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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

ようこそお越しくださいました(道先案内) 

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この記事は表紙として常にトップにあります。通常記事は次の記事からです。
こちらは、掲載している小説などのあらすじ・紹介リストです。
掌編から長編まで取り揃えています。
お時間がありましたら、ぜひ『続きを読む』をクリックして覗いてみてください(^^)
なお、左のカテゴリからクリックすると、物語を始めから読むことができます。

ねこ好きの方は……【迷探偵マコトの事件簿】で猫ブログ感を…
旅好きの方は……【石紀行】で巨石を巡る不思議な旅へ…
本格的な物語をという方は……【清明の雪】で京都ミステリーを…

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Category: 道先案内

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2021/お正月 ご挨拶 

 みなしゃま~、あけましておめれとうございやす!
 ちょっと、マコト、あなたなんで途中から仁侠風? 
 きゅうねんちゅうは、あんまりおせわしませんでした~
 なんか変な挨拶だなぁ。でもまぁ、サボっていたのは確かだし。皆様、ほんと、すみません。
 ことしもよろしくおねげーしやす!
 マコト、なんか変なもの食べた? 皆様、変なテンションの子猫がどうしてもご挨拶をしたいというので、遅ればせながら、新年のご挨拶にまかり越しました。今年もよろしくお願いいたします。で、マコト、何かご報告があるんだよね。

 ごほうこく! そうなの。 タケルとぼくね、おひっこししました!
 なんと、まさかのツキジからトヨスに?
 あられ~
 ちがう。アラレじゃない。しかも、業界?的に特定の企業名や個人名を出すのはよろしくないのよ。(しかもなんで知ってる?)
 ふ~ん。ニンゲンってメンドクサイのね。
 なにいきなり吾輩は猫風になって可愛くないこと言ってるのかな。それはともかく、ほんとに、アラレ、じゃなくてトヨスに引っ越したの?

 チガイマス。ツキジからツキジです。
 どゆこと?
 あのね、ツキジのまんしょんからツキジのイッケンヤにおひっこししたの。
 あら、また、それはどうして?
 あのね、おっこちて、しょんぼりして、ちっさいから、しょんぼりして、それでね、おひっこししたの。
 全く分からん。まぁ、その辺は後でタケルから聴取するとして、一軒家、どう?

 えっとね、ぼく、おともだちがいっぱいできました!
 ちょっと嫌な予感がするけれど、まぁ、ゆってみ。
 まっくろくろべえ、とか、まっしろしろまる、とか、ぬりかべぇ、とか、しょうじくん、あとね、ごえもんとね、はなこちゃん!
 やっぱりか。って、まさか五右衛門風呂にどっぽんなの?
 ?
 ま、いいか。その辺はもうすぐ語られるのよね。

 タケルは、ごしごししたり、こんこんしたり、ばばばば~ってしたり、とってもお忙しいの。
 要するに、ぼろ屋を修繕してるわけね。
 あとね、ねこもっく、作ってもらいました!
 ねこ・もっく?
 おにわの木におふとんがあるの。
 あ~、それはもしかして、ねこ用ハンモックかね? 今の季節はちょっと寒いけどね。でも、ステイホームで「おうちキャンプ」も流行っているようだから、いいかもね。
 じゃ、ぼく、ようちえんのじかんだから! ばいばい!

 ようちえん? パンダ幼稚園ならぬ、ねこ幼稚園? まぁ、君は過保護すぎるから、少しはねこ社会について勉強した方が良いかもね。って、もう行っちゃいました。相変わらず忙しい子猫です。
うん、マコトにも新しい年が巡ってきたのですね。実は、マコトの新作が春にアップ予定です(って、書く書く詐欺?)。一応区切りのお話になる予定ですが、マコトはあちこちにこれからも顔を出すと思いますので、変わらず可愛がってやって下さい(とかいいつつ、第2部がすぐに始まるかも? マコトがふてぶてしい青年ねこになって登場? いや、やめときます)。内容ですか? さっき、マコトが説明したとおりです(って、全然分からん)が、どうやらこのお引っ越しの原因について語られるようです。お楽しみに!



 今年はまだもう少し我慢が続きそうですが、ステイホームで電子ピアノが売れているとかで、どこかに転がっているかも知れない新しいこと・冒険を探しながら、逞しく生き抜きたいですね。そうは言っても、大変な業界の方々も多くいらっしゃるので、引き篭もってばかりの状況が早く改善されたら良いなぁと思います。
でも、我が家も後期高齢者介護中なので、どうしても用心の方向に行ってしまうのですが。
介護職の方々にはほんとにお世話になっております。デイサービスに行けなくなったら、家で介護している家族は、ほんとにえらいことになります。祈るばかり。

 ひとまず、創作の決意は……
1年前も言っておりましたが『死と乙女』を終らせること。これを終らせないと、次に進めない……今時々書いている慎一の短編も、出発点はあのストーリーなので。ということで、先日、これまで書いたところを読み返してみました。
で、いきなり、「これ、書いたん、だれ~?」状態になっておりました。
いや、これを書いた時の私、すごくないか? って、たいしたことの無い話なのですが、それでも、苦労して書いているのがわかるわぁ。自画自賛でいやらしいですけど。で、この続きを同じテンションで書くのは結構大変かもと青くなっています。
何とか頑張ります。まぁ、あの先は、急転直下なので(もとの手書き原稿によると)、3回くらいで終るかな。って、その3回が大変なのですが。

 そして、サボっていた宿題
 オフ会のオチ付け:マコト、シュレディンガーのねこになる?
 魔女の微笑みお返し:あの人の少年時代が語られます
 巨石探訪:ダブル○○○の旅の行く先は?(その後も続く、巨石へのご招待)
 『死と乙女』が終ったら、ようやく、真の嫁の登場です。
(サボっていたのはこんなもんじゃないけれどね!)

 ついでにピアノです。
 ベートーヴェン ピアノソナタ第8番『悲愴』全楽章(終わらせる! 終わりはないけど)
 ショパン ノクターンop.48-1(人前で弾けるレベルに持っていきたい!)
 バッハ インベンション(実は去年から初バッハ。1番→8番。15番中半分は進めたいなぁ)
 先生と連弾を始めたスメタナ『モルダウ』、2年計画なので、半分は進みたい~


皆様、先に、書く書く詐欺から足を洗わないで下さいね!
今年もよろしくお願いいたします。

Category: NEWS

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【ピアニスト慎一シリーズ】Voltaste~あなたが帰ってきてくれて~(scriviamo! 2021参加作品)  

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 【八少女夕さんのscriviamo!】に今年も参加させていただくことにしました。夕さん、今年も(来年も?)お世話になります。
しかも、見事にフライイングしてるじゃありませんか(まだ2020年)! 最近の私にはない快挙ですね。
実は、なかなか仕上がらなかった「勝手にコラボシリーズ」の「22と23に捧ぐ」、書きかけていたので、一気に終わらせてしまいました(で、scriviamo!に転用、狙っていたわけではない)。

 しかし、ここに至るには結構な紆余曲折があり、何とか22と23に音楽のプレゼントをしようという試みには障壁が多くて(何しろ、塀の外にはでてこない人たちなので。って、誤解を招く表現だな)、夕さんに確認しながら二転三転。最終的に、全く別のキャラを仕立て上げてしまいました(ラーラは押しかけ女房だし、この新キャラは押しかけ○○)。
23は塀から抜け出していたことがあるというのを使えましたが、22に捧げたあたり、夕さんは分かってくださったかしら? 確か、そういう手法をアントニアが使っていましたよね。誰が頼んだか? さぁ? 
ちなみに結依はヴォルテラ家とは縁もゆかりもない顔をしていますが、あの人の実子ですから、裏ではいろいろとね。

 このシリーズにはいつも、メインテーマになる曲がひとつ絡んでいるのですが、今回はたまたま自分が練習中の曲を持ってきました。
はい、超絶高望み、ひよこなのに超ド級鷹用楽曲に手を出して、はや半年近く経ちました。ええ、撃沈してながらも頑張っております。これと『悲愴』第1楽章を並行しているって、馬鹿じゃない?と自分でも思いますが、ベートーヴェンが250歳の間に『悲愴』を3楽章揃えたいので(第3楽章の完成度を上げるのと、第1楽章の攻略。まだ先は長いなぁ)、頑張ります。

 さて、このショパンのノクターン13番op.48-1
まさに今、ノクターン13沼に嵌っています。ノクターンの最高峰、本当は1番をするつもりだったのに、勘違いで13番になって、先生も私も半分「なんでこうなったんだっけ?」状態で突き進んでおります。とにかく素晴らしい楽曲で、好きすぎて抜けられない。まさに「沼」なんです。

