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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【いきなり最終章】ローマのセレンディピティ(前篇) 

週末に【人喰い屋敷の少年】を仕上げてしまう予定でしたが、なんだか久しぶりの休みで嬉しくて、急に思い立って、恋愛ものを書いてしまいました。
1話分で終わるはずが、長くなってしまったので、前後編でお付き合いくださいませ。
→ う~ん、推敲したら後篇が長くなりすぎたので、結局3話構成になりました。


読み始めてすぐに分かるかもしれませんが、あの長い大河ドラマの本当の最終章のラストシーンです。
もっとも「あの大河ドラマ」を無視して読めるお話ですので、真シリーズ初めてさんも、途中まで読んでいるけれどいきなり最後を読んでいいの?って方も、よろしければ読んでやってくださいませ。

何しろ現在進行中の部分からは何世代か先のストーリーで、因果関係はあるようなないようなですし、ネタバレにもなっていませんし(そもそもばれて困るようなネタはないし)、普通の『玉の輿・身分違いの恋・甘々シンデレララブストーリー』としてお楽しみくださいね。


もしかして前提条件の説明が必要でしたら……
「ヴォルテラ家=シンデレラ城に住む一族、相川家=どこかの馬の骨」
これで十分!
(でもシンデレラ城にはドラゴンが居るんですよね~)


そう、このお話、かのオードリー・ヘップバーンの『麗しのサブリナ』のリメイクと思っていただければ(#^.^#)
『麗しのサブリナ』はシンデレラを下敷きにしているそうで、そう考えたら、真シリーズは、「人魚姫からシンデレラへ」という構成になっているわけですね(?)。
あぁ、ボギー(#^.^#)

そしてこれはまた、scribo ergo sumの夕さんの50000Hit特別企画~タイトルで遊ぼう~への参加作品でもあります。
皆様の作品を拝読して、う~ん、わたし的にこのリストの中にローマがないのがどうにも納得いかない、って感じでして。
え? 「京都妖怪案内:大原三千子の受難」じゃなかったの? あるいは「マコトシリーズ:3つの伊予柑」じゃなかったの?
えへへ。これはもう、タイトルだけで許してください。でも伊予柑は何か捻り出したい。
ではどうぞ、お楽しみください。

そうそう、読んでみたら、何となく面白いことに気が付くかもしれません……(*^_^*)




 秋の澄んだ空気を通して、大気圏外から太陽の光が世界を包み込んでいる。
 詩織はひとり、待合の椅子に座って外を見つめていた。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ空港のゲートの窓からの景色は、今度こそ見納めになるかもしれない。
 14時50分発の成田行きアリタリア航空機の機体を、上下に分けるように真っ直ぐに引かれた緑のラインが、もう振り返るなと告げているようだった。

 ガラスの向こうに広がるのは、ありきたりの空港の景色だった。どの国のどの街の飛行場も、そんなに大きくは変わらない。機体に描かれたデザインで最も多いのがどの国の航空会社のものか、という程度のことだ。
 この景色の色合いを変えるのは、ただ見る者の気持ちだけだった。

 まわりには沢山の人が、座って本を読んだり、あるいは何か飲みながら友人と話したり、写真を撮ったり、新たに増えたDuty Freeの袋を整理したりしながら、出発までの時間を過ごしている。
 詩織の斜め前の椅子では、恋人同士が寄り添って何かを囁き合っている。時々二人は額をくっつけ合って、微笑みとキスを交わしている。

 こんなにたくさんの人がいるのに、私だけは切り離された空間にいて、浮き上がっているみたい。まるで映画かドラマのようだと思う。
 詩織は再びガラスの向こうの空を見る。
 この国を出ていく時、私は笑っているのだと思っていたのに。
 それでも、今もなお、この国の空は高くて蒼くて、本当に綺麗だと思った。

 あの空を見ると、初めてこの空港に降り立ち、その空気を吸い込んだときの解放感を思い出す。もちろん、不安は山のようにあった。逃げ帰りたいような頼りなさもあった。それでも、初めて自分の足で、自分の選んだ場所に立った昂揚感は何にも替えがたいものがあった。
 その昂揚感は一瞬で底辺へ突き落されてしまったけれど。


 あれは二年前の同じ秋のことだった。
 初めてこの空港に降り立った時、詩織は人生で初めて、自分で何かをしなければならないという状況に追い込まれた。
 待ち合わせ場所に、迎えに来るはずの男が来なかったのだ。

 ローマでの生活を成立させるためには、少しだけ祖母の援助も必要だった。それでも、できる範囲のことは自分で何とかしたかった。中途半端なイタリア語を駆使して、何とか自力で、見習いで雇ってくれる工房と語学学校を探し、ホームステイ先も見つけることができた。
 イタリア語を話せる祖母は手伝ってくれようとしたが、詩織は自分でやりたいのだと言った。

 祖母は何度もネットの情報など信用できないと言ったが、詩織は精一杯背伸びして、今はそんな時代じゃないのよと突っぱねた。向こうでの生活に慣れるまで一緒にいようかという提案も聞き流した。
 詩織が家を出る、しかも海外へ、ということに大反対して、口をきいてくれなくなった父親の手前、必死だったのだ。

 詩織の家庭はあまり一般的とは言いかねたが、子ども心に両親の愛情は十分に理解していた。いや、むしろ、特に父親の方は詩織を溺愛していた。
 父親は、姉の皐月に対しては、まだ赤ん坊に毛が生えたくらいの子どもの頃から、彼女の意志を尊重しているように見えていた。まるで対等の大人に対するように接する様子は、時には冷淡とも感じられた。

 子どもの頃、皐月は「しーちゃんはいいよね、パパにあいされてて」とよく言っていたが、思春期になると、男親に構われずにのびのびと自分の道を突き進んでいく皐月のことを、詩織の方がずっと羨ましく思うようになった。皐月も、もう「しーちゃんはいいよね」と言わなくなった。
 今、皐月は救急医として都内の病院で働いている。
 忙しそうで、あまり話をする時間がなくなっていた。

 詩織の方は、子どもの頃、詩織は絵が上手いなと父親に言われたというだけのことで、何となくそっちの方向に進むのだと決めて東京のデザイン学校に通っていたが、その先仕事としてやっていけるというだけの自信があったわけでもなかった。学校には歳など関係なく、驚くほど才能のある学生がキャンパスから溢れるほど犇めいていたのだ。

 学校を卒業した後の就職の当てもなかった。父親は自分の仕事を手伝ってくれてもいい、と言っていた。
「今度のアルバムのジャケット、詩織に手伝ってもらおうかな」
 そんなことを精一杯さりげなく呟かれると、居たたまれなくなった。

 詩織の父親は、いわゆる「変装しなければ街を歩きづらい」人種だった。メンバーを変えることなく長く続けているちょっと有名なロックバンドのヴォーカリストであり、今ではロック以外の分野でも歌を歌うことが多くなっていた。
 派手な職業と外見と言動の割には、生活上は比較的常識人だったが、感情の起伏は激しく、愛情表現も過剰なら、怒りや哀しみを押さえ込むことも上手ではなかった。浮き沈みの激しい性格と人生は、時には家族を随分と翻弄したが、大袈裟かもしれないが魂をかけて仕事をしている、そんな父親のことを尊敬していたし、大好きだった。

 でも、ずっと閉塞感からは逃れられなかった。
 詩織の気分転換は、時折母親が連れて行ってくれるダイビングだった。
 父親と違ってどちらかと言えば平凡で地味なタイプの母親は、普段は大人しく父親に従っていたが、ダイビングの時だけはようやく自分ひとりの世界に浸ることができたのだろうか、生き返ったように見えた。亭主関白を絵に描いたような父親も、彼女のその息抜きだけは口出しをしようとしなかった。

 だから、年に一度のダイビング旅行は、詩織と母親と二人きりの楽しい旅だった。
 与那国の海底遺跡を見た時は、震えるほどに感動した。

 考古学そのものを勉強するほどの意欲も知識もなかったが、古代の人々が用いた意匠には心魅かれた。発掘物のスケッチや土器の修復のバイトは面白い作業だった。ジュエリーやスカーフなど小物のデザインのモチーフに古代の意匠を用いること、そしてジュエリーの世界にもあるエシックの考え方に惹かれた。

 時々、日本を出ることを夢想した。
 それは、始めはあくまでも夢想の域を出なかった。
 ある時、何気なく見ていたテレビ番組で、ローマやナポリの地下遺跡を見た。小物のデザインにはあまり関係はなさそうだが、与那国で見た海底遺跡を思い出して、突き動かされるような何かを感じた。
 その時、父親がふと暗い表情を見せて席を立ったことも気になった。

 父親に異国人の血が混じっていることは確かだが、詳しいことは聞いていない。
 大体、詩織は自分のルーツには少しばかり不明な点が多いと思っている。
 小学校の時、ファミリーツリーを書くという宿題があって、母方の家系を書くのは困らなかったのに、父方の家系には随分と抜けている情報があることに気が付いた。

「我々はどこから来たのか、我々はどこへ行くのか、我々は何者なのか、って奴?そんなの、永遠に答えは出ないよ。今を生きていることが肝心なんだから」
 皐月はそう言っていたが、詩織はどうしても過去が気になった。

 童話作家である祖母は、事実婚の男女の間にウィーンで生まれ、物心ついた時からはパリの叔母のもとで暮らしていた。決して金にはならない演奏旅行や、テレビ番組や芝居のための音楽を書いたり演奏したりすることで何とか食いつないでいた彼女の父親、つまり詩織の曽祖父は、その頃人生で最悪の時を過ごしていたからだ。
 そのおかげで祖母は、か弱い外見とは全く正反対の、人一倍独立心の強い人だった。高校生の時は日本で一人寮生活をし、大学はフランスに戻って児童文学の勉強をし、私生児を生んだ。
 それが詩織の父親だ。外野の中傷や誹謗を全くものともせずに、彼女は息子を育てた。

