08 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨114] 第23章 喪失(1) 

【海に落ちる雨】第4節の幕開けです。

新宿にある調査事務所所長・相川真の同居人・大和竹流。
ローマにある教皇庁と深い関係があるヴォルテラ家の後継者であるが、その立場を捨てて今は東京でレストラン・バーとギャラリーを経営する美術品修復師。

大怪我をして入院していた大和竹流の失踪。
その失踪に重なるように蠢いていた人間たちの影が、今となっては静まり返っていた。
代議士・澤田顕一郎、溺死した元傭兵の田安、内閣調査室の『河本』、『河本』の命令で動いている警視庁の女刑事・添島麻子(竹流の恋人)、米国中央情報局に雇われている真の父親・アサクラタケシ。

真はようやく竹流の失踪時、最も身近にいたはずの男に行き当たった。
澤田顕一郎の元秘書・村野耕治の息子・草薙。

竹流が失踪前に関わっていたのは、新潟の豪農・蓮生家の蔵から見つかったというフェルメールの贋作だった。
蓮生家の怪しげな面々、贋作の鑑定に関わったという弥彦の村役人・江田島、フェルメールのことで政財界の大物たちを脅迫したうえで自殺したとされる雑誌記者・新津圭一、口がきけなくなったその娘、新津の愛人で真の恋人でもあったバーのママ・深雪。

それぞれがそれぞれの事情で事件に絡み、物事を複雑に見せている。
だが、事件の核心はただ一つだ。
「妙に大物が動く割には起こっていることが小さい」
絡み合う人間の欲望の泥沼の中から、真は彼を探し出せるのか。
そして、竹流が本当にしようとしていたことは何だったのか。
彼の本当の『敵』は誰だったのか。

草薙に案内されて、真は、竹流がフェルメールの贋作を描かせていた女・御蔵皐月のアトリエに向かう。

【海に落ちる雨】登場人物紹介はこちら→【登場人物紹介】





 草薙は車も免許も持っていないというので、添島刑事が用意してくれたカローラは、有難いことに早速役に立った。
『河本』は多分土俵を下りたのだろうし、これから真が振り切らなければならない相手は警察関係だけかもしれないが、首都高速道路に乗ったカローラの周囲には、今のところ誰の気配もなかった。

 夜半に高速を西へ走る車は、トラックを別にするとさすがに少なく、具体的な目的地を思い描けない状況では、まるで異次元に向かって車を走らせているような錯覚に陥る。
 むしろ、直接的な敵からの接触があったほうが、この道が確かに彼の元へと繋がっていると信じられるのに、ここに至って何の気配もないことが辛かった。

 とりあえず、どういうことになっているかと考えると、相川真は、幼女誘拐および内閣調査室で窃盗を働いた寺崎昂司と一緒に姿を消した怪しい外国人、大和竹流の行方を知っている参考人で、楢崎志穂への婦女暴行の容疑者としてマークされているという状況のようだ。しかも、どちらも真にとっては言いがかりのようなものだ。
 そう考えると、罪状的には大したことはないように思えてきた。もっとも現時点では、『大和竹流の捜索の断念』という条件で『河本』から不問と安全を買ったことになっている。

 いや、『河本』は多分、真が結果的に諦めるとは思っていないだろう。相川真がアサクラタケシの息子であることを知っている彼は、この親子がどういう性質の遺伝子を持っているかを十分に理解しているはずだった。
 何よりの問題は、アサクラタケシは相川真をチェザーレ・ヴォルテラには渡すまいとしてくれているようで、その背後事情から一旦、どういう事情にしても真を拿捕しようと考えているかもしれない。
 そうなると、自分が一番振り切らないとならない相手は、実は父親なのか、と思った。

 甲府まで高速は順調だった。
 草薙は助手席で黙っていた。大柄ではなく、真よりやや背が高いかどうかで、顔振りが小さいからか全体にはむしろ小柄に見える。痩せて骨ばった頬に尖った顎は、動く獲物を狙う爬虫類に似ている。

 草薙は短い単語だけで、高速のインターを指示し、その先の道を誘導した。
 インターを降りてから二十分ほど走って、言われるままに車を止めると、全く車が走っていないわけではないが、深い山の中のように思えた。もっとも灯りがほとんど消されたこの時間では、たとえ人家があっても、どこも山や森の中のように感じたかもしれない。

 草薙の無言の気配で車を降りると、湿った木々の匂いがした。
 車のライトで照らされた道は、まっすぐに木々の中を走り抜け、少し先でやや登りの坂道になっている。登りの途中からは闇に吸い込まれているのか、実は下りに変わっているのか、いずれにしてもその先は奈落へ沈んでいるようにも見えた。

 もっともこの闇の中だ。距離感は曖昧で、昼間に見る景色とは随分違っているのだろう。
 突然、甲高い鳥の鳴き声が闇に木霊して、真は思わず頭上を振り仰いだ。
 舗装された道の両脇には木が覆うように並んでいて、車を停めたのは、舗装道の脇から伸びている砂利道の角だった。砂利道の入り口には杭が打たれ、チェーンがかかっている。

 草薙が助手席のドアを開けたまま、身体を乗り出すようにして冷めた声で言った。
「どうする気だ? この時間じゃとても探しものはできないぞ」
 地面に落ちた生命の残骸が湿った音をたてているのは、風のせいか、それとも足音を忍ばせた生き物が蠕く気配なのだろうか。時々、侵入者を確認するように、無音になる。

 真は草薙の問いかけには答えず、闇の向こうを見つめたまま尋ねた。
「この先に、御蔵皐月のアトリエがあったのか」
「そうらしいな。だが、今は完全な燃え跡で、もう何も残ってない」
「ただの火事だったのか?」

「わからん。色々と燃えやすいものが多かったから、何かが引火したんだろうって話だけどな」
「よく大火事にならなかったな」
「アトリエまでの道と周辺は随分切り開かれていたし、幸い風のない日だった。それに、通りかかった隣の別荘の人間が、部屋の中で燃えている火を見かけて、直ぐに消防を呼んだらしい。それでも消防が来たときには、アトリエはほとんど燃えてしまっていたらしいがな」

 真が諦めきれずにその先の闇を見つめていると、草薙がぽん、と投げ出すように言った。
「明日にしよう。まさか、お前を追っかけている連中も、山梨にいるとは思ってないさ」
 誰かに追いかけられているという強い緊張感はない。むしろ、こっちが何かを追いかけているのに、目的のものに届かないという焦りのほうを強く覚える。
 どちらかと言えば、追いかけてきて姿を見せろという気分だった。

「悪いが、生きている保証はないぞ。だが、今日生きているなら、明日もまだ生きているだろうよ。すでに死んでいるなら、一晩焦ったところで仕方ないだろう」
 真はそれには答えなかった。

 だが、確かに、この時間からこれ以上身動きがとれるとは思えなかった。
 そのまま甲府に泊まることにし、駅前のちっぽけなビジネスホテルに入った。
 建物の一階が駐車場になっていて、その脇の粗末な鉄製の階段を昇って、透明の扉を押し開けると、ロビー兼喫茶店になっていた。

 喫茶店のレジがそのままフロント代わりだった。カウンターと二席ずつのテーブルが三つ縦に並んで、狭い通路があるばかりの喫茶店だ。申し訳程度の観葉植物が、十分な水と栄養と日光を与えられないために、葉の先端を重力に任せたまま、細い自動扉の脇に納まっている。

 シングルの部屋を二つ頼んで、染みた汚れが取れなくなっている鍵を受け取ると、古く安っぽい暖簾のかかった通路を通り、更に狭い階段を昇って、足下の何かの荷物を踏み越えて部屋に入った。火事にでもなったら逃げられないな、と思ったが、値段を考えたら、別に訴えるようなことでもない気がする。

 部屋は本当に狭く、決して大きくはないベッドがようやく一つきり入っていた。窓の外は建物の壁で、まるで監獄のようだ。ユニットバスも一人でも狭いと思うような作りで、ドアも完全には閉まらなかった。
 正直、よく営業を続けていると感心するようなホテルだった。普段、客が泊まることがほとんどないために、傷んでしまっているのかもしれない。

 シャワーを浴びて、ベッドの上に放りだしてある、糊だけは十分にきいた掠れた青の浴衣を着て、身体を横たえた。カビのような臭いと染み付いて取れない古い体臭が入り交じっていたが、不快とも何とも思わなかった。

 実際、次にどうしたらいいのか、分からなくなっていた。
 御蔵皐月のアトリエの焼け跡に何かが残っているとも思えない。それでも一度はそこに行ってみなければならない気はしている。おそらく皐月があの絵を描いていたのは、そのアトリエなのだろう。

 だが、不思議な符号だな、と思った。佐渡の爆発事故と山梨のアトリエの火事。竹流が火傷を負ったのは実際はどっちなのだろう。
 それに、本当に寺崎昂司は御蔵皐月を殺したのだろうか。
 楢崎志穂はどうしているのだろう。真に暴行されたと、警察に言った。彼女は荒神組の連中に脅されていたのだろうか。

 疲れているのだ。休息を与えられない脳が、過剰に活動している。
 子どもの頃から、網膜に映ったシーンは何時もばらばらだった。それを脳内で意味のある一つの絵にするためには、意識的に使い慣れない脳の部分を刺激する必要があった。
 ばらばらのカードを並べて、組み合わせていくという作業をするためだった。

 落ち着いたらできることが、焦るとできなくなる。今、頭の中にはばらばらのカードが散らばっていて、その中で真は、疲れてぼろぼろの身体で歩き回りながら、途方に暮れている。
 そこに交じっている無関係そうに見えるカードが、時々悪質な臭いを放ち、真の足に絡み付く。
 いや、これこそが最も中心にあるカードなのか。屈みこんで触れようとすると、身体が痺れたように硬直した。

 思考が整理できないことに焦りを覚えながらも、一度横になると身体を起こすことができなかった。
 ヤクザに殴られたのも、もう随分前のことのように思える。実際に身体に受けた暴行からは少しずつ立ち直り、むしろここ何日かは、短くともベッドに平穏に横になる時間さえあった。

 それなのに実際は全く眠れていない。夢を見た記憶もない。ただ暗い天井を睨みつけていただけだった。荒神組の連中に殴られた趾がたまに疼くのは、今日の午後、草薙の店で受けたものが追い打ちをかけたからだろう。
 眠れないのは、まだはっきりとは抜けきらない薬の幻覚が、脳のどこかに住処を作っているからだ。

 幻覚と現実の境目をうろうろしていると、つい今日の午後、男達に殴られたり蹴られたりしたその場面が、身体の内側から突き上げてくるような気がした。
 ベッドに横たわっているのではなく、殴られて身体がどこかへすっ飛んでいくような不気味な感覚を、あたかも身体そのものはまだその現場に残っているように感じていたのだ。

 そして、不意に大きな男に顎を摑まれて分厚い唇を押し付けられた感触と、誰かのごつい手が自分のものを握った感触が幻覚を越えた。
 今この身に起こっている実際の出来事ではないのに、真は跳ね起きた。何よりも、身体が幻想に反応していることに自分で驚いたのだ。

 今でも、ほんのたまのことだが自慰をすることはある。けれどもさすがに中学生や高校生の頃のように、夢精をすることはなくなっていた。
 もともと眠りのスパンが短い真は、夢を見て覚えていることは比較的多くそれが現実と区別がつきにくいことも少なくない。その中で艶夢を見ることもあったが、下着を汚すようなことはなかった。真は自分の勃ち上がったものの先端が僅かに湿っているのに触れて、自分は一体何をこんなに餓えているのだろうか、と思った。

 俺は、やっぱりおかしいらしい。
 ここに至って、理由は明らかだった。
 いや、本当は以前からずっと解っていたのだ。美和とベッドを共にした後、何となく盛り上がっていた気持ちがほんの数日で急速に冷めたのは、何も仁に叱られたからではない。
 日一日と時間が経っていく中で、彼の不在を身体も心も恐怖に感じている。

 自分で今の状態を処理しようとは思わなかった。
 単に勃起して感情の昂ぶりがないまま射精できないことなど、珍しいことでもない。そんなことで欲求不満になるほどのこともない。
 だが、ふと気がつくとまた、涙も流さずに泣いていて、情けないほどに頼りないのを感じた。会ったところで、抱き合ったりキスしたりすることが簡単にできるわけではないのはよく解っていた。
 満たされないことがあるとしたら、ただ耳の中の小さな産毛まで震わすようなあのハイバリトンの声と、鼻腔をくすぐる白檀のようなオリエンタルな香りが、今ここにないこと、そのことだけだった。

 美和に追及されてもさすがに答えられなかったが、大学に入る前、ほんのしばらくの間あの男とそういう状態にあったことは事実だった。だが、真自身は大学入試で参っていたし、その後のまるでハネムーンのようなイタリア旅行の間、自分たちが多少箍が外れていたのも知っていた。しかも、あの時竹流は、日本に来てから何年も帰らなかった故郷に久しぶりに足を踏み入れて、色々と複雑な感情になっていたのだろう。

 実際にそうなってみて、分かったことがある。
 自分は以前からずっとそのことを望んでいて、他の誰かを抱いたり抱かれたりしている時にも、彼の手を探していた。だから、そうした行為の最中に、他の誰かの手を探さなくてもいいということが、どれほど満たされた思いがするのかということを知った瞬間の、あの震えるような感覚も、真はまだはっきりと覚えていた。

 あの男が、その後なぜそういった行為を一切止めてしまったのかも、何となくは解っているつもりだった。彼は、やはり女しか抱けないと言っていたが、それが思わず口をついて出た言い訳に過ぎなかったのではないかと、時々そう感じている。
 彼がそう言った時は、真のほうも納得して何となく安心し、妙に開放された気分になったりもした。その上でベッドの中では半分は無意識に、半分は意識的に、彼に甘えた。彼は酒の量が増えていたような気がする。

 それでも、セックスをしないことが苦しいと思っていたわけではない。厩舎の藁の中と同じ匂いがするあの空間を、頭の上に広がったあの大宇宙と同じ温もりを、手離すつもりもなかった。
 その一方で、彼が留守をしている期間は、おかしなくらい深雪のところに通いつめるようになっていた。しつこい男だと思われるのは情けなく、行かない日には、熱い風呂に入って早くベッドに潜った。眠れないので、自分で自分を慰める日もあった。
 代わりになるようなものは何もなかった。

 彼も自分も決して同性愛者だとは思わない。彼以外の男にどうこうされたいとは一片も思わないし、女性に対しての性欲は全く普通だと思っている。あの男もそうだ。普通に女性を抱いている。もっともかなり複数、という点は問題だが。

 あの男が目指し求めているものが何なのか、真にはよく分からない。ひと時燃え上がって終わってしまうような恋ではなく、もっとはるか高みを求めているのかもしれない。
 その理想を自分が理解できないことは、もう構わなかった。
 しない、というならしなくてもいい。したい、と言われたら応える、それだけのことだと思ってきた。どうせ自分の中で答えが出ない問題なら、そのまま呑み込んでしまったほうがいい。

 何より、始めから真はあの男のものだった。指の先、爪の先、髪の毛の先の、明日剥がれ落ちしまうような細胞の一片までも、あの男のものだった。全ての血を搾り出して見せろと言われたら、躊躇わずにそうする。
 真の命の核は、十九のあの日からあの男の中にあった。

 それなのに、あの男は何故、俺の首を締める権利を持っているのに、それを行使しないのだろう。
 真は、自分が狂いそうになっている理由をよく知っていた。あの男が自らの命を危険に晒している理由が「相川真」ではないからだ。狂いそうになっているのは、何かわけの分からないものに対する嫉妬だった。

 酒の一杯でも手に入れておくべきだった。そうすれば睡眠薬代わりになって、一気に眠れたのかもしれない。
 不意にドアがノックされた。飛び上がるように驚いたが、それが真の昂ぶりを鎮めてくれた。

 ドアを開けると、草薙が立っていた。
 部屋に入る前に食事に出ないかと誘われたが、まだ殴られた趾も辛くて気分も悪かったので、断っていた。草薙は缶ビールを真の手に押し付けた。
「睡眠薬代わりにはなるぞ」

 缶ビール一本がこれほどに有り難いと思ったのは初めてだった。しかも、これだけで十分酔っぱらえる自信もあった。草薙は真を見て、泣いていたのか、と聞いた。真は、そうか、涙を拭うのは忘れていたとぼんやりと思った。
「とにかく、飲んで寝ろ。ああは言ったが、俺もあいつに簡単に死んでもらっちゃ、寝覚めが悪いんでね」
 真は礼を言って、ドアを閉めた。

 作り付けの細長い机の上の鏡は、長年磨かれた気配もなく、ひびが入っていた。鏡の中の薄暗い世界に、真は亡霊のように立っている。ひびの部分で歪んだ世界の中では、二つの感情もそのままひび割れていた。

 真は涙など欠片も流していないことに気が付いた。泣いていたのは、上手く鏡になど写らない心だけだった。草薙は、真の背中に張り付いているもうひとつの世界を見ていたのかもしれない。
 ベッドに座って、苦い薬を流し込むように一気に缶ビールを空にして、そのままカビと古い汗の臭いが染みた薄い布団にくるまった。すぐには眠れそうになかったが、少なくとも泣かずに済みそうだと思った。

 彼に会いたかった。本当にただそれだけでよかった。


(つづく)


次回予告?

「あんたは、何故自分の父親をそんなふうに突き放して話すんだ?」
 草薙が鼻で笑った気配を感じたが、ほとんどエンジン音に消されてしまっていた。
「あんたはどうなんだ? アサクラタケシの息子さんよ。人殺しの親父にどんな気持ちを抱いている?」
スポンサーサイト

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨115] 第23章 喪失(2) 

【海に落ちる雨】第23章その(2)です。
竹流が御蔵皐月という女性にフェルメールの偽物を描かせていたというアトリエ。
火事で焼けてしまい、今は何も残っていない場所で、真はあるものを見つけます。
それは竹流にとって身体の一部と言ってもよいはずのもの。
ここから先、この小さな「物」があちこちで存在を主張します。

物語における小道具。時々思いだしたように出てきて、人と人、場面と場面を繋いでいく。
こんなふうな小さな「もの」に注目してみると、ちょっと違う側面から物語を楽しめるのかもしれません。





 フロント代わりの喫茶店のコーヒーは、全く期待していなかったのに、意外にも美味かった。
 真の胃には多少堪えたが、コクが深く、酸味が少ないためか幾分甘みさえ感じるようなコーヒーだ。草薙も朝は弱いのか、食事はとらずに熱いコーヒーだけをすすっていた。

 お互い口もきかないまま、車に乗り込み、昨夜行きかけた郊外の道に向かう。空はまたはっきりしない天気で、降るような降らないような曖昧な湿気を含んでいた。
 明るい時間に見ると、全く人気のない山道でもなさそうだった。それほど遠くないところに高速が見えていた。

 部分的には林程度の木々の繁りがあったが、途切れたところには廃車を解体する小さな作業場や、何か工事現場で使う部品を扱う会社が敷地を占拠している。
 住宅街があるわけではないが、車の通りは意外に多い。この先に団地でもあって抜け道になっているのかもしれない。

 草薙は車を降りて、脇道にへの侵入を拒んでいたチェーンを外した。真が車を進めると再びチェーンを掛けて、車に戻ってくる。
 そこからは両側から木々に襲い掛かられるような道で、山の中というほどの印象ではないのに、深みに嵌っていくような気配だった。

 舗装されていないので、しばしば振動で胃が暴れる。天気が良くないせいもあるが、昼間でも薄暗く、不意に何かにハンドルをとられそうになった。
 車二台がすれ違うのは多少困難に思える。所々、回避地のようになっているのはそのためだろう。

 大して走ったわけでもなかった。おそらく初めて辿る道だから、少し長く感じただけなのだろう。ぽつん、ぽつんとログハウスのような建物が建っている。
 チェーンの意味するところは、私有地の目印だろう。建物の周囲は木が切り開かれているので、空に遮るものがない。

 その一番突き当たりは丸く切り開かれていて、随分と明るく見えた。中心部にはまだ草も生えないところが残っている。建物の残骸は燃え痕も生々しいまま、この場所から運び出されずに申し訳程度に真ん中に寄せ集められていた。
 割れたガラスが足下で壊れる。焼け残ったものは、比較的大きな家具の一部と、柱の一部、建物自体の枠組みだけのようだった。
 他は、元の姿を思い浮かべることもできないような屑となって、半分土と同化している。変形した絵具のチューブや、イーゼルのネジのようなもの、歪んだガラスの小瓶などが所々に隠れていた。

 真は足の下の気配をひとつひとつ確かめるように、ゆっくりとその焼け跡を歩いた。
 ここで、御蔵皐月はあの贋作を描いていたのか。そして、傍で竹流がその女に語りかけ、時には肩を抱き、時には唇を合わせ、そして時には、この焼け残ったベッドが丸く完全な形を持っていた頃、その上でその女を愛したりもしたのだろう。

 だが、今、冷めた焼け跡にはもう何もない。この場所から、何かが湧き上がってくるわけでもない。
「そのガラクタをひっくり返すなら、手伝うぜ」
 草薙は言外に、何もあるわけがないけどな、という響きを十分に含ませて言った。
 真は返事をせずに焼け跡を歩き続けていた。じっとりと湿り気を含んだ地面は、人為も自然もない交ぜにして、一歩を進めるたびに足に絡みつく温度となる。

 その真の足の先を、矢のような光が横切った。
 見上げると、重い雲が僅かに切れて、隙間から光が漏れ出していた。
 あそこに天国があるような気がする、という少女趣味な感慨を抱くつもりはなかったが、何かに導かれるような気がして、真はその光を追いかけ、僅か先の地面を見た。

 それは、真の視線がちょうど落ちるあたりに光っていた。
 真は歩み寄り、思わず息を飲んだ。気持ちの揺れとは裏腹に、ゆっくりと屈んでそれを拾い上げる。
「何だ?」
 草薙に問いかけられてもすぐに返事ができなかった。予想外のものが目に飛び込んできて、今、真の手の中でそれは紛れもない鈍い光を跳ね返している。

「指輪?」
 真はスラックスで指輪の泥を拭った。明らかに見覚えのある銀の指輪には、荊と十字架のモチーフが浮かび上がっていた。
「どうした?」
「竹流の指輪だ」

 真は自分の声がかすれていることに気が付いた。安いホテルに泊まると、いつも喉の調子を悪くしてしまうからに違いなかった。
「落としたのか?」
 落とすわけがない。この指輪は竹流の身体の一部のようなものだ。指から抜くときはいつも身を切るような仕草で抜いている。あの日、真がこれを抜こうとした時も、簡単には関節を越えてはくれなかった。

 誰かが彼の指から抜いてここに捨てていったのか、それとも。
 真はもうひとつの可能性を、嫌でも探らねばならなかった。そして、そのことが何を意味しているのかを、目を閉じて、脳の隅々の全ての細胞までも働かせて考えていた。

 ここに竹流が来た理由は何だったのだろう。既に燃えかすしかない焼け跡に何か特別なものがあったのだろうか。あるいは、ただ指輪を捨てに来たのか。佐渡に行くまでの間に、彼がここでしようとしたことは、これまでの彼の人生への決別だったというのだろうか。

 どれほどローマの家と喧嘩をしようとも揉めようとも、修復作業のとき以外に竹流が今までこの指輪を外したことはない。それは、それでも彼がいつかはあの家を継ぐつもりがある、あるいは捨てられないという証明だと思っていた。
 そして、竹流があの指輪をしている限り、真も、あるいは事情を知っている添島刑事や彼の仲間たちも、いつかは彼と離れる覚悟をしていなければならなかった。

 雑誌のインタヴューに答えたときでさえ、竹流はあの指輪を外してなどいなかった。それなのに、何故今、ここに捨てていったのだろう。
 誰かが彼の手から抜いて捨てる、などという象徴的なことをするはずはないと思った。ヤクザなら、指ごと切り落とすことはあっても、丁寧に指輪だけ抜くというようなことはしない。これはあくまでも儀式のようなものだ。

