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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

連作短編【百鬼夜行に遅刻しました(ウゾさんへ)】春・桜 

stella
Stella
Stella 2013/4月号 投稿作品



さて、掌編をお届けします。
もしskyさんからご許可をいただけましたら、月刊Stellaさんへ投稿しようかと思っております。
→skyさんからご許可いただき、無事にタグを貼りつけることができました(*^_^*)
よろしくお願いいたします。季刊くらいの参加にはなりまするが…

ウゾさんからご許可を頂き、ウゾさんのブログ名をタイトルに戴いた【百鬼夜行に遅刻しました】です。
→ウゾさんのブログへ
そして、主人公の名前が、もう勝手にウゾくんになってしまって、他の名前にしようとしてもどうしてもダメなんです~とウゾさんに謝ってはいたのですが、それでも何とか他の名前に変えようとしたけれど、やっぱりだめでした。
ここでもう一度謝ります。ウゾさん、もう『ウゾ』以外にはなりません!^^;^^;

ウゾさんのブログ名、本当に私のど真ん中直球で飛び込んできまして、妄想が走り始めてしまったのですね。
いやいや、いかん、ひとんちのブログ名だから…と思ったけれど、そこへもち姫さんのお写真を拝見してしまい……妄想は消えるどころかヒートアップしちゃいまして……

ごめんなさい、ウゾさん。
お気に召さなければ、もうすぐにでも抹消いたしますので、ご遠慮なさらずにおっしゃってくださいませ。

これは一応、ウゾさんのブログから漂う何かを一部お借りした二次小説という位置づけ、のつもり。
これまでだったら、妄想が走っても文字にするところまではいかなかったけれど、ブログというもののおかげで文字にする意欲が出て、一応形にすることができました。
ウゾさん始め、Stellaの管理人さん、お誘いくださった夕さんに感謝です。
あ、まだ管理人さんからのご許可をいただいていないので、一応タグはお預けです。

まるきり続くことを前提にしているような話運びですが……気にせずに、ひとまずお楽しみください。
ウゾさんのダメだし次第で消えることも……
約7500字。ウゾくんともち姫さんが大活躍のお伽噺のようなお話。
ファンタジーは書けない、書くまいと思っていたのですが…




【百鬼夜行に遅刻しました】

 しまった! また寝坊しちゃった!
 ウゾは急いで夜行用衣装に着替えて、タダスの森を飛び出した。
「うぞ、オハヨウ。また寝坊か」「寝坊か」「またか」「寝坊」「ネボウ」
 ダンゴ達は、キノコの苗床になっている木の葉の下からごそごそと音を立てながら、いつものようにハモって話しかけてくる。あいつらは害にもならないが何の役にも立たない。
 どうせなら、起こしてくれたらいいのに!
 ウゾは転がるように森を出ると、橋の下に潜った。水辺で遊んでいる五尺龍たちの力を借りたら、少しは早くゴショに着けるかもしれない。
 今日は三千六百五十回目の及第試験の追試日だった。
 つまり、三千六百四十九回、試験に落ちている。
 その理由は試験開始時間に間に合わないからだ。
 ウゾは早起きが苦手だ。というよりも、他の鬼とは違う特別な性質があって、普通の鬼が眠りについている時間帯にぐっすり眠れないのだ。だから寝る時間が遅くなってしまって、必然的に起きる時間も遅くなって、亥と子の刻の間の集合時間にはいつも間に合わない。

 しかし、その日、橋の下の川辺に五尺龍たちはいなかった。
 カモガワの水はいつものように、ニンゲンたちが川辺に灯したあかりを跳ね返してちらちらと揺れながら南へ下っていたが、いつもなら水の上で跳ねている龍たちの姿はなく、奇妙に静かだった。
 ウゾの姿は水面にははっきりとは映らない。でも、他の鬼とはちょっと違うところなのだが、少しだけ映るのだ。ウゾはカモガワの水を覗き込む。ウゾには角はないけれど、ニンゲンがよく絵に描いている普通の鬼に近い姿をしている。鬼、といっても、小鬼だ。
 もちろん、水面には、ニンゲンが描く絵みたいにくっきりとは映らない。ゆらゆらゆれる水の中のウゾの頭の上に、光虫がふわふわと漂っている。
 だめだ、だめだ、まだ一生懸命走ったら、ギリギリ何とか滑り込めるかもしれないのだから。

 さぁ、走るぞ、と思ったときだった。
 ウゾのとんがった耳がひくひくと動いた。
 しくしくと泣く声が聞こえる。声、というよりも震えのようなもので、はっきりと耳で聞こえるような音ではない。鬼のウゾだから聞こえる周波数だ。
 水音でかき消されて途切れ途切れにはなるのだが、確かに誰かが泣いている。

 あぁ、もう、構ってる場合じゃないんだ。もしかして、今ならまだ三千六百五十回目の追試に間に合うかもしれないのに!
 ……なのに、やっぱりウゾは足を止めてしまった。
 辺りを見回してみると、向こう岸に繋がるカメ石の上で、誰かがしゃがみこんで泣いていた。
 ニンゲン?
 おかっぱ頭で赤いスカート、ピンクのカーディガンを着ているから、女の子なのだろう。
 今日は四月の丑の日なのだ。だからもしもニンゲンに鬼の姿が見えてしまったら、そのニンゲンは死んでしまう。いや、ニンゲンの死期を決めているのは、鬼を見たかどうかということではないのだが、死期が近いニンゲンに引導を渡してしまうことになる。
 鬼にしてもニンゲンの死期に関与することを好んでいるわけではない。だから不用意に近づいてしまって、もしかしてそのニンゲンの『時』が迫っているのなら、鬼の姿がニンゲンに見えてしまうかもしれない。
 とは言え……
 ウゾはそろりと泣いている女の子に近付いた。
 背丈はウゾと同じくらいだから、ニンゲンならば五歳くらいだろうか。おかっぱの髪の毛は薄茶色で、光虫たちがその周りをふわふわと漂いながら行き過ぎている。
 ウゾが女の子と同じカメ石の上に立った途端、女の子はその気配を感じたのか、顔を上げた。

 わっ!
 ウゾの方がびっくりした。
 いやいや、こういうのは見慣れているのだから、びっくりする方が鬼として情けないのだが、やっぱりびっくりした。
 これじゃあ、女の子にはウゾは見えないだろう。もちろん声も出せない。耳だけは聞こえるようだ。そしてウゾに触れることもできる。そう、女の子はまっ白い顔をしていた。要するに、のっぺらぼうだった。
 つまり、女の子はもうニンゲンではないようだった。

 ウゾは困ってしまった。
 困ったのは、三千六百五十回目の追試を受けられないということではない。もうそのことはすっかり頭の中から消えてしまっていた。女の子を何とかしてあげなくちゃならない。女の子が泣いているのは、帰る先が分からないからだ。
 鬼の中にはのっぺらぼうなんてざらにいるのだが、年季の入ったのっぺらぼうはウゾにもすぐに見分けがつく。何故なら、完全なのっぺらぼうはキツネとかタヌキたちの化けた姿で、帰属のはっきりしない、多分もともとニンゲンだったのっぺらぼうの場合には、口だけは残っていることが多いからだ。
 女の子ののっぺらぼうぶりは、『新人』としか思えない。だって、目も鼻も口もないのだから。
 予想外の『時』を迎えた時に、五感のうちいくつかがこっちの世界とあっちの世界とでばらばらになってしまうことがある。だからあっちの世界に残してきたものを、ちゃんと回収しなければならないのだ。あっちの世界に何かを残したまま、『時』から七日以上が経ってしまうと、ウゾ達と同じように鬼になっていまう。鬼になったら、ニンゲンたちが言うところの『ゴクラク』までの道のりは気が遠くなるくらい、長いのだ。
 しかし、口のない状態では、女の子から情報を聞き出すことは難しい。

 困ったときにウゾがすることは決まっていた。
 ウゾは女の子の手を引っ張った。
「もち姫のところに行こう」
 女の子の手は何となく暖かだった。そして何となく懐かしかった。
 
 もち姫は『知っている』猫だ。知っているということは、『見える』以上だということだ。猫の場合は、ニンゲンよりも比較的見える率は高い。でも、知っている猫となると、そんなにたくさんはいないのだ。この町で『知っている』猫は、もち姫と、あともう数匹の猫たちだけだ。
 もち姫が住んでいる家は、カモガワをずっと遡ったところにあった。
 ウゾは女の子の手を引っ張って、うんとこ走った。鬼でも結構な時間がかかるところなのだが、女の子は半分あっちの世界に残っているから、重かった。
 だから、もち姫の家の竹垣の隙間をすり抜ける時も、女の子は引っかかってしまった。勢いで手を強く引っ張ったら、赤いスカートのポケットの切れ端が竹の隙間に絡まって千切れ、あっちの世界に残ってしまった。
 穴のあいたポケットから、ひらりと薄紅の花弁が零れ落ちた。

「あら、ウゾじゃないの。あなた、今日は三千六百五十回目の追試の日じゃなかったの」
 もち姫は縁側でいつものようにゆったりと真っ白な身体を横たえていて、金色と碧色の二つのとても綺麗な目でウゾを見た。
 もち姫はあっちの世界では少し身体の弱い猫だ。それはつまり、こっちの世界ではとても元気だということだ。もち姫はすぐに女の子に気が付いて、首を長く伸ばした。
 しばらく、もち姫は女の子の気配から何かを探っているように見えた。
「その子はどうしたの?」
「川で会ったんだ」
「まぁ、じゃあ、あなた、また試験を受けそこなったのね」
 もち姫はウゾのおせっかいのことを、とてもよく知っている。
「そうなんだ。でも放っておけなかったんだよ」
「でもいい加減試験に通らないと、百鬼夜行の本番に参加できないんじゃないの。このままでは、いつまでもこっちに残ってしまうわよ」
 そうなのだ。
 百鬼夜行には気が遠くなるくらいのルールがある。ニンゲンから見たら、鬼が並んでいい加減に歩いているように見えるかもしれないが、障害物、つまり多くはニンゲンや他の生き物との距離の取り方や、通ってはいけない場所、一方通行、止まってはいけない場所、などがあって、鬼によって、つまりもとの身体の形や、あっちの世界に残してきたものの状態やらによって、歩く順番やスピード、飛んでいい高さなどにも決まりがある。
 だから、本番の百鬼夜行に参加するためには、まず学校のようなものがあって、そこでしっかり勉強して、試験に合格しなければならないのだ。
 学校は『ゴショ』の中にある。『ゴショ』には昔ながらの辻や大通りがあるし、子の刻にはもうニンゲンはほとんど通らないので、半人前の鬼たちがまかり間違って気配を消すことを忘れていたとしても、問題になることは少ないから、勉強するにはとても好都合な場所なのだ。
 ウゾは何とか授業の単位を取り終えたのだが、ニンゲンの住む町中を練り歩く本番の百鬼夜行に参加するための試験にまだ通っていない。受けそこなった回数と試験は受けたけれど落っこちた回数の合計が、今のところ、三千六百四十九回、ということなのだ。そして今日、それが三千六百五十回になってしまったらしい。
「でも、今までの最高回数を誇った鬼が一万八百八回だっていうから、まだまだ僕は大丈夫だよ」
「ウゾ、でもね、いつかはちゃんとしなきゃだめよ。いつまでもこのままじゃね」
 鬼の時間はニンゲンの時間とは違うのだが、たいていの鬼は千回以内で試験に合格する。試験に合格したら百鬼夜行の本番に参加できる。参加すると少しずつ色んなことが分かっていくという。
 たとえば、自分がもともと何だったのか、どうしてすんなりとゴクラクに行けずに鬼になってしまったのか、あっちの世界に何を残してきてしまったのか。
 ウゾが普通の鬼が眠っている昼間に眠れない理由も、きっとあっちの世界に何か特別なものを残してきているからに違いないのだが、試験に通らないとその謎も解けないままなのだ。
 本番の百鬼夜行に百八回参加すると、魂魄は解放されて、ゴクラクへ行けるのだという。
 でも時々、ウゾは思う。
 僕は本当は知りたくないのかも……と。

「ね、もち姫、この子がどこの子だかわかるかなぁ?」
 もち姫はそっとため息をついた。
「口も目も鼻もないんじゃあね……」
 ウゾに手を引かれてここまでやって来る間、女の子は多分何が何だか分からなくてぽかーんとしていたのだろうが、ここに来てまたしくしくと泣きだした。声を出せないままで。
 確かに、目印になるものは何もない。口がないのでは名前も分からない。目がないのでは、女の子に案内してもらって知っている場所を探すこともできない。鼻もないので匂いも分からない。
 ウゾはもち姫の真似をして、ため息を零した。

 せめて服に目印でもあるといいのだけれど、名前が縫い込んであるわけでもない。
 ウゾはもち姫の家の庭をうろうろと歩き回り頭をひねった。
 その時、さっき女の子が隙間をすり抜けそこなって引っかかっていた竹垣が、ウゾの目に入った。そうだ、あんなスカートのポケットの切れ端をあっちの世界に残したら、またゴクラクに行けなくなってしまう。
 ウゾは赤い布きれを竹垣から引っ張った。

 その時、赤い布きれにはりついていた薄紅の花びらがひらりと落ちた。
 ウゾの足元の緑の草の上に、数枚の同じような花びらがいくつも落ちている。暗がりの中で、薄紅の灯りがともったように、ウゾの青い足を照らしている。
 ウゾは花びらをつまみあげて、じっくりと見つめた。女の子の赤いスカートのポケットに、この花びらがたくさん入っていたのだろう。
 匂いを嗅いでみると、ウゾにはその花弁がどんな花のものか、すぐにわかった。
 ナカラギの桜だ。
「あら、桜の匂いね」
 もち姫にもその微かな香りが届いたのかもしれない。
 そう言えば、ウゾともち姫は花の縁で知り合った。どちらも花が好きだった。杉の花を除いて。ウゾにはどんな一本でも、桜や梅の木々を見分けることができた。
 ナカラギの桜は、この街のカモガワ沿いにある植物園の脇、八百メートルの道に並んでいる桜だ。開花時期はほんの少しだけ、他の桜よりも遅い。
 これはそのナカラギの道の北の端の方にある、古い木の花びらだ。

 そこからはもち姫の出番だった。
 もち姫の招集で町中の猫たちが集った。知っている猫も、見える猫も、見えない猫も、みなが助けてくれた。そして、見えないけれど人間の言葉が読める不思議な能力を持った黒猫のナイトが、その看板を見つけてくれた。
 四月十五日午後九時、ナカラギの桜が途切れるあたり、キタヤマ通りでバイクに人がはねられたらしく目撃情報を求めている、と。僅かな血の跡とバイクのタイヤ痕が残っていたようだが、それらしい事故の届けはなく、音を聞いた、逃げていくバイクを見たという情報だけが数件、警察に寄せられていた。また、近くに住む五歳の女の子の行方がわからなくなっていて、警察は二つの出来事には関係があるかも知れないと思っているらしいのだ。

 ウゾは女の子をその場所に連れて行った。
 ナカラギの桜はもうほとんど散っていて、僅かに数本に名残の花が、暗闇の中で艶やかに浮かび上がって見えていた。淡い紅の花びらがウゾと女の子の周りで散った。女の子はもう泣いておらず、ウゾの手をしっかりと握りしめていた。
 そして、キタヤマ通りの事故現場に立った時、女の子は耳を少し動かした。
 車や人の作り出す音、風の音、水の音、それらを一生懸命に聞いているようだった。やがて、女の子はウゾの手をしっかりと握ったまま、走りだした。
 ウゾは女の子の手をしっかりと握った。やはり、とても懐かしい気持ちになった。
 猫たちも一緒に走った。
 あっちの世界の、女の子の身体のある場所に向かって。
 今日は四月二十二日、時は午後八時五十五分。


「ウゾ! お前は本当に、一体全体、試験を受ける気があるのか~!」
 百鬼夜行学校の一番おっかない教官、タタラが叫んだ。タタラはやたらと体が大きいので、大きな声を出すと空気の振動が半端なかった。元はミドロガイケの龍だったという話だが、龍がジョウブツできなくて鬼になるなんて話は聞いたこともない。多分、ただの噂話だ。とにかく、鬼が言うのもなんだけど、顔も大きさも声も、怖いのだ。
 ウゾは首を縮めた。
「いえいえ、ウゾはニンゲン助けをしていたのですから、ちょっと大目に見てあげましょうよ」
 この物わかりがよく優しい、パーフェクトのっぺらぼう女史は、鬼になる前はキツネだったらしい。
「いや、これでウゾは、この学校始まって以来、予定も含めて、二番目に追試回数の多い生徒になってしまったんだぞ~」
「でも、一番は一万八百八回だから、まだまだ……」
 ウゾが言いかけると、タタラが畳みかけた。
「その記録は特別なのだ! 三千を超えるなんぞ、普通ではありえん~!」
 振動が耳の鼓膜を破りそうだった。
 そう、一番の記録は断トツで、その伝説のつわものにはウゾも一度は会ってみたいものだと思っている。そして、二番手は昨日まではウゾともう一人が並んでいたのだが、今日ウゾがついに一歩前に出たのだ。
「まあまあ、タタラ先生、そのくらいにしてあげましょう。今日は新入生を紹介しなくては」
 パーフェクトのっぺらぼう女史がタタラの腕を優しく掴んだ。

 あれ!?
 ウゾは自分の目を疑う。
 そこには、ポケットを縫い付けた痕のある赤いスカートをはいた、そして顔にはちゃんと目と鼻と口の戻った、あの女の子が立っていた。女の子はウゾを見て、にっこりと笑った。
 その笑顔には何だかとっても暖かいものがあって、ウゾはちょっと嬉しくなった。
 いや、そんな感傷に浸っている場合ではない。
 間に合ったはずなのに。ちゃんとゴクラクに行ったんじゃなかったのか……
 パーフェクトのっぺらぼう女史が生徒たちに告げた。
「サクラちゃんは、七日の期限に間に合わなかったので、今日、私たちの仲間入りをしました。それに、あっちの世界でサクラちゃんを死なせてしまった犯人がまだ捕まっていないので、お母さんが苦しんでおられます。場合によっては逢魔が時の呪いを使いましょう。ウゾ、面倒をみてやってね」

 ウゾは時々鬼が怖くなる。
 自分も鬼なのだが、怖いのだ。
 鬼たちは許せないニンゲンがいると、時々容赦がない。
 逢魔が時の呪い。それは上級の鬼にだけ許された百鬼夜行だ。
 普通の百鬼夜行は深夜に行われる。ニンゲンが間違って見てしまったら命を吸い取られるというが、それも月に一度の百鬼夜行日だけだ。だが、逢魔の時に特別に行われる百鬼夜行は、夜行というには少し早い時間だが、まさに命を取りに行くものなのだ。
 鬼なのに、鬼が怖いのは何故なんだろう。
 ウゾにはまだまだ自分が分からない。

 サクラちゃんが嬉しそうにウゾに走り寄ってきた。サクラちゃんの目は茶色で大きくて、光が入っているみたいに輝いていた。
 サクラちゃんはウゾの手を握って、綺麗な声であの時はありがとうと言った。こんな素敵な声だったんだと思ったら、少しだけ、先にゴクラクへ行ってしまわないでいてくれてよかったと思った。一緒にもち姫のところに遊びに行くこともできると思うと、嬉しかった。
 でも……一度鬼になってしまったら、ゴクラクまでの道のりはちょっと遠いのだ。
「どうして鬼になってしまったの。間に合ったと思ったんだけど、時計が間違っていたのかなぁ」
「ううん。ウゾ君のおかげで目と鼻が戻ったら、お母さんに桜の花びらを届けるところだったことを思い出したの。それでおうちに寄り道していたら、間に合わなくなっちゃったの」
 サクラちゃんは病気のお母さんに桜の花を見せてあげたかったのだ。だからあの日、あんな時間に、ひとりでナカラギの道に行ったのだという。そしてポケットに桜の花びらをいっぱい詰め込んで家に帰る途中、バイクにはねられたのだ。
 サクラちゃんはすぐに『時』を迎えたわけではなかったようだ。サクラちゃんをはねたニンゲンは、サクラちゃんと目があって、顔を見られたと思ったのかもしれない。こんなに小さな子どもに顔を覚えていられるなんて、どうして思ったのだろう。そのニンゲンはサクラちゃんを近くの山へ連れて行って、殺してしまったのだ。
 パーフェクトのっぺらぼう女史の言うとおり、逢魔が時の呪いを使うに値する、ひどい話だとは思うけれど、それでもウゾの心の中には何かが引っかかる。
 
「ありがとう。お母さんに桜を見せてあげることができたのは、ウゾ君のおかげだよ」
 それでも、サクラちゃんにそう言ってもらえると、嬉しくなった。サクラちゃんにとってはゴクラク行きの簡単コースに間に合うことより、お母さんに桜を見せてあげることの方が大事だったのだ。
 お母さんは、やっと見つかったサクラちゃんのためにポケットを縫ってくれたそうだ。
「僕じゃなくて、もち姫と猫たちのおかげだよ」
 サクラちゃんは本当に花のように素敵に笑った。
 そうだ、後で一緒にもち姫に会いに行こう。もち姫に話を聞いてもらったら、きっとどんなことも乗り越えていけるような気がする。それに、たぶん僕より早く、さっさと試験に通ってしまうに違いないけれど、これからサクラちゃんと一緒に過ごす時間は、きっととっても素敵なものになるだろう。

 ふと風が吹いた。その風に乗って、サクラちゃんからは、あのナカラギの桜の匂いがした。

(【百鬼夜行に遅刻しました】了 2013/3/22)



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Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】夏・朝顔(前篇) 

【百鬼夜行に遅刻しました】夏篇をお届けいたします。
この作品は、ウゾさん(→ブログ:百鬼夜行に遅刻しました)のブログタイトルからインスピレーションを得て、タイトルをまんま頂き、しかも主人公の名前にウゾくんを頂き、お人好しで優しい元気な小鬼になっていただきました。
1作で終わる予定が、大海の悪い癖で、謎を振りまいてしまいました。振りまくと収拾したくなるのも大海の癖で、続きができてしまいました。
花をテーマにしながら、春から始まり、最後は春で終わる予定です。
少しずつ、ウゾくんがなぜ百鬼夜行に遅刻してしまうのか、謎が解けていくといいなぁと思います。
1作目:【春・桜】はこちら

