FC2ブログ
03 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 05

コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・あれこれ】純粋に広告避け 

ソリティア
広告が出ちゃったので、純粋に広告避けです。
八少女夕さんがお土産に持ってきてくださったソリティア。石の保管庫?としても利用できるらしい。
でもこれはひとり遊び用のゲーム。もともとはこんな状態で↓
ぜんぶ
真ん中の黒いのをとって、ひとつ飛ばしで飛び越えた丸玉を取っていくという単純なものだけれど(斜めはだめ、もちろん、隣り合っていないと取れない)、結構難しくて、今のところ最高の出来映えが上の写真の残り2コ。
……難しい。
悲愴
三味線の大会前だから、ピアノやっている場合じゃないかも、だけれど、この幅2cmはある辞書のようなベートーヴェンのソナタ集が夜中なのに私を呼ぶの。私ごときにはとても力及ばずだけれど、ただいま、この8番の第3楽章と戦っています。だって、第1楽章のこの冒頭のページ……一番下になんて書いてあるかというと……「次からアレグロだよ!」 そう、黒っぽい左のページは和音と戦うのは大変だけれど、とは言えGrave(荘厳にゆっくり)。白っぽく見える右のページはAllegroだから実は見かけ以上に苦しい(@_@) いえ、私ごときには、ですけれど。もっともゆっくりのところだって、こんな真っ黒けになるくらいの連符があったら、全然ゆっくりできないんですけど。
というわけで、まだ見込みのありそうな第3楽章から始めています。うう。先は長そう。
でも、70歳くらいになったとき、時々You tubeに出てくる「ばあちゃんのピアノ」みたいにできたらいいな。

というわけで? 広告よけでした! ちゃんちゃん!
あ~、『ボヘミアン・ラプソディ』観に行きたい~~~!

Category: あれこれ

tb 0 : cm 10   

【雑記・今更ながら2019年】今年もよろしくお願いいたします(*^_^*) 

みなさま、遅ればせながら、明けましておめでとうございますと言いかけて、やっぱり「寒中お見舞い申し上げます」かなぁ。
だって、もうすでに1月も終わりなんですよね^^; 
2018年最後にご挨拶をと思ったのに、今年は日程の関係上、年末はぎりぎりまで仕事で、年始もあっという間に仕事が始まりました。仕事も始まるけれど、演奏会も4つもあって(ボランティア含む)、それなのに、どうしても覚えられない曲が何曲か……(あ~、斉太郎節(@_@) まつし~ま~あ~あ~の
とか言っている間に、次の出張のための準備が始まり……仕事上の不測の緊急事態も重なって、あれやこれや大騒ぎでした。そんな中、なにやら熱っぽくて、インフルエンザもどきの中、ふらふらしつつ仕事中。

そして、今日はもう、この話題しかない、という……

そう、嵐の活動休止です。
いえ、もう正直なところ、いつかは来るんだろうなと覚悟はしていたのです。そしてそうなれば震源は大野くんだと言うことも。
大野くんのファンとしては、彼があの頃(多分、彼が言う「2017年頃から、メンバーとこの話はしていた」という頃)ちょっと疲れている顔をしていたことが多かったので(ファンはね、よく見てるんですよ、うん)、いつか言い出すんじゃないかなぁと思っていたりもして。そして、去年のコンサートではちょっと吹っ切れたような顔をしていたので、どっちかの方向へ気持ちが落ち着いたのかも知れないと思っていたりもしました。その中には、「辞める」って選択肢もあったろうと。

実は第一報が、うちの甥からのLINE。
「大変なことになってるで!」と17時半頃。続いて姪からも「嵐ファンは大変やなぁ」と。
いや、もちろん、驚いたのなんのって、ショパンがぶっ飛びました(練習中だった)。そして、なんか泣きそうになり……でも、どこかで納得している自分もいて。
だいたい、最初から芸能人である自分に疑問を感じているような人だったし、そもそもが職人肌で、アイドルなんて似合わないって気持ちがずっとあったのも分かるし、嵐になる前にもう辞めるつもりだったんだし、でもメンバーのことも嵐のことも大好きでここまで20年間も続けてきて、でも38歳の男が色々考えちゃうそういう年だってのも大いに分かる。そんなことも分かって、全部含めてファンなんだから、どうなろうとも受け止めているのだ。

だから、記者の質問に「無責任」とか「大野くんのせいで」とかいう言葉が出ていて、なんかちょっとむっとしていたら(いや敢えて聞いてくれたのかも知れませんが)、何よりも櫻井くんがむっとして、でもちゃんと真剣に答えていたのが印象的でした(そう見えたんだけれど)。
そして何より、けじめとしてジャニーズを辞めるものだと思っていた彼に「休むって事でいいんじゃないの」って引き留めてくれた全ての人に感謝。いや、休止中にやっぱり辞める、になってもいいのよ。夢を繋いでくれただけでも、嬉しいのです。
そして、報告を受けたジャニーさんが「20年間頑張ってくれてありがとう」っていってくださったというのも、とても嬉しい。

でもまだ2年あるんだよね。全力でついていくわ。

って、これは広告避け記事でもある……かも。
ブログは満6歳になりました。いつも忘れちゃうんですよね。でも、ご挨拶記事はまた次回に。とりあえず、広告避けしておきます。ご無沙汰して済みません。でもみなさまの記事はちゃんとfollow upさせて頂いております(o^^o)

Category: あれこれ

tb 0 : cm 8   

【雑記・近況】君と走った117371km 

君と走った117371km
「遅くなってごめんね」
「うん。今日もお仕事、お疲れ様」
「じゃあ、帰ろうか」
「安全運転でね」
元カレと私の会話は、毎夜、こんな感じだったでしょうか。