 真は指輪をスラックスのポケットに入れて立ち上がった。
 もう一度あたりを見回したが、天啓のようなあの光は消えてしまっていた。
「どうするんだ?」
「役所に行きましょう。この土地が誰のもので、あるいは今どうなっているのか、確認したい」

 村役場で確認すると、そのアトリエがあった土地の所有者はある大手鉄道会社で、こんな東京都との県境の二束三文の土地など、誰も注目していなかったという扱いだった。
「でも、焼け残ったものを、誰か預かったって言ってませんでしたか」
 受付の年配の女性が後ろの男性を振り返った。

「そうだったかな」
 男性も記憶が曖昧のようでしばらく考えていたが、やがて思い立ったようにどこかへ去っていった。
 五分ほどして戻ってくると、真にメモを渡し、そこに書かれた人物を訪ねるといい、と教えてくれた。

 礼を言って役場を出る。車で十分ほど行くと、すぐに田畑の広がる区域に入った。
 住所の家を訪ねると、四十代くらいの女性が出てきて、その人は畑に出ていると教えられた。女性は真と草薙を畑まで案内した。
「おじいさーん」

 屈んでいた腰を伸ばしてこちらを見たのは、人の良さそうな老人だった。夏野菜の準備をしていた手を止めると、客人に気が付いて、そのまま真たちのほうへ歩いてきた。腰は曲がってもおらず、かくしゃくとした歩き方だった。
 真が来訪の事情を告げると、老人は不思議そうな顔をした。

「大和さんなら、十日ほど前に来なすったけど」
「来た?」
 老人は何度か頷いた。真は頭が引っ掻き回されたようになるのを感じた。
「わしが預かっとったものを取りに来られたんだ」
 真はしばらく、老人の人の好さそうな目を見つめていた。

「預かったもの、というのは、火事になったアトリエで燃え残ったものですか」
「ああ、それも預かっとるけど、取りに来たのはその後で預かったものだ」
 聞けば、この家は竹流のレストランの契約農家のひとつだという。それ故に行き来はしばしばあったのだろう。

 いや、実務的なことでなくても、この老人の顔、そして節くれだった手を見ていると、竹流が時折茶でも飲みながら、レストランで使う食材、野菜について思いを語り合い、時には語るでもなく共に過ごすにふさわしい相手に見える。

「それは何ですか?」
「さぁ、なんか小っさい箱みたいなもんだったけどなぁ」
「絵を預かりませんでしたか?」
 老人は首をかしげた。少なくとも絵画というような大きなものは預かっていないようだった。
 葛城昇が絵を探したときに、ここも探した可能性は高いし、やはり絵は御蔵皐月という女が持ち去ったのだろうか。

 それなら、竹流が持ち出したという箱は何だろう。わざわざ追われているときに取りに来なければならないようなものだったのだろうか。
「その後、どこへ行くか、言っていませんでしたか?」
「いや、聞いとらんなぁ」
 ここに来て、それから佐渡に向かったのだろうか。

 真は礼を言って、草薙と一緒に車に戻った。
「どうするんだ? 俺に案内できる場所はここだけだがな」
 真はエンジンをかけずに、しばらく考えていた。それから、草薙を見て確認した。
「あなたは、一緒に佐渡に行ったわけではないんですね」
「佐渡どころか、一緒に関東を出たこともないな」

 では、竹流が佐渡に渡ったとき、一緒にフェラーリに乗っていた男は誰なのだろう。
 美人が一緒なら絵になったのにねぇ、と目撃者が語っていた。そのときは、てっきりこの村野の息子が一緒だったのだろうと思っていた。それなら一体誰だ。

 寺崎昂司である可能性は? だが、真が怪我をした寺崎に会ったとき、寺崎は竹流の居場所を知らないと言っていた。嘘をついていた可能性は否定できないが、あの時の寺崎の様子からも、わざわざ嘘を言っていたとは思えない。では、誰が一緒だったのだろう。

 竹流はその誰かと一緒に佐渡に行き、そこで更に暴行を受けたのだとしたら、一体その相手は誰だろう。
 頭が混乱してきた。
 寺崎昂司の父親、寺崎孝雄という可能性もあるが、それにしても接点は何だろう? 大体、竹流がテスタロッサに嫌なやつを乗せるとは思えない。
 江田島道比古という可能性は? フェラーリに乗せるほど親しい相手とは思えない。

 だが、「その男」と一緒にわざわざ佐渡に行ったのだ。
 大体、彼が佐渡に行った目的は何だろう。あの隠れ家の鍵を取りに行ったわけだから、やはりあそこで何か見落として来たのだろうか。

 真は、嫌な想像をいちいち否定しながらも、身体が固まっていくのを止められなかった。最悪の想像は、それがアサクラタケシだったという可能性だった。だが、父には竹流を暴行する理由はないはずだ。
 万が一にも、息子の将来を案じて、その原因になるかもしれないジョルジョ・ヴォルテラを抹殺したいと考えていたとしても、それなら真っ直ぐにチェザーレ・ヴォルテラを始末すればいいことだ。
 竹流は決してあの家を継ぎたいと思っているわけではない。

 真はエンジンをスタートさせた。
「どうするんだ?」
「新潟に行きます。あなたはどうしますか」
 草薙は感情を読み取れない声で答えた。
「もう少しつき合ってやるよ」






『右手がしていることを左手に知らせるな』
戦時中の残酷な現実については、少し言葉を濁すことになりそうです。
でも、公然と覚せい剤や阿片のようなものが使われていた時代。
この言葉は阿片王と呼ばれたある人の信条だったのだとか。
敵でも味方でもない、しかし父親という存在については互いに思うところのある二人の道行き。
もうしばらく、お付き合いください。

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

[雨116] 第23章 喪失(3) 

【海に落ちる雨】第24章その(3)です。
竹流が立ち寄った焼けたアトリエ跡から真が拾ったのは、ローマ教皇からヴォルテラ家後継者に贈られるという指輪。
捨てられた指輪は、竹流の想いの表れなのか……
そして真は、最後に彼の姿が確認された新潟へ向かう。
その時、竹流の車に同乗していた男は誰だったのか。

今回は、草薙の名調子、お聴きください。
いい人なのかどうか。それはこの話ですから、「人間とは不思議なものだ。いいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらいいことをする」……そんな連中です。

関係ないけれど……もうすぐカウンターが10000を越えそう……
キリ番リクエストは今回はありませんが、踏んでくださった方には、きっと幸福の青い鳥が訪れるに違いありません!(他力本願^^;?)






 新潟に着いたとき、既に陽は傾きかけていた。
 気持ちは焦っていたが、さすがに多少は空腹を感じられるようになって、草薙が主張するままに駅前の定食屋に入った。
 狭い店の奥には、仕事帰りには少しばかり早すぎる時間にも関わらず、数人が夕食にありついていた。若い者も、比較的年配の男もいる。

 蕎麦くらいなら咽を通るだろうと思って注文すると、草薙が、身になるものを食えと、白飯と一緒に刺身やら天麩羅やらを追加した。
「狩に行くときに空腹で出て行くやつがあるか。全く、世話の焼ける野郎だ」
 真は、桜の言うとおり、自分は「雄」かもしれないと思った。だが、狩りに出る心構えが足りていないのだろう。

 結局、真は草薙の監視の下でいつになくしっかりと夕食をとり、それからふと、隣のテーブルの男が広げている新聞に目を留めた。
『上蓮生家』という文字が目に飛び込んできたのだ。
 男は新聞を畳んでテーブルに投げ出して立ち上がった。レジに行こうとする瞬間をつかまえて、その新聞を譲ってもらう許可をとると、真は訝しげに覗きこむ草薙にも見えるようにして、三面記事の小さな欄を読んだ。

『全焼した上蓮生家の古い蔵の床下から白骨死体』
 先日焼け落ちた上蓮生家の蔵の下には地下室があり、そこから女性と思われる白骨死体が発見された、鑑定の結果は少なくとも百年ほど昔の遺体で、蓮生家でも地下室があるということは知らなかったという話である。
 短い記事にはゴシップ的な内容が書かれているだけで、真実に近付くような情報は何もなかった。

「蓮生も、今更昔の傷を抉られたところでどうしようもないだろうにな」
「何か知っているのか?」
 草薙は白飯をかき込みながら意味深に真を見た。
「あんたの相棒が蓮生の絵のことで関わっていたのは知っているけどな。ま、とっとと食え。荒川に行く気なんだろう」

 車に乗り込む前に、草薙の提案で真は缶コーヒーを買いに行った。食事代は草薙が出してくれたので、その上コーヒーひとつとはいえ、甘えるのは悪い気がした。

 真が車のドアを開けたとき、先に助手席に座っていた草薙は、何か小さな紙切れを見ていたが、ちらりと真のほうを見ると、ゆっくりとした動作でその紙切れを握り込み、上着の内ポケットに仕舞った。
 真は草薙に缶コーヒーを渡し、自分も半分くらい飲むと、エンジンをかけた。
 今から荒川に行くとすっかり夜分にお邪魔する、ということになるが、明日まで待っていられない気がした。

「戦争には士気が要る」
 草薙が呟いた言葉に、真はしばらく反応できなかった。
「村野耕治って男は記者としてのモラルなどこれっぽっちもない人間だったさ。いや、もともと戦時中の事業を戦後にどうやって広げるか、それしか考えていなかったかもしれない」

「戦時中の事業ってのは、アヘンか?」
「資金源になったアヘンや士気高揚のために使われたヒロポンにしても、戦争にクスリはつきものだ。どんなに感覚が麻痺しても、人間、死ぬのは怖いさ。状況が悲惨になれば早く死にたい、死んだほうがましだと思うかもしれんが、目の前に死があって、怖くないと思う方がどうかしている。大体、綺麗になんか死ねなかった時代だ。死にに行く兵士に、気持ちが楽になると薬を渡したところで、罪だなんて言われなかったんだろうな」

 真は黙って前を見つめていた。
 市街地を抜けると直ぐに道は暗くなった。街灯も疎らになり、暗い真っ直ぐな道の彼方を照らしたヘッドライトが、当てのない行方を探している。

「軍が組織的にアヘンやヒロポンを使っていたことは、ある程度知られた事実だ。だが誰も騒ぎ立てて責任を問うたりはしない。軍というのは当時の国家という意味だからな。いつか、そうだな、こういう話の責任者がある程度この世を去って時効がやってきたら、もう少しはっきりとマスメディアで取り上げられたりもするんだろう。だが、その時点で世の中に過去の事実が伝えられたところで、戦争など知りようもない世代にどんなふうに受け止められると思う? へえ、そんなことがあったのか、程度の感想だろうよ。馬鹿な連中は、クスリを使うことに対する罪悪感を正当化されたような気持ちになるかもしれん。時間が過ぎてしまえば記憶は薄れる。どんな悲惨な事件でも、後から思い出を語っても遅い。臨場感がないからな。澤田顕一郎が記者として目指していたのは、手遅れにならないうちに真実を明らかにして犠牲者を贖うってことだった。村野には、むかつくような正義感だったろうよ」

「それで、蓮生と村野の接点は?」
 草薙は、深い角度に倒してあった助手席のリクライニングを戻した。

「俺も何もかもを知っているわけじゃない。村野の後妻だった女のところに、いくらか古い手紙や資料が残されていた。もっとも、村野の流儀は『右手がしていることを左手に知らせるな』ってやつだったし、そもそも罪の告白を喜んでするような手合いじゃなかったろうから、残された記録に全ての真実が書かれてあったわけじゃない。その女は癌になった村野に家政婦兼介護婦として金で買われたようなものだったし、少しくらい金目になりそうなものがないかって、村野の懐を探ってたんだとしても罪にはならんだろう。俺が見たのは、村野の死で実家に戻ったその女が持っていた、いくつかの手紙だ。村野家と澤田家はもともと親戚だったんだ。家系としては結果的にはどちらも没落しているが、戦前に澤田と村野の当主の間で何やら揉め事があって、村野の家は大分を追い出されたような形になった。その時、逃れた先の新潟で村野親子を預かったのが蓮生だ」

 真は思わず草薙を見た。それから直ぐに前方へ視線を戻す。彼方に信号の緑が浮いて見えていた。
「村野の父親が、軍の絡みでアヘン事業を始めたのは満州事変の頃だと聞いている。村野はまだ小学生にもならない年齢だが、ある意味、子どもは使いやすい一面があったんだろう。子どもの時分から父親の使い走りをしていた村野は、汚い仕事のノウハウも教わりながら、父親から毎日、澤田家に対する恨みつらみを聞いていたんだろうよ。新潟にいる間は、父親の手伝いをしながら、古の栄華を極めた旧家の古い因縁物語、つまりゴシップを随分集め回っていたようだ」

「何のために?」
「さぁな、半分は趣味で、半分は小銭稼ぎかもしれんな。古い家ってのは多かれ少なかれ世間に晒すことのできない恥部を持ってるもんだ。脅迫というより、奴にとってはお遊びだったんだろうけどな」
「下蓮生のお手伝いの女性が、子どもの頃に、地元の噂話を集めた雑誌があったって言っていた」
「そんなもんでも、身に覚えのある人間たちには気味が悪かったろうな」

「蓮生家は、村野に脅されていた、と」
「さてね。蓮生の話など、その後の村野がやらかした、本格的な脅迫のうちにも入らないもんだろうさ。蓮生には大きな波紋になったとしても。いや、それが村野のハイエナ人生のスタートライン、予行演習みたいなものだったのかもな。味を占めやがったんだ」

 真はチェザーレ・ヴォルテラが話していたことを思い出した。
 村野がつかんでいたのは、アヘンや覚せい剤を利用していた大国の首だったと。

 時間がたてばともかく、当時としてはまだ一般大衆に知られるわけにはいかない、あるいは補償や裁判の都合で、敵国には知られるわけにはいかない多くの事実があったのだ。
 そんな中で、まさか協力者がそのまま脅迫者になるなどとは、当時の大国の誰もが思わなかったことだろう。
 大国だけではない、大きな野望を抱いている妙な秘密結社も同じだったろう。脅迫者にも常に同じだけの危険が纏わり付いているはずなのだから。

 だが、村野は自分の不利益、つまり犯罪者として断罪される危険を顧みなかった。正確に言えば、いつか断罪される可能性を楽しんだ。犯罪者であることに酔いしれていたのだ。
 それは狂気だ。一体、村野をそんなところへ駆り立てたものは何だったのか。

 信号は赤だった。自分たち以外には人も車も見当たらない交差点で、真は素直にブレーキを踏んだ。
「あんたは、何故自分の父親をそんなふうに突き放して話すんだ?」
 草薙が鼻で笑った気配を感じたが、ほとんどエンジン音に消されてしまっていた。

「あんたはどうなんだ? アサクラタケシの息子さんよ。人殺しの親父にどんな気持ちを抱いている?」
 真は思わずハンドルを握る手に力を入れた。
 この男は、相川真を調べていたのだ。そしてこんなふうに簡単に見つけ出されるのなら、アサクラタケシの足下は案外脆い。

 だが、アサクラタケシのために相川真が危険な目に遭ったとしても、あの父親は息子を庇ったりはしないだろう。そんな感情を息子に抱くくらいなら、とっくの昔に何とかしてくれていてもいいはずだった。
「親父という人種に期待なんかしても仕方がない。お前も、俺も、寺崎昂司もな。あれは全く別の生き物だ。遺伝子の半分が同じだからって妙な感慨を抱いたら、おのれの足下さえ危うい。まぁ、もっとも、俺自身、ろくな生き方はしていないがな」

 その通りだ。遺伝子など、自分の中の何を決めているというのだろう。
 唐沢の言葉を今更ながら有難く思い出しながら、真は今一度、親と切り離された自分自身としての覚悟を決めるべきだろうと思った。

 それに、蓮っ葉な言葉を口にしながら、この草薙という男には、外観や表に出した言葉とは噛み合わない不思議な側面がある。
 唐沢と同じだ。どこかに信じてもいいと思える何かを持っている。
 真はナンニという黒人の少年の黒い目を思い出した。

「でも、あんたは、行き場のない密入国者の子どもの面倒をみている」
 草薙がふん、と鼻で笑った気がした。
「法は破ってるがな。お前さんだって、親父を刺して少年院に入っていた小僧や、ヤクザのなり損ないの面倒をみている。褒められた人間じゃなくても、親父がどんなろくでなしでも、多少はいいことができるってわけだ」
 ようやく、真はハンドルを馬鹿みたいに握りしめていた手の力を抜いた。

「だがな、お前さんは、いい親父を持ってるよ。親父、という歳でもないから、兄貴という言うべきか、世間の噂どおりに言うなら、恋人というべきか。俺はてっきり、ヴォルテラを継ぐ日のための参謀でも育ててるのかと思っていたら、あんな雑誌で家を継ぐつもりはないと抜かしやがった。じゃあ何でアサクラタケシの息子の面倒をみてるのかって聞いたら、出会って運命が拓けちまったから仕方がない、ってな」

「運命?」
 真はもう一度草薙のほうを見た。草薙はフロントガラスの向こう、遥か闇の先を見つめていた。
 その横顔には、人類の遺伝子の刻印が残されているような気がする。ただ一代前の記憶などではない、遠い昔から変化し続けてきた種の、あるいは生命自体の記憶の一部だ。

「お前さん、登校拒否で潰れちまったんで、一年ばかりカリフォルニアに住んでたろう? その時、夏の間、サンタフェのアウタースクールに預けられていた。あの男がお前の伯父さんに頼まれてお前たち兄妹の様子を見に行ったとき、お前はインディアンの村に行ったまま戻ってなかったそうだな。そこの長老が、今日サンタフェに着いた男に村まで迎えに来させろと言ったってんで、あの男はお前を迎えに行ったらしい。お前さんは、知ってたのか?」

 真は、この暗闇の中、唯一の頼りであるヘッドライトの明かりでも届かない行方を見つめた。
 車のエンジン音がそのまま振動として身体に伝わってくる。目の前に浮かび上がるのは、あの日、インディアンの村のはずれで見上げた、頭の上に広がっていた大宇宙だった。
「いや。確かに、あの頃は、まともに生活のできる子どもじゃなかったことは認める」

「そこの長老に、お前たちの運命が繋がれている、と言われたらしいよ。オカルトと心霊現象には興味がないと抜かす割には、あの男は遺跡だの古代の人智だのに触れると、畏敬の念を禁じえないタイプだからな、信じたんだろう。もっとも、その頃はあの男もお前さんのことを、多少むかつく面白い子供だと思っている程度だったってな。生憎、出会うべき運命など信じない、と答えたら、長老は言ったそうだよ。出会うべき運命などない、既に出会ってしまったが故に運命が拓かれたのだ、と。簡単に言うと、ちょっぴり気になる女の子がいて告白しようかどうか迷っていたら、友達に背中を押されてしまった、というような話だって言ってたな」

 よく分からない例えだ。
 真はしばらく言葉を継ぐことができずに自分の手を見つめていた。
 確かに、あの時サマースクールの教師は、真には精神的な癒しが必要なのだと言って、町のヒーラーのところに連れて行った。ヒーラーの老いた女性は古い絵本から抜け出してきた魔女のような目で真を見ると、あるインディアンの長老のところに行くべきだと言った。

 長老は真に、子どもの頃の唯一の友人だったアイヌの老人を思い起こさせた。
 真の顔を見たとき、長老は、ようやく友人が戻ってきた、と言って真を歓迎してくれた。メディスンマンでもある長老は幾日も掛けて真を癒し、そして、お前には避けられない運命が与えられていると言った。その運命は乗り越えるには辛い運命だとも。

 だが、恐れてはならない。それは大いなる意思に捧げられる、成就されるべき運命だからだ。おのれの信じた道を往きなさい。どれほど苦しい道であろうとも、運命は既に拓かれたのだから。

 苛めに耐え切れずに上級生たちを叩きのめしたあの日からずっと重かった身体は、何かの植物を燻した煙に包まれて、宇宙に浮き上がるようだった。目を開けると、頭の上には子どもの頃から馴染んできたのと同じ、大天界の星が降らんばかりに瞬いていた。
 そして、植物の葉を敷いた大地の上で身体を起こしたとき、迎えに来た男が、黙って真を見つめていたのだ。

「何で、竹流はあんたにそんな話を?」
「さぁな。誰か、第三者に聞いて欲しかったのかもな」
 草薙はそう言って、真のほうを見た。
「ところで、信号、青だぞ。もう三回目だけどな」






「あなたを蔵と一緒に焼き殺そうとしたわけではありません。でも、もしもあなたがあそこで焼け死んでくださったら、この家の呪いが浄化されるような気がしていたのは事実です。あなたが犠牲になってくださったら、私もこの家の過去を許し、真実を葬ってしまってもいいと、そう思いました。でも、あなたは死ななかった」

再び荒川の蓮生家を訪れた真。
次回は、あの蓮生家での火事の真相が明らかに。

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

[雨117] 第23章 喪失(4) 

【海に落ちる雨】第23章その(4)です。
竹流の行方を捜して新潟に再びやってきた真。
行先は、竹流が立ち寄った蓮生家(新潟の旧家)。斜陽する旧家には、明らかに異国の女性の血を引いている千草が待っていました。
この蓮生家の蔵を改造した部屋で、以前焼き殺されそうになった真。
その真相が語られます。



すっかり間が空いてしまいました。
もうあらすじなど忘れられているかもしれませんが、真は竹流を捜している、というだけ思いだしていただけたら、意外について行けるかもしれない構成になっています。たぶん。
ちょっと間が空いたら、マコト・タケルって変換されるので、困るなぁ






 上蓮生家の門には鈍い灯りが点っていて、上蓮生という文字が闇の中で道標のように浮かび上がっていた。
『蓮生』という表札に、文字以上の何かが宿っているように見える。
 呼び鈴を押すと、真が来るのを知っていたかのように、間を置かずに蓮生千草本人が答えた。

 千草は、三度目になる応接室に真を迎え入れ、またお連れさんが違いますのね、と言った。そして真の返事を待たずに、手伝いの女性にコーヒーを準備するように言って、真と草薙にソファを勧めた。真の連れ合いが誰であろうとまるで構わなという様子だった。
 蓮生千草は真の内側の何かを確認するかのように、しばらく真の顔を黙って見つめていた。
 やがて何かを納得したように、くっきりと紅を引いた赤い唇の表情を変えた。

「初めてあなたがここにいらっしゃった時、あなたという人はこの家に道を拓くために来られたのだと思いました。もう百年も昔からずっと、この家は行き場をなくし、進むべき道もなく閉塞していた。それを感じたのは、あなたの前に預言者というべき人が来たときでした」
「預言者?」

 真は千草に不思議な印象を覚えた。初めて会ったとき、誇り高い旧家の主の風情を感じ、二度目に会ったときには、何を犠牲にしても欲しいものを手に入れようとする、情念を抱いた女を感じた。そして今、千草はまた別の人間に生まれ変わったように見えた。

「下蓮生の当主は、私に大天使が来たと言いました。あの老人はボケたふりをしているうちに、本当にボケてしまった部分もあったのでしょう。どこかで、あなたの探している人を本当に天からやってきたお迎えだと信じていた気がしますわ」
 お手伝いの女性が、運んできたコーヒーを大理石のテーブルに置いた。その香りは、尖りきっていた神経を鎮めようとするようだった。

 それからしばらくの間、皆がきっかけをつかめずに、あるいは何かを待つように沈黙していた。
 玄関ホールの柱時計の音が時を告げた。それが合図であるかのように、千草が赤い唇を開いた。
「あなたを蔵と一緒に焼き殺そうとしたわけではありません。でも、もしもあなたがあそこで焼け死んでくださったら、この家の呪いが浄化されるような気がしていたのは事実です。あなたが犠牲になってくださったら、私もこの家の過去を許し、真実を葬ってしまってもいいと、そう思っていた。でも、あなたは死ななかった」

