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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【3月のSSもどき:桜・卒業・約束】4年後の桜 

注:一応18禁(BL)。例のごとくあまりエロくないシーンですが…

彩色みおさんのSSお題にまたまた懲りずに突撃→玉砕してしまいました(;_:)
うーん、短くならない……
でも、前回よりは短い?
前回はほとんど10000字近かったのですが、今回は6800。3000字も減っている!
書けば書くほど、推敲すれば推敲するほど長くなる私にとって、SSは未知かつ修羅の世界。
でも、とってもストーリー組み立ての鍛錬になるので、懲りずに頑張ってみようと思います。

ちなみにそのながーい2月のSSはこちら→Time to Say Goodbye
あまりの長さと、湧き出す続編のために、独立カテゴリになってしまったという。竜樹さんの素敵なイラスト、遠慮なくいただいてきまして、貼らせていただいております(*^_^*)
竜樹さんありがとうございます

次回は2000字減らして5000以下にして、その次は1000字減らして4000以下にして…いつかは2000字になるように鍛錬を積み重ねたいと思います。
でも、ちょっと情けない……
もう、あれこれ気になって、本当に、あれこれ書いてしまう……悪い癖です。
ということで、またまたSSじゃないのですが、一応頑張ったので、アップしちゃいます。
本当は、もっと長かった。でもバッサリ切って、やっとこの長さ。

さらにいささか頭が迷っていまして。
桜かぁ、卒業式より入学式のイメージ?
でも、確かに今年の開花予想は3月末だ……うーん、でも頭の中で桜が咲かない…どうしよう。
で、苦肉の策の桜ならぬ…です。

しかも、すっかりスポ根もの書きになりつつある。
それでは、仕方ないから長いSSもどきにつきやってやろうという奇特な方は、お付き合いただけますと有難いです。



【4年後の桜】

 武藤はいつも真正面から来た。しかもやたらと強かった。
 背も正木より10センチは高いし、体格も腕もひと回り大きい。
 正木とて全国大会に出場する選手の中で決して背が低い方ではないし、踏み込みで打つ面を得意技としていた。だが、それが武藤には通じなかった。
 鍔迫り合いになった時、審判が止めの合図を寄越すまでのしばらくの時間に、面金の向こうから武藤の目が正木を捕まえる。お互いの視線が面の縦金の僅かな隙間で絡まり合う。相手の体温と汗の臭い、呼吸が自分のものと区別がつかない。そのわずかの時間が、自分にとって最高の時間だったことに気が付いたのは、武藤が咲き散るアーモンドの花の下、正木に背中を向けた時だった。
 今考えてもなぜあんなことになったのか、どんな熱情が二人を捕まえてしまったのか、細かなところは思い出せない。
 武藤は東京の有名私立大学の理工学部、正木は関西の国立大の法学部だった。だが、お互いのことは小学生のころから知っていた。学校が同じになったこともなければ、近くに住んだこともない。それでも1年に何度か、練習試合や全国大会で顔を合わせた。言葉を交わしたこともなかったのに、お互いのことは誰よりも知っている、そんな気がしていた。

「K大の武藤がな、卒業試合やらんかって言って来よったんや」
 剣道部の同級生が声をかけてきたのは、大学の卒業式のリハーサルの最中だった。
「お前、知り合いだったのか?」
 正木は驚いた。武藤は無口な男で、愛想も悪い。優勝しても笑っている顔を見たことがない。もっとも、きりっと吊り上った眉と切れ長の目を細めるようにして、いつも相手を威嚇するように睨み付けているようなあの顔で親しく語りかけられても、楽しく会話ができるような気がしない。
「直接は知らんけど、あっちの剣道部に俺の高校時代の後輩がおるからな」
 へぇ、とだけ答えた。
「武藤の奴、こないだの学生大会でお前に優勝を掻っ攫われたのが悔しいんやろ」
 二人の力は五分五分だった。だから勝つことも負けることもある。次の試合でリベンジすればいいだけのことだ。
「ええでって言っといた。明日、来よるわ。予定、空けとけや」
 K大の卒業式は昨日終わっていた。武藤は神戸に住む親戚に卒業の挨拶をするために関西に来る予定で、そのついでに正木たちの大学に寄るのだと聞いた。
 そして、正木の大学の卒業式の前日、武藤は剣道部の仲間数人と一緒に、本当にやってきた。武藤は防具袋を肩にかけたまま、他の誰にも目も向けることなく、まっすぐに正木のところに大股に歩いてきた。剣道着以外の格好で会うことなどなかったからか、10センチほどの背丈の差がやたらと大きく思えた。
「よぉ」
「あぁ」
 挨拶はそれだけだった。

 大学の道場に案内し、親しく語り合う言葉も少ないまま、先鋒・中堅・大将と3対3の団体戦を始めた。正木と武藤はもちろん、いつものように大将同士だった。1:1で迎えた試合が始まるころには、当大学の有名人、正木貴博と互角に渡り合う関東の猛者を一目見ようと、噂を聞きつけた剣道部以外の学生たちも道場に集まっていた。
 周囲のざわめきの中、武藤は全く何にも動じることもなく、というよりも周囲には正木以外の誰もいないかのように、正木だけを見ている。正木もただ武藤を見つめ返していた。普段の武藤は、もっと闘志をむき出しにして威嚇するような、そして闘う前から獲物は完全に仕留めたとでもいうような自信に満ちた目で正木を見ていた。
 だが、今は恐ろしく静かな目をしている。
 手ぬぐいを頭に巻くとき、ほんのわずか相手の顔が見えなくなる時間を除いて、視線が外れることはなかった。厚い胴着の下で肌が汗ばみ、体温が上がっているのが分かる。これからの試合の行く末に奇妙に緊張していた。だが、面をつけ、竹刀を握って立ち上がった瞬間、裸足の足の裏に道場の板の軋みを捉えて身体が重く沈み、一方で心が浮き立つように跳ね上がるのを感じた。

 合図で四分が始まる。
 中段で構え、竹刀の先をわずかに触れ合わせたまま、通常の試合なら、審判からの注意があってもおかしくないほどの長い時間、二人は全く動かなかった。観客も息をするのも忘れているかのように静かだった。いや、もしもどれほど賑やかだったとしても、正木の耳には何も聞こえなかっただろう。周りからは止まっているように見えるであろう竹刀の先は、二人だけにしか分からない、厳しい練習と実践で培われた自信や勇気、強い相手に向かうときの緊張や恐怖、時に降ってくる啓示のような静けさ、剣道に人生と青春をかけてきた熱情、そういった諸々で微かに震え、まだ幼いころから互いに闘ってきた試合のひとつひとつの記憶をこの刹那に流し込んで、全て呑み込んで小さな火花を散らせていた。
 多分、たっぷり三分は過ぎていたはずだ。
 いきなり武藤が真正面から面を打ち込んできた。
 正木は待っていた。竹刀で払い、身体を右に捌いて、前に踏み込んでくる武藤の右胴を狙った。もちろん、武藤はそんなことはお見通しだ。素早く身体を移動させ、正木の竹刀を捌く。
 その瞬間から激しい打ち合いになった。道場に二人の打ち合う竹刀の音だけが高く響いた。一瞬の隙もお互いに与えなかった。武藤の気合いの声が道場の壁にぶち当たる。正木も答えた。汗が目の前で飛び散る。
 武藤が近づく。小さな鍔迫り合い。あの目が正木を捉える。正木の目も武藤を捉えた。