 ところがこの曲、なぜかいろんな演奏を聴いてもしっくりこないものが多くて、最初に聴いた「この人の演奏」(続きを読む、に潜ませました)に戻って、それを理想とするあまり、撃沈するというおバカな私。ルービンシュタインの演奏はなんだかあっさりしすぎているように思うし、あんまり中間部をガンガンする演奏も好きではないし、アシュケナージの演奏はお手本なんだけれどやや優等生すぎるし。
これたぶん、ショパンコンクールの本番演奏なので、なんだか鬼気迫るものがあるのかもしれませんね。
あ、練習していると言っても、私のレベルですからね、おそろし~~~く低いのですよ。

 しかも、なぜかタイトルは全然関係ないファドの曲
Voltasteというのは、Voltar(戻る)の活用形ですよね(多分)。そしてこの曲は「あなたが帰ってきて私は嬉しい」とひたすら繰り返しているだけではないかと思うのですが(歌詞がいまいちわからないので、たぶん)、物語の後半で二人がいるお店で歌われていたファドがこの曲だったという設定。
実はタイトルに「私は嬉しい」まで入れようか迷ったのですが、夕さんがコメントに書いてくださったように、うれしいと言いながらもファドですから、なんかすごい力任せに悲哀があるんですよ(しくしく、じゃなくて、ど~んと悲しい?)。だから、あいまいに放っておきました。
前回はジャズの名曲だったので、今回はファド。

 実は前回(What a Wonderful World)は作中にはタイトルの音楽も何も出てこないのですが、物語全体のイメージでつけました。
今回のタイトルは、主人公(かな)がこのPの街に対して思っているイメージ、正確には、彼が自分が街や街の人、特に父親からそう思われているであろうと感じている→まさに、表面上は喜ばれているけれど、本当はそうでもないかもしれない、そして自分もここには留まらない、という印象をタイトルにしてみました。

 ところで。
実は、誰とか何とか具体的には書かないので、時間軸がとち狂っていますが、気にしないでください。何しろ、以前、詩織が23(かもしれない)に靴を作ってもらっていたような気がしたり、トト(サルヴァトーレ)がクリスティーナやアントニアにご迷惑をかけていたりしましたが、あれはあれでscriviamo!あるあるで許してください。
本来の時間軸では、今回の話が正解。慎一は詩織のひいおじいちゃんですからね。と言っても、この家系、reproductionのタイミングが早いので、詩織が生まれた時、慎一はまだ70くらいなんですよね(なっていないかも)。
それはともかく、夕さんにいただいた年表によると『黄金の枷』が2011年~2012年あたり。このお話は現在、ロックダウンされていない2020年ごろということで(何なら2019年でもあり)、慎一と新キャラが出会った8年前というのが、2010年のショパンコンクールの後くらいですね(何しろオリンピックよりレアなコンクール)。23が抜け出していたころに合っているはず、かな。ちょっと1年くらいずれがあるかもしれませんが、そこはscriviamo!あるあるで、お許しください。
ここに出てくるホールの完成が2005年というので、まぁ、なかなか良い時間軸でしょうか。

 とはいえ、話の中身はそれほど裏設定を気にしなくても大丈夫なはず、です。
慎一のタイミング的には、一度ピアノから逃げてプラハの小劇場でオペラやオペラもどきを手掛けていた2年間、決意を新たに?ピアノに戻ってきたのが2011~2012年くらいなので2020年と言えば8年ほど経っているところです。
8年前のその時、と言えば、実はこの前作【What a Wonderful World】のタイミング。そう、あのバルセロナでジャズ夫婦と出会って頑固調律師ヨナスに再会した後、「諸事情で」Pの街に寄ったのですね。
ポイントは、相変わらずの、この人の「人たらし」のあざとさですよ
音楽以外のことでは、小学生か! みたいな頼りなさですから。

 今年はベートーヴェン生誕250年だったけれど、ベートーヴェンは12月生まれらしいので、来年も250歳! 来年も生誕250年だよ~
ベートーヴェン弾きという設定の慎一が来年も頑張ってくれるよう、私も頑張ります。
というわけで、このお話を持って年末年始のご挨拶に変えさせていただきます
♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
来年もよろしくお願いします。



【ピアニスト慎一シリーズ】Voltaste~あなたが帰ってきてくれて~


 ルシオ・オリベイラは、カーザ・ダ・ムジカのコンサートホールSala Suggiaのステージの上から客席を見ていた。ステージから見るホール背面は一面ガラス張りで、自然の恩恵で余すことなくホール全体を包み込んでいる。
 今はただ二人の観客をのぞいて、残り1236席は無人だ。

 二人の観客は光を背にして客席の後方に座っているので、表情はよく見えないが、年老いた男は、多分いつものようにきわめて無愛想な顔をしているに違いない。もう一人の若いほうの男は、いつも派手な服装でいかにも軽薄そうに見えるのだが、気難しい老人相手でも何ひとつ気遣いもせずに懐に入り込んでいく性質らしく、意外にも気に入られて、今回も大事な仕事に同行している。

 ステージ上には向かい合った2台ピアノ。今日は明日のリサイタルのために響きを確認することになっていた。もっとも、観客が入れば響きはすっかり変わってしまうだろうし、天気だって分からない。だが、あの無愛想な男と派手男に任せておけば、何も問題は無い。
 明日はきっと特別な日になるだろう。

 Pの街の中心近くにあり、きわめて近代的な外観でランドマーク的役割を果たしているこの建造物は、伝統的なヨーロッパのコンサートホールとはまるきり顔つきが違っている。外観はどこから見ても非対称で、入り口の階段などはまるで宇宙船に乗るタラップのようだ。音響はよく計算尽くされているが、伝統と格式を重んじるクラシックの演奏家たちの受けはあまりよくないのかも知れない。

 このホールが建造中だったころ、ルシオは母と一緒に留学先のパリに居た。実際にはパリで暮らしたのは2年あまりで、教師を替える度にワルシャワ、モスクワ、ベルリン、ウィーンと住む街を替えた。
 母はこの街があまり好きではなかったのかも知れない。息子の教育に一生懸命なふりをしたのは、この街と、金は出してくれるがあまり家族には興味の無い父から逃れたかったからなのだろう。

 それでも、生まれ育ったこの街で、リサイタルを開くことが出来るようになったことは、誇らしい気持ちだった。決して順風満帆な音楽人生ではなかったし、実際、この年齢になってようやく少しは名前を知ってもらえるようになったばかりだった。
 でも、「先生」に出逢わなければ、今の自分はなかっただろう。

 「先生」はまた道に迷っていないだろうか。約束の時間にはまだ半時間ほどあるが、それでもいささか心配だ。昨日、ボアヴィスタ通りの楽器店で別れるときに、やっぱり迎えに行くからホテルで待っていて欲しいと言えばよかったかもしれない。でも、「先生」は街を歩きたいからゆっくり行くよ、と言った。
 あの人の頭の中は大概、音符や楽譜で埋め尽くされているので、万が一、強盗に襲われても気がつかないで歩き続けているような気がする。そう思ってルシオはふっと笑った。

 ボアヴィスタ通りの楽器店は、ルシオが、母方の従兄弟たちと一緒に初めてピアノを習い始めた場所だ。数年もすると、家の方に先生が来てくれるようになったので、その後は楽譜を探しに来るときと、ピアノの整備の相談、そして特別な週末以外には来ることはなくなった。
 店の1階は楽譜や書籍、2階は楽器が置かれ、3階から上には練習室がいくつか入っている。2階の一角には開放的な小さなサロンがあって、週末に、そのサロンではきわめて小さなリサイタルや公開レッスンが行われていた。幼いルシオにとって、その場所は世界への小さな窓で、まさかその窓から出て行く日があろうとは、あの時は思いもしなかった。

 その楽器店のサロンでの特別な週末を、今度は自分が先生と一緒に、子供たち、もちろん大人たちにも、提供できる立場になったということは誇らしい気持ちだった。もっとも、相変わらず父親はルシオの音楽には何ら興味を示してくれないし、息子がこの街のコンサートホールでリサイタルを開くことができるようになったことにも関心を示している様子はなかった。
 母が生きていたら、きっと喜んでくれただろうに。あるいは、まだ母の望んだ理想像には届いていないのかもしれないが。

 そう言えば、あの従兄弟たちともすっかり疎遠になっている。
 ルシオの母が亡くなってから会う機会が無かったからなのか、いやその前からあまり交流がなかったのか、それすらよく思いだせない。そもそも一般的に、従兄弟というのはその程度の関係だからかも知れない。

 ここ数年は、毎年、リサイタルと公開レッスンのためにこの街に帰ってきているが、父とは相変わらずあまり会話の弾まない再会をするだけで、あの従兄弟たちのことが話題に上ることも無い。弟のジャコモは一度パリに訪ねてきたことがあるが、その後、アメリカに留学して、何か事業を始めたと聞いていた。兄のダリオのことは、もう顔もぼんやりとしか思い出せない。