それが、今のカレときたら。
「おい、遅いやんけ」
「お待たせして済みません」
「さっさと帰ろうや」
「はい。すぐに」

元カレはちょっと渋い紺色でしたが、今のカレは真っ赤。
思った以上に赤いので、何だかイカツイ印象です。
あ、そうそう、カレとは車の話ですよ(o^^o)

元カレですが。
10万km越えそうになった時点で新車預金を始めたのですが、去年、それがそっくりグランドピアノに化けてしまったため、新車は数年後にお預けとなっていたのですが、去年の走行距離がほぼ2万km。職場が遠くなったのと、父の病院・実家との往復が頻繁だったのと、あれこれ重なったわけですが、考えてみれば、通勤だけで最低、月に1000kmは移動するので、それだけで結構な距離。
今年、車検予定だったのと、タイヤをそろそろ4本とも履き替える時期だったので、一応査定してもらったら20万は出るとのこと。
お金計算もあれこれあったけれど、何よりも、一部のみなさま、ご存知のように、愛着がかなりありまして……でも、次の車検まで待ったらそろそろ電気系統の交換しないといけないし、人生の逆算をしたりもして(この先、どのくらい車生活をするかってことね)、ここで売れるうちにと決心しました。
決めてからも随分長い間ぐずぐず思っていましたが。

私、ものにたいてい名前つけちゃうんですけれど、それって良くないのかも。
元カレはチリテレくん、ピアノはヤマハくん(でもYAMAHAではない)に大橋姫(鬼女伝説をもじったわけではない)、冷蔵庫は大野くん……などなど。
名前をつけると、なんか執着が生まれちゃうかもですよね。

ということで想い出に浸ります。
元カレ・チリテレくんと走った117371km。
チリテレくん、この車種の100万台到達記念特別色だったので、1年に何回かしか同じ色の車に出逢いませんでした。色が気に入って即決したというお気に入りの相棒。

新車になった翌日、友人親子と京都に行きました。
町屋の旅館に泊まって、翌日、志明院へ。新車になったので交通安全のお守りをもらいに行くためでもありました。志明院というのは、すごい山奥にありまして、道はほぼ舗装はされているものの、それなりの悪路。途中から携帯の電波は届かない。
それが、山を降りていく途中、いきなり「ば~ん! がらがらがら~」って!
なんといきなりタイヤがバーストしたのです。1日目の新車なのに?

JAFに電話~と思ったけれど、携帯のアンテナは立たない。
焦ったけれど、幸い10mほど歩いたら電波が繋がったので、何とかJAFに来てもらってスペアタイヤに替えてもらって、このまま高速に乗るのは危ないから京都市内でタイヤを履き替えなさい、と言われてトヨタのお店に。

見てもらったら、パンクと言うよりも、人為的にタイヤを切られたみたいで、それが山道をがたがた走ったのでバースとしたということみたい。宿には駐車場がなかったので、町の駐車場に停めていた夜の間にやられたみたいです。
志明院の不動明王が守ってくれたのでしょう。これがもし、高速道路でバーストしたら死んでたかも。しかも携帯通じるぎりぎりのところで。
そんな事件のおかげで一気に距離が縮まったチリテレくんと私。

岩屋巨石とちりてれくん2011-9
巨石紀行には随分付き合ってくれました。あまりにも遠い東北や九州に行くときは、さすがにレンタカーだったのですが、四国、山陰、長野あたりまでは一緒に行きました。最近の遠出は、ほとんど和歌山方面だったかも。
上の写真は、広島尾道の向島にある岩屋巨石の駐車場?なのか、山に登る私たちを待ってくれていたチリテレくん。

岩上神社とチリテレくん2016-2
こちらは淡路島のイワクラ巡りをしたとき、岩上神社の境内で待ってくれているチリテレくん。
でも、こんな小綺麗なところで待つってことは少なくて、巨石巡りと言えば、大概は道なき道を行く系が多いので、チリテレくんはいつも、藪の中とか、あぜ道とか、地面ドロドロの空き地とか、そんなところで待っていてくれたのでした。

淡路SAの君
お別れするのを決めてからもぐずぐず思っていた私。
納車の日、朝から淡路島にラストランに行ってきました。
そう言えば、今までの車も全部(チリテレくんは3台目)、なぜかストランは淡路島のSA。最初は父のマークIIをもらったので、14年目くらいでタイヤの車軸のボルトが外れたりして乗り換え。最後に淡路SAに行って帰ってきたら、確か往復で橋代(明石海峡大橋代)が5600円くらいしたのでした。往復割引ないんか~と叫んでいたものでした。
今は往復で2000円弱ですね。でも往復割引、ありません(;_;) SAで引き返してきても…

117371kmの最後の数km、高速の出口を間違えちゃって迷子になったりして。
それも、君と私らしい、よね。

君と見つけた光る石
そう言えば。
これは高知県の足摺岬の山道(唐人駄馬遺跡の近く)で、君と一緒に見つけたもの。
山道を走っているときに、視界の端で何かが光った!と思って、チリテレくんに待っていてもらって、山の中へ道なき道を入って行ったけれど、近づいてみたらただの苔むした石。
でもこのおかげで、確信できました。
真正面から光が当たったら、普通の石でもこんなふうに真っ白に光るんですね。やっぱり、古代には灯台の役目を果たしていた巨石もあったに違いないのです!