夏のテーマの花は朝顔です。俳句の季語では秋なのですが、やはり朝顔は夏休み前の花のイメージがあります。
今回、歴史ミステリーと銘打っておりましたが、ちょっと違う方向へ行ってしまいました。
いささか重めのテーマです。季節が季節ですから。
悩んで成長していく小鬼のウゾくんをお楽しみください。

そして今回、なんと遅刻仲間が……! まさか、あの子が……
実は少し長くなりまして、前後編でお送りいたします。
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 夏がやって来た。

 残念ながらウゾたち、鬼の百鬼夜行学校には夏休みはない。
 そもそも夏はかき入れ時だ。
 中には、ニンゲンのテレビ番組に出演するものもいる。夏によく放送されている『恐怖、今夜あなたの後ろに…!』みたいな番組にちょっと顔を出すのだ。

 もちろんニンゲンに出演を頼まれたわけではない。
 だから、当たり前のことだがニンゲンからは出演費が貰えるわけではない。
 学校が斡旋するバイトみたいなものだ。1回出ると、豪華トカゲとカエルの干物セット1週間分が貰える。
 最近、美味しいトカゲやカエルは少なくなっているから、結構人気の商品だ。

 ああいう番組のほとんどは、いわゆるヤラセなのだけれど、たまにはニンゲンに思い知らせておかなければというのが鬼界の理念みたいで、このチャンスにちらりと『ホンモノ』の気配を見せて釘を刺しておくのだ。
 放っておくとニンゲンは暴走するから、人智を超えたものがお前たちを見張っているぞ、と知らせておくのだという。
 もちろん、ウゾみたいな小鬼にその割のいいバイトが回ってくることはない。


 あぁ、また遅刻だぁ……

 ウゾはタダスの森に4本しかないというアキニレの木の下を住処にしている。ごそごそと地面から這い出て来て、アキニレの木に背中を預けたまま座って、ぼんやりとする。
 鬼だから暑いとか寒いとかはないはずなのだけれど、ウゾはやっぱりちょっと夏バテする。
 うだうだしているニンゲンの顔を見たり、盆地独特の熱気に干上がりそうな小川に足を踏み入れたり、何となく木々の葉っぱが元気がないのを見ると、気分だけでもばててしまうのだ。
 遅刻の言い訳をするのじゃぁないけれど。

「ウゾ、チコク」「マ・タ・カ」「チ・コ・ク」「チ・コ・ク」
 はやし立てるダンゴ達も、夏になるとなんとなくやる気がない。

 まぁ、いいや。二時間目に間に合ったら。
 既に長い夏の陽さえ沈んでいる。太陽が沈んでも、地面の温度が冷え切る前に次の太陽が昇ってくる。
 もちろん、この森の中はキョウトの町の中に比べたら、随分と気温も低いのだが、今年は湿気が半端ではない……らしい。
 あぁ、でも、サボってたらもち姫に怒られるかなぁ。
 
「ウゾくん、おはよっ」
 サクラちゃんが今日も迎えに来てくれる。
 サクラちゃんは例のナカラギの桜に住んでいる。そして、ただのクラスメートではなく、他の意味でもウゾの仲間になっていた。

 ウゾほどではないのだが、遅刻の常習者なのだ。
 なんか、寝過ごしちゃうのよね。というのか、夜って普通に眠いし、昼は寝れないよねぇ。これって昼夜逆転じゃないの。
 いや、昼夜逆転じゃないのだ、鬼としては。

 サクラちゃんのすごい所は、結構サバけているところだった。可憐な少女と思っていたら、とんでもなくスーパーな女の子だということが分かった。
 春のお花見では、新入生に対するいじめをあっさりと跳ね除けた。
 宴会中に髪の毛を切られて、サクラちゃんの方が切れたのだ。

 鬼の髪の毛には霊力が宿っているので、これを切ることは力を削ぐことになる。新入生の髪を切るのは、上下関係をはっきりさせるために、慣例として行っている、公認の苛めらしい。誰に公認かはよく分からないけれど。
 ウゾは自分がされた時のことを、もう忘れてしまっている。
 ところが、サクラちゃんは、怒った。
 髪は女のイノチなのよ! ふざけんじゃないわよ!

 ……ウゾはビビった。サクラちゃんは可憐な少女ではなく、逞しい少女だった。自分の道は自分で切り開く系なのだ。
 学校の成績は抜群で、技の習得も誰よりも早い。たとえば、花にシュリケンのように刃を忍ばせる術や、ヒタキのような小さな鳥を大きくする術も、先輩のウゾを追い越して完璧に身につけた。鬼についての情報も、あちこちで聞き込み、自分たちの将来をあれこれ考える、賢い女の子なのだが……
 ちょっと面白かったのは、サクラちゃんが切れた時、学校一怖い教官、前身はミドロガイケの龍だったという(みんな、疑っているけれど。だって、龍は鬼になんかならない。始めから鬼みたいなものだから)タタラが、目を丸くしてサクラちゃんを見ていたことだ。

 ちなみに、鬼になっても、ニンゲンの時と同じように、花見をする風習をそのまま引き継いでいる。
 ニンゲンたちを見下ろしながら、木の上で、正確には花の上で宴会をしているのだ。その日だけは、学校も休みだ。というより、花見は学校行事なのだ。
 ニンゲンには警告しておきたいが、花見の時に、不用意に桜の木の上を見上げたりしない方がいい。もしかして鬼が見えたら、ちょっと厄介なことになるかもしれないのだから。
 もっとも、夜の明かりの中で見上げる真っ白に浮かび上がる桜のさらに上にいる鬼たちが、簡単に見えるとは思えないが。

 もうひとつ、サクラちゃんの大胆なところは、たまに学校を平気でサボることだ。
 ウゾなんか、さすがにそこまでの勇気はない。遅刻して怒られながらも、行かなくて怒られるよりはいいに違いないと、さすがに思いきれない。
 もちろん、サクラちゃんを助けた時は、それどころじゃなかったのだけれど。

 で、サボる時はいつもこれだ。
「ね、もち姫のところに遊びに行こうよ!」
「で、でも、ガッコウ……」
「今日の授業は辻を曲がる時の角度についてでしょ。大丈夫、それ、この間、ツジドウロウに聞いたから、今度教えてあげる。それより、もち姫のところに行こう」
 ウゾはさすがに、こんなふうに確信犯にはなれない。

 ちなみに、ツジドウロウというのは、辻に置かれている灯篭のことだ。古い奴になると、たまにこっちの世界では生きているのがいる。毎日辻を通る鬼たちを見ているので、鬼の規則は分かっているらしい。
 サクラちゃんはどこかから灯油をちょっとだけ手に入れてくる。
「お、灯油やないか。最近は、もっぱらデンキやろ? これがまずくてさ」
 ツジドウロウは灯油を舐めながら、嬉しそうだったらしい。
「で、お嬢ちゃん、何が知りたいんや?」

 サクラちゃんがすごいのは、上手くギブアンドテイクを利用して、誰とでも、いつの間にか友だちになっているところだ。ウゾもあれこれ友だちは多い方なのだが、サクラちゃんの「ココロの掴み方」は特別だ。

 でも、もち姫のところに行こう、というのは魅惑的な言葉だ。
 ウゾだって、もち姫のところに行くのはとても楽しい。
 でも暑くなってきてからは、もち姫もしんどそうな時があるから、昼間は休んでいることも多い。本当ならウゾたちは眠っている時間だ。もちろん、ウゾはあまりよく眠れないのだが。
 ウゾたちが学校から帰る時間、太陽が昇り始める時間には、もち姫は幾らか忙しい。他の猫たちに色々と教えておかなければならないこともあるようだし、ウゾたちと遊んでばかりはいられないのだ。
 一番いいのは、ウゾたちが学校に行く時分、涼しい風が少し吹き始める時間帯だ。もち姫は一番気分が良さそうだし、他の猫たちも来ていない。

 だから、いっそウゾ達が学校を休んでしまえば、もち姫とゆっくり話ができる。
 もち姫はこの世(鬼の世界)とあの世(ニンゲンの世界)を行き来できる特別な「知っている猫」だから、沢山のことを分かっている。ウゾたちにもいろんなことを教えてくれるし、他の猫たちの先生でもある。

 でも何より、ウゾはもち姫と一緒にいることが楽しいのだ。別に話なんかしなくても。
 サクラちゃんは、知りたいことがいっぱいあって、もち姫に質問攻撃だ。もち姫は嫌がらずに答えてくれる。でも、本当にもち姫が忙しい時やしんどそうな時は、ちゃんとわかるみたいで、サクラちゃんも何も言わずにもち姫と一緒に縁側に座っているだけだ。
 そんなサクラちゃんを、ウゾも、多分もち姫も、結構好きなのだ。

 でもサクラちゃんだって、いつでもサボろうと考えているわけではない。女の子は結構合理的な考えを持っている。
「今日の授業は出とかないと! 元ニンゲン以外の鬼との付き合い方だよ。走ろう、ウゾくん」
「う……うん……」
 眠い。ゾンビになりそう。あ、そうだ、鬼なんだし、既にゾンビみたいなものだった。
 でも、サクラちゃんに手を引っ張られて走っているうちに、目が覚めてきた。
 そうなると、今度はウゾがサクラちゃんを引っ張ってあげる。そんなときのサクラちゃんは、ちょっとほっぺを赤くして、可愛らしい女の子に戻っている。


 学校の門を時間内に潜らなければ、ある一定時間は締め出される。
 ウゾたちはいつもギリギリか、遅れるかのどちらかだが、結構門番に融通をきかせてもらっている。
 タタラにばれたら、門番のグンソウも怒られると思うのだが、グンソウは表情を変えないまま、そっと門を押さえて数分くらいはウゾたちを待っていてくれる。

 百鬼夜行学校の門番兼用務員、グンソウは、いつも怖い顔をしている。
 鬼だから怖いのは当たり前なのだが、タタラのように怒鳴ったりもしないし、むしろ何も話さないので怖い、という印象なのだった。一度も表情を変えるのを見たことがない。
 兵隊さんみたいな恰好をしているので、グンソウと呼ばれているのだが、実は、正確に言うと、彼は鬼なのかどうかよく分からない。

 昔は百鬼夜行学校の生徒だったそうだが、ジョウブツする気持ちがないので、学校の門番になったのだという。
 もしかしたら、断トツ一番の遅刻最高回数、一万八百八回の記録の持ち主はグンソウではないかと思ったこともあるのだが、グンソウはもう随分始めのころからジョウブツはしないと決めていたそうで、そんな回数の遅刻をするほど試験は受けていないようだ。

 グンソウは鬼のような風体をしているが、どちらかというと、まだニンゲンに近い。
 ジョウブツしないままこの世に残ると、だんだん苦しくなっていくという。その苦しみはものすごいのだというけれど、それがいつその鬼の身に起こるのか、どんな苦しみなのか、誰も知らないらしい。
 そう、この世に未練があったり、上手くジョウブツできない者が鬼になるのだが、それでも最終的にジョウブツするために一生懸命やっている、それが鬼だ。
 だから、グンソウがなぜ、その苦しみのほうを選んで、ジョウブツを諦めたのか、ウゾはずっと疑問だった。

 今日も、グンソウは何も言わず、怖い顔のまま、ウゾたちをそっと通してくれるだろう。
 それに、サクラちゃんが来てから、少しだけグンソウの表情が柔らかくなった気がしていた。何か、懐かしいものを想うような顔をする時がある。そんなふうにウゾには思えるのだ。

 あれ。
 ウゾがいきなり足を止めると、サクラちゃんがつんのめってウゾの背中にぶつかってきた。
「ウゾくん、急に止まらないで」
「グンソウがいないよ」
 サクラちゃんも足を止めた。
「ホントだ」
 門はまだ開いていた。だが、グンソウがいない。

 授業よりも気になる。そういうところはサクラちゃんと波長が合う。
 門の内側を覗いてみたが、どこにもいない。用務員室も見に行ってみたが、やっぱりいない。今度は門の外に出てみたら、ウゾとサクラちゃんの背中で門が閉まってしまった。
 ウゾとサクラちゃんはゴショの中をあちこち探してみることにした。

 うろうろしていると、どこかから唸るような声が聞こえてきた。
 誰かが苦しんでいる。
 ウゾの耳が反応したということは、ニンゲンではない誰かだ。
 ウゾはサクラちゃんと目を合わせ、一緒に走った。

 その時、見たものを、ウゾもサクラちゃんも忘れられない。
 ゴショの隅っこにあるお茶室の脇で、グンソウが、地面をのたうちまわりながら、鬼としてかニンゲンとしてか、あるいはもうすっかり別の生きものとしてなのか、苦しみもがいて咽喉から絞り出すような声を上げ、血を吐いていた。
 もちろん、ニンゲンではないのだから、身体の中に赤い血が流れているわけではないのだが、身体の内側にある得体の知れないものを吐き出しているように見えた。
 苦しくて、辛くて、悲しくて、どうしようもないような姿だった。

「グンソウ!」
 ウゾとサクラちゃんはグンソウに駆け寄った。
 もしかして、いよいよジョウブツしない鬼の苦しみが始まってしまったのだろうか。
 グンソウは、鬼の形相をもっと鬼にして、真っ赤に血走った目で見えないものを見て、そこにないものを掴もうとしているように見えた。

 ウゾは本当はちょっと怖かった。でも、今はそれどころじゃない! 何とかしなくちゃ! 
「もち姫を呼んできて!」
 小鬼のウゾにはとてもグンソウを運ぶことはできない。サクラちゃんと力を合わせたとしても無理だ。
 サクラちゃんは、ウゾが言うが早いか、駈け出した。

「グンソウ! しっかりして!」
 グンソウは怖い顔をしているけれど、本当は優しい人だと思っていた。だって、ウゾたちのために門を押さえてくれているのだから。
 でもどうして! ちゃんとジョウブツしたら苦しまなくて済むのに! そりゃ、試験に合格するのは難しいけれど、それはウゾがチコクばっかりしているからで、普通の鬼なら千回以内で合格するのに。

 もち姫のいる場所は近くない。それに、もち姫の身体でここまで走ってくるのは大変だ。
 サクラちゃんが意外に力持ちだったとしても、あっちの世界にある身体は、ウゾたち鬼にとっては結構な重さだ。
 グンソウがばたんと身体を回転させ、うつ伏せになって、地面を引っ掻いている。正確には、地面の様なやわらかい土ではなくて、目に見えない何かもっと硬そうなものをひっかいているのだ。爪が剥がれ落ちて、血が噴き出している。
 鬼なのに! ニンゲンよりも強いはずなのに。
 それは血というよりも、グンソウの中のココロのようなものなのかも知れない。ウゾには見えないが、グンソウには見えている何かだ。グンソウは身体から吹き出す何かを見てはのたうち、泣き叫んでいる。

 どうしよう。
 もち姫、ボクはどうしたらいいの。
「グンソウ!」
 体に触れようとしたら、グンソウの腕がウゾを跳ね飛ばした。ウゾは転がって、何かに身体をぶつけた。

 転がったままふと見上げると、ぼんやりとした視界の中で蒼い光のようなものがいくつも見えた。
 ウゾがぶつかったのはお茶室の脇の垣根で、そこに絡まるように朝顔のつるが伸びていて、蒼い花を咲かせていた。
 いや、正確には、朝顔はもう萎れていた。
 夕闇の中で、蒼い光が消えていく。
 グンソウが苦しみ、叫びをあげている。

 僕には何もできない。誰か、グンソウを助けて。
 ウゾは涙を流して、大きな暗い空を見上げ、目を閉じた。





さて、小鬼のウゾくんにはどうすることもできない問題が起こっているようです。
後篇も、頑張るウゾくんを応援してあげてください。
今夜、日付が変わる頃に(変わってからかも?)、またお目にかかりましょう。

Stella、間に合うのかなぁ? 締め切りは過ぎていますが……
今夜続きをアップしてから考えます。
イラストレーター募集したくなってきちゃった。





Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】夏・朝顔(後篇) 

<お断り>現実の出来事をいささか脚色しており、そのものの内容ではありません。あくまでもひとつのフィクションとして読んでいただければ幸いです。

夏ですから、そういう季節になってしまいました。
文字に起こしてみたら、予想以上に辛い話になってしまったような気がします。
ただ、主人公は鬼たちですから、どうしても人の生き死にが関わってきて、楽しい話にはならないもので。
ファンタジーですが、一生懸命のウゾくんを、どうか見守ってやってください。

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「そこの小鬼、何か用なの」
 突然呼びかけられて、仰向きに倒れたまま目を開けると、頭の直ぐ上に垣根を背にしてものすごい美人が立っていた。ウゾは跳ね起きた。

 青白い衣は、いわゆる天女の羽衣とでも言うのだろうか。すらりと背が高く、髪はいわゆる緑の黒髪だ。艶やかに、この世界のかすかな光をも集めて、内側から光を放っている。瓜実顔に三日月のような眉、切れ長の目。
「誰?」
「失敬な小鬼だこと。今日はもうこんな時間だから眠るところだったのに。明日の朝のために、闇を渡る風と月の露から鋭気をもらわなければならないのだから。休まなければ、また明日、美しい姿を見せられないでしょう。毎朝、皆が私を待っているのよ」
「誰か知らないけど、この人を助けてあげて!」
 美人の自慢話を聞いている余裕なんてなかった。

「いちいち失敬な小鬼ね。何より、お前、学校はどうしたの?」
「だって、この人が……」
 美人はふ、と息を吐いた。甘い花の香りがした。いや、きっとニンゲンには分からないだろう。ウゾにはわかる。
「朝顔?」
「呼び捨てはないわね、小鬼。学校の子なら、タタラを呼んで来たらいいでしょうに」
 ウゾはちょっとびっくりした。
「タ、タタラを知ってるの?」
「ほ。鬼が誰でもタタラを知っているように、花はみな、タタラを知っているわよ」

 その時、叫び続けていたグンソウがこと切れたようにがくんと跳ねて、動かなくなった。
「グンソウ!」
 ウゾは転がるようにグンソウに駆け寄った。
「グンソウ、しっかりして!」

「心配する必要はないわ、小鬼。死にはしない。おや、もう死んでるんだったわね。つまり、それ以上死ぬことはないし、苦しみは終わることはない。気を失うことはあっても。そして、夢の中にまで悲しみは入り込んでくる」
「何で!」
 ウゾは泣きながら美人、つまり朝顔の精を見上げる。
「それはその男が選んだことだからよ」
「自分で苦しむことを選ぶなんて、そんなことあり得ないよ!」
「お前はまだ子どもね、小鬼。何もわかっちゃいない」

 そして不意に顔を上げる。
「そうね、では、なぞなぞをしようじゃないの」
「なぞなぞ?」
「お前が、私の満足する答えをくれたら、その男に束の間、良い夢を見させてあげましょうとも」
 ウゾは、動かなくなっても唸るように血の汗を流し続けるグンソウの手を握った。ウゾの手も、グンソウが身体の内側から流し続ける苦しみで、真っ赤に染まっていた。
 ウゾはキッと朝顔の精を睨んだ。
「いいよ」
 ふふ、と朝顔の精は笑った。腹が立つけど、すごい美人が笑うと、すごく綺麗だった。
 仄かな香りが辺りに漂う。

「ある時、農民から成りあがった天下人と、彼に仕える茶人がいた。今や天下人の自由にならないことはない。多くの家来を持ち、黄金の茶室を作り、極楽に見立てた華やかな花見の宴を開いた。そして夏が来て、おや、当時としては秋だったのかしらね、茶人の家の垣根にそれは美しい朝顔が幾多と咲いた。垣根を覆い尽くすほどの美しい花々は世間の評判になった。天下人はその朝顔が見たいと茶人に所望し、茶人は天下人を家に招いた。でも、茶人は垣根の朝顔を全て切り捨てていた。どうしてだと思う?」
「知らないよ。でも一生懸命咲いている花を切り捨てるなんて」

 朝顔の精は、風のように笑った。
「いい答えね、小鬼。茶人はね、垣根の全ての花を切り落し、たった一輪だけ残して、その一輪を茶室に飾ったのよ。この一輪の美しさを際立てるために、そしてこれこそが武士道と示すために。天下人は激怒した。茶人の示す武士道が理解できなかったからよ」
 ウゾは黙ったまま、傍に立つ朝顔の精を見上げていた。
「天下人は言うことをきかない茶人を、やがては死罪に処した。でも、最後まで、許しを乞うてくるようなら許すつもりだった。だが茶人は、己の武士道を貫いて果てた。この朝顔の話は、天下人の傲慢と茶人の心意気を示すものとして語り継がれている」
「花は同じように見えて、どの一輪も同じ色じゃないし、匂いだって違う。どの一輪を残すかなんて、どうしてその茶人に決められるの」

 その時、朝顔の精はふと微笑んだように見えた。
 朝顔の精は滑るようにグンソウの傍に寄り、そっと衣で彼に触れて呟く。
「付け薬では、根本のところを癒すことはできない。自ら救われたいと願わない限りは。けれど、今だけはしばらく良い夢を見させてあげようじゃないの。小鬼、お前の手柄よ」

 しばらくすると、グンソウの息が静まり、表情は、今まで見たことのないくらいに穏やかになった。ウゾの手に伝わってきた苦しみの霧が、少しだけ晴れるように薄らいでいく。見上げると、ちょっと怖いと思っていた朝顔の精の横顔が、優しい母親のような光を纏って見えていた。
「お前は、そのまま自分の正しいと信じたことを貫くといいわ。おや」

 朝顔の精が顔を上げる。ウゾは彼女の視線の先を追った。
 涙でぼんやりと煙った暗い空に、大きな身体が浮かんでいた。うねる様な身体は、低い空の月の光を照り返している。長い尾と、鱗と、鬣、そして長い髭。
 本当に龍なの?
 ……タタラ。
 ずん、と振動がウゾにも伝わる。降り立ったタタラは、全然龍には見えない、ただのでかい鬼だった。