 それなのに、今、彼らのことを思い出しているのは、昨日、その楽器店である曲を演奏しているときに、不意にサロンの中に懐かしい顔を見たような気がしたからだ。いや、それは何年も前の記憶で、昨日のことではなかったのかもしれない。ルシオが演奏を終えた時には、サロンの中にはもうその気配もなかった。サロンは解放されていて出入りも自由だったので、もしかして本当に誰かがそこにいて、ルシオが演奏している間に出て行ったのかもしれない。

 それは、記憶の霧の中から予測せず具体的な形が表れたような感じだった。暗い影を背負ったような表情と、手首の腕輪に青い石。霧の中に、その部分だけが妙な存在感を持って現れる。
 もっとも、今思い返してみても、あれが現実にあったことの記憶なのかどうか、確信が持てない。

「先生、思ったより早かったですね」
「ルシオ、君はきっと僕を信用していないんだろうね。ヨナス、いつもありがとう。ダニエル、今回も頼みます」
 先生は、客席に座っている調律師の師弟に声をかけて、ステージに上がってきた。

 日本人である先生の背丈は、ルシオや調律師のふたりに比べても一回り小さいが、ピアニストは体力勝負だからかどうか、他に適切なスポーツがないからなのか、驚くような距離を毎日のように走っているというので、その機敏さは、9歳年下のルシオにも真似ができない。アジア人は若く見えるからというのもあるが、時には、ルシオのほうが年上にみられることもある。何より、もうすぐ成人するという娘がいるようには到底見えない。

「仰るとおりです。先生はこの街で常に迷子になっていませんか? こんなに小さな街なのに」
「迷子になっているんじゃないよ。街を楽しんでいるんだ。それから、何回も言うけれど、先生はやめてくれないか」
 そう言いながらも、先生の気持ちはもうとっくにピアノの方に向かっている。すぐに奥の方のピアノに座って音を確認し始めた。指ならしのようにスケールを全調弾いて、それから手前のピアノの響きも確認する。
「じゃあ始めよう」

 ルシオは慌てて手前のピアノの前に座った。大屋根を外してあるので向かい合ったお互いの顔はよく見える。先生は安心させるようにルシオの顔を一度見て頷いた。ルシオも頷き返す。
 ラフマニノフのピアノ協奏曲2番、第1楽章。

 街の管弦楽団と共演してもよかったのだが、ルシオはどうしても先生のセコンドピアノと一緒に弾きたかった。先生が自分でアレンジしたオーケストラパートは、細かな音を驚くほど完璧に拾っていて、本当にオケをバックにしている気分にさせてくれた。弾いていて本当に気持ちがいいのだ。これを、ぜひともこの街の人々に聴いてほしかった。
 それに何よりも、先生とデュオリサイタルという夢がようやく叶ったのだ。

 先生が定期的に1年に1度デュオリサイタルをしているテオドール・ニーチェが、学生時代の話をしてくれたことがある。先生の最も得意だった課目は、ピアノ曲をオーケストレーションに変えたり、その逆をしたりというアレンジだったというのだ。作曲科の教授が何度も、本格的に作曲をするべきだと彼を誘っていたとも聞いている。

 そのテオドールと先生との2台ピアノでは、二人が目を合わせているのを見たことがない。その事を先生に聞いたら、意外そうな顔をした。考えたこともなかったけれど、息づかいだけでもう相手が分かるのだという。
「ピアノが教えてくれる、というのかな」
 そこまでの関係になれることはないだろうが、楽器店のサロンで聞いた音に魂を惹きつけられたあの日、弟子にしてほしいと話しかけたものの、あっさりと断られ、それでも諦めきれずにウィーンまで押しかけていってから8年、少しずつルシオも、そして先生も、変わっていっているような気がしていた。

 第1楽章を終えると、2台のピアノのバランスに何か気になるところがあったのか、先生は弾くのをやめて、ヨナスとダニエルの座る席のそばに行き、二言三言、言葉を交わしてから、少し離れた場所に座った。
「ショパンがいいかな。ノクターンop.48-1を。二台とも弾いてくれないか」

 Lento。歩くよりもゆっくりと、しかし、魂は常に前に向かうように。
 先生の言葉を思い出し、強くもなく、弱くもなく、最初の左手のCのオクターヴに腕の重みを落とす。
 弾き始めて、突然合点がいった。

 人間の記憶中枢と最も強く結びついているのは匂いだというが、どうやら音楽家には別の記憶の引き金があるらしい。
 あの日、先生はこの曲を弾いていた。そして、ルシオは突然沼に引きずり込まれたような気持ちになった。
 実際、先生はまだあの時、深く濁った沼の中であえいでいたのだと思う。ここにいる調律師のヨナス・シュナイダーが、先生の妹に頼まれてスペインとポルトガルの旅に同行していたのだが、その時、何か頼まれごとがあってこのPの街に寄ったのだという。

 もしもあの日、先生がこの街に立ち寄らなかったら、いや、先生があのままピアノに戻らずにプラハのオペラ劇場で音楽監督を続けていたら、そして、またもしもあの日、ルシオが完敗だったショパン・コンクールの痛手で故郷の街に帰っていなかったら、先生とこうして出会うこともなかったのだ。
 深い悲しみを映したようなこの曲の底に潜む熱情。静かな夜の闇の中、閉ざされた部屋の中に大きく揺らめく炎。
 そして、この曲を弾いていた先生を、別の場所からルシオと同じようにじっと見つめていた瞳。あの瞳の持つ言いようのない暗さは、遠い日に見た従兄の瞳と同じだったのだ。


 テーブルの上ではガラスに閉じ込められた小さな炎が揺れている。その炎が、マデイラワインの中にさざめく波を震わせている。
 店の隅にある小さなステージの上では、ポルトガルギター奏者がかき鳴らす弦に吸い付くような声で女性が歌っている。若くない容姿には見合わないほどの腹に響いてくる歌声。
 ファドを歌うにはただ良い声の持ち主というだけではだめだ。ファドの名前の通り、宿命を背負い、宿命を受け入れ、そして一つの人生を生ききる決意がなければならない。

「待たせたね」
 ピアノの確認を済ませた後、先生はヨナスと一緒に協奏曲のオーケストラパートを録音するために教会に行ってしまったので、ルシオは明日のリサイタルの練習をするためにホールに残った。
 ピアノの確認と練習の後は、毎年、簡単な夕食を兼ねてこの店で少し飲むのだが、今年は、ヨナスは教会での仕事を終えた後は人混みが疲れるといってホテルに帰り、ダニエルはこの街に来てから知り合った女の子とデートというので別行動になった。

「迷子にはなっていないよ。さすがにこの店は覚えたからね」
 先生はルシオに先を続けさせまいとして言い切った。ルシオはそこにこだわっているんだなとおかしくなった。この人はいつまでたっても、ピアノと音楽以外のことでは、全く子供のようなのだ。
「今日はベートーヴェンですか」
「うん、協奏曲の4番をね。今回の教会はなかなかいいようだ。ヨナスが気に入って、もう1曲録ろうと言って、結局、ヴァイオリン協奏曲もね」
 先生とヨナスは、どこかのレコード会社に頼まれているとかで、演奏の録音に適した教会を探して、毎年この街に来る時も時間を作っては録音に行っている。なぜ協奏曲のオーケストレーションのピアノアレンジが多いのかは不明だけれど、先方からの依頼だという。音が多いほうが判断のためにいいのかもしれない。

「op.48-1」
「え?」
 別のことを考えていたので、突然数字を並べられて、ルシオはとっさに反応できなかった。
「今日はずいぶん感傷的だったね」
 感情は音に現れる。それを読み取ることのできる耳の中でも、特別なものを持った人に聞かれたのでは仕方がない。

「先生に初めて会った時のことを思い出したんです」
「あのね、ルシオ」
「はいはい、先生と呼ぶな、でしょう。でもね、無理ですよ。僕は先生の一番弟子であることを誇りに思っているんですから。あの時、先生に出会わなかったら、と思ったら、今でもぞっとすることがあるんです」
「それは買い被りだよ。でも、ありがとう、ルシオ」
 先生はルシオに頭を下げた。
「何ですか、急に」
「君が、その、弟子にしてくれないのであれば、家政夫でいいと言ってウィーンに来てくれて、それから、君と一緒に僕もいろんなことを学んだと思う。もちろん、先生といわれるような大そうなことは何ひとつできていないと思うけれど」

 こういう時に思うのだ。モデルとしてもプロデューサーとしても一流のところに上り詰めている先生の実妹のアイカワユイが、まさに全身全霊をかけて兄をサポートしている、その気持ちが分かる。先生の音楽に惚れ込んでいるからでもあるだろうけれど、何よりもこの人、放っておけないのだ。自称弟子の立場で言うことではないかもしれないが。