てるてるぼうず
チリテレくんに同乗してた相棒たち。
まずは姫路城からやってきたてるてる。この子のおかげで「大雨予報」だった夏至の日、伊勢の二見ヶ浦で、太陽は見えなかったけれど、明るくなった空は見ることができたのかも?
「えっと~、予報は大雨ですけど、晴れにしろとは、ちょっと荷が重いんですけど」
というように、よく後ろ向けになっちゃうんですけどね。

見守ってくれてありがとう
郵便局のマスコットですが、今はポスくまくんに変わっていて、もうこの子たち(3人いた)は販売されていないとか。あ、横にいるイルカは、今民営化で揉めている須磨水族館から来たのかな? たぶん。
郵便バックを抱えているので、ついでに志明院のお守り(毎年、訪ねています)も持って頂いています。
てるてるも郵便屋さん小僧も、一緒に新車にお引っ越ししました。淡路SAで、新しいお守りキーパーに猫バスを買ったんだけれど、なんか、結局そのまま……(o^^o)

(追記)3人合わせてポスティーズ、この子は真面目で物知り、お花屋さんのキミックといいます。タグを付けたままだったので確認できたけれど、すでに郵政のHPからも消えていました。

新しいカレは、上に書いたように、なんか厳つくって、とにかくうるさいのです。
いちいちぴ~ぴ~言うんだけれど、「今のぴ~、なに~?」ってことが多々あり、特に家の駐車場に入れるときにうるさくって。いや、そこ、絶対当たらないからって分かってるんだけれどね。
運転し始めの頃、父が横に乗っててあれこれうるさく言ってくれていた、そんな感じ?
しかし、9年経つと、モデルチェンジ2回の結果、安全性は格段に良くなっている。でも、人間が瞬時にそれに対応できてない^^;

まだ十分仲良くなれていないし、まだ元カレが懐かしいけれど、そのうち慣れるかな?
あ、今カレですが、結局、「チリテレくん2号」です

Category: あれこれ

tb 0 : cm 6   

【雑記・近況】文章を書くということ 

うちのさくらと雲


何ヶ月も前のことですが(まだコロナがニュースに上がる前)、大學の同窓会がありました。
その時、10年近くも会っていなかった同窓生から、声を掛けられました。
「大海さん、といえば、『大草原の小さな家』とジュピターだなぁ」
え? なんの話? ですよね。

実は、身に覚えがありありです。でも、内容は自分ではあんまり覚えていませんでした。
なんのためにそれを書いたのかは全く覚えていないのですが、大学内に配られる某かにエッセイを書いたことがありました。

その内容が、『大草原の小さな家』のインガルス一家のリアル話について、だったのです。
現実にはあの後、一家は離散しており、あんなハッピーな物語ではない、そう考えたらがっかりだ、とか書かれた文章をどこかで読んだのでしょう。それをもって物語を貶めるような書き方をされていたのが気に入らなかった大学生の私。
(ちなみに、うちの大學は文学系でもなく、文系でもなく、大きな範疇ではばりばりの理系ということになるのでしょう。もっともサイエンスかというと、アートであるべき学問かも知れませんが)

物語が素晴らしいのは、人々のイマジネーションをかき立てるからであって、あの物語の価値は、その後の一家がどうであったかというリアル後日談によって下がるものではない、物語と向き合う我々にとっては想像力の豊かさと、そこに描かれた内容から何を得るか、ということこそ何よりも大事だ、とかなんとか、書いたらしい。

そこに登場したのが、ジュピター(木星)の話(なぜ? 思考回路がおかしいのは今も昔も変わらんみたい)。
たとえば、木星に生命体がいるとしよう。それが地球に存在する生命と同じようなものである、つまり我々がそれを生命と認識できるような形態をしているなどと思っているようではだめ。そもそも、木星はガス惑星。あのガスの雲の中に、想像を超えた生命体がいると想像する、それだけでどんなに楽しいか!
……ってな内容だったのかな。(多分、その時から私の思考は大して変わっていないだろうから。でもなんで、インガルス一家と木星がつながってたのか、やっぱり不明)

学年はたかだか100人ちょっとなので、話をしたことのない人ってのはいないんですが、すごく親しかった人というのでもないんです。でも、その人が、私の書いた文章を、しかも、我々の専門とする学問とはなんの関係もない、30年も前の短いエッセイを覚えてくれていたのが、なんか気恥ずかしくも嬉しかったのでした。
拙い文章だったとは思うけれど、気持ちが伝わっていたのがやっぱり嬉しい。
でも、大海=『大草原の小さな家』=木星のガスの中を漂うでっかいクラゲみたいな謎の生命体……ってのはどうなの…


 
話変わって。
最近、仕事絡みで、他人様の書いた文章(一応、理系文章ね)をチェックすることがあるのですが、内容はある程度納得できても、日本語がなっていないものがすごく多い。
かくいう私も、文章の専門家ではないし、大した文章を書いているわけでもないので、えらそうに言うべきではないと思いますが、それでも言いたくなる。

文章とは、他人に伝えるものなので、主旨が分かるように明快に書く、何が言いたいのか分からんってのは困る、起承転結のない、転んだまま終わったりするのはだめ、理系文章でも起承転結はあるのよ、いや、理系文章だからこそ明快な起承転結が必要なんだ、とか、あれこれ言いたくなるような文章もよくあるけれど、そこまで読めたらまだいいのかも。
そのずっと手前のところで引っかかって、まず「てにをは」からおかしいやろ!ってことがよくあるのです。

日本語の文章でも要旨だけは英語で書くことが多いのですが、明らかにへんちくりんな翻訳ソフトを使ったな、ってのがわかる英文もある。でも英語の文章だったら、「ちゃんと英語の分かる人にチェックしてもらいなさい」って突き返すわけだけれど、そもそも日本語の本文がなってなかったら、どうしたらいいの?