 その試合の勝敗はつかなかった。心の行方も決め所がなかった。
 どういう経緯で武藤の親戚が経営しているという三宮の店に辿り着いたのか、よく覚えていない。卒業試合と勝手に名づけられた対戦のあと、両校のメンバー同士は打ち解けたようで、無言のまま飲んでいる武藤と、周囲に一応は相槌を打っているものの静かな正木を除いて、完全に酔っぱらって大騒ぎになっていた。
 正木は手洗いに立った。
 個室だからいいようなものの、あの騒ぎはこの店にはそぐわないようだ。
 ほとんど満席の店内のオープンフロアの席を占めているのは、一癖も二癖もありそうな顔つきの男たちで、優雅に煙草あるいは葉巻を燻らせて、男同士で額を突き合わせるようにして秘密めいた会話を交わし、あるいはウィスキーグラスを傾けながら女性の露わな肩を抱き寄せている。
 一体、武藤の親戚ってどういう人物なんだ。
 いや、そんなことより、明日は卒業式だ。どの辺りで切り上げたらいいものかと考えながら、用を足して手洗いを出たところで、正木は驚いて足を止めた。

 武藤が壁に凭れて立っていた。視線が絡み合った瞬間には、正木の背中を何かが撫でていった。冷たくも熱くもある何かが、肌の上を這っているような不思議な感覚。皮膚の下が泡立つような気配。
「付き合え」
 武藤の低い声が正木の耳から体の中に這い込み、五感の全てを鋭くし、身体の内側からすべての肌を震えさせた。上着や荷物がどうとか、聞く暇もなかった。武藤は先に歩き始め、正木は一瞬ためらったものの、結局武藤について行った。
 北野坂を上がった小さな古いビルに武藤は入っていく。背中は問いかけを完全に受け付けていない。もっとも正木も聞く気はなかった。味気のないコンクリートの狭い階段を四階まで上がり、スラックスのポケットから取り出した鍵で緑の扉を開ける。
 玄関に入り、背中で扉が閉まった瞬間、武藤の大きな手が正木の顎を捕まえた。いきなり唇が塞がれる。そしてそのまま何の躊躇いもなく、僅かな時間をも惜しむように、舌が唇の間から滑り込んできた。
 予想外だったわけではなかった。試合の最中からこのことは始まっていたと思えた。いや、昨日、武藤が来ると聞かされた時から、こうなることは分かっていたような気がした。もっとも、もしもいきなり殴られても予想外ではなかった、と思ったかもしれない。妙なことに、何をされても構わない心境だった。
 窓には赤いカーテンが引かれていた。低いベッドの上の白いシーツも赤く染まっていた。そして正木の肌も赤く染められた。

 言葉一つもないまま、求められた喜悦に身体を開いた。
 自分でもどういう感情だったのかよく分からなかった。面金の向こうの武藤の目に捉えられた瞬間の快感、気合いの叫びに飛び散る汗や唾液の絡まり合う興奮、軽く触れる、あるいは強く痺れるほどに打ち合う竹刀の先から伝わる武藤の手の感触。厚い胴着の下の肌はいつも武藤の体温を感じていた。それがそのまま、今直接正木の肌に触れている。武藤の汗ばんだ掌が正木の肌を滑り降り、正木の最も敏感な部分に触れ、やがて更に熱い粘膜が正木を包み込む。武藤は、試合の最中と同じように容赦はなかった。激しく吸い、抑え込み、躊躇うことなく強く正木の身体を貫いた。
 正木の方にも疑問や躊躇いはなかった。それでも、さすがにこれまで経験のない痛みにはずり上がった。その瞬間だけ、正木は武藤の名前を叫んだ。止めてほしかったのか、少し時間か情けが欲しかったのか、あるいは武藤を求めてのことだったのか、自分でもよく分からない。
 武藤の押し殺すような喘ぎが身体の上から落ちてくる。武藤の腰が正木の身体を打ち据え、奥まで容赦なく突き進む。身体としての快楽はなかったのに、正木ははっきりと自分が武藤を求めていることを自覚した。腹の奥の方が、武藤の男を求めて締め付け、唸るように震えた。心というものが身体の内にあるのなら、それがそのまま武藤を銜え込み、ただ欲しくて欲しくてたまらなくて哭いた。
 自分の身体の上で跳ねるような武藤の動きを受けとめながら、ふと目を開けると、カーテンの色が青く変わっている。ネオンの色だったのかと、改めて気が付いた。武藤が唇の端を吊り上げるように笑ったような気がした。武藤の汗が正木の首筋に落ちてくる。正木は目を閉じ、武藤の首に腕を回し、引き寄せた。

 そのまま少しの間意識を失っていたようだった。正木の意識を振り戻したのは、武藤がライターを打った音だった。
 武藤は素っ裸のままベッド脇のソファに座り、テーブルの上に置かれた大きなクリスタルの灰皿の上で、何かの紙を燃やそうとしている瞬間だった。
 その紙に書かれた文字を見て、正木は飛び起きた。
「気でも違ったのか」
「もういらねぇからな」
 正木は武藤の手からその厚い紙を奪い取った。
 卒業証書。
 武藤は仕方がないというようにテーブルの上の煙草を取って、一本咥え、火をつけてひとつ吹かした。そして顎で自分の隣を示す。同じく素っ裸のまま正木は武藤の隣に座った。吸いつけた煙草を譲られて、正木は素直に受け取り、焼き捨てられることを免れた卒業証書をテーブルに置いて、武藤の身体を満たしたはずの煙を深く吸い込む。
 理由を聞くべきだった。だが、正木は武藤のことを何も知らない。ただ面金の向こうの目を知っているだけだ。熱く絡み付くあの視線と、そして試合の最中いつも感じていた体温が現実の肌の熱さだったということだけしか、知らない。
 武藤の滑らかな肌の上で、ネオンが赤と青のまだら模様を織っていた。

