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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(1) 

予告しておりました【クリスマス特別企画】第2弾、【奇跡を売る店】プロローグ掌編です。
プロローグと言っても、この先、本編が始まるのいつのことやら。
そもそも、波乱万丈な相川真の人生がちょっと可哀そうだという友人の言葉もあり、じゃあ、ハッピー版を書くよ、ってな話をして早3年以上。
その時に生まれた妄想、自分の小説の二次小説を書く、みたいなかんじで設定を作ったのです。
が、設定で遊んでいるうちに、頭の中ではまるで独立した物語に……

せっかくのクリスマス企画なので、チラ見していただこうと思いまして、大したストーリーではないのですが、色んな面白い登場人物たちをお楽しみに戴く企画にしました。
さて、今回はどんな『聖夜の贈りもの』でしょうか。
さっそく、クリスマスまであと1週間の京都の町にご案内いたしましょう。





 四条河原町から東へ百メートルも歩かないうちに、高瀬川の細く浅い流れに行き当たる。その手前を曲がり、やはり細い道を南へ下ると、両脇に小さな店が立ち並ぶ一角がある。天婦羅料理店、雑炊の店、焼き鳥屋、ペルー料理店、ブランド品を廉価で売る店、場違いなピンクサロンの賑やかなネオンもある。
 平日の昼過ぎならば決して人通りが多いわけではないこの道を、細い足をぴったりのジーンズに包み、短いダウンジャケットを着て、サングラスをかけたボブカットの女性が、ひとつひとつ、店の看板を確かめるように歩いていた。

 やがて、彼女は一軒の店の前で立ち止まる。
 目立つ看板は上がっていない。古い木の扉の上半分に暗いオレンジ色のガラスがはめ込まれ、大きな取っ手には小さな木札がぶら下がっていた。
 そこに、あまり綺麗とは言えない字で『奇跡、売ります』と書かれている。
 道に面しているのはその扉と、腰高窓だけだ。窓の向こう、通りから見えるところにディスプレイされているのは、バスケットボールほどの大きな紫水晶、その周りに色合いも多彩な石が幾つか置かれている。磨かれた丸く綺麗な石ではなく、原石のようなものばかりだ。

 彼女はじっとその腰高窓の中を見つめていた。それから徐にその店の上方、路に切り取られた空を見上げ、ダウンのポケットに突っ込んでいた手を出した。
 手に持っているのは小さな紙切れだった。
『釈迦堂探偵事務所』
 四条木屋町通りを下って細い路地、高瀬川側の二階、一階は石屋。
 石屋、が何を指すのか分からなかったが、歩いてきた中で石に関係する店はここだけだ。流行のパワーストーンを売る店だろうか。それならもう少し小奇麗にして、入りやすい雰囲気にすればいいのに。

 サングラスを外した女性は、格好には似合わない高校生と言ってもいい顔立ちで、化粧も薄く、口紅も淡い桜色だった。高校生ではないとしても、せいぜい二十歳を過ぎたばかりにしか見えない。
 看板も出ていないのでは確認もできない。
 彼女が惑っていると、いきなり店の扉が引き開けられた。
 顔を出したのは、小柄な老女だった。
 おとぎ話に出てくる悪い魔女のような顔つきだ。魔女にありがちな黒い頭巾の代わりに、紫の羽根がついた灰色の奇妙な帽子を被っている。唇は年甲斐もなく赤い。黒いロングドレスに、肩に纏った黒い毛糸のストールがマントのように大きく見える。

「店の前でぼーっと突っ立たれたら、営業妨害だよ」
 声まで魔女みたい、と彼女は思った。営業妨害も何も、そもそも客が入るような店構えではない。
 魔女は彼女を頭の先から足の先まで見る。そしてふん、と鼻で息を吐き出した。
「蓮なら留守だよ。バイトしてるオカマパブがクリスマスの飾りつけだってんで、今日は早々に出ていったのさ」
 彼女はまだ惑っていた。だから魔女はまた大袈裟にため息をついた。
「あんた、わざわざここまでやって来て、まだ迷ってるのかい」
 そう言って顎を動かした。彼女は突っ立ったままだ。魔女は呆れたようにもう一度顎を動かす。やっと、入れと言われているのだと気が付いて、彼女は操られるように中に入った。

 店の扉が閉まった途端に、外の音が一切シャットアウトされたので、突然異空間に入り込んだようだった。
 店の中は思った以上に広く感じた。照明が暗めなので、余計にそう思えたのかもしれない。肩ぐらいの高さまでの木製の棚が数列並んでいる。棚は棚板で細かく仕切られ、びっしりと、まさに隙間ないほどにびっしりと石が並んでいた。水晶は分かる。しかしほとんどは初めて見る石ばかりだった。色も形も様々だ。
 奥にカウンターがある。カウンターの向こうに窓があり、幾分か明るい。窓の向こうに柳の枝が見えていた。扉の真正面に当たる部分に階段がある。
 階段の上のほうで何かが動いたように見えたが、目の錯覚かもしれない。

 魔女は棚の間を滑るように歩いている。足音も聞こえない。
 やがて魔女は立ち止まり、棚の奥へ手を伸ばし、何かを手に掴んで彼女のところへ戻ってきた。何も話さないままの彼女の手を取り、その掌に何かを載せる。
 空の青と水の緑を混ぜたような色、ガラスのような質感の五百円玉ほどの大きさの石だ。丸みを帯びたいびつな台形で、形を整えられてはいないが表面は磨かれている。白い筋が幾本か、緑と青の色合いの中を走っている。
 彼女がじっと見つめていると、窓からの光によるのか、一瞬微かに、虹のような色合いが反射した。光は確かに虹色の幻影を走らせたが、すいっと闇に吸い込まれるように消えた。

 吸い込んだ闇を追いかけるように、彼女はもう一度階段のほうを見た。今一度、確かに何かがちらりと動いた。確かめに行くよりも、早くここを出た方がいいのかもしれない。
 もう一度石に視線を戻したが、虹はもう消えいている。元からの青と緑の狭間、そして白い筋だけだ。
「一万円だ。それで迷いが吹っ切れるなら安いもんだろう」
 魔女に睨まれて、彼女は何かに憑りつかれたように財布を出していた。なけなしの一万円札が一枚、顔を出した途端に、魔女にひったくられた。
「これでも負けといてやってるんだ。そいつは強力なパワーのある石だからね。さぁ、もうそれはあんたの石だ。蓮なら『ヴィーナスの溜息』だよ。溜息っていうより、鼻息って感じの店だけどね。さっさと行きな。全く、蓮の奴はカイの店をちゃんとやる気でやってるのかね」

 彼女は何だか分からないままに掌の石を握りしめ、魔女の視線に追い出されるように扉を開けた。
「お嬢さん、今日が『その日』だ。今日を逃すと、心配事は解消されずに真実は永遠に手に入らないよ」
 言葉が終わると同時に扉が閉まる音。
 占い師のようなことを言う、と彼女は思った。手を開いて、押し付けられた石を見る。あの一瞬の虹は何だったのだろう。今、通りに出て冬の昼下がり、明るく鋭い光の中に晒されても、石は沈黙している。
 というのか、私って騙されてない? じゃなくて、これってカツアゲ?
 財布が空になったのはまずい。今日はその『ヴィーナスの溜息』に仲間たちと一緒に行くつもりだったのだ。そこに行けば彼に会えることは知っていた。でも、できれば静かなところで話を聞いてもらいたかったのだ。

 やっぱり石を返して、お金を返してもらおう。
 そう思って振り返ると、真後ろに子どもが立っていた。
 痩せた女の子だ。赤いスカートに白いタイツ、暖かそうな白いセーターはスカートが隠れそうなくらいに長い。短い髪、目が大きくて、唇の色は寒さのためか赤いというよりも青黒く見える。それでも頬はピンク色だった。三歳か四歳くらいだろうか。くたくたになったバイキンマンのぬいぐるみを左手に抱いて、右手を彼女の方に差し伸ばしていた。
 その手には一万円が握られている。
 彼女は反応することさえも忘れいてた。突っ立っている彼女に、子どもはさらに力を入れて一万円を差し出す。ニコリともせず、無愛想で無表情な顔のままだった。

「あ……あの、ありがとう」
 代わりに石を返そうとしたら、女の子は首を強く横に振った。そのまま踵を返し、石屋の重い扉を押し開け、中に消える。勢いで扉が閉まった時、大きな木の取っ手にぶら下げられた木札がひっくり返った。
『二階 釈迦堂探偵事務所 この扉からお入りください』
 何となく扉の上の方に目をあげると、そこに店の名前があった。
『鉱石・奇石研究所 奇跡屋』
 今さらだが、怪しいことこの上ない。というのか、石を返さなくちゃ。

 扉に手を掛けたが、中から鍵が掛けられてしまったようで開かなかった。
 人通りが多くないとはいえ、あまりガチャガチャやっているのも恥ずかしくなって、彼女はすぐに諦めた。また今度、返しに来たらいいか。
 もう一度、掌の上の石を見つめる。
 奇石、だから奇跡なのか。だから、奇跡を売る? 何だかやっぱり騙されているみたいだ。
 彼女はジーンズのポケットに石を入れた。やはり虹は戻ってこない。でも……これはもしかするとクリスマスプレゼントなのかも。
 もっとも、この怪しい『奇跡を売る店』にはクリスマスらしいディスプレイもなければ、その暖かい聖なる光の気配もない。
 クリスマスまで一週間。騙されてみるのも悪くないかもしれない。




「あたしは幼稚園の時にはもう分かってたわ」
「なんや、やっぱりあんた、そんな頃からませとったんや」
「私は小学生の時かなぁ。男の子らが話してんの聞いて」
「あ~ら、私なんか、ピュアだったからぁ、高校生の時に初めて気が付いたのよぉ。あれはパパだったんだって」
「嘘や~、それ、ぜったい嘘。ソノコさんがピュアなんてありえへん」
「なんやと~。信じてくれ~」
「きゃ~、おっさんに戻ってる~」
「よっしゃ。罰として、水攻めじゃ~。あ、蓮、水持って来て」
 蓮は、今日は一層賑やかなテーブルを振り返った。最近よく来るようになった女子大生五人と、化粧はしているものの厳つい顔つきの大柄な『女』、それにかなり美人だけど声の低い『女』がテーブルを囲んでいる。

 この店は会計が明瞭で、高い酒は置いてあるのだが、あまり押し付けることをしない。飲みかたを選べば比較的安価なのと、お笑いとダンスを取り入れたショウが人気で健康オカマパブを謳っているのと、最近のオネエブームにあやかってなのか、興味津々の女性客も少なくない。女子大生でも、毎日は無理でも、月に一、二度遊びに来るのには問題がないはずだった。
 この店では、女性客は男性客とは違う意味で歓迎されている。女性はその気になれば金離れがいい。それに、特に若い女性は、化粧や洋服、アクセサリーと言ったファッション情報の発信源でもある。
 いわゆるゲイバーと言われる系統の店にもいくつかの種類があり、そこで働く男性にも色々な種類の人間がいるが、この店は客の性別が問題となるような店ではなかった。つまり、真剣に男同士の付き合いを求めているのだから女は来ないで、という種類の店ではない。

「え~、蓮くん、水じゃなくて酒」
 蓮はカウンターの中のママに合図をする。もちろん、持っていくのは水だ。ソノコさんの声が前半は太く、後半には高音になる。
「だ~め。あんたたち、大概にしときなさいよぉ。あたしがあんたたちのママなら、月に代わってお仕置きよ~」
「ふる~い!」
 蓮がテーブルにミネラルウォーターの瓶を置くと、女性五人組のリーダーが、あーあ、何で水なの、と文句を言った。もっとも、声は怒ってなどいない。髪の毛の一部をきついピンクに染め、目の吊り上がった、いわゆるセクシーダイナマイト系である。
 彼女らももう酒は潮時だと分かっている。とにかく騒ぎたいだけなのだ。
 それもそのはず、この五人組は今、京都ではちょっと話題の女子大生ロックバンド『華恋』のメンバーたちだった。彼らのスケジュールは明日からクリスマスイヴまでびっしり詰まっている。だから、今日は前夜祭で何が何でも盛り上がる、ということらしい。

「蓮くんって、何でホールなん? 見栄えはいいから、モテるんとちゃうん?」
「そうや、ちょっと座っていかへん?」
「だめよ~」
 大柄でどぎつい化粧をしたソノコさんが太い声で止めた。ソノコさんはこう見えてショウタイムの一番の人気者だ。お笑いもできるし、物まねのレパートリーは某ものまね芸人にも引けを取らない。それにダンスもできる。ダンスというより、格闘技だ。空手の有段者だった。
「うちの店では、あんたたちみたいな狼女から蓮を守るべし、って条例があるのよ~」
 女子大生たちは『狼女』に大うけだった。

「そう言えば、蓮は何歳頃まで信じてたん?」
 このバンドで最も正統派美人と言えるベーシストが聞いてきた。目元に力があり、唇は薄く、何より華やかな顔立ちだ。
「何を?」
「サンタクロースやん」
 その話題だったのか、と蓮はちらりと最も目立たないメンバーを見た。
 さっきから少し気になっていたのだ。賑やかなグループの中で一人だけ大人しいのはいつものことなのだが、いつもより輪をかけて静かだ。俯いて、何か堪えているようにも見える。そして、どういうわけか今日はちらちらと蓮を見ているのだ。

「さぁ、うちは始めからサンタクロースなんか来なかったけど」
 蓮が答えると、ボーイッシュなギタリストが手を叩いた。
「あ、そうや。蓮くんちはお寺なんやっけ」
「あれ? 探偵事務所じゃなかったん?」
 蓮は曖昧な笑みを浮かべた。
「あぁ、ほんとに、蓮くんってなんか謎なんよね~。蓮くん、お坊さんになるん? イケメンの坊さんやなぁ」
「探偵の方がかっこいいやん」

 こうして話していると、普通の女子大生にも思えるが、格好は派手で、メイクも気張っている。一人を除いて。
 さっきから会話の主導権をソノコさんに譲っていた、美人ニューハーフ、テレビにも出たことのあるシンシアが、低くて通る声でこの話題をストップしてくれた。
「蓮はね、ミステリアスが売りなのよ。だから、はい、蓮に絡むのはおしまい」
 ありがとう、と目でシンシアに合図する。シンシアはクールな笑みを唇に浮かべる。男と分かっていても、彼女はやはり綺麗だ。

 それにしても、ここでは自分のプライベートをおおっぴらに話したことはないのだが、どこかからそんな噂が飛び交うようになったのだろう。確かに蓮は寺に住んでいるが、寺の跡取り息子でもないし、坊主になる予定はない。
 いや、寺の件は、苗字から勘ぐられただけかもしれない。
 もう一つの仕事の方は、隠しているわけではなく、むしろこの店が宣伝のための看板の役割を果たしてもくれているのだが、それでも誰も彼もが知っているという話ではない。

「じゃあショウちゃんは?」
 ソノコさんがだんまりのメンバーに気を使った。大騒ぎをしながらもソノコさんはよく周りを見ている。
「え……と、何?」
 ショウちゃん、と呼ばれた大人しい子は三澤笙子といった。顔はまるで女子高生だ。童顔で、幾分かおどおどした気配がある。短くボブに切った髪は、彼女に良く似合っていた。だが、このおどおどしたムードは、メンバーをバックにしてマイクを持った途端に豹変する。蓮は実際にパフォーマンスを見たことはないが、半端なくパンチのある歌声で、そのギャップに萌える男子学生が多くいるのだと聞いている。

「聞いてへんかったん? 何歳までサンタロースを信じてたかって話」
 笙子は一瞬、視線を踊らせた。そして、視線の矛先を蓮に固定すると、不意に何かを決心したかのように、はっきりとした声で答えた。
「私のサンタクロースは、私が六歳の時に殺されてんの」
 一瞬、場のムードが変わったのは言うまでもない。だが、例のごとく、ソノコさんが後を引き受けた。
「な、なんやと! 犯人はトナカイ?」
 とは言え、今回ばかりはあまり良いフォローではなかったようだ。馬鹿、とシンシアに肘でこつかれて、ソノコさんが頭をかく。だが笙子は真面目な顔で続けた。

「違う。知ってる人。私、殺されたサンタクロースが神社の裏に埋められるところを見たん」
「えーっと、で、その犯人は捕まったん?」
 笙子が少し不思議ちゃんであることを知っているメンバーは、適当に苦笑いをしながら話の行く末を探っている。
「ううん。捕まってへん」
「死体は? サンタクロースの死体。警察には知らせたん?」
 バンドのメンバーは適当に話を合わせているようにも見える。慣れているのだろう。
「ううん。死体もまだ見つかってへん。まだあそこに埋まってるん」
「笙子は犯人を見たってわけやろ? 目撃者って狙われるんとちがうん?」
「犯人は私を狙ったりせえへん。だって、私のお父さんやもの」






さて、始まりました。
と言っても、大した話ではありませんでして、内容も薄っぺらいので、気楽にお楽しみください。
謎解きも何もなく「な~んだ」ってな話なのですけれど。
クリスマスイブのマコトの掌編に被らないうちに終わります。
でも、聖夜に少し暖かくなっていただけたらいいなぁ。

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Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(2) 

『サンタクロース殺人事件』の(2)をお送りいたします。
なかなか本筋に行きつけないのは、色んな登場人物たちを楽しんでいただこうという企画でもあるからですが……
クリスマスにふさわしい大団円にあと2回ほどでなるかしら?
まずはお楽しみください(*^_^*)





「あんたねぇ、そろそろ開き直って抱かれてやんなさいよ。あのセンセ、あんたに夢中なんだから」
 注文を伝えに蓮がカウンターに戻ると、クルクルの金髪に青いアイシャドウ、真っ赤な口紅のママが、わざとらしく口を尖らせた。カウンターの客の一人と、蓮とある客のことを話題にしていたのだろう。
 大柄な男だが、元々肌のきれいなママは、最近、化粧のノリを気にしている。歳を取ったのよ、いやんなるわ、と手入れには余念がないが、若い子を雇うたびにため息をついている。
「いつまでもお高くとまってちゃ、この厳しい世の中、渡って行けないわよ。売れるのは若いうちだけなんだからね。てか、あんた、もう相当の年増なのよ」

 ママがそんな話をしているのは、半分以上、冗談だ。そもそもこの店は男性が男性の相手を求めに来るような店ではない。
 だが、たまに紛れ込んでいる本気の客を牽制する意味もある。カウンターの端に座って、黙って飲んでいる客だ。職業を聞いたこともないが、ヤクザかもしれないと言われいて、蓮を狙っているとまことしやかな噂が流れていた。
 そもそも蓮はこの店のホール係だ。座って客の相手をしたり、ショウに出たり、俗にいうアフターのサービスをするようなことは、仕事の中に含まれていない。
 ママは、比較的良心的な値段のついた水割りを作って、厳つい笑顔を振りまきながら、カウンターの手前に座る客に相槌を求めた。

 客はゴロウちゃんと呼ばれている。国民的某アイドルグループの一人に似ているのでそう呼ばれいてる。出版社に勤めているサラリーマンで、週に三度はやって来る、明るい男だった。本物のホモセクシュアルだ。こちらも蓮にプライベートで会わないかと何度も言い寄ってきているが、どちらかというと挨拶代りに口説いているに過ぎない。
「そうや、オシャカちゃん、バージンなんてもう捨てちゃえ。下手に持ってるから、あれこれ周りが浮足立つんや。せやから、前から言うてるやろ。俺が相手したろ、て」
 この店で、一部の客や従業員は蓮のことをオシャカちゃんと呼ぶ。一度聞いたら忘れられない「釈迦堂」という苗字だからだ。

 釈迦堂蓮。この名前のお蔭で、もしかすると「寺に住んでいる」「お寺の家の子」というイメージが生まれたのかもしれない。
「馬鹿ね。センセに殺されるわよ」
 彼らがセンセと呼んでいるのは、国立大学の理学部、地球惑星科学講座の准教授、出雲右京だった。
 この店では、ぶっ飛んだ学問を研究しているということと、上品で紳士らしい立ち居振る舞いで人気だった。しかも、華族か宮家の縁戚か、かなりの上流の家系らしく、決して大仰な金の使い方はしないが、金離れは綺麗だ。花街にも政界にも顔がきくという出雲家の人間には、京都の裏でうごめく闇の顔たちも一目置いているらしいと聞いている。
 蓮は出雲に、こんな店に出入りしていて大学や家で何も言われないのかと聞いたことがある。出雲は世間ずれしているのか、意味が分からなかったようだった。

 出雲はしかし、店にやってきて、蓮をじっと見つめてはいるが、少なくとも蓮をベッドに誘うようなことはしない。
 その理由を、蓮はもう知っている。
 蓮には男と寝るつもりなどなかったが、もし誰かをどうしても選ばなければならないのなら、出雲ならば悪くはないと思っていた。ママには言っていないが、実はいささか滅入っていた日に、ままよと思ってホテルに誘われるままについて行ったことがある。
 事に及ぶのかと覚悟をしたら、出雲はやっと二人きりで話ができると喜んだ。

 何のことはない。蓮の母親の幼馴染で、父親と恋のさや当てをした関係だったという。だからそれを蓮に伝えたかっただけなのだ。
 あれこれ思い出があるようだが、みなまでは聞いていない。出雲は酒に弱く、すぐ寝てしまうのだ。
 本当は蓮のほうでも出雲に聞きたいことがあるのだが、その反面、聞きたくないことでもあった。
 蓮は両親の顔を覚えていない。父親は日本にいないし、母親は亡くなっている。自分をちゃんと育ててくれなかった親を、今のところまだ親とは認めていない。

「もうすぐクリスマスなんだから、クリスマスプレゼントにバージンを差し出すとか。でないと、この変態ゴロウに食われるわよ。あら、噂をすれば何とやら。いらっしゃい」
 開いた扉にママが声を掛ける。
 まさに、出雲が入ってきたのだ。やや痩せ気味で背が高い、ロマンスグレーというよりは純朴な研究者という印象。眼鏡をかけているが、それほど視力が悪いわけではないらしい。顔立ちはいわゆる濃いタイプで、目鼻もはっきりしているのだが、どうやら服装には時代がかった残念さが漂っているために、街を歩いているとちょっと変な人と思われている節がある。
 もちろん、出雲は気にしていない。

 蓮は目だけで微かに挨拶をする。出雲はいつものようにカウンターに座って、人のよさそうな笑顔で薄い水割りを注文している。
「あれ、センセ、いつからアメリカだっけ?」
「来週ですよ」
「おぉ、自由の国、アメリカ。男同士でも結婚できる州がある。羨ましい」
 ゴロウさんはもうかなり出来上がっている。
「センセ、どうせなら蓮を連れて行ったら?」
「もうプロポーズしたのですが、断られました」
 だいたい出雲の言い方に問題があるから、みなが誤解するのだと蓮は思っていた。出雲のプロポーズは文字通り、申し込む、というだけの意味だ。
「あら、やだ。そうなの? 蓮」
 たかがヒューストンに学会に行くだけなのだ。しかもたった二週間の旅程だ。大袈裟に過ぎる。蓮は、フロアから呼ばれたことをいいことに、カウンターを離れた。

 それからショウタイムが二回、客の出入りも賑やかになる。不況なのに、いや不況だからか、この店は賑やかだ。蓮はいつものように黙々と働いた。
 もともとコミュニケーションが得意な方ではなかった。だからホール係が精いっぱいだ。
 テレビで紹介されたこともあるこの店は、ショウのクオリティも大衆芸能並みに高くて、不況を謳われて長いうちにも客足も途絶えなかった。会計が明瞭であること、時にタロット占いと手相を見るのが得意のママが人生相談に答えてくれること、それに何より、相手に応じた接客の質が保たれていることもあるのだろう。おかげで給料も悪くない。

 生涯続けるつもりだったある仕事を辞めて途方に暮れていた時、人伝でここに雇ってもらった。ちゃんとした仕事が見つかるまでのバイト、ということだったが、いつの間にかもう一年近くになる。その間に、有難いことに、ママや店のオーナーは、蓮は戦力の一人として大事にしてくれるようになっていた。
 よく気が付く、と言われる。人を観察していると様々なことがわかる。ただそれだけのことだった。
 それに、蓮はもう一つ、辞めるに辞められない仕事を持っていた。辞められないのだが、こちらははっきり言って全く金を稼ぐあてのない仕事だった。だからこの店のバイトも辞められない。
 元の仕事は、続けていれば生活に困らない給料をもらえるはずだったが、戻る気はない。というよりも、色んな意味で戻ることはできないだろう。その仕事のことを知っているのは、この店ではママだけだった。始めはものすごく胡散臭い顔をされた。だが、今では蓮を認めてくれて、将来を心配してくれてさえいる。

 シンシアがカウンターに近付いてきたときが、「もうひとつの仕事」の依頼が舞い込んだ時だった。
「ちょっと、蓮、やっぱりあんたに話を聞いてもらった方がいいみたいよ、あの子」
「何なの、シンシア」
 ママが低い声で窘めるように尋ねる。
「殺人事件を目撃したんだって。それも十五年も前に」
「それって時効じゃないの?」
「あれ、今って、凶悪犯罪は時効って無くなったんじゃないの?」
 ゴロウちゃんが口を挟んでくる。後を引き取ったのは例のごとく出雲だ。
「そうですよ。2010年の4月27日に改正されたのです。それまでは、殺人罪の公訴時効、つまり犯罪が終わった時から一定期間を過ぎると検察官が公訴を提起できなくなることですが、刑事訴訟法250条1号により、25年と定められていたのですね。ですから、そもそも15年前の殺人事件は、致死罪以外であれば、どちらにしてもまだ時効ではありませんね。ちなみに、2010年4月27日までに公訴時効が完成していない罪であれば、すべて新法が適用されます」

「センセ、かたいわよ」
 ママが出雲にダメ出しをする。
「いや、彼女が見たのはそもそも殺人現場ではなくて、死体遺棄現場でしょう。しかも、もし本当なら、探偵じゃなくて警察に行くべきです」
 さっきの話を一部耳にしていた蓮が訂正する。
「警察が15年も前の子どもの記憶を信用して、捜査をする可能性は低いでしょうね。某テレビ番組の暇な特捜でもない限り」
 右京という同じ名前の主人公が活躍している番組だ。ゴロウさんがそうやそうや、と頷いている。

「何でもいいけど、あの子、今日の昼間、あんたの事務所に行ったみたいよ」
「ええ~、じゃあ、何だかあたしがあんたの仕事の邪魔をしたみたいねぇ。本当ならあんた、事務所で寝てたはずなのに、あたしがめんどくさい飾りつけの仕事なんか押し付けちゃったから事務所、閉めてたんでしょ」
 そうなのだが、ちょっと嫌な予感がした。事務所は閉まっていると言えば閉まっているが、開いていると言えば開いているのだ。一階の胡散臭い店と扉を共有しているために、一階が開いていれば、店には入ることができる。
「何にしても、ここは釈迦堂探偵の出番というわけや」
 ゴロウさんがぽんと蓮の腕を叩いた。

 正確には、「釈迦堂探偵」は蓮ではない。釈迦堂探偵事務所は蓮の叔父、釈迦堂魁がやっていた事務所なのだが、今は蓮だけがその事務所で働いている。
 魁は失踪していて、現在行方が分からない。叔父が戻って来るまで蓮が店番をしている、そういう状況だった。いや、本来なら魁の息子が手伝ってくれたらいいのだが、彼にはそのつもりはさらさらないらしい。

 その時、『華恋』のリーダー、セクシーダイナマイト系ドラマーが、困った顔でおどおどした童顔のヴォーカリストを連れてカウンターに近付いてきた。
「はい、蓮、頼むわ。うちのヴォーカル、この通り不思議お嬢ちゃんだけど、今日はちょっと真剣みたい」
 そう言ってウィンクする。
 このバンドの売りは、この一見おどおどしたムードの童顔ヴォーカリストのギャップなのだ。そのことがよく分かっているリーダーを始めメンバーは、なんだかんだ言いつつこの不思議お嬢ちゃんを大事にしている。

 彼女のウィンクの意味はこうだ。
 笙子は蓮に気があるみたいだから、話を聞いてやってよ。クリスマス前なんやし。
 蓮は、こういう店の場面ではありがちな勘繰りには少しだけうんざりしたものの、笙子の気配はさっきから気になっていた。
「奥、開いてるわよ」
 ママが勧めたのは、ママが真剣な人生相談の際に使っている小部屋だった。タロット占いもする。タロット占いと人生相談の代金は最低三千円、というわけだ。たまに政財界のそこそこの人物がやって来るという噂もある。
 蓮も、自分の「もうひとつの仕事」の第二事務所的に、その部屋を時々使わせてもらっている。


 ヴォーカリストの名前は三澤笙子といった。家は、彼女の名前の通り、雅楽の演奏者の家系だった。笙子がロックをやっていることは、今のところ家族の誰も知らないのだという。
 だがグループは有名になりつつあった。メディアが目を付け始めている。笙子は二年生だが、グループの主要メンバーは四年生だ。進路を考えるのに遅すぎるくらいなのだ。そろそろ、答えを出す時が来ている。笙子自身も、自分の別の顔を選ぶか、このグループを選ぶか、選択を迫られているようだ。

 雅楽の民間への普及は、一部の高名な演奏家のお蔭で幾分かは保たれている。だが、指導者は少なく、他の楽器奏者、舞楽の舞い手、さらに楽器や伝統的装束の製作者を含めた伝承が必要であるために、足並みがそろうというものでもないようだ。笙子の母親の家系が、鳳笙の楽家なのだと聞いている。そして笙子自身も、雅楽の少ない正統継承者としての将来を期待され、自身も大学に入るまでは、その期待に応えるものだと思っていた。
 クリスマスライブが終わったらグループとしての進退を決める、と『華連』のリーダーが言っていたらしい。人生のひとつの岐路というわけだ。

 小部屋にはエスニックな布が壁や窓、扉にデコレーションされていて、薄暗い赤っぽい照明をつけて香を焚くと、エキゾチックなムードが満点になる。三畳ほどの小部屋には、やはりアジアンテイストな布を掛けられた木のテーブルと二客の椅子、タロットや水晶などそれらしいアイテムをしまう木製の棚があるばかりで、他には何もないが、それだけでいっぱいの部屋だった。
 この部屋に入ると、何となく秘密の暴露をしてしまいたくなる人間の心理もちょっと分からないでもない。
 だが、蓮は例のごとく、蛍光灯をつけて部屋を明るくした。
 そうしてしまうと、薄い布地で色とりどりに光のイメージを変え妖しさを演出していたムードは吹き飛んで、なんだ、この程度のものかという現実がはっきりする。

 蓮と向かい合った笙子は俯いたままだった。
 蓮はあまり自分の方からあれこれ話しかける方ではない。黙って相手の話し始めるのを待っている。その沈黙が圧迫にならないから不思議だと、よく人に言われる。一方で見かけは平穏で平和主義者っぽいのに、内側では激昂しやすいという部分もある。怒りの形で爆発するというのではなく、感情が高ぶるのだ。
 だがこの一年、そのすべてを押し込めて暮らしてきた。

「事務所に来てくれたんだってね」
 笙子はまだ俯いているが、小さな声で答えた。
「シュウに聞いて……」
 思わぬ名前に蓮はしばし唖然とした。てっきり店の誰かが教えたのだと思っていた。いったい、この娘と舟にどんな関係があるというのだ。
「舟とは知り合いなのか」
「……」
 あのくそ馬鹿、あり得ないことではないと蓮は思った。

 釈迦堂舟。釈迦堂魁の息子で、蓮とは従兄弟同士ということになる。蓮よりも五つほど年下だ。まともな仕事をせずに、不穏な連中と付き合っている。
 舟が女に絡む場合に「お友達」はあり得ない。ついでに男に絡む時だって半分はそういうことだ。残りの半分は敵、つまり喧嘩相手だ。喧嘩と言っても可愛らしいものではない。しばしば命のやり取りになりかける。
「三澤さん」
「舟を怒らんといてください」
 そう言って顔を上げた童顔娘は、ほんの少しばかり女の表情を漂わせていた。
「いや、俺が舟に何かを言える立場じゃないんだ。怒ることはしないけれど……その、正直、君がつき合って幸せになれる相手とは思わないよ」
 笙子は答えなかった。
「舟のことは今度ゆっくり話そう」

 蓮は一度言葉を切った。笙子は黙ったままだった。
「君の殺人遺棄現場の目撃だけど、十五年も昔のことを、今になって急に調べてもらおうと思ったのには何か理由があるんじゃないの?」
 笙子は少し部屋を見回した。そしてふと肩を落とした。
 可愛らしい娘だと思う。世間知らずのお嬢様のイメージだ。それがマイクを持った途端に豹変するとなると、ちょっと興味深いと思う男は大勢いるだろう。
 やがて笙子は、石がポケットの中で鳴っていて、と言った。
 蓮はやはり嫌な予感が的中したと思った。
 笙子はジーンズのポケットから石を取り出す。

「天河石」
 蓮は呟いた。
「石の名前?」
「うん。アマゾナイトとも言われている。いくら請求された?」
「一万円」
 あの婆さん、と蓮が思う間もなく、笙子が先を続ける。
「あ、でも、すぐに、小さい女の子が追いかけてきて、お金を返してくれて……むしろ私の方が、この石を返さないと」

 にこ、また遊びに行っていたのか。あの婆さんには近づくなと言ってあるのに。
 あの石売りの婆さんは、子どもからも平気で金を巻き上げる。にこだって、お小遣いというほどのものは持っていないが、小銭やがらくたとは言え大事にしているものをかっぱらわれたことは、一度や二度ではないはずだ。
 やはり保育園は辞めさせようか。探偵事務所の近くということで選んだ保育園だったが、それは結局、あの石屋にも近いということだ。蓮やお寺の奥さんが迎えに行けない時には、いつの間にか婆さんのところで待つようになっていた。
 寺では大人しかいないし、一人で蓮を待っていても寂しいのではないかと思って保育園に行かせたが、園でも一人で遊んでいるという。病気のせいもあるが、あまり友だちとも打ち解けていないようだし、保育園は楽しいかと聞いても返事をしない。
 いや、にこはそもそも蓮にはほとんど口を利かない。
 本当の親でもないのだから。

「婆さんは何て?」
「これで迷いが吹っ切れるって」
「で、一万円請求されたわけだ」
「でも結果的には払ってないです」
「いいんだ。もうこれは君の手元にやって来た。だからこれは君の石だ」
 笙子は不思議そうな顔をした。何、と蓮が聞くと、石屋のお婆さんも同じことを言ったと答えた。
「どういう意味なんでしょうか」
「石が君を選んだんだ。だからこれは君の石だ。金のやり取りは終わっている。にこが君に金を返したのは彼女の勝手だから、気にしなくていい」
「石が私を選んだ?」

 蓮は石を取り上げた。蒼い、空の色とも森の色とも水の色ともつかない、翡翠よりもさらに透明度の高いガラスのような質感。かなり上質の天河石だ。
 あの店のどの棚にこの石があったか、蓮は思い出すことができた。
 石たちの囁く声も、聞き分けることができる。それは小さな声だが、微かに震えている。もちろん、石たちはいつも語りかけてくるわけではない。
 そして今、掌に載せた時、この石は何かを話しかけていた。蓮にではなく、笙子に言いたいことがあるのだ。

「別名アマゾナイト、長石族の中の微斜長石に属する天然石だ。実際にはアマゾンで川周辺では産出されていないけれど。ほら、見てごらん」
 蓮は蛍光灯に石をかざした。キラキラと光が虹色に輝く。笙子はあ、と声を上げた。
「これはシラー効果という現象だ。光を反射してキラキラと輝くアマゾナイトは良質なものなんだ。まだ形を整えてないのに、少し磨いただけでこんな光を跳ね返すのは、いいものだってことだよ」
「お詳しいんですね」

 それはそうだ。学生時代、蓮はあの店でバイトをしていたことがある。というよりも、叔父の魁の探偵事務所に遊びに来ていて、ついでに一階の石屋の店番を無理やりさせられていたというのが正解だ。
「石にはそれぞれ意味がある。この石は別名ホープストーンと呼ばれていて、心の曇りを吹き払って明るい希望をもたらしてくれる力がある。物事をマイナスに考えてしまうようなときには、この石が明るい方へ導いてくれるんだ。それに、心身のバランスを整えるという効果の中には、幼少期から思春期にかけてのトラウマを解決するという意味もある」
 笙子は蓮を見つめた。

 蓮は、この石の効果をもう一つ付け加えようとして、辞めた。
 この石は、環境が変わった時に、たとえば、恋愛が始まった時に、その行先を明るく照らしてくれるとも言われる。だが、舟が相手ではうまくは行かないだろう。期待は持たせたくない。
「もちろん、石が本当にパワーを持っているというわけじゃない。持った人間がどう考えるかということだ」
 蓮さんは優しい、と笙子は言った。誰と比べたのかは聞かなかった。
 それに蓮だって、優しいという言葉に見合うような人間ではないかもしれない。本当に優しい人間にはもっとやりようがあるものだ。うわべを取り繕うことは誰にだってできる。
 舟と蓮は表裏一体のような関係だ。切り離せない。

 やがて、笙子は息を吸い込んだ。
「蓮さん、一緒に行ってくれはりますか? サンタクロースが埋められた場所に」





色んな人物を紹介するのがひとつの目的だったので、ちょっと本来の筋から離れていますが、そんなに大した話ではないので、もうしばらくお付き合いください。謎、というほどのものは出てきませんので……
全体のムードがお伝えできたらいいなぁと思っています。
そう、石の不思議なパワーをお贈りできたら、と思うのです。
もちろん、私も正味パワーストーンなるものを信じているわけではないのですが、それは連の言うとおり、持つ者の問題だと思っています。

さて、いよいよ、埋められたサンタクロースを掘り起こしに行きましょう。
次回は長めかも。終わるかな?
↑終わるわけないやん! 


Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(3) 

【奇跡を売る店】(3)をお届けします。
いよいよサンタクロースを掘り出しに行きましょうか(*^_^*)
と、その前に、笙子ちゃんの家の事情を少しご紹介いたします。
クリスマスイヴに、事件は解決することでしょう。






 三澤笙子の母親は、楽家のうち笙を担う安倍家の出だった。府内の有名私立大学を出ていて、笙の演奏家・安倍清埜としても名前を知られていた。だが、家族に反対されながらも、普通のサラリーマンの男と結婚した。
 生まれた子供は笙子一人だけで、女の子だというそのことだけで一族の失望の原因になった。
 笙子の母親は、実家の希望に逆らった結婚に後ろめたさがあったのか、幼いころから笙子に雅楽を教えた。物心がついた時から笙子にとっておもちゃは笙や篳篥であり、舞楽のビデオは『おかあさんといっしょ』の代わりだった。
 やがて自然に慣れ親しんだ楽器において、笙子の才能は、一族の失望を塗り替えていった。笙子はほんの三歳のころから今に至るまで、母親の前では期待に応えようと、あらゆる意味で素晴らしい娘となるための努力を惜しまなかった。

 笙子の父親は製紙会社に勤めるごく普通のサラリーマンだった。よくある話で、学生時代にフォークをかじっていて、少しだけギターを弾いたが、もちろん趣味のレベルで特別に上手くもなかった。学歴も可もなく不可もなくだったが、人当たりは良かった。笙子にも優しかった。
 笙子は父親の下手なギターを嫌いではなかった。母親が雅楽の行事などで帰りが遅い時、保育園の送り迎えは父親の仕事だった。帰りにこっそり二人で河原町通りのカラオケボックスに行った。ご飯をそこで食べて、一緒に歌った。父は歌が上手かった。そしていつも笙子の歌を褒めてくれた。

 父親はイベントも好きだった。いつもは色々な意味で母親に遠慮しているように見えたが、誕生日やクリスマスにはコスプレをして笙子を喜ばせてくれた。母親は、クリスマスなんてクリスチャンじゃあるまいし、と言ったが、少なくともあの最後の年までは、一緒にクリスマスを祝っていた記憶がある。父親は毎年、サンタクロースの衣装を借りて来て、笙子にプレゼントを持って帰ってきた。もっとも笙子は、サンタクロースが父親だとはあの年まで気が付いていなかった。
 あの最後の年。
 笙子は生きたサンタクロースには会えなかった。

 その年の初めから笙子の両親は少し上手くいかなくなっていた。喧嘩も多かった。母親は実家に帰っていることが多くなっていて、笙子は大概一緒に連れて行かれたが、時々は保育園から父親と一緒に三澤の家のほうに帰った。
 父親と二人きりの夜には、一緒にお風呂に入り、お風呂をカラオケボックス代わりにして歌った。
「笙子は大きくなったらお母さんみたいな笙の演奏家になるのかなぁ」
 父親が何となく呟いた。
「ううん。笙子は歌手になるよ」
 笙の演奏家と歌手の違いもよく分かっていなかった。邦楽と、父親が歌う歌の世界は違うことも、まるで理解もしていなかった。

 最後の年、クリスマスイブの夜。
 笙子は母親の実家にいた。雅楽の伝承者であることを求められる母親の実家では、クリスマスのイベントなど全く考えられない環境だった。理由までは分からない子どもでも、そこではクリスマスのことを話題にしてはいけないことだけは察していた。
 気になっていた。今日はサンタクロースが来る日なのだ。笙子が三澤の家にいなかったら、サンタクロースはがっかりするだろう。せっかくプレゼントを持って来てくれるのに。

 その日、ご飯の後、笙子は早々に布団に入れられた。
 今日はサンタクロースが来る日なのに、と思うと、目を閉じてもすぐ目を開けてしまった。
 こっそりと起き上って居間を覗くと、炬燵を囲んだ笙子の母親と祖父母、伯父夫婦が難しい顔をしていた。
「正興さんがそないなこと」
「お前たちはもう長いこと、上手くいってへんかったやろ。正興くんかて男や。そうなればそういうこともあるやろ」
「そうや、彩希子、笙子のためにもきちんとしておいたほうがええ」

 笙子はこっそりと母親の実家を抜け出した。
 母親の実家と、両親と一緒に住んでいた三澤の家はそれほど離れていなかった。大人の足なら十五分ばかりの距離だろう。
 笙子は家を抜け出してから少しだけ後悔した。
 皆が街に出かけているか、家で静かに過ごしている聖夜、笙子の目に写る世界は真っ暗だった。笙子はやっぱり戻ろうと思ったが、サンタクロースからプレゼントをもらうというのが、子どもの義務だという気もした。

 静かな夜の町は、見慣れたいつもの景色と随分違っていた。いつもならお父さんと手を繋いで歩く道が、どこに続いているのかどこにも辿りつかない、目的地のない道に見えた。
 それでも、笙子は目を瞑って、最初の角まで走った。後ろから誰かが追いかけてくる。雅楽の怖いお面を被った人や、人の声を模していると言われる篳篥の音が耳の後ろに貼りついている気がした。

 それでも、頑張って角を曲がると、急に怖くなくなった。
 笙子は一生懸命夜道を歩いた。途中で犬に吠えられて慌てて走って、息が切れてしまった。明るい外灯の下を歩こうとして、ふと自分が誰かから見られている気がしたので、怖くなって逆に暗い所を歩いた。暗い場所に隠れると少し安心したが、自分の運動靴が闇の道に吸い込まれて見えないような気がして、吸い込まれないうちに足を動かさなければと、また走った。

 三澤家まで二ブロックほどのところに神社があった。小さな神社だが、本殿と拝殿以外にも、いくつかの小さな社が点在していて、拝殿の脇にあたるところに小さな森があった。神社の灯篭にはいつも灯りが入っていた。
 少なくとも笙子の記憶には、その灯りがちらちらと蠢いている。
 神社を迂回すると時間がかかる。それに笙子にとってこの神社は遊び場所でもあった。近道はよく知っている。
 笙子は神社の敷地に入り込んだ。そしてやはり暗い所を選んで歩いた。

 その時、ざくっざくっという音が耳に届いた。
 自分の足音が、カラオケボックスの中みたいに大きく木霊して、闇の中に響いているのだと思った。だから足を止めてみた。
 一旦、静寂があった。
 だが、笙子がじっとしているのに、再び、ざくっざくっという音が覆いかぶさってきた。神社の森では木々が大きく社を覆っている。少なくとも子供の笙子の目からはそう見えていた。音は、笙子の目からは天を覆うような木々に跳ね返されて、反響していた。

 不思議と怖いとは思わなかった。いや、怖いのだが、それが何の音なのか見届けることが必要だと思った。静謐な儀式の気配があった。
 笙子は足音に気を付けながら闇を歩いた。
 だんだん目が慣れてくると、拝殿の脇の森のほうで、何かが動いているのが分かった。近付いてみると、木の脇で誰かが地面を掘っていた。

 穴はもう随分と大きくなっていた。
 その穴の脇の地面には、赤いものが横たわっていた。
 真っ暗闇ではなかったのかもしれない。何故なら色がはっきりと分かったのだから。笙子にはその赤いものがサンタクロースだと分かった。赤い服に大きな白いボタン、それにサンタクロースの帽子とひげ。
 サンタクロースは横たわっている。

 その時、みしっと足元で小枝が鳴った。笙子は自分の靴が小枝を踏んだのだと思った。
 ざくっという音が止まった。
「……笙子……」
 地面を掘っていたのは、笙子の父親の三澤正興だった。

 そしてその日を最後に、笙子は父親の顔を見ていない。
 何となく察していたことでもあったので、母親にも多くを聞けなかった。
 父親は家を出ていったということ、少なくとも父親が姿を消した後しばらくは母親も随分悲しんでいたこと、それだけが笙子に理解できたことだった。
 だが、父親がサンタクロースを殺したことについては、笙子だけが知っている。

 母親が父親を愛していたのかどうか、少なくとも親の反対を押し切って結婚したのだから、一緒になる時には愛情があったのだと思うが、徐々に二人の間が冷めていったのも事実だろう。それでも、笙子のことを思って離婚までは考えていなかったのかもしれない。
 一度だけ、母親が呟いていた。
 お父さんは他に女の人がいたのよ。だから笙子とお母さんを捨てて出ていったの。だからもう、お父さんのことは忘れてしまいなさい。
 母親は笙子に立派な演奏家になって欲しいと言った。

「蓮さん」
 笙子は淡々と話し終えると不意に声の調子を変えた。蓮は、笙子が話し始めたときから、笙子の母親の名前、安倍清埜に何かが引っかかっていた。話を聞きながら、ずっとそのことを考えていた。
「え?」
「聞いてます?」
「もちろん」
 ふっと笙子が息をついた。
「私、歌っている時、何か恐ろしいものに追いかけられているような気がするんです。それで、上手く言えへんけど、ものすごく興奮してきて、自分じゃなくなるような感じ。後でふと我に返って、怖くなることがある。笙を吹いている時も、たまに同じようなことがあって」
 懺悔部屋と店の連中が呼んでいるこの部屋の照明が、半分だけ笙子の顔を明るく染め、残りの半分を闇の側に残していた。
 


「それで、結局、サンタクロースは掘り出せたのですか?」
「いえ。三澤笙子さんと一緒にその神社には行ってみたのですが、神域ですから、勝手に掘り返すわけにもいきませんし、さすがに、死体が埋まっていると思うので掘り返していいですかとは聞けませんでした。真正面から行っても断られるだけでしょうし」
 蓮が出雲右京に連絡をすると、出雲が大学まで来てくれと言った。学会前で忙しいのだろう。

 学食の大きなガラス窓で冷たい風が遮られると、冬の陽射しも暖かく感じられる。右京と蓮は、学生たちに交じって、カレーライスを奇妙なほど一生懸命に食べながら話していた。
「なるほど、それで僕に相談に来てくれたわけですね。頼りにしていただけるのは嬉しいものです」
 右京は察しがいい。出雲家の力なら何とかならないかと思ってみたりしたのだが、もちろん、いくら上から目線で出雲右京がその神社に何か言ってくれても、そう簡単にいくとも思っていない。

 右京は綺麗にカレーライスを食べ終え、蓮が食べ終わるの黙って見つめている。考えてくれているのだろうと思って、蓮はゆっくりとカレーライスを空にする。
「何か突破口になりそうなことはありますか? その神社の御利益は?」
「不運を祓う、いわゆる厄除けのようですね。先代の宮司は厄払いの特別な力があったとかなんとか。一昨年代替わりをしていますが、近所で聞いたら、いまひとつ先代ほどの有難味がないと」

 神社もあれこれと大変だ。代替わりの際には、若い後継者にあれこれ負担がかかるものなのだろう。改めて、霊験あらたかであるという宣伝も必要になるに違いない。
「それなら、私の依頼ということで玉櫛さんの力を借りるのはどうだろう」
 蓮は口に含んだ水を吐き出しそうになった。
 その名前を聞くのは久しぶりた。いや、名前が久しぶりだというだけで、その人物とは毎日のように顔を合わせている。

 玉櫛というのは、一昔前、花柳界でその名を馳せた伝説の芸妓だった。三味線も唄も踊りも誰にも引けを取らなかった。頭もよく、誰のどんな話題にも合わせることができ、噂では関西出身の超大物財界人の愛人だったという。だが彼女の名前が今でも語り草になっているのは、その予言の力だった。
 彼女のところには、進路や選択に惑う人々が集まり、彼女に占いによる宣託を求めたという。
「伝説の玉櫛さんの宣託なら聞くでしょう。この神社に何か禍々しいものが埋められているようだから、掘り出してしまわなければ神社の霊力が損なわれるとか何とか言ってもらいましょう」

 実は、蓮はその役目を出雲に期待していたのだが、出雲は自分は科学者であって霊能力者ではないから、幾ら出雲家の者の言葉であっても宮司を動かすことはできないだろうと言った。
「玉櫛さんにしかできないでしょうね」
「でも……」
 蓮が口ごもると、出雲はにこにこする。
「玉櫛さんには私から言いましょうか」
「あ、いえ。僕が頼んでみます」
 出雲はこう見えて悪知恵も働く。

「ところで三澤笙子くんは、昨日からライブで忙しくなられたのでしょう?」
「えぇ。でもライブは夜なので、昼間の内なら動けると言っていました」
「さて、何が出てくるのでしょうねぇ」
 出雲は何やら楽しそうに見える。
「出雲先生、死体が出てくるかもしれないんですよ」
「そうですねぇ」
 出雲はやはり少しばかり世間ずれしている。
「笙子さんのお父さんが犯人かもしれない」
「えぇ。でも笙子くんはきっと物事をはっきりさせないままでは、一歩を踏み出せない、そんな気持ちなのでしょうね。でも、彼女はお母さんからは何か聞いていないのでしょうか」

「笙子さんのお母さんは乳癌で、もう長くはないと言われたそうです。母娘関係の中には笙の師弟関係も絡んでいて、笙子さんはお母さんとは言え、何でも話してきたわけでもない、話せないことの方が多かったのだと言っていました。笙子さんは、自分の見たものが幻だったのかもしれない、あるいは夢だったのかもしれない、できればそうあって欲しい、でも確かめないままでは、このことを忘れられずにずっとやっていかなくてはならない、それは自分の足元を見ないで生きていくことだと」
「確かに、父親に捨てられたというショックで、奇妙な夢体験を現実と思い込んでしまうこともあるでしょうからね。だから、本当のことを確かめたいのですね。お母さんが亡くなる前に」
そして『華恋』も今後を決する岐路にある。過去を振り切って、未来を想う時が来ている。


 蓮は『奇跡屋』の前で突っ立っていた。
 今日は風が冷たい。思わずダウンジャケットの襟を合わせる。ポケットに突っ込んだ手だけが身体のどの部分とも違った温度になっていて、そこから逆流して体中に冷たい温度が沁み込んでいく気がした。
 重い木の扉に「奇跡、売ります」の木札がぶら下がっている。
 それをひっくり返す。「二階 釈迦堂探偵事務所 この扉からお入りください」と書かれた文字が少しだけ掠れている。

 その時、蓮のジーンズのポケットで携帯が震えた。
 確認すると、「如月」と苗字だけがそっけなく表示されている。
「もしもし」
「あ、釈迦堂君。今、大丈夫?」
 如月海、蓮が親となって面倒を見ている和子(にこ)の主治医からだった。もともと蓮の同僚であり、そして本当なら今頃は、釈迦堂海になっていたはずの女性だ。彼女は今、大学病院の小児科で働いている。専門は循環器だった。
「にこちゃんの先週の検診、来えへんかったでしょ」
「ごめん、忙しかったんや。お寺の奥さんに頼んだんやけど」

 蓮が心置きなく関西弁で話す相手はそれほど多くない。店でも標準語を話している。海はそのうちの一人だった。結婚を取りやめた理由は、全て蓮の側の事情だった。それが今でもこうして普通に話せる関係であることは、お互いに少し不思議だと思っている。
「分かってる。でも、釈迦堂くんも分かると思うけど、おばあさんに説明しても、こっちは不安なんやけど」
「カテーテル検査入院のことやろ。来週、外来に行ってもええかな」
「冬休みやし、混んでるよ」
「あぁ、そうか。じゃあ、年明けでも。検査、急ぐんか?」
「小学校前にしとこうって、前から言うてたやん」
「あぁ、そうやった」

 来年、にこは小学校に入る。そのことで教育委員会や学校ともいささか揉め事があった。結局、あれこれあって、今のところ支援学校ではなく、普通学校の支援学級ということに話が落ち着いている。
 だが、きっと話はそれだけではないだろう。
 海と蓮には小さな約束があった。婚約を解消した時に、海から出された提案はただそれだけだったのだ。本当なら慰謝料を請求されてもいいようなことだったのに。
「そう言えば、今年、どうする? 検査のこと、その時に相談してもいいし。公私混同で悪いけど」

 蓮の方から聞かなければならないはずなのに、男というのはこういう時、自分からはっきりと言わないという卑怯な面がある。そして海も、言い出しにくくて、こうして仕事や和子のことにかこつけて電話をしてきたのだろう。
 十二月二十四日の蓮の予定は毎年空けてある。
「あぁ、もちろん、時間はそっちに任せる。今年は当直逃れたんか?」
「うん、毎年やと、いかにも残念な女やん?」
「じゃあ、二十四日に。検査予定、二月ごろにでも入れといてくれ。こっちの予定は何とかする」

 電話を切って、ため息をひとつ零す。蓮のほうの一方的な理由で、如月海との婚約を解消し、医師としてこれからだった未来を捨て、にこを引き取り、そして今、こうして明日どうなるのか分からない水商売と探偵業を生業としている。
 だが、こうなって分かったことも幾つもある。
 蓮の今の生活は、あの頃よりもはるかに多くの人たちに支えられている。いや、支えられていることに気が付いた、ということなのかもしれない。

「おい、蓮」
 いきなり扉が引き開けられた。
「いつまでも店の前に突っ立てるんじゃないよ。このへっぽこ探偵。私に頼みごとがあるんだろう。さっさと入りな」
 この婆さんには本当に参る。この乱暴な言葉には、昔花柳界で一番売れっ子だった時の名残など微塵も感じられない。
 だが、時々、蓮は思う。これはこの婆さんの化けの皮だ。わざと祇園言葉を使わない。愛人だったという某有名財界人の一歩後ろを歩いていたあの楚々とした姿の写真を見て、感じることがある。それは、その人の傍らで誰にも恥じないように、いくつもの言葉を操ってきた女の意気地だった。

 とは言え、蓮はやはりこの老女が苦手だ。そもそもどこまでが本当で、どこから人を騙しているのか、さっぱり読めない。
 三澤笙子のことを話すと、石屋の老女はくっと笑った。
「いいとも。手伝ってやるよ。で、幾らくれるんだい」
「冗談。彼女に石を売りつけただろう。詐欺商法でいつか訴えられるぞ」
「売りつけた? 人聞きの悪い。あの娘に必要なものを渡してやっただけだ。それに応じた代金は到底頂かなきゃならない。それに、だいたい、お前んとこの娘が売り上げをかっぱらったんだぞ。つまり、最終的にはお前がその代金を払うべきだ」
「にこはあんたの詐欺行為を正しただけだろう」
「言っとくけど、私は詐欺なんかしてないよ。人が何かを望めば、代価が生じる。高いか安いかは買う人間次第だ」
 老女はふん、と鼻で軽く憤りを示した。

「お前はケチだ。魁はいい奴だった。年末にはいつだって困ってるだろうって、金をたんまりくれた」
 この老女が生活に困っているのかどうか、蓮は全く知らない。困っていてもいなくても、どうあれ生きている。
「あの娘を使って何を企んでるんだ」
「企む? わたしゃね、石の言葉を聞いただけさ。石があの娘のところに行きたがったんだ」
「あの石には何があるんだ?」
「あれは親子石なのさ」
老女は呟いて、魔女のような目を細め、しばらく考えていたが、やがて言った。
「いいとも、蓮。ただし、舟に意地悪するな」
 どういうわけか、この婆さんは舟には甘い。舟を守っているのだとも言っている。確かに、舟が何度も喧嘩で死に掛けているのに生き延びてきた裏では、この老女が祈祷でもしているのではないかという気もする。


 翌朝、すでに明るくなっているものの、まだ太陽の光が射す前に、蓮と笙子は先に神社に着いて待っていた。
 そこへ京都の狭い道には不釣り合いなほど立派な黒塗りの車が入ってくる。その音を聞きつけたのか、慌てて社務所から宮司とその家族らしい数人が飛び出してきた。
 始めに運転手が出てきて、彼が開けた後部座席からスーツを綺麗に着こなした出雲右京が出てきた。出雲は反対側の後部座席に回り、ドアを開ける。出雲の手にエスコートされて降りてきたのは、小柄で小奇麗な老いた女性だった。降り立ってすっと背を伸ばすと、小さな体が大きく見えた。
 綺麗に結い上げた髪、年に見合った控えめながらも見栄えのある化粧、それに黒留袖に珍しい龍の文様。極道の女でも演出しているのか、と思うような迫力だった。

「石屋のお婆さん?」
 笙子が呟いた。
 玉櫛、と呼ばれていた昔、この婆さんはさぞかし綺麗だったのだろうと思う。
「では、参りましょうか。蓮くん、笙子さん」
 出雲に声を掛けられて、二人は後を追いかけた。

 始めから電話を入れてあったようだ。石屋の婆さん、いや、玉櫛と出雲、神社の宮司とその家族はしばらく神妙な顔をして話をしていたが、やがて宮司の手から随分と分厚い茶封筒が玉櫛に渡された。
 やれやれ、どうにもあの婆さんの詐欺行為に手を貸しているようで申し訳ないが、庭に死体が埋まっているかもしれないよりもいいだろう。
 玉櫛婆さんと出雲が出てきて、その後にスコップを持った宮司と若い男が続いた。

「でも、私、あんまりはっきりと場所を覚えているわけやないんやけど」
 笙子が不安そうに呟く。
「心配せんでも良いえ。石に聞かはったらええんどす」
 いつもと声まで違う、と蓮は思わず玉櫛婆さんを睨んでみたが、知らんふりをされた。
 笙子はポシェットのように斜め掛けした小さな布のカバンからハンカチを取り出す。ハンカチを広げるとあの天河石が現れた。それを直に掌に載せて、それから蓮の顔を不安そうに見上げる。
 蓮はホープ・ストーンを見つめていた。

 やがて午前中の光が東山の端から光の矢のように射しこむ。笙子が驚いたように一歩後ろに下がったが、光はまるで石を追いかけてくるようだった。
 宮司は拝むように手を合わせていた。傍にいた若い男はぽかんと口を開けたままだ。
 一体、どんな演出だ、と蓮はもう一度玉櫛婆さんを見る。玉櫛は当然という顔で石を見つめている。いや、彼女の目は石の光の先を追い掛けているように見える。
 シラー効果よりもはるかに強い光が跳ね返り、虹の乱反射が森の中で木々の葉を照り返す。赤、オレンジ、黄、緑、青、藍、紫、そしてその間を埋める全ての色が互いに絡まりあう。まるで巨大な鏡のドームの中、万華鏡の中に閉じ込められたような心地がする。

 笙子がゆっくりと歩きはじめる。玉櫛は当たり前のように、出雲の手に引かれて後に続く。
 その場所に笙子が立った時、不思議なことが起こった。突然、辺りに散らばっていた虹が全て、笙子の掌に吸い込まれた。正確には、笙子の掌の上の天河石に吸い込まれた。
 玉櫛に促されて、男たちがその場所を掘った。蓮も手伝った。
 やがて宮司のスコップが何か固いものに当たった。宮司は畏敬の念を禁じ得ないような顔で、玉櫛に救いを求めた。玉櫛は鷹揚に頷いた。

 そして。
 本当に骸骨が出てきたのだ。
 だが、笙子の記憶に噛み合わないことがあった。
 骨となった遺体は服を着ていた。布はかなり朽ちていたが、黒い冬の装束だった。殺されたサンタクロースには見えない。
 こうなっては警察に届けなければならなかった。京都府警が鑑識を連れて飛んできた。
 そして、今度は笙子の記憶が正しかったことが証明された。
 遺体の下にはサンタクロースのものだと思われる赤い布の残骸があった。
 そしてその遺体の朽ちかけた黒いコートのポケットから、もう一つの天河石が発見された。






次回、最終回です。
皆様に読んでいただくのが、クリスマスを越えるような気がしますが、ちょっとお許しください。
次回はそれほど長くありません。大方の人々を上手く物語に絡めてご紹介できていたでしょうか。
この物語で私が設定した人物たちは、あとは蓮が住んでいるお寺の人たちを除くと、ただ一人になりました。
竹流の立ち位置にあたる外国人の仏師です。
でも、今回はあきらめようかな……ちらっと最後に出せるかな。

さて、次回は解決編。
サンタクロースはどうなってしまったのでしょうか。
ご期待ください。

Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(4) 

【奇跡を売る店】サンタクロース編、第4話です。
蓮の事務所を覗いてみてください。相変わらず、玉櫛ばあさん、名調子です。




 その二日後、正確には一日半後、蓮が『ヴィーナスの溜息』の片づけを終え、ママに挨拶をしたのは三時を回っていた。
 年末ということもあって、忘年会の二次会の予約も多く、客が帰ってくれるのは終業時間を一時間ほども越えることも多くなっていた。比較的時間はきっちりとしているママも、この季節だけは諦めているようだ。
 飲みに行こうという誘いを断って、蓮は事務所に戻った。
 思い出しかけていることを確認したかったのだ。

 あの神社から本当に遺体が出てきた。それが誰なのか、早晩はっきりするだろう。
 蓮が引っかかっていたのは、遺体の身元というよりも、一緒に出てきた天河石だった。
 今日の昼間、いや正確には昨日の昼間、警察が『奇跡屋』を訪ねて来た。
 石のことで話を聞く相手として適任なのは、もと玉櫛と呼ばれた石屋の女主だということになったのだろう。哀れなことに、警察はその玉櫛がどんな陰険な婆さんかということを知らない。

 蓮は二階で聞き耳を立てていた。
 婆さんは例のごとく意地悪な声で若い刑事たちをからかっていた。
「そりゃ、アマゾナイトだ。天河石ともいう。そうさ、奇石の一種だ。へぇ?あんたはんら、何の予備知識もなく、そんな偉そうな面して訪ねて来たんかい? あぁ石が可哀相だねぇ」
 とか何とか、さんざん嫌味を言った後で、しゃあしゃあと言う。
「そりゃそうさ、あれを売ったのはうちの店だ。うちにある石のことはみぃんな分かってる。石は、人間よりも顔がはっきりしているものさ。例えばあの死体よりも、よほど来歴が明確だね。誰に売ったかって? それは石が望んだ相手にだよ」
 全く、聞き込みの刑事に同情したくなる。

 それでふと思い出した。
 婆さんはあの石を親子石だと言わなかったか?
 婆さんの言う親子石というのは、もともとひとつの石だったものを割ったか、自然に割れたかしたものだ。婆さんの場合には自然に割れた石を指すことが多い。石は持ち主を選ぶという。笙子が今持っている石は、自らの意志で笙子を選んだのだ。では、その石の親子石はどこにある?

「本当は誰に売ったか覚えているんだろう?」
 刑事が帰った後で下に降りると、婆さんは大きな机の向こうに隠れるようにちんまりと座っていた。蓮が尋ねると、ぎろっと睨む。
「あぁ、覚えてるよ。私が売った相手は魁だ。その後、魁がどうしたかは知らないね」
「魁おじさんが買った?」
 この釈迦堂探偵事務所の本当の探偵、蓮の叔父だ。
「あの石は親子石だ。人と人とを強力に結びつける力がある。魁は多分、お前たちにと思ったんだろうけどね」
「お前たち?」
「三つで一組の親子石だったのさ。だから言ってやったんだ。舟はともかく、蓮が殊勝に石の力を信じて持ち歩くものかって」

「三つって魁おじさんと舟と、俺? なんで?」
「知るかい。大体、あの頃からお前は可愛くなかった。親に捨てられたからってグレてるばかりで、理屈好きで、科学こそ人間のために必要なものだとか言って、わたしらの商売を笑ってたろう。けど、科学や医学がどのくらい人間を幸せにしたっていうのかね。もっとも、あんたも途中で気が付いたってわけだ。立派なお医者様になったってのに、途中で辞めちまったんだからね」
 蓮は婆さんの嫌味を、頭半分で聞いていた。

 三つで一組の親子石。安倍清埜。どこかで見た。
「結局、魁はあの石を他の誰か、本当に必要としている人間にやっちまったんだろう。その時から石は別の持ち主のものになったというわけだ」
「あんたの力で、あの天河石を警察から預かれないのか?」
 婆さんはちろっと蓮を睨んだ。
「土から掘り出されたんだ。お前が心配しなくても、石は帰りたいところに帰るさ」
 

 蓮は二階の事務所に上がり、キャビネットを引っ掻き回した。
 探偵事務所の中は、ワンフロアの空間を幾つかに仕切ってある。階段を上って一番手前が、接客のためのテーブルと向かい合わせのソファを置いた空間。その奥が所長兼従業員のための机と本棚のある空間。そして階段からは見えない奥に、仮眠のできるベッドと流しなどの水回りがある。
 キャビネットがあるのはその一番奥の空間だった。というよりも、キャビネット自体が仕切りの役割を果たしている。

 この探偵事務所で過ごす時間は果てがない。もちろん、まともに働いている従業員は蓮一人という事務所なので、依頼があればそれどころではなくなるのだが、普段は暇で仕方がない。
 ほとんど家にも帰らなかった研修医時代から、その後の医師としての生活では、まるで私の部分はなかった。その中で蓮は自分の生活だけではなく、精神的にも追い詰められていた。

 患者はみな幼い子供だった。その死に涙する看護師や医師たち医療スタッフの中で、蓮はいつも涙を流すことができなかった。子どもを相手にするスタッフたちは皆優しかったし、子どもの不幸に涙するのに性別は関係がなかった。
 もちろん悲しくなかったのではない。悲しい以上の感情だった。悲しさは、ある程度以上になると蓮の中で飽和してしまい、塊になってどこへも行き場がなくなってしまった。人の死は致し方ないことは分かっている。だがその過程が恐ろしかった。蓮の性格はその仕事に向いていなかったのかもしれない。
 釈迦堂先生ってクールなんですね、とよく言われた。そう言われても、何とも返事のしようがなかった。

 如月海だけはそんな蓮の支えだった。釈迦堂君は感情表現がうまくないだけだよ、と海はあっさりと言った。海にも似たような部分があるからなのかもしれない。夜の医局で二人きりになることが多く、色々な話をした。基本的には海が喋っていたのだが、蓮の一言を海が聞き逃すことはなかった。
 拘束のない夜は二人で飲みに行き、いつの間にか蓮は海の一間きりの部屋に泊まりに行くことが多くなっていた。両親からはぐれて以来、叔父の魁の代から三味線と剣道の師匠であった昭光寺の和尚に引き取られた蓮には、自分の場所というものがなかったのだ。
 蓮が間違いを起こさななければ、二人は予定通り結婚式を挙げていた。

 あの頃とすっかり変わってしまった蓮の生活だったが、まともに眠る時間がないことは同じだった。
 蓮の朝は夜の続きから始まる。四条川端のショウパブ『ヴィーナスの溜息』の閉店は夜の一時だ。その後片づけがあり、店の連中に付き合って少しだけ飲みに行くこともある。蓮が住んでいる昭光寺は堀川今出川を少し北に上がった西陣にあり、蓮が自転車でそこに帰り着くのは早くても三時、あるいは五時になる。
 寺にとっては普通に朝の時間だ。少し眠り、和尚と朝食を共にする。時には逆になることもある。まるきり眠らない日もある。そして、九時半前に和子(にこ)を連れて四条河原町近くの保育園に向かう。にこはむすっとした顔で蓮の自転車の前で待っている。保育園に行きたくなくても、行くべきであると自分に科しているような気がする。

 事務所はおよそ十時には開けている。開けているが、依頼者は滅多に来ない。だから、蓮は半分寝ている日もあるのだが、どうにもこの事務所にいると気持ちが昂るのか、目がさえてしまうことが多い。多分、階下の婆さんと、奇妙な気を放っている石たちのせいだ。
 叔父の残した依頼の報告書は、丁寧に分類されてキャビネットに仕舞われている。叔父はコンピューターが苦手で、幾冊ものハードカバーのノートに綺麗な字で自分の関わった調査の報告書をまとめていた。

 ちなみに依頼者への報告書をパソコンに打ち込んで作成するのは、『ヴィーナスの溜息』に勤めている正統派ホモセクシュアルのミッキーだった。正統派、というのは、女装をしたり性転換をすることはなく、男のままで性の嗜好がホモセクシュアルだということだ。小柄だが身体を鍛えていて、『ヴィーナスの溜息』に勤めるまでは自衛隊に入っていた。魁に気があったのだろうと思う。
 あまりにも時間があるので、蓮は日長一日、叔父の調査報告書を読んでいることがある。下手な小説よりもよほどに面白い。

 今、蓮が探しているのは、その中にあった報告書のひとつだった。
 笙子の話を聞いている時に、笙子の母親の名前に何かが引っかかっていたのだが、思い出せなかった。というよりも、別の絵柄のパズルだと思っていたものが、実は今作っている絵柄のピースだったということだった。
 叔父の残した浮気調査の報告書。
 その中に安倍家からの依頼があったはずだった。
 両親は離婚したのかどうか、笙子自身は分かっていないようだったが、笙子の名前は父親の名字・三澤のままだ。三澤とばかり頭にあったので意識していなかったが、笙子から母親の名前を聞いた時、あれ、と思った。
 どこかで見た。それも何か記憶の鍵に引っかかるような形で。

 その叔父のノートの一ページに、奇妙な印象があった。そのことが今、きっちりとパズルの絵柄に嵌った。
 あった。
 蓮は仮眠用のソファベッドに座った。
 最初に「安倍清埜」と青いインクで書かれた依頼者の名前が、二重線で消され、その上に別の名前が書かれている。新たに書き換えられた名前は安倍真伍、清埜の父親、すなわち笙子の祖父だった。
 娘の夫の浮気を調べて欲しいという依頼。
 だが、何故依頼主が変わってしまったのだろう。
 その報告書の記録が頭の隅に残っていた理由はそれだけではなかった。

 叔父の調査報告書はかなり丁寧だった。浮気調査ひとつにしても、間違いがないようにと気を使っていたのが分かる。報告書にまとめられた以外にも、ノートには調査過程が細かく記されていた。だが、安倍真伍の依頼に関しては、その調査報告書に至る過程はあまりにもお粗末だった。
 だから違和感があったのだ。
 まるで調査などせずに報告書を書いたような、そんな気がする。
 そして蓮の側頭葉の引き出しに残っていた絵柄。それはこのページに残された小さな三つの丸だった。少し大きい丸と中くらいの丸の上に小さな丸が乗っているような印だ。
 三つ一組の親子石。
 誰がこのことを知っている? もうひとつの天河石を持っていた、穴から出てきた遺体? そして、三つ一組ということは、石はもうひとつ、あるはずなのだ。

 朝になったら笙子に電話をしよう。そして、もう一人のキーパーソンに会わなければならない。
 蓮はノートをベッド脇のローテーブルに投げ出し、靴を脱いで布団に包まった。布団の上からさらに毛布を被る。
 この季節の京都の底冷えは半端ない。特に、この昭和レトロを絵に描いたような建物では、地面の底から湧き上がった冷気が建物の柱や壁を這い上り、床からベッドの足を伝って、蓮の身体の奥の骨にまで沁み込んでくる。
 今、確か平成だよな。
 ここだけ昭和で残っているのか、いや、あの婆さんを見たら、明治か大正かと言われても致し方ない。最近流行の町屋をリニューアルした店のように、ここももう少し若者受けするような店構えに変えたらいい。
 目を閉じて、笙子のことを考えてみる。蓮は笙子の歌も笙も聴いたことがない。もしも聴いていたら、彼女の何かが分かるのだろうか。もしかして石の言いたいことも、蓮に聞こえるかもしれない。
 婆さんのように……

 寒くて仕方がないのに、そのまま睡魔が襲ってくる。文字通り煎餅のような綿布団も毛布も、辺りの凍った空気を吸い込んで氷のように固まっている。せめて羽根布団でも買えたら、少しは過ごしやすいかもしれない。
 でも、にこに机を買ってやりたい。座って勉強するかどうかは分からないが。
 サンタクロースの贈り物として、ランドセルを買った。でも、にこの身体にランドセルは大きい。天使の羽根ってやつにしたけれど、軽いとはいえ、同年代の子どもよりも二回りも小さい身体は隠れてしまいそうだ。教科書もノートも、にこの身体には負担だろう。そもそも教科書ってなんであんなに重いんだろう。
 それより、サンタクロースからランドセルってのはやっぱり駄目か。普通はランドセルはおじいちゃんとかおばあちゃんがくれるんだよな。クリスマスのプレゼントは、そんな必需品じゃなくて、もっと洒落たものにしてやらないとだめなんじゃないか。

 やっぱり海に頼んで一緒に買い物に行ってもらおう。小学校に着ていく服とか、少しは女の子らしいものを。いや、海は忙しいよな。明日、笙子さんに会うんだから、その時ちょっと頼んでみようか。『華連』のメンバーの中では笙子の服装が最も地味だから、まさかロックな服を選んだりはしないだろう。
 でも、あのぶすっとした膨れっ面のこましゃくれた子どもに、ひらひらの服は似合わないか……いや、馬子にも衣装とも言うし……
 それより、朝起きたら、ってもう朝に近いけれど、にこを迎えに行かないと……
 そうか、湯たんぽを買えばいいのか。いや、湯たんぽは湯を沸かすのが面倒臭いな。電気毛布で十分だ。

 ぐるぐると思考が回る。蓮は、少しも暖まらない布団を頭まで引き被った。
 ふわりと誰かの気配がする。眠りが浅いと、現実に近い夢を見ることがある。誰かがベッドの脇に立っている。
 眠っているのに、神経が昂っているのだ。こんな凍えるような部屋に現実の誰かがやって来ることはあり得ない。
 蓮が包まる毛布が引っ張られる。半分引き剥がして、蓮の身体に引っ付くように潜り込んでくる。ぴったりと蓮の身体の内側に絡み付く。

 れん、寒い……
 囁くような声が蓮の首筋に話しかける。
 微かに、ミントのような香りがした。
 幻であっても、この寒さの中では有難い。誰かが湯たんぽを持って来てくれたのだろうか。サンタクロースにはまだ早いけれど、暖かくて落ち着く。
 蓮は幻を抱き締め、ようやく安心して短い眠りに落ちた。



 全く、こいつは何だっていつもこうなんだ。
 蓮は悪態をつきながら湯を沸かしていた。短時間とは言え、深く眠ったおかげで頭ははっきりしている。
 小さな流しの側にはガスが引かれていたが、少し前に止めてもらった。火事が心配なので、電気のプレートに薬缶を乗せている。高瀬川に面した窓を、白く冷たい朝日が光色に染めていく。冷えた氷色の空気を、白い湯気が震わせる。
 湯気が勢いをつけて吐き出される頃、背中から罵声が飛んできた。
「蓮のくそ馬鹿! 解け! この人でなし! ションベン漏れる!」

 ここ何週間も顔を見ていなかった従弟は、ぐるぐるの簀巻き状態の煎餅布団の中で足掻きながら叫んでいる。煩いから猿ぐつわもしておくんだった。
「蓮!」
 蓮は沸き上がった湯でさっき豆を挽いたばかりのコーヒーを淹れて、一人でゆっくり味わいながら、小さいベッドをガタガタ言わせている従弟の顔の高さにしゃがんだ。
「寒いって言うから、巻いてやったんや」
 簀巻きにして、ついでに縄跳びのロープで括ってある。そう簡単には解けない。

「わけ分からん! 蓮のアホ! ほんまに漏れる!」
「寒いんなら、なんで裸で布団に入ってくるんや」
「蓮が寂しそうに一人で寝てるからや」
「殴るぞ」
「俺は蓮と違って一人寝なんかしたことないからな。服着て寝る必要がないだけや! はよ解けって!」
「解いてやるから、その前に白状しろ。まず、その腹の傷は何や。それから、三澤笙子とはどういう関係や」
 ぴたり、と安いベッドの悲鳴が止まる。

「ふ~ん、蓮、海ちゃんから笙ちゃんに乗り換えたんか。俺、海ちゃんとはやってへんから、どっちがええ味かは分からんけど」
 余計なことを言いかけた舟の頭を思い切り掌で掴む。
「何すんねん!」
「さっさと答えろ。淹れたてのコーヒーぶっかけるぞ」
 舟は綺麗な顔を歪ませた。

