初がメスキータです。これを見るためだけに立ち寄ったコルドバ。どうぞお楽しみに!
メスキータnew-long

Category: スペインの旅2017

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【旅2017・スペイン】(12)バルセロナ・タパスツアーと夜のサグラダ・ファミリア~その1・魅力いっぱいのゴシック地区~ 

バルセロナカテドラル外観
バルセロナレポートの最終回は、バルセロナのタパスツアーと夜のサグラダ・ファミリアです。
バルセロナでは、仕事の会場に顔を出したり、お友達と観光に行ったり、あちこち行ったり来たりでしたが、交通機関で重宝したのは地下鉄でした。噂ではスリが多いとか、乗り場で待っていたら、何か服に引っかけられたり、囲まれたりして注意をそらされた後に気がついたら財布無かったとか、あれこれ噂を聞いていたのですが、要するに「ぼ~っとしていたらいけない」ということでしょうか。鞄は必ず身体の前、口は押さえておくとか、いかにも「私は気をつけているわよ、あんたの手には引っかからないわよ」というオーラを出しておくことが何よりも必要なのです。といっても、知り合いがスリには遭っているので、全然大丈夫だったとは言えないのですが、その人も、小分けにして持っていたので、大事には至らず、だったようですけれど。

さて、問題は夜です。海外で夜に出歩くのは、行ったことのない街だとやっぱりちょっと気を遣います。集団で移動して、同じホテルに帰るのならいいのですが、どこかで一人になるとちょっと不安。ちなみに、私が行った7月のバルセロナ、夜は9時近くまで明るかったので、夜と言ってもほとんどお昼みたいな明るさで、実際に夜歩かなくてはならなかったのはフラメンコを見に行った時くらいでした(フラメンコ記事は、グラナダのフラメンコと合わせて後日ご報告(^^))。それも、人通りの多い大通りを歩いて帰れたので、問題なくホテルに帰り着きました。
ちなみに、その大通りが、私が行った1ヶ月後にテロのあった大通り。安全についてはもう、どこにいても簡単には大丈夫と言えない時代になってしまっているのかも知れませんが。

では、ガウディとは無縁のバルセロナ観光、行ってみましょう。
トップの写真は、バルセロナのカテドラル。この区域はバルセロナでも最も古いゴシック地区で、ローマ時代まで歴史が遡られます。この地区の中心となるのがこのカテドラルで、元々はロマネスク様式の大聖堂が立っていたそうですが、13世紀の終わりに現在のゴシック様式の大聖堂に建て替えられ、完成までに150年かかったそうで、しかも、ファザードは1408年の設計図を元に20世紀になってから付け加えられたんですって。
サグラダ・ファミリアの着工が1882年、もし噂通り、ガウディ没後100年の2026年に完成するとしたら、144年間。要するに、サグラダ・ファミリアが特別ってわけでもないのですね。恐るべし、ヨーロッパの大聖堂たち。
バルセロナカテドラル
私が参加したののは、VELTRAの「タパスツアー3軒のバル巡りとサグラダ・ファミリア夜景観賞」だったのですが、これはなかなか楽しいツアーでした。ツアーガイドはバルセロナ在住の日本人のKさん。
待ち合わせがカテドラル前のhotel colon前だったので、少し早めに着いてカテドラルの中に入ってみましたが、入ってから「しまった!」と思いました。あんまりゆっくり鑑賞している時間が無かったのです。後で写真を見てもその荘厳さが感じられるもので、サグラダ・ファミリアとは趣が全く違っていて、歴史の重みみたいなものを感じる空間。ツアーでも少し中に入ってくださいましたが、これはもっと時間を取って見に来るのだった。バルセロナ滞在中、学会場と観光地巡りでスケジュールがタイトすぎた私……まさかゴシック地区がこんなに魅力的なところとは思いませんでした。

Kさん曰く「日本人はガウディで忙しいから、このあたり、ゆっくり見ないでしょ」(!) そうでした。忙しかったです(しょぼん)。次にバルセロナに来ることが万が一あったら、ゆっくりこの辺を散策したいと思います。
そして、これからバルセルナに行く人に伝えたい。ガウディは確かに魅力的ですが、このゴシック地区は楽しい! 問題は迷子になること必至の迷路のような路地。でも、夏は21時くらいまで明るいし観光客だらけなので、そんなに危険な印象はありませんでした。バルセロナの初日の夜に、是非ともこのタパスツアーに参加していただいて、一度案内してもらったら(バルの場所は全然覚えてないけど)、何となく地図が頭に入るので、自分で歩くのに不都合はないかも。
バルセロナカテドラル内部
それにしても何度見ても魅力的なカテドラルの中。横には回廊もあって、ガチョウさんが13羽。聖女エウラリアが13歳で殉教したことにちなんでいるとか。ガチョウの写真撮ったはずなんだけれど、どこかに紛れちゃってるみたいで発見できない……
カテドラル正面
そうそう、たまたま写真撮影中のカップルがいました。結婚式じゃなくて、多分、旧所名蹟でウェディングドレスで写真を撮るってやつだと思われます。御覧の通り、観光客だらけ。
カテドラルの脇の道
カテドラルの右手を進むと、自治政府庁と市庁舎が向かい合っているサン・ジャウマ広場へ抜ける道に入っていきます。その正面にちょっと近代的な建物があり(カタルーニャ地方およびバレアス諸島建築家協会の建物)、壁にでっかい落書きが!
街角ピカソ
バルセロナの幼稚園児が描いたんじゃありませんよ。誰あろう、ピカソの壁画なのです(落書きじゃなかったですね)。描かれているのはお祭りの時に出てくる、日本で言うと御神輿とか山車に相当する巨大人形や、民族舞踊を踊る人たち、馬に乗った人々。
今回、ピカソもダリもミロも素通りしてしまいましたが、街角にはミロデザインのマークがあったり、オブジェもあったりで、飽きないバルセロナの町歩きです。
街の景色
さて、先ほどの路地を入って行きましょう。実はこの辺りは13~14世紀には貴族や富豪の館が並んでいたという高級住宅街。渡り廊下にその名残があります。この辺りの路地の陰には、時々こんなふうにギターを弾いているおじさんなどがいたりして。
街角のギター弾き
歌っているお兄さんもいます。周辺の壁でいい感じに音が響く、なかなか乙なステージですね。
歌う人
路地を入って行ってカテドラルの裏側を見ると、何だか年季が入っていて、渋い色合いになっています。
カテドラルの裏
丁度この辺りだったと思うのですが、お屋敷の中庭に入れるところがあって、ここら辺にも貴族や富豪の屋敷跡のイメージが。こうした建物の多くが改装してショップになっていたりしています。
どこかの中庭
ここの中庭(前庭?)の外側にはポストが残っています。ツバメとカメ。これも私のダメダメ記憶力のせいで、何の謂われだったか忘れちゃいました。えっと、カメのように確実に、ツバメのように素早くお手紙を届けます?的な? 
で、このカメを撫でると……う~ん?
ポストのカメとツバメ
丁度カテドラルの裏手になる辺りに観光名所のひとつ「王の広場」があります。この広場は、コロンブスが新大陸発見の報告のために女王イサベルに謁見したという場所。この階段、コロンブスも上ったんでしょうか。ここは市の歴史博物館の出口になっています。タパスツアーのおかげで土地勘を掴めたので、翌日、少し散歩をしたときに博物館にも入ってみましたので、後ほどご報告。
王の広場
そんな古い歴史の跡は現実味があるようなないようなですが、下の写真はもっと生々しい歴史の傷跡です。
どこをどう歩いたのかよく分からないのですけれど、小さな広場があった辺り(Pi広場かな?違うかも)、壁に残る銃弾の跡は、スペイン内戦の時のものです。
スペイン戦争の銃弾痕
こうして見ると、歴史ってどこかに必ず印を残していくんだなぁ。
ものすごく近い歴史の話としては、先頃、独立派が選挙で勝利したカタルーニャ。サン・ジャウマ広場近くのこのアパートを見上げると、「あの旗を掲げているのは独立派のお家だよ」って教えていただいていた矢先の出来事。
アパート
自分は独立派ですよって、こうして政治的立場を明確にしているのですね。
市庁舎
さん・ジャウマ広場で向かい合って建っている市庁舎と自治政府庁。これは市庁舎の方だったかな。こういう広場を目印にしておくと、迷子になったときに便利です。
自治政府庁のサンジョルディ
街にはこうして守護聖人であるサン・ジョルディのレリーフや彫刻があります。聖ジョルジョ、ドラゴンを退治した聖人ですね(ちょっと思い入れのあるサン・ジョルジョ。うちの大和竹流ことジョルジョ・ヴォルテラはこの守護聖人の日4月23日生まれで、聖人の名をとって名付けられました。)
サンタマリアダルマル教会
ボルン地区へ入っていくと、またひとつ教会があります。サンタ・マリア・ダル・マル教会。
13世紀から15世紀頃に、地中海貿易が盛んだった時代、この辺りが海と陸の境界だったそうです。当時の航海は命がけですから、無事をサンタ・アリアに祈ったという教会。
カテドラルの裏門
こちらの門には、荷物を背負った労働者のマークがあって、確か、労働者たちがお金を出して云々な話だったような。そうそう、ガイドのKさんはいっぱい色々教えてくださったのですが、その時に書き留めていないと覚えていられない残念な記憶力。
私の記憶力はともかく、この教会が労働者のための教会であることは間違いないようですね。
サンタマリア内部
内部は随分シンプル。カタルーニャ・ゴシックはこのシンプルさが特徴だそうです。その中でステンドグラスの色が映えますね。
サンタマリア内部ステンドグラス