「おい、いきなり穏やかじゃないな。縁もゆかりもないこいつを焼き殺すだの、犠牲になるだの、ありえん話だ」
 草薙が千草に食って掛かった。真はその横顔を意外な気持ちで見つめていた。
 竹流にとってこの男は味方ではないはずだ。それでも、どこかで彼はこの男を信じていたのだろうか。だからサンタフェの話などをしたのかもしれない。そして、この男のどこかに、竹流にそうさせた何かがあるのだ。

 千草は微かに唇の端で微笑んだように見えた。千草の目は、草薙ではなく、黙って座っている真を見つめていた。
「あなたがお連れになる方は、どなたも随分とはっきりものをおっしゃいますのね。でもあなたは黙っている。そして、誰よりも真実に近いところに立っている。しかも、あなたは自分が立っている場所を知らないのですね」

 風が窓を叩くような震えが鼓膜に伝わってくる。微かに、テーブルの上に置かれたコーヒーカップの中の琥珀が揺らめき、シャンデリアの灯りを跳ね返していた。
 自分の立っている場所が、危ういところだということくらいは知っている。

「蔵の中で眠っているとき、夢を見ました。金の髪の女性が枕元に座っていた。僕はその人に首を絞められて、目を覚ました。恐ろしい夢を見たのだと思っていました。でも、もしもその夢を見なかったら、僕は眠ったまま助からなかったかもしれないと思います。床の下から出てきたのは、その女性ですか。そして、あなたは知っていたのではありませんか」
 千草は真の問いかけには答えずに微笑み、真に煙草を勧めた。そのまま草薙にも煙草を渡し、卓上ライターを灯して火をつけてくれる。

「下蓮生の当主が、お迎えが来たと怯え騒いでいたとき、私の中のもうひとつの血が、ついに復讐の時だと言っているような気がしましたの。あなたのお考えどおり、私には異国人の血が流れています。世間で噂されていたように、蓮生には異国の女性が預けられていた時期があったようです。その女性は子どもを産み、その子どももまた蓮生の男の子どもを産みました。それが私です。蓮生の男たちが戦争や病気で亡くなり、脇腹の子どもであった私がこの家の主になりました。下蓮生の当主は、いつも私のことを恐れていました。彼が下蓮生の蔵に火をつけたとき、始めは理由がわからなかった。でも、あなたの探し人が来られて、下蓮生の当主を慰めてくださった。その後から、当主は時々私を見て、自分は子どもだったから助けられなかったんだべ、許してくれ、と呟くようになりました。それで理解しました。下蓮生の当主は、蔵に閉じ込められていた私の祖母、異国の女の幻に怯えていたのだと、だから下蓮生の蔵に火をつけたのだと」

「でも、本当に女性が閉じ込められたのは、下蓮生ではなく、上蓮生の蔵だった」
「おっしゃるとおりです。親族会議の日の夜、当主をこの上蓮生に泊めたのは私です。あなた方がこの家に泊まった日ですわ。あの日、当主が奇妙にこの家を恐れていたので、私は気が付きました。この男は間違いに気が付いたのだろう、おそらくあなた方のお蔭で、と。私はただ、この頃亡くなった祖母が枕元に現れて泣いているのだと、当主に話しました」
 そして、哀れな老人は、この家の因縁に縛られたまま、今度こそ子どもの頃から恐れていた女の幻を焼いて葬るために、蔵に火をつけたのだ。

「あなたは、蔵の下からその女性の骨が出てくると知っていて、火をつけさせたのですか」
「知っていたわけではありませんわ。全て伝承でしたから。でも、本当に祖母の骨が出てきた。もっとも、骨が出てきたところで、既に何の証拠も残されていない今、真実が明らかになるものでもありません。スキャンダラスな物語がまことしやかに語られて、世間が面白がるだけのことです。それでも、私は知りたかったことを知り、自分の来し方に幾らか納得ができた気がしていますの。私が死ねば、この上蓮生の家も途絶えます。私だけが過去の出来事の証拠なのですから」

 真は黙って千草を見つめていた。千草の目には、真と同じように異国の血の色が揺れている。見つめ返してくる千草の強い瞳の光に耐え切れずに、真は視線を落とした。
 真の瞳の左右の色が異なっていることを、千草は見つめているのだろう。異国の女性の血は、真の中で上手く溶け合うことができずに、こうして片方の瞳の上だけに拭えない刻印のように残された。

 真はその瞳のゆえに自分自身を哀れんできたことを、千草の前で恥じた。千草は真と同じような運命を持ちながら、彼女自身を哀れむことはなく、別の形で答えを出そうとしている。
 千草の手がすっと灰皿に近付き、優雅に灰を落とした。透明な厚いクリスタルの上に、砕かれた身体の欠片のように灰が散らばり落ちる。

「でも、祖母はあなたの枕元に現れ、そしてあなたを救ったのですね」
 真はその千草の言葉を噛み締めるようにして、ようやく顔を上げた。蓮生の男たちの血で穢された高貴な血統の名残を千草の中に見出すことは、難しいことではなかった。
 真は吸わないままだった煙草の灰を一旦落とし、ようやく銜えて、ひとつ吸い込んだ。

 不思議と、千草にも蔵に火をつけた下蓮生の当主にも、怒りの感情は湧いてこなかった。どちらにしても、焼き殺されることはなかっただろうと信じたからだった。もしもあの異国の女性の幻が助けてくれなくても、飛龍は来てくれただろう。いや、あの異国の哀れな姫君は、どうあっても真を救おうとしたに違いない。

 千草は不意に草薙のほうを見た。
「私は、あなたを知っていますわ。もっとも、私が知っているのは、あなたの父親と思われる人の写真だけですけど」
「俺は別に親父のことを聞きに来たわけじゃあない。こいつに付き合って来たまでだ。親爺がろくでもない人間だったことはよく知ってるんでね」

 千草は何故か、ほっとしたように微笑んだ。
「私の母は、父の妾でしたの。子どもの頃、私は何度も、父と他の女と私の母とが同じ部屋で寝ているのを見ました。酷い有様でしたわ。蓮生の男たちは女に対しては獣のようなものです。母の身体には幾つも痣がありました。でも、私の母も黙って泣いているような女でもなかったようです。時々家に出入りする男衆がいると、篭絡していたようですから。村野という親子のことは、父から聞きました。母がその父親のほうとも、まだ中学生だった子どものほうとも関係を持っていたと。お前には淫乱の血が流れていると言われましたから。私の親も、二親ともろくでもない人間だったようですわ」

 そんな親ならば、自分のようにいっそ捨られて二度と顔を見ないほうがましなのかもしれない、と真は思い、灰皿で煙草を揉み消した。
「絵のことですが」
 真が口を開くと、千草は真に視線を戻した。
「あなたは鑑定に立ち会ったとおっしゃいましたね。それは、この新潟で、ですか。それとも東京で?」

「東京です。偉い先生に見てもらうのだと聞きました。別に興味はなかったのですが、時政の息子が興奮して、おばさんも是非行きましょう、というのでついていきました。その頃はまだ彼を養子にするつもりでしたから」
「絵を運んだ業者をご存知ですか?」
「えぇ。江田島道比古という役人が手配したようです」

 千草がわざわざ江田島の名前をフルネームで言ったのには、それが親戚の若者の倒錯した恋の相手であるという嫌悪以上のものがあったのかどうか、真は量りかねた。
「江田島氏が手配を? それは京都の業者でしたか?」
「そうです。以前は北陸で仕事をしていたというので、江田島さんとはお知り合いのようでしたわ」
「寺崎運送という業者ではありませんか」
「いいえ、そんな名前ではありませんでした」

「同じ絵が二枚あったというようなことは?」
「どうだったかしら。もっとも、絵が出たのは下蓮生ですから、私もよくは知りません」
「もしかして、この上蓮生にも絵があったようなことはありませんでしたか」
 千草はしばらく黙って真の顔を見つめていた。
 それからもう一本、煙草に火をつけて、天井に向かって煙を吐き出した。

 やがて徐に立ち上がり、今日はどちらにお泊りですの、と聞いた。村上まで戻ってホテルを探すつもりだというと、もう遅いですから、と言った。焼き殺されそうになった家で泊まるのはお嫌でしょうから、弥生さんにどこかホテルを探してくれるように連絡しましょう、と言って、千草は電話をかけはじめた。

 草薙が意味深な目で真を見た。追求しすぎないほうがいいぞ、というような忠告に見えた。
 上蓮生を出るとき、千草は穏やかな表情で、どうぞお気をつけて、と言った。そして、弥生さんは色々知っていると思いますから、どうぞ彼女に聞いてやってください、と続けて、妖艶に微笑んだ。






「それでも、誰かさんに操をたてるか」
 真は顔を上げた。草薙がふと笑った気がした。
「お前さんは、女をちゃんと愛することができる男だ。俺はそう思うけどな。それでもあの男を選ぶというなら、その先は地獄かもしれないぞ」
 真は息をひとつ吐き出した。
「覚悟はしている」

さて、次回は草薙とマコトの、じゃない、真のちょっと際どい会話をお楽しみくださいませ(^^)

おおみしゃん、ぼく登場するの?
いや、君の出番はないよ。
あぁ、びっくりした……(あのおじちゃん、ちょっと怖そうなんだもん)・・・・・じゃ、またね!

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

[雨118] 第23章 喪失(5) 

【海に落ちる雨】第23章その(5)です。
思えば、間が空いてしまったのに、少し言葉足らずでfollowできない状態になっていましたが、今更あらすじを書くのもなんなので、 よろしければ第23章 喪失(1)の前書きを見てくださいませ。超簡単なあらすじと、登場人物紹介へ飛ぶことができます。

さて、こちらは迷ったけれどRにはしないぞ!というある作家さん(皆様もご存じの(^^))のつぶやき(叫び?)に賛同し、Rにはしておりませんが、いささか際どいシーンがありますので、さらりとスルーしていただければと思います。
いえ、思い切り絡んでくださってもいいのですけれど。




「あの女、相当いかれてるぞ。お前もお前だ。どこぞの古代文明の生贄じゃあるまいし、自分を焼き殺そうとした女に対して、もうちょっと言う事があるだろうに」
 村上に向かおうと車に乗り込んだ途端、草薙は助手席で息巻いた。
 真は改めて不思議な気持ちで草薙を見た。
「何だ、その顔は」
「いえ。いかれた連中を飼い慣らしているあなたの言葉とは思えなくて」

 ふん、と草薙は息を吐き出し、シートに深く身体を沈めた。
「ま、ようやく気が付いたようで良かった。ついさっきまで、あんた呼ばわりだった。人生の先輩に対する態度じゃなかったからな」
「あなたのような人に対してなら、警戒するのが普通だ」
 真はキーを捻ってエンジンをかけた。ヘッドライトが浮かび上がらせた田舎道は、光の限界から先をまだ闇に落としている。

「千草さんは何十年、あるいは何世紀もこの家が背負ってきたものを肩に乗せて生きてきた。受け入れられない異分子でありながら、この家から出ていけないように閉じ込められてきたのは、彼女のお祖母さんだけじゃない」
「よく分かったよ。いかれてるのはあの女だけじゃなくてお前もだな。いいか。お前やお前の相棒はどっかずれてるぞ。生命への執着心が薄すぎるのか、自分の悪運を過信してるのか。お前らが、あの女やあの家にとってまれ人の役割を果たしたのは確かだろうさ。だからって殺されていいって話にはならないぞ」

「あなたは竹流がこの家の誰かに傷つけられたと思ってるんですか」
 草薙が闇の中から真を見た。しばしの沈黙の後、答えが返ってくる。
「いや。それはないな。ここは通過点だ」
 同感だった。真はようやくサイドブレーキを外した。

 村上に着くと、下蓮生のお手伝いの吉川弥生が、待ち合わせた下蓮生の前で待っていてくれた。
 彼女は、知り合いの旅館に頼んでくれたようで、ホテルではなく古い旅館の一室に泊まることができた。もっとも、この村ではほとんどの人間が知り合いなのだろうし、弥生のような明るいゴシップ好きのおばさんは、この町でも顔が広そうだった。

「下蓮生の御当主はどうしておられるんですか」
「えぇ、もう本当にお可哀想にね。徘徊して火をつけたりしては困るっていうんで、病院に入られましたよ。病院っていっても、牢獄みたいなもんですよね」
 放火の責任能力の問題もあるだろうが、何より旧家の主が放火の犯人だということになるのは問題なのかもしれない。地方には地方の法律があり、何が正義であるかと問う場には、他所の人間は介入できない。
 傍に立っている電信柱で、何かの広告が色褪せた赤い文字を歪めて、湿った音を立てていた。
 竹流が聞いたら、ただあの老人を哀れに思うだろう。

「弥生さん、前に、弥生さんが娘さんだった頃、妙な雑誌があったって言っておられましたよね」
 弥生さん、と呼びかけてから、これではまるで仁だな、と思った。
「えぇえぇ。それがどうか」
「それって、まだ持っておられませんか」
「えぇ、多分ありますよ」
 吉川弥生はしばらく考えるような顔をしてから答えた。
 田舎の人間はものを捨てない。真は、明日弥生の家に寄せてもらう約束をして、吉川弥生と別れた。

 案内された旅館は古いとはいえ老舗のようで、部屋は無駄に広かった。床の間の花瓶では、紫陽花が幾らかくたびれたように俯きかけていた。
 夕食は済ませていたので、内風呂に入り、それから草薙の勧めるままに日本酒を少しだけ飲んだ。さすがに新潟の酒は美味いな、と草薙が呟いた。部屋は二間続きで、隣の部屋には既に布団が敷かれていた。
「明日はどうする気だ? その雑誌とやらをひっくり返して何かが出てくると思うのか」

 そう聞かれると、確信を持っているわけでもなかった。真は黙ったままお猪口を口に運び、それから空になった草薙の猪口に酒を注ぎ足してやった。
「竹流は佐渡に渡る前に山梨のアトリエの燃え跡に行って、そこで指輪を捨てた。それから、近くの農家に預けてあったものを取りに行った。多分、そこから新潟に来たんじゃないかと思う。彼はあくまでも絵のために動いていたんだし、まずは絵の行方を確認するはずだ。江田島道比古というのが、問題の絵と関わっている男なので、もう一度その男に会ってみるつもりです」
「それで埒があかなかったら?」

「もうひとつ、彼が気にしていたのが、新津圭一の娘、千惠子の身の上だった。寺崎昂司は新津千惠子を女に預けたと言っていた。女というのは、香野深雪じゃないかと思う」
「だが、香野深雪はどこにいるのかわからないんだろう」
「人間って隠れるとき、どこに隠れると思います? 特に保護しなければならないような弱者を連れているとき、あまりにも土地勘のないところには行きにくい。罪を犯して警察から逃げているのなら話は別ですが」
「なるほどね。それはそうだ」

「あなたは竹流が香野深雪と接触していたのも知っている。御蔵皐月や楢崎志穂のことだって調べたんでしょう。勿論、香野深雪のことも。あなたは糸魚川に行って、深雪の両親の自殺のことを調べたはずだ」
「やれやれ、お前さんが失踪人調査のプロだってことを忘れてたよ。どうりで鼻が利くわけだ。香野深雪の両親が自殺した後、彼女が預けられた施設は新潟だった。彼女は」
 草薙は言葉を切って真を見つめた。
「お前さん、彼女のことは自分で調べたほうがいい。俺は現在その女がいる場所は知らんが、お前さんの言うとおり、彼女が土地勘のあるところにいるのなら、お前さんはそこに行って、彼女自身と話すべきだろうからな」

 草薙は煙草を一本引き抜いた。
「あの男が言ってたよ。お前さんは多分気が付いていないが、いつかお前が本当に愛することになる女は、香野深雪のような女なんだろうってな。香野深雪を抱いて帰ってきた日のお前には、雄のにおいがするってな」
 真は、机に戻したお猪口の底で揺れている透明な光から、思わず顔を上げた。
「何のことだ」

「お前さんは自分で気が付いていないことが随分あるってことさ。あの女には傷がある。それも深い傷だ。お前はその女の傷に惹かれる。お前にはその傷を癒すこともできる。何故ならお前にも傷があるからだ。お前は傷のない女には惹かれないんだよ。恋はできるだろうが、それにもしかすると、本当にお前が必要としているのは、傷のない女のほうなんだろうけどな。だが、お前は傷を持たない女の前で、本当の男になることはないんだろう。香野深雪はそういう意味で、お前にとって初めての女なんだろうよ。それに、あの男だって、香野深雪が複雑な事情を抱えていて、決して一筋縄ではいかない女だと知っていて、それでもお前が彼女のところに通うのを止めなかった。お前と香野深雪がお互い本気になる日がきたら、身を引くつもりなんじゃないかと、俺にはそんなふうに見えたけどな」

 草薙は二つの猪口に酒を注いだ。真は黙ってその手元を見つめていた。よく使われている、骨ばった大きな手だった。
「それでも、誰かさんに操をたてるか」
 真は顔を上げた。草薙がふと笑った気がした。
「お前さんは、女をちゃんと愛することができる男だ。俺はそう思うけどな。それでもあの男を選ぶというなら、その先は地獄かもしれないぞ」
 真は息をひとつ吐き出した。
「覚悟はしている」

 草薙は首を横に振るようにして、一気にお猪口を空けた。
「全く、付き合ってられんな。お前ら、インチキ占い師に赤い糸で繋がれてますって言われて、丸々信じるタイプだな」
「そうじゃない。俺が自分で結んだ糸だ。あいつは、自分の立場が分かっているから、時々その糸を解こうとする。離れたくないのは俺のほうで、耐えられないのも俺のほうだ。だから、三途の川でごねて引き返してきた」
 俺にはわからん、と草薙が呟いた。

「あの男の国では、小学生からダンテの神曲を教えられるそうだ。どんな話か知ってるか? 死んだ妻が恋しくて、地獄まで迎えに行く男の話だ。ギリシャ神話のオルフェウスの物語が下敷きになっている。そんな教育を受けてきたからか、時々、お前をあの世から連れ戻してきたような錯覚に陥るってな。だが、あまりにも不安で、かえって振り返ることができないんだと。お前が消えてしまったらどうしようと、あの男は振り返りもせずに、お前の手を離すこともできないでいる。馬鹿馬鹿しい妄想だ」
 手を離したら消える、それはその通りかもしれなかった。だから、さっさと帰ってきてこの手を捕まえないとどうなるか知らないぞと、そう伝えてやりたかった。
 身体の芯で何かが音を立てている。

 不意に、草薙に見つめられていることに気が付いて、真はその目を見返した。何だ、と問いかけるまでもなく、草薙のほうから言葉が継がれる。
「お前さん、これで何日眠れていないんだ?」
 何を聞かれたのか、よく分からなかった。
「充たされていない睡眠に胃袋、ついでに性欲もだな」
 それでも、草薙が何を言っているのか理解できず、真はただその目を見ていた。爬虫類のようhに抜け目のない目だった。

 不意に、村野耕治という男はどういう目をしていたのだろう、と思った。親とは認められないような、ろくでもない人間であったとしても、明らかに血の繋がりはその身体のどこかに現れてくる。美和が見分けているのは、その僅かな類似点だ。
 草薙と村野耕治、そして真とアサクラタケシの間には、どれほど否定しても内側から湧きあがってくる同じ種類のにおいがあるのだ。

「今のお前は野生の生き物みたいだ。ついこの間までは明らかに手元にあったはずのあらゆるものに、今は餓えている。そういうフェロモンを不特定多数の人間の前で撒き散らさないほうがいいぞ。相手にその気があれば、かなり危ない」
 真は思わず、無遠慮に寛げかけていた浴衣の合わせをかき寄せた。その様子に草薙が微妙な笑みを浮かべる。
「誰かさんの腕の中じゃないと眠れない、って言われても困るけどな」

 そう呟くと、草薙はいきなり立ち上がり、真の方へ回ってくると、腕をつかんだ。そのまま、真の身体は宙に浮くように立ち上がり、あっという間に布団が敷かれた隣の部屋に投げ込まれる。
 全く抗う隙もなかった。何かの古武術の使い手でもあるかのように、一瞬に相手の気を砕くような素早さだった。真とて、それなりに真剣に剣道をやってきたわけで、こういう『気』の気配は理解できる。
「あんたと寝る気はない」

 自分でも意外なほど冷静な声が出ていた。草薙の持つ気配の中には、性的な欲求を感じさせるものが何もなかったからだった。
「俺もそっちの趣味はない。だから期待されても困る。だが、お前さんの今の状況は随分際どく見えるけどな」
 真が何かを言いかけたとき、草薙が骨ばった、身体に不釣合いなほど大きな左手で、真の口を塞いだ。そのまま、右手はあっさりと浴衣の裾から真の下着の中に入ってきて、まださっきの武術の型のひと続きの流れであるかのように、器用に次の行動に入っていった。

 あまりにも自然な勢いに、真は逆らう気を完全に挫かれていた。
 草薙の身体からは、夜の商売を生き抜いている人間に独特のにおいが滲み出している。拘束されているわけでもないのに全く動かない真の身体は、今はただ草薙の手の動きを貪るように受け入れいていた。自分でも息が荒くなってくるのが分かったが、喘ぎなど決して洩らさないようにと唇を引き結んでいると、草薙の手が口元から外され、そのまま頭を抱かれたようだった。

「お前さんは快楽には異常に素直だ。自分だって気が付いているだろう? そしてそのことに罪悪感を覚えている。だからそこに愛だの恋だの精神的なものを付加することを恐れている。身体の反応と、その素晴らしい精神世界は別のものだと思い込みたいんだろう。だが、そんなに簡単に切り離せるものじゃないぞ。誰かさんとの思い出だけは綺麗にとっておこうなんて無駄な努力はしないほうがいい。素直に声を出せ」
 草薙の骨ばった指が唇に触れたとき、真はその指を求めるように声を漏らした。

 不意に、いつか竹流が見せてくれた地獄の扉を思い出した。
 ロダン自身だといわれている『考える人』が、背後から地獄へ吹き堕とされる人間たちを見つめて、人間の業について沈思している。二百体を超える彫刻の人間たちは、苦しみもがきながらも、地獄から逃れ、這い上がり、ある者は飢餓の苦しみのためにわが子を食らいながらも生き抜こうとしている。ロダンの傍らで、堕ちまいと必死にしがみついている男の姿が、闇の中で浮かびあがった。

 俺もやはり、今はただこの地獄を生きぬいてやろうとしている。沈思する男でもなく、その男を悲しげに見つめている別れた恋人であり弟子でもあった女性でもない、この身はただ煉獄に放り込まれた二百体のひとつに過ぎないのだ。
 生き抜くために、時には身体は快楽を必要とする。食欲も睡眠欲も性欲も、全てが細胞の機能を支えている。ひとつひとつの細胞こそ、生命に対する貪欲な渇望を表現している。分裂し再生し、時には異常な細胞を産みながらも、それでも生き続けようとする。

 蠍座は人間にとってタブーとも言える死と性を司る星座で、蠍座の影響を受けた人はどこか超然としていて、磁力のような性的吸引力があります、と美和が星占いを読み上げていた。先生って一見はそうは見えないけど、どうなんだろう、と興味深げに真を見つめている。
 その通りだ。真は美和に今、答えてやっている。そのどちらも、俺の中で深い渦を巻いている。一度死んでしまった俺がこうして蘇って地獄のようなこの世を歩いているのも、腹の奥底で誰かを求め続けているのも、全て星占いに書かれてある通りだ。

 昨夜、自分で処理をしておけば、こういう気配をこの男に感付かれずに済んだのだろうと、頭の隅では冷静に分析していた。
 不思議なことに、羞恥や嫌悪はまるでなかった。確かにこのまま身体の中に何かを溜め込んでいては、ろくなことにならないだろうし、それを目の前の他人が何とかしてくれようとしていることに、今はもう任せてしまいたい気持ちになっていた。その驚くほどに淡白で器用な手の運動に、身体は直ぐに合わせることができるようになり、真はそのまま目を閉じて感じるままの快楽を貪った。

