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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(1) 

予告しておりました【クリスマス特別企画】第2弾、【奇跡を売る店】プロローグ掌編です。
プロローグと言っても、この先、本編が始まるのいつのことやら。
そもそも、波乱万丈な相川真の人生がちょっと可哀そうだという友人の言葉もあり、じゃあ、ハッピー版を書くよ、ってな話をして早3年以上。
その時に生まれた妄想、自分の小説の二次小説を書く、みたいなかんじで設定を作ったのです。
が、設定で遊んでいるうちに、頭の中ではまるで独立した物語に……

せっかくのクリスマス企画なので、チラ見していただこうと思いまして、大したストーリーではないのですが、色んな面白い登場人物たちをお楽しみに戴く企画にしました。
さて、今回はどんな『聖夜の贈りもの』でしょうか。
さっそく、クリスマスまであと1週間の京都の町にご案内いたしましょう。





 四条河原町から東へ百メートルも歩かないうちに、高瀬川の細く浅い流れに行き当たる。その手前を曲がり、やはり細い道を南へ下ると、両脇に小さな店が立ち並ぶ一角がある。天婦羅料理店、雑炊の店、焼き鳥屋、ペルー料理店、ブランド品を廉価で売る店、場違いなピンクサロンの賑やかなネオンもある。
 平日の昼過ぎならば決して人通りが多いわけではないこの道を、細い足をぴったりのジーンズに包み、短いダウンジャケットを着て、サングラスをかけたボブカットの女性が、ひとつひとつ、店の看板を確かめるように歩いていた。

 やがて、彼女は一軒の店の前で立ち止まる。
 目立つ看板は上がっていない。古い木の扉の上半分に暗いオレンジ色のガラスがはめ込まれ、大きな取っ手には小さな木札がぶら下がっていた。
 そこに、あまり綺麗とは言えない字で『奇跡、売ります』と書かれている。
 道に面しているのはその扉と、腰高窓だけだ。窓の向こう、通りから見えるところにディスプレイされているのは、バスケットボールほどの大きな紫水晶、その周りに色合いも多彩な石が幾つか置かれている。磨かれた丸く綺麗な石ではなく、原石のようなものばかりだ。

 彼女はじっとその腰高窓の中を見つめていた。それから徐にその店の上方、路に切り取られた空を見上げ、ダウンのポケットに突っ込んでいた手を出した。
 手に持っているのは小さな紙切れだった。
『釈迦堂探偵事務所』
 四条木屋町通りを下って細い路地、高瀬川側の二階、一階は石屋。
 石屋、が何を指すのか分からなかったが、歩いてきた中で石に関係する店はここだけだ。流行のパワーストーンを売る店だろうか。それならもう少し小奇麗にして、入りやすい雰囲気にすればいいのに。

 サングラスを外した女性は、格好には似合わない高校生と言ってもいい顔立ちで、化粧も薄く、口紅も淡い桜色だった。高校生ではないとしても、せいぜい二十歳を過ぎたばかりにしか見えない。
 看板も出ていないのでは確認もできない。
 彼女が惑っていると、いきなり店の扉が引き開けられた。
 顔を出したのは、小柄な老女だった。
 おとぎ話に出てくる悪い魔女のような顔つきだ。魔女にありがちな黒い頭巾の代わりに、紫の羽根がついた灰色の奇妙な帽子を被っている。唇は年甲斐もなく赤い。黒いロングドレスに、肩に纏った黒い毛糸のストールがマントのように大きく見える。

「店の前でぼーっと突っ立たれたら、営業妨害だよ」
 声まで魔女みたい、と彼女は思った。営業妨害も何も、そもそも客が入るような店構えではない。
 魔女は彼女を頭の先から足の先まで見る。そしてふん、と鼻で息を吐き出した。
「蓮なら留守だよ。バイトしてるオカマパブがクリスマスの飾りつけだってんで、今日は早々に出ていったのさ」
 彼女はまだ惑っていた。だから魔女はまた大袈裟にため息をついた。
「あんた、わざわざここまでやって来て、まだ迷ってるのかい」
 そう言って顎を動かした。彼女は突っ立ったままだ。魔女は呆れたようにもう一度顎を動かす。やっと、入れと言われているのだと気が付いて、彼女は操られるように中に入った。

 店の扉が閉まった途端に、外の音が一切シャットアウトされたので、突然異空間に入り込んだようだった。
 店の中は思った以上に広く感じた。照明が暗めなので、余計にそう思えたのかもしれない。肩ぐらいの高さまでの木製の棚が数列並んでいる。棚は棚板で細かく仕切られ、びっしりと、まさに隙間ないほどにびっしりと石が並んでいた。水晶は分かる。しかしほとんどは初めて見る石ばかりだった。色も形も様々だ。
 奥にカウンターがある。カウンターの向こうに窓があり、幾分か明るい。窓の向こうに柳の枝が見えていた。扉の真正面に当たる部分に階段がある。
 階段の上のほうで何かが動いたように見えたが、目の錯覚かもしれない。

 魔女は棚の間を滑るように歩いている。足音も聞こえない。
 やがて魔女は立ち止まり、棚の奥へ手を伸ばし、何かを手に掴んで彼女のところへ戻ってきた。何も話さないままの彼女の手を取り、その掌に何かを載せる。
 空の青と水の緑を混ぜたような色、ガラスのような質感の五百円玉ほどの大きさの石だ。丸みを帯びたいびつな台形で、形を整えられてはいないが表面は磨かれている。白い筋が幾本か、緑と青の色合いの中を走っている。
 彼女がじっと見つめていると、窓からの光によるのか、一瞬微かに、虹のような色合いが反射した。光は確かに虹色の幻影を走らせたが、すいっと闇に吸い込まれるように消えた。

 吸い込んだ闇を追いかけるように、彼女はもう一度階段のほうを見た。今一度、確かに何かがちらりと動いた。確かめに行くよりも、早くここを出た方がいいのかもしれない。
 もう一度石に視線を戻したが、虹はもう消えいている。元からの青と緑の狭間、そして白い筋だけだ。
「一万円だ。それで迷いが吹っ切れるなら安いもんだろう」
 魔女に睨まれて、彼女は何かに憑りつかれたように財布を出していた。なけなしの一万円札が一枚、顔を出した途端に、魔女にひったくられた。
「これでも負けといてやってるんだ。そいつは強力なパワーのある石だからね。さぁ、もうそれはあんたの石だ。蓮なら『ヴィーナスの溜息』だよ。溜息っていうより、鼻息って感じの店だけどね。さっさと行きな。全く、蓮の奴はカイの店をちゃんとやる気でやってるのかね」

 彼女は何だか分からないままに掌の石を握りしめ、魔女の視線に追い出されるように扉を開けた。
「お嬢さん、今日が『その日』だ。今日を逃すと、心配事は解消されずに真実は永遠に手に入らないよ」
 言葉が終わると同時に扉が閉まる音。
 占い師のようなことを言う、と彼女は思った。手を開いて、押し付けられた石を見る。あの一瞬の虹は何だったのだろう。今、通りに出て冬の昼下がり、明るく鋭い光の中に晒されても、石は沈黙している。
 というのか、私って騙されてない? じゃなくて、これってカツアゲ?
 財布が空になったのはまずい。今日はその『ヴィーナスの溜息』に仲間たちと一緒に行くつもりだったのだ。そこに行けば彼に会えることは知っていた。でも、できれば静かなところで話を聞いてもらいたかったのだ。

 やっぱり石を返して、お金を返してもらおう。
 そう思って振り返ると、真後ろに子どもが立っていた。
 痩せた女の子だ。赤いスカートに白いタイツ、暖かそうな白いセーターはスカートが隠れそうなくらいに長い。短い髪、目が大きくて、唇の色は寒さのためか赤いというよりも青黒く見える。それでも頬はピンク色だった。三歳か四歳くらいだろうか。くたくたになったバイキンマンのぬいぐるみを左手に抱いて、右手を彼女の方に差し伸ばしていた。
 その手には一万円が握られている。
 彼女は反応することさえも忘れいてた。突っ立っている彼女に、子どもはさらに力を入れて一万円を差し出す。ニコリともせず、無愛想で無表情な顔のままだった。

「あ……あの、ありがとう」
 代わりに石を返そうとしたら、女の子は首を強く横に振った。そのまま踵を返し、石屋の重い扉を押し開け、中に消える。勢いで扉が閉まった時、大きな木の取っ手にぶら下げられた木札がひっくり返った。
『二階 釈迦堂探偵事務所 この扉からお入りください』
 何となく扉の上の方に目をあげると、そこに店の名前があった。
『鉱石・奇石研究所 奇跡屋』
 今さらだが、怪しいことこの上ない。というのか、石を返さなくちゃ。

 扉に手を掛けたが、中から鍵が掛けられてしまったようで開かなかった。
 人通りが多くないとはいえ、あまりガチャガチャやっているのも恥ずかしくなって、彼女はすぐに諦めた。また今度、返しに来たらいいか。
 もう一度、掌の上の石を見つめる。
 奇石、だから奇跡なのか。だから、奇跡を売る? 何だかやっぱり騙されているみたいだ。
 彼女はジーンズのポケットに石を入れた。やはり虹は戻ってこない。でも……これはもしかするとクリスマスプレゼントなのかも。
 もっとも、この怪しい『奇跡を売る店』にはクリスマスらしいディスプレイもなければ、その暖かい聖なる光の気配もない。
 クリスマスまで一週間。騙されてみるのも悪くないかもしれない。




「あたしは幼稚園の時にはもう分かってたわ」
「なんや、やっぱりあんた、そんな頃からませとったんや」
「私は小学生の時かなぁ。男の子らが話してんの聞いて」
「あ~ら、私なんか、ピュアだったからぁ、高校生の時に初めて気が付いたのよぉ。あれはパパだったんだって」
「嘘や~、それ、ぜったい嘘。ソノコさんがピュアなんてありえへん」
「なんやと~。信じてくれ~」
「きゃ~、おっさんに戻ってる~」
「よっしゃ。罰として、水攻めじゃ~。あ、蓮、水持って来て」
 蓮は、今日は一層賑やかなテーブルを振り返った。最近よく来るようになった女子大生五人と、化粧はしているものの厳つい顔つきの大柄な『女』、それにかなり美人だけど声の低い『女』がテーブルを囲んでいる。

 この店は会計が明瞭で、高い酒は置いてあるのだが、あまり押し付けることをしない。飲みかたを選べば比較的安価なのと、お笑いとダンスを取り入れたショウが人気で健康オカマパブを謳っているのと、最近のオネエブームにあやかってなのか、興味津々の女性客も少なくない。女子大生でも、毎日は無理でも、月に一、二度遊びに来るのには問題がないはずだった。
 この店では、女性客は男性客とは違う意味で歓迎されている。女性はその気になれば金離れがいい。それに、特に若い女性は、化粧や洋服、アクセサリーと言ったファッション情報の発信源でもある。
 いわゆるゲイバーと言われる系統の店にもいくつかの種類があり、そこで働く男性にも色々な種類の人間がいるが、この店は客の性別が問題となるような店ではなかった。つまり、真剣に男同士の付き合いを求めているのだから女は来ないで、という種類の店ではない。

「え~、蓮くん、水じゃなくて酒」
 蓮はカウンターの中のママに合図をする。もちろん、持っていくのは水だ。ソノコさんの声が前半は太く、後半には高音になる。
「だ~め。あんたたち、大概にしときなさいよぉ。あたしがあんたたちのママなら、月に代わってお仕置きよ~」
「ふる~い!」
 蓮がテーブルにミネラルウォーターの瓶を置くと、女性五人組のリーダーが、あーあ、何で水なの、と文句を言った。もっとも、声は怒ってなどいない。髪の毛の一部をきついピンクに染め、目の吊り上がった、いわゆるセクシーダイナマイト系である。
 彼女らももう酒は潮時だと分かっている。とにかく騒ぎたいだけなのだ。
 それもそのはず、この五人組は今、京都ではちょっと話題の女子大生ロックバンド『華恋』のメンバーたちだった。彼らのスケジュールは明日からクリスマスイヴまでびっしり詰まっている。だから、今日は前夜祭で何が何でも盛り上がる、ということらしい。

「蓮くんって、何でホールなん? 見栄えはいいから、モテるんとちゃうん?」
「そうや、ちょっと座っていかへん?」
「だめよ~」
 大柄でどぎつい化粧をしたソノコさんが太い声で止めた。ソノコさんはこう見えてショウタイムの一番の人気者だ。お笑いもできるし、物まねのレパートリーは某ものまね芸人にも引けを取らない。それにダンスもできる。ダンスというより、格闘技だ。空手の有段者だった。
「うちの店では、あんたたちみたいな狼女から蓮を守るべし、って条例があるのよ~」
 女子大生たちは『狼女』に大うけだった。

「そう言えば、蓮は何歳頃まで信じてたん?」
 このバンドで最も正統派美人と言えるベーシストが聞いてきた。目元に力があり、唇は薄く、何より華やかな顔立ちだ。
「何を?」
「サンタクロースやん」
 その話題だったのか、と蓮はちらりと最も目立たないメンバーを見た。
 さっきから少し気になっていたのだ。賑やかなグループの中で一人だけ大人しいのはいつものことなのだが、いつもより輪をかけて静かだ。俯いて、何か堪えているようにも見える。そして、どういうわけか今日はちらちらと蓮を見ているのだ。

「さぁ、うちは始めからサンタクロースなんか来なかったけど」
 蓮が答えると、ボーイッシュなギタリストが手を叩いた。
「あ、そうや。蓮くんちはお寺なんやっけ」
「あれ? 探偵事務所じゃなかったん?」
 蓮は曖昧な笑みを浮かべた。
「あぁ、ほんとに、蓮くんってなんか謎なんよね~。蓮くん、お坊さんになるん? イケメンの坊さんやなぁ」
「探偵の方がかっこいいやん」

 こうして話していると、普通の女子大生にも思えるが、格好は派手で、メイクも気張っている。一人を除いて。
 さっきから会話の主導権をソノコさんに譲っていた、美人ニューハーフ、テレビにも出たことのあるシンシアが、低くて通る声でこの話題をストップしてくれた。
「蓮はね、ミステリアスが売りなのよ。だから、はい、蓮に絡むのはおしまい」
 ありがとう、と目でシンシアに合図する。シンシアはクールな笑みを唇に浮かべる。男と分かっていても、彼女はやはり綺麗だ。

 それにしても、ここでは自分のプライベートをおおっぴらに話したことはないのだが、どこかからそんな噂が飛び交うようになったのだろう。確かに蓮は寺に住んでいるが、寺の跡取り息子でもないし、坊主になる予定はない。
 いや、寺の件は、苗字から勘ぐられただけかもしれない。
 もう一つの仕事の方は、隠しているわけではなく、むしろこの店が宣伝のための看板の役割を果たしてもくれているのだが、それでも誰も彼もが知っているという話ではない。

「じゃあショウちゃんは?」
 ソノコさんがだんまりのメンバーに気を使った。大騒ぎをしながらもソノコさんはよく周りを見ている。
「え……と、何?」
 ショウちゃん、と呼ばれた大人しい子は三澤笙子といった。顔はまるで女子高生だ。童顔で、幾分かおどおどした気配がある。短くボブに切った髪は、彼女に良く似合っていた。だが、このおどおどしたムードは、メンバーをバックにしてマイクを持った途端に豹変する。蓮は実際にパフォーマンスを見たことはないが、半端なくパンチのある歌声で、そのギャップに萌える男子学生が多くいるのだと聞いている。

「聞いてへんかったん? 何歳までサンタロースを信じてたかって話」
 笙子は一瞬、視線を踊らせた。そして、視線の矛先を蓮に固定すると、不意に何かを決心したかのように、はっきりとした声で答えた。
「私のサンタクロースは、私が六歳の時に殺されてんの」
 一瞬、場のムードが変わったのは言うまでもない。だが、例のごとく、ソノコさんが後を引き受けた。
「な、なんやと! 犯人はトナカイ?」
 とは言え、今回ばかりはあまり良いフォローではなかったようだ。馬鹿、とシンシアに肘でこつかれて、ソノコさんが頭をかく。だが笙子は真面目な顔で続けた。

「違う。知ってる人。私、殺されたサンタクロースが神社の裏に埋められるところを見たん」
「えーっと、で、その犯人は捕まったん?」
 笙子が少し不思議ちゃんであることを知っているメンバーは、適当に苦笑いをしながら話の行く末を探っている。
「ううん。捕まってへん」
「死体は? サンタクロースの死体。警察には知らせたん?」
 バンドのメンバーは適当に話を合わせているようにも見える。慣れているのだろう。
「ううん。死体もまだ見つかってへん。まだあそこに埋まってるん」
「笙子は犯人を見たってわけやろ? 目撃者って狙われるんとちがうん?」
「犯人は私を狙ったりせえへん。だって、私のお父さんやもの」






さて、始まりました。
と言っても、大した話ではありませんでして、内容も薄っぺらいので、気楽にお楽しみください。
謎解きも何もなく「な~んだ」ってな話なのですけれど。
クリスマスイブのマコトの掌編に被らないうちに終わります。
でも、聖夜に少し暖かくなっていただけたらいいなぁ。

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Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(2) 

『サンタクロース殺人事件』の(2)をお送りいたします。
なかなか本筋に行きつけないのは、色んな登場人物たちを楽しんでいただこうという企画でもあるからですが……
クリスマスにふさわしい大団円にあと2回ほどでなるかしら?
まずはお楽しみください(*^_^*)





「あんたねぇ、そろそろ開き直って抱かれてやんなさいよ。あのセンセ、あんたに夢中なんだから」
 注文を伝えに蓮がカウンターに戻ると、クルクルの金髪に青いアイシャドウ、真っ赤な口紅のママが、わざとらしく口を尖らせた。カウンターの客の一人と、蓮とある客のことを話題にしていたのだろう。
 大柄な男だが、元々肌のきれいなママは、最近、化粧のノリを気にしている。歳を取ったのよ、いやんなるわ、と手入れには余念がないが、若い子を雇うたびにため息をついている。
「いつまでもお高くとまってちゃ、この厳しい世の中、渡って行けないわよ。売れるのは若いうちだけなんだからね。てか、あんた、もう相当の年増なのよ」

 ママがそんな話をしているのは、半分以上、冗談だ。そもそもこの店は男性が男性の相手を求めに来るような店ではない。
 だが、たまに紛れ込んでいる本気の客を牽制する意味もある。カウンターの端に座って、黙って飲んでいる客だ。職業を聞いたこともないが、ヤクザかもしれないと言われいて、蓮を狙っているとまことしやかな噂が流れていた。
 そもそも蓮はこの店のホール係だ。座って客の相手をしたり、ショウに出たり、俗にいうアフターのサービスをするようなことは、仕事の中に含まれていない。
 ママは、比較的良心的な値段のついた水割りを作って、厳つい笑顔を振りまきながら、カウンターの手前に座る客に相槌を求めた。

 客はゴロウちゃんと呼ばれている。国民的某アイドルグループの一人に似ているのでそう呼ばれいてる。出版社に勤めているサラリーマンで、週に三度はやって来る、明るい男だった。本物のホモセクシュアルだ。こちらも蓮にプライベートで会わないかと何度も言い寄ってきているが、どちらかというと挨拶代りに口説いているに過ぎない。
「そうや、オシャカちゃん、バージンなんてもう捨てちゃえ。下手に持ってるから、あれこれ周りが浮足立つんや。せやから、前から言うてるやろ。俺が相手したろ、て」
 この店で、一部の客や従業員は蓮のことをオシャカちゃんと呼ぶ。一度聞いたら忘れられない「釈迦堂」という苗字だからだ。

 釈迦堂蓮。この名前のお蔭で、もしかすると「寺に住んでいる」「お寺の家の子」というイメージが生まれたのかもしれない。
「馬鹿ね。センセに殺されるわよ」
 彼らがセンセと呼んでいるのは、国立大学の理学部、地球惑星科学講座の准教授、出雲右京だった。
 この店では、ぶっ飛んだ学問を研究しているということと、上品で紳士らしい立ち居振る舞いで人気だった。しかも、華族か宮家の縁戚か、かなりの上流の家系らしく、決して大仰な金の使い方はしないが、金離れは綺麗だ。花街にも政界にも顔がきくという出雲家の人間には、京都の裏でうごめく闇の顔たちも一目置いているらしいと聞いている。
 蓮は出雲に、こんな店に出入りしていて大学や家で何も言われないのかと聞いたことがある。出雲は世間ずれしているのか、意味が分からなかったようだった。