さて、町歩きで楽しいのが、お店のショーウィンドウですね。
ぶぼ
ツアーで一緒だった若い女の子たち(といってもツアーはその2人組の女の子たちと私だけ)はさすがによく研究しています。「この辺にチョコレートの……」とガイドのKさんが言いかけると「Bubo」とちゃんと知っていました。私は「?」ですが、こちらはスペインを代表するパティシエのひとり、カルレス・マンペル氏のお店。チョコレートが有名だそうで、実はここでお土産に買ったチョコレートコーティングのナッツ、ものすご~く美味しかったです(私はKさんお勧めのマカダミアナッツを購入)。
普通、コーティングのチョコレートの部分って薄いじゃないですか。それが、半端ない分厚さにコーティングされているのです。こちらは真夏に持って帰ったにも関わらす、日本に帰っても原型を留めていました(結構真夏のチョコレートは賭けなのですが、これは正解)。
buboのケーキ
でも、こちらの美味しそうなチョコレートケーキ、実は購入してツアーの後、ホテルに帰って開けてみたら……すでに溶けた雪だるま状態になっていました。連日体温くらいの気温でしたからね……・それでも美味しかった(^^)
toketa.jpg
見るに堪えないので小さく……(^^;) えっと、上質なチョコレートなんですよね。うんうん。
ちなみに、店内でも食べることが出来るので、美味しそうなものは迷わず、その場で食べましょう!
buboのケーキ
気を取り直して、楽しいショーウィンドウ。まずはお菓子屋さんです。ディスプレイがどこもすごいんだけれど、これって単に飾ってる様な気がするのですが(だって、店の中でもこのお菓子に手を伸ばして取るのは無理そう)。
お菓子屋さん
お土産物屋さん。こういうのって、飾ってあるのを見るだけで楽しいですね。
店のショーウィンドウ2
精巧な人形もあったりして、どこかで見たような人たちのフィギュア。
店のショーウィンドウ
同じ人形でもちょっと毛色の違ったものもあります。それはこちらのたばこ屋さんをのぞいてみたらありました。
煙草屋
女の子が齧り付いて見ているその先にあるのは……
うんがつく?
サッカー選手や各国首脳陣。なんか変な感じがしませんか? みんなちょっと中腰で、しかも後ろを向いているのが分かりやすいと思いますが、そう、みんなお尻をめくっている……(クレヨンしんちゃんではありません^^;)
アップにするのは控えますが、お尻の下に渦巻いた茶色いものが。つまり、う○ちをしているのですね。これって幸運の人形だそうで、有名人はみんなこの餌食になること必至らしい。
日本語でも「うんがつく」って言うけれど、スペインでも同じなのでしょうか。……あれ? そんなスペイン語かしら?
さて、トイレに行ったら石鹸で手を洗いましょう^^;
石鹸屋さん
というわけで、こちらは石鹸屋さん。この色とりどりの素敵な石鹸、いっぱいお土産にしちゃいました。いろんな香りがあるのです。一番よかったのは白いのでジャスミンの香り。1年前に購入したものですが、まだ香っています。
ろうそく屋
ろうそくのお店は幾つか見かけましたが、上の石鹸屋さんはシンプル派で、下のようなお洒落な形のろうそくを売っているお店がやはり目を引きました。
店のしるし
これはマンホールではありません。お店の前にはこのような印が地面にはっ付けられているのです。もちろん、全てのお店というわけではなくて、由緒正しきお店のみ。それぞれのマークは、お店の種類のようですね。要するにこのマークがあるお店に入ると間違いないということでしょうか。

さて、少しずついい感じの夕暮れになってきましたね。
下町の通り
そぞろ歩きでお腹も空いたところで、ボルン地区界隈でタパスにありつきます。
下町の通り2
記事が長くなったので、タパスとサグラダ・ファミリア夜景は次回に(o^^o)
それにしても、もう1年近く前の事なんだなぁ。って、記事にするのが遅すぎますね。懲りずにまた続きを見に?遊びにいらしてくださいませ(^^)/
次回日曜日に更新予定です。
土産物屋の軒先

Category: スペインの旅2017

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【奇跡を売る店・短編】あの夏至の日、君と 

scribo ergo sumの八少女夕さんの企画、100000Hitのリクエスト「12ヶ月の情景」シリーズで、6月の枠をゲットしました。
6月と言えば、梅雨、紫陽花、ジューンブライドなどと雨の情景が浮かびますが、ここはやはり巨石ファンの大海としては、「巨石ファンの正月」と言われている「夏至」を外せないわと思い、テーマを夏至にさせていただきました。

本当は、以前からこそっと暖めていた「巨石探偵」なるキャラを捻出して、コラボ相手にしてください、というつもりだったのですが、書きかけて何となくしっくりこなくて、結局、『ヴィーナスの溜息』を引っ張り出してきました。
それ何? と思われる方も、全く基礎知識は不要です。初めてさんにも過去作品を見なくて済むように書いています。おかげで(解説した分だけ)長くなっちゃった。でも、連載ものでもないし、夕さんには6月中に作品をアップしてもらわなければならないのに、私がこんなにも時間をかけちゃって申し訳ないので、前後編にせずに、あっさりとアップしてしまいます。
(まぁ、夕さんが作品を書かれるのに時間がかかるって事はないでしょうけれど~)

長いけれど、あまり中身がないので、あっさりとお読みいただける……はず。
ご興味が湧いたという方は、【奇跡を売る店シリーズ】に遊びに来てやってください。
今回は、オカマショーパブ『ヴィーナスの溜息』の小町ママメインのお話です。
そして、ちょっと珍しく、感情を隠せない蓮です。和子(にこ)は小学生になりました。お約束の、蓮と凌雲のラブラブメールも登場(いや、そういう仲じゃないけれど)

夕さん、コラボは、ここに出てくる登場人物の誰か、でいいでしょうか。このシリーズ、元々がパロディなので、適当にキャラを崩壊させていただいても何の問題もありません。如何様にも料理してくださいませ。
そして、舞台は、私がまだ見ぬ巨石・ストーンヘンジがいいかなぁ。あるいは夜のない北欧の夏至でも。

そうそう、ちなみに私、今年の夏至に休みをゲットして、二見興玉神社の夏至祭(夫婦岩に日の出を見る! って4時半くらいだよ!)を見に行く予定。とてもストーンヘンジには行けないから。でも、日本は梅雨真っ只中。でっかいてるてる坊主、作らなきゃ。その次の日はパンダの餌やりチケットをゲットしたので、白浜に行ってきます(o^^o) 勤続20年記念休暇なの。

例のごとく、短くはないので(済みません)、お月さんをブックマークにしてごゆっくりどうぞ。


【奇跡を売る店・短編】あの夏至の日、君と

「日本では夏至と言っても、特別な祝い事はないな。せいぜいこいつを食うくらいや」
 男が蛸の唐揚げをつつきながら言った。その箸の持ち方が蓮の気に障るのは、ただそれが正しい持ち方では無いから、というわけではない。
「イギリスじゃ、ストーンヘンジで夏至の日の出を拝む祭りがあるっていうのにな。まぁ、日本は梅雨真っ只中か」
 この男が連に対して、あるいはこの店の誰に対しても、友好的に会話を仕掛けてくることはまずないし、たまに穏やかに始まった会話も、お互いの関係を良くしたり、理解を深めるような結果になった例しがないので、蓮は用心していた。
「そうですね。日本の夏至祭と言えば、伊勢の二見興玉神社くらいでしょうか」
 蓮は当たり障りがないように、しかし頷くだけとか無視をして、感じが悪いと絡まれることがないように、言葉を探しながら答えた。

 男は、妙な漫画模様のTシャツにジーンズ、チェック柄のシャツを羽織っている。服装は二十歳そこらの大学生のようだが、年の頃は蓮と同じくらい、三十になるかならないかだろう。面構えは悪くないが、ギスギスした尖った目つきをしているので、少なくともまともな女性は声をかけたいと思わないはずだ。
 かといって、この店に恋の相手になる男を探しに来ているわけでもなさそうだ。
「ふぅん、見かけによらず物知りやな」
 他人を小馬鹿にしたような口調はいつものことだ。蓮は余計な事まで言ってしまったと思って、それ以上会話を続けることを辞めた。そういう蓮の心の内を、男は見透かしたように笑った。