 意識は悠然と地獄を歩いていた。凍るような水と、焼けるような炎と、身体が千切れるような嵐の中を、苦もなく歩き続けていた。足もとの道は延々と続く針の道だった。一歩進むごとに、足の裏から甲に突き出す幾本もの針は、そのものが生きているかのように真の身体の血を吸っていた。明らかに強烈な痛みを感じるのに、恐れもなく歩き続けているのは、誰かの手が、冷たく凍るような真の手を握りしめていたからだった。
 その温度は幻ではなかった。それに気が付いたとき、身体の芯で痒いような疼きが起こった。疼きは次第に大きくなり、やがて下半身から頭の先に向かって突き上げた。

 草薙が布団を一組、隣の部屋に移している気配を感じながら、まだ真の意識は闇の道を歩き続けていた。やがて、ゆっくり休め、という声と共に襖が閉められ、隣の部屋の明かりが消えてすとんと心地好い闇が訪れた。
 もしも迎えに来た男が不安になって振り返っても、自分のほうが手を離さなければいいと、真はそんなことを考えていた。





地獄の門400
こちらは国立西洋美術館の前庭の地獄の門。よく見かける「考える人」は実はこんな不安定な状況で座っているのですね。
地獄に堕ちていく人間たち。必死にしがみつき、あるいは苦痛から逃れるために残虐な行為をする者もあり、ただ嘆く者もあり……その姿を見て沈思している。そもそもこれはダンテの神曲にヒントを得たロダンが、地獄に堕ちる(た)人々を審判官が見ているシーンを造ろうとしたもので、始めは沈思しているわけではなかったのかも。
扉に描かれた恐ろしい人間の世界(地獄?)をじっと見つめると、これは空想ではないのかもと思えてしまうけれど、フィレンツェのサン・ジョバンニ礼拝堂の『天国の扉』のキラキラを見て、気を取り直して希望を抱くことにします(内容は微妙だけれど)。

次回で第23章が終わります。

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

[雨119] 第23章 喪失(6) 

【海に落ちる雨】第23章最終話です。
これにて、蓮生家の話はいったんおしまいです。後日談が最後に少し出てきますが、それは後のお話として。
この蓮生家のエピソード、明治の終わりから大正にかけてのちょっとレトロな時代を引きずった、横溝正史か江戸川乱歩かって昭和なイメージを感じていただけたら、と思っております。

ここに、話好きのおばちゃん(でもどこかに排他的な内面も隠し持っている)が少女の頃に隠し読んでいた雑誌の話が出てきます。外見的イメージは竹久夢二の表紙絵だけれど、このエピソードのイメージは、退廃的・耽美的な世界を追及していたかの雑誌なのです。家の押入れの中に潜ませていたあの雑誌、などをイメージしていただければと思います。




 目覚めは境界線を明らかにしてやってきた。
 珍しく夢も見ずに眠ったようだ。隣の部屋で、草薙はまだ鼾をかいている。
 真は部屋から直接廊下に出て、風呂に行き、ゆったりと湯に浸かった。喉の奥で、会津磐梯山は宝の山よ、と歌ってみた。耳の奥に反響する声は、真自身の声ではなく、以前その歌を歌っていた男のものだった。
 真が部屋に戻った時、草薙は浴衣のまま煙草を吸って、テレビで天気予報を見ていた。
「久しぶりにいい天気のようだが、夕方にはまた降るらしい」
 その声には、複雑な要素は何も残されていなかった。

 朝食を済ませ、仁に倣って甘い菓子を買ってから、真は吉川家を訪ねた。
 草薙は蓮生の昔話になど興味がないといって、近くの酒蔵に日本酒を味見しに行ってしまった。
 その後姿を見送りながら、真は改めて、何故彼が自分に付き合ってここまで来たのだろうと不思議に思った。
 自分自身の父親のことには興味がないと言った。竹流の依頼を受けたことはあったにしても、損得を抜きにしてアフターケアをするなんてのは契約に入っていないとも言っていた。それなのに、あの男に簡単に死んでもらっては困ると言い直し、真に付き合ってここまで来た。
 こうして少しの時間だが共に過ごしてみると、真や竹流に対する敵意があるようには思えなかった。もっとも好意であるという保証もないのだが。

 不思議な男だと思った。人は細胞に刻まれた遺伝子の神秘よりも、己の力で生き抜いてきたというエネルギーによってこそ、姿も心も決まるものなのかもしれない。
 草薙は、ナンニという黒人の子どもを国に帰さずに面倒をみている。法に適ったことをするならば、その子どもを、本国へ強制送還された両親の元へ戻してやるべきだろう。だが、飢えて病気になって死ねというのか、と真に言った草薙の目には、深いところから込み上げる叫びが込められていたような気がした。
 親はあの子どもを日本に連れてきたものの、足手まといになったからか、見捨てたようだと言っていた。子どもは両親の元に帰るよりも、草薙の手元に残ることを選んだのだろうか。ナンニという少年の目には、あの違法とも思える暗いバーの闇の中でも、恐れがなかった。

 真が登校拒否でまともに学校に通えず、行ってもしばしば気を失ったり逃げ出したりしていた小学生の頃、叔父の弘志が真を養子にしたいと言っていることを聞いた。
 もともとは、真が『蕗の下の人』を弘志に紹介した時に、このままでは危ないと思った弘志自身が、真を東京にいる長兄のところへ送り込んだようなものだった。弘志は、その結果として真が慣れない都会暮らしにさらに心を病んでしまったのだと思い、責任を感じていたのだろう。
 アイヌ人の女性と結婚した弘志は、結婚当初は自分たち自身の子どもを持つことを躊躇っているような気配があった。彼ら夫婦の間にどのようなやり取りがあったのかは分からないが、彼らは自分たち自身の子供を持つよりも、真を養子にして北海道に引き取ることこそ、自分たちの役割であると決めたようだった。

 一方で伯父の功は、真が北海道に戻ることに強く反対していた。牧場に戻れば真は再び自分だけの世界に閉じこもってしまう。馬や犬、目に見えない伝説の小人とばかり話し、社会と折り合うことを辞めてしまうと心配した。
 真は、自分が東京での生活にも学校という環境にも馴染めないことが原因で、東京の伯父にも、北海道の叔父にも迷惑をかけているのだと感じて、混乱した。
 夏休みに北海道の牧場へ戻ると、親戚たちが真のために色々と心配して、どうすればこの子どもに一番良いのかと話し合い、心を砕いてくれていた。だが、真は大人たちが心配すればするほど不安になり、自分が無力だと感じ、耳を塞いで蹲りたくなり、また一方でひどく苛立っていた。

 夏の終わりに、伯父の功に誘われた竹流が牧場にやって来た。
 竹流は例のごとく、巧みな話術で皆を引きつけ、初対面であろうとも誰に対しても優しく親しげに心を配った。問題児である真の処遇を巡って袋小路にはまり込んでいる大人たちは、ようやくほっとしたようだった。
 竹流は彼らを安心させる一方で、真の様子に対しても敏感だった。
『生きていたら、幸せなことと苦しいことと、どっちが多いの』
 牧場の端まで馬を駆って辿り着き、彼方に海の見える崖の近くで馬たちを休ませたとき、真は隣に立つ男にそう尋ねた。

 竹流は真の方を見て、至極当然、という表情で答えた。
『苦しいことに決まっているだろうが。俺が見たところ、人生の時間の九十パーセント以上は苦行に費やされるものだ。だが、自分でその道を決断し誠実に進むなら、幸福や喜びはどうとでも感じることができるはずだ。たとえそれが人生の一パーセントの時間であっても、無限の時間になり得る。お前が子どもだからといって、自分にとって本当に必要な道を選び取る能力がないなどとは思わない』
 竹流は、長一郎やおじ達が何を相談しているのかを知っていたのだろう。
 結局、東京で功と葉子と生活を続けることを選んだのは、真自身だった。選択した道はある意味では悲惨な部分もあった。それでも後悔していないのは、あの男がまだ子どもだった真の目を真っ直ぐに見て話してくれたからだ。

 ナンニという少年の目を見たとき、あてもない闇に取り残されたはずなのに、真っ直ぐに世界に視線を向けているのを感じた。それは、あの子どもが、あの時の真と同じように、信頼できる大人を常に身近に感じているからなのだろう。
 草薙という男は、人情に厚いとか優しいとかいう言葉は似合わないが、彼自身や他人が思うよりも人好きなのかもしれない。
 竹流が残した言葉を思い出した。彼は誰も信じるなと言っていたが、あるいは、信じる相手を間違えるなと言いたかったのかもしれない。信じなければ前に進むことができないことなど、彼自身はよく知っているはずだった。

「まぁまぁ、よくお越しくださいましたね」
 吉川弥生は本当に話好きの女性だった。真を座敷に通す間も、真が聞きもしないのに、あれこれと昨夜の旅館のことを話した。旅館の経営者は弥生の遠い親戚ということだが、真が聞いた印象では、血縁と言ってもほとんど無関係に近い縁戚のようだった。
 座敷の机の上には、古い雑誌が幾冊も積まれてあった。

 弥生が茶を淹れに席を離れている間に、真は古い座敷の中を見渡した。
 北前船を扱っていた蓮生家の番頭の家というのは、一般から見れば十分に格式のある家柄なのだろう。古いが、天井や床の間の柱に使われた木々にも風格が感じられた。欄間には、波を乗り越える千鳥があしらわれている。朝の光で、白い壁に小さな千鳥が細長い影となって写し取られていた。
「遠慮なさらずにご覧下さいね」
 弥生は、真が持ってきた菓子と茶を盆に載せて戻ってきた。

 真は礼を言って、雑誌を取り上げた。
 A五版サイズの雑誌の表紙には、昭和の始めを思わせるレトロな少年や少女の絵が描かれている。元々は抑揚のない派手やかな色だったのだろうが、今ではセピアに沈んでいた。いずれもまだあどけない子どもたちが、時には猫や鳥といった愛玩動物と一緒に描かれている。
 試しに一冊を広げてみると、中は意外にも小さな文字が詰まっていて、印刷の擦れも手伝って、極めて読みにくいものだった。

「今だから平気で広げられますけどね、子どもの頃は恥ずかしかったですよ」
 真は意味が分からずに弥生を見た。
「恥ずかしい?」
「大人の世界をのぞき見るっていうんですかね。ちょっといけないものを読んでいるという興奮があって、夜こっそり布団の中で電気をつけて読んだものでしたから。嫁に来るときにも、実家に残して誰かが見たら恥ずかしいんで、長持の奥に忍ばせて持ってきたんですよ。捨てるのも惜しい気がしましてね」
 弥生は、平然とした顔で艶話をしていた北条仁と真を同類と思っているのだろう。無遠慮に楽しげに話している。

 表紙からは子ども向けの本に見えるが、実際には何かをカムフラージュしていたのかもしれない。どの時代にも、特定の時期の子どもたちの成長に何某かの意味合いを添える種類の本があるものだ。
「でも、ここに書かれているのは、民話や伝承だと言っておられませんでしたか?」
「伝承って、結構艶っぽいものが多いんですよ。夜這いの話も随分入っていましたからね。昔は、どこそこの子どもは土地の違う血が入ってるなんて、当たり前みたいに噂になっていたりもしましたしね。ここに書かれた話が、誰か知っている人の話だとか想像すると面白かったものですよ」

 確かに、盆踊りもそもそも夜這文化の一つの表れだともいうし、民謡も色気のある唄が多いのは事実だ。夜這文化の中には、夫婦二人の子どもを残すということよりも、村という集団の中に強い血を入れることのほうが重要だと考えられた可能性が示唆されているともいう。現代と違って、人の行き来が困難であった時代には、生物学的な種としての生存の可能性を真剣に探る必要があり、古い時代の人間たちはそういう必然を、本能的に選び取ってきたのだろう。
 こうした物語の中に、蓮生家の話がゴシップ的に混ぜこまれていたのだろうか。

 真は雑誌をめくり、所々にある挿絵を頼りに物語の内容をつかんでいった。
 挿絵は、表紙の可愛らしい少年少女の絵とは、趣が違っていた。あまり漫画風ではなく、時にはかなりホラーがかった絵も混じっていた。それに、ポルノとまでもいかないが、幾らか際どい絡みの絵まである。挿絵の幾つかはかなり手が抜かれていたが、一部には奇妙に丁寧に描かれたものがあった。そうした写実的な絵のほとんどは、怪奇的なものか艶っぽいものだ。
 子どもというものは、こういう際どい何かを少しずつ自分の中に取り入れて、消化していく必要があるのだろう。学校で教えられる表向きの学問とは別に、人生を渡って行くための指南が必要なのだ。

 ふと、自分の心も体も持て余していた中学生の頃を思い出して、背中が冷たくなった。愚かなことに身売りまでしてやろうと思ったのは、つまり男が女や子どもを買うという事実を知ったのは、真を呼び出しては殴っていた連中のたまり場で見た写真や雑誌だった。彼らは真にその本を見せて、お前もこういう格好似合うんじゃないのか、お前なら男を誘えるんじゃないか、とからかった。屈辱的だと思う半分で、そういう本が存在しているということ自体には幾何かの興味を感じたのも事実だった。

 ポルノ雑誌とはその後しばらく縁がなかったが、唐沢調査事務所には、食傷気味になるほどにその手の雑誌が積まれていた。時に真が事務所のソファで寝ていると、唐沢が雑誌とティッシュケースを真に渡して、若い男が健全に寝ているなんて勿体ない、社会勉強だからちゃんと読んで正しく使用するようにと言った。
 少年の頃にあった羞恥は、大人になってしまうとほとんど消えてしまったが、あるいは形を変えて心の中に居座っているのかもしれない。
 今、この雑誌を見ていると、そういう羞恥のようなものが、つまり子どもが大人になる瞬間に味わった痛みのようなものが蘇ってくる気がした。

 そして、真の手は、思わぬ挿絵のページで完全に停止した。
 その挿絵は、怪奇ものでも艶絵でもなかったのに、奇妙に精巧に描かれていた。もちろん、精巧だから手が止まったわけではなかった。それが、幾度も見た絵と同じ構図で同じ女性が描かれていたからだ。
 線のみで描かれた少女は、レースを編んでいた。手は丁寧に描かれ、まるでそこだけが実際に生きて動いているようにさえ感じられる。真は思わず息を飲み込み、その挿絵の物語の最初のページを探した。
 文字は古い字体で、随分読みにくいものだった。

「あら」
 弥生は真の手元を見て、それから少し間を置いてから付け加えるように言った。
「それは面白いお話でしたねぇ」
「覚えておられるんですか」
「娘の頃は、そういうありそうな陰謀物語に惹かれましたからね。女学生の頃は、こういうものを読みながら大人に近づいた気がして、友達同士で哲学者や作家気取りになったこともありましたっけねぇ」
 最初のページには物語の題名が、本文よりも幾らか大きめの字で書かれていた。
 真は思わず弥生の顔を見た。弥生はその真の顔を、説明を求めているのだと思ったようだった。

「日露戦争の後、ロシアは革命の時代になりましたでしょう。殺されたはずの皇帝一族や有力な貴族たちの末裔が、いつかは自分たちの繁栄を取り戻そうと願いつつ、虎視眈々とチャンスを窺いながら生きながらえているなんて話は、ワクワクするものでしたからね。ほら、源義経がジンギスカンになって生きていたなんて話みたいで」
『青い血』
 題名にはそうあった。これがどういう取材の元に書かれた物語なのか、少なくとも弥生やその時代の少年や少女たちは、これがただのお話と思って読んでいたことだろう。いや、今でさえ、ありそうな歴史小説のひとつとして捉えているのかもしれない。

「皇女の一人が遠い異国に匿われていて、必ずその血を存続するようにという使命を与えられていた。お姫様が国を逃れたとき、一枚の絵を持っていたんですよ。その絵にはレースを編んでいる女性が描かれていて、その女性が編んでいるレースの模様に光を当ててよく見ると、宝の地図が浮かび上がるっていうんですよ。いつか自分たちが再び権力を握る日のために、財宝のありかを書いた地図を潜ませた絵が世界中あちこちにあるんだってことでしてね。でもお姫様は故郷や家族が懐かしくてずっと泣いていて、しかもお国のほうはもう大変なことになっていて誰も彼女を迎えになどやって来ない。お姫様を匿っていた人は、お姫様の相手になるような人をたくさん連れてきて、血を残そうとするんですけどね、お姫様はずっと使命を果たせなくて、結局異国人の子どもを産んで、そのまま亡くなってしまって、古い家の地下に埋められてしまう。お姫様が持ってきた絵は、そのままどこかに消えてしまうんですけどね、物語の最後ではその絵が隠されている場所から、時々、すすり泣くような声が聞こえるんだっていうんですよ」

 弥生が物語のあらましを話している表情を、真は緊張して見つめていた。
 弥生の頭の中で、この物語が蓮生家の蔵の下から見つかった白骨死体と結びついていない、とは言えないだろう。もしも、『絵』というピースが彼女の想像の中でかみ合ってしまえば、物語が真実であったい可能性を詮索したくなるに違いない。
 だが、真の緊張を察したのかどうか、弥生は話好きで気のいいのおばさんの域に留まっていた。
 彼女にはあくまでもこれは『物語』なのか。この女性が、県庁の会議室にかかっている絵を見るチャンスは、恐らく生涯ないだろうから、彼女が真実に気付く可能性は薄いのかもしれない。

 いや、この女性は知っているのかもしれない。
 蓮生家の歴史は吉川家の歴史と重なっているのではないか。昨日真が雑誌の話を持ち出したとき、弥生は一瞬返事を躊躇ったような気配だった。彼女は歴史の証言者となることを拒否しているのかもしれない。
 仁ならば上手くかわすか、それともあっさりと相手の内側に入り込んで、弥生の気持ちを聞きだすのだろう。だが、そういうことは、真にはできそうにもなかった。
 弥生は『青い血』の物語からあっさりと離れていき、他の面白そうな物語を紹介してくれた。
 真は話を合わせながら彼女の心情を読み取ろうとしてみたが、一見開け広げに見える女性の内側はまるで次々と打ち寄せる波のようで、核心は全く見えなかった。

 そして何冊目かの本を広げたとき、黄ばんだ古い新聞記事が押しつぶされるように挟まっているのを見つけた。もう二十年近くも前の記事だ。
 弥生もそれには確かな記憶があったわけでもないようだった。真と一緒に記事を覗き込み、複雑な顔をした。
 日露戦争勝利の裏で密かな取引、さる新潟の旧家と軍部、ロシアの関係、と見出しされた小さな記事。ロシア皇帝から託された宝はある家の蔵に隠されたが、事実は闇に葬られようとしている。
 詳しいことは何も書かれていない。そしてもう一枚はその一か月後の小さな訃報だった。

 下蓮生の当主の焼身自殺。
 この記事に書かれた、自殺をした当主というのは、年齢からは恐らくあのボケた老人の父親なのだろう。「父親が何か四角いものを預かっていた」と老人が話していたその人は、火に焼かれて死んでいた。
 あの老人は、もしかして自分の父親を焼いた火を見ていたのだろうか。父親の死で語り手を無くして隠された蓮生家の秘密。だから、今回もまた、蓮生が封じ込めているものを、火の力で焼き払ってしまえると思ったのか。

 想像力豊かだった少女の弥生の頭の中で繋がっていたかもしれない二つの新聞記事。
 しかし、彼女はそれを記事としては残しても、記憶の中には残さなかったのか、あるいはこれは継げていはいけない符号だと感じて、静かに雑誌のページの中に閉じ込めてしまったのかもしれない。
 弥生はその二つの記事については何も言わず、お茶が冷めましたね、と言って席を立った。真はその後姿を見送り、その日付をもう一度確かめた。どちらも、澤田が記者を辞めた後のものだった。
 途中で何冊かの雑誌の最後のページを見た。
 奥付けの編集者の名前の中に、村野耕治の名前があった。真はまるで親しい知人の名前を新聞記事の中に見つけた時のように、しばらくその名前に見入っていた。

(第23章 了)






<第24章予告>
「竹流が、今どこにいるのか、知っているのですか」
「いいえ。彼とは佐渡で別れました」
「佐渡に何をしに?」
「契約の手形を受け取りに行ったまでです」
「契約?」
 真は呟いて、それからようやく浮かしかけていた腰を椅子に戻した。
「一体、この一連の出来事の中で、あなたの役割は何なのですか」
「あなたの推理を聞いてから、お答えしましょう。全て話すのは面倒な部分もありますから」

いよいよ竹流の足跡に近づく真。
その前に、もしかして忘れられているかもしれない、もう一人行方をくらましている真の恋人(一応)・深雪の足跡も明らかになります。
核心に近づく第24章『宝の地図』、お楽しみに!

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨120] 第24章 宝の地図(1)村上の酒蔵 

【海に落ちる雨】第4節第24章の幕開けです。
今回から章題の他に、副題をつけました。
短編の連載中ですが、こちらも忘れそうなので、そろそろを覚悟を決めて←なんの?^^;
まずは少し空いていたので、思いだしがてらにあらすじを。

新宿にある調査事務所所長・相川真の同居人・大和竹流。
ローマにある教皇庁と深い関係があるヴォルテラ家の後継者であるが、その立場を捨てて今は東京でレストラン・バーとギャラリーを経営する美術品修復師。

大怪我をして入院していた大和竹流の失踪。
その失踪に重なるように蠢いていた人間たちの影が、今となっては静まり返っていた。
代議士・澤田顕一郎、溺死した元傭兵の田安、内閣調査室の『河本』、『河本』の命令で動いている警視庁の女刑事・添島麻子(竹流の恋人)、米国中央情報局に雇われている真の父親・アサクラタケシ。

真はようやく竹流の失踪時、最も身近にいたはずの男に行き当たった。
澤田顕一郎の元秘書・村野耕治の息子・草薙。

竹流が失踪前に関わっていたのは、新潟の豪農・蓮生家の蔵から見つかったというフェルメールの贋作だった。
蓮生家の怪しげな面々、贋作の鑑定に関わったという弥彦の村役人・江田島、フェルメールのことで政財界の大物たちを脅迫したうえで自殺したとされる雑誌記者・新津圭一、口がきけなくなったその娘、新津の愛人で真の恋人でもあった銀座のバーのママ・深雪。

それぞれがそれぞれの事情で事件に絡み、物事を複雑に見せている。
だが、事件の核心はただ一つだ。
「妙に大物が動く割には起こっていることが小さい」
絡み合う人間の欲望の泥沼の中から、真は彼を探し出せるのか。
そして、竹流が本当にしようとしていたことは何だったのか。
彼の本当の『敵』は誰だったのか。

草薙に案内されて、真は、竹流がフェルメールの贋作を描かせていた女・御蔵皐月のアトリエの焼け跡に行き、そこで彼の指輪を見つけた。
竹流がヴォルテラの跡継ぎだというしるしの指輪。その自分の体の一部のように大事にしていた指輪を捨てたというのだろうか。

さらに竹流の足跡を捜して、彼らは再び新潟にやってきた。
蓮生家の火事の真相に近づいた真は、歴史に巻き込まれた蓮生家の過去を知ることになった。
ソ連から預かりものをしていた蓮生家。その宝は絵画や宝物ではなく、神聖な一族の血だったと。
その末裔である千草の決心を感じながら、さらに竹流の足跡を探す真。
そして……

【海に落ちる雨】登場人物紹介はこちら→【登場人物紹介】




 吉川家を辞して、真は草薙が時間を潰しているはずの酒蔵へ向かった。
 三台ばかり停められるようになっている駐車場に車を置き、店の重い引き戸を開けて、土間になった店内に入る。店番の婦人が真の来訪の意を確認して、奥へ誘った。
 小さな間口だったが奥行きは随分あるようで、進んでいくと、木と麹の匂いが辺りを埋め尽くしていく。大きな樽が幾つも並んでいる天井の高い部屋に入ると、草薙が店の主人と思われる恰幅のいい壮年の男性と話していた。

 主人は真を見ると、あんたが相川真さんか、と言った。どういうことだろうと思って草薙を見ると、草薙は頭を掻いて、そもそもお前さんに協力する気なんかなかったのにな、俺も焼きが回ったらしい、と呟いて煙草をもみ消した。
「あんたの同居人が一度、新潟から電話をかけてきたって言ったろう。電話を借りているんで遠距離になるから掛け直せって言われてな、その番号を書いたメモが上着のポケットに残ってたんだよ。まるで呪いか執念じゃないか。ここに来てから、その電話番号の市外局番がこの町のものだって気が付いたんだ。調べたらこの酒蔵だったってわけさ」