 出雲はしかし、店にやってきて、蓮をじっと見つめてはいるが、少なくとも蓮をベッドに誘うようなことはしない。
 その理由を、蓮はもう知っている。
 蓮には男と寝るつもりなどなかったが、もし誰かをどうしても選ばなければならないのなら、出雲ならば悪くはないと思っていた。ママには言っていないが、実はいささか滅入っていた日に、ままよと思ってホテルに誘われるままについて行ったことがある。
 事に及ぶのかと覚悟をしたら、出雲はやっと二人きりで話ができると喜んだ。

 何のことはない。蓮の母親の幼馴染で、父親と恋のさや当てをした関係だったという。だからそれを蓮に伝えたかっただけなのだ。
 あれこれ思い出があるようだが、みなまでは聞いていない。出雲は酒に弱く、すぐ寝てしまうのだ。
 本当は蓮のほうでも出雲に聞きたいことがあるのだが、その反面、聞きたくないことでもあった。
 蓮は両親の顔を覚えていない。父親は日本にいないし、母親は亡くなっている。自分をちゃんと育ててくれなかった親を、今のところまだ親とは認めていない。

「もうすぐクリスマスなんだから、クリスマスプレゼントにバージンを差し出すとか。でないと、この変態ゴロウに食われるわよ。あら、噂をすれば何とやら。いらっしゃい」
 開いた扉にママが声を掛ける。
 まさに、出雲が入ってきたのだ。やや痩せ気味で背が高い、ロマンスグレーというよりは純朴な研究者という印象。眼鏡をかけているが、それほど視力が悪いわけではないらしい。顔立ちはいわゆる濃いタイプで、目鼻もはっきりしているのだが、どうやら服装には時代がかった残念さが漂っているために、街を歩いているとちょっと変な人と思われている節がある。
 もちろん、出雲は気にしていない。

 蓮は目だけで微かに挨拶をする。出雲はいつものようにカウンターに座って、人のよさそうな笑顔で薄い水割りを注文している。
「あれ、センセ、いつからアメリカだっけ?」
「来週ですよ」
「おぉ、自由の国、アメリカ。男同士でも結婚できる州がある。羨ましい」
 ゴロウさんはもうかなり出来上がっている。
「センセ、どうせなら蓮を連れて行ったら?」
「もうプロポーズしたのですが、断られました」
 だいたい出雲の言い方に問題があるから、みなが誤解するのだと蓮は思っていた。出雲のプロポーズは文字通り、申し込む、というだけの意味だ。
「あら、やだ。そうなの? 蓮」
 たかがヒューストンに学会に行くだけなのだ。しかもたった二週間の旅程だ。大袈裟に過ぎる。蓮は、フロアから呼ばれたことをいいことに、カウンターを離れた。

 それからショウタイムが二回、客の出入りも賑やかになる。不況なのに、いや不況だからか、この店は賑やかだ。蓮はいつものように黙々と働いた。
 もともとコミュニケーションが得意な方ではなかった。だからホール係が精いっぱいだ。
 テレビで紹介されたこともあるこの店は、ショウのクオリティも大衆芸能並みに高くて、不況を謳われて長いうちにも客足も途絶えなかった。会計が明瞭であること、時にタロット占いと手相を見るのが得意のママが人生相談に答えてくれること、それに何より、相手に応じた接客の質が保たれていることもあるのだろう。おかげで給料も悪くない。

 生涯続けるつもりだったある仕事を辞めて途方に暮れていた時、人伝でここに雇ってもらった。ちゃんとした仕事が見つかるまでのバイト、ということだったが、いつの間にかもう一年近くになる。その間に、有難いことに、ママや店のオーナーは、蓮は戦力の一人として大事にしてくれるようになっていた。
 よく気が付く、と言われる。人を観察していると様々なことがわかる。ただそれだけのことだった。
 それに、蓮はもう一つ、辞めるに辞められない仕事を持っていた。辞められないのだが、こちらははっきり言って全く金を稼ぐあてのない仕事だった。だからこの店のバイトも辞められない。
 元の仕事は、続けていれば生活に困らない給料をもらえるはずだったが、戻る気はない。というよりも、色んな意味で戻ることはできないだろう。その仕事のことを知っているのは、この店ではママだけだった。始めはものすごく胡散臭い顔をされた。だが、今では蓮を認めてくれて、将来を心配してくれてさえいる。

 シンシアがカウンターに近付いてきたときが、「もうひとつの仕事」の依頼が舞い込んだ時だった。
「ちょっと、蓮、やっぱりあんたに話を聞いてもらった方がいいみたいよ、あの子」
「何なの、シンシア」
 ママが低い声で窘めるように尋ねる。
「殺人事件を目撃したんだって。それも十五年も前に」
「それって時効じゃないの?」
「あれ、今って、凶悪犯罪は時効って無くなったんじゃないの?」
 ゴロウちゃんが口を挟んでくる。後を引き取ったのは例のごとく出雲だ。
「そうですよ。2010年の4月27日に改正されたのです。それまでは、殺人罪の公訴時効、つまり犯罪が終わった時から一定期間を過ぎると検察官が公訴を提起できなくなることですが、刑事訴訟法250条1号により、25年と定められていたのですね。ですから、そもそも15年前の殺人事件は、致死罪以外であれば、どちらにしてもまだ時効ではありませんね。ちなみに、2010年4月27日までに公訴時効が完成していない罪であれば、すべて新法が適用されます」

「センセ、かたいわよ」
 ママが出雲にダメ出しをする。
「いや、彼女が見たのはそもそも殺人現場ではなくて、死体遺棄現場でしょう。しかも、もし本当なら、探偵じゃなくて警察に行くべきです」
 さっきの話を一部耳にしていた蓮が訂正する。
「警察が15年も前の子どもの記憶を信用して、捜査をする可能性は低いでしょうね。某テレビ番組の暇な特捜でもない限り」
 右京という同じ名前の主人公が活躍している番組だ。ゴロウさんがそうやそうや、と頷いている。

「何でもいいけど、あの子、今日の昼間、あんたの事務所に行ったみたいよ」
「ええ~、じゃあ、何だかあたしがあんたの仕事の邪魔をしたみたいねぇ。本当ならあんた、事務所で寝てたはずなのに、あたしがめんどくさい飾りつけの仕事なんか押し付けちゃったから事務所、閉めてたんでしょ」
 そうなのだが、ちょっと嫌な予感がした。事務所は閉まっていると言えば閉まっているが、開いていると言えば開いているのだ。一階の胡散臭い店と扉を共有しているために、一階が開いていれば、店には入ることができる。
「何にしても、ここは釈迦堂探偵の出番というわけや」
 ゴロウさんがぽんと蓮の腕を叩いた。

 正確には、「釈迦堂探偵」は蓮ではない。釈迦堂探偵事務所は蓮の叔父、釈迦堂魁がやっていた事務所なのだが、今は蓮だけがその事務所で働いている。
 魁は失踪していて、現在行方が分からない。叔父が戻って来るまで蓮が店番をしている、そういう状況だった。いや、本来なら魁の息子が手伝ってくれたらいいのだが、彼にはそのつもりはさらさらないらしい。

 その時、『華恋』のリーダー、セクシーダイナマイト系ドラマーが、困った顔でおどおどした童顔のヴォーカリストを連れてカウンターに近付いてきた。
「はい、蓮、頼むわ。うちのヴォーカル、この通り不思議お嬢ちゃんだけど、今日はちょっと真剣みたい」
 そう言ってウィンクする。
 このバンドの売りは、この一見おどおどしたムードの童顔ヴォーカリストのギャップなのだ。そのことがよく分かっているリーダーを始めメンバーは、なんだかんだ言いつつこの不思議お嬢ちゃんを大事にしている。

 彼女のウィンクの意味はこうだ。
 笙子は蓮に気があるみたいだから、話を聞いてやってよ。クリスマス前なんやし。
 蓮は、こういう店の場面ではありがちな勘繰りには少しだけうんざりしたものの、笙子の気配はさっきから気になっていた。
「奥、開いてるわよ」
 ママが勧めたのは、ママが真剣な人生相談の際に使っている小部屋だった。タロット占いもする。タロット占いと人生相談の代金は最低三千円、というわけだ。たまに政財界のそこそこの人物がやって来るという噂もある。
 蓮も、自分の「もうひとつの仕事」の第二事務所的に、その部屋を時々使わせてもらっている。


 ヴォーカリストの名前は三澤笙子といった。家は、彼女の名前の通り、雅楽の演奏者の家系だった。笙子がロックをやっていることは、今のところ家族の誰も知らないのだという。
 だがグループは有名になりつつあった。メディアが目を付け始めている。笙子は二年生だが、グループの主要メンバーは四年生だ。進路を考えるのに遅すぎるくらいなのだ。そろそろ、答えを出す時が来ている。笙子自身も、自分の別の顔を選ぶか、このグループを選ぶか、選択を迫られているようだ。

 雅楽の民間への普及は、一部の高名な演奏家のお蔭で幾分かは保たれている。だが、指導者は少なく、他の楽器奏者、舞楽の舞い手、さらに楽器や伝統的装束の製作者を含めた伝承が必要であるために、足並みがそろうというものでもないようだ。笙子の母親の家系が、鳳笙の楽家なのだと聞いている。そして笙子自身も、雅楽の少ない正統継承者としての将来を期待され、自身も大学に入るまでは、その期待に応えるものだと思っていた。
 クリスマスライブが終わったらグループとしての進退を決める、と『華連』のリーダーが言っていたらしい。人生のひとつの岐路というわけだ。

 小部屋にはエスニックな布が壁や窓、扉にデコレーションされていて、薄暗い赤っぽい照明をつけて香を焚くと、エキゾチックなムードが満点になる。三畳ほどの小部屋には、やはりアジアンテイストな布を掛けられた木のテーブルと二客の椅子、タロットや水晶などそれらしいアイテムをしまう木製の棚があるばかりで、他には何もないが、それだけでいっぱいの部屋だった。
 この部屋に入ると、何となく秘密の暴露をしてしまいたくなる人間の心理もちょっと分からないでもない。
 だが、蓮は例のごとく、蛍光灯をつけて部屋を明るくした。
 そうしてしまうと、薄い布地で色とりどりに光のイメージを変え妖しさを演出していたムードは吹き飛んで、なんだ、この程度のものかという現実がはっきりする。

 蓮と向かい合った笙子は俯いたままだった。
 蓮はあまり自分の方からあれこれ話しかける方ではない。黙って相手の話し始めるのを待っている。その沈黙が圧迫にならないから不思議だと、よく人に言われる。一方で見かけは平穏で平和主義者っぽいのに、内側では激昂しやすいという部分もある。怒りの形で爆発するというのではなく、感情が高ぶるのだ。
 だがこの一年、そのすべてを押し込めて暮らしてきた。

「事務所に来てくれたんだってね」
 笙子はまだ俯いているが、小さな声で答えた。
「シュウに聞いて……」
 思わぬ名前に蓮はしばし唖然とした。てっきり店の誰かが教えたのだと思っていた。いったい、この娘と舟にどんな関係があるというのだ。
「舟とは知り合いなのか」
「……」
 あのくそ馬鹿、あり得ないことではないと蓮は思った。

 釈迦堂舟。釈迦堂魁の息子で、蓮とは従兄弟同士ということになる。蓮よりも五つほど年下だ。まともな仕事をせずに、不穏な連中と付き合っている。
 舟が女に絡む場合に「お友達」はあり得ない。ついでに男に絡む時だって半分はそういうことだ。残りの半分は敵、つまり喧嘩相手だ。喧嘩と言っても可愛らしいものではない。しばしば命のやり取りになりかける。
「三澤さん」
「舟を怒らんといてください」
 そう言って顔を上げた童顔娘は、ほんの少しばかり女の表情を漂わせていた。
「いや、俺が舟に何かを言える立場じゃないんだ。怒ることはしないけれど……その、正直、君がつき合って幸せになれる相手とは思わないよ」
 笙子は答えなかった。
「舟のことは今度ゆっくり話そう」

 蓮は一度言葉を切った。笙子は黙ったままだった。
「君の殺人遺棄現場の目撃だけど、十五年も昔のことを、今になって急に調べてもらおうと思ったのには何か理由があるんじゃないの?」
 笙子は少し部屋を見回した。そしてふと肩を落とした。
 可愛らしい娘だと思う。世間知らずのお嬢様のイメージだ。それがマイクを持った途端に豹変するとなると、ちょっと興味深いと思う男は大勢いるだろう。
 やがて笙子は、石がポケットの中で鳴っていて、と言った。
 蓮はやはり嫌な予感が的中したと思った。
 笙子はジーンズのポケットから石を取り出す。

「天河石」
 蓮は呟いた。
「石の名前?」
「うん。アマゾナイトとも言われている。いくら請求された?」
「一万円」
 あの婆さん、と蓮が思う間もなく、笙子が先を続ける。
「あ、でも、すぐに、小さい女の子が追いかけてきて、お金を返してくれて……むしろ私の方が、この石を返さないと」

 にこ、また遊びに行っていたのか。あの婆さんには近づくなと言ってあるのに。
 あの石売りの婆さんは、子どもからも平気で金を巻き上げる。にこだって、お小遣いというほどのものは持っていないが、小銭やがらくたとは言え大事にしているものをかっぱらわれたことは、一度や二度ではないはずだ。
 やはり保育園は辞めさせようか。探偵事務所の近くということで選んだ保育園だったが、それは結局、あの石屋にも近いということだ。蓮やお寺の奥さんが迎えに行けない時には、いつの間にか婆さんのところで待つようになっていた。
 寺では大人しかいないし、一人で蓮を待っていても寂しいのではないかと思って保育園に行かせたが、園でも一人で遊んでいるという。病気のせいもあるが、あまり友だちとも打ち解けていないようだし、保育園は楽しいかと聞いても返事をしない。
 いや、にこはそもそも蓮にはほとんど口を利かない。
 本当の親でもないのだから。

「婆さんは何て?」
「これで迷いが吹っ切れるって」
「で、一万円請求されたわけだ」
「でも結果的には払ってないです」
「いいんだ。もうこれは君の手元にやって来た。だからこれは君の石だ」
 笙子は不思議そうな顔をした。何、と蓮が聞くと、石屋のお婆さんも同じことを言ったと答えた。
「どういう意味なんでしょうか」
「石が君を選んだんだ。だからこれは君の石だ。金のやり取りは終わっている。にこが君に金を返したのは彼女の勝手だから、気にしなくていい」
「石が私を選んだ?」

 蓮は石を取り上げた。蒼い、空の色とも森の色とも水の色ともつかない、翡翠よりもさらに透明度の高いガラスのような質感。かなり上質の天河石だ。
 あの店のどの棚にこの石があったか、蓮は思い出すことができた。
 石たちの囁く声も、聞き分けることができる。それは小さな声だが、微かに震えている。もちろん、石たちはいつも語りかけてくるわけではない。
 そして今、掌に載せた時、この石は何かを話しかけていた。蓮にではなく、笙子に言いたいことがあるのだ。

「別名アマゾナイト、長石族の中の微斜長石に属する天然石だ。実際にはアマゾンで川周辺では産出されていないけれど。ほら、見てごらん」
 蓮は蛍光灯に石をかざした。キラキラと光が虹色に輝く。笙子はあ、と声を上げた。
「これはシラー効果という現象だ。光を反射してキラキラと輝くアマゾナイトは良質なものなんだ。まだ形を整えてないのに、少し磨いただけでこんな光を跳ね返すのは、いいものだってことだよ」
「お詳しいんですね」

 それはそうだ。学生時代、蓮はあの店でバイトをしていたことがある。というよりも、叔父の魁の探偵事務所に遊びに来ていて、ついでに一階の石屋の店番を無理やりさせられていたというのが正解だ。
「石にはそれぞれ意味がある。この石は別名ホープストーンと呼ばれていて、心の曇りを吹き払って明るい希望をもたらしてくれる力がある。物事をマイナスに考えてしまうようなときには、この石が明るい方へ導いてくれるんだ。それに、心身のバランスを整えるという効果の中には、幼少期から思春期にかけてのトラウマを解決するという意味もある」
 笙子は蓮を見つめた。

 蓮は、この石の効果をもう一つ付け加えようとして、辞めた。
 この石は、環境が変わった時に、たとえば、恋愛が始まった時に、その行先を明るく照らしてくれるとも言われる。だが、舟が相手ではうまくは行かないだろう。期待は持たせたくない。
「もちろん、石が本当にパワーを持っているというわけじゃない。持った人間がどう考えるかということだ」
 蓮さんは優しい、と笙子は言った。誰と比べたのかは聞かなかった。
 それに蓮だって、優しいという言葉に見合うような人間ではないかもしれない。本当に優しい人間にはもっとやりようがあるものだ。うわべを取り繕うことは誰にだってできる。
 舟と蓮は表裏一体のような関係だ。切り離せない。

 やがて、笙子は息を吸い込んだ。
「蓮さん、一緒に行ってくれはりますか? サンタクロースが埋められた場所に」





色んな人物を紹介するのがひとつの目的だったので、ちょっと本来の筋から離れていますが、そんなに大した話ではないので、もうしばらくお付き合いください。謎、というほどのものは出てきませんので……
全体のムードがお伝えできたらいいなぁと思っています。
そう、石の不思議なパワーをお贈りできたら、と思うのです。
もちろん、私も正味パワーストーンなるものを信じているわけではないのですが、それは連の言うとおり、持つ者の問題だと思っています。

さて、いよいよ、埋められたサンタクロースを掘り起こしに行きましょう。
次回は長めかも。終わるかな?
↑終わるわけないやん! 


Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(3) 

【奇跡を売る店】(3)をお届けします。
いよいよサンタクロースを掘り出しに行きましょうか(*^_^*)
と、その前に、笙子ちゃんの家の事情を少しご紹介いたします。
クリスマスイヴに、事件は解決することでしょう。






 三澤笙子の母親は、楽家のうち笙を担う安倍家の出だった。府内の有名私立大学を出ていて、笙の演奏家・安倍清埜としても名前を知られていた。だが、家族に反対されながらも、普通のサラリーマンの男と結婚した。
 生まれた子供は笙子一人だけで、女の子だというそのことだけで一族の失望の原因になった。
 笙子の母親は、実家の希望に逆らった結婚に後ろめたさがあったのか、幼いころから笙子に雅楽を教えた。物心がついた時から笙子にとっておもちゃは笙や篳篥であり、舞楽のビデオは『おかあさんといっしょ』の代わりだった。
 やがて自然に慣れ親しんだ楽器において、笙子の才能は、一族の失望を塗り替えていった。笙子はほんの三歳のころから今に至るまで、母親の前では期待に応えようと、あらゆる意味で素晴らしい娘となるための努力を惜しまなかった。

 笙子の父親は製紙会社に勤めるごく普通のサラリーマンだった。よくある話で、学生時代にフォークをかじっていて、少しだけギターを弾いたが、もちろん趣味のレベルで特別に上手くもなかった。学歴も可もなく不可もなくだったが、人当たりは良かった。笙子にも優しかった。
 笙子は父親の下手なギターを嫌いではなかった。母親が雅楽の行事などで帰りが遅い時、保育園の送り迎えは父親の仕事だった。帰りにこっそり二人で河原町通りのカラオケボックスに行った。ご飯をそこで食べて、一緒に歌った。父は歌が上手かった。そしていつも笙子の歌を褒めてくれた。

 父親はイベントも好きだった。いつもは色々な意味で母親に遠慮しているように見えたが、誕生日やクリスマスにはコスプレをして笙子を喜ばせてくれた。母親は、クリスマスなんてクリスチャンじゃあるまいし、と言ったが、少なくともあの最後の年までは、一緒にクリスマスを祝っていた記憶がある。父親は毎年、サンタクロースの衣装を借りて来て、笙子にプレゼントを持って帰ってきた。もっとも笙子は、サンタクロースが父親だとはあの年まで気が付いていなかった。
 あの最後の年。
 笙子は生きたサンタクロースには会えなかった。

 その年の初めから笙子の両親は少し上手くいかなくなっていた。喧嘩も多かった。母親は実家に帰っていることが多くなっていて、笙子は大概一緒に連れて行かれたが、時々は保育園から父親と一緒に三澤の家のほうに帰った。
 父親と二人きりの夜には、一緒にお風呂に入り、お風呂をカラオケボックス代わりにして歌った。
「笙子は大きくなったらお母さんみたいな笙の演奏家になるのかなぁ」
 父親が何となく呟いた。
「ううん。笙子は歌手になるよ」
 笙の演奏家と歌手の違いもよく分かっていなかった。邦楽と、父親が歌う歌の世界は違うことも、まるで理解もしていなかった。

 最後の年、クリスマスイブの夜。
 笙子は母親の実家にいた。雅楽の伝承者であることを求められる母親の実家では、クリスマスのイベントなど全く考えられない環境だった。理由までは分からない子どもでも、そこではクリスマスのことを話題にしてはいけないことだけは察していた。
 気になっていた。今日はサンタクロースが来る日なのだ。笙子が三澤の家にいなかったら、サンタクロースはがっかりするだろう。せっかくプレゼントを持って来てくれるのに。

 その日、ご飯の後、笙子は早々に布団に入れられた。
 今日はサンタクロースが来る日なのに、と思うと、目を閉じてもすぐ目を開けてしまった。
 こっそりと起き上って居間を覗くと、炬燵を囲んだ笙子の母親と祖父母、伯父夫婦が難しい顔をしていた。
「正興さんがそないなこと」
「お前たちはもう長いこと、上手くいってへんかったやろ。正興くんかて男や。そうなればそういうこともあるやろ」
「そうや、彩希子、笙子のためにもきちんとしておいたほうがええ」

 笙子はこっそりと母親の実家を抜け出した。
 母親の実家と、両親と一緒に住んでいた三澤の家はそれほど離れていなかった。大人の足なら十五分ばかりの距離だろう。
 笙子は家を抜け出してから少しだけ後悔した。
 皆が街に出かけているか、家で静かに過ごしている聖夜、笙子の目に写る世界は真っ暗だった。笙子はやっぱり戻ろうと思ったが、サンタクロースからプレゼントをもらうというのが、子どもの義務だという気もした。

 静かな夜の町は、見慣れたいつもの景色と随分違っていた。いつもならお父さんと手を繋いで歩く道が、どこに続いているのかどこにも辿りつかない、目的地のない道に見えた。
 それでも、笙子は目を瞑って、最初の角まで走った。後ろから誰かが追いかけてくる。雅楽の怖いお面を被った人や、人の声を模していると言われる篳篥の音が耳の後ろに貼りついている気がした。

 それでも、頑張って角を曲がると、急に怖くなくなった。
 笙子は一生懸命夜道を歩いた。途中で犬に吠えられて慌てて走って、息が切れてしまった。明るい外灯の下を歩こうとして、ふと自分が誰かから見られている気がしたので、怖くなって逆に暗い所を歩いた。暗い場所に隠れると少し安心したが、自分の運動靴が闇の道に吸い込まれて見えないような気がして、吸い込まれないうちに足を動かさなければと、また走った。

 三澤家まで二ブロックほどのところに神社があった。小さな神社だが、本殿と拝殿以外にも、いくつかの小さな社が点在していて、拝殿の脇にあたるところに小さな森があった。神社の灯篭にはいつも灯りが入っていた。
 少なくとも笙子の記憶には、その灯りがちらちらと蠢いている。
 神社を迂回すると時間がかかる。それに笙子にとってこの神社は遊び場所でもあった。近道はよく知っている。
 笙子は神社の敷地に入り込んだ。そしてやはり暗い所を選んで歩いた。

 その時、ざくっざくっという音が耳に届いた。
 自分の足音が、カラオケボックスの中みたいに大きく木霊して、闇の中に響いているのだと思った。だから足を止めてみた。
 一旦、静寂があった。
 だが、笙子がじっとしているのに、再び、ざくっざくっという音が覆いかぶさってきた。神社の森では木々が大きく社を覆っている。少なくとも子供の笙子の目からはそう見えていた。音は、笙子の目からは天を覆うような木々に跳ね返されて、反響していた。

 不思議と怖いとは思わなかった。いや、怖いのだが、それが何の音なのか見届けることが必要だと思った。静謐な儀式の気配があった。
 笙子は足音に気を付けながら闇を歩いた。
 だんだん目が慣れてくると、拝殿の脇の森のほうで、何かが動いているのが分かった。近付いてみると、木の脇で誰かが地面を掘っていた。

 穴はもう随分と大きくなっていた。
 その穴の脇の地面には、赤いものが横たわっていた。
 真っ暗闇ではなかったのかもしれない。何故なら色がはっきりと分かったのだから。笙子にはその赤いものがサンタクロースだと分かった。赤い服に大きな白いボタン、それにサンタクロースの帽子とひげ。
 サンタクロースは横たわっている。

 その時、みしっと足元で小枝が鳴った。笙子は自分の靴が小枝を踏んだのだと思った。
 ざくっという音が止まった。
「……笙子……」
 地面を掘っていたのは、笙子の父親の三澤正興だった。

 そしてその日を最後に、笙子は父親の顔を見ていない。
 何となく察していたことでもあったので、母親にも多くを聞けなかった。
 父親は家を出ていったということ、少なくとも父親が姿を消した後しばらくは母親も随分悲しんでいたこと、それだけが笙子に理解できたことだった。
 だが、父親がサンタクロースを殺したことについては、笙子だけが知っている。

 母親が父親を愛していたのかどうか、少なくとも親の反対を押し切って結婚したのだから、一緒になる時には愛情があったのだと思うが、徐々に二人の間が冷めていったのも事実だろう。それでも、笙子のことを思って離婚までは考えていなかったのかもしれない。
 一度だけ、母親が呟いていた。
 お父さんは他に女の人がいたのよ。だから笙子とお母さんを捨てて出ていったの。だからもう、お父さんのことは忘れてしまいなさい。
 母親は笙子に立派な演奏家になって欲しいと言った。

「蓮さん」
 笙子は淡々と話し終えると不意に声の調子を変えた。蓮は、笙子が話し始めたときから、笙子の母親の名前、安倍清埜に何かが引っかかっていた。話を聞きながら、ずっとそのことを考えていた。
「え?」
「聞いてます?」
「もちろん」
 ふっと笙子が息をついた。
「私、歌っている時、何か恐ろしいものに追いかけられているような気がするんです。それで、上手く言えへんけど、ものすごく興奮してきて、自分じゃなくなるような感じ。後でふと我に返って、怖くなることがある。笙を吹いている時も、たまに同じようなことがあって」
 懺悔部屋と店の連中が呼んでいるこの部屋の照明が、半分だけ笙子の顔を明るく染め、残りの半分を闇の側に残していた。
 


「それで、結局、サンタクロースは掘り出せたのですか?」
「いえ。三澤笙子さんと一緒にその神社には行ってみたのですが、神域ですから、勝手に掘り返すわけにもいきませんし、さすがに、死体が埋まっていると思うので掘り返していいですかとは聞けませんでした。真正面から行っても断られるだけでしょうし」
 蓮が出雲右京に連絡をすると、出雲が大学まで来てくれと言った。学会前で忙しいのだろう。

 学食の大きなガラス窓で冷たい風が遮られると、冬の陽射しも暖かく感じられる。右京と蓮は、学生たちに交じって、カレーライスを奇妙なほど一生懸命に食べながら話していた。
「なるほど、それで僕に相談に来てくれたわけですね。頼りにしていただけるのは嬉しいものです」
 右京は察しがいい。出雲家の力なら何とかならないかと思ってみたりしたのだが、もちろん、いくら上から目線で出雲右京がその神社に何か言ってくれても、そう簡単にいくとも思っていない。

 右京は綺麗にカレーライスを食べ終え、蓮が食べ終わるの黙って見つめている。考えてくれているのだろうと思って、蓮はゆっくりとカレーライスを空にする。
「何か突破口になりそうなことはありますか? その神社の御利益は?」
「不運を祓う、いわゆる厄除けのようですね。先代の宮司は厄払いの特別な力があったとかなんとか。一昨年代替わりをしていますが、近所で聞いたら、いまひとつ先代ほどの有難味がないと」

 神社もあれこれと大変だ。代替わりの際には、若い後継者にあれこれ負担がかかるものなのだろう。改めて、霊験あらたかであるという宣伝も必要になるに違いない。
「それなら、私の依頼ということで玉櫛さんの力を借りるのはどうだろう」
 蓮は口に含んだ水を吐き出しそうになった。
 その名前を聞くのは久しぶりた。いや、名前が久しぶりだというだけで、その人物とは毎日のように顔を合わせている。

 玉櫛というのは、一昔前、花柳界でその名を馳せた伝説の芸妓だった。三味線も唄も踊りも誰にも引けを取らなかった。頭もよく、誰のどんな話題にも合わせることができ、噂では関西出身の超大物財界人の愛人だったという。だが彼女の名前が今でも語り草になっているのは、その予言の力だった。
 彼女のところには、進路や選択に惑う人々が集まり、彼女に占いによる宣託を求めたという。
「伝説の玉櫛さんの宣託なら聞くでしょう。この神社に何か禍々しいものが埋められているようだから、掘り出してしまわなければ神社の霊力が損なわれるとか何とか言ってもらいましょう」

 実は、蓮はその役目を出雲に期待していたのだが、出雲は自分は科学者であって霊能力者ではないから、幾ら出雲家の者の言葉であっても宮司を動かすことはできないだろうと言った。
「玉櫛さんにしかできないでしょうね」
「でも……」
 蓮が口ごもると、出雲はにこにこする。
「玉櫛さんには私から言いましょうか」
「あ、いえ。僕が頼んでみます」
 出雲はこう見えて悪知恵も働く。

「ところで三澤笙子くんは、昨日からライブで忙しくなられたのでしょう?」
「えぇ。でもライブは夜なので、昼間の内なら動けると言っていました」
「さて、何が出てくるのでしょうねぇ」
 出雲は何やら楽しそうに見える。
「出雲先生、死体が出てくるかもしれないんですよ」
「そうですねぇ」
 出雲はやはり少しばかり世間ずれしている。
「笙子さんのお父さんが犯人かもしれない」
「えぇ。でも笙子くんはきっと物事をはっきりさせないままでは、一歩を踏み出せない、そんな気持ちなのでしょうね。でも、彼女はお母さんからは何か聞いていないのでしょうか」

「笙子さんのお母さんは乳癌で、もう長くはないと言われたそうです。母娘関係の中には笙の師弟関係も絡んでいて、笙子さんはお母さんとは言え、何でも話してきたわけでもない、話せないことの方が多かったのだと言っていました。笙子さんは、自分の見たものが幻だったのかもしれない、あるいは夢だったのかもしれない、できればそうあって欲しい、でも確かめないままでは、このことを忘れられずにずっとやっていかなくてはならない、それは自分の足元を見ないで生きていくことだと」
「確かに、父親に捨てられたというショックで、奇妙な夢体験を現実と思い込んでしまうこともあるでしょうからね。だから、本当のことを確かめたいのですね。お母さんが亡くなる前に」
そして『華恋』も今後を決する岐路にある。過去を振り切って、未来を想う時が来ている。


 蓮は『奇跡屋』の前で突っ立っていた。
 今日は風が冷たい。思わずダウンジャケットの襟を合わせる。ポケットに突っ込んだ手だけが身体のどの部分とも違った温度になっていて、そこから逆流して体中に冷たい温度が沁み込んでいく気がした。
 重い木の扉に「奇跡、売ります」の木札がぶら下がっている。
 それをひっくり返す。「二階 釈迦堂探偵事務所 この扉からお入りください」と書かれた文字が少しだけ掠れている。

 その時、蓮のジーンズのポケットで携帯が震えた。
 確認すると、「如月」と苗字だけがそっけなく表示されている。
「もしもし」
「あ、釈迦堂君。今、大丈夫?」
 如月海、蓮が親となって面倒を見ている和子(にこ)の主治医からだった。もともと蓮の同僚であり、そして本当なら今頃は、釈迦堂海になっていたはずの女性だ。彼女は今、大学病院の小児科で働いている。専門は循環器だった。
「にこちゃんの先週の検診、来えへんかったでしょ」
「ごめん、忙しかったんや。お寺の奥さんに頼んだんやけど」

 蓮が心置きなく関西弁で話す相手はそれほど多くない。店でも標準語を話している。海はそのうちの一人だった。結婚を取りやめた理由は、全て蓮の側の事情だった。それが今でもこうして普通に話せる関係であることは、お互いに少し不思議だと思っている。
「分かってる。でも、釈迦堂くんも分かると思うけど、おばあさんに説明しても、こっちは不安なんやけど」
「カテーテル検査入院のことやろ。来週、外来に行ってもええかな」
「冬休みやし、混んでるよ」
「あぁ、そうか。じゃあ、年明けでも。検査、急ぐんか?」
「小学校前にしとこうって、前から言うてたやん」
「あぁ、そうやった」

 来年、にこは小学校に入る。そのことで教育委員会や学校ともいささか揉め事があった。結局、あれこれあって、今のところ支援学校ではなく、普通学校の支援学級ということに話が落ち着いている。
 だが、きっと話はそれだけではないだろう。
 海と蓮には小さな約束があった。婚約を解消した時に、海から出された提案はただそれだけだったのだ。本当なら慰謝料を請求されてもいいようなことだったのに。
「そう言えば、今年、どうする? 検査のこと、その時に相談してもいいし。公私混同で悪いけど」

 蓮の方から聞かなければならないはずなのに、男というのはこういう時、自分からはっきりと言わないという卑怯な面がある。そして海も、言い出しにくくて、こうして仕事や和子のことにかこつけて電話をしてきたのだろう。
 十二月二十四日の蓮の予定は毎年空けてある。
「あぁ、もちろん、時間はそっちに任せる。今年は当直逃れたんか?」
「うん、毎年やと、いかにも残念な女やん?」
「じゃあ、二十四日に。検査予定、二月ごろにでも入れといてくれ。こっちの予定は何とかする」

 電話を切って、ため息をひとつ零す。蓮のほうの一方的な理由で、如月海との婚約を解消し、医師としてこれからだった未来を捨て、にこを引き取り、そして今、こうして明日どうなるのか分からない水商売と探偵業を生業としている。
 だが、こうなって分かったことも幾つもある。
 蓮の今の生活は、あの頃よりもはるかに多くの人たちに支えられている。いや、支えられていることに気が付いた、ということなのかもしれない。

「おい、蓮」
 いきなり扉が引き開けられた。
「いつまでも店の前に突っ立てるんじゃないよ。このへっぽこ探偵。私に頼みごとがあるんだろう。さっさと入りな」
 この婆さんには本当に参る。この乱暴な言葉には、昔花柳界で一番売れっ子だった時の名残など微塵も感じられない。
 だが、時々、蓮は思う。これはこの婆さんの化けの皮だ。わざと祇園言葉を使わない。愛人だったという某有名財界人の一歩後ろを歩いていたあの楚々とした姿の写真を見て、感じることがある。それは、その人の傍らで誰にも恥じないように、いくつもの言葉を操ってきた女の意気地だった。

 とは言え、蓮はやはりこの老女が苦手だ。そもそもどこまでが本当で、どこから人を騙しているのか、さっぱり読めない。
 三澤笙子のことを話すと、石屋の老女はくっと笑った。
「いいとも。手伝ってやるよ。で、幾らくれるんだい」
「冗談。彼女に石を売りつけただろう。詐欺商法でいつか訴えられるぞ」
「売りつけた? 人聞きの悪い。あの娘に必要なものを渡してやっただけだ。それに応じた代金は到底頂かなきゃならない。それに、だいたい、お前んとこの娘が売り上げをかっぱらったんだぞ。つまり、最終的にはお前がその代金を払うべきだ」
「にこはあんたの詐欺行為を正しただけだろう」
「言っとくけど、私は詐欺なんかしてないよ。人が何かを望めば、代価が生じる。高いか安いかは買う人間次第だ」
 老女はふん、と鼻で軽く憤りを示した。

「お前はケチだ。魁はいい奴だった。年末にはいつだって困ってるだろうって、金をたんまりくれた」
 この老女が生活に困っているのかどうか、蓮は全く知らない。困っていてもいなくても、どうあれ生きている。
「あの娘を使って何を企んでるんだ」
「企む? わたしゃね、石の言葉を聞いただけさ。石があの娘のところに行きたがったんだ」
「あの石には何があるんだ?」
「あれは親子石なのさ」
老女は呟いて、魔女のような目を細め、しばらく考えていたが、やがて言った。
「いいとも、蓮。ただし、舟に意地悪するな」
 どういうわけか、この婆さんは舟には甘い。舟を守っているのだとも言っている。確かに、舟が何度も喧嘩で死に掛けているのに生き延びてきた裏では、この老女が祈祷でもしているのではないかという気もする。


 翌朝、すでに明るくなっているものの、まだ太陽の光が射す前に、蓮と笙子は先に神社に着いて待っていた。
 そこへ京都の狭い道には不釣り合いなほど立派な黒塗りの車が入ってくる。その音を聞きつけたのか、慌てて社務所から宮司とその家族らしい数人が飛び出してきた。
 始めに運転手が出てきて、彼が開けた後部座席からスーツを綺麗に着こなした出雲右京が出てきた。出雲は反対側の後部座席に回り、ドアを開ける。出雲の手にエスコートされて降りてきたのは、小柄で小奇麗な老いた女性だった。降り立ってすっと背を伸ばすと、小さな体が大きく見えた。
 綺麗に結い上げた髪、年に見合った控えめながらも見栄えのある化粧、それに黒留袖に珍しい龍の文様。極道の女でも演出しているのか、と思うような迫力だった。

「石屋のお婆さん?」
 笙子が呟いた。
 玉櫛、と呼ばれていた昔、この婆さんはさぞかし綺麗だったのだろうと思う。
「では、参りましょうか。蓮くん、笙子さん」
 出雲に声を掛けられて、二人は後を追いかけた。

 始めから電話を入れてあったようだ。石屋の婆さん、いや、玉櫛と出雲、神社の宮司とその家族はしばらく神妙な顔をして話をしていたが、やがて宮司の手から随分と分厚い茶封筒が玉櫛に渡された。
 やれやれ、どうにもあの婆さんの詐欺行為に手を貸しているようで申し訳ないが、庭に死体が埋まっているかもしれないよりもいいだろう。
 玉櫛婆さんと出雲が出てきて、その後にスコップを持った宮司と若い男が続いた。

「でも、私、あんまりはっきりと場所を覚えているわけやないんやけど」
 笙子が不安そうに呟く。
「心配せんでも良いえ。石に聞かはったらええんどす」
 いつもと声まで違う、と蓮は思わず玉櫛婆さんを睨んでみたが、知らんふりをされた。
 笙子はポシェットのように斜め掛けした小さな布のカバンからハンカチを取り出す。ハンカチを広げるとあの天河石が現れた。それを直に掌に載せて、それから蓮の顔を不安そうに見上げる。
 蓮はホープ・ストーンを見つめていた。

 やがて午前中の光が東山の端から光の矢のように射しこむ。笙子が驚いたように一歩後ろに下がったが、光はまるで石を追いかけてくるようだった。
 宮司は拝むように手を合わせていた。傍にいた若い男はぽかんと口を開けたままだ。
 一体、どんな演出だ、と蓮はもう一度玉櫛婆さんを見る。玉櫛は当然という顔で石を見つめている。いや、彼女の目は石の光の先を追い掛けているように見える。
 シラー効果よりもはるかに強い光が跳ね返り、虹の乱反射が森の中で木々の葉を照り返す。赤、オレンジ、黄、緑、青、藍、紫、そしてその間を埋める全ての色が互いに絡まりあう。まるで巨大な鏡のドームの中、万華鏡の中に閉じ込められたような心地がする。

