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こちらは、掲載している小説などのあらすじ・紹介リストです。
掌編から長編まで取り揃えています。
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【ピアニスト慎一シリーズ】光ある方へ(scriviamo! 2023参加作品)

【八少女夕さんのscriviamo!】に今年も参加させていただくことにしました。
といいながら、もうすっかり締め切り破りになってしまっております。
夕さん、ごめんなさい。
皆様の参加作品もみんな読ませて頂いて(聴かせて頂いて)おります。が、コメントが追いつかず……(;_;)
また必ずコメントに伺います。
みなさんいずれも力作で、毎年本当にこの時期は楽しいですね!
これも夕さんのおかげとしか言い様がありません。改めてありがとうございます。
少しだけ近況。
年始から、家に1日いたのはわずかに1日のみで、ほとんど出かけていたこの数ヶ月。ちょっと時間ができた!と思ったら、用事を突っ込む癖がついてしまいました。もっとも、このシーズン、学会や研究の締め切りや書類仕事が重なって、いつもバタバタするのですが、それに加えてなんと言っても私の時間を大いに食ったのは、永明さんと桜浜・桃浜の中国行き!
我慢できずにコロナで遠ざかっていた和歌山にも、母と一緒に行ってきました。
でも、中国では竹の種類が豊富で、1年のうち8ヶ月もタケノコが採れるんだとか。グルメな永明さん、いっぱい食べて、世界一の長寿パンダになって欲しい! 桃浜は母と私がシニア向けプライベートバックヤードツアーで初めてお世話になったパンダさん。マイペースな桜浜と一緒に、永明パパのような優しいお婿さんに巡り会って欲しい。
でも、そうすると、2年後には(あるいはもっと早く?)母と私イチオシの結ちゃん(結浜)も行っちゃうのか~
もう、成都まで会いに行っちゃう? いや、私、黄砂で喘息悪化するからだめかも……




パンダショックもさることながら、楽しみにしていたパーク内のレストランのレタスまるごとサラダ(レタスを丸々1個、ぱかーんって割って、トッピングしただけのサラダ。一瞬全部食べられるの?と思うけれど、異様に旨い

この先、感染症事件はどう転がるのか分かりませんが、せっせと結ちゃん、彩ちゃん、楓ちゃん、そして良ママに会いに行くことにしましょう!(って、そんなことしてるから、家にいない……)
その他。


さて、こちらの「短編のつもりで書き始めたらまた長くなっちゃった作品」。
大海、またかよ!って思われていると思いますが、宣言通り、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をネタにしました。途中から、私には相変わらずさっぱり分からないけれどちょっと気になる、しかし楽曲がとってもしつこい(失礼)ブラームスが割り込んできましたが……
そうそう、4月に、私にブラームス4連発が耐えられるか!にチャレンジする予定です(ブラームスの交響曲4つをぶっ続けで聴く演奏会)。それに耐えることができたら、一度ブルックナーも試してみたいと思っております(多分挫折する)。
やっぱり全曲ぶっ続けで聴いて耐えられるシンフォニーは、ベートーヴェンとマーラーだけだな~たぶん。
ラフマの3番は、私がコンチェルトという分野では最も好きな2曲の1曲(もう1曲はドヴォジャークのチェロ協奏曲ロ短調)。
第2位は挙げられないくらい沢山あるのだけれど、1位はもうこの2曲でヘビーローテーションしております。
解説ははしょります。でもこの曲、生で聴かないとあの迫り来る物が分かりづらいかも。2番のように整っていないといいますか、もうドロドロの感情の渦、ちゃんとした言葉で言うと、叙情的? もっと勢いがある感じですが、これを聴くといつも思い出すのがタルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』(タルコフスキーの作品はすべて敬愛しているけれど、中でも最も好きかも)の鐘のエピソード。
権力者からの鐘を作るように(つまり権力の象徴として)命じられた鋳物師の息子。父親が亡くなってしまっているし、彼は父親から手ほどきも受けていない。でも命令を聞かなかったら殺されてしまう。作った鐘が上手く鳴らなかっても結局殺されてしまう。「作れる!」と言ってやけくそで鐘を作ったら、見事に鳴ってしまうんですね。地面に倒れ込む鋳物師の息子にとって、これは喜びの鐘の音なのか、権力に屈服する悔しい鐘の音なのか……その姿を見つめていたイコン画家のアンドレイは、色々あってイコンを描くことに疑問を抱いていたのだけれど、鋳物師の息子を助け起こして「おまえは鐘を作れ。私はイコンを描こう」……この映画、ずっとモノクロなんですが、物語が終わってエピローグで舐めるようにイコンを映し出すシーンだけカラーなんです。もう、これ書いているだけで、鳥肌が立つような映画。
ラフマの3番、もうぐっちゃぐちゃのいろんな感情で気持ちが高ぶって、どうしよう~と思ったら、ピアノが鐘を打つんですね。
その瞬間、なんだろう、すべてが許されたというのか、報われたというのか、そんな気持ちになって、最後の2分、絶対泣くんです。
ラフマニノフ、恐るべし。
もう一つ思い出すのが、やはり映画で『ドクトル・ジバゴ』。
詳細はウィキっていただくと良いかと思いますが、この映画のすごいところは(もしくは小説)、戦争・ロシア革命を背景にあんなことやらこんなことやら、もう収拾がつかないくらいいろんなことがあって、見ているうちに、どうするんだ、この話、どこまで行くんだ、というのか、どうやって話を収拾させるんだ?って、心配になるくらいに壮大に展開するんだけれど、最後、たった一言でまとめちゃうんですよね。やられた、と思いました。
そのひとこと。「それじゃあ、血かな」(脈絡がないと何のことかわかりませんね)
ラフマの3番、最後の最後の部分にオーケストラのワンフレーズが、そこまでのごっちゃごちゃを全部浄化して、一気に大海原に出たような雄大で爽快な瞬間があるのです(ありますよね?)。多分わずか2小節足らず(スコア見てないからわかんないけれど)。
やっぱり、ラフマニノフ、恐るべし。
本当はオーケストラの名前も、コンクールの名前も何もかも伏せるつもりだったけれど、最後に書いちゃった。
まだまだ修行が足りません。
書き始めるのにも時間がかかり(真っ白なWordの画面が怖い)、書きながらもまとまらなさすぎてうだうだ。
相変わらずな大海なのでした。
締め切り破りなので、勢いでアップしちゃいますが、ちょこちょこ直すかも……
あ。繰り返しますが、無駄に長いです……(;_;)
そして。あんまりよく分からずに書いている部分が多いので、細かいことはスルーしてくださいませ!
ついでに。このシリーズのことを何も分からなくても、老人回顧録ということで読めちゃうと思いますので、振り返りは不要です。
【ピアニスト慎一シリーズ】光ある方へ
(scriviamo! 2023参加作品)
太陽は、今まさに沈もうとしていた。
この光景を見るのは何十年ぶりだろうか。
あの日、いったい自分と祖父はどこにいたのだったか。少年の頃、旅好きの祖父とは多くの場所を訪れたので、いろいろな場所の記憶が混線している。祖父の住むスコットランドの島だったのか、あるいはもっと暖かい南の海だったのか。
そして今、ヴォイチェフ・シェーファーは一人のこどもと一緒に同じ景色を見ている。
彼らが立っている場所からは、広い海しか見えない。それも海なのかどうかも分からないほど凪いでいて、波風ひとつ感じられないほどに光に満ちて澄んでいる。
ところで、この傍らのこどもは孫のエリアスだろうか、いや、フィンのほうか。こどもは一心に水平線を見つめているので、ヴォイチェフからはその顔は見えなかった。ただ、丸い頬が、沈みゆく夕日で赤く染まっているのが愛らしい。
いや、孫たちはもうすっかり大きくなって、ヴォイチェフの住む小さな町を訪ねてくることもなくなったし、一緒に旅をした記憶もない。もしかすると、親類の誰かではなく、町に住むこどもの誰かかもしれない。
「空の高いところにある時は赤くないのに、夕日はどうして赤く見えるの」
こどもの声は自分の耳の中で聞こえたようだった。
あぁそうか。これは夢かもしれない。その昔、祖父はこどもだったヴォイチェフに、お前には少し難しい話かもしれないよと言いながら説明をしてくれた。
朝や夕方、大気に斜めに入ってきた太陽の光は、短い波長から散乱されてしまい、波長の長い赤の光だけが地表に届く。波長の短い緑色がなくなってしまっているわけではないけれど、赤色の方が強いから、夕日や朝日は赤く見えるんだよ。
子供のころは、昇る太陽と沈む太陽が、同じ科学現象で赤く見えるということに疑問も興味も持たなかったし、大人になり、輝かしい人生の時を戦い抜いている時には、そもそも太陽をそのように感傷的に見つめる余裕もなかった。
その時、傍らのこどもがヴォイチェフの手を強く握りしめて叫んだ。
「あ! 緑!」
ヴォイチェフも思わず、こどもの手を強く握り返した。
そう、今、一瞬、遠く彼方の水平線で、緑色が輝いたのだ。
グリーンフラッシュだ。
緑の閃光という極めてまれな現象を目にしたのは、あのこどもの頃、一度きりだった。今また、その光を見ることができるとは。
その光を見ると、幸福になるという言い伝えがある。いや、ジュール・ヴェルヌの小説の中では、この光を見ることができたら、自分と他人の心の中が見える、という。
もちろん、これはただの科学現象なのだ。太陽が昇るとき、あるいは沈むとき、太陽の赤色の部分が地平線、水平線、あるいは雲で隠され、最頂部の緑色の光のみが見えることがある。ただし、いくつかの偶然が重なった時にのみ、きわめて澄んだ空気の中でだけ、太陽は揺らいで、輝いて見えるのだ。
だが、そのただの科学現象に重なるように、ヴォイチェフの耳には彼が最も愛した、ラフマニノフの協奏曲のフィナーレの壮大なワンフレーズが聞こえてきた。
それはまさに、緑の光が見せたヴォイチェフの心の中の景色だったのかもしれない。
いや、これはもしかして空耳なのか、あるいは近頃煩っていた耳鳴りのせいだったのか、それとも、いざその時が来たら、この曲を聴きたいと強く願っていたからなのか。
ヴォイチェフの脳裏を走馬燈のようにいくつもの景色が駆け巡り、やがて、ばらばらの記憶のかけらがつなぎ合わされた。
大切な何かを思い出したような気がして、ふと少年を見やると、彼もまたヴォイチェフを見上げていた。
ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第3番。
そうか、これは彼だったのか。だが、こんなに幼い少年だったはずはない。