 従兄の蓮が言うのも何だが、舟の顔立ちは、その辺のちょっと綺麗な女の子と比べても、ずっと人目を惹く、ある種の色気がある。小学生の時にも、四条河原町の角で、スカウトされたこともあるくらいだから、そもそも目立つ造りなのだろう。女でないのが残念だと、ノーマルな男どもに言われたことも一度や二度ではない。通った鼻筋も薄い唇も、形のいい耳も、それにいささか危なっかしい目も。
 舟は唇の端を吊り上げて、にっと笑った。
「腹の傷は江道会の奴らとちょっとやりあっただけや。もう治っとる。三澤笙子は三日だけ付き合ったことがある。はい、おしまい。解いて」

「三日は付き合ったうちに入らん。少なくとも三澤笙子はそんなふうに思ってないやろ」
「だから処女はめんどくさいんや。言うとくけど、やってへんで。やったろ思てホテルに行ったけど、愛してるとか白けるようなこと言いよるし、付きまとわれるの鬱陶しいからやらんかったんや」
「それだけか」
「大事に思うとるからでけへん、って一応言ってやったで。けど、そんなん、普通ちょっと考えたら分かるやろ。男が勃たへんゆうことは、その女に気がないってことや」
「そんなことを言われたら、女の子は期待するやろ。お前の付き合っとる百戦錬磨の魔女や魔王らとは違う。舟、お前、そのうちほんまに殺されるぞ」
「どうでもええけど、はよ解け! ほんまに漏れる」

 蓮はコーヒーカップをサイドテーブルに置いた。仕方なく解いてやる。とは言え、自分でも惚れ惚れするくらいしっかりと結んだので、簡単には解けない。
「三澤笙子にこの事務所のことを教えたんか」
「あの女、蓮のこと知ってたで。あぁ見えて、結構食わせもんや」
 蓮が舟の従兄と知ったのか、舟が蓮の従弟と知ったのか、そんなことはどうでも良かった。

 ようやく簀巻きにしていた煎餅布団から解放してやると、舟は素っ裸のまま階段をかけ降りていった。真冬だぞ。しかも、ここの手洗いときたら、極寒の北海道みたいなものだ。全く、あいつは訳が分からない。
 手洗いは一階にしかない。まだ婆さんが来る前でよかったと思う。素っ裸で手洗いに走り込む舟を見たら、蓮が苛めたと考えるに違いない。
 蓮がコーヒーを飲んでいると、舟がすっとした顔で戻ってきた。
「あぁ、危なかった」
「さっさと服着ろ。風邪ひくぞ」

 出すものを出してほっとしたのか、舟がいつものように、妖しく芝居がかった悪魔のように綺麗な顔で素っ裸のまま蓮に近付き、猫なで声で甘えるように身体を摺り寄せてくる。
「蓮兄ちゃん、いっぺん俺と寝てみる? 忘れられんようにしたるで」
 本当に、こいつはいつか誰かに刺される。その前に、俺が刺してやろうかと思うことさえある。
 蓮は自分に触れようとした舟の手を思い切り捻り上げた。
「いててっ! 何すんねん。冗談に決まってるやろ。蓮、痛いって。俺、か弱いのに」

 舟がか弱いなんてのは全くの嘘だ。こいつは半端なく喧嘩に強い。魁が仕込んだからだが、それだけではない。
 命を投げているように見える。殺せるもんなら殺してみろという捨て身だ。だからその気迫で大概の奴らはびびってしまう。もちろん、相手によってはそれが拙いことに繋がる。ヤクザや中途半端なチンピラ相手に、命のやり取りなど平気だと息巻いて見せるのだから、それこそ痴情の縺れじゃなくても、いつか殺されるかもしれない。
 中学生のころから舟は変わった子どもで、身体は小さいくせに粋がって肩をいからせて歩いていたし、世間様からはグレていると言われていたが、それでも可愛らしい面があった。高校ではのめり込むようにサッカーをしていたが、ある時、ふとしたはずみで大学生との間で喧嘩になり、傷害事件になりかけた。何とか卒業はしたものの、大学には行かずに、今は結局、複数の女や男のヒモのような暮らしをしている。
 そして少し前から、舟は危ない連中とやたらと絡むようになっていた。

「蓮、なんか食うもんないの?」
 うぅ、寒い、と唸りながら、舟はシャツを羽織り、ジーンズを穿く。ジーンズを穿く脚はか細く見える。あんな身体で、どうして無茶な喧嘩ばかりするのだろう。
「ない。今から昭光寺ににこを迎えに戻るから、一緒に行くか」
「げえっ。あの暴力坊主に殴られるのはごめんや」
「昔みたいに百回ほど尻叩かれたらどうや」
「あの爺さん、容赦ないんやもん。商売道具の尻が使いもんにならんくなる」
「ちょうどええやないか。使えなくしてもらえ」
「ひどいなぁ。蓮は冷たい。コーヒーでええや、淹れて」
 セーター貸してと言いながら、舟は置きっぱなしの蓮のセーターを勝手に被り、首を出して甘えるような声で言った。

 こうして話していると、舟は時々昔通りの可愛らしい面を見せる。時々、だが。
 小さいテーブルは二人で向かい合うだけの大きさかしかない。捨てられるような古い異国のテーブルに、魁が自分で手を入れたものだった。
「三澤笙子にこの事務所のことを教えたのは何故なんや」
「蓮、あの女に気があるんか?」
「馬鹿言え。依頼があったんや。お前が仕向けたんやろう」
 舟は背もたれのない丸椅子を少し後ろへ傾けた。
「だって、あれこれ昔話を聞かされて、面倒くさかったんや」
「どんな昔話や」
「うーんと、あんまり真面目に聞いてへんかったから、よく覚えてへんけど。父親がサンタクロースを殺して埋めたとか」
「殺したかどうかはわからん。埋めてただけじゃないんか」
「あれ、そうだっけ?」
「他には」

 舟はテーブルに両肘をついて、身を乗り出してくる。
「やっぱり、あの女に気があるんやろ。海ちゃんに言うたろ」
「俺と海はもう関係がない」
「なんで、毎年クリスマスイヴもしくはクリスマスは会ってるくせに。今からでも遅くないから、寄り戻したらええのに」
「それはただ約束やからや」
「ふ~ん。ま、蓮兄ちゃんは他に好きな人おるんもんな。はい、どうぞ。何が聞きたいん?」
 舟はどこまで何を知っているのか、全くつかめない。勝手ばかりしていて、ちょっと顔を見せたかと思ったらすぐにいなくなり、時に今にも死にそうな怪我で倒れ込んでくることもある。このにっこりと笑う顔が、舟の心をそのまま映してくれているのならいいのにと、蓮はいつも思う。





次回、最終回です。
って、前回も書いたんですけれど……筋立ての中ではもう終わっているはずだったのですが。
実際に書き起こしてみたら^^;
舟と蓮の会話が面白くて、のめり込んじゃいました^^;
愛嬌だと思って、許してやってくださいませ。
次回こそ、終わります(*^_^*)

Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(5) 

【奇跡を売る店】(5)です。
わはは~ 多分、笑ってますよね^^; 長くてびっくりなので、2回に切りました。
クリスマスの話を来年に持ち越したくないので、今日中に2話分ともアップしますが、ゆっくり冬休みにでもお楽しみくださいませ……^^;^^;
実は、下書き(というのか推敲前本体)を書き起こした後で、ワンシーン加えちゃったのです。
それは笙子たち『華蓮』のライブシーン。しかも、ちょっと歌詞を書いてみました。
詩は学校の授業以来書いたことがないので、ダメダメですが、笑って読んでくださいませ。
あんまりロックな曲じゃないのですけれど。まるで演歌??
こんなことをしているから、長くなってしまっているのですね。

お正月には【迷探偵マコトの事件簿】マコトの冬休み:マコト、初めての北海道~X-fileをお送りします(*^_^*)
タケルと一緒にスキーだよ\(^o^)/
こちらもお楽しみに。





どうしても決められない時
あたしはあたしの中にいる
本当のあたしに聞いてみるんだ
あたしはどうしたいの
でもあたしは答えない
答えを知らないんだ
誰も教えてはくれなかったから
それなら
あたしは答えを探しに行こう
だからあたしは
あたしだけが知っている道を行く

 きぃーんと腹に食いついてくるサウンドだ。
 ボーイッシュに髪を刈り上げたギタリストの絃は暴れるヴォーカルに見事に絡みつく。そのもがく様なヴォーカルとギターの闘いを支えているベースの音は、海鳴りのようにも聞こえる。ステージまで距離があるにもかかわらず、正統派美人ベーシストのくっきりとした顔立ちは人目を惹く。
 そしてドラムを叩いているのが、セクシーダイナマイト系のリーダーだった。確実なリズムだが、ヴォーカルの癖を読んで揺らぐときには心地よく揺らぐ。このグループの曲を全てアレンジしているのはキーボードの優等生風美女だった。蓮も最近知ったのだが、音大のピアノ科の学生で、国内のコンクールで入賞したこともあるのだという。

 そして、彼らをバックにして、まるで高校生のような幼い顔をした笙子が立っている。登場した時も、熱狂する聴衆に目を合わせまいとするかのように、視線をちょっと下に向けていた。それなのに、ドラムのスティックが鳴った瞬間、きっと目を上げた笙子に蓮はびくっとした。

 彼女の咽喉から迸る声は、胸のど真ん中に飛び込んできた。音がはっきりと聞こえる。リズムやメロディーもいいが、この自己主張が強そうなサウンドの波の中で、笙子の声は明瞭に聞き取れた。
 高音が確かな高さに一気に駆け上がる。その音を聴きたいと願うところに、一瞬で連れて行かれる感じだ。そして、その高みで、彼女と同じ景色を見る。
 技術と言うよりも、これは天性のものだと思った。もちろん、何らかのトレーニングはしているのだろうが、人を惹きつける力は、やはり特定の誰かに与えられた天賦のものだという気がする。

 それにしても、西田幾多郎か坂本龍馬みたいな歌だ。『道』というタイトルだと紹介されていた。
 歌詞はすべて笙子が書いているのだと聞いた。曲はそれぞれが持ち寄るらしい。
 蓮はふと、スタンディングで身体を揺らしながら熱狂する聴衆を見回した。若い男女ばかりだが、中に明らかに異質な連中が混じっている。
 いかにも業界人らしい連中だ。『華恋』を吟味している。いや、あるいは既に争奪戦なのかもしれない。
 オールスタンディングのライブハウスは満員だった。外の寒さなど全く入り込むすきまがないくらい、ここには熱がこもっている。
「あたしこの歌好き!」
 誰かが近くで叫んだ声が聞こえた。叫ばないと聞こえない。いや、叫んでも聞こえない。

 その時、一瞬、サビに移る前に、笙子が歌を止めた。
 歌詞を忘れたのかと思った。
 聴衆はあれ、という気配を見せた。
 だが、メンバーはそのまま、まるで促すように演奏を続けている。あるいはそういうアレンジだったのかと思った途端、笙子の声がいきなり高い所から振り下ろされるように胸に飛び込んできた。
 あたしだけが知っている道を行く
 後で、笙子に坂本龍馬のファンかどうか、聞いてみようと思った。

 それにしてもおかしなことになっている。
 蓮は隣に立っている海を見る。
 海の外観には特別目立つところはない。化粧気もないし、特別優れたところなどない。忙しくなってくると、私って不細工になってるよね、とよく彼女は言っているが、確かにいささか険しい顔をしていることがある。ただ、笑うと可愛らしい。
 海の目は笙子に釘づけだった。この店に入った時は、周囲を見回して、自分の服が地味だ、絶対浮いてるよねと心配していた海も、今ではもう何も気にならなくなっているようだ。

 海の向こうに舟が立っている。曲の合間に舟が海に何か囁いている。
 周囲のざわめきで蓮には聞こえない。この二人、こんなに仲が良かったか。
 確かに、蓮と海が付き合ってた頃、舟には紹介してあった。
 初めて会ったとき、可愛い子だね、と海は言った。可愛いなんてとんでもない。中学生の時には既に女を経験していた。男の方はいつが初めてだったのか知らない。

 笙子に連絡をして会って話したいことがあると言ったら、ライブに来て欲しいと言われた。しかも、舟を連れて来てほしいと言う。
 無理な注文だと思いながらも、朝、事務所で別れた舟に連絡をしたら、普段は滅多に電話に出ないやつなのに、珍しく出た。海ちゃんと一緒ならいいよ、と妙な提案をされた。
 海は忙しいから無理だろうと言ったが、一応連絡してみたら、海も珍しく二つ返事だった。
 問題なのはむしろ蓮のほうだった。この年末の忙しい時期、急に休みをくれと言って休めるだろうか。と思ったら、ママはあっさりOKしてくれた。

 蓮、あんたは働き過ぎよ。
 確かに、普段のシフトでは蓮の休みは日曜日だ。にこと一緒にいる時間を作ってやろうと思ったのと、寺は日曜日が何かと忙しいので、手伝うためだった。日曜日は観光客は多いが、探偵事務所の依頼者は少ないし、丁度良かった。いや、にこは休みだと言っても、蓮を無視して一人遊びしているし、依頼者は日曜日でなくても少ないのが実情なのだが。
 この十二月、蓮は自ら休みを返上して働いていた。

 時々、うねる様な音の波の中で、海の身体が蓮に触れる。だが、こうしてすぐ側で身体が触れても、蓮はもう何とも思わなくなっている自分を感じる。学生時代はちょっと手や腕が触れるだけでドキドキしていた。海も同じなのか、婚約を解消してからの方が、現実の身体の距離はずっと近い。二人がよく通っている行きつけの飲み屋でも、皆が不思議がる。逆にベッドを共にすることがなくなってからのほうが、居心地は悪くないのだ。
 三人はステージから離れた扉の近くに立っていた。客席側は暗いので、笙子が自分たちに気が付いているかどうかは分からなかった。

「みんな、調子はどうだい?」
「絶好調!」
「まだまだ行けるかい?」
「どこまでも!」
 聴衆は声を揃えている。この掛け合いはお決まりらしい。
『華恋』のMCは笙子ではなく、正統派美人、ギタリストの夏菜が務めている。笙子は、歌うのはともかく、こんなところで器用に話すのは無理だということらしい。
「じゃあ次は、クリスマスにちなんで、恋の歌をお贈りするよ。と言っても、ちょっと切ない歌なんだ。だからクリスマスイヴには歌わないから、今日が今年の聞き納め。みんな、ラッキーだったね」

 皆が笑っている。だが、ギター一本のイントロが始まった瞬間、聴衆は静まり返る。俯いていた笙子が顔を上げた。
 その時、笙子の目は真っ直ぐに蓮たちのいる方向を見ていた気がする。
 見ていたのがそこではなくても、何かがすとん、と笙子の中で腑に落ちたというのか、変わったような気配があった。笙子は、始めてステージの前方へ歩いてきた。歩いてきて、まるで目の前の誰かに語りかけるように歌い始めた。

華やかに街の灯りが揺れる夜
誰かに呼び止められた気がして
ふと足を止める
振り返っても誰もいないことは
知っているのに
氷の上に落ちる雪は
そのまま氷になる
あなたに届かないこの心と同じ
あたしには分からない言葉がある
愛とか恋とか、まるで異国の言葉のよう
ただあなたを想うと
この胸は苦しくて切なくて
どうしようもないのに
心の中には真っ白な別の世界があるように
充たされている

 曲がサビに入る前に、ふいと舟が出ていった。海が気が付いて、一瞬ステージと蓮を見てから追いかけていく。
 蓮は歌詞に後ろ髪を引かれるような思いで、少し遅れてから二人の後を追った。
 ライブハウスのざわめきは扉一枚で非現実となる。狭くて暗い廊下には誰の影もないが、階段を上った先から街の灯りと賑わいが降ってくる。階段に二人の脚が、まるで寄り添うように見えいていた。
「後、頼むね、海ちゃん。やっぱり、あぁいうの、苦手なんや」
 蓮は階段の方へ歩きかけて足を止めた。

「舟くん、私、舟くんが来るって言うから、来たんよ」
「分かってる。ねぇ、海ちゃん。俺、今誰よりも信頼してるの、海ちゃんなんや。だから、蓮にも何も言わんといて。またいつか、自分から話すから」
 じゃあ、という舟の声と階段を上っていく足音が聞こえた。
 思わず、蓮は冷たい壁に背中を引っ付けていた。
 しばらく止まったままだった海の脚が階段を引き返してくる。

 海は蓮に気が付いてぴたりと足を止めた。
「何の話や」
「知らん」
「海」
 珍しく海は怒ったような顔をした。蓮もはっと言葉を呑み込んだ。
 婚約を解消してからはずっと、釈迦堂君、如月さんと苗字で呼び合っていた。始めは意識していたが、今では少し慣れてきたところだった。もっとも滅多に名前で呼びかけることはないから、蓮の心の中では、まだ海は海だった。
 恋人同士だった昔には戻らないよ、とでも言うように、海がはっきりと蓮に呼びかける。
「釈迦堂君はいつも、自分でいっぱいいっぱいやもんね。私も帰る」
 いつの間に、海と舟が個人的に会話を交わすようになっていたのだろう。しかも、蓮にも話せないような大事なことを分かち合う間柄だということなのか。

 蓮はライブハウスの中に戻る気がしなくて、そのまま冷たい廊下で立ちすくんでいた。ライブハウスの熱を持ち出していたから、身体はまだ火照っていた。それでも十二月の暮れの空気は残酷なまでに冷たい。
 このまま凍りつくかと思った頃に、熱狂していた聴衆が何人か出てきた。
「今日のショウコ、いつもに増してキンキンやったね」
「スカウトがいっぱい来とったからとちゃうん?」
「ショウコ、吹っ切れたみたいやな」
「そうそう、あの子、歌はすごいけど、あんまりステージの前の方に出てこんかったのに、ラストなんて、自分でカウント取っとったやん」
「やっぱり、メジャーになること、意識したんとちゃうん?」
「メジャーになるんかなぁ」
「なるんやろねぇ」
「なんか、京都以外の人間に知られんの、悔しいわ」
「何や、それ」
「誰にも知られたくない隠れ家的ランチのお店、みたいなもん?」
 いくつかの声が重なり合いながら、蓮の前を通り過ぎていった。

 キンキンの意味は不明だが、その理由は分かる。彼女はスカウトではなく、舟を意識していたのだ。そして、ファンらしい彼らの耳は、ちゃんと何かを聞き分けていたのだ。彼らの言葉は結構的を射ているのかもしれない。
 苦しくて切なくてどうしようもないのに、まっ白な別の世界があるように、充たされている
 笙子の歌詞の言葉に、蓮はどこか心の奥が震えるのを感じていた。


「舟、やっぱり帰っちゃったんですね」
「ごめん。約束通りじゃなくて」
 笙子はそんなことは分かっていたから、と言う顔をして、ポケットからあの天河石を出してきた。
 笙子の掌の上で、天河石は今はもう沈黙している。
「この石をポケットに入れてたら、気持ちが少し変わった感じがしました。昨日までは何だかこの石が怖くて、持っていられなかったんですけど」
 二人はライブが跳ねた後、寺町通りを四条までゆっくりと歩いていた。

 明日はもうクリスマスイヴだ。街は何かの予感と期待に震えながら、この寒さの中で色とりどりの光を灯している。通り過ぎていく人々に、それぞれたくさんの想いが詰め込まれているのだと思うと、その想いが明日、すべて満たされてあの空に昇って行けばいい、とふと願う。
「……追いかけられているような気がするって……」
「え?」
「私、何かに追いかけられているような気がするって言ってたでしょ」
「そうだったね」
「あれ、比喩じゃなかったんです」
 笙子は歩を緩めた蓮には気が付かずに歩いている。蓮は半歩だけ遅れながらついて行く。

「何だか思い出せそうで、思い出せなかったんです。私あの日、サンタクロースが埋められているのを見た日、何かに追いかけられているような気がしながら、早く家に着きたくて、近道しようと神社の境内を通ったんです。でも、誰かに確かに追いかけられていたと思う。今日、『道』を歌っている途中で、急に思い出したんです」
 あの、歌の途中で、急に止めた時か。
 笙子は立ち止まり、蓮を振り返った。
「逃げろ、笙子、って、お父さんが」
 蓮はしばらく笙子の顔を見つめていた。

 天河石は、一体何を笙子に見せたのだろう。
 いや、ただ笙子が、ここから抜け出すことを願ったのかもしれない。
 それからは無言で四条通を歩いた。風が四条河原町の角で舞っている。信号待ちの人たちも、皆が身体をゆするようにして寒さから逃れようとしている。
「警察から連絡がありました。あの遺体、父だったって」
 やがて青信号に、勢いよく人が流れ出す。蓮はポケットに手を突っ込んだ。手袋を持ってこなかったので、指の先まで凍るようだった。笙子はマフラーを押さえた。

『奇跡屋』の重い木の扉を開ける。玉櫛婆さんはもう店を閉めていていなかった。蓮は笙子を促して、二階の事務所に上がった。
「寒くてごめん」
「大丈夫。慣れてるから。うちも古い家だから、隙間風がすごくて」
 申し訳程度の電気ストーブをつけて、笙子を接客用のソファに座らせる。何となく気が引けたが、昨日自分と舟が寝ていたベッドから毛布を取ってきて膝掛けにしてもらった。
「歯型で分かったって。奇跡的に、お父さんがかかってた歯医者さん、もうおじいちゃん先生で、五年前に閉めた医院がカルテや写真ごとそのままだったそうです。蓮さんは、あれが父だと思っていた?」
「多分そうじゃないかと思っていた。ただ、お父さんは確かに穴を掘っていたんだよね」
「穴の中から、サンタクロースの衣装に包まれるようにしてお酒の瓶が何本か見つかったみたいです」
「お父さんはよくお酒を飲んだの?」
 笙子はしっかりと蓮を見つめて、頷いた。顔つきまで変わって見えると蓮は思った。いつもおどおどと人を窺っているように見えていたのに。

「不思議ですね。何も思い出せなかったのに、ちょっとしたものを見たり聞いたりすると、記憶が繋がっていくみたい。カラオケボックスに行った時も、飲みすぎちゃって、時々従業員の人と喧嘩になってた。家では、いつも優しかったけれど、お酒を飲むとちょっとわけが分からなくなってて。暴力と言うほどのことはなかったのかもしれませんけれど、結構乱暴になって。私には手を上げませんでしたけど、母は……」
 蓮は笙子の前に叔父の調査報告のページを開いて見せた。笙子はしばらくその依頼主の名前をじっと見つめていた。
「お母さんと、おじいちゃん?」
「君のお父さんがいなくなった最後のクリスマスイヴの夜、それは何年だったか分かる?」
「私が小学校に入る前の年やったから、1999年?」
「でも、ここに書かれた依頼の日付は2000年の3月になっている」
「どういうことですか?」
「もう君のお父さんが君たちの前から姿を消した後で、わざわざ依頼が来ている。そして叔父は、まるきり何も調査せずに報告書を書いている。君のお父さんが女を作って君たちを捨てたという報告書を。でも、叔父はちゃんと調べもしないで適当な報告書を作る、そんな人じゃないんだ」

 それは京都府警の刑事だったころから変わらない。人に馬鹿にされるくらい、くそまじめな人だった。だから出世とは縁遠く、重傷を負って辞めた時は警部補だった。
 それから、と蓮は言いながら、その報告書の前後のページを見せた。
 笙子はしばらく意味が分からなかったようだった。
 前のページは1999年12月18日、後ろのページは1999年12月28日。
「この依頼が初めて来たのは1999年12月18日と28日の間だ。それも多分、君のお母さんから。君のお母さんが何を依頼したのか、それを知っているのは彼女だけだよ」

 笙子はじっと黙ってそのページを見たまま、返事をしない。
「どの道を選ぶにしても、君はちゃんとお母さんと話をするべきじゃないのかな」
 笙子の家の事情は蓮には分からない。伝統を担う家の重みのようなもの、そしてそれを伝えようとする母親の切実な願い、道を選ぶときに惑う子どもの心も。それでも、笙子は選ばなければならないはずだった。
「君は本当は、僕に依頼に来るよりも、お母さんと話をしたかったんじゃないのかな。お母さんはきっと君よりも多くの事情を知っているはずだ。だけど君はきっかけが掴めなかった。もうずっとお母さんと話していないんだよね。昔のことだけじゃない、これからどうするのか、どうしたいのか、お母さんに言いたいし相談もしたい。そのお母さんが病気で、もしかするともう長くないかもしれない。今しかチャンスがない。だから、舟に話したんだ。違う?」

 笙子は顔を上げた。
「どうやって話したらいいのか分からない。だって、母は、私に笙の稽古をしてくれるだけで、厳しくて。今だって、病院に行っても会話にならないし。どうして練習しないんだって」
「お母さんも、きっかけが掴めなかったんだろうね。僕は、君のお母さんの笙を直接は聞いたことはないけれど、日本でも数少ない雅楽の演奏家だ。その人が継いでいこうとしたものが何かは、少しは分かるつもりだ。でも、お母さんだって、自分の気持ちを貫いて、君のお父さんと一緒になったんじゃなかったかな。君の今の迷いや気持ちは分かってもらえると思うけれど」

 本当は舟に頼みたかったのかもしれないが、舟は話をシャットダウンしてしまったのだろう。笙子が自分に気があることを知っていたからこそだとは思うが、それが舟の気まぐれなのか、優しさなのかは分からない。
 ふと、舟と海の会話を思い出した。
 二人は何か秘密を共有している。そのことが奇妙に胸をざわつかせる。
 笙子はやっと顔を上げた。
「私、本当は何て依頼をしたらよかったんでしょうか」
「お母さんのところに一緒に行ってもらえませんか、かな」








参考文献?

西田幾多郎:明治~昭和の哲学者。京都の『哲学の道』に碑があります。
『人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり』
(哲学の道はあの界隈に住んでいたころ、私の散歩道でした。
というよりもあの疏水沿いを散歩道にしたくて、界隈に住みました。)

坂本龍馬の句(これは辞世の句ではありません。辞世の句を詠む暇なかったもんね)
『世の中の 人は何とも 云はばいへ わがなすことは われのみぞ知る』
(確かにあなたはアスペルガー……でも実は、私は坂本龍馬友の会の隠れメンバー^^;です。
脱藩の道(複数説あり)も何度か歩きました……四国の山奥で行き倒れるかと思いました^^;)

ついでに吉田松陰、辞世の句
『身はたとえ 武蔵の野辺に くちぬとも 留め置かまし 大和魂』

もひとつついでに高杉晋作、辞世の句
『おもしろき こともなき世を おもしろく』
(後の人が下の句を「すみなすものは 心なりけり」と詠んだけれど、無い方がいいなぁ
……この余韻がいいのですね)


Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件(6) 

【奇跡を売る店】(6)、大団円です。
年内に終わった!! 喜びもひとしおです。
クリスマスを過ぎているけれど、お付き合いくださってありがとうございます。

これが年内最後の記事になります。1月末にブログを始めたので、このブログの1周年はあともう少し先ですが、こんな辺境ブログに遊びに来てくださって、本当に感謝申し上げます。
さっき見たら、コメントは1776、拍手は1818……暖かいメッセージもいっぱい下さって、本当にありがとうございます。皆様のお言葉が、書いている原動力だと、改めて感謝しながら、とても嬉しくなりました。
それに、皆様のブログを巡らせていただいて、色々教えていただくことも多くて、世界がちょっと広がった気がしています。今年1年本当にありがとうございました m(__)m

ちなみに
1776年はアメリカ独立の年、平賀源内がエレキテル(発電機)を発明した年。
1818年はなんと、12月25日にオーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で『きよしこの夜』が初演された年だそうです。
なんという偶然。

さて、
お正月は、マコトが皆さんに新年のご挨拶をします!
ん? 何?

あのね、ぼくね、タケルと一緒に北海道にいるんだよ!
雪だるまになったり
おみかん、転がしたり
お餅のお化けと闘ったり、いっぱい忙しいの。
それでね、それでね、スケトウダラとか、鮭とか、ホタテとか、イクラとか………・
それでね、あのね、宇宙人がね……・
(ちょっと仔猫が1匹、初めて尽くしで興奮しすぎているようです。では、で~んとタイトルコール!)
【迷探偵マコトの事件簿】マコトの冬休みとX-file、お楽しみに!

あ、その前に、本当の最終回をどうぞ^^;
ちなみに今日は(5)(6)と続けてアップしています。(5)から読んで下さいね(*^_^*)





 クリスマスイヴは忙しい一日になった。
 もちろん、夜は『ヴィーナスの溜息』は例のごとく満員御礼、クリスマスイベントのショウも熱が入っている。
 もっとも世間はただの平日の火曜日だ。にこをいつものように自転車の前に乗せて、堀川通りを南へ下る。
 朝の空気が一段と冷たい。
 結局、まだにこにクリスマスプレゼントを買っていない。ランドセルは正月に渡すことに決めた。クリスマスプレゼントは今日、笙子と一緒に母親が入院する病院に行く前に、付き合ってもらって買うことになっていた。

「よく考えたら、蓮さん、私から調査費を取ってませんよ」
 とは言え、調査らしい調査は何もしていないし、こういう「話を聞いてあげる」「サンタクロース(結果的には白骨死体)を一緒に掘り起こす」「母親と話をするのに立会人になる」に幾ら貰えばいいのか分からない。それは魁の残した調査費用表にも載っていないのだ。
 だから、その代りに、買い物に付き合ってもらうことにした。
 昨日、同じ道を自転車で走りながら、サンタさんに何をお願いするんだとにこに聞いたら、「れんには言わない」と冷たく言われただけだった。こっそりとお寺の奥さんにも聞いてもらってみたが、やはり何も言わなかったらしい。

「やっぱり、教えてくれてもいいんじゃないかな」
 蓮の前に座って、じっと堀川通りの車の流れを見つめたまま、にこはだんまりだ。
 無駄だなと思った。にこを引き取ってから、一度も蓮はにこの笑う顔を見たことがないし、蓮が話しかけても、たまに二語文程度の簡単な答えは返ってくるが、にこから話しかけてきたことはない。
 もしかしたら、いや、多分、俺はにこに嫌われているな、と思う。
 保育所に送り届けて、自転車に跨ってから、去り際にふと振り返った。
 その時、園庭の隅を保育士さんに手を引かれて向こうに歩きながら、にこもこちらを振り返っていた。蓮と目が合うと、びっくりしたような顔になって、すぐに、つん、と目を逸らしてしまった。

『奇跡屋』の扉を開けると、玉櫛婆さんがじろっと蓮を見た。
「お前、あの娘とできてんのかい」
 笙子が朝から来て待っているという。待ち合わせは昼過ぎだったはずだ。何か予定が変わったのだろうか。
「まさか。仕事の依頼だ」
 話を切り上げようとして、ふと婆さんを見る。
「ひとつ聞いてもいいか」
「ほお、お前が前置きなんかするとは、珍しいね」
「どうして親子石のひとつがこの店に残ってたんだ?」
「さあね。魁がいなくなってから覗きに行ったら、事務所の引き出しに残ってたのさ」
「勝手に事務所に入ったのか」
「私の店だよ。魁もお前もただの店子だ。偉そうに言うんじゃないね」
「魁おじさんが買ったものだろう。勝手に取り返して店に並べて置くなんて」
「馬鹿言っちゃいけないよ。引き出しの中に仕舞われたままじゃ、石は自分を持つべき相手と出会えないじゃないか」
 蓮はしばらくじっと玉櫛婆さんを見ていた。持つべき相手と出会う?
 魁は、誰かを待っていたのか。誰を?

 事務所に上がると、笙子が接客用のソファに座って、一所懸命に何かをやっていた。
「はい、後は蓮さんがやってください」
 それはラピスラズリの小さなルースだった。
 ルース、すなわち裸石だ。ラピスラズリは、単一の鉱物ではなく、鉱物学的には主としてラズライト、アウィン、ソーダライト、ノーゼライトが集合したものだ。美しい群青色はウルトラマリンと言われ、様々な国で聖なる石と大事にされてきた。笙子の手にあるのは、小さいとはいえ、金色のバイライトが美しく浮かび上がった石だった。
「どうしてにこの誕生日を知ってるんだ?」
 幸運の石とも言われるこの石は、九月の誕生石だった。

「お婆さんに聞きました」
「またバカ高い金額を請求されただろう」
「この間、石をもらったままになってから、こっちはタダみたいなもの?」
「天河石は君のものだ。石が決めた」
 笙子は蓮の話など聞いていない。
「じゃあ、後は自分で磨いてくださいね。蓮さん、お裁縫できます?」
「裁縫?」
 そんなことはしたことがない。
「ですよね」
 笙子が小さなバックから取り出したのは、京友禅の着物の端切れだった。赤い生地に細かな菊の花模様が描かれている。用意のいいことに裁縫道具一式持って来てある。
「私の言う通りに縫ってください」

 それから約一時間、蓮は小さなお守り袋を作るのに格闘した。もっとも、手先は比較的器用な方だと思うし、小児科医だったとはいえ、人間の皮膚や血管に糸針くらいはかけられるのだが、裁縫となると勝手が違っている。
「これ、母の古い着物の端切れなんです」
 いい子だと思った。もちろん、あれこれと計算高かったり、一方では不思議な発言をしてみたり、ギャップ萌えで世間を賑わせたりしているかもしれないが、若いのだから、まとまりのない所があって当然だ。
 舟の奴、今度会ったらきっちり話をしよう。ちゃんと好きな女ができたら、あいつもあんな喧嘩ばかりしているヒモ生活を辞めるかもしれない。……そう願いたい。

「何かを買ってただ渡すよりずっといいと思いませんか」
「どっちにしても、俺から何かを貰ってにこが喜ぶとは思えない」
「確かに、愛想の悪そうな子でしたね。でも、女の顔って、正直な気持ちが表れているとは限らないですよ。それに、蓮さんからじゃなくて、サンタクロースからの贈り物ですよね」
 それは重々承知している。
 それでも、何とか裏地もきちんとつけて、小さなお守り袋を縫い上げてみたら、もう昼前になっていた。笙子は細い革ひもを結わえて、小さなラピスラズリのビーズ玉で長さを調節できるようにしてくれた。
「これで首からかけておけるでしょ。後はしっかり石を磨いてあげてくださいね。心を籠めて、ですよ」
 瑠璃の深い青。
 ここに奇跡が宿るように。

 実は今日、ヒューストンに向けて出発するという出雲右京と昼食を一緒にする約束をしていた。幸い、場所は蓮の事務所のすぐそばの天婦羅屋だったので、笙子も誘った。
 笙子と出雲は初めまして、と挨拶を交わした。
 店でも会ったことはなかったようだ。
「学会って、こんな年末にあるんですか?」
「いや、学会自体は一月なんですよ。クリスマス休暇は妻と一緒に過ごすことにしていましてね。実は今日まで授業だったのでクリスマスにはギリギリなのです。時差のお蔭で助かりますけれどね」

 実は右京には事実婚となっているアメリカ人の奥さんがいる。仕事でNASAに行っていて知り合ったのだという。お互いの仕事のことを考えて、籍も入れず離れて住んでいる。それでよく続いているものだと思うが、右京にとっては丁度いい距離感らしい。定年したら、どこに住むか、二人で考えるのも楽しいようだ。目下の第一候補はマダガスカルらしい。
「さて、蓮くん、来年こそ一緒に行きましょう。ぜひともエイダに君を紹介したいんですよ」
 いい人ですね、と笙子が言った。
 蓮くんの恋人ですか、と右京が確認した。
 笙子はいいえ、と気持ちいいほどの即答ですっぱり否定した。確かにそうなのだが、照れもなく慌てるでもなく、そんなに気持ちよく否定しなくても、と蓮は苦笑いした。

 右京と別れてからはまず図書館に行き、古い新聞を確認した。
 それから河原町通りを二人で自転車を押しながら歩いた。急いでいるわけでもなかったし、気持ちがまとまる時間が必要だと思った。
「舟のことが好きなのか」
 今さらと思いながら聞いてみたが、笙子はしばらく前を見つめたままだった。
「蓮さんの方が優しいのにね」
「あいつが無茶苦茶なのは知っているだろう?」
「うん。でも、初めて会ったとき、危ない奴らに絡まれているところを助けてくれたの」
 ありがちな出会いの話だ。
「あいつは喧嘩がしたいだけなんだ」

 笙子はぼんやりとした声のまま、ちょっと蓮の弱点を突いた。
「蓮さんも、正直な気持ちを話せない人なんですね」
 そう言って、笙子はしれっとした顔で、今朝のにこと同じように、通りを行く車を見つめている。
 その後は蓮も黙っていた。
 昼間だけは少しだけ陽が暖かい。それでも建物の陰に入ると芯から凍りつくような寒さが昇ってくる。ポケットの中に忍ばせたラピスラズリをこっそり擦ってみると、何だか少しだけ暖かいような気がした。


 大学病院に入院している笙子の母親、安倍清埜、本名彩希子は、笙子によく似ていた。歳を取っても、病に伏していても、可愛らしい童女のような顔をしている。それでも、目を開けると厳しい表情を浮かべた。蓮を見たからなのかもしれない。一体、誰が娘と一緒にやって来たのかと思ったのだろう。
「見舞いになんか、いちいち来んでもええって言うたのに」
「うん。でも今日は大事な話があるん」
 そう言って笙子は蓮を紹介した。
「この人は探偵さん。釈迦堂探偵事務所の釈迦堂蓮さん」
「探偵?」
 彩希子は怪訝そうな顔をした。蓮もあれ、と思った。

 十五年前のことを忘れてしまっているのかもしれないが、釈迦堂探偵事務所を自ら探し当ててきたのなら、この名前は記憶に引っかかってもいい、珍しい名前のはずだ。
「お父さんを見つけてくれたんよ」
 彩希子はますます不可解という表情になった。それはそうだろう、彼女の夫は、自分たち親子を捨てて他の女のところに走ったことになっているのだから。
 だがすぐ先に、彩希子の顔は不思議な表情になった。ほっとしたような、そんな印象だった。
「お父さん、どこにおったん?」
「神社の土の中」
 はっとした顔になり、それからしばらく天井を見つめたまま、彼女は涙を流した。静かな深い涙だった。

「一緒にサンタクロースの衣装と、お酒の瓶が何本か埋まっていて、お父さんはその上にいたんや。私、お父さんがサンタクロースの衣装を埋めているところを見てしもうたんやね。小さかったし、サンタクロースの衣装のイメージだけが残ってて、だからお父さんがサンタクロースを殺しちゃったんだと思ったのかも。でもそれはもうひとつの怖い記憶を消すための混乱だったのかもしれへんと思う」
 笙子の声は思ったよりもしっかりとしていた。
「警察の人がね、十五年前に幼い女の子が何人か続けて殺されるという事件があって、犯人が捕まらないままになっているんだって教えてくれた。さっき、蓮さんと一緒に図書館に行って調べてきた。お父さんはもうほとんど骨だけになってたから、死因までははっきりとは分からへんけど、肋骨に幾つか傷があって、刺されたんだろうって。お母さん、私、お父さんが『笙子、逃げろ』って言った声を覚えてる」
 笙子の母親はほうと息をついた。