本当は突き返したい。
日本語がなっていません。文章の書き方を1から勉強しなさい。

海外の論文では「Method」のところを読んで、そこでもう判断されて突き返されるそうですが、日本は甘いのかなぁ。
私が甘いのかなぁ。あれこれ丁寧に「これは目の付け所はとても良いと思うのですが、こういう手法ではあなたの言いたい結論にはたどり着けないのです」……いや、それどころか「まずは、てにをはを見直しなさい。この文章は1文目から読む気がしません」って言いそうになる。

言いそうになるんだけれど、自分にも絶対の自信がないから、ちょっと立ち止まって考える。
(で、結局、やっぱりダメなのはダメ、と、ダメ出しを具体的にA4に5枚も書いたら、その論文を編集の先生がrejectしてくれました。でもなぁ、ほんとは、スタートラインの目の付け所は私にも興味あるところだったので、気を取り直して、ちゃんといい形に書き直して欲しいなぁ。そのことも書いたんだけれど、伝わったかなぁ)

我々の受けた教育では、理系だからって、国語をおろそかにしていたのかしら。
ジョブスのスピーチでもいい、TEDでもいい、人に伝えるためのテクニックをもっと学べるようにしてほしかったなぁ(今はやってるのかなぁ)。
でも、せめて日本語の文章をちゃんと書いてくれ! 内容はその後についてくるもの、だよね。
(えらそうに言っちゃってすみません。言ってる自分の文章が怪しいことは多々ある)

でも、文章って、こういうブログの文もそうだけれど、自分の手から離れて誰かのところに届いて、思わぬ形で残っていたりするんですね。自分がコロナでやられちゃった後も、このブログに書いたことは、ネットのデジタルな海もしくは宇宙を、クラゲのように漂うのか……う~ん。
できれば良い形で漂ってほしいものだけれど。

コロナにやられちゃうって、喘息状態の私には結構リアルな話で。
職場でもらわないとも限らないし。
で、最近、とりあえず家の片付けしとこう、とか、家族にどこに何があるか、書き残しておいた方がいいかなとか、真面目に考えているのは私だけではないはず

ねこさん7


関係ないけれど、先週末、新車の1ヶ月点検に行きました。
うちの駐車スペースの上は、枝垂れ桜(トップの写真は家の枝垂れ)。
嵐で花びらが散りまくり、新車のボディにくっつきまくり。
「今洗っても、まだ散ってくるので、散り終わってから洗車します」と言い訳する私。

で、点検が終わったら。
うちのチリテレ2号くん、ぴっかぴかになってました^^;
「洗っときました」
わ~、す、すみません(@_@) 
トヨタの整備のおにいちゃん、ほんっとにありがとう!
(新車にこの扱いはゆるせねえ、見過ごせねえ、ってことね(^_^;))

Category: あれこれ

tb 0 : cm 10   

【雑記・近況】表現するということ 

うつぎ
COVID-19のために、以前よりもはるかに余裕ある時間を過ごしているのに、ブログの更新が滞っている大海です。
余裕、というのは語弊があるかも知れません。この期に及んで、実はこれまで結構しんどかったんだなぁと気がついた次第でして。
これまで、週に1回は車で片道1時間はかかる出張先に出かけていたのですが、出張に行くという行動自体のしんどさもさることながら、出張しようと思ったら、その時間分の仕事を片付けておかなければならないから、前日の帰りが必然的にかなり遅くなって、よれよれだったのですね。いや、よれよれといっても、その渦中にあるときには気がついていないのです。
現在、出張停止命令が出ているために、「片付けておかなければならない仕事」を本来の出張日に残しておけるようになったので、時間も身体も大いに楽。それを最も物語っているのが、チリテレ2号くんの走行距離ですね。こうして、毎日普通に職場に行ったらいいというだけが、こんなに楽とは! なわけです(って、職場が近くないけど、道が空いてるし)。

さらに、普段の日常業務も明らかに減っていて(同僚いわく「実はこれくらいが丁度良いんじゃないか?」)、帰宅時間もやや早め。お陰様で、お弁当作る時間があるので、なんかちょっと健康的。日常の仕事は、雑になっていたところが減って、後回しになっていたことも結構片付いて、自分で余裕があるのが分かる。それに、何より、土日の学会・研究会が全中止状態というのが大きい。
でもなぜか、睡眠時間は相変わらず4-5時間なのはなぜ? 余計なことせずに寝たら良いのになぁ。

それはともかく、これであまり困っていないってことは、これまで結構無駄なことが多かったんじゃないかって、そういうことなのかなと思ったり。

これって、いつか揺り戻しがくるのかしら。もう身体がなまってついて行けないかも(;_;)
でも、やっぱり日本人、働き過ぎだったんじゃないか? と思ったり。
一方で、今回のことで、お仕事を失った人も多い中、仕事を続けていられるってことは有り難いんだって思ったり。
with COVIDがどんな展開になるのか分からないので、柔軟な考え方が求められているってところなんでしょうね。

ただ、オンライン会議は増えてるから、資料に目を通したり、アイコンタクトで終われないから確認事項が増えたり、なので、パソコンに向かっている時間が増えたせいか、ものすごく目が疲れるんですね。
たまに森を見なくちゃって思ったら(緑を見るため)、まぁ、うちの家の庭のジャングル化が進んでおりますわな。遠くの屋久島より、近くのジャングル?
時間があるなら庭掃除しろって思うのに、出来ないのはなぜかしら。外出しないなら断捨離活動したら良いのに、やっぱり出来ない。創作活動にいそしめば良いのに、なんか料理したり、本棚あさったり(片付いてはいない)、ドツボにはまってピアノ弾き続けたり。

ねこさん
というわけで(前置き、長すぎ!)、今日はそのピアノのこと
この頃、ピアノを弾きながら、ふと我に返る時がありまして。
これって、どこに向かっているんだろう? って。

