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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

NEWS 2013/5/20 庭の守り神2/ 絵本【ギルガメシュ王シリーズ】 

タヌキ
今日はうちの庭のもう一人?一匹?の守り神、フクロウ君よりも『主(ぬし)』にふさわしいタヌキ君をご紹介いたします。
実家にやって来たのはもう40年以上前、そして我が家にやって来たのも10年以上前となりました、まさに主にふさわしい信楽タヌキ氏です。
で、なぜ新参者のフクロウ君に先を越されたかというと、芍薬の陰に隠れてすっかり見えなくなっていたのです。
すみません、私の手入れの悪さが……^^;
全貌をお見せできるのは芍薬の花が終わってからですね。
今は顔だけ、ちょっぴりご挨拶。

れもん
そしてこちらが、蕾だらけのレモンの木の一部。
もちろん、このすべてが実になるわけではありませんが……アーモンドの実よりも結実率は高いです。
いつかこれが、ブロ友・月子さんによってジャムになる日が来るんですね……\(^o^)/
楽しみ~~
さっそく101を播きました(って、私は101の回し者みたい……宣伝費はもらっていません^^;)

で、今日はネタもなかったので、いつか使おうと思ってファイルアップしてあった絵本をご紹介したいと思います。
というよりもですね、この絵本、一時生産されなかったのか、アマゾンで3倍の値段で取引されていたのです。
さっき確認したら出版社が再度刷ってくれたのでしょうか、ちゃんとまっとうな値段で普通に売っておりました。
1800円→1995円/冊とちょっと値上がりしていましたけれど……^^;
ギルガメシュ
ギルガメシュ
ギルガメシュ

10年弱前の本なのですが、絵が素敵で買ったのです。
【ギルガメシュ王ものがたり】【ギルガメシュ王のたたかい】【ギルガメシュ王さいごの旅】の3部作。
何でも持っている、強い王・ギルガメシュは、寂しい男だったのですが、その理由は友だちがいなかったから。
そのため気難しくなっていって、ありがちなことに暴君化。
なんて、いかにも子供向け絵本なのですが、闘いの中で得た親友・エンキドゥと共に怪物と戦ったとき、地上をかしずかせる力でも何でもくれてやるから夫になれと惑わす女神・イシュタールに、ギルガメシュがこう答えるシーンに至る頃には、すっかり虜に。

富や力で、我を惑わすのはやめよ。我は大いなる都を築いた。わが都と、人々をおいて、どこへ行くこともせぬ。人々は我を、我は人々を、愛しうやまっているのだ。我には友がある。わがために命をささげてくれる友が。他には何もいらぬ。

うーん、えぇ話や(涙目)。
でも、もちろん、絵本とはいえ、叙事詩のまんまなので、せっかく親友になったエンキドゥもその嫁のシャマトもあっさりと死んじゃったりするのですが……
彼らの死に衝撃を受けて、永遠の命を探し求めに旅に出るけれど、そんなものは手に入らない。
でも、ギルガメシュが作ったこの美しい都、人々にしてきた良いこと、それらの全てこそが君の永遠の命だ……と鳥になったエンキドゥに空から自分の都を見せてもらって教えられ、悟るラストなど、もう泣けてきちゃうのです。…って、単純すぎ?

でも、何ともドラマティックで、叙事詩にふさわしい格調高い絵にも魅かれて、何回読んだことでしょう。

うーん、結構単純な人間なんです。私……
若いころ、哲学書も難解な物語も、一人前になったつもりで読んでは議論をぶっていたけれど、結局頭には何も残っていないような気がする……でも、こういう単純に『綺麗な』物語はいつまでも心に残りますね。
【モチモチの木】【ごんぎつね】……etc.しかりです。

それにしても、なんであんなに高かったんだろう。人にプレゼントしようと思ってアマゾンを見たら、その時5800円/冊くらいで売っていたんですよ。
嵐の初回盤だって、いつもバカみたいな値段だし、これが資本主義と言ったらそれまでだけど、何だか腑に落ちない…(@_@)


ということで、今日は今からコメ辺させていただきます(^^)
ちょっとカミングアウトに疲れて?じゃなくて、月曜日の業務に疲れて、ほのぼの記事にしてみました(^^)



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NEWS 2013/7/3 ごんぎつね 

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大好きな絵本のこと。
実は、先日新聞に、新美南吉の『ごんぎつね』のオリジナルテキストがあって、私たちが読んできたのは雑誌『赤い鳥』主宰者・鈴木三重吉が添削したものだということが書いてありました。

え? そんなことがあるんだ、と驚いたり、確かに作家が書いたものを、より読者に受け入れられるような形に編集者、あるいは雑誌の主宰者が添削を入れるってのは、あるとも聞くしなぁと納得したり。
もちろん筋立てが変わるわけではないけれど、表現が変わると微妙なニュアンスが変わることもある。

そこで、ある学校の先生が、オリジナルのテキストと流通している『赤い鳥』版を両方使って比較しながら授業をされているのだとか。実際に、両方を読んだ子供たちの反応は豊か。
どちらがいい・悪いではなく、違いからどんなふうに感じるか、ということが大事なようで。

特に最後の場面は、ちょっとした言葉の違いで結構印象が異なっています。

オリジナルは以下。

権狐(オリジナルではこう表記)は、ばったり倒れました。兵十はかけよって来ました。所が兵十は、背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためて置いてあるのを眼にとめました。
「おや――――――――――――。」
兵十は権狐に眼を落しました。
「権、お前だったのか……。いつも栗をくれたのは――――――。」
権狐は、ぐったりなったままうれしくなりました。兵十は、火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が、銃口から細く出てゐました。


赤い鳥版は以下。

ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや。」と兵十は、びっくりしてごんに眼を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。


ごんの「うれしくなりました」について、子どもは「気持ちが届いてごんが嬉しくなったとはっきり書いてあって、自分も嬉しくなる」「兵十の『おや――――――――――』はすごい。驚きや後悔などいろいろな気持ちがこもっている」などと感想を述べたとのこと(小学校4年生だそうです)。

確かに、通して読んでみると、ごんの気持ちの流れがずっと書いてあるのに、最後だけ『ぐったりと目をつぶったままうなずいて」終わるので、何だか「ごんぎつね」は悲しい話という読後感が残ってしまっていました。
間違いで撃たれてしまったごんが、実は『嬉しかった』、という言葉を新美南吉が残していたんですね。
そして、撃ってしまった兵十は「おや」じゃなくて「おや――――――――」だったんですね。

読みようによっては子どもたちに「罪を償う話」にとられてしまいがちだったものが、この言葉で、「ごんが自分と同じように孤独な兵十に、つながりを求め続けた思い」が子供たちによりわかりやすく伝わるようになったと。

たった一つの言葉で印象や読後感が変わる。
これって結構怖い話だと思いけれど、物語というものの広がりも感じさせるなぁ、と思いました。

この黒井健さんの絵、本当に素敵ですよね。ほわんとした優しい絵。
お母さんのお葬式のシーンの彼岸花の赤、そのあとずっと兵十のあとをついていって様子をみているごんの姿。