 長い沈黙の後、ゆっくりと言葉を選ぶようにしながら話し始めた。
「お酒をやめて欲しいって、何回も言ったんよ。離婚の話も何回も出た。お父さんはその度に止めるって言ったけれど、その時だけやった。それでもいつもは優しい人だったんよ。きっと、私が演奏会や家の行事やらで家を空けているのが、お父さんには不満で、寂しかったんやって、今になったらそう思うけど、あの頃の私には分からへんかったんやね。お酒飲んでるお父さんとは喧嘩にしかならんくって。おじいちゃんはお父さんが浮気してるって何度も私に言ったけど、それだけは信じられへんかった。けど、あの年、十二月の始めにお父さんがお酒の席で仕事相手の人に怪我をさせてしまって、会社を辞めることになって、いつもより深刻な離婚話になって……」

 蓮は笙子の様子を窺っていたが、笙子はピクリとも動かず、じっと話を聞いていた。そう決めていたのだろう。
「お父さん、本当にお酒を辞めるから、って、それからしばらく別々に暮らしてちゃんと仕事を見つけて、それから迎えに来るからって、そんな話になってたん」
 だから笙子はあの頃、よく母親の実家の方にいることになっていたのだろう。笙子の記憶は所々笙子なりの解釈が混じっていたけれど、大筋としては合っていたようだ。

 それから彩希子は少しだけ表情を和ませた。
「サンタクロースには因縁があってね。笙子が生まれた年に、クリスマスに重なってこっちの演奏会があって、お父さんはせっかくサンタクロースの衣装を借りてきたのに残念がってて。笙子はまだ赤ちゃんだったのにね。で、その衣装で私と笙子を安倍の家まで迎えに来たんよ。そうしたら、おじいちゃんが無茶苦茶に怒って。おじいちゃんは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって気持ちだったんでしょうね。うちは雅楽の伝承者の家系や、サンタクロースが何や、って。お父さんったら、意固地になって、毎年衣装を借りてきて、最後はついに買っちゃってた。笙子のためやって。本当に笙子のこと、大事やったんやって思う。いつも笙子を楽しませようと思ってたんよ。お酒には負けちゃったけど」

 蓮は彩希子に、叔父の探偵事務所に依頼に来た理由を尋ねた。
「いいえ、私は行ってませんけど」
 1999年12月18日、依頼者は安倍清埜。その依頼内容は書かれないまま、ノートの隅に石の絵が描いてあった。そして、その上から名前を消して、新しく安倍真伍の名前が書かれていたのだ。安倍真伍の依頼は、娘の夫の浮気を確認してほしいということだった。いや、正確には、そういう報告書を作ってくれということだった。
「そうですか、あれは父が……」
 彩希子はしばらく口を閉ざした。

「夫が失踪した時、私はしばらく訳が分からなくて、鬱のような状態になっていました。失踪なのか、何か事故に巻き込まれたのか、何もわからなくて、警察にも何度も行きました。気持ちもそぞろで、ふわふわしていて、演奏中に倒れたりして、演奏活動も幾つもキャンセルして。その時に父から、夫が水商売の女性と浮気をしていて一緒に姿を消したという、その報告書を受け取りました。こういうことやから、もう忘れてしまいなさい、と言われました。笙子もいるんやから、しっかりせんと、と」
「あなたは信じたのですか?」
 彩希子は少し微笑んだ。
「いいえ。信じてあげましたけれど。だって、夫にはそんな甲斐性はなかったと思います。ただ、父はそんな芝居を打つほどに、心配してくれていたんです。だから、信じたふりをしました。でも、私が信じなかった理由はそれだけではないのです」

 彩希子は身体を起こそうとした。笙子が慌てて助けようとする。細くやつれた身体だが、まだ気持ちはしっかりとしているように見えた。
 その引出しをあけて、と彩希子が言う。笙子は言われるままに床頭台の引き出しを開けた。
 そして、中から何かを包んでいる桜色の袱紗を取り出した。
 袱紗を開いて、蓮も笙子もあっと声を上げた。

 三つ目の天河石だ。
「これは……」
「その年の衣替えの季節に、夫の服を仕舞ってあった箪笥から見つけました。手紙が付いていたんです。手紙というよりも、何かの下書きみたいな感じで、その石を包んだ紙に書いてあった。必ず迎えに来るから、これを持っていてほしい。そうしたら、笙子と一緒に三人で、笙子の石を迎えに行こうって。意味はよく分からなかったんですけれど、大事なものだ、これはきっとあの人の本当の気持ちだと信じたんです」

「では、最初に叔父の事務所にやって来た12月18日の安倍清埜さんは……」
「清埜はもともと夫のペンネームだったんです。それを私が貰いました」
「ペンネーム?」
「学生の頃、あの人、詩を書いていたんですよ。上手ではなかったと思いますけれど。私たちが付き合うきっかけになったのは、熱烈なラブレターでした。歌の詩みたいな」
 蓮は笙子と顔を見合わせた。では、やって来たのは彩希子ではなく、笙子の父親、三澤正興のほうだったのだ。正興が三澤ではなく安倍と名乗った真意は分からない。ただ、自分と妻を結びつける名前を、魁に名乗ったのだろう。

 笙子はポケットから自分の天河石を取り出した。
「それは……」
 今度は彩希子が驚く番だった。
「蓮さんの事務所は、『奇跡屋』っていう石屋さんの二階にあるんよ。私、そこでこの石を貰ったん。これは私の石やって」
「三つ目の石は、お父さんが持っていました。持ったまま、土の中でじっと十五年間、眠っておられた。いや、土の中で、あなたたちに会いたいと闘っておられた。この石は親子石なんです。もとはひとつの石で、三つに割れた、もしくは割ったものだ。だから強い力で惹かれあうんです」

 笙子の父親は、酒ともサンタクロースやらの世俗とも縁を切って、静かに考え、仕事も探して、もう一度家族三人でやり直したいと思っていたのだろう。
 多分、その日、婆さんは何かの理由で魁に店番を頼んで留守をしていたのだ。年末で忙しい時期だ。十五年前と言えば、まだ婆さんは花街でも顔役だった。
 魁は三澤正興から身の上話を聞いて、石を託したに違いない。

 まず夫婦二人できちんとやり直しなさい。そして、三人で一緒にお嬢さんの石を迎えに来てください。それまで私がこのお嬢さんの石を預かりましょう。困ったらここに帰って来てもいいんですよ。私が、あるいはこの石があなたの支えになるから。
 叔父が言いそうなことは想像できた。石を渡してしまって終わりにするのではなく、繋がりを感じていてもらいたかったのだ。家族だけではなく、ここにも心配している誰かがいることを伝えたかったのだろう。その印として、依頼者の名前と石の絵を調査記録に残していた。叔父にはそれだけで十分だったのだ。

 だが、数か月後、笙子の祖父がやって来た。叔父は何か違和感を覚えたに違いない。だから、安倍清埜の依頼の上にわざわざ名前を書き替えた。
 この男を探して欲しい、という依頼ではなかったのだ。叔父は、娘の哀しみに終止符を打ってやりたいという安倍真伍の気持ちは汲んでやりたいと思った。だが違和感は消えなかったのだろう。三澤正興が、あの石を受け取って間もなく女と逃げるなんて信じられないと。

 依頼を受けたわけではないから行動を起こすことはできない。だから、その違和感を忘れないために、わざわざ消した跡を残したのだろう。
 もしもあの男の行方を捜すとしたら、それは叔父のするべきことの範囲を越えている。小説によく出てくるお節介な探偵ならそうするかもしれないが、よく知りもしない家族の事情を掘り返すことにもなりかねない。叔父は、現役刑事であった頃に、真実を突き止めようと越権行為をして、何度も痛い目にあってきていたのだ。
 だから、待っていたのだろう。いつか石が結び付けてくれる絆を。

「お母さん、私の知りたいことはひつとだけやねん」
 笙子がぴしっとした声で言った。
「お父さんのこと、愛してたん?」
 三澤彩希子はふと目を伏せた。
「嫌いやったら、とっくに別れてたよ。十五年も、三澤のままで待ってへんかった」
「そんなら、ええねん」
 笙子は頷いた。それだけでええねん、ともう一度確かめるように呟いて、そしてあっさりと立ち上がる。

「ほんなら、お母さん、私もうリハーサルに行かんと」
「『華恋』のか」
「知ってたん?」
「知ってたよ。笙子のことは何でも知ってる。笙の演奏家になって伝統を守って欲しいって気持ちは今でも強いけど、だから笙子に嫌われてもと思って厳しく教えてきたけど、最後は、笙子が一所懸命になれるものを選んで欲しいって思ってる」
 笙子は答えずにマフラーを巻いて、じゃあと言った。彩希子は頷いた。
 蓮を促して出ていきかけてから、ふと足を止める。
「明日、警察にお父さんとお父さんの石を迎えに行ってくる。お母さん、どうする?」
「一緒に行こう。外出できるか、聞いてみるね」



「てことは、犯人はまだ捕まってへんて言うことやん」
 クリスマスイブの朝の新聞には、神社の境内から掘り出された白骨化した遺体のことが載っていた。もちろん、『ヴィーナスの溜息』でもちょっとした話題になった。
 笙子がわざわざライブの前に『ヴィーナスの溜息』に寄って、あの時はお騒がせしました、蓮さんのお蔭で事情が分かりました、と挨拶をして行ったのだ。

「そんで、これ、遺体の方が笙子ちゃんのお父ちゃんやったんでしょ? じゃあ、笙子ちゃんが見たサンタクロースは?」
「馬鹿ね、それは衣装だけだったのよ」
「じゃあ、笙子ちゃんのお父さん、何でサンタクロースの衣装を埋めてたわけ?」
「ただ酒を運ぶのに使ったんじゃないの。妻と子のためにもうお酒は絶つ、って決心したのよねぇ。愛よねぇ。私には絶対無理だけど」
「あんたの酒は陽気だからいいのよ。しかも、どんなに飲んでも、ざるみたいにこしてるだけじゃないのよ」

「でも、これは儀式なんじゃないの」
「儀式?」
「酒とか過去とか、あれこれ埋めて、自分を新しくする儀式よ。だから神社の境内で誓ったんだわ。なんか、分かるわぁ」
「笙子ちゃん、けなげやったわねぇ。今度うんとサービスしてあげよ」
「結局、それで犯人は? 笙子ちゃんのお父さんを殺して埋めた犯人。つまり、十五年前の幼女連続殺人事件の犯人? 笙子ちゃんのお父さんは笙子ちゃんを守ろうとして殺されちゃったんでしょ」
「こんなやつ、死刑よ、死刑。生きたまま埋めてやったらええわ」
「ちょっと、怖いこと言わんといて。クリスマスイブなんよ」
「十五年も経ってたら、もうお宮入り間違いないわよねぇ。時効がなくなったとはいえ……」

 多分、父はあの日も酔ってたんですよね。だから私を逃がすのに精一杯で、自分はやられちゃって。結果的に自分の掘っていた穴に埋められて。
 笙子は声の震えを押さえていたが、彼女の静かな怒りが蓮にも伝わって来た。

 話題はそれ以上長くは続かなかった。看板の灯りをつけた途端から、怒涛のような忙しさになった。蓮も全く立ち止まる時間がないくらいに、カウンターとテーブルを往復した。この日ばかりは、たまに客との会話にも参加しなければならなかったし、一、二杯の酒の相手もしなければならなかった。
 それでも、何となく、笙子のことは大丈夫だという気がした。彼女は結局打たれ強い、その力を秘めている気がする。

 結局、空回りして前に進めないのは俺だけか。

 事もあろうに、その日、舟がどうやらその手の相手の一人と『ヴィーナスの溜息』にやって来た。相手の男はきちんと上等のスーツを着ているが、目つきからは只者ではない。ヤクザの幹部といった風情だった。
 蓮は丁度カウンターに入っていた。
 わざとらしく身体を引っ付ける二人に、蓮は思わず水をぶっかけてやろうかと思った。それでも、海との会話のことは聞けそうになかった。

「これ、俺の兄ちゃんなんや」
 へぇ、と相手の男は低い声で相槌を打っただけだった。
「そういや、笙ちゃんからの依頼、無事に完了したみたいやん。どうせ蓮、ただ働きやったんやろ」
 舟はもうほとんど自力で座っているようには見えない。
「お前、ええ加減にせぇよ。どんだけ飲んでるんや」

「あら、珍しい、蓮の関西弁」
 ママが煙草を燻らせながら言う。
「うんにゃ。蓮はいつも関西弁やで」
「店では標準語しか聞いたことないわねぇ。それだけ、舟には心を許してる、ってことなんね」
「俺も、蓮には心を許してるんやぁ」
 ふにゃふにゃで舟が言う。いらっとして蓮は低い声で答えた。
「関係ない。従兄弟だからだ」
 海には言えても、俺には言えないことがあるくせに。

 あの日の朝、蓮は舟に叔父の描いた石のような三つの印を見せた。舟は直ぐにそれは天河石の親子石だと言った。
 これ、魁の石や。大きいのが魁、中くらいのが蓮兄ちゃん、で、少し小さいのが俺。でも、蓮兄ちゃん、あの頃、グレてたやん。一緒に住もうって魁が言ったのに、いややって断ったんやろ。ほんであの暴力和尚のいる寺に行っちゃって。せっかく魁が石を三人のためにって、置いてたのに。
 舟は父親のことを親父とかパパとか呼ばずに、魁とファーストネームで呼んでいる。魁がそう仕向けたようだ。

 グレてたって、小学生の時のことだ。自分にだけ親がいないのが気に入らなかった。それならいっそ、まるで関係のない場所に住みたいと思った。……ような記憶がある。もっとも、小学校三年生の自分が、そんなに大きなことを考えていたわけはなく、恐らくただその瞬間に何かが気に入らなくて、魁にあたっただけなのだ。
 しかも、その時、舟は三歳だ。何も覚えているわけがないくせに、まるで自分がその現場に言わせたように話すのが、ちょっとだけ蓮の気に障った。

「でも、石と俺のお蔭で一件落着。あとは、幼女連続殺人犯を捕まえなくちゃね~」
「石がどうした?」
 渋い声のヤクザだ。こんな騒音の中でも下から響いてくる。
「俺の親父ね、石屋の二階で探偵事務所してたわけ」
 あ、今はこの人が留守番探偵ね、と蓮を指す。
「探偵事務所に相談に来るやつって、ちょっとこことここがやられてるやん」
 舟は胸と頭を指した。
「で、たまに切羽詰った顔してる依頼者には、石をお守りや言うて渡しとったみたい。その石がねぇ、石屋の婆さんの念力ですごいパワーを発揮するんやなぁ。ドラゴンボールみたいやろ~」
 魁が本当に石の力を信じていたのかどうかは知らないが、少なくとも石の力を信じることで、人が前に向かって歩けるならば、それでいいと思っていたのだろう。

 舟はヤクザの腕に絡み付きながらしゃべっている。ヤクザはしょうがない奴だと言わんばかりに舟の身体を抱き止めている。
 どっちでもいいが、殴ってやりたいと蓮は思って、カウンターの内側で拳を握りしめていた。わざわざここに来て絡むな、と言いたい。

 その時、ポケットで携帯が震えた。
 少し時間が開いた時に裏で確認すると、海からだった。
< 昨日はごめんね。ちょっといらっとしてて。今日は急患で、朝までかかりそう。明日、会える? 和子ちゃんのことも相談しないとあかんし。
 舟のことを相談してくれと思ったが、蓮はいつものように短い返信を送った。
< 了解。じゃあ、明日、うんぷで。
 うんぷは、病院の近くにあって、いつも蓮と海が夕食兼飲みに行っていた店だ。運否天賦から取った店名らしい。同世代の若者がやっている。

 クリスマスイブはショウが終わる十一時で開放してもらうことになっていたが、予定が変わったから最後までいると言うと、ママは抱きつかんばかりにして「助かるわ~」と言った。その代り、明日は早めに切り上げててもいいですか、と断っておく。
 店内に戻ったら、舟はいなかった。あのヤクザとクリスマスイブをいちゃついて過ごしてやがるのか、と思ったら腹が立ってきた。全く、女でも男でもお構いなしだ。
 だが何より、舟の言うこともやることも、ちゃんと理解できていない自分に最も苛ついていた。
 いや、何となく、分かっているのだ。それを舟が自分に言ってくれないことに苛ついていた。
 舟は、魁の行方を捜している。だから、危ない奴らに絡んでいっている。
 舟が蓮に何も言わないのは、蓮には和子がいるからだ。和子にもしも危険が及ぶとしたら、たまらないと思っているのだろう。

 店が終わって、例のごとく飲みに行く話になった。
 イベントの日に店がはけた後、この店の打ち上げの場所は決まっている。人の家のような店で、実際にママの兄弟分、いや姉妹分にあたる人の家兼店だった。人の家に上がり込むような感じで、昼まで飲むのも食べるのも、踊るのも歌うのも、寝るのも自由というところだ。
 誘われて、少しだけ顔を出そうと思ったが、和子に渡すラピスラズリがポケットの中に突っ込んだ手に触れた。
「済みません、今日は帰ります」
「あらぁ、誰かいい人と待ち合わせ?」
「ええ、サンタクロースの仕事があって」

 本当に和子が欲しいのは、誰か、自分を一番に考えてくれる誰かが傍にいることだということくらい、蓮にも分かっている。
 親に捨てられたのは、蓮も、和子も同じだった。
 だから、蓮は和子と一緒にいる。

 自転車を押しながら鴨川を渡ると、雪がちらついてきた。
 今年も暮れていく。新しい年が来たら、和子と一緒に初詣に行こう。
 どうせ和子は楽しいとか嬉しいとか言わないけれど。
 携帯が震える。
 コンクリートの橋の欄干に自転車を凭れかけさせて、冷たい指で確認する。
< 星が綺麗だな。
 蓮は空を見上げた。雲が少しかかっているが、切れ間に星があるのだろう。街は明るくて、多くの星は見えない。もしもどんなに遠くも小さなものも見えたら、この空は暗い所がないくらい星が瞬いているのだ。
 それでも、街の灯りにもかき消されずに瞬く数少ない星が、愛おしく思える。
 あの男が住んでいる大原の村では、多分もっと多くの星が見えるだろう。

< 見てるよ。
< 何してる?
 電話をかけようかと思った。だが、声を聞けば心配になる。顔も見たくなる。
 俺は、やっぱりどこか変だな。色々なものに捕らわれている。
< 橋を渡ってる。
< 早く帰れ。風邪ひくぞ。
 人はみんな不器用だ。上手く伝えられない心を持て余す。恋人でも、家族でも。

 すぐにもう一度、メールが来た。
< おやすみ。
 しばらくじっと白い画面に浮かぶ文字を見つめていた。何かもっと気の利いた言葉を言いたかったのに、何も出てこなかった。
< おやすみ。
 蓮はしばらく橋の欄干に冷たい身体を預け、鴨川の流れを見つめていた。
 粉雪がちらちらと川面へ落ちていく。
 笙子の歌声がまだ心に残っていた。

あたしには分からない言葉がある
愛とか恋とか、まるで異国の言葉のよう
ただあなたを想うと
この胸は苦しくて切なくて
どうしようもないのに
心の中には真っ白な別の世界があるように
充たされている




 朝起きたら、粗い木彫りの小さな仏が寺に届いていた。
 円空仏のように勢いのあるノミの跡だが、どこかに優しさが沁み込んでいた。
 そのノミの跡を指で触れるだけで心が落ち着いた。
 お前が必要だろうって、早朝に大原から届けに来たぞ。
 何が伝わるのだろうと蓮は思う。聖夜には魔法がかかっている。
 蓮はそれを笙子と彩希子に届けて、十五年も土の中で石を握りしめて、家族を待っていた三澤正興へのせめてもの供養にしてもらおうと思った。

 和子はいつものようにむすっとした顔のまま、首にラピスラズリの入ったお守り袋を下げて、自転車の前でヘルメットを持って蓮を待っている。
 蓮は今日も和子を自転車の前に乗せて、堀川通りを下る。

 年が明けて間もなく、『華恋』のメジャーデビューが報じられた。
 デビュー曲は『道』、そしてそのカップリングになっている新曲に、蓮は度肝を抜かれた。
『あたしは知っている』
 この曲には笙子の過去と共に、逃げ得は許さない、時効廃絶に伴い更なる捜査協力を求めるという警察からのメッセージがつけられて、話題を呼んだ。

「いやぁ、あの子、やっぱりぶっ飛んでるわねぇ」
「どこか不思議ちゃんだものねぇ」
「でも俄然、応援しちゃうわぁ」
『ヴィーナスの溜息』はまたもやその話題でもちきりだった。

 蓮はどいつもこいつも、と思わず悪態をつきながらも、笙子の決意は怖いくらい清々しいと思った。舟とあの子はどこか似ているのかもしれない。
 犯人が出てくるかどうか、笙子は囮になるつもりなのだ。もしかすると、その男は玉櫛婆さんのかけた石の呪いで、どこかでのたれ死んでいるかもしれないけれど。
 何もかもこれからだ。あの三つ揃った親子石の力が過去を打ち砕いて行くだろう。
 天河石、アマゾナイトの力、それは過去のトラウマを打ち砕き、前に進む道を示すこと。未来の希望を見せるホープストーンなのだから。

あたしは知っている
パパを殺したその男の顔を
あたしは知っている
パパがどれくらい
あたしを愛していてくれていたかを


【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件・了……または、続く
もう1話、エピローグに「真実」があるかもしれません。続きは『サンタクロースの棺』で。




さて、この物語、全く新しい登場人物たちでお送りいたしました。
クリスマス企画として、もっと短いお話(前後編)でお送りする予定が、あまりにもキャラたちが濃くて、長くなってしまいましたが、お楽しみ戴けましたでしょうか。

私の中では、真を幸せにする企画ではありますが、実際は真シリーズとは独立しております。
設定の一部(寺に住んでいるとか、両親がいないとか、叔父(真シリーズでは伯父)が失踪しているとか)は被っていますが、あまり関係ないとも言えます。蓮と舟は、足して2で割ったら真に近いけれど。

書きたい石はいっぱいありますが、またいずれ、ゆっくり石を語りましょう。
巨石ではなく、こちらは小さなパワーストーン。
でも、石の力を引き出すのは、自分自身なのですね。

この設定のプロローグとして書いたものですが、本編を書く予定は今のところありません。
でも、単発で登場するかもしれません。真シリーズがだんだん苦しいお話になっていくので。
ちなみにもともと考えていたお話は、にこと蓮の話。だから次の主人公はにこ、かも。
笙子と舟も、実はいいカップルなんじゃないかと思ったりしています。
あ、笙子は、きっと笙もやると思いますよ。
ロックと雅楽、それもまたいいじゃないか、と。

さて、笙子の名前と設定は、大昔のドラマ『不良少女と呼ばれて』から取りました。
リアルタイムでは見ていなかったのですが、大筋は知っていたので、ちょっと頭に残っていて。

笙子の書いたぶっ飛びの新曲
「誰よりもあなたが知っているはず
 自分がしたことを」
何て感じの歌詞をくっつけようと思ったけれど、語呂が悪いし、パパへの愛で終わりたかったので端折りました。
でも、歌のBサビくらいにはこの言葉がついているんじゃないかな。

最後に登場した、名前も出てこない、大原に住む仏師こそ、竹流が原型になっている人物なのですが、今回はチラ見だけでした。多分、設定はこの人が一番、当の竹流に近い。ヴォルテラの御曹司の予定なので。
でも、結論が違う。
蓮とどんな関係って?
えーっと
隠すほどでもないので白状。

蓮は、自分がある女性と間違いを犯したので、海と自分は婚約を破棄したと思っている。
海は、蓮には好きな男がいるので、蓮と自分は婚約を破棄したと思っている。
(それに実は、海は結婚によって仕事をセーブしたくなかったんですね。今の距離が心地いいと思っています。)
で、その真実は……気持ちはものすごくあるけれど、エッチな関係ではないのです。
でも、蓮はあれこれ心配ごとが多すぎて(舟も和子もいるし、魁も探したい気持ちもある)……

天麩羅屋も実際にあります。あの頃は、ランチは500円だった……
ボリュームもあったけれど。
味噌汁が美味しかったなぁ。


では皆様、よいお年を!!
お読みくださいまして、本当にありがとうございます(*^_^*)

Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【奇跡を売る店】サンタクロースの棺~おけら参り 

【奇跡を売る店】サンタクロース殺人事件、もう一つの結末です。
始末篇、と言った方がいいのかもしれません。
この方が納得される方もいるかもしれませんし、こういう思わせぶりなすっきりしない結末はイヤって人もいるだろうな、と思いつつ。
せっかく皆様に「読後感が良かった」とほのぼのしていただいた後で、何をする……って気もしますが。
でも、本当は15年も前のこと。正直なところ、誰の記憶もあてになりません。
あるいは、15年間、みなが別の物語を上塗りしてきたかもしれない……

やっぱり天邪鬼な大海がお贈りする、もう一つの物語。
とはいえ、蓮の勘繰りすぎかもしれませんので、皆様が自由に結末をつけて下さればいいなぁと思います。

そして、前回はあまり出してやらなかった、もう一人の重要人物。
新年を迎えた蓮と和子と共に、彼をご紹介したいと思います。
蓮にとって、血の繋がらない、心の家族で迎える新年、かもしれません。





「あれ? 天河石? それ、どうしたん?」
 大晦日の日、蓮はぼんやりと、涙型に研磨されチェーンをつけた天河石のネックレスを見つめながら、『奇跡屋』の二階で人を待っていた。
 日中はどれほど寒くても、太陽の光とはこれほどまでに有難いものだということを思い出させてくれる。だが、いったん陽が落ちると、気温は一気に零に近付く。灯りや人の体温が作り出す温もりのないこの事務所では、尚更それが身に沁みた。

 蓮は接客用のソファに寝転がるようにして天河石を見つめていた。
 ソファの背から舟がその天河石を覗き込んで来る。
 天河石から視線を舟に移すと、そのあまりの近さに一瞬驚く。いや、驚いたのは、舟の目が魁にそっくりだということを改めて発見したからだった。親子だから当たり前なのだが、何故かそのことが心の深い所に沈みこんで広がっていく。
 連の従弟である舟は、男の連から見ても妙に色気のある顔つきをしている。美青年の範疇に入るとは思うが、口を開いたら関西弁丸出しの憎まれ口だ。だが逆にそれが人の気を惹きつける。二重の意味で、この生意気な唇を黙らせてみたいと思う連中が確かにいるのだ。栗色の目、少しだけ染めている明るい髪の色、そして細っこい身体。だがこう見えて、喧嘩には滅法強い。

「あ、分かった。海ちゃんにプレゼントや。あれ、クリスマスに会ったんじゃなかったん?」
 蓮は黙っていた。婚約を破棄してからも続いていた二人のクリスマスの逢瀬が、初めて途絶えた。喧嘩したわけではなく、海が診ている入院患者の容態が悪かったのだ。そういうことはあり得ると言えばあり得ることなのだが、たまたまこれまでは数時間程度の時間を何とか作ることができていただけのことだ。
 そういう仕事をしている、としか言えないし、そういう仕事を選び、続けている海には、彼女なりの優先順位がある。
 天河石に何か気持ちを託そうとした訳ではないのだが、たまたま一階の店で目に入ったのがこの石だった。

 この石を見ていると、ずっと引っかかっていたことが頭の隅で蠢きだす。
「何か気になるん?」
 蓮は舟の目を黙って見つめる。
 一体、こいつは何をしているのだろう。そして、一体何を俺に言えないままでいるのだろう。
「何か腑に落ちないんや」
「何が?」
「あの時……警察を呼んで、神社の裏手から笙子さんのお父さんの遺体を掘り起こした時、何てのか、妙な感じがあったんや」
「妙な感じ?」
「まるで棺を開けているような気がした」

 舟はふーん、という顔をして、少し茶化すように言った。
「棺? 考古学者の発掘みたいやな」
「あの遺体はサンタクロースの衣装の上に寝かされていたように見えた。それから一升瓶が数本。まるで棺にその人が生前に好きやったものを納めるみたいや。幼女連続殺人犯がそんな洒落たことをするとは思えへん」
「それは笙ちゃんのお父さんが自分で埋めたんとちゃうん? 大好きやったお酒の棺として」
「そうだな、そういう話に納まった」

 蓮はじっと舟を見つめたまま、そして舟も答えを知っていて回答者を試すようにじっと蓮を見つめている。
「お前、何かあの子に吹き込んだんやないのか?」
「俺が何を?」
「あの子がまだ小学生にもならない時の記憶がそれほど正確とは思えへん。十五年も前に見た出来事や人の顔なんて、普通は覚えてへん。もしかして何かを見たんやとしても、子どもの彼女がどう解釈してどう記憶したか、記憶ほどあてにならんものはない。今確かな事実は、三澤正興さんが埋められていたこと、あの頃、幼女連続殺人事件があってまだ犯人が捕まってへん、それだけなんや」

「んで、俺が何を吹き込んだって?」
「その時、誰かに追いかけられてなかった? なんて聞いたんとちゃうんか?」
「それで? 俺が誘導尋問で、真実とは全く別物の彼女の記憶をでっち上げたとか? 蓮兄ちゃんは、もしかして、笙ちゃんはもっとショックな場面を見たとか思ってる? たとえば、お父さんは穴を掘る前からもう死んでて、そのお父さんを埋めてたんは、彼女もよく知っている誰かやったとか。そう、例えばおじいちゃんとか、お母さんとかね。だから彼女はショックのあまり、記憶が混乱してる。あるいは別の物語に作り替えて、記憶の引き出しに仕舞っている。で、家族はみんなで庇い合ってるとか」
 微かに笑うような舟の口元が、窓の外からの光で揺らめいて見えていた。

「……なんちゃって」
「お前、誰かに何か頼まれたのか」
「誰に? 安倍家の誰か? あるいは気まぐれな玉櫛婆さんとか? でも、兄ちゃんは笙ちゃんのお母さんと話したんやろ。死を前にした人が嘘つくって思うんか?」
「最後まで何かを守るってこともあるやろ」
「雅楽の家の名誉とか、父親が本当はもっともっとダメな人間だったということを娘に知られたくないとか? だったらそれでもええやん。もしかしてダメ親父でも、間違いを犯した母親でも、笙ちゃんは愛されてたと思うで。そりゃ言葉や行動は伴ってなかったかもしれんけど。それやのに、蓮兄ちゃんは何かを暴きたいんか?」
 蓮にはもう答えることも聞くことも何もなかった。

 何があったのか、鍵となる人物が口をつぐんで墓場まで持っていく覚悟であるなら、もう何も表には出てこないだろう。
 それに、何よりただ蓮の思い過ごしかもしれない。
 あの場所がサンタクロースの棺に見えた、などということは。
「大体、十五年も前のことや。大人だって、正しく記憶しているとは限らへんで。その十五年を過ごす間に、少しずつ記憶が修正されてしもうたかもしれへん。あるいはこんなん勘繰る方がおかしくて、もしかして、全て蓮兄ちゃんや笙ちゃんが聞いた通りかもしれへん。俺は、これが正しい答えやと思うけど」
 こんな時、魁はどうしていたのだろう。刑事だった頃なら、どうしていただろう。そして、刑事を辞めて探偵になった後なら、どうしていたのだろう。
 そしてもしかして、笙子自身、何かを感じながら、全て内に畳み込んだかもしれない。ただ強く生きるために。前を向くために。本当のことを知っているのは、その人自身なのだ。

 舟がふいっとソファから離れた。そして呟くように言う。
「蓮兄ちゃんは、良心であろうとする」
「何やって?」
「白か黒か、自分の中で収めようとするんや。自分の良心が傷つかないように生きてる。だから医者もやめて、和子を引き取って……けど、良心にだけ従ってたら、自分を追い詰めるんとちゃうんか。自分で自分を窮屈にしてるように見える。時々他人にもそれを求める」
 蓮はソファに座り直した。
「じゃあ、お前はどうなんや。俺に何か言うてへんことがあるやろ」

 舟は答えずに蓮の前に回ってきて、手を出した。
「何や」
「それ頂戴」
「石か?」
「海ちゃんやのうて、俺に頂戴。俺に希望を分けてくれてもええやろ」
「女のするもんやぞ」
「だって、兄ちゃん、昔、魁の石を拒否したやろ。それであの親子石は俺らの手から他の人んとこに行ってしもうたんや」
 それもそうだ。

 蓮は天河石を舟の手に載せる。舟の手の上で、天河石が弱い光を返している。太陽の光を受けたなら、虹が見えるはずなのに、今はただ弱く青く揺らめいているだけだ。
「そんなええもんやないで」
「うん、構へん」
 舟は自分でネックレスを首に回す。
 和子がつけているラピスラズリのお守り袋を思い出す。あれから、有難うも嬉しいとも言わないが、和子はほとんど肌身離さずつけてくれていた。

「あ、除夜の鐘や」
 冷えた町の空気を伝わって、今年最後の鐘の音が二人の空間にも届く。小さな箱の中で、ソファも机もベッドも本棚も、小さなペンや流しのコップとスプーンも、まるでおもちゃの作り物のように儚く思える。そして、自分たちもまた、小さな人形のように静かに佇んで、鐘の音を聞いている。
「お前、どっかでひとつ、鐘つかせてもろうた方がええんとちゃうんか。煩悩まみれやろ」
「蓮兄ちゃんこそ」
 そう言って舟はふっと笑う。蓮も何となく笑みを返す。
「ほんなら、俺、もう行くわ。年の始めにハッピーニューイヤーを言う最初の相手が蓮兄ちゃんて、何や悲しいし」
 愛想なく舟は背を向け、階段を降りていく。蓮は手を挙げただけで、何を言えばいいのかも分からない。兄弟で別れる時の挨拶というのは、本当に適当なものがない。もうすぐ新年を迎えるこの時であっても、じゃあ、ああ、だたそれだけだ。

 舟の足音が階段を降りていく途中で、表の扉が開く音が重なった。二階にまで風が舞い込んで来る。
「凌雲先生、今年もおけら参りですか」
 舟の声。
「舟、お前も一緒に行かないのか?」
 穏やかでよく通るハイバリトンの声が、微かな空気の動きと共に伝わってくる。
「遠慮しときます。また大原に行きますよ。やぁ、にこ。風邪ひかないように行ってきぃや」
 待ち人が来たので、蓮もダウンをとって袖を通し、マフラーを掴んだ。階段を降りると、和子と一緒に、大原に住む長身の仏師が蓮を待っている。

 いつも作務衣姿なので、このような普通に一張羅のスーツを着ている格好は珍しい。外国人とは思えないほどに和服も作務衣も似合うのだが、それはこの男が世俗を捨てて仏像制作に、寝食の時間以外のほとんどを当てているからなのかもしれない。
 くすんだ金の髪、青灰色の瞳、見つめられると自分が彼にとっての特別な人間であると勘違いしてしまいそうになる。彼の怖いくらいに整った綺麗な顔を見ていると、神というのはどれほど素晴らしい芸術家なのかと思わずにはいられない。尤も、大方は「いまいち」の作品を作っている気がするのだが。
 どういう出自なのか、彼はまるで語らないが、その立ち姿だけでも、特別な生まれではないかと思わせる。日本に住んですでに十五年は過ぎているというし、もう故郷に帰る気持ちはないのかもしれない。
 少なくとも蓮は、そして多分、舟や和子も、そうであってほしいと願っている。

 大和凌雲という号は、蓮が中学生の時から変わっていない。本名はもう忘れたと本人は言う。
 凌雲は蓮が小学生の時から世話になっている寺の住職の知り合いで、もともと蓮の家庭教師だった。頼るべき両親を失った蓮にとっては、親でもあり兄ともいえる存在だった。魁が頼んだのかどうかは知らないが、根気よく、本当の親以上に我慢強く、蓮の面倒を見てくれた。
 ちなみに凌雲は舟の面倒を見ていてくれたこともあるし、今でも舟は時々大原に行ってこの男を頼っているようだ。そしていつの間にか、和子もこの男には懐くようになっている。

 大晦日から正月三が日を一緒に過ごすようになったのは、いつのころからだったのだろう。蓮が仕事を始めてからは、逆にその三日間以外を共に過ごすことは難しくなった。病院に勤めていた時も、辞めた後でも、蓮の生活は二十四時間何かに当てはめられているからだ。
 それでも、いつもどこかで心配している。特に寒い冬は尚更だ。彼の住む大原の庵は、心を鎮めて仏像を彫るのにはいいのかもしれないが、一人で過ごすには寒すぎる。
 仏像を彫ったまま、いつの間にか息絶えていても分からないのは困ると言って、何とか説き伏せて携帯電話を持ってもらったのは去年のことだった。始めは蓮の名前しかなかった彼の携帯にも、今ではいくつか契約相手の電話番号が登録されている。とは言え、ほとんどの契約相手は昔からの馴染みで、彼がほとんど電話に出ないことを知っているので、直接庵を訪ねてくる。

 八坂神社まで、心臓の病気を持つ和子の足では少ししんどい。それでも途中までは和子は一生懸命歩こうとする。やがて四条大橋を渡った辺りで、和子は蓮ではなく凌雲のオーバーコートの裾を引っ張る。凌雲が和子を抱っこして、そして黙ったまま八坂神社までの道をゆっくりと歩く。
 大晦日の四条通、八坂さんの鳥居の赤に滲む街灯、祇園の赤い灯、往来する人々や通りを往く車でさえもまるで現実のものではないように思える。縄の先についた小さな火を絶やさないようにと、くるくると回しながら行き過ぎる家族連れを、和子は凌雲の肩越しからじっと見つめている。後ろを歩く蓮と目が合うと、きっと唇を引き結び、凌雲の肩に顔を埋める。

 こうして歩いているうちに、いつの間にか新年を迎える。
 ただこうして今年から来年へと、昨年から今年へと当たり前に連続した時を歩いているのだ。それはただ昨日から今日への道でもある。延々と続く時間には、切れ目も区切りもない。
 ただ、道端でカウントダウンをする若者の集団の声で、新しい年になったと分かるだけなのだ。
 ものすごい人出だということは分かっているのに、あのような山の奥に住んでいて人恋しいこともあるのか、凌雲は嫌がらずにこの人混みにもまれている。和子を抱っこしようかと聞くと、まだいいと答えが返ってくる。和子は疲れたともいやだとも言わない。三人ともが、ただ共に歩き、町の人々の賑わいにより何かを共有し、想いを温める時間を必要としていた。

 本殿まで一時間。やっとたどり着いて柏手を打ち、蓮は手を合わせた。
 和子も隣で同じように小さな手を合わせている。
 和子の願いを蓮は知らない。そして蓮の願いも和子は知らない。
 隣で目を閉じる男の願いも、蓮は知らない。
 この多くの人々の願いも、どれほど小さなものも大きなものも、蓮には分からない。それでも、今ここで三人は同じ時間を過ごしている。ここに集う多くの人々もまた、同じ時間の中にいる。
 火縄を買い、そこからさらに一時間ほどもかかって、おけら灯篭から火を貰った。途中で和子が眠ってしまってから、蓮は凌雲の手から和子を受け取る。