 笙子がゆっくりと歩きはじめる。玉櫛は当たり前のように、出雲の手に引かれて後に続く。
 その場所に笙子が立った時、不思議なことが起こった。突然、辺りに散らばっていた虹が全て、笙子の掌に吸い込まれた。正確には、笙子の掌の上の天河石に吸い込まれた。
 玉櫛に促されて、男たちがその場所を掘った。蓮も手伝った。
 やがて宮司のスコップが何か固いものに当たった。宮司は畏敬の念を禁じ得ないような顔で、玉櫛に救いを求めた。玉櫛は鷹揚に頷いた。

 そして。
 本当に骸骨が出てきたのだ。
 だが、笙子の記憶に噛み合わないことがあった。
 骨となった遺体は服を着ていた。布はかなり朽ちていたが、黒い冬の装束だった。殺されたサンタクロースには見えない。
 こうなっては警察に届けなければならなかった。京都府警が鑑識を連れて飛んできた。
 そして、今度は笙子の記憶が正しかったことが証明された。
 遺体の下にはサンタクロースのものだと思われる赤い布の残骸があった。
 そしてその遺体の朽ちかけた黒いコートのポケットから、もう一つの天河石が発見された。






次回、最終回です。
皆様に読んでいただくのが、クリスマスを越えるような気がしますが、ちょっとお許しください。
次回はそれほど長くありません。大方の人々を上手く物語に絡めてご紹介できていたでしょうか。
この物語で私が設定した人物たちは、あとは蓮が住んでいるお寺の人たちを除くと、ただ一人になりました。
竹流の立ち位置にあたる外国人の仏師です。
でも、今回はあきらめようかな……ちらっと最後に出せるかな。

さて、次回は解決編。
サンタクロースはどうなってしまったのでしょうか。
ご期待ください。

Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(4) 

【奇跡を売る店】サンタクロース編、第4話です。
蓮の事務所を覗いてみてください。相変わらず、玉櫛ばあさん、名調子です。




 その二日後、正確には一日半後、蓮が『ヴィーナスの溜息』の片づけを終え、ママに挨拶をしたのは三時を回っていた。
 年末ということもあって、忘年会の二次会の予約も多く、客が帰ってくれるのは終業時間を一時間ほども越えることも多くなっていた。比較的時間はきっちりとしているママも、この季節だけは諦めているようだ。
 飲みに行こうという誘いを断って、蓮は事務所に戻った。
 思い出しかけていることを確認したかったのだ。

 あの神社から本当に遺体が出てきた。それが誰なのか、早晩はっきりするだろう。
 蓮が引っかかっていたのは、遺体の身元というよりも、一緒に出てきた天河石だった。
 今日の昼間、いや正確には昨日の昼間、警察が『奇跡屋』を訪ねて来た。
 石のことで話を聞く相手として適任なのは、もと玉櫛と呼ばれた石屋の女主だということになったのだろう。哀れなことに、警察はその玉櫛がどんな陰険な婆さんかということを知らない。

 蓮は二階で聞き耳を立てていた。
 婆さんは例のごとく意地悪な声で若い刑事たちをからかっていた。
「そりゃ、アマゾナイトだ。天河石ともいう。そうさ、奇石の一種だ。へぇ?あんたはんら、何の予備知識もなく、そんな偉そうな面して訪ねて来たんかい? あぁ石が可哀相だねぇ」
 とか何とか、さんざん嫌味を言った後で、しゃあしゃあと言う。
「そりゃそうさ、あれを売ったのはうちの店だ。うちにある石のことはみぃんな分かってる。石は、人間よりも顔がはっきりしているものさ。例えばあの死体よりも、よほど来歴が明確だね。誰に売ったかって? それは石が望んだ相手にだよ」
 全く、聞き込みの刑事に同情したくなる。

 それでふと思い出した。
 婆さんはあの石を親子石だと言わなかったか?
 婆さんの言う親子石というのは、もともとひとつの石だったものを割ったか、自然に割れたかしたものだ。婆さんの場合には自然に割れた石を指すことが多い。石は持ち主を選ぶという。笙子が今持っている石は、自らの意志で笙子を選んだのだ。では、その石の親子石はどこにある?

「本当は誰に売ったか覚えているんだろう?」
 刑事が帰った後で下に降りると、婆さんは大きな机の向こうに隠れるようにちんまりと座っていた。蓮が尋ねると、ぎろっと睨む。
「あぁ、覚えてるよ。私が売った相手は魁だ。その後、魁がどうしたかは知らないね」
「魁おじさんが買った?」
 この釈迦堂探偵事務所の本当の探偵、蓮の叔父だ。
「あの石は親子石だ。人と人とを強力に結びつける力がある。魁は多分、お前たちにと思ったんだろうけどね」
「お前たち?」
「三つで一組の親子石だったのさ。だから言ってやったんだ。舟はともかく、蓮が殊勝に石の力を信じて持ち歩くものかって」

「三つって魁おじさんと舟と、俺? なんで?」
「知るかい。大体、あの頃からお前は可愛くなかった。親に捨てられたからってグレてるばかりで、理屈好きで、科学こそ人間のために必要なものだとか言って、わたしらの商売を笑ってたろう。けど、科学や医学がどのくらい人間を幸せにしたっていうのかね。もっとも、あんたも途中で気が付いたってわけだ。立派なお医者様になったってのに、途中で辞めちまったんだからね」
 蓮は婆さんの嫌味を、頭半分で聞いていた。

 三つで一組の親子石。安倍清埜。どこかで見た。
「結局、魁はあの石を他の誰か、本当に必要としている人間にやっちまったんだろう。その時から石は別の持ち主のものになったというわけだ」
「あんたの力で、あの天河石を警察から預かれないのか?」
 婆さんはちろっと蓮を睨んだ。
「土から掘り出されたんだ。お前が心配しなくても、石は帰りたいところに帰るさ」
 

 蓮は二階の事務所に上がり、キャビネットを引っ掻き回した。
 探偵事務所の中は、ワンフロアの空間を幾つかに仕切ってある。階段を上って一番手前が、接客のためのテーブルと向かい合わせのソファを置いた空間。その奥が所長兼従業員のための机と本棚のある空間。そして階段からは見えない奥に、仮眠のできるベッドと流しなどの水回りがある。
 キャビネットがあるのはその一番奥の空間だった。というよりも、キャビネット自体が仕切りの役割を果たしている。

 この探偵事務所で過ごす時間は果てがない。もちろん、まともに働いている従業員は蓮一人という事務所なので、依頼があればそれどころではなくなるのだが、普段は暇で仕方がない。
 ほとんど家にも帰らなかった研修医時代から、その後の医師としての生活では、まるで私の部分はなかった。その中で蓮は自分の生活だけではなく、精神的にも追い詰められていた。

 患者はみな幼い子供だった。その死に涙する看護師や医師たち医療スタッフの中で、蓮はいつも涙を流すことができなかった。子どもを相手にするスタッフたちは皆優しかったし、子どもの不幸に涙するのに性別は関係がなかった。
 もちろん悲しくなかったのではない。悲しい以上の感情だった。悲しさは、ある程度以上になると蓮の中で飽和してしまい、塊になってどこへも行き場がなくなってしまった。人の死は致し方ないことは分かっている。だがその過程が恐ろしかった。蓮の性格はその仕事に向いていなかったのかもしれない。
 釈迦堂先生ってクールなんですね、とよく言われた。そう言われても、何とも返事のしようがなかった。

 如月海だけはそんな蓮の支えだった。釈迦堂君は感情表現がうまくないだけだよ、と海はあっさりと言った。海にも似たような部分があるからなのかもしれない。夜の医局で二人きりになることが多く、色々な話をした。基本的には海が喋っていたのだが、蓮の一言を海が聞き逃すことはなかった。
 拘束のない夜は二人で飲みに行き、いつの間にか蓮は海の一間きりの部屋に泊まりに行くことが多くなっていた。両親からはぐれて以来、叔父の魁の代から三味線と剣道の師匠であった昭光寺の和尚に引き取られた蓮には、自分の場所というものがなかったのだ。
 蓮が間違いを起こさななければ、二人は予定通り結婚式を挙げていた。

 あの頃とすっかり変わってしまった蓮の生活だったが、まともに眠る時間がないことは同じだった。
 蓮の朝は夜の続きから始まる。四条川端のショウパブ『ヴィーナスの溜息』の閉店は夜の一時だ。その後片づけがあり、店の連中に付き合って少しだけ飲みに行くこともある。蓮が住んでいる昭光寺は堀川今出川を少し北に上がった西陣にあり、蓮が自転車でそこに帰り着くのは早くても三時、あるいは五時になる。
 寺にとっては普通に朝の時間だ。少し眠り、和尚と朝食を共にする。時には逆になることもある。まるきり眠らない日もある。そして、九時半前に和子(にこ)を連れて四条河原町近くの保育園に向かう。にこはむすっとした顔で蓮の自転車の前で待っている。保育園に行きたくなくても、行くべきであると自分に科しているような気がする。

 事務所はおよそ十時には開けている。開けているが、依頼者は滅多に来ない。だから、蓮は半分寝ている日もあるのだが、どうにもこの事務所にいると気持ちが昂るのか、目がさえてしまうことが多い。多分、階下の婆さんと、奇妙な気を放っている石たちのせいだ。
 叔父の残した依頼の報告書は、丁寧に分類されてキャビネットに仕舞われている。叔父はコンピューターが苦手で、幾冊ものハードカバーのノートに綺麗な字で自分の関わった調査の報告書をまとめていた。

 ちなみに依頼者への報告書をパソコンに打ち込んで作成するのは、『ヴィーナスの溜息』に勤めている正統派ホモセクシュアルのミッキーだった。正統派、というのは、女装をしたり性転換をすることはなく、男のままで性の嗜好がホモセクシュアルだということだ。小柄だが身体を鍛えていて、『ヴィーナスの溜息』に勤めるまでは自衛隊に入っていた。魁に気があったのだろうと思う。
 あまりにも時間があるので、蓮は日長一日、叔父の調査報告書を読んでいることがある。下手な小説よりもよほどに面白い。

 今、蓮が探しているのは、その中にあった報告書のひとつだった。
 笙子の話を聞いている時に、笙子の母親の名前に何かが引っかかっていたのだが、思い出せなかった。というよりも、別の絵柄のパズルだと思っていたものが、実は今作っている絵柄のピースだったということだった。
 叔父の残した浮気調査の報告書。
 その中に安倍家からの依頼があったはずだった。
 両親は離婚したのかどうか、笙子自身は分かっていないようだったが、笙子の名前は父親の名字・三澤のままだ。三澤とばかり頭にあったので意識していなかったが、笙子から母親の名前を聞いた時、あれ、と思った。
 どこかで見た。それも何か記憶の鍵に引っかかるような形で。

 その叔父のノートの一ページに、奇妙な印象があった。そのことが今、きっちりとパズルの絵柄に嵌った。
 あった。
 蓮は仮眠用のソファベッドに座った。
 最初に「安倍清埜」と青いインクで書かれた依頼者の名前が、二重線で消され、その上に別の名前が書かれている。新たに書き換えられた名前は安倍真伍、清埜の父親、すなわち笙子の祖父だった。
 娘の夫の浮気を調べて欲しいという依頼。
 だが、何故依頼主が変わってしまったのだろう。
 その報告書の記録が頭の隅に残っていた理由はそれだけではなかった。

 叔父の調査報告書はかなり丁寧だった。浮気調査ひとつにしても、間違いがないようにと気を使っていたのが分かる。報告書にまとめられた以外にも、ノートには調査過程が細かく記されていた。だが、安倍真伍の依頼に関しては、その調査報告書に至る過程はあまりにもお粗末だった。
 だから違和感があったのだ。
 まるで調査などせずに報告書を書いたような、そんな気がする。
 そして蓮の側頭葉の引き出しに残っていた絵柄。それはこのページに残された小さな三つの丸だった。少し大きい丸と中くらいの丸の上に小さな丸が乗っているような印だ。
 三つ一組の親子石。
 誰がこのことを知っている? もうひとつの天河石を持っていた、穴から出てきた遺体? そして、三つ一組ということは、石はもうひとつ、あるはずなのだ。

 朝になったら笙子に電話をしよう。そして、もう一人のキーパーソンに会わなければならない。
 蓮はノートをベッド脇のローテーブルに投げ出し、靴を脱いで布団に包まった。布団の上からさらに毛布を被る。
 この季節の京都の底冷えは半端ない。特に、この昭和レトロを絵に描いたような建物では、地面の底から湧き上がった冷気が建物の柱や壁を這い上り、床からベッドの足を伝って、蓮の身体の奥の骨にまで沁み込んでくる。
 今、確か平成だよな。
 ここだけ昭和で残っているのか、いや、あの婆さんを見たら、明治か大正かと言われても致し方ない。最近流行の町屋をリニューアルした店のように、ここももう少し若者受けするような店構えに変えたらいい。
 目を閉じて、笙子のことを考えてみる。蓮は笙子の歌も笙も聴いたことがない。もしも聴いていたら、彼女の何かが分かるのだろうか。もしかして石の言いたいことも、蓮に聞こえるかもしれない。
 婆さんのように……

 寒くて仕方がないのに、そのまま睡魔が襲ってくる。文字通り煎餅のような綿布団も毛布も、辺りの凍った空気を吸い込んで氷のように固まっている。せめて羽根布団でも買えたら、少しは過ごしやすいかもしれない。
 でも、にこに机を買ってやりたい。座って勉強するかどうかは分からないが。
 サンタクロースの贈り物として、ランドセルを買った。でも、にこの身体にランドセルは大きい。天使の羽根ってやつにしたけれど、軽いとはいえ、同年代の子どもよりも二回りも小さい身体は隠れてしまいそうだ。教科書もノートも、にこの身体には負担だろう。そもそも教科書ってなんであんなに重いんだろう。
 それより、サンタクロースからランドセルってのはやっぱり駄目か。普通はランドセルはおじいちゃんとかおばあちゃんがくれるんだよな。クリスマスのプレゼントは、そんな必需品じゃなくて、もっと洒落たものにしてやらないとだめなんじゃないか。

 やっぱり海に頼んで一緒に買い物に行ってもらおう。小学校に着ていく服とか、少しは女の子らしいものを。いや、海は忙しいよな。明日、笙子さんに会うんだから、その時ちょっと頼んでみようか。『華連』のメンバーの中では笙子の服装が最も地味だから、まさかロックな服を選んだりはしないだろう。
 でも、あのぶすっとした膨れっ面のこましゃくれた子どもに、ひらひらの服は似合わないか……いや、馬子にも衣装とも言うし……
 それより、朝起きたら、ってもう朝に近いけれど、にこを迎えに行かないと……
 そうか、湯たんぽを買えばいいのか。いや、湯たんぽは湯を沸かすのが面倒臭いな。電気毛布で十分だ。

 ぐるぐると思考が回る。蓮は、少しも暖まらない布団を頭まで引き被った。
 ふわりと誰かの気配がする。眠りが浅いと、現実に近い夢を見ることがある。誰かがベッドの脇に立っている。
 眠っているのに、神経が昂っているのだ。こんな凍えるような部屋に現実の誰かがやって来ることはあり得ない。
 蓮が包まる毛布が引っ張られる。半分引き剥がして、蓮の身体に引っ付くように潜り込んでくる。ぴったりと蓮の身体の内側に絡み付く。

 れん、寒い……
 囁くような声が蓮の首筋に話しかける。
 微かに、ミントのような香りがした。
 幻であっても、この寒さの中では有難い。誰かが湯たんぽを持って来てくれたのだろうか。サンタクロースにはまだ早いけれど、暖かくて落ち着く。
 蓮は幻を抱き締め、ようやく安心して短い眠りに落ちた。



 全く、こいつは何だっていつもこうなんだ。
 蓮は悪態をつきながら湯を沸かしていた。短時間とは言え、深く眠ったおかげで頭ははっきりしている。
 小さな流しの側にはガスが引かれていたが、少し前に止めてもらった。火事が心配なので、電気のプレートに薬缶を乗せている。高瀬川に面した窓を、白く冷たい朝日が光色に染めていく。冷えた氷色の空気を、白い湯気が震わせる。
 湯気が勢いをつけて吐き出される頃、背中から罵声が飛んできた。
「蓮のくそ馬鹿! 解け! この人でなし! ションベン漏れる!」

 ここ何週間も顔を見ていなかった従弟は、ぐるぐるの簀巻き状態の煎餅布団の中で足掻きながら叫んでいる。煩いから猿ぐつわもしておくんだった。
「蓮!」
 蓮は沸き上がった湯でさっき豆を挽いたばかりのコーヒーを淹れて、一人でゆっくり味わいながら、小さいベッドをガタガタ言わせている従弟の顔の高さにしゃがんだ。
「寒いって言うから、巻いてやったんや」
 簀巻きにして、ついでに縄跳びのロープで括ってある。そう簡単には解けない。

「わけ分からん! 蓮のアホ! ほんまに漏れる!」
「寒いんなら、なんで裸で布団に入ってくるんや」
「蓮が寂しそうに一人で寝てるからや」
「殴るぞ」
「俺は蓮と違って一人寝なんかしたことないからな。服着て寝る必要がないだけや! はよ解けって!」
「解いてやるから、その前に白状しろ。まず、その腹の傷は何や。それから、三澤笙子とはどういう関係や」
 ぴたり、と安いベッドの悲鳴が止まる。

「ふ~ん、蓮、海ちゃんから笙ちゃんに乗り換えたんか。俺、海ちゃんとはやってへんから、どっちがええ味かは分からんけど」
 余計なことを言いかけた舟の頭を思い切り掌で掴む。
「何すんねん!」
「さっさと答えろ。淹れたてのコーヒーぶっかけるぞ」
 舟は綺麗な顔を歪ませた。

 従兄の蓮が言うのも何だが、舟の顔立ちは、その辺のちょっと綺麗な女の子と比べても、ずっと人目を惹く、ある種の色気がある。小学生の時にも、四条河原町の角で、スカウトされたこともあるくらいだから、そもそも目立つ造りなのだろう。女でないのが残念だと、ノーマルな男どもに言われたことも一度や二度ではない。通った鼻筋も薄い唇も、形のいい耳も、それにいささか危なっかしい目も。
 舟は唇の端を吊り上げて、にっと笑った。
「腹の傷は江道会の奴らとちょっとやりあっただけや。もう治っとる。三澤笙子は三日だけ付き合ったことがある。はい、おしまい。解いて」

「三日は付き合ったうちに入らん。少なくとも三澤笙子はそんなふうに思ってないやろ」
「だから処女はめんどくさいんや。言うとくけど、やってへんで。やったろ思てホテルに行ったけど、愛してるとか白けるようなこと言いよるし、付きまとわれるの鬱陶しいからやらんかったんや」
「それだけか」
「大事に思うとるからでけへん、って一応言ってやったで。けど、そんなん、普通ちょっと考えたら分かるやろ。男が勃たへんゆうことは、その女に気がないってことや」
「そんなことを言われたら、女の子は期待するやろ。お前の付き合っとる百戦錬磨の魔女や魔王らとは違う。舟、お前、そのうちほんまに殺されるぞ」
「どうでもええけど、はよ解け! ほんまに漏れる」

 蓮はコーヒーカップをサイドテーブルに置いた。仕方なく解いてやる。とは言え、自分でも惚れ惚れするくらいしっかりと結んだので、簡単には解けない。
「三澤笙子にこの事務所のことを教えたんか」
「あの女、蓮のこと知ってたで。あぁ見えて、結構食わせもんや」
 蓮が舟の従兄と知ったのか、舟が蓮の従弟と知ったのか、そんなことはどうでも良かった。

 ようやく簀巻きにしていた煎餅布団から解放してやると、舟は素っ裸のまま階段をかけ降りていった。真冬だぞ。しかも、ここの手洗いときたら、極寒の北海道みたいなものだ。全く、あいつは訳が分からない。
 手洗いは一階にしかない。まだ婆さんが来る前でよかったと思う。素っ裸で手洗いに走り込む舟を見たら、蓮が苛めたと考えるに違いない。
 蓮がコーヒーを飲んでいると、舟がすっとした顔で戻ってきた。
「あぁ、危なかった」
「さっさと服着ろ。風邪ひくぞ」