小説書くのって、私の中では(ほぼ)完全なオリジナルな世界なので、まだ私が表現することには意味があると言ってもいいかなと思う。でも、音楽、とくに競技人口の多い種目?であるピアノって、まぁ、どうなのって思うわけです。いや、三味線や民謡だってどうよって話ですけれど、私、和物に関しては自分なりに「日本の伝統を守る」自負心のようなのものはあるのです。
この間、胡弓に手を出したときも、この胡弓を作る職人さんの手からこの楽器を譲り受けたという強い気持ちがありまして。しかも、胡弓なんて、見たこともない人も多いでしょうし。いや、三味線だって触ってことのない人の方が多いかも。

でも、ピアノって、ものすごくポピュラーで、プロは別にしても、驚くようなアマチュアがごまんといるわけです。
さらにクラシックの世界で言うと、オリジナルを弾いているわけじゃなくて、まぁ、モーツァルトとかベートーヴェンとかショパンとか、あれこれあれこれ、世界中でみんなが同じ曲を弾いているわけです。もちろん、プロの演奏でなくても、100人弾いたら、100人とも違う演奏、個性が表れると言いますが、いやいや、そりゃ、高いレベルの話ならそうでしょうとも。

でも、「私が」ピアノを弾く、しかもこの時間をかけてこの曲を弾いているわけは何だ? もう若くもないし、頑張ったからってあと何年続けられるか分からないのに、なにを目指しているの? 
このリビングで存在感半端ないグランドピアノといい、1曲弾くために費やする時間の膨大さといい、この私が、コロナでちょっと余裕が出来たとは言え、まぁ、そこそこ忙しい仕事をしている私が、これを持ってして一体どこへ向かって何を主張しているのか?

私のピアノ歴といえば、まずは幼稚園からヤマハ音楽教室に行き、オルガン習う。小学校2年生(多分)から近所のピアノの先生に習う。中学生になって、学校が遠かったのとクラブが忙しくて辞める。多分純粋ピアノ歴6年足らず。一応、ソナタアルバムの1冊目に突入したくらいで、最後にモーツァルトのトルコ行進曲、弾いてましたわ。
そう、バッハも、ショパンも弾いたことがなかったのです。

そして、2018年8月、何を思ったか、40年?ぶりに再開。
まぁ、今更、指が動くわけでもなく、右手も左手も、パソコン打つときくらいしか活躍してなかった小指も薬指も「この期に及んで何をさせるねん」と思っていることでしょう。しかも記憶力の減退(暗譜が大変)、目も悪い(オタマジャクシが小さい)。
うちに弾かずにおいてあったピアノが可哀想だからと再開したのが、思わぬ深みに。

三味線仲間にピアノの先生がいるのですが、その人はピアノも三味線も教えていて、いわく「極めるための奥深さは置いといて、とりあえず1曲弾けるようになるまでに掛かる時間を考えると、ピアノは生徒さんの満足度がおそろしく低い」。
あ~わかるわ。まぁ、三味線の奥深さは十分分かった上で言いますが、「単旋律」を弾く三味線と比べると、ピアノって、両手と足(ペダルの恐ろしさを今更に知る)、しかも手も指10本、フル稼働なわけです。指使いひとつ間違えたらもう弾けません。スケール弾いていて、あれ? 指1本足りない! なんてことはざらにありまして。
基礎が足りていないので、指の弱さとか、届かない9度とか、ペダルの使い方とか、もう必死。

先生が弾くと、スケール弾く(ドレミファソラシド~って順番に弾く)だけで音楽なんですね。
再開して2年10か月の私、まだスケールさえ、まともに音楽に出来ません(いや、スケールとアルペジオと和音を音楽に出来たら、どんな曲でも弾けると言われますが)。
これで何かを「表現」できる時が来るのだろうか? 
そもそも表現するってなんだろう? 何を、何のためにどこへ向かって?
ここで私が一生懸命練習してても、どこへ向かっていくのか分からない私のピアノ。

数あるブログを拝見すると、1曲仕上げる時間の早さといい、そのクオリティの高さといい、すごい人たちがいっぱい居る。
こんなふうに弾けるようになるまで、私って譜読み時間も半端なく長く、えっちらおっちら弾けるまでも長く、なんか少しだけ自分のもの出来たかなと思うまでも長く……と思ったらすぐに弾けなくなり……果てしない

でも、私と同じような大人再開組(といっても、1回辞めるまでのピアノ歴がかなりの人たちも多い)もいるけれど、皆さん、真剣なんだな。飯の種になるわけでもなく、どうなるわけじゃなくても、夢中になる何かがそこにあるとしか言えない。
何より、グランドピアノの弦を張ってある中を見るだけで、わくわくするのはなぜかしら。
88鍵、230本ほどの弦。ここから出る音は宇宙。

小説の場合は、やっぱり自分が作り出している世界という気持ちはあるから、自負心が勝るかな。
まぁ、たまに「あぁ、ここまで描かれちゃったか。もう私、これ以上のことは書けないわ」という作品に出逢うことはあるけれど(一番最近の衝撃は、やっぱり『女城主直虎』の政次だなぁ)、どちらかと言うと、色んな作品から刺激を受けて、私も自分の世界を描きたいと思う、あるいは思える。
あるいは、そう思えるくらいに付き合いが長いんでしょうね。酸いも甘いも知り尽くした関係?

ピアノに関しては、森に迷い込んだところ、まだまだ右も左もコントロール不能、ということかも。
いずれ、私の表現したい世界はこうなのだという自負心が生まれてくるものかしら。
まだ決めつけるのは早い。
10年目にかっこよくベートーヴェンのソナタを弾いている自分の姿をイメージして、あれこれやりくりしながら頑張ってみるかな。自分なりの基準でかっこよく。
悲愴とレッスンノート
(だんだん書き込みが増えて見にくくなる楽譜とレッスンノート←ボケ防止?)