 大晦日から元旦とは言え、大原まではもうバスもない時間なので、タクシーに乗った。通りを一本越えるたびに賑わいは遠くなり、建物の屋根も低くなり、やがて家の灯りが疎らになる。山を越えて辺りがほとんど完全に闇にのまれてしまうと、蓮は何故か少しだけ安心した。
 この闇が蓮を隠してくれる。蓮と、凌雲と、和子を。あらゆる悲しみも苦しも届かない場所に包んでくれる。

 凌雲の庵は、ある財閥の隠居が道楽に作ったものだった。凌雲は古い美術品の修復や整理も手掛けている。その財閥の所蔵する美術品の管理を手伝っていた関係で、隠居と懇意にしていたのだが、隠居が亡くなる時に遺言でどうしても凌雲にと言って譲ったのだ。
 もともと大金持ちが清貧なる生活に憧れて作ったものだから、狭くはないが、調度というものはほとんど何もない。有難いのはご隠居が風呂好きで、小さな内風呂と露天風呂、井戸があることだった。それに囲炉裏の間。これを清貧というのかどうかは分からないが。

 大きな土間があるので、凌雲はここを仕事場にしている。修復の対象のほとんどは神社仏閣の宝物で、それ以外の時間はずっと仏像を彫っている。多くは小さな仏で、円空仏にも似たその姿は、優しいようでいてどこか厳しい風情を漂わせている。一体一体彫り進めていくうちに、表情は変わっていくという。柔和になっていくというわけでもない。むしろ、静かな厳しさを漂わせたお顔になっていく。無の境地というのなら、そうかもしれない。
 凌雲が何もかも捨ててこの地に落ち着いている理由を、蓮は全て知っているわけではない。だが、感じることはできる。
 何かを諦め、何かを弔い、命を静かに燃やしている。

 土間の中心に大柄な男性ほどの背丈の阿弥陀如来が座している。半年ほど前から凌雲が手掛けているもので、注文したのはずっと北のほうの村の小さな寺だという。誰にも気が付かれずに、ひっそりと時間を過ごす場所にこそ、この阿弥陀如来は必要とされている。
 八坂さんのおけら灯篭から分けてもらい持ち帰った火縄から、小さな火を囲炉裏に移す。この火で飯を焚いたら、その年は食には困らないのだという。
 和子を囲炉裏の間と続きの小部屋に寝かせて、顔が見えるように板戸を開け放したまま、蓮と凌雲は囲炉裏を挟んで向かい合わせに座っていた。

 ぱちぱちと炭が爆ぜる音以外は何も聞こえない。揺れさざめく火が、凌雲の彫っている阿弥陀如来のお顔を一瞬一瞬変えていく。怒りや哀しみもあれば、優しさや喜びや愛もある。仏にいくつもの顔があるのか、ただ見る者の心によるものなのか。
 蓮にとって、一年でただこの数日、あるいは元旦の太陽を迎えるまでのわずか数時間ほどに充たされた時間はない。何も話さず、何も求めず、ただこうして未完成の御仏に見守られて座っている。

 もしも魂の細胞が始めはひとつで、何かの間違いで割れてしまったのだとしたら、この時だけ、魂がひとつに融け合っていると感じる。惹かれあう親子石のように、強い力で魂が触れ合っている。そこには何もいらない。言葉も、見つめ合う視線も、触れ合う手も、何もいらない。
 ただそこにこの人がいるから、この場所に帰ってこようと思う。
 何があったのだとしても、蓮が崩れてしまわずに立っていられるのは、この時間があるからだ。この時間によって、魂は洗われて、また新しい年を迎える。

 海が婚約を破棄することに同意した理由を、蓮は一度だけ聞いたことがある。
 海は理由を三つ、言った。一つは、蓮が海に対して後ろめたさを持っているからだと言った。蓮が犯した間違いは取り返しがつかないとしても、その間違い自体よりも、卑屈になる蓮を見ているのが嫌だと言ったのだ。そしてもう一つは、海は自分のわがままだと言った。海自身が、結婚して子どもが生まれて家庭に注ぐエネルギーが増えることで、失うものを考えてしまったからだと。
 最後のひとつは、海ははっきりとは言わなかった。ただ、釈迦堂君には私と一緒にいる以上に充たされる場所があるんだよね、と言った。蓮は否定しなかった。自分がいかなる時も、心の内でその時間を求め、その時間があるがゆえに生かされているということを。

 蓮は阿弥陀如来の顔を見上げる。磨かれた木の表に照りかえる囲炉裏の小さな火。火縄の先で燃えていたごく小さな火が、こうして大きくなり、御仏に映り、やがて世界を照らしていく。隣の部屋で眠る小さな和子にも、部屋の片隅に震える小さな虫にも、あまねく光が届く。

 新しい年。
 静かに何かが動き始める。嘘でも幻でも、その歩む足が確かであれば、やがてそこには道ができる。道ができたなら、また一歩を先へと進めていくことができるだろう。
 自らの内にある力を信じることでこそ、希望が生まれる。
「蓮」
「うん……」
「あけましておめでとう」
 蓮は目を閉じた。
 本当に失いたくないものは、今ここに全てある。
「……おめでとう」


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Category: (1)サンタクロース殺人事件(完結)

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【scriviamo!参加作品】 【奇跡を売る店】 龍王の翡翠 

八少女夕さん企画【scriviamo!】参加作品です。

ブログ『scribo ergo sum』の管理人さん、八少女夕さんは、素晴らしい「物書き」さんです。
流れるような読みやすい文章の中に、奥深いものが潜んでいる。そんな豊かな物語の世界に私たちを引き込んでくださる魔法使いかもしれません。その情景描写は素晴らしく、読後しばらく目を閉じて、じっくりと物語世界を楽しみたくなります。……なんて解説はもう不要でしょうね(*^_^*)
しかも! 精力的に作品を発表される傍ら、交流を積極的に奨められる夕さん。scriviamo!は、私たちの作品に夕さんが返歌を下さるという(しかもあり得ないスピードで!)、信じられない企画です。
やはり夕さんはスーパーマン、じゃなくてスーパーウーマンですね!

小説で参加するのも何だか自分の中ではありきたりだし、ちょっとイラストでも描いてみようかと思ったけれど、見事に座礁し、岩場であっぷあっぷするお魚さんのようになりながら、何とか発表に至りました。
が! もう今回ほど「産みの苦しみ」に喘いだことはありませんでした。
絶対に『龍王様の呪い』だと思われます。
お前、そんな簡単に龍王と『龍の媾合(みとあたい)』に手を出すな、と……

ごめんなさい、龍王様。本当に反省しています。
でも、この物語は、私が初めて拝読した夕さんの作品で、深く感銘を受けたものでしたので……
官能的というので夕さんが別館に仕舞っておられるのですけれど、この『龍の媾合』のイメージはかなり強烈で、素晴らしく神秘的で、創作とは思えない迫力がありました。

イメージしりとりは以下の通り。
『樋水龍神縁起』→龍王様→樋水川→翡翠→出雲大社の翡翠の勾玉→新潟・糸魚川の翡翠→→貴石→『奇跡を売る店』

こうして、【奇跡を売る店】の蓮と凌雲が登場しました。
夕さんのところからお借りしたのは、登場人物ではなく、樋水川や龍王の池のイメージと『龍の媾合(みとあたい)』という神秘的なできごと……これについては『Dum Spiro Spero』のこの回が分かりやすいでしょうか?→こんな感じ?

そして、『古事記』に書かれた、出雲と糸魚川を結ぶ伝説(検証ではあれこれ疑わしい点もあるようですが)。
こちらの翡翠の勾玉は、奥出雲の龍王のもの、あるいは龍王に嫁いだ姫のもの。『古事記』の伝説どおりではありませんが、奥出雲の樋水川に翡翠と共に嫁いだ越の国の奴奈川姫(布川)をイメージして、へたっぴぃなイラストを描きました。
このイラストから書き起こし物語、というよりも、ワンエピソード。
よろしければ、少し『翡翠(樋水)』の世界を覗いてみてくださいませ。

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【奇跡を売る店】シリーズを初めて読まれる方にも分かりにくくないように、登場人物たちを少し説明しすぎているかもしれません。ご容赦ください。と言っても、今まで1作しか作品はありません^^; (『サンタクロース殺人事件』)
釈迦堂蓮:釈迦堂探偵事務所の留守番探偵、ゲイバー(ショウパブ)のホールをしながら、事情があって6歳の女の子を育てている。
大和凌雲:京都・大原の庵に住む仏師。蓮の元家庭教師。
玉櫛:『奇跡屋』という貴石を売る店の怪しい婆さん。玉櫛はその昔、売れっ子芸妓だったころの名前。
和子(にこ):蓮が育ていてる6歳の女の子。心臓の病気がある。蓮とはほとんど口も利かない。





 古い木枠が、冷たく荒い風に慄き、がたがたと鳴き震えている。薄く固い敷布団の下、板敷きの底からも、風の唸りが伝わってくる。土と冷たい床の間に、暗く何もない無限の宇宙空間がある。
 風の音と、地面の下に流れる水の気配。水は時に溢れだすように大きく渦巻き、時には凪いで静かに息をひそめている。

 京都の町を大きく外れた大原は、四神相の守りの外側だ。邪ならずとも、あらゆる気が、守りを失った瞬間にはあの街の内側へ襲い掛からんと待ち構えて、潜んでいる。
 それでも凌雲の庵の中だけは、清浄な空気が満ちていて、邪な気はここに入り込むことを拒まれている、はずだった。
 それなのに、今宵、部屋の隅には誰かが息をひそめて、じっと相手の隙を窺っている。

 蓮は眠っていた。そのはずだった。だが、身体がじっとりと熱を上げていくのが、眠りながらでもはっきりと分かった。
 どこまでも澄んだ霊気を漂わせる、静かな深い森。蓮は見知らぬその地を歩いている。神社らしき建物が見える。夢なのか幻なのか、それにしては足の裏には、草や木の湿気をしっとりと含んだ確かな地面を感じる。木々の奥へ引き込まれるように進んでいくと、これまでに見たことのない、光に包まれた池があった。

 池は蒼く、また碧だった。池の縁まで歩み寄って覗き込んでみると、遥かに深く透明度が高い。その底から、星のような淡い光が昇ってくる。光の中に何かが蠢いている。黄金に輝いて、ゆらゆらとゆらめいている。ゆらめくごとに、水面に届いた光は虹色となり、黄金の砂が月に吸い取られるように輝いて、空へ立ち上って行った。

 その時、蓮は水底からじっと自分を見つめる目に射抜かれた。
 激しい突風が身体を貫いた。何かが明らかに蓮の身体を通り抜けていったのだ。
 身体中の細胞が痛みに呻き始めた。脳の中身の温度は、一気に沸点に達した。細胞と細胞を繋ぐ全てのブリッジが悲鳴を上げて軋んでいる。軋みは身体を巡る神経のネットワークによって指や爪、髪の先にまでも伝播する。身体中が熱い。内側から細胞が沸騰して壊れるのではないかと思った。

 直ぐに身体が何かに縛り付けられたように硬直し、血管の内側を巡る血液までが熱を帯び始めた。血液が激流となり、内側から血管壁を痛めつけながら身体を走り抜ける。
 一体何が起こっているのか分からないまま、ふつふつと欲情が立ち上ってくる。
 蓮にとっては何よりも恐ろしいことだった。

「蓮」
 呼びかけられた時、蓮は思わず相手の腕を引き寄せていた。
 突然の激情だった。頭で拒否する行為を、身体が勝手に求めようとする。その反発する力で身体が千切れそうになった。頭の中は激烈に痛んだ。割れる、というよりも爆竹が破裂し、その破片が内側から骨に幾片も突き刺さったような痛みだった。
 身体の中心に熱が集まってくる。誰でもいい。誰かこの熱を受け止め、このまま共に狂って欲しいと願う。

「どうしたんだ」
 耳に滑り込んできた声は、身体の神経の全てを突っ走った。蓮は引き寄せた相手を、同じ頭の中の別の意志に支配され反発する強い力で突き飛ばした。
「俺に触るな!」
 自分の声で我に返った。

 凌雲は不意打ちを食らったようだが、蓮の力が思ったほどに強くなかったのか、倒れはしなかった。いや、実際には蓮の身体がまともに動いていなかったのだ。蓮の手首を掴んだままの凌雲は、しばらくの間、驚いたように蓮の顔を見つめ、それからそっと背後を振り返った。



 仏師である凌雲の庵に蓮が訪ねるのは、月に大体一度ほどだった。
 大概は凌雲への、あるいは凌雲からの頼まれものを届けに行くだけで、夕方までには帰途につく。泊まるのは正月の三日間だけと決めていたのだが、まだ正月が明けて間もない今日、やむを得ない事情で泊まることになった。

 蓮は、昼間は失踪した叔父・釈迦堂魁の探偵事務所で留守番探偵として暇を持て余しながら退屈という仕事をこなし、夜になると四条大橋の近くにあるショウパブのホール係として、昼間とは打って変わって相当に忙しく働いている。
 その間に、保育園に預けている被保護者、六歳の和子(にこ)を送って行ったり迎えに行ったりで、住まいである西陣と四条河原町を一日に二往復していた。
 交通手段は専ら自転車だ。

 大原まで行く時も、バスよりも自転車が好ましい。いつもは和子を乗せるためにママチャリなのだが、大原に行く時だけはマウンテンバイクを動かしてやる。
 その日は古本を数冊、それから何やら書簡の束のようなものを届けに来た。
 古本と書簡の持ち主は、『奇跡屋』という胡散臭い名前の貴石を売る店の婆さんだった。釈迦堂探偵事務所は『奇跡屋』の二階にあり、古い町屋の入口を共有している。

「何を調べているんだ?」
 束ねられた書簡と和綴じの古本には年号がふってある。明治、大正、昭和の百年以上をまたぐ期間のものだ。
 凌雲はいつもの作務衣姿で玄関兼用の土間に立ったまま、書簡を確認していた。
 凌雲は背の高い外国人だが、日本画や浮世絵、仏像の修復師としてその名を知られている。さらに仏師としての号を持ち、今ではすっかり日本人以上に作務衣姿が板についている。

 凌雲はふと手を止め、そのどこまでも暗く深い青灰色の瞳で蓮を見つめた。
「お前は、呪いの何とか、って話を信じるか?」
「呪い?」
「たとえば、有名な『ホープ・ダイヤモンド』。九世紀にインドで発見されて、ルイ十四世がこのダイヤを所有したことによりフランス王家は衰退への道を転がり始めたとか、その後の所有者が次々と不慮の死を遂げたり離婚したりしたのだとか。今は元の大きさよりも随分小さくなって、博物館に収蔵されている」

「ただの都市伝説だろう? 大体、そのダイヤを持っていなくても、死ぬことも離婚することもあるだろうに」
「ダイヤを売名行為に使ったという噂もあったな。シャーロック・ホームズは『ただの炭素の塊』と言ったが」
「それで、日本にも似たような話があったとでも? どうせ、婆さんが妙な噂話を振り撒いているんだろう」
「どうだろう。だが、玉櫛さんは、神のものは神に返せと言われたんだ」
「神のもの?」

 そんなやり取りの後、土間と続きの板敷の間に上がり、囲炉裏を挟んで向かい合って凌雲の淹れたお茶を飲み、和子のことや、蓮が居候している寺の人たちの近況を言葉少なに話し、帰ろうと思ったら、突然氷のように冷たい大雨に襲われた。

 この辺りは、少し日が暮れると真っ暗になる。そこに襲い来た冬の大雨は、朝の天気予報からは大きく外れていた。もちろん、蓮は大雨の中を帰る手段を用意していなかった。
 そのうちに止むだろうと二人で軒下に立ち、しばらく空を見上げていたが、空なのか、ひっくり返った川なのか、暗闇の中ではもう分からない。蓮は帰ることを諦めた。

 正月にはそれなりに準備をしている凌雲だが、普段の食事はつましいものだった。近所の老人たちから貰う野菜や米、それに干した魚、味噌汁の中には豆腐と葱。それでも蓮にとっては何よりのごちそうだった。

 板間の部屋の暗い隅に、見たことのない五十センチメートルくらいの高さの木彫りの像が置いてあることに気が付いたのは、食事を終えて、囲炉裏の火を落としている時だった。
 蓮が問いかけるように凌雲を見たのは、木彫りの背後に緑の光のようなものが立っているような気がしたからだ。
 だが、蓮は言葉を呑み込んだ。何か抗しがたい力が、その内側から湧き上がっていたからだ。触れることも、語ることもならぬという強い力が、ぞの像の内側で渦を巻いている。

 朽ちかけた像の元の形はよく分からなかった。まるでもう一度ただの枯れ木に戻ろうとしている途中のように見えた。名もなく、意味もなく、ただ自然のままに生まれ出た場所にあった時のように。
 蓮が隣の間で眠りについた時も、凌雲はまだ石屋の婆から受け取った資料を調べていた。



 凌雲は蓮の腕をしっかりと抱きとるようにしたまま、部屋の隅を見つめていた。
 もう鑿の痕もはっきりとは分からないほどに朽ちているその木彫りの像は、凌雲がある人から預かったものだった。

 その像の本当の名前を誰も知らない。何故なら、この像はもともとどんな形で何を表したものなのか、あるいは始めから実は形を成していなかったのかさえ、分からないのだ。作者も作られた時期もはっきりしない。
 その上、凌雲にこれを預けた人は、すでにこの世の人ではなかった。政財界に顔がきく人物だったが、像を手に入れて間もなく、突然自宅で亡くなっているところを発見された。

 その老人は遺言を残すつもりだっただろうか。それとも、永遠に手元に置きたいと願っていただろうか。遺族は、この像を受け取ることを拒否した。そんな薄気味悪いものを持っていたなどとは知らなかった、噂では持ち主に不運をもたらす呪いの像だというのだから、と。

 老人は凌雲に、この像を壊さずに中に入っている何かを取り出せないかと言ってきたのだ。手で触れるだけでも崩れてしまいそうな像を揺り動かすと、確かに微かな音が聞こえていた。
 老人の死に途方に暮れて、その人を紹介してくれた『奇跡屋』の玉櫛に相談した。
「あんたに預けて死んだんだ。それはもうあんたが好きにしたらいいのさ」
 ただし、と玉櫛は言った。
「扱いを間違えたら大変なことになるよ」

 実際には、その時、玉櫛も事情を知らなかったのだろう。
 後になって資料を揃えたという連絡が来て、今日、蓮が古本や書簡の束を言付かって大原まで持って来てくれたのだ。

 噂では、所有者を次々と不幸に陥れてきたという像。
 書簡や報告書らしいものには、この像にまつわる秘話が綴られていた。持ち主の多くが突然色恋や博打に狂って不慮の死を遂げたり、事業に失敗したりしているのだという。もとの形は、まるで龍が何かに、多分人に、巻きついているような姿をしていたという記述もある。また、かつて『龍の媾合(みとあたい)』と呼ばれていたこともある、と。

 宝は生まれた場所を離れ、人々の欲望を吸い上げ、この世を彷徨い歩いている。吸い上げた欲望が、所有者の心に邪な矢を放つ。衝動は時に人を死へと導く。本来ならば神が持つべきものが、間違えて人の手に渡ってしまった。人は神から宝を奪い、神の目から隠すために像の中に閉じ込めた。

 凌雲がまだその像を振り返っているうちに、するり、と蓮が凌雲の腕を離れた。まるで何かに操られたかのように、気配も少なく立ち上がり、像に近付いていく。
 凌雲は像から緑色の光が立ち上がっているのを見た。光が絡まりながら湧き出している。

 その時、蓮はいきなり像を掴み上げたかと思うと、そのまま土間に叩きつけた。
 朽ちかけていた木は、自らの運命を知っていたように、あるいはそれを始めから望んでいたかのように、ほとんど抵抗なく粉々の木屑となった。
 凌雲もまた、その像の運命を知っていたような気がした。

 朽ちた木の中で蠢いていたものが、今長い時を経てようやく光を取り戻そうとしているのだ。
 凌雲は静かに蓮の傍へ歩み寄り、足元に転がった小さな石を拾い上げた。
 蓮の目には正気が戻っていた。
「大丈夫か?」
 蓮はうなずいた。そして、凌雲が作務衣の裾で埃を拭った石を見つめた。

「翡翠?」
 微かな壁際の灯りの下でも、その内なる光は特別であることがよく分かった。勾玉の形に整えられた翡翠は、ゆらゆらと揺らめきながら、悠久の時を生きていた。
「蓮、お前、何日か仕事を休んで、俺に付き合ってくれないか?」
「なぜ?」
「この石があるべき場所、奥出雲の川の神に返したいんだ」

 いつの間にか、雨は止んでいた。



「それから?」
 和子の質問は三歳の子どものように他愛ない時もあるし、やはり六歳かと思われるような年齢相応のものであることもあり、また、まるで大人のような物わかりの良さを感じさせるときもある。
 身体も心もでこぼこに伸びている、そんな歪みと、それでも前に向かおうとする強い命の力を感じさせた。

 重い心臓の病気で、生まれて間もなく手術を受け、それからまた数か月で二度目の手術、そして一歳になる前と二歳になる前と、合計四度の命に関わるような手術を受けてきた。その度に、健常の子どもであれば坂道をまっすぐに上がるような体力や精神の発達を阻害され、何度も心の成長のやり直しを余儀なくされてきたのだ。同じ年の子どもと上手くやって行けという方がどうかしていると、いつも玉櫛は思っていた。

 玉櫛、いやそれは、昔の艶やかな時代の名前だ。今はただ石屋の婆と呼ばれることの方が多い。
 この世の中は、とにかくも、社会の仕組みや技術の発達の中でどんどん弱者を作り出す癖に、その弱者を庇う優しさを失っていっている。

 和子は今日、保育園の後、『奇跡屋』にやって来た。いつも迎えに来るはずの蓮は玉櫛の使いで大原の凌雲のところに行っているので、和子のことは、蓮と和子が居候をしている寺の奥さんが迎えに来るはずだった。

 和子には両親はいない。どちらも生きてはいるが、和子の傍にはいないのだ。捨てられた和子を、当時主治医をしていた蓮が引き取った。蓮は和子を引き取った時、医者を辞めている。だから和子にとって頼りになる大人は、今は蓮だけだ。
 だが、和子はどうしても蓮とはまともに口をきこうとしない。蓮もまた、和子にどのように接したらいいのか分からないようだ。

 和子の膝にある本は、『古事記』だ。もちろん、和子にほとんど漢字ばかりの文字が読めるわけはない。だが、和子は比較的正確に言葉を反芻することはできる。
 玉櫛は和子に『古事記』に書かれたある伝説を話してやっている。

 出雲の大国主命は、越の国に奴奈川姫(ヌナカワヒメ)という賢く美しい姫がいるという噂を聞き、求婚するために越の国に訪ねてゆく。奴奈川姫は大国主命と歌を贈答したが、すぐには求婚に応じず、一日後に受け入れ、結婚したという。
「二人の間には子どもが生まれた。諏訪の国の神・建御名方命(タケミナカタノミコト)だ」
「へんな名前」
「神様の名前だからね」

「にこもへんな名前だって言われる」
「お前の親はバカだったと思うが、娘にはいい名前をつけた。ちっとも変じゃないね。名前は『呪(しゅ)』だ。人をその人であらしめる魔法のようなものだよ」
 和子はふ~ん、という顔をして、また膝に置いた本を見る。玉櫛は和子が分かっていてもいなくても、大人に対するように話しかける。

「この結婚話は、出雲族と奴奈川族との同盟をあらわすものだと言われる。遠くにある二つの国が仲良くしたんだよ。結婚後、奴奈川姫は大国主命と能登国、つまりに全く別の場所に行って住んだが、仲が悪くなって別れてしまった。お前んちの母親と父親と同じだ」
「ふ~ん」

「夫である大国主命には嫉妬深い嫁がいた。奴奈川姫はふるさとに逃げ帰って、悲しみのあまり、皆の前から姿を消した。いなくなってしまったんだよ」
『天津神社並奴奈川神社』の伝説では、越の国に戻った姫は自殺したともいう。

「もっともこの話は別の姫さまの話をいっしょくたにして間違えているって説もある。かぐや姫がお城の舞踏会に行ってガラスの靴を落としてきました、ってなわけだ」
 石屋の婆さんは、店の中をするすると歩き、古びた棚いっぱいに並んでいる石の中から一つを持ってきた。

「ごらん。これは越の国の糸魚川という川で採れた石、翡翠だ。翡翠は今から四千年以上も前、縄文時代の宝だった。糸魚川にはその頃の翡翠工場の遺跡が見つかっている。だが、大和朝廷の時代には糸魚川も翡翠も歴史書から姿を消しているのさ。翡翠が採れなくなったのか、翡翠はもう宝ではなくなったのか定かじゃない。糸魚川の翡翠のことが再発見されて取り沙汰されたのはずっと後、昭和になってからだ。だが、出雲大社本殿の裏の真名井遺跡から、最高品質の翡翠の勾玉が、銅戈とともに見つかった。本当はどこで作られたものか、分かっていないが、今では糸魚川の翡翠だと言われている。少なくとも、出雲と糸魚川には深いつながりがあったんだろうね」

 玉櫛が光に石をかざすと、石はあらゆる種類の緑色の光を跳ね返した。
「人間はね、昔のことをどうやっても知ることはできない。だが、馬鹿な人間は、今のことだって知ろうとはしない。難しいことじゃないさ。ただ想うだけでいい。想いには光の羽根がある。この石たちと同じように。想いは知識を呼ぶ。知識は人を少しだけ賢明にする。賢明になれば、愚かなことに惑わない。だが、想いのないガラクタのような知識はだめだ」  

 和子は何のことか分かっているのかいないのか、じっと翡翠を見ている。石屋の婆はいつも和子にこうして話しかける。和子の目には疑問がない。
「翡翠は神の石だ。遠い国から出雲の神様のところへ嫁いできた。神様というのは川のことだ。奴奈川姫というのは、遠い国の川の神様だったんだよ。この翡翠は川の賜物だ。だから姫神様の石なんだよ。神のものは神に、人のものは人に返すべきなんだ」

「故郷に帰るの? それともお嫁に行ったお家に帰るの?」
「石が決めるさ。にこ、お前もだよ。蓮はできそこないの医者で、男としても最低のことをしてしまったが、ひとつだけ正しい選択をした。にこ、お前を選んだことさ。だからお前も、今はそんな切羽詰ったことにはなっていなくても、いつか、選ぶ時が来たら正しいものを選べるように、心を決めておくんだね」

 石屋の婆、いや玉櫛は、和子の胸を指差した。
 幼くして幾度も厳しい場面を乗り越えなければならない宿命を抱え、もしかするとこれからも多くの試練が待ち構えているかもしれない和子の心臓の上で、和子の石、蓮が磨いたラピスラズリの入った小さなお守り袋が、和子の鼓動を受け取るように蒼く静かに震えていた。





お粗末さまでした。
蓮は性的な衝動について、ものすごく罪悪感をもっておりますので、このような体験については半ばパニックだったと思います。本物の『龍の媾合』は9年に1度の神秘的な出来事(夕さんは怪奇現象と説明しておられました^^;)で樋水村でしか体験できません(変な解説……)。でも、姫の翡翠の勾玉には樋水川の霊力の一部が閉じ込められていたようで……
というのをイメージしました^^;

もうひとつのテーマは……「神のものは神に」という聖書の言葉。
宗教は違っても同じで、この短い言葉の中には色々なことが籠められていると思うのです。
石も、和子の命も……神のもの。あるいは蓮の重荷も神のものかも。

Category: 奇跡を売る店・短編集

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【20000Hit御礼掌編】君に届け、愛の唄 

20000Hit御礼掌編は【奇跡を売る店】シリーズ掌編です。
舞台は京都、奇跡ではなく奇石(貴石)を売る怪しい店の婆さん・玉櫛と、その2階を間借りしている探偵事務所の留守番探偵・蓮を中心に巻き起こる事件の数々(になる予定^^;)を綴る物語をお届けしています。
実は設定の一部を忘れているところもありまして、【サンタクロース殺人事件】を読み返してみたら、結構面白いやん、と自分で楽しんじゃってました。事件よりも人間関係が面白いかも、なんてね(いけません、自己満足は身を滅ぼす)。
さて、今回はあのオカマショウパブ『ヴィーナスの溜息』の連中が、また変なイベントを考えてついたようです。巻き込まれた皆様、あれこれとお許しあれ。結構読み返して確認したつもりだったのですが、何か設定上不味い部分があったかもしれません。ご指摘くださいね!

【登場人物】
リナ・グレーディグ(八少女夕さん【リナ姉ちゃんのいた頃】より)スイスからの交換留学生。超美形の高校生だが、いささかぶっ飛んでいる? 趣味のひとつは意外な買い物。
エス(サキさん【物書きエスの気まぐれプロット】より)パートナーと友人たちに支えられながら、物語の断片をブログで発表している、少し引っ込み思案の女性。
星河智之(TOM-Fさん【あの日、星空の下で】より)京都の某高校の教師で天文研究会の顧問。何故か押しの強い連中に囲まれやすい。
田島祥吾(けいさん【夢叶】より)人気バンド『スクランプシャス』のヴォーカリスト。実は友人以上恋人未満の女性がいる!(くっついちゃえ同盟はまだ解散していません)
リク(limeさん【RIKU】他より)絵描き、かつ幽霊の媒体になりやすい不思議青年。いつの間にかヤバいものに引き寄せられてしまう体質。
釈迦堂蓮もと小児科医、今はオカマショウパブのホールで釈迦堂探偵事務所の留守番探偵。昭光寺というお寺に居候している。
玉櫛『奇跡屋』の女主人。魔女のように怪しい婆さんだが、元は祇園の売れっ子芸妓。
和子(にこ)蓮の元患者。事情があって蓮が引き取って育てている。蓮に懐かない。
大和凌雲大原に住む仏師。蓮の元家庭教師。
シンシア・ミッキー『ヴィーナスの溜息』のおかまさんたち。

【登場する場所】
ヴィーナスの溜息蓮が勤めるオカマショウパブ。
奇跡屋玉櫛が経営する奇石・貴石を売る店。
昭光寺蓮が居候している寺。
龍泉寺【清明の雪】に登場する寺。大広間の天井の絵は知る人ぞ知る『消える龍』。和尚は物の怪遣いという噂あり。

TOM-Fさん、高校生のリナ姉ちゃんがこのツアーに参加するために智之さんにはすでに高校教師になってもらっちゃいました。えっと、不都合があったらお知らせくださいね。どこかでそんな話もあったのかどうか、思い出せなくて。
limeさん、玉ちゃんはしょっちゅう入院してたり病気になっていたような気がしますが、虫垂炎はなかったかしら? 一応ちらちらと確認したのですが、もし既に切っていたら、病名変更します!


20000Hit君に届け、愛の唄

 どうして待ち合わせが京都駅じゃないわけ?
 京都に着いた途端にリナ・グレーディグは思わず悪態をついた。いや、タクシーに乗れば済むのだから、移動の問題はどうでもいい。京都の碁盤の目の中では、バス、タクシー、もしくは自転車さえあればどこへでも行けると聞いている。
問題はこの気温と湿気だ。噂には聞いていたが、本当にひどい。ここは人間の住むところじゃないわ、と思いながら、リナは迷わずタクシーを選択した。

 外国人観光客には慣れているのか、それともホットパンツから伸びるすらりとした脚に目を止めたからか、嫌な顔一つせずに乗せてくれたタクシーの運転手は、リナの渡したメモを見てすぐに車をスタートさせた。とは言え、タクシープールから出るだけでも赤信号につかまっている。さすが国際観光都市・京都。車も人も半端ない。
 シャネルの新作のバッグの中でiPhoneが震えた。三貴からだ。

「無事に着いた?」
「着いたよ。暑くて気持ち悪い」
「どんなに暑くてもタンクトップ一枚になっちゃだめだよ。泊まりはお寺なんだから」
「これってシュギョウって言うんだよね?」
「何言ってるの。網タイツも駄目だよ。まさかホットパンツで行ってないよね?」
 そのまさかだ。網タイツは、蝶と王冠で迷って、結局蝶にした。そもそも、案内書の注意書きに「ホットパンツと網タイツはご遠慮ください」なんて書いてなかったけど?

「リナ姉ちゃん、それは『日本の常識』ってやつなんだよ!」
 沈黙の間を三貴は正確に理解したようだ。
「それから、変な漢字を書いたTシャツとか半被とか、ぺらぺらの着物とか、そんなのは買ってこなくていいからね!」
 え? それこそみんなが喜びそうなのに。
「忍者」とか「侍」とか「天下統一」とか。でも「寿司」に決めてたんだけどな。
 でもどう考えてもこれは、革のホットパンツに網タイツの私を求めているとしか思えないわ。
 リナは改めてチラシを確認した。華やかなショーのワンシーンの写真が掲載されている。一度行ってみたかったのよね。でも未成年だけじゃ行けないじゃない。

 このツアーに問い合わせの電話をしてみたら、向こうで「きゃ~、ガイジンからデンワよ~」という声がして、その後、かなり流暢な英語を話す男性が電話口に出た。
『ええ、六感で味わう京都がコンセプトですから、言語なんてお気になさらずご参加ください。もちろん、私もおりますのでガイドさせていただきます。あ、私、ミッキーと言います』
 リナは電話の向こうの人物に、「犬を飼っている、耳の大きな、世界で一番有名なネズミ」の姿を当てはめた。
『私、高校生なんですけど、一人でも参加できます?』
『え? 未成年ですか? いや、どなたか成人の方がご一緒なら……』
『何とかします。えっと、和菓子も食べれます?』
『もちろん、高級和菓子から抹茶のソフトクリームにチーズケーキ、葛きり、八つ橋、さらに京料理の粋を極めたランチに懐石まで、京都の味を目いっぱい味わっていただきます』
 ひゃっほう。
 アヤノ姉ちゃんに電話して誰か紹介してもらおうっと。確か、キョウトには知り合いの高校教師がいるって言ってたわ。
 そういうわけで、勢いだけで難なく『付添いの成人』をゲットしたリナは、相手が誰かも知らずに単なる興味でこの京都に乗り込んできたのだった。
 そう、Shall We Dance? よ。


 不安な気持ちは分かるけど、一度ロケハンってのに行って、自分の五感全部使って感じた世界を書いてみない?
 コハクの言葉に乗せられてやって来たものの、駅に降り立ったとたんにエスは少しだけ後悔した。やっぱりダイスケに一緒に来てもらうんだった。知らず知らずに手に持ったiPhoneを握る手に力が入った。
 そのエスの傍らを伽羅の匂いが通り過ぎていく。淡い紫色の小紋を着た年配の女性は、改札口の混雑の隙間を泳ぐように抜けていった。結い上げた髪と年齢を疑うような白いうなじ、すらりと伸びた背中をしばらく見送っていたエスは、自分も背を張り一歩を踏み出した。

 京都のイメージをひっくり返すような近代的な駅の建物を出るとバスターミナルだ。蝋燭をモチーフにした京都タワーだけは昔の姿のまま、中途半端にモダンな駅と、不安と期待が半分ずつのエスを見下ろしている。
 iPhoneが震える。
「大丈夫? やっぱりついて行った方がよかったかなぁって、ちょっと心配になってたとこ」
「うん、何だか大丈夫みたい」
「4番と14番はだめだよ。四条通りを通るから」
「コハク、大丈夫だよ。17番か205番に乗るね。調べて来たから」
「とにかく、私とダイスケに定時連絡は入れるのよ」

 結局みんな優しいんだからと思ってエスはバスを待ちながら、もう一度ツアー行程表を確認した。
 それにしても、どうしてこんな変なところで待ち合わせなのかな。
 そう思ったところへ205番のバスがやって来た。知らない町ではないけれど、一人で歩くとなると緊張する。それよりも知らない人たちと一緒だというのが一番の問題だ。でも、コハクがこれを勧めてくれたのには理由がある。

 エスがダイスケと一緒に『現代の仏像作家』という展覧会に行ったときのことだ。その仏像は会場の一番端の目立たない場所にひっそりと佇んでいた。
『へぇ、円空仏みたいだね』
 確かに、円空の仏のように鑿の痕が残る小さな仏像だった。だが、円空仏よりもずっと繊細で控えめな鑿の痕だった。まるでその痕のひとつひとつに祈りが刻み込まれているような気がした。
 作家のプロフィールには何も書かれていなかった。ただ『大和凌雲、大原在住』とだけ。

 その話をいつかコハクにしたのかもしれない。コハクが見せてくれたチラシには『大原に住む仏師・大和凌雲の庵』と書かれていたのだ。
 だから思い切って出かけることにした。あの仏像を彫った人に会えるかもしれない。エスはきゅっと吊り革を握りしめた。
たかがブログに載せる小説だけれど、私にとってはとても大事なものだ。誰もが見ているようで見ていない世界を、私だけが知っている言葉で綴りたい。そして、読んでくれた誰かが静かに心を震わせてくれたら、それはとても幸せなことだ。
 コハクとダイスケが私の背中をいつもそっと押してくれる。


 今日も暑い。まだ6月だというのに、これから梅雨の時期を挟んで彼岸までこの暑さは容赦なくまとわりついてくる。それが京都の夏だ。
 星河智之はワンルームマンションの窓を閉めた。開けても閉めても暑いことには変わりがない。とにかく出かけよう。

 希望通りに高校の教員になったものの、就職先をどこにするかはかなり迷った。できれば星空の綺麗な所で、と思ったが、特に子どもの人口の少ない県などは新任教員の募集人数も限られてくる。それに始めは色んな経験をして自分を高めたいと思った。結果的に、教育実習でも世話になった京都市内の私立高校に教員の席を得た。天文研究部があったというのが一番の理由だ。

 6月、生徒たちは期末試験の追い込みに入っている。部活動は休みだし、既に試験問題を提出してしまった智之は、この土日にマウンテンバイクで大原の方へ出かけてみようと思っていたが、そんな時、新婚ほやほやの大学時代の先輩が飲みに誘ってくれて、奇妙なチラシを見せてくれたのだ。
『星河、なんか悩みでもないか? たとえば、どの子にしようか迷ってるとか』
『僕はいつも悩みだらけですけど、どの子にしようか迷ってるわけじゃないです。でも、なんですか、これ?』
『実はさ、俺の弟、家を出てったって話したろ。それがあまり人に言えたことやなくて、つまりマイナーセクシャリティなんや。それで親と決定的な喧嘩しちゃってさ』
『はぁ』
『でも俺だけはあいつの味方をしてやろうって思ってるんや。時々様子を見に行ってやりたいんやけど、何せ、俺も嫁さんの手前、あんまり夜に出歩けなくてさ。実はこれ、弟の勤めてる店が主催のツアー案内なんや。お前、暇やったらちょっと行って、様子見て来てくれへんか』