分かって欲しくて、でも償いのためにやっていることをわざわざ言うこともないし、というよりも言えないし、ずっと後ろをついていっている。栗をくれたのは神様だという会話を聞いてがっかりしてみたり。
特に、兵十のお母さんのお葬式を見て、穴の中でひとり反省している(文字通り、省みている/顧みている)ごんの絵がとても好きなんです(アップで……)。
そのあと、ちょっと離れたところから精一杯のことをしているごん。
(黒井さんの絵は、暗がりの中のその黄金の狐の毛が、とても印象的。)
ごんの色々な気持ちが集約して、「うれしかった」という言葉なんだなぁ。


同じ新美南吉さんの『手ぶくろを買いに』……昔はハッピーエンドのこっちのほうが好きだったけれど、最近、『ごんぎつね』のほうが気になっていました。
そこにこの新聞記事だったので、物語の中の悲哀とか、そこから生まれる人の心の深さとかを改めて感じさせられた次第です。

南吉の15歳の時の日記。
ストーリィには悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る
と書いてあったそうです。15歳の言葉! 驚きますよね。
しかも29歳で亡くなっている。

私は、彼の目指したものが「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」というのを、『手ぶくろを買いに』の表紙の裏で読んで、この言葉を何回もノートの隅に書いていました。

今あらためて、南吉の求めたものがしみじみと伝わる記事を書いてくださった記者さんに感謝します。
(朝日新聞2013/6/19)


ところで、いつも不思議に思っていること。
帽子屋さんは、こぎつねの持ってきたお金が本物なので、手袋を売ってあげたんですよね。
でももし、木の葉っぱだったらどうなっていたんだろう?
しかも、この本物の白銅貨、親狐はどこで手に入れたんだろう?
いくら人間が怖いからって、何かあったらどうするの~、子どもについていってやれよ~(いや、初めてのお使い、か?)
とかあれこれ、悩んじゃっていたのでした(あまのじゃく~~^m^)。
そこは読み流せよ、と自分でも思うけれど^m^
いえ、大好きな話なんですけれどね。
特に好きなのは「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」~きゃわいい(*^_^*)


大人になってしみじみ味わう『ごんぎつね』……悲しい話のようだけれど、そこに込められた愛の深さ。ここに作家の心が強く表れているのだと思いました。





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NEWS 2013/8/14 世界の文字 

今日は、うちの本棚から一冊の本をご紹介。
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時々、ページをめくるだけで何となく楽しくなる本ってありますよね。
これはまさにそのような1冊。絵本のようでいて、結構アカデミックで、でも眺めるだけで楽しいという。

世界には5000-6000種類の文字があると言います。
それをある程度系統づけて紹介しようという本。もちろん、それでもすべてが網羅されるわけではありませんが、その種類の多さに圧倒されます。
ここでは、絵文字(シュメール、マヤなど)、エジプト文字(ヒエログリフ)、楔形文字、エーゲ海地方の古代文字(クレタ、キプロス)、西セム文字とその系統(ヘブライ、シナイなど)、アラビア文字、アルファベット(ギリシャ、ローマなど)、インド系文字、漢字、どうしても分類できない文字、などに分類されています。ついでに音符や点字、モールス信号まで挙げてあります。
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写真が暗くてごめんなさい。
マヤの文字。これを見ると、噂のマヤのカレンダーを思い出しますね。
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言わずと知れたヒエログリフ。
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この、鳥が魚かミミズか、足元を探している図→「見つける」とか、魚を取ったところ→「捕える」とか、同じ鳥を3つ並べて→「霊魂、化身」ってのが、うーん、なるほど、なんですけれど。
分身の術?
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これはアラビア文字。そう言えば、アラビア文字って、書道があるのですよね。確かになかなか芸術的な文字ではありますものね。夜中に時々アラビア語講座を見るのですが(全然わからないけど^^;)、そこに「キターバの迷宮」というコーナーがあって、書き方(綴り方)を教えてくれるんですね。
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こちらはカンボジア文字。このあたりの国々、隣の国と似たような似ていないような、独特の文字ですね。
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そして分類できないコーナーに入れられているイヌイット文字とかヴァイ文字とか…見たことのない文字。
ごく少数の隔離された民族が使っていた文字のようですが、もう使う人が減ってきて、やはりアルファベットを使うようになったりしているのだとか。

大好きなトンパ文字がないのは残念ですが、これだけの文字の数々、本当にめくっているだけで楽しい本です。
そう言えば、トンパ文字も最近はあれこれ芸術的な用途があるようで、ハンコにしてみたり、名刺に使ってみたり。お茶の宣伝で使われていた「喜ぶ」(人が飛び上がっている図)など、実に楽しそうだけど……
書くのが大変かも。

面白いのは、これだけの数の文字を色んな民族が使う中で、文字を持たない民族/文明があった/あること。
言葉はもちろんあるのだけれど、表記する文字がない。
ケルト、アイヌ、インディアン、アフリカのいくつかの民族、などなど。
国際社会の中で生きていかなければならなくなると、何らかの形で表記文字を選んでいるようですが……
そういった民族や文明は、伝承や口承によって「教え」を伝えてきているのですね。

文字で書かれたものを扱えると、多くの知識をストックしておくことができる。
古代において、アレキサンドリアの図書館が叡智の集結する場所であったように、人間の頭の外に空間を借りて、知識を集めて置いておく。コンピューターも、携帯/スマホも、人間の脳が覚えきれないことを覚えておいてくれる。
でも、使うのは人間ですから、そのページをめくらなければ、その叡智にたどり着くことはできない。

しかも、こうして過去から伝えられてきた文字を、コンピューターで打ち込むようになって、漢字も忘れていくし、国際社会になってアルファベットが最も有力な統一された文字になっていって、特に少数民族の文字は失われていくし。

逆に文字のない文明。
口承ではそれほど多くのことは覚えていられないかもしれない。
でも、本当に大切なことは、繰り返し繰り返し、世代を超えて伝えられていく。
人として本当に守らなければならないことや、知っておかなければならないことは、案外少ないのかもしれないと思ってみたりします。

もちろん、現代社会で生きていくためには、覚えきれないルールを扱わなければならないのですけれど……

あれこれ想いを馳せながら、文字を巡る旅、皆さんも出かけてみませんか?
(夏は忙しくて休めないので、旅行に行けないから……空想の世界へGO? ^^;)

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【雑記・本】 科学は暗闇を照らす1本の蝋燭 



私がまだまだ若かりし頃、今みたいに科学番組は多くなくて、この番組を見た時は本当に衝撃でした。
カール・セーガン博士のCOSMOS……
宇宙、生命の起源、人類へ繋がる道……今ではありがちな内容ですが、あの頃は本当に科学的・知的好奇心を満たしてくれる唯一の番組だったかもしれません。

カール・セーガン博士は、「ホンモノ」の科学者さんたちからは宇宙のセールスマンと揶揄されていましたが、私は一般の人々に科学の面白さを宣伝して回ってくださった功績は大きいと思います。
ちなみに私、セーガン博士が京都に来られた時、講演を聞きに行きました(*^_^*)

博士の本は、今でも私の宝物で、いずれも何度も読んだ跡があります。
これは博士の晩年の本ですが(遺作は公私ともにパートナーであったアン・ドルーヤンとの共著)、日本語と英語のタイトルは結構違う印象。