ヴォイチェフ・シェーファーは、世界最高峰と言われるドイツのオーケストラのステージマネージャーを二十年以上にわたり勤めた。
一人一人がソリスト級の実力を持つこのオーケストラでは、指揮者を含む全てのメンバーが同等の権利と義務を持ち、まさしく世界最高の音楽を築き上げるために、ひとつの船を動かしているのだった。
他のオーケストラであれば、すべての団員が我こそはと前に出るような演奏をすれば、あっという間に音楽が崩れてしまうだろうが、このオーケストラに限ってはそれがない。すべての団員の持つ音が全く違う音色であるにもかかわらず、空間を色とりどりの音で隙間無く埋め尽くして、それぞれの色が混じることなく独立して存在しながらも、全体として調和して、説得力を持って聴衆の耳に届くのだった。
ここでは、芸術監督やコンサートマスター、新たな団員を選ぶときも、団員の公平な選挙によって決められる。もっとも、新しい団員になるためのオーディションに合格しても、二年の試用期間の後にリストに名前を載せることなく去って行くものが少なくないのは、世界でもこのオーケストラぐらいだろう。だからこそ、専属ステージマネージャーにも、いや、まさにステージマネージャーにこそ、超一流が求められた。
ヴォイチェフにも当然「青二才」の時があり、その時、ちょっとした失敗で仕事を失っていた可能性はあったのだ。だが、幸いにもヴォイチェフの努力と天性としか言いようのないマネージングの才能が団員たちの認めるところとなるまでに、それほどの時間はかからなかった。
それから二十年あまりも、ヴォイチェフは世界最高峰のオーケストラの比類なきステージマネージャーとして、団員だけではなく、外部の音楽家やスタッフからも頼りにされるようになった自分自身と、この困難な裏方仕事に誇りを抱いて生きてきた。
演奏家たちが最高のパフォーマンスをするために必要な準備、当日の全てのスタッフの仕事を繋ぎあわせて、その日の公演を最高のものにする、そのありとあらゆる采配が、ステージマネージャーの仕事だった。
公演が始まると、団員たち、続いてコンサートマスターをステージに送り出す。オーケストラのチューニングが終わり、客席が期待と興奮を胸に静まりかえるのを見計らい、さらに指揮者の表情を伺いながら、今このときしかないというタイミングで重いステージドアを開ける。
そのドアの重みは、十年経っても二十年経っても、この仕事への誇りと責任感をヴォイチェフの手から体全体に知らしめるのだった。
演奏の間には、閉められた扉の向こうの音楽に神経を尖らせる。常に不測の事態に備えていつでも動き出せるように構え、一方でどんな些細な雑用でも進んで行いながら、演奏が終われば、指揮者が、あるいはソリストがステージの中央から戻ってくるタイミングを、小さな穴から覗いて、早すぎず遅すぎずのタイミングで再び重い扉を開ける。
海外遠征ともなるとさらに大変だった。コンサートのプログラムが決まれば、演奏する曲ごとに楽器編成を確認し、大切な楽器の運搬も自分たちの手で行う。行き先のホールの広さや設備の確認には、時には現地まで赴くこともある。ホール担当者との打ち合わせ、搬入スケジュールの確認、調律依頼、設備の確認、ひとつの間違いがあってもならなかった。
ヴォイチェフはこの仕事にすべてのエネルギーを注ぎ込み、裏方ではあったが、日々世界の頂点に立つものたちにしか与えられない栄誉の高みから絶景を見ていた。休みの日にも、ヨーロッパ中の、時には海を渡って、コンサートホールを巡り、ステージ構成、客席のどこにどのような音が届いているのかを勉強し、一流の団員たちに何を聞かれてもすべてに応えることができるだけの知識と経験を身につけてきた。
だが、当然のことではあるが、その傍らで犠牲にしたものも少なくはなかった。