来週は発表会
ピアノの森? 羊と鋼の森? 深い森の中におりますが、自分なりの『悲愴第2楽章』の世界、描くことができたらいいな。
でも考えてみたら、再開したとき、ショパン弾いたり、ベートーヴェンのピアノソナタに手を出そうなんて、思える状況でもなかったんだから、進歩してるのかな。
もう来年の発表会の曲もほぼ決定しているし……次々と何かを求めているうちは、幸せなお付き合いが出来ているんだろうな。
先生からお勧めされているのはショパンのノクターン13番。
ショパンコンクールの1st stageでソンジンくんが弾いてた……
他にも候補があったけれど、感情を載せやすい気がしたのでした(言ってみてるだけ)。
そう、自分を表すってこと、どこかでちょっと考えているのだな(できないけど)。

来世では目指すか、ショパンコンクール
あ、だめだ、『ダーウィンが来た!』の撮影隊になるんだった

『私のピアノは、今が一番よい音を奏でていると思います。つらいこともたくさんあった人生が全部詰まっているから。
人生って、うまくいかなくても、そんな人生の方が素敵じゃないかしら。幸せって雲の彼方にはない。自分で作るものだから。でも、それは歳をとって分かったこと。この絵日記を読むと思い出します。白い雲を眺めながら、憧れ、ときめき、夢見たその時間を。
歳を重ねていくって、あっという間。でも、気持ちは歳をとらない。だから、演奏会の前や好きな人に会う前は、いまもドキドキするのです。』

(フジ子・ヘミング)
*絵日記:14歳の時に書いた夏休みの絵日記。

フジコさんのようなつらい人生なんてことはなかったけれど、それなりに、つらいことや悲しいことはあって、泣いたり、ちょっと危ないこともあったり(生命危機?)、仕事を2週間もさぼったり(あまりにも人の生死がつらくて)だったけれど、誰でもなく自分がここに至るまでの紆余曲折はやっぱり、どこかで自分を表現する形になっているのかも。
仕事でも、小説でも、こうして書いているものでも、ピアノの音にでも。
三味線は……逆に手が少なすぎて、音に表すのが難しい(それはかなり高度だ)。
となると、10本の指を使わざるをえないピアノは、実は、何かを表すのに向いている楽器なのかも。

うまくいかなくてもいい。
夢見て、泣いて、ドキドキして。
それが全部よい音になる。
人生も。ピアノも。

(暮しの手帖社『発見!フジコ・ヘミングさん14歳夏休みの絵日記』より)

らっきょうとシャクヤク
 おまけ:うちで漬けてるらっきょう。3年もの、2年もの、1週間前。
 トップの写真はうちのウツギ。切っても切っても道路にはみ出てご迷惑を…

Category: あれこれ

tb 0 : cm 14   

【雑記・徒然】切り取ったことば(言霊)たち~命を想う~ 

折々のことば
お盆・75年目の終戦記念日なので、それらしいことを書こうかとも思ったのですが、ぼんやりしていたら過ぎてしまったので、関係あるような無いようなことを。

朝日新聞の「折々のことば」を、気に入ったときに切り抜いておいてあります。
スクラップとか面倒くさいし、それが丁度、4つ入りの高級チョコの箱にぴったりなので、そこにストックしてあります。
順番とか考えずに入れてあるのですが、一応いつのものかは記事中に日付が書いてあるので分かります。一番古そうな日付は2015年になっているから、かれこれ5年くらいで2箱がいっぱいくらい。多いのか少ないのか、でも、その時々に気になる言葉がやっぱりあるのだなぁと思います。しみじみ見返すことは少ないけれど。
もうすぐ3箱目が要りそうだから、チョコレート買いに行かなくちゃ……((^∀^*))(ん?)

と言うわけで、最近、気になって切り抜いた言葉たちをご紹介。
あ、その前に、最近、ようやく読もうと思った葉室麟さん、そのガイド的な本からの言葉を。

「昔と現代を比較すると、多分、命の重さに違いがあるのでしょう。現代は人ひとりの命が重いという感覚がありますけれど、昔は、比べると今より軽いものだったように思います。死に対してもう少し馴染みがあったり、親しみがあったり、自分たちの生の延長上にあると思っていたのではないでしょうか。人は、それなりに働いて、最後に成仏していきます。つまり、ある種の役割を果たして、何者かになっていく過程の果てが”死”だったと僕は思います。
現代は”死”というものが疎外されて、自分たちから遠ざけられようとしています。若いということに価値を置いて、年を取るに従って価値はなくなり、その行く末である”死”は、無価値だという考え方をする人が増えているように思います。しかし、死ぬということは、生きていたという証。だから、自分自身が『ちゃんと生きてきた』といえるのであれば、『死もまた良し』です。私くらいの年齢になると、ふっとそう思うことがあります。『もう、このまま何もしないでいいのだ、すべての義務からも解放されるのだ』と考えるわけです。」


その葉室さんは66歳という若さで亡くなられたのですが、50を過ぎたら、こういうこと、言葉じゃなくても体感するんですよね。
命は重いけれど、ある程度の歳になると、そうでもないんじゃないかと思い始める。軽い、と言ったら、言葉尻を捉えてあれこれ言う人がいるから、言いにくいけれど、実感としてそうなのです。でも、ここで葉室さんが「軽い」という言葉にこめて仰っているのは(そして、私が言いたいのは)、命が大事じゃないってことじゃないのです。
ごく自然、生物学的に、生と死とはそういうものだという妙な達観がどこかに生まれてくる。