「そうですね。レッスンに行っても、先生は何も言わないで自分が弾き続けていたり、逆に僕がずっと弾き続けていたり、ってこともありましたね」
「出会ったとき、君はすでにもう立派なピアニストだったんだ。僕に何を教えることができたと思う?」
「その立派なピアニストである先生だって、今でも、師と仰ぐ先生方の薫陶を受けに行っておられますよね」
「僕はどこまで行っても不完全で未熟なんだ。どこに行きつくべきか迷い続けている」
「だから僕もついて行けるんです」

 先生は不意に黙り込んだ。それから、テーブルの上に乗せられた小さなランプをしばらく見つめ、注文したヴィーニョ・ヴェルデとトリパスに取り掛かった。
 ファドのステージは終わっていて、店の中には食器の音、人々の囁き声と大きな声の混成、椅子やテーブルが何かにあたるような音が無遠慮に交じり合っていた。雑然としているが力強い音たち。計算されつくしたホールで、微妙な音の変化や違いにこだわる一方で、こんなにも身近にある人生の音は豊かだ。

「初めて会ったとき、先生は、頼まれてあのサロンで子供たちにレッスンをされていた。先生はなんだか困ったふうでしたね」
「オペラの仕事を断って退路を断ったつもりだったんだ。でも、何をすればいいのかわからなかった。スペイン旅行のついでに、ユイがどこかから頼まれて、あのサロンで子供たちにレッスンしてやってくれと。でも、子供と言っても、立派なリトルピアニストたちだ。僕に特別な指導ができるわけがなくてね」
「でも、その合間に弾いておられたあの曲に、僕はどこかに引きずり込まれたような気がしたんですよ」
 先生はヴィーニョ・ヴェルデを一口飲んで、申し訳なさそうに言った。
「あまりよくない場所に、だね」

「そうかもしれません。果てのない孤独な戦いの中に。でも、その日まで僕がいた場所は、ずっと同じところをぐるぐる回っているだけだった。同じ戦いでも、僕には先生が常にどこかへ向かって出口を探しているように思えたんです。あんなに苦しくて、そして美しい演奏を聴いたのは初めてだった。あの時」
 ルシオはランプに閉じ込められた炎を見つめた。先生も同じ炎を見ていた。

 始まりのLento、低音が切なく悲しいメロディを支え、徐々に昂る悲哀。そこにふと降り注ぐ神の光のようなPoco piu lento。C-durの和音の暖かみが1音で全ての苦しみを溶かしてゆく。だが、抑えきれない感情がオクターブの連打で高まり、Lentoと同じ主題が、時に嵐のように、時に慰めのように繰り返されるDoppio movimento。ぎりぎりまで追い込まれた想いは、悲しみなのか苦しみなのか、あるいはもっと別の感情なのか、ただどこにも行きつかないまま大きな波のうねりの中に揺られ叩かれ、やがて突然すべてを受け入れたかのように覚悟がつき、次の扉のための階段をゆっくりと上ってゆく。
 そして、何もかもが過ぎ去った後に響く静かな鐘の音。

 演奏が終わったとき、生きるとは、こういうことかと、突然了解し、その諦念に安堵したような気がした。
「僕と同じように、先生を見ていた青年がいたんです。いや、いたような気がしただけかもしれない。それが、僕の古い記憶の中にある霧の中にいる少年と重なって、なんだかはっきりないので気持ち悪いんですけれど、子供心にそこには触れちゃいけないような気がしていて、あえて目を背けてしまっていた。この街のどこか身近なところに、異次元のような閉鎖空間があって、その中でこんなふうにどこへも行けないまま、閉じ込められた炎が揺れているんです。でも、これは単に、僕の心象風景なのかもしれないですね。ずっと母の期待に応えようとピアノを弾いてきて、この窮屈な街から抜け出して世界に出て行ったのに、コンクールでの失敗で先生たちや母を失望させて、また窮屈な檻の中に閉じ込められたような気持になって、何かを表現しようとするとさらに苦しくなっていた」

 ルシオの網膜の片隅に、金の腕輪が残っていた。あれはやはり従兄だったのだろうか。いや、ただ疎遠になって彼の現在を知らないだけで、記憶を神秘的なものに取り換えているだけではないか。幼少期の記憶というのはたいていそういうものだ。明日のリサイタルを無事に終えたら、父に会って聞いてみたら、あぁ、彼は今、学校の先生をしているよ、とか、役所で働いているよ、とか、他愛のない返事が返ってくるかもしれない。

 でも、あのサロンに通っていた時、教えてくれていた先生は、僕よりも、従兄弟のうちの弟のジャコモよりも、従兄のダリオに特別な才能を感じていたのだ。本当は、あの先生はダリオを教えたかったのではないかという思いが、小さなとげのように刺さっている。そして。何かに躓くたびに、ピアノを続けているのはどうして彼ではなかったのか、と誰かが耳元でささやいていたような気がする。この街から出てピアノを学ぶことができたのが、どうして彼ではなかったのか。結果はともかくもショパンコンクールへの切符を手に入れたのが、どうして彼ではなかったのか。

 時々、不意に湧き出してくる黒い塊のようなもの。
 けれど、人の記憶というのは、後からいろんなことで塗り替えられて、それが本当のことかどうか分からなくなるものだ。
 僕に従兄がいただろうか。ダリオなどという従兄はいなくて、従兄弟はジャコモ一人ではなかったか。あるいは、誰かほかの友達のことと勘違いしているのかもしれない。
 それとも、もしかすると、僕は、自分の影のようなものを見ていただけではないのか。この街に残って、生涯ここで暮らしていたかもしれないもう一人の自分。うまくいかなかったことへの言い訳のために準備されている心の影。

 もちろん、8年前のあの時、先生のノクターンを聴いていた青年は、「ダリオ」ではなかった。記憶の中にあるその人と、髪の色も瞳の色も違っていた。ダリオよりもたぶん背は低かったし、少し背中が曲がっていたように思う。
 あの時、一瞬、ルシオは彼と目が合ったが、不自然ではない程度の間合いを置いて、視線は外された。だが、彼が自分と同じように、先生の演奏に何か腹の底のほうにあるものを突き動かされていると、ルシオはそう感じていたのだ。

「僕はね、この世界に戻ってきて最初のリサイタルを終えた時に、すぐにまた、逃げ出したくなった。やっぱりここはとてつもなく孤独な場所だと。聴きに来てくれた人たちにあんなに暖かく迎え入れられても、ステージでピアノを弾く僕はどこまでも孤独で苦しい。君の言う通り、こんなふうにガラスに閉じ込められた炎みたいにね。ステージが終わった後、舞台袖に引き返しながら、叫びだしそうになっていた。客席にたくさんの懐かしい顔があって、あんなにも幸福だったのに、その一瞬先には闇に放り込まれてしまう。あれから8年経った今もずっと、それは変わらない」
 先生の表情が時々、悪魔に憑りつかれたような影を見せる。演奏の途中でもそんな瞬間がある。鬼気迫る何かが、先生の内側にあるのだ。それを感じる時、恐ろしいと思いながら魅せられる。同じ景色を見たいと願ってしまう。

 だが、先生は、小さく息をついて、幼子のように無垢で、いつか見た観音像のように柔和な表情を浮かべた。
「でも、こんなに小さく苦しい場所に閉じ込められていても、時に炎は大きく揺らめいて、真っ暗な闇の中を歩く人に勇気を与えることもあるし、どれほど儚い光になっても、不安で彷徨っている誰かの道しるべになることもあるかもしれない。時には、その人の凍える手をほんの少しだけ温めて、傍にそっと寄り添うこともできるかもしれない。僕の恩師が卒業の時に言ってくれたことをいつも思うよ。『君は今日まで、君自身と、君の身近にいた大切な人のために弾いてきた。これからは、未だ会ったことのない人のために、その未来の友の想いに寄り添うために弾きなさい』と。その言葉の通り、君という友に出会えたのかもしれないね」

 先生。
 ルシオは言葉に出さないまま、呼びかけた。
 あの幼い日の少年が幻であっても、8年前にあの楽器店で見かけた青年が記憶の混乱であっても、それらがもしかして自分自身の影であっても、自分は弾き続けなければならないなのだ。先生が、何か重いものを抱えながらも、ずっとそうしてきたように。
 それでも、こうしてこの人に出会えた僕は幸運だった。
「明日はきっと素晴らしい日になるだろうね」
 ガラスの中の小さな炎が揺らめき、ヴィーニョ・ヴェルデの中の小さな泡を、真珠の玉のように光らせいていた。
 ルシオはあの青年が、今この時、幸せであってくれたらいいのに願っていた。