 ここはオカマショーパブ『ヴィーナスの溜息』だ。京都四条川端の角から幾つか路地を入ったところにあって、かなりクオリティの高い踊りと音楽、お笑いと手品のショーを見せることで知られている。客層は男女半々、つまり、いわゆるゲイバーという範疇での店ではない。スタッフである「ホステス」も、女装をしていても、恋愛事情は様々で、皆がゲイというわけではない。
 釈迦堂蓮は、この店のホール係兼バーテンダー見習いだった。
 色々訳ありで、心臓に病気のある子どもの父親になっている。実の娘ではないが、その子ども、和子(にこ)は戸籍上は蓮の娘だ。

 蓮は昼間、高瀬川沿いの町屋の二階で探偵事務所の留守番をしているので、今までは和子を四条河原町近くの保育園に預けて、夕方になると迎えに行き、一旦家まで連れて帰っていた。家と言っても、西陣にある昭光寺の離れを借りて住んでいるので、半ば居候のようなものだ。
 今年、和子は小学一年生になったので、西陣の小学校に通うことになり、蓮が毎日行ったり来たりする必要は無くなった。和子が小学校になったのを機に、昭光寺で放課後の学童保育を始めたからだった。副住職は教員の免許を持っているし、若奥さんが保育士の資格を持っている。

 小さな身体で、生まれてからたった六年あまりの間に人よりもずっと多くの苦しいことを抱えて生きてきた和子が、小学校に通うことができるようになったという喜びもあるのだが、不安は数え切れないほどある。学校とのやり取りの中で、昔ほどではないにしても、和子のような子どもにとって、社会の壁は高くて厚いと気づかされる事が多くなった。
 こういう時期だからこそ、出来る限り和子の側にいてやらなければと思うが、実際に蓮に安定した給金を払ってくれるのはこの店だけなので、蓮の生活状況が変わることはなかった。
 時折、仕事中に不意に和子のことを考えて、手が止まることがある。

 目の前の男は、会話を楽しむような相手を持たないからか、蓮の手元をじっと見ていることがある。目が合うと、何か見抜いているぞというように嫌味な笑いを浮かべる。もしかすると、個人的に蓮に敵意を持つような理由があるのかも知れないとさえ思える。
 先ほど、カウンターの奥の席を気に入っている馴染み客が帰ったので、今、カウンターを挟んで蓮と向かい合っているのはこの男だけだった。

 そもそもこの店には、カウンター席は八席だけで、後は広いフロアにテーブル席がぎっちりと置かれている。もともとはもう少し通路に余裕があったのだが、以前にテレビ番組で紹介されてから、週末になるとショーの予約で常に満席、予約も一ヶ月先までいっぱいということになっていって、いつの間にかテーブルの数も増えていった。
 おかげで、蓮を始めホール係の従業員は、客に迷惑にならないように席の隙間を通り抜ける技に磨きをかける毎日だった。一方で、客は近くに座った者同士、会話をすることが増えたようで、別々のグループで来ていた客が仲良くなって、次の機会にはつるんで来店することも多くなっていた。

 その日は水曜日で、一日二度のショーも終わり、すでに閉店の一時間前となっていた。徐々に引き上げていくグループが増え始めている。それでも幾つかのテーブル席では、この時間を狙って、「ホステス」たちに人生相談を持ちかける客が居残っていて、それぞれの席のムードは飲んで騒ぐというパターンから、秘密を打ち明け合う親密な雰囲気に変わっていっていた。
 この時間になると、蓮は主にカウンターの中で酒を作っているので、必然的にカウンターに座る客と話をする羽目になる。始めの頃は、接客に慣れなくて無愛想を通していたのだが、「ママ」の小町からダメ出しを食らってしまって、今ではそれなりに短い会話を繋ぐことくらいはできるようになっている。

 だが、この客は別だ。
 もちろん、たまに他のどの客とも会話を楽しむような雰囲気ではない客もいる。とはいえ、ここはそもそもひとり静かに酒を飲むタイプの店ではないので、そういう「他人から構って欲しくない」系の客は、きわめて少数派だ。大多数の客は、会話が多少苦手だとしても、隣り合わせた相手を無視することはないし、ましてや、カウンターの内側にいるスタッフに敵意を剥き出しにするようなことはない。
 蓮は黙ったまま、いくらか薄めにした山崎の水割りを出した。

「俺が酔っ払っていて気がつかないと思っているんやろ。酒を薄めても同じ値段、ぶんだくろうってのか。しけた店やな」
 男はそう言いながらも山崎のグラスを、一口で半分ほども空けた。
「さしずめ、あのばばぁの命令か」
 思わず、蓮は男を睨み付けていた。
 睨み付けてから、不意にテーブル席からの視線を感じて顔を上げると、小町ママが「ごめんね」というように軽く右手を上げた。あるいは、蓮に対して、あまり絡まないでやってね、というお願いをしているのかも知れない。

 ママがそういう顔をすることはまず無いので、蓮は当初、戸惑ったものだった。
 店の雰囲気を悪くしたり、他の客に迷惑をかけたりする酔客にはママは容赦ないところがあって、十年来の常連でもたたき出してしまうことがある。もっとも、そんな客も結局いつの間にかまた戻ってきて仲良くしているのだから、客は客でママの後腐れの無いところと寛大さに甘えているのだろう。そもそも、特殊なタイプの店なので、敵意のあるような客は始めから寄りつかない。
 だから、この男のようなタイプは、店の客にはいないのだ。つまり、この男を除いて、という意味だが。

 男は小町ママの親友の息子だと聞いている。
 蓮は一度、ママがこの男に金を渡しているのを見たことがある。その雰囲気から察するに、そうやって金を無心しに来ているのは一度や二度ではないのだろう。月に一度か二度、店にやって来て、不味い不味いといいながら蓮の出す酒を飲む。他の客に絡むことは滅多にないので、それだけは許せるのだが、小町ママのことをぼろくそに言うのが蓮には耐え難い時がある。
 おシャカちゃん、あいつが何を言っても放っておいていいからね。ちょっと飲んだら帰っていくんだから。
 ママに言われたら聞かないわけにはいかない。だから、そんなに文句ばかり言って不味い酒を飲むくらいなら二度と来るなと言ってやりたい気持ちを抑えながら、蓮は男に酒を出す。正直なところ、いつも強気なママにあんな顔をさせるこの男が気にくわないのだ。

 店の「ホステス」たちは皆、この男のことは視界の中に入れないようにしているようだ。皆、蓮よりもよほど事情を知っているだろうが、お喋りキャラを演じている者も、身内のあれこれを他人に話すことはない。それがこの業界のルールでもあるし、何よりも、それぞれ話したくない話のひとつやふたつ持っていて、不可侵によってお互いの信頼を得ているのだ。だから、蓮も敢えてママに事情を聞いたことはなかった。

「夏至に蛸を見ると、腹が立ってくるんや」
 そう言って、蛸の唐揚げを攻撃するように何度かつつき回してから、またひとつ口に放り込む。蛸に八つ当たりするのは幼稚だと言ってやりたいが、それに対して返ってきた言葉に自分が冷静でいられないような気がして、蓮は黙ったまま、他のホール係が持ち帰ってきたトレイを受け取って、奥の流しに戻しに行った。
「ばばぁ、もう還暦やろ。いつまでこんな気色悪い商売やってるつもりやろな」

 思わず、手に取ったグラスを流しに叩きつけて気色悪いなら来るなと言いに行きそうになった。その気配を察したのか、グラスを拭いていたスタッフが、放っておけよと小さい声で言った。
 蓮は一呼吸置いてから頷き、カウンターに戻った。その時、男はテーブル席の方を振り返っていて、小町ママに何か合図をしているように見えた。男は蓮が戻ってきたことに気がついて、蓮の方に向き直ると下卑た笑いを浮かべる。
 その笑いに苛ついたが、来るなと口にすることだけはなんとか堪えたのに、男の次の一言で蓮の我満も限界に達してしまった。
「俺はあのばばぁの弱みを握ってるんや」

「あの人はあなたにばばぁ呼ばわりされる謂われはないと思いますが」
 思わず言葉が口をついて出てしまってから、自分で自分の言動に驚いた。
 いつの間に、俺はこんなに我慢が利かなくなったのだろう。多分、和子の事があれこれと引っかかっていたせいだと思う。だが、職場で自制が利かなくなるなんてことは、今までなかったのに。
「なんやて」
 男が身を乗り出しそうになったその時、いつの間にか側に来ていたシンシアが蓮の腕を取った。
「おシャカちゃん、あっちのテーブルの片付けお願い。トモさん、そろそろラストオーダーだけど、何か飲む?」
 男はけっと息を吐き出して、座り直した。


 スタッフの控え室で着替えていると、帰り際に皆が蓮の肩や腕をぽんぽんと叩いていった。熱くなるんじゃないよ、というような感じでもあったし、お前の気持ちは分かるよ、というような感じでもあった。
「おシャカちゃん、あんた、変わったわね」
 声をかけてきたのはシンシアだった。