 今、ローマの郊外には、時にローマの音楽学校で教えたり小さな演奏旅行を続けながら、二十歳年下の運命の恋人と半隠遁生活を送っている曽祖父もいる。ローマで幼少期を過ごし、ウィーン、パリ、プラハ、ニューヨーク、東京と、居場所の定まらなかった彼が、人生の最後の場所をローマに決めたことからも、相川の家がどこかであの国のあの街と繋がっているような、そんな気がしていた。

 ローマに行ってみよう。
 いつの間にか夢想が現実味を帯び、二年前のあの日、ついに現実となったのだった。

 だが、ローマの第一印象は最悪から始まった。
 約束の時間はもう二時間も過ぎていた。
 まわりにも待ち合わせをしているらしい人間は多数いたが、その顔は何度も入れ替わった。
 詩織と、もう一人を除いて。
 詩織は父親の顔を思い出して、悲しく、心細くなった。

 詩織が自分の決心を伝えてから、父親はずっと怒っていた。いや、正確には、あれこれと準備を進める詩織の周りでおろおろしていたのかもしれない。
 父親が大反対しつつも認めざるを得なかったことには訳がある。
 意外なことに、父親に逆らったことのない母親が、詩織の好きにさせてやって欲しいと援護射撃をしてくれたのだ。
「あなたの若い時はどうだったの?」
 自分の母親にも妻にも、迷惑と心配ばかりかけてきた父親は、一言も言い返せなかったようだ。

 それにしても。
 確かにここはイタリアで、日本ほど時間に正確ではないかもしれないが、この頃は以前ほどにはいい加減ではないと聞いていた。いや、少なくとも二時間も待たされることはないはずだ。
 聞いていた電話番号にかけてみたが、呼び出し音が鳴るだけで、誰も出ない。
 到着する飛行機はもうほとんどないのだろう。待ち合わせている人の数はどんどん減っていく。

 事情はともあれ、夜中の空港に取り残されたと確信した時、頭の中が真っ白になった。真っ白にはなったが、火事場の馬鹿力という言葉は侮りがたい。
 これまで一度もそんな状況に追い込まれたことのない詩織は自分にそんな力があるとは思ってもみなかったが、少なくとも泊まるところを探さなければならないということだけは明白だった。

 もちろん、24時間動いている空港なのだから、待合の椅子で夜を過ごすこともできるだろうが、若い女の子が一人でその辺で寝ていることは危険極まりない図に思えた。途方に暮れている様子の詩織を、じっと見ている男がいたからだ。
 それは、入れ替わる待ち人たちの中で、詩織同様にずっと誰かを待っているらしい若い男だった。
 男も待ちぼうけを喰らっているだけかもしれないが、何となく目が合うような気がして、怖かった。見かけは随分と男前だと思ったが、そもそもそんなことを楽しんでいる余裕などあるわけがない。

 大きな荷物を引っ張りながらインフォーメーションデスクに駆け寄り、まだ会話の域には達していないイタリア語ではなく、少しくらいは理解しやすい英語なら何とかなるだろうと思って、事情を説明しようと思ったが、デスクの女性は怪訝な顔をしただけだった。そもそも詩織の個人的な事情は彼女の知ったことではないのだ。
 とにかく空港の近くのホテルに今夜泊まれないだろうか、と聞いた途端だった。
 いきなり腕を掴まれて、詩織はぎょっとした。

 振り返ってみると、ずっと詩織を見ていたあの男だった。
 如何にもイタリアの若き伊達男という風情のファッションに身を包んだ、二十代後半から三十くらいの背の高い優男だった。目元は涼やかで優しく、口元にはかすかに笑みを浮かべている。多分、身につけた服は上等の生地で、名のあるデザイナーのブランドものなのだろうが、それが嫌味ではなくしっくりと馴染んでいる。粗野にも見えるが、野暮ったくなく、上流階級の人間と言われてみればそうとも見える。
 それ以前に、詩織にはヨーロッパに歴然と存在する階級など、まるきりわからない。

 男はインフォーメーションデスクの女性に軽く手を上げて、イタリア語で会話を交わすと、詩織の手から荷物を奪い、そのままその手を引っ張って歩き始めた。
「ちょっと、何するんですか!」
 日本語で言っちゃった、と思った時、男は突然立ち止まり、詩織を振り返った。
「君、相川詩織ちゃんだろ」

 一瞬で力が抜けてしまった。いや、まさにパニックになったのだ。異国の地で、神経が壊れそうに緊張していく過程で、急に見知らぬ男から自分の名前を呼ばれたのだ。綱渡りの途中で足を踏み外して、もうだめだと思った時に、誰かに抱き止められたような瞬間だった。
 しかも、男は流暢な日本語を話した。

 男は空港の近くのホテルまで詩織を連れて行ってくれて、手続きを全て済ませ、部屋まで荷物を運んでくれた。部屋にまで付いて入ってきた時には、見返りに何かを求められるのかと思って覚悟したが、男は湯がちゃんと出るかどうか、窓の外の様子、ドアの鍵の掛かり具合など確認したうえで、カードキーを詩織に渡した。
「後で部屋にフルーツと飲み物を届けるように伝えておくよ。明日昼過ぎに迎えに来る。今日はゆっくり休んで」
 そう言って、詩織の頬にキスをすると、Buona notteと耳に囁いて出て行った。

 何が何だか分からない。
 男が出ていくと急に拍子抜けしてしまった。この数時間、心臓をジェットコースターに乗せられたような状態で、急に停止した途端、吐き気がしてきた。それと同時に涙がぼろぼろ出てきた。

 何かの手違いで、あの人が迎えの人と代わったのだろうか? それなら何か事情を説明してくれてもよさそうだ。逆に彼が迎えの人なら、何故二時間も詩織を観察していたのだろう。それに、日本語を話せるなら、ネットでのやり取りでそう言ってくれていたはずだ。
 でも。
 少なくとも今夜は眠れる場所ができたのだ。

 詩織は泣き顔のまま窓を見た。外は真っ暗で何も見えない。ガラスにはただ部屋の頼りない照明と自分の影が映るだけだ。
 やがて、ルームサービスのノックに我に返り、日本ではあり得ないあまり甘くない硬い桃を食べて、ミネラルウォーターを飲んで、ついでに一緒に付いてきたワインを一杯だけ飲み、そのまま着替えもせずに眠ってしまった。
 
 次の日に起きたら昼前で、鏡にうつった顔は泣きすぎて不細工なくらい腫れていたけれど、カーテンを開けると、空は詩織が求めていた完璧な色だった。
 光で染めた透明なブルー。窓を開けて吸い込んだローマの空気は、驚くほどに肺にしっくりと馴染んだ。

「姫君、お迎えに上がりました」
 そう言って現れた昨夜の男は、すっぴんのままの詩織の腫れた顔を見て、一瞬呆れたような困ったような何とも言えない顔をしたが、すぐに気を取り直したようだった。
 明るい陽の中で見ると、昨夜の怪しさはすっかり消えてしまい、粋で優しい、しかもハンサムで完璧な王子様のように見えた。いや、それどころか、彼は今まで詩織が見たことのない、並外れた美形だった。

 彼は詩織の荷物をフロントに預けて、携帯でどこかに連絡を入れ、身軽になった詩織を真っ赤なフェラーリの助手席に乗せると、意外にも安全運転でローマの街の中心部にまでやって来ると、まず美容院に詩織を放り込んで、姿を消してしまった。
 そしてまだ訳の分からないうちに、肩まであった中途半端な長さの髪をショートに切られてしまい、マッサージと化粧までしてもらった頃合いに、男は大きな包みを持って戻ってきた。

 白いワンピースにボレロのような上着、ヒールは高そうに見えたが履いてみると少しも窮屈ではない赤い靴、ルビーとダイヤモンドをあしらった派手すぎないネックレスにピアス、それに服装に見合う赤いバッグ。服も靴もいつの間に確かめたのか分からないが、サイズはぴったりだった。
 鏡にうつった自分に驚く。
 赤や白なんて、似合わないと思っていたのに。

「ジェラートでもご馳走しましょうか」
 店を出て少し歩いたら、スペイン階段だった。
 真実の口、トレビの泉、コロッセオ、カンピドリオ広場、フォロ・ロマーノ。
 もしかして、これはいわゆる古の名画、オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』なのか。
午後のひと時、男は詩織を楽しませ、笑わせ、ひたすらいい気持にさせてくれた。一抹の不安は消せないままだったけれど。

 それでも、バイクの後ろに乗せられた時から既に、いや、あるいは昨日ホテルの部屋に入った時には、あるいは空港で腕を掴まれたときから、もうどうにでもなれの気持ちだったのだ。

 私はこの国に憧れて、この国に求めるものがあるような気がしてここに来た、そしてこの国は私を歓迎してくれている。きっと今から素敵なことが起こる。そう思わせてくれる空の高さ、そして男の背中だった。

 きっと九十パーセントは勘違いだったのだろう。
 もちろん、いいことは沢山あった。最悪と最高のギャップのすごさには参ったけれど、そのギャップの大きさは東京で両親のもとにいた時には味わうことのなかったものだった。

 謎の若い男の正体はその日の夜遅く、テヴェレ川の傍のレストランでの食事の席で明らかになった。
 テーブルには先客がいた。
 それは、先々代の当主からの遺言でローマ郊外のヴォルテラ家の別荘を譲り受けて住んでいる、詩織の曽祖父だった。