日本語:人はなぜエセ科学に騙されるのか
英語:The Demon-Haunted World~Science as a Candle in the Dark~


邦題って、内容を端的に表しているとも言えるけれど、もうちょっとかっこよく言って欲しいと思ったりします。
この本では、科学する心=懐疑する精神と不思議さに驚嘆する感性があれば、とんでもないエセ科学話には惑わされないということが書いてあるのは確かなのだけれど、それにしても。

さて少し言葉を拾ってみます。

「権威者の言うことは信用するな」というのは、科学の偉大な戒律のひとつである。権威ある人物の意見が、目を覆うような間違いだったというケースはあまりにも多い。科学の世界では、権威があろうとなかろうと、何かを主張するからにはきちんとそれを証明しなければならない。

科学がいざなう先にあるのは、ありのままの世界であって、世界はこうあって欲しいという願望ではない。

科学が上手くゆくのは、エラー修正機能が組み込まれているからだ。科学には問うてはいけないことなど何もない。聞くのがはばかられるような微妙な問題もなければ、冒すべからざる神聖な真実もない。科学は、新しいアイディアに対して心を開くと同時に、どんなアイディアも疑いの目で厳しく調べ上げ、それによって価値あるものとそうでないものを選り分けていくのだ。ここでは頭の良さも人柄の良さも関係ない。誰であろうと、専門家の厳しい批判の前で自説を証明しなければならないのだ。

科学は精神性と矛盾しないばかりか、深いところでは精神性を生み出す源だ。人が空間と時間の中で自分の位置を認識する時、あるいは生命の複雑さや美しさや精妙さを理解する時、そこには喜びと謙遜の入り混じった感情が生まれる。


科学は決して特別なことではなく、日常生活におけるあらゆることに関わっています。
だからこそ、我々はもう少し疑い、検証し、確かめていく姿勢を忘れないようにしなければならないんですね。
私たちの生活を便利にしてくれている科学のありがたさはしみじみと感じつつも、これは本当にいいものか、よく問いかけてみないといけないのだと思うのです。


また機会があったら、少しずつ、言葉を拾っていきたいと思います。

おまけです。夏の色をお楽しみください。
まずは百日紅、三色。
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ハイビスカスと、ヘブンリーブルー(朝顔)。
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リアル仕事が忙しくて、ゆっくり推敲する間がなく、【死と乙女】と【海に落ちる雨】がちょっと遅れていますが、明日~明後日、またアップしてまいります(*^_^*)

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【雑記・本】 くまもん~セーガン博士の本再び 

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最近、本屋さんで、古いドラマのDVD+解説本全集とか、ブランドのちょっとしたグッズとか、プラモデルみたいなものとか(毎号組み立てていったら戦艦大和になるとか、プラネタリウムになるとか)、本風にして売っていますよね。
あれって、付録をメインにした本みたいなものなのかしら。

遠い昔、「科学」と「学習」という本を売っていて、付録に実験グッズやちょっとした化石が入っていたりして、毎月とても楽しみでした。
今みたいに通信販売もないし、ネット販売もないし、小学校の裏に毎月初めに売りに来るんですよね。
学校公認なのか、その時みんな学校の帰りに買いに行っていた。

それはともかく。
私はDVDシリーズで「Xファイル」と「鬼平犯科帳」を揃えました(*^_^*)

そして、時々手を出してしまうのがこれ。
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本屋さんで手に入るくまもんグッズ。
傘や親子バッグ、トートバッグ、文房具に続き、ランチボックスです。
いえ、私が持っていたのは、トートバッグだけだったのですが、このたび、そろそろ新しいランチボックスが欲しかったので、即買ってしまいました(*^_^*)
袋が大きめで、上に果物とかちょっとおやつとかを乗せられるのもいいです。
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くまもんは登録商標をしなかったとかで、誰でも使ってグッズを作れるようで、熊本県のあちこちで、その地域にしかないくまもんグッズが手に入ります。

でも、一番びっくりはこれ。
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熊本の県内でしか借りれないレンタカーです。
来週熊本に行くので、一瞬心惹かれましたが、これではちょっと道を走れない……^^;
レンタカーが全部これなら、いっそ思い切れるけれど。

それにしても、日本人は何でも「可愛く」キャラにしてしまいますね。
(子どもはキャラ化しないで欲しいけれど)
そして、それを楽しむのも上手です。
……でも、レンタカーはちょっと微妙。幼稚園バスじゃないんだし……^^;

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くまもんと一緒に登場したのは、先日ご紹介したカール・セーガン博士の遺作、アン・ドルーヤン女史(何人目かの奥さん^^;やはり科学者)との共著の本。

『はるかな記憶~人間に刻まれた進化の歩み~』
Shadows of Forgotten Ancestors


進化を辿りながら「ヒトとは何か」ということを語る本です。
この時代から今はもっと研究が進んでいて、新たに分かっていることも増えていますが、古いとは決めつけられない何かがこうした発見や歴史を語る本には潜んでいます。

竹流の愛読書のひとつがシュリーマンの「古代への情熱」。
何回読んでも感動する本です。
ダーウィンの進化論。今では間違っている部分も指摘することはできるけれど、それでも素晴らしい本です。
新しい情報ばかりが価値があるとは限らないんですよね。

私が中学生の時に出会った、生物の教科書に書いてあった言葉。

「個体発生は系統発生を繰り返す」

かつて受精卵だった私たちは、アメーバのような単細胞から始めたのです。
胎児が10か月の間にたどるのは、生命の数十億年の旅、なのですね。
だから途中に、ちょっと両生類っぽい時があったり、鳥っぽい時があったり。
この言葉に出会ったとき、「すごい、私という個体は40億年の記憶を繰り返して、この世に誕生したんだ!」と中学生ながら震えるような気持ちだったのを、昨日のことのように思い出します。
(ちょっと多感だった中学生の私……^^;)

さて、この本からも、ちょっと気になる個所を抜き出してみましょう。

鳥類の既知種のうちの90%以上が「一夫一妻制」を敷いていることが知られている。オオカミ、ジャッカル、コヨーテ、キツネ、ゾウ、トガリネズミ、ビーバー、コガタアンテロープなどについての数字ははっきりしないが、サルや類人猿では12パーセントの種に「一夫一妻制」が知られている。
しかし、オスが育児に関与し、その母親の面倒も見るという形式をとる多くの種では、一夫一妻制は他の雄を排除してしまうことを意味しない。オスが絶えずメスと性的交渉を持つ機会を狙っている一方で、メスもしばしばそういうオスを受け入れることがあるからだ。
生物学者が「混合婚姻戦略」とか「婚姻外交渉」とか呼んでいるものだ。DNAによって、一夫一妻制の鳥の夫婦が育てている若鳥を調べたところ、約40%が婚姻外の子どもであると同定された。ヒトでも同じようなものなのかもしれない。


大したことないな! 人類! サル系で12%だって!
でも、やっぱり大した奴らだよ、人類! 鳥もね! 誰の子でも「種の子ども」!