 シンシアこと宮地慎之介はすらりとした「美人」で、『ヴィーナスの溜息』のスタッフの中で最も理知的な雰囲気を持っている。あの人は生まれがいいからね、と他のスタッフが言っていた通り、立ち居振る舞いもどこか上品だった。回りのことをよく見ているし、この店でバランサーの役割を担っている。
「済みません」
 他人に気を遣わせるのが苦手で、これまであまり感情を表に出すような事は避けてきたのに、全くどうかしている。
「良い意味よ。今まであんたってものすごく冷めてたじゃない。中身は別にして、表に感情を出さないってのか。でも、人って、守るものがあると、黙ってるわけにはいかなくなるってことね。さっきみたいなあんた、嫌いじゃないわ」

「でも、ママに謝らないと」
 私服に着替え終わったシンシアはロッカーの扉を閉め、ふっと息を吐いた。
「トモさんのことはそっとしておきなさい。ママはね、あんたのそういう気持ち、ちゃんと分かってるから。でも、あんたにとって、店の連中が兄弟や家族のような存在になっていってるってこと、ママは嬉しいけれど、心配でもあるのよ。あんたのような子がいつまでもここにいちゃいけないって」
 シンシアは蓮の肩に手を置いて、少し力を入れると、お休みと言って帰っていった。
 
 店を閉めて最後に帰るのは、いつもママだった。
 着替え終わってからそっと店の中を覗くと、小町ママはカウンターの、さっきまであの男がいた席に座って、静かに水割りを飲んでいた。その横顔がなんとなく泣いているように見えて、蓮はしばらく立ち尽くしていた。シンシアには放っておくようにと言われたが、それでは理屈が通らないような気がしていた。
「おシャカちゃん、あんたも飲む?」
 蓮がいる気配に気がついていたのだろう。ずいぶん経ってから、蓮の方を見ないまま、小町ママが聞いた。
 蓮は思わず頭を下げていた。
「済みませんでした」

 ママがスツールから立ち上がり、カウンターの内側に入り、水割りを作る。蓮はカウンターに座った。マドラーでかき回す氷の音が、この季節に涼やかな色を添えた。
「あんたは悪くないわよ」
 もう還暦、と言ったあの男の言葉が耳に残っていた。ママの手は確かに、もう若い男の手ではない。この年でこの仕事で、ということを、あの男は馬鹿にして言ったのだろうが、そのママに金の無心にやってくるお前は最低だと、まだ腹の底で思っていた。少なくとも、ママはこの仕事に誇りを持っているし、蓮にとっては尊敬の対象でもあった。
 蓮に水割りを出すと、ママはカウンターの内側に立ったまま、細い煙草に火をつけた。ひとつ吹かすと、口元にかすかに笑みを浮かべた。

「あの友則って子はね、私の親友の息子」
 蓮は、それは知っていると頷いた。
「あの子、私を恨んでるのよ」
 グラスの中で薄い琥珀が揺らめいている。トパーズ色の香気が立つ、と詩人が歌っていた通りだが、蓮は酒が得意な方ではない。それを知っているので、ママは相当薄い水割りを作ってくれたはずだが、それでも蓮は最初の一口で止めてしまった。
「あの子の父親、私がまだ『男』だった頃からの親友でね、幼なじみのご近所さんだったの。中学から野球やってて、そりゃまぁ格好良かったわよ。少しばかり繊細なところはあったけど、優しくて友達や仲間思いだった。そうそう、ちなみに私はこう見えて柔道やってたんだけれどね」

 それは耳の形を見れば一目瞭然だ。もともと刑事だった蓮の伯父、釈迦堂魁も同じ耳をしていたし、そもそもこの店に魁が通っていたのも、柔道を通して個人的にママとは知り合いだったからだと聞いたことがある。
「彼の家はもともと神社だったそうだけど、関係あるのかないのか、大学で歴史を学んでいたの。で、学者さんになったって訳だけど、イワクラって分かる?」
「えぇ。岩や石を神として祀ったものですね」
「彼に誘われて、よく一緒に、インディ・ジョーンズ気取りで道なき道を磐座探しに行ったものだわ。忘れ去られて、山の中に放置されている磐座なんてのもたくさんあったから。それから、夏至や冬至、春分や秋分の日には、磐座と太陽の関係を確認しに出かけたりね」

『ヴィーナスの溜息』では、小町ママが二十四節気や庚申の日など民間信仰に詳しくて、節目でちょっとしたイベントをする事が多い。おかげで、店の客もスタッフもいつの間にか暦に詳しくなっている。店では小皿料理を出しているが、夏至の前後一週間くらいは、明石の蛸の唐揚げが人気だった。
 ママの二十四節気へのこだわりはその人の影響なのかもしれない。

「今日は夏至でしょ。なんか思い出すわね。二見浦の二見興玉神社で、まだ冷たい海に入って、彼と一緒に富士山の向こうから昇る太陽を見たこともあったわね。日本じゃ夏至は梅雨の真っ只中じゃない? でもその日は、願いが通じたかのように見事に晴れたのよ。そうね、夏至には思い出がいくつもあるわ。中でも一番の思い出は、二人でストーンヘンジの夏至祭に行ったことね。ヒール・ストーンの向こうから太陽が昇った瞬間の感動は忘れられないわ」

 いつも店のこと、スタッフのこと、客のこと、ほとんど仕事のことばかり考えている、厳しくもでっかい器を持つ人だと、蓮は思っていた。あまり人に言えない事情を持つ蓮のことも、上っ面やこれまでの経緯ではなく、今の姿を見てここに雇い入れ、日常のことや和子のことまで気を遣ってくれている。還暦になろうという多くの人々の中でも、この人が選んできた人生は厳しいものだったろうけれど、それらを全部抱えながらしっかり根を下ろして、この世界で生きているのだ。
 その人が見せた、少し甘い表情に、蓮は思わず言葉を零していた。
「その人のことが好きだったんですね」

 言ってしまってから、表現を間違えたなと思った。それに、聞くべきではなかったかも知れないと思った。だが、ママは、煙草の灰を落としてほほえんだ。
「私の初恋よ。そして最後の恋」
 蓮が黙っていると、ママはカウンターの向こうから蓮の方へ身を乗り出した。
「あんた、惚れた人に告白したことある?」
「え? いえ、惚れた人って……」
 蓮が口ごもると、ママは、別に追求するつもりはないわよというように蓮から離れた。蓮は訳もなくグラスに手を添えた。心理学的にいうと、人はうろたえたときに意味もない行動をするというが、まさにそういうことだろう。

「ストーンヘンジに行った頃、彼は奥さんと上手くいってなくてね。よくある話よ。学者馬鹿で奥さんのことは放りっぱなしだったの。まぁ、もっとも他にも私の知らない色々な経緯があったんでしょうけれどね。放っておかれた奥さんは、ギャンブルと買い物に嵌まっちゃって、カード破産して、追い込まれてたのね。結局、彼が借金を返して離婚。友則は八つだった。その後、奥さんは自殺しちゃったの」
 蓮は思わずグラスから手を離した。
「それで……その人は今、どうされているんですか」
 あの男がここに来てはママに金を無心していることを、その人が知っていたら、きっと何かアクションを起こしているはずだろう。だから、答えは知れていた。
「死んじゃったわ」
 ふぅ、とママは息をついた。
「交通事故を起こしちゃってね」

「だからって、あの男」言いかけて蓮はとどまった。「すみません、トモさんがママに金を無心しに来るのは、見当違いじゃないですか」
 思わず声が荒くなっていた。
 見られちゃってたのね、とママはつぶやいた。
 両親ともあまりいい死に方をしておらず、取り残されたあの男の半生が、人よりちょっと幸福ではなかったことは認めてやってもいいが、二親に見放されたのは彼だけではない。甘ったれるなと言いたかった。
 その気持ちが顔に出ていたのか、ママが少しだけ蓮をのぞき込むようにしていった。
「あんた、ほんとに変わったわね」

 この言葉を聞くのは今日二度目になる。
「シンシアにも言われました。でも、俺は別に変わったわけでは……」
「責めてるんじゃなくて、褒めてるのよ。そんなあんたを見てるとほっとするわ。前は気持ちをほとんど表に出さなかったじゃない」
 幾分かばつが悪かったが、蓮は反論はしなかった。視線を逸らした蓮の手元に、ママの視線を感じる。わずかな時間、空気が緊張していた。
「あの子の父親は、私が殺しちゃったようなものだから」
 蓮はカウンターの下に隠した左手を握りしめた。

「ストーンヘンジで昇る太陽を見て泣けてきちゃってね。つい、決して言うまいと思っていた気持ちを打ち明けちゃったのよ。二十年以上も秘めてきた想いなのにね。旅の残りは、ぎこちなくて気まずい時間になっちゃって、帰国して、口もほとんど利かないまま空港で別れて、それが彼を見た最後になった。後から聞いた話だけれど、イギリスから帰ってすぐに彼は財産を整理して、多少は自分が金を借りて、奥さんの借金を全部返して、それから離婚したそうなの。それから自分が肩代わりして背負った借金を返すのに三年。三年後に、いきなり電話がかかってきたわ。会って話したいことがあるって」
 ママは短くなった煙草をクリスタルの灰皿で消した。
「約束した日、運悪く、大雨になっちゃって。バカよね。そんな天気の日じゃなくてもよかったのに。待ち合わせた場所に遅れそうになって、幾分かスピードを出していたんでしょうね」