ヴォイチェフのキャリアの中には、多くの巨匠たちとの出会いもあったが、一方でまだ経験の浅い若い音楽家との出会いもあった。
このオーケストラが選んだソリストや客演指揮者であるから、多くはその後も大きな舞台で活躍をするようになり(そうでなくては困るのだ)、そうした若者たちの行く末を知ることは、ひとつの楽しみでもあった。ほんのわずかの時間であるが、それぞれに人生の中の最も輝かしい時間を共有したという思いが、胸のどこかに残っている。
その中に、忘れられない青年がいた。
ちょうど、オーケストラは新進気鋭の新しい芸術監督を迎えて、これまでとは違ったレパートリーを開拓し、新しい時代に向けて舵を切り、その波に悠然と乗り始めたところだった。そんな折に、もっとも忙しいシーズン、クリスマス前の定期演奏会で演奏されるピアノ協奏曲のソリストが、公演の3日前に脳出血で倒れたのだった。
演奏会を中止することはできない。しかし、このシーズンに時間を持て余している、このオーケストラのソリストに相応しいピアニストなどそうそういるはずもなかった。
新しい芸術監督は決断を下した。
ちょうど、その年のある国際ピアノコンクールで優勝した若いアジア人のピアニストにその大役を任せたいと言ったのだ。あと3日でラフマニノフの3番を弾きこなせるソリスト、予定されていた大御所の替わりを務めるとなれば幾分か話題性も必要だし、しかも明日のリハーサルにベルリンまで駆けつけることができるとなれば、選択肢はそうそうなかった。
彼はちょうど、そのコンクールのファイナルでチャイコフスキーの1番とラフマニノフの3番を弾いて、優勝を勝ち取ったのだった。しかも、彼はウィーンに住んでいる。もちろん、明日の午後からのリハーサルには十分間に合う距離だ。
しかし、団員たちが簡単にその案を受け入れるわけもなかった。
「ヴォイチェフ」
練習室の隅でことの成り行きを見守っていたヴォイチェフは、突然団員代表のホルン奏者に呼びかけられて顔を上げた。
「君はどう思う?」
何故自分に意見を求められたのか、分かっていた。そして、自分の言葉に、ひとりの若い音楽家の行く末がかかっていることも理解した。
その頃、ヴォイチェフはオーケストラに新しい風を吹き込んでくれるような若い演奏家を見いだすために、団員の供をしてコンクールを聴きに行くことがしばしばあった。ステージマネージャーとしての仕事を超えているような気がしたが、むしろ一般聴衆の耳になって欲しいというというのが理由だった。
そのコンクールでは第1ラウンド、第2ラウンドでそれぞれ1時間のリサイタルプログラムをこなさなければならなかったが、その時、勝敗の行方を決めたのは、むしろ第1ラウンドのバッハ、古典ソナタだったかもしれない。多くのコンテスタントがベートーヴェンのソナタを弾いた。聞いているうちに、むしろモーツァルトやハイドンの方が良かったのではないか、聴いている方の耳がベートーヴェンで疲れてしまうのでは、と思い始めたときに、彼が舞台に現れたのだった。
圧倒的、というのではなかった。だが、ヴォイチェフは思わず肘掛けに体を預けて座り直した。その時同じような動作をしたものがどれほどいたことか。何しろ、舞台に現れた彼は、体格の良いヨーロッパやロシア人の中ではまるでこどもだった。歩く姿はどこか自信なさげで、こちらが心配して見守らなくてはならないような様子だった。
バッハは、どの演奏者も完璧だったと言って良い。いや、そうでなければ、ここで振り落とされるだろう。だが、ヴォイチェフを始め聴衆の気持ちを一気に惹きつけたのは、その次の古典ソナタ、ワルトシュタインだった。
二十歳そこらの青年の演奏する音ではなかった。もうすでに人生のほとんどの時を、苦楽も不運も幸運もなめ尽くした後に、この場に現れ、その上でかつて誰かの人生の輝かしい春の時を思い、今再び新たな命の芽吹き、大地の胎動を呼び起こすような、そんなベートーヴェンだったのだ。
ヴォイチェフが、自分が彼に抱いた興味・関心が、居合わせた聴衆の総意であると確信したのは、ファイナルで彼がラフマニノフを弾き終えた後、三階席の最後列の聴衆までスタンディングオベーションで惜しみない拍手を送っている光景を振り返った時だった。
彼が、コンクール開催期間中にすでに小さなスターになりつつあったために(聴衆はマイナスポイントが覆されると、ことさらに擁護的になるものだ)、その小柄な体格と頼りなさげな表情で、得をしているという点を差し引かねばならないという計算をし始めていたヴォイチェフだったが、そんな否定的な批判をすべて吹き飛ばすようなコンチェルトだった。
いったい、あの小さな体のどこからそのエネルギーが湧き出してきたのか。
だが、ひとりひとりがソリストのように、前列のメンバーに合わせることをしない、最後方列の団員までもが我先にと音楽に食いついてくるこのオーケストラをバックに、彼はこの緊急の大役を果たせるのだろうか。あの頼りなげな表情を思うと、それはいくら何でも無謀だと思う。
ここで失敗すれば、この先の彼のキャリアは大きく後退することだろう。静かに少しずつ階段を上っていけばよかったのに、なんと言うことか、この若者の未来を摘み取ったのはあの世界最高峰と言われるオーケストラなのかと、批評家たちはそう言うに違いない。
だが、彼がここで上手くやりおおせたら……
「現時点で、他に選択肢がないのであれば」
そう言いかけて、ヴォイチェフは声色を変えて、はっきりと言った。
「いや、ハンス、僕は、聴いてみたいと思う」
ステージマネージャーは音楽についてのプロではない。いわばちょっとばかり業界の裏方を知っている素人に過ぎないのだ。だが、プロの中のプロである音楽監督と、一般の音楽ファンの代表であり、誰よりも信頼されているステージマネージャーが推すのであれば試してみよう、ということになった。
その若い音楽家のそれからの活躍、挫折、そして挫折の中からの蘇りを、ヴォイチェフは遠くからずっと見守っていた。そして、あのとき、彼の道を開いたのは自分だったかもしれないという自負心が、第一線から外れてしまってからのヴォイチェフの後半生を支えることにもなったというのは、実に不思議な縁というしかない。