 つまり、飛行場の件は、偶然の出来事でも、運命の出会いでも何でもなかったということなのだ。
 何のことはない、祖母は詩織を見張らせていたのだ。祖母から連絡を受けた曽祖父は、ヴォルテラ家の次男サルヴァトーレに詩織の様子を見に行ってくれと頼んでいた。

 曽祖父がどこまでのことを頼んだのかは詩織には分からない。
 詩織がネットで探した語学学校やホームステイ先、工房などについても不明のままだった。完全に騙されたのか、それともただちょっとした行き違いだったのか、あるいは別の力が働いたのか。
 何しろ、確かめるチャンスは全くなく、その後、その必要もなくなってしまったのだから。

 生活が軌道に乗るまでは人の好意に甘えて欲しいと曽祖父に言われ、詩織はふと正体の割れた男の顔を見た。男はその日見せたうちでも極上の笑顔を詩織に向けた。
「甘えられる時には甘えてしまった方がいいよ。いつか、誰にも頼ることができない状況で自分の力で答えを見つけなければならない時が、必ず来るから」

 もちろん、この時点で、詩織はサルヴァトーレが自分に興味を持ってくれていると考えるほど、おめでたい人間ではなかった。何故なら『ローマの休日』観光の最中にも、詩織を睨み付ける女たちの視線を何度も感じたからだ。
 だが何よりも、ローマにやって来たもうひとつの目的が、向こうのほうから目の前にやって来たのだ。

 ヴォルテラ家。
 古い時代にはローマ教皇さえ出したというもと貴族の家系で、一族には銀行家、ホテル業者が名を連ね、表向きには国家レベルの警備会社を経営していた。家と言っても全くの血族ではなく、組織のようなもので、その組織形態に最も近いのはマフィアだともと言われている。
 ネットは便利で、そこまでのことは調べ得た。だが、その本質が何なのか、詩織のような異国の小娘に分かるはずもない。

 ただ、この家と相川の家の間には、何代かに跨って少なからぬ因縁があるということだけは分かっていた。
 何かを調べようというのでもない。誰かが何かの犠牲になったというのでもない。
 ただ、漠然と、何かをしなければならないような気がしていたのだ。
 過去を知るために。

 詩織はヴォルテラ家からの口利きで、小さいがいい仕事をしているデザイン工房でジュエリーの勉強をしながら、週末にはローマの地下遺跡の発掘を担当する大学の活動に参加させてもらえるようになった。
 担当助手の詩織への明らかな色目には辟易したが、詩織の後ろに見え隠れする家名に恐れをなして、せいぜい手を握るくらいで済まされた。

 語学学校に通う必要はなかった。
 果たして給料に見合うだけのことをしていたのかどうかは分からないが、住み込みのアルバイトとしてヴォルテラの屋敷で朝食の世話や朝の掃除、花を飾る手伝いをした。大勢の使用人に囲まれていて、常にコミュニケーションが必要だったし、皆気のいい人たちばかりだった。
 要するに家賃も食事代も必要はなく、勉強もさせてもらえる、破格の境遇だった。

 語学を学ぶためにはその国の恋人を持つことが近道だというが、片想いでもそれは通用するようだった。
 恋をしていた。だからこの国の言葉をもっと話せるようになりたいと願った。
 恋ゆえに気持ちは揺れ動いたが、それは決して不幸な想いではなかった。
 だが、もっと深い想いを抱くようになったとき、この街を離れざるを得なくなった。

 その人は詩織の手が届く場所にはいなかった。始めから交わるような想いではなく、何よりも立つ位置があまりにも離れていた。
 何故、幻想を抱いてしまったのだろう? 何かができるなどという気持ちになってしまったのだろう? 
 その恋を心に抱いた時、詩織ははっきりと理解した。
 これは血のせいだ。あるいは遺伝子に刻まれた運命だ。
 何世代も交錯しながら決して結ばれることのない宿縁に縛られた、最高と最悪の入り混じった恋だった。

 ヴォルテラ家の次男、サルヴァトーレは、甘いマスクによく響くテノール、それに巧妙な話術と周囲の人間の気を逸らせない独特の親密なムードを持っていた。学業もスポーツも優秀で、特に語学では特別な才能を示していたという。言いたいことははっきりと言う性質が災いして、何度も揉め事の火種になっていたが、その翌日には揉めていた相手といつの間にか和解して酒を酌み交わしていた。明るく華やかで、いつも仲間に囲まれていた。

 もちろん、女にも滅法もてた。当然のことながら身持ちが固いわけがなく、彼と親しい人間でも彼の現在の恋人が誰なのか、よく分からないという始末だった。いや、おそらく本人も分かっていないのだろう。
 そのサルヴァトーレが、近頃ちんちくりんの日本人の「女の子」を恋人にしたらしいという噂は、街中の女たちに衝撃をもたらした。美人を見飽きてゲテモノの味見をしたくなっただけだろうと誰もが思った。

 サルヴァトーレは時間さえあれば、「ちんちくりんのお嬢ちゃん」をあちこちに連れ回した。「時間さえあれば」というのは、意外なことにサルヴァトーレのほうの都合ではなく、詩織の都合がつかないことの方が多かった。
 詩織が断っても、サルヴァトーレは残念そうにも見えなかった。詩織には、彼はただ単に、詩織とデートをしている様を見せつけることで、誰から見ても美人で家柄もよく、才能にも恵まれた女たちの狼狽える様を楽しんでいるかのように思えた。あるいは、本命の女がいて、その人を振り向かせたいばかりに「ちんちくりんのお嬢ちゃん」を利用しているのだという噂もあった。

 ヴォルテラ家の現当主ヴィットリオは生真面目で気難しい男だったが、判断力と決断力に優れ人望があった。あまり笑う顔を見たことがないが、その分を彼の妻エルヴィエールが補っていた。
 彼らには二人の息子がいて、兄のロレンツォの方は父親の血を強く受け継いでいるように見えた。次男のサルヴァトーレはどちらかと言えば母親の血筋だったのかもしれないが、それにしても並外れた美形で、先々代の当主、すなわち彼らからは曽祖父に当たるジョルジョ・ヴォルテラにそっくりだという人もいた。他に二人の娘がいたが、いずれも嫁いでいて、家を出ていた。

「トト、いい加減にしろ」
 ある日、次代当主、つまり長男のロレンツォの部屋に花を届けに行こうとしていた時、二人の会話が耳に入った。
 さすがにその頃には、日常会話は聞き分けられるようになっていた。
「何を怒ってるのさ。ね、兄さん、これは運命だよ。そう思わないか? あの子の家とうちには深い因縁がある。それも狂おしい恋の因縁が。僕たちの世代はそれを成就する定めにあるのかもしれないじゃないか」

「人の気持ちを弄ぶのは良くない。お前があの子を真剣に思っているなら話は別だが、私には全くそう見えない。とにかく、あの子に住む場所と別の仕事を提供するから、できるだけ早くにここを出て行ってもらうようにしてくれ」
「異国で困っている可哀相な女の子を放り出すのか?」
「異国で困るようなら、さっさと日本に帰ればいい」

 ロレンツォは父親譲りの気難しい男だった。怜悧な雰囲気を漂わせていて、自分の部屋にいる時も着崩すことなく背中を伸ばして座っていた。少しくらい笑ったらサルヴァトーレほどではなくても女にモテるのだろうが、それでも、イタリアで、いやヨーロッパで最も価値ある独身男性といえば、今やこの男が筆頭と言ってもよかった。

 だが、少なくともこの屋敷で詩織に笑顔を見せないのは、現当主のヴィットリオとロレンツォだけで、ヴィットリオの方は誰に対しても同じような態度だったので別にしても、ロレンツォは特別に詩織に対してだけ、けじめをつけようとしているように見えた。
 掃除や料理もそうだ。使用人として雇われているのだから、完璧さを求められた。一生懸命やっていても、慣れないことなのだから抜けているところがある。そうなるとロレンツォは容赦がなかった。すぐに詩織を呼び出し、細かく指示を出した。

 しかも、詩織に気を遣ってしばしば日本語で話しかけてくれるサルヴァトーレや、イタリア語で伝えることが難しい時は英語を使いながら詩織を手伝ってくれる使用人の仲間たちと違って、ロレンツォだけはイタリア語を譲らなかった。
「可哀相な親戚の子を預かっているわけじゃない。使用人たちはその仕事のプロフェッショナルであるからこそ、我々は給料を払っている」

 言われてみれば「おっしゃる通り」だった。いや、この言われたことの内容を確認するのに、詩織は自分の耳と記憶力の限界に挑む必要さえあった。
 詩織は工房でも屋敷でもとにかく懸命に仕事を覚え、イタリア語を勉強し、せめてもの息抜きだった土曜日の発掘現場での時間さえも、自ら観光客の案内を買って出て、言葉を覚えた。
 ロレンツォに一言も文句を言わせるものか、と思った。

 自分でも不思議だった。以前の自分なら逃げ出していたはずだ。いや、以前は誰も詩織をこんな所へは追い込まなかった。父親も母親も友達も。自分でもこの屋敷に居辛くなってすぐにでも逃げ出すものだと思っていたのに、あと一日は頑張ろうと思いながら、その一日は、まさに一日ずつ先へ伸びていき、気がついてみたら歯を食いしばっていた。

 そして、来月には自らの意志でここを出て、ひとりで住む場所を見つけてこの街で生き抜いて、ロレンツォの鼻を明かしてやる、と思い続けているうちに、一年はあっという間に過ぎて行った。

(中篇へ続く )


面白いことって何なのか?
何だかデジャヴを感じませんでしたか?
そうなんですよ、夕さんちのマイアや瑠水(+拓人)のイメージに重なるところが……これは実は偶然なのですが、必然でもあるのかもしれません。
テーマは、シンクロニシティとセレンディピティ?