 出すものを出してほっとしたのか、舟がいつものように、妖しく芝居がかった悪魔のように綺麗な顔で素っ裸のまま蓮に近付き、猫なで声で甘えるように身体を摺り寄せてくる。
「蓮兄ちゃん、いっぺん俺と寝てみる? 忘れられんようにしたるで」
 本当に、こいつはいつか誰かに刺される。その前に、俺が刺してやろうかと思うことさえある。
 蓮は自分に触れようとした舟の手を思い切り捻り上げた。
「いててっ! 何すんねん。冗談に決まってるやろ。蓮、痛いって。俺、か弱いのに」

 舟がか弱いなんてのは全くの嘘だ。こいつは半端なく喧嘩に強い。魁が仕込んだからだが、それだけではない。
 命を投げているように見える。殺せるもんなら殺してみろという捨て身だ。だからその気迫で大概の奴らはびびってしまう。もちろん、相手によってはそれが拙いことに繋がる。ヤクザや中途半端なチンピラ相手に、命のやり取りなど平気だと息巻いて見せるのだから、それこそ痴情の縺れじゃなくても、いつか殺されるかもしれない。
 中学生のころから舟は変わった子どもで、身体は小さいくせに粋がって肩をいからせて歩いていたし、世間様からはグレていると言われていたが、それでも可愛らしい面があった。高校ではのめり込むようにサッカーをしていたが、ある時、ふとしたはずみで大学生との間で喧嘩になり、傷害事件になりかけた。何とか卒業はしたものの、大学には行かずに、今は結局、複数の女や男のヒモのような暮らしをしている。
 そして少し前から、舟は危ない連中とやたらと絡むようになっていた。

「蓮、なんか食うもんないの?」
 うぅ、寒い、と唸りながら、舟はシャツを羽織り、ジーンズを穿く。ジーンズを穿く脚はか細く見える。あんな身体で、どうして無茶な喧嘩ばかりするのだろう。
「ない。今から昭光寺ににこを迎えに戻るから、一緒に行くか」
「げえっ。あの暴力坊主に殴られるのはごめんや」
「昔みたいに百回ほど尻叩かれたらどうや」
「あの爺さん、容赦ないんやもん。商売道具の尻が使いもんにならんくなる」
「ちょうどええやないか。使えなくしてもらえ」
「ひどいなぁ。蓮は冷たい。コーヒーでええや、淹れて」
 セーター貸してと言いながら、舟は置きっぱなしの蓮のセーターを勝手に被り、首を出して甘えるような声で言った。

 こうして話していると、舟は時々昔通りの可愛らしい面を見せる。時々、だが。
 小さいテーブルは二人で向かい合うだけの大きさかしかない。捨てられるような古い異国のテーブルに、魁が自分で手を入れたものだった。
「三澤笙子にこの事務所のことを教えたのは何故なんや」
「蓮、あの女に気があるんか?」
「馬鹿言え。依頼があったんや。お前が仕向けたんやろう」
 舟は背もたれのない丸椅子を少し後ろへ傾けた。
「だって、あれこれ昔話を聞かされて、面倒くさかったんや」
「どんな昔話や」
「うーんと、あんまり真面目に聞いてへんかったから、よく覚えてへんけど。父親がサンタクロースを殺して埋めたとか」
「殺したかどうかはわからん。埋めてただけじゃないんか」
「あれ、そうだっけ?」
「他には」

 舟はテーブルに両肘をついて、身を乗り出してくる。
「やっぱり、あの女に気があるんやろ。海ちゃんに言うたろ」
「俺と海はもう関係がない」
「なんで、毎年クリスマスイヴもしくはクリスマスは会ってるくせに。今からでも遅くないから、寄り戻したらええのに」
「それはただ約束やからや」
「ふ~ん。ま、蓮兄ちゃんは他に好きな人おるんもんな。はい、どうぞ。何が聞きたいん?」
 舟はどこまで何を知っているのか、全くつかめない。勝手ばかりしていて、ちょっと顔を見せたかと思ったらすぐにいなくなり、時に今にも死にそうな怪我で倒れ込んでくることもある。このにっこりと笑う顔が、舟の心をそのまま映してくれているのならいいのにと、蓮はいつも思う。





次回、最終回です。
って、前回も書いたんですけれど……筋立ての中ではもう終わっているはずだったのですが。
実際に書き起こしてみたら^^;
舟と蓮の会話が面白くて、のめり込んじゃいました^^;
愛嬌だと思って、許してやってくださいませ。
次回こそ、終わります(*^_^*)

Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(5) 

【奇跡を売る店】(5)です。
わはは~ 多分、笑ってますよね^^; 長くてびっくりなので、2回に切りました。
クリスマスの話を来年に持ち越したくないので、今日中に2話分ともアップしますが、ゆっくり冬休みにでもお楽しみくださいませ……^^;^^;
実は、下書き(というのか推敲前本体)を書き起こした後で、ワンシーン加えちゃったのです。
それは笙子たち『華蓮』のライブシーン。しかも、ちょっと歌詞を書いてみました。
詩は学校の授業以来書いたことがないので、ダメダメですが、笑って読んでくださいませ。
あんまりロックな曲じゃないのですけれど。まるで演歌??
こんなことをしているから、長くなってしまっているのですね。

お正月には【迷探偵マコトの事件簿】マコトの冬休み:マコト、初めての北海道~X-fileをお送りします(*^_^*)
タケルと一緒にスキーだよ\(^o^)/
こちらもお楽しみに。





どうしても決められない時
あたしはあたしの中にいる
本当のあたしに聞いてみるんだ
あたしはどうしたいの
でもあたしは答えない
答えを知らないんだ
誰も教えてはくれなかったから
それなら
あたしは答えを探しに行こう
だからあたしは
あたしだけが知っている道を行く

 きぃーんと腹に食いついてくるサウンドだ。
 ボーイッシュに髪を刈り上げたギタリストの絃は暴れるヴォーカルに見事に絡みつく。そのもがく様なヴォーカルとギターの闘いを支えているベースの音は、海鳴りのようにも聞こえる。ステージまで距離があるにもかかわらず、正統派美人ベーシストのくっきりとした顔立ちは人目を惹く。
 そしてドラムを叩いているのが、セクシーダイナマイト系のリーダーだった。確実なリズムだが、ヴォーカルの癖を読んで揺らぐときには心地よく揺らぐ。このグループの曲を全てアレンジしているのはキーボードの優等生風美女だった。蓮も最近知ったのだが、音大のピアノ科の学生で、国内のコンクールで入賞したこともあるのだという。

 そして、彼らをバックにして、まるで高校生のような幼い顔をした笙子が立っている。登場した時も、熱狂する聴衆に目を合わせまいとするかのように、視線をちょっと下に向けていた。それなのに、ドラムのスティックが鳴った瞬間、きっと目を上げた笙子に蓮はびくっとした。

 彼女の咽喉から迸る声は、胸のど真ん中に飛び込んできた。音がはっきりと聞こえる。リズムやメロディーもいいが、この自己主張が強そうなサウンドの波の中で、笙子の声は明瞭に聞き取れた。
 高音が確かな高さに一気に駆け上がる。その音を聴きたいと願うところに、一瞬で連れて行かれる感じだ。そして、その高みで、彼女と同じ景色を見る。
 技術と言うよりも、これは天性のものだと思った。もちろん、何らかのトレーニングはしているのだろうが、人を惹きつける力は、やはり特定の誰かに与えられた天賦のものだという気がする。

 それにしても、西田幾多郎か坂本龍馬みたいな歌だ。『道』というタイトルだと紹介されていた。
 歌詞はすべて笙子が書いているのだと聞いた。曲はそれぞれが持ち寄るらしい。
 蓮はふと、スタンディングで身体を揺らしながら熱狂する聴衆を見回した。若い男女ばかりだが、中に明らかに異質な連中が混じっている。
 いかにも業界人らしい連中だ。『華恋』を吟味している。いや、あるいは既に争奪戦なのかもしれない。
 オールスタンディングのライブハウスは満員だった。外の寒さなど全く入り込むすきまがないくらい、ここには熱がこもっている。
「あたしこの歌好き!」
 誰かが近くで叫んだ声が聞こえた。叫ばないと聞こえない。いや、叫んでも聞こえない。

 その時、一瞬、サビに移る前に、笙子が歌を止めた。
 歌詞を忘れたのかと思った。
 聴衆はあれ、という気配を見せた。
 だが、メンバーはそのまま、まるで促すように演奏を続けている。あるいはそういうアレンジだったのかと思った途端、笙子の声がいきなり高い所から振り下ろされるように胸に飛び込んできた。
 あたしだけが知っている道を行く
 後で、笙子に坂本龍馬のファンかどうか、聞いてみようと思った。

 それにしてもおかしなことになっている。
 蓮は隣に立っている海を見る。
 海の外観には特別目立つところはない。化粧気もないし、特別優れたところなどない。忙しくなってくると、私って不細工になってるよね、とよく彼女は言っているが、確かにいささか険しい顔をしていることがある。ただ、笑うと可愛らしい。
 海の目は笙子に釘づけだった。この店に入った時は、周囲を見回して、自分の服が地味だ、絶対浮いてるよねと心配していた海も、今ではもう何も気にならなくなっているようだ。

 海の向こうに舟が立っている。曲の合間に舟が海に何か囁いている。
 周囲のざわめきで蓮には聞こえない。この二人、こんなに仲が良かったか。
 確かに、蓮と海が付き合ってた頃、舟には紹介してあった。
 初めて会ったとき、可愛い子だね、と海は言った。可愛いなんてとんでもない。中学生の時には既に女を経験していた。男の方はいつが初めてだったのか知らない。

 笙子に連絡をして会って話したいことがあると言ったら、ライブに来て欲しいと言われた。しかも、舟を連れて来てほしいと言う。
 無理な注文だと思いながらも、朝、事務所で別れた舟に連絡をしたら、普段は滅多に電話に出ないやつなのに、珍しく出た。海ちゃんと一緒ならいいよ、と妙な提案をされた。
 海は忙しいから無理だろうと言ったが、一応連絡してみたら、海も珍しく二つ返事だった。
 問題なのはむしろ蓮のほうだった。この年末の忙しい時期、急に休みをくれと言って休めるだろうか。と思ったら、ママはあっさりOKしてくれた。

 蓮、あんたは働き過ぎよ。
 確かに、普段のシフトでは蓮の休みは日曜日だ。にこと一緒にいる時間を作ってやろうと思ったのと、寺は日曜日が何かと忙しいので、手伝うためだった。日曜日は観光客は多いが、探偵事務所の依頼者は少ないし、丁度良かった。いや、にこは休みだと言っても、蓮を無視して一人遊びしているし、依頼者は日曜日でなくても少ないのが実情なのだが。
 この十二月、蓮は自ら休みを返上して働いていた。

 時々、うねる様な音の波の中で、海の身体が蓮に触れる。だが、こうしてすぐ側で身体が触れても、蓮はもう何とも思わなくなっている自分を感じる。学生時代はちょっと手や腕が触れるだけでドキドキしていた。海も同じなのか、婚約を解消してからの方が、現実の身体の距離はずっと近い。二人がよく通っている行きつけの飲み屋でも、皆が不思議がる。逆にベッドを共にすることがなくなってからのほうが、居心地は悪くないのだ。
 三人はステージから離れた扉の近くに立っていた。客席側は暗いので、笙子が自分たちに気が付いているかどうかは分からなかった。

「みんな、調子はどうだい?」
「絶好調!」
「まだまだ行けるかい?」
「どこまでも!」
 聴衆は声を揃えている。この掛け合いはお決まりらしい。
『華恋』のMCは笙子ではなく、正統派美人、ギタリストの夏菜が務めている。笙子は、歌うのはともかく、こんなところで器用に話すのは無理だということらしい。
「じゃあ次は、クリスマスにちなんで、恋の歌をお贈りするよ。と言っても、ちょっと切ない歌なんだ。だからクリスマスイヴには歌わないから、今日が今年の聞き納め。みんな、ラッキーだったね」

 皆が笑っている。だが、ギター一本のイントロが始まった瞬間、聴衆は静まり返る。俯いていた笙子が顔を上げた。
 その時、笙子の目は真っ直ぐに蓮たちのいる方向を見ていた気がする。
 見ていたのがそこではなくても、何かがすとん、と笙子の中で腑に落ちたというのか、変わったような気配があった。笙子は、始めてステージの前方へ歩いてきた。歩いてきて、まるで目の前の誰かに語りかけるように歌い始めた。

華やかに街の灯りが揺れる夜
誰かに呼び止められた気がして
ふと足を止める
振り返っても誰もいないことは
知っているのに
氷の上に落ちる雪は
そのまま氷になる
あなたに届かないこの心と同じ
あたしには分からない言葉がある
愛とか恋とか、まるで異国の言葉のよう
ただあなたを想うと
この胸は苦しくて切なくて
どうしようもないのに
心の中には真っ白な別の世界があるように
充たされている

 曲がサビに入る前に、ふいと舟が出ていった。海が気が付いて、一瞬ステージと蓮を見てから追いかけていく。
 蓮は歌詞に後ろ髪を引かれるような思いで、少し遅れてから二人の後を追った。
 ライブハウスのざわめきは扉一枚で非現実となる。狭くて暗い廊下には誰の影もないが、階段を上った先から街の灯りと賑わいが降ってくる。階段に二人の脚が、まるで寄り添うように見えいていた。
「後、頼むね、海ちゃん。やっぱり、あぁいうの、苦手なんや」
 蓮は階段の方へ歩きかけて足を止めた。

「舟くん、私、舟くんが来るって言うから、来たんよ」
「分かってる。ねぇ、海ちゃん。俺、今誰よりも信頼してるの、海ちゃんなんや。だから、蓮にも何も言わんといて。またいつか、自分から話すから」
 じゃあ、という舟の声と階段を上っていく足音が聞こえた。
 思わず、蓮は冷たい壁に背中を引っ付けていた。
 しばらく止まったままだった海の脚が階段を引き返してくる。

 海は蓮に気が付いてぴたりと足を止めた。
「何の話や」
「知らん」
「海」
 珍しく海は怒ったような顔をした。蓮もはっと言葉を呑み込んだ。
 婚約を解消してからはずっと、釈迦堂君、如月さんと苗字で呼び合っていた。始めは意識していたが、今では少し慣れてきたところだった。もっとも滅多に名前で呼びかけることはないから、蓮の心の中では、まだ海は海だった。
 恋人同士だった昔には戻らないよ、とでも言うように、海がはっきりと蓮に呼びかける。
「釈迦堂君はいつも、自分でいっぱいいっぱいやもんね。私も帰る」
 いつの間に、海と舟が個人的に会話を交わすようになっていたのだろう。しかも、蓮にも話せないような大事なことを分かち合う間柄だということなのか。

 蓮はライブハウスの中に戻る気がしなくて、そのまま冷たい廊下で立ちすくんでいた。ライブハウスの熱を持ち出していたから、身体はまだ火照っていた。それでも十二月の暮れの空気は残酷なまでに冷たい。
 このまま凍りつくかと思った頃に、熱狂していた聴衆が何人か出てきた。
「今日のショウコ、いつもに増してキンキンやったね」
「スカウトがいっぱい来とったからとちゃうん?」
「ショウコ、吹っ切れたみたいやな」
「そうそう、あの子、歌はすごいけど、あんまりステージの前の方に出てこんかったのに、ラストなんて、自分でカウント取っとったやん」
「やっぱり、メジャーになること、意識したんとちゃうん?」
「メジャーになるんかなぁ」
「なるんやろねぇ」
「なんか、京都以外の人間に知られんの、悔しいわ」
「何や、それ」
「誰にも知られたくない隠れ家的ランチのお店、みたいなもん?」
 いくつかの声が重なり合いながら、蓮の前を通り過ぎていった。

 キンキンの意味は不明だが、その理由は分かる。彼女はスカウトではなく、舟を意識していたのだ。そして、ファンらしい彼らの耳は、ちゃんと何かを聞き分けていたのだ。彼らの言葉は結構的を射ているのかもしれない。
 苦しくて切なくてどうしようもないのに、まっ白な別の世界があるように、充たされている
 笙子の歌詞の言葉に、蓮はどこか心の奥が震えるのを感じていた。


「舟、やっぱり帰っちゃったんですね」
「ごめん。約束通りじゃなくて」
 笙子はそんなことは分かっていたから、と言う顔をして、ポケットからあの天河石を出してきた。
 笙子の掌の上で、天河石は今はもう沈黙している。
「この石をポケットに入れてたら、気持ちが少し変わった感じがしました。昨日までは何だかこの石が怖くて、持っていられなかったんですけど」
 二人はライブが跳ねた後、寺町通りを四条までゆっくりと歩いていた。

 明日はもうクリスマスイヴだ。街は何かの予感と期待に震えながら、この寒さの中で色とりどりの光を灯している。通り過ぎていく人々に、それぞれたくさんの想いが詰め込まれているのだと思うと、その想いが明日、すべて満たされてあの空に昇って行けばいい、とふと願う。
「……追いかけられているような気がするって……」
「え?」
「私、何かに追いかけられているような気がするって言ってたでしょ」
「そうだったね」
「あれ、比喩じゃなかったんです」
 笙子は歩を緩めた蓮には気が付かずに歩いている。蓮は半歩だけ遅れながらついて行く。

「何だか思い出せそうで、思い出せなかったんです。私あの日、サンタクロースが埋められているのを見た日、何かに追いかけられているような気がしながら、早く家に着きたくて、近道しようと神社の境内を通ったんです。でも、誰かに確かに追いかけられていたと思う。今日、『道』を歌っている途中で、急に思い出したんです」
 あの、歌の途中で、急に止めた時か。
 笙子は立ち止まり、蓮を振り返った。
「逃げろ、笙子、って、お父さんが」
 蓮はしばらく笙子の顔を見つめていた。

 天河石は、一体何を笙子に見せたのだろう。
 いや、ただ笙子が、ここから抜け出すことを願ったのかもしれない。
 それからは無言で四条通を歩いた。風が四条河原町の角で舞っている。信号待ちの人たちも、皆が身体をゆするようにして寒さから逃れようとしている。
「警察から連絡がありました。あの遺体、父だったって」
 やがて青信号に、勢いよく人が流れ出す。蓮はポケットに手を突っ込んだ。手袋を持ってこなかったので、指の先まで凍るようだった。笙子はマフラーを押さえた。

『奇跡屋』の重い木の扉を開ける。玉櫛婆さんはもう店を閉めていていなかった。蓮は笙子を促して、二階の事務所に上がった。
「寒くてごめん」
「大丈夫。慣れてるから。うちも古い家だから、隙間風がすごくて」
 申し訳程度の電気ストーブをつけて、笙子を接客用のソファに座らせる。何となく気が引けたが、昨日自分と舟が寝ていたベッドから毛布を取ってきて膝掛けにしてもらった。
「歯型で分かったって。奇跡的に、お父さんがかかってた歯医者さん、もうおじいちゃん先生で、五年前に閉めた医院がカルテや写真ごとそのままだったそうです。蓮さんは、あれが父だと思っていた?」
「多分そうじゃないかと思っていた。ただ、お父さんは確かに穴を掘っていたんだよね」
「穴の中から、サンタクロースの衣装に包まれるようにしてお酒の瓶が何本か見つかったみたいです」
「お父さんはよくお酒を飲んだの?」
 笙子はしっかりと蓮を見つめて、頷いた。顔つきまで変わって見えると蓮は思った。いつもおどおどと人を窺っているように見えていたのに。

「不思議ですね。何も思い出せなかったのに、ちょっとしたものを見たり聞いたりすると、記憶が繋がっていくみたい。カラオケボックスに行った時も、飲みすぎちゃって、時々従業員の人と喧嘩になってた。家では、いつも優しかったけれど、お酒を飲むとちょっとわけが分からなくなってて。暴力と言うほどのことはなかったのかもしれませんけれど、結構乱暴になって。私には手を上げませんでしたけど、母は……」
 蓮は笙子の前に叔父の調査報告のページを開いて見せた。笙子はしばらくその依頼主の名前をじっと見つめていた。
「お母さんと、おじいちゃん?」
「君のお父さんがいなくなった最後のクリスマスイヴの夜、それは何年だったか分かる?」
「私が小学校に入る前の年やったから、1999年?」
「でも、ここに書かれた依頼の日付は2000年の3月になっている」
「どういうことですか?」
「もう君のお父さんが君たちの前から姿を消した後で、わざわざ依頼が来ている。そして叔父は、まるきり何も調査せずに報告書を書いている。君のお父さんが女を作って君たちを捨てたという報告書を。でも、叔父はちゃんと調べもしないで適当な報告書を作る、そんな人じゃないんだ」

 それは京都府警の刑事だったころから変わらない。人に馬鹿にされるくらい、くそまじめな人だった。だから出世とは縁遠く、重傷を負って辞めた時は警部補だった。
 それから、と蓮は言いながら、その報告書の前後のページを見せた。
 笙子はしばらく意味が分からなかったようだった。
 前のページは1999年12月18日、後ろのページは1999年12月28日。
「この依頼が初めて来たのは1999年12月18日と28日の間だ。それも多分、君のお母さんから。君のお母さんが何を依頼したのか、それを知っているのは彼女だけだよ」

 笙子はじっと黙ってそのページを見たまま、返事をしない。
「どの道を選ぶにしても、君はちゃんとお母さんと話をするべきじゃないのかな」
 笙子の家の事情は蓮には分からない。伝統を担う家の重みのようなもの、そしてそれを伝えようとする母親の切実な願い、道を選ぶときに惑う子どもの心も。それでも、笙子は選ばなければならないはずだった。
「君は本当は、僕に依頼に来るよりも、お母さんと話をしたかったんじゃないのかな。お母さんはきっと君よりも多くの事情を知っているはずだ。だけど君はきっかけが掴めなかった。もうずっとお母さんと話していないんだよね。昔のことだけじゃない、これからどうするのか、どうしたいのか、お母さんに言いたいし相談もしたい。そのお母さんが病気で、もしかするともう長くないかもしれない。今しかチャンスがない。だから、舟に話したんだ。違う?」

 笙子は顔を上げた。
「どうやって話したらいいのか分からない。だって、母は、私に笙の稽古をしてくれるだけで、厳しくて。今だって、病院に行っても会話にならないし。どうして練習しないんだって」
「お母さんも、きっかけが掴めなかったんだろうね。僕は、君のお母さんの笙を直接は聞いたことはないけれど、日本でも数少ない雅楽の演奏家だ。その人が継いでいこうとしたものが何かは、少しは分かるつもりだ。でも、お母さんだって、自分の気持ちを貫いて、君のお父さんと一緒になったんじゃなかったかな。君の今の迷いや気持ちは分かってもらえると思うけれど」

 本当は舟に頼みたかったのかもしれないが、舟は話をシャットダウンしてしまったのだろう。笙子が自分に気があることを知っていたからこそだとは思うが、それが舟の気まぐれなのか、優しさなのかは分からない。
 ふと、舟と海の会話を思い出した。
 二人は何か秘密を共有している。そのことが奇妙に胸をざわつかせる。
 笙子はやっと顔を上げた。
「私、本当は何て依頼をしたらよかったんでしょうか」
「お母さんのところに一緒に行ってもらえませんか、かな」








参考文献?