そのピアニストと舞台袖で会ったのはわずかに三度だった。
一度目は、彼があの緊急避難的代役を務めた時。
彼はウィーンでこのとんでもないオファーをどう受け止めたのだろう。すぐにベルリンに来てくれ、リハーサルをして、その翌日はステージに立ってくれ、だなんて、そもそも「喜んで!」というような状況ではなかっただろう。突然のことで、旅の疲れもあったろうし、リハーサルの際には、ピアニストにもオーケストラにも、いくつもの不安が残ったというのは、ヴォイチェフにも見て取れた。
それでも時間は待ってくれなかった。公演当日、オーケストラの音合わせが終わり、静まりかえったホールの気配を感じたヴォイチェフは、いつものように重いステージドアを開けるタイミングを見計らうために、指揮者とそして若いピアニストの顔色をうかがう。
観客が不審に思うほどの時間を開けてもいけない。しかし、若いピアニストの顔色は白く、唇には生気がないように見えて、ヴォイチェフはためらっていた。
ヴォイチェフは、平静を装わなければならなかった。このことには自分にも責任があると思えて、彼自身が初めてステージドアを開ける役割を与えられたときのように、手に汗をかいていた。
「気楽に、とは言わないよ。君の200%でかかってきてくれ。いや、8000%だね。何しろ、このオーケストラには船頭が80人いるんだから」
指揮者の一言が、ヴォイチェフに扉を開けさせた。
それほど多くの船頭が乗っていても船が沈まないのは、世界でもこのオーケストラだけだろう。それは、全ての船頭が、唯一無二の高みの場所を知っていて、そこを目指しているからだ。
1909年、作曲者自身のピアノと、ウォルター・ダムロッシュ指揮ニューヨーク交響楽団との共演によりカーネギー・ホールにて行われた初演、さらに翌年、グスタフ・マーラー指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとの共演により行われた二度目の演奏。今でこそ超絶技巧をものともせずに好むピアニストが少なくないが、当初の評価は複雑だった。何よりも協奏曲にあるまじき45分という長さ、根底に潜むスラブの強烈な民族性とリズム、その間、技術的にも音楽的にも全く気を抜くところのない楽曲は、当のラフマニノフでさえも後にはカット版で弾くようになったという。
第1楽章。オーケストラが短い旋律を奏でた後、すぐにピアノがオクターヴで第1主題を示す。
緊張していると、ヴォイチェフにも分かる滑り出しだった。
だが、その杞憂はごく短い時間のことだった。リハーサルではずっと青い顔をしていた昨日の若いピアニストは、もうそこにはいなかった。たった1日で彼は別人になったようだった。いや、ステージでいざ音楽に入り込むとまるで別人のようになる、そういうことだったのかもしれない。
ヴォイチェフはモニターを確認しながら、客席のあの場所でこれを聴くことができたらどれほど良かったかと思わずにはいられなかった。
なんという色彩に満ちた音楽だろう。ロマンチックな旋律のなかに秘められた情熱が、時折、スパークするように見せるきらめき、その色合いの複雑で、しなやかで、しかも強靱なこと、超絶技巧の速いテンポの中にも奥深いところに情緒があり、管楽器との掛け合いで見せる繊細な音質はこの世のものとは思えなかった。展開部から再現部に移る部分に置かれたカデンツァでは、フレーズが変わるごとに色彩が変わり、表現というのはこれほどに多彩になり得るのかと舌を巻いた。
不安を感じていたヴォイチェフ自身も、もうそこにはいなかった。ただ音楽に魅入られていればよかったのだから。
第2楽章では、オーケストラがまるでロシアの大地で生まれ育った血を持つ演奏者のように雄大な響きを紡ぎ出せば、ピアニストは東洋的で繊細な、それでいて厚みのある表現を重ねていった。後で聞けば、彼は日本で生まれたものの、かの東洋の端っこの国での記憶は全くなく、ロシアとも真逆の南の国で青年期までを過ごしたのだという。もしかすると、この色彩は、その太陽の元から引き出されたものだったのかもしれない。
そして第3楽章フィナーレ。複雑で叙情的な音楽は、さらにエスカレートしていく。分厚い毛布が覆い被さるようにたたみかけてくる容赦のないオーケストラのすべての音に、彼は一歩も譲らず応えていた。すさまじいの一言だった。
チャイコフスキーの音楽には情景が見えるが、ラフマニノフの音楽は情緒、感情の渦だった。この感情の渦は息ができなくなるほどに体にまとわりつき、その密度のために、すでに自分が聞いている側なのか、演じている側なのかの区別がつかなくなっていく、そうして、ついに、ピアノがラフマニノフの鐘を打ち鳴らす。
ヴォイチェフはいつの間にか目頭を熱くしていた。息苦しく凝縮された感情が、オーケストラのワンフレーズで、突然大洋に出て世界を高みから見下ろすように凪いで、物語の終演が告げられた。
ヴォイチェフには、45分、たったの45分だと思えた。これまで幾度も聞いてきた曲が、まるで別の色彩を放ち、新しい景色を見せてくれたのだった。
マーラーの言ったとおりだ。この曲は傑作だ。
音楽が終わった後も、若いピアニストはピアノの前から立ち上がることを忘れたように放心していた。先に立ち上がったのは聴衆たちだった。やがて、指揮者に促されて立ち上がって深く頭を下げる様子も、コンサートマスターと握手をする姿も、滑稽なほどぎこちなくて、興奮した聴衆たちも、これがさっきまでこのオーケストラの重圧をその指先で払いのけていた同じ人物なのかと思わず笑うほどだった。
何度目かのカーテンコールのあと、最後に舞台袖に指揮者と一緒に戻ってきた若いピアニストは、何かを聞いて知っていたのかどうか、出番前に戻ったような青白い顔でヴォイチェフに頭を下げた。ヴォイチェフは、彼に何か話しかけてやれば良かったと、後から何度も思い返した。
二度目はその五年後だった。
その五年は若いピアニストにとって大変な時間だったはずだ。栄光の階段をひたすら上へと昇り続けていたら、突然足下に地面がなくなったようなものだったのだろう。ピアニストとして挫折した彼が、プラハで三流劇場の音楽監督に就任したと聞いた時、ヴォイチェフは失望した。
その頃、ヴォイチェフ自身にもちょっとした問題が起こっていた。ヴォイチェフの妻の乳がんが発覚したのだった。だが、小さな学校の音楽教師をしていた気丈で賢明な妻は、ヴォイチェフの仕事の邪魔になるようなことは望まなかった。ヴォイチェフは妻を家や病院に残して、当たり前のようにこれまで通りの休みのない仕事を続けていた。
もちろん、心の片隅に小さな不安と申し訳なさを抱えながら。
一度だけ、仕事を兼ねて妻とプラハの春を訪れた。もうそのときには、あの若いピアニストは、ピアニストという領域を越えた魅力的な音楽家になっていた。妻は彼が創作したオペラと、つい一昨年までは三流だった歌劇団を、本当に素晴らしいと絶賛した。彼が以前は未来を約束されたピアニストだったのだと言っても、彼女は信じなかった。
「たとえそうだったとしても、あんなに素晴らしい舞台を作り上げるのだから、彼はオペラの世界でやっていくほうが良いに違いないわ。たとえあなたから見れば、取るに足らない小さな劇場であっても」
だが、その翌年、彼はウィーン戻ってきた。驚いたことにプラハの国立劇場からのアシスタントマネージャーのオファーを断って、ピアニストとして再び生きていく道を選んだのだ。
戻ってきたときには、彼のスケジュールは過密で、かといって彼に無理をさせまいとする敏腕マネージャーの手に全てが握られていて、なかなか手出しができないよ、と音楽監督が笑っていたのを思い出す。
「もしかしたら、僕より売れっ子かもしれないよ」
そういう音楽監督も三日に一度は公演があるというハードスケジュールだった。
妻は、自分の命の時がそれほど長くないことを知っていたのだろう。
あるとき、ひとりで旅がしたいと言って出かけていった。ウィーンに立ち寄った時、偶然、彼のリサイタルを聴いたようだった。帰ってきた彼女は、ずいぶんと面やつれしていたが、表情は何かを達観したように晴れやかで、明るい声で言ったのだった。
「まぁ、あなたの仰る通りだったわ。素晴らしいブラームスだった。何度も聴いてきたはずなのに、今日初めて、本当にブラームスが理解できたような気がしたの」
妻の病状にヴォイチェフは注意を払わなかった。ヴォイチェフは相も変わらず、世界最高峰のオーケストラのために心血を注ぎ、隙のない一流の仕事をこなすことで一流の仲間から敬愛され続けることを望んだ。
五年ぶりに彼がベルリンにやって来て、あの時と同じラフマニノフを弾くのを聴いたとき、ヴォイチェフは五年前の彼の演奏は懐かしくもあるが、今の彼はまるで別物だと理解した。
かつての彼には若く勢いがあったが、どこかにまだ納得しきれないような音や思いを抱えていて、音楽はまだまだ荒削りだった。だが、五年の時を経て、そのピアニシズムは、巨大なオーケストラと闘うためにさえも、乱暴な音はひとつさえ必要ないというように洗練され、厚みと複雑さ増していた。
容姿だけをみれば、ピアニストは五年前から変わっていないように見えた。相変わらず少年のように幼く、どこか不安そうな表情はそのままだったが、穏やかで礼儀正しい態度の中には、幸運も不運も受け入れて積み上げてきた自分自身への手応えと最高の音楽を提供できるという確信のようなものが見て取れた。
「今日はアンコールを頼むよ。五年前はそれどころじゃないって顔をしていたけど」
団員たちがステージに出て行くのを見送りながら、音楽監督がピアニストに声をかけた。
時に手厳しいが、若い音楽家たちにも道を切り開き、老舗オーケストラにこれまでと違ったレパートリーを提供してきた音楽監督も、やはり同じ重い五年間を過ごしてきた。このオーケストラの音楽監督は歴史上長期になることがほとんどで、良くも悪くもそのカラーが色濃くなっていく。だが、五年前は彼もまた、手探りで団員たちと同じ船の舵をとろうとして必死だったのだ。
「ヴォイチェフ、君はブラームスが好きだったね。ブラームスか。間奏曲Op.118-2、いや117-1……しかし、今日はラフマニノフプログラムだから、それはまたの機会にしよう」
ブラームスの音楽を愛していたのは、ヴォイチェフではなく妻だった。だが、音楽監督の頭の中ではそれは混同されていたのだろう。中でも彼女は117-1が好きだと言った。
「長調なのにどこかもの悲しいでしょ。でもとても暖かいの」
そう言って微笑んだ。
その日のオーケストラとピアニストの演奏は、ヴォイチェフを含む幾人かの人生への意識を変えさせる不穏なエネルギーと、憂鬱で美しく繊細で神秘的な色彩に満ちていた。リハーサルの時から、両者は旧知の間柄であるように協調し、時には反駁して攻め立てるように絡み合っていたが、そのイメージを残したまま本番のステージに上がったようだった。
五年前の彼は、確かに超絶技巧の持ち主ではあったし、若さ故の情熱を前面に打ち出した、それはそれで素晴らしい演奏であったが、ピアノとオーケストラは、まだ対極にいたのだと、その日の演奏を聴いて理解した。その日、ピアノとオーケストラは見事に密着していた。ピアノはオーケストラの音に共感して息を潜めているかと思えば、その中から湧き上がるように立ち上ってくる、その瞬間に鳥肌が立つような思いを幾度も味わった。
気がついたときには音楽は第2楽章から第3楽章へ移ろうとしていた。さっきまで穏やかな景色を見ていたと思えば、突然聞こえてくるこの悲痛な魂の慟哭、ヴォイチェフの重ねて来た五年間、いや、これまでの二十年あまりの全ての感情が混乱したまま、今まさに音になって目の前での色彩を変えながらうねっていた。この不穏から抜け出せるのか、ヴォイチェフは重い扉の向こうから漏れ来る音の波に溺れそうになりながら、ただその時を待っていた。
いつもこの場で曲の終わりを待ちながらも、ヴォイチェフの頭の中はどこか冷静だった。仕事をしている、という感覚を失ったことはなかったのに、今日は違っている、そのようなことはこの仕事を始めてから一度も無かったことだった。
もうこれで良いのだと、そのときは思えた。潮時というのは、引き際ではなく、まさに最高潮のタイミングを指すが、最高潮というのは引き際と同じ意味だったのかもしれない。
ピアノが打ち鳴らす鐘の音が、ヴォイチェフに重い決断を迫っていたのだった。
あと二分、計算していた終了までの時間、小さなワンフレーズごとにあらゆる場面が駆け巡る中、ヴォイチェフは犠牲にしてきた妻との時間を思った。
ヴォイチェフにもまた、重い五年間があった。