さて、真からは「やしゃ孫」の詩織、竹流ことジョルジョからは曾孫の兄弟の恋物語。
そう考えると、実はすごい未来の話。でも私の予想では、世界大戦か世界規模の災害が起こっていなければ、そんなにSFみたいな世界にはなっていないだろうなぁと思うので、余り時代を考えずに読んでくださいませ。
でも、何でだろ。歳とったのかなぁ。ラストを書いちゃうなんて。

え? 誰と誰が結ばれるのかって? 『麗しのサブリナ』ですからね!
続きをお楽しみに!

(註) トト=サルヴァトーレの愛称
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Category: ローマのセレンディピティ

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【いきなり最終章】ローマのセレンディピティ(中篇) 

セレンディピティ……「ふとした偶然にひらめきを得て幸運をつかみ取る能力」と定義され、失敗してもそこから見落としせずに学び取ることができれば成功に結びつくという教えだと思われます。
ちょっと「偶然の幸運」みたいなイメージがあるけれど、そもそも「たまたまそこに起こっている出来事」の価値に気づく能力がなければ何にもならない、ってことですよね。
この言葉の語源(『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という童話)によれば……


「王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。例えば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。なぜ分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです」
これって……要するに常に聡明であれ、ってことですよね。
(引用:WIKIPEDIA)

ということはともかく。
このお話のタイトルに「セレンディピティ」とつけてあるのは、全くの誇大広告です。
でも、私のイメージの中では、ローマという街は「セレンディピティ」が活躍するチャンスに満ちているように見えるのです。道端のその辺、あちこちに転がる遺跡を見ていると……(そんな意味じゃないけど^^;)


さて、今回はこんなお話です。
美女と野獣図書室3
大好きなこのシーンをイメージしながら書きました。
お楽しみください(*^_^*)




 一年の月日は詩織の環境も性質も大きく変えていった。いや、人間の性質など、成人してからはそう変わるものではないだろうから、ただ自分をどう表現するかということが変わっただけなのかもしれない。
 詩織はずっと自分を小さく見せて生きてきた。だが、この街で生きていくには、自分を大きく見せなければならないことに気が付いた。

 それを教えてくれたのはサルヴァトーレだった。
 そのままで君は魅力的だけれど、君のことを人に知ってもらうためには、もっと自分の気持ち、たとえば嬉しいとか、悲しいとか、好きだとか嫌いだとか、大切に思っているとか、そういうちょっとしたことでいいんだから、それを表現して見せなきゃ、と。

 彼は不特定多数の女性にそんなふうに優しい言葉をかけているのだろうが、それでも、詩織には心強い指南書が与えられたようなものだった。このことは工房での仕事に大きなプラスとなっていた。
 もっと自由に! もっと繊細に! しかし、大胆に!
 どっちなんだと思うけれど、これが工房の主人の口癖だった。

 サルヴァトーレの方も詩織の頑張りを見て、これまで以上に好意的に優しく詩織を応援してくれるようになった。言葉の発音を「上流社会風に」直し、上流社会のマナーを教え、着こなしや立ち居振る舞い、ダンスの特訓までしてくれるようになった。
 時には身分が必要ではない公的な場にも連れ出してくれ、詩織のことを皆に紹介し、世界を広げてくれた。
 彼はいつでも詩織の支えだった。

「今度は『マイ・フェア・レディ』みたい」
 初めて出会った時は『ローマの休日』だった。
 踊りながら詩織が呟くと、サルヴァトーレは詩織を抱き寄せた。
「ヒギンズ教授は自分が見出した花売り娘に恋をしてるよ」
 詩織の心臓は跳ね上がった。

 二人の気持ちが接近したのは、ある日曜日のことだった。
 日曜日は皆が教会に出かけて行く。その時間は詩織の自由時間で、給料で手に入れた自転車で博物館や美術館を回っていたが、その日曜日は出かけることができなかった。
 昨日、自転車が壊れてしまって、発掘現場に置いてきてしまったのだ。徒歩やバスで出かけてしまうと、皆が帰ってくる時間に戻って来ることができない。

 仕方なく、詩織はヴォルテラの広い庭の中を歩き回っていた。
 回遊式の素晴らしい庭園だった。小高い丘が作られ、ある方向から見ると、木々や花々はイギリスの庭園のように自由で自然に感じられるように配置され、別の方向からは日本の庭園のように見事に整備して自然を切り取ってあった。水が流れるように設計されたカスケードがあり、丘の脇からはグロットに入り込めるようになっている。

 そしてジャルディーノ・セグレト、隠れた庭。周囲からは見えないように隠された庭は、以前にサルヴァトーレが教えてくれた、文字通り小さな隠れ家だった。
 その日、二面を土塀によって遮られた小さな庭には、先客がいた。
 教会に出かけたと思っていたサルヴァトーレが、土塀に背中を預けて空を見上げていたのだ。詩織に気が付くと、彼は二人掛けの小さなベンチの隣を示した。
 詩織は言われるままに隣に座った。

「教会に行かないの?」
「あれはヴォルテラの当主と次代当主の仕事だからね。特に今日は」
「仕事?」
 サルヴァトーレにしては珍しいことに、言葉は少なかった。

 そう言えば、月に一度、ヴィットリオとロレンツォが特別な正装で教会に出かけていく日があった。その日に限って、サルヴァトーレは教会には行かず、遊びに行っては女中頭からお小言を言われていた。
 もっとも、詩織の目からは、サルヴァトーレは最も教会からは遠い場所にいるように見えた。無神論者ではないだろうけれど、神を信じているようには見えなかった。彼はきっと自分を信じているのだ。自分と、家族だけを。

「詩織は、自分がどこから来たのかってことが気になる? つまり、自分のルーツというのか」
 唐突に尋ねられて、詩織は思わず彼のエメラルド色の瞳を見つめた。いつも詩織を温かく見守ってくれている綺麗な色が、深く沈んで見えた。

 サルヴァトーレ、私はそれを確かめたくてこの街に来たの。
 そう答えかけた詩織の唇に、いきなり暖かいものが触れた。
 サルヴァトーレの手は詩織の頭を優しく抱き寄せ、次には力強く身体を抱きしめてきた。詩織の身体はすっぽりと彼の身体に納まってしまった。
 詩織はそっとサルヴァトーレの背中に腕を回して抱き締めた。

 それから昼過ぎまで、二人で何も言わずに手を握り合ってベンチに座っていた。
 いつも明るく華やかな男だった。よく喋り、よく動き回り、人を明るい方向へ巻き込んでいく。そんな男がただ黙って自分の傍にいる。
 胸の中が、暖かく不思議な気持ちで充たされていった。

 だが、二人の接近に対して、周囲の動きは恐ろしく早かった。
 何をどう聞きつけたのか、まず詩織の父親が東京からすっ飛んできた。
 父親はヴォルテラの当主に「監督がなってない」とか何とか言って食ってかかり、詩織は来た時と同じくらいにあっという間に、訳も分からないうちに東京に連れ戻された。

 東京で、生まれて初めて真正面からの父親との一悶着の後に、「もしもまたローマに行く気なら勘当だ」という言葉を背中に、覚悟を決めてローマに戻った。
 父親の非礼を詫びるため、そして一応は雇用契約を結んでいたのに勝手に破棄してしまったことを詫びるためにヴォルテラ家を訪ねた時、サルヴァトーレはもうそこにはいなかった。

 ニューヨークにいると聞かされたが、いつまで向こうにいるのか、何のために行ったのかなど、細かい事情は何も教えて貰えなかった。
 居場所は誰も隠そうとしなかったので、追いかけようと思えば追いかけることができた。だが、ニューヨークまで彼を追いかける足は意外な方法で止められた。

 ヴォルテラ家は詩織を解雇したわけではないというし、工房からも大学からもいつ再出勤するのかという連絡が相次いであった。
 まるで詩織の父親が一人で騒ぎ立てていただけとでも言うように、ローマでの生活が、以前と同じように再開された。
違っていたのは、傍にサルヴァトーレがいないことだけだった。

 囲い込んだ方が二人を見張ることができる、ということだったのか、その事情は勘繰らざるを得なかったが、その後もどこからともなく漏れ来るサルヴァトーレの噂は、詩織の心をきゅっと締め付けた。
 アメリカでハリウッド女優と浮名を流していることを知った時は、やはり自分は弄ばれただけだったのかと思い直した。つまり、詩織が勝手にプレイボーイに片想いをしただけのこと、という図式になっているのだろう。

 でも。
 彼に抱きしめられたときに感じたあの感情は何だったろう。キスと、そして何時間も手を繋いでお互いを感じ合っていたはずのあの時間は。
 初めての「恋」だったので、それが何なのか、詩織には感情の中身を分類するためのデータがなかった。

 だが冷静になって考えてみれば、この家と日本人の小娘では釣り合わない。当たり前だ。
 それでも、詩織はあの無言で手を握りしめてくれた温もりは忘れることができなかった。

 それに、嬉しいこともあった。成田を発つ前の夜、あまり接点が無くなっていた姉の皐月が、一人暮らしのアパートに泊めてくれた。
 姉妹は初めて恋について語り合った。

 姉の恋の話は、詩織も何となく知っていたが、本人から直接聞いたのは初めてだった。
 ずっと前から姉は親子ほども歳の離れた相手を恋していた。父親のバンドのメンバーで、よく家に遊びに来ている人だ。昔、苦しい恋をして、まだその相手を忘れられないでいるし、躁うつ病で苦しんでもいる。彼は今も一人身だが、皐月が恋を成就するのは、年齢差と父親という障壁がなくても難しそうだ。