「警察官になるそうだな」
 聞かれて、正木は短く、あぁとだけ答えた。
「似合いそうだ。剣道のためか」
「いや。死んだ親父が警察官だった」
 ふん、と武藤が鼻の奥で音を鳴らした。
 正木が卒業証書を燃やそうとした訳を聞こうとした瞬間、まるでそれを遮るように、武藤がさっき正木を抱いた逞しい体をソファに預け、呟いた。
「桜が見てぇな」
 桜という言葉の前に、もう一つ、武藤の唇の奥で音が鳴った気がしたが、聞き取れなかった。さ……
「桜?」正木は煙草をもう一つ吹かした。「残念だが、桜には早い。沖縄か高知にでも行きゃ別だが」
 そうだな、と武藤が小さく呟き、頭の後ろに組んだ手を回して目を閉じる。いかついが、端正な顔をしている。微かに笑っているような唇の形のまま、閉じた睫毛が微かに震え、濡れているように見えた。
 ネオンの光のせいだったのかもしれない。
 だが、ただそれだけのことで、正木は唐突に湧き出した愛しさ、あるいは懐かしさのようなものを、どこへ持っていけばいいのかわからなくなった。
「見せてやろうか」
「まさか高知に行くのか」
「神戸市内」

 不思議そうな顔の武藤を連れて、真夜中のタクシーを拾い、深江まで走らせた。武藤は黙って外を見ている。三宮の街を離れ、幹線道路を外れると辺りは真っ暗で、海辺に近付くころには冷え込んだ外気がタクシーの中まで入り込んでくるようだった。武藤と正木は、後部座席で無言のまま、互いに反対の窓から外を見ていた。
 やがてタクシーが停まり、こんなところで降りてどうするのだという顔の運転手に金を払い、先に降りた武藤がタクシーの扉に手をかけたまま暫く動かないでいるのを感じて、正木は武藤の腰をつついた。
 タクシーが走り去った後、町はずれのまるで人気のない暗がりの中、二人は低い柵の向こうに白く淡く浮き上がる花の、幻のような色を見つめていた。
 風が強く吹き付けた。舞い散る花びらが、彼らのところまで届いた。武藤が掌に一枚を受ける。その花弁はしばらく武藤の掌の上に収まっていたが、すぐに風に流された。
「アーモンドの花だ。お袋が好きな花だった」
 正木はそう言いながら、ひょいと柵を乗り越えた。武藤もついてくる。
 しばらくの間、二人は桜よりも幾分か低いアーモンドの木々の下を、黙ったまま歩いた。二人の間にひらひらと花弁が落ち、あるいは風に舞いあがる。見上げると暗い空の下で、遠くの道路や橋の明かり、あるいは天からの何かの光を吸い込んで、木々に宿る灯りのように白い花の塊が揺れている。
「まるで桜だ」
 武藤が低い声で言い、一番大きなアーモンドの木の下でいきなり正木を引き寄せ、頭を肩に抱きよせた。
 首筋に、武藤のにおい、いつも面金の向こうから伝わってくる温度が漂い、正木はそれを吸い込んだ。冷え込んだ海辺の風の吹く中で、正木の身体には熱がこもった。
 武藤、と呼びかけた正木の唇を塞ぐように、武藤の唇が触れ、そのまま舌が縺れた。この武藤の舌の味は、もうずっと前から知っていたような気がした。
 舌がさらに奥へ入り込んでくると、正木の腰は震えた。それを知っているかのように、武藤の手が正木の尻を強く自分の方へ引き寄せ、二人は身体を密着させて舌を求め合った。
 正木の頬に何か冷たいものが触れていった。
 最後に桜が見たい、確かにあの時、武藤はそう言った。

 そして武藤は、正木を柵の内に残し、先に柵を越えた。
 正木が続いて柵を越えようとしたとき、武藤の手が正木を止めた。
「ここで別れようぜ」
「何を言っている?」
「お前がその柵を越えたら、俺はお前を連れ去りたくなる」
 正木は武藤の目を黙って見つめ返していた。闇の中で、武藤の目は光を吸い込んで揺れて見えた。
「いい思い出ができた。いや、クサい言い方をすりゃ、これまでもずっとお前は俺の青春の全てだった。今日、それを確かめることができた。無理やりで悪かったな」
 一度言葉を切って、武藤は目を逸らさないまま、続けた。
「ありがとうな」
 そしてそのまま正木に背を向け、歩き去ろうとする。
「待て、俺の言うことも聞けよ」
 愛の告白などする柄でもない。そもそも愛かどうかも分からない。だが何もかもこれからじゃないのか。せめて俺の気持ちくらい確かめろよ。
 訳が分からず正木は柵を越えて追いかけようとした。
「正木」
 背を向けたまま武藤が呼びかける。
「今はまだその柵を越えるな。追いかけてくる気があるなら、せめて四年後にしてくれ」
 正木は足を止めた。
「四年後?」
 武藤は背を向けたまま空を見上げる。
「もしよかったら、俺の卒業証書、預かっといてくれ。今度は本物の満開の桜の下で、お前の言葉を聞く。お前が、これからお前の属する世界に疑問を感じて捨てる気になっていたら、あるいは、もしかして気が変わっていなかったらな」
「気が変わる?」
 武藤が振り返った。その時、正木は初めて武藤の笑顔を見た。愛想のない厳つい顔に、意外にも笑顔は似合っていた。それに、こいつはこんなに言葉を話すのかと驚いてもいた。
「お前、俺に惚れてるだろ?」
 そう言った武藤の手から放り投げられた何かが、暗い空の中で光を放ち、正木の手元に収まった。
 あの部屋の鍵だ。
 そしてまだあっけにとられたままの正木を残して、武藤は笑い捨てるようにして背中をわずかに丸め、軽く手を挙げてそのまま歩き去った。
 惚れてるぞ。しかも小学生の時からだ。どうだ、びっくりしたか。一言も話したことがなかったのに、面金から覗くお前の目にぞっこんだったんだ。ちくしょう、振り返りやがれってんだ。四年後ってなんなんだ。答えろよ。俺のケツの童貞を奪っておいて、勝手に話を決めるなよ。
 心の中で正木は小さくなる武藤の背中に向かって叫んでいた。なのに、混乱し切羽詰った心は、声にならない。武藤の背中が、今は聞くなと告げていたからだ。
 正木は自分の手元に視線を落とした。
 見つめる掌の銀の鍵の上に白い光が揺れていた。その鍵の上に淡いピンクの花びらが落ちてくる。見上げると、白み始めた空から降り注ぐ恵みの雨のように、アーモンドの花弁が正木の視界いっぱいに降り注いだ。

 四年後……その時のその花は、今見上げている花よりも艶やかだろうか。
 正木は掌の鍵を、逃がさないように、淡いピンクの花ごと握りしめた。

                                了

アーモンド2
アーモンド1
アーモンド3



えーっと、一応、Happy End?のはず。
気持ちが伝わったので。
実はこれ、4年後も書いていたのです。それでまた10000字になりそうだったので、途中でバッサリしました。
というよりも、アーモンドのシーンはもともと4年後のシーンだった。危ない危ない。
無駄に長くなるところでした。