ヴォイチェフは惜しまれながら引退した。
妻の癌の再発については、既に家を出ていたこどもたちと妻との間では共有されていたが、妻の希望で直接ヴォイチェフには伝えられていなかった。妻が旅行、あるいはこどもたちの家に行って孫たちの面倒を見ると告げて出かけていったうちのいくつか、もしくはすべてが、病院での治療だったのだろう。ヴォイチェフとしても全く気がついていないわけではなかったが、敢えて見て見ぬふりをしてきたのだった。
妻はきっと、自分の看護をする夫の姿など想像できなかったのだろう。この期に及んで、すべてを彼女の判断に任せて放置してきたことを悔いるだけの十分な時間が残されているのかどうかは分からなかったが、その時間が短いのであれば、せめてわずかでも繕いたいと、そう思った。
ヴォイチェフは妻と一緒に彼女の故郷の小さな町に移り住んだ。
そして二年後に、妻はなくなった。闘病という悲愴感はなく、穏やかな最期だった。彼女が、ヴォイチェフの選択についてどう思っていたのか、確かめることはなかったが、彼女はもういよいよ意識が朦朧とし始めたときに、ごめんなさいね、と言った。
ありがとうではなく、ごめんなさい、に込められた彼女の想いは何だったのか、ヴォイチェフにはよく分からなかった。
妻が亡くなってからのしばらくは何をする気力もわかなかったが、その町の小さなオーケストラの拙い演奏を聴いた翌日、ヴォイチェフは久しぶりにベルリンを訪れた。
客席から聴く世界最高のオーケストラの響きはやはり特別だった。
かつてはこの音楽を届ける側にヴォイチェフはいたのだ。こちら側からの景色ではなく、あちら側からの景色は、たとえそれが重い扉の向こう側からであったとしても、ヴォイチェフにとっては絶景だった。
昔の仲間たちは彼を快く歓待してくれたが、二年の間に、彼の居場所はこのコンサートホールの中にはなくなっていた。不思議と落ち着いた諦念の思いでそれを受け止め、ヴォイチェフはベルリンから列車に乗り、妻の故郷へ戻った。
列車がベルリンの街を抜けると、移りゆく車窓からの景色はどこまで行っても同じようで、窓枠で切り取られたのは、どこを切っても同じような田舎町の小さな小さな景色だった。
とはいえ、ヴォイチェフはすっかり引退するにはまだ若かった。少なくとも気持ちだけは。
だから、その町唯一の小さな劇場付ステージマネージャーのオファーが来たときも、妻を失った無気力と悲しみの中で何もしないよりは良いだろうと受けたのだった。
当たり前のことだが、同じステージマネージャーという仕事とはいえ、かつてヴォイチェフが見ていた景色はそこにはなかった。時には少しばかり名の知れた国内の演奏家がやってくることもあったが、ほとんどは町の小さな音楽教室の発表会や、趣味のご婦人方の集まり、ポピュラーミュージックの演奏会、それに時には音楽と関係のない集まりにも使用される、そんな雑多な劇場だった。
劇場付オーケストラはあるにはあったが、ほとんどアマチュアと変わりはなかった。団員の多くは専門の音楽教育を受けてはいたが、その道で生活が成り立つほどの職を得ることはできなかったので、他に仕事を持ち、練習にもそれほど熱が入っているようには見えず、もう一つの仕事や家庭の都合は常に優先されて、全員が集まることはなかった。
もちろん、人生の後半で得た仕事にヴォイチェフは小さな失望を感じていたが、この劇場、このオーケストラにも、自分自身とその仕事についても、もう多くを期待することはやめよう、余生という言葉が似合うこの後半生をただ静かに生きようと思っていた。
「シェーファーさん! 聞いてください!」
オーケストラの若い指揮者は、いつも勢いと熱意が空回りしていたが、純朴な青年だった。
「ダメ元でオファーしたら、来てもらえることになったんですよ」
目の前に契約書をひらひらさせられて、ヴォイチェフは鬱陶しいと感じながら、ちらっとだけ目を向けた……つもりだった。
次の瞬間、ヴォイチェフは彼の手から契約書をもぎ取っていた。
まさか、と思った。かつてのヴォイチェフが裏方とは言え華々しい人生の時間を過ごしていた時に出会った若いピアニストは、今では世界の一流オーケストラとも共演を重ね、ソロリサイタルのチケットも(幾分か噂の美人敏腕マネージャーの力もあるのだろうが)常に完売になるという音楽家になっていた。スケジュールは数年先まで埋まっていると聞いている。それなのに、この小さな町の、アマチュアのようなオーケストラとの共演のオファーを受けるなど、考えられるだろうか。
「僕、ベルリンフィルで彼が弾いたラフマニノフが忘れられなかったんですよね。で、熱烈なファンレターを書いたんです。打ち出したら、二十枚はあったかな」
読むだけで大変だったろう。いや、大変、というよりも本当に読んでもらったのかどうか。大学のレポートでもあるまいに、量が多ければいいというわけではない。
全く、若いというのは恐ろしく単純で無謀だ。
だが、それが、ヴォイチェフが舞台袖から聴く彼の三度目のラフマニノフになった。
この小さな町でも、二年に一度、音楽祭が催される。音楽のためのものか、ただ住民の親睦のためなのか定かではないが、それでも、小さな田舎町の勤勉な人々にとっては、この春の祭典はかけがえのない時間だった。
どうスケジュール調整をしたのか、すでに実力派の中堅という位置に座ることになったピアニストは、ステージの数日前にこの町にやって来て、明らかに彼が普段共演しているのとは雲泥の差であるオーケストラとのリハーサルに参加して、朝早くから夜遅くまで、実に根気よく指揮者や団員たちと細かな音まで確認していた。
それよりもヴォイチェフを驚かせたのは、田舎町の小さなオーケストラの団員たちの頑張りだった。
練習室もステージも常に隙間がないほどに埋め尽くされているなど、これまでにあっただろうか。そもそも音楽についての素地は持ち合わせている連中なのだ。こうやってその気にさせられたなら、世界の一流オーケストラのメンバーには当然かなわなくても、ひとつの音楽を作り上げていくエネルギーは並大抵のものではなかった。
いや、これもそれも、情熱が空回りしているとばかり思っていた若い指揮者の気持ちの真っ直ぐさに、そして、突然彼らの前に現れたピアニストの熱意に、皆がついて行かざるを得なくなったからかもしれない。
妻が絶賛していた、あのプラハの三流劇場を一流と並ぶほどの人気劇場に押し上げた舞台を思うと、普段は幾分か鬱陶しい若造指揮者とこのピアニストは、どこか似ているのかもしれない。
ヴォイチェフは改めて、練習に打ち込む団員たちひとりひとりの顔を確かめるように見た。
運送会社でトラックを運転しているホルン奏者はいつも多忙だが、トラックに楽器を積んで時間があれば郊外への遠出で練習していると聞いていた。三人のこどもを持つ母親のフルート奏者、こどもの一人は障害者だったはずだ。あのヴィオラ奏者は母親の介護をしていたのではなかったか。常に妻から才能もないんだからやめちまいなと言われているチェロ奏者(実際にはそうでもないが、妻は音楽には理解がなかっただけだ)、打楽器は保健所の相談員で、冬になるといつも多忙で時々居眠りをして出番を逃して怒られていた。
そんなひとりひとりの顔が妙に愛おしく感じられることに気がついて、ヴォイチェフは自分の感情に驚いた。
本番前日の夜半、最後に劇場を見回ると、ホールからピアノの音が聞こえていた。
ヴォイチェフはそっと後方の扉を開けた。
もうステージにはピアニスト一人しか残っていなかった。
劇場の最後尾からではその表情はよく見えなかったが、音はすぐピアノのそば、大屋根の下に耳があるように響いていた。団員が帰った後、ようやく彼は自分の音を確認する時間を持てたのだろう。こんな小さなオーケストラを相手にしても、全く容赦なく手を抜くことなど考えていないピアニストの姿は、この世ではないどこかと語り合っているようで、ただただ神々しかった。
何か声をかけたいと思ったが、ヴォイチェフはそっとその場を離れた。
あの日の音楽祭、ヴォイチェフの聴いたピアノ協奏曲は、これまでの人生で聴いたすべての音楽の中で、最も力強く胸に迫るものがあり、この世に音楽があることの喜びと幸福を、心から神に感謝した。
超絶技巧の第1楽章、その圧倒的な大カデンツァ、第2楽章の感情を押し込めるような祈り、すべてを振り切る雄大で勇壮な第3楽章。
ずっと頼りないと思っていた団員たちが、今演奏する姿を見、その音を聞きながら、ヴォイチェフはこの劇場での仕事に密やかな誇りを感じた。我先にと音楽にのめり込み、お互いの音にしっかりと絡みついて、ピアノについて行ったかと思えば、突き放すように走り抜け、それをまたピアノが追い越していく。同じ渦に呑み込まれるに任せたり、もがくようにそこから抜け出したりしながら、ありとあらゆる感情のうねりを肌に巻き付けてゆく。抑圧と闘争、大きな波と突然の凪、後悔と慟哭、どこへも納めることのできない流転。
この景色は絶景ではないが、あの日、車窓から見た小さく美しい、しかし、力強い熱情を抱いた景色だった。
やがて、音楽は決然とその時を迎える。
すべての出来事が、幸福も不幸も、感動も嫉妬も、哀しみも喜びも、フィナーレの鐘の音で肯定された。
そうだ、彼の人生はこれで良かったのだ。
どのひとときを取っても、悪いときなどひとつもなかった。
ヴォイチェフは自分に最期の時が来たら、この音楽を聴いて旅立ちたいと思った。
だが、それまではまだ少し時間がありそうだ。
明日からまた、小さなこどもたちの発表会のためにだって、誇りを持ってこの重いステージドアを開けよう。
総立ちの客席に幾度も挨拶をしてから、若い指揮者と、かつては若く、舞台袖では泣きそうに不安な表情を浮かべていたピアニストは、肩を並べて、ヴォイチェフの開けた重いステージドアを通って悠然と舞台袖に戻ってきた。ピアニストはすぐに立ち止まり、ただ深々とヴォイチェフに頭を下げた。ヴォイチェフも同じように頭を下げ、彼には見えないところで静かに微笑みを浮かべた。
後になってある手紙を受け取ってから、ヴォイチェフは初めて、彼とは一度も口を利いたことがなかったということに気がついた。
ソリストアンコール。
ブラームス 間奏曲Op,117-1。