「それって、あなたの責任はなにもないでしょう」
「因果関係のあるなしじゃないのよ。友則にとっては、母親の自殺は父親のせい、父親の死はその日待ち合わせていた私のせい、それでようやく収まりがついてるんだから。それにね」
 ママの骨張った手が蓮の頬を軽く叩いた。
「あんたとあの子、どこか似てるわよ」
 それはどうにも認められない、と思ったのが顔に出たのか、小町ママは小気味よく笑った。酸いも甘いも全て飲み込んだ還暦の男の笑みには、言い尽くせない深みがあるものだと蓮は思った。
「蓮」
 久しぶりに、ママからおシャカちゃんではなく名前を呼ばれて、蓮は妙にくすぐったい気がした。
「ありがとね」


<< 仕事、終わったか?
 四条大橋を自転車を押しながら歩いていると、またいつものように短いメールが来た。一日一度のこのメールは、相手の生存確認のようなものだ。
 メールの相手は、大原に構えた庵に一人で住んでいる仏師の凌雲で、もともと蓮の家庭教師だった。実は外国人だが、日本に住んでもう十五年ほどになるのか、その辺の日本人よりも綺麗な日本語を話す。清貧を絵に描いたような男で、文明の利器を使おうとしないので、蓮が携帯電話を契約して持たせた。
 大体一人で庵に籠もって仏像ばかり彫っているので、知らぬ間に倒れていても誰も気がつかない可能性があった。それで、一日に一度は連絡するように言ったら、いつの間にかこの時間になると毎日短いメールが来るようになった。

 もっとも、元来人嫌いではないようで、近頃では、近所の世話好きのおばさんたちとも親しく話をするようになったようだし、凌雲の彫る仏像のファンも増えていて、依頼の電話が仲介者のところから掛かってくることも多くなっていたが、この一日の終わりのメールは途切れていない。
 律儀な男だと思いながら、蓮は自転車を橋の歩道の隅に寄せた。

 まだ、ママと話した余韻が残っていて、胸の辺りで納得できない渦のようなものが、グルグルと音を立てている。そのせいか、しばらく返信の言葉が見つからず、携帯の画面をぼんやり見ていたら、続いてメールが来た。
<< 今日は夏至だな。
 この国で、今日夏至の話題をこんなにも聞いた一般人は自分くらいだろうなと思った。国民の祝日でもないし、夏至を気にする日本人など滅多にいないだろう。

 日本で夏至が冬至ほどに注目されないのは、何よりも日本の気候が影響していると思われる。ヨーロッパの、たとえば夏至祭で有名な北欧の国などに比べると、日本の気候は温暖で、夏至だからといって太陽のありがたさをしみじみと感じるような必要性もない。むしろ、この時期は梅雨のまっただ中で、夏至の日に太陽を拝むことができない可能性も高い。だからなのか、冬至と違って、特別な風習が伝わっている地域は少ないが、関西の一部では蛸を食べるという習わしがあるようだ。田植えの時期にあたるので、蛸の足のように根が張って、よい作物が実るようにということらしい。

<< そういえば、ずいぶん昔、あんたに伊勢に連れて行ってもらったことがあった。
<< 覚えてたのか。
 覚えていたから、今日、思わず「二見興玉神社」の名前が口をついて出てきたのだ。
<< 月も見た。
<< そうだな。あの時は偶然、いい天気だった。

 蓮は思わず、空を見上げた。月が見えているし、笠もかぶっていないから、朝になったら太陽が昇るのが見えるだろうか。確か日の出は五時よりも前なので、あと三時間ほどだ。もっとも、盆地である京都では、日の出の時間はさらに遅れることになるし、どっちにしても、その時間にはまだ蓮は眠っているだろう。
 あの日、冷たい海の中から見つめていた光を思い出すと、不意に胸が熱くなった。凌雲は、あの岩は夫婦岩と言うよりも親子岩だな、と言った。親子を繋ぐ注連縄の向こうから昇る太陽、その太陽に重なる遙か向こうの富士を臨みながら無言で手を合わせる人々は、あの瞬間、冷え切った自らの身体のことなど忘れていただろう。その光景はまさに神々しいものだった。遙か彼方の太陽と海、富士と空よりも、禊ぎを済ませて海に立つ人々の姿、横顔が、神々しく見えたのだ。

 あの頃、自分はどんな気持ちで日々を過ごしていたのか。二親とも身近にはおらず、今でも連絡さえ途絶えている。伯父の魁は、両親に捨てられた蓮の面倒を見る気満々でいてくれて信頼できる人だったが、蓮の方は、素直に人に頼れるような性格ではなかったし、思春期独特の抵抗心もあってどうしても甘えることはできなかった。あの頃、蓮はいつも何かに対して足掻いていたのだ。
 だから、凌雲はあの日、蓮を伊勢まで連れて行ってくれたのだろうか。

 蓮は四条大橋から鴨川を見下ろした。行く川の流れは途絶えることはなく、あの山の峰の向こうからやってきて、今、蓮が立っている橋の下を流れて、やがて海へと流れ着く。川面に写し取られた月も、水の流れに揺らめいて、一時として同じ形を留め得ない。
 凌雲があの時見せてくれた夏至の太陽は、あの日、自分の中の何かを刺激したのだろう。
 だから、あの時点からここまで、曲がりなりにも時を繋いできて、今ここに立っている。
<< おやすみ。気をつけて帰れ。

 蓮は携帯の画面をしばらく見つめていた。いつでも、会って相談したいこともあるような気がするのだが、会ってしまうとわざわざ話さなくてもいいか、と思ってしまう。
<< おやすみ。
 蓮は携帯をポケットに仕舞った。
 そして、不意に、あの嫌みな男が、夏至の話をしたのには、彼なりに思うことがあったのかも知れないと考えた。

 昭光寺に帰ると、和子は離れの方で寝ていた。
 蓮が帰るのは夜が更けてからなので、それを待ちながら和子が離れでひとり眠るのは危ないからと、奥さんが母屋で預かってくれていた。だが小学生になった和子は、時々、どうあってもひとりでも離れで寝ると主張するらしい。離れと言っても、廊下で繋がっていてそれほど離れているわけではないので、とりあえずは和子の言い分を聞いてやるようにしている。和子なりに、ひとりで出来ることを周りに知らせたいのだろう。
 その寝顔を見ながら、蓮は行く先に数多重なる不安を考えた。

 これまで和子は、自分の病気のことをなんとなくぼんやりと分かっている程度だっただろう。年齢が低い間、子どもの行動に必要な身体のエネルギーは、どれほど暴れても、たかが知れている。だから、それほど「他の子は出来るのに自分はできない」と感じることはなかったはずだ。
 だが、小学校に行くようになって、どんどん体力を身につけていく同年代の健常な子どもと過ごす時間が長くなり、次々と科せられる課題を、彼らと同じようにこなすことを要求されると、必然的に上手くいかないことが増えて、その時初めて自分が「上手くやれていない」ことに気がつくことになる。

 その時、蓮は和子に何をしてやれるだろう。
 和子が躓いたとき、あの夏至の日の朝に凌雲が見せてくれたような光を、蓮は見せてやることができるだろうか。
 蓮は、そっと和子の手に触れた。そして、思ったよりも暖かいことにほっと息を吐いて、自分も隣の布団に潜り込んだ。
 目を閉じると、二見浦の日の出が蘇った。それを見つめていた、神々しいほどに美しかった凌雲の横顔を思い浮かべた。あの男は何かとてつもないものを抱えながら、全てを呑み込んで仏の現し身を彫り続けているのだ。自らの身を含めて穢れを纏いながらも、同時に穢れの全てをはね除けるような凜とした佇まいに、蓮は心を奪われていた。
 来年、あの場所に、和子と一緒に行かないかと、凌雲に言ってみようか。
 深い眠りの中に落ちていきながら、蓮はぼんやりと光の名残を追いかけていた。


 確かに日本にも太陽信仰の名残がある。たとえば、神社の鳥居の中には特殊な形のものがあり、そのひとつが太陽信仰を表しているというが、現在、身近にある宗教で、明らかに太陽を崇めているという表書きを持ったものは少ない。一方で、初日の出を拝むというように、民間信仰の中には、太陽信仰は脈々と受け継がれているのである。
 日本に農耕が根付くと、正確な暦を持ち、人々に季節を示すということが為政者にとって大切な役割となった。現在のようなカレンダーがなかった時代、人々は太陽の動き、すなわち季節ごとに異なる太陽の軌道を観察し、消えることも動くこともない「記録紙」に記した。各地に残る曰わくのある巨石の多くが、このような暦の役割を果たしていたのである。

 では、月はどうだろうか。
 この事を最初に私に気づかせてくれたのは、私の古い友人である。彼は研究者ではないが、物事の最も大切な局面を瞬時に見抜く才能に長けている。彼は言った。太陽は眩しすぎる。古代の夜空は今よりいっそう暗かっただろうから、月とて相当に明るく感じられただろう。月で十分だ。
 思えば、古来、日本人は太陽よりも月について多くの作品を残してきた。それが日本人の感性だったのだ。その日本人が、月を信仰しないわけがない。友人の言うように、自ら光らない月であればこそ、この国の時の流れを刻むのに相応しいのかも知れない。