「久しぶりね、タタラ」
「アオイか」
「生徒には門番のことを心配するより、自分の心配をするように教えることね」
タタラは一瞬ウゾを見たが、いつものように怒鳴ったりぶん殴ったりはしなかった。
「うちの学校の門番を探しに来たのだ」
「そう。少し眠り薬を振りかけておいてやったわ。少しの間だけ、昔の良い夢を見られるでしょう。この男には私の娘たちを慈しんでもらった借りもあったから。あら」
 朝顔の精は再び顔を上げる。

 ウゾが見上げると、巨大化したヒタキらしき鳥が、もち姫を抱いたサクラちゃんを運んでいる。
 そうか、デツカイゾ術だ。サクラちゃんはすごい。完全にマスターして、より強力になっている。ヒタキのような小さな鳥を、小鬼とあっちの世界の猫を運べるぐらい大きくできるなんて。
 ヒタキはちょっと眠そうで、まっすぐ飛んでいなかったけれど。
 鳥目だし。

「おや、もち姫じゃないの。千客万来とはこのことね」
 朝顔の精はもち姫を見るなりそう言って、それからタタラを見、改めてウゾを見た。
「そうなの、じゃあ、この小鬼は……」

「アオイさま、御無沙汰しております」
 もち姫がそう言いながら、するりとサクラちゃんの腕から降りた。
「そうね、もち姫。あなた、まだ姉さんの命令で息子の面倒を見ていたの」
「これが私の仕事ですから」
「あなたも苦労から解放されることはないわね。それが『知っている』猫の運命であり、喜びなのでしょうけれど。では、タタラ、もち姫、これにて失礼。お肌に悪いから、眠らなくては。明日出会う人を失望させるわけにはいかないの」
 朝顔の精は、垣根に伸びた蔓の先の蒼い蕾の中へするりと消えた。
 辺りに、ウゾと、多分もち姫だけが感じることのできる匂いが漂っていた。

 しばらく、誰も何も言わなかった。
 やがて、タタラともち姫が視線を合わせた。

 どういうこと? タタラともち姫も知り合いなの? もちろん、タタラのように力のある鬼が、特別な猫のことを知らないわけがないと思うけれど、交された視線は、もっと個人的で特別な印象があった。
「今日はウゾとサクラは病欠か。仕方がない。もち姫よ、宿題を届けてくれ」
 タタラの声は相変わらずでかくて、怖い。

 何のことか分からないウゾとサクラちゃんはぼんやりしたままだったが、もち姫は心得たように、眠るグンソウに近づいた。そしてグンソウの鼻のあたりに額を擦り付ける。もち姫の白い尻尾が微かに揺れている。触ってみて、と言われている気がして、ウゾはサクラちゃんと目を合わせた。
 二人で、そっともち姫の尻尾に触れる。
 その時、一度にたくさんの映像が、ウゾの頭の中に流れ込んできた。
 
 小さな家。竹垣に絡まる朝顔の蔓と瑞々しい緑の葉。青白い花が零れるように朝日の中で輝いている。花から落ちる露。もんぺ姿の優しい顔の女の人が、玄関から出てくる。足元に小さな女の子。サクラちゃんより少し小さいだろうか。
 お父ちゃん。舌っ足らずな声で呼びかけて、弾けるような笑顔を見せる。
 お父ちゃん、あさがお、きれいね。
 毎日、水をあげるんだよ。どの一つの花も、朝開いて、夕に萎むまでの短い時間、いっしょうけんめい咲いているのだからね。
 うん。
 蝉の声、庭の飛び石に跳ねる打ち水の音。

 しかし、やがて空は真っ暗になる。
 大きな爆音が響く。空が燃えている。燃える空の中を飛行機……いや、戦闘機が唸りを上げて飛んでいる。上空で何かが光る。あれは爆弾?
 地面が燃える。森の中に逃げ込んでいる兵隊たち。煤けた頬と涙と血。
 小屋の中。真っ暗で何も見えないが、何かがうごめいている。たくさんのニンゲンのようなもの。鬼よりも、ずっと苦しい姿をしている。暗闇の中で、紙をかしゃかしゃともみしだく音のように聞こえているのは、蛆が肉を食らう音だ。耳を塞いでも、目を塞いでも、そこには累々と死が積み上がっている。
 大きな暗い穴が見える。多くのニンゲンたちが見える。
 捕虜になるのは恥である。男は八つ裂きにされ、女は犯されて殺される。生きて恥を晒さぬように自決せよ。
 祈りの言葉を叫びながら、愛する家族の頸部に鉈を振り下ろす男。やがて残された男たちも、自らの手で焼夷弾を爆発させる。
 それでも命令を淡々と繰り返す声が聞こえている。自決せよ。
 振り返ると、後ろにあるのは黒く焦げた大地と積み上げられた死体と、そしてどす黒い何者かの影。
 裁判所だろうか。6月25日、すでに司令部は自決し壊滅していたにも拘らず、命令系統の崩壊した戦場で民間人に無益な自決を強いたのは大罪である。
 小さな女の子の死の上に、その女の子が愛した父や母の死が重なる光景が、心のうちを過ぎる。
 誰かが走っている。地面が揺れて、声が錯綜する。切れ切れの息。
 手に握られた一丁の拳銃。握りしめる手は真っ黒で震えていた。やがて揺れる視界の中で、真っ赤な閃光が煌めき、そのまま暗転した。

 暗転した闇の中に、青白く光るものがある。
 ぼんやりと光っていたものが、揺れながら形を成していく。
 朝顔の青白い花だ。重なるように小さな女の子の弾けるような笑顔。光の溢れた小さな庭。白い割烹着の裾が風に舞う。
 お父ちゃん。
 あさがお、咲いたよ。いーっぱい、咲いたよ。


 朝顔の精が、苦しい夢の上に、少しだけ温かい光の夢の雫を零してくれたのだ。
「これはまだ、ジョウブツしないと決めたものにとって苦しみの始まりに過ぎない。さて、後は自分たちで考えるといい。それが宿題だと伝えてくれ」
 動けないウゾとサクラちゃんの側で、タタラがもち姫に向かって言った。
 続いて、何かの術を、でっかくなったヒタキにかけた。するとヒタキの目が昼間のように開かれて、数度ばかり羽根を大きく振った。

 それからタタラは軽々とグンソウを抱き上げて、学校の方へ身体を向け、でかい声で独り言を言いながら歩き去って行った。
「病欠なら仕方がない。その代り、明日遅刻したら、おしり百ペンペンの刑だな」

 ……あれは痛いんだ。でも僕はともかく、サクラちゃんは女の子なのに可哀相だ。
 でも、もっとかわいそうなのは、グンソウだ。
 ウゾは唇を噛んだ。
 グンソウの見た景色は自分の罪の景色だった。上層部からの自決の命令を正しいと信じて、部下や民間人に命じたグンソウがどのくらいの罪になるのか、ウゾには分からない。戦場では、被害者になるだけではない、誰もがたった今、加害者にもなるかもしれない。
 それがグンソウの罪?
 でも戦争がなかったら、グンソウは優しいお父ちゃんだったはずなのに。たった一日で萎んでしまう朝顔の、どの一輪をも美しいと娘に伝えた、優しいお父ちゃんだったのに。
 それなのに、一体どこにグンソウの罪があったの?
 やむを得ず、あの時代に生まれてしまったこと?
 自分が許せないから、グンソウはジョウブツしないことにしたの?
 どんな苦しみを受けても、身体が消えるまで苦しみを絞り出すことになっても、それが毎日繰り返されても、どんなに痛くても、ひとりぼっちで哀しくても、ジョウブツしないで苦しみ続けることにしたの?

 ウゾはぎゅっともち姫の尻尾を握りしめた。
「ウゾ」
 拭っても拭っても涙が出てきた。
「サクラ」
 隣でサクラちゃんがわんわん泣いていた。

 そんなことを構っていないヒタキがひと声鳴いて、さっさと巣に帰りたいと訴えた。
「帰りましょうか。ヒタキも眠りにつく時間なのだから、もう巣に帰してやらなければ」
 もち姫を抱いたウゾとサクラちゃんは、ヒタキの足につかまって、一気に幾筋もの通りを越えた。ウゾとサクラちゃんの涙が、キョウトの町に雨を落とした。

 それでも、空を飛んでいる間に、少しだけ心が落ち着いてきた。
 どんなことが起こっても、時は流れて、人も猫もヒタキも、こうして生きているのだ。
 あ、ウゾは鬼だから死んじゃっているのだけれど、それでもある意味では生き続けていて、考え続け、答えを探しているのだ。

 キョウトのずっと北にあるもち姫の家にたどり着いたとき、サクラちゃんが、でっかいヒタキに向かって申し訳なさそうに言った。
「どうしよう。小さくする術を忘れちゃったんだけど」
 だが、言い終わらないうちに、ヒタキが急にキューン、と小さくなった。そして、あぁ疲れた、というように羽根をバタバタして、巣に戻っていた。
「心配しなくてもいいのよ。タタラはその辺、抜かりがないのだから。巣に戻るころにはまた鳥目に戻っているでしょうけれど」
 もち姫が囁いた。

 タタラとはどんな知り合いなの、と聞きかけたけれど、もち姫は朝顔の精とウゾのやり取りを聞きたがった。そしてウゾから朝顔の精のなぞなぞを聞いたもち姫は、そうなの、と言ったきり黙り込んだ。
「あの朝顔の精は何を言いたかったのかな」
「アオイさまはね、自分勝手なところもいっぱいあったけれど人間臭いあの天下人が好きだったのよ。武士道で切られちゃ、花はかなわないと言ってね。そうよ、ウゾ、大義名分のためとやらで、たとえもともと儚い小さな命のひとつであっても、切り捨ててしまうなどということを、花たちは認めないからなのよ。世界が焼け落ちて、瓦礫の山になっても、また花は咲くわ。でも、いま生きている花を、どんなに傷ついている花でも、切り落として良いということにはならない。それが花の言い分よ。人には人の言い分があるでしょうけれども」

「朝顔の精はその茶人のことを怒っているの?」
「いいえ、そうじゃないわ。その茶人もまた、命を懸けたのだから。それぞれの立場で懸命に生きたのだから。アオイさまは、そのことはちゃんとご存じなのよ。だから恨んだり批判したりされているわけではないの。花とはそういうものだから。でも、ウゾ、人も鬼も、きちんと運命を選ばなくてはならないわ。いつか必ず決断を下し、前に進まなければならない日が来るのよ。そして選んだことに対しては、自分で責任を取らなくちゃならないのよ」

 ウゾはサクラちゃんと視線を交わした。
 サクラちゃんは目を真っ赤にして、ウゾと目が合うとまたわんわん泣いた。
「もち姫はあの人と知り合い?」
「そうよ、古い知り合いなの。そして、彼女はあのグンソウのこともずっと知っていたのよ。だけど、花の精であっても、彼には何もしてあげることはできないの。彼が自ら選びとった運命だから。そう、せめてひと時の良い夢を零してあげることくらいしか」

 それからもち姫は少し遠くの空を見上げた。すでに辺りはすっぽりと闇に包まれている。少しの間降った雨は、もう止んでいた。
「グンソウは自分でジョウブツしないことに決めたんだね。でも、ボクにはやっぱりよく分からないよ。グンソウのせいじゃない、グンソウのせいじゃないのに」
「そうね、ウゾ、サクラ」
 もち姫はそれ以上は何も言葉を投げかけてこなかった。ウゾは、グンソウの手を握りしめていた自分の鬼の手をじっと見つめた。

 その時、サクラちゃんが突然泣き止んで、もち姫に尋ねた。
「私たちはグンソウに何かしてあげられないの?」
 もち姫は優しく微笑んだ。猫だから、誰も微笑んでいるとは思わなかったかもしれないけれど。
「何も。ただ、明日からもいつものように、校門で待ってくれているグンソウに挨拶をしてあげなさい。できれば、グンソウが門を押さえなくてもいい時間に、学校に行くようにしてね」

 そうだ、小鬼には何もできないけれど、でも、学校の帰りに、あのお茶室の垣根に咲く朝顔を一緒に見に行こうって誘ってみよう。
 帰りの時間なら、きっと朝顔はものすごく綺麗に咲いているだろうから。
 そして、いつかきっと、ボクはグンソウの悲しみを吸い取ってあげられるような、立派な鬼になってみせる。

 ウゾはぐっと拳を握りしめた。


【百鬼夜行に遅刻しました】夏・朝顔 了




辛い話になってしまったことをお詫びします。
時期が時期で、どんどんそんな話に。始めは千利休の朝顔話だったのですが、どんどん違う方向へ流れ……
多くは語りますまい。
楽しいファンタジーじゃなくなっててすみません。
気持ちが入ってしまって……

そして、ウゾくん自身のことについては、またまた謎が振りまかれましたね。
その答えは、多分、冬に。

(気を取り直して)秋は、雨月物語です。
今度は恋物語なので、ちょっとはましかな。でも悲恋だけど^^;

ウゾさん、ごめんなさい。書いているうちにこうなってしまいました……(/_;)


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Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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伝えたい想い/【百鬼夜行に遅刻しました】(夏)あとがきに代えて 

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(『風の谷のナウシカ』より)

ちょっと勢い余って書いてしまった【百鬼夜行に遅刻しました】夏物語。
気持ちが入りすぎて、文章が乱れ飛んでいて、後で微妙に恥ずかしくなったりもしていたので、あとがきを書きます。
はっきり言って、長いです。
面倒くさい方は、このあたりで引き返してくださいね^^;


実は、始めはウゾくんが、鬼になった戦国時代の誰かに会って……なんて話を考えていました。
エピソードに、千利休の朝顔の話を使うことは決めてあって、これをふくらます予定でしたので。

この朝顔エピソード、茶道を習っている時には、千利休は偉いことを言う人だと単純に感心していたのですが。
ふと、でも、大義のためとはいえ小さな命を散らすのは……、とかあれこれあらぬ方へ考えが転がってしまいまして。

秀吉って、天下人になっても感覚は所詮農民だったのですよね。泥臭い。
もちろん、あの場所まで知恵ひとつで登って行ったのはすごいことですが、私の中の秀吉像は、数年前の大河ドラマの『江』の岸谷五郎さん。
むかつくほどいやらしいおっさんなんだけど、単純で泥臭くて子供っぽい。
天下を取るような器じゃないはずなんだけど、あれよあれよと時が味方をしてしまった。
茶々=宮沢りえさんが、恨んで怨んで逆らいながらも魅かれて行ってしまう。
(その、秀吉=岸谷さんを憎んでいるぞ!と口で言いつつ目だけで誘う宮沢りえさんにドキドキしました……いやもう、この二人のためにあったと言っても過言ではないくらいの大河ドラマでした。無茶苦茶萌えました)。

で、朝顔エピソード。
農民ですからね、しかも感覚が子供ですからね、だからきっと、単純に、溢れんばかりに咲き誇る朝顔を見たかったんでしょうね。

千利休のほうがはるかに、政治家であり、武士であったと思います。
当時の茶の湯は、今のような単純に精神的なものではなかったはず。
お茶碗ひとつで国ひとつが買えるくらいだったと言います(そうしたのは実は下戸の信長、引き継いだのが利休)。
茶の湯に、国を動かす力があったのです。
だから、当時の二人(秀吉と利休)の関係を、現代の我々の視点から考えてはいけないと、つくづく思うのです。

あれこれ考えて、これこそ『是非もなし』だと思いました。
どちらが100%正しいわけでも、100%間違っているわけでもない。
秀吉も利休も、朝顔の美を認めていたことは確かなんでしょうね。
そして、朝顔の精は、そんな人間の営みなどは、もっと高い次元から見ていた、のかもしれません。

そう言えば、この『是非もなし』
信長が本能寺で、明智光秀の奇襲だと知った時に言い放った言葉として有名ですね。
是非もなし…やむを得ない…襲われて死ぬのもまた運命だ…人間五十年なんだから仕方がない、というような達観したニュアンス、と取られていることもあるようですが。
敦盛を好きで舞うくらいですからね、そういう思想が、とっさに言葉になったのでは、と?

この信長の言葉の前に、仕えていた者が「(襲ってきたけれど)どうしましょう」と聞いたのだとか。
これは信長の返事です。
『是非もなし』
信長ほどエキセントリックで、明確に日本の王になることを目指していた男が、ちょっと立ち寄っていた本能寺なんかで死んじゃうわけにはいかないのです。少なくともこの男はそう思ったはず。
「是非もないことだ、戦うにきまってるがや」
やられそうになって、火の中で敦盛なんて舞ってるものか、絶対最後まで足掻いて戦っていたはずだ。
信長にはやっぱりそんな男であって欲しい、そんな最後であってほしい大海でした。

話が逸れましたが(逸れすぎだって^^;)。
考えているうちに……
だんだんこの朝顔エピソード(武士道たるもの…的物語)が、信念を貫くためとはいえ、花は一生懸命咲いてるんだよなぁ、切っちゃうのもなぁ…という方向にずれ。
大義のために小さな命を犠牲にできるか、とかいう方向へずれ。
折しも、広島の原爆投下の日を迎え。
グンソウさんのように、戦争中のことを思い出したくない、語れない、でも今も苦しみ続けている、という人々もいるだろうと、想いを馳せ。
沖縄のひめゆりの塔記念館でお会いした、当時その一員だったおばあさんを思い出し。
淡々と語られた言葉が重くて。

私はその時、その人に言えなかったけれど、心の中で思っていた。
『その時代を生き延びて、今ここに生きていてくださって、ありがとう』って。
その時何があって、何をしたのだとしても、今、生きてここにいてくださってありがとう…と。


現実が重すぎて、小説には書けないことがいくつかあります。
戦争はそのひとつです。

でも、このたび、本当は書けない、書くまいと思っていたことを書いてしまったので、少しだけ言い訳をしたくなったのでした。


何かを書く時に、外してはならないこととして、自分の中にあるルールがあります。
それだけは守りながら、書いたつもりです。

ひとつは 100%の善もなければ、100%の悪もないということ。
ひとつは 過去の出来事について、現代の人間の感覚で判断・批判してはいけないということ。

だから、戦争については、当時を生き抜いた人々に対して、その人が何をしたのだとしても『断罪』する権利は、今の時代の自分にはないと思っています。
当時を生きていて、ただ被害者だった人にだけ、その権利があります。

自分が全く正しいと思う人間だけが石を投げろと、聖書にも書かれておりますが、私には自分が『全く正しい』という自信がありません。
ただ、そのことを深く考え、立ち向かうことは必要です。
過去をただ闇雲に批判するのではなく、そこから何を学び、これからどうするのかということだと思うのです。

戦争は、人間を被害者にもするし、加害者にもすると思うし、その両者は裏表の関係で、誰でもいつでもそのどちらにもなり得るのだ、そういう精神状態に人間を追い込むのが戦争という状態だということを覚えておかなければならないのだと思っています。
そして、犠牲になった人たちに対しては、時が遅くならないうちに、国として、あるいは人として、購ってさしあげなくてはならないのだと感じます。

だからこそ、何より、そのような状況(戦争)を作らないこと。
そこへ向かう理由を作らないこと。
そこに至ってしまったら、人間の精神はまともであり続けることはできないのですから。


卑近なことですが、車を運転する時、いつも思っています。
これは走る凶器だ。これに乗っている限りは、いつもで加害者になる可能性がある(最近は自転車も、のようですが)。被害者になることよりも、加害者になることの方が、本当は怖いのです。
でも……移動のためには、今はどうしても必要になってしまっています……(..)
事故は起こるものと考えて、障害物を前に勝手にブレーキがかかるようになってきています。
保険も、事故は起こるものだという前提で入らなければなりません。
そして何よりも、常に、自分が加害者になる可能性をちゃんと考えて、安全運転を心がけねばなりません。

車もそうなんですが、私の力では制御しきれないもの思うので、点検はしょっちゅう行っています。
でも、本当は、人間は自分の知恵で制御できないものを使ったり、持ったりしてはならないんでしょうね。
同じレベルで言うのも変ですが、原発、原爆、戦争、そして最近話題の出生前診断。
尊敬するある人が、最近元気がなくて、どうしたんですか、と尋ねたら。
「原発再稼動と出生前診断。(人類として)生きる希望が無くなって来たわ」と。

今、自己増殖し続ける科学を手にした人類は、自分たちで制御できないものを動かしている。
技術が自己増殖しているのであって、それを使う人間はそんなには賢くないのです。
もしも戦争が起こってしまったら、始まってしまったら、制御はできない……
そうならないように、知恵を絞らなければならないのだと……


そういう想いを、ちょっとウゾくんにぶつけてしまいました。


というわけで、本当はちょっと恥ずかしいのです。
心の中で、秘かに、一方では強く、思っている信念だったりするので。


そうそう……希望を無くしたと言っておられた方に、メッセージを送りました。
私がものすごく好きな『風の谷のナウシカ』の1シーン。
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戦争で人間が壊してしまった地球。巨大な菌類が森(腐海)を作り地表を覆っている。胞子には毒素があり、人はマスクなしにそこに入るとすぐに肺が腐ってしまう。海から吹く風に守られた『風の谷』でも、腐海の空気は入り込んでいて、老いた人は多かれ少なかれ肺や皮膚を病んでいる。この国の姫君・ナウシカはそんな人々の病を治せないかと、自ら腐海に入っては菌類の胞子を集めてきて、こうして研究しているのです。
そして気が付く。汚れているのは土と水だと。それが清浄であれば、菌類は毒素を吐き出さないのだと。

この物語、この先にいくらでも素晴らしいダイナミックなシーンがあるのですが、私はこのシーンが大好きです。
誰かの幸福を願い、そのために、地道に、真実に近づこうと知恵を絞る。
(これこそが科学であるべきだと、そう思いながら、日々お仕事に励んでいます)