 真は思わず店の主人の顔を見つめた。
 竹流には日本どころか世界中あちこちに知り合いや仲間がいることには、もう驚きもしないが、この村上となると、そしてそれが彼の失踪後の手がかりとなれば、話は別だった。
「竹流はここに来たんですか」
 主人は大きな酒樽の脇から真のほうへ歩いてきた。少し明るいところで見ると、短く刈った白髪交じりの髪に、同じ色合いの口ひげ、それに手の甲にも厳つい熊のような体毛が生えていた。
「何をしに」
「うちのばあさんに会いにきたんだ」

 主人は、俺と話しているよりもばあさんと話したほうが早い、と言って、真と草薙を更に奥へ誘った。
 大きな樽のある部屋の奥は、天井も普通の高さで、瓶詰め作業をしている数人の従業員が手際よく仕事をこなしていた。その先の引き戸を開けると中庭になっていて、急に視界が明るくなった。その向こうが家屋のようだ。
 縁側に赤ん坊を抱いた老人が座っている。
「うちのばあさんと十代目だ」
 主人は真たちにそう言って、老人のほうに歩いていった。
「ばあさん、深雪ちゃんの知り合いだそうだ」

 真は思わず自分の耳を疑った。竹流の知り合いや心を許した友人の中に老人の占める割合はかなり高いと思われるし、この老人もその一人だろうと思っていたのだ。
 竹流には老人に好かれる大きな美点がある。彼は老人たちと共に時を過ごし、彼らの話に耳を傾け、そして彼らの人生や、どんな些細なことであっても彼らが持つ技を手放しで賞賛する。多分竹流にとっても、彼らの傍らは居心地の良い空間なのだろう。それはもしかすると、彼が子どもの頃、敬愛していたという修復師の姿を重ねるからなのかもしれない。
 だが、主人は今、「深雪の知り合い」だと言った。

 その言葉に顔を上げた老人は、穏やかな優しい表情の女性だった。そのまま教会の絵の中に納まっていても不思議ではない、柔和な顔をしている。それもそのはずだった。
 老人は渡邊テレサ詩乃と名乗った。
「深雪は、ここに?」

 出された湯呑み茶碗を間に、詩乃と真は縁側に隣り合って座った。十代目はその母親が預かりに来た。草薙は、俺は酒蔵で主人とまだ話があるんだと、その場を離れた。どうやら幾分か飲んでいるようで、ここの酒が気に入ったと言って、商売の話でもあるような口ぶりだった。
「深雪を、いえ、深雪さんを探しているんです。居場所をご存知ですか」
 詩乃は首を横に振った。

「あなたは、大和さんのお知り合いだそうですね」
「えぇ。彼も行方がわかりません。ここに来たのは、つまり彼も深雪を捜しに来たんでしょうか」
「いえ、捜しに来たというより、深雪ちゃんが私のところに来たら、ここに匿ってやって欲しいと頼みに来られたんですよ。女の子を連れているだろうから、行き場所がなくて困るはずだからって」
 真が最後に深雪に会ったのは、竹流が病院から失踪した翌日だった。その後、深雪の行方は分からなくなっている。竹流は深雪が東京からいなくなったことを知ったのだろうか。

「竹流はどこへ行くか、あなたに話していませんでしたか」
 深雪のことを聞かなければならなかったが、頭が混乱していた。
「弥彦に寄ってから、佐渡に行くのだとおっしゃっておられました。深雪ちゃんとその女の子をここに匿うのは構いませんけど、その後どうするのだと聞きましたら、佐渡から戻ったら迎えに来るからとおっしゃいましたので」
「弥彦に寄る? 竹流は確かにそう言ったのですか」

 詩乃は頷いた。真は焦る気持ちを何とか押さえ込み、もう一度詩乃の顔を見つめた。
「あなたは、深雪が子どもの頃預けられていた施設の方なんですね」
「そうです。もうその施設自体はありませんけれど、深雪ちゃんは時々、私を訪ねてきてくれていました。小さな頃から本当に綺麗な子で、でも施設に来たのはご両親が亡くなられた後でしてね、可哀想に、心も身体も傷ついて、誰も信じることができないようでした。でもあの子は本当に優しい娘でしてね、愛情をもって育てられていたのがよく分かりましたよ」

「あなたは、澤田顕一郎をご存知ですか」
「はい。よく存じ上げております」
「澤田と深雪の家族の間にあったことも?」
 詩乃はまた深い穏やかな瞳で真を見つめて、ゆっくりと頷いた。
 高い空を、鳥が歌いながら横切ったようだった。複雑な影と光が、詩乃と真が座る縁側に模様を描いていた。

「澤田さんは、深雪ちゃんを私たちの施設に預かってほしいと連れてきた人です。いえ、そのずっと前から、私たちが心を病んでいる子どもたちを積極的に引き受けているのを知って、何度か取材にも来らおられました。記者というので始めは警戒していましたが、あの方は弱者には本当に優しい人でした。時々、義憤を感じると見境がなくなるようなところもありましたけれど、信念のある方でしたのよ。深雪ちゃんをここに連れてきたときに、病院に入れるのはあまりにも可哀想だと、全ては自分に責任があることだから、何とかこの子を助けてやって欲しいと、そう言っておられました。深雪ちゃんの学費も生活も、そして私たちのためにも、本当に多くの援助をして下さいました。けれども、深雪ちゃんが高校を卒業するまで、会うことも、名乗ることもなさいませんでした」
「深雪は、いえ、深雪さんは……」

 真が言葉を詰まらせると、詩乃は優しく真の手を握った。皺が刻まれた乾いた手だが、暖かく優しかった。
「相川真さん」
 詩乃は噛みしめるように真の名前を口にした。
「私はあなたのお名前を深雪ちゃんから聞いていましたよ。先生、私はやっと人を愛する気持ちになったと、それは他人を信じて受け入れることだとやっと思えるようになったと、あの子はそう話していました。この愛は叶わないものだけれど、それも含めて受け入れることができるような気がするんだと。以前、あの子をそのような気持ちで愛してくれた人の想いを、あの子は受け入れることができなかった、その時のことを後悔しても始まらないけれど、その人が何をしようとしていたのか、今こそちゃんと知りたい、そんな気持ちになったのはあなたのお蔭なんだと、そう言っていたのですよ」

「やっぱり、深雪はここに来たんですね」
 真は自分の声が震えていることを感じた。
 深雪の想いを、全く知ろうともしていなかった。後悔しているわけではないが、ただ申し訳ないと感じていた。
「はい。私はもう、自分が老いて役に立たないのだと思っていましたが、あの子は私にもう一度女の子を預かって欲しいと言ってきたのです。うちの娘婿はあの通り、豪快な男ですから、事情も聞かずに引き受けました」

「じゃあ、千惠子ちゃんはここに?」
「ご心配には及びません。まだ大人の男性を怖がっているようなところはありますけれど、いずれきっとその心を癒す人が現れるでしょう。深雪ちゃんにあなたが現れたように」
「僕は……」
 真はそれ以上何も言うことができずに、詩乃から視線を逸らした。詩乃は黙って真の手を握っていた。その温度が、手の先から真の身体の奥へ滲みこんでいくようだった。

 この人の前で、自分の心が深雪にはないのだと言えなかった。だが、まるで真の心の内を読んだかのように、詩乃は穏やかな、しかし明瞭な声で言った。
「深雪ちゃんはあなたに応えて欲しいと思っているのではありませんよ。あの子は、あなたのお蔭で救われたけれども、あなたに見返りを求めてなどいないでしょう。あなたは、あなたが求める人をお捜しなさい。私たちはきっとあのお嬢さんをお守りいたしますから」

 真はもう一度詩乃の顔を見つめた。そして、相川真が香野深雪を一人の女として愛するかどうかということは、この女性にはひどく末端の事なのだろうと感じた。神に身を捧げた女性の視点からは、深雪に救いをもたらしたきっかけが大事なのであって、男女の愛が成就するかどうかは神の思し召しに過ぎない、といえるのだろう。そして、今真に救いをもたらしてくれるものは、全く別のものだということを、この女性はちゃんと分かっているのだ。

「深雪が今どこにいるか、見当はつきませんか」
「新津圭一さんをご存知ですね」
 真は頷いた。
「新津さんは、深雪ちゃんのことを知りたいと、私のところを尋ねてきた人です。何もかもお話しするわけには参りませんでしたけれど、その方が本当に深雪ちゃんを愛してくれているのはよく分かりました。深雪ちゃんは、その方が亡くなられたときから、ずっと自分が何をなすべきか、考えていたのかもしれません。あの子は私にどこに行くかは言いませんでしたけれど、今はただ、あのお嬢さんのためにも自分自身のためにも、成すべきことがあるのだと思っているのではないでしょうか。あなたがお捜しの大和さんは、深雪ちゃんに危険があってはならないから、ここに深雪ちゃんを引き止めてくれるようにおっしゃっていたのです。深雪ちゃんにはそのことを伝えましたけれど、深雪ちゃんは、これは私の仕事なのだと、そう言っていました。大和さんが深雪ちゃんのことを気遣って、何度かここに訪ねてこられたことも、あの子はみんな知っています。深雪ちゃんは、私にこう言いましたよ。逆なのよ、先生、あの人が真ちゃんの本当に大事な人なの、だから、あの人を巻き込むわけにはいかないのよ、と」

 真はまだ詩乃を見つめたままだった。
「相川さん、深雪ちゃんはあなたに会ってから、色んな事を私に話してくれるようになった。それまでは、訪ねてきてくれても滅多に自分の話をしない子だったんですよ。本当は、あの子はあなたに聞いて欲しかったのかもしれません。話せなかったのは、あなたの想う人が別にいて、もしもあの子があなたにあの子自身の苦しみを打ち明けたら、きっとあなたがそれを背負おうとしてしまうだろうと、そうなるとあなたは苦しむだろうと、あなたはそういう人なのだと分かっていたからだと思います。大和さんも同じでしたよ」

 家の奥から、十代目の泣き声が聞こえた。
 家族があり、家業があり、子孫が育まれている光景の中で、深雪も竹流もどんなことを思っていたのか。それを考えると、真は指の先が痺れてくるような気がした。
「竹流が、何を」
「何故、縁もないはずの深雪ちゃんを気遣ってくださるのかと尋ねたら、自分にはただ一人、本当に大事な人がいるが、これからの自分の行く末にその人を巻き込みたくはないのだと、そう話しておられました。そして、深雪ちゃんとあなたがお互いの心の傷を深く知れば、きっと求め合うに相応しい、お互いの傷を十分に癒せる存在になり得るだろうと、だから自分にとって香野深雪という女性の存在は大事なのだとおっしゃってくださったのです。そして、その二人なら、もしかすると千惠子ちゃんも救われるのではないかと」

 あの男は何を馬鹿なことを言っているのだと、途端に無性に腹が立ってきた。
 叔父夫婦の養子になっていれば、短い人生になったかもしれないが、真は北海道でそれなりに幸福に生きていけたはずだった。あの大宇宙と大地の間で、馬たちや犬たちの傍らにいれば、真には苦しみなどないはずだったのだ。そこでは、生も死も、つまり肉体を持っているかどうかは、大した問題ではなかった。真はいつでもあらゆるカムイたちと肉体も精神も同じにすることができたからだ。それを、人生には苦しいことのほうが多くて当たり前だといって阻止したのは、他ならぬあの男自身だ。

 不意に詩乃の手が強く真の手を握った。
「相川さん、深雪ちゃんは強い子です。いいえ、あなたのお蔭で強くなったのですよ。たとえ一人でも、あのお嬢さんを守って生きていくことでしょう。でも大和さんは違いますよ。私にはあの方のほうが、深い傷を抱えていらっしゃるように思えました」
「僕は深雪に何もしてあげていません。それどころか、知らずに彼女を傷つけていた」
「相川さん、何をなす必要がありましょう。あなたの存在があの子を救ったのですよ。神や人が誰かの救いになるのは、言葉によってでも行為によってでもありません、ただその存在に救われるのです」

 深雪を抱いていたときにだけ感じていた何かは、彼女の心の深いところに触れていたからだとでも言うのだろうか。もしそうなのだとしたら、そして相川真という人間を作り上げ、誰よりも真を知っているはずの男が、彼女こそ真が愛するべき女なのだと言っていたのだとしたら、真が感じていたのは、深雪に対する愛だったとでも言うのだろうか。
 愛という言葉が、自分の中で薄っぺらく感じてしまうのは何故なのだろう。
 俺は、深雪がいなくても生きていけるが、あの男がいなければ生きてはいけない。それは、呼吸する空気がないのと同じようなことだと、真は思った。

(つづく)




limeさんちに書いたコメントで頂いたお返事の中に「雨」はもっとハードだろうし、というのがあって……あわわ、となってしましました。この章が最後の穏やかなシーンかも。
まだあれこれ迷っていますが、結局もとのままアップするのかなぁ。
ほんと、少ないながら読んでくださる方々に引かれるだろうなぁと思いつつ。
主人公、今までかなり受け身でしたが、追い込まれていくと野生の本性を表すんですね。
見守ってやってください。

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

[雨121] 第24章 宝の地図(2)弥彦の美術愛好家 

【海に落ちる雨】第4節第24章(2)です。
竹流の姿が最後に目撃され、彼の身に何かとんでもないことが起こっていることを確認した新潟の地。
蓮生家と関わりを持つ人間の中に、この事件に関わった者がいるはずだった。
そして、竹流が姿を消す前に訪れていた村上の酒蔵で、竹流が「弥彦に行く」と言っていたことを聞いて、真はその人物を特定した。
ではご一緒に、弥彦に参りましょう。

その前に、真の独白にある「月が綺麗だと呟くシーン」を抜粋。
第1節の第1章に出てきた短い真の回想シーンでした。

 時々、真が気になってテラスに出ると、同居人は何も言わずに五角形の空を見上げている。そして、他人行儀な口調で、今夜は月が綺麗ですね、と言う。真が意味を理解できずにガーデンテーブルの向かいに座ると、同居人は木の椅子に深く背を預けた。ぎっと、木の合わせが擦れあった音がする。
『I love youって何て訳すか知ってるか?』
 また下らない薀蓄を話し始めるのだろうと、真は返事をしなかった。
『明治時代の日本では『愛している』という訳はなかったそうだな。夏目漱石は、月が綺麗ですねとでも訳すか、と言ったらしい。あなたなしでは生きていけない、と訳した詩人もいたそうだ』
 月が綺麗だなんて言われても、聞いたほうに想像力がなかったら聞き流してしまう、と真が言うと、同居人は真の方を見ないまま、僅かに微笑んだように見えた。
 珍しく真剣な恋でもしているのだろうか、それとも昔の叶わなかった恋でも思い出しているのだろうかと思ったが、追求してもまともな答えが返ってくるとは思いがたく、真は月を見上げる。
 五角形の空に、ひと際大きく、月が輪郭を浮きたてるように香っている。


何故今このシーン?
真は本当は「俺にだって多少の想像力はある」と思っていたんですよ(*^_^*)
でも、思えば夏目漱石の「月が綺麗だ」は使い古されてますね。ま、いいか。


【海に落ちる雨】登場人物紹介はこちら→【登場人物紹介】





 草薙とは新潟駅で別れた。さすがにこれ以上、あの店の危ない連中を放っておくことはできないということだろう。
 草薙は、あとは別の道案内人を捜せ、と言った。
「何遍も言うようだがな、自分の遺伝子がろくでもないなどとは思うなよ。大和竹流が見つかったら、一緒に店に飲みに来い。特別に手厚い出迎えをするように、店の連中に言っておいてやる。おまえさんはきっとナンニのいい話し相手になる」

 草薙が手を上げて、人ごみに吸い込まれていく後姿を見送りながら、真は、例の『手厚い出迎え』をかわせるほどに竹流が無事であってくれればいいと思った。

 深雪の行く先は気になったが、今は何より弥彦に行きたかった。真は心のどこかに居場所を作ってしまった香野深雪という女性の存在を行李の底に押し込めるようにして、今は素直に感情の求めるままの先を急いだ。
 一人になると、いつもあの男のことを考えていた。
 何を思い出したのかと言えば、ろくでもないことばかりだった。魚を捌く手つきや、器用に野菜の形を整える包丁の扱い、だしの味を確認している姿、なぜか料理をしている時の手元ばかりを思い出した。

『料理ってのは科学的計算と根底は同じだ。つまり、材料の比率が味を決める要素のひとつだ。匙加減だよ。お前はあれだけ細かい物理計算をしていたんだから、料理ができないというはずはない。つまりやる気がないってことだな』
 あんたが作ってくれるのに、何で俺が料理を覚える必要があるんだ、と言うと、それ以上、竹流は何も言わなかった。

 確かに、砂糖や醤油、塩を入れていく作業は、大学生の頃にしていた実験と変わらない気はした。だが、包丁捌きは全く別だ。あの器用な手つきだけは、真には全く真似のできないものだった。
 それに食材を見分ける能力。根本的に真にはそういう類の才能は備わっていない。それに実際は、味付けをしていく作業とて、季節の左右される人間の感覚や他の料理との兼ね合いで変えていかなければならないのだ。
 そんな微妙な舌は真にはない。

 弥彦までの道の半ばで、空は暗くなってきた。時刻のためもあったが、時計の針が進むよりも早くに雲行きが怪しくなっていたからだった。途中、車を道の隅に停めて、一本だけ煙草を吸った。
 深雪の過去を思い遣ってやらなかった後悔は確かにあった。しかしそれよりも、竹流が真と深雪の事を、寄り添うべき一組の男女として考えていたのだと知って、動揺していた。

 それなら何故、雑誌のインタヴューであんなことを言ったりしたのだろう。それに何故、月が綺麗だと呟いたりしたのだろう。俺にだって多少の想像力はある、と言ってやればよかった。そして何故、指輪を捨てたりしたのだろう。
 今、スラックスのポケットから指輪を出して見つめる気になどならなかった。捨ててしまいたい衝動は確かにあった。捨てるなら場所は決めてあった。大体拾ってきてしまったことに後悔がないわけでもなかった。

 煙草を吸い終わると、少しだけシートを倒して目を閉じた。昨夜はそれなりによく眠ったと思っていたが、身体は興奮したままだった。まだ夜にはなっていないものの、既にヘッドライトを灯した車の光が視界の隅を貫き、すり抜けるような振動が身体に響いた。アスファルトの地面にのめり込みながら転がっていく車のタイヤ音は、幾らか湿り気を帯びて聞こえた。

 もう遅いよ、と真は喉の奥で呟いた。俺は神と契約を交わしたのだ。
 草薙の父親も、寺崎の父親も、そして真の父親も、息子にとってはろくでもない親かも知れないが、あの男だけは違う。息子のために、時には戦争も厭わないだろう。そういう直接的なやり方が正しいかどうかは別の問題だった。
 あの男は息子を愛しているのだ。そしてその息子は、叔父だと信じている父親を、どのように思っているのだろう。

 休むことは諦めた。真はエンジンをかけて、弥彦への道を急いだ。くすんだ空から雨がフロントガラスへ振りまかれて音を立て、真は視界が保たれている間はワイパーで跳ね除けることもせずに、ただ光の行方を睨みつけていた。


 弥彦に着いたのは既に定時を二時間ばかり過ぎていたが、江田島道比古はまだ村役場に残っていた。
 真を見ると、特に表情を変えることもなく、もう少しで仕事が片付くので待っていてください、と極めて事務的な声で言った。真は役場の待合で、座り心地の悪い長椅子に身体を預けた。

 狭い役場には江田島の他には誰も残っていなかった。静かで、時折江田島が紙をめくる音だけが、空気に含まれる湿気の位置を変えているように思えた。

 以前、取材のふりをして江田島に会ったとき、会うまでは絶対にこの男が怪しいと思っていたが、実際に会うとただ実直な役人で、美術のことをこよなく愛している部分に関しては幾らか狂信的な面があったとしても、それほどの悪人には思えなかった。
 その後で、蓮生の親戚である時政家の息子と恋愛関係にあると聞いて、印象が変わった。そういう性的嗜好を持っていることが問題なのではなく、その相手が蓮生と関りのある人間ということで、再び疑いの気持ちが持ち上がった。
 だが、こうしてもう一度目の前に会ってみれば、それほど悪人でも善人でもないただの一人の男に見える。

 真は両膝の上に肘をついて、組んだ両手に額を乗せ、自分の手が異様に冷たいと気が付いた。それともアドレナリンが分泌され過ぎて熱でもあるのかもしれない。睡眠不足の身体にありがちな、重さと浮遊感が纏わり付いている。
 いっそ、全て幻想であって欲しいと願った。もしかして今マンションに戻ったら、同居人はそこにいて、当たり前のように魚を捌いているかもしれない。真が台所に入れば、いつものように、帰ってきたんなら手伝え、と言うかもしれない。不意に、魚のにおいが運んでくる築地の海の匂いが蘇った。

 記憶の中の匂いなのか現実のにおいなのか、区別がつかない。記憶とにおいは脳の同じ部分に仕舞われて、それぞれが刺激となって幻影を呼び起こすのか。
 その幻影の彼方から、足音が近付いてきた。止まった時、現実に引き戻される。
「お待たせ致しました。夕食、まだではありませんか。私もこれからなので、おつき合いください」
 真が断る隙も作らせず、江田島はそう言って、先に歩き始める。

 真の車で駅前まで行き、一軒の料理屋に入った。駅前、と言っても申し訳程度に店がかたまっているだけで、九時も過ぎれば灯りは全て消されてしまうのだろう。江田島は書類鞄を空いた椅子に置いて、さて、と言うように真を見た。
「少し飲みますか?」
 真が断ろうとすると、江田島は、今日はもうフェリーには間に合いませんよ、と言った。真は、耳と脳の間でしばらくその言葉を行き来させなければならなかった。

「何故」
「寺崎昂司から連絡があったんですよ。あなたを案内しても構わない、と」
「どういう意味ですか」
 意味が摑めないまま、真は江田島の顔を見ていた。
 ここに来て、何故誰もが謎解きを始めたりしているのだ、と不愉快で気分が悪くなった。これまでは誰も真実を真に教えてなどくれなかった。今になって皆が真には処理しきれない情報を提供してくれようとする。それは、竹流の身がよくない状況にあるという意味ではないのか。

 真はやはりアルコールを断った。
「竹流は今どこに? あなたが、彼がフェリーで佐渡に渡ったときに、フェラーリに同乗していた男だったんですね。あなたは彼の仲間か、もしくは情報提供者だと言うんですか。それなら何故、僕が前にあなたに会ったときに、そのことを教えてくださらなかったんですか」

 江田島は注文をとりに来た年配の女性に、手際よくビールと料理を幾つか頼んで、ようやく真の顔を真正面から見た。
「矢継ぎ早に質問されると、どれから答えていいのか、困りますね。大和竹流と一緒に佐渡に行ったのは事実です。だが、私は彼のお仲間というわけではない。ただ、寺崎昂司とは父親を介して知り合いではあります。何故、あなたに教えなかったのか、というのは多少複雑な事情があって、うまく答えられません」

 真は江田島を睨み付けていることに、自分でもようやく気が付いた。江田島は運ばれてきた二杯のビールの一方を真に勧めた。真はそれには応える余裕などなかった。
「竹流が、今どこにいるのか、知っているのですか」
「いいえ。彼とは佐渡で別れました」
「佐渡に何をしに?」
「契約の手形を受け取りに行ったまでです」
「契約?」
 真は呟いて、それからようやく浮かしかけていた腰を椅子に戻した。

「一体、この一連の出来事の中で、あなたの役割は何なのですか」
「あなたの推理を聞いてから、お答えしましょう。全て話すのは面倒な部分もありますから」
 真はもう一度勧められて、今度はビールを口にした。固形の炭水化物よりは咽を通りやすいと思うことにした。