「こっちには何も言わないのに、詩織には実力行使かぁ。ま、私は仕事に生きるつもりだけど。なんにしても姉妹揃って、もう少しましな相手に恋をしろってとこね」
 成田まで見送ってくれた皐月は別れ際に言った。
「あんたを見直したわ。今度、夏休みが取れたらローマに遊びに行ってもいい? 期待薄だけど」

 言葉通り、皐月がローマに来ることは今は難しそうだった。けれど、時々メールのやり取りをするようになった。
 頑張ろうと思った。姉のように、いつか父親に仕事の面で認めてもらいたいと思った。いつか娘だからではなく仕事人として、シオリにジャケットデザインを頼みたいと言ってもらいたかった。少し分野は違うけれど。

 ジュエリー工房の主人に勧められて、デザインコンテストの準備も始めた。時間があまりなかったので、眠らずにあれこれ考える日もあった。ローマ地下遺跡ツアーの企画・案内状作りも任されるようになった。
 沈んだ気持ちとは裏腹に、仕事は順調に前に進み始めていた。

 屋敷の中では、相変わらず辛辣なロレンツォに対して、少なくとも言い分がある時には口答えもできるくらいにイタリア語も達者になった。
 面白いことにこの家の使用人たちは、主人に対してでも、間違っていることは間違っていると指摘する。そういう風潮はもう何代も前からの伝統のようだった。だから詩織も、当然のようにそれに倣ったのだが、ロレンツォには意外だったようだ。
 少しずつではあるが、この男に自分の努力の成果を認めさせることができていると感じることは、何となく嬉しかった。

 改めて見つめてみると、当主のヴィットリオはもちろんだが、次代当主とされるロレンツォの生活にもまるきり「私」の部分がなかった。家にいてさえも一時も休まる時間がないように何かに追われている背中は、実際の体格からは考えられないほどに、時折驚くほどやつれて見えた。

 そんなある日、工房の帰りに意外な場所でロレンツォを見かけた。
 身をやつしていたので始めは気が付かなかったのだが、少し前を歩くその背中を見て、あ、と思った。

 他意はなかったのだが、自然に後をつけていた。そもそもサルヴァトーレ以外のヴォルテラ家の者が、共の一人もなく歩いているのは不可解だった。しかも彼は次代当主だ。
 ロレンツォは石畳の狭い路地に入っていき、少し遅れて路地を覗き込んだ詩織が見た時には、どこかの家の前に立っていた。やがてその扉が開き、中へ入っていく。
 扉が閉まってからその場所へ行ってみたが、番地のみで名前の表示はなかった。

 その他人目を忍ぶ様子から、愛人でもいるのかもしれないと思った。
 いや、彼は結婚しているわけではないのだから、恋人の一人くらいいて悪いわけでもない。だがあのお堅いロレンツォが、と思うと、意外だった。
 あんなむっつりとした顔をしていながら、本当は、「身分違いの恋」ってやつに身を焼いているのかもしれない。
 ……やっぱり意外過ぎるけれど。

 そんなものを覗き見してどうするのだと思ったが、何となく気になって、工房の帰りにはいつもその道を通るようにしていると、週に一度はロレンツォを見かけるようになった。
 相変わらず彼が入っていく家の主は分からないままだったが、ある日、彼がその家から三歳くらいの子どもと一緒に出てくるのを見た時、詩織は仰天した。
 まさか、隠し子までいるのか。

 そういうことならもう追求しない方がいいかもしれない、と冷静に考えてみたが、詩織はその時の自分の強い感情の揺れ動きにパニックになった。
 でも、そんなはずないじゃない。
 
 だが、ヴォルテラの屋敷で彼の身の回りの世話をする時には、意識をしないではいられなかった。ロレンツォは何も言わなかったが、時折怪訝な表情で詩織を見ていた。
 詩織の仕事に対するロレンツォの苦言は減っていたので、彼との間に会話は少なくなっていた。それが妙に寂しいなんて、奇妙な感情だと思った。

「君」
 ある時、部屋を出ていきかけて呼び止められた。私には詩織って名前があるんだからと思ったが、やむを得ず振り返ると、ロレンツォはいつもの怜悧で感情の薄い表情で詩織を見ていた。
 黒に近い鳶色の髪に深い青灰色の瞳。改めて見つめると、この家の人間はみな、本当に整った顔をしていた。でも、一瞬感じたこのデジャヴは何だろう? この瞳はいつかどこかで見たような気がする。……妙に懐かしい気持ちになった。
「何でしょうか」
「デザインコンテストの作品はどうだ?」
「え?」
「順調に進んでいるのかと聞いている」

 詩織がぽかんとしたままロレンツォの顔を見ていると、溜息をついて立ち上がった彼は、詩織の脇をすり抜けるように部屋を出て行った。詩織が呆然と彼を見送っていると、暗い廊下で立ち止まり、半分だけ振り返る。言葉はなかったが、無言の圧力だけを感じる。
「あ」
 小さく呟いて、詩織は彼の後ろをついて行った。

 連れて行かれたのは、詩織も入ったことのない扉の前だった。
 そもそもこの屋敷の中には詩織が入ったことのない部屋がいくつもあるのだが、大体何があるのかは分かっていた。ただ、詩織のような下っ端の使用人が不用意に入ることができない部屋がいくつもあり、ここはその一つだった。

 観音開きの重く背の高い扉を押し開け、彼が明かりを付けたとき、予想以上の広い空間と、中二階に当たる部分にぐるりと巡らされたバルコニー状の通路、そこへ登る階段の見事な造形、そして何よりも、二階分はある天井の高さまで壁いっぱいに並べられた本の宇宙が、いきなり詩織の視界を埋め尽くした。
 詩織は口を開けたまま、その宇宙に充たされ、気持ちが震えるのを感じた。

 まさに、与那国の海底遺跡を初めて目にしたとき、ローマの地下遺跡に初めて潜った時の感動と同じものが身体を貫いていったのだ。
 見慣れているロレンツォには詩織のその感動は伝わらなかっただろうが、彼は三百六十度を見回して唖然としたままの詩織の邪魔をしなかった。少し間を置いてから詩織を誘い、本棚の一角へ連れていく。

「この辺りが世界各国に伝わる古い意匠の本だ。参考になるだろう。これはケルトの意匠、こっちはアイヌやインディアン、アボリジニ……考古学書はこのあたり、そっちの棚にはローマ中の教会の装飾の写真、それから」
「あ、あの……」
 ロレンツォは一冊の本を取り上げた。それを手渡してくれる時、彼の指が詩織の手に触れた。

 冷たく乾いた手だった。左の薬指にはヴォルテラの紋章。荊と十字架だ。
 その時、詩織は不意に何かを理解したように思った。
 荊と十字架。これによって、この家の人間と、相川の家の間に横たわる川は深く残酷で、誰一人としてこれを越えることができなかった。
 詩織のような一般人には理解できないが、古い街や古い家、そしておそらくは古から続く秩序を保とうとするあらゆる集団・集合体は、こうして何かを頑なに固持し、自分たちの懐にある人々をあらゆる外力から守りぬく使命を負っている。そのためには自らの命も、良心さえも差し出すのだ。
 そして今度は、この人がこの家を背負って立つ、人柱になろうとしている。

 だが、ロレンツォの表情はいつものように淡々と冷たく、静かだった。この表情は、自らの運命に対して何ひとつ苦悩も苦痛も感じていないと語っているようだった。
「これは古い時代の宝石の加工技術法について書かれている。宝石の性質を実によく記してあるから、君の役に立つだろう」

 その時、本の匂いに混じって、ふと何か不思議な匂いがした。
 オイルのにおいだ。それも特殊なにおい。これ……油絵具だ。

「好きな時に入っていいが、夢中になりすぎて根を生やさないように。それから、夜は寝た方がいい。いいアイディアは眠らずに考えても生まれてくるものではない。トイレ、ベッドの中、通勤の自転車の上、中国の思想家がそう言っている」
 今のは冗談だったのだろうかと思う間もなく、詩織を置いてロレンツォは部屋に戻ってしまった。

 そもそも私がデザインコンテストの準備をしているなんて、どうやって知ったのだろう? もちろん、工房の主人からには違いないが、ロレンツォと主人の間に日常的な接点があるとは思い難かった。
 ならば、わざわざ聞き出してくれたのだろうか。
 いや、単に使用人の動向を確認するのは、屋敷を守る主人としては当たり前なのかもしれないけれど。

 それでも、詩織は嬉しかった。図書室に入れて貰えたことではない。何が、と聞かれても上手く自分の気持ちを言うことはできなかったけれど。
 本の世界は現実の世界と同じくらいに深くて広かった。ここには何でも揃っていた。それにイタリア語を理解できる今では、書かれている内容も相当に把握することができた。

 しばらくの間はあの奇妙なロレンツォの「愛人の家」のことは忘れていたが、何とかデザインの最終案を練り上げて、後は製作にかかるだけになった時、工房の帰りにまたロレンツォを見かけた。

 夕陽でオレンジに染められた石畳の上に、ロレンツォの長い影がくっきりと浮かび上がっていた。
 足元が幾らか頼りない。酔っているのかもしれない。どれほど酒を飲んでいても、屋敷の中では顔にも態度にも出ないロレンツォには珍しい姿だった。
 彼は路地から出て少し歩き、ナヴォーナ広場近くの教会に入っていった。
 何かに惹きつけられるように詩織は小さな教会の前に自転車を止め、それからロレンツォが入っていった扉をしばらく見つめていたが、やがて意を決して中に入った。