そうだったのか。
ヴォイチェフは傍らのこどもの手をもう一度強く握りしめた。
これは彼自身だった。長い時をともに歩いてきたこどもは、ヴォイチェフの中のもう一人のヴォイチェフだった。緑の光を見たこどもは、あの幼い時には気がつかなかったかもしれないが、自分の心の中に、人生の核になる大切な何かを明らかに見いだしたのだ。そして今、最期の時、緑の光はもう一度、ヴォイチェフに自分自身の心の中を見せたのだ。
たとえ言葉を交わさなくても、音楽が、彼と世界を繋いでいた。
彼が世界を忘れるときが来ても、世界が彼を忘れるときが来ても、世界は音と光で満たされている。

ぶしつけなお手紙をお許しください。
今日、あなたのブラームスを拝聴して、私の人生が静かに光で満たされていくように感じ、ようやくすべてに得心いたしました。
私の夫はかつて、ベルリンフィルで専属ステージマネージャーとして勤めておりました。何も言いませんでしたが、チャイコフスキーコンクールであなたのラフマニノフを聴いてから、ずっとあなたのファンだったと思います。
夫は私の看護をするために二十年にもわたる誇り高いキャリアを捨てました。彼は家庭を顧みることのない仕事人でしたから、そんな中で私に取り憑いた病について、後ろめたさを感じていたのかもしれません。夫を余計に苦しめることになりましょうから、彼には言えませんが、私にとってもまた、彼の仕事は誇りであったのです。夫がキャリアを捨てたことを、本人以上に後悔しているのは、私だったのです。そのことが、自分の病よりも悔しくてならなかったのです。
でも、今日、あなたのピアノが、私が自分の人生について感じていた暗いものを、すべてそのまま包み込んで認めてくださいました。
私がこの世から去った後、すでに一線を退いてしまった夫がどのような時を過ごすのか、もう私にはどうすることもできませんが、ただ、ひとつ、あなたにお願いがあるのです。
いつか、夫にもこの美しいブラームスを届けていただけないでしょうか。
あなたの音楽は誰のどんな人生をも否定しない素晴らしいものです。どうか、世界の片隅にも、声を出さないままの密やかなファンがいることを忘れないで。
追伸:でも彼はきっと、最期の時にはあなたのラフマニノフを思い出すことでしょう。
(2023/3/17 書き下ろし)
・なお、作中の固有名詞に関しましては、現実の同じ名称の団体・イベントとはパラレルワールドにあるものお考えください……もろもろ、失礼や勘違いがございましたら、また、曲の解釈につきましては私の勝手なイメージですので、皆様のイメージとかけ離れていても、どうぞご容赦ください。
・今回は、夕さんちのキャラを絡める余裕がなくて……文字数が多すぎて、疲れ果ててしまったのもあるけれど、長い間創作をサボっていたので、今回はウォーミングアップということで、こちらもご容赦ください。この若造指揮者と誰かさんが知り合いだったりして、とかあれこれネタは作っていたのですけれど……(〃▽〃)
Category: ♪慎一・短編
編集したら変なことになった~原因不明だけれど直った~
試しに新しい記事を書いてみています。
絵文字がおかしなことになっていたので、入力し直したら
いきなり、トップの方だけ真っ黒になりました。
他のテンプレートに変えたら真っ黒ではなくなったけれど
3つめか4つめの記事あたりからPCのサイズを無視して、
折り返しなしの端から端までのへんなことに。

とりあえず、いったん、まだ見やすいこのテンプレートに。
色んな意味で、使いにくいし、どのテンプレートにしても、
端から端まで状態は同じ。
う~ん……
↓
↓
↓
↓
よくわかりませんが、うみきりんの記事を編集するときに、勝手になにやら記号が入ってしまったみたいで、記事を新しく置き換えたら、戻りました!
なんだったのでしょうか。
コメントも消えてしまうので、いただいたコメントとお返事は追記に転記しました(o^^o)
お騒がせいたしました。
絵文字がおかしなことになっていたので、入力し直したら
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お騒がせいたしました。
Category: つぶやき
2022/10/1 うみきりん





(

(



ということで、マコトは海にキリンを見に行きました。
海にキリン? ウミウシは聞いたことがあるけれど、ウミキリンとは?