(2020/12/31)書き下ろし

ノクターン13エキエル
私が今使っているのはパデレフスキ版なのですが勢いでエキエル版も買ってしまったのでした。

 あ、そうそう、もうひとつ。
がんこじじい調律師・ヨナスと一緒にいる軽薄調律師。どこかで見た覚えありませんか?
そう、ヴィルんちのベーゼンドルファーを調律することになった、チャラ男2号です。使わせていただきました。
(確か、名前なかったよね)

ほんの少し補筆しました。分かりにくいところがあるなぁと。でも分かりやすくなったわけではない(2020/12/31/11:00)
ルシオが幸福でいてくれたらと願った相手は、従兄のダリオなのか、23かも知れない青年なのか、それとも彼自身なのか、って、ちょっと感慨深く思いました(自分で書いておいて、ちょっと深いかも、なんて、しょ~もな~)。
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Category: ♪慎一・短編

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【雑記・音楽】今日はお誕生日(たぶん)~てことは、今日から1年間、生誕250年でいいやん~ 

ベートーヴェン
12月16日
今日(ぎりぎり間に合った!)ほど第九を聴きたい日はありませんね。だって、お誕生日(かもしれない)んですから。
まぁ、250年前のことですから、はっきりとした日付が分からなくても仕方ありませんね。

てことは、今日から来年の12月までベートーヴェン生誕250年記念でいいんじゃないの? 
今年はコロナのバカのせいで演奏会がつぶれまくったので、春になったら、冬になる前にだだだ~っと演奏会してくれないかなぁ。この際、ゲネプロも公開して、密を避ける方向で。私は喜んで本番じゃなくてゲネプロに行くよ!

先週末、やっと『ららら♪クラシック』のベートーヴェンベスト10を観ました(NHKのクラシック番組ね)。
ベートーヴェン絡みの録画、たまりまくっています。見なくちゃ。

交響曲部門
部門別になっていなかったのですが、勝手に部門別に。
 1位はもう予想通りですよね。
一度だけ合唱に参加したことがあります。仕事で数年間、埼玉にいたとき、市の新体育館完成記念に第九を歌う会が結成されて、偉いさんに誘われて参加したのでした。なんか楽しかったなぁ。本番、第4楽章始まるまでずっと待ってるのが長かったけれど(さらに4楽章に入ってからもかなり長い)、テンションが上がっていくのを感じながらの、素敵な待ち時間でした。
ラストはもう、自然に涙が出ちゃいますよね。

 今年まさに聴けなくなった曲、早くナマで聴きたいと強く願います。
「あれがないと年末が…」って、ほんとに、いつの間に年末の風物詩になったんでしょう。しかも日本だけという不思議。
赤穂浪士と第九がないと年が越せないわ~って。

 あれだけ曲を作り続けて、最後に「チガウチガウ、僕が書きたいのはこんな音楽じゃないんだ」とか言って、交響曲に大合唱を盛り込むなんて。当時、他に誰が、交響曲に、楽器じゃなくて人間の声の大合唱をつぎ込もうなんて思いついたでしょう。
ベートーヴェンはやっぱりロックンロールですね。マーラーが気に入ってまねしちゃったり。

 5位と6位が順番通り、『運命』と『田園』。
この2曲は、学校の音楽の授業の鉄板ですよね。でも、思い返してみたら、『田園』はテーマが明確なのでほぼ全部、授業で聴いた記憶がありますが、『運命』って最初しかやらなかったような。でも実はこの曲は、後ろに向かってどんどん盛り上がっていくんですよね。気持ちが。何かを乗り越えていく。

 すべての曲で実験的に色んなことを盛り込んでいって、1曲1曲が既成概念の破壊・挑戦だったベートーヴェンの交響曲。
お気に入りはあるけれど、先日、9曲改めて続けて聴きまくったら、あ~なんか、言葉には出来ないけれど何かが分かった気がしました。すとんと腑に落ちたというのか。
結構1番が改めておもしろいと思ったり。第3楽章の頭と第4楽章の頭が、3番(『英雄』)の第3楽章と第4楽章に似ていて(あるあるかもだけど)、あちこちに色んな萌芽がある。
ひとつの曲を作るときに、その時の自分の全部をつぎ込んだけど、まだ何かあふれ出てくるものがあったんだろうなぁと思います。で、次へ次へと繋がっていく感じ。小説もそんなふうだったいいのに。

 ちなみに1番。スケルツォを初めて盛り込んだり(メヌエットと書いてあるけれどスケルツォな第3楽章)、ハ長調のくせにC7から始まるし、若いベートーヴェンの勢いも感じられて、聴いていてとても元気が出ます。
そして私は、昔から4番が結構好きなんです。シューマンが「北欧の2人の巨人(『英雄』と『運命』)に挟まれた清楚可憐なギリシャの乙女」と比喩したこの曲。確かに、3番を聴いてテンション上げまくった後に聴いたら、ほんとに、安らぐわ~。

 第5番(『運命』)でベートーヴェンが試みたこと。それは、あのたった4音(2音ともいう)で曲を作るという挑戦。「運命が扉を叩く音」と言ったとか言わなかったとか、だけど、これ、曲中に何百回も出てくる。つまり、これで音楽を構成しようという、思えばすごい試みですよね。「レコード壊れたん?」みたいな繰り返し。
これでいつも思い出すのは、『未知との遭遇』の交信メロディの5つの音。あれ、宇宙船が応えているうちに、ぐちゃぐちゃ~っと繰り返すところがあるけれど、なんか音楽になってるようななってないないような、なのに、なんか感動しちゃうんですよね。
それから、この曲はなんと言っても、冒頭の「全楽器休止符はじまり」ですよね。そう、「じゃじゃじゃじゃ~ん」じゃなくて「(ん)じゃじゃじゃじゃ~ん」なのだ。う~ん、すごい。

 さて、番組中に解説者さんが「『英雄』の9位が納得できない」って仰っていましたが、 私も同感(o^^o)
ベートーヴェン自身も9番を作る前だったかに、自分の交響曲で一番好きなのは3番、と言っていたのですよね。
あの時代、この長さの交響曲は初めて(で、世間に受け入れてもらえなかった)、こんな大編成のオケを使うようになったのもベートーヴェンが初めてで、管楽器の本数を増やして(今とおなじ2管ずつ編成。さらに、オーケストラで使わなかったような楽器まで引っ張り出してきちゃった)吹奏楽団と揶揄されてもひるまず、あげくに第3楽章のあのホルン。あのホルンにやられちゃうんですよね。逆に、あのホルンがマズかったら「あ~」ってなるくらい重大なところ。ホルンの方、ほんと、お疲れ様です。そして、第4楽章にはどこか民族の音楽を感じさせるフレーズもあり(すでに7番の先取り?)。
でも、何より第2楽章のあの宇宙的美しさ。あれはね、宇宙の果てを見たことのある人しか作れない音楽と思うのです。
難聴の苦しみの中で作られているからか、すごいエネルギーの塊に聞こえる。
そして私は多分、この曲が好きすぎて、口(くち)三味線でオケに参加できる♪(/・ω・)/ ♪
さらに、好きすぎて、ジョルジョ(竹流)と慎一の親子葛藤物語のタイトルに引っ張ってきちゃった。

さて、あるあるで第2位の『ベト7』。これはもう、のだめパワーのすごさを感じますね。
実はこれ、かれこれ30年以上前(浪人時代)の私のテーマ曲。まさにあの時代、曲に恋をした、その相手だったのです。
嵌まりました。なんかもう、好きすぎて。とくに第4楽章の裏拍ね。舞踏の神格化ね。うんうん。

betobennsonata.jpg
ピアノ曲部門
意外だったのは『テンペスト』の第10位(私の最高位ピアノ曲『熱情』の第11位を押しのけたのね)。
あら、そう来たか、でしたが、嬉しい予想外のひとつでした。

あ、ピアノ曲最高位は第3位の『悲愴』でした。
去年からずっとベートーヴェンイヤーに間に合うようにと練習していた『悲愴』。
えっと、間に合ってません(@_@) 第2楽章・第3楽章は何とか(暗譜も出来ているんだよ、これが)、そしてただいま、第1楽章をだらだら練習していますが、改めてこの曲は3楽章とも素晴らしい。
全部の楽章に特徴的な色彩があって、場面を描きながら弾いていて、そのうち感情だけになってどんどん入り込んでいく曲。本当にドラマです。
(あ、ベートーヴェンが250歳の間に弾いたらいいんだ。あと1年ある!)