 小さなフランス人教会の中には、祭壇に向かって中心を割る通路の両側に木のベンチが並んでいた。三廊式で五つの礼拝堂を持っている。薄暗い堂内でも、天井の白と金は内に光を溜め込んでいるようで、仄かな輝きを失っていなかった。ここは、ある絵を見るために、詩織も何度も来たことがある教会だった。
 薄暗い堂内では、すぐにはロレンツォの居場所は分からなかったが、多分そこに違いないと左側廊のコンタレッリ礼拝堂の方を覗くと、礼拝堂の外の柱に凭れてロレンツォが立っていた。

 ……なんて美しい横顔なのかと思った。
 彫りの深い顔立ちには、サルヴァトーレのような華やかさはないが、無音の音楽がそこに凍りついているような静けさがあった。何かを語りたくても語れない、語るまいと決めている薄い唇も、張り詰めた感情を完全に包み込む頬も。
 その横顔は、どこからか漏れ来る光の加減で、まるで真珠のように見えた。

 暗くても遠くても、身なりを変えていても、詩織は自分が彼を見分けられることに、もうとっくに気が付いていた。冷たく、感情を全く表に出さないこの男の奥の何か。それが詩織には見えていたのかもしれない。

 そうなのだ。
 サルヴァトーレの優しさに流されている時も、いつも詩織の心はロレンツォと闘っていた。仕事を覚えたのも、言葉を覚えたのも、自分自身の仕事で成果を上げたいと思ったのも、全てロレンツォに認めさせたかったからだ。かつて、父親に認められたいと思っていたのと同じように。

 詩織には、サルヴァトーレに会えなくなって初恋の失恋の痛手に苦しむ間などなかったのだ。何故なら、恋ではなく敵対心であったとしても、気持ちは既にロレンツォにどう対処するかでいっぱいだったからだ。
 
 詩織は声を掛けることもできず、何よりも隠れることもできず、突っ立っていた。
 やがて、ロレンツォが詩織の方を見て、また正面に視線を戻したので、詩織は彼の近くまで行き、礼拝堂に視線を向けた。

 小銭を持っていないのだろうかと思ったが、彼が言い出すまで自分の方から聞くことを躊躇った。
 ここにはカラヴァッジョの作品が三点、配置されている。小銭を入れないと灯りがつかない。それで詩織は彼が小銭を持っていないのかと思ったのだが、そういうわけでもなさそうだった。

「マタイはキリストが死んだ後、エチオピアやペルシャに伝道し、ドミティアヌス帝のもとで石責め、火刑の後、斬首された。カラヴァッジョは何故、マタイを迫害する刺客の横に自分の自画像を描いたのだろうな」
 そう呟いて、ロレンツォは教会を出て行こうとした。

 詩織が付いてこないのを感じると、立ち止まり、振り返った。
「私がこんなところで何をしているのか、知りたかったのだろう」
 詩織は結局彼について行った。
 あの路地の家の扉が開けられる。ついに現実と向かい合う時が来たようだと思った。

 ここにこの男の愛人と隠し子が、などと思って覚悟を決めていたら、扉の先は小さな通路になっていて、そこを抜けると奥は広い中庭だった。
 既に夕刻の闇が建物の壁に囲まれた中庭を支配しつつあったが、その空間は不思議と温かい光に満ちていた。
 中庭の中心には井戸の跡があり、その傍から外階段が上階へ続いている。中庭を取り囲むようにして石造りの建物が並び、二階部分にはぐるりと一周、手すり付の通路が巡っていた。三階から上は、いくつもの窓が並んでいる。
 暖かいと感じたのは、窓からの光だったのだ。

 まるで、あの図書室のようだ。
 詩織は何かに充たされるような不思議な感覚を覚えた。

「ロレンツォ、大丈夫かい?」
 二階の外廊下から、いかにもイタリアのマンマという感じの女性がよく響く声で呼びかけてきた。
「あぁ、ちょっと酔ったんで、涼みに出ていただけだ」
 ロレンツォの声もまたよく響いた。石造りの建物で取り囲まれた中庭だからだろうか? いや、この人は本当はこんなに大きな声を出すのか。
「うちの馬鹿亭主なんか、毎日べろんべろんだよ。おや、誰だい?」
「親戚の娘なんだ」
「そうかい。じゃ、今度一緒にご飯を食べにおいで」

 何とも適当な誤魔化し方だと思ったが、文句を言う立場でもない。しかも、どう見ても東洋人の詩織を親戚だなどと、よくもまぁ信じたものだ。
 だが、そんな適当な言葉でも受け入れてしまう鷹揚さが心地よかった。

 やがてロレンツォは中庭に面した一階の扉をひとつ開けた。
「え?」
「君は、えとか、あとかしか言えないのか。仕事の時は随分と口答えをするくせに」
「あ、えっと……」
 これにどう反応しろというのだろう。

 油絵具の匂いが満ちていた。幾つもの畳まれたイーゼル、大きく平らな台は手作りのようだった。そして、色々な顔料や和紙を始めとした紙類、刷毛や筆、その他詩織には何だか分からない薬品の入った瓶など、修復のための材料がきちんと棚に収められ、整理されている。
 部屋の中心にひとつだけ組み立てられたイーゼルに、絵が置かれている。ラファエロだろうか。あるいは彼の工房で描かれた絵だろうか。愛らしい天使が描かれていた。
 ここは絵画修復のための工房だった。

 後に知ったが、この一階部分は全て工房になっていた。親方らしき頑固な親爺が仕切っていて、若い修復師に仕事を与えている。時には工房総出で教会や美術館にも出かける。
 二階以上には修復師やその家族、あるいは全く関係のない者たちも住んでいた。みなが大きな家族のようで、ちょっとした芸術コミュニティのようになっていた。
「どうして」
「単なる息抜きだ」
「じゃ、子どもは……」
「子ども? 君は何を言っている?」
 それもそうだ。これだけの家族が住んでいれば、子どもも幾人もいるだろう。いや、逆に彼の愛人や子供がいないという証明にもならないが。

 だが、それが単なる息抜きではないことは詩織には直感できた。
 あの日、図書室で彼の指からにおっていた油絵具の匂い。
 きっと灯りなどつけなくても目にも心にも焼き付けてあるカラヴァッジョのマタイ。それを暗がりの中で見つめていた横顔。

 汚れたキャンバスの中から艶やかな天使の姿を甦らせながら、ロレンツォはカラヴァッジョの暗い闇を求めざるを得なかったのだ。
 この人は、荊と十字架に縛られた世界に生きることを運命づけられているのだから。
 運命?
 私は、何故ここに来たんだっけ? 
 そう、過去をつかまえて、自分が進むべき道を知るために来たのだ。
 何かをしなければならないことだけは感じていた。でも、あの荊を解くための剣を、私は持ち合わせていない。

 ある朝、屋敷で聞きなれた懐かしい声が居間から聞こえて来て、詩織は思わず隣の部屋で壁に張り付いてしまった。いや、ここで身を隠しても仕方がないのだが、どうにも見つかるわけにはいかない気がした。
 その声はロレンツォと、サルヴァトーレだった。
 ……いつ戻ってきたのだろう。

「そんなことを言うために戻って来たのか」
「ねぇ、兄さん、僕はこの一年であれこれ考えた。そしてこれが一番いい答えだと確信したから戻ってきた。僕には僕に相応しい仕事があり、兄さんには兄さんにしかできないことがある。兄さんには本気で教皇の楯になることなどできない。他に守るべきものがある人間に、命も良心も全て主君のために差し出すことができるわけがない」
 詩織は心臓が口から出てきそうになっていた。
 サルヴァトーレが何を言っているのか、半分くらいはわかっていたのだ。

「お前はあの子を守りたかったのではないのか? 確かにこの家の人間は、あの子の家の人間の運命を狂わせてきたかもしれない。お前はそれを埋め合わせ、運命を成就したいと願っていたのではなかったのか。時が来たら自分から話すと言って、勝手にニューヨーク行きを決めた。私はお前が、彼女が東京から戻ってきたらここに留まらせるようにと言うから、彼女を留め置いた。そもそも、あの子の父親を呼びつけたのもお前だろう。今こそあの子に事情を話して、プロポーズするならしてやれ」
「兄さん、相変わらず鈍いね。プロポーズする主役も、相手も、取り違えている。言っとくけれど、僕はあの子を恋人として愛しているわけじゃないんだ。もちろん、最初はからかっていただけのつもりだったのが、どこかから心魅かれていたことは認める。あの子は素晴らしい娘になった。でもやはり、僕を変えるほどの力じゃなかった。僕には他に愛するもの、守るべきものがあるからだ。それに、あの子を変えたのは、僕じゃない」

 少しの間、小さな沈黙があった。詩織は自分の呼吸がとなりの部屋に聞こえやしないかと思って、息を止めた。本当は耳も塞ぎたかった。
 やがて、低く抑えた、感情のないロレンツォの声が聞こえた。
「お前は何が言いたい」
「もうそろそろ自分の気持ちに気が付いたら?」
「言っていることが分からん。私はあの子に興味を持っているわけではない。お前があの子を気に入っているなら、いくらでも協力してやろうと思っているだけだ」