そして、あるインディオのシャーマンの言葉を添えました。
『皆が薬草について教えてくれとやって来る。だが、誰一人として、森とともに生きる方法を教えてくれとは言ってこない』
皆、というのは我々、いわゆる文明国と言われている国に住む人間たちです。科学が行き詰まり、彼らに助けを求め、あるいは利潤を求め、薬草の知識を学ぼうと、シャーマンのところへ行くのです。
でも、我々に必要なのは、薬草の知識ではなく、この地球とどうやって生きていくか、そのことを学ぶことだと、彼はそう言っているのです。
だから、どんなに小さなことでも構わないので、一緒に森とともに生きる方法を考えましょう!と。
(明日から、森の中に住むというわけではありません^^;)



長々とお付き合いいただきありがとうございました。




最後に。
朝顔の精は、美人で気風のいい『極道の妻』をイメージしました。
サクラちゃんにはモデルがいます。『ハリー・ポッター』のハーマイオニーです。もっと子供にしてみました。
飛んでいるヒタキはフェニックス(『秘密の部屋』)のイメージです。和風ですけれど。

ちょっと重くなったけれど、『夏・朝顔』、それなりに楽しく書きました。
ウゾさん、ありがとうです。

次は『秋・菊花』です。今度はどんな花でしょうか。
また、涼しくなったらお目にかかりましょう。



Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】秋・菊(前篇) 

stella
Stella
Stella 2013/11月号 投稿作品

遅くなりました。すっかりスカイさんのお言葉に甘えさせていただき、遅ればせながら投稿いたします。
小鬼のウゾくんがジョウブツを目指して奮闘中。
鬼になってしまった魂がジョウブツするためには、百鬼夜行学校の試験に合格して、108回の本番の百鬼夜行をやり遂げなければならない。
でも、ウゾくんは遅刻ばかりで、試験にも合格できないし、鬼としては半人前。
ウゾくんが遅刻するのには、何かわけがあるようなのだけれど。
そんなウゾくんが、花にまつわる事件を解決しながら、自分のヒミツと本当のジョウブツを手に入れるまでの物語です。
さて、秋は菊。菊の物語をお届けいたします。

なお、本当は1回で載せたかったのですが、長くなってしまったので、前後編でお届けいたします。

物語の発祥地となったウゾさんのブログはこちら→【百鬼夜行に遅刻しました】→ウゾさんのブログへ


【百鬼夜行に遅刻しました】秋・菊(前篇)

 長く暑い夏が終わった。
 朝や夕方はすっかり涼しくなり、過ごしやすい季節だ。もっとも、鬼には暑いも寒いもないのだが、ウゾはやっぱりちょっとほっとする。雨が多くなると、心なしか身体が楽なのだ。もちろん、タイフウとかいうデッカイ雨は鬱陶しいのだけれど、少しの雨ならむしろ身体が満たされたようになる。
 かといって、ウゾの遅刻が減るわけでもない。
 例のごとく、今日もウゾは一時間目の始業時間には間に合わなかった。

 ダンゴたちは最近、小賢しくなった。
「ウゾ、チコク」「ウゾ、フラレタ」「サクラ、コナイネ」「ウゾ、チコク」……
 語彙が増えたのは大いに結構だが、言えるのはそれだけだ。
 そうなのだ。ダンゴたちも気が付いているように、最近サクラちゃんは迎えに来てくれない。しかも、学校にはウゾより遅れてくることが多い。何度かサクラちゃんちに迎えに行ってみたが、サクラちゃんはナカラギのサクラの家にはいないのだ。
 遅刻して学校にやって来るサクラちゃんは、何となくぼんやりとしている。一度声を掛けてみたが、返事は上の空だった。

 ウゾはそれ以降、何となく話しかけられないままでいる。
 教官たちは何かを知っているのか、サクラちゃんをそっとしておいてあげているように見える。
 それに何日か前からは、遅刻してきたうえに、早く帰ってしまっていたのだ。
 病気なのかな。鬼の病気なんて聞いたことはないけれど、女の子には色々とあるのかもしれない。
 でも、今日こそはもち姫のところに行ってみよう。サクラちゃんは、ウゾには言えないことでも、もち姫になら相談しているかもしれない。
 ただ、もち姫が女の子の秘密を、何でもウゾに教えてくれるとは思えないのだが。

「ウゾ、牛の刻参りの授業の後、ちょっと話があります」
 そう言ってきたのは、教官の一人、パーフェクトのっぺらぼう女史だ。
完全なのっぺらぼうだということは、元がニンゲンではないということなのだが、実際、前世はキツネだったという噂だ。ニンゲンがのっぺらぼうになった場合には、パーフェクトにはならないので、キツネだけのことはあると、皆が感心している。
 顔がないので、怒っているのかどうか、よく分からない。
 その日、ウゾは何か悪いことをしたのかとびくびくしながら授業を受けていた。

 丑の刻参りの授業は、キブネ神社のさらに奥の山の中で行われる。
 人を呪わば穴二つ、とはよく言ったもので、呪いをかけたニンゲンは鬼としては下等な部類に入れられる。下等な鬼とされたら、死後のジョウブツはかなり難しい。少なくともそのままでは百鬼夜行学校への入学は許可されないので、情状酌量の余地があるのか、サイバンがある。
 サイバンは厳しいと聞いているが、どんな仕組みで行われるのか、判定をするのが誰であるのか、ウゾのような小鬼は知る由もないし、上級の鬼たちでも多分知っていないのだと思う。そういう難しいケースに対応するのは、きっと閻魔大王のような絶対権力者みたいな鬼なのだろう。そして、ジョウブツが認められない鬼たちは、この世のどこかで闇として渦を巻いている。

 鬼になってから、丑の刻参りの授業を受けても遅いと思うかもしれないが、実は丑の刻参りの呪いは鬼に大きく関わっている。呪いが跳ね返って、無関係の鬼に襲いかかってくることがあるのだ。ジョウブツを求めない不遜さ、あるいは失われたジョウブツへの強い憧憬、いや、何よりも呪いそのもののどす黒い闇は、ジョウブツを求めて頑張っている鬼たちには恐ろしいものだ。万が一それに取り込まれたら、ジョウブツどころの話ではない。
 ウゾはこの授業が苦手だ。
 呪いとか、人の心の闇とか、そういうものが鬼のくせに怖いのだ。

 人の心にそういうものが潜んでいることは理解できる、ような気がする。
 でも、ウゾにはその闇を覗いて見る勇気がない。ウゾは綺麗なものが好きだったし、こうして鬼になってしまっているけれど、色々なことを抱えながらもジョウブツを目指して一生懸命頑張っている仲間たちの気持ちの中にも、その綺麗なものがあると思っている。
 ウゾだって、遅刻ばかりしているけれど、ジョウブツする気持ちは満々なのだ。ジョウブツを選ばなかったグンソウのような鬼にさえなれない鬼もいるけれど、グンソウの気持ちだって、ウゾにとっては綺麗な気持ちに見える。

 だが、呪うというのは特別なことだ。ウゾだって、嫌いな奴はいる。いなくなっちゃえと思うことだってあるけれど、呪う、ということは別のことだ。
 授業は主に、その呪いを被らないような防衛方法についてだった。
 簡単に言うと、まずは「その場所に近付かないこと」が大事なのだ。自ら危険な場所に行かないこと、そのためには「危険」の臭いを覚えることが大事で、その臭いを学ぶためにその場所に行ってみるというのが、授業の手始めだった。

 授業が終わって皆が解散になった後、相変わらず表情からは何も読み取れない(当たり前だ、顔のパーツが何もないのだから)パーフェクトのっぺらぼう女史が、ウゾを手招きした。
 理由を尋ねようとしたところ、パーフェクトのっぺらぼう女史が指を口に当てた。いや、口があったはずの場所にあてた。
 そして、そのままするするとキブネの森の中をさらに奥に進んでいく。ウゾが見送っていると、パーフェクトのっぺらぼう女史が立ち止まって振り返る。
 来なさい、ということだ。

 ウゾはちょっと嫌な気持ちだった。森に棲んでいるくせに、ウゾは暗い森の奥が苦手なのだ。
 仕方がないので、ウゾは、足元に変なものがいないか気にしながら、そろそろとついて行った。変なものを踏んでしまうと、いつまでも足が臭くなるのだ。鬼になってしまった虫とか、肉体よりももっと厄介なタマシイの鬼火の残りかすとか、そういうものがこんな深い森には漂っている。
 下ばかり見ていると、突然、ウゾは何かにぶつかって、鼻をうった。目の前にあるのは、のっぺらぼう女史ののっぺらな顔のほうだった。
「な、な、なん……」
 のっぺらぼう女史の真っ白な指がウゾの口に封印をする。
 その指がウゾの口を離れたかと思うと、すーっと動いて、森の奥を指差した。

 ウゾは大声を出しそうになった。いや、出したつもりだったのだが、出なかった。
 のっぺらぼう女史のクチナシ術が利いていたのだ。
 のっぺらぼう女史の白い指のずっと先で、ぼんやりと光が揺れていた。
 よく見ると、ろうそくの火だった。
 もちろん、妖怪図鑑によくあるように、頭の上に鉄輪を載せてろうそくを立てているわけではない。足元に置いてあるだけだ。だが、白い装束の女性がしていることは、噂に聞く丑の刻参りなのだ。
 女の人は、白い顔をしている。手に持っているのは金槌。そして五寸釘で木に打ち付けているのは、藁人形のようだ。

 鬼のウゾとて、噂に聞くばかりで丑の刻参り自体を見たのは初めてだった。
 だが、ウゾを最も驚かせたのは、その女の人のやっていることではなかった。
 のっぺらぼう女史の指が正確に指していたのは、丑の刻参りをしている女の人ではなかった。

 サクラちゃん!!

 ウゾは気を失いそうになってしまった。
 サクラちゃんは女の人が藁人形を打ち付けている木の近くに隠れるようにして、じっと女の人を見つめているのだ。とても悲しそうな瞳が、ここからでもわかる。
 女の人は藁人形を打ち終わった後も、しばらくじっと立ったまま打ち付けたところを見ていた。悲しそうな後姿だとウゾは思った。そして、その人をじっと見つめているサクラちゃんもとても悲しそうなのだ。
 
 その時、女の人が不意に力が抜けたようにその場に座り込んだ。
 サクラちゃんが思わずその人に走り寄りそうになったけれど、すぐに足を止めた。
 ニンゲンに鬼が見えてしまったら、そのニンゲンは死んでしまうことがある。それもあまり良くない死の形だ。だからサクラちゃんは、足を止めたのだろう。
 女の人は、しばらく、闇の中で白く揺らめくろうそくの炎の中でうずくまっていた。やがて静かに立ち上がり、傍に置いてあった杖を手にすると、それに縋るように立ち上がる。そして、ゆっくりとウゾとのっぺらぼう女史の方へ歩いてきた。

 ウゾは振り返った女の人を見て、何かを思い出しそうで思い出せなくて、そして何より、サクラちゃんと同じように悲しくなった。女の人は目がうつろで、頬がこそげたようにやつれていて、白い装束の中の身体も力なく、崩れていきそうに見えた。
 ぼんやりと女の人の進路に突っ立っているウゾの首根っこをつかまえて、のっぺらぼう女史がぽわーんと木の上に飛び上がる。
 
 幸い、女の人にはウゾたちの姿は見えなかったようだった。それどころか、女の人の目には何も映らなくなっているのかも知れない。
 ウゾの足下を、女の人は杖にすがるようにしながら、ゆっくりと歩き去っていく。
「ウゾ、行きましょう」
 どこへと質問する間もなく、のっぺらぼう女史がするすると地上近くまで降りて、さらに森の奥へ進んでいく。
 まだ行くの? と問いかける間もなく、のっぺらぼう女史の目的がサクラちゃんを追いかけることだと分かって、ウゾも慌てて後を追った。

 サクラちゃんは暗い森の中をすたすたと歩いて行き、やがて細い川の近くに出た。水の側で立ち止まり、やがてかがみこんでそっと手を合わせる。
 何に手を合わせているのだろう。
 暗がりの中で、白い花がゆらゆらと揺れていた。
 しばらくじっと祈った後で、サクラちゃんは自分の前にある花の葉っぱをそっと手に取った。
 闇の中でも、その白い花の匂いがウゾにはすぐ分かった。

 菊だ。サクラちゃんは葉っぱを手にして、何か呪文を掛けるかのようにじっと座り込んでいたが、そのうちに立ちあがり、水の流れに沿って道なき道を下って行く。のっぺらぼう女史はその後をつけていく。ウゾも遅れまいと一緒に後を追った。
 やがて細い水流は川になる。サクラちゃんはずんずんと進んでいく。
 キブネの森を抜け、やがて川が太い流れになると、街の灯りが見える。

 サクラちゃんは灯りが見え始めると、ニンゲンの目に触れないようにと少し宙に浮きながら、車の通りを南へ下って行った。
 その頃になって、ウゾはやっとクチナシの術を解いてもらった。
 のっぺらぼう女史に質問したいことはいっぱいあったが、サクラちゃんの行き先のほうが気になる。
 サクラちゃんは、棲み処であるナカラギのサクラも通り過ぎて、さらに進んでいく。大きな通りに面した大きな建物が見えて来たとき、サクラちゃんはふわっと飛び上がった。
 すごい。サクラちゃんは、鳥の術なんか使わなくてもあんなに高く上がれるんだ。
 優等生のサクラちゃんはいろんなことをいっぱい勉強していて、ウゾよりもずっと物知りだった。自分の力ではあんなに高く飛び上れないウゾは、のっぺらぼう女史の力で浮き上がってついて行く。

 サクラちゃんは、その大きな建物の上層階まで昇って行って、暗い窓の外でしばらく浮かんでいた。やがて、すうっと吸い込まれるように窓の中へ入っていく。
 のっぺらぼう女史につかまったままのウゾは、その窓の傍に寄って行き、中を見た。

 部屋の中にはベッドが見える。そして、そのベッドに横たわっているのは、さっきキブネの森の中で見た女の人だった。白くて色のない顔は、枕元の明かりに照らされてより一層白く見える。
 サクラちゃんはその人の側にじっと立っている。正確には浮かんでいる。
 やがて大事に掌に乗せている菊の葉っぱから、女の人の暗い唇の上にそっと雫を零した。



 ウゾは何回も何回もそのサクラちゃんの哀しそうな瞳を頭に思い描き、そしてやっぱりもち姫のところにいこうと決めた。
 のっぺらぼう女史は、昨夜あの後、ウゾに何も説明しなかった。ただ、サクラちゃんを守ってあげるようにと言った。
 守るって何をどうしたらいいんだろう?

「ねぇ、もち姫、サクラちゃんは何をしていたのかなぁ? もち姫はサクラちゃんから何か聞いていない?」
 もち姫はふうっと息をつく。
「ウゾ、お前は何でも私に頼ろうとするけれど、何故サクラに自分で聞かないの?」
 それは痛い所をつかれたような気がするけれど、サクラちゃんの哀しそうな瞳を見つめるのは辛いのだ。
「サクラだって、心細いんじゃないかしら。あなたが助けてあげなければ」
「でも、どうしたら? サクラちゃんは、その、何となく何も話してくれそうにないんだ」
 それに何より、避けられているような気もするのだ。話しかけても最近、返事をしてくれない。

「お前にはひとつ、特技があるじゃないの。どうしてそれを使わないの?」
 特技? そんなものあったっけ? 遅刻の才能くらい?
「それじゃあ、お前に大事な言葉を授けてあげるわ。これは扉を開く呪文よ」
「呪文?」
「ジゲンジシュジョウ フクジュカイムリョウ」
「ジゲン……?」
 もち姫もまたその呪文以外何も教えてくれなかった。ウゾはすごすごとタダスの杜に帰ってきた。棲み処であるアキニレにもたれかかり、ふうとため息をつく。

 もち姫は最近、ちょっと厳しいんじゃないかな、と思う。そうだ、あの朝顔の精に会ってからかもしれない。いや、そうじゃないんだ。甘やかしていたら、いつまでもウゾがジョウブツできないと思っているのかもしれない。
「ウゾ、チコク」「ウゾ、フラレタ」「サクラ、サクラ」「コナイ、コナイ」
 遅刻どころか、今日はウゾも学校をサボっている。
 鬼が言うことではないけれど、あの怖くて足を踏み入れたくないキブネの森の奥に、今日もサクラちゃんは行っているような気がする。
 丑の刻参りは7日間続けなければならないという噂だ。だから、あの女の人は少なくとも昨日が7日目でなければ、今日もあの森に行くはずだった。そして、サクラちゃんも女の人のことを心配して行くはずに違いない。
 のっぺらぼう女史に、今日も連れて行って、と言うわけにはいかないだろう。
 自分でなんとかしなくちゃ。それは分かっているのだけれど。

「チガウ、チガウ」「サクラ、サクラ」「ウゾ、サクラ、スキ」「コナイ、コナイ」「チガウ、チガウ」
 え?
 ウゾは思わず顔を上げる。ダンゴが変な単語を覚えた。
 好き?
 それはもちろん、大事な友だちだもの。サクラちゃんの哀しそうな顔を見たくないんだ。
「ダンゴ、なんかいい知恵ない?」
 ダンゴたちに期待しても仕方がないのだけれど。
「チガウ、チガウ」「キタ、サクラ」「キタ、キタ」「サクラ、サクラ」「チガウ~!」
 何だかダンゴたちの語彙が増えているし、それに、何だかごちゃごちゃになっている。
「キク、キク」
 聞く? 来た? サクラ? じゃなくて、キク? 菊?

 不意に、ウゾの鼻がヒクヒクと動く。そうだ、秋が来たんだ。菊の匂いがタダスの杜に漂っている。今日は風が強いので、色んな菊たちの香りが順番にウゾに挨拶をしにくる。
 今年も咲いたよ。今年も顔を見に来てよ。今年は娘がいるのよ。
 そうだ、匂い。そして花たちの言葉。ウゾには花たちと話せるという特技があった。そして花たちの匂いを、どの一輪のものであっても区別することができる。

 ウゾは立ち上がり、ふん、と肩に力を入れた。
 そして、思い切り風を吸い込むと、韋駄天のごとく走って、川を遡った。
 遅刻常習犯の脚力を生かしたら、キブネの山はそんなに遠くないはずだ。
 途中、あちこちから菊たちの匂いが香ってきた。秋の訪れだった。
 だが、今ウゾが探しているのは、ただ一つの菊だ。
 昨夜、サクラちゃんが祈っていた菊。

 目や耳の記憶をたどるよりも、ウゾにとっては一番頼りになるのが匂いだった。そして、その匂いは間違いなくウゾをあの菊のもとへと導いた。
 強い香りだ。どの菊よりも強く、甘く、香っている。
 それはその菊に、多くの記憶が詰め込まれているからだ。
 花の匂いさえあれば、ウゾは怖いものなんてないと思えた。

 確かにこの菊の匂いだ。
 ウゾは立ち止まる。そして、小さな流れの側に咲く菊にそっと触れた。
「ねぇ、教えて。サクラちゃんは何を願っていたの?」
 その菊は、いっそう芳醇な香りを放った。だが、何も答えてくれようとしない。
「サクラちゃんを助けたいんだ。お願いだよ、教えて」
 願いや想いが強い封印で閉じ込められているような、頑なな気配がする。こじ開けようとしても、花は優しく嫋やかでいて、犯そうとする力に対しては何も応えてくれないのだ。
 水を与えなければ咲くこともなく、何も告げることもない。

 水。
 サクラちゃんがそっと菊の葉から零していた雫。その雫はサクラちゃんの涙のように、女の人の唇に滴り、サクラちゃんの魂が女の人に囁きかけているようだった。
 僕はサクラちゃんの力になってあげたい。
 それなのに、のっぺらぼう女史ももち姫も何も教えてくれなかった。
 何も。
 何も?
 いや、もち姫は、教えてくれた。何だったっけ? 扉を開く呪文。
 ジ……

「ジゲンジシュジョウ フクジュカイムリョウ」
 口に出してみたその時、ウゾの唇から、文字が流れ出た。
 古い古い記憶。慈しみの心と、過ちと、願い。そして孤独の哀しみ。
 これって、誰の記憶だろう?
 優しく、甘く、そして悲しい。

「お前か、吾を呼ぶものは。この頃は、騒がしいものだ。いや、いつの世も、人というものは浅ましくも悲しく不老不死を求めてやって来る」
 ウゾは目を見張った。
 目の前に立っているのは、見目麗しい少年で、艶やかな肌と黒々とした髪には、夜の巷にざわめく微かな光が吸い込まれていくようだ。
 だが、その目は決して、周囲を顧みず無謀にも前に向かって突き進むような、若々しい力に満ちたものではなかった。それは老人の目だ。
「あ、あの……あなたは?」
「ほぉ。小鬼か。死者が吾に用事があるとは」
 そう言ってから、少年はじっとウゾの目を覗き見た。

「いや、お前はただの死者ではないようだ。しかし、今さら不老不死を求めても仕方のない身のようだというのに、吾を呼び出した訳とは」
「すみません。あの、昨日、女の子がここに来ていましたよね。ぼ、僕は、その……」
 少年は老いた目でウゾをじっと見つめている。ウゾはしどろもどろになった舌を一旦止めて、息を吸い込んだ。甘く悲しい菊の香りが鼻腔を満たす。
「その子はサクラちゃんというんですけど、今、何かとても苦しんでいて、その……」
 少年の目の色は変わらない。氷のように悲しい色のままだった。

 ウゾは一度口を開きかけて、留めた。何かを説明しようとしても上手く言えない。
 ……でも、これだけは確かなことだ。
「サクラちゃんは僕の大事な友だちなんだ。僕は、サクラちゃんが大好きなんだ。だから困っているのなら、助けてあげたい」
 ふわっと、菊の香りが甘くなった。それと同時に、少年の目が揺れたように見えた。
「なるほど。小鬼よ、あの娘の友であったか」
 少年はそっと自らの身体である葉を一枚手に取り、さらさらと幻の文字をその表に書き記した。