「あなたはパリに留学していた時に、フェルメールの本物がまだどこかにあるという噂を耳にしていた。それも、かなり具体的な話だった。持ち主はキエフの皇族血縁の元貴族の老人で、その貴重な本物は、割と簡単に贋作と判るような絵の下に隠されている、という。あなたはもしかしてキエフの老人を訪ねたのではありませんか。しかし、絵はそこにはなかった」

「そうです。日本人に売ったと。ガラクタのような絵ばかりだったので、高い金を出しそうな日本人に売ってやった、と言われました。だが、実際には売ったというほどの金を受け取っていないことが分かった。妙な気がしました。彼は売った先までは言いませんでしたが」
 真は、この男が『青い血』という秘密結社とやらを知っているのかどうか、フェルメールらしき同じ構図の絵が何枚もあることに気が付いているのかどうか判らなかったので、その話題を避けた。

 細長い店はテーブルが縦に並び、それぞれのテーブルの間には柱が立っていて、入り組んだ形の個室のように作られている。洒落たデザインを目指したのではなく、何やら建築上のやむをえない事情によって複雑な形になってしまっただけのように見える。厨房は少し奥になっていて、今真と江田島が座っている一番出入り口に近いテーブルの会話が他人に聞かれる可能性は低いように思えた。

「あなたはやむを得ず弥彦に帰って役所勤めをするようになってから、蓮生の家から鑑定を頼まれたんですね。蓮生には戦前も戦後も含めて、何度かソ連から絵が持ち込まれている。絵だけではない、蓮生はいつの間にか大事な預かり物をするようになっていた。今の下蓮生の当主の父親の代までは、自分たちの役割を知っていたかもしれませんが、今存命の蓮生家の人たちは、多分歴史の中で蓮生が果たした役割を知らない」
「そうでしょうね」

「あなたが欲しかったのは、面の絵の下に描かれているフェルメールの本物ですか」
「欲しい? それは少しニュアンスが違います。私という個人があのような素晴らしい絵を所有して何になりますか。私は夜毎自分のコレクションを眺めては満足しているような連中とはわけが違うのです。私は、いえ、私が、その絵を見つけ出したかった。もうフェルメールの本物は見つからないだろうと言われている、それをこの新潟で見つけたのが私だと、美術史に足跡を残したいと願っているだけです。そして、もうひとつ大事なことは、あの絵がこの日本から出て行くことを阻止したかった」

「功名心、ですか」
「何とでも。私には美術作品を生み出す才能もなく、あなたの同居人のように修復技術を持つわけでもない、だがこよなく愛したもののために生涯を燃焼させたいと願っていました。しかし、現実には父が死に、パリからこの田舎町に戻って来ざるを得なかった私のような人間に、そのような野心は全く絵空事でした。ところが、神はチャンスをくれた。この絵を世間に知らしめ、私の名を知らしめるのが、私の生涯の仕事と思えるようになったのです」

「蓮生家から鑑定を頼まれたとき、寺崎孝雄の会社に東京までの運搬を頼まれましたね。あなたは寺崎孝雄と親しかったのですか。あの男が、つまり悪い噂を持っていることをご存知だったのでは」
 江田島はビールをゆっくりとグラス半分ほど飲む間、何も語らなかった。
 真は辛抱強く待ちながら、もう一度店の中の気配を窺った。
 店内には数組の客がいたが、それぞれ自分たちの話に夢中のようで、やはり他のテーブルの会話に聞き耳を立てている気配はない。それでも、電車の通る音がはっきりと聞こえるほどに、辺りは静かだった。

「相川さん、寺崎孝雄の会社は美術品輸送のプロです。この業界では大変良い仕事をしている。悪い噂など問題にはなりません」
「だが、わざわざ関西に拠点を移していた会社に頼まなければならないものでしょうか」
 真が問い詰めると、江田島は微かに笑ったように見えたが、返事をしなかった。

「僕にはよく分かりません。あなたの功名心も、何がしたかったのかも、そのために寺崎孝雄のような男と手を組んだのも。第一、本当にあなたの言うとおりなら、あなたは正規の手順を踏んで鑑定の手配をしたはずです。あなたは、やはり絵を掠め取るチャンスを残しておきたかったのではありませんか。だが、実際には簡単にいかない事情があった。『フェルメールのような』絵は何枚かあった。あなたはどうしても東京に絵を運ぶ必要があったんです。どの絵の下に『貴重な本物』が描かれているのか、弥彦や新潟では調べることができなかった、もしくは調べるにあたって、あなたに都合のいいように事を運ぶことができなかったからです。だが、例えば赤外線で調べてみても、実際には『貴重な本物』はどのフェルメールらしい絵の下からも出てこなかった。絵は蓮生の若主人が一部を県庁に寄贈した後で、恐らくあなたが鑑定をした時には『貴重な本物』は竹流の手元にあった。あなたが蓮生の絵に興味を持っていることを知って、竹流があなたに接触してきた。もしくは、あなたのほうから竹流に近付いた。違いますか? 僕が初めてあなたにお会いしたとき、あなたは直ぐに大和竹流の名前を出した。確かに、彼の名前があなた方の世界でそれなりに有名であったからかもしれませんが、ただ修復師というなら、他にも、もっと表で仕事をしている立派な肩書きの人がいたはずだ」

 江田島は真が語るのを興味深そうに聞いているように見えた。真が、江田島の善良かつ実直そうな表情の向こうの何かを読み取ろうとしても、まるでそれを拒否するかのような鎧を感じる。
「さて、それで、私の非はどこにあるということになるのでしょう」
 真は息を継いだ。

 年配の女性が料理を次々に運ぶ間、真は次の会話のきっかけをつかみかねていた。江田島は真に料理を勧め、彼自身は淡々とした気配で食事に取り掛かる。真は箸を取り上げることもせずに、その様子を見ていた。
「あまり怖い顔をされていると、おかしな客だと思われますよ。ここは田舎町で、あなたのような人はただでさえ目を引くのですから」
 真はようやく箸を取り上げた。

(つづく)



さて、この江田島、もとから怪しかったと思いますが、やっぱり怪しかったですね。
でも、怪しさの正体は、もう少し別の事情があったようです。それは続きで。
このシーン、まだまだ続きます。そして、物事の核心に近づいていきます。

「私の家に来て、家捜しでもなさったらどうですか。もしかすると、大和竹流を匿っているかもしれませんよ。いや、彼を座敷牢にでも閉じ込めて、夜な夜ないたぶり尽しているかもしれませんからね」
え??

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

[雨122] 第24章 宝の地図(3)芸術家の狂気 

【海に落ちる雨】第4節第24章(3)です。
竹流の姿が最後に目撃され、彼の身に何かとんでもないことが起こっていることを確認した新潟の地。そして竹流が最後に目撃された時一緒にいた男と、再度接触した真は、竹流の居場所の情報を求めて男に近づいた。
この男は一体何を隠しているのか?

【海に落ちる雨】登場人物紹介はこちら→【登場人物紹介】





 真が刺身を何切れか口に運んでから、江田島は飲んでいたビールのグラスを置いて、店の奥に日本酒を注文した。更に勧められたが、さすがに断った。
「相川さん、このような世界では失敗は許されない。特に私のような無名の愛好家が、もしもフェルメールの本物があると言って、それが実際に出てこなかったら、私はただのほら吹きのレッテルを貼られて、後からどれほどよい仕事をしても二度と話を聞いてもらえなくなる、そういう世界です。だから、私は何よりも確認がしたかった。そしてもうひとつは、元の持ち主はともかく、あの絵を初めて目にするのは私でありたかった」

「あの絵?」
「そうです。『キリストの墓を詣でる聖女』、フェルメールの初期の絵です。フェルメールも同時代の他の多くの画家たちがそうであったように、初期には宗教画を描いていたのです。その後は、教会が絵を買うだけの権勢、つまり金銭的な余裕がなくなり、絵画はむしろ一般のコレクターのためのものになっていった。売れなくなった絵の末路は不明ですが、実際に時代を生きていた当時のフェルメールにしてみれば、全く不要な絵だったでしょう」

 目の中に狂気の片鱗がある、と真は思った。
「実際にはあなたが見たかった絵は出てこなかったのですから、あなたはパリで聞いた噂がやはりデマだったとは思わなかったのですか。何故、竹流の手元にあの絵があることを知ったのですか」
「ある女が絵を見て欲しいと言ってきたのですよ」

 真はしばらく、江田島の実直そうな外見と、そして目の中にだけ宿る強い光を見つめていた。強い光には周囲の小さな暖かい灯を消してしまう力があった。
「御蔵皐月、という女性ですか」
「そうです。私が探している絵を自分が持っている、だから取引がしたい、と言ってきたのです」
「取引?」

 真は、それぞれの関係者が演じた役割はそれぞれの欲望を満たすためだけの、極めて個人的な事情であったのだろうと思った。それに気が付いてしまえば、馬鹿馬鹿しいと言って舞台を降りた『河本』の気持ちや立場も理解できる気がする。
 だが、何よりも何故、竹流はこんなことに巻き込まれているのだろう。

「ある政治家を糾弾したいのだと。その男が過去にした事で、許せないことがあるのだと、そう言っていましたが」
「あなたはそれを信じたのですか」
「どうでもいいことです。彼女の言うことが本当であろうとなかろうと、興味はありませんでしたから」
「それで、あなたは絵を見たのですか。何よりも今、絵がどこにあるのか、知っているのですか」

「同じ絵が何枚かある、という事情はその女から聞きました。そのどの絵が、私の求める絵なのかはわかりませんでしたが、私が探している絵はただ一枚だけです。女の言うことなど、信じるに値するとは思ってもいませんでしたから。しかし、その女は赤外線をあてた絵の写真を三枚、私に見せました。不鮮明なものばかりでしたが、一枚は確かに記録に残されているフェルメールの絵の部分と同じ構図でした」
「部分?」

「宗教画というのは教会などに置かれるものですから、キャンバス自体はかなり大きい。だが、宗教画から手を引いたフェルメールが描いた市民のための絵は、どれもそれほどに大きなものではありません。考えられるのは、教会の衰退で絵が売れないと知った画家自身が、新しい絵を描くためのキャンバスとして再利用するために元の絵を切ったか、あるいは絵を手に入れた画商など何者かが、大きなままでは売れない絵を幾つかに裁断して多少安値で売ったかです。そういうことは、美術館に並んでいる貴重な絵を見ていると考えられないことでしょうけれど、実際には珍しい話ではありません。あのフェルメールの絵も、もとの形で残っている可能性は低いと思っていましたから、それについてはやむを得ないと考えます。だが、残っている部分が絵のどの部分か、ということは大事な問題です。私が見た部分には、聖女が血の涙を流して祈る姿が描かれていた」

「他の二枚には何が?」
「一枚は文字が並んでいたようでした。もう一枚は何やら地図のようなもので、女はその地図は大変貴重な地図なのだと言った」

 真は目の前の男を、まだしばらくの間見つめていた。江田島はフェルメール以外には全く興味がないという気配だった。
「相川さん、接触してきたのは大和竹流のほうからです。あの男は、美術史の貴重な瞬間を潰そうとした。あの絵を諦めて欲しいというのですよ」
「諦める?」
「あの男は全く、芸術の何たるかをわかっていないのです。貴重な発見をし、世間にその絵の存在を示し、見る目のある全ての人々の前に出してこそ、芸術は意味のあるものになる。それを、元の持ち主が余命幾何もなく、その絵を返して欲しがっているからといって、またあの国のあの闇の中に戻すなどと、あまりにも陳腐な事情でしょう」

 真は黙ったままだった。
 この男に何がわかるというのだろう。大和竹流はそういう男だ。
 真はようやく竹流がしようとしていたことの一部が見えた気がした。

 もしも、誰かただ一人の人間であっても、その人が心からその絵を美しいと感じて、傍らに置きたいと願えば、そしてもし、その人の命の最後の時間が近付いているならば、彼はその一人のために何だってしてやろうとするだろう。
 竹流は『青い血』の復活を望む秘密結社の存在などどちらでもいいと感じただろうし、その依頼者が馬鹿げた妄想を抱いていることについてもどうでもいいと思っていただろう。彼が信じるとしたら、その人間がどれほどその絵を愛しているかということだけだ。
 不意に、大和邸の和室の戸を開けた瞬間の、手の感触が蘇った。

 十二畳ほどの和室の真ん中に、大きな屏風絵を立てまわし、その絵に囲まれるようにして竹流が座っていた。
 真はその一瞬、自分が立っている空間を疑った。たった今、確かに頭の上を鳥の影が横切り、水音が鼓膜を震わせ、鼻の粘膜は梅の淡い香りに細胞を興奮させた。
 もともとは金箔もふんだんに使われていたであろう屏風絵には、所々に金の名残があったが、光輝く色が消えても、十分に作者の意図は伝わってきた。

 それが、竹流が修復を終えた絵であることは、直ぐにわかった。竹流は真が入ってきたのに気が付くと、お前も座って目を閉じてみろ、と言った。
『水の流れる音、微かな梅の香、霞の向こうから聞こえる鳥の声』
 竹流は呟いた。彼の柔らかな声の質は、魔法のように真を包み込んだ。真は改めて、自分の足元を流れる細やかな水、傍らで息づいている古木の命の気配と、そしてその枝にほころぶ梅の匂いを感じた。

『なぁ、真、俺はいつも修復を終えると、こいつを返したくなくなるよ。ずっと傍でこの空気に包まれていたい心地がする。こういうのはきっと極めて個人的で孤独な経験なんだろうな。万人が美しいと感じても、美しいと感じているのは個であって、個としてしか人はこうした作品と向かい合うことはできない。だからもし、誰か一人にとってのみ美しい作品があったとしても、もしかすると万人にとって美しいものといえるのかもしれないな。この絵は、今この瞬間は俺だけのものだと思える』

 哲学論のような命題はともかくも、竹流が言っていることは真には直感的によくわかる気がした。
 目を閉じた竹流の顔には障子を通して柔らかな陽が射し、微かな陰影を浮かび上がらせていた。彫りの深い顔立ちには、まるで命をこの瞬間に凍らせたような、音楽が一瞬無音になった沈黙の美が、漂っていた。それは、彼が今ここにある絵をまさに深く感じているからこそ、立ち上ってくる美しさなのだろう。

 そういうことは、美術史がどうだの、発見がどうだのという理論からは生まれてこない種類のものだった。勿論、江田島の言っていることは、多分正しいだろう。いや、江田島こそ正しいのかもしれない。
 いや、もしかすると、江田島も竹流も、同じ事を感じているのかもしれなかった。

「御蔵皐月が要求してきたのは、政治家の失脚だけだったのですか」
「さぁ、どうでしょうか」
「御蔵皐月とあなたが取引をした内容は、あなたが話したくないとおっしゃるのなら別に構いません。ただ、あなたと竹流が何を話したのか、あなたと彼が何故一緒に佐渡に行ったのか、そこで何があったのか教えてください」

 江田島は息をひとつつき、少しの間目を閉じていた。
「まず、食事を片付けましょう。今夜の宿はどうなさるのですか」
 真は車で寝るつもりだと答えた。江田島は、それなら自分の家に泊まるように、と勧めた。真が返事をしないままでいると、江田島は表情を変えなかったが、笑ったような気がした。
「私が同性愛者だと、どこかで聞いてこられたのでしょう」

 真はしばらく江田島の顔を見つめていた。真の考えていることを想像して面白がっているような気配はなかった。あくまでも、実直な田舎の役人に見える。
「ご安心ください。あなたを襲うようなことはしません。どういう部分でも、大和竹流と争う気はありませんから」
「どういう意味でおっしゃっておられるのですか」
「あなたは、私が大和竹流の才能や技術に嫉妬していると思っておられませんか。彼の持つ全てのものに」

 店の奥で立ち上がった若い男が、支払いを済ませて真と江田島が座るテーブルの横を通りすがりに、江田島に挨拶をしていった。狭い町のことだ。顔見知りの人間は多いのだろう。
「あの男は確かに、一生使い切ることのできないほどの黄金を抱いて生まれてきたような人種です。身分も才能も容姿も、それにどうやら人徳者でもある。私が大和竹流に嫉妬して、誰かの片棒を担いで彼をどうにかしたと、そう思っておられるのなら、私も弁明をしなくてはならない。確かに、大和竹流に会い、フェルメールの絵のことでいささか立場が異なることを知りましたが、それだからと言って、彼の身を脅かすほどの事情は私にはありません」

「だが、あなたはあなたの願いをかなえたいと、そう思っておられるでしょう。そのために竹流の存在が邪魔であっても、許容できるとおっしゃるのですか」
「邪魔? とんでもない。彼を納得させることができれば、彼ほどに強い味方はいないでしょう」
「彼が納得しなければ?」
「私は私がすべきであると信じることをするだけのことです」
 そう言うと、江田島は一旦息をついた。

「私の家に来て、家捜しでもなさったらどうですか。もしかすると、大和竹流を匿っているかもしれませんよ。いや、彼を座敷牢にでも閉じ込めて、夜な夜ないたぶり尽しているかもしれませんからね」
 役人というのは、こういう融通の利かない気配を身に付けていく人種なのだろうか。

 だが、この男の目の中には、ただ読み取れないだけではなく、真には理解できないものに対して抱く快楽を貪るような狂気が潜んでいる気がした。
 大概の芸術家とはそういうものなのだろう。彼らが好んで自殺という究極の芸術活動をするのは、その狂気の表れだ。
 もっとも、この男が芸術家という範疇に入るのかどうかは、はなはだ疑わしい。
 食事を片付けて、真は挑戦状を受け取るような気持ちで、江田島の家に向かった。

(つづく)



まだまだ続きます。真vs江田島……マコトに貞操の危機? あ、マコトじゃない^^;

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 4   

[雨123] 第24章 宝の地図(4)狂気の行方 

【海に落ちる雨】第4節第24章・最終話です。
竹流と最後に一緒にいたはずの男、江田島。実直な役人に見えて、実はどこかに狂気を潜ませたフェルメールの愛好家だった。だがこの男が竹流を痛めつけるほどの理由があるだろうか? 
「私の家に来て、家捜しでもなさったらどうですか。もしかすると、大和竹流を匿っているかもしれませんよ。いや、彼を座敷牢にでも閉じ込めて、夜な夜ないたぶり尽しているかもしれませんからね」
真は誘われるままに彼の家にやってきたが……

【海に落ちる雨】登場人物紹介はこちら→【登場人物紹介】





 江田島家は弥彦の町の外れにあった。古い平屋造りの家屋は、門から玄関までの距離はそれほどでもなかったが、玄関から先は全体像がつかめるような家ではなかった。
 江田島は玄関の鍵を開け、真を誘い入れた。靴の一足も置かれていない土間は大きく、三段上がった先に置かれた衝立には立派な松が描かれている。

 玄関の灯りは点っていたが、人の気配はなかった。
「お一人なのですか」
「両親は亡くなりました」
 江田島はそれだけ言って、真にどうぞと声をかけた。真は促されるままに靴を脱ぎ、奥へ上がった。腰ほどの高さの衝立の右奥は、真っ暗で見えない。

 江田島が左手の廊下を行く後ろを、真はついていった。廊下は縁側のようで、雨戸の閉められたガラス戸に、頼りない光に浮かび上がる二人の影が、移動していく。
 幾つかの部屋を通り過ぎて、不意に立ち止まると、江田島は襖を開けた。音も立たなかったのではないかと思われるほど、一瞬の動作に思えた。先に立って部屋に入った江田島の姿が闇に呑み込まれ、真の視界から、突然気配の全てまでも消えてしまったようだった。

 江田島が部屋の電気をつけたが、オレンジ色にくすんだ灯りは、闇の気配を消し去ることを躊躇しているようだった。
 部屋は六畳ほどの和室で、小さな床の間には山水の描かれた掛軸がかかっている。真ん中に座敷机が置かれていた。江田島はもうひとつ奥の部屋の押入れから座布団を持ってきて、真に勧めた。隣の部屋は明かりもつけないままだったが、さすがに家主の江田島は、闇の中でも自分の行く先が見えているようだ。

「風呂を沸かしてきます。緊張して眠れないくらいなら、敵地でも酒くらいは許されるでしょう。夢の中でなら、願いも叶うかもしれませんよ」
 江田島は真を残して、廊下を引き返していった。真はその後ろ姿が消えるのを確認してから、出された座布団に座った。

 突然、息苦しいほどの静寂が周囲から真を押し包む。
 目を閉じると、どこかから覗かれているような気配が突き上げてきた。真は思わず江田島が出て行った廊下側の襖を見たが、勿論誰もいるはずがない。隣の部屋との仕切りになる襖も、江田島が閉めていったままだった。時計が時を刻む音なのかもしれない。

 しばらくすると、江田島は五合の酒瓶と小さなグラスを持って戻ってきた。
「家捜しする気も起こらないような古い家で驚かれたでしょうね。昨年、寝た切りだった母親が亡くなって、もうそろそろこの家も寿命かと考えていたのですが、色々と事情もあってまだこのままです」
 真は勧められるままにグラスを受け取った。身体の細胞が軋んだ音を立てていて、本来なら真の特殊能力が発揮されてもいいような古い家だったが、神経が磨り減ってしまっているのか、感覚器の域値は随分高い位置に上がってしまっていた。それとも、昨日から何時になく酒を飲みすぎているからなのかもしれない。

 黙ったまま何とかグラスの半分を飲んだ時点では、まだ意識は清明だった。
 時政という若者と本当に同性愛の関係なのか確認したいような気はしたが、よく考えればそのことと竹流の行方は関係もなさそうだったし、敢えて聞くことでもない。
 しばらくすると、風呂が沸いた頃だというので、江田島は真を風呂場へ案内した。断る隙は見い出せないまま、真は風呂を借りた。

 五右衛門風呂ではなかったが、高い天井に灯る明かりは薄暗く、えんじと緑と白のタイルの色は沈んで見えた。身体を洗って湯船に身体を沈めると、不意に皮膚の神経がざわめく。入浴剤か何かの刺激なのか、身体中を愛撫されたような細胞の異様な興奮を感じる。
 逆らえような気配だったのでついてきたわけではなかった。とにかく、真の理解が及ぶ限りでは、今のところ竹流と最後に接触していたのは江田島のようだった。だが、限りなく黒に近い灰色に見える江田島には、決定的に黒と言えるものがなかった。

 唐沢に言わせれば、真の嗅覚が見事に働いているということかもしれない。フェルメールの絵に関わっているとしても、竹流をあのような目に遭わせた人物としては、江田島を疑う要素がなかった。
 不意に、湯気の中に白檀のような香が湧き上がった。
 真は思わず背後を振り返った。

 背後は少しの空間を置いてすぐに壁になっていて、立ち上がって丁度頭の高さになるくらいの位置に窓があった。無論、その窓は閉められていて、外は真っ暗だ。窓を、時々雨が叩いている。風の向きが変わると静かになり、また吹き付けるようにガラス窓を叩く。庭になっているのだろうか、風が舞っているようだった。
 やはり誰かに見られているような気配がした。真の特殊能力からすれば、それがあやかしやら霊の類であってもいいはずだが、どうやらそういうものではないような気がする。

 邪悪なものを感じているわけではない。それはもっと現実的で不安な気配だった。要するに、真がその気配を恐れているのではなく、その気配のほうが真を恐れているような、そんな感じなのだ。
 江田島の持つ気配ではなかった。
 江田島という男は、決められた土俵の中からはみ出さないように、抜け目なく、望んでいることを積み上げていくようなタイプの男に見えるし、緻密に計算した彼自身の理屈は、恐怖や怯えとは関係のない次元で動いている。

 真が風呂から上がって身体を拭いているときに、もう一度、微かな白檀の香りがした。思わずタオルに鼻を近付けてみたが、ただ石鹸のような匂いがするだけだった。
 用意されていた浴衣を着てもとの和室に戻ると、白檀の香りが強くなっていた。机は端に寄せられて、布団が敷かれている。真は白檀の香りを追うように、隣の部屋との境の襖を開けた。