ピアニストの反田恭平さん、「ハンマークラヴィーアが20位にも入っていないのが納得いかない」って。
分かる~。29番ってピアノソナタ32曲の中のひとつの頂点ですよね。23番もだけど(あれは突出した作品と思っています)。
でも、31、32番が20位までに入っていたのは良かったな。30番も混ぜて欲しかったけれど。30-32番は3曲でひとつの曲ですものね。この3曲でもうピアノソナタは作るのをやめちゃったというのか、もう、行き着くところへ行き着いた感じ。そして、30番はまだ現世にいるけれど、32番に至ってはもう天国にいる。32番は私の中ではダンテの『神曲』なんです。第1楽章は地獄編、第2楽章は天国編。

『月光』をマイベストに選んだ人の言葉。
「同じ曲を聴いていて、その時の自分の状態によって全然違うように聞える、音楽の二面性・多面性でもあるけれど、同時にそれは自分自身に二面性があるから。この第1楽章は、自分のその時の状況によって、聞こえ方が違っていて、寄り添ってくれる音楽という気がする」と(言葉は正確ではありません)。
上手いこと仰るなぁ。まさにその通り。聴く人によって違う、んじゃなくて、自分自身でも違っている。その時々の感情に自然に寄り添う音楽、その多面性が音楽を始めとする藝術の素晴らしいところなのでしょう。

私は、すべてのピアノ曲の中でも『熱情』が好きで、この「自分の何かもをぶちまけた」感情の強さ・激しさにものすごく惹かれています。11位でした。自分では一生弾けないけど、ものすごく憧れる。
そして、10位以内に入っていた他の曲は、『エリーゼのために』。あぁ、これは納得です。この間、久しぶりに弾いてみました。久しぶりって40年ぶり以上ですけど^^; で、撃沈しました。もっと弾けるかと思っていたら、実はかなり難しい。改めて先生にいつかちゃんとレッスンしてもらおう。大人なエリーゼのために、ね。
あとは協奏曲では『皇帝』ですね。はい、何を隠そう、慎一のデビューはこれでした。ほとんどスケールのような曲なのに、なんだかすさまじくドラマティック。個人的には協奏曲は4番が好きです。

ところで、自分のベストベートーヴェン 
って選べる? 
無理だなぁ。無理よね。うん。無理よ。

Category: 音楽

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【雑記・小説】今日はお誕生日~追記①②~ 

間に合った!
でも記事は明日書きます。なぜなら、お誕生日プレゼントが明日届くから
え? 誰の?
忘れていませんよ。自分の誕生日は忘れても。

真、お誕生日おめでとう!

生きていたら68歳かぁ。感慨深い。

 にゃ~(ぼくも~
 なんで?
 あのね。いっしょのおたんじょうびでいいって言ってくれた!
 そう言えばそんな会話があったような?
(ドブで拾われたマコトはお誕生日が分からないので、真が一緒にしようかって、言ってくれたんだよね)

(ほんとは違うけど)マコトもお誕生日ということで、おめでとう!
  ちなみに明日(もうすぐだけど)は、ミッキーマウスのお誕生日だね!
 ネズミーランド、ぼくもいく~

お出かけ準備のためにネズミの耳カチューシャを探しに行ったこねこは放っておいて。
さて、明日届くのは……お楽しみに(*^_^*)


オオサンショウウオ箱詰め


じゃ~ん!
オオサンショウウオ2
横にマッチ棒を置こうかと思いましたが、でかすぎて分からないので、グランドピアノの上に乗せてみました。
グランドピアノの存在感も半端ないけれど、それに負けないくらいの存在感(^^)
しかも、このオオサンショウオ(あ、オオサンショウウオなのですよ)のマフラー、この子専用? 期間限定品なんです。
交流のある、京都のお寺・志明院の住職さん(というのかしら)が、鴨川源流あたりのオオサンショウウオの保護活動などもなさっていましたが、京都には実は! 京都水族館にむっちゃオオサンショウウオがいらっしゃるのですね。
保護活動の助けになればと購入いたしました!
ちなみに、上にちょこんと乗っているのは、ポーチとマグネット(^^) このポーチサイズのが、何だか妙にリアルな雰囲気で。
オオサンショウウオアップ
写真、縮小しようと思ったけれど、存在感を示すためにこのままにします(^^)
正面、なんか、かわいい。
でも、無駄にでかい。でかすぎて、なんだか笑えるのでした。
しかも、飼育スタッフさんからの申し送りメモが。
「週に2回、肉の切り身をあげています」
分かりました~(^∇^)ノ

え? 真へのプレゼントじゃなかったのかって?
そうそう、人の誕生日にかこつけて、自分が無駄な買い物をする(*^_^*)
これで癒やされたら、いいかな~って。
まぁ、竹流がこういうの買ってきてプレゼントするとか、ぜったいありそうだから怖い……あの人、ちょっと常識的ではないからなぁ。あ、マコトは喜ぶかな? う~ん、動かないから面白くないかも。でも、上に乗っかるにはいいかもね。

ところで、11月17日って、シャア・アズナブルの誕生日らしい~
あ~、ひねくれ方がそっくりだよなぁと納得。

では、次は、ちゃんとお話を。

Category: 小説・バトン

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NEWS 2020-11月 近況~病気自慢・京都の秋の旅・大野智作品展~ 

すっかり記事を書く能力が冷え切っている大海です。済みません
やる気だけはあるんですが、職場が遠くなって、通勤時間がこれまでの5分から40~60分になるだけで(往復だからこの倍ね)、こんなに大変だとは。週末ごとの実家との往復もあって、車を買い替えた3月から7か月あまりで、もう走行距離は11000kmになってしまいました

近況と言えば、久しぶりの記事アップにもかかわらず、こんな話題で済みませんなのですが、やっぱりある程度の年齢になると、病気自慢になっちゃいますよね。幸い私は生命に関わる大きな病気には至っていませんが、でも、体調管理はしっかりしなくちゃと思うこの頃です。

まずはこの咳。昨年11月3日から(季節外れの黄砂が飛んできた日)咳が始まり、はじめ、まさかの百日咳?と思ったのですが、100日経ってもおさまらず、その後現在に至るまでずっと咳が続いています。CTとか確認しましたが、どうやら咳喘息のよう。
当初は夜も咳が止まらなくて、眠れなかったりもしたのですが、少しは改善しているのかな。でも、朝方と夕方の帰宅時間あたりには咳き込んでおります。吸入と漢方含む内服薬は手放せません
このご時世、咳をしていると、周囲の視線が痛くて……
11月3日で1周年。嵐の日(今年は自宅でオンラインライブ。このためにPCからテレビ画面に繋ぐケーブルを買いました。もっともうちのテレビ、あんまり大きくはないんだけど)だから、一生忘れないな。咳が始まった日

そして、ここのところ、顎関節症で苦しんでいます。
噂には聞いていたけれど、これか!って感じ。
口が大きく開けられません。ご飯食べていると,耳の横でこりこり音がして、激しく気持ち悪いです。何もしなければ痛みはそれほどでもありませんが……歯科か整体に行くべきか。う~ん。痛みはだいぶましになったけれど、癖になるとか。歯を食いしばっていることが多いからとか。
職場でその話をしていたら「あ、僕もです。歯科でマウスピース作りましたけど、あんなのして寝られません」「あ、私も」なんて声が。結構罹患率高いのですね。

あとは、持病というのかどうかは分かりませんが、眩暈持ちです。
初発時は1週間、全く歩くことも出来ず、その後数ヶ月は杖・支えとか壁伝いとかでないと歩けない状態でした。もともと一過性脳虚血だったかも。今も時々、良性発作性頭位眩暈を起こしますが、これは自己解決できるようになりました。おそろし~く気持ち悪いですけれど。

 逆流性食道炎もあります。これも初発時、1週間、激烈な胸痛と喉を絞められるような感じが続き、起き上がることも出来ませんでした。最初、心筋梗塞かと疑われました。まぁ、年齢的にはそっちでもおかしくないんだけれど。
今は薬は頓服だけになりましたが、時々唐突に胸部絞扼感に襲われます。運転中だと結構怖いので、水は手放せません。そう、胃酸を食道から胃に押し戻すという物理的な方法が意外に効果的なんです。

火星と月のランデブー
十三夜に月を見るのを外しちゃったのですが、多分十四夜?の月。
ただいま月と火星が大接近していますよね。私のしょうもないカメラでも写せました。って、レンズにくっついたゴミじゃないよ!