東北には夜這い民話がたくさんあって、特に祭りのときにはあちこちで、未婚者・既婚者関係なく、「よそ者」との一夜限りの恋の花咲くこともある(いや、咲きまくり)、で、子どもができちゃうこともある。
でも、誰の子どもだろうと、結婚している夫婦は、これを自分たちの子どもとして育てる。
ムラという閉鎖空間では、奇形や病気の遺伝子が濃く受け継がれるので、時々異分子を入れるというのが常識だったようで、異分子の子どもが生まれることは、歓迎しないかもしれないけれど、結構普通のことだったわけですね。
子どもが労働力、という時代でもありますし。

そう考えたら、今の「文明人」って、けっこう「コセイ」なぁ、と思ってしまうのでした。

次回は、アオサギの求愛シーンをご紹介。
「キライ」と「スキ」の二面性は、何もヒトだけではありません、というお話。

あ、落ちがなかったなぁ。

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【雑記・本】7日間ブックカバーチャレンジ~ars longa, vita' brevis~ 

今、Stay Homeのために、ネット上では色んなイベント?が行われていますね。
その中でFace Book?で「7日間ブックカバーチャレンジ」というのをやっているようです(私はFace BookもSNSもしていないので、ブログで見かけただけなんですが)。
面白そうだなと思って、便乗することにしました。
ただ、そのルールは「7日間、好きな本を1日1冊、投稿する。ただし、ブックカバー(表紙画像)のみ、内容説明なし。その都度、誰かをこの企画に誘う」というもののようです。7冊という縛りはないみたい。

でも、いくつか記事を見せて頂いたら、「説明なし」でアップしてる人なんてほとんどいません。
みんな自分の好きな本に関しては一言、言いたいんですね。
というわけで、わたしもやってみようと思いました。
でも、7日間も毎日投稿するの面倒だし、一気にまとめていっちゃいます。
内容説明は極力なしにします。ミステリーはきりがないので選択肢から外しました。
そして、できるだけ自分の一番深いところで大事にしている本をピックアップしてみました。
ひとつに決められなかったので、全集でアップしちゃったものもあるけれど。


1.『鬼平犯科帳』…池波正太郎
鬼平犯科帳
『剣客商売』と迷いました。でも、やっぱり鬼平かな。昔から、海外旅行に行くときは数冊必ず持って行っていました。
でも、年を取ったのか、最近は『剣客商売』の小兵衛の渋みが心にしみるようになっています。
池波先生の本は、小難しいことを書かずに、さらっと小気味に要を付いてくる。やっぱり江戸っ子ですね。


2.『こころ』…夏目漱石
こころ
やっぱりこれは外せないかな。右は普段読んでいるもの。読み返す度に付箋が増える。
左は初版本の復刻版の表紙。もちろん中までそのまま復刻されているので、夏目漱石の「つぶやき」のような前書きとか、おもしろいんです。昔は本そのものが芸術品だったのですね。
こころ中表紙
この「こころ」初版本の中表紙には『ars longa, vita' brevis』なる版が印字されています。芸術(の達成には)は長く(時間がかかり)人生は短い……漱石自身が選んだ言葉でしょうか。
『こころ』と『それから』は私のバイブル。


3.『ジャン・クリストフ』…ロマン・ロラン
ジャンクリストフ
私をクラシック音楽に縛り付けた?本といってもいいかも。
これを読んで『Eroica』(ブログでは未発表のジョルジョ・ヴォルテラと相川慎一の親子葛藤…親子じゃないけど…の物語)を書き、私が最も愛するピアノ曲がベートーヴェンの『熱情』になったのでした。何しろ読んでいる間中、アドレナリンが出まくるという、なんかすごいテンション高く読んだ本でした。
しかし、今本を開いたら、このびっしりした文字に目眩が……


4.『戦争と平和』…トルストイ
戦争と平和
こっちのほうが字のつまり方が半端ない
実は、ものすごく夢中になって読んだのに、相変わらず最後の何ページかは読んでいないという。トルストイの説教? 歴史論? がちょっと面倒くさくなって^^; 何しろ、アンドレイ公爵が3巻の終わりで死んじゃって、4巻はけっこう読むのがしんどかったのもあります(『銀河英雄伝説』もヤン・ウェンリーが死んじゃったところから読むのが苦痛でした(@_@))。
この当時、映画の『ドクトル・ジバゴ』を見てロシアに夢中になっていたのでした。


5.『The Damon-Haunted World』…Carl Sagan
カールセーガン
セーガン博士の著作は、1冊だけ選ぶのはとても難しいので並べてみましたが、どれか選ぶならこれかな。
訳本では『人はなぜエセ科学に騙されるのか』という色気のないタイトルになっているけれど、科学の限界とその中にある希望、人類の来し方行く末について、考えさせるものでした。英語のタイトルの副題が気に入っています……Science as a Candle in the Dark……そうあって欲しい。
今ではこういう科学関係の本はあふれかえっていて、この当時よりもずっと情報も知識も増え進んでいるので、もう古典のような本かもしれませんけれど、そこに書かれた「(当時の)事実」よりももっと大きな「教え」がこうした本の中にありますね。
(以前は、科学者であり哲学者とか、2足のわらじ系の理系人間がもっといたように思うのですよね。)
たまに、ダーウィンの『種の起源』とかシュリーマンの『古代への情熱』(竹流の愛読書のひとつ。あ、そういえばこの人のもうひとつの愛読書が『鬼平犯科帳』だ^^;)を読み返したくなるのはそういうことだ。


6.ピアニストが語る!…焦 元溥
ピアニストが語る!
ピアニストへのインタビューの本。これを読むと、音楽が歴史とともにあったことがよく分かるのです。まさに事実は小説より奇なり、です。とくに、アジアのピアニストがヨーロッパ勢とはまるで違う環境下でどんなふうにクラシック音楽を学んでいったのか、そこにはまだ記憶に新しい戦争が絡んでいたりするんですね。亡命の話とか、本当に音楽の話じゃなくて、歴史の話ですものね。藝術はその時代の社会に大きく影響される。だからこそ、重みがあるのでしょうね。
そう言えば、これに関連して最近読んだ小説で面白かったもの。
革命前夜
私が亡命ピアニストをちょっと書いてみようと思ったネタ本。
これは、ドイツに留学してバッハを学ぼうという日本人の青年の物語でした。


7.網野善彦(全集)
網野善彦
私が全集で持っているのは夏目漱石(初版本復刻版)と網野善彦だけです。あ、メトロポリタン美術館全集もあるけど。
日本の歴史を通史として見直した歴史学者。歴史学と民俗学を分かつことなく語る視点が面白くて、嵌まりました。
日本の歴史を
文庫本などになっているのでは、これが一番読みやすいかな。


番外にちょっとだけ、小説を。
8.『星々の舟』…村山由佳、『霧笛荘夜話』…浅田次郎
霧笛荘と星々の舟
別にまとめて載せる意味はないんだけれど、スペースの都合上。
共通点があるとすると、どちらも関係性のある人物を順番に描いていくというパターン。ひとつは家族、ひとつは同じアパートに住む人々。こういうふうに人物を重ねながら物語を紡いでいくのって、ちょっと憧れていたりするのでした。
しかし、この作者さんのどちらも、私は別にすごいファンでもなく、他の本をほとんど読んでいないという(何冊かは読んだけど)。でもこの2冊は、私の本棚の特別コーナーに置かれている。


選びきれないので、このへんで。
えっと、他の人を招待するというルールはもう、おまかせで。
久しぶりに懐かしい本を手にとって、楽しかったです(o^^o)