お察しの通り、武藤さんのご親戚は兵庫県神戸市の新神戸駅近くにある、さるお屋敷の筋の方……なのでしょう。
そして、なぜ4年後?
これは、もしかして続きを書く日が来れば、その時ということで。
反響があれば?書く気になるかもしれませぬ…^^;
いえいえ、決して、「読みたい」の一言を強要しているわけではないのです^^;^^;
そもそも前後篇にしてもいいようなお話だったので……
あとは、私のモチベーションをどなたか上げてくだされば…^^;^^;^^;^^;^^;

そうですね。単発なのに、伏線を張る癖が抜けないから、長くなるんですね。
反省を次回の肥やしにします(__)

さて、このラストのシーンの舞台は、神戸市東灘区の東洋ナッツの会社の敷地。
毎年3月末に、アーモンドフェスティバルが開催されています。
写真はその時に撮ったものです(^^)
比較のために、下は青森県弘前城の桜。毎年GWに津軽☆三味線大会に行くのですが、年によっては満開の桜にあたるのです。
でもやっぱり桜のほうがゴージャスなんですね…
4年後、正木と武藤が満開の桜の下で……(#^.^#)

桜1



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Category: その他の掌編

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【掌編】月へん(ちょっと純文学) 

実は、八少女夕さんのブログ(Scribo ergo sum)を何度か訪問させていただいていて、お勧めされていたStellaさん(星たちの集うskyの星畑)に投稿してみようかと思ったものの…
ちょっと描写(単語)がどうなのか、18Rとか18禁ではないのだけど、微妙なのかな、と躊躇いもあったりして。

ちょっとお伺いを立ててからにしようかとも思ったりしています。

実はこれは、もう10年以上も前に私が文章教室で書いた下手な掌編。
下手なりに、何だか懸命さが見えて、ちょっと懐かしくなりまして。
改行や単語を少し直しましたが、全体の雰囲気は変えたくなかったので、あえて大きな変更なく公開してしまいます。

これはお題があって、お題に対して書いたもの。
この時のお題は『月』。何だか、宮中のお歌の会みたい…^^;
彩色みおさんのSSでは、お題が3つもあって、ものすごく頭をひねります。
こちらはひとつ。さすがにひとつだと、私にしてはかなり短い6387字!
確か、原稿用紙10~15枚という指示だったような記憶が。
でも、登場人物の関係性が限定されていないという自由さと掴みどころのなさがあり、結局難しいのは同じですね。

以前に書きましたが、これが先生に『詰め込みすぎ』と言われた代物です。
もう少し、さらりと使えと。
もう、月、月、月…とやりすぎて、ちょっと下品だったらしいです^^;^^;
自分ながら、何だか一生懸命の作品で、ちょっと『自分で自分を褒めたい』世界だったんですけど…

ここに出てくる詩は、本当に私が予備校の教科書で出会ったもの。
引用したのはその詩の一部なのですが、この部分を読んだとき、本当にS台の教室の中で鳥肌が立った。
貧しい海辺の家で、両親とも働いていて家を空けているのか、他に人の姿はなくて、飯を炊く匂いがしている。そこに赤ん坊が一人、小籠に座って、おそれを知らず、微笑んで海を見ている…という詩。
詩人は伊良子清白。詩は『安乗の稚児』
志摩の村で、僻地診療に生涯をかけ、往診に向かう途中亡くなられたという医師かつ詩人です。

私の掌編はともかく、この詩を紹介したかったので、ちょっと恥ずかしいけれど読んでいただけると幸いです。



【月へん】

 ご遺体からそれが出てきたのは、五月の祭の日だった。

 北原冬真は、祭の高揚感など全く届かない二階の教室で、周囲から『四季』と呼ばれているグループのメンバーと一緒に、終わる気配の見えない作業を続けていた。
 キャンパスの一番奥にある、古く堅い色をした棟は、一級河川に面している。この部屋に入った時間には、窓枠で切り取られた河川敷に、若い葉に目一杯の光を跳ね返した桜の木が並んでいるのが見えていた。今は同じ枠の中で、低く黒い山の影を背景にして、川向こうにある別の大学の荘厳な四角い影の中に、窓明かりがぽつぽつ浮かび始めている。

 硬質の台が並んだ広い教室には、『四季』のメンバーの他は、一組が残っているだけだった。彼らがいつも遅くまで作業をしているのは、丁寧で探究心が強いからだ。しかし、『四季』のメンバーが遅いのは、真面目にやっていないからだ。
 冬真は、切れ味の悪い鋏や、手袋の中の冷たい汗に苛つき始めていた。何より、遺体の顔が目に入る度に、胃の中がかき回されるような感じがする。鼻の形が似ている、などと誰かが言い出さないか、いつも気になっていた。

「ちょっと煙草、吸ってくるわ」
 茶髪でピアスをしている京谷通秋が突然、攝子とメスを置き、脱いだ手袋を裏返しに掴んで立ち上がった。京谷は開業医の息子で、ルックスは悪くないし、バンドでベースを弾いていて、隣接する看護学校の学生にも人気がある。しかし、どこか軽薄な感じがして、冬真にとっては苦手なタイプだった。京谷はついさっきまで億劫そうな表情で、台の上に重く横たわるご遺体の、ある部分を観察していた。

 一時間前に同じ事を言って出て行った蒲田嗣春は、まだ戻ってきていなかった。蒲田は明らかに体力勝負の学生で、テニス部の次期部長候補である。好感度は学年一だが、声が大きすぎてがさつな感じがする。
「ちょっと、冗談じゃないわ。もういい加減、終わらせましょうよ」
 きりっとした口元に、細長い目に長い睫を持った金原爛夏は、昨年の学生着物美人コンテストで優勝した、料亭のお嬢様だ。性格はきついし、女子の友人がいるようには見えない。金原はさっきまで、京谷の手元を直視できずにいたが、今度は彼を真っ直ぐに見て文句を言った。その瞳に熱っぽいものが浮かんでいる。
 偶然だが、名前に春夏秋冬が入っているので、『四季』と呼ばれているのだが、この作業が始まって一ヶ月、チームワークが発揮されたことなど一度もなかった。

 丁度そこに、蒲田がコンビニの袋を提げて戻ってきた。
「おう、ちょっと休憩しようや」
 爽やかに大声を上げて、すでに休憩は十分取ったはずの蒲田がメンバーを誘った。
 蒲田は解剖学教室の眼鏡をかけた女性助手に頼みこんでいる。彼女は迷惑そうな顔のままだったが、蒲田の勢いのある愛想の良さに負けて、研究室の電気ポットのお湯を、四つのカップラーメンのために分けてくれた。