 伊勢には謎がある。夏至の日に二見興玉神社夫婦岩の中央から太陽が昇ることはよく知られているが、実は伊勢神宮宇治橋前大鳥居の中央から月が昇るのである。古代の人がそこまで分かって鳥居を配したのか、何ら記録に残っていないのだが、友人の言葉を思い出すと、彼らが分かっていなかった訳はないと直感できる。彼らはこの神の宿る神宮に月の軌道を描いたのだ。
 同様に、ストーンヘンジでも近年、月の軌道についての調査が進んでいる。ストーンヘンジは多くの巨石が失われているため、本来の機能の全てを解き明かすことは叶うまいが、彼の地でもやはり、太陽と同時に月が重大な役割を果たしていたのである。


 嘉瀬友則は、玄関兼用のダイニングキッチンと和室という六畳二間のアパートに帰り、ふらつく足で流しに歩み寄り、食器用のワゴンに伏せてあったグラスを無造作に掴んだ。水栓を倒して、グラスに水を入れると、一気に飲み干す。音を立ててグラスを流し台に置いてから、ダイニングの椅子を引いて、倒れ込むように座った。

 あの蓮という男に何となく腹を立てているのは、くそばばぁがあいつを息子みたいに大事に思っていると、誰かが話しているのを耳にしたからだった。別に、俺以外に「息子」扱いするような相手を作るなと言いたいわけではない。だが、そんな八方美人的な、あるいは二心あるような態度が気にくわない。

 子どもの頃は、研究室に閉じこもったかと思えば、フィールドワークとやらでしょっちゅう出かけて、家に寄りつかない父親にも、そんな夫を持った不幸に酔いしれて子どもの面倒も見ないでパチンコに通う母親にも、敵意を抱いていた。当時、父の友人である鬼頭信吾は、いつもお土産を持って遊びに来てくれる優しい兄貴のような存在だった。
 その鬼頭が、どういうわけか、父と一緒にフィールドワークに出かけていたイギリスから帰ってきた後、全く家に来なくなった。

 両親の死後、友則は父方の祖父母に預けられたが、そこには伯父の家族も住んでいて、従兄弟とそりが合わなかったために、子どもながらに一刻も早く独立したいと願っていた。中学一年生のある日、何がきっかけだったかはもう忘れてしまったが、ついに家出を決意した。頼る相手を他に思いつかなかったので、鬼頭信吾を探し当てて訪ねていった。
 鬼頭は男の恋人と住んでいた。
 それで合点がいったと思った。

 父親が妻に離婚を切り出したのは、イギリスから帰って間もなくだった。お前の借金は俺が返すから、別れてくれと父は言った。もともと裕福な家庭ではなかった上に、今度は自分が借金を背負うことになった父親との暮らしには、楽しい思い出がほとんど無い。大学の客員講師の職を辞して、父親は慣れない仕事を掛け持ちしながら借金を返すことになり、友則を顧みる余裕を無くしていた。何かに取り憑かれているようにさえ見えた。。
 借金が無くなったら、父親は鬼頭と一緒に暮らすつもりだったのではないか。そういう父親の汚い本性を知っていて母親はギャンブルや買い物におぼれたのではないか。借金を完済した後、大雨の中、出かけた父親は交通事故を起こし、自分ともうひとりを巻き込んで死んでしまった。

 どこに出かけようとしていたのかは知らなかった。雨は幾日も降ったりやんだりしていて、太陽を見ない日が続いていた。葬式の時のことはよく覚えていない。だが、何となく鬼頭を見かけたような気がしていた。小雨の中、傘も差さずに立ちすくんでいた鬼頭の横顔を見た気がしたのだ。
 家出をしようと探し出して会いに行ったとき、鬼頭は恋人の男をアパートに押し込んで、友則を近くの公園に連れて行った。友則は腹を立てていた。こいつは汚いおかまだったのか。もしかして、親父をたぶらかしたのか。イギリスで何かあって、鬼頭は家に来れなくなっていたのか。

 鬼頭はしばらく黙ったまま低い鉄棒にもたれて、ブランコに座る友則を見ていた。それから、唐突に、あの日、自分が嘉瀬を呼び出したのだと言った。あんな大雨の中、どうしても会いたいからと呼び出して、事故に遭わせてしまって、本当に申し訳なかったとそう言った。
 腹を立てるのを通り越して、吐き気がした。あの日、月は明るくて、鬼頭の表情がよく見えてしまうような気がして、もし見えたなら、何か知りたくないことを分かってしまうかも知れないという気がして、友則は顔を上げられなかった。だから、鬼頭がどんな顔でそう言ったのかは知らなかった。

 父の日誌を見つけるまでは、鬼頭の言葉を信じていた。信じて鬼頭を恨んでいた。いや、本当は始めから鬼頭の嘘だと気がついていたのかもしれない。鬼頭は身寄りが無くなった友則に「たからせる」つもりだったのだ。
 そして、改めて思い返してみたら、あの大雨の日、あれはちょうど夏至の日だったのだ。

 友則は、羽織っていたシャツの内ポケットに無造作に突っ込んであった紙切れを出して広げた。
 祖母が亡くなって久しぶりに帰った祖父母の家で父親の日誌を見つけ、そのページを読んだ時、思わず引きちぎって持って帰ってきてしまったのだ。祖父母は父親のものは大概処分してしまっていたが、その日誌だけは祖母がそっと仏壇の引き出しに仕舞っていた。
 日誌には、父親が書きかけていた原稿の一枚も挟まれていた。

 この旅から帰ったら、離婚することを決めた。妻の借金は全て引き受ける。だが、我々が結婚生活を続けることに将来はない。気持ちがそこになければ、お互いに不幸なだけだ。
 もちろん、鬼頭の気持ちには応えられない。しかし、鬼頭が長年抱えていた気持ちを打ち明けてくれた心意気には動かされた。留まっていては苦しいばかりで前に進めないと、彼が教えてくれた。鬼頭はいつも私に道を示してくれる。
 借金を返し終わったら、鬼頭に連絡して会おう。夏至の日がいい。再び友人としてやり直せるだろう。私はまた学問を続けるつもりだと言おう。そして、次の夏至の日には、友則を連れて、一緒に二見浦にまた富士と海と重なる壮大な日の出を見に行こうと、友に伝えよう。

 くそったれ。
 友則はテーブルの脚を蹴った。
 思い込みの強い、自分勝手なところは、父親にも母親にもあった。父親との関係を修復しようという努力もせずにギャンブルにのめり込んでいた母親は、自分だけが不幸だと思い続けていた。友情に酔いしれていた父親は、鬼頭の気持ちを本当のところは理解していなかったに違いない。

 あの店に通うようになって、鬼頭のような性的少数派の人間や、表沙汰にされたくない性癖を持った人間たちが、どういう気持ちで生きているのか、少しは分かったような気がしてきた。気色悪い、とあの蓮という男に言ったのは本心だ。生理的に受け入れられない。だが、彼らの覚悟や生き方を、父親が本当に理解していたとは思えなかった。少なくとも、今、自分にはそれが分かるのだ。鬼頭は友情を取り戻したいとは思っていなかっただろう。
 だが、したり顔でそんなことを鬼頭に言えるほど、自分は偉い人間ではないことくらい、分かっている。

 両親は友則が心から頼り尊敬できるような人間たちではなかったが、詰まるところ、自分もそれを受け継いでいる。子どもの頃はただ彼らに腹を立てていたが、自分も大人になると、しょせん人とはそのように完全ではない生き物だと分かってしまった。だからこそ、余計にいたたまれなくなる。
 そんな人間たちが、濃厚な人間関係を築くとなれば、組み合わせが悪ければ、時には大きな不幸を生み出す。実は、単なるボタンの掛け違えだ。両親の関係も、父と鬼頭のことも、そう言って割り切ってしまえる話だ。割り切ってしまって、楽になるべきだ。
 それなのに、どうしても割り切れない。鬼頭の顔を見ると腹が立つ。そこにあの蓮という男の顔も重なる。あいつに腹を立てるのは、どこか自分に重なるところがあるからだと分かっている。

 友則はふらりと立ち上がり、和室の窓を開けた。煙草を吸うつもりだったが、辞めた。見上げると月が長い軌道をもう半分以上辿った後だった。月は澄んでいる。笠を被っていないから、明日は、いやもう数時間で、夏至の日の太陽が昇る。京都のような盆地では、日の出は遅いが、その光が射すまで起きていようか。そうしたら何かが変わるだろうか。

 馬鹿馬鹿しい。
 友則は窓を開けっ放しにしたまま、万年床に大の字に寝転んだ。
 まだこの先数年は、くそばばぁに父親の「遺言」を見せるつもりはなかった。もう少し、自分が親父を殺したのだという演技を続けさせて、俺に貢がせてやる。そうしている限りは、あの店に通うことが出来る。あの蓮という男に嫌われていても、少なくとも、あそこは友則にとってひとつの居場所だった。