チョ・ソンジンさんのライブが始まっちゃった(You Tubeで)ので、お開きです~(o^^o)←4/26(日)23:00
シューベルト『さすらい人幻想曲』中(o^^o) ライブと思うと嬉しい。このひと時を彼と共有しているのね。
5月の私のソンジンウィーク(年休とりまくってコンサート5つ行くつもりだった^^;)はCOVIDのせいで吹っ飛んだので(一部は12月に持ち越し)、楽しみます
ついにスマホの壁紙?もソンジンくんになっちゃった
(と思ったら、すぐ終っちゃった。くすん。もう1回聴こう! You Tubeっていいなぁ)
ソンジンくん、ベルリンから
ドイツグラモフォンの力か? You Tubeにしては音がむっちゃいい。そして、いつ見ても、見惚れる美しい手。やっぱりドイツグラモフォンの撮影技術か、ピアニストのあらゆる姿を余すことなく撮影? 横から前から上から、そして表情アップ、指アップ。いや~、全てに見惚れる。
ピアニストの手ってほんとに、美しすぎる。彼の『さすらい人幻想曲』、ほんとに素敵。一度ご覧くださいませ。

おまけに、といっても、元の曲知らないと楽しめないかもしれないですが(いや、そうでもないかも)、堂本光一くんの『家のかたまり』が素晴らしくて。
堂本光一くん『家のかたまり』
もとはすごくロマンチックなラブソング(『愛のかたまり』:作詞・堂本剛、作曲・堂本光一)なんだけど。
……うん、自粛しよう。ちなみにこの動画、光ちゃん、自分で録音・編集・文字入れしたらしい^^;

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【雑記・本】ブックカバーチャレンジ第2弾~教科書って偉大だった~ 

最近、あることに嵌まっています。
というのか、ちょっとテレビっ子していて、お気に入りの番組がいくつか。
とくに、『岩合光昭の世界ネコ歩きでは、妙な遊び?をして楽しんでいます。
それは「勝手にナレーション」
岩合さんがネコに話しかけながら撮影をしているのですが、岩合さんの声の他にナレーションが入るのです。以前、番組の中でこのナレーションについて舞台裏の話が出ていたのですが、台本があるわけじゃなくて、ナレーション担当の俳優さんとかが自分の好きに言葉をあてはめているんですって。映像見ながら練習もするらしい。
これって、ある有名な司会者さんが、競馬だったか何かの中継の練習を、古い映像見ながらやってたのと一緒や!
で、なぜか自分で「勝手に世界ネコ歩きナレーション」練習中なのでした。

え? いつか、私に『世界ネコ歩き』ナレーションの仕事が降ってこないか、狙ってる? 
いやいや、人生、何があるか分かりませんからね。備えあれば憂いなし? 幸運は準備した者の上に降ってくるとも言いますから(そんなわけはない)。
でもこれって、やたらめったら言葉を入れたら良いというものでもないのですね。書き物といっしょ。端的にうるさくない程度に、でも、ネコへの愛をたっぷり込めて、観る人に心地よく番組を楽しんでもらう必要があるのです。うん。
(って、ここで力説してもしょうがないけど)

生まれ変わったら『ダーウィンが来た!』の撮影隊になろうと決めているけど(なんでやねん)、世界ネコ歩き、ただの旅行番組と違って、ネコを通して見た色んな街の日常の景色、人々の暮らしが垣間見えて、とてもお気に入りです

さらに、以前、休みの日に『マルモのおきて』を一気見してしまって、泣きまくっていたのですが、このGW中にJ:COMで『流星ワゴン』を一気見してしまって、またも大泣き。リアルタイムでは見ていなかったのですが、もう、子どもを出すのは反則やわ~と思いつつ、見切ってしまったやん。
メインは子どもじゃなくて、香川照之と西島秀俊の、もうすでに可愛くない年齢の親子の話なんだけれど、二人とも可愛く見えるという、名優のすごさを感じる、大人のお伽噺でした(原作:重松清)。


話はタイトルの件に戻って。
前回の記事【7日間ブックカバーチャレンジ】には幾人かの方に乗っかっていただき、すごく面白かったです。
いや、もの書きの人たちの挙げる本は、世界観が独特で、その人が書いているもの・世界、時にはその人の生き方・感じ方に影響しているのがそのまま表われているようで、興味深かったです。思わず、プラナリアを想像してしまいました。あの生き物、食事シーンはけっこうえぐいですが、赤いものを食べたら赤くなるというあたり、似てません?
なんだか物書きの正体見たり、な感じがしました(良い意味でね)

で、今回、本を選んでいる中で、この「私にとってとっておきの7冊」には入らなかったけれど、もしこれがあと7冊なら入れてたかも、って本は結構あったのですね。でも、これも言い出したら切りがないので、ある基準でまた新たに選択してみました。

題して『教科書は偉大だった』
って、何のことや? なんですが、私の場合、小学生の時の読書って、そんなに種類は多くなくて、メインは子ども向けの少年探偵団とホームズとルパン、だったのですよね。
でも、それこそ本が壊れるくらい読んだのは『3匹荒野を行く』と『狼王ロボ(シートン動物記)』でした。何回も読んで、何回も泣くという(;_;) その頃から、『ダーウィンが来た!』につながるものがあったのですね。
ちなみに、あとは『リラの花咲く家』(『若草物語』と同じ作者なのになぜこっち?)と『石の花』(ロシアのウラル地方の民話、なんでそんなに好きだっんだろう?)、『誰も知らない小さな国』(思えばこれも真のふるさとが北海道になった理由だ)、そして、こども向けの百科事典。うちの家にあった私の本はそんなくらい。
(以前ご紹介した、じいちゃんの直筆本の方が、多かったくらい)

そういえば、この間、録画した『ダーウィンが来た!』を見返していたら、狼の回が残っていて、狼って一度番いになると、一生添い遂げるから、一方が死んじゃったら、その相手も群れの中で居場所を失って、一緒に死んじゃったりするんだって、あぁ、そうか、あのロボの話はまさにそういう習性だったのかと、思い出してちょっとべそをかいておりましたとも。

あ、話が逸れております。
要するに、うちの家はそんなハイソな家庭でもなく文化的環境でもなく、普通に農家系だったので、家には本の類はあまりなくて、友達の家で世界の名作全集的なものを読ませてもらったり、学校の図書館の本を読んでいたのですが。
そんな中で、中学校に入って、学校の授業で習ういわゆる「文学」に新鮮な感動を与えられたのでした。
どうやら当時、私は結構素直なこどもだったらしい。

その中のひとつが夏目漱石『こころ』なのですね。
教科書だけではなく、先生(予備校の先生含む)から教えてもらったり、授業でちょっと話題に上ったものを色々つなぎ合わせて、読書の幅は広がったなぁと思うのです。
そうした学校や予備校で知った世界を少しだけ思い出してみました。


1.『ワインズバーグ・オハイオ』……シャーウッド・アンダーソン
ワインズバーグ
確か、高校生の時に英語の授業でこの中の何編かを読んだのです。なぜか妙に嵌まってしまって、アメリカ文学への道を開いてくれました。結局、マーク・トウェーンもヘミングウェイもいくつか読んだけれど、何故か最後まで記憶に残ったのはこの『ワインズバーグ・オハイオ』。全部英語で読むのはしんどかったので、すぐに訳本を買い(写真左)、本棚にずっと残っていたのですが、カオスな本棚のどこかに埋もれちゃって、で、つい数年前、急にまた読みたくなって、新版を買ったら(写真右)、後から昔の本が出てきたという。
字のサイズ
ちなみに字の大きさはこんなに違う^^;
後から気がついたのですけれど、これもワインズバーグという架空の街の群像劇的物語。前回おまけに挙げた『星々の舟』や『霧笛荘夜話』に通じるものがあるようで、そういう書き方が好きなのかもしれません。