 もちろん、親しい人の病気や死は悲しいし辛いし怖い。でも、それは生命あるものとして生まれてきたからには、当たり前にあることだと思える。中には、理不尽な死もあるから、それについてはいつも納得できなくてウダウダ思うけれど、それは家族や社会という集団の中で生きているなら当たり前の気持ちですよね。
ゾウが死んでしまった仲間の死を悼むような行動を取るのは以前から知られていたけれど、最近、ゾウだけではなく、肉食動物も他の草食動物にも同じような行動が観察され始めているから(じっくり死を悼むには彼らの環境は過酷すぎる。人間がそんなシーンになかなか出逢えないだけなのでしょうね)、これは生命あるもの共通の感覚なんですね。

 話は逸れたけれど、つまり、悲しいけれど、避けられないものとは知っているのが「死」。どこかで途切れるのは「自然(じねん)の理」だと分かっている。自分については、どうなるのかなぁというのはあるし、死に方はあれこれ(痛いのはイヤだなぁとか)思うけれど、死後のことは「まぁ、いいか」って。きっと、多くの人はそうなんでしょう。怖いのは「死」ではなくて「死ぬ過程」についての不安なのではないかと思うのです。
そういうことを考え始めると、こうして「切り抜いておいておく言葉」にもそういう系統のものが増え始めたりする。

折々の言葉2

死の意識とは、死の日づけを本質的に知らないままに、死を絶えず繰り延べる意識である。
(エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』から)
言葉に添えられた文章→「犬が逝った。彼女はやがて身に起こる事態がどういうものか知らないまま、従順に死の訪れに呑み込まれたように見えた。人は死を、いつか身に降りかかるものとして意識する。そういう形で、不在の未来を存在の内に組み入れ、死をまだないものして「遅らせる」ことで、時間という次元を開くのだと、20世紀のフランスの哲学者は言う。」

ある患者さんの家族の言葉。
「いつか来ると分かっていたけれど、そういう日(いつか来ると思い続ける日)がずっと続くのだと思っていた。それが今日だとは」
こどもの頃から病気があり、何回も手術を受け、そのたびに「こんなリスクがあって死ぬこともある」なんて話を聞かされていたら(でも医療者側からすると、話しておかないと後から「聞いてなかった」ということになるわけで、言わざるを得ないのが現代)、いつも死はそのドアの向こうに「在る」と感じる。手術室に入るたびにその「境」を越えるような気持ちになる。
それは、観念の中の「あちら側」ではなくて、地続きの「あちら側」なのですね。

そういえば、飛鳥でもエジプトでも、自分たちが住んでいる場所の続きに「この境界のむこうはあの世」という場所があった。エジプトではナイルの対岸、飛鳥ではある石のオブジェが区切る向こう。
それほどに、「いつか来る日」「あちら側」はごく身近にあったのです。今は、無理矢理遠ざけられて見えないようにされていることが多すぎないかと、そう思って逆に不安になったりします。

緩和医療というのが、もてはやされているけれど、そしてその結論のひとつは「死を意識することは、今生きている意味を問い直すこと」ということになるのだけれど、脳梗塞で自由が利かない超後期高齢者の父、その父を家で介護している母を見ていると、この時間・空間の続きに「あちら側」があるのだと、自然に納得は出来る。
でも、現実にその日が来たら言うのでしょうけれど。
「それが今日とは思わなかった」

ところで、この添え文の中の「彼女はやがて身に起こる事態がどういうものか知らないまま、従順に死の訪れに呑み込まれたように見えた。」というところ。
この感覚は、ものすごく理解できる気がする。これ、以前にも書いたように、『戦争と平和』のアンドレイ公爵の死のシーンが、高校生の私が死に対して抱いていた疑問に答えの一部をくれた、という内容にほぼ合致している気がします。『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの死のシーンも同じようなイメージだった。
自分自身はその「身に起こる事態」を体験していないので、もしかすると完全な理解とは言えないかも知れないけれど、「逆の体験」はあるのです。それもものすごく明確に覚えている。
「逆の体験」の感覚が今も残っているから、反対にこちら側からあちら側に行くときには、その逆の現象が起こるのだろうと思っているのです。


自分の皮膚の壁を感じた-私は私なのだ、と。あの石ころは石ころなのだ、と。
(シルヴィア・プラス「オーシャン1212-W」から)
言葉に添えられた文章→「母と自然。その『心優しい宇宙の中心』であった少女はある日、”第三者”になる。弟の誕生。それが私と世界の一体感を裂いて、私を『除け者』に、『悲しい海胆(ウニ)』にしたと、米国の詩人は回想する。人は世界が自分とは別のものとしてあるという事実に傷つくことから、その生を始める。」

実は私は、全然傷ついてはいなかったので(弟が生まれても、そんなふうには思わなかったので)、それは悲しいとか傷つくとかいう体験ではなかったのですが、「その日」のことは、明瞭に覚えているのです。
当時、私は幼稚園くらいだったのか、祖父母や両親・弟・叔母たちと一緒に暮らしていた「母屋」と、そこから歩いて10分ほどの(子どもにはもっとかかる)の場所にある両親の「仕事場」(温室、当時7つくらいあったかなぁ)とを往復して生活していました。弟は「跡取り息子」なので、ずっと母屋で暮らしていましたけれど(拗ねてはいない(*^_^*) それはそれで面白かったから。父に雪兎を作ってもらって、ウサギさん寒いからと言って、温室に入れちゃったりね。「ウサギさん、いなくなった~(つД`)ノ」って。そりゃそうだ)。