 慈眼視衆生 福寿海無量
 観音様はいつでも優しく思いやりの目を持って私たち衆生を見てくださる。観音様を一心に信じれば、福の集まること海の如く無量にある。

「ではまず、吾の話を聞くがよい。小鬼よ。これは法華経の八句の偈、その中の普門品の二句である。今より3000年も前の頃、周の穆王(ぼくおう)がよい馬を手に入れ方々を回っていたが、ある時、釈尊に出会った。釈尊は彼に国を授け、それと同時に国を治めるための法を授けた。それが八句の偈だ。吾は穆王の寵愛を受けた童子であった。しかしある時、誤って帝の御枕を跨いでしまったのだ。そのため、野獣の住む寂しいレッケン山に流罪とされることとなった。その時、帝が吾を憐れんで、この二句をそっと伝授してくださったのだ」
「3000年? あなたはとても若く見えます」
「1800年近くも前のこと、魏の文帝の使いにも同じことを言われた。しかし、小鬼、まずは吾の話を最後まで聞くが良い」
 ウゾはうん、と頷いた。本当はサクラちゃんのことが心配だった。
 花たちはいつも少しだけ回りくどいのだ。自分の物語を聞いて欲しいと思っている。
 でも、花たちもまた、この世に咲き出て散るまでの間、懸命の命を生きている。そして、自分の中で脈々と繋がっている命の連鎖、その記憶を、誰かに分かち合って欲しいと願っている。

「吾、当時の名を慈童と言ったが、恐ろしい山の中に流罪にされたことよりも、帝に会えないことを悲しく思っていた。悲しみのあまり、毎日枕を濡らし、その乾く間もなかったのだ。しかし、帝に言われた通り、授けられた偈を忘れないようにと菊の葉に書きつけ、毎朝唱えていた。またいつか、帝にお会いできる日を信じて」
 ウゾは少し身を乗り出した。
「小鬼よ、吾は知らなかったのだ。その使いがやって来るまで、1000年もの時が流れていたことを。吾の姿は何ひとつ変わることがなかったのだから、昨日今日のことと思っていた。吾が帝の御身を尋ねると、彼らはその時から何代も帝は変わり、今は魏の文帝の時代であると言った。文帝は、レッケン山より流れ出た水を飲んでいた人々の病気が治り、不老不死の長寿を保ったことを聞きつけた。彼らは文帝に召され、上流の様子を見に来て、吾を見出したのだ」

「それで、あなたはどうしたの?」
「吾は期せずして不老不死となり、1000年の時を生き延びてしまったことを知った。今もなお、死ぬることなくこの世にある。その上、吾の触れた菊の葉にたまった露が川に滲み入ると、流れる水がすべて天の甘露の霊薬になった。しかし、それからさらに2000年もの時が過ぎ、少しずつ霊力は衰えてきているようだ。何故なら、吾の心には悲しみが降り積もっていくからだ」
「哀しみが降り積もる……」
「慕う人のない世をいたずらに永らえて何の楽しみがあろうか。求める愛が叶わぬまま、時だけが過ぎていくのだ。不老不死とはすなわち、果てしない孤独ということなのだ」

 老いた目の少年は静かに語る。ウゾは今、言葉に引き込まれていた。
 自らを生きながら鬼に変えて釘を打ち付けていた女の人、その人が横たわっていたベッドのシーツの白さを思い出した。
「でもせめて、病がなければ、穏やかに過ごせるのに」
「小鬼よ、病には二通りある。一つは死に至る病、もう一つは死することのない病だ。あるいは、ひとつは心を殺す病、もうひとつは心の闇を乗り越えていくための病だ」
 そう言って、老いた少年は、件の二句を書きつけた葉をウゾに渡した。

「それを持っているが良い。吾が触れた故に、その葉から滴る水は霊水となろう。それをどのように使うか、それはお前に任せよう。お前が望めば、そこからは真に不老不死の水が零れるであろうし、あるいはまた別の望みを強く願えば、別の救いをもたらすこともできるであろう。小鬼よ、求めることだ。ただ泣き迷っているだけでは、本当の意味での救いは与えられず、吾のように死することもできず、ただ永遠に続く時間だけを友とせねばならぬ」
 ウゾは少年に言った。
「サクラちゃんのことを教えて」
「小鬼よ、それはお前が自ら聞くが良い。お前が本当に彼女を助けたいのなら」
 菊の記憶を持つ慈童はそう告げると、花に吸い込まれるようにして消えた。


「ウゾくん?」
 ウゾははっと顔を上げる。
「サクラちゃん」
 ウゾは真正面に立ったサクラちゃんを見つめた。サクラちゃんの目は昨日の夜と同じ、悲しい目だったけれど、今は驚きの方が大きいようだった。この哀しみと驚きの上に、今は穏やかな優しさを重ねてあげたかった。
「どうしてここに?」
「サクラちゃんが心配だったんだ。あの」
 ウゾは一度俯いた。そして、菊慈童に授けられた菊の葉をそっと両の手で包み込んだ。
 顔を上げた時、ウゾははっきりとした声で言った。
「サクラちゃん、僕は、その、遅刻ばっかりしていて、あ、今日なんかはさぼっちゃったりしているんだけど、そんなので頼りないかもしれないけれど、でも、サクラちゃんの力になりたいんだ」

 サクラちゃんはしばらく返事をしなかった。じっとウゾを見つめている。
 でもそのうち、サクラちゃんの大きな目に涙がいっぱい溜まって、ぽろぽろと流れ落ちた。

(後篇へ続く)




もともとかなり短かったものを書きなおして、長くなっています。ついでに内容も、大きく変えてしまいましたが、少しややこしくなってしまったかもしれません。
でも、ウゾくんやサクラちゃんの成長も見守ってやってください(*^_^*)
後篇、少しお待ちくださいね。
よろしくお願いいたします(^^)

それから、コメ返が遅くなっていてごめんなさい。ちょっとゴタゴタとパニックが続いていて、もう少しお時間を下さいませ。いつもありがとうございます m(__)m

Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】秋・菊(後篇) 

stella
Stella 2013/12月号 投稿作品

どうやら、タイトル通り、遅刻することが常連になっているこの作品(何の言い訳??)。
スカイさん、ご迷惑をおかけして、しかもご配慮いただき、ありがとうございました m(__)m
お待たせしました(待ってくださっていたと信じて!)、秋篇の後篇をお届けいたします。
すっかり12月号なのに、世間はクリスマス物語で溢れているのに、いまだに秋の菊。
でも、近所のお庭には菊が綺麗に咲いています^^;
……本当はクリスマスのお話も間に合わせたかったけれど、それはまたクリスマスに(できれば)。

前篇はこちらです→→【百鬼夜行に遅刻しました】秋・菊(前篇)
サクラちゃんがキブネの森に通っている。百鬼夜行学校の先生の一人・パーフェクトのっぺらぼう女子にそのことを教えられたウゾは、丑の刻参りをする女の人を見てしまいます。サクラちゃんは病に伏すその人のために、不老不死の霊水・菊の雫を運んであげているのですが……
人の生死を左右しようとすることは危険なことのはず。
そして、ウゾは、菊の雫を司る不老不死の菊慈童に会い、命を定める菊の霊水を授かります。
サクラちゃんと出会ったウゾ、果たしてどうする?






「ウゾくん……!」
 いつでもウゾよりも逞しくて、物知りで、努力家で、何だか頑張っちゃっているサクラちゃんだったけれど、その時、サクラちゃんは気持ちの糸が切れたみたいだった。ウゾに駆け寄り、抱きつくと、わっと泣き出した。
 ウゾはどうしたらいいのか分からず、少しの間何も言えなかった。でも、サクラちゃんの涙の重みを受け止めているうちに、助けてあげたいと心から思った。
 ちょっと恥ずかしいと思ったけれど、ウゾはサクラちゃんをぐっと抱き締めてあげた。

 しばらくするとサクラちゃんはようやく泣き止んで、ぐすんと鼻をすすりあげた。
「一緒に来て」
 サクラちゃんがそう言って、昨日と同じように菊の花に手を合わせた。それから葉を手折ろうとしたけれど、ウゾはそっと止めた。
「菊の葉は、もう僕が持っているから」
 サクラちゃんはウゾの掌の上の菊の葉、その菊の葉の上に溜まった雫を見つめていた。雫は、鬼にしか見えない光を映して、ウゾの掌の上でキラキラと転がっているように見えた。

「これ、どうしたの?」
「菊の精、じゃなくて、菊慈童に会ったんだ」
 サクラちゃんはびっくりしたような顔をした。
「……そうなの」
「彼と話した?」
「ううん。私は会ったことはないの。やっぱりウゾくんはすごいね。花たちとお話ができる」
 え、そうなのか、とウゾはサクラちゃんを見た。それは誰でもできることだと思っていた。特にサクラちゃんのような優秀な鬼なら。
 ウゾはサクラちゃんと一緒に川を下った。川を下って、昨日の大きな建物まで行って、それからあの女の人が眠っている部屋に壁抜け(今回の場合は正確には窓抜け)をして入っていった。


 サクラちゃんはじっと女の人を見つめて、それからポロリと涙をこぼした。
「私のお母さんなの」
「うん」
 ウゾは頷いた。
「病気なんだね。確か、サクラちゃんは病気のお母さんにナカラギのサクラの花びらを見せてあげたくて、それでバイクに轢かれちゃったんだよね」
 サクラちゃんは頷く。

「私、もしかしてお母さんの病気が治ったらいいのにって、そう思って、ずっと菊のことを調べていたの。お母さんの病気は治らないって、もうそんなに長くは生きられないんだって、それは知っていたんだけれど……病気で苦しそうなお母さんを見ていたら、治してあげたくて、少しでも苦しくないようにしてあげたくて、病気が治って少しでも長く生きて欲しくて。そうしたらあの菊が不老不死の雫を持つ菊だって、病気も治るかも知れないって、キブネの森の精が教えてくれたの」
「それで、お母さんに菊の葉の雫を運んであげていたんだね」

 ウゾはそっとサクラちゃんの手を握った。サクラちゃんもきゅっとウゾの手を握り返してきた。震えていたけれど、そして鬼の手だから決してあったかくはないはずだけれど、ウゾにはとても温かく感じられた。
「お母さんは犯人ものかもしれないっていうイリュウヒンを警察の人に見せられて、その中から何かを手に入れたみたいなの。それを使って……」
「丑の刻参りを始めたんだね」
 丑の刻参りには呪う相手の一部が必要だ。イリュウヒンが何かは分からないけれど、サクラちゃんのお母さんはそれが犯人のものに違いないと思ったのだ。

「毎日、お母さんの魂が抜け出して、あの山に行くの。もしかしてお母さんが闇の鬼になってしまったら……どうしたらいいのか分からなくて。先生かもち姫に相談しようと思ったけれど、それも怖くて。お母さんがしていることはいいことじゃないよね。お母さんが罰を受けるかもしれない、鬼にもなれなくて、ジョウブツもできなくて、私たちとは違う世界に行ってしまうかもしれないことが怖くて」
「今日は何日目?」
「7日目」
「じゃあ、まだぎりぎり間に合うよ」
 ウゾは掌の上の菊の葉を見つめた。

 呪いが成就される前に、お母さんを清めてあげて、そして魂が抜け出すことのないようにしてあげればいい。
でも、サクラちゃんのお母さんの、サクラちゃんを殺したハンニンへの恨みは消えることはないだろう。だから、生きている限り、また恨みはどんどん降り積もっていく。
 サクラちゃんは、お母さんの病気を治したくて、そして少しでも長生きをしてほしくて、呪いをかけたまま死んでしまったりしないようにと、一生懸命だったのだ。
 でも、このままなら……

「サクラちゃん、お母さんの命の時間は、きっとサクラちゃんには変えられないよ」
「……分かってる」
 僕が願えば、それが叶えられる。
 菊慈童はそう僕に言った。
 この菊の雫は霊水だ。菊の精が言いたかったのは、命を永らえるのも、命を終わらせるのも、この霊水の役割なのだということだったのだろう。
 僕が命を決めるのは正しくない。運命に逆らうようなことなのであれば、僕が決めるべきじゃない。でも、この菊の雫は、その人の運命を正しく決めてくれるはずだ。サクラちゃんが生きていてほしいと願う人の命であっても。

「私のお父さんは、私が生まれてすぐに交通事故で死んじゃったの。だからお母さんは一生懸命働いて、一人で私を育ててくれたの。少しでも私と一緒にいられるようにって、保育園の先生になって、時には夜も働いていて。お母さんが忙しかったり、他の子のことで一生懸命だったりして、寂しい時もあったけど、二人きりの時は、あったかい手で私の手を握ったまま、いつもいっぱいお話をしてくれた。優しい声だったよ。一緒にカモガワをお散歩したり、お花を探しに行ったりもしたの。でも、一生懸命働いて、一生懸命私や他の子どもの面倒も見て、頑張りすぎちゃったから病気で倒れちゃったの。それからすぐに私が殺されちゃって」

 サクラちゃんはさらりと言ったけれど、ウゾはちょっと背中がぞくっとした。
 そうだ、サクラちゃんは殺されたんだった。そして、ウゾだって、その犯人が憎いと思うお母さんの気持ちが分かるのだ。
 だって、サクラちゃんはこんなにも可愛い子なんだから。

 サクラちゃんはしばらく下を向いていたけれど、やがて顔を上げた。
「お母さんは、お父さんも私もいなくなって寂しいと思うけれど、でも、やっぱり元気になって欲しかった。長生きして、私の代わりに、お母さんを頼っているたくさんの子どもに、幸せを教えてあげて欲しかった」
 サクラちゃんの気持ちはとてもよく分かった。でも、お母さんの病気はあんまりよくないんだね、とウゾが聞いたら、サクラちゃんは何も言わずに涙を流して俯いてしまった。
 お母さんは、残り少ない命で犯人を捜すことも叶わないなら、鬼になって呪って死のうと思ったんだろう。でも、それはサクラちゃんのお母さんの心を追い詰めてしまうだけだ。

「サクラちゃん、どうなっても、僕に任せてくれる?」
 サクラちゃんは黙ってウゾを見つめていた。悲しく、辛く、とても苦しい顔に見えたけれど、やがて目を伏せ、それから顔を上げた時には、いつものサクラちゃんの目だった。強くて、頑張り屋で、泣き虫だけれど自分にとても正直で、とても優しいサクラちゃんだった。
 サクラちゃんはウゾの目をしっかりと見て、それから、うんと頷いた。
「ウゾくんを信じる」
 
 ウゾはサクラちゃんに、今日は丑の刻参りに行くお母さんを見てもついて行かないようにと言った。
 サクラちゃんは少しの間考えていた。そして、俯いたままだったけれど、最後にはしっかりとした声で言った。
「ウゾくん、ごめんね。ウゾくんに任せるよ」
 サクラちゃんはギュッとウゾの手を握った。そして、まるでお母さんの手を離したくないとでも言うように、いつまでもウゾの手を離さなかった。
 本当だったらウゾは女の子にこんなふうに手を握られたら、照れてしまって手を離してしまうのだけど、今はサクラちゃんに、ぜったい僕が君を守ってあげるということを伝えたかった。だから、ウゾもギュッとサクラちゃんの手を握った。




 偉そうに、かっこいいことを言ったものの、ウゾは困ってしまった。
 もち姫の知恵を借りようと、こそこそともち姫の家まで行ってみたが、もち姫は縁側で眠っていた。ウゾは何度も声を掛けようと思ったけれど、何故か声が出なかった。
 そうだよね。
 もち姫は僕に一人で頑張れって、何度もそう言いたかったんだよね。
 でも……
 もち姫の家の竹垣の陰でウゾはふぅとため息をついて、足元を見た。

 あれ?
 ピンクの花びらが落ちている。この匂いは……
 ナカラギのサクラの花びらだ。
 どうしてこんな季節に?
 その時、ふと、ウゾは思い出した。初めてサクラちゃんに会ったとき、のっぺらぼうになりかかっていたサクラちゃんの手を引っ張ってここに来て、その時サクラちゃんのスカートのポケットから、ナカラギの桜の花びらがいっぱい零れ落ちたのだった。

 サクラちゃんは、病気のお母さんに桜の花びらを持って行ってあげたくて、そして事故に遭ったのだ。
 この桜の花びらは、サクラちゃんの魔法なのかも。サクラちゃんの気持ちが、この空間のどこかに花びらを残している。それとも、もち姫からの応援のメッセージ?
 ウゾは桜の花びらを拾い集め、ポケットにしまった。
 うん、もち姫、サクラちゃん、僕、やってみるよ。




 そしてその夜、丑の刻。
 それでもやっぱり、ウゾはびくびくしながら一人でキブネの森にやって来た。
 もちろん、学校はサボっている。パーフェクトのっぺらぼう女史が何かを察してくれているのか、学校からはこの数日の無断欠席について何も言ってこない。本当なら、使いの蛇がやってきて、サボった理由についてのレポートを108枚も提出させられるのだけれど。

 そのことは後で考えよう。
 ウゾはおっかなびっくり、つまり呪いを被らないようにしながら、足元の虫の鬼を踏まないようにしながら、そろそろと歩いている。
 キブネの森はタダスの杜よりも奥が深い。本当の闇の世界にもつながっているような気がする。この奥に入り込んでしまったら、抜け出せなくなることもあるのかもしれない。

 ウゾは木に凭れて、ふうっとため息をついた。
 サクラちゃんはちゃんと学校に行ったかな。一緒に行きたいというのを止めて、今日はちゃんと学校に行くほうがいいよ、と言ったら、黙って俯いていた。
 サクラちゃんは僕に任せると言ってくれた。だから、僕はそれに応えなくちゃ。何ができるかは分からないけれど、サクラちゃんのお母さんを救ってあげたい。
 でも、救う、なんてことは本当は簡単には言えない。僕はちょっとはやまってしまったかもしれない。サクラちゃんにかっこいい所を見せたかったし、それにこのままじゃいけないと思ったのだ。何だか分からないけれど、人を呪うなんてのは。

 その時、白い影がゆっくりとウゾの隠れる木のほうへ近づいてきた。ウゾは慌てて立ち上がる。
 サクラちゃんのお母さんだ。
 数日前に見た時は、もう少しニンゲンのような顔つきだった。でも今日は随分と違ってしまっている。誰かを呪うということは、そのニンゲンを人間ではなくしていくことなのかもしれない。
 もちろん、呪うには呪うだけの理由があるのだ。それは分かっているけれど。

 サクラちゃんのお母さんはゆっくりと大きな木に近付いて行く。木の前で立ち止まり、足元に灯りを置く。冷たい土を踏んでいる足には靴を履いていない。白くて消えてしまいそうな肌の色だった。
 どうしよう。
 ウゾは特別な方法があればそうしたかった。お母さんが鬼のウゾを見たら、お母さんはそれだけでも死期を早めてしまうかもしれない。サクラちゃんが、少しでも長く生きていてほしいと菊の雫に祈っていたお母さんの命を、ウゾが取り上げてしまうことになるかもしれないのだ。

 でも、今回ばかりは、もち姫も何も教えてくれそうになかった。ウゾにサクラちゃんのことを知らせたパーフェクトのっぺらぼう女史だって、ウゾの欠席については配慮してくれているのかもしれないが、このことに手を貸してくれる気配などない。ましてや、タタラになんか知られたら大変なことになりそうだ。
けれど、小鬼の知恵で何ができるだろう。
 風が木々の間から不穏な臭いを伴って吹き込んで、枯葉を舞い上げた。

 どうしよう。
 いつもなら、サクラちゃんがウゾの知恵袋だった。一緒に遅刻した時の言い訳だって、サクラちゃんの役割だった。サクラちゃんは好奇心旺盛で、何だって一生懸命勉強していた。そのサクラちゃんこそ、今一番苦しんでいるのだ。
 ウゾが思いを巡らしているしばらくの間、お母さんは木の前に立ったままだったけれど、やがて懐から藁で編んだ人形を取り出した。
 そして、人形を木に押し付けるようにして、藁の胸に釘を当て、手に持っていた木槌を振り上げた。

「待って!」
 もう妙案など考えている場合ではなかった。
 振り上げられた木槌は、お母さんの頭の上のほうでぴたりと止まった。
 風の音が急に止んだ。
「サクラちゃんのお母さん、サクラちゃんが悲しむようなことなしないで」
 その言葉に、お母さんはウゾを振り返った。その形相は、鬼のウゾよりもずっと鬼のようだった。

「吾を呼ぶものは誰だ」
 ウゾは足が竦んでしまっていた。それはサクラちゃんのお母さんの声とは思えなかった。サクラちゃんはお母さんは優しい声をしていたと言っていた。きっとサクラちゃんによく似た綺麗な声だったのだろう。
「ぼ、僕は……」
 ウゾは喉の奥に何かが引っかかってしまって、言葉を呑み込んだ。
「見られてしまったからには、お前を殺さなくてはならない」
 お母さんが闇に響くような声で言って、ウゾに向かって木槌を振り上げた。口が大きく裂けたように見えた。

 ウゾは咄嗟に叫んだ。
「だめだよ。僕はもう死んでるんだから、もう死なないんだ。お母さん、僕、サクラちゃんの友だちなんだ! サクラちゃんが僕にお母さんのことを頼んだんだ。だから僕は……!」
 ウゾは声を振り絞った。お母さんは、ウゾの言うことなど聞こえていないようだった。そのまま木槌を振り上げる。ウゾはその木槌を見上げて驚いた。

 呪いのかかった木槌は、鬼を裂き殺してしまいそうな刃に替わっていた。闇の中でもぞっとする光を吸い込んで光っている。
 もしかして、鬼でもやられちゃうのかも。
 そうだった。呪いがジョウブツしようと頑張っている鬼に降りかかることがあるって、そうなったらもうジョウブツできなくなってしまうんだって、この間の授業はそういうことだったじゃないか!
 だから呪いを被るようなところに行っちゃいけないって!