2.『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』……J.D.サリンジャー
シーモア
これも、高校生の頃に英語の授業で出てきたのだと思うのですけれど、少なくとも自主的に手に取った本ではない。
そして、やっぱり嵌まりました。サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』も読んだと思うけれど、何の記憶もない。
でも、このグラース家の一連の物語には、なんだか強烈に惹き付けるものがありまして。
本当なら、この横に『フラニーとゾーイー』『ナインストーリーズ』の2冊が並ぶはずんだけれど、カオスな本棚が……(以下略)
思えば、このシリーズも、一家の物語という意味では共通の手法なんですね(入れ子方式、というの?)。
幸福の絶頂にあったはずの長兄のシーモアの自殺にまつわるもろもろを、次男の(サリンジャー自身とも言われる)バディが語っていくという、なんで、こういう手の話に嵌まるんかなぁ……多感な中学・高校生あるあるですね。
でも、今、改めて読むか?と思うと「?」かもしれません。

3.『アカシアの大連』……清岡卓行
カオスな本棚が……(以下略)
そのため、ブックカバーの写真は撮れませんでしたが、清岡卓行は学校の授業で詩が出てきて(何の詩だったか記憶にない)、詩集を図書館で借りて、そしてこの『アカシアの大連』に行き着いたのでした。
当時、森川久美さんの漫画で『南京路に花吹雪』が大好きで、なんとなく中国ノスタルジックな気持ちになっていたのでしょうか。
戦後まだ35年ほど?、まだ「語れないこと」が多くあった時期、多感な少女だった私(ということにしておきます)は、あれこれ過去に思いを馳せていたらしい。

4.『背教者ユリアヌス』……辻邦生
カオスな本棚が……(以下略)
もしかすると、実家に置いたままかも知れないのですが、いや、これはもう、私一人で嵌まったのではなく、当時の友人全員で嵌まりまくったというバイブル的小説でした。実は、小説そのものを授業で習ったわけではないのです。うちはクリスチャンスクールでしたので、ユリアヌスはまさに歴史的には「背教者」ですから、聖書か世界史か何かの授業で出てきた時に、おそらく先生からこの小説の存在を知らされたのだと思います。もちろん、キリスト教の学校でこの本は禁書である、なんてせせこましい話はなかったと思います。だって、みんなで読んだのですから。
この本は、当時の私たちにとって、ガンダムと同じくらい、すごい影響力だった(比べるのが変?)。
でも、あの時のテンションで今読めるかどうかはちょっとアヤシイので、まだ文庫本は買い直していません。私の読んでいた本は、ハードカバーで、上下2段の文字がびっしりと詰まった重たい辞書のような本でしたしね~。
この勢いで『春の戴冠』を読み、頭の中でヴォルテラ家のイメージが完成したのであった(要するにメディチ家だったのね)。

5.『安乗の稚児』……伊良子清白(詩)
こちらは、予備校の授業で出てきた詩。多分、ほとんどの人が知らないと思いますが……
この『安乗の稚児』を初めて読んだとき、まさに雷に打たれたような衝撃でした。
う~ん、もう、これは私のなんとなくの原風景です(これは、藤原新也氏のある写真にもつながっている)。
貧しい村なので父ちゃんも母ちゃんも仕事に出ていっていて、稚児一人、小籠に座って恐れも知らずほほえんで海を見ている、って情景。しかも「反響(こだま)する心と心」……側に居ない両親との心の繋がりと教えられた気がしますが、今は、こどもは海と心を通わせていて、一人この世界に産み落とされて、やはり一人大自然と対峙しているという、そういう印象で読んでいます。
この詩のシーンを見たくて、安乗まで行ってきましたよ。
そして、後からこの詩人は先輩であると知って、またもや、背中がぞわ~っとしました。

6.『隠された十字架』……梅原猛
隠された十字架
これが授業で聞いたものかどうかは、実は定かではないのですが、私が寺社巡りを始めたきっかけになった本。
そして、今、文字になって残っている歴史は疑え、という視点を教えてくれた、これこそバイブルかも。歴史を一方向(後に権力を得た者が作った歴史)からだけ見てはいけないという考えは、まさに後に網野史学に嵌まった根っこを作ったかも。

7.寺田寅彦随筆集
寺田寅彦
こちらは古い随筆集がどこかにいっちゃって、新しく買い直しました。
これも多分、予備校の国語で出てきたんだと思います。ほんとに、昔の理系人間って、文学にも精通していたんだよなぁとしみじみ思います。短いエッセイばかりなので、時々拾い読みしている。

実はこの後に、私が一時真面目に何かを掴もうとして読んでいた、謎の哲学書類を挙げようと思ったのですが、なんか、もう今となっては海馬のヒダの奥深くに挟まってそのまま腐ってるみたいで、内容も何にも覚えていないので、この辺で置いておきます。
予備校の英語の先生が、学生運動やってた人で、哲学好きで、すごく影響を受けたんですね。もう一人、言語学を得意分野にしている英語の先生もいて、なぜかジャック・デリダを英語で読まされていたという。それ、受験に役に立ったのか?って話ですが、いや、何の役にも立たなかったけれど、個人的には、人生の一コマにすごく重い駒を残したかもなぁ。

代わりに、見つけましたよ!
COSMOS.jpg
伝説の映像作品、COSMOSの豪華本。しかもこちらのセーガン博士、ジュピターがガス惑星であるという解説をされているところ。
宇宙から人体の不思議まで、本当に世界を広げてくれた番組でした。
そして、なぜか、この本を見つけた同じ箱の中に入っていた、竹宮恵子さんの豪華本。
けーこたん
なんと直筆サイン入り。サイン会に行ってもらったんですよね~。
そうそう、やっぱり自分の創作の原点の数十パーセントはけーこたんから来てるのかもなぁ。
そうするとやはり、漫画シリーズもしないといけないかしら? 敢えて外したミステリーとSFも膨大な数だけど^^;
ちなみに本棚を探ってみたら、すごい数だけど、内容覚えてない話も多いのがミステリー。途中まで読んで、「あ! 私この犯人知ってるわ!」ってこともしょっちゅうある^^; 
余談ですが、SFは、ほぼ全部読んだのはロバート・ハインライン。『月は無慈悲な夜の女王』が大好きで。でも、友人たちと一緒に嵌まったのは『デューン砂の惑星』でした。これ、私らにとっては古典だけど、わりと最近?映画になってましたよね。砂虫がえぐかったような記憶が。
カオスの本棚
おまけのカオスな本棚。
え? 綺麗ですか? それはね、下半分が写ってないからよ
3面のうち2面のそれぞれ半分しか写っていないけれど、これ、本が2重になってて、奥に何の本があるのかもう分からない。このミニ書庫には小説はありません。
寝室とミニ書斎にも大きな作り付け本棚がありますが、そっちも大概なカオス。小説や漫画や、ちょっとだけ仕事に絡んだ本も。
仕事の本は基本、職場にあるので、あまり家にはないのでした。