 このままだと自分の頭もホルマリンで固定されそうだったので、休憩は悪くなかった。冬真は蒲田の後ろに続いて、教室の裏手から河川敷に沿った広場に出た。
 始めは反対していた金原も、蒲田の勢いには巻かれてしまったようだ。トイレに寄ると言った京谷の分もカップラーメンを持って、おとなしく後ろをついてきた。
 金原は、自分たちのご遺体が比較的若い筋肉質の男性であることに、羞恥と不満を感じているような気配があった。一人で解剖室に残されたくなかっただけなのかもしれない。

 薄暗い中に、石のベンチが二つ、少し離れて川に向かって並んでいる。蒲田がそのうちのひとつに座った。冬真は、等間隔の法則に従い別のベンチに座ろうとしたが、蒲田に手招きされて、彼の隣に座ることになった。
 気、きかせろよ。
 蒲田が冬真の腕を肘でこついて、小さな声で言った。
 金原は、戻ってきた京谷にカップラーメンを渡し、同じベンチに座る。冬真はちらりとその様子を盗み見た。薄暗闇の中で、彼女の頬がほんの少し赤く染まったように見えた。

「おい、三分過ぎてるぞ」
 蒲田の号令で、皆が蓋を開けてラーメンをすすり始めた。
「あー、うめぇ。何で解剖実習中のカップラーメンはこんなに美味いんだろ。この卵の黄色いの、実習が始まったら食えねぇって先輩が言ってたけど、ちっともそんなことねぇなぁ。お湯で膨らむと、確かに脂肪そっくりだよ」
 このデリカシーのない発言は、金原の微妙な女心に気が付いた男のものとは思えない。金原はさすがに蒲田を睨んだ。それでも四人とも、卵も残さず、スープまで飲みきった。

 口頭試問が近いので、ノルマまでは進めなくてはならないはずだが、教室に帰る気がしなくて、ベンチに座ったまま空を仰いだ。暗い空に薄黒い雲の輪郭が厚く押し付けられている。そのうち、蒲田が口頭試問の予行演習しようぜ、と言い出した。
 いつものように表情がはっきりしないままの京谷が、ラーメンを食べていた箸で、地面に骨の絵を描き始めた。骨に続いて、臓器、血管まで、あっという間に河川敷の電燈の下に、かなり精巧な人体の地図が広がった。京谷にそんな才能があるなんてのは驚きだった。

 ひとつひとつ声に出して、人間の身体の部分につけられた名前を挙げていく。そのうち、英語と日本語の名称を、地面に書いては消すようになった。
「鮨屋のネタが魚偏なのは当たり前として、何で人間の身体のパーツには月偏がついてるんだ?」
 恥ずかしくもでかい声で蒲田が言うのに、冷たい声で金原が答えた。
「馬鹿ね。月偏じゃなくて、人体の部分の場合は、にくづき、って言うのよ」

 いつの間にか、地面に描かれた古代の壁画のような人体の輪郭が、薄明かりに揺らめいている。見上げると黒い雲の上端に光の縁取りができていた。
「そう言えば、今日は満月よね」
 金原が言った途端に、雲の向こうから光の矢が飛び出した。思わず空から目を逸らすと、京谷が地面に男性器を描いているのが目に入った。それは、たった今天空を支配した新しい光と、人工の薄暗い電燈の明かりによって、幾重にも陰影を揺らめかせ、随分と生々しく見えた。
 あまりの事に、金原は呆然としていたが、さらに京谷はポケットから何かを取り出して、ペニスの絵の上に置いた。

 それは白く鈍い光を跳ね返す小さな球で、地球に落ちた天体の欠片のようだった。白濁した球は天の光を映して、輝き始めるように見えた。
 蒲田が屈んで、徐にその球を人差し指と親指で摘むように拾い上げ、すっかり姿を現した天の球体にかざした。ふたつの球体が三十八万キロメートルの距離を越えて重なり合う。
「これ、真珠か?」
 京谷が無表情のまま答えた。
「さっき、ご遺体から出てきたんだ」
「マジかよ。あそこから? ヤっちゃんが女を悦ばすのに入れるってやつかよ。そういや、背中にごっつい三日月型の傷があったな。やっぱり、ヤっちゃん?」
 冬真は思わず、蒲田の手から真珠をもぎ取った。
「何するんだ」
 真珠には熱があるようだった。
 冬真はその真珠を手掌に受けたまま、他の三人に背を向けた。
 なんて事なのだろう。よりにもよってあの男はこんなものを入れて、あの女を悦ばせていたのか。


 数度に渡る解剖学の口頭試問と筆記試験を無事に乗り越えて、『四季』のメンバーは無事に単位をもらって夏を迎えた。夏休み直前の日曜日、いち早く運転免許をとっていた蒲田が運転席に座り、『かね原』という屋号がついたワゴン車は、伊勢の安乗に向かっていた。
 解剖実習を終えたら行く、というあの日の約束が今日実行に移された。明らかにお節介な蒲田はともかく、京谷や金原が付き合っている理由はよくわからなかった。第一、実習中に『四季』のメンバーに友情が芽生えた気配など、感じなかった。
 夏の大会の前だったので、どうしても午前中はクラブに出るという蒲田の都合で出発は昼になり、安乗の漁港に着いた時は、既に陽が傾き始めていた。

 狭い村の中では、『三村咲月』という女性の住まいは直ぐに知れた。
 その家は、海辺に建つ掘建て小屋のように見えた。青く薄暗くなっていく海を背景に、黒いシルエットとなった小さな家の薄く開けられた窓からは、甘い香りを漂わせて、米を炊く蒸気が零れ出していた。
 玄関口で、いつものように大きな声で蒲田が呼びかけたが、返事はなかった。冬真は居心地悪く、蒲田の後ろに隠れるように立っていた。

 その時、家の脇に廻った金原があっと声を上げた。
 皆が脇に回って金原の視線の先を見ると、砂地の地面に直接、大人が両手で何とか抱えられるくらいの籠が置かれていた。
 金原が叫んだのは、籠の中に赤ん坊が見えたからだった。
『四季』のメンバーは暫く会話なく、白い着物に包まれた赤ん坊を見つめていた。赤ん坊といっても、もうそこそこ大きく、この世に生まれ出てから半年以上は経っているようだ。
 赤ん坊は彼らの気配を感じた様子もなく、一人で海に向かい、微笑んでいた。
 黄昏時の空の下、何と語り合っているのか、静謐とも思われる空気を纏い、時には空に向かってさし上げた自分の手をじっと見つめている。
 少し向こうの方で、座ったまま首を伸ばした犬が、四人を窺っていた。

「あの、うちに何か?」
 いつの間に戻ってきたのか、粗末な灰色のブラウスを着て、長靴に漁師用の黒いエプロンをつけたままの女性が、彼らの後ろから声をかけてきた。女性は振り返った四人の顔を順番に見つめ、それから確かめるように冬真に話しかけた。
「あなた、冬真くん?」