 そこで、なんで僕が? と言えないのが智之だった。京都市内で行われるツアーに、京都在住の自分が参加しても何も面白くない。その言葉を呑み込んでしまった途端に、まだ智之が何とも返事をしないうちに、じゃ、俺が申しこんどくからと、先輩が話を決めてしまった。

 しかもこの話はここで終わりではなかった。やっぱり断ろうかとスマホを取り出したその瞬間、ニューヨークにいる幼馴染の綾乃から電話があったのだ。
『あのね、私の知り合いの高校生の女の子、今日本に留学中なんだけど、京都でやってる面白いツアーに参加したいんだって。それで、成人の同行者が必要なのよ。あ、詳細は後でPCに送っとくから、頼んだよ』
 どうやら智之の未来予定表には「このツアーに参加する」ことが定められていたらしい。

 叡山電鉄・修学院の駅から出町柳に出て、京阪電鉄に乗り換える。ふと時計を見たら時間が早すぎることに気が付いて、七条まで乗り過ごした。二駅分歩いて四条まで戻ることにしたのだ。
 たまには街の景色を写真に撮りながら、それに、新しい小説のイメージを練りながら、見慣れた京都の町を歩くのも悪くない。それにこのツアー、後でチラシをじっくり見てみたら、何とも奇妙なツアーなのだ。もしかすると期待していない何かを見ることができるかもしれない。


 京都に来るのは久しぶりだ。成ちゃんを訪ねていったことがあるけれど、それからもう何年経つのだろう。今、スクランプシャスは上昇気流に乗っている。将来に対して何の心配もないと言えば嘘になるけれど、仲間と一緒なら何でも乗り越えていけるような気がしているし、実際のところそうなっていっている。スクランプシャスの四人(瞬も入れたら五人)だけでなく、その周りで支えてくれる友人たちも、今ではスクランプシャスのメンバーと言ってもいい。

 その「メンバー」たちの顔を思い浮かべながら、祥吾は溜息をついた。
『そろそろはっきりさせた方がいいんじゃないの?』
 成ちゃんは人の気持ちを置き去りにして身勝手なことを言う人じゃない。だからこそ、その言葉には重みがあった。
 久しぶりの2日間の休みを何に使うかと言っても、次のアルバムの曲作りの準備をしなくちゃと思っていたので、出かける予定も何も入れていなかった。でも今の状態では迷うばかりかもしれない。

 そこに、まるで「待ってました!」とばかりにあるチラシが目に入ったのだ。
『成ちゃん、これどうしたの?』
『あぁ、それ兄貴が送って来たんだ。最近、変な店に行きつけていて、そこのママから貰ったらしいけど、ま、単に、たまには帰って来いっていうことかなぁ』
 その日付けは、まるで誂えたように、祥吾の2日間の休みに当てはまっていた。

 祥吾は今、鴨川の河原を北に向かって歩いている。集合時間よりもかなり早く着いたので、京都駅から四条河原町まで歩くことにしたのだ。
 体力には自信があったが、これまで歩いた場所とは比べ物にならない熱と湿度が足元から昇ってくる。歩き始めて少しだけ後悔したけれど、鴨川を吹き抜けていく風が少しだけ慰めだ。
 そう言えば、最近、全く未知のものに触れるって経験、なかったかもなぁ。

 実は、先日発売された週刊誌に、祥吾の古くからの友人であり、仕事仲間でもあり(つまり『スクランプシャス』のメンバーと言ってもいい)、そしてとても気になる存在である葦埜御堂奏と、ある大物ミュージシャンの密会、なんて記事がすっぱ抜かれたのだ。いや、もちろん奏は「一般人」ということになっているから、名前は伏せてあったけれど、有名人である奏の兄貴の名前が出ていたのだから伏せたところで意味がない。その兄貴は冷静に否定していたから、多分記事自体はガセなのだろう。けれども、その記事が祥吾の気持ちを波立たせていることは否定できない。

 そんな最中だったから、何かの勢いでこの『京都ミステリーツアー』に申し込んでしまったのだ。
 祥吾はナップザックを背負い直し、気を取り直して歩き始めた。
 その先で、一人の青年が立ち止まってはデジカメで写真を撮りながら歩いている。
 随分と距離が近付いた時、青年のポケットからチラシが落ちて、風に飛ばされて祥吾の足元に絡まった。

「あ、すみません」
 爽やかな声で青年は走り寄って来た。
 祥吾は青年とチラシを見比べながら、しばらくその偶然を噛みしめる。既に『ミステリーツアー』は始まっているらしい。
「もしかして、このツアーの参加者の方ですか?」
「はい。ってことは、あなたも?」
 青年は少しほっとしたような顔をして、慌てて汗を拭いてから手を差しだした。
「良かった。あれこれ事情があって断れなかったんですけれど、変な参加者ばかりだったらどうしようかと思っていたんです。えっと、星河智之です」
 祥吾の方もほっとした。感じのいい青年だ。
「田島祥吾です」
「え。って、あの、まさかスクランプシャスの?」
 何気なく握手を交わしてから、青年は改めて驚いたように祥吾を見た。


『間合いが悪い』を具現化した絵を描いて欲しいという依頼が来たら、玉ちゃんの顔を描けばいい、とリクは思った。
 そもそも、言い出したのは玉城だった。
『リク、非公開寺の天井の龍の絵を見に行かない?』
『玉ちゃんがそんなものに興味があるなんて、意外だね』
『違うんだ。長谷川さん命令で、今度はドラゴン特集の記事を書けっていうからさ。日光東照宮の鳴き龍も見に行って、京都の天龍寺、妙心寺、建仁寺、相国寺、東福寺と見に行って、あ、もちろん、取材費は『グリッド』持ちだったんだけどさ、で、原稿を送ったら、なんかありきたりなんだよね~って言われちゃって。そうじゃなくて、こっそり誰にも見せることなく守られてきた龍はいないのか、なんかぐっと心に響くような記事を書けよって。あの人、無茶言うんだからさ。そもそも日本画自体が俺のテリトリーじゃないっての。で、そこにこれだよ』

 そう言って、玉城は如何にも胡散臭さが漂うチラシを出してきた。何が胡散臭いって、そもそもサブタイトルが胡散臭い。『あなたの悩み、石が解決します』。
『でもさ、ちょっと胡散臭いだろ。だから、一緒に行ってほしいんだ』
 あ、それは気が付いているんだ、とリクは玉城の真剣な顔を見て少しだけ笑った。
『玉ちゃん、胡散臭いものに好かれるものね』
『そりゃリクの方だろ』

 と言って、一緒に申し込んだのに、前日の夜になって情けない声で電話がかかってきたのだ。
『リク~、ごめん~、行けなくなった~。入院しちゃったんだ~』
 あまりの腹痛に病院に駆けこんだら虫垂炎で、緊急手術は必要ではないけれど放っておくと腹膜炎になりかねないから、明日、手術だというのだ。じゃ、僕もキャンセルして付き添ってあげるよと言ったら、付き添いもお見舞もいいから、できれば行ってその龍を見て来て欲しいと頼まれた。
『リクの目で見て感じたことを教えて欲しいんだ。でないと、記事、間に合わないよ』
 玉城の泣き落としに仕方なく一人で奇妙なツアーに参加することになった。

 そうなったらそうなったで、手術前の玉城から鬱陶しいくらいメールが来るのだ。
<< リク、大丈夫? やっぱり心細かったら、止めてもいいよ。
<< 平気。玉ちゃんこそ、大丈夫?
<< (;_:)(;_:)
 似たようなやり取りが何回か繰り返される。そのうち、リクは鬱陶しくなってカバンに放り込んだ携帯の存在を忘れてしまった。いや、忘れるくらい、何かの強い力に支配されてしまったのだ。

 チラシに書かれた集合場所は『奇跡屋』。四条河原町を東に少し入った、高瀬川の川沿いにある、奇石(貴石)を扱う店らしい。
 四条通りの人混みの中をふわふわと歩くリクの脇をすれ違う人々が、皆振り返る。苦手な人混みだが、そんなことよりも今まさに感じている力の出所を確かめたくて仕方がなくなっている。案内のチラシなど見なくても、引き寄せるエネルギーでその場所は直ぐに分かった。

 もっと暗いイメージかと思って近付くと、パワーは恐ろしく強いものの、意外にも陰湿な気配はなかった。重そうな木の扉の前に、リクよりは少し背の高い青年が立っている。マウンテンバイクを脇に立てかけて、ポケットから鍵を取り出したところで、青年はリクの気配に気が付いて振り返った。
「もしかして、ツアーの参加者の方ですか?」
「はい。すみません。早く着きすぎちゃって。主催者の方ですか?」
「関係者ではありますが、主催者ではありません。どうぞ。中に入ってお待ちください」

 リクが一瞬躊躇うような気配を示すと、青年は直ぐにその理由をくみ取ったように見えた。リクには驚きだった。この人は、リクの中の何かを察しているのだ。
「そうですね。この店の中は『気』が強すぎる。中にいられない人もいる。もし暑いのが気にならなければ、鴨川を散歩していてください。僕が後で迎えに行きますから」
 そう言ってから、ふとリクの方に近付いてきた。
 感じのいい人だな、とリクは思った。背丈はリクよりも少し高く、短く刈った髪のために精悍な印象がある。目は微かにグリーンがかった黒だった。

「あの、もしかして躊躇っているなら、今からでもキャセンルしたっていいんですよ。きっと魔女のような婆さんに高い金を吹っかけられて、奇妙な石を買わされたり、変なショウパブで一緒に踊らされたりする可能性が……」
 青年がまるでリクの身を案じるかのように近づいてきたところへ、後ろからよく通る声が飛んできた。
「レン、お前はまたあたしの商売を邪魔する気だね。さっさと鍵を開けな」

 そう言ったのはまさに「魔女のような婆さん」だ。小柄な体に、暑さをものともせずに黒いローブのような服を着ている。リクに狙いを定めたように鋭い目を向けてきたが、青年がまるでリクを救い出すように、リクの肩を抱いて四条通りへ連れていってくれた。
「この先に大きな橋があります。その脇から河原に降りることができますので。本当に、気が変わってキャンセルしたくなったら連絡してください」
 そう言って渡された名刺には『釈迦堂探偵事務所 釈迦堂蓮』という名前と携帯電話の番号が書かれていた。


 全く。一体誰がこんなものを考えたのだろう。いや、分かっている。オカマショウパブ『ヴィーナスの溜息』が季節ごとにぶちかますイベントのひとつだ。
 こうして目の前に集まっている参加者の顔を一通り見てから、改めてツアー案内のチラシに目を遣り、蓮は溜息をついた。
 とは言え、この参加者たちの身を守るのは自分の役目であると自負もしている。
 とにかく、まずは石屋の婆さんが『あんたは何か悩んでるね』『この石を持っていたらあんたの悩みはたちどころに解決するさ』なんて言いながら、市場価格よりも高値で石を売ることを阻止しなければならない。

 しかもうちの昭光寺の和尚の紹介としか思えないが、今からあの『消える龍』で知る人ぞ知る非公開寺の龍泉寺でお茶をするというのだ。お茶と言っても、あの寺は、住んでいる人間の数よりも物の怪の数の方が何十倍も多いといういわくつきの寺だ。ティータイムから物の怪どもと宴会など、その時点でおかしいだろう? 
『物の怪とパーティ』ってまんまじゃないか。
 だが夕食の和久傳さん。これは大いにいいとしよう。俺だって、和久傳さんなんかで一度くらい夕食を楽しんでみたいよ。

 でも、この後はどうだ? そのまま『ヴィーナスの溜息』でどんちゃん騒ぎに入るわけだ。もちろん、『ヴィーナスの溜息』での飛び入りショーに無理矢理参加させられる犠牲者を守るべきだ。いや、中には喜んで参加したいって人もいるかもしれない。『あなたもオカマたちとショータイム!』なんて、どういう呼び込みなんだ?
 いや、それよりもさっきの青年だ。何よりも彼をあの店に集まる狼どもから守ってやらなければ。『ヴィーナスの溜息』は比較的健全で(あくまでも比較的、だ)ショーの質も高いし、男女問わず純粋にショーを楽しみたい客がやって来るが、中にはホンモノのゲイだっている。

 だが、何よりも問題は、泊りがうちの寺ってどういうことなんだ? しかも明日は凌雲先生の庵でランチ? あり得ない。よくも凌雲がOKしたものだ。いや、彼は意外に人嫌いというわけでもないし、それに『ヴィーナスの溜息』の頭脳派・シンシアとは個人的に付き合いもあるようだから、頼まれたのかもしれない。
 それにしても、よくもまぁ、こんなバラエティ豊かな面々が集まったものだ。蓮は自己紹介を終え四人をざっと見渡した。

 この中で一番ぶっ飛んでいるのは、リナ・グレーディグと名乗った高校生だ。いや、高校生には見えない超絶美人だが、さっきどう見ても初対面と思しき高校教師に向かって不遜な笑みを見せていた。その笑顔がチェシャ猫に見えたので「不遜」と感じたのもかもしれない。ツアー参加希望理由のところには「日本のオカマショウパブで踊りたい。日本で一番おいしい和菓子と和食を食べたい。土産にペラペラの着物をいっぱい買いたい」と書いてあった。
 この子は、少なくとも自分が守らなくてもよさそうだ。網タイツのダイナマイトバディにうちの和尚が鼻血を出さないか、あるいはそのあおりを喰らって、明日朝の稽古に力が入りすぎてコテンパンにやられないか(そもそもやられるのは蓮なのだ)、それはいささか問題ではあるが。

 そして、その隣で不安そうに他の参加者に時折目を配っている女性。本名を呼ばないで欲しいと書かれていたので、希望通り「エス」と呼ぶことにする。彼女こそは石屋の婆さんの餌食になりかねないので、何としても守り通さなければと思う。だが、意外に芯のところはしっかりした女性なのかもしれない。参加希望理由のところには「大和凌雲先生の作品が作り出される場所を見たい」と一言だけ書かれていた。
 凌雲の作品を目にする機会など、普通にはないのだと思っていたが、それにしても審美眼の高い女性なのだと思った。一人旅は初めてだと言っていたので、蓮は特に彼女のことは気に掛けることにした。時折不安そうに周囲を見つめる目が誰かに似ていると思ってたが、それが自分の最も身近にいる人間の目だと気が付いて、蓮は不思議な感覚を覚えた。
 今日、和子(にこ)は舟が連れ出している。舟と和子が一緒に出掛けるというと、コースは大体決まっている。鴨川の河原、それから糺の森で遊んで、大原の凌雲のところだ。

 それから男性が二人。もう一人のリクという名前の青年は、後から蓮が鴨川に迎えに行くことになっている。
 一人は京都在住の高校の教師だという星河智之。よくよく事情を確認すると、リナという高校生の付き添いらしい。どう見ても二人は初対面のようだが、まわり回って断れなかったというところか。押しの強い女性が多くなった昨今、草食系の男子にはなかなか住みにくい世の中になっている。いや、肉食・草食という区別さえ、逞しき女性たちが勝手に男たちにレッテルを貼っているに過ぎない。
 でも、人もよさそうだが、頭もよさそうな、好感度の高い男性だ、教師としても人気があるんだろうなと思った。さっそくリナに絡みまくられて困っているようだが、ミッキーや蓮が手助けをしなくても通訳の役割は果たしてくれるようだ。

 そしてもう一人。後から『ヴィーナスの溜息』のメンバーがキャーキャー言っていたので知ったのだが、彼は有名なバンド・スクランプシャスのヴォーカリスト、田島祥吾だった。もっとも、そんな有名人らしい気配はまるでなく、まわりに気を遣いながら、それにすんなりと誰とでも打ち解ける、芸能人とは思えない人懐こい人物だった。時折、ふと溜息をついて遠くを見ている時は、次の仕事のことでも考えているのだろうか。
 確かにこれは人気があるのも頷ける、と蓮は思った。女性ロックバンド『華恋』の笙子もそうだが、道を歩いている時には本当に普通の人なのだ。それがある場面になると一気に天からオーラの波が降ってきて、ステージの上ではそれを身に纏う。

 男性二人は参加希望理由のところに「何となく」と書いてあった。『ヴィーナスの溜息』でさんざん飲み食い踊り歌った後、昭光寺に辿り着いて布団を敷いてから、何故か智之、祥吾と蓮は三人でゆっくりと飲み直すことになった。リクは一人で縁側に座り、庭を眺めている。あまり宴会の輪には入りたがらないようだ。リナはダイナマイトバディで踊り疲れて早々に眠ったらしいし、エスはやはり今日のダイナマイト級の行程に疲れてしまったようだった。

「いや、本当に不思議な一日でしたね」
「一体あのお寺はどういう縁起なんですか? 京都には結構長いこと住んでいますが、初めて知りました」
「僕もよく知らないのです。ただ、あの寺、時々この道だったかと歩いていても、辿り着けない時があるんですよ」
「昼間っから酒を飲んでしまったせいでしょうか、あるいはあのどぶろぐ、何だか妙なものでも入っていたんでしょうかね。何だかこの世のものならざるものと大騒ぎをしてしまったような」
「いや、それもね……あの和尚が既に物の怪の域に入っているという話もありますから」
「それにしても、智之さんのお連れのリナさん、すごいパフォーマンスでしたね」
「『ヴィーナス』のメンバーもタジタジでしたからね」
「いや、連れじゃなくて、ごり押しなんですけど、これからもまた連れて行けって話になったらどうしましょう。一応高校生なので、あまりああいう店は……でも、日本でのいい思い出になったでしょうかね」
 考えてみたら、龍泉寺であの世の物の怪たちとどんちゃん騒ぎをして、『ヴィーナスの溜息』でこの世の物の怪とどんちゃん騒ぎをしたようなものだ。だが、思えばどちらも可愛い物の怪たちなのだ。……個人的な意見だが。
 そう、石屋の婆さんに比べたら……

「そう言えば、祥吾さんは世界のあちこちを歩き回っておられたんですよね。日本なんてちっこくて狭い国だなって感じませんか?」
「うん……正直、そんなふうに感じることもあります。でも今日の方が体験的にはすごかったかも。世界を股にかけたというよりも、あの世とこの世を股にかけたという気がしましたから。何だか、人生って何とかなるんだな、と変に大きな気持ちになりましたよ」
 確かに、どこまでがこの世か分からないものが京都には蠢いている。


 朝方、ほとんど眠れなかった蓮が庭に出てみたら、エスが和子と遊んでいた。一緒に何かを探しているようだ。虫か花か。エスが蓮に気が付いて頭を下げて挨拶をくれる。蓮も頭を下げた。それに気が付いた和子が蓮の方をちらっと見たが、いつものようにぷいと横を向いてしまった。
 何となくどこか似ていると思ったのは間違いでもなかったようだ。二人はずっと昔からの知り合いのように、自分たちが見つけ出した何かを見せ合っている。
 優しい人なんだろうと蓮は思った。

 その景色を、かの不思議な青年、リクがスケッチしていた。
 蓮はリクの傍に近付き、おはようございますと挨拶をする。リクはぺこりと頭を下げた。
 ちらっとスケッチをのぞきこむと、そこには庭の景色と和子の姿が描かれている。色は付いてないものの、まるで鉛筆の濃淡から緑の背景と、和子のスカートの赤が浮き上がってくるようだった。この青年には和子の何かが分かるのかと思って、思わずまじまじと覗き込んでいたら、リクはそのスケッチを蓮に差し出した。
「どうぞ」
「え、あ、ありがとう」
 蓮は絵の中の和子を見つめる。微かに蓮に向かって微笑んでいるように見えるのは、やっぱり気のせいだろうな。彼女はエスに対して微笑んでいたのだ。

 和子の絵の下のページには、昨日龍泉寺で見たあの天井龍が描かれていた。
「龍を見に来たんですね」
 リクは顔を上げた。綺麗な目だと蓮は思った。
「消えるんだそうですね」
 リクの唇が動く様を、蓮はふしぎな気持ちで見つめていた。まるで動かないはずの幻が語っているようだ。
「えぇ。でも早春の一時期、しかも運が重ならないと見られないそうです。それよりも、あの寺自体が本当にこの世に存在するのかどうか……」

 リクは顔を上げて微かな笑みを浮かべた。
「いつもは大概マイナスのエネルギーを感じるんです。でもあの場所は、マイナスのエネルギーは上手く封じ込められて、上にプラスのエネルギーが充ちていた。原因はあの妙な和尚さん、でしょうか。陰陽の全てを丸め込んでいる」
「タヌキ和尚ですね。うちのキツネ和尚とは親戚なんですよ」
 リクは目を丸くして、それから面白そうに笑い、龍の絵に視線を落とした。
「京都、また来たいな。今度は玉ちゃんと一緒に」
 独り言のようだった。

「凌雲先生の庵も、きっと気に入りますよ」
 蓮は少しだけ残念だと思っていた。あの場所に誰か他人が入ってくることに幾分か抵抗があるのだ。もちろん、蓮の知らないところで多くの人間があの場所に出入りしているはずなのだが。
 何かを感じたのか、リクがじっと蓮を見つめ、それからまた庭で遊ぶエスと和子に視線を戻した。

 道場に行ったら、キツネ和尚の前には何とリナがいた。
「あ~、レンさん、オショウサンにケンドー、教えてるヨ」
 って、日本語喋れるんじゃないか。いや、教えてるんじゃなくて、教えて貰ってるんだけど。でもさすがに網タイツじゃないな、って当たり前か。「ケンドー」がすっかり気に入ったのか、「め~ん」「こて~」「どう!」の掛け声も堂に入っている。
 蓮も相手になったが、結構すばしこくて筋がいい。へぇ、あのダイナマイト級の踊りも伊達じゃないな。

 何よりも、蓮は久しぶりにキツネ和尚の餌食にならずにすんだことについては、リナに心から感謝した。無茶苦茶に強い和尚が蓮には本気でかかって来るので、容赦がないのだ。それが今日はリナのお蔭で何となく鼻の下が伸びている。
 でも、今日ももちろん、網タイツで出かけるんだろうな。
 凌雲がリナの網タイツ足に目を奪われないことを願う。


「さてと」
 石屋の婆さんこと玉櫛は、参加メンバーの石を並べながらニタニタしていた。
 まずはリナ・グレーディグの石。八月の誕生石、ペリドットはマグネシウムと鉄を主成分とする珪酸塩鉱物だ。今目の前にある石は緑色が美しい結晶で、マグネシウムと鉄の存在比が4:1程度、微量のニッケルが含まれている。
 かつてエジプト王家に献上された石はトパーズとされていたが、その石が採れたとされる島ではトパーズが採石されたことはなく、実はそれがペリドットではなかったかと言われている。ペリドットは生命力、希望、発展を象徴する。闇を消し去り、悪魔を追い払い、精神を安定させる効能もある。
 ふん、あの娘には出来過ぎた石だが、これはなかなかいい石だ。いつかこの石に相応しい娘になるといい。

 そしてエスという娘の石。三月の誕生石はアクアマリンが有名だが、彼女にはこっちの石が相応しい。ブラッドストーン。細かい粒の石英の結晶が集まった碧玉(ジャスパー)の一種で、鉄に起因する赤色や赤褐色の斑点がある。古代エジプト・バビロニアの時代から護符や印章として利用され、赤い斑点はキリストの血が落ちてできたという伝説もある。困難を乗り越え、勇気や生命力を与えてくれる石だ。 
 さて、越えることが可能かどうかは、本人次第だ。石は勇気をくれるが、未来を切り開くのはあくまでも自分自身なのだ。

 そして田島祥吾の石。あの若者は有名人だという。有名人らしさのない感じのいい青年だが、それだけではこの世間を渡って行けまい。あの男には今、心から支えてくれるパートナーが必要だ。
 九月の誕生石はサファイア。アルミニウムと酸素で構成されているコランダムという鉱物で、不純物として鉄とチタンが含まれているため青くなる。人の意思や組織の礎などを固め、目標を貫徹する意思を持ように支えてくれる石だ。直観力を高め、その時に必要なチャンスを掴む助けになる。
 さて、チャンスはぼんやりしていたらその手からすり抜けていくものだ。目の前にある大事なものを掴みとれるかどうか、お前次第だよ。

 そして星河智之の石。十二月生まれ。十二月の誕生石と言われているものには三種類ある。ラピスラズリ、トルコ石、タンザナイト。だが今の彼に相応しいのはこの石だ。
 玉櫛はタンザナイトを取り上げた。タンザニアの夕暮れ時の空を写し取ったような神秘的なブルー。鉱物的には青色をしたゾイサイトで、ネガティブなエネルギーをポジティブなものに変換する力がある。過去の自分や周囲のしがらみに縛られずに、自分自身の良い部分を高め、新しい力を生み出していく、創造的なエネルギーを持つ石だ。
 もっとも、石はその人間の持つ根源的なパワーに反応するものだ。石だけでは何も変わらない。さて、あの男はどこへ向かうのか、まだ先は長そうだ。

 最後がリクという青年の石。絵描きだと言っていた。
 二月の誕生石はアメジストだ。アメジストは水晶だが、水晶を構成するケイ素の一部が鉄に入れ代わり、鉄を取り囲む酸素の1つの電子が天然放射線によって損失しているために紫色になっている。欠けている部分があるということが、もっとも高貴で神聖なる石の美しい色を生み出しているというのは不思議だ。『愛の守護石』『真実の愛を守りぬく石』は、神話では美少女の生まれ変わりだとされている。
 美少女とはよく言ったものだ。
 この石には、特別に愛よりも癒しの力を願っておいてやろう。あの青年には、自分を守る癒しの力が必要だ。

 そして。
 蓮の奴、私がこの石たちを彼らにタダで渡してやろうとしていることに驚くだろうさ。お前が想像するすべてを覆してやるのが、私の一番の楽しみなのだからね。
 そもそも一部の石を除けば、こうした石たちは決して驚くほど高いものではない。だが、石は持つ者を選ぶ。
 玉櫛は「蓮の石」を机の上に転がした。誕生石とは異なっているが、この石は蓮と引き合っている。
 お前は受け取らないだろう。だがこの石はいつもここでお前を見守っている。

 深いエメラルドグリーンの翡翠が、周囲に漂う光を内側に集めてゆらりと瞬いた。



実は短いお話の予定だったのですが、何故か長くなって今日1日を費やしちゃった。
お楽しみに頂けたなら何よりです。

そう、今回出てきましたが、蓮の石は翡翠なのです。だから前回の短編で翡翠に妙に反応していたのですね。
凌雲は? 翡翠が似合いそうですが、実は彼はやっぱり宝石の王・ダイヤモンドなのですよ。隠しても隠し切れない何かが~?(でも凌雲には裏の石がある)

それはさておき。
相変わらず更新も遅くて、来てくださる方も少ない地味なブログですが、気長にお付き合いくださる皆様に心からお礼申し上げます。支えてもらって続いているんだなぁとしみじみこれを書きながら考えていました。
そして、こちらを書くために、ご参加いただいた5人の皆様が書かれた関連する記事をざっと見渡して改めてびっくり。皆様、すごいパワーで書いていらっしゃっるんだなぁ。
こんな素敵な人たちに構ってもらえて、幸せだな~と改めてしみじみ思いました。

今回ご参加いただいた皆様も、今回は遠慮したけれど次回は寄せて!と言ってくださる方も、静かに見守って下さる方も、これからもよろしくお付き合いくださいませ。
え? 次回? 今度はどんなツアーが? えっと、その場合には皆様、今回は描写を省いた『ヴィーナスの溜息』でのショータイムにバニーちゃんで登場する覚悟をしてきてくださいね!

Category: 奇跡を売る店・短編集

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【奇跡を売る店(2)】砂漠に咲く薔薇(1)~名前なき死体~ 

デザートローズ1
ふと、うちに転がってる石たちを見たら、「書け」と言われているような気がしたので、【奇跡を売る店】の第2話を始めようと思います。
これは京都を舞台に、『奇跡屋』という石屋で売られている石(貴石)たちがそっと誰かの人生に寄り添う物語です。
というと、流行のパワーストーンが絡むかっこいい話のように思えますが、実際には、失踪した伯父の探偵事務所の留守番探偵・蓮を主人公に、怪しい『奇跡屋』の婆さん(探偵事務所の大家)、蓮が面倒を見ている生意気な6歳児・和子(にこ)、そして、蓮がバイトをしているオカマバー『ヴィーナスの溜息』の愉快な面々、蓮の従弟で美青年だけど喧嘩っ早い舟、蓮の元婚約者で小児科医の海、蓮の元家庭教師で大原に住む仏師の凌雲、そのほか、かなり濃いキャラたちが京都狭しと動き回る物語であります。

私が『石紀行』でご紹介している、日本中を巡り歩いて出会う巨石たちとは大きさが違うものの、この物語でご紹介する不思議な石たちもまた地球のかけら。石たちの奇跡に出会っていただけるとうれしいです。

さて、今回のお話の石はデザートローズ。
スイーツみたいに美味しい薔薇じゃありません。dessertではなく、desert=砂漠のローズ・薔薇なのです。薔薇とっていも、植物ではなく鉱物。うちにあるのは3㎝位の小さなもの(上の写真)と9x6cm位の少し大きなもの。
この石にまつわる小さな事件をお楽しみください。
(1)のサンタクロース殺人事件を読んでいなくても、全く問題なく読めますので、よろしければ、お付き合いください。

(2016/9/14追記)
canariaさん主催の『carat!』に改めてこの作品を連載という形で載せさせていただくことにしました。
canariaさんの企画を目にしたとき、うちの石たちの話は「carat」にぴったりじゃない!と思ったんですが、何しろこちらは1話完結ものではないので、連載物は微妙かな~と思っていたのですが、この雰囲気だけでも楽しんでいただけたらいいなぁと。
シリーズなので第1話がありますが、読んでいなくても何の問題も無い作りになっていますので、京都の町の楽しいオカマバーを舞台に、あ、違った、探偵事務所と石屋を舞台に繰り広げられる物語、しばしおつきあいくださいませ。

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新作じゃなくてごめんなさい。でも放置しているものを救い出してやろうと(^^;)
今回の主人公(ヒロイン)は、栞那(かんな)。八少女夕さんの記事・『主人公とヒーローとヒロインと』に基づくと、こんなヒロインでいいのかって感じですが、彼女を軸に物語が進んでいきます。
ゆっくりの(3ヶ月に一度?)更新ですが、お楽しみいただけると幸いです(*^_^*)

登場人物などのご紹介は以下の記事をご参照くださいね!
【雑記・小説】自作を語るのはまだ早い(2)~奇跡を売る店~





「はるか、ねぇ、どうしたの?」
 栞那は友人の身体を揺すってみた。
 陽香は六畳間と台所の敷居を跨ぐように横たわっていた。手に伝わる肩の感触は、冷たくて硬い。まるで蝋人形のようだと栞那は思った。

 それとも栞那の手の方がおかしくなったのだろうか。そう言えば、冬の寒い日、病院に行っていつものように酸素飽和度を測ると、普段よりも五パーセントほども低い時があった。
 でも今はもう夏なのに。
 栞那はもう一度陽香の身体を揺すった。陽香はまるきり動かない。やっぱり硬い、と栞那は思った。

 陽香は朝見た時のままの恰好だった。着替える前だったから、ノーブラでピンクのキャミソールとブラウンのチェックのショートパンツだけ。ショートパンツからは白くて細くて長い足が伸びている。
 海に行って綺麗に焼きたいなぁと言っていた。どうして京都には海がないのとぼやいていた。

 え? 京都にも海はあるよ。
 琵琶湖のこと? あれは湖やん。
 違うよ。琵琶湖は滋賀。

 どうでもいいや、行けないもん、と言って陽香は綺麗に塗れなかったマニキュアに苛ついていた。自分の指を見て溜息をついていた唇も、今は渇いて黒ずんでいる。
 いつも綺麗に真っ赤な口紅を塗っていたのに、今日の自分の顔を見たら、陽香はがっかりするだろう。
 陽香はいつだって栞那の唇にも口紅を塗ってくれて、笑った。
 あはは。かんなは赤いの、似合わないなぁ。

 陽香は目を開けたままだった。薄暗くてよく分からないけれど、目は濁っていて、何も見えていないみたいだった。
 ぼんやりと死んでいるんだと思った。こういう時、普通の十八歳はどんなふうにするんだろう。きゃーって叫んで、慌てて携帯で誰かに連絡する? 病院? 警察? 親か友だち? どうしようとか、怖いとか、悲しいとか、もっと何かしなくちゃいけないことがあるはずなのに。
 でも栞那は何もせずに、陽香の見えない目が見上げている天井を、自分もただ見上げてみた。

 六畳一間と台所だけの古いアパートの部屋だ。その天井にぶら下がっている古くて四角い照明器具の傘には、薄いオレンジの布をかけてあった。ちょっと焦げたみたいに変色している。一応不燃性だって書いてあったから大丈夫、と陽香は言っていたっけ。
 こうしたら古くてぼろっちいのが見えなくなって、ちょっとお洒落なバーみたいじゃない? ゲンジツトウヒってやつ?

 本当だ。まるで何もかも、現実じゃないみたいだ。今この時も、これまでの数か月間も。
 一体、陽香は何から現実逃避していたんだろう。親とか、社会とか、そういう枠みたいなものから? それとも陽香自身から? そうだ、もしかして誰かに連絡したくても、例えば救急車を呼んだって、私は何て言えばいい? ゲンジツトウヒをしていた陽香なのだ。栞那は彼女のことをほとんど知らない。一緒に数か月間、同じ部屋で暮らしていたけれど。

 名前は?
 そう聞かれたら、陽香、としか答えられない。名字はアパートの表札に出ていたから矢野、というのだろう。誕生日は七月四日。この間一緒にお祝いしたから知っている。でもそれだけだ。年齢は栞那よりひとつ上だと言っていたから、十九歳。仕事は、よく分からないけれど、男の人にお金をもらっている。
 そうか、私は陽香のこと、何も知らないんだ。友だちだけど、それだけだ。

 扇風機が回る音が少しだけ煩い。風が時々こっちへ吹いてくる。陽香の着ているピンクのキャミソールが、風で皺の形を変える。
 陽香はいつもとてもお洒落な服を着ていたのに。それなのに、よりにもよって死ぬときにこんなつまらない格好で死ななくちゃならないなんて。五歳くらい年上に見られた方が、男の人に声を掛けてもらいやすいし、それに後からもうちょっと歳が若いのだと分かったら、たくさんお金がもらえることがあるんだ、と自慢げだったのに。

 栞那はふらりと立ち上がった。台所と和室の間の敷居に膝が当たっていたので、ちょっと痛いなぁと無関係なことを考えた。
 一畳分の押入れをクローゼット代わりにしていた。襖を外して、青い布を目隠しにして洋服や靴や、お洒落な小物を飾った。栞那自身のものはごく僅かだった。栞那が痩せっぽっちだということを除けば、二人の体格は大体同じだったので、陽香が服を貸してくれた。

 栞那はクローゼットから服を選んだ。陽香のお気に入りはこの淡い紫のワンピースだ。
 既に柔らかさを失った身体から服を脱がすのは、結構骨が折れた。
 ショートパンツは比較的容易に脱がせることができたが、陽香は失禁していた。そう言えばそんな臭いがしていた。病院生活が長かった栞那には、時には全く気にならない臭いだった。

 洗面器に水を汲んできて、下半身を拭き、下着を綺麗なものに着替えさせた。勝負パンツだと言っていた、Tバックの黒いレースのショーツにした。
 キャミソールを脱がすのは少し手こずった。面倒くさくなって肩のひもを鋏で切った。やはり、ワンピースは上手く着せてあげることはできなかった。腕が硬くて上手く曲がらなかったからだ。仕方がないので、少し肩のあたりを切って、安全ピンで留めた。
 ごめんね、綺麗に着せてあげれなくて。

 それから、鏡台から真っ赤な口紅を持ってきて、黒ずんだ唇に塗ってあげた。いつも化粧が下手だと陽香に言われていたけれど、我ながら上手くできたと思った。
 その時、ふと異質な臭いを感じて自分の手を見ると、乾きかけた血がついていた。身体にはどこにも怪我はなかった。栞那は陽香の頭を見た。頭の後ろに傷があった。
 頭を打ったのだろうか。

 ふと見ると、床に置時計が倒れていた。時代物の四角くて大きな置時計だ。この部屋には異質なものだったが、陽香は捨てなかった。こんなところに置いていたら危ないのに。
 そう考えてふと思い出した。

 今朝、陽香と喧嘩をしてこの部屋を飛び出した。その時、陽香は栞那の手を強く掴んだ。何か言われたような気がする。その言葉は鋭いナイフのように栞那の心臓を貫いた。栞那は思い切り陽香の身体を突き飛ばした。
 陽香は後ろへ倒れて、それから……大きな音がした。
 もしかしたら、私が陽香を殺しちゃったんだろうか。

 栞那は立ち上がり、狭い部屋を見回した。六畳の部屋の中にあるものは、二人で一緒に眠った低いベッドと、ラグの上の置いた小さな丸いテーブル、それに鏡台と、倒れた置時計だけ。白く丸いテーブルはどこかから友だちが拾ってきたと言っていたっけ。
 不意にものすごい違和感が襲ってきた。

 ここはどこだっけ?
 陽香の部屋? それとも私の部屋? 私たちの部屋? 大人たちに見つからないように隠れてきた秘密の居場所。
 それが突然、消えてしまった。

 この部屋には何も必要なものは残っていないと思った。陽香がいないのだから、ここは空っぽだ。栞那は何となく自分の仕事が終わったような気がした。
 ばいばい、はるか。
 栞那は部屋を出て、数か月前にもらった合鍵で施錠した。
 アパートの階段を降りると、湿気が地面から昇って来た。

 部屋の中では陽香の白く濁った目がまだ天井を見つめていた。
 木目の丸いテーブルの上に、小さな石ころのようなものが転がっていた。三センチくらいの土色の球体で、多数の白っぽい筋がでこぼこと色々な方向に走っている。
 天井のオレンジの灯りの下で、その石はまるで砂漠に咲いた薔薇の花のように見えた。

 

「はぁ~、蓮、のど乾いたわ~。ビール頂戴」
 ソノコさんが大きな体でカウンターに倒れかかってきた。カウンターのいつもの席に座っていた常連のゴロウちゃんが、笑いながら身体を少し引いて、ソノコさんの場所を作ってくれた。
「オシャカちゃん、水でええで。ソノちゃん、まだステージあるんやから」
「そうよ~、だからビールでガマンしてるわけなのよ~」
 野太い声でソノコさんがゴロウちゃんに返事をする。

 カウンターの内側にいた蓮は、小ジョッキに生ビールを注いでソノコさんの前に出した。
「え~、蓮、ちっさいわよ~」
 確かにソノコさんの大きな手に納まると、小ジョッキは小さなグラスのように見える。
「ゴロウさんの意見と俺の意見の折衷案です」