西田幾多郎:明治~昭和の哲学者。京都の『哲学の道』に碑があります。
『人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり』
(哲学の道はあの界隈に住んでいたころ、私の散歩道でした。
というよりもあの疏水沿いを散歩道にしたくて、界隈に住みました。)

坂本龍馬の句(これは辞世の句ではありません。辞世の句を詠む暇なかったもんね)
『世の中の 人は何とも 云はばいへ わがなすことは われのみぞ知る』
(確かにあなたはアスペルガー……でも実は、私は坂本龍馬友の会の隠れメンバー^^;です。
脱藩の道(複数説あり)も何度か歩きました……四国の山奥で行き倒れるかと思いました^^;)

ついでに吉田松陰、辞世の句
『身はたとえ 武蔵の野辺に くちぬとも 留め置かまし 大和魂』

もひとつついでに高杉晋作、辞世の句
『おもしろき こともなき世を おもしろく』
(後の人が下の句を「すみなすものは 心なりけり」と詠んだけれど、無い方がいいなぁ
……この余韻がいいのですね)


Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(6) 

【奇跡を売る店】(6)、大団円です。
年内に終わった!! 喜びもひとしおです。
クリスマスを過ぎているけれど、お付き合いくださってありがとうございます。

これが年内最後の記事になります。1月末にブログを始めたので、このブログの1周年はあともう少し先ですが、こんな辺境ブログに遊びに来てくださって、本当に感謝申し上げます。
さっき見たら、コメントは1776、拍手は1818……暖かいメッセージもいっぱい下さって、本当にありがとうございます。皆様のお言葉が、書いている原動力だと、改めて感謝しながら、とても嬉しくなりました。
それに、皆様のブログを巡らせていただいて、色々教えていただくことも多くて、世界がちょっと広がった気がしています。今年1年本当にありがとうございました m(__)m

ちなみに
1776年はアメリカ独立の年、平賀源内がエレキテル(発電機)を発明した年。
1818年はなんと、12月25日にオーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で『きよしこの夜』が初演された年だそうです。
なんという偶然。

さて、
お正月は、マコトが皆さんに新年のご挨拶をします!
ん? 何?

あのね、ぼくね、タケルと一緒に北海道にいるんだよ!
雪だるまになったり
おみかん、転がしたり
お餅のお化けと闘ったり、いっぱい忙しいの。
それでね、それでね、スケトウダラとか、鮭とか、ホタテとか、イクラとか………・
それでね、あのね、宇宙人がね……・
(ちょっと仔猫が1匹、初めて尽くしで興奮しすぎているようです。では、で~んとタイトルコール!)
【迷探偵マコトの事件簿】マコトの冬休みとX-file、お楽しみに!

あ、その前に、本当の最終回をどうぞ^^;
ちなみに今日は(5)(6)と続けてアップしています。(5)から読んで下さいね(*^_^*)





 クリスマスイヴは忙しい一日になった。
 もちろん、夜は『ヴィーナスの溜息』は例のごとく満員御礼、クリスマスイベントのショウも熱が入っている。
 もっとも世間はただの平日の火曜日だ。にこをいつものように自転車の前に乗せて、堀川通りを南へ下る。
 朝の空気が一段と冷たい。
 結局、まだにこにクリスマスプレゼントを買っていない。ランドセルは正月に渡すことに決めた。クリスマスプレゼントは今日、笙子と一緒に母親が入院する病院に行く前に、付き合ってもらって買うことになっていた。

「よく考えたら、蓮さん、私から調査費を取ってませんよ」
 とは言え、調査らしい調査は何もしていないし、こういう「話を聞いてあげる」「サンタクロース(結果的には白骨死体)を一緒に掘り起こす」「母親と話をするのに立会人になる」に幾ら貰えばいいのか分からない。それは魁の残した調査費用表にも載っていないのだ。
 だから、その代りに、買い物に付き合ってもらうことにした。
 昨日、同じ道を自転車で走りながら、サンタさんに何をお願いするんだとにこに聞いたら、「れんには言わない」と冷たく言われただけだった。こっそりとお寺の奥さんにも聞いてもらってみたが、やはり何も言わなかったらしい。

「やっぱり、教えてくれてもいいんじゃないかな」
 蓮の前に座って、じっと堀川通りの車の流れを見つめたまま、にこはだんまりだ。
 無駄だなと思った。にこを引き取ってから、一度も蓮はにこの笑う顔を見たことがないし、蓮が話しかけても、たまに二語文程度の簡単な答えは返ってくるが、にこから話しかけてきたことはない。
 もしかしたら、いや、多分、俺はにこに嫌われているな、と思う。
 保育所に送り届けて、自転車に跨ってから、去り際にふと振り返った。
 その時、園庭の隅を保育士さんに手を引かれて向こうに歩きながら、にこもこちらを振り返っていた。蓮と目が合うと、びっくりしたような顔になって、すぐに、つん、と目を逸らしてしまった。

『奇跡屋』の扉を開けると、玉櫛婆さんがじろっと蓮を見た。
「お前、あの娘とできてんのかい」
 笙子が朝から来て待っているという。待ち合わせは昼過ぎだったはずだ。何か予定が変わったのだろうか。
「まさか。仕事の依頼だ」
 話を切り上げようとして、ふと婆さんを見る。
「ひとつ聞いてもいいか」
「ほお、お前が前置きなんかするとは、珍しいね」
「どうして親子石のひとつがこの店に残ってたんだ?」
「さあね。魁がいなくなってから覗きに行ったら、事務所の引き出しに残ってたのさ」
「勝手に事務所に入ったのか」
「私の店だよ。魁もお前もただの店子だ。偉そうに言うんじゃないね」
「魁おじさんが買ったものだろう。勝手に取り返して店に並べて置くなんて」
「馬鹿言っちゃいけないよ。引き出しの中に仕舞われたままじゃ、石は自分を持つべき相手と出会えないじゃないか」
 蓮はしばらくじっと玉櫛婆さんを見ていた。持つべき相手と出会う?
 魁は、誰かを待っていたのか。誰を?

 事務所に上がると、笙子が接客用のソファに座って、一所懸命に何かをやっていた。
「はい、後は蓮さんがやってください」
 それはラピスラズリの小さなルースだった。
 ルース、すなわち裸石だ。ラピスラズリは、単一の鉱物ではなく、鉱物学的には主としてラズライト、アウィン、ソーダライト、ノーゼライトが集合したものだ。美しい群青色はウルトラマリンと言われ、様々な国で聖なる石と大事にされてきた。笙子の手にあるのは、小さいとはいえ、金色のバイライトが美しく浮かび上がった石だった。
「どうしてにこの誕生日を知ってるんだ?」
 幸運の石とも言われるこの石は、九月の誕生石だった。

「お婆さんに聞きました」
「またバカ高い金額を請求されただろう」
「この間、石をもらったままになってから、こっちはタダみたいなもの?」
「天河石は君のものだ。石が決めた」
 笙子は蓮の話など聞いていない。
「じゃあ、後は自分で磨いてくださいね。蓮さん、お裁縫できます?」
「裁縫?」
 そんなことはしたことがない。
「ですよね」
 笙子が小さなバックから取り出したのは、京友禅の着物の端切れだった。赤い生地に細かな菊の花模様が描かれている。用意のいいことに裁縫道具一式持って来てある。
「私の言う通りに縫ってください」

 それから約一時間、蓮は小さなお守り袋を作るのに格闘した。もっとも、手先は比較的器用な方だと思うし、小児科医だったとはいえ、人間の皮膚や血管に糸針くらいはかけられるのだが、裁縫となると勝手が違っている。
「これ、母の古い着物の端切れなんです」
 いい子だと思った。もちろん、あれこれと計算高かったり、一方では不思議な発言をしてみたり、ギャップ萌えで世間を賑わせたりしているかもしれないが、若いのだから、まとまりのない所があって当然だ。
 舟の奴、今度会ったらきっちり話をしよう。ちゃんと好きな女ができたら、あいつもあんな喧嘩ばかりしているヒモ生活を辞めるかもしれない。……そう願いたい。

「何かを買ってただ渡すよりずっといいと思いませんか」
「どっちにしても、俺から何かを貰ってにこが喜ぶとは思えない」
「確かに、愛想の悪そうな子でしたね。でも、女の顔って、正直な気持ちが表れているとは限らないですよ。それに、蓮さんからじゃなくて、サンタクロースからの贈り物ですよね」
 それは重々承知している。
 それでも、何とか裏地もきちんとつけて、小さなお守り袋を縫い上げてみたら、もう昼前になっていた。笙子は細い革ひもを結わえて、小さなラピスラズリのビーズ玉で長さを調節できるようにしてくれた。
「これで首からかけておけるでしょ。後はしっかり石を磨いてあげてくださいね。心を籠めて、ですよ」
 瑠璃の深い青。
 ここに奇跡が宿るように。

 実は今日、ヒューストンに向けて出発するという出雲右京と昼食を一緒にする約束をしていた。幸い、場所は蓮の事務所のすぐそばの天婦羅屋だったので、笙子も誘った。
 笙子と出雲は初めまして、と挨拶を交わした。
 店でも会ったことはなかったようだ。
「学会って、こんな年末にあるんですか?」
「いや、学会自体は一月なんですよ。クリスマス休暇は妻と一緒に過ごすことにしていましてね。実は今日まで授業だったのでクリスマスにはギリギリなのです。時差のお蔭で助かりますけれどね」

 実は右京には事実婚となっているアメリカ人の奥さんがいる。仕事でNASAに行っていて知り合ったのだという。お互いの仕事のことを考えて、籍も入れず離れて住んでいる。それでよく続いているものだと思うが、右京にとっては丁度いい距離感らしい。定年したら、どこに住むか、二人で考えるのも楽しいようだ。目下の第一候補はマダガスカルらしい。
「さて、蓮くん、来年こそ一緒に行きましょう。ぜひともエイダに君を紹介したいんですよ」
 いい人ですね、と笙子が言った。
 蓮くんの恋人ですか、と右京が確認した。
 笙子はいいえ、と気持ちいいほどの即答ですっぱり否定した。確かにそうなのだが、照れもなく慌てるでもなく、そんなに気持ちよく否定しなくても、と蓮は苦笑いした。

 右京と別れてからはまず図書館に行き、古い新聞を確認した。
 それから河原町通りを二人で自転車を押しながら歩いた。急いでいるわけでもなかったし、気持ちがまとまる時間が必要だと思った。
「舟のことが好きなのか」
 今さらと思いながら聞いてみたが、笙子はしばらく前を見つめたままだった。
「蓮さんの方が優しいのにね」
「あいつが無茶苦茶なのは知っているだろう?」
「うん。でも、初めて会ったとき、危ない奴らに絡まれているところを助けてくれたの」
 ありがちな出会いの話だ。
「あいつは喧嘩がしたいだけなんだ」

 笙子はぼんやりとした声のまま、ちょっと蓮の弱点を突いた。
「蓮さんも、正直な気持ちを話せない人なんですね」
 そう言って、笙子はしれっとした顔で、今朝のにこと同じように、通りを行く車を見つめている。
 その後は蓮も黙っていた。
 昼間だけは少しだけ陽が暖かい。それでも建物の陰に入ると芯から凍りつくような寒さが昇ってくる。ポケットの中に忍ばせたラピスラズリをこっそり擦ってみると、何だか少しだけ暖かいような気がした。


 大学病院に入院している笙子の母親、安倍清埜、本名彩希子は、笙子によく似ていた。歳を取っても、病に伏していても、可愛らしい童女のような顔をしている。それでも、目を開けると厳しい表情を浮かべた。蓮を見たからなのかもしれない。一体、誰が娘と一緒にやって来たのかと思ったのだろう。
「見舞いになんか、いちいち来んでもええって言うたのに」
「うん。でも今日は大事な話があるん」
 そう言って笙子は蓮を紹介した。
「この人は探偵さん。釈迦堂探偵事務所の釈迦堂蓮さん」
「探偵?」
 彩希子は怪訝そうな顔をした。蓮もあれ、と思った。

 十五年前のことを忘れてしまっているのかもしれないが、釈迦堂探偵事務所を自ら探し当ててきたのなら、この名前は記憶に引っかかってもいい、珍しい名前のはずだ。
「お父さんを見つけてくれたんよ」
 彩希子はますます不可解という表情になった。それはそうだろう、彼女の夫は、自分たち親子を捨てて他の女のところに走ったことになっているのだから。
 だがすぐ先に、彩希子の顔は不思議な表情になった。ほっとしたような、そんな印象だった。
「お父さん、どこにおったん?」
「神社の土の中」
 はっとした顔になり、それからしばらく天井を見つめたまま、彼女は涙を流した。静かな深い涙だった。

「一緒にサンタクロースの衣装と、お酒の瓶が何本か埋まっていて、お父さんはその上にいたんや。私、お父さんがサンタクロースの衣装を埋めているところを見てしもうたんやね。小さかったし、サンタクロースの衣装のイメージだけが残ってて、だからお父さんがサンタクロースを殺しちゃったんだと思ったのかも。でもそれはもうひとつの怖い記憶を消すための混乱だったのかもしれへんと思う」
 笙子の声は思ったよりもしっかりとしていた。
「警察の人がね、十五年前に幼い女の子が何人か続けて殺されるという事件があって、犯人が捕まらないままになっているんだって教えてくれた。さっき、蓮さんと一緒に図書館に行って調べてきた。お父さんはもうほとんど骨だけになってたから、死因までははっきりとは分からへんけど、肋骨に幾つか傷があって、刺されたんだろうって。お母さん、私、お父さんが『笙子、逃げろ』って言った声を覚えてる」
 笙子の母親はほうと息をついた。

 長い沈黙の後、ゆっくりと言葉を選ぶようにしながら話し始めた。
「お酒をやめて欲しいって、何回も言ったんよ。離婚の話も何回も出た。お父さんはその度に止めるって言ったけれど、その時だけやった。それでもいつもは優しい人だったんよ。きっと、私が演奏会や家の行事やらで家を空けているのが、お父さんには不満で、寂しかったんやって、今になったらそう思うけど、あの頃の私には分からへんかったんやね。お酒飲んでるお父さんとは喧嘩にしかならんくって。おじいちゃんはお父さんが浮気してるって何度も私に言ったけど、それだけは信じられへんかった。けど、あの年、十二月の始めにお父さんがお酒の席で仕事相手の人に怪我をさせてしまって、会社を辞めることになって、いつもより深刻な離婚話になって……」

 蓮は笙子の様子を窺っていたが、笙子はピクリとも動かず、じっと話を聞いていた。そう決めていたのだろう。
「お父さん、本当にお酒を辞めるから、って、それからしばらく別々に暮らしてちゃんと仕事を見つけて、それから迎えに来るからって、そんな話になってたん」
 だから笙子はあの頃、よく母親の実家の方にいることになっていたのだろう。笙子の記憶は所々笙子なりの解釈が混じっていたけれど、大筋としては合っていたようだ。

 それから彩希子は少しだけ表情を和ませた。
「サンタクロースには因縁があってね。笙子が生まれた年に、クリスマスに重なってこっちの演奏会があって、お父さんはせっかくサンタクロースの衣装を借りてきたのに残念がってて。笙子はまだ赤ちゃんだったのにね。で、その衣装で私と笙子を安倍の家まで迎えに来たんよ。そうしたら、おじいちゃんが無茶苦茶に怒って。おじいちゃんは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって気持ちだったんでしょうね。うちは雅楽の伝承者の家系や、サンタクロースが何や、って。お父さんったら、意固地になって、毎年衣装を借りてきて、最後はついに買っちゃってた。笙子のためやって。本当に笙子のこと、大事やったんやって思う。いつも笙子を楽しませようと思ってたんよ。お酒には負けちゃったけど」

 蓮は彩希子に、叔父の探偵事務所に依頼に来た理由を尋ねた。
「いいえ、私は行ってませんけど」
 1999年12月18日、依頼者は安倍清埜。その依頼内容は書かれないまま、ノートの隅に石の絵が描いてあった。そして、その上から名前を消して、新しく安倍真伍の名前が書かれていたのだ。安倍真伍の依頼は、娘の夫の浮気を確認してほしいということだった。いや、正確には、そういう報告書を作ってくれということだった。
「そうですか、あれは父が……」
 彩希子はしばらく口を閉ざした。

「夫が失踪した時、私はしばらく訳が分からなくて、鬱のような状態になっていました。失踪なのか、何か事故に巻き込まれたのか、何もわからなくて、警察にも何度も行きました。気持ちもそぞろで、ふわふわしていて、演奏中に倒れたりして、演奏活動も幾つもキャンセルして。その時に父から、夫が水商売の女性と浮気をしていて一緒に姿を消したという、その報告書を受け取りました。こういうことやから、もう忘れてしまいなさい、と言われました。笙子もいるんやから、しっかりせんと、と」
「あなたは信じたのですか?」
 彩希子は少し微笑んだ。
「いいえ。信じてあげましたけれど。だって、夫にはそんな甲斐性はなかったと思います。ただ、父はそんな芝居を打つほどに、心配してくれていたんです。だから、信じたふりをしました。でも、私が信じなかった理由はそれだけではないのです」

 彩希子は身体を起こそうとした。笙子が慌てて助けようとする。細くやつれた身体だが、まだ気持ちはしっかりとしているように見えた。
 その引出しをあけて、と彩希子が言う。笙子は言われるままに床頭台の引き出しを開けた。
 そして、中から何かを包んでいる桜色の袱紗を取り出した。
 袱紗を開いて、蓮も笙子もあっと声を上げた。