 友則は目を閉じた。
 動画サイトで見ただけの、ストーンヘンジの夏至の日の出が、瞼の後ろにまぶしかった。

(【奇跡を売る店・短編】『あの夏至の日、君と』 了)


今年の夏至は、6月21日です(*^_^*)

Category: 奇跡を売る店・短編集

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【旅2017・スペイン】(11)サン・パウ病院~ガウディのライバルが遺した建築・その2~ 

サン・パウ病院
(少し、間が空いてしまいましたが)前回に引き続き、19世紀末・モデルニスモ建築の立役者、ガウディと同じ時代に活躍したもうひとりの建築家、リュイス・ドメニク・イ・モンタネールが設計した建造物にご案内します。こちら、外観からは「何?」ですが、実は病院。モンタネール設計、銀行家パウ・ジルの遺言で1902年着工、1930年に完成したサン・パウ病院です。
モンタネールの設計のコンセプトは「芸術には人を癒やす力がある」。総面積14万5000㎡、48棟の建物がほぼ対称型に並んでいます。場所はサグラダ・ファミリアからそう遠くないところ。病院の前で振り返ったら、サグラダ・ファミリアが見えます。
病院からサグラダファミリア
道に面した入り口は、言われなければ病院だと気がつかない豪奢な雰囲気。正面、そのまま入り口です。
他の観光地に比べて人も少ない。するするっと入って見学ができます。
見取り図
勝手に見学コースと、ガイドツアーがあって、ガイドツアーでは一般見学ツアーでは入れないところにも入れてくれるようです。私たちは普通の見学でしたが、十分満足でした。ちょっとハウステンボスに来たみたいな?
病院敷地内
ネット予約していったのですが、多分不要。入ったら地下から敷地内に入るという感じになるので、順路では建物の中から見学が始まるのですが、とりあえず写真は敷地内風景をずらっと並べてみます。
まずは、正面入り口の裏側。
病院敷地内3
この建物の中は、まさに「ロビー」なのですが、こんな豪奢なロビー、病院にいる? って思っちゃった。つまり、普通の病院のロビーの部分が独立してひと棟ある、というわけなのです。中は後でご紹介。
病院敷地内4
こちらは上の地図のBに相当する建物です。
病院敷地内5
地図で見るよりも、実際の敷地、つまり建物が建っていない部分が異様に広いことが分かりますよね。なんか、健康的にリハビリできそうだな。ちなみに、全部かどうかは確認していませんが、建物は地下で繋がっているようです。
病院敷地内6
ディズニーランドです、って写真をアップしても、知らない人が見たら「そうかな」って思うような、おとぎ話に出てくるイメージの建物。ちなみに、こちらの建物は2009年までは、ちゃんと病院として使用されていたとのこと。現在は、この見学可能地域の奥に新しく病院が建てられて、そちらで診療がなされているそうです。
病院敷地内7
さて、建物の中はどんな感じでしょう? こちら、何をする部屋に見えるでしょうか?
手術室
答えは手術室。床などは水でざ~っと洗い流せそうな構造。天井につり下げられた丸枠は、照明をつり下げるところでしょうか。そして、何よりも面白いのは、なぜこんなにオープンな空間? ってことですよね。もちろん、カーテンを引けば済むことでしょうけれど、それならこんな立派な窓は必要ないでしょうし、もしかして公開手術? それに、窓の前には柵が見えますよね。窓の前、柵との間に一段高くなった通路状態の部分があって、ここはもしかして見学コーナーなんでしょうか。
何にしても興味深い手術室です。
病院内部1
次に登場するのは、ある建物の1階部分。アートな展示物は、病院と関係しているわけではありません。この建物は病棟のよう。
2階に上がると、病棟だな、とよく分かります。
病室
使用時にはパーティションなどを使っていたのでしょうか。あるいは、あまりプライバシーとか考えていなかったかも。
次に、入り口の建物、見学者出口のあるロビーの方へ戻っていきます。病院入り口ロビー
病院の天井、ピンクですね。看護とか介護のイメージって、こういう色なんでしょうかね。昔は「白衣の天使」と言われていましたが、いつもの間にか、病院の看護師の服もピンク色が多くなり、その後はさらに変わって、今は「色々」ですよね。なんか、ハワイの人?みたいなのもあるし。
でも、こういう優しい色がイメージなんですね。
ロビー2階への階段
ロビー脇の階段を上ります。宮殿みたいですね。2階に上がったらこんな広間が。
ロビー2階
最近の病院の造りは、こういう、普段はちょっと無駄っぽい空間が多く作られていますね。震災・大規模事故などの際には、ロビーや廊下なども使えるようになっているのですが、古い時代の欧米の病院は、やはり戦争などの有事の際にも多くの病院・けが人を収容できるような造りになっているのですね。こういう広間は、もちろん、何らかの儀式的なこと(礼拝なども含めて)にも使われていたのでしょうけれど。
ロビーの窓
窓から見るおとぎ話風建物。
そして、広間の壁には美しい彫刻やモザイクが。
壁の装飾
宮殿っぽいけれど、それでも音楽堂とかに比べたら、やっぱりシンプルですね。
壁の装飾2
建物の中は、当時の状態が再現されている、というわけでもないので、がらんどうな感じだし、どの建物も大体似たような造りなので、幾つか見て回ったらもういいか、って事になるのですけれど、広い敷地はゆったり感があって、街の喧騒からも切り離されているし、きっと良い季節に行ったならくつろげたのでしょう……
病院敷地内8
そう、私がバルセロナに行ったのは7月。太陽燦々で、うろうろしていたらもうひからびそうになる暑い毎日でした。
早々に引き上げて、街に戻り、美味しい野菜ジュースにありついたのでした。
……また冷たい野菜ジュースを……これが私の旅の後半を苦しめる事になろうとは、この時はまだ知るよしもなく……

さて、次回ご紹介するのは、夜のバルセロナツアー、タパスとサグラダ・ファミリア夜景です。
お楽しみに!
夜のサグラダファミリア

Category: スペインの旅2017

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【雑記・音楽】2018春の音楽活動~アムランと辻井伸行~ 

コンサートパンフレット
本当ならすでにもう1作アップしているはずだったのですが、先週は月曜日から残念なことになっていて、まるきり覇気がありませんでした。2年前にマイコプラズマ肺炎になったときも、1ヶ月ほどもヨレヨレになっていましたが、今回も似たような症状で。前回は、学会直前に発症して、そのまま行ってしまったので薬を飲めず、1ヶ月以上苦しんだので、今回は反省してさっさとジスロマックを内服してみましたが……弱ってたのか、お腹は緩くなるし、何しても咳は止らないし。1週間経過していますが、今ひとつ不安な状態。
GWは近くの山以外に出かけたのはフェスティバルホールのみだったので、そこでもらったのかしら? もしもただの風邪でこの状態だったら、私ってヤバくない? とちょびっと不安な今日この頃です。

それなのに、5月初めから結構賑やかだった私の音楽活動。
あ、自分自身の音楽活動はちょっと置いといて、まずはコンサートのご報告から。

5/4 葉加瀬太郎・高嶋ちさ子・古澤巌 3大ヴァイオリンコンサート(フェスティバルホール)
こちらは、【サキさん30000Hitお祝い短編】 Hasta mi final~この命尽きるまで~ の「続きを読む」でも書いたので省略。
でも、繰り返して言いますが、楽しかった~(*^_^*)

5/12 シャルル・リシャール=アムラン/オールショパンプログラム「革命」(シンフォニーホール)
誰それ? ですよね。実は、先日、2015年の国際ショパンコンクールのことを書いた本を読んだのです。で、俄然気になたのが、2位になったカナダのシャルル・リシャール=アムラン。コンクールの時に26歳という、コンクール出場者の中ではかなり高い年齢であったそうですが、自然体で完成度の高い演奏を見せていたと。ファイナル(ショパンの2曲のピアノ協奏曲のうちどちらかを弾く)では、ただひとり第2番を選択。ちなみに、これまでファイナルで第2番を弾いて優勝した人はいないそう。曲の長さもわかりやすさも第1番の方がちょっと上なのかな。ちなみに、彼自身は「なぜ第1番を選ばなかったのか」と聞かれて、「弾いたことがなかったから」。あら、そう……この朴訥は感じ、好きかも。
そんなこんなで、興味津々で、チケットを取ったのでした。
歩く姿がちょっとテディベアみたいで、「いい人」雰囲気がにじみ出ているようなステージへの登場。でも、演奏は、すごく理知的だと感じました。これはホールの素晴らしい(しかし、ちょっとタイトすぎる)残響のおかげもあるのかも知れませんが、一音一音の粒が、弱音まで澄んでいてよく届くので、心地よい演奏でした。ころころと真珠が転がっているみたいな、そんな音色。
いきなり、ただいま私が格闘している「ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作(レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ)」からスタートしたコンサート。前半は、4つの即興曲、エチュードop.10-12「革命」、ポロネーズ第6番変イ長調op.53「英雄」。そして、後半がバラード全4曲。有名曲を散りばめつつも、幻想曲4曲、バラード4曲というセットで持ってくることで、ショパンの何かに迫ろうとしているのが理解できるように思いました。
以前、辻井伸行さんのバラードの1番を聴いた時は、ちょっとうるっとして感情的になりそうでしたが、今回は聴いているこちらも、泰然と聴いていられる、そんな印象でした。そしてついつい、後半ではオペラグラスで観察しちゃいました。体格も大きな人なので、手も大きいけれど、左手などは、弾いているのを見てても、動かしているのかどうか分からないような(つまり指のハンマー度がすごいって事ね)。
プロフールを見ると音楽院で後身の指導もされていると。この人は大変よい教育者でもあるのではないかと、そんな気がしました。