 隣の和室にも小さな火が灯っていて、よく見ればそれは仏壇に供えられた蝋燭の火だった。新しい線香が供えられている。そう言えば、江田島は母親が亡くなったと言っていたし、やはり例の如く、真の神経が過敏になっているだけなのだろう。真は仏壇の前に座り、線香を一本取って、蝋燭から火をもらった。そのまま手を合わせる。
 静かで、柱時計が時を刻む音をベースにして、時折戸を叩く雨の音が短い旋律を奏でていた。

 みしっと、後ろで畳がなった。すっと背筋を撫でられるような空気が澱む。真は振り返りたい衝動を抑えた。
「もう少し、おつき合い頂けますか」
 江田島の淡々とした声が、すぐ後ろから真の身体を縛るように迫った。

 真が立ち上がったとき、江田島が座敷の明かりをつけた。明かりがついてしまうと座敷は思ったほど広くはなかったが、更に左奥も襖になっていたので、開け放てば広い空間になるようだった。
 座敷の中央には一畳分はある大きな机が置かれていて、江田島はそこに酒と幾種類かの漬物が載った鉢を準備した。いつの間にか、江田島は和装になっている。

 真は一旦、もうこれ以上は、と酒を断ったが、江田島はそれを無視した。淡々とした表情で猪口に酒を注ぎ、ひとつを真のほうに差し出した。
 観念した真が、形だけとは言え、猪口を口に運ぶのを見届けてから、江田島は話し始めた。

「私は、私が見た地図が何なのかを確認したまでです。第二次大戦の時に蓮生に持ち込まれた二枚目の絵がそれだったようです。女が貴重な地図だと言ったからには、大和竹流にも貴重な何かなのだろうと思ったのですが、彼は別にどうとも思っていないようでした。彼にとっては、フェルメールをキエフに返すことが問題だったようですね」

 唐突に話し始められて、真はしばらくどういう内容か考えなければならなかった。
「何の地図だったのですか」
「文字通り、宝の地図ですよ。大和竹流は、キエフの老人から報酬を渡されたのでしょう。老人の所有するもっとも貴重なものがそれだったのだろうと、つまり老人は地図の所有権を大和竹流に譲ることで、フェルメールへの彼自身の執着を示したかったのかもしれません。『琥珀の間』の事件をご存知ですか?」
 江田島は、真にそういう知識がないことなど十分承知だと言わんばかりに、真の返事を待たずに先を続けた。

「総重量六トン、十万個の琥珀で飾られたロマノフ王朝の至宝ですよ。もとはプロイセン王のものだったと言いますが、ピョートル大帝が譲り受け、現在のペテルホフ大宮殿、冬宮、夏宮へと移されました。完成したのはエカテリーナ二世の時代で、彼女はこの部屋をこよなく愛して、部外者の入室を許さなかったといいます」
 江田島はふっと天井の方を仰ぎ見た。彼の目が蛍光灯の明かりで黒く深く光ったように見えた。

「想像してください。濃密な赤や蜂蜜色、乳白色、透明な赤、可能な限りの白と赤の色合いが、微妙に変化しながら四方の壁を埋め尽くしている。四方の壁には視覚、聴覚、味覚、触覚と嗅覚、という人間の五感を表したフィレンツェの工房で作られたモザイク画が嵌められていたといいます。この部屋は西側に窓があったそうですから、夕陽が当たるとその窓から赤みを帯びた光が射し込み、部屋自体が黄金に輝いたことでしょう。エカテリーナ二世には十数人の愛人がいたといいいますが、その部屋の中に白い肌と黄金の髪を持つ権力者が立っていれば、誰もが足下に跪いたことでしょうね」

 琥珀色、という表現は分かるとしても、琥珀というもの自体を真剣に見たことなどない真にはよく分からない感慨だった。それを察したのか、江田島は和服の裾から小箱を出してきた。小さな濃い茶色の木箱は手のひらに納まるかどうか、という大きさだった。
 江田島は目だけで、どうぞ、と伝えてきた。

 真は促されるままに小箱を取り上げ、開けると、そこには小さな石のようなものが入っていた。取り出すと、何ともいえない香りが立ち上ったような気がしたが、もちろんそんなはずはない。よく見ると、薔薇の花のような形に削られているが、角はかなり摩滅していた。
「元は植物の樹脂です。およそ五千万年の歳月を経て化石化したもので、ソ連には世界屈指の産地があります。地球の古代の命を閉じ込めた琥珀には、不思議な気が満ちているといいます」

 何か小さい箱のようなものを預かっていたと、竹流がそれを取りに来たと、山梨で会った農家の老人が話していた。真は手の中に古の命の残り香を抱いているような心地で、その琥珀をしばらく見つめていたが、やがてそれを小箱に戻した。

「ナチスがソ連に侵攻した時には、ヒトラーの腹心ゲーリングが、ソビエトからどのような美術品を略奪するかという計画を立てていました。ドイツにとっては、琥珀の間はもともとプロイセンのもの、自分たちのものという考えがあったようですから、当然リストには、この部屋の名前があった。エカテリーナ宮殿からはトラック六台分の美術品が運び出されたといいます。しかし何と言っても琥珀の間は部屋ひとつ分ですからね、戦火から疎開させるにも大変だったことでしょう。一九四一年十月に琥珀の間は解体されて、十一月にはケーニヒスベルグ城に運び込まれました。この城で一九四四年春までは最も重要な展示品として公開されていたといいます。しかし八月にはイギリス軍の空襲を受け、城は崩壊した。ただ、そのときには、城には琥珀の間はなかったといいます。そのまま行方は分からなくなった。戦後直ちにソ連は国家委員会を作って、消失美術品の行方を調査していますが、ケーニヒスベルグ博物館長のローデは琥珀の間は燃えてしまったと証言した。ここから世界の八番目の不思議といわれる琥珀の間の伝説が生まれたわけです」

 真は淡々と歴史的事実を語る江田島の表情を見ていた。時々、江田島の表情の中に微かに影が横切る。座敷机の真上に橙を帯びた電球があり、気配なく揺れているために影が彷徨うのかもしれない。

「ローデはナチ党員ではなく、優れた見識を持つ立派な博物館長だったといいます。彼は、イギリス軍の空襲を事前に知ることが可能な立場にあったともいいますし、琥珀の間の価値を最も深く知っていたからこそ、どこかに、もともとプロイセンで作成された最も重要な部分だけを、安全に保管したのではないかと考える人もいるようです。戦後に詰問されたとき、ローデは『コレクションのうち価値の高いものは疎開させたが、どこに送られたのかは知らない』と答えてもいるようです。もっともそのとき、ローデはアル中だったと言いますから、言葉の信憑性は薄いかもしれません」

 真は小箱の中の琥珀を見つめた。
 これはもともと、地球の持ち物だ。大地が育んだ木々が自らの命の滴を溢れさせて土に還したものだ。それを人間が扱い、別の価値を付加しようとした途端に、残酷な運命を受け入れざるを得なくなる。
 竹流は、この琥珀の運命に対してどういうことを思ったのだろう。

「歴史というものは、あるいは人為によるものであっても、多くの美術品にとって残酷な環境を強いることになる。ローデのような、あるいはヒトラーのような、美術への理解や執着を持った人物がこの事に関わらなかったら、もっと多くの美術品が戦火で焼失することになっていたかもしれません。そう考えると、あの戦争の立役者のひとりが、ヒトラーで良かったとさえ思えます」

 真は思わず自分が不快な表情をしたことを、僅かにひきつった頬の筋肉から感じた。江田島は真の表情を見たのかどうか、子どもを窘めるような、見下すような、どうとも取れる笑みを浮かべたように見えた。

「大和竹流は宝の地図を持っていて、それを担保にフェルメールの絵の真実を解き明かすチャンスを私に諦めろと言ったわけです。あるいは、せめて一目、かの老人に絵を見せてやる時間を融通してくれ、と。私のフェルメールへの愛情を知っているし、理解もしていると、そう言っていました。もちろん、一度事実を知った私の口を封じることが難しいことも知っていたでしょう。だからこそ、力ではなく言葉で私を説得しようとした。だが、あの国に戻った絵が、日本に帰ってくるチャンスはまずないでしょう。あの男は、私を騙そうとしたわけです」

「だが、それはあなたの絵ではない」
「勿論、私の絵ではありません。しかし、そのキエフの老人の絵でもない。人類の宝のひとつです。それに、私は、大和竹流自身がキエフの狡猾な老人に騙されていたのではないかと思っています。あの老人はむしろ宝の地図を取り戻したかったはずですよ。現実を考えれば、フェルメールよりは金になるし、何より象徴として極めて大事なものだったでしょうから」

 真はしばらくの間、黙って江田島の顔を見つめていた。
 確かに、過去に作られた美しいもの、善いものが改めて発見されることは、人類にとって素晴らしいことかもしれない。しかし、もしかすると、ひっそりと暗がりに眠ったまま、手を触れられないままでいるべきものも、あるのではないだろうか。

 真は、りぃさと一緒に見たガラパゴス島の写真を思い出していた。海に潜って海草を食べることによって生き延びようとしたウミイグアナと、陸に留まって落ちてくる果実を待つしかないリクイグアナ。そのリクイグアナがじっと動かずに空を見つめている姿には、胸を摑まれるような痛みを覚える。自然も、時には残酷な命題を、命に迫ろうとする。

 しかし、人間が彼らに迫る命題には、彼らに遺伝子を残すための時間を与えなかった。変化し生き延びる時間のないままに、彼らは滅びていく。人間があの島に足を踏み入れたときから、あの島は予定よりも早くに滅びゆく運命を背負わされたようなものだ。もしも保護をするというなら、人間こそその場を立ち去るしかないはずだった。だから、りぃさは人間のほうが間引きされるべきだと言った。踏み込んではいけない場所があることを、彼女は知っていたのだろう。

 竹流は、ものはあるべきところにあるべきだと思っている、とそう話していた。彼の言葉の中には、触れるべからざるものには触れないという意味が込められていた気がする。心に秘めた思いを、敢えて掘り返してはならないことだってあるのだろう。そして、もしかすると竹流はその老人の本音を知っていて、哀れに思い、騙されてやったのかもしれないとさえ思えた。

「まだ、質問に答えていただいていません。何故、一緒に佐渡へ? そこで何があったのですか」
 江田島は、相変わらず感情の薄い目で真を見つめていた。実直な役人顔という以外に特徴などなさそうに思える江田島の顔の中の、その目だけが別の意思を持っているように感じる。
「契約の手形を受け取りに行った、と話しませんでしたか?」
「契約の手形は、この琥珀ではなかったのですか?」

「琥珀の欠片と、その大元が眠っている場所の地図。確かに十分な手形に思えますが、私は琥珀の間は燃えてしまっているのではないかと思っています。不確実なものに踊らされるつもりはない。キエフの老人は上手く大和竹流の同情心を利用して、世界でも随一と言われている修復師の腕を期待もして、あわよくば蓮生家に預けて隠してあった宝を二枚とも取り戻そうとしたはずです。大和竹流のほうは、恐らく老人の言うことが幾らか辻褄の合っていないことに気が付いて、多分価値の低いと思われた地図のほうで私を諦めさそうとしたのでしょう。あの男も琥珀の間が燃えてしまっていると考えているに違いありませんから。それでも、騙されたふりをして、フェルメールの絵を一目見て死にたいといった老人の言葉だけは信じてやろうとしたんでしょうね。あの男にはそういうところがある。だが、私は価値もない、いい加減なものに踊らされるつもりはありません」

「では、一体……」
 江田島は自ら、酒を猪口に注いだ。江田島の右手の中指にはペンだこがあった。その部分が異様に膨れ上がった影を作っている。真は自分の心臓の不規則な拍動を、咽元にまで感じた。
「佐渡に行った本当の理由は何ですか」
 真は質問の仕方を変えた。心臓の鼓動が咽を締め上げている。

「大和竹流が何を言おうと、私はフェルメールを諦める気はなかった。しかし、もしもフェルメールだけのことなら、彼は命を懸けることもなかったでしょう。なぜなら、それは大事な仕事だったかもしれないが、命を賭けるほどの値打ちはないからです」
「あなたは、一体、竹流に何をしたんですか」
「何も。ただ、道案内をしただけです」

 しばらく、真は江田島の目を見返していたが、初めて得心がいった気がした。
「あなたが、契約の手形を受け取ったと言ったのは、つまりその相手が竹流ではなかったと、そういう意味ですか」
 江田島はようやく少し笑んだように見えた。
「大和竹流は、どうしても手に入れたいものがあったんですよ。そして、私はそれを持っている相手に会う算段をつけてやっただけのことです」
「手に入れたいもの……」

 出掛ける前の竹流の顔を思い出した。いつもなら、どんなにややこしい仕事でも、彼は嬉々として出掛けていっていた。それは、その仕事の向こうに、彼が求める素晴らしいものがあるからだ。だが今回だけは、彼の表情は違っていた。
「明日、佐渡に御案内いたしましょう。それで私の果たした役目はお終いです。それ以上は私には何の関わりもありませんし、どうにかするつもりもありません」

「フェルメールの絵は?」
「フェルメールは大和竹流が持っているはずです。もしくは、彼がそのありかを知っている。そのうち私の手元にやってくると思っています。あの絵と私には運命があると、信じていますから」
 もうお休みください、と江田島は言って、徳利と漬物を片付けると、そのまま姿を消した。すとん、と時間が区切られたような気がした。

 真の心臓は、居た堪れない動悸を繰り返していた。不安、と言えばそうかもしれない。だがこの動悸はただのアドレナリンの過剰分泌の結果だ。身体中の血管が収縮し、汗腺が興奮している。何も触れていないはずの手足の先で、敏感になった痛点が、狂ったような痺れを訴えている。昨夜、草薙に宥められたはずの身体の中心でも、血管が異常な膨張を起こしかけている。普段よりも視力が倍増したように感じ、歪んだ視界は頭の血管をじりじりと締めてきた。

 江田島は何を言っていたのだ。
 それは竹流の身体が、やはり生贄のように『何かに』捧げられたということなのか。あの佐渡の隠れ家の地下にある石の祭壇の上で、彼の身体は不当に傷つけられ、血を流したのだ。岩は血を吸い、艶めかしく鼓動し、あの美しい身体を冷たく凍るような空気で愛撫し、命の核のすぐ傍にまで迫っている。

 真は自分の命の核を預けたはずの男の身に迫る何かを、痛みのように感じながら、冷たい布団の上でただ天井のうねりを睨みつけていた。

(第24章『宝の地図』了)



江田島が本当に隠しているもの、それはフェルメールへの異常なほどの愛着なのか、まだ真実は述べられていないようですね。答えは25章に引き継がれます。

……いよいよ、問題の25章に突入します。
以後、18禁/Rです。苦手な方は印を入れた回はすっ飛ばして読んでいただくことをお勧めします。
多分、あまりのギャップに驚かれるかもしれませんので、かなり覚悟してお読みください。
辛くなったら、詩織ちゃんとロレンツォの不器用なまたは猫耳少年・マコトを思い出していただいて、癒されてください(>_<)

「心配しなくてもいいからね、あとでちゃんと手当てをしてあげるよ。分かるだろう、ただ一緒に楽しみたいだけなんだ。大丈夫、ちゃんとカメラは回してあるよ。もしもそのまま死んじゃっても、君の姿は永遠に残るんだ。苦痛に歪んだこの綺麗な顔をいつでも楽しめるようにね。君は私がどれほどこの時を待っていたか、知らなかっただろうね」

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 4   

[雨124] 第25章 佐渡に横たふ(1)悪魔の手~18禁・R~ 

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb -- : cm --   

【海に落ちる雨】第25章に向けて 

【海に落ちる雨】第4節第25章に突入します。

ここから2話分、試しに一定期間「公開限定記事」にしてみます。
皆さま(っても、ごくごく少数の方ですが)の反応をお聞きしてから、ほとぼりが冷めたら(?)普通の公開記事に戻そうかな、と。
このお話を書いていた頃、ある映画の原作本を読んで、何だか怒りに駆られていたのですね。
そのアドレナリンが妙な方向へ行っていて、「こんなのは許せない」という気持ちになっておりました。
この私の気持ちは、最後までくすぶっているので、最後に「神」が断罪しますが(この物語の神的存在はあの男しかいませんが、これはその断罪行為を肯定するものでもありません)、その是非もよく分かりません。
断罪するためには「罪」がなくてはならないので、主人公たちにはちょっと申し訳ないことになってしまいました。でも、これはある意味、背後にあるもっと許せないことをあからさまに書かないための手段でもあったので、彼らは「打たれ強い」と信じて書いていたのです。主人公はどんなに痛めつけられても死なない理論に乗っかっています。
でも、結果的には、彼らのうち一方は私の予想以上に打たれ弱かった。
ただ、詳しく書くかどうかは別にしても、このことが主人公たちの間の深い溝になっていくので、彼らがなぜベタベタ甘々の関係になり得ないかのヒントが隠されています。
真は……根本的に野生児ですから、そっちの方向にもどこかで野生、なのです。一方の竹流は、究極的には潔癖であろうとしていますから、野生と共に堕ちて行く自分は許せないのです。
「見なければ、知らなければ、良かった」ってことかな。

実はここからの2話分、始めはもう少しあっさりした内容だったのですが、ある時何かに憑かれたみたいに書き込んで、怒涛の内容になってしましました。「ある時」というのは、ほとんどこの物語を書き終えてからなのです。
主人公が第5節で怒りに駆られて復讐鬼になりかかります。通して読んだら、その主人公の感情の昂ぶりの根拠が弱かったのです。なぜこいつはこんなに怒っているのか。その根拠を書いておかないと、繋がらないことに気が付きました。

この部分を読まなくても話は繋がりますので、2話分、飛ばしていただいても構いません。ある程度覚悟して(って、意外に大したことないかも……)読んでいただければと思います。
えっと、これ、私の中では「格闘シーン」の位置づけです。
自分の中では下品ではないギリギリの表現かな、と思っています……目的は、主人公とと一緒に「怒っていただくこと」です。

パスワードは主人公の誕生日、4桁の数字です。
主人公の誕生日はこの記事の最後の方、【登場人物紹介】をご参照ください。
え? それって公開限定の意味があるの? って思われますよね。
はい、この面倒な手順を踏んでくださるだけで結構です……所詮、そんな大したものではないのです、きっと。
あ、今更ですけれど、18禁です。18Rでもあります。ん? どう違うんだろ。

<これまでのあらすじ>
新宿にある調査事務所所長・相川真の同居人・大和竹流。
ローマにある教皇庁と深い関係があるヴォルテラ家の後継者であるが、その立場を捨てて今は東京でレストラン・バーとギャラリーを経営する美術品修復師。

大怪我をして入院していた大和竹流の失踪。
その失踪に重なるように蠢いていた人間たちの影が、今となっては静まり返っていた。
代議士・澤田顕一郎、溺死した元傭兵の田安、内閣調査室の『河本』、『河本』の命令で動いている警視庁の女刑事・添島麻子(竹流の恋人)、米国中央情報局に雇われている真の父親・アサクラタケシ。

真はようやく竹流の失踪時、最も身近にいたはずの男に行き当たった。
澤田顕一郎の元秘書・村野耕治の息子・草薙。

竹流が失踪前に関わっていたのは、新潟の豪農・蓮生家の蔵から見つかったというフェルメールの贋作だった。
蓮生家の怪しげな面々、贋作の鑑定に関わったという弥彦の村役人・江田島、フェルメールのことで政財界の大物たちを脅迫したうえで自殺したとされる雑誌記者・新津圭一、口がきけなくなったその娘、新津の愛人で真の恋人でもあったバーのママ・深雪。

それぞれがそれぞれの事情で事件に絡み、物事を複雑に見せている。
だが、事件の核心はただ一つだ。
「妙に大物が動く割には起こっていることが小さい」
絡み合う人間の欲望の泥沼の中から、真は彼を探し出せるのか。
そして、竹流が本当にしようとしていたことは何だったのか。
彼の本当の『敵』は誰だったのか。
[雨124]第25章佐渡に横たふ(1)悪魔の手

*【海に落ちる雨】登場人物紹介はこちら→【登場人物紹介】

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 2   

[雨125] 第25章 佐渡に横たふ(2)屈服~18禁・R~ 

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb -- : cm --   

[雨126] 第25章 佐渡に横たふ(3)地方役人の事情~18禁~ 

 始め、真は自分が魘されているのだと思った。身体に何かが纏わりついていて、愛撫されているような不気味な感じがしていた。眠っているのではなく、ずっと地面を這い回っているような感覚だった。仰向けに寝転んだまま、真は首から胸を、自分の手で撫でるようにして汗を拭った。夢に魘されていたのか、魘されるにしても夢の内容がわからなかった。
 静かだった。だが、時折、頭の下の方から衣が擦れあうような音が響いてくる。
 真は固くなったままの身体を何とか起こした。ふわりと白檀の香りが漂っている。
 あぁ、と猫の唸るような声が、確かに聞こえた。
 真が眠っている部屋は、六畳ほどの間で、水屋棚と端に寄せられた机以外にはなにもない。豆電球が頼りない影を作りながら、宇宙線のような微かな波動でも感じているかのように揺れていた。
 あぁ、とくぐもった声が再び耳に木霊した。真は浴衣の袷から手を挿しいれた。胸はじっとりと冷たい汗を搾り出している。夢を見ていた記憶はないし、いつものように妙なものの気配を感じているわけでもない。
 本当に猫でも庭にいるのだろうと思った。
 布団をめくった時、もう一度溜息のような声が聴覚のどこかを刺激した。庭のほうからではない。
 真は一瞬また耳を澄まし、ゆっくりと身体を起こした。隣は座敷のはずで、仏壇があるだけだった。そっと襖に近付き、一度息をついて、音がたたないように襖を少しだけ開けた。
 座敷は真っ暗で、何も見えない。真が開けた襖の隙間から、豆電球の微かな灯りが畳の上に細い線を描く。細かい空気の粒子がちらちらと光を跳ね返しているだけだ。何の気配もないことを確かめると、真は襖を半間分ほど開けて立ち上がった。
 目が慣れてくると、真の右手に、扉が開けられたままの仏壇と床の間がぼんやりと浮かび上がる。奥は雪見障子のようだった。左の奥は襖になっている。真はもうひとつ息をつき、座敷に入り、まず一番手前の半間ばかりの襖を開けた。そこだけは開き戸のようだった。
 きぃ、と微かにきしんだ音が身体に響く。それほどの音でもなかったが、真は身体を縮めた。覗いてみるとその先は廊下になっているようだった。柱を隔てて、更に四枚の襖が並んでいる。もうひとつ広間があるのだろうと思った。
 手掌に汗をかいていた。頭のどこかが、ガンガンと痛みを訴え始めた。耳には音とも振動ともつかない気配が流れ込んでいる。荒い息遣いと衣が擦れる音が意味するところは明らかだった。それでも、もう逆らい切れないような何ものかに押されて、真は襖に手を掛けた。



『海に落ちる雨』124と125は現時点で限定公開になっています。
125の最後の一部は、切り処の都合でそちらに入ってしまったのですが、今回のシーンと繋がっているので、上記に再掲しました。主人公の後半の心情には大きく係っていますが、124と125は読まなくても話自体は繋がります。
もっとも……パスワードは比較的簡単で、主人公の誕生日です。
(→参考click:【第25章に向けて】
何はともあれ、続きをどうぞ。だんだん皆が正体を現してきます。

18禁にしていますが、実はそれほどのシーンではありません。ただし自己責任でお入りください。
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 4   

[雨127] 第25章 佐渡に横たふ(4)佐渡の天の川 

【海に落ちる雨】第25章の最終回です。
佐渡で竹流の足跡を確認したものの、相手は姿を見せない。焦る真の前には深く暗い海、そして空には俳人が詠む遥か昔から横たわっていた無情の天の川。
物事を巨大な亡霊のように包み込んでいた厚い雲が切れたのです。まるで、龍の巣から姿を現したラピュタみたいに、残酷な事実が明らかになるにつれ、天の川の塵のような星の儚い煌めきは、真の心に自分の足元の頼りなさをより強く刻んだことでしょう。
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント 

辛い第25章が終わり、やっと落ち着くかと思ったら、第26章の冒頭でまだ続いていた!
よくぞこんな18禁でRなシーンを書いたものだと自分でも驚くけれど、読んでくださっている人はもっと驚いているかも……あの頃私も若かったと思うのですが、改定するにも、先だっての誓い(この熱はこのままお伝えしようという)があるので、今更ビビってもしかたがないと思い、勇気を出しての再開です。
第26章の章題は『戻り橋』……そう、死者が蘇るというあの橋です。

私の想いが錯綜するために、少ないとはいえ読んでくださっている方にご迷惑をおかけしております。
ここからは少し休憩も挟まっているようなふりをしていますが(2人のシーンが結構多いので)、終盤に向けてノンストップなお話になっています。
再び、よろしくお付き合いくださいませ。
ちなみに、この記事と登場人物紹介を読んだら、途中からでもついてこれるかもしれない……身も蓋もなくなるけど^^; ま、それはそれでいいような気もします。そう、このお話、前半はピタゴ○スイッチのような紆余曲折が延々と続いていて、今やっと核心にたどり着いたのです。
途中で放り出されていた球もみんな最後には拾いに行きますので、それ何の話だっけ?というのがあっても、何とかなるかも!(かな?)