 三つ目の天河石だ。
「これは……」
「その年の衣替えの季節に、夫の服を仕舞ってあった箪笥から見つけました。手紙が付いていたんです。手紙というよりも、何かの下書きみたいな感じで、その石を包んだ紙に書いてあった。必ず迎えに来るから、これを持っていてほしい。そうしたら、笙子と一緒に三人で、笙子の石を迎えに行こうって。意味はよく分からなかったんですけれど、大事なものだ、これはきっとあの人の本当の気持ちだと信じたんです」

「では、最初に叔父の事務所にやって来た12月18日の安倍清埜さんは……」
「清埜はもともと夫のペンネームだったんです。それを私が貰いました」
「ペンネーム?」
「学生の頃、あの人、詩を書いていたんですよ。上手ではなかったと思いますけれど。私たちが付き合うきっかけになったのは、熱烈なラブレターでした。歌の詩みたいな」
 蓮は笙子と顔を見合わせた。では、やって来たのは彩希子ではなく、笙子の父親、三澤正興のほうだったのだ。正興が三澤ではなく安倍と名乗った真意は分からない。ただ、自分と妻を結びつける名前を、魁に名乗ったのだろう。

 笙子はポケットから自分の天河石を取り出した。
「それは……」
 今度は彩希子が驚く番だった。
「蓮さんの事務所は、『奇跡屋』っていう石屋さんの二階にあるんよ。私、そこでこの石を貰ったん。これは私の石やって」
「三つ目の石は、お父さんが持っていました。持ったまま、土の中でじっと十五年間、眠っておられた。いや、土の中で、あなたたちに会いたいと闘っておられた。この石は親子石なんです。もとはひとつの石で、三つに割れた、もしくは割ったものだ。だから強い力で惹かれあうんです」

 笙子の父親は、酒ともサンタクロースやらの世俗とも縁を切って、静かに考え、仕事も探して、もう一度家族三人でやり直したいと思っていたのだろう。
 多分、その日、婆さんは何かの理由で魁に店番を頼んで留守をしていたのだ。年末で忙しい時期だ。十五年前と言えば、まだ婆さんは花街でも顔役だった。
 魁は三澤正興から身の上話を聞いて、石を託したに違いない。

 まず夫婦二人できちんとやり直しなさい。そして、三人で一緒にお嬢さんの石を迎えに来てください。それまで私がこのお嬢さんの石を預かりましょう。困ったらここに帰って来てもいいんですよ。私が、あるいはこの石があなたの支えになるから。
 叔父が言いそうなことは想像できた。石を渡してしまって終わりにするのではなく、繋がりを感じていてもらいたかったのだ。家族だけではなく、ここにも心配している誰かがいることを伝えたかったのだろう。その印として、依頼者の名前と石の絵を調査記録に残していた。叔父にはそれだけで十分だったのだ。

 だが、数か月後、笙子の祖父がやって来た。叔父は何か違和感を覚えたに違いない。だから、安倍清埜の依頼の上にわざわざ名前を書き替えた。
 この男を探して欲しい、という依頼ではなかったのだ。叔父は、娘の哀しみに終止符を打ってやりたいという安倍真伍の気持ちは汲んでやりたいと思った。だが違和感は消えなかったのだろう。三澤正興が、あの石を受け取って間もなく女と逃げるなんて信じられないと。

 依頼を受けたわけではないから行動を起こすことはできない。だから、その違和感を忘れないために、わざわざ消した跡を残したのだろう。
 もしもあの男の行方を捜すとしたら、それは叔父のするべきことの範囲を越えている。小説によく出てくるお節介な探偵ならそうするかもしれないが、よく知りもしない家族の事情を掘り返すことにもなりかねない。叔父は、現役刑事であった頃に、真実を突き止めようと越権行為をして、何度も痛い目にあってきていたのだ。
 だから、待っていたのだろう。いつか石が結び付けてくれる絆を。

「お母さん、私の知りたいことはひつとだけやねん」
 笙子がぴしっとした声で言った。
「お父さんのこと、愛してたん?」
 三澤彩希子はふと目を伏せた。
「嫌いやったら、とっくに別れてたよ。十五年も、三澤のままで待ってへんかった」
「そんなら、ええねん」
 笙子は頷いた。それだけでええねん、ともう一度確かめるように呟いて、そしてあっさりと立ち上がる。

「ほんなら、お母さん、私もうリハーサルに行かんと」
「『華恋』のか」
「知ってたん?」
「知ってたよ。笙子のことは何でも知ってる。笙の演奏家になって伝統を守って欲しいって気持ちは今でも強いけど、だから笙子に嫌われてもと思って厳しく教えてきたけど、最後は、笙子が一所懸命になれるものを選んで欲しいって思ってる」
 笙子は答えずにマフラーを巻いて、じゃあと言った。彩希子は頷いた。
 蓮を促して出ていきかけてから、ふと足を止める。
「明日、警察にお父さんとお父さんの石を迎えに行ってくる。お母さん、どうする?」
「一緒に行こう。外出できるか、聞いてみるね」



「てことは、犯人はまだ捕まってへんて言うことやん」
 クリスマスイブの朝の新聞には、神社の境内から掘り出された白骨化した遺体のことが載っていた。もちろん、『ヴィーナスの溜息』でもちょっとした話題になった。
 笙子がわざわざライブの前に『ヴィーナスの溜息』に寄って、あの時はお騒がせしました、蓮さんのお蔭で事情が分かりました、と挨拶をして行ったのだ。

「そんで、これ、遺体の方が笙子ちゃんのお父ちゃんやったんでしょ? じゃあ、笙子ちゃんが見たサンタクロースは?」
「馬鹿ね、それは衣装だけだったのよ」
「じゃあ、笙子ちゃんのお父さん、何でサンタクロースの衣装を埋めてたわけ?」
「ただ酒を運ぶのに使ったんじゃないの。妻と子のためにもうお酒は絶つ、って決心したのよねぇ。愛よねぇ。私には絶対無理だけど」
「あんたの酒は陽気だからいいのよ。しかも、どんなに飲んでも、ざるみたいにこしてるだけじゃないのよ」

「でも、これは儀式なんじゃないの」
「儀式?」
「酒とか過去とか、あれこれ埋めて、自分を新しくする儀式よ。だから神社の境内で誓ったんだわ。なんか、分かるわぁ」
「笙子ちゃん、けなげやったわねぇ。今度うんとサービスしてあげよ」
「結局、それで犯人は? 笙子ちゃんのお父さんを殺して埋めた犯人。つまり、十五年前の幼女連続殺人事件の犯人? 笙子ちゃんのお父さんは笙子ちゃんを守ろうとして殺されちゃったんでしょ」
「こんなやつ、死刑よ、死刑。生きたまま埋めてやったらええわ」
「ちょっと、怖いこと言わんといて。クリスマスイブなんよ」
「十五年も経ってたら、もうお宮入り間違いないわよねぇ。時効がなくなったとはいえ……」

 多分、父はあの日も酔ってたんですよね。だから私を逃がすのに精一杯で、自分はやられちゃって。結果的に自分の掘っていた穴に埋められて。
 笙子は声の震えを押さえていたが、彼女の静かな怒りが蓮にも伝わって来た。

 話題はそれ以上長くは続かなかった。看板の灯りをつけた途端から、怒涛のような忙しさになった。蓮も全く立ち止まる時間がないくらいに、カウンターとテーブルを往復した。この日ばかりは、たまに客との会話にも参加しなければならなかったし、一、二杯の酒の相手もしなければならなかった。
 それでも、何となく、笙子のことは大丈夫だという気がした。彼女は結局打たれ強い、その力を秘めている気がする。

 結局、空回りして前に進めないのは俺だけか。

 事もあろうに、その日、舟がどうやらその手の相手の一人と『ヴィーナスの溜息』にやって来た。相手の男はきちんと上等のスーツを着ているが、目つきからは只者ではない。ヤクザの幹部といった風情だった。
 蓮は丁度カウンターに入っていた。
 わざとらしく身体を引っ付ける二人に、蓮は思わず水をぶっかけてやろうかと思った。それでも、海との会話のことは聞けそうになかった。

「これ、俺の兄ちゃんなんや」
 へぇ、と相手の男は低い声で相槌を打っただけだった。
「そういや、笙ちゃんからの依頼、無事に完了したみたいやん。どうせ蓮、ただ働きやったんやろ」
 舟はもうほとんど自力で座っているようには見えない。
「お前、ええ加減にせぇよ。どんだけ飲んでるんや」

「あら、珍しい、蓮の関西弁」
 ママが煙草を燻らせながら言う。
「うんにゃ。蓮はいつも関西弁やで」
「店では標準語しか聞いたことないわねぇ。それだけ、舟には心を許してる、ってことなんね」
「俺も、蓮には心を許してるんやぁ」
 ふにゃふにゃで舟が言う。いらっとして蓮は低い声で答えた。
「関係ない。従兄弟だからだ」
 海には言えても、俺には言えないことがあるくせに。

 あの日の朝、蓮は舟に叔父の描いた石のような三つの印を見せた。舟は直ぐにそれは天河石の親子石だと言った。
 これ、魁の石や。大きいのが魁、中くらいのが蓮兄ちゃん、で、少し小さいのが俺。でも、蓮兄ちゃん、あの頃、グレてたやん。一緒に住もうって魁が言ったのに、いややって断ったんやろ。ほんであの暴力和尚のいる寺に行っちゃって。せっかく魁が石を三人のためにって、置いてたのに。
 舟は父親のことを親父とかパパとか呼ばずに、魁とファーストネームで呼んでいる。魁がそう仕向けたようだ。

 グレてたって、小学生の時のことだ。自分にだけ親がいないのが気に入らなかった。それならいっそ、まるで関係のない場所に住みたいと思った。……ような記憶がある。もっとも、小学校三年生の自分が、そんなに大きなことを考えていたわけはなく、恐らくただその瞬間に何かが気に入らなくて、魁にあたっただけなのだ。
 しかも、その時、舟は三歳だ。何も覚えているわけがないくせに、まるで自分がその現場に言わせたように話すのが、ちょっとだけ蓮の気に障った。

「でも、石と俺のお蔭で一件落着。あとは、幼女連続殺人犯を捕まえなくちゃね~」
「石がどうした?」
 渋い声のヤクザだ。こんな騒音の中でも下から響いてくる。
「俺の親父ね、石屋の二階で探偵事務所してたわけ」
 あ、今はこの人が留守番探偵ね、と蓮を指す。
「探偵事務所に相談に来るやつって、ちょっとこことここがやられてるやん」
 舟は胸と頭を指した。
「で、たまに切羽詰った顔してる依頼者には、石をお守りや言うて渡しとったみたい。その石がねぇ、石屋の婆さんの念力ですごいパワーを発揮するんやなぁ。ドラゴンボールみたいやろ~」
 魁が本当に石の力を信じていたのかどうかは知らないが、少なくとも石の力を信じることで、人が前に向かって歩けるならば、それでいいと思っていたのだろう。

 舟はヤクザの腕に絡み付きながらしゃべっている。ヤクザはしょうがない奴だと言わんばかりに舟の身体を抱き止めている。
 どっちでもいいが、殴ってやりたいと蓮は思って、カウンターの内側で拳を握りしめていた。わざわざここに来て絡むな、と言いたい。

 その時、ポケットで携帯が震えた。
 少し時間が開いた時に裏で確認すると、海からだった。
< 昨日はごめんね。ちょっといらっとしてて。今日は急患で、朝までかかりそう。明日、会える? 和子ちゃんのことも相談しないとあかんし。
 舟のことを相談してくれと思ったが、蓮はいつものように短い返信を送った。
< 了解。じゃあ、明日、うんぷで。
 うんぷは、病院の近くにあって、いつも蓮と海が夕食兼飲みに行っていた店だ。運否天賦から取った店名らしい。同世代の若者がやっている。

 クリスマスイブはショウが終わる十一時で開放してもらうことになっていたが、予定が変わったから最後までいると言うと、ママは抱きつかんばかりにして「助かるわ~」と言った。その代り、明日は早めに切り上げててもいいですか、と断っておく。
 店内に戻ったら、舟はいなかった。あのヤクザとクリスマスイブをいちゃついて過ごしてやがるのか、と思ったら腹が立ってきた。全く、女でも男でもお構いなしだ。
 だが何より、舟の言うこともやることも、ちゃんと理解できていない自分に最も苛ついていた。
 いや、何となく、分かっているのだ。それを舟が自分に言ってくれないことに苛ついていた。
 舟は、魁の行方を捜している。だから、危ない奴らに絡んでいっている。
 舟が蓮に何も言わないのは、蓮には和子がいるからだ。和子にもしも危険が及ぶとしたら、たまらないと思っているのだろう。

 店が終わって、例のごとく飲みに行く話になった。
 イベントの日に店がはけた後、この店の打ち上げの場所は決まっている。人の家のような店で、実際にママの兄弟分、いや姉妹分にあたる人の家兼店だった。人の家に上がり込むような感じで、昼まで飲むのも食べるのも、踊るのも歌うのも、寝るのも自由というところだ。
 誘われて、少しだけ顔を出そうと思ったが、和子に渡すラピスラズリがポケットの中に突っ込んだ手に触れた。
「済みません、今日は帰ります」
「あらぁ、誰かいい人と待ち合わせ?」
「ええ、サンタクロースの仕事があって」

 本当に和子が欲しいのは、誰か、自分を一番に考えてくれる誰かが傍にいることだということくらい、蓮にも分かっている。
 親に捨てられたのは、蓮も、和子も同じだった。
 だから、蓮は和子と一緒にいる。

 自転車を押しながら鴨川を渡ると、雪がちらついてきた。
 今年も暮れていく。新しい年が来たら、和子と一緒に初詣に行こう。
 どうせ和子は楽しいとか嬉しいとか言わないけれど。
 携帯が震える。
 コンクリートの橋の欄干に自転車を凭れかけさせて、冷たい指で確認する。
< 星が綺麗だな。
 蓮は空を見上げた。雲が少しかかっているが、切れ間に星があるのだろう。街は明るくて、多くの星は見えない。もしもどんなに遠くも小さなものも見えたら、この空は暗い所がないくらい星が瞬いているのだ。
 それでも、街の灯りにもかき消されずに瞬く数少ない星が、愛おしく思える。
 あの男が住んでいる大原の村では、多分もっと多くの星が見えるだろう。

< 見てるよ。
< 何してる?
 電話をかけようかと思った。だが、声を聞けば心配になる。顔も見たくなる。
 俺は、やっぱりどこか変だな。色々なものに捕らわれている。
< 橋を渡ってる。
< 早く帰れ。風邪ひくぞ。
 人はみんな不器用だ。上手く伝えられない心を持て余す。恋人でも、家族でも。

 すぐにもう一度、メールが来た。
< おやすみ。
 しばらくじっと白い画面に浮かぶ文字を見つめていた。何かもっと気の利いた言葉を言いたかったのに、何も出てこなかった。
< おやすみ。
 蓮はしばらく橋の欄干に冷たい身体を預け、鴨川の流れを見つめていた。
 粉雪がちらちらと川面へ落ちていく。
 笙子の歌声がまだ心に残っていた。

あたしには分からない言葉がある
愛とか恋とか、まるで異国の言葉のよう
ただあなたを想うと
この胸は苦しくて切なくて
どうしようもないのに
心の中には真っ白な別の世界があるように
充たされている




 朝起きたら、粗い木彫りの小さな仏が寺に届いていた。
 円空仏のように勢いのあるノミの跡だが、どこかに優しさが沁み込んでいた。
 そのノミの跡を指で触れるだけで心が落ち着いた。
 お前が必要だろうって、早朝に大原から届けに来たぞ。
 何が伝わるのだろうと蓮は思う。聖夜には魔法がかかっている。
 蓮はそれを笙子と彩希子に届けて、十五年も土の中で石を握りしめて、家族を待っていた三澤正興へのせめてもの供養にしてもらおうと思った。

 和子はいつものようにむすっとした顔のまま、首にラピスラズリの入ったお守り袋を下げて、自転車の前でヘルメットを持って蓮を待っている。
 蓮は今日も和子を自転車の前に乗せて、堀川通りを下る。

 年が明けて間もなく、『華恋』のメジャーデビューが報じられた。
 デビュー曲は『道』、そしてそのカップリングになっている新曲に、蓮は度肝を抜かれた。
『あたしは知っている』
 この曲には笙子の過去と共に、逃げ得は許さない、時効廃絶に伴い更なる捜査協力を求めるという警察からのメッセージがつけられて、話題を呼んだ。

「いやぁ、あの子、やっぱりぶっ飛んでるわねぇ」
「どこか不思議ちゃんだものねぇ」
「でも俄然、応援しちゃうわぁ」
『ヴィーナスの溜息』はまたもやその話題でもちきりだった。

 蓮はどいつもこいつも、と思わず悪態をつきながらも、笙子の決意は怖いくらい清々しいと思った。舟とあの子はどこか似ているのかもしれない。
 犯人が出てくるかどうか、笙子は囮になるつもりなのだ。もしかすると、その男は玉櫛婆さんのかけた石の呪いで、どこかでのたれ死んでいるかもしれないけれど。
 何もかもこれからだ。あの三つ揃った親子石の力が過去を打ち砕いて行くだろう。
 天河石、アマゾナイトの力、それは過去のトラウマを打ち砕き、前に進む道を示すこと。未来の希望を見せるホープストーンなのだから。

あたしは知っている
パパを殺したその男の顔を
あたしは知っている
パパがどれくらい
あたしを愛していてくれていたかを


【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件・了……または、続く
もう1話、エピローグに「真実」があるかもしれません。続きは『サンタクロースの棺』で。




さて、この物語、全く新しい登場人物たちでお送りいたしました。
クリスマス企画として、もっと短いお話(前後編)でお送りする予定が、あまりにもキャラたちが濃くて、長くなってしまいましたが、お楽しみ戴けましたでしょうか。

私の中では、真を幸せにする企画ではありますが、実際は真シリーズとは独立しております。
設定の一部(寺に住んでいるとか、両親がいないとか、叔父(真シリーズでは伯父)が失踪しているとか)は被っていますが、あまり関係ないとも言えます。蓮と舟は、足して2で割ったら真に近いけれど。

書きたい石はいっぱいありますが、またいずれ、ゆっくり石を語りましょう。
巨石ではなく、こちらは小さなパワーストーン。
でも、石の力を引き出すのは、自分自身なのですね。

この設定のプロローグとして書いたものですが、本編を書く予定は今のところありません。
でも、単発で登場するかもしれません。真シリーズがだんだん苦しいお話になっていくので。
ちなみにもともと考えていたお話は、にこと蓮の話。だから次の主人公はにこ、かも。
笙子と舟も、実はいいカップルなんじゃないかと思ったりしています。
あ、笙子は、きっと笙もやると思いますよ。
ロックと雅楽、それもまたいいじゃないか、と。

さて、笙子の名前と設定は、大昔のドラマ『不良少女と呼ばれて』から取りました。
リアルタイムでは見ていなかったのですが、大筋は知っていたので、ちょっと頭に残っていて。

笙子の書いたぶっ飛びの新曲
「誰よりもあなたが知っているはず
 自分がしたことを」
何て感じの歌詞をくっつけようと思ったけれど、語呂が悪いし、パパへの愛で終わりたかったので端折りました。
でも、歌のBサビくらいにはこの言葉がついているんじゃないかな。

最後に登場した、名前も出てこない、大原に住む仏師こそ、竹流が原型になっている人物なのですが、今回はチラ見だけでした。多分、設定はこの人が一番、当の竹流に近い。ヴォルテラの御曹司の予定なので。
でも、結論が違う。
蓮とどんな関係って?
えーっと
隠すほどでもないので白状。

蓮は、自分がある女性と間違いを犯したので、海と自分は婚約を破棄したと思っている。
海は、蓮には好きな男がいるので、蓮と自分は婚約を破棄したと思っている。
(それに実は、海は結婚によって仕事をセーブしたくなかったんですね。今の距離が心地いいと思っています。)
で、その真実は……気持ちはものすごくあるけれど、エッチな関係ではないのです。
でも、蓮はあれこれ心配ごとが多すぎて(舟も和子もいるし、魁も探したい気持ちもある)……