 三村咲月は彼らを家に招き入れ、何もないけど、と言ってお茶を出してくれた。
 彼女は若くはなく、もう四十になっているはずだった。咲月の傍らに置かれた籠の中の赤ん坊が彼女の子供なら、随分な高齢出産というわけだ。それに美人とは言いがたく、隣に学生着物美人コンテスト優勝者が座ると、みすぼらしいほどだった。
 咲月は『真珠』を受け取り、右の親指と人差し指で摘まんだ。その節くれ立った指は太く、指輪なんて似合わないだろうと思えた。
「そうなの、こんなものが」
 咲月は不思議そうに珠体を見つめ、真実の真珠は薬品でも変形しないって本当なのね、と呟き、それから微笑んだ。
 その顔は、あの赤ん坊の表情と同じだった。

「脳溢血で倒れる前、あの人、時々鬱ぎ込んでて、ある日、私を悦ばせるんだって出掛けていって。帰ってきてから、幾夜も頑張ったのよ。私ももう長い間そういう悦びを感じたことなんてなかったけど、あの満月の夜は、きっと受精するって思った」
 生物の普通の営みを語るように、さらりと咲月は言った。
 四人を送り出して家の外に出たとき、咲月は冬真を呼び止め、天空の光をその両眼のうちに映して、海鳴りに負けじと思うのか、大きな声で言った。
「申し訳ないとは思ってないわ。でも、あなたが大学に受かったって聞いたとき、あの人、何も言わなかったけど、一人でこの浜に座って、海に向かってお酒を飲んでいた。海の上には満月が昇ってきて、あの人の影は光に浮かび上がる仏のようだった。あの人が、自分が死んだらあなたの入った大学に献体するって遺言を書いたのは、その日のことだった。まさか、本当に直ぐに仏になって、直接自分の息子の将来に役に立つとは思ってなかったでしょうけど」


「お前って、意外に苦労してたんだな。何も言わないし、いつも人を観察してるみたいで虫が好かなかったけど」
 珍しく、蒲田の声を耳障りに感じなかった。
『四季』のメンバーは誰が言い出したわけでもなく、季節順に浜に寝転んでいた。もうすっかり夜になっていて、彼らの足の伸びるずっと先の海から、月が昇ってきていた。
「しかも、世の中ってびっくりするような偶然があるのね」

 もっとも、冬真が小学生の時に愛人を作って家を出て行った父親の記憶は、あまり明確ではなかった。だから、実習が始まって、初めて黙祷をし、遺体の入った袋を開けたときも、直ぐには気が付かなかった。気が付いたのは、肩から背中の傷の瘢を見た時だった。その大きな三日月型の傷は、海に行ったときに岩場で足を滑らせた息子を助けようとして、背中から岩に落ちたときにできたものだった。
 それからは、遺体に自分と似た部分を探すようになっていた。
 父が亡くなったことを母は知っていたようだが、冬真には何も言わなかったのだ。母は安乗まで一人、葬式を『見に』行っていた。
 享年五十二、死因脳出血。
 母から聞きだした情報は、解剖学教室の台の上の遺体につけられた札のプロフィールと同じだった。

「ネアンダルタール人とクロマニヨン人の間には、ミッシングリンクがあるんだ」
 突然、京谷が言った。間の抜けた声で蒲田が聞き返す。
「ミッシングリンク? 何や、それ」
「それって、バンドのオリジナルで歌ってる曲? サビが『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』ってやつでしょ」
 さすがに、金原は京谷の歌をよく知っていた。
「人類の祖先を辿ると、直接の先祖はクロマニヨン。でも、クロマニヨンの前には繋がらない。ネアンダルタールは遥か昔に分かれて別の道を行った遠い親戚。でも、クロマニヨンの前には誰もいない。クロマニヨンはどこから来たのか。人類はどこから来たのか。あの月か。だから月が懐かしいのか。だから僕らの身体には、たくさん月の欠片があるのか」

 はっきり言ってあまりいい歌とは思えなかったが、京谷はなかなかの美声の持ち主だった。海鳴りをバックに、ラップ調のその曲は大した盛り上がりもなく淡々と響いたが、古の太鼓の音が背中の大地から突き上げてくるような感じがした。
「そうか、それで月偏なんだな」
「だから、人体の場合は、にくづきだって」
 蒲田と金原のやり取りに、京谷が歌とは違ったトーンの、ぼそぼそとした声を被せた。
「でも、朧とか朦とか朗は、月偏なんだよな。ぼんやりとした感じとか澄んでいる感じとか、そういうのは。それと人体を表す漢字の部首が同じってのは、何だか不思議だよな」

 ふと、小さな頃に父に連れられて行った、海辺の村の光景を思い出した。
 月が光を落とす海に漂う白い影。それは天と海を繋ぎ、揺らめきながら浜辺に伸び、やがて海から上がってくる女性の姿に変わっていった。
「さっき、赤ん坊が籠の中で笑っているのを見たとき、あ、こいつは知ってるんだって思ったよ」
 京谷は妙なことを考えている奴だった。妙だけど、きっと何か真実に近いことを。
 冬真はちらりと京谷を見た。
 あれは本当に真珠だったんだろうか。京谷は、本当は何かを知っていたのかもしれない、と思った。

「私も。さっき赤ちゃん見たとき、予備校の教科書に載っていた詩を思い出したの。それって、私たちの大先輩の医者が書いたもので、しかもまさにこの安乗が舞台で。その詩を読んだとき、見たことのない景色に取り込まれていく感じがした」
 金原は、予備校のときいつも窓際の席に座っていた。あの頃からとても綺麗で、いつも冬真の視界の隅っこは彼女が占拠していた。この詩を、色気のない教科書で見たとき、思わず窓の方を見た冬真は、窓際で金原も同じように、夜の空の向こうにその景色を描いていることを感じた。
「稚児一人小籠に座り、微笑みて海に向かえり」
 冬真が歌うように呟くと、京谷の向こうの金原は寝転んだままふっと冬真の方を向いて微笑み、それから上半身を起こした。
「見て」
 金原の言葉に皆が起き上がり、彼女の手が指す方向を見た。
 遥か海には遠い故郷からのメッセージが、光の帯となって降り注ぎ、揺れさざめきながら、まっすぐ冬真たちの足元まで伸びてきていた。
 彼女の手は、遠い昔、海から現れた女性の手と同じ彼方を指していた。その人の指は節くれ立っていて、とても指輪など似合いそうになかったのに、そこには光のリングができていた。

 ねぇ、冬真くん、生物の営みには月の引力が必要なの。珊瑚も満月の夜に一斉に産卵するのよ。でも、どうしてその日が満月の夜だって分るのか、不思議でしょう。私たち女は月のサイクルを持っているのよ。
 そう、私たちはみんな、知っているのよ。