これです。
勝手にキリン~と喜んでいましたが、世の中の他の人たちから見てもこれはキリンにしか見えないらしく、神戸をモチーフにしたデザインを扱うこういう名前の雑貨屋さんがあるのだとか。
ちなみにこの海のキリンの本名?はガントリークレーン。
船から荷を下ろしたり積んだりするのに使われる、巨大なクレーンですが……

実際に写真を撮りに行ってみたら、どこまで近づいて良いのか分からず(夜間は一般車左折禁止とか書いてあるので、そもそもその区域に入れないのかしら)ビビりの私は遠くから写真を撮りました。
確かに安全な場所ではないのかも? いつも何かが動いている。

でも、キリンが並んでいるようにしか見えませんよね。
高所恐怖症の私、背の高い建物は見ているだけで気持ち悪くなるのですけれど(高層マンションとかあべのハルカスとかスカイツリーとか)、何故か海辺の巨大建造物?だけは別。
あまり近づくことがないからかもしれません。
渡るのは怖いけれど、見るのが好きな海辺の巨大建造物と言えば。

明石海峡大橋。
この橋は、車で走っていると、吊り橋のワイヤーが流れていくようで、とても気持ちが良いのですけれど、歩いて渡るとか、絶対ムリ。
でも、人工物ながらこんなに美しい景色を見せてくれるので、好きな景色です。
ちなみにこの日、仕事の帰りにたまたま夕日が綺麗な時間に立ち寄ることができました(5年以上前)。
そうすると、海辺はカメラおじさん達でいっぱい。三脚がところ狭しと並んでおりました。
機種変更前のしょ~もない携帯のカメラで撮ったので、目が粗いけれど。

見ていて飽きない景色。ダイヤモンドのような輝きで海に落ちていく夕日。

そして、通りかかった船の向こうにkissinng。

でも、マコトのサイズだと、巨大すぎて、近づいたら何が何だか?
ウミキリンはどこぞかの屋上から見た方が良さそうですね。
追記
通勤時に見かけたどこかのクレーン会社のクレーン。
なんと、キリン模様でした!
やっぱり、鶴じゃなくてキリンに見える?
工事現場にある身の細いクレーンは鶴っぽいけれど、このガントリークレーンは胴体があるから、キリンに見えるのかな。
Category: NEWS
2022/8/28 蟻の行方と金箔ソフト
コロナ3年目。今更ですが、我が職場にも波が到達した模様で、子供ちゃん達の長期休みはただでさえ修羅場なのに、スタッフ12人中6人がコロナ罹患で順番にお休み(保育園に行っている小さいお子さんがいるスタッフが全滅。経路不明の人もいるけれど)。当然、生き残っているスタッフはてんてこ舞い。変なテンションで働いていたようで、どっと疲れが出てきた夏の終わりです。
年寄りには堪えるわ~
だいたい、隔離期間10日って長すぎない? 終わりの方数日は元気な人もいるよね~? どうでも良いから出勤してきてほしい~と思う日々でした。で、自分がかかる頃には、熱が下がったら出勤することになっているんだろうなぁ。それはちょっと悔しいけれど、元気で働いていることはありがたいこと、と思うことにします。
蟻の行方
このところ気になること。
私の家と職場は約18km離れています。車で通勤していますが、我が家はいま、まさにジャングルなわけです。

(私が雑草を放置したためにワイルドすぎるガーデンになっていました)
そのせいかどうか、職場に向かう車の中にバッタが飛んでいたり、フロントガラスに蟻がくっついていたり。
バッタはともかく(草地に放したら少なくとも個体で生きていけるから)、蟻を見るとちょっと悩ましいと感じます。
この孤独な蟻、私の車にまかり間違ってくっついてしまって、18kmも離れたところに連れてこられて、で、どうなるのかなぁ。
集団から切り離されたら、個体としての命はともかく、蟻社会学的に機能しない存在になるんだよね? いや、そうなったら個体としても死んでしまうのかしら? それとも何らかのフェロモンが車にも残っていて、私が仕事している少なくとも12時間を堪え忍んで、そのまま車にくっついてまた我が家のジャングルに戻って仲間にめでたく合流できるのかしら。あるいはちゃっかり別の集団に取り入って生き延びるのかしら(攻撃されておしまい、ってことになりそうだけれど)。
思い出すのは『スタートレック・ボイジャー』。
このドラマの中には、私の大好きな「くっつきそうでくっつかない」カップルが登場します。
ヒロイン?は女艦長ジェインウェイ。そしてヒーローは副長チャコティ。チャコティはもともとマキという反政府組織?のメンバーだったんだけれど、困難な状況(船が75,000光年彼方のデルタ宇宙域深部に飛ばされて地球に帰れない)の中で、艦長と信頼関係を高めていくんだけれど、くっつきそうでくっつかない。ジェインウェイは地球にパートナーがいるんだけれど、ボイジャーが消息を絶って彼女が死んだと思っている彼は新しい相手ができてるし、たまに地球と何かで繋がるので(ワームホール? でも帰れない)そんな事情も知っているんだから、そっちはほっといて、チャコティとくっついちゃえよ!と思うけれど、そうは問屋が卸さない。
そこに、ボーグという集合体から切り離されたセブン・オブ・ナインという女性が登場。
この集合体は、要するに「個」は全く意思を持たなくて、全メンバーの意識を統括するボーグクィーンなるものがいて、その集合体につながれると、意識を常時共有することになるわけです。要するに、蟻とか蜂と同じく集団が生命単位で(女王が君臨するし)、単体としての意思がないので、集団から切り離されると何もできないし、個の感情というのものがない。
セブンはもともと人間の子供だったのだけれど、両親と一緒にボーグに「同化」(とりこまれること)してしまっていたのでした。
彼女は結局、ボーグから切り離されて個体としては「真っ白」な状態に。そこで「感情」「精神」をジェインウェイ艦長から学ぶ(要するに「人間性」を取り戻すお手本が艦長だった)ことになって、チャコティと恋愛関係になっていく(でも後日談によると最終的にくっついた気配はない。そもそも、感情が一定レベルを超えると機能停止するというプログラムになっているみたい)。
ただ、見ている私は「なんだよ~」になるのです(だって、くっつきそうでくっつかないが好きなんだもの)。
チャコティにとっては、艦長の身代わり? なんでそうなるの~? 結果的に、スカリーとモルダーだってくっついたのに(『Xファイル』……あのどういう関係かよくわからない状態が好きだったのに、あれ? いつのまにかくっついとる?ってのは、長い時間の末なので、それはそれで楽しめましたが)、なんだよ~。
それはともかく。
この「個ではやっていけない」感じが、フロントガラスにくっついた蟻に重なって、う~む、となっているのでした。
どうでもいい話でした……
金箔ソフト

お友達が、金沢のストリートピアノを弾きに行こう!というので、しょっちゅう運行停止になるサンダーバードに乗って、日帰り遠足に行ってきました。案の定、サンダーバードは雨の影響で動かず、2時間遅れて金沢の街に。
目的のもう一つが、この金箔アイス。金箔が混じってる、じゃなくて、本当に金箔をぺらんと1枚貼り付けて出てくるんです。しかも、値段がお店の屋号で891円。もう高いのやら何なのやら、分からないけれど、話のネタにはなりますよね。