 蓮はソノコさんたちショーのステージに立つ「ホステス」たちの酒の量をそれとなく監視していた。誰かに言われたわけでは無い。ただ、蓮なりに、いつの間にか大きな家族のようになっている店の連中の身体のことを心配している。
 もちろん、一見誰よりも豪快そうでいて、よく周りを見ているソノコさんは、蓮のそういう気遣いにはちゃんと気が付いている。だから、それが水であっても、決して蓮の出すものを否定しないで受け入れてくれる。

「セッチュ~ア~ン。蓮、あんたはもう、どうしてそう難しいこと言うの~」
 そう言いながら、ソノコさんは小ジョッキを一気に空にして立ち上がり、それから気合いを入れるように両手でパン、と腹を叩いた。
「んじゃ、者共、であえ~」
 ソノコさんの掛け声で店中から拍手が起こった。メンバーは皆、客とハグを交わしたり、投げキッスを送ったりしながらステージ裏に引き上げていく。
 本日二回目のショータイムの準備だ。

 ここは四条川端の北東の角から二筋ほど入った場所にある、オカマショーパブ『ヴィーナスの溜息』だ。
 客は老若男女問わず、ホモセクシュアルであろうがバイであろうがヘテロであろうが、下品で悪質な客以外は誰でも受け入れる。働いている「オカマ」たちも、真面目なゲイもいれば、ただ女装してショーをするのが好きだというのもいる。ただし、芸のレベルは相当のところを求められるし、そのあたりのママの審美眼、演出能力はかなりのものだ。
 ショーのレベルは高く、近畿圏でも人気の店だった。

 ショーは、踊りあり、音楽と歌あり、漫才やショートコント、時に寸劇あり、手品あり、客との掛け合いありの約一時間。平日は一日二回、週末は一日三回のショータイムは満席だった。チークタイムもある。音大出身のユリウスのピアノ生演奏付きだ。それに、ママの手相とタロット占いはよく当たると評判だ。人生相談をしたいなら、店で一番頭の切れるシンシアや、人生酸いも甘いも知っている真正ゲイのミッキーがじっくりと話を聞いてくれる。

 釈迦堂蓮はこの店のホール係だ。
 前の仕事を辞めると同時に、女の子を引き取る破目になって困っていたところ、この店のママに雇ってもらった。蓮の以前の仕事のことは、ママと一部の人間しか知らない。もしもまだ知らない誰かが聞いたら、蓮のことを胡散臭い奴だと思うだろう。

 だが、この日、ショータイムまであと十分、ショーまでに酒の注文を済まそうとする客が多くてホールが最も忙しい時間に、蓮よりもさらに胡散臭い男二人が店のドアを開けた。
 二人の男はカウンターのママのところへまっすぐ歩いていき、何事かママに話しかけた。蓮は、いつの間にか筋肉が鍛えられた腕でトレイいっぱいのグラスを持ち、テーブル席に向かうところだった。
「失礼、釈迦堂蓮さんですね」
 男たちが見せたのは警察手帳だった。


 思い当たることならいくつもある。
 蓮のもう一つの顔は、釈迦堂探偵事務所の留守番探偵だ。
 本物の釈迦堂探偵、蓮の伯父である釈迦堂魁は失踪していて、行方が分からない。伯父はもと京都府警の刑事だった。

 何かの事件に巻き込まれた可能性は高いが、伯父は何の手がかりも残していなかった。警察も蓮も、捜索が行き詰まるとともに、自発的な行方不明ではないかと疑うようになっていた。もちろん、そう思う背景は別だ。
 警察はただ「日本には現実から逃げ出して身分を捨てて生きる人間はいくらでもいる」と考えるだけだが、蓮は別のことを考えていた。
 伯父は几帳面な性格だった。調査の記録や日誌は詳細につけていた。その伯父が失踪しあまりにも手がかりが無いということは、伯父が自分で手がかりを消したとしか思えないのだ。

 蓮は引き取った和子(にこ)という保育園児と一緒に、西陣にある昭光寺という寺に居候している。朝、無愛想で懐かない和子をママチャリの後ろに乗せて、保育園まで送り届け、そのまま四条河原町から東へ一本、高瀬川の手前を南へ下ったところにある『奇跡屋』の鍵を開ける。釈迦堂探偵事務所は『奇跡屋』の二階を間借りしていて、玄関を共有しているのだ。
 昼間は滅多に客の来ない探偵事務所の留守番をして、たまに客があれば依頼を受け、仕事をする。夕方は和子を保育園に迎えに行き、一度昭光寺まで送っていき、六時頃には『ヴィーナスの溜息』に出勤だ。

 どうしても蓮が探偵の仕事で店を抜けなければならない日は、ママが何とかやりくりを考えてくれている。始めこそ、あまりあてにされていなかった蓮だが、今や蓮は店にとって最高のホール係だ。蓮がいないと頭が爆発するわ~とママがぼやいてくれる。
 もっとも、釈迦堂探偵事務所が忙しいなんて日は滅多にないのだが、それでも時折、ややこしいことに巻き込まれる。

 その大半が、伯父の一人息子、つまり蓮の従弟にあたる舟のことだ。
 そんな言葉がもう似合わない歳ではあるが、有り体に言うと、グレている。あちこちで喧嘩をし、男女問わず「恋人」と切った張ったの揉め事を起こす。警察沙汰になったのも、一度や二度ではない。

 今日もまた舟のことだろうと思ったが、その日『ヴィーナスの溜息』に現れた刑事たちは、意外なものを蓮に見せた。
「これを見たことがありますやろ」
 それは、如何にも証拠品、というように小さなビニール袋に入れられていた。
 蓮は目の前にぶら下げられた小さな球体をひったくるように手に取り、じっと見つめた。

 このデザートローズは。
 どうしてこれをこの刑事が持っているのだ。

「覚えがあるんですな。石屋の婆さんが、自分は知らん、蓮が知ってる石やろと仰るんでね」
「店に同じような石がごろごろしてるから、そんなもん、見分けがつくんかと聞いたら、婆さん、あんたら、人間の顔はちゃんと区別がつくんか、と聞く。当たり前やと答えたら、石も一緒や、みんな顔が違うと言う。私らにはどの石も同じに見えますがな」
 蓮は、ビニール袋に入った石を刑事に返した。

「一体、何があったんです?」
「アパートの部屋で女性の変死体が見つかったんですわ。ところが、名前は偽名、アパート契約の保証人は保証人ビジネス、携帯電話の契約も同じく、部屋を調べても身元が分かるものは何もない。部屋の中で異質なものと言えばこの石くらいでしてね。刑事の勘、とやらを振りかざす上司に、石のことなら高瀬川の『奇跡屋』に聞いて来いって言われましてな」

「女性の変死体? 歳は?」
「心当たりがあるんですな」
「その女性の胸に傷があるなら」
 刑事たちは顔を見合わせた。
「ちょっと、署まで来ていただきましょか」




Category: (2)砂漠に咲く薔薇

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【scriviamo!参加作品】しあわせについて~懺悔の値打ちもない~ 

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いつも多彩で素晴らしい作品を書き続け、さらに文字通り「みんなで書こうよ!」と素敵な企画を投げかけてくださる八少女夕さん(scribo ergo sum)が今年もscriviamo!を開催されました。もう本当に意味もなく申し訳なくなるくらいの凄い勢いで打ち込まれる無理難題球をレシーブしまくり、時にはスマッシュを決め、名作を連発中でいらっしゃいますが……そろそろピークも過ぎたような感じなので、お疲れのところトドメを刺すように(ひどい……)もう1セット、お相手いただこうと遅ればせながら参上仕りました。

しかも手抜きの手抜きで、666666Hit記念企画にも被せちゃって、一気に二つ分の宿題を片付けようという魂胆で書いていたら……
まぁ、6つじゃ寂しいから、全部のワードの半分くらいを使おうかな、なんて考えているうちに深みに嵌り、相当無理矢理に全ワード使ってみました。もちろん、わざとらしさ満開の無理矢理感炸裂ですが、大目に見ていただきましょう! ね!

与えられたワードは……
「テディーベア」「天才」「禁煙」「ピラミッド」「バンコク」「中国」 「飛行船 グラーク ツェッペリン」「桃の缶詰」「名探偵」「蚤の市」「赤い月」 「マロングラッセ」「エリカ」(花)「オクトーバーフェスト」「ロマンティック街道」「ピアノ協奏曲」「アルファロメオ」 「進化論」「彗星」「野良犬」「マフラー」「博物館」「遊園地」 「羽」「いろはうた」「鏡」「シャープ」(#)「にんじん」「モンサンミッシェル」 「ガラス細工」「楓」「金魚鉢」「古書」「WEB」「モンブラン」

そして夕さんちから、ヒルシュベルガー教授とヤオトメ・ユウ女史をお借りしました(*^_^*)
いや、センスの無さを暴露する無理矢理な展開ですが、読んでいただけると嬉しく思います。
舞台は京都のオカマショウパブ『ヴィーナスの溜息』……今宵、あなたをめくるめく官能と笑いの世界へ誘います(*^_^*)


【奇跡を売る店・番外】しあわせについて~懺悔の値打ちもない~


「今日は賑やかですね」
「庚申の日ですから」
 蓮はカウンターに座る年配の男に、新しいグラスで山崎の水割りを出してやった。氷の透明と琥珀が光の加減で揺らめいている。
 カウンターの客は、一か月ほど前から不定期に週に数度ばかりこの店にやってくるようになった。誰かの紹介ですかと聞いたが、いや、何となく、と答えただけで、それ以上は三宅という名字と千葉から来たという以外、何も話さなかった。
 もうすぐ本来の閉店時間がやって来るが、常連客達は帰る様子もない。今日は年に六度ほどしか巡ってこない特別な日だからだ。

「こうしん?」
 カウンターの客が聞き返したタイミングで、ようやくママが戻ってきた。マルボロを引き抜いてふぅと息を吐くと、蓮、あたしも薄いのでいいから作ってよ、と低くてよく通る声で言う。
 ジムで鍛えたママの身体は、もう還暦が近い五十代のものとは思えなかったが、去年前立腺癌の手術をしてからは随分と痩せてしまった。しかし、この業界で長く生き残ってきただけあって、転んでもただで起きるような人ではない。言った言葉が「あたし、子宮癌だったのよ~」である。

 ママは引き抜いたマルボロを、先にカウンターの客に差し出した。客は嬉しそうに受け取った。そう言えば、最近はどこへ行っても禁煙でスモーカーは肩身が狭いと、初めて来た日に嘆いていたっけ。
「つまり、『かのえさる』の日よ」
 月曜日は定休日なのだが、三宅はやはり何気なくふらりとやって来て、受付でコートとマフラーを預け、今日は冷えるねと挨拶をしてから、いつものようにカウンターの隅に座った。
 彼は、すでに水割りを三杯飲み終えた今も、今日が本来定休日だとは気が付いていないだろう。

 三宅がカウンター奥の隅の席を気に入っているのには理由があるようだ。
 その席の側の壁には、色褪せた飛行船の写真が額に入れて飾ってある。昭和四年にドイツの巨大飛行船グラーフ・ツェッペリン号が東京上空を飛び茨城の霞ヶ浦に着陸した。その様子を撮影した写真で、当時、海軍省の関係者だったママのお祖父さんにあたる人が撮ったものだという。
 ママは「印刷じゃないの?」とあっけなかったが、この写真を飾っているところを見ると、祖父に対しては特別な敬愛の気持ちがあるようだ。

 初めて来た時、三宅はこの写真を目に止めて、懐かしそうに言った。
「ツェッペリン伯号ですね。若いころ少しの間だけ教職についていたことがありましてね。その中学校の視聴覚室に同じような写真が飾ってありました」
 三宅は千葉から来たと言っていたから、ツェッペリン伯号の着陸地はそれほど遠くないところだったのだろう。もちろん三宅の生まれるずっと前の話だろうが、彼は何かを懐かしむような顔をした。

 ここはオカマショーパブ『ヴィーナスの溜息』だ。京都四条川端の角から幾つか路地を入ったところにあって、なかなかクオリティの高い踊りと音楽、お笑いと手品のショーを見せることで知られている。料金もこの業界ではかなり良心的で、若い世代にも人気があるし、ママの人生相談や占いを目当てにやって来る客もいる。
「かのえさる……十干十二支の庚申の日。つまり今日は庚申待もしくは庚申講というわけですか」

 普段の会話の調子や内容からも、三宅がそれなりの学のある人だということは分かる。
 上品なツィードの背広を着て、こざっぱりと髪を撫でつけてある。痩せてもおらず、かといって中年期に余計な贅肉を身に付けることもなかったようで、体格にはこれと言った特徴的な所はない。顔にも特に目立つ部分はないが、若い頃はそれなりにモテただろうと思わせる渋みのある作りだ。

 定年退職後に暇を持て余して古書店巡りでもしているのか、よく愛想のない小さな茶色い紙袋に入れた数冊の本を持っているので、スタッフの間では、どこかの大学の先生かしら、というような話になっていたこともある。
 ある時、ちらりと覗いた紙袋の中の本の背表紙には、『進化論』と名のついた本が数冊入っていたので、もしかするとそういう方面の研究者なのかもしれない。と思ったら、次の時には『ロマンチック街道』や『モンサンミシェル』といった海外の街の写真集が何冊か入っていたりした。どこかの博物館の展覧会の古いカタログが入っていたこともある。

 三宅は店の「女の子たち」がつこうとしても、穏やかな仕草でそれを断り、カウンターで蓮が出す酒を黙って飲んでいる。ショーが始まると、特に大袈裟に拍手をすることもなく、じっとステージを見つめている。そしてあまり誰とも話さないまま、閉店の半時間前には帰っていく。
 この店のコンセプトからは大いに外れた客であることは間違いがない。少なくともここは、静かに酒を飲みたい年配の男性向きの店でないことは確かだ。
 とは言え、ママのほうも、何も言いださない客からあれこれ聞き出すような野暮なことはしない。ただこの空間を黙って楽しんでくれているのならそれもいいじゃない、と思っているのだ。

「若い頃は必死だったから、定休日なんてなくてね。でも、いくら若くても、二カ月に一度くらいは休まないともたないじゃない。で、不定期休日の前日にはあたしが店の子たちに労いをするって意味で、店がはねた後、スタッフで夜通し飲んだり食べたり、それからほら、しっぽりと昔話なんかして過ごすようになったのよ。あたしらの人生、あれこれ後悔だらけ、懺悔することも多くてね、いつの間にか夜通し懺悔大会になったりして。そのうち誰が言い出したのか、庚申講みたいだってので、六十日に一度、庚申の日にやるようになったってわけ」
 蓮はグラスを磨きながら、ママの話を頷きながら聞いている三宅の顔を見た。やはり何か目的があってこの店に来ているのではないか、蓮にはそう見える。

 蓮はこの店のホール係で、酒を運んだり、時にはカウンターの内で水割りや、最近ではカクテルを作ったりしている。
 この店で「ホステス」役以外の仕事をしているのは、蓮と、料理人兼カクテル担当の鈴木と、受付兼ガードマンの笹原だけだ。元々は全てママが自分でやっていたのだが、さすがに客が増えて店の規模が大きくなってくると、そういうわけにもいかなくなった。
 そのおかげで蓮も雇ってもらえたし、蓮のような一風変わった経歴の持ち主を雇ってくれるような店は他になく、そういう意味でも蓮はママに感謝している。
 最初の頃は野良犬みたいな食えない目をしていると言われた蓮も、飼い犬のようには懐かないながらも、今では随分と落ち着いた目になったと言われる。確かにの中の自分を見ても、顔つきが少し変わったかもしれないと思うことはある。

 蓮には他にも顔がある。失踪した伯父がやっていた釈迦堂探偵事務所の留守番探偵なのだ。客は滅多に来ないので、ほぼ開店休業状態なのだが、最近ではこのショーパブが依頼の仲介役になってくれることもある。だが、「オシャカちゃん(蓮のことだ)は名探偵なのよ」などと紹介されると面映ゆいし、そもそも蓮は探偵事務所が流行って欲しいとはこれっぽっちも思っていない。
 本来、人の事情に首を突っ込むことは避けたいのだが、もともと他人の気配をうかがうのは得意だった。いや、他人を観察したくてしているのではないが、子どもの頃に両親とも失って一人取り残された蓮は、自然に人の気配や思いに敏感になっていた。

 だから、客をついつい観察してしまうのだが、どう見ても、三宅がただオカマショーパブに興味を持ってやって来ている客には見えなかった。
「でも、もともとはあくまでもお店がはねた後のスタッフだけの恒例行事だったわけ。それがいつの間にか常連客が居座るようになっちゃって。だから、三宅さんも別にいてくれてもいいのよ。但し、スタッフもデューティーを外れてるから、気が向いたらおつまみや酒くらい出すけど、サービスは期待しないでね。それから」
 ママはカウンターに少し乗り出すようにして三宅の顔を覗き込むようにした。
「庚申講だから、もし閉店時間後もここに残るなら、今夜は寝ちゃだめ。それから、あなたもひとつくらいは懺悔をしなくちゃだめよ」

「懺悔か……」
 三宅は呟いた。
「確かに、この歳になると、懺悔をしなくてはならないことのひとつやふたつ、なくはないですね」
「あら、あたしなんて、毎回庚申の日までに十くらいは懺悔をしなくちゃならないことが湧き出すわよ。だから三尸の虫が閻魔大王のところへあたしの悪行をチクリに行けないように、絶対にこの日は寝てやるもんかって決めてるのよ。それでも子宮癌になったりしてね、ほんとに、あいつら侮れないわ」
 三宅は「子宮癌」に不思議そうな顔をしたが、あえて追及はしてこなかった。

 人は誰しも身体の中に三尸の虫という三匹の虫を住まわせているという。この虫はどうやら人間の味方というわけではなく、庚申の日になると、人が眠っている間に身体から抜け出して天帝、つまり閻魔大王のところに行き、その人の悪行を告げ口するのだという。天帝はその罪科を聞いて、それに応じてその人に科す病気や寿命を決めるらしい。だから、庚申の日には眠っている間に虫たちが抜け出さないように、徹夜をするという習わしが生まれた。それが変化して、皆で懺悔しあって罪を逃れようという風習になったところもあるし、ただどんちゃん騒ぎをしているようなところもあるようだ。

「でもまぁ、三宅さんは若い時、さぞかしいい男だったでしょうから、女の一人や二人泣かせてるんでしょうねぇ」
 三宅はグラスをわずかに傾けた。からんと遠慮がちな音が転がり、琥珀が揺れた。
「泣かせたのはただ一人です。いや、多分、泣いてくれてたろうと思いますが……どうでしょうか」
「あら、どういう意味?」
 客の話を聞いていても、求められない限りは敢えて聞いていないふりをする、そういうことにも慣れてきた。蓮はテーブル席から注文されたカクテルを作り始めた。

 最近は鈴木が蓮にカクテルの作り方を教えてくれている。今作っているのは、「赤い月」という名前のこの店のオリジナルのカクテルで、カシスリキュールとウォッカとオレンジリキュール、レモンジュースあるいはグレープフルーツジュースにキャロットジュースを少し、それにホイップした生クリームを乗せて、その上にグレナデンシロップで赤い月を描いてある。もうひとつ、店にはオリジナルカクテルがある。「彗星」と名付けられたそれは、スカイシトラスにブルーキュラソー、レモンなどを入れて、スターフルーツをあしらう。
 どちらも最近では蓮の担当になっていた。

 三宅は、カクテルを作る蓮の手つきと、月と彗星の色を見つめたまま、静かに口を開いた。
「ある女性と駆け落ちの約束をしていたのですよ。でも、親に気づかれて泣きつかれて、私は結局待ち合わせの場所に行かなかった」
 思わず蓮は顔を上げた。ママがマルボロを指に挟んだまま取り上げた薄い水割りのグラスを、口に運ばないままカウンターに戻し、その縁を指ではじいた。
「行けなかったんでしょ」

「いや、理由はどうあれ、行かなかったんですよ。結局、私は親を捨てることができなかった。彼女よりも親と家を選んだのです。その後、私は親の決めた許嫁と結婚し、三人の子どもに恵まれ、事業も継いで二代目としてはそれなりに成功もしたと思いますが、この歳になってふと振り返ってみると、私の人生に繋がらない亀裂のようなものがあるような気がしてしまうのです。もう昔のことで、今更と思われるでしょうけれど」
 ママはふうとマルボロの煙を吐き出した。
「その方、今どうしているの? その後、捜してあげなかったの?」

 その人はもっと辛かったんじゃないの、とか、裏切った男が今更過去を悔いても仕方がないじゃない、いっそ堂々と前を向いて生きていきなさいよ、とか、きっと弱者の目線に立つことの多いママなら少しは思っているだろう。でもママは、捨てる方も辛かったと思うわと、そんなふうに考える人でもある。
 三宅は静かに首を横に振り、背後の賑やかなテーブルの方をそっと振り返った。
「もう昔のことですよ。今更するべき話でもありませんでしたね」
「いいのよ、今日はそういう日だから。三宅さんがその時彼女を裏切った方が罪なのか、それともその人を選んで親を捨てていたとしたら、その方がより重い罪だったのか、その判断は天帝にお任せするしかないわね」

 ママは新しい水割りを作って、そっと三宅の前に置いた。
 途切れた会話を取り繕うように、店の中にソノコさんの声が響く。
「さぁ、本日の営業はおしまいよぉ。はい、みんなお会計は済ませてね。ここからは六十日に一度の不眠の日、店に居残るんだったら、閻魔大王には耳をふさいでもらっとくから、ピラミッドから飛び降りる気持ちで懺悔なさいな~」
 ソノコさんはショーの一番の人気者だ。大柄でダイナミック、空手の有段者でものまねも上手い、常に場を仕切ってくれて、それでいて細かいところによく気が付く。

「ソノコさん、それを言うなら、ピラミッドじゃなくて、清水の舞台よ」
「何言ってんのよ。今日はワールドワイドなお客様がいらっしゃるんだからね、でっかく行くわよ~」
 ソノコさんが伝票をヒラヒラさせてテーブルを回っていく。勘定を支払って帰る客は帰るし、居残る客は居残る。ぎりぎりに受けた注文のカクテルやビールを運んでいる蓮に、ソノコさんがそっと声を掛けてくれた。
「あんた、にこちゃん、放っておいていいの?」
 蓮は大丈夫と頷いた。
「今回はただのカテーテル検査入院だし、それに入院してくれている方が安心です。明日の朝、顔を見に行きますから」

 蓮のもう一つの顔は、和子(にこ)という6歳の娘の父親だということだ。いや、正確には義理の父親で、少し変わっていることがあるとすると、彼女は蓮の元患者だった。今の主治医は蓮の元婚約者の如月海だ。蓮は二年前に医者を辞めていた。
 和子は今でも蓮には懐かない。退院したら遊園地に行こうかと言っても、ぷいと横を向いていたし、入院頑張っているからと買ってやったテディーベアも、病室のベッドの足元にひっくり返っていた。多分、鬱憤を晴らす道具としては役立っているのだろうから、それはそれでいいことにするしかない。

「ソノコさんこそ、将太くんは?」
「今日は母親んところよ。お互い、男やもめは大変よね~」
 庚申の日。懺悔をすることならいくらでもある。
 俺の三尸の虫はどれから告げ口しようか、六十日に一度はさぞかしそわそわしていることだろう。


「蓮くん、定時も過ぎたことですし、そろそろ仕事を置きませんか。私の友人を紹介させてください」
 蓮がテーブルを片づけて回っていると、右京が声を掛けてきた。
 常連客の一人、出雲右京は国立大学の理学部地球惑星科学講座の准教授だ。空気を読めない独特のムードの持ち主だが、お家柄も華族か宮家の縁戚らしく、どこかおっとりしていて、あさましく他人を攻撃したり揶揄したりすることがないので、この店でもスタッフからの人気が高かった。
 NASAに勤めるアメリカ人女性と事実婚の間柄で、蓮の母親のことを初恋の相手だったという。趣味は教授の資格も持っている茶道と車。茶道は裏千家だけでなく、紅茶マイスターの資格と中国茶の専門家でもあり、車に関しては愛車のアルファロメオの他にも数台の車を持っている。

 その出雲が、今日は、あるシンポジウムにやって来たというスイス人の教授を連れて来ていた。
 彼はチューリヒにある大学の生理学の教授で、クリストフ・ヒルシュベルガーと名乗った。その隣に、彼の秘書でヤオトメ・ユウという日本人女性が座っている。東京出身だが、スイス人と結婚してカンポ・ルドゥンツという村に住んでいるという。
 本当に、色々な人生があるものだ。

 彼女の通訳によると、ヒルシュベルガー教授はもう「普通の京都」は飽きたので(以前一乗寺界隈にある龍泉寺という寺で、プライベートに精進料理を頂いた時は大満足だったというが)、どこか変わった所へ連れて行ってほしいとのリクエストがあり、ここに辿り着いたらしい。
 変わった所って、何もオカマショーパブに来なくても、と思うのだが、まぁ、楽しんでもらっているようだからいいのだろう。

 しかし大学の教授・准教授といっても、生理学と地球惑星科学では随分と分野が異なっている。その繋がりは何なんだ、と思ったが、今の彼らの興味は別のところにあるらしい。
 彼らの前には、右京が今日の庚申の日のお土産にと持ち込んできた、京都中のスィーツが並べられている。

 嘯月や聚洸といった老舗名店の和菓子、出町ふたばの豆餅、北野天満宮の長五郎餅、川端道喜の羊羹ちまき、かざりやのあぶり餅、ぎおん徳屋の本わらび餅、鍵屋良房のくずきり、などなど誰でも知っているような有名処の和菓子はもちろん、右京や石屋・奇跡屋の女主人の伝手があってこそ手に入るような、店頭販売をしていない特別な和菓子もひとつやふたつではない。
 さらに、開店して数時間内にショーケースの中が空になるという話題の店のケーキまで、甘いものがそれほど好きではない蓮には、見ているだけでも胃が凭れるラインナップが、まさにテーブルの天板が見えないくらいにずらりと並んでいるのだ。

 ケーキの名前など、蓮はショートケーキとモンブランくらいしか知らないが、客の中には小難しいお洒落な名前を全て知っている者もいて、ユウを通じてヒルシュベルガー教授にあれこれ説明してくれている。今回のスィーツラインナップにも協力してくれた小夏ちゃんという大学生だ。
 教授は口髭を撫でながら感心したように聴き入っているが、それよりも早く食べさせろと言いたそうだ。
 右京が野点セット(といってもお家元の銘の入ったお道具尽くしだ)で薄茶をたててくれて、ようやく特別仕立てのスィーツバイキングのスタートとなった。

「おぉ、これは美味い。マロングラッセかな」
「栗阿彌(りつあみ)という栗和菓子です。こちらの焼き栗きんとんも美味しいんですよ」
「こっちは雪だるま、それに椿、鬼もいますね。蜜柑もすてき」
「その蜜柑、むいてみてください」
 何と、剥いてもちゃんと蜜柑なのだ。

「和菓子はこうして目で見ることで季節を感じることができるんですよ。春の桜や秋の紅葉なんかは、毎週少しずつ変えてあって、蕾から開くまで和菓子の方でも少しずつ開花していくし、の色合いも変わっていくんですよ。但し実際の桜や紅葉よりも少し時期を先取りします。本物に勝てないのは分かっているので、先回りするってのが鉄則です。夏は夏で涼しげな寒天菓子が登場します。有名なのは幸楽屋さんの『金魚鉢』ですね。ちゃんと中に金魚が泳いでいるんですよ」

 ほら、と言って、小夏ちゃんがスマホで和菓子の「金魚鉢」を教授に見せている。お預け状態から解放された教授も、いつになく機嫌が良さそうにスマホの写真をのぞきこんだ。
「なんと、ガラス細工のようだね。食べものとは思えない」
 ユウは通訳に忙しそうだったが、ちゃっかり全ての和菓子に手を伸ばしている。その様子を見て、蓮は思わず口元を綻ばせた。ヒルシュベルガー教授もユウも、それに右京も、美味しいものを本当に美味しそうに食べる。そういう姿は蓮には大変好ましく映った。

「センセ、この普通に見える桃の缶詰、何ですか?」
 ヒースが右京に尋ねる。
 ヒースはここに勤め始めて一年、ようやくショーにも出るようになった一番の若手で、女装はしているが、まだ「男」だ。小柄で元々可愛らしい顔をしているから、そのままでも十分だと蓮は思う。どこか愛嬌があり、最近店の雰囲気に慣れてきて、少しばかりお世辞なども上手くなって、人気も出てきた。

 某音大を卒業していて、真面目にピアノの勉強をしていたこともあるらしく、卒業時にはショパンのピアノ協奏曲第一番を地元のオーケストラと共演したとかいう話だ。
 そんな人がなぜこの道に、などという愚かな質問は誰もしないが、それを聞いてママは以前から懸案のひとつだった、店のアップライトピアノの買い替えに踏み切った。
 国産だが、店にグランドピアノがあることで、ちょっと高級な店になったような気がするから不思議だ。ヒースの伴奏でニューハーフのシンシアが唄うジャズは、ショーとショーの合間の名物のひとつになりつつあるし、ヴォーカロイドが唄う『千本桜』や『いろは唄』を見事なアレンジで披露してくれる。

 どうしてヒースって源氏名にしたの、と聞かれて、某有名ヴィジュアル系ロックバンドのファンだったからとか、荒野ってイメージに憧れるからとか言っていたが、いつも言うことが違っているので、他に何か理由があるのだろう。
 ヒースは時々ふっと遠い目をするが、蓮と目が合うと、にこっと笑う。大丈夫ですよ、蓮さん、そういう感じで。

「普通じゃありませんよ。清水白桃と言って、岡山の有名な白桃で、缶詰でも1個入りで1600円ほどします。お歳暮にもらったので、持ってきたのですよ」
「一個1600円!」
「全く、日本人は果物になぜこのような繊細な甘さを追及するのだろうね。味も半端ないが、値段も半端ない」
「あら、教授が値段のことを仰るなんて意外ですね」

「いや、フラウ・ヤオトメ、私は食に対する日本人の繊細さを称賛しているのだよ。食べるのは一瞬だというのに、それだけの値段に見合うだけの手間暇を惜しまない。調理をする時だけではない、食材を選ぶ時から、また食材を獲ったり育てたりする時から、すでに皿の上に料理として出す時のことを考えているのだからね。店頭に並ぶ百円程度の菓子でも、夏と冬では味付けを変えているというではないか。しかもそれを世の中の人がみんな気が付いているわけでもなく、あえて知らせようともしない。全く不思議な民族だ」

 ユウが会話を訳してくれるのを聞いて、ちょっといいように脚色してくれているのかと思ったが、ユウ曰く、かなり正確にニュアンスを伝えているつもりだという。民族論にまで高められるとちょっと困ってしまうが、あれこれ思い巡らせながらこの国の食文化を楽しんでもらえるのは有難いことだ。スィーツに行きつく前も、料理人・鈴木のカレーとおでんをさんざん平らげていた。
 この店はそもそもパブなので本格的な料理は出さないのだが、料理担当の鈴木は、以前にインドのデリーやタイのバンコクに長期滞在していたことがあり、カレーについてはこだわりがあるらしい。そんな彼が日本人向けカレーを作ることに情熱を傾けた結果、酒を飲まずにカレーを食べにくる客まで来るようになってしまった。もちろん、それでは困るので、テーブルチャージとワンドリンク分は必ず徴収するようにしている。

「ところで、出雲先生、一体何のシンポジウムなんですか? ヒルシュベルガー教授は生理学、出雲先生は地球惑星科学、いささか分野が異なるような気がするのですが」
「いやいや、今回のは別に我々の専門というわけではないのですが、全ての学問に共通する問題です。人類にとって幸福とは何か、あらゆる分野の有志が集まって考える、『幸福学』のシンポジウムですよ。蓮くんもちょっと覗きに来ませんか?」
「『幸福学』?」

 何かヤバい宗教じゃないのかと思ったのが顔に出たのか、ユウが「あなたもそう思うでしょ?」という笑みを蓮に向けた。
「つまり、幸福というのを科学的、論理的に解き明かそうというものです。今回は、京都という土地柄、『言霊の幸福』がテーマでしてね」
 全く、右京は常識のレベルがぶっ飛んでいる面があるので、時々言っていることが蓮には意味不明だ。しかし、隣で頷いているヒルシュベルガー教授も、多分かなり意味不明の部分がある人物に違いない。って、この教授、日本語は全く分からないんだよな? 適当に頷いているのか、それとも、いわゆる天才同士、右京とは以心伝心なのか。
 と思ったら、右京が英語で自分が蓮に説明したことをかいつまんで教授に説明し、それから蓮に英語で教授と話しましょう、と言った。

「ひとつの言葉を考えてみてください。そしてその言葉の不幸の側面と幸福の側面を考えてみるわけです。例えば、そうですね、教授、何か例を挙げてみてください」
「ではウキョウ、ノミノイチはどうだね」
「ノミノイチ?」
 何の英語かと思ったら、日本語ではないか。右京が笑った。
「これはやられました。そうそう、教授は以前から東寺の弘法市に行きたいと言っておられましてね、それがなかなか日程が合わず、今回も行けなかったのですよ。次回はぜひ」

「そういうウキョウ、君もミュンヘンのオクトーバーフェストに行きたいと言っていたが、まだ果たせていないね。その後で一緒にドイツの美食巡りをする約束ではないか。だが、確かに、まだできていないことを常に後に残しておくことも大切なのだ。未来への期待を引き延ばすことができる」
「そうですよ、教授。翌日立ち上がれないまでにビールを飲み、語り、騒ぐ。今からその時が実に楽しみです。さて、話を戻しましょう。蚤の市。いいお題です。蓮くん、この不幸の側面は?」

「蚤の市の不幸の側面? たとえば、掘り出しものと信じて大金をはたいたのに、真っ赤な贋物を掴まされた、というような話ですか?」
「そう、つまり詐欺ですね。中には悪質なものもあります。では幸福の側面は?」
「蚤の市でただに近い値段で売っているものを手に入れたら、それがたまたまものすごく高価なものだった」
 ヒルシュベルガー教授が、口髭についた和三盆の粉を手で拭いながら否定した。
「いやいや、それは違うよ。蚤の市で掘り出し物と信じて買ったものが、実は贋物なのだが、本物だと信じてそれを生涯大事にして満足して一生を終えること、なのだよ」

 蓮がよく分からん、という顔をしていたからか、ユウがくすっと笑った。
「蓮さん、いいんですよ。この人たちのいう幸福の科学をものすごく一生懸命理解する必要なんてないんです。要するに、物は考えようってことを小難しそうに言っているだけなんですから」
「いやいや、言葉には魂が宿っているということですよ」
 右京が真剣な面持ちで言った。確かに、嘘か本当か室町時代から続く家の出身者が言うと、それらしいから恐ろしいのだが。

「人生には知らない方が幸福ということもある。それに、受け入れがたい現実の中に幸運の穂先を見つけるためには、ある程度のトレーニングも必要だからね」
「へぇ、教授はそれで幸運の穂先を摘み過ぎて、畑を荒らしてしまっているのですね」
 この秘書の女性は、本当に好き勝手に言っているが、それもこれも彼らの間に信頼があってこその言葉だ。
 いつか蓮と和子にもそんな時が来るのか、今は全く謎だった。

「ほらほら、続きはWEBで、じゃないけど、ひとまず切り上げて、まずはそちらの教授も今日のしきたりに従って懺悔いただきましょうか」
 真正ゲイのミッキーが綺麗な発音の英語で言い、庚申のイベントの謂れを説明した。ヒルシュベルガー教授はふむ、と考え込んだ。
「教授には懺悔することなんてありませんか?」
「いいえ、この方は懺悔することが多すぎて、どれから言えばいいか分からないだけですわ」
 すかさずユウが突っ込んだ。

その時、隣のテーブルからヒースが立ち上がった。
「あら、ヒースのピアノね。聴きながら、過去を想いましょうか。そして明日からはまた新しい気持ちで新しい時間を過ごすとしましょう」
 ピアノの前に座った小柄なヒースがすっと背を伸ばすと、まるで彼の方がピアノを包み込むように見えた。男性にしておくのは勿体ないと誰かが言った綺麗な横顔は、冷たい冬の風に晒されても凛と冴え渡る小さな花のようにも見えた。
 ヒースというのは、あの冬の花の異称じゃなかったか。
 ヒースの、女性のように白い指が、鍵盤の白と黒に重なった。


 三宅はそっと席を立ち、受付の笹原に軽く挨拶をして店を出た。
 やはり似ている。彼は彼女にそっくりだ。
 そして、この曲は彼からのメッセージなのか。彼の指先が奏でる音は、はまるで記憶の底にある彼女の音と同じだ。
 ショパンの『別れの曲』。そもそも別れとは何の関係もない曲なのだが、映画の影響でその名が冠された。旋律の美しさというのは別離の哀しさに繋がっているのかもしれない。

 三宅は彼女を想った。秋の日の音楽室。開け放たれた窓から流れてくるショパン。足を止めて聴き入ると、黄や赤に染められた木々のざわめきがベースのようなり、詩情豊かなピアノを歌わせている。枯葉は風に巻かれて、子犬のように足元に纏わりつく。落ちた木の実を啄む鳥たちは冬支度でを膨らませていた。
 歳を経るごとに、昔の景色はいっそう色鮮やかになり、三宅の心を震わせる。

 手に入らなかったものに対する感傷だ。彼のピアノはそう語っていた。
 彼女は臨時の音楽教師だった。その時はまだ教職に就くことを諦めきれず、小さな町の中学校で英語教師をしていた三宅は、彼女と出会い、恋に落ちた。
 木造校舎の二階の隅にあった音楽室は、それまで縁もなく暗い場所だと思っていた。それが一度に光に満ちた場所へと変わった。ピアノの譜面台に置かれた楽譜を覗きこんだ三宅は、思わず繰り返し言ってしまった。

「僕には楽譜は読めないな。冒頭にこのシャープが四つもついているのを見た時点で、頭が思考を止めてしまうよ」
 ホ長調、と彼女は教えてくれた。この楽譜という記号だらけの暗号が、彼女の指が鍵盤に乗せられると同時に、音楽の神となってその白い指先から零れ出した。
 あの白い指。あの時は手をのばせばそこにあったあの細い指。

 三宅は、この一か月ばかり通い詰めていた古書店の前で足を止めた。この時間だから、当然扉は固く閉ざされ、明かりも人の気配もなかった。古い引き戸の前には、プランターや鉢に植えられた植物が、風に震えていた。
 花をつけているのは一鉢だけだった。

 古書店は『ヴィーナスの溜息』から路地を幾つか曲がるだけで、ほんの目と鼻の先だった。
 店番にひとり座っているのは、三宅と同じだけ歳をとった小柄な女性だった。足元に座った盲導犬がいつもじっと三宅を見つめていた。黒く悲しく、美しい目だった。

 彼女は気が付いていただろうか。この一か月、この店に通い続けた男が、本当なら必要もない本を買い続けていたことを。盲目の彼女が丁寧に本を扱い、小さな紙袋に入れてくれる、その不器用な手をじっと見つめていたことを。値段を示す点字をなぞる指を、本を手渡す時に触れそうになる指を、何度握ろうと思ったかを。
 三宅は、軒下で寒さに震えるピンクの花を見つめた。震えながらも、誰にも寄りかからず、確かに花を咲かせていた。

エリカの花です。祖母が好きなので。寒い冬に、精一杯の花を咲かせるからと」
 知っている。彼女の好きな花だった。だから君はヒースと名乗っているのか。
「君は、その……」
「三宅さん、僕はあなたの孫ではありません。祖母は千葉からこの町に辿り着いて、僕の祖父と知り合いました。事故で視力を失いピアニストと教職の夢は諦めましたが、僕にピアノを教えてくれました。昔のことは、あなたにも祖母にも既に終わった出来事です。どうか祖母には会わずに、このままこの町を行き過ぎてやってください」

 風の音に振り返ると、そこには誰もいなかった。小さな影がするりと三宅の背中を通り過ぎ、店の脇の路地を入っていったように感じた。
 三宅は四条通りに出て、横断歩道を渡った。鴨川を北から吹き降りてくる冬の風が一層冷たく感じられ、三宅はコートの襟を立てた。振り返らずに行こうと思うと、足は余計に重くなる。あのチューリヒから来たという教授は言っていなかったか。
 人生には知らない方が良いこともある。
 幸福というのは裏表に違う色を塗った薄い紙をひっくり返すようなものかもしれない。どちらがより幸福かということは、誰にもわからない。裏の色など知らない方がいいのかもしれない。

 四条大橋を渡り始めたところで、携帯が震えた。
< おじいちゃん、いつ帰って来るの?
 高校生の孫からのメールだった。
< まだ起きているのか? 早く寝なさい。
< だって試験なんだも~ん((+_+))
 だからもっと普段から勉強するように言ってあるのに。
 一度畳んで仕舞った携帯がまた震えた。開いて確かめてから、三宅はふと微笑んだ。

 橋の真ん中まで来てから立ち止まり、三宅はポケットから歪んだ小さな箱を取り出した。リボンはもうとっくに失われていた。三宅はその箱をしばらくじっと見つめていたが、やがて鴨川に向かって差し出すようにして、そっと手を離した。
 川面に届く光はなく、小さな古い箱は直ぐに闇に吸い込まれて、音も立てずに落ちて行った。
 ふと見上げると、街の灯りがゆらゆらと冬の空気を揺らしていた。その小さなひとつひとつの灯りに、幾千、幾万の魂が揺れさざめいているように見えた。

< 八つ橋、忘れないでね。桃味のやつだよ(*^_^*) 絵梨花

(【奇跡を売る店・番外編】しあわせについて~懺悔の値打ちもない~ 了)


今年の最初の庚申の日は2月8日でした。う~、爆睡してたな。きっと奴ら、天帝に「大海の奴、最近怠けてますぜ」とかチクったにちがいない。
庚申、庚申講……ググったら色んな風習が出てきます。また機会がありましたら(*^_^*)

「にんじん」が「キャロット」になっているのは大目に見てやってください。全くジャンルの違うこれだけの言葉を散りばめるとなると、やっぱり無理矢理感は否めませんが、一応35個、コンプリートいたしました(よね?)。
幸楽屋の『金魚鉢』など和菓子はググるといくらでも画像が出てきますので、お楽しみくださいませ。1600円の清水白桃の缶詰もね!
始めはこの怪しい『幸福シンポジウム』で書きだしていたのですが、やっぱり『ヴィーナスの溜息』の面々に久しぶりに会いたくなって、大幅に書き直しました。
えと、最後に三宅と会話をしたヒースは本物かどうか? どうでしょうね……猫かも??