(【月へん】了)
……月偏、月の欠片(月片)、月についての掌編(月篇)……


参考までに、詩の全部ではありませんが一部を。

とある家に飯(いひ)蒸かへり
男もあらず女も出で行きて
稚児ひとり小籠に坐り
ほゝゑみて海に対へり

荒壁の小家一村
反響(こだま)する心と心
稚児ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほゝゑみて海に対へり

(伊良子清白『安乗の稚児』:岩波文庫『孔雀船』より一部抜粋)

*稚児について
実はこの詩に初めて出会ったとき、私は何の疑問もなく、これは籠の中に入るくらいだから、赤ちゃん、と思い込んでいました。この掌編を書いた時も、そう信じて疑っていなかったと思います。
今考えると、実はもうちょっと大きい幼児なのか?と思ったりもして。
ただ、赤ん坊が恐れも知らず、私たちには見えない何かを見て、それに向かって微笑んでいる姿をよく見かけるので、私の勘違い(あるいは勘違いではないかも)は満更悪くない、と思い、稚児=赤ん坊のままです。
清白先生が見られた稚児の年齢は……ま、想像ということで。
この詩で、まるで小さい子を放置しているみたいだけど、「反響する心と心」にとても深いものが込められているんですね。
自分の子供のころ、裕福ではなかったと思うし、両親はすごく働いていて、私は掘っ立て小屋みたいな事務所の小さい和室にほっとかれてて、よく三和土に落ちて頭打ってたけど…同じような世界の中にいたように思います。

Category: その他の掌編

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【掌編】センス/ 3333リクエスト 

先日、3333Hit記念にリクエストを頂戴しました。
(1)シリーズとは舞台設定も登場人物も、あらゆる意味で関係しない、1500字くらいのワン・アイデア・ショートショート by ポール・ブリッツさん
(2)【海に落ちる雨】と逆パターンで真(またはマコト)がひょっこりいなくなって焦る竹流。コミカルでもシリアスでも by limeさん

そこでまず、ポール・ブリッツさんから頂いたお題を書いてみました。
読んでいただいてわかるように、掌編って本当に苦手なんです。ポール・ブリッツさんのような、切れ味鋭いセンスあるショート・ショートは書けません^^; しかもワン・アイディアとも言えないような……
まずは、お読みいただけたら嬉しいです。





センス

 ふたりは向かい合って、赤く暗い部屋で三十七週間と三日を過ごした。
 ひとりは少し小さく、いつも不安だったので、時折誰かが部屋の外からそっと触れる音さえ聞き逃さないようにと思っていた。もうひとりは少し大きく、やはりいつも不安だったので、部屋の外からノックするような音が響くと身を縮めて耳を塞いだ。
 同じふかふかのベッドで眠っていたが、ふたりの間には少しだけ距離があった。それでも、時々互いの未完成の身体の一部が触れ合い、その時だけは不安が少し和らいだ。

 そしていよいよ、暗い部屋を出て、光の方へ進む日を迎えた。
 ふたりは初めて光を見た。
 ついにその時、光の中に投げ出されようという一瞬に、彼らに語りかける声があった。
「次の世界では、お前たちは見て、聞き、味わい、嗅ぎ、触れることによって世界を感じることになる。しかし、その感覚を受け取る脳には、そのすべてを一度に処理するだけの能力がない。そこで、望むならば何かひとつだけ特別に優れた感覚を授けることができるが、如何に」

 小さいひとりは、初めて見た光が怖かった。誰かが部屋の外から触れる音がもっともっと聞こえればと願った。そこで、優れた聴覚を望み、オレッキオと名付けられた。
 大きいひとりは、いつも部屋をノックする音が怖かった。今この先にある光は眩く、それをあまねく見ることができればと願った。そこで、優れた視覚を望み、オッキオーネと名付けられた。
「ただし、より優れたものを望めば、他のものを犠牲にしなくてはならないが、それでもよいか。ただありふれた五つの感覚を持つこともできるが、如何に」
 より優れた能力があれば、それによってより優れたものが手に入ると、ふたりとも信じて疑わなかった。

 オレッキオの優れた聴覚は、何キロメートルも離れた湖のそよぎ、吹き渡る風が揺らす花の囁き、熟した実が落ちて枯葉に触れるキスを聞き分けた。交響曲を奏でるひとつひとつの楽器の音色を聞き分け、その調和を楽しんだ。
 オッキオーネの優れた視覚は、昼間でも遥か天空の星を探し、海の底で光を跳ね返す小さな魚の鱗を見分け、暗闇の中でも生き物たちの放つ微かな光を見つけることができた。絵画の中の小さな色の違いを見分け、その共演を美しいと感じた。
 ふたりは、自分の能力こそがより優れていると信じて疑わず、また感じる世界があまりにも異なるために、同じ場所から生まれ出たにも関わらず、お互いのことをまるで理解できなくなり、離れていった。

 やがて成長したオレッキオの聴覚は研ぎ澄まされ、何キロメートルも離れたビルの中の諍いや陰謀の声を聞き、原子炉の底で大地を揺るがす不穏な音を聴き、やがて人の身体の内側で育つ醜い細胞のうごめく音さえも聞こえるようになった。音楽は調和を失い、ひとつひとつの楽器は自分自身を主張し、ただ煩い騒音が、起きても寝ても耳を震わせた。
 やはり成長したオッキオーネの視覚も研ぎ澄まされ、何キロメートルも先で起こった残酷な殺人を目撃し、空に昇って行く穢れた粒子までも網膜に写し取り、口にしようとする野菜や肉の中でうごめく細菌までも見えるようになった。絵画の中の色彩は、溶け合うことなくそれぞれが存在を主張し、寝ても起きても網膜を刺激した。

 そして、オレッキオはついに、もう何も聞きたくないと願い、優れた聴覚を誇った耳を自ら潰した。聴覚を選んだオレッキオの視覚は十分ではなく、足元の石ころさえ見分けることが難しかった。オレッキオは闇の世界に閉じ込められた。
 そして、オッキオーネも、もう何も見たくないと思い、優れた視覚を誇った目を自ら潰した。視覚を選んだオッキオーネの聴覚は十分ではなく、そばを通り抜ける車の音さえも聞き分けることが難しかった。オッキオーネもまた闇の世界に閉じ込められた。

 それでも、オレッキオの拙い視覚でも、オッキオーネの涙だけは微かに見えた。
 オッキオーネの拙い聴覚でも、オレッキオの嘆きの声だけは微かに聞こえた。
 暗闇を彷徨うふたりはやがて再び出会った。