渋皮煮3
今年も渋皮煮を作りました。いつも1.5kgくらいは作るんですが、今年は力尽きていて1kg弱。渋皮を傷つけないように鬼皮剥くのが大変。栗は「兵庫県産」の銀寄。いつもは丹波栗なんですが、たまたま銀寄を発見して。といっても、本場能勢のじゃなくて兵庫県産 ことしは栗が小さいのか? いつも丹波のでっかい栗でしているからか、とにかく皮むき・筋取りに手間取って、例のごとく徹夜作業でした
作る度に、砂糖の分量が減っていく。レシピを見るとすごい量なの。
「でも、こんなに入れたら身体に悪い」と感じる年齢になりましたね。

秋の京都旅
戒光寺S
(写真は戒光寺HPからお借りしました)
こちらは京都の泉涌寺の塔頭のひとつである戒光寺。京都の秋の特別公開に行ってきました。最近、父がデイサービスに行っている金曜日に、母の介護疲れ癒やしのために私も年休を取って気分転換に連れ出しています。
こちらは寄せ木造りの立像では世界一と言われている丈六釈迦如来像。運慶・湛慶の親子の作だそう。仏様だけで5.4m、台座から光背全部入れたら10mあります。とにかく大きい。しかも、すごい美しい。お召し物の文様・色も大変美しく残っていて、ずっと見ていても飽きません。さらに光背を見上げると、包み込まれるように感じる。
その後、同じ泉涌寺の塔頭である悲田院に行って、こちらでも特別公開の宝冠阿弥陀如来座像(ただし、現在宝冠は失われている)を拝ませて頂きました。10年ぶりのお目見えだとか。
悲田院
悲田院というのは、聖徳太子が孤児や身寄りのない老人を収容する施設を造ったのが起源とされていますが、場所を移しながら今の場所に残ったということのよう。あ、この写真は、表に出ていた看板の写真(^^) こちらの座像は小さめなのに遠くにいらっしゃって、お顔があまりよく見えなかったのがちょっと残念。
祇園にしかわ八寸
そのあと、祇園にしかわさんでランチ。
いつか和久傳さん(実は『清明の雪』で真と竹流が食事をしたところ)でランチしたいと思うけれど、そのたびに値段を見てひるむので、もう少し手の届くところ、と探して行きます。
こちらの秋らしい八寸。銀杏はおいも。その横はナッツの入った栗。
gionnnisikawa.jpg
そして稲穂を揚げたもの。向きを変えたら、ふくら雀のくちばしにお米が。雀がお米をついばんでいるという。京都らしい演出ですね。
高台寺方丈の庭
高台寺の方丈の御庭には、龍が踊っていました。夜はライトアップされるそう。
その後、国立博物館に行って『皇室の名宝展』を見ました。伊藤若冲が4点(時期を替えてまた5点出されると)。楽しみにしていたのですけれど、最近年取ったのか、この端から端まで極彩色で気を抜くところがない絵に疲れてしまう私がおりました。水墨画に癒やされる……

今年は、秋の特別公開は2回目
三門公開と聞くと行きたくなるので、9月に早々に一度行ったのです。
三門と言えば、涅槃 に入る門。空・無相・無作の三解脱門ですが、3つの通り道(門)のどれがどれに相当するか、って考える時点で既に解脱できていない表れらしい
高所恐怖症なので本当は登りたくないけど、三門の上の極楽浄土はやっぱり美しくて。今年は東福寺さんと知恩院さんに行きました。年々この階段(というのか梯子?)を登るのが、大変やなぁと感じるようになってきておりますが、78歳の母は、ひざ痛い~とか言いながら元気に登っております。

FREESTYLE.jpg
実はこっそり? 大野智作品展『FREESTYLE2020』に行って参りました。
ひとことだけ。確かにあなたは、アイドルしてる場合じゃないわ。もう十分頑張ったからね、好きなだけ好きなことして、この才能を活かしてくれ~
メイキング?というのか、嬉しそうに作品を描いているあなたの横顔の写真見て、しみじみ感じたのでした。
智のカレーパン
辛い物好きの彼のカレーパンまで登場。美味しく頂きました。

ひとまず、近況報告おしまいです。
ただいま『勝手にコラボ』シリーズ、執筆中。近日公開

Category: NEWS

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【雑記・徒然】切り取ったことば(言霊)たち~命を想う~ 

折々のことば
お盆・75年目の終戦記念日なので、それらしいことを書こうかとも思ったのですが、ぼんやりしていたら過ぎてしまったので、関係あるような無いようなことを。

朝日新聞の「折々のことば」を、気に入ったときに切り抜いておいてあります。
スクラップとか面倒くさいし、それが丁度、4つ入りの高級チョコの箱にぴったりなので、そこにストックしてあります。
順番とか考えずに入れてあるのですが、一応いつのものかは記事中に日付が書いてあるので分かります。一番古そうな日付は2015年になっているから、かれこれ5年くらいで2箱がいっぱいくらい。多いのか少ないのか、でも、その時々に気になる言葉がやっぱりあるのだなぁと思います。しみじみ見返すことは少ないけれど。
もうすぐ3箱目が要りそうだから、チョコレート買いに行かなくちゃ……((^∀^*))(ん?)

と言うわけで、最近、気になって切り抜いた言葉たちをご紹介。
あ、その前に、最近、ようやく読もうと思った葉室麟さん、そのガイド的な本からの言葉を。

「昔と現代を比較すると、多分、命の重さに違いがあるのでしょう。現代は人ひとりの命が重いという感覚がありますけれど、昔は、比べると今より軽いものだったように思います。死に対してもう少し馴染みがあったり、親しみがあったり、自分たちの生の延長上にあると思っていたのではないでしょうか。人は、それなりに働いて、最後に成仏していきます。つまり、ある種の役割を果たして、何者かになっていく過程の果てが”死”だったと僕は思います。
現代は”死”というものが疎外されて、自分たちから遠ざけられようとしています。若いということに価値を置いて、年を取るに従って価値はなくなり、その行く末である”死”は、無価値だという考え方をする人が増えているように思います。しかし、死ぬということは、生きていたという証。だから、自分自身が『ちゃんと生きてきた』といえるのであれば、『死もまた良し』です。私くらいの年齢になると、ふっとそう思うことがあります。『もう、このまま何もしないでいいのだ、すべての義務からも解放されるのだ』と考えるわけです。」


その葉室さんは66歳という若さで亡くなられたのですが、50を過ぎたら、こういうこと、言葉じゃなくても体感するんですよね。
命は重いけれど、ある程度の歳になると、そうでもないんじゃないかと思い始める。軽い、と言ったら、言葉尻を捉えてあれこれ言う人がいるから、言いにくいけれど、実感としてそうなのです。でも、ここで葉室さんが「軽い」という言葉にこめて仰っているのは(そして、私が言いたいのは)、命が大事じゃないってことじゃないのです。
ごく自然、生物学的に、生と死とはそういうものだという妙な達観がどこかに生まれてくる。

 もちろん、親しい人の病気や死は悲しいし辛いし怖い。でも、それは生命あるものとして生まれてきたからには、当たり前にあることだと思える。中には、理不尽な死もあるから、それについてはいつも納得できなくてウダウダ思うけれど、それは家族や社会という集団の中で生きているなら当たり前の気持ちですよね。
ゾウが死んでしまった仲間の死を悼むような行動を取るのは以前から知られていたけれど、最近、ゾウだけではなく、肉食動物も他の草食動物にも同じような行動が観察され始めているから(じっくり死を悼むには彼らの環境は過酷すぎる。人間がそんなシーンになかなか出逢えないだけなのでしょうね)、これは生命あるもの共通の感覚なんですね。

 話は逸れたけれど、つまり、悲しいけれど、避けられないものとは知っているのが「死」。どこかで途切れるのは「自然(じねん)の理」だと分かっている。自分については、どうなるのかなぁというのはあるし、死に方はあれこれ(痛いのはイヤだなぁとか)思うけれど、死後のことは「まぁ、いいか」って。きっと、多くの人はそうなんでしょう。怖いのは「死」ではなくて「死ぬ過程」についての不安なのではないかと思うのです。
そういうことを考え始めると、こうして「切り抜いておいておく言葉」にもそういう系統のものが増え始めたりする。

折々の言葉2

死の意識とは、死の日づけを本質的に知らないままに、死を絶えず繰り延べる意識である。
(エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』から)
言葉に添えられた文章→「犬が逝った。彼女はやがて身に起こる事態がどういうものか知らないまま、従順に死の訪れに呑み込まれたように見えた。人は死を、いつか身に降りかかるものとして意識する。そういう形で、不在の未来を存在の内に組み入れ、死をまだないものして「遅らせる」ことで、時間という次元を開くのだと、20世紀のフランスの哲学者は言う。」

ある患者さんの家族の言葉。
「いつか来ると分かっていたけれど、そういう日(いつか来ると思い続ける日)がずっと続くのだと思っていた。それが今日だとは」
こどもの頃から病気があり、何回も手術を受け、そのたびに「こんなリスクがあって死ぬこともある」なんて話を聞かされていたら(でも医療者側からすると、話しておかないと後から「聞いてなかった」ということになるわけで、言わざるを得ないのが現代)、いつも死はそのドアの向こうに「在る」と感じる。手術室に入るたびにその「境」を越えるような気持ちになる。
それは、観念の中の「あちら側」ではなくて、地続きの「あちら側」なのですね。