実はピアニストひとり、というコンサートに行くことがあまりなかったので、まじまじと聴衆を観察しちゃっていました。
どう見てもピアノを習っていると思われる子どもを連れた両親、音楽関係者と思われる女性のグループ、音楽ファンらしき夫婦、でも意外に目についたのは、相当年配のひとり客でした(男女問わず)。クラシックファンってなんか面白いなぁ。でも、以前よく行っていた頃は、若者のひとりってが結構いたように思いましたが、そういう人は少なかったなぁ。

そしてもうひとつ、大阪の人間はどうやらしつこい?というのがよく表われるのが、アンコールの時。あまりにもしつこいので、アムラン氏、3曲も弾いてくれました。多分最後の1曲は予定に無かったと思う……他の日のプログラムに弾く予定の曲だったみたいから、急遽追加してくださったのではと思います。3大ヴァイオリンコンサートでも、あまりにもアンコール(カーテンコール)に呼ぶので、高嶋ちさ子氏が「もう1曲やります?」って言ってましたし。
ちなみに、アンコールの1曲目はエチュードop.10-3「別れの曲」でした。日本人用?

5/13 ヴァシリー・ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団(ピアノ:辻井伸行)(フェスティバルホール)
最初に、終演後のことを書くのも何ですが、指揮者のペトレンコ氏にサインを求めるファンの長蛇の列に驚きました。CD買ったらサインがもらえるよってやつですが……ただの野次馬的な人も一部いると思いますが、そういう人たちでも思わずCD買ってサインもらおうっと!と思えるような見事な演奏でした。ペトレンコ氏は42歳でしょうか。背も高くて見栄えもするし、豪快な部分と繊細な部分と、見事にバランスの取れた指揮でした。
あまり予備知識なく行ったのですが、素晴らしいチャイコフスキーだったなぁ。第4番、最初のファンファーレがもう良くも悪くも「チャイコフスキー!」なんですが、一方で弱音は森の奥の湖の前に立って耳を澄ましているような美しさで、弦のピチカート連発部分で、チェロから第1ヴァイオリンまで音が移動してくるところなんか、鳥肌が立つようでした。

順番が逆になってしまいましたが、前半は辻井伸行氏のピアノ。
これも豪華なラインナップで、ラフマニノフ『パガニーニの主題による狂詩曲』(最近どこかで見たなぁと思ったら、八少女夕さんの最近のプレイリストに入っていた(^^))、チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』。
久しぶりに生で聴いたチャイコフスキーの1番。この曲は、そう言えば、献呈しようとした相手に見せたら「演奏不可能」と言われたらしいけれど、ベートーヴェンも「今は弾けなくてもいつか誰かが弾いてくれるだろう」的な譜面を作っていたし(当時のピアノの楽器の性質も今とは随分違っていたのもあると思いますが)、作曲家って、ほんとに……(@_@)
それはともかく、この曲聴くと、気が大きくなるのはいいことなのかどうか……しみじみ、ピアノがオーケストラをねじ伏せるのが大変な曲だなぁと思う(いや、ねじ伏せなくてもいいけれど、途中でやられそうになるじゃないですか。チャイコフスキーやってる時のオーケストラって、どこか容赦ない。バレエ曲だとそうでも無いのになぁ。編成の問題?)。
第3楽章に向けて、掛け合いに乗っていくのが見えて、聴き応えありました。

それはともかく、辻井伸行氏を聴きに行くのは3回目になります。実は、彼のコンサートはピアノソロの時が一番聴き応えがあったのです。もちろん、オケが一緒で悪いことはないのですが、ピアノの音をよく聴きたいなぁと思ってしまう。個人的には彼のラヴェルやドビュッシーが何とも心地いいもので(そう言えばアンコールは『月の光』でした)。水が跳ねているのが見えるような、そんなピアノで。
何より、彼のコンサートは箱(ホール)が大きいのが難点(人気がありますからね)。ピアノは齧り付いて聴いた方がいいなぁ(かつて、アシュケナージを最前列で聴いて足しか見えなかったけれど、音はやっぱりすごかったなぁ。実はピアノの下って、すごい響きがいいんですよね)
あ、ラフマニノフ、よかったです。第17変奏から第18変奏に移るところ、いつ聴いてもよいのですが、この曲一度聞くと、しばらくの間、「ラ」「ミ」が頭で響く……(主題はラドシラ)。
ついでにオーケストラのアンコールが『ここは素晴らしい場所』でした。どど~ん、という曲じゃなかったのがよかった(チャイコフスキーの後でほっとする(^^) いや、私は嫌いじゃないけれど、チャイコフスキーって嫌う人はとことんだからなぁ)


書いてみて分かった。私、評論家の才能0ですね。
そうそう、今回、シンフォニーホールとフェスティバルホールに連続で行ったわけですが。
先だって書きましたように、私、体調不良で結構咳が出そうで困っていたわけです。で、問題はシンフォニーホール。
この残響2秒の素晴らしい音響のホール、開演前に「飴の包みなどを開ける音もよく響きますので、ご注意ください」ってアナウンスがあるんですよ。
ステージの音がよく響くって事は、客席の雑音もよく響くって事で、これだけの人が入ってるんだから、当然、雑音はあるわけで……ステージの音は響かせて客席の音は吸収してしまうって離れ業はできないだろうし。空気の乾燥に弱い人とか、風邪気味の人には辛いシンフォニーホールなのでした。
そもそも、座席数が違うので比べるのはどうか、なのですが(シンフォニーホールは2階までで1704席、フェスティバルホールは3階までで2700席)、建て替えの後でフェスティバルホールもなかなかよくなったと思うのですが、クラシックを聴くには、ちょっと大きすぎるんですよね(私が友の会に入っていたびわ湖ホールも1700-1800席、兵庫芸術文化センターの大ホールで2000席)。
でも、チャイコフスキーなら大丈夫だな。あと、マーラーも。でも、今回思ったのですが、弱音、すごく綺麗に響いていました(2階席だったのですが)ので、許せるかな。

それから、もうひとつ。
やっぱり、オーケストラは「見に行く」ものですね。いや、もちろん、「生で聴く」のは「録音を聴く」よりいいのですよ。そうではなくて「見に行く」のです。クラシックなんて興味ないわとか、興味あるけれど何を聴いたらいいのか、なんて人こそ、見に行って欲しい。
私、初めて行ったのが、なぜかスロヴァキアフィル。その時、何に感動したかというと「弓がそろって動いてる~」だったという^^;(←バカ丸出し) 
でも、こういう視覚的な面白さってあるんですよね。その時から(正確には中学生の音楽の時間から)、今も、『モルダウ』が大好きで、この曲が私がクラシック音楽に嵌まったきっかけだったかも。

もちろん、「生で聴く」と、オーケストラの音って、聴く位置でこんなに違うのかというのにも感激します。少しヴァイオリン寄りで聴くのが聞きやすい気がするけれど(もちろん、一番いいのは真ん中、12-15列辺りなんでしょうかね。歌舞伎は8-10列目の真ん中、少しでも役者さんに近づきたい人は花道横を)、コントラバスの前で聴くと、別の曲みたいに聞こえるのがまた面白いのです。あれだけの大所帯ですから、場所によって音が聞こえてくる大きさも違うし耳に到達する時間差もあって。ある意味、それが音の厚みなのですけれど。当たり前の話ではあるけれど、そのことを体感する面白さがあります。

で、オーケストラの「見所」ですが(あくまでも、個人の意見です^^;)。
何より、気になるのは、後ろの方に控えている、いつ登場するのか分からない、シンバルの人やトライアングルの人。出るところ間違えたりしないのかな、とかドキドキして見てたり^^; 登場回数でお給料とか違うんかしらと考えたりとか(大阪の人間って…)。弦は人数が多いからいいけど、数の少ない管楽器の人たちは外したら目立つよな~ってじ~っと見つめてみたり、弦楽器の楽譜は2人にひとつですが、あのめくる側の席(客席から遠い方)になるかどうかはどうやって決まるんだろ、とか考えちゃったり。前の方に座っていたら、時々閑そうな瞬間のチェロの男前の人と目が合ったり。2階席などから見ると、弦楽器の弓の動きが美しかったり。
そうです、オーケストラはぜひ「生で見に」行きましょう!

次は、6月に2015年ショパンコンクールで優勝したチョ・ソンジン氏とフランクフルト放送響。こちらも楽しみです。

Category: 音楽

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