 あぁ、でも、呪いをかけた方はサイバンがあるんだって聞いたけれど、とばっちりで呪いを被っちゃった鬼はどうなるんだろう。
 ジョウブツもできなくなって、学校にも行けなくなって、サクラちゃんにも会えなくなって……!
 その時、ウゾの頭に大きな衝撃が加わった。
 ウゾは咄嗟にサクラちゃんのお母さんの手を掴んだ。

 ウゾは叫んでいた。
 お母さん! サクラちゃんのお母さん! 僕、それでも、どうなっても、サクラちゃんを悲しませたくないんだ!!!
 その時、ウゾは何かに吸い込まれていくような気がした。
 サクラちゃん……!
 もち姫……!
 ……それから、先生たち。
 あれ、どうして、タタラの顔が真っ先に浮かぶんだろ。
 意識がふわりと身体から一度抜け出しそうになった。


 急に、辺りは真っ白になった。
 ウゾは真っ白の中に引っ張り込まれていた。
 離れそうになった意識がウゾの身体の中に戻ってきたとき、ウゾは真っ白の中に立っていた。
 不思議と明るい真っ白。
 闇の光とはまるで違う、どこまでも白い明るさ。
 ここ、どこだろう?

『あなたはいったい誰なの?』
 いつの間にか、目の前に真っ白な着物を着た女の人が立っていた。顔ははっきりと見えなかったけれど、ウゾには分かった。
 サクラちゃんのお母さん。
『僕はウゾ。サクラちゃんの友だちなんだ』
『咲耶姫の友だち? なぜ、咲耶姫の友だちがこんなところに……。咲耶姫はどうしているの?』

 ここは、サクラちゃんのお母さんの心の中だ。まだ心の中にこんなに綺麗なまっ白な世界があったんだ。
ウゾはくっと背を伸ばした。
『サクラちゃんに約束したんだ。お母さん、サクラちゃんは毎日、お母さんの傍にいたんだよ。毎日、お母さんを心配して、お母さんの病院に通ってたんだ。そしてキブネの森にも。呪いを被るかもしれないのに、お母さんのことが心配で』
『咲耶姫は死んでしまって、いいえ、殺されてしまって、私はもう咲耶姫に会えないのに』
『でも、お母さんが人を呪うようなことをして、呪いのために闇の鬼になってしまったら、サクラちゃんはものすごく悲しむよ。お願い、サクラちゃんを悲しませないで』

『私の命はもう長くない。毎日のように警察にも行ったけれど、咲耶姫を殺した犯人は捕まりそうにもない。ちゃんと調べてもらえているのかも分からない。私には方法も時間もないの。犯人が憎い。咲耶姫を殺したのに、その誰かは生きているなんて。だから、呪い殺してやることに決めたの!』
 サクラちゃんのお母さんの白い顔が急に炎に巻かれたようになった。ウゾは慌ててお母さんの手を握った。その手も怒りのためか、赤く熱くなっていた。
『お母さん、サクラちゃんは、お母さんの病気が治って、長生きしてくれたらって。もしかして病気が治ったら、他の子どもたちに幸せを分けてあげて欲しいって、そう祈ってたんだよ。不老不死の霊水だという菊の葉から零れる水をとるために、おっかないキブネの森の奥に一人で来て、お母さんに届けてたんだ。それからこれ』

 ウゾはポケットに手を入れた。そして、お母さんの怒りと悲しみで熱くなった手を取って、ポケットの中から取り出したものを、そっとその掌に載せてあげた。
 お母さんの掌に、いっぱいのナカラギの桜の花びらが溢れた。花びらたちは掌からひらひらと舞い落ち、そして最後に、一番の桜色の花びらが残った。
『これがサクラちゃんの気持ちだよ』

 お母さんは動かなかった。最後の桜の花びらはお母さんの怒りを吸い込んで、少し濃いピンクに染まり、そのうちお母さんの炎のような手は、再び白くなっていた。
 お母さんはやはり動かないまま、掌に残ったナカラギの桜の花びらをじっと見つめていたが、やがてその上に涙をこぼし、強く握りしめた。桜の花びらはお母さんの涙を吸い込んで、元の優しい桜色に戻った。
『咲耶姫に会いたい。咲耶姫を抱き締めてあげたい』

 ウゾは、自分が覚えていないお母さんのことを思った。僕のお母さんも、僕のことをこんなふうに思ってくれているんだろうか。
 お母さんに会いたい。僕も、サクラちゃんも。でも。
『お母さん、サクラちゃんのことは僕に預けてください。サクラちゃんを殺してしまった犯人のことも。僕がきっと見つけ出して、訳を聞くから。もしもその人が後悔していないなら、僕が……』
 ウゾは言葉を飲み込んだ。僕に、決められることじゃない。でも。

『でも、もう遅いのよ。今日はもう7日目。私はこうして闇の鬼に取り込まれて、消えていこうとしている。呪いだけがこの世に残って、キブネの森の奥で渦を巻くわ。もう私は本当の鬼になってしまったの』
『そんなことはないはずだよ。今日はまだ7日目なんだ。今日、釘を打たなかったら』
『ごめんなさい。小鬼さん。あなたの名前を聞いていなかったわね』
『僕はウゾ。サクラちゃんの友だちだ』
 真っ白なお母さんは最後にウゾの手を握りしめて、ウゾの手にナカラギの最後の桜の花びらを残し、ふわりと消えた。


 途端に、ウゾは目の前の悪鬼と対面することになった。
 完全に鬼になってしまったサクラちゃんのお母さん、いや、サクラちゃんのお母さんだった呪いの鬼は、ウゾに刃を光らせる木槌の鉈を振り上げ、今まさにウゾの頭に振り下ろそうとしていた。
 その瞬間、ウゾは鬼の肩越しに、藁人形を見てしまった。
 木槌で打ち付ける前に、お母さんはもう藁人形に釘を突き立ててしまっていたのだ。藁人形は不安定な格好で、頭と足を逆さまにして、木に背中をつけたままぶら下がっていた。

 うわ、どうしよう!!
 サクラちゃん、もち姫、タタラ先生、……!!!!
 そうだ、何か呪文を!
 あぁ、思いつかない。断末魔って、鬼でもこんなふうにあれこれと走馬灯みたいにいろんな人の顔が思い浮かぶんだなぁ。それなのに、適切な呪文は思い浮かばない。
 って、悠長なことを考えている場合じゃないんだ!
 何かいい呪文はなかったっけ?
 呪文、じゅもん、ジュモン……!!

「ジゲンジシュジョウ フクジュカイムリョウ!!!!!」
 それしか覚えていない! もち姫が最後に教えてくれた呪文!

 その時、ぶわっと水があふれ出した。少なくともウゾにはそう感じられた。
 何が何だか分からないまま、ウゾは水に巻かれていた。水は、何とウゾのポケットの中から流れ出していた。ポケットから流れ出した水は、ウゾの周りを巡るように巻いて、大きな渦になった。そのまま目の前の呪いの鬼を巻き込んでいく。水は鬼の鼻や口の穴からものすごい勢いで入り込み、内側から鬼を膨張させた。
 鬼は、いや、呪いは、大きな渦巻きとなって闇の鬼の中で暴れまわり、鬼自身を破壊した。
 凄まじい力で、一瞬のことだった。
 鬼を突き破った水は鬼から溢れだし、呪いを世界中に撒き散らさんとして辺りを呑み込もうとしていた。

 ウゾは自分自身から迸る水に守られ、呆然とそれを見ていた。
 やばいんじゃないの!
 そう思ったが、全てが一瞬のことでなす術もなかった。

 その時、ウゾの目の前に小さな少年が現れた。
『ジゲンジシュジョウ フクジュカイムリョウ!!!!!』
 ウゾははっとした。そうだ、ぼうっとしている場合じゃない!
 自分もう一度呪文を叫んだ。
「ジゲンジシュジョウ フクジュカイムリョウ!!!!!」

 いや、これは呪文ではなく、この世の王だけに授けられるという法華経の八句の偈、その中の普門品の二句。周の穆王が釈尊から授かり、寵愛する童子が罪に問われて流罪となった時、哀れに思って授けた句だ。それを忘れないようにと童子が句を書きつけた菊の葉から零れる水が、霊水となり、不老不死の薬となった。
 観音様はいつでも優しく思いやりの目を持って私たち衆生を見てくださる。観音様を一心に信じれば、福の集まること海の如く無量にある!

 そして今。霊水はウゾのポケットの中の菊の葉から迸り出て、呪文と共に死を呑み込んでいく。
 ウゾは願いを込めた。
 この霊水は、ただ生を与えるだけではなく、ウゾが望めば死をもたらすことができる。菊慈童はそう言ったのだ。
 何故なら、生と死は裏と表、陰と陽、張り合わされて決して離れないものなのだから! 生きている者は、みんな死を抱えて生まれてきたのだから!
 お母さん、僕がきっとサクラちゃんを守るから!
 あなたは生きてこのまま闇の鬼になってはいけないんだ!




 ウゾは気を失っていた。
 ぼんやりと辺りにオレンジ色の灯りが揺れていた。
 影が見える。大きな影と、小さな影。それからより小さい影。
 これは夢? それとも。
『全く、学校をサボっているから、何をしているのかと思えば』
 これはタタラの声だ。

『お前は菊の精か。いや、確かその昔は慈童と言ったのではなかったか』
『さよう。吾も3000年も生きていると、あれこれと見聞きすることも多い。あなたはもしやミドロガイケに縁の者。そして、そうか、この小鬼は何やら懐かしい気を持っていると思ったが、やはりあの方に縁の者であったか』
 あの方? ミドロガイケ? やっぱり、龍なの、タタラ?
『それにしても、すごい力であった、慈童。お前は生も死も司るのか』
『それはこの菊の霊水の力。もっと言えば、釈迦が残した言葉に宿る霊力、人はこれを言霊とも言う。吾自身の力ではない。菊は長寿を与えもするが、時に死を司ることもできる。この小鬼が正しい判断をしたのだ。呪う闇の力に対して、本当の意味での死の審判を下したからこそ、菊はそれに応えた』

『小鬼に死の審判を委ねるなどと……!』
『いや、ミドロガイケの主、吾は感じることができる。人も鬼も定められた場所で、成すべきことを成さねばならぬ。あなたがどれほどこの小鬼のジョウブツを願っても、叶わないことがあるようだ。それをこの小鬼自身が証明してしまったのだ。かの呪文は、誰がどのように唱えたとしても霊力を発するものでもない』
『だが、お前も手を貸したであろう』

『ミドロガイケの主よ、吾はただ手を添えただけなのだ。何故なら、吾は愛する者の死も知らずただ悪戯に命を永らえ、知らされてもなお1800年も悲しみの時を生き続ける孤独の証に過ぎぬ。吾に関して言えば、菊の霊水は、死を与えてくれようともしなかったのだ。どれほど愛する者の傍に往きたいと願っても、叶わぬ夢であった。だが、この小鬼と共に呪文を唱えた時、吾に分かったことがある。吾が、愛する者の死に添うことも許されずこちらに残されたことには、何か意味があるのであろう。哀れにも不老不死を願うヒトというもの、病を内に抱えながら、すなわち死を内に抱えながら生きねばならぬヒトというものの苦しみ、それに添わねばならぬのが、吾やその小鬼のあるべき姿なのかもしれぬ』

 菊慈童の声はウゾの頭の中に香りを残している。ウゾは目を閉じたまま、その匂いを体中で嗅いでいた。
『では、ミドロガイケの主よ、また会うこともあるであろう。しかも、今日は懐かしい顔と再会した。確か、もち姫と言った、あの方の使いの君に』
 より小さなもう一つの影は、もち姫だったのか。
『菊慈童さま、姫さまはいつでもあなたを頼りにしておられましたよ』
 確かにもち姫の声だ。姫さまって?

『それは吾のほうだ。もしもあの方に今も会えるのなら、もち姫よ、吾の心も少しは癒されるのかもしれぬ。だが、それは今はよい。吾にはまだ仕事が残っているようだ。誰かこの仕事を継いでくれるものであれば、解放もされようが、それはまた誰かを同じ悲しみの中に取り込んでしまうことになるのであろう。愛するものを失う悲しみに寄り添うことこそが吾の仕事であるならば、吾は誰よりも長く、より深く、悲しまねばならぬのかもしれぬ。死とは何であるのか、生き永らえて3000年もの時を経た今も、吾には分からぬ。そして生とは何であるのか、それもまた分からぬ』
 ふわっと菊の匂いが消えた。
 同時に大きなため息が聞こえる。

『清狐は随分と余計なことをしてくれた。もち姫よ、お前は知っていたのか?』
『タタラ、清狐はウゾの力を試したかったのかもしれない。あなたがウゾの運命に逆らおうとしても、大きな力がそれを阻止しようとするわ』
 タタラは答えなかった。もち姫のあったかさがウゾの頬に触れた。
『タタラ、サクラのことは……』
『母親であろうとも、人の死を操作するのは罰則に値する』
『でもサクラの気持ちは、あなたには誰よりも分かるはず』

 タタラは何か言いかけたのか、大きく息を吸い込んだ。だが結局、言いかけた言葉を呑み込み、代わりにいつものように大きな声で言い放った。
『冬の間は、キョウト中の花の種、根の世話を命じよう。ウゾにもそう言っておいてくれ』
 そのまま、疾風が巻き起こり、今度はタタラの気配が消えた。
 もち姫がウゾの頬を舐める。ザラザラと温かい。
「ウゾ、行きましょう」
 ウゾの身体は何かから解放されたように自然に起き上がった。
 見回してみると、キブネの川の側だった。ウゾの側で白い菊の花が揺れ、そっと匂いを零した。


「もち姫、聞いたら答えてくれる? ……わけないね」
 ウゾはとぼとぼともち姫の後を追いかけながらつぶやいた。もち姫は何だか普通の猫みたいに、てくてくと一生懸命歩いている。
「何だかますますわからなくなっちゃった。答えにはたどり着ける?」
 ぴたりともち姫の足が止まる。
「ウゾ、答えがあると思う?」
 ウゾも足を止める。
「分からない。でも、僕、サクラちゃんのお母さんとの約束は守らなくちゃ」
 もち姫はじっとウゾを見つめていたけれど、やがて頷いた。

 もち姫の家にたどり着くと、縁側でサクラちゃんが待っていた。サクラちゃんはウゾともち姫の顔を見ると、じっと座ったまま、ぽろぽろと涙をこぼした。
 サクラちゃんが何も言わなくても、ウゾには何が起こったのか分かっていた。
 だからただサクラちゃんの側に行き、隣に座った。そして、ポケットからサクラちゃんのお母さんの憎しみも哀しみも、サクラちゃんへの愛情も、いっぱいいっぱいに閉じ込められた最後のナカラギの桜の花びらを取り出し、サクラちゃんの手を取って、その掌に載せてあげた。

 サクラちゃんは少しの間、花びらを見つめていたけれど、そのまま膝の上に置いたその手をそっと握りしめた。ウゾはサクラちゃんの手に手を重ねて、強く握ってあげた。
 もち姫もサクラちゃんの傍らに行って、ただじっと寄り添っていた。
 竹垣に、菊の花が揺れていた。

 小鬼よ、病には二通りある。一つは死に至る病、もう一つは死することのない病だ。あるいは、ひとつは心を殺す病、もうひとつは心の闇を乗り越えていくための病だ。
 死とは何であるのか、生き永らえて3000年もの時を経た今も、吾には分からぬ。そして生とは何であるのか、それもまた分からぬ。

 菊慈童の言葉が、匂いに乗ってウゾの身体を包み込んでいた。


連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】秋・菊(後篇) 了



さて、もう冬ですね。秋の話を冬にようやく終わらせていて、すみません。
幸い、正月の休みがありそうなので、今度はぜひ、普通に間に合いたい!!

いよいよサクラちゃんを殺してしまった犯人と対峙するウゾくん。
そしてウゾくん自身の出生の秘密も……ウゾくんに定められた運命とは。
運命に立ち向かうウゾくんと、それを見守る人、じゃなくて、鬼と猫と花たち。
実は、サクラちゃんにも秘密があります。そう、サクラちゃんの名前の漢字が出てきたので、何かを察した方もいるかもしれませんね。
(でも、サクラちゃんって、実はキラキラネームだったのね^^;)
ちなみに、清狐というのは、パーフェクトのっぺらぼう女史の名前です(^^)
読み方は普通に「せいこさん」? 狐だったんだけど^^;

しかも、菊慈童、そんな聖闘士星矢みたいなやつだったのか!
イメージは、お能のあの静の世界の人だったのに^^;
来年の秋には、この話は一応の完結を見ているはずですが、もう1回くらい登場してもらいたい、奥の深いキャラでした。
(でも、もう一つ秋の話を書くなら、やっぱり『菊花の契り』ですね。雨月物語。ちょっとホモちっくな話なので、今回は控えましたが。でもこの菊慈童も、よく考えたら……^^;)

さて、次回は冬篇。
冬に花を咲かせる植物にするべきところですが、タイトルは『忍冬(スイカズラ)』……花が咲くのは5~7月。でも、花の名前の由来は、常緑性で冬の間も葉を落とさないからつけられたのです。

お楽しみに(*^_^*)
読んでくださいまして、本当にありがとうございます。

Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】秋(2)・立ち枯れの紫陽花 


月刊・Stella ステルラ 6.7月号参加 連作短編/不定期連載小説

ものすごく久しぶりにStellaに投稿することにしました。
そう、思い起こせば、この作品の第1作目はStellaに投稿したのでした。

本当はものすごく気になっているけれど、書くのにものすごくエネルギーがいる連載物が2つありまして、その1つがこの【百鬼夜行に遅刻しました】なのです。書き始めは軽い気持ちだったのですが、何しろ扱っているものが「死」だけに、文字数の割に使うエネルギーが半端なくて。
(もうひとつは【死と乙女】です。こちらはクラシック音楽への思い入れが強くて)

ウゾくんの本編は、あと「冬」と「春」でおしまいなのですが、今のところ秋の菊まで来ているので、ここで急に初夏の話に戻すことはできなかったため、苦肉の策に出ました。花は紫陽花。ただし、立ち枯れの紫陽花です。晩秋の話ですが、花が6-7月のものということで、季節がずれていることは赦してやってください。
あまりにも間があいているので、読んでくださっていた皆さまにも設定を忘れられているでしょうから、前半は少し説明がましい部分がありますが、これまでのことを忘れている/読んでいない場合でも、大体ついていけるように書いてありますので、さらりと流し読みしてくださればと思います。

いや、それでも書くほうとしては細かい設定を思い出すのが大変で、とりあえずこれまでのところを読み返したのですが、なんて話を書いてるんだ! 大海! と自分でツッコんでしまいました。
いや~、これ、けっこうしんどい話じゃありません? (自分で言うこと?) ファンタジーなのに、テーマが重い(@_@)
でも、気持ちはいっぱいこもっているかな? 思い入れは深いし、けっこういい話じゃない? なんて(また自画自賛か!)。
結構毎回ハードな部分が多いのですが、今回は、少し優しいお話になっています。

本編からは少し話が逸れている部分ではありますが、今回は私が大好きだったねこさん・もち姫さんへの追悼の気持ちで書きました。この作品は、そもそもウゾさんに捧ぐ、なんですけれど、今回はウゾさんともち姫さんに捧げます。
もち姫さん、これからも、ウゾさんの傍にいてあげてくださいね。ウゾくんの傍にも。
 ウゾさんの【百鬼夜行に遅刻しました】


<あらすじ>
ニンゲンが亡くなって上手くジョウブツできない時、いったん鬼になる。鬼になって、百鬼夜行に108回参加すればジョウブツできるのだけれど、ルールが沢山あって、試験に合格しなければ本物の百鬼夜行には参加できない。だからキョウトのゴショには、百鬼夜行学校があるのだ。
でも小鬼のウゾは、いつも試験に遅刻してしまって、これまでに3680回も試験に落ちている!
一体なぜウゾは遅刻してしまうのだろう? そして、ウゾはどうして小鬼になってしまったのだろう?
生と死の間で苦しむ人々を見つめ、花の精たちの助けを借りながら、ウゾは今日も……遅刻している!?
<登場人物>(名前のみを含む)
ウゾ:小鬼。遅刻の常習犯で、なかなか百鬼夜行本番参加のための試験に合格しない。
もち姫:ウゾが物心ついた時?には傍にいてくれた『知っている』猫。ウゾを見守っている。
サクラちゃん:バイクにはねられて死んでしまった少女の小鬼。イメージはハーマイオニー……
タタラ:百鬼夜行学校の教官。とにかくでかくて怖い。
ダンゴ:ウゾが住むタダスの森のダンゴムシたち。語彙は少ないが、少しずつ学習している?