そういえば、飛鳥でもエジプトでも、自分たちが住んでいる場所の続きに「この境界のむこうはあの世」という場所があった。エジプトではナイルの対岸、飛鳥ではある石のオブジェが区切る向こう。
それほどに、「いつか来る日」「あちら側」はごく身近にあったのです。今は、無理矢理遠ざけられて見えないようにされていることが多すぎないかと、そう思って逆に不安になったりします。

緩和医療というのが、もてはやされているけれど、そしてその結論のひとつは「死を意識することは、今生きている意味を問い直すこと」ということになるのだけれど、脳梗塞で自由が利かない超後期高齢者の父、その父を家で介護している母を見ていると、この時間・空間の続きに「あちら側」があるのだと、自然に納得は出来る。
でも、現実にその日が来たら言うのでしょうけれど。
「それが今日とは思わなかった」

ところで、この添え文の中の「彼女はやがて身に起こる事態がどういうものか知らないまま、従順に死の訪れに呑み込まれたように見えた。」というところ。
この感覚は、ものすごく理解できる気がする。これ、以前にも書いたように、『戦争と平和』のアンドレイ公爵の死のシーンが、高校生の私が死に対して抱いていた疑問に答えの一部をくれた、という内容にほぼ合致している気がします。『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの死のシーンも同じようなイメージだった。
自分自身はその「身に起こる事態」を体験していないので、もしかすると完全な理解とは言えないかも知れないけれど、「逆の体験」はあるのです。それもものすごく明確に覚えている。
「逆の体験」の感覚が今も残っているから、反対にこちら側からあちら側に行くときには、その逆の現象が起こるのだろうと思っているのです。


自分の皮膚の壁を感じた-私は私なのだ、と。あの石ころは石ころなのだ、と。
(シルヴィア・プラス「オーシャン1212-W」から)
言葉に添えられた文章→「母と自然。その『心優しい宇宙の中心』であった少女はある日、”第三者”になる。弟の誕生。それが私と世界の一体感を裂いて、私を『除け者』に、『悲しい海胆(ウニ)』にしたと、米国の詩人は回想する。人は世界が自分とは別のものとしてあるという事実に傷つくことから、その生を始める。」

実は私は、全然傷ついてはいなかったので(弟が生まれても、そんなふうには思わなかったので)、それは悲しいとか傷つくとかいう体験ではなかったのですが、「その日」のことは、明瞭に覚えているのです。
当時、私は幼稚園くらいだったのか、祖父母や両親・弟・叔母たちと一緒に暮らしていた「母屋」と、そこから歩いて10分ほどの(子どもにはもっとかかる)の場所にある両親の「仕事場」(温室、当時7つくらいあったかなぁ)とを往復して生活していました。弟は「跡取り息子」なので、ずっと母屋で暮らしていましたけれど(拗ねてはいない(*^_^*) それはそれで面白かったから。父に雪兎を作ってもらって、ウサギさん寒いからと言って、温室に入れちゃったりね。「ウサギさん、いなくなった~(つД`)ノ」って。そりゃそうだ)。

夜は温室の管理があるので、両親と一緒に仕事場に戻って、事務所兼小屋のような建物に寝ていたのです(ちなみに、トイレは家の外の、くら~いこわ~い林の脇にあって、とてもひとりでは行けない。もちろんくみ取り(*^_^*) あ、母屋もくみ取り+五右衛門風呂でしたけどね~)。
ある日の夜、父は出かけていて、母とふたり「小屋」にいたのですが、母が何かを取りに母屋に行かなければならなくなりました。「一緒に行こう」と言われたのですが、何かに夢中になっていた私はひとりで待っておくことにしたのです。
ところが、母が出かけてから、突然不安になったのですね。何しろ、当時は周辺はほぼ田畑で、夜ともなると、暗くて人気もない場所。雉も歩いていたようなところです。
母を追いかけようと小屋を出て、心細い街灯しかない闇の中、毎日幼稚園に行くにも、お菓子を買いに行くにも、母屋に行くにも通る、登り慣れた坂道を上がっているとき、急に、世界が「私から離れた」のです。

その時のことは今でも鮮明に覚えていて(同時期の記憶など他にはほとんどないのに)、これを言葉で言い表わすのはすごく難しいのですが、まさに「皮膚感覚」だったかも。
この世界にある全てのもの、周囲の人々、それだけではなく、母屋の暗い廊下を曲がった先にある「何か」とか、屋根裏に積まれた藁の影にいる「何か」とか、トイレの隅っこに積まれたちり紙(たまに新聞紙^^;)の影にいる「なにか」とか、そういうものでさえ、私とつながった一部だったのに、いえ、私がその大きな世界の中に取り込まれている一部だったのに、急にそこから放り出されて、それらと自分は別物だという感覚になった。自分の皮膚で、世界とは「境」されていると理解したのですね。
こういうのは、よく、母親の子宮から出てへその緒を切られたときのこととしてたとえられますが、その追体験みたいなものだったのでしょうか。

その坂は、今でもしばしば登りますが、あの時と同じような坂に見えることはありません。子どもの目線からの坂は、巨大なものでしたが、大人になってみたら、視点が変わってしまったからかも知れません。
そういえば、この坂はその後、夢の中にも何回も出てくるのですけれど、夢が記憶の整理なのだとしたら、やはり、あの場所に私にとっての「境」があったのかも。その時が、自分自身の「誕生」の時だったのでしょうか。
そして、ふと思うのです。「死」は、今度は自分の外の世界、町や建物や植物たち、そういうものだけではなく、目に見えない「陰に居る何か」も含めて、この世界の全ての構成要素と、こんどは境がなくなっていってつながっていく、もう一度切り離される前のところへ戻っていく、取り込まれていくことなのかもしれないと。
そうであれば、葉室さんの仰るとおり、「死もまた、良し」といえるのかもしれないな、と少し思ったりするのでした。


もうひとつ、この時期にはいつも境の向こうへ行ってしまった人たちを思うと同時に、血縁があろうがなかろうが、この今へ「何か」を繋いでくれた人たちを思います。
私が初めて「ひめゆりの塔」を訪れたとき、そこに語りべの方がおられて、当時のお話をしてくださいました。
その時、私が真っ先に思ったこと。
「生きていてくださってありがとう」
これは頭を使って言葉になったのではなく、どこから湧き出すように感じた想いなのでした。

君という美しい命は、未曾有の戦災をかろうじてくぐり抜けた人、その人を守り支えた誰かの先に、偶然のように灯された一閃の光だ
(「暮しの手帖」編集長・澤田康彦)
言葉に添えられた文章→「暮しの手帖社が一昨年(2018年)、戦争体験の手記を募り、編んだ『戦中・戦後の暮らしの記録』の序文から。戦死者や被災面積の『数』ではなく、出征した肉親への祈り、教師の鉄拳の硬さ、機銃掃射の恐怖、戦争孤児の思い。それらを生き抜いた人がいるから今を生きる人もある。この本には戦争体験者の『遺言状にさえ似た』言葉が連なる。」


長くなってきたので、最後に、私がすごく気に入っている言葉をひとつ。
2017年11月27日の折々のことばから。

「君ハドコノネコデスカ」
「カドノ湯屋の玉デス、ドウゾ、ヨロシク」

(大佛次郎、随筆集『猫のいる日々』から)
言葉に添えられた文章→「猫を人の家に放り込んで去る輩がいる。可哀想と引き取ってとうとう14匹に。それに匿名のお願いの手紙が付いていたりすると、その偽善に腹が立つ。よく庭に遊びに来る小猫にある日、『君ハドコノ……』と荷札に書いて付けたら、次に遊びに来た時、荷札にきちんと返事が書いてあった。『この世に生きる人間の作法、かくありたい』と作家は記す。」

時々、訪問するお気に入りの猫ブログさんがあるのですが、その動画がすごくいいんです。
何が良いって、飼い主家族さんたちの声が入っているのですけれど「わ~、なにそれ~、もう、ほんと可愛い~」って(*^_^*) 5匹くらい飼っておられるのかな。もう全然ふてぶてしいくらい大きくなった猫さんたちもいますが、いちいち、家族みんなが猫の行動に大はしゃぎされているのです。

猫は何にも囚われずにそこにいて、好きなことをして、好きなところへ行くのだけれど、リアルには出会わない人同士が共有する感情の橋渡しをする。その時、この飼い主さんが、猫さんをどれくらい大事に思っているか、それが伝わってくることが嬉しいのです。
荷札の返事からは、この子がそちらにお邪魔しているようですがかわいがってやってね、という飼い主さんの愛情の片鱗が感じられます。「作法」とは、思いやりであって、想像力なのでしょうね。乱暴なことばや、想いのないことばは、顔が見えないだけに、慎まなければならない、そう思うのでした。


 「切り取った言葉たち」シリーズ。またいつか。

Category: あれこれ

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