この金沢駅の鼓型駅舎、現物を初めて見ることができたので、ちょっと嬉しかった。でもこれ、どうなんだろ?
夏休みラストスパート、頑張って働きます……(しょんぼり)
年寄りには堪えるわ~
だいたい、隔離期間10日って長すぎない? 終わりの方数日は元気な人もいるよね~? どうでも良いから出勤してきてほしい~と思う日々でした。で、自分がかかる頃には、熱が下がったら出勤することになっているんだろうなぁ。それはちょっと悔しいけれど、元気で働いていることはありがたいこと、と思うことにします。
蟻の行方
このところ気になること。
私の家と職場は約18km離れています。車で通勤していますが、我が家はいま、まさにジャングルなわけです。

(私が雑草を放置したためにワイルドすぎるガーデンになっていました)
そのせいかどうか、職場に向かう車の中にバッタが飛んでいたり、フロントガラスに蟻がくっついていたり。
バッタはともかく(草地に放したら少なくとも個体で生きていけるから)、蟻を見るとちょっと悩ましいと感じます。
この孤独な蟻、私の車にまかり間違ってくっついてしまって、18kmも離れたところに連れてこられて、で、どうなるのかなぁ。
集団から切り離されたら、個体としての命はともかく、蟻社会学的に機能しない存在になるんだよね? いや、そうなったら個体としても死んでしまうのかしら? それとも何らかのフェロモンが車にも残っていて、私が仕事している少なくとも12時間を堪え忍んで、そのまま車にくっついてまた我が家のジャングルに戻って仲間にめでたく合流できるのかしら。あるいはちゃっかり別の集団に取り入って生き延びるのかしら(攻撃されておしまい、ってことになりそうだけれど)。
思い出すのは『スタートレック・ボイジャー』。
このドラマの中には、私の大好きな「くっつきそうでくっつかない」カップルが登場します。
ヒロイン?は女艦長ジェインウェイ。そしてヒーローは副長チャコティ。チャコティはもともとマキという反政府組織?のメンバーだったんだけれど、困難な状況(船が75,000光年彼方のデルタ宇宙域深部に飛ばされて地球に帰れない)の中で、艦長と信頼関係を高めていくんだけれど、くっつきそうでくっつかない。ジェインウェイは地球にパートナーがいるんだけれど、ボイジャーが消息を絶って彼女が死んだと思っている彼は新しい相手ができてるし、たまに地球と何かで繋がるので(ワームホール? でも帰れない)そんな事情も知っているんだから、そっちはほっといて、チャコティとくっついちゃえよ!と思うけれど、そうは問屋が卸さない。
そこに、ボーグという集合体から切り離されたセブン・オブ・ナインという女性が登場。
この集合体は、要するに「個」は全く意思を持たなくて、全メンバーの意識を統括するボーグクィーンなるものがいて、その集合体につながれると、意識を常時共有することになるわけです。要するに、蟻とか蜂と同じく集団が生命単位で(女王が君臨するし)、単体としての意思がないので、集団から切り離されると何もできないし、個の感情というのものがない。
セブンはもともと人間の子供だったのだけれど、両親と一緒にボーグに「同化」(とりこまれること)してしまっていたのでした。
彼女は結局、ボーグから切り離されて個体としては「真っ白」な状態に。そこで「感情」「精神」をジェインウェイ艦長から学ぶ(要するに「人間性」を取り戻すお手本が艦長だった)ことになって、チャコティと恋愛関係になっていく(でも後日談によると最終的にくっついた気配はない。そもそも、感情が一定レベルを超えると機能停止するというプログラムになっているみたい)。
ただ、見ている私は「なんだよ~」になるのです(だって、くっつきそうでくっつかないが好きなんだもの)。
チャコティにとっては、艦長の身代わり? なんでそうなるの~? 結果的に、スカリーとモルダーだってくっついたのに(『Xファイル』……あのどういう関係かよくわからない状態が好きだったのに、あれ? いつのまにかくっついとる?ってのは、長い時間の末なので、それはそれで楽しめましたが)、なんだよ~。
それはともかく。
この「個ではやっていけない」感じが、フロントガラスにくっついた蟻に重なって、う~む、となっているのでした。
どうでもいい話でした……
金箔ソフト

お友達が、金沢のストリートピアノを弾きに行こう!というので、しょっちゅう運行停止になるサンダーバードに乗って、日帰り遠足に行ってきました。案の定、サンダーバードは雨の影響で動かず、2時間遅れて金沢の街に。
目的のもう一つが、この金箔アイス。金箔が混じってる、じゃなくて、本当に金箔をぺらんと1枚貼り付けて出てくるんです。しかも、値段がお店の屋号で891円。もう高いのやら何なのやら、分からないけれど、話のネタにはなりますよね。

この金沢駅の鼓型駅舎、現物を初めて見ることができたので、ちょっと嬉しかった。でもこれ、どうなんだろ?

Category: NEWS
2022/8/6 自分の良いところ・飛蚊症その後

暑いと自律神経がおかしくなりますね~
出張で北海道に行っておりましたが、北海道も普通に暑かったです。
でも、湿気が少しまし+夕方にはやや涼しい、って感じだったので、断然過ごしやすかったです。
ほんのちょっとだけ、ロケハンもしてきましたよ。
が、ただでさえ、うちの職場は子供達の長期休みは修羅場。そこに来て、次々、同僚がコロナ感染で就労制限となり、代打仕事が降りかかり、死にそうな毎日で、寝落ちの連続。10日間の隔離って、長くない?
というわけで(?)


自分で言うのは恥ずかしいけれど、言ってみたら結構満足できるかも?(昔、某番組で大野くんが言わされていました)
では、子猫を呼んでみましょう!










*あっち系:花子ちゃんとか、五右衛門とか、塗り壁とか、あ、フジマルもだけれど、要するにみんな鬼籍に入ってるか、もともと有機物では無い、とか。























その後、眼科の先生に目を診ていただきました。
網膜剥離ではありませんが、後部硝子体剥離というものだそうで、要するに老化で硝子体の張りがなくなる+血管だけはしっかりくっついている→はがれるところが出てくる、という状況らしく、特に黄斑部に近いところ(要するに視界のど真ん中)にあるので、大変うっとしいということのようでした。硝子体が少し曇っているのもあって、たまに視界がぼや~んとしていることもあるのですけれど、これはもう慣れるしかないらしく。
明るい曇りの日が一番目立つ……
この頃は、何か怪しい影が横切ることもあり、いやそれはもしかして、夏の風物詩?とか思ったりして。
次は、近いうちに!
Category: NEWS
2022/5/29 オランジェットと飛蚊症

八少女夕さんのブログ記事・『オランジェット狂騒曲』を拝読して、自分もやってみた!

準備したのは夕さんおすすめのシリコン製の製氷器、と思ったら、こんなおしゃれなものしか100円ショップで発見できず。結局アルミカップにしました。母お手製のマーマレードとチョコレート。

湯煎なんて久しぶりにしたので、やり方がわからず、熱湯を張ったお皿に小さいお皿を載せて溶かして。

いきなり、家族からダメ出し。もっとオレンジとチョコレートが混じっていた方がいいから、オレンジを切れと。
え~



3月から4月、給湯器・フロントガラスのトラブルに疲れ果てたころ、5月になって、私の周囲(仕事)ではトラブル続き。長い間低空飛行ながらも頑張ってきていた若い人たちが次々と調子が悪くなり……精神的に少し参っております。
昨日もまた、父の一回忌の最中に電話で連絡があって。
いいことはなかなかありませんね。
姪ちゃんも今、人生あれこれ辛いようで(こちらは生死には関わらないけれど)、世の中大変だなぁと見回して思うのでした。
それとこれとは関係ないけれど、数日前から、飛蚊症がひどくなって、いま、右目の前に黒い筋がいっぱい飛んでいます。正確には、数日前からなのか、もっと前からあって今になって気になったのかはわかりませんが、そのせいで視界に微妙に靄がかかっていて。網膜剥離ではなさそうだけれど、これが不快で、時々、目の前に何かある感じ(髪の毛?)で払いのけようとして、あ、違うわ、目の中かと思ったり。う~ん。
(ちょっと弱音でした。)
Category: NEWS