 今となっては自分の気持ちに呆然とするしかない。
 詩織は訳も分からず流れてくる涙を拭うことができないまま、工房への道を自転車で走っていた。

 そうだ。あの人が、私になんか興味を持つはずがないじゃない。
 
 ……シンデレラはいい。
 継母や義理の姉たちに苛められたかもしれないが、少なくとも、お城から招待状が届くような身分の家に生まれていたのだ。国中の娘を呼んだなどと書いてあるが、舞踏会に出席するドレスも靴も買えない家の娘に招待状が来るわけがない。もし来たのだとしても、舞踏会に行くことはできない。ぼろぼろの靴と服を、ガラスの靴や素敵なドレスに変えて、かぼちゃとネズミを馬車と馭者に変えてくれるような魔法使いが、全ての女の子の元に現れるとは思えない。

 あるいはいっそ、眠り姫を助けに行く王子になれるなら、どんなにいいだろう。荊を引き裂く剣と、塔をよじ登りドラゴンと闘う勇気が私にあったのなら。

 ヴォルテラの家は何のためにあるのか。
 さすがに二年間もここに住んでいれば、主人が何のために働いているのか、気配を察することができた。民族も文化も歴史も宗教も異なる国から来た詩織には言葉にするのは難しいが、それでも敢えて言うのなら、この家は教皇庁の外堀なのだ。もう何時とも分からない昔、教皇庁を守るために作られた。たとえ自らの命と良心を悪魔に差し出しても、教皇を守るためだけに。表に示されるこの家の外見は、ただの蜃気楼だった。

 ……相川の家ってどうなってるのよ。そんな因果な家の主たちに恋するなんて、こんな因縁があるだろうか。運命に弄ばれているとしか言いようがない。
 しかも、うちの家系には神社の神主さんの娘がいる。お寺に住んでいた先祖もいるし。……笑えないけど。

 運命を交錯させながらも、逆にその運命によって共に生きることを阻止されてきた二つの血脈を、この長き時を経て結びつける力など、私にあるわけがない。
 それに、そもそも彼は、何もできないこんな小娘など眼中になかったのだ。

 でも。
 自分には何もできないことを知ってから、ようやく心を言葉にすることができるなんて。
 ……私はこんなにも、ロレンツォのことが好きだったんだ。

(後篇へ続く )




花男なら、ここでこの曲が流れるところですね(いい曲だなぁ~)
この「愛してるよよりも大好きのほうが君らしいんじゃない」を思い出して、書き換えたところがありまして……詩織の気持ち、始めは「ロレンツォを愛している」だったんだけれど、う~ん、ここは「好き」だよなぁ、と。

恋愛小説って、こんな細かいところ、大事なんですよね。
(このデリカシーがないから、恋愛小説が書けないんだな、私)

冒頭のシーンは『美女と野獣』に出てくる図書室。
実は私、『美女と野獣』のお話が大好きなんです。エロール・ル・カインの絵本は宝物。
アニメでは野獣がベルにこの図書室をプレゼントするんですよね。
こんな図書室、プレゼントされたら、もうそれでノックアウトですよね~ 
(そんなことあるわけないって!)

本当は最後まで一気に読んでいただきたいシーンですが、長いので切りました。
図書室のシーンと中庭のシーンのシンクロ、ちょっと気に入っています。


そして、ロレンツォが入って行った教会はサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会。
ナヴォーナ広場の界隈、大好きなんです。何しろ、ベルニーニの彫刻を追いかけてローマの街を歩いていたもので。
カラヴァッジョはやっぱりいつか書きたいテーマ。もちろん、修復師の「彼」に絡めてです。
カラヴァッジョマタイの殉教
ロレンツォが見ていた(いや、お金入れないと電気がつかないのです、ここ)「マタイの殉教」

では、最終話もお楽しみに(*^_^*)
もしかしたら、あの猫も登場するかも??

(作者註)→どうでもいい情報です。
*1 神社の神主の娘=初代真の嫁・舞
*2 お寺に住んでいた先祖=初代真
*3 なぜ青灰色の瞳に詩織がデジャヴを感じたか……曽祖父の家にあるんです。初代真と初代ジョルジョの写真が……(撮ったのは美和)

Category: ローマのセレンディピティ

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【いきなり最終章】ローマのセレンディピティ(後篇) 

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

有名な崇徳院の歌です。これを聞くと、ついつい「はいからさんが通る」だと思う私は古い?
離れ離れになった恋人とまた必ず会おうと願い誓う恋の歌とも言われますし、鳥羽上皇に強引に譲位させられ後白河天皇との争いに負けて讃岐に流罪となった崇徳院の恨み節(必ず京へ戻るぞ!)とも言われますね。
恋の歌で使われる言葉としては「瀬」とか「岩」というのは強すぎる詞だとも言われています。
つまりそれだけ想いが深い(恋にしても、帝位への想いにしても)ってことなんですね。


件の「はいからさんが通る」ではじいちゃん・ばあちゃんが結ばれなかった想いを孫に託したってお話でしたよね、確か。いや、でもあれは、やっぱり鬼島さんが~(誰もついてきてない……?!)

何の話かというと。
真シリーズの本編をちゃんとアップしないままにこの最後の最後を書いちゃったので、皆様を戸惑わせているような気がしたので、このシリーズを端的に表すものはないかと思いまして、冒頭の歌を上げました。
それぞれの世代には、それぞれのドラマやテーマがあるのですが、全体を貫いているのはこの歌の世界かもしれません。


「ヴォルテラ家=シンデレラ城に住む一族、相川家=どこかの馬の骨」
(登場人物はすべて架空のものであり、実在の人物・団体とはなんら関係ありません)
この2つの家系の間に何度となく恋の花?が咲きかけたんですが、身分違いどころか、性別の問題(あはは^^;)、プライドの問題、宗教の壁、育ってきた文明・文化の違い、病気、などなど障壁が多すぎて、世代を跨いでしばしば絡むのに一向に結ばれることなく、はや1世紀^^;なんてお話なんですよ。

さて、大団円となりますやら。
最後のエンドロールまで、お席を立たれませんように、お願いいたします(*^_^*)




「いや~、惜しかったよ。でも三位入賞だからね。次はいけるよ、きっと」
 工房に行くと、主人が本当に残念そうな声で言った。
 芝居ではないと思いたかったが、どこまで信じればいいのかも分からなかった。

 ロレンツォのお蔭で自分でも最高のものが作れたと思っていた。
 イメージはロレンツォが閲覧を許可してくれた古い本を見ているうちに、天啓のように降りてきた。
 翡翠と真珠を使った東洋の神秘的な意匠のブローチ。真珠はロレンツォのイメージだった。そして翡翠はサルヴァトーレの瞳の色。

 ロレンツォの肌の色は、どちらかと言えば父親と同じで少し浅黒く見える。それでも真っ白な真珠のようだと感じていたのは、その張り詰めた輝きに通じるものがあったからだった。
 そして、サルヴァトーレの瞳は疑うことも無きこの碧だ。玉座に坐す者が身につけたという石の神聖さが、あの瞳の中に宿っていた。
 ここはキリスト教の国だけれど、彼らの姿は日本の寺院で見る観音様のようだと思った。
 この世界に留まり、静かに、皆を守り、救っている。

 イメージが降りてきたのは本のお蔭だけではなかった。
 ロレンツォの言う通り、アイディアが降りてくる場所は意外なところが多いようで、詩織の場合は、それはトイレでもベッドでもなく、台所だった。
 台所を仕切っているヴァネッサは、ヴォルテラ家の兄弟がまだ幼いころからここに勤めていた古い女中だ。噂話はあまりしない人だが、ある時何かの話の流れで昔話が出た。

「お前たち、これ以上つまらない噂話はおよしなさい。でもこれだけは言っておきますよ。昔から坊ちゃまたちは本当に仲がおよろしくてね。ロレンツォ坊ちゃまはいつでもトト坊ちゃまの悪戯を庇っておられたし、トト坊ちゃまはお兄ちゃんの後ろばかり付いて回っておられたんですよ」
 この人の目からは、彼らは何時までも、じゃれ合っている可愛らしい坊ちゃまに見えるらしい。

 今では「じゃれ合う」などとんでもないが、距離を置いていても、何か言い合いっていても、彼らはちゃんとお互いに向き合っている、詩織にはそんなふうに感じられた。彼らはお互いがなくてはならぬ一対のように、どこかもっと深い所で繋がっているのだと思った。
 デザイン画を描きながら、詩織は自分の過去や現在、そして未来までもその中に沈められていくように思い、作品を形にしていきながら、やがてその中から心や魂が浮き上がってくるように感じた。

 本当のところ、他の出品作を見た時、自分の作品が一番いいかもしれないと自信を持ってもいた。だが、それは思い上がりの自己満足だったというわけだ。
 それに、以前、ちらりと誰かに言われたことがある。
 君がイタリア人だったらね。
 そうだ。私は東洋の「ちんちくりんのお嬢ちゃん」なのだ。そう簡単に幸運に手が届くわけじゃない。スタート地点がずっと後ろのほうだとうことを、今になって思い知らされた。
 
 あの日、ロレンツォとサルヴァトーレの会話を立ち聞きしてしまってから、詩織は体調が悪いからという理由で、朝の食事の世話を他の人に代わってもらっていた。一度廊下でロレンツォとすれ違った時、いつものように言葉ではなく気配で呼び止められたような気がしたが、頭を下げて視線を避けてしまった。真っ直ぐ顔を見ることなど、とてもできそうになかった。

 本当は、もしもこのコンテストで優勝したら、そして少しだけでもあの人が喜んでくれたら、もう一度ちゃんと顔を見ることができるかもしれないと思っていた。もう何も期待はしないけれど、せめてちゃんと向かい合いたいと願っていた。
 その願いがぷつん、と切れたような気がした。
 