天麩羅屋も実際にあります。あの頃は、ランチは500円だった……
ボリュームもあったけれど。
味噌汁が美味しかったなぁ。


では皆様、よいお年を!!
お読みくださいまして、本当にありがとうございます(*^_^*)

Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロースの棺~おけら参り 

【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件、もう一つの結末です。
始末篇、と言った方がいいのかもしれません。
この方が納得される方もいるかもしれませんし、こういう思わせぶりなすっきりしない結末はイヤって人もいるだろうな、と思いつつ。
せっかく皆様に「読後感が良かった」とほのぼのしていただいた後で、何をする……って気もしますが。
でも、本当は15年も前のこと。正直なところ、誰の記憶もあてになりません。
あるいは、15年間、みなが別の物語を上塗りしてきたかもしれない……

やっぱり天邪鬼な大海がお贈りする、もう一つの物語。
とはいえ、蓮の勘繰りすぎかもしれませんので、皆様が自由に結末をつけて下さればいいなぁと思います。

そして、前回はあまり出してやらなかった、もう一人の重要人物。
新年を迎えた蓮と和子と共に、彼をご紹介したいと思います。
蓮にとって、血の繋がらない、心の家族で迎える新年、かもしれません。





「あれ? 天河石? それ、どうしたん?」
 大晦日の日、蓮はぼんやりと、涙型に研磨されチェーンをつけた天河石のネックレスを見つめながら、『奇跡屋』の二階で人を待っていた。
 日中はどれほど寒くても、太陽の光とはこれほどまでに有難いものだということを思い出させてくれる。だが、いったん陽が落ちると、気温は一気に零に近付く。灯りや人の体温が作り出す温もりのないこの事務所では、尚更それが身に沁みた。

 蓮は接客用のソファに寝転がるようにして天河石を見つめていた。
 ソファの背から舟がその天河石を覗き込んで来る。
 天河石から視線を舟に移すと、そのあまりの近さに一瞬驚く。いや、驚いたのは、舟の目が魁にそっくりだということを改めて発見したからだった。親子だから当たり前なのだが、何故かそのことが心の深い所に沈みこんで広がっていく。
 連の従弟である舟は、男の連から見ても妙に色気のある顔つきをしている。美青年の範疇に入るとは思うが、口を開いたら関西弁丸出しの憎まれ口だ。だが逆にそれが人の気を惹きつける。二重の意味で、この生意気な唇を黙らせてみたいと思う連中が確かにいるのだ。栗色の目、少しだけ染めている明るい髪の色、そして細っこい身体。だがこう見えて、喧嘩には滅法強い。

「あ、分かった。海ちゃんにプレゼントや。あれ、クリスマスに会ったんじゃなかったん?」
 蓮は黙っていた。婚約を破棄してからも続いていた二人のクリスマスの逢瀬が、初めて途絶えた。喧嘩したわけではなく、海が診ている入院患者の容態が悪かったのだ。そういうことはあり得ると言えばあり得ることなのだが、たまたまこれまでは数時間程度の時間を何とか作ることができていただけのことだ。
 そういう仕事をしている、としか言えないし、そういう仕事を選び、続けている海には、彼女なりの優先順位がある。
 天河石に何か気持ちを託そうとした訳ではないのだが、たまたま一階の店で目に入ったのがこの石だった。

 この石を見ていると、ずっと引っかかっていたことが頭の隅で蠢きだす。
「何か気になるん?」
 蓮は舟の目を黙って見つめる。
 一体、こいつは何をしているのだろう。そして、一体何を俺に言えないままでいるのだろう。
「何か腑に落ちないんや」
「何が?」
「あの時……警察を呼んで、神社の裏手から笙子さんのお父さんの遺体を掘り起こした時、何てのか、妙な感じがあったんや」
「妙な感じ?」
「まるで棺を開けているような気がした」

 舟はふーん、という顔をして、少し茶化すように言った。
「棺? 考古学者の発掘みたいやな」
「あの遺体はサンタクロースの衣装の上に寝かされていたように見えた。それから一升瓶が数本。まるで棺にその人が生前に好きやったものを納めるみたいや。幼女連続殺人犯がそんな洒落たことをするとは思えへん」
「それは笙ちゃんのお父さんが自分で埋めたんとちゃうん? 大好きやったお酒の棺として」
「そうだな、そういう話に納まった」

 蓮はじっと舟を見つめたまま、そして舟も答えを知っていて回答者を試すようにじっと蓮を見つめている。
「お前、何かあの子に吹き込んだんやないのか?」
「俺が何を?」
「あの子がまだ小学生にもならない時の記憶がそれほど正確とは思えへん。十五年も前に見た出来事や人の顔なんて、普通は覚えてへん。もしかして何かを見たんやとしても、子どもの彼女がどう解釈してどう記憶したか、記憶ほどあてにならんものはない。今確かな事実は、三澤正興さんが埋められていたこと、あの頃、幼女連続殺人事件があってまだ犯人が捕まってへん、それだけなんや」

「んで、俺が何を吹き込んだって?」
「その時、誰かに追いかけられてなかった? なんて聞いたんとちゃうんか?」
「それで? 俺が誘導尋問で、真実とは全く別物の彼女の記憶をでっち上げたとか? 蓮兄ちゃんは、もしかして、笙ちゃんはもっとショックな場面を見たとか思ってる? たとえば、お父さんは穴を掘る前からもう死んでて、そのお父さんを埋めてたんは、彼女もよく知っている誰かやったとか。そう、例えばおじいちゃんとか、お母さんとかね。だから彼女はショックのあまり、記憶が混乱してる。あるいは別の物語に作り替えて、記憶の引き出しに仕舞っている。で、家族はみんなで庇い合ってるとか」
 微かに笑うような舟の口元が、窓の外からの光で揺らめいて見えていた。

「……なんちゃって」
「お前、誰かに何か頼まれたのか」
「誰に? 安倍家の誰か? あるいは気まぐれな玉櫛婆さんとか? でも、兄ちゃんは笙ちゃんのお母さんと話したんやろ。死を前にした人が嘘つくって思うんか?」
「最後まで何かを守るってこともあるやろ」
「雅楽の家の名誉とか、父親が本当はもっともっとダメな人間だったということを娘に知られたくないとか? だったらそれでもええやん。もしかしてダメ親父でも、間違いを犯した母親でも、笙ちゃんは愛されてたと思うで。そりゃ言葉や行動は伴ってなかったかもしれんけど。それやのに、蓮兄ちゃんは何かを暴きたいんか?」
 蓮にはもう答えることも聞くことも何もなかった。

 何があったのか、鍵となる人物が口をつぐんで墓場まで持っていく覚悟であるなら、もう何も表には出てこないだろう。
 それに、何よりただ蓮の思い過ごしかもしれない。
 あの場所がサンタクロースの棺に見えた、などということは。
「大体、十五年も前のことや。大人だって、正しく記憶しているとは限らへんで。その十五年を過ごす間に、少しずつ記憶が修正されてしもうたかもしれへん。あるいはこんなん勘繰る方がおかしくて、もしかして、全て蓮兄ちゃんや笙ちゃんが聞いた通りかもしれへん。俺は、これが正しい答えやと思うけど」
 こんな時、魁はどうしていたのだろう。刑事だった頃なら、どうしていただろう。そして、刑事を辞めて探偵になった後なら、どうしていたのだろう。
 そしてもしかして、笙子自身、何かを感じながら、全て内に畳み込んだかもしれない。ただ強く生きるために。前を向くために。本当のことを知っているのは、その人自身なのだ。

 舟がふいっとソファから離れた。そして呟くように言う。
「蓮兄ちゃんは、良心であろうとする」
「何やって?」
「白か黒か、自分の中で収めようとするんや。自分の良心が傷つかないように生きてる。だから医者もやめて、和子を引き取って……けど、良心にだけ従ってたら、自分を追い詰めるんとちゃうんか。自分で自分を窮屈にしてるように見える。時々他人にもそれを求める」
 蓮はソファに座り直した。
「じゃあ、お前はどうなんや。俺に何か言うてへんことがあるやろ」

 舟は答えずに蓮の前に回ってきて、手を出した。
「何や」
「それ頂戴」
「石か?」
「海ちゃんやのうて、俺に頂戴。俺に希望を分けてくれてもええやろ」
「女のするもんやぞ」
「だって、兄ちゃん、昔、魁の石を拒否したやろ。それであの親子石は俺らの手から他の人んとこに行ってしもうたんや」
 それもそうだ。

 蓮は天河石を舟の手に載せる。舟の手の上で、天河石が弱い光を返している。太陽の光を受けたなら、虹が見えるはずなのに、今はただ弱く青く揺らめいているだけだ。
「そんなええもんやないで」
「うん、構へん」
 舟は自分でネックレスを首に回す。
 和子がつけているラピスラズリのお守り袋を思い出す。あれから、有難うも嬉しいとも言わないが、和子はほとんど肌身離さずつけてくれていた。

「あ、除夜の鐘や」
 冷えた町の空気を伝わって、今年最後の鐘の音が二人の空間にも届く。小さな箱の中で、ソファも机もベッドも本棚も、小さなペンや流しのコップとスプーンも、まるでおもちゃの作り物のように儚く思える。そして、自分たちもまた、小さな人形のように静かに佇んで、鐘の音を聞いている。
「お前、どっかでひとつ、鐘つかせてもろうた方がええんとちゃうんか。煩悩まみれやろ」
「蓮兄ちゃんこそ」
 そう言って舟はふっと笑う。蓮も何となく笑みを返す。
「ほんなら、俺、もう行くわ。年の始めにハッピーニューイヤーを言う最初の相手が蓮兄ちゃんて、何や悲しいし」
 愛想なく舟は背を向け、階段を降りていく。蓮は手を挙げただけで、何を言えばいいのかも分からない。兄弟で別れる時の挨拶というのは、本当に適当なものがない。もうすぐ新年を迎えるこの時であっても、じゃあ、ああ、だたそれだけだ。

 舟の足音が階段を降りていく途中で、表の扉が開く音が重なった。二階にまで風が舞い込んで来る。
「凌雲先生、今年もおけら参りですか」
 舟の声。
「舟、お前も一緒に行かないのか?」
 穏やかでよく通るハイバリトンの声が、微かな空気の動きと共に伝わってくる。
「遠慮しときます。また大原に行きますよ。やぁ、にこ。風邪ひかないように行ってきぃや」
 待ち人が来たので、蓮もダウンをとって袖を通し、マフラーを掴んだ。階段を降りると、和子と一緒に、大原に住む長身の仏師が蓮を待っている。

 いつも作務衣姿なので、このような普通に一張羅のスーツを着ている格好は珍しい。外国人とは思えないほどに和服も作務衣も似合うのだが、それはこの男が世俗を捨てて仏像制作に、寝食の時間以外のほとんどを当てているからなのかもしれない。
 くすんだ金の髪、青灰色の瞳、見つめられると自分が彼にとっての特別な人間であると勘違いしてしまいそうになる。彼の怖いくらいに整った綺麗な顔を見ていると、神というのはどれほど素晴らしい芸術家なのかと思わずにはいられない。尤も、大方は「いまいち」の作品を作っている気がするのだが。
 どういう出自なのか、彼はまるで語らないが、その立ち姿だけでも、特別な生まれではないかと思わせる。日本に住んですでに十五年は過ぎているというし、もう故郷に帰る気持ちはないのかもしれない。
 少なくとも蓮は、そして多分、舟や和子も、そうであってほしいと願っている。

 大和凌雲という号は、蓮が中学生の時から変わっていない。本名はもう忘れたと本人は言う。
 凌雲は蓮が小学生の時から世話になっている寺の住職の知り合いで、もともと蓮の家庭教師だった。頼るべき両親を失った蓮にとっては、親でもあり兄ともいえる存在だった。魁が頼んだのかどうかは知らないが、根気よく、本当の親以上に我慢強く、蓮の面倒を見てくれた。
 ちなみに凌雲は舟の面倒を見ていてくれたこともあるし、今でも舟は時々大原に行ってこの男を頼っているようだ。そしていつの間にか、和子もこの男には懐くようになっている。

 大晦日から正月三が日を一緒に過ごすようになったのは、いつのころからだったのだろう。蓮が仕事を始めてからは、逆にその三日間以外を共に過ごすことは難しくなった。病院に勤めていた時も、辞めた後でも、蓮の生活は二十四時間何かに当てはめられているからだ。
 それでも、いつもどこかで心配している。特に寒い冬は尚更だ。彼の住む大原の庵は、心を鎮めて仏像を彫るのにはいいのかもしれないが、一人で過ごすには寒すぎる。
 仏像を彫ったまま、いつの間にか息絶えていても分からないのは困ると言って、何とか説き伏せて携帯電話を持ってもらったのは去年のことだった。始めは蓮の名前しかなかった彼の携帯にも、今ではいくつか契約相手の電話番号が登録されている。とは言え、ほとんどの契約相手は昔からの馴染みで、彼がほとんど電話に出ないことを知っているので、直接庵を訪ねてくる。

 八坂神社まで、心臓の病気を持つ和子の足では少ししんどい。それでも途中までは和子は一生懸命歩こうとする。やがて四条大橋を渡った辺りで、和子は蓮ではなく凌雲のオーバーコートの裾を引っ張る。凌雲が和子を抱っこして、そして黙ったまま八坂神社までの道をゆっくりと歩く。
 大晦日の四条通、八坂さんの鳥居の赤に滲む街灯、祇園の赤い灯、往来する人々や通りを往く車でさえもまるで現実のものではないように思える。縄の先についた小さな火を絶やさないようにと、くるくると回しながら行き過ぎる家族連れを、和子は凌雲の肩越しからじっと見つめている。後ろを歩く蓮と目が合うと、きっと唇を引き結び、凌雲の肩に顔を埋める。

 こうして歩いているうちに、いつの間にか新年を迎える。
 ただこうして今年から来年へと、昨年から今年へと当たり前に連続した時を歩いているのだ。それはただ昨日から今日への道でもある。延々と続く時間には、切れ目も区切りもない。
 ただ、道端でカウントダウンをする若者の集団の声で、新しい年になったと分かるだけなのだ。
 ものすごい人出だということは分かっているのに、あのような山の奥に住んでいて人恋しいこともあるのか、凌雲は嫌がらずにこの人混みにもまれている。和子を抱っこしようかと聞くと、まだいいと答えが返ってくる。和子は疲れたともいやだとも言わない。三人ともが、ただ共に歩き、町の人々の賑わいにより何かを共有し、想いを温める時間を必要としていた。

 本殿まで一時間。やっとたどり着いて柏手を打ち、蓮は手を合わせた。
 和子も隣で同じように小さな手を合わせている。
 和子の願いを蓮は知らない。そして蓮の願いも和子は知らない。
 隣で目を閉じる男の願いも、蓮は知らない。
 この多くの人々の願いも、どれほど小さなものも大きなものも、蓮には分からない。それでも、今ここで三人は同じ時間を過ごしている。ここに集う多くの人々もまた、同じ時間の中にいる。
 火縄を買い、そこからさらに一時間ほどもかかって、おけら灯篭から火を貰った。途中で和子が眠ってしまってから、蓮は凌雲の手から和子を受け取る。

 大晦日から元旦とは言え、大原まではもうバスもない時間なので、タクシーに乗った。通りを一本越えるたびに賑わいは遠くなり、建物の屋根も低くなり、やがて家の灯りが疎らになる。山を越えて辺りがほとんど完全に闇にのまれてしまうと、蓮は何故か少しだけ安心した。
 この闇が蓮を隠してくれる。蓮と、凌雲と、和子を。あらゆる悲しみも苦しも届かない場所に包んでくれる。

 凌雲の庵は、ある財閥の隠居が道楽に作ったものだった。凌雲は古い美術品の修復や整理も手掛けている。その財閥の所蔵する美術品の管理を手伝っていた関係で、隠居と懇意にしていたのだが、隠居が亡くなる時に遺言でどうしても凌雲にと言って譲ったのだ。
 もともと大金持ちが清貧なる生活に憧れて作ったものだから、狭くはないが、調度というものはほとんど何もない。有難いのはご隠居が風呂好きで、小さな内風呂と露天風呂、井戸があることだった。それに囲炉裏の間。これを清貧というのかどうかは分からないが。

 大きな土間があるので、凌雲はここを仕事場にしている。修復の対象のほとんどは神社仏閣の宝物で、それ以外の時間はずっと仏像を彫っている。多くは小さな仏で、円空仏にも似たその姿は、優しいようでいてどこか厳しい風情を漂わせている。一体一体彫り進めていくうちに、表情は変わっていくという。柔和になっていくというわけでもない。むしろ、静かな厳しさを漂わせたお顔になっていく。無の境地というのなら、そうかもしれない。
 凌雲が何もかも捨ててこの地に落ち着いている理由を、蓮は全て知っているわけではない。だが、感じることはできる。
 何かを諦め、何かを弔い、命を静かに燃やしている。

 土間の中心に大柄な男性ほどの背丈の阿弥陀如来が座している。半年ほど前から凌雲が手掛けているもので、注文したのはずっと北のほうの村の小さな寺だという。誰にも気が付かれずに、ひっそりと時間を過ごす場所にこそ、この阿弥陀如来は必要とされている。
 八坂さんのおけら灯篭から分けてもらい持ち帰った火縄から、小さな火を囲炉裏に移す。この火で飯を焚いたら、その年は食には困らないのだという。
 和子を囲炉裏の間と続きの小部屋に寝かせて、顔が見えるように板戸を開け放したまま、蓮と凌雲は囲炉裏を挟んで向かい合わせに座っていた。

 ぱちぱちと炭が爆ぜる音以外は何も聞こえない。揺れさざめく火が、凌雲の彫っている阿弥陀如来のお顔を一瞬一瞬変えていく。怒りや哀しみもあれば、優しさや喜びや愛もある。仏にいくつもの顔があるのか、ただ見る者の心によるものなのか。
 蓮にとって、一年でただこの数日、あるいは元旦の太陽を迎えるまでのわずか数時間ほどに充たされた時間はない。何も話さず、何も求めず、ただこうして未完成の御仏に見守られて座っている。

 もしも魂の細胞が始めはひとつで、何かの間違いで割れてしまったのだとしたら、この時だけ、魂がひとつに融け合っていると感じる。惹かれあう親子石のように、強い力で魂が触れ合っている。そこには何もいらない。言葉も、見つめ合う視線も、触れ合う手も、何もいらない。
 ただそこにこの人がいるから、この場所に帰ってこようと思う。
 何があったのだとしても、蓮が崩れてしまわずに立っていられるのは、この時間があるからだ。この時間によって、魂は洗われて、また新しい年を迎える。

 海が婚約を破棄することに同意した理由を、蓮は一度だけ聞いたことがある。
 海は理由を三つ、言った。一つは、蓮が海に対して後ろめたさを持っているからだと言った。蓮が犯した間違いは取り返しがつかないとしても、その間違い自体よりも、卑屈になる蓮を見ているのが嫌だと言ったのだ。そしてもう一つは、海は自分のわがままだと言った。海自身が、結婚して子どもが生まれて家庭に注ぐエネルギーが増えることで、失うものを考えてしまったからだと。
 最後のひとつは、海ははっきりとは言わなかった。ただ、釈迦堂君には私と一緒にいる以上に充たされる場所があるんだよね、と言った。蓮は否定しなかった。自分がいかなる時も、心の内でその時間を求め、その時間があるがゆえに生かされているということを。

 蓮は阿弥陀如来の顔を見上げる。磨かれた木の表に照りかえる囲炉裏の小さな火。火縄の先で燃えていたごく小さな火が、こうして大きくなり、御仏に映り、やがて世界を照らしていく。隣の部屋で眠る小さな和子にも、部屋の片隅に震える小さな虫にも、あまねく光が届く。

 新しい年。
 静かに何かが動き始める。嘘でも幻でも、その歩む足が確かであれば、やがてそこには道ができる。道ができたなら、また一歩を先へと進めていくことができるだろう。
 自らの内にある力を信じることでこそ、希望が生まれる。
「蓮」
「うん……」
「あけましておめでとう」
 蓮は目を閉じた。
 本当に失いたくないものは、今ここに全てある。
「……おめでとう」


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