というわけで? 第2弾、おしまいです。
読んでくださってありがとうございます。

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【雑記・本】疫病退散の願い~Master KEATONを読もう!~ 

Masterキートン表紙
私がバイブルとしている作品(漫画であろうと小説であろうと)のひとつがこの『Master KEATON』
今回のCOVID-19流行に限らず、感染症のことを考えるたびに、医学の歴史についての本を読み直しますが、その中になぜかこの『Master KEATON』もいつも含まれているのです。
ビッグヒストリーの中では今回のCOVIDも意外な流行ではないし、人間は自分たちと科学を過信してはいけないということは自明のこと。もちろん、科学こそ光明でもある。科学というのは、発見・進歩だけではなく、検証の学問なので、常に過去と現在の出来事を分析する冷静さが必要ですね。

この『Master KEATON』の中には、2つの感染流行についての物語があって、なぜかものすごく心に残っているのです。
キートン博士は考古学者であるけれど、それでは食っていけなかったり、色々思うところがあって英国の特殊部隊でサバイバル術を身に着け、保険会社の調査員をしている。彼のテーマは大陸のケルト文明もしくはその前にあった巨石文化を築いた文明の発掘だったり、あれこれ私のツボにはまるところが多くて、時々読み返しては色々考えさせられています。
ハーメルンから来た男
まずひとつは、第5巻の『ハーメルンから来た男』
当時、阿部謹也氏の『ハーメルンの笛吹き男』が愛読書のひとつであった私は、このエピソードにものすごく惹かれたわけですが、物語は現在に近いところに舞台を置きながら、過去の出来事の謎にも迫るという作られ方をしているので、常に2重の謎を追い掛けているという仕組み。これはナチスによるジプシー(シンティ・ロマ)虐殺事件と、ハーメルン伝説の二重の謎を解き明かしていくのですが、ハーメルンの笛吹き男がシンティ・ロマの医師もしくは知恵者で、当時大流行していた天然痘の免疫を持った子供たちを連れて、各地に天然痘の免疫を広めて旅をしたという落ちになっています。ハーメルンの笛吹き男の話は、天然痘ではなく、黒死病(ペスト)のほうと結びついていますが、当時は天然痘も黒死病の一種と考えられていたので、あり得ない話ではありません。
祈りのタペストリー
もうひとつは、第10巻の『祈りのタペストリー』
スペインの古城持ちの老人が、自分の城を日本の観光業者に高く売りつけたいと思いながら、日本にやって来た。
実はこの城の教会にはあるタペストリーがあって、飢饉で食料を求める人々に城の上から石を落として追い払っているという場面が描かれていて、この老人はそれを自分の先祖の暗い歴史だと思っているのです。このタペストリーはもともと対になっていて、もう一方がどうやら売り払われて日本にあるらしい、そこにどんな暗い歴史が描かれていても、揃っていたらあと1億は高く売れるだろうともくろんでいる。そこで祇園祭です。
祇園祭というのはご存知のように「疫病退散」を祈るまつり。疫病に対する予防も分からず治療法もなかった時代、人々は祈るしかなかったのですね。キートンと山車の側面のタペストリーを見た老人、自分の城にあるタペストリーの隅っこに描かれたネズミをヒントに、もともと自分の城にあったタペストリーに対面しました。
そこには、領主夫妻と領地の民衆が城の中で仲良く平和に暮らしている絵が描かれていた。城の外の病人をどうすることも出来ないけれど、自分の領民を守るために隔離政策をとり、ネズミを追い出しているという図だったわけです。
科学としての医学が確立していたわけではないけれど、黒死病がネズミと関係していること、隔離政策が一定の効果があることは知られていたのですね。
老人は、自分の祖先が決して悪魔のような人間ではなかったと知って、城を売るのをやめたという話でした。

科学は完璧ではない。感染症に対して100%の治療策・対応策をまだ人類は手に入れていないし、今後も手に入れられないかも知れない、何しろ、敵は人類よりもしたたかな生命体だから。
そのなかで、人々がどう生きて、どのように他人を思いやるか、それをその都度試されているのかもしれないと思うのでした。
災害もまた然り。できることなら、太平洋高気圧と大陸高気圧の位置を変えたいけれど、出来ないから、今できる最善の策を考えていかなければなりませんね。今だけを見てはいけない。ビッグヒストリーがはやるのも、そういうことなのでしょう。そこに必要なのは、分析する能力だけではなく、未来に対する想像力、他人の立場・状態を思いやる想像力、かもしれません。

『Master KEATON』、持っている方は読み返してみてください。読んだことがない方は、この機会に是非!
(全18巻+1)

ところで、祇園祭。
疫病退散のお祭りを取りやめるのは、仕方がないとは言え、なんだかつらいですね。
もしかして、ちまきの通販とかしてくれないかな。いつもは手に入らない長刀鉾のちまきが買えるかも?
牛頭天王
・・・・・・牛頭天王に怒られるかしら。

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【雑記・映画】「だが、今日ではない!」~『ロード・オブ・ザ・リング』のこと~ 

「皆、とどまれ! ゴンドールの息子よ、ローハンの子らよ! わが同胞よ! 諸君の目の中に恐れが見える。恐れは私とて同じだ。何時の日か、人の勇気が失われ、友を棄て、あらゆる絆を断つ日が来るかも知れぬ。だが、今日ではない! オオカミの日が来たり、盾が砕け、人の時代は終わりを迎えるかも知れぬ。だが、今日ではない! 恐れず戦おう。この大地に、皆の大切に思うもの全てにかけて、戦ってくれ! 西方の勇者たちよ!」

Hold your ground, hold your ground! Sons of Gondor, of Rohan, my brothers! I see in your eyes the same fear that would take the heart of me. A day may come when the courage of men fails, when we forsake our friends and break all bonds of fellowship, but it is not this day. An hour of wolves and shattered shields, when the age of men comes crashing down! But it is not this day! This day we fight! By all that you hold dear on this good Earth, I bid you stand, Men of the West!

何回見ても、このシーン、かっこいいんだけれど、次のシーンでフロドがぐずぐずしているのを見て、いらっとするのは私だけではないはず。この話、だいたいフロドは何をしたんだ? かっこよかったのはサムじゃないか?
「俺に指輪は運べないけど、フロド様は運べます」
って、そこまでもしてもらって、土壇場で棄てられないで、まだぐずぐずしとる。
き~っ
しかも、指輪も自力で棄てたんじゃなくて、不可抗力で落っこちただけやん。
みんな、「フロドのために!」って言って、むっちゃ戦ってんのに!

最初から最後まで私はアラゴルンだけど、それにしても。

このラストのほうで、アラゴルンが人間の王になって、ちっこいホビットたちの前に跪いて頭を下げ、それに続いて居合わせた全ての人が彼らに頭を下げるという感動的なシーンがあるんだけれど(これってディズニーの『ムーラン』にも同じようなシーンがありますね)、まぁ、そこに至る経過はともかく、やっぱり泣いちゃうんですね。

「我が友よ。そなたたちは誰にも頭を下げる必要などない」
My friends. You bow to no one.