 ふたりには鋭い聴覚も、鋭い視覚も残ってはいなかった。けれども、そっと指を伸ばせば、互いの涙に触れることができた。ふたりは手を握りしめ合い、お互いの背中を慰めるように抱きしめ合った。
 ふたりは、優れた聴覚も優れた視覚も失った今でも、そよぐ風が頬に触れる優しさを分かち合い、肌に落ちる光の温もりを確かめ合うことができることに気が付いた。
 そして不思議なことに、ふたりで触れ合っていれば、もう失ったと思っていた未来が感じられ、この世界に生れ落ちて初めて微笑み合った。





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双子ちゃんのお話、大海Versionというわけではありませんが、脳の処理能力って限界があるよなぁ、一生懸命見ている時は耳はお留守だし、目を閉じたらいろんな音がしっかり聞こえるし、というのが発想の原点。
あ、発想と言うほどの内容じゃありませんでしたね……
すみません、何しろ、書けば長編になる大海の掌編って、ほんとつまんないですよね^^;^^;
ついつい起承転結を守ってしまって、突き抜けた魅力もなく……

あ、はい。最後は触覚が残ったって感じでしょうか。そして、実は、未来を感じるシックスセンスも。
(って、解説するなって!^^;)
で、題名を考えていたら、「樅の木は残った」が頭から離れなくて「触覚は残った」にしそうになり……
(どうしてもおちょくりたい大阪人)
で、嗅覚と味覚はどうなったの?とか聞かないでくださいね^^;
(次は4つ子でチャレンジ?)

掌編って、書いてみて、毎回がっかりするのです。
本当に難しい。ポール・ブリッツさん始め、掌編を書きまくっている方々の頭の構造が羨ましいです。
さらに、最初あまりにも短くなっちゃって、少し膨らませたら1800字くらいになっちゃいました。
ポール・ブリッツさん、こんなので許していただけるでしょうか。

参考までに、
オレッキオはイタリア語の耳、オッキオーネも同じくイタリア語で大きな目、の意味です。

もうひとつ、別の赤ちゃんネタも考えていたのですが、オカルトチックになったのでやめました。
あと一つ、まったく別の話も思いついたので、それはまたいずれお目にかけたいと思います。
私の中の『ダーウィン』ネタ(例のNHKの番組)。

limeさんのリクエストも鋭意ねりねり中。
というのか、アイディアは出来上がっているので、また近日中に。
まずはマコトでチャレンジ(ってことは、真でも書くつもり??)。

Category: その他の掌編

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【掌編】D川の殺人事件~夕さんと乱歩に挑戦?~ 

八少女夕さんのブログ、scribo ergo sumでは50000Hitという大きな記念樹をうちたてられました!
長編から短編まで揃えた個性的な小説、そして多岐にわたる雑記、夕さんの世界の広さを感じる素晴らしいブログの大きな記念の数字に、まずは心からお祝い申し上げたいと思います!

さて、そのキリ番リクエスト?と思ったら、夕さんからの挑戦状?が届きましたね。
(詳しくはこちら→scribo ergo sum 【50000Hitのリクエスト】
何か普通に掌編を? とも思いましたが、やはり何か一つ捻りたい。
というわけで、折しも「その季節」がやってきて、気が付いてみたら日までどんぴしゃ。もう書くしかないな、と思い、無理矢理書き上げました。
書き上げてみたら、とてもお返事をいただくには申し訳ない出来だったので、とりあえずアップはしますが、夕さん、こちらはもう無視してください!
またもう少し洗練された作品をいずれ書きたいと思います……m(__)m

さて、タイトルにお約束の地名がないじゃないか、と思われますよね。
はい。ないんです。でもあるんです。
あ、もちろん、江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』をもじりました。内容は全く関係ありませんが……あれはまだ明智小五郎が素人探偵だった設定、しかも「私」に犯人と疑われてましたっけ? 
ともかくも、さらりと流していただければ幸いです^^;
いやこれ、だめですよね。駄作だなぁ。一応ミステリー……?


【D川の殺人事件】

私は真っ暗な水底で、あの日の出来事を思い出していた。
一体何故あんなことになったのか、私は何故殺されたのか、今でもよく思い出せない。
私は殺されて沈められた。暗く不穏な水底で身体はばらばらになり、虚しい骸となった私の記憶は時の移ろいと共に徐々に薄れて行った。
……一体私が何をしたというのだろう。

あの当時、殺人の時効は15年。
だが、時間の感覚は既になかった。その15年がもう過ぎてしまっていたのかどうかさえ分からなくなっていた。
黒い水底の泥の中には、何か得体の知れないものが蠢いていた。
それが何であるかなんて、説明できない。コントロールできない衝動、不可解な熱、最も原始的な脳の部分に刻まれた不気味な遺伝子情報だ。

あの日。
街は夕刻から微熱を帯びていた。何十年に一度という祭りの日だったのだ。
夜はもう寒いほどの気候だったが、私はいつものように店の前に出て、賑やかで楽しげな客を出迎えていた。
時間と共に街を歩く人の数は増えていった。男も女も、老人も若者も、子どももいた。微熱は明らかな熱気に変わり、見慣れたネオンの明かりさえもかき消す人の波となってゆく。
……祭りの時間が始まっていた。

あの時、私はまだ自分の運命を知らなかった。
リオのカーニヴァルにも勝るほどの異常な興奮に包まれ、私の冷えた身体まで熱く火照っていた。
だが身体の内側では奇妙で不穏な何か得体の知れないものが膨れ上がってゆき……
そして、あの時間がやって来たのだ。

運命の時間。午後十時前。
……一体私の身に何が起こったのだろう。
私は突然の出来事に相手を確かめる余裕もなかった。気がついた時には、足は地面から離れ、もみくちゃにされながら運ばれ、やがて冷たく暗い水の底へと沈められ、水死体となった。

おそらく犯人たちは以前から私を狙っていたのだろう。私は彼らの視線にもっと敏感であるべきだった。だが、仕事柄、あの街で1日に何千人、時には何万人という人を見る中で、悪意のある顔だけを見分けることは難しい。
いや、あれは悪意ではなかったのかもしれない。
そう、祭りの衝動だ。
何故なら、凶行は隠れた場所ではなく、公衆の面前で行われたが、目撃者たちはそれが殺人事件だとは思っていなかったのだろうから。

警察はちゃんと捜査をしてくれていたのだろうか。
いや、彼らは私の亡骸を見つけることさえできなかった。死体がなければ殺人罪は適応されないだろう。
あぁそうだ。毎日あの場所をジョギングしていたあの若者なら、犯罪を目撃していたかもしれない。もしかすると、犯人の顔を見ていたかもしれない。

だがどうやって彼を捜せばいい? 彼の存在を警察に教えたらいい? この暗い場所でどれほど叫んでも、私の声が彼らに届くことはないだろう。
では、私はこのまま虚しく朽ちていくのか。
それではあまりにも悔しく悲しい。
せめて身体の一部でも、あの水面に届きさえすれば……

…………

 続きがあります)
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