夜は温室の管理があるので、両親と一緒に仕事場に戻って、事務所兼小屋のような建物に寝ていたのです(ちなみに、トイレは家の外の、くら~いこわ~い林の脇にあって、とてもひとりでは行けない。もちろんくみ取り(*^_^*) あ、母屋もくみ取り+五右衛門風呂でしたけどね~)。
ある日の夜、父は出かけていて、母とふたり「小屋」にいたのですが、母が何かを取りに母屋に行かなければならなくなりました。「一緒に行こう」と言われたのですが、何かに夢中になっていた私はひとりで待っておくことにしたのです。
ところが、母が出かけてから、突然不安になったのですね。何しろ、当時は周辺はほぼ田畑で、夜ともなると、暗くて人気もない場所。雉も歩いていたようなところです。
母を追いかけようと小屋を出て、心細い街灯しかない闇の中、毎日幼稚園に行くにも、お菓子を買いに行くにも、母屋に行くにも通る、登り慣れた坂道を上がっているとき、急に、世界が「私から離れた」のです。

その時のことは今でも鮮明に覚えていて(同時期の記憶など他にはほとんどないのに)、これを言葉で言い表わすのはすごく難しいのですが、まさに「皮膚感覚」だったかも。
この世界にある全てのもの、周囲の人々、それだけではなく、母屋の暗い廊下を曲がった先にある「何か」とか、屋根裏に積まれた藁の影にいる「何か」とか、トイレの隅っこに積まれたちり紙(たまに新聞紙^^;)の影にいる「なにか」とか、そういうものでさえ、私とつながった一部だったのに、いえ、私がその大きな世界の中に取り込まれている一部だったのに、急にそこから放り出されて、それらと自分は別物だという感覚になった。自分の皮膚で、世界とは「境」されていると理解したのですね。
こういうのは、よく、母親の子宮から出てへその緒を切られたときのこととしてたとえられますが、その追体験みたいなものだったのでしょうか。

その坂は、今でもしばしば登りますが、あの時と同じような坂に見えることはありません。子どもの目線からの坂は、巨大なものでしたが、大人になってみたら、視点が変わってしまったからかも知れません。
そういえば、この坂はその後、夢の中にも何回も出てくるのですけれど、夢が記憶の整理なのだとしたら、やはり、あの場所に私にとっての「境」があったのかも。その時が、自分自身の「誕生」の時だったのでしょうか。
そして、ふと思うのです。「死」は、今度は自分の外の世界、町や建物や植物たち、そういうものだけではなく、目に見えない「陰に居る何か」も含めて、この世界の全ての構成要素と、こんどは境がなくなっていってつながっていく、もう一度切り離される前のところへ戻っていく、取り込まれていくことなのかもしれないと。
そうであれば、葉室さんの仰るとおり、「死もまた、良し」といえるのかもしれないな、と少し思ったりするのでした。


もうひとつ、この時期にはいつも境の向こうへ行ってしまった人たちを思うと同時に、血縁があろうがなかろうが、この今へ「何か」を繋いでくれた人たちを思います。
私が初めて「ひめゆりの塔」を訪れたとき、そこに語りべの方がおられて、当時のお話をしてくださいました。
その時、私が真っ先に思ったこと。
「生きていてくださってありがとう」
これは頭を使って言葉になったのではなく、どこから湧き出すように感じた想いなのでした。

君という美しい命は、未曾有の戦災をかろうじてくぐり抜けた人、その人を守り支えた誰かの先に、偶然のように灯された一閃の光だ
(「暮しの手帖」編集長・澤田康彦)
言葉に添えられた文章→「暮しの手帖社が一昨年(2018年)、戦争体験の手記を募り、編んだ『戦中・戦後の暮らしの記録』の序文から。戦死者や被災面積の『数』ではなく、出征した肉親への祈り、教師の鉄拳の硬さ、機銃掃射の恐怖、戦争孤児の思い。それらを生き抜いた人がいるから今を生きる人もある。この本には戦争体験者の『遺言状にさえ似た』言葉が連なる。」


長くなってきたので、最後に、私がすごく気に入っている言葉をひとつ。
2017年11月27日の折々のことばから。

「君ハドコノネコデスカ」
「カドノ湯屋の玉デス、ドウゾ、ヨロシク」

(大佛次郎、随筆集『猫のいる日々』から)
言葉に添えられた文章→「猫を人の家に放り込んで去る輩がいる。可哀想と引き取ってとうとう14匹に。それに匿名のお願いの手紙が付いていたりすると、その偽善に腹が立つ。よく庭に遊びに来る小猫にある日、『君ハドコノ……』と荷札に書いて付けたら、次に遊びに来た時、荷札にきちんと返事が書いてあった。『この世に生きる人間の作法、かくありたい』と作家は記す。」

時々、訪問するお気に入りの猫ブログさんがあるのですが、その動画がすごくいいんです。
何が良いって、飼い主家族さんたちの声が入っているのですけれど「わ~、なにそれ~、もう、ほんと可愛い~」って(*^_^*) 5匹くらい飼っておられるのかな。もう全然ふてぶてしいくらい大きくなった猫さんたちもいますが、いちいち、家族みんなが猫の行動に大はしゃぎされているのです。

猫は何にも囚われずにそこにいて、好きなことをして、好きなところへ行くのだけれど、リアルには出会わない人同士が共有する感情の橋渡しをする。その時、この飼い主さんが、猫さんをどれくらい大事に思っているか、それが伝わってくることが嬉しいのです。
荷札の返事からは、この子がそちらにお邪魔しているようですがかわいがってやってね、という飼い主さんの愛情の片鱗が感じられます。「作法」とは、思いやりであって、想像力なのでしょうね。乱暴なことばや、想いのないことばは、顔が見えないだけに、慎まなければならない、そう思うのでした。


 「切り取った言葉たち」シリーズ。またいつか。

Category: あれこれ

tb 0 : cm 11