 そう、今日の話題はワーグナーの指輪ではなく、トールキンの『指輪物語』です。
話題と言うよりも、つぶやき、ですけれど。
あ、正確には、映画の『ロード・オブ・ザ・リング』
と言っても実は、原作を読んだことがありません。映画は何回かみておりまして、この期に及んで原作を読もうかなと思わなくもないけれど、現実問題として、もうこんな長いの、そうそう読めないかな。
実は映画はDVDも持っている。でも最近、J:COMのあるチャンネルでしばしばやっているので、そのたびに見ちゃう(というより、大体見ているからBGM状態。時々「あれ? こんなシーンあったっけ?」)。で、アマゾンで原作本をポチりかけて、「はて? 今の私に読む時間があるか?」と立ち止まったところ。

『守り人シリーズ』は、NHKの力作ドラマで映像を先に見て、すごく面白かったので(なんだかんだ言う人もいるかもだけれど、綾瀬はるかは結構嵌まってたと思う)、この期に及んで原作を全部読んでしまったけれど、だんだん長い小説を読む根性がなくなってきているなぁと思うこの頃。

一番長編小説を読んだのは、中学から大学生にかけてだったけれど、文学・小説というものは「読む時」ってのがあるんだなぁと思ったりするのです(特に長編はね)。
私にとっての「その時」に読んだもので一番長かったのは、なんと言っても山岡荘八の『徳川家康』だったかも? 
選んだ長編小説の類いは、その頃の自分を形作ったかもなぁと思います。
私の場合は、ロシア文学(ドストエフスキー、トルストイ)に始まり、ロマン・ロランなど外国小説と、日本の時代小説(司馬遼太郎、少し遅れて池波正太郎)だったかなぁ。そして、就職してから、ほぼ夜勤の待機時間に読み切ったのが『銀河英雄伝説』。

長編小説といっても、連作ものはまだ良いのですが、この『指輪物語』、一連の物語で10巻くらいもあるんね。
こういうものは、きっと若いときに読まなくちゃならないんだろうな。読むのに適した年齢ってあるかなって思ったり。そもそも、まとまった時間が持てるのは若い者の特権。
あるいは、定年になったら、読めるのかな。
もしくは、アラゴルンで読み切れるのか。
あ、でも、考えてみたら『ハリー・ポッター』はなんだかんだ言いつつ、読んだわ……別に、ハリーにではなく、私のお気に入りはこれも最初から一貫してセブルス・スネイプ先生。もう、あんなに物語的においしいキャラはいないでしょ。

 『Lord of the Ring』(これって、カタカナで見てたら『Road』かと思っていたら、指輪の主人(持ち主)ってことなのね。深い)にかこつけて、色んなことを思うんだけれど、そのひとつが、長い原作をこの期に及んで読めるかなぁ(人生もう第3楽章の終わりくらいにさしかかってるからね)、ということ。
そしてもうひとつが、この主人公(なんだよね、一応)の謎。

映画を観ていると、なぜかフロドのシーンでちょっと「いらっ」とする。
もちろん、ヘタレ主人公の話なんてざらにあるんだけれど、普通は冒険ものって、主人公は最初ヘタレでも旅の中で成長していくもんだよね? あのアムロでさえもそこそこ成長した。
なのに、このフロドときたら、見ている人をずっといらいらさせている。

でも、それはなんでだろう? って考えちゃう。
物語は虚構だから、物語の中だけでもカッコイイ主人公やキャラたちを見ていたい、と思う面もある。ダメなやつでも、何か良いところや入り込める部分を見つけて共感しながら読みたい・見たい。
が。このフロドにいらっとするのは、なんかもう、どこかにいるであろう「卑怯な自分」をずっと見ているような気になるからなのかなぁ。

 最後の『王の帰還』では、フロドはサム(フロドの家の庭師で親友)とスメアゴル(指輪を付け狙っている悪しき者、だけど、彼の中にも葛藤がある。全ては指輪の魔力?)といっしょに、ひたすら指輪を破壊するために旅をしているんだけれど、しばしば自分が指輪の持ち主になり、生きるもの全てを支配する邪悪な力を持ちたい(というよりも、指輪自体がこの世にはびこりたいという悪の権化=サウロンの象徴となっている)という欲望と戦わなければならない。というよりも、ほぼ負けている。
要するに、敵は外ではない、内にいるってことね。つまり、人って、果たさなければならない責務に対して、良心(=サム)と悪しき心(=スメアゴル)を常に両方持ちながら、旅をして戦っている、という構図なんでしょうかね。
でも、戦ってるのか? ほぼ他力本願、とか、不可抗力、なんだけど。
ううん(*´~`*)?

これは別にフロドが主人公ってことじゃなくて、いわゆる群像劇様に見たらいいのかな。

最後、エルフの船に乗ってフロドが去って行くのも、つまりは「死」のイメージの具体化で、この旅を始める前の自分にはもう戻れないという諦念が彼にある。そこはまぁ、納得なんだけれど……
なんかすっきりしないわぁ。
もちろん、もやっと感が残る小説・映画・物語、嫌いじゃないのです。いわゆるハッピーエンドは期待していません。主人公がヘタレでもいい。でもなんだかなぁ。
最近、たまにJ:COMで『水戸黄門』見ると、ほっとするのはなんでだろ? 予定調和に弱い日本人だからかな。


 で、話は冒頭に戻る。
「お前がいてくれてよかったよ、サム。」
ほんとだ! まったく、ぬけぬけと……私がサムなら、さっさと放って帰ってるわ。
原作を読んだら、何か新しい納得が得られるのかしら。
しかし、この物語、そもそも書かれたのは第二次世界大戦のころなんですね。思えばすごい。根強いファンがいて、映画化にあれこれ口を挟むのも分かる気もするけれど、個人的にはいい映画だと思う。役者は上手く揃えたな~。なんというのか、みんな顔がそれっぽい。映画しか観ていないから、分かんないけど。

あ、関係ないけれど、オーランド・ブルームは見事にエルフでしたね。海賊よりはいいや。
って、この映画、なんだかんだ言って、最後のが2003年だから、もう17年も前なのね(その後に、前日譚にあたる『ホビットの冒険』が2013年前後に公開されている)。
ううむ。

でもやっぱり、アラゴルンがかっこいいから、許す。
「だが、今日ではない!」
そうだ、なにはともあれ、その言葉を胸に、まだまだ頑張るぞ。

そう、物語には、脇役でも良いからカッコイイ誰かさんと、カッコイイ台詞があってほしい。
もちろん、カッコイイの基準は人それぞれだけれどね。
だから、もしかしたら、私がいらっとするフロドに(それでも指輪を運んでいる。まるでゴルゴダの丘を登るみたいに。もしかしたら、これはそのイメージで、死に向かって歩いている、そういう寓話なのかも)かっこよさを見いだす人もいるのかもしれないと思い直すのであった。
そういや、物語のどこかで「フロドは死ぬ(運命にある)」ってガンダルフ(魔法使い、でも中つ国では魔法はそんなには使えない。だから最後の闘いのシーンでみんなと一緒に走ってる姿を見てちょっと萌える)が言っていたような。
いや、それは「ハリーは死ぬ」って校長が言ったんだっけ? やっぱりなんか、パターンがあるのね。

ここのところ立て続けに何回か見たので(なぜ?)、ちょっとつぶやいてみました(#^.^#)

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