再掲になりますが、簡単なあらすじと第4節のタイトルラインナップです。


新宿にある調査事務所所長・相川真の同居人・大和竹流。
ローマにある教皇庁と深い関係があるヴォルテラ家の後継者であるが、その立場を捨てて今は東京でレストラン・バーとギャラリーを経営する美術品修復師。

大怪我をして入院していた大和竹流の失踪。
その失踪に重なるように蠢いていた人間たちの影が、今となっては静まり返っていた。
代議士・澤田顕一郎、溺死した元傭兵の田安、内閣調査室の『河本』、『河本』の命令で動いている警視庁の女刑事・添島麻子(竹流の恋人)、米国中央情報局に雇われている真の父親・アサクラタケシ。

真はようやく竹流の失踪時、最も身近にいたはずの男に行き当たった。
澤田顕一郎の元秘書・村野耕治の息子・草薙。

竹流が失踪前に関わっていたのは、新潟の豪農・蓮生家の蔵から見つかったというフェルメールの贋作だった。
蓮生家の怪しげな面々、贋作の鑑定に関わったという弥彦の村役人・江田島、フェルメールのことで政財界の大物たちを脅迫したうえで自殺したとされる雑誌記者・新津圭一、口がきけなくなったその娘、新津の愛人で真の恋人でもあった銀座のバーのママ・深雪。

それぞれがそれぞれの事情で事件に絡み、物事を複雑に見せている。
だが、事件の核心はただ一つだ。
「妙に大物が動く割には起こっていることが小さい」
絡み合う人間の欲望の泥沼の中から、真は彼を探し出せるのか。
そして、竹流が本当にしようとしていたことは何だったのか。
彼の本当の『敵』は誰だったのか。

草薙に案内されて、真は、竹流がフェルメールの贋作を描かせていた女・御蔵皐月のアトリエの焼け跡に行き、そこで彼の指輪を見つけた。
竹流がヴォルテラの跡継ぎだというしるしの指輪。その自分の体の一部のように大事にしていた指輪を捨てたというのだろうか。

さらに竹流の足跡を捜して、彼らは再び新潟にやってきた。
蓮生家の火事の真相に近づいた真は、歴史に巻き込まれた蓮生家の過去を知ることになった。
ソ連から預かりものをしていた蓮生家。その宝は絵画や宝物ではなく、神聖な一族の血だったと。
その末裔である千草の決心を感じながら、さらに竹流の足跡を探す真。
そして……


第23章 喪失
 竹流と最後に一緒にいた男と彼の足跡を辿る真。山梨、そして再び新潟へ。
 蓮生家の事情と村野耕治が繋がります。
第24章 宝の地図
 真の『恋人』香野深雪の過去が眠る新潟。そこで真が出会うのは……
 そして、フェルメールに焦がれた男・江田島の事情とは。
第25章 佐渡に横たふ
 大和竹流……彼は今、どこに囚われているのか……

……ここまで公開済みです。あ、第25章の一部はあまりにも苦しいので一部限定公開になっていますが、そのうち外します。とは言え、パスワードは主人公の誕生日なので、ものすごく簡単に外れます。

第26章 戻り橋
 舞台は京都へ。竹流の女房とも言うべき芸妓・珠恵との邂逅。
 そして、ついに真の手は竹流に届くのか……
第27章 ずっとここに
 「ずっとここにいてもいい。東京にも、ローマにも帰らないで、ずっとここに」
 真のメッセージはただこれだけだったのです。
第28章 恋歌
 真と珠恵。実は壮絶なる三角関係? 想いの深さは比べられません。
第29章 赤い糸
 もう一組、恋に惑うカップルが。そう、ヤクザの北条仁と、女子大生の美和。
 二人の心の軌跡もお楽しみください。
第30章 巷に雨の降る如くに
 竹流の心の声が溢れだします。
 そして、怒りの収まらない真が選んだ道は……



以下も再掲になりますが、これまでの出来事を整理しています。

登場人物一覧はこちらのページを→→【海に落ちる雨】登場人物
登場人物もほぼ出揃っています。
重要人物はあと2人:竹流の女房・珠恵と怪しいおじちゃんがもう1人

<あらすじのおさらい・ポイント>
真の同居人・大和竹流が大怪我をして入院中だった病院から失踪。自分で出て行った?
 竹流は修復師・絵画など美術品のディーラー
 時々仕事でややこしいことに巻き込まれるが……

失踪前、竹流が雑誌のインタビューに答えていた。
 珍しく人前に身を晒し、修復師としての仕事について熱く語る。
 ついでに同居人(真)への「愛」を告白?
 竹流はローマのヴォルテラ家(教皇庁と深い関係あり)の後継者。本人はそのつもりはない。

真の周りでも不可解なことが起こり始める。
 真をいつも心配してくれていた元傭兵・ジャズバーの店長の田安の溺死。
 真の恋人(体の関係かも)で銀座のバーのママ・深雪が真に貸金庫の鍵を預けて姿を消す。
 アメリカにいる真の父親(某組織のスナイパー)が真を訪ねてくる。
  →いつもは息子のことは無視しているのに……真は父親に対しては不信感。
 事務所が何者かに荒らされる……「誰かが何かを探している」
  →これについては、後日、およその事情が判明。
   竹流が真に何かを預けたと思っている奴らがいる。
 代議士・澤田顕一郎(田安が父親代わり)が真を雇いたいと近づいていくる。
 田安のバーで知り合った女・楢崎志穂。「姉」を探している。

竹流の失踪について、情報を握っていそうな連中は?
 竹流と一緒に姿を消している、竹流の親友・寺崎昂司。
   大怪我をしている。楢崎志穂に姉の敵とつけ狙われている。
   彼も必死で竹流を探している模様。
   竹流が真に何かを預けたと思っていて、それを探していた→悪質なビデオ
 竹流の恋人・警視庁の女刑事・添島麻子。
   彼女を使っているのは、内閣調査室の「河本」(香月)。
 入院中の竹流を訪ねてきた男。九州に行った美和に「首を突っ込むな」と忠告。
 新潟の豪農の女主・蓮生(上蓮生)千草、あるいはボケた下蓮生のじいさん?
 新潟県庁に蓮生から寄付された絵画に携わった、弥彦町役場の江田島。
 姉・御蔵皐月を探しているという楢崎志穂。
   真は嵌められて、荒神組というヤクザのところで痛い目に合わされる。

竹流の失踪と新潟には繋がりがありそう。
 新潟県庁にある絵画(蓮生家から寄付)が関係?
   竹流は恋人の1人・御蔵皐月に贋作を描かせて、県庁の絵をすり替えようとしていた?
 御蔵皐月と寺崎昂司、竹流は三角関係だっという噂もあり。
 2年半前、深雪の元恋人(不倫相手)・雑誌記者の新津圭一が自殺している。
   「IVM」のことで複数の人間を脅迫していた模様。
   その娘・千惠子(当時8歳)は父親の死を目撃しており、ショックのため口がきけない。
   新津も深雪も新潟の出身。
 代議士・澤田顕一郎は深雪のパトロン(純粋に足長おじさん)らしい。
   澤田は元新聞記者だが、深雪の両親(翡翠仏を介した収賄事件関係者)の自殺を機に辞職。
   澤田には秘書で病死した男・村野耕治の影が付きまとう。
   澤田と村野耕治、村野の妻・花は三角関係だった(花は澤田の元恋人)。

最初、妙に絡んできた内閣調査室の「河本」は手を引いた模様。
 真の父親が出てきたので、何か大事が起こっていると先回りしていたはず
 代わりに、竹流の叔父・ヴォルテラの当主チェザーレが乗り込んできた。
   チェザーレは、始めから外国人「ヤクザ」と取引をしている→竹流と寺崎を探せと。
 佐渡にある竹流の隠れ家に、竹流のフェラーリが炎上。
   地下の礼拝堂、そこで竹流の身に何かとんでもないことがあった痕が……。

伏線は全て絡んできます。
 新潟の豪農・蓮生家の事情。
   日露戦争当時、ロシアから持ち込まれた絵画がある。
 フェルメールの幻の絵を手にしたいという欲望を持つ江田島。
 澤田と村野と花の三角関係。
   真の動きを見張っている澤田は、何かに気が付き、誰かを探している模様。

関係あるような、ないような。
 真の事務所の愉快な仲間たち……
   特に「秘書」の美和と仁道組の跡取り・北条仁の伏線ラブストーリーもお楽しみに。
   あ、美和ちゃんはちょっと真に傾いたりもしていたのですが。
   いや、そもそも仁が真に懸想している……
 竹流は真のことをどうしたいのでしょう?
   竹流がインタビューに答えた雑誌は……
    ヨーロッパでも姉妹社から同じ内容の記事が出るモダンな経済紙。
    そこで「ヴォルテラを継ぐつもりはない」と公言。
   添島女史から一言(予告編?)
   「それがジョルジョ・ヴォルテラの答えだったのよ。あなたはどう答えるつもり?」

   
ポイントは、添島麻子女史いわく。
「妙に大物が動く割には、起こっていることが小さい」
ここまで、みなが何かに「踊らされて」いたようです。
核心は結果的にもっとも近くにあったのかも。

さて、ローマからやって来たチェザーレ・ヴォルテラは真を「使う」つもりだったようですが……
真が日常に戻るために「河本」から出された条件は「大和竹流に関わるな」。
真はこれを条件に事務所に戻ることを許可されます。
「河本」は「もう1人のキーパーソン」と何か取引していたようですね。



「おや、坊ちゃん、間に合いましたね」
 また誰かが彼を嬲りに来たのだ。彼は何とか目を開けようとした。抵抗のためではなかった。ただ、反射的に目を開けようとした。
しかし、目はアンモニアや他の腐敗臭で沁みて、もうほとんど本来の感覚器の役割を果たしていなかった。それなのに、耳だけは研ぎ澄まされたように、聴覚器としての義務を果たし続けている。死ぬ直前に最後まで残る感覚器は聴覚だと聞いたことがある。いよいよその時が来ているのだろう。
「こいつはもう駄目ですわ。呼吸がおかしくなってる。普通の人間だったらもうとっくにくたばっちまってるでしょうけどね、随分頑張ったもんだ。どうです、最後に逝っちまうまで突っ込んでおやりになりますかい。それとも指か歯を一本ずつ、落としていきますか。こうなってもまだ、恐ろしいくらい綺麗な手をしていやがる。すっかり血の気はありませんがね」


いよいよ、明日、公開! しかもいきなり18禁/R! お楽しみに(いや、そういう意味じゃなくて……)

ところで禁とRの違いは何? 禁はエッチな方で、Rは残酷な方? だったら両方かも、と思って適当につけております。でも、書き手としては(読み返しても)しんどいけれど、実際にはどうなのかしら。この程度、平気だよって人の方が多いのかなぁ。
いや、イタシテルだけなら下品だけれど、そこが目的じゃなくて、これを知った真がどんな突拍子もない行動に出るかという動機づけの意味合いを感じていただけたら、案外「それほどでもない」のかも。彼らの深層心理に触れていただけたら幸いです。そして、このことが竹流の今後に大きな影を落とすことも……(それはまだ少し先の話ですけれど)

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 2   

[雨128] 第26章 戻り橋(1)死の影/18禁 

【海に落ちる雨】第4節・第26章『戻り橋』のスタートです。
このお話はもう10年以上も前に書いたもので、それ以降何度か手を入れたり、文章を直しているのですが、まだまだ読みづらい部分も多くあります。幾分か目をつぶって頂かなければならないところもありますが、書いていた当時の熱はそのままお伝えできたらいいなぁと思っています。

戻り橋、というのは堀川一条に架かる橋のことです。平安時代、陰陽師・安倍晴明のお屋敷がこの辺りにあったとか。晴明が亡くなった父親を呼び戻したのだとかで「戻り橋」という名前がついているのですが……今や大通り・堀川の脇の、川とも言えない「溝」に架かる石の橋。その向かいにある晴明神社に、少し古い時代の橋が残されています。
平安のころ、ここは町から外れた藪の中、だったのでしょうね。

話を大方忘れてしまっている方も、もしかして途中から何とかついていけないかなんて思ってくださっている方も、こちらの記事でご確認くだされば、意外にあっさりついていけるかも……(でも、ちょっと身も蓋もなくなるけど^^;)
【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物

なお、公開限定記事にはしておりませんが、この回はいささかきつい18禁ですので、注意してお入りください。不快に感じられる方は、竹流の回想(もしくは夢)のシーンが終わったら、途中をかっ飛ばして、最後の10行くらいだけ読んでいただいてもよろしいかと……えぇっと、ハードボイルドですから、色気は「け」の字もありません。

-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

[雨129] 第26章 戻り橋(2)そして京都 

【海に落ちる雨】第4節・第26章『戻り橋』の2話目です。
この章は戻り橋という名前の通り、竹流が帰ってくるはずなのですが、彼の状態は前話によると、風前の灯のような感じです。果たして真は間に合うのか……そしてキーパーソンとなるあの人は今?

新潟の蓮生家、そして弥彦の江田島のところに行き、竹流の手掛かりにもう一歩で手が届くところまで来ていた真。江田島が竹流を「誰かに売った」ことを知り混乱しています。
「あなたは竹流を誰かに売ったんだ。違いますか? 契約の手形は、あなたが世間に晒されては困る事実を伏せておくことだった」

新潟駅まで迎えに来てくれた北条仁からもたらされた情報と、真が突き止めてきた幾つかの情報を突き合わせてみれば、大和竹流が今、とんでもない連中の手にあることだけは分かったのです。
「やっぱりな。なぁ、真、どうやらこいつは随分ケチな話のようだぜ。ビッグ・ジョーにちょっとばかり脅しをかけたら、白状しやがった。お前をさらった時に、お前が犯されているところを撮影していたんだとな。ただ楽しむためか、あるいは後で憎っくき大和竹流に見せて、苦渋に歪む顔でも見たかったのか。それを高い値で買い取った奴がいる」
 真は仁の顔をぼんやりと見ていた。屈辱とか羞恥とか、そういう類のものは流れ出したまま、今、真の身体の内側にはなかった。
「寺崎孝雄」
 真はその名前を呟いた。自然に、忌まわしいという感情が声に擦れて絡んだ。
「そうだ。お前に、いかがわしいビデオを作っている連中のことを教えてくれと言われたろう。その業界じゃ最悪の部類のものを作っているのはあの男だと、誰もが口を揃えて言った。子どもを犯したり、生意気で活きのいい綺麗な顔をした女や男を、言うことをきくようになるまで犯りまくる、それも途中で死んだって構わないときてる。カメラは死ぬまで回ってるんだそうだ。それを見ながら新しい獲物をいたぶるようなパーティをする」
 真は仁の顔を睨み付けた。唇が震えて痺れていた。
「しっかりしろよ。大和竹流は、いや、ジョルジョ・ヴォルテラは彼らにとってまたとない獲物だ。あの雑誌の写真を見れば、綺麗な有名人好きの連中は、身代を持ち崩すくらいの金を積んででも、嬉々としてあいつを嬲るだろうよ。考えてみろ、あの高貴で綺麗な顔が苦痛で歪むのを見ながら、身体にありとあらゆる痛みを刻んで、許してくれと泣き叫ぶ姿を見ては、もっともっと痛めつけてやるんだ。お前にはあいつが切り刻まれて犯されてる姿なんぞ想像もできないだろうがな、本物のサディストにとっちゃ、たまらんだろうよ」

[雨127] 第25章 佐渡に横たふ(4)佐渡の天の川より)

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 6   

[雨130] 第26章 戻り橋(3)一縷 

【海に落ちる雨】第4節・第26章『戻り橋』の3話目です。
竹流が京都に囲っている「妻といってもいい女」珠恵(たえ)。祇園甲部の芸妓で、いつも静かに竹流が来るのを待っていた……のでしょうか。でも、彼女には何か少し事情があるようです。その事情は、まだここでは明らかになりませんが、竹流の消息については急展開が。
京都堀川一条の戻り橋は、晴明神社の向かいにあります。その場所へ、急いで行ってみましょう。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨131] 第26章 戻り橋(4)命の還る場所 

【海に落ちる雨】第4節・第26章『戻り橋』の第4話(最終話)です。
晴明神社は堀川通りという大通りに接するようにあり、もっとオドロオドロしい場所を想像していた観光客をちょっぴり拍子抜けさせてしまうのですが、平安の頃にはこの場所はどんなふうだったのでしょう。
私にとっての京都の町は二重構造。現在目に見えている町と重なるように、次元の違う世界が張り付いている。何かの拍子にその世界が見えてしまうのです。例えば、御所の堀の角、道が十字に交わるところ、橋を渡ったところ。結界と言われる見えない境界が、ほら、そこにも。
この町で、真が見たものは一体なんだったのでしょう。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨132] 第27章 ずっとここに(1)集中治療室 

【海に落ちる雨】第4節・第27章『ずっとここに』 (1)です。
6年前、竹流と一緒に「消える龍と不動明王の鈴の謎」を解くために訪れた京都・東山連山の北の限りにある龍泉寺。その場所で、ついに竹流を見つけ出した真ですが、彼の生死ははっきりとはしていません。
しかし、次に真が目を覚ましたのは……
この章は短いので、2話限りです。竹流の消息を確認してください。そして、滅多に見られない、ちょっと可愛い?真を見ることができるかもしれません。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨133] 第27章 ずっとここに(2)生きていてさえくれたら 

【海に落ちる雨】第4節・第27章『ずっとここに』 (2)です。
病室に入った真が目にした竹流の姿、そして医師の説明。
真にはすべてがまだ現実ではないようです。それでも、今ようやく、目の前にその姿があるのです。
大和竹流、帰還です。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨134] 第28章 恋歌(1)復讐の権利 

【海に落ちる雨】第4節・第28章『恋歌』 、スタートです。
大和竹流の意識が回復しています。しかし、まだ朦朧としている彼は、現実と夢の区別も上手くついていないようです。
でも、ただ一人、「あの男」だけは彼を正気に返す魔法を知っているようです。
ここからは、真の心は大波に揺られる小舟状態。
人間関係の妙をお楽しみください(って、大袈裟だった……)。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨135] 第28章 恋歌(2)叶わぬ想い 

【海に落ちる雨】第4節・第28章『恋歌』 その2です。
今回は、大和竹流を取り巻く人間たちが語り始めます。
竹流のためにと思う気持ちは一緒でも、今の真には誰一人、自分自身の味方はいないのかもしれません。
まずは、竹流の仲間の1人、そして竹流を想う気持ちを自分自身の中に押し込めながら生きている葛城昇の独白です。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨136] 第28章 恋歌(3)恋敵 

【海に落ちる雨】第4節・第28章『恋歌』 その(3)です。
今回は、ようやく大和竹流の女房と言ってもいい女・珠恵(たえ)の事情が語られ、真の気持ちをかき乱してくれます。そして、実際に向かい合ってみると、恋愛小説の三角関係にありがちなことに、相手がいい人で引かざるを得なくなってくる。
この珠恵という女性は、実際には可愛く控えめな女ではありません。もう少し先にその事情が分かると思いますが、それでも真と珠恵、相容れない立場でありながら、お互い「こう思うかもしれない」「こう動くかもしれない」という気持ちを共有しているのです。
あ……別に真と竹流は恋愛関係というわけではないんですけれど、妙な前提で話してるなぁ、私。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨137] 第28章 恋歌(4)燻ぶる 

【海に落ちる雨】第4節・第28章『恋歌』 その(4)です。
今回は、竹流と真の会話、そして京都にやって来た添島刑事とのシーンです。サービスシーン満載の章だと言っておきながら、なかなかそんな場面は出てきませんでしたが、ようやく溢れんばかりのサービス精神でお贈りします(^^)
小説を読むとき、たとえばミステリーなら謎解きばかりのシーンだとちょっと残念。時には謎解き係の恋愛や人生の背景に関連したシーンを読みたいものですね。
少し長めなのですが、切り処がなかったのでお許しください。でも会話が多いのでするっと読めるかも。
前回、皆様をおののかせた?予告シーンも登場。えっと。18〇にしなくてもいいはず。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 10   

[雨138] 第28章 恋歌(5)募る想い 

【海に落ちる雨】第4節・第28章『恋歌』 その(5)です。
前回に引き続き、サービスシーン満載の回です。でも、今読んだら、何でか照れちゃうなぁ。だって、これって、壁ドンとかお姫様抱っことかに相当するお約束の○○○し……
今回も前回と同じく切り処がなくて、9000字くらいあるのですが、萌えどころも多い(はず)なので、するっと読んでいただけると思います。えっと、病院でこんなことしてたら、絶対怒られます。でも個室だからいいでしょう! え?
実はこの辺り、エピソード的に書いてあったシーンを流れに合わせて組み合わせたのです。多分、あの辛い章を書ききった後で、疲れていたのでしょう……微笑ましいような、そんなことしていいのかと悩むような、そんな中途半端な萌えを楽しんでいただけたらと思います(#^.^#)

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 9   

[雨139] 第28章 恋歌(6)復讐するは我にあり 

【海に落ちる雨】第4節・第28章『恋歌』 その(6)、この章の最終話です。
先に【奇跡を売る店】をアップしようと思ったのですが、こちらのキリがいいので、先にアップさせていただきます。
徐々に竹流の意識は清明になって行きます。それと同時に彼の味わった恐怖が真にも直接に伝わってくる。そして、真と珠恵はついに共闘へ……
「復讐するは我にあり」、これは「俺が復讐してやる!」という意味ではなくて、復讐するのは神の仕事、お前たちは復讐など考えるのではない、という神の言葉です。今、真にはその言葉は聞こえないようです。そして、もしかして珠恵にも。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨140] 第29章 赤い糸(1)絡み合う糸 

【海に落ちる雨】第4節・第29章『赤い糸』 その(1)です。
この章のメインは柏木美和。北条仁との恋物語も、静かに進んでいます。
そしてまた、真が京都で動けないでいる間に、周辺では静かに物事が動いているのです。
でも、ここはやはり、真と竹流とは一味違う、美和と仁の恋物語もお楽しみください。
ちょっと「漫画みたいな」お話ですけれど、それでも赤い糸は誰かと繋がっているんでしょうね。
あ、ハリポタトリオの富山享志、登場です(*^_^*)

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8   

[雨141] 第29章 赤い糸(2)襲撃 

【海に落ちる雨】第4節・第29章『赤い糸』 その(2)です。
北条仁には幼馴染がおりまして、これが実は美和の恋敵。もっともこれまで美和は仁に守られてきていましたので、こんなふうに誰かと「鉢合わせる」ことはなかったのですが……美和の赤い糸、実は少し先の未来に1本が切れてしまうのですが、もう1本は別の誰かと繋がっていました。その人物が2人ともここに出てきております。……え? いや、これはまだ先の話。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
-- 続きを読む --

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

tb 0 : cm 8