【百鬼夜行に遅刻しました】秋(2)・立ち枯れの紫陽花

「ウゾ、チコク」「チコク、オコラレル」「ウゾ、オコラレル」「コワイ、コワイ、タタラ」
 ダンゴたちはまた語彙が増えている。一体、誰が教えているんだろう。もしかして、ウゾが魘されて寝言を言っているのかもしれないけれど。
「もう、うるさいなぁ」
 目が覚めちゃったじゃないか。今日はせっかくの休みだというのに。

 ウゾはもぞもぞと起き上がり、アキニレの木に凭れて、はぁと溜息をついた。
 秋は深くなって、落ち葉は下の方か湿って重くなっている。そこへまた新しい枯葉が落ちてきて、かさかさと音を立てる。もう風の温度はすっかり冷たくなっていた。
 ウゾはジョウブツを目指して勉強中の小鬼だ。

 普通、ニンゲンが死んだら、七日以内に魂はあの世に渡って行くはずなのだが、何かの事情でこの世に魂を残してしまうことがある。自分がなぜ死んでしまったのか分からない場合や、身体や心の一部がこの世に残ってしまっている場合などだが、特に強い感情を残した時はこの世に長く留まってしまい、七日を越えると簡単にはジョウブツできなくなる。
 こうした場合は鬼となってこの世をさまようことになるのだが、そのままでは鬼の人口の方が人間よりも多くなってしまって、鬼とニンゲンが接触する不幸なケースが増えてしまう。

 鬼が増えたら鬼に好都合かというと、そういうわけでもない。鬼はそもそも各自が自分自身の事情にこだわっているので、みなで力を合わせてニンゲンと張り合うなんてことはないのだ。だから、鬼が増えてしまったら、鬼たち自身にとっても大きな問題となる。
 何より「健康で健全な鬼」で居続けることは結構難しい。鬼としての健康が損なわれた場合は、大変な苦難が待っているのだ。
 中には、学校の門番をしているグンソウのように、自ら決意してその苦痛の道を選んだ者もいる。だが、普通の鬼たちにあんな苦痛が耐えられるはずもない。

 そこで、鬼たちにジョウブツに至る過程を教え、自分の死について知り、納得してあの世に行くために学ぶ学校があるのだ。ジョウブツに至るためには、百鬼夜行に百八回、参加しなくてはならない。百八回の百鬼夜行は、鬼たちに自分の死の訳を知る機会と、浄化の機会を与えてくれる。
 しかし、人間から見るといい加減にうろついているように見える百鬼夜行にも、気が遠くなるほどのルールがある。だから、この本番の百鬼夜行に参加する前に、教習所のようなところに行ってルールを勉強し、仮免許を貰わなければならないのだ。
 そして、ウゾはこの仮免許の試験にこれまで三千六百八十回、不合格となっている。そのほとんどの理由が遅刻だ。

 何故遅刻してしまうのか。鬼たちは普通夜行性だ。つまり、鬼たちの朝は、ニンゲンの夜だ。でも、ウゾはどうしても夜になったら眠くなるのだ。だから、鬼の朝に起きることができない。ウゾがねぐらにしているタダスの森から、学校のあるゴショまではそれほど遠い距離でもないのだが、それでもなかなか間に合わないのだ。
 学校は単位制なのだが、ちゃんと授業に出ていないと試験に合格することは難しい。それに大事な授業は結構、朝一番にあることが多い。もちろん、鬼の「朝の一番」だ。
 何故そうなっているのかというと、遅い時間にはバイトに行く鬼も多く(ニンゲンをビビらせるのは「夜」なので)、また深夜の丑三つ時には、本番の百鬼夜行のために教官たちは多忙だからだ。

 うまくないや。
 ウゾは葉っぱを一枚めくって、指先でダンゴを一匹つついた。ダンゴは丸くなり、コロン、と転がった。
 今年はあれこれ校則違反なんかを起こしてしまって、百鬼夜行学校教官のタタラから、罰則として、これから来るキョウトの寒い冬の間、町中の花の種と根の面倒を見るようにと言われている。救いはサクラちゃんもいっしょだということだが、それでも、ふたりにしたってキョウト中の花だなんて、絶対無理に決まってる。
 かと言って、いい加減にやったら、きっとタタラに怒られるんだろうし。

 タタラはもともとミドロガイケの龍だという噂のある、ものすごく身体の大きな鬼だ。とにかくおっかない。もちろん、龍が鬼になるなんて聞いたことがないから、きっと噂なんだろうけれど、ウゾはタタラがまるで龍のように空を飛んでいる姿を見たことがあるし、菊の精はタタラのことを「ミドロガイケの主」と呼んでいた。
 もちろん、気を失いかけていたから、見間違い、聞き間違いもしれない。

 大体タタラは僕に厳しすぎるんじゃないかなぁ?
 ウゾはふぅともうひとつため息を零した。
 もちろん、遅刻の常習犯のウゾが悪いのだが、物事には手加減というものがあってもいいはずだ。
 やっぱり、もち姫のところに行こう。この時間はもち姫にとっても都合のいい時間だし、休日なら学校のことを考えずに、久しぶりにゆっくりと一緒に過ごすことができる。
 それから、どうやったらキョウト中の花の状態を知ることができるのか、もち姫の知恵を借りよう。それに。
 ウゾは立ち上がった。
 他にも、もち姫には聞きたいことがいっぱいあるのだ。



「おや、ウゾ、学校はどうしたの。あら、そういえば今日は立冬のお休みだったわね」
 学校は二十四節季の日が休みと決まっている。今日は立冬の休みなのだ。
 これから冬になる。

 もち姫は『知っている』猫だ。だから、猫たちの先生であり、精神的支柱でもある。
 猫たちはニンゲンと違って『見える』ことが多いが、『知っている』猫は滅多にいない。もち姫は真っ白な猫で、あっちの世界(ニンゲンにとってはこの世)とこっちの世界のどちらの者とも話すことができる、稀有な猫だ。年齢は分からないが、ウゾが記憶している限り、ずっとウゾの傍にいてくれている。

 このところウゾは、勉強中の小鬼には解決できないような問題にぶち当たることが多い。
 よく考えてみれば、それは今年の春にサクラちゃんという、バイクにはねられた後、連れ去られて殺されてしまった女の子を助けてから……のような気がする。
 助けた、と言っても、何ができたわけではない。殺されて埋められた場所を見つけてあげただけだ。死の理由が分かったので、サクラちゃんはぎりぎり七日の期限に間に合ってジョウブツできていたはずが、病気のお母さんにナカラギの桜の花びらを届けていたために間に合わなくなって、ウゾと同じように鬼になってしまったのだ。

 もっとも、サクラちゃんは外見こそ儚げで可愛らしい少女だが、ウゾが思っていたように可憐な女の子ではなく、実に逞しく鬼ライフを生き抜いているようにも見える。もちろん、お母さんのことや自分の死のことは大きな問題だったけれど、課題を的確にこなし、利用できるものはちゃっかり利用し、友だちをたくさん作って、頑張って鬼をやっているように思えるのだ。
 逞しさと健気さ、強がりと泣き虫、理性と優しさ、そんな両面性がサクラちゃんの魅力だ。しかも、あんなに理知的なのに、ウゾと同じように遅刻の常習犯だ。

 ウゾは、ちょっぴりサクラちゃんが好きなのだ。まだ「ちょっぴり」と言っていいくらいだけれど。
 それに。
 ウゾはサクラちゃんのお母さんと約束をしたのだ。サクラちゃんを殺した犯人を見つけて、事情を聞きだし、ちゃんと罪を償わせるのだと。

 ウゾはきょろきょろと周囲を見回した。
「どうしたの」
「え、えっと……」
 もち姫はふっと息をつく。
「ウゾ、サクラなら花たちの図鑑を持って早くにやって来たわよ。これから花の精たちに事情を聞いて回るんだって」
 手伝いなさい、と言外に言っているのだろうけれど、ウゾはそっともち姫が身体を横たえている縁側に座った。

「ねぇ、もち姫。ぼく、その……」
 ちらっともち姫を見ると、その金銀の見透かすような瞳にじっと見つめられていた。でも、その瞳は何時も根っこのところがとても優しい。
「ウゾ、あなたが聞きたいことは分かっているわ。でもね、あなたは何もかも自分の手で掴みとらなければ。花たちに事情を聞くのはとても有益なことだわ。何しろ、あなたは鬼としては半人前だけれど、花たちを感じ、その声を聴くことができるのだから。それは誰にでも備わった能力ではないわ」

 これまで出会った花たちは、もち姫を「あの方の使い」と呼んで懐かしそうに話した。「あの方の息子の面倒を見ている」と。あの方って、ぼくのお母さん? もち姫は、お母さんのことを知ってるの? どうして花たちはみんな、もち姫のことを知っていたの?
 そう聞いてみたいけれど、やっぱりもち姫を見ると簡単には聞けない。もち姫はきっと答えてくれないと分かっているからだ。

 ウゾは母親のことを思い出せない。鬼になったのは、自分の死の訳を知らないからかもしれないが、親のことを思い出せないのは何故なんだろう。僕は生きている時、どんなニンゲンだったのだろう。少しくらいその記憶が残っていてもいいはずなのに、その記憶が少しもないのだ。これはつまり、キオクソウシツってやつなのかなぁ。

「ねぇ、ウゾ、あなたは自分で選ばなくてはならないのよ。あなたが三千六百八十回も試験に合格できないのには、なにか大きな力が働いているのかもしれない。私は、あなたがジョウブツできるのなら、それが一番いいと思ってきたけれど、与えられた運命が過酷であるかどうかを決めるのは、周囲の者ではなく、あなた自身なのかもしれないわね。さぁ、ウゾ、もう行きなさい。私は少し眠らなくては。今日は少し大変な夜になるから」

 もち姫がこの世に留まり、あの世とこの世を行き来しながら過ごしているのは、猫たちにたくさんのことを教えてやらなければならないからだ。でももう随分と歳をとった猫だから、その仕事をこなすためには、十分な休息が必要なのだ。
「まずは、花たちとよく話をすることだわ。そう、身近な花たちから始めなさい。根気よくね」



 ウゾは眠ったもち姫の背中を撫でながら、ぼんやりと小さな庭の光景を眺めていた。
 もち姫は住んでいる家は、カモガワをずっと遡ったところにあって、もう少し行けば水の湧き出す源流がある。家には年老いた夫婦が住んでいて、もち姫を大事にしてくれている。夫婦ともに、少し佇まいが悲しげだけれど、優しそうな人たちだ。
 その老婦人が、もち姫のことを神さまの猫、と呼んでいるのをウゾは聞いたことがあった。ニンゲンだけれど、もち姫が特別な猫であることを感じているのかもしれない。

 小さな庭には、竹の垣根と植込みがある。植込みには山で見かけるような、華やかではないけれど優しい花たちが植えられている。萩、撫子、朝顔、ホタルブクロ、ホトトギス、桔梗といった草花、それからレンギョウやミヤマツツジ、沙羅双樹や椿などの木の花たちも。
 その中には紫陽花もあった。

 丁度あれは休みの日だったから、そう、6月の夏至の日だった。
 雨の日が多くなり、紫陽花の花が咲き始めていたから。
 休みの日にはもち姫のところに来るのがウゾの習慣だったから、ウゾはやっぱりあの日もここに来ていたのだ。
 あの時、ウゾはもち姫に尋ねた。
「ねえ、この紫陽花には花の精がいないね」

 そういうことは珍しい。この紫陽花には生命の匂いがなかったのだ。
 ウゾはもともと花の匂いから色々なことを感じる。匂い、と言っても、ニンゲンにも他の動物たちにも感じることができないくらいの微かな匂いだ。
 花の精たちは必ずしも顔を見せてくれるわけでは無い。ニンゲンの前に姿を見せることはまずないだろうし、そもそもニンゲンにはそのような能力がある者はいない。ウゾのように花たちと話ができる鬼だとしても、花たちに気に入られなければ、その声を聴くことはできない。

 花たちは、ものすごく気難しいのだ。
 それでも、その気配は、微かな匂いで感じることができる。
 この庭の花たちは、とても大事に手入れされていて、どの花からも素敵な匂いが香っていた。ただひとつ、紫陽花の花を除いて。
 もち姫はウゾの言葉にふと首をもたげ、じっと紫陽花の花を見つめ、それから何も言わずにまた眠りに落ちた。まるで、そのことは聞きっこなしにしなさい、と言うように。

 あの6月の雨の日。ウゾはその紫陽花の青い花にそっと触れてみた。
 それはとても不思議な感触だった。花に触れたのに、石に触れたように硬質な手触りだったのだ。
 鬼の手は人間の手とは少し違う。物質の感触ではなく、魂の在り方を触るのだ。

「石、みたいだ」
 ウゾは思わず呟いていた。
 その紫陽花が、暦が変わって立冬の季節になっても、色褪せ、立ち枯れたままとなっている。ウゾは庭に降り、枯れた紫陽花の花に触れてみた。
 やはり、その印象は、あの夏至の日と同じだった。

 紫陽花の花は、こうして手入れをされた庭ならば、花が終われば剪定されているのが普通だ。好き好んで立ち枯れの様を楽しむこともあるけれど、剪定しなければ紫陽花はかなり大きな株になっていくので、小さな庭ではあさましい印象となる。
 これほどにきちんと手入れをされている庭なのに、紫陽花だけがまるで生きていないかのように暗く感じる。そう、この紫陽花がニンゲンであれば、もうすっかり鬼になっているかのように。

 でも。この棲む精のいない紫陽花だって、何年も、何十年も一生懸命花を咲かせているうちに何かを思い出すかもしれない。だから、冬にはこの花の根の面倒も見てあげなければ。
 ウゾがそんなことを考えながら紫陽花の周りをぐるぐる回っていると、すっと縁側に面した部屋の障子が開いた。

「もち」
 この家に住む老婦人の声だった。青い浴衣を来て、髪を結いあげていたが、幾らかまとまりが悪くなって艶を失った髪は解れて肩に落ちていた。
「お前、この人の傍にいてやっておくれ」

 もち姫はゆっくりと立ち上がり、普通の猫みたいに少しお尻を下げて前足で伸びをしてから、老婦人の傍をすり抜けるようにして部屋に入っていった。
 老婦人が障子を閉めようとすると、中から弱々しい声が聞こえた。
「いや、お前、風が気持ちいいから、開けておいておくれ」
「十一月とは言え、もう立冬なのですよ」
「庭の景色を見ておきたいんだよ」
 ウゾは思わず紫陽花の影に隠れて、そっと気配を窺った。

 この家のご夫婦、つまりもち姫の飼い主のことは、ウゾも知っているようで知らなかった。
 そもそも、ニンゲンが鬼を見てしまったら、その人の死期に影響するとも言われているので、ウゾたち鬼は、事情がない限りニンゲンとの接触を避けている。もしも自分勝手に面白半分にでもニンゲンを脅かすようなことをしたら、そのことは鬼の規律を守るサイバン長に筒抜けていて、自分への厄災として降りかかってくるからだ。
 唯一許されるのは、特別なバイトの時だけだ。つまり、たまにふざけたニンゲンを脅しておくために「オバケ」を演じるバイトのことだ。それでも、そのニンゲンの死期には影響しないように最善の注意を払っている。

 だからウゾも、彼らに見られないように、慎重に振る舞う必要があった。特に死の床にあるニンゲンが鬼を見ると、その人の魂が吸い上げられてしまうというのだ。
 ニンゲンからは死角になるように、そっと障子の影に隠れて覗きこんでみると、この家の主人と思しき老人が、まさに死の床に横たわっていた。

 傍には老婦人が座っていて、黙ったままその人の手を握っている。どちらも老いて皺の多い手には、刻み込まれた年月の重さが宿っていた。
 もち姫は、死の床に就く老人のもう一方の手が届く辺りに、そっと横になって、静かに見守っていた。
「もち、この人のことを頼んだよ」
 そう言いながら、老人の手がもち姫の背中を撫でていた。

「お前はよくこの人のことを知っているから、間違いはない。私ももう決めているのだ。だから安心をしておくれ」
 それから老人は庭の方を見た。穏やかで優しい表情だが、静かな決意を読み取ることができた。

 その時、その老人の目がウゾを捉えた。
 しまった。
 ウゾは慌てて障子の影に隠れた。

 しばらくの間、一見のところは何の変化もなかったろう。だが、微かな変化はウゾの耳、ニンゲンのものではない鬼の耳にははっきりと感じることができた。
「さて、そこの小鬼よ。心配しなくてもよいから、こっちへおいで」
 ウゾはびくっとした。まさかこんなところで、死にゆく人に見られてしまうなんて。またどんな罰則がタタラから振りかかってくることか!
「ウゾ」
 もち姫の呼びかける声も聞こえた。

 ウゾは障子を背中にしたまま、一旦きゅっと目を瞑り、それから目を開けた。石のように静かに立ち枯れた紫陽花の花が、目に入った。
 ええぃ、もうままよ。
 ウゾは障子から顔を出した。

 老人はもち姫の背を撫でていた。その目はウゾと、ウゾの背中の先の紫陽花の花を見つめていた。老婦人は黙ったまま、感情をまるきり見せることもなく、死にゆく人の手を握りしめていた。ウゾのことは見えていないようだった。もち姫もまた、ウゾのことが見えないように振る舞っていた。

「そうか、小鬼が確かに見えるということは、私に時が来たということだろう。なに、心配はいらない。私は既に三途の川の渡し守と閻魔様に挨拶を済ませてあるのだよ。おそらく私が選んだことは、この先、私が成仏するためには差し障ることだろう。あるいは、その結果として、成仏を遂げることができなくなるかもしれない。しかし、これはもう覚悟の上のことなのだ。私はこの人を守るために、立ち枯れることにしたのだよ」

 ウゾはぽかん、としていた。意味が理解できなかったのではない。すでにそのような人を知っていたからだ。
「それはだめだよ。とても苦しむことになるんだから!」
 ウゾは思わず叫んでいた。
 しかし、老人は優しく微笑むばかりだった。
「小鬼さん、少し私の昔話を聞いてくれるかい」
 ウゾはちらりともち姫を見た。もち姫は小さく尻尾を動かしたが、ウゾには背中を向けたままだった。ウゾはそっともち姫の横に座った。

「本当に、障子を閉めましょう」
 老婦人が困ったように言った。十一月の風は、確かに、死にゆく人には冷たいだろう。
「いやいや、最期まであの花を見ていたいのだよ」
 老人はウゾを見ていた。そしてそのウゾの背中の先には、紫陽花が、何もかも失ってもなお凛とした姿で立ち枯れていた。

「私はこの人の夫ではないのだよ。そう、この人の夫は、この人を置いて戦争に行き、そのまま帰らなかったのだ。けれど戦死したわけでは無い。帰国したが、その時には別の女性と出会い、ここには戻らなかったのだ」
 老人は、弱々しく少し首を傾げて、老婦人の方を見た。それからまたウゾの方へ視線を戻す。

「私はね、小鬼さん、戦後のごたごたの中で、貧しく苦しかったために、ふとした過ちで人を殺めてしまい、逃げていたのだ。貧しさやひもじさが人殺しの言い訳にはならないことは分かっている。けれど、あの時は何とかして生き伸びようと必死だった。追い詰められた私を、この人は、戦争に行っていた自分の夫が帰ってきたと言って庇ってくれた。本当のご主人が帰って来るまで、という約束で、私はこの人の夫だと名乗ることになった」
 老人は穏やかな笑みを浮かべた。

「この人は笑うこともなく、いつも寂しげだった。ただ黙って日々の苦役をこなし、ただ黙って生きることの辛苦を耐えていた。誰を恨むこともできずに、ただ石のように時が過ぎるのを待っているように見えた。それでもこの人は、女一人で、強い風に向かって立っていた。その姿を見た時から決まっていたのだよ。私は死して屍になってもこの人を守ろうと。この人が、帰らぬ夫を待ち続けて心を石のようにしていたのだとしても、私はただ傍でじっと立って、強い風からも、冷たい雨からも、刺すような陽からも、この人を守ろうと。たとえ身体が朽ちても、この人の命ある限り、私はこの人を守るのだと」

 あ。
 ウゾは不意に振り返り、紫陽花を見た。そうか、だからあの紫陽花は、この老婦人の心のままに石となっていたのだ。
「でも、そんなことをしても、この人の命だって、もうそんなに長くないんだから。先にジョウブツしてあの世で待っていたっていいじゃないか」
 老人はまた、優しく微笑んだ。

「手を触れることもなく、同じ床に入ることもなく、六十年以上の時を過ごしてきたのは、ただこの人の傍にいたかったからなのだよ。この先も、ひと時も目を離したくないのだ。それがどんなに苦痛であっても」
「彼女は、本当のご主人が自分を捨てて行ったことを知っているの?」
「どうだろうね。それはこの人にしか分からない」
「あなたはこれでよかったの? この人生で」
 他人の身代わりとなり、愛する人に愛されることもなく、ただ傍にいるだけの人生。ウゾにはそれがどういうものか、想像もできなかった。

 もち姫を撫でていた老人の手が、そっとウゾの方へ伸ばされた。
 もち姫は、ウゾに対してもそうであるように、誰かの選択や想いを否定することも、自分の意見を押し付けることもなかった。ただ、静かに見守っていた。
「私の宝はこれだけだよ。これほどに悔いのない人生はなかったと確かに思えること」

 その時、老婦人の両手が強く、老人の手を握りしめた。強く、優しく、まるで彼女自身の命を共に重ねるように。
「風が強くなってきましたよ、あなた」
「あぁ、本当だねぇ」
 


 人には、それぞれの生き方があり、それぞれの死がある。
 ジョウブツしなくてもいい、とは思わない。でも、必ずしも、望ましく順風満帆な人生を送るわけでは無く、理想的な死を迎えるとは限らないのであれば、その人が自らをまっすぐ見つめて出した答えにこそ、意味があるのかもしれない。

「あれ? 花を切ったの?」
「えぇ、こんなことは私がここに来て初めてのことね」
 ウゾが次にもち姫の家に行った時、あの立ち枯れたままの紫陽花の花は切られて、木も短く切り戻されていた。
「これでいいのよ。切り戻した方が、来年またもっと綺麗な花が咲くでしょう」
 あ。ウゾはくんくんと鼻を鳴らした。紫陽花の匂いがする。花の精が戻ってきたのだ。

 その紫陽花の前に小さな石が置かれていた。石は、いつも誰かの手が撫でているかのように、つるりとしていた。その季節になれば、石の表面に紫陽花の花が映るかもしれない。
「お墓みたいだね」
「そうね。石には魂が宿るというから」
「あのお爺さんはどんな人だったの?」
「そうねぇ、いつもこの縁側に座って、煙草を吹かしていたわ。私が縁側にいる時は、煙草を遠慮して、私の背中を撫でてくれていた。手が器用で、歳をとっても、色んなものを自分で直していたわね。箪笥や椅子や、色々な道具を」
「おばあさんは元気?」
「えぇ。いつもと変わらないわ」
 そうなんだ。ウゾは何だか少し安心した。

「ウゾ、花守には少しだけ猶予があるのよ」
「猶予?」
「そう、花を守るものは、ひとつの祈念についてのみ、それが満たされるまでの一定期間であれば、この世に留まり続けることを許されるの。もちろん、他の誰かと話すこともできないし、その場所を動くこともできないなど、決まりごとは多いし、自分勝手な祈念は許されないけれど」
 そうなのか。ウゾはほっとした。あの人はそんなことは知らなかったと思うけれど、きっとエンマサマが認めたに違いない。

「ところでウゾ、お前、サクラひとりに仕事を押し付けているんじゃないでしょうね?」
「まさか。でもサクラちゃんの方が手際はいいし、それにすごいんだ。サクラちゃんって、虫とか鳥とかを思いのままにして、ネットワークも簡単にできちゃって。具合の悪い花がいたら、すぐに連絡が来るし」
「まぁ、やっぱり人任せにしているのね。サクラはあなたに迷惑をかけたと思っているから、一生懸命なのよ。全く、この子は……」

 それはもち姫の誤解だとウゾは思った。
 だって、サクラちゃんは本当にすごいんだ。
 ウゾはこの間、聞いてしまった。ヒタキがサクラちゃんのところにやって来て「姐さん、テツガクノミチのソメイヨシノがちょっと具合が悪いそうで、姐さんの応援を待ってるらしいですぜ」って言っているのを。
 あれってゴクドーのなんとかってやつじゃないの?