「しあわせについて」はさだまさしさんの大好きな曲からタイトルをお借りしました。もっともあちらはこんな恋愛がどうとかってテーマではなくて、もっと大きな愛を歌ったものですけれど……
どうぞ あやまちは二度と繰り返さずに あなたは必ず しあわせになってください……

「懺悔の値打ちもない」はその裏表の意味合いでくっつけました……こちらは北原ミレイさんが歌う名曲。個人的には「石狩挽歌」の方が好きなんだけれど、この「ざんげの値打ちもない」の底知れない感じは(だって、最後は刑務所の中!)……実は【海に落ちる雨】の村野花はこの歌から生まれた……
あぁ、昭和。

ということで……お付き合いいただきありがとうございました!
夕さん、おいら、頑張ったよ!

(追記)夕さん、失礼いたしました! オクトーバーフェストに引きずられちゃって、何だかドイツ人になってた! チューリヒの大学って書いてあるのに! ということで訂正しました!!
(追記2)実は、桃味って、夏しか売っていないらしい。この季節なら苺かしら? でも桃の缶詰つながりで……三宅には翌日、京都駅で「桃味がない!」って慌てていただきましょう。

Category: 奇跡を売る店・短編集

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【奇跡を売る店(2)】砂漠に咲く薔薇(2)~昭光寺にて(1)~ 

デザートローズ1
先日、八少女夕さんが「あんまり間を開けると読んでくださる方も大変だから、できるだけ続けてアップしています」というようなことを書かれていましたが、その夕さんの爪の垢を煎じて飲みなさいと言われそうなくらい間が開いていて済みません。
でも前回部分はとても短くて、ちらっと流し読みしてくださっても、と言う程度の内容なので、許してやってください。

でもかいつまんで言うと。
18歳と19歳の少女が同居していた部屋で、少女の一人が亡くなっていた。死体を見たもう一人の少女は、その子の格好がみすぼらしくて可哀想だからと、お気に入りの服に着替えさせ部屋を出る。少しの間一緒に住んでいたし、友だちだけど、本当はその子のことを何も知らない、でももしかすると自分が彼女を殺してしまったかもしれないと思いながら。
失踪した伯父の調査事務所の留守番探偵・釈迦堂蓮は、夜はオカマショーパブ『ヴィーナスの溜息』でホール係をしている。その蓮のところに、警察が「この石のことを知らないか」と訪ねてきた。
彼らが持ってきたのは、まるで砂で作られた薔薇のような石、デザート・ローズ。それは蓮がある知り合いの少女に渡したものだった。


ミステリーの冒頭は下手な小細工をするくらいなら死体を転がせ、と言う鉄則に基づき?、一応転がしてみました。このブログのコンセプトは死体の転がらないミステリーなのに、どこで道を間違えたのか……
第2話は少し長いので、2回に切りました。しばらく、蓮の事情などをお楽しみください。

登場人物(レギュラー陣)などのご紹介は以下の記事をご参照ください。
【雑記・小説】自作を語るのはまだ早い(2)~奇跡を売る店~



< 明日、本堂から入ってきて欲しいんや。
< りょうかい。ちゃんと仏教婦人会っぽくして行くわ。
< ごめん、ややこしいこと頼んで。
< 別にええけど、「ややこしい」の中身、ちゃんと説明してよ。

 如月海は日曜日の朝、昭光寺にやって来た。
 百日紅、きれいやね、とやってくるなり海は言った。
 そうか、そんな庭の景色を楽しんでいる余裕も最近はなかったな、と思った。

 盆が終わって、慌ただしかった人の出入りも少しは落ち着いてきたが、今度はツクツクボウシが夏の終わりを告げるべく大騒ぎを始めていた。
 夏はいつも、檀家の老人の誰かの調子が悪いという噂を聞く季節だったが、今年の夏は少しばかり涼しかったからか、幸いなことに誰かが倒れたという話もあまり聞いていない。

 海を呼び出したのは蓮だった。警察は「重要参考人」が蓮に連絡をしてくるものと考えているらしく、蓮の周りを見張っているようだった。
 蓮の居場所は、奇跡屋(つまり釈迦堂探偵事務所)とショウパブ『ヴィーナスの溜息』、それに居候をさせてもらっている昭光寺の三か所しかない。つまり、警察にとって蓮を見張ることは極めて容易だということだ。蓮がどこか特別な場所に出かけると、すぐに相手に動きが見えてしまう。

 三ヵ所の中で警察が簡単に踏み込めない場所は、この昭光寺だけだった。ありがたいことに寺という場所は、不特定多数の人間が出入りしても不思議では無い。一方で、顔見知りではない人間が入り込んでくると、自然に警戒する機能も持ち合わせている。
 日曜日には毎週、朝のお勤めの後、仏教婦人会の勉強会(と称する井戸端会議)があった。集まる女性たちに混じって、海は母屋の玄関ではなく本堂の方から上がって、蓮の待つ応接室にやってきた。

 ここ数日、寺の周囲に、見慣れない車や人の気配がある。海にそのことを説明しておくべきかどうか迷ったが、結局は黙っていた。もっとも、海はすぐに気がついたようだ。
「なんか、ドラマみたいやね」
「え?」
「だって、胡散臭い感じの男が二人、運転席と助手席に並んで乗ってたら、まぁそういうことでしょ」
 そういえば付き合っている頃、高速道路でねずみ取りはすぐ分かる、追い抜くときは注意するんや、なんて話をしたことがあったかもしれない。

「あそこ、路駐禁止ちゃうん? 通報してやろかと思った」
「禁止やないけど、邪魔なんは確かやな」
「なんや、穏やかやないね」
 婦人会の世話役の峰岸さんがお茶とお下がりのお菓子を持ってきてくれた。峰岸さんは海のことを知っていたはずだが、何も言わなかった。だがきっと、井戸端会議の席に戻ったら、早速「元婚約者が来てはりましたんや。より戻さはったんやろか」と誰かに報告するのだろう。

「にこちゃん、今日は?」
「昨日から大原に遊びに行ってる」
「一人で?」
「いや、舟が一緒や」
「ふうん」
 海は納得したような、していないような返事を返してきた。

 何で釈迦堂くんは一緒に行かへんかったん、とは聞かないが、一緒に行ったらいいのに、とは思っているだろう。蓮は「仕事があるから」と答えるし、その本心は、舟と和子と凌雲が一緒に居る場所に居づらいのだということは、海も分かっているのだ。
 和子は相変わらず蓮には懐かないし、蓮の前ではいつもむすっとした顔のままだ。だが、舟に対しては、愛想までは良くはないにしても、連に対してよりもずっといい顔をしていると思う。舟は見かけも態度も不良のようだが、和子のことは可愛がっているからだ。

 それに、大原に棲む仏師の大和凌雲のことは、父親のように慕っている。それは、戸籍上の父親となっている蓮に対する態度とはまるで違っていた。
 舟だって同じだ。従兄の蓮に言えないことを、元家庭教師の凌雲には打ち明けているようだ。蓮も凌雲の教え子だったのだから、舟が凌雲に何を打ち明けているのか教えて欲しいと言っても不自然ではないのだが、なんとなく言い出せない。
 もっとも、凌雲は人の相談事を、他の誰かに漏らしたりはしないだろうし、蓮にしても舟の事情を知りたがっているとは凌雲に知られたくない。凌雲は蓮のそんな気持ちはお見通しだろうが。

 和子のことも、舟のことも、そして凌雲のことも、誰よりも蓮自身が一番気にかけていると思うのに、彼らが仲良く一緒に居る場所には居づらい。自分は彼らの誰からも頼りにされていないのだと勝手に感じて拗ねている、そう言われても否定はできない。
 子どもの頃に両親を失ったために、どうしても、誰かと食卓を囲むような関係に慣れないからかもしれない。

「にこちゃん、調子どうなん?」
 和子の外来は二ヶ月に一度ほどなので、前回の外来からは一ヶ月以上、海は和子の顔を見ていないことになる。
 和子には心臓の病気があり、体格が同年代の子どもに比べて小さいことと、通院や検査と薬の内服の必要があるものの、外見的にははっきりと病気だとは分からなかった。よく見れば唇は少し暗赤色で、爪は少し丸みを帯びていて、胸には手術の痕があって、体力的にも明らかに他の子どもと違っているが、自立して歩くこともできるし、多少なら走ったりもするし、保育園にも通っていると、普通の子どもだと勘違いされることもある。

「変わらへん」
 あまりにも短く素っ気ない返事に、ちょっと不満そうな気配が海から伝わってきたので、蓮は慌てて付け加えた。
「元気にしてる。冬場よりは調子よさそうや」
 海がそれ以上不満の言葉を寄越さなかったので、蓮はその話題を打ち切ってよいと判断した。

 婚約までしていた二人の間には、言葉にならない以上の理解があると、蓮は今でも信じていた。言葉足らずの蓮のことを察してくれる海は、数少ない蓮の理解者だった。たとえ婚約を破棄しなければならなかった原因を作った蓮を、今でも彼女が心の内では許していないのだとしても。
 もっとも、海は、その話題を持ち出すと怒るだろう。

 言っとくけど、私は捨てられた可哀想な女やないからね。まだまだ仕事したいのに、結婚しようとか思った方がどうかしてたわ。私、不器用なんよね。仕事と家庭と、両立とか無理やし、それに、釈迦堂くんとはこのくらいの関係がちょうどええと思わへん?

 一度、そんなことを言われたことがあった。海らしい気遣いだと思ったが、彼女が自分との関係をあえて断ち切ろうとしていないことは嬉しかった。もっとも、彼女が和子の主治医の一人である限り、切ろうにも切れないだろうし、蓮の方でも、どんな理由でも彼女と繋がっているということにどこかで頼っているのかもしれない。
 もっとも、「このくらいの関係」は、世間から見ると、それでも十分に友人の域を超えているだろう。

「それで、栞那ちゃんの、いや、谷原さんのお母さん、何て言ってたんや?」
 小児科医の悪い癖が今でも抜けない。患者である子どもたちを、成人に近い年齢になってもつい「○○ちゃん」と呼んでしまうのだ。
 海はふうとわざとらしく息をついた。
「そもそも警察が、あんなふうに釈迦堂くんのこと、見張ってるってどういうこと? 栞那ちゃんが何かしたん?」
「いや、彼女が何かしたというのか……というより、何かしたのが俺や舟だとは思わへんのか」

 海が「何かあった」ではなく「何かした」と聞いたことに、蓮は違和感を覚えていた。
 海には、谷原栞那が最近ちゃんと通院しているのかどうか教えて欲しいとメールを打っただけだ。個人情報をメールでやりとりするのは問題があるので、直接会いたいと海から電話が返ってきた。それで、ちょっと事情があるので、日曜日の仏教婦人会の時間に合わせて昭光寺に来て欲しいと伝えた。

「釈迦堂くんや舟くんやったら、待ったなしでとっくに連行されてるでしょ」
 それはその通りだ。舟は前科こそ無いが、警察のお世話になったことは何度かある。しかも、いつ誰に刺されてもおかしくないような生活をしている。蓮にしても、警察から見たら、所長が失踪している調査事務所の、怪しい留守番探偵だ。
 もっとも、伯父の釈迦堂魁はもともと人望のある刑事だったらしく、今でも時々「お世話になった」と名乗ってくる刑事がいる。蓮の知らないところでちょっとした問題が起きていても、誰かがお目こぼししてくれている可能性も否定できないのだが、そのあたりに首を突っ込んでややこしい事に巻き込まれたくはない。

 海はソファには腰掛けようとせずに、少し居心地が悪そうに壁の絵やサイドボードの上の置物を見回している。いかにも値段が張りそうな絵や彫刻、書画、大きな紫水晶などだ。
 とは言っても、昭光寺の住職はいささか気むずかしい頑固な老人で、先祖から受け継いだものを本物だろうが偽物だろうが大事にしているだけのようだ。やむなく寺を継いだという三男坊の副住職は、「蓮ちゃん、あれ、半分は偽もんか屑やで。京都ゆうとこは、二束三文のもんでも、それらしゅう見えるさかいな。こわいこわい」と屈託が無い。

 たとえ飾られている美術品が偽物でも、観光のために公開されているわけでは無いが、それなりに歴史があり、檀家も多い寺なので、やりくりに困っている様子は無い。蓮のような居候を置いてくれる余裕もある。
「なんか、落ち着かないね」
 蓮が話の切り出し方を迷ってい間に、海がぽつんと言った。

 寺の応接室はプライベートな場所ではない。十人ほどの客が余裕を持って座ることができる応接セット、床に敷かれた厚みのあるペルシャ絨毯も、海の居心地を悪くしているに違いない。
 分かっていたのだが「俺の部屋に」とは言い出しにくかった。
 元婚約者とはいえ、いや、元婚約者だからこそ、今更思い出のある場所で二人きりになるのはどうかと思ってしまう。

 まぁ、いいか。海が嫌だと言わなければ。それに今は「俺の部屋」ではなく、「俺たちの部屋」だ。もっとも、その部屋を海に見られることには躊躇いがなくはないのだが、確かにここではあまり突っ込んだ話もしにくい。
 場所を変えるという提案に、海は「そうしよう」と言っただけだった。

 蓮と和子が居候している離れには、以前、この寺の息子たちの部屋があった。
 今は家を出て行ってしまっている長男はバングラデシュで学校経営をしていて、同じく次男は南米でピラミッド研究に没頭している。年の離れた三男が寺を継いでいるが、今は母屋に移っている。小学生の時にこの寺の居候になった時から、蓮は、既に就職して家を出ていた長男の禮為(れいし)の部屋を使わせてもらっていた。

 離れには部屋が二間あるが、和子が一緒に住むようになっても、まともに使っているのは一部屋だけだった。もう一部屋には数の少ない連の服と、使わなくなった本が段ボールに詰め込まれて放ってあるだけだ。食事は母屋の方で食べるし、和子は蓮が帰ってくるまで、母屋で過ごしているか眠っている。そのまま母屋で寝かしておくこともあるが、どういうわけか母屋に放っておくと、翌朝ものすごく機嫌が悪いので、夜中に帰ってきてから蓮が離れに連れて行っている。

「ふ~ん」
 部屋に入った途端に、意味深に海が蓮を見た。
「なんや」
「釈迦堂くんの部屋に来るの、久しぶりやもん。でも、ちょっと安心した」
「なんで」
「だって、レイさんの本以外なんもなかったやん。でも、今や、ちゃんとお父さんしてるんやね」

 確かに、当時から、蓮の持ち物などほとんど無かったし、何かを所有することに関心も無かった。自分自身についての無関心は変わらないが、和子が一緒に住むようになって、殺風景だったこの部屋に、和子のものだけが増えていっている。
 とは言え、和子のための可愛らしい箪笥も、ハンガーに掛けられた女の子らしい服も、いくつかのお洒落な鞄も、ほとんどが仏教婦人会の人から譲り受けたものだ。しかも、和子は服が可愛いかどうかについてはあまり関心が無いらしく、どういう基準かは分からないが、数枚の同じ服ばかり着ている。少しぼろぼろになってきているのだが、着慣れていて安心できるのかもしれない。

 海は興味深そうに和子の勉強机を見ている。
 来年小学校に上がるので、寺の息子たちが使っていた古い勉強机を、住職が使いやすいように手直ししてくれた。まだ教科書も並んでいない机だが、和子は時々椅子にじっと座っている。後ろ姿からは表情は分からないが、小学校似通うことを楽しみにしているのだろう。
 それでも和子にとって、学校で普通にやっていくということは、決して低いハードルではない。

 秋からは教育委員会とも相談しなければならないこともある。支援学校に行くのか、普通学校の支援学級に行くのかと確認を受けたが、とりあえず普通学校でと返事をしたら、担任が一人で何十人もの子どもを見るので、何かあったときに対処できないと不安をぶつけられた。
 多少の身体的不自由と、対人関係の混乱による発達障害の疑いや、少しばかり健常の子どもについて行けないことがあっても、普通学校でやっていけないほどではないと蓮は思っていたが、学校現場はあまりにも多くの問題を抱えすぎていて、和子のような子どもを受け入れる余裕までないのかもしれない。

 その事は、主治医である海にもまだ相談はしていなかった。
 普通の子どもだと勘違いされることもあれば、一方でこうして特別な子ども扱いを受けて社会から疎外されかねない。
 ふと、そんな中で成長してもうすぐ大人になろうという谷原栞那のことを思った。学校も家庭も社会も、彼女を上手く受け入れてやることができなかったのかもしれないと思うと、和子の将来に対する不安を感じずにはいられない。

「にこは、相変わらず俺のことを父親とは思ってないやろけど」
「そうかなぁ」
 海は意味深にそう返事をすると、小さな低い座卓の前に正座した。そう言えば、座布団も置いていない。
「やっぱりこっちが落ち着くね」

 蓮がエアコンの電源を入れようとすると、海が、いいよ、うちのマンションより断然ましやもんと言った。窓を開けてあったので風は通っている。蓮は扇風機のスイッチを入れた。その音に、海が、懐かしいね、と言った。
 京都の夏を、エアコンという文明の利器なしに乗り切ることは近年では難しくなっている。境内は大きな木々のおかげで風が通ってくるので、クーラーなしで暮らしていたのだが、和子を引き取ってからは脱水ですぐに具合が悪くなるので、昭和な暮らしを諦めて、エアコンを取り付けてもらった。

 海が懐かしいと言ったのは、扇風機のことではなくて、この部屋で過ごした時間のことだったかもしれない。扇風機の風で海の短い髪がふわっと持ち上がって、蓮は久しぶりにどこかがきゅっと痛むような感覚を味わった。
 当時はどちらかと言えば、蓮が海のアパートの部屋に行く方が多かったのだが、この部屋ではよく一緒に机に並んで勉強した。海の部屋に行くと、どうしても海は料理を作ってくれようとするし、それに若い男女が一緒にいて求め合わないでいる方が難しかった。寺に居候している蓮の部屋では、洗濯物にもゴミにも気を遣うことになるから、真面目に勉強できるというので、ここが彼らの勉強部屋になっていた。

 中途半端にでも触れられないと思うと、余計に触れたくなるものだった。その少し窮屈な甘酸っぱい思い出が胸を締め付けるのだと思った。
 あの頃と海はあまり変わっていないように感じるが、きっと自分はずいぶんと遠くに来てしまっているのだろう。蓮はそう思って、何かをすっと断ち切った。
「それで、谷原栞那のことだけど」
 蓮は、海に向かい合って座った。向かい合うこの距離が、今はちょうどいいと思った。



Category: (2)砂漠に咲く薔薇

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【奇跡を売る店(2)】砂漠に咲く薔薇(2)~昭光寺にて(2)~ 

デザートローズ1
 長かったので2回に分けた『砂漠に咲く薔薇』第2話の後半です。

そう言えば、この話、夏の話だったなぁと今更ながらに思ったのですが、読むときは季節が違うからっていちいち引っかからないけれど、書くときはちょっと悩むなぁと思いました。だって、今は寒い! 背中がぞくぞくする。そんな感じで書いているときの体感温度が、何となく文章に出ないかと心配になってしまいました。

行ったことのない土地や今じゃない季節のことを書くとき、文章に出ないようで出ているかもしれない事の中に、匂い(臭い)と音があります。場所の見た目は写真からでも知ることはできるけれど、その場所の空気感を構成している音やにおいはそこに立ってみないと分からない。
ヴェネチアに行ったとき、写真だと町の姿は優雅で、まさにアドリア海の女王なのですけれど、実際にはアクアアルタの海の臭いが結構気になったのでした。水はお世辞にも綺麗とは言いがたいし。こういうのって、現地に立っていないと分からないこと。
そして、冬に夏の話を書くとき、夏の音ってどんなのだったかな、匂いってどんなのだったかな、必死で思い出しているのでした。蝉の声は陳腐だなぁ~(しょぼん)

登場人物(レギュラー陣)などのご紹介は以下の記事をご参照ください。
【雑記・小説】自作を語るのはまだ早い(2)~奇跡を売る店~


 海は少し真面目な顔をして、一度自分に確認するようにうなずいた。
「釈迦堂くんにお礼を言わなくちゃ、と思ってたんよ」
「なんで」
 思わぬ言葉に蓮は不意を突かれて、返事ができないまま海の顔を見ていた。海は蓮の反応の薄さに応えようと、う~ん、と言いながら言葉を探したようだった。

「何てのか、栞那ちゃんみたいに、小さいときから病院に通ってて、結構重い病気で毎月病院に通っているような子のことでも、私らってあんまり何も知らないんやって、改めて思ったから。何となく毎日それなりにやってくれてるんだろうって、勝手に思い込んで、勝手に安心してたんよね。日常って、ほんとはたくさん辛いこととかしんどいこととかあって、一ヶ月の中のほんの一瞬の時間じゃ何も分からないんだって、こんなことでもない限り気がつかないで通り過ぎちゃう。にこちゃんもそうだよね。釈迦堂くんがこうして毎日彼女のことを見てるってこと、実は凄いことなんだって」
 蓮はいささか間抜けな顔で海を見ていたのかもしれない。珍しく海が困ったような表情を浮かべた。
「私、なんか変なこと言ってる?」
「いや、そうやなくて」

 海が変わらず海のままでいてくれることが嬉しかった。自分がどうなっても、周りの人間が変わらないでいて欲しいというのは身勝手な願いではあるが、こうして関係が変わっても、時が流れていっても、海は昔のままだ。他の皆が通り過ぎるところでちゃんと立ち止まってくれる。そんな海だから、自分の心を上手く表現できない蓮のことも、気がついてくれていたのだ。
 二人が向かい合った座卓の上を、窓からの風が流れていく。いろんな事があって、若くてきっと輝いていた時には戻れないけれど、海の言うとおり、風の匂いは昔のままで懐かしい。木々の間を通り抜けながら細かな湿気を含んで、この西陣の町の片隅の小さな部屋に届く風。

「栞那ちゃん、家を出てたみたいなの。お母さん、あんまり言いたくない様子だったけど、ほとんど友だちのところにいたらしくて。外来受診の時は一緒に来てたから気がつかなかったけど、待ち合わせして病院に来てたんやって」
 確かに、ひと月に一度、きっちり病院に来て、検査上はそれなりに薬の効果も確認できていて、親もついてきていたら、当然同じ家から病院に来たと思って不思議ではない。長く親しんだからこそ、敢えて毎日の生活のことまで根掘り葉掘り聞き出すようなこともない。もちろん、相手が話したがっているならば別だ。

「友だち?」
 亡くなった女性のことを母親は知っていたのだろうか。
「どんな人かは知らないって」
「親はそれで放ってたんか」
 怒ったつもりではなかったが、言葉がきつかったからか、海はちょっとむっとした顔をした。

「放ってたわけではないんやろけど、親子やからこそ、言いたくないことまで言っちゃうこともあったんやないの。顔つき合わせたら喧嘩になるし、ついつい、そんなに嫌やったらもう帰ってこんでええ、とか言っちゃうこともあったみたい。もちろん、最初のうちは探したり連れ帰ったりしてたみたいやけど」
「でも、まだ未成年やろ」
「でももう十八やもの」
 親なら、どこまでも子どもの我が儘や葛藤に付き合ってやるべきだ、と理想論をかざしたいわけでもなかった。十八や二十歳という年齢までに子どもが自立できるように、方法を授けてやるのが親の仕事だと、教育論を語るつもりでもなかった。そもそも蓮にはそういう親子論を語るための土台がなかった。

「ごめん、俺には分からん」
 蓮がぼそっと言った言葉に、海がものすごい勢いで反応した。
「ごめん、そんなつもりやないの」
 小学校の時には二親ともいなかった蓮の気持ちは、多分海には分からないだろう。だが、そんな自分の感情の構成を、蓮自身が一番分かっていないのだ。少なくとも海はそんな蓮を分かろうとしてくれたし、もしかしたら彼女なりの方法で成功していたのかもしれない。
 海は、昔からそうであったように、蓮がこれ以上は触れて欲しくない部分に来ると、上手く話題を変えてくれた。

「そうだよね。うちらの患者って年齢相応の精神年齢ってわけには行かないんだよね。身体だけは大人になっていても、不自由なことだらけでどうしたって自立できないことも多いし。それに、最近って、携帯ですぐに連絡取れるから、子どもが家に帰ってなくても、居場所が分からなくても、いざとなったら何とかなるとか、繋がってるって勘違いするんだよね」
「彼女のとこ、母子家庭やったよな」
「うん。お母さん、働いてるしね。ずっと一緒にいるわけにも行かないし」

 蝉が一斉に鳴くのを辞めたかと思うと、また一匹の合図で合唱を始めた。風の中の湿気はずいぶんと少なくなったが、やるせないような気持ちで身体が熱く湿っぽくなった。
「お母さんも心配してないわけじゃないと思う。でも、毎日、不機嫌だったり暴れたりする娘と向き合ってるのもしんどかったのかもしれへん。あの子、中学の頃からほとんど学校に行けてなかったもん」

 栞那に会ってあの石を渡した時のことを思い出していた。あれは半年ばかり前の事だった。
 その時、もう少し何かを聞いてやれば良かったのか。だが、どんなふうに? 彼女は「別に。たまには、うちかって遊びたいもん」と言っていただけだった。
 本当にそうだろうか。何かのサインを見逃していたのか。本当は助けてと言っていたのだろうか。少なくとも石を渡したと言うことは、何かを予感したからではなかったのか。自分でもよく分からなかった。

「さっき、彼女に何かあったのか、やなくて、何かしたんかって聞いたやろ」
 海はうなずいた。
「お母さんに『栞那ちゃん、どうしてますか』って電話したら、話の中で『あの子、何かしたんですか』っていう感じのこと聞かれたから。家からちょっとしたもの盗んでいったりしてたみたいやし。まぁ、家のものやから、盗むって表現にはならへんかもしれんけど、その事を追求したら、あんたがこんな身体に産んだからや、って言ったって」
 蓮は何も言えなかった。

 半年前、谷原栞那が蓮に言った言葉は、一時も忘れてはいなかった。
 どうせ先生の身体やないやん。
 それは、いつかあの女性に言われた言葉と同じだった。
 どうせ先生の子どもじゃないでしょ。
 そうだ、と割り切ってやれば良かったのだ。中途半端に入り込んで何かができるわけでもなかったし、彼らが蓮に期待していたことはそんなことではなかったのだろうに、自分で空回りしてしまった。

 本当は、谷原栞那はよく分かっていたはずだ。病気を持って生まれてきたのは母親のせいではないということくらい。だが、母親は病気の子どもを産んでしまったのが自分のせいだという気持ちから逃れられないでいるのだろう。
「釈迦堂くん?」
 海が向かいから心配そうに見ていた。谷原栞那のことを話しているのは分かっていたが、どこかでいつも和子と和子の母親のことが重なっている。海には見抜かれているかもしれない。
「あぁ、ごめん」

「今度はそっちの番だよ」
 海の口癖だ。蓮があまり自分のことを話さないので、いつも海は自分のことを一通り話した後、次はそっちの番だよ、と言った。
その言葉で、蓮はいつも救われていた。
「アパートで若い女性が亡くなったんや。死因は外傷性くも膜下出血。アパートの契約書によると、名前は芝浦陽香、十九歳、身元保証人に当たってみたら、保証人ビジネスやったようや。その部屋に、どうやら谷原栞那が転がり込んでいたらしい」
 海はちょっとの間考えていた。

「でも、うちの病院に警察が来た気配はないし、栞那ちゃんのお母さんも警察がどうのって話はしてなかったけど」
「じゃあ、まだ警察は谷原栞那の名前を突き止めてないってことなんやろ」
「それで、釈迦堂くんはどう関係してるの?」
 蓮は和子ががらくたを入れている箪笥の引き出しから、小さな石を取り出した。
「これ?」
「デザートローズや」
「食べれるの? なわけないか」
「そっちのデザートやなくて、砂漠の薔薇。その亡くなっていた女性の部屋にこれと同じ石があったらしい。それで、『奇跡屋』に警察が来て、婆さんが『それは蓮が知ってる石や』なんて余計なことを言ったから、俺のところに警察が来たってわけや。最初はてっきり谷原栞那が亡くなったのかと思って慌ててもうて」

 海は五百円玉くらいの直径のデザートローズを摘まみ上げて、じっと見つめ、また座卓に戻した。
「ゴミだと思わなかったのは、警察にしたら上出来やない? ダイヤとかルビーならともかく」
「ダイヤやルビーやったら婆さんのところには来えへんやろ。それにこの石、ゴミと思うにはちょっと気になるんかもしれへん」
 まさに石の薔薇と言われて納得するような不思議な形の石だ。白っぽいものから赤系の砂色のものまで色彩は色々で、大きさも様々だ。もろくて加工されることもないので、石そのものの値打ちがあるというものでもないが、願いを叶える石だと言われている。

「確かに。で、この石と栞那ちゃんの関係は?」
「警察が俺に見せたんは、俺が谷原栞那に渡した石やったんや」
 そんなふうに言ったら、普通なら、どうして「その石」だと分かるのだと聞かれそうだが、海はもうそんな無駄な質問はしてこなかった。彼女は、『奇跡屋』の婆さんや蓮が、石の一つ一つの顔を見分けられることをもう十分知っている。
「いつの話?」
「半年前、彼女にばったり会って、ちょっと話をしたから」
 細かい内容について口をつぐんだら、海はさらりと流してくれた。

「そのこと、警察に言ったん?」
 蓮は首を横に振った。
「でも、その亡くなった子の携帯の通話記録とかアドレス帳とか調べたら、栞那ちゃんのこと、すぐに分かるんやないの?」
「いや、俺が呼ばれたときは、警察は谷原栞那のことは知らんかったと思うし、少なくとも病院へも警察は来てないんやろ」
 蓮が警察に行って話を聞かれた時、亡くなった女性の携帯の話などは出なかった。もちろん、重要参考人の関係者であると思われる蓮に捜査情報を漏らすことはないだろうから、事情を知ることはできない。
「ただ、釈迦堂くんはその石の持ち主と繋がってるとバレちゃってるわけやね。それで、警察は釈迦堂くんのところに関係者が現われるかもしれないって、見張ってるってことか」

 石を見せられたとき、思わず反応してしまったので、警察は蓮と「謎の同居人」には関係があると思っただろう。咄嗟のことで演技もできなかった。もちろん、その場では、「確かに奇跡屋に置いてあった石で、誰かに売ったけれど、売った相手は忘れた」と答えておいたのだが、例のごとく胡散臭そうな目で見られ、しっかり疑われたわけだ。
「何より、それって殺人ってことなん?」
「いや、そもそも警察が俺にそんなこと教えるわけないやろ。でも、不審死なんは間違いないし、警察は疑うのが仕事やし、その亡くなった女性の『同居人』には一応事情を聞かんとあかんのやろ」

「外傷性くも膜下出血なんでしょ。事故ってこともあるやん」
「それでも家の中で誰も見てないところで死んでたら不審死や。もちろん、殺人だと疑うような何か事情があるんかも知れへん」
「魁さんの元同僚とかにこっそり教えてもらわれへんの?」
 思わず言ってしまってから、それはないか、と海は一人で納得して、警察から聞き出すという提案を自ら却下した。そして、不安そうな声で聞いてくる。

「栞那ちゃんが釈迦堂くんに連絡してくると思う?」
 それは何とも言えなかった。
「次の外来、いつなんや?」
「二週間先」
 それは果てしない時間に思えた。谷原栞那が今どうしているのか、そもそもその女性が亡くなったことを知っているのか、何も分からないまま過ごすには長すぎる時間だった。

 半年前。
 オカマショーパブ『ヴィーナスの溜息』での仕事を終えて帰る途中、三条木屋町の辺りで谷原栞那とばったり出会った。
 蓮の記憶にあった中学生の栞那とは違って、派手な化粧をして、髪を染め、冬というのに短いスカートで素足にブーツを履いていた。値段は分からないが、毛皮のコートが彼女に不釣り合いで、子どものような胸元が覗く服も、蓮を戸惑わせた。
 だが、どう見ても真面目なお付き合いをしているとは思えない若い男二人と一緒で、酒も飲んでいる様子だったので、放っておけなかった。男たちとはいささか揉めたが、栞那を説得してとりあえず『奇跡屋』に連れて行った。

 どうせ、先生の身体やないやん。

 いつも何かに精一杯で、他の何かを受け入れてやるための余裕がなかった。ショーパブの仕事も、手を抜こうと思えば抜けるのに、適当に器用にやることができない。ママやソノコさん、シンシア、ミッキー、皆の身体のことも心配になる。伯父が失踪してしまった釈迦堂調査事務所の仕事もそうだ。滅多に依頼がなくても、伯父が帰ってくるまであの場所を守りたいと思っている。引き取った和子のことも、失踪した伯父の魁のことも、荒れた生活を送っているふりをしながら魁を探しているらしい従弟の舟のことも、大原の里で一人仏像を彫っている大和凌雲のことも、何もかもが気になって仕方がない。
 だが、舟が蓮を頼ってこないのは、蓮がいっぱいいっぱいになっていることを知っているからだ。和子が蓮に懐かないのも、蓮のすべてが和子に向けられているわけではないことを感じているからかもしれない。本当の親ではないからだ。
 あの時も、谷原栞那が何かに追い詰められていたのだとしても、それに気がついてやれるだけの余裕が自分にあったのかどうか。

「ここ、石屋さんなん? ダイヤとかルビーとかは置いてないん? これって幾らくらいするん?」 
「鉱物、つまり貴石だ。ものによっては百万以上するものものある」
「キセキが起こるん? それやったら百万くらい出す人もおるかもなぁ。泥棒、入らないん?」
「この店は魔女のような婆さんがやっていて、下手なことをしたら呪われるとみんな信じてるからな。奇跡が起こるかどうかは、持つ人間によるし、石との相性もある。ちなみに、ミラクルの奇跡じゃなくて、貴石。貴い石だ」
「パワーストーン、とか言うやつ? わぁ、これ、面白いの」
「それはデザートローズ。砂漠の薔薇、という名前の石だ」
「ふ~ん」
「気に入ったんなら、やろうか」
「呪われるんやろ?」
「だから、石との相性だよ。惹かれたなら相性が合うんだ」
「光ってないところが、うちと一緒や」
 光らない石。そして見た目通り、もろい石でもある。栞那はそれも感じ取ったのかもしれない。自分と石を重ねて何かを感じたのだ。

 海が帰った後、蓮はずっと部屋の畳の上に寝転がって天井を見ていた。立っていると低く感じる天井が、こうしてみると遙か彼方に思える。
 大通りから入り込んでいるために、蝉や風の音はともかく、ここは不安になるくらい静かだった。ふと時計を見ると、そろそろ出勤しなければならない時間だった。
 起き上がって、汗ばんだTシャツを脱いだとき、座卓の上に放り投げてあった携帯が震えた。大原に和子を連れて行ってくれている舟からだった。
 
< にこ、初さかなゲット!
 添付された写真には、川魚をこわごわと持っている和子が写っていた。舟と、もしかすると凌雲も一緒に、釣りにでも行ったのだろう。
 相変わらずの和子の硬い表情は、その写真が蓮に送られることを意識していたからなのか。シャッターが切られた後、和子が彼らに笑顔を向けている様子を想像して、蓮はなんとも言えない気持ちになった。



Category: (2)砂漠に咲く薔薇

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