 だから、僕は僕で、サクラちゃんを殺してしまった犯人を見つけ出さなくちゃ。
「じゃ、もち姫、また来るね」
 ウゾはもち姫に挨拶をして、垣根を潜った。

 垣根を潜りかけた時、ふと、視界の隅に、この家の主人だった老人が、紫陽花の前の小さな石に腰かけているのが見えた。
 老人は煙草を吹かしながら、切り戻されて花も葉もひとつもない紫陽花の木をじっと見つめていた。
 静かに微笑みながら。
 風が吹いて、花も葉もない紫陽花の木から、命の優しい香りがウゾに届いた。

連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】秋(2)・立ち枯れの紫陽花 了
~ウゾさんともち姫さんに捧ぐ~



わざわざ解説することはないのですけれど、ウゾくんとご老人の会話はもち姫には聞こえていますが、老婦人には聞こえていません。……あ、余計でしたね。

次回は、今度こそ、冬に『忍冬(すいかずら)』でお目にかかりましょう。
サクラちゃんの死の真相に、ウゾくんが迫ります!

……あやうく【死者の恋】のネタバレ話を書くところだった……

Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】冬・エリカ(1) 


月刊・Stella ステルラ 4・5月号参加 連作短編/不定期連載小説

おひさしぶりの【百鬼夜行に遅刻しました】です。しかも冬!
でもこのまま季節を待っていたらいつまでたっても終わらないので、もう季節合わせは諦めました。
きっと真夏に冬の話になるんだな。ごめんなさい。
しかも冬の花、予定変更でエリカです。

初めてさんもこれまでのお話は多くないのでよろしければ、お付き合いくださいませ。
→ 連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】
今回のお話には「おさらい」も入っているので、割と入りやすいかもしれません(^^)



<あらすじ>
ニンゲンが亡くなって上手くジョウブツできない時、いったん鬼になる。鬼になって、百鬼夜行に108回参加すればジョウブツできるのだけれど、ルールが沢山あって、試験に合格しなければ本物の百鬼夜行には参加できない。
だからキョウトのゴショには、百鬼夜行学校があるのだ。
でも小鬼のウゾは、いつも試験に遅刻してしまって、これまでに3680回も試験に落ちている!
一体なぜウゾは遅刻してしまうのだろう? そして、ウゾはどうして小鬼になってしまったのだろう?
生と死の間で苦しむ人々を見つめ、花の精たちの助けを借りながら、ウゾは今日も……遅刻している!?
<登場人物>(名前のみを含む……「人」じゃないけど)
ウゾ:小鬼。遅刻の常習犯で、なかなか百鬼夜行本番参加のための試験に合格しない。
もち姫:ウゾが物心ついた時?には傍にいてくれた『知っている』猫。ウゾを見守っている。
サクラちゃん:バイクにはねられて死んでしまった少女の小鬼。イメージはハーマイオニー……
タタラ:百鬼夜行学校の教官。とにかくでかくて怖い。ミドロガイケの竜という噂も?
ダンゴ:ウゾが住むタダスの森のダンゴムシたち。語彙は少ないが、少しずつ学習している?


エリカ

【百鬼夜行に遅刻しました】冬・エリカ(1)

 ウゾ、チコク、チコク、チコク、チコク~~~!
 今日も、夕刻、いつもの時間になるとダンゴたちが騒ぎ始めたが、タダスの森のいつもの木のねぐらに、いつもネボウをしているウゾの姿はなかった。それもそのはずで、ウゾはここの所、毎日朝から(実のところ朝は鬼にとっては「夜」の始まりなのだが)、勤勉に出かけていたのである。

 と言っても、真面目に百鬼夜行学校へ登校していたわけではない。そもそも、学校の始業時刻は夜の刻だ。もっともウゾはそんな時間にはものすごく眠くて、とてもとてもずっと起きていて授業に集中するなんてできない。むしろニンゲンにとっての朝、特に午前中の方が、ウゾは元気に過ごすことができるのだ。

 この頃はウゾにも頼もしい味方がいる。
 去年の春、ひき逃げに遭って死んでしまったサクラちゃんだ。ウゾが出会った時、サクラちゃんは自分の死体がどこに埋められているのか分からなくて、ノッペラボウのまま彷徨っていた。危うくジョウブツの期限の七日を越えそうになっていたところを、ウゾと「知っている猫」のもち姫が助けてあげた。だから、本当なら鬼になんてならなくて済んだはずだった。

 でも、サクラちゃんは自分の死体を見つけた時に、どうしてバイクに轢かれちゃったのかを思い出してしまった。この世にやり残したこと、それは病気のお母さんにナカラギの桜の花びらを届けに行くことだった。そんなことをしている間に、期限の七日間が過ぎてしまったのだ。
 期限内にジョウブツできなかったら鬼になる。一度鬼になるとジョウブツはちょっと難しくなる。でも百鬼夜行学校に通って、試験に合格して、本番の百鬼夜行を百八回やり遂げたら、ちゃんとジョウブツできるし、優秀なサクラちゃんならすぐにでも試験に合格しても不思議じゃなかった。

 それなのに、何故かサクラちゃんもウゾと同じで、結構ダメなところがあるのだ。
 まず、ウゾと同じように遅刻の常習犯だった。それに意外に喧嘩っ早くて、成績表にマイナスがついているところがある。
 本当のところ、ウゾはちょっとだけ嬉しい。ウゾがジョウブツできる可能性は結構低そうだし、もしもサクラちゃんが先にジョウブツしてしまったら、ウゾはとってもさびしくなると思う。でも、そのサクラちゃんも遅刻の常習犯だから、やっぱりなかなか試験に合格できそうにないのだ。

 成績や試験に合格することが何なの。リッシンシュッセよりも大事なのは「ジツ」よ。
 サクラちゃんは鬼にしかできない、鬼にしか分からないことが世の中にいっぱいあるという。そして色んな妖怪、もののけ、式神、幽霊、お化け、妖精、猫、キツネにタヌキ、そんな連中と知り合いになって、まるで優秀な記者のように「シンジツ」の追及に余念がない。

 そんなサクラちゃんのおかげで授業の取捨選択は上手く行っている。サクラちゃんは、ウゾにとって出席するべき授業と少々サボっても問題のない授業をきっちりと確認してくれた。もちろん、百鬼夜行学校の授業はどれもとても大事な内容ばかりで、本当ならすべての授業に出席するべきだ。
 でも、こう見えてウゾは結構長い年月学校に通っている。本番の百鬼夜行のための仮免許試験には遅刻ばっかりして合格できないでいるが、一度は聞いたことのある授業が結構あったのだ。



 季節はすっかり冬になっていた。
 キョウトの冬は厳しい。底冷えがする。ただ気温が低いというよりも、足元に氷でも埋まっているのじゃないかしらと思うような冷え方なのだ。

 ゴショ近くの神社の井戸の中に住んでいる齢千余年というオバケガエルは、確かにキョウトの地下には巨大な水瓶が埋まっているのだという。その水瓶から少しずつ水を地上に送り出してくれているのが、水瓶の主・マンネンガエルだ。
 ニンゲンたちはこの水瓶の水によって生かされていることを十分には理解していない。

 その日の朝、ウゾの棲むタダスの森にはうっすらと霧が漂っていた。
 ウゾはえいっと起き上り、オニ体操を始めた。ニンゲン界ではボンオドリ、ふぉーくダンス、らじお体操、それにヨウカイ体操などなるものが時として流行するが、全てはオニ体操の影響だ。オニ体操こそが本家本元なのだ。一日の始まりに体操をして、身体をほぐし、自然界から鋭気を取り入れ、その日の無事を祈るのだ。
 それからウゾは今日もまた、あの暗い森の中に出かけた。

 サクラちゃんはバイクに轢かれた時にはまだ生きていた。でも、ひき逃げ犯はすぐに救急車を呼ぶこともせずに、サクラちゃんの身体を運び、森の中で首を絞めて殺してしまった。サクラちゃんは暗い土の下に埋められていたのだ。
 サクラちゃんの記憶はその辺のところ曖昧で、首を絞められる前に死んでいたような気がする、というのだが、何よりもすぐに救急車を呼んでくれていたら、サクラちゃんは助かったかも知れないのだから、首を絞めても絞めなくても、酷いことには違いはない。

 何よりも小さな子どもを不案内な森の中、人目のつかない土の下に埋めてしまったことは、死者への冒涜で、鬼からすると何よりも残酷極まりないことだった。そのせいでサクラちゃんは目も口も耳も塞がれて、死んでしまった自分を見つけることができなくなり、ジョウブツへの道を閉ざされようとしていたのだ。

 ウゾはサクラちゃんのお母さんに約束をした。必ずサクラちゃんをひき殺した犯人を見つけて償わせるから、と。お母さんは、サクラちゃんを殺したひき逃げ犯を呪って、自分はジョウブツもできずにこの世で苦しみ続ける本当の悪鬼になろうとしていたのだ。
 サクラちゃんには、ひき逃げした犯を捜してあげるね、とは伝えていない。お母さんと約束をしたことも。

 丁度、サクラちゃんはこの冬の間、学校以外にキョウト中の花や木の根の面倒を見るという大事な仕事に追われていた。これは百鬼夜行学校の鬼教官・タタラが、規則破りをしたサクラちゃんとウゾに課した罰則なので、本当はウゾも手伝わなければならない。でも、何かを察しているらしいサクラちゃんが、彼女のものすごい人脈(?)を生かして、あっという間に仕事を片付けてしまうので、ウゾの出る幕がないというのが現実だ。

 サクラちゃんはちょっとしたことも見落とさないようにと、一生懸命、花たちの面倒を見ている。花たちがサクラちゃんに心を開いていくのがウゾにもよく分かる。
 何故なら、ウゾには花たちと話ができるという特別な力があるからだ。
 もちろん、花たちは気難しいので、気が向かなければ答えてもくれないけれど。

 毎日、ウゾはサクラちゃんが埋められていた森へ行く。現場百回、という言葉があるが、ウゾは一千回だって通うつもりだ。
 犯人捜しを始めてからウゾにも分かったことがある。鬼だったら、魔法のような特別な力を使って犯人なんてすぐに分かるかというと、全然そんなことはないということだ。
 シンジツに辿り着くためには、鬼だって、ニンゲンだって沢山頑張らなければならないのだ。

 現場に百回行っても新しいことはなかなか見つからないけれど、毎日毎日通っていると、その場所にだけある特別な何かを感じるようになっていく。
 ここにはサクラちゃんの匂いが残っている。そしてそれに重なるように、もうひとつ、微かな匂いがある。
 花の匂いなのか、それとも別の匂いなのか、複雑すぎてウゾにはよく分からない。

 森に向かう途中、ウゾはいつもナカラギの桜の並木道に立ち寄る。
 キョウト植物園の近く、カモガワ沿いに並ぶナカラギの桜たちは、春ならばいつもやさしくウゾに挨拶をしてくれる。でも冬のこの時期、桜たちは忙しく身を護っているので、ウゾに気が付く余裕がない。

 ニンゲンは、花たちは咲いている時が一番美しく、一番働いていると思っているかもしれないが、実際には花以外の時期の方がその中身は美しい時もあるし、もっともっと頑張っている時もある。彼らが一番忙しいのは花を開く少し前だ。
 今はまだ蕾は固い。代謝を低くして、じっと耐えるのもまた大変なのだ。ウゾはそれぞれの木の邪魔をしないようにゆっくりと様子をうかがいながら歩いていた。

「あれ?」
 その時。
 ウゾは目を閉じて鼻をヒクヒクさせた。まだ匂いを秘めているナカラギの桜たちの気配の中に、別の花の匂いを見つけたのだ。
 匂いは、川沿いに並ぶ桜の木々のずっと先の方からほんのわずかに香るだけだ。ともすれば冬の風に巻かれて、川に沈んでしまったり、山の彼方へ吹きあげられてしまう。ウゾでなければ気が付かなかっただろう。
 冬に咲く花は少ない。だから近付く前からウゾにはある程度予想がついていた。
 案の定、橋を渡って少し歩いた先に咲いていたのは、エリカの花だった。

 その花の前に、一人の女性が立っていた。
 女性というよりも、まだ少女だ。ニンゲンで言うなら十代の半ば、高校生くらいだろか。白い肌は透き通るようだったが、少し血管の浮いた頬は幾分か荒れていた。ゆるく三つ編みになった淡い茶色の髪が、右の肩に触れて震えていた。痩せた細い身体で、ふんわりとした白いワンピースのようなものを着ていなかったら、本当に消えてしまいそうなほど頼りない。

 少女はすっと細い手を伸ばして、エリカの花に触れた。その指先が微かに光る。
 ようやくヒガシヤマから顔を出した太陽の光が跳ね返ったのだと思ったが、ウゾが見た光は、まるで蛍のようにぽわんと光っては消えて、また弱い光を放っては消え入った。

 ウゾは、エリカの花の精かしらと思った。少女は幻のように美しかったからだ。花の精も色々な姿を見せるので、ウゾにもつかみどころがない。
 ほんの微かに、ウゾの知っている何かの匂いが鼻の側を通っていった。ウゾは、その匂いを追いかけるように、少女の細い腕へと視線を移動させた。
「あ」
 ウゾは思わず声をあげてしまった。

 少女の腕からは異質な細い管が伸びていた。それを目にしたとき、ウゾはしまった、と思った。
 その時にはもう少女と目が合ってしまっていた。
 ウゾは彼女に近づきすぎていた。まさか少女が鬼を見ることができるとは思っていなかったのだ。いや、花の精ならウゾを認めても不思議ではない。一方で、普通の人間なら鬼を見ることはない。

 やばい。こんなところでニンゲンに見咎められるなんて! 罰則どころの騒ぎじゃない。
 もう遅いのは分かっていたけれど、ウゾはくるりと踵を返して、脱兎のごとく逃げ出した。
「あ、待って!」
 後ろから少女の頼りない声が追いかけてきたが、とても立ち止まることなんてできなかった。



連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】冬・エリカ(1)→つづく

短めになっちゃった。しかも思い切り「出だし」のみ。
あまり先にならないように更新したいと思います(*^_^*)
この冬で、サクラちゃんの死の事情が判明し、春ではウゾの秘密がついに明かされる! かな?

Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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【Special Thanks! スカイさん】『百鬼夜行に遅刻しました』の素敵なイラストを頂きました! 

百鬼夜行に遅刻しました

ブログのお友達、『星たちの集うskyの星畑』のスカイさんがこんな素敵なイラスト描いてくださいました!!
【百鬼夜行に遅刻しました】は、これもまたブログのお友達、ウゾさんのブログ名『百鬼夜行に遅刻しました』からインスピレーションを得て生まれた物語。
頭の中に物語が生まれた瞬間から、主人公の子鬼はウゾくん。しかもウゾくんが頼りにしている「知っている猫」も、ウゾさんちの猫・もち姫さんの姿そのままに物語の中でしっかり存在していました。

ちょっと失礼かなぁと思ったので、別の名前を当てはめようとしたけれど、子鬼くんが「僕はウゾ!」といって譲らなかったので、ウゾさんにお願いしてお名前をお借りしました。タイトルもキャラ名もすべておんぶに抱っこですが、私の中ではとっても愛しい物語です。ウゾさん、快くお名前をお貸しくださってありがとうございます。
そしてまた、スカイさんからこんな素敵なプレゼント。まさにおんぶに抱っこの、果報者の物語です。あ、でも、実はこちらから押しかけ女房的、無理矢理果報をゲットしたような気もしなくもない……^^;

スカイさんの絵は、独特の雰囲気があって、イマジネーションを刺激されます。物語も詩的で、擬人化された自然界の様々なものが生き生きと、ときにしんみりと描かれているのです。絵と文章が両輪となってスカイさんワールドを生み出しているのですね。
そんなスカイさんのタイトルページの星の精を見たときに、私が頭の中で描いていたウゾくんワールドにリンクしてしまって、コメントでそのことを書いたら、なんと、こんな素敵なプレゼントを頂きました!!
言ってみるもんだな~~~(*^_^*)
スカイさん、ありがとうございます!!

物語自体は、ファンタジーの雰囲気で覆っていますが、生命の問題を色々な方面から描いています。
人が死んで成仏できないと鬼になるのですが、鬼たちだってやっぱり成仏はしたいもの。ジョウブツするためには百鬼夜行学校に通って、本番の百鬼夜行に108回参加する必要があるのですが、本番の百鬼夜行に参加するためには試験に合格しなくてはなりません。教習所で仮免許をもらうようなものですね。
ところが主人公のウゾくんは、どうしても早起き(鬼にとっては夜に起きるのが早起き)ができなくて、試験に遅刻ばかりしています。そんな子鬼のウゾくんが、花の精たちとの出会い、命について考えながら成長していきます。
果たしてウゾくんはジョウブツできるのか、そしてウゾくんはどうして遅刻ばかりしてしまうのか、謎を巡って物語はあと2話を残しております。

さて、スカイさんが描いてくださったキャラたち。
真ん中で走っている少年少女は主人公のウゾくんと、ヒロインのサクラちゃん。サクラちゃんはひき逃げで死んじゃった女の子の子鬼なのですが、しおらしくて可愛らしいヒロインかと思いきや、意外に切れたら怖い? しかもウゾくんと同じように遅刻の常習犯。イメージしたのは『ハリー・ポッター』のハーマイオニーです。
え? 恋人同士? まだまだ友達、かな。

ウゾくんとサクラちゃんの後ろにいる、赤ちゃん王蟲みたいなのはダンゴ。あ、単にダンゴムシ、なんですけれど。
ウゾくんはタダスの杜に棲んでいるのですが、彼の寝床にはダンゴたちがいっぱいいて、いちいち「チコク、チコク」と騒ぎ立てるのです。でもたま~に、結構的を射たことを言ってみたり? 大した語彙はないのですけれど。
丸まってるのもいて、スカイさんの遊び心がうれしい(*^_^*)

そして左端にいる大きな人物は、百鬼夜行学校の教官の中でも最も怖いタタラ。ウゾくんたちに厳しいのですが、実は結構頼りになる? 噂ではミドロガイケの龍の化身だとも言われていますが、龍は伝説の生き物。そもそも現世で命あるものではないので、生死に関わる存在ではないし、ウゾくんたちはまさか龍なわけないよね、と思っています。真実は??
スカイさんはお髭に龍っぽさを出してくださいました! こんな細かなところにもアイディアがあふれていますね。

タタラの前にいるのは、やっぱり教官の一人で「パーフェクトのっぺらぼう女史」の清子(清狐)女史。人間がジョウブツできなくてのっぺらぼうになっても、こんな完璧なのっぺらぼうにはならないのですが、狐とか動物の場合はパーフェクトなのっぺらぼうになるのですね。動物は邪念が少ないから? 
もともと人間ではないので、ちょっと突き放したようなことを言うこともありますが、不思議な雰囲気があります。あ、顔があったら、多分かなりの美貌でしょうね。スカイさんのイラストからそんな気配、みえますね!

そして反対の右端上、真っ白な猫がもち姫さん。
現実世界のもち姫さんは虹の橋を渡っていかれましたが、今もウゾさんを見守ってくれているように、こちらのもち姫さんもウゾくんをずっと見守っています。実はもち姫は「知っている猫」。猫は霊感が強いので「見える猫」はたくさんいるのですが、「知っている猫」は滅多にいません。でももち姫がウゾくんを見守っているのにはちゃんとわけがあるのです。
もち姫がちょっとチェシャ猫みたいなのが楽しい。

他の3人?は各ストーリーの登場人物。
夏の朝顔の精はアオイさん。ちょっと上から目線な美貌の女史。朝顔を愛でた男たちを見守っています。その一人が、軍服姿のグンソウ。百鬼夜行学校の門番です。苦しい過去を抱えていて、ジョウブツしないことを決めた人。朝顔にひとときだけ、癒やされているのかもしれません。
秋の菊の精は菊慈童。ウゾくんに永遠の命の空しさを語ります。
そして、今物語は冬。花はエリカです。

スカイさんが作者以上に物語の世界を深く読み込んでくださって、こんなに素敵なキャラたちを描いてくださって、本当に感謝&感動です。絵を描かない私にとって、物語の中のキャラたちはもくもくっとした影みたいなもので、顔は明瞭ではなかったりするのですが、こうして描いていただくとイメージが明確化します。
「そうそう、そうなのよ。そう言おうと思っていたんです」みたいな後出しでちゃっかり乗っかっちゃうんですが、それだけ描いてくださる絵が素敵ってことなんですよね。絵を描くのは大変なこと。物語を一生懸命読んでくださったんだなぁと感謝いっぱいです。

頂いたイラストを見て、逆に私がこのお話のファンになりました。あ、書いたのは私だったか。
でもこのお話、自分で書いたと言うよりも、まさにブログの世界の中で、刺激されて生まれてきたもの、って気がします。
やっぱり思った通り、スカイさんの絵はこの世界にぴったりだった!

スカイさん、本当にありがとうございます!!
スカイさんのイラストで興味を持ってくださる方が増えるとうれしいなぁ。
よろしけれはキョウトに棲む鬼たちの世界、少し覗いてみませんか?
『百鬼夜行に遅刻しました』

Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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