 そんな気持ちで週末の考古学教室に行ったとき、詩織の直接の上司である助手からいきなり部屋に閉じ込められた。何だかよく分からないが、簡単に言うと、ぼくの気持ちは分かっているよね、という話だった。
 突然全くイタリア語が理解できなくなったような気がして、詩織は相手の急所を蹴りあげて教室を飛び出した。

 流され続けてきた自分を変えようと日本を飛び出した。自分なりに一生懸命に新しい街で生きてきた。言葉を覚え、仕事に生きがいを見出し、そして恋を知った。
 私は勘違いをしていた。気持ちが昂ってしまって、本当の自分よりも自分が大きいのだと勘違いしてしまった。

 狼狽えていて、せっかく直してもらった自転車を置いてきてしまった。
 奇妙なことに、いつの間にかロレンツォが直してくれたのだ。
「若旦那様は手が器用でいらっしゃるからねぇ。そういえば、古い家具だって直しちまわれるんだもの」とは使用人仲間の言だった。
 彼女はまるで詩織の心を読に取ったかのように、ふっと微笑んだ。
「あの人は立派な旦那様になられるよ。口数は少ないけれど、いつも私たちのことを見てくださってる。誰かの体調が悪い時も、さりげなく仕事の加減をしてくださるんだよ。あの仏頂面だけどね」

 そうだ。彼は私に笑ってくれたことなんてないじゃない。いつも怖い顔をしていたし、私はいつも怒られてばかりいた。
 それでも。彼は私を図書室に連れて行ってくれた。笑うことはなかったけれど、ちゃんと夜は眠るようにと言ってくれた。きっと人には知られたくなったはずの秘密の場所を見せてくれた。私が知りたがったからだけれど。
 
 詩織は停留所でバスを待ちながら、空を見上げた。すっかり日が落ちるのが早くなった。黒い影が形を変えながら空を旋回している。秋が深くなって、ムクドリが帰ってきたのだ。
 やがて暗闇が落ちて来て、あの鳥たちも木々に羽根を休める。

 詩織の前にバスが停まった。タラップに足を上げかけて、不意に止まる。
「乗らないのか?」
 太い声で聞かれて、詩織は弾かれたように首を横に振った。
 ばん、と強い音を立てて扉が閉まる。
 ……あの自転車は私にとってとても大事なものだったんだ。

 やっぱり大学へ戻ろうかと少しだけ引き返しかけた時、ふとバス停近くの歩道のワゴンを何気なく覗き込んだ。落ちてきた暗闇の中で、ワゴンに並べられた週刊誌の表紙は電灯に照らされて、アニメーションのようにくっきりと浮かび上がった。
 詩織は凍りついてしまった。

 ロレンツォ・ヴォルテラ、ついに結婚へ

 どの雑誌の表紙にも、同じような内容の赤や黄色の大きな文字が踊っていた。

 私って馬鹿だ。それでもまだ何かを期待していたのだろうか。
 そもそも相手は雲の上にいる。生きている世界も全く違う。
 確かにロレンツォは私のために図書室の扉を開けてくれた。彼と語るための言葉をくれた。そして、私に道を切り開く勇気をくれた。
 でも、それが何だというのだろう。12時は過ぎてしまった。ガラスの靴はもう砕けてしまった。それに、私は荊を切り裂く剣を取り出すための呪文を知らない。

 詩織は人に顔を見られたくなくて、とぼとぼと街を歩いた。夕刻の熱気は今日も街を包み込んでいた。窓からの明かりに惹かれて覗き込んだバールやリストランテでは、賑やかに食事や酒を楽しむ人々の笑顔が見えた。
 広場には身体を寄せ合う恋人たちが、この優しいひと時を分かち合っていた。
 酔っぱらいに声を掛けられたが、無視して歩いた。歩いても歩いてもどこにも着かないような気がしたけれど、ただ歩くしかなかった。

 遅かったと心配してくれた屋敷の人たちに、自転車も壊れて財布も忘れて行って、と言い訳をした時にはまだ平気だった。
 サルヴァトーレは屋敷に居る気配はなかった。ロレンツォの気配を少し遠くに感じたけれども、目を上げることはできなかった。
 詩織は図書室に入り、最近発見した書棚の奥の小さな机の下に潜り込んだ。
 一人になって初めて涙が零れ落ち、そのまま一晩中声を潜めて泣いた。
 机の上では、古い地球儀が世界を閉じ込めて、小さく震えていた。



「東京成田行き、アリタリア航空1122便は、間もなく皆様を機内へご案内いたします」
 イタリア語に続いて日本語のアナウンスが流れた。
 父親は、詩織を勘当すると言ったことなど百パーセント忘れているというのが、母親の感触だった。
 電話をすると、「成田に迎えに行くからってレコーディングの予定をずらしたわよ、ほんと、スタッフもよくあんな勝手な人に付き合っていられるわよね」と言っていた。
 詩織には、母親の忍耐力の方がすごいと思えた。

 間もなく、後方の席の乗客が搭乗を許された。しばらくして前方の席の乗客も並び始めた。
 この街を、この国を去る時間、夢の終わる時間だ。
 詩織は立ち上がった。


 サルヴァトーレというのは救世主という意味だ。
 幼いころ、ただ一度だけその人に会った時、お前はいつかきっと誰か大事な人を救うことになるだろうと言ってくれた。その人は、当時まだ若かったヴォルテラの現当主・ヴィットリオの手を強く握り、この子を頼むと、目に涙を浮かべて言った。
 その時、その人はまだ枢機卿という立場だったが、今は並ぶ者がいない地位に昇りつめた。その人の教皇就任を知った時、サルヴァトーレは自分の運命を感じた。

 いつか、誰にも頼ることができない状況で自分の力で答えを見つけなければならない時が、必ず来るから。
 いつか詩織に言った言葉は、そのまま自分に告げた言葉だった。
 迷いがなかったと言えば嘘になるが、今はもう全てを吹っ切った。清々しく真っ白な心境だった。

 育ての父であったヴィットリオ・ヴォルテラは、黙ってサルヴァトーレの話を聞いていた。そして、いつかこんな日が来るだろうと思っていた、と一言だけ言った。

 傍らでロレンツォは黙っている。
 兄と慕っていたロレンツォの秘かな望みをサルヴァトーレはずっと知っていた。秘められた工房に籠って夜通し魂を削るように作業をする彼を初めて見た時、サルヴァトーレは震えた。それこそが、偉大な先祖であった曽祖父、ジョルジョ・ヴォルテラの血だと思った。
 ヴォルテラを継がなければ、彼は当代一の修復師になっていただろうと言われていた。
 修復師。芸術という神と語る力を持つ者にしか、その道の極みに達することはできない。
 あれから幾度も、その神と語らう兄を見てきた。彼には歩くべき道がある。

 そして、結ばれ得なかった二つの血脈を、一世紀の時を経て結びつけるのは、心から思い合っている二人しかいない。もっとも、この際、血はただの偶然、きっかけに過ぎない。
 いや、偶然も重なれば必然へと繋がるのかもしれない。偶然はおそらくそこかしこに落ちている。要はそれを自分にとって大切なものだと気が付くかどうかだ。その偶然にさえ気が付いてしまったら、荊を切り裂く剣を得て、塔の上に眠る必然という姫君のところまで上っていくことができる。

 本人は気が付いていなかったろうけれど、詩織はいつもロレンツォを見ていた。彼に届こうとしていた。言葉を覚えたのも、自分の仕事を最高の形にしたいと願っていたのも、全て彼に認めてもらいたかったからだ。ダンスやマナーを教えている時も、恐らくは本人は全く無意識に、ロレンツォを夢想していただろう。
 詩織がサルヴァトーレの足を踏んでしまうのは、いつもロレンツォに言われた「悔しいこと」を思い出している時だった。

 そして、将来この家を継ぐことを思って、常に他人に興味を抱くまいと、人との間に線を引いてきたロレンツォが、初めて他人に惹かれる様子も見てきた。あの無表情で相当に分かりにくいから、気が付いていたのは多分、サルヴァトーレと母のエルヴィエールだけだったろう。
 いや、本当のところは、使用人たちだって、みんな気が付いていたかもしれない。何しろ、彼らはずっと自分たち兄弟を見守ってくれていたのだから。

 そう、きっと一番最後に気が付くのは、ロレンツォ本人なのだ。
 この俺が身を引いたのだから、何があってもこの縁は結ばれてくれなければ困る。

 サルヴァトーレは偉大な育ての親を見つめた。
 全ての答えへの道を握っているのはこの人だ。寡黙だが、判断力と決断力についてはこれまでの最高の当主だと言われていた。
 この人から学ぶことはまだ幾らもある。

 やがて、兄弟の父、ヴィットリオは、何もかもを覚悟したような声でロレンツォに向かって言った。
「私の祖父であるジョルジョ・ヴォルテラは、生まれた時から次期当主として教皇にまみえていたヴォルテラの歴史上唯一の人だった。彼は当時の教皇に大変愛されていたが、一度ローマを出奔してしまった。その時彼は、教皇に言われたそうだ。ジョルジョ、私はただ君に幸せでいてもらいたいのだ、と」

 ただ幸せでいてもらいたい。
 それが本当のエウジェニオ(教皇)の予言だった。
 そして、今まさに、時は満ちたのだ。
 ヴィットリオはただ一人の息子に歩み寄り、その左手を取ると、荊と十字架の紋章の指輪をそっと抜いてやった。


 突然の訪問などありえないが、ヴォルテラの次代当主から火急の用事だと聞かされれば、教皇と言えども面会を断ることはできないはずだった。
「ロレンツォ、何かあったのか」
 その人は面会のための礼拝堂に静かに入ってきて呼びかけ、振り返った相手に驚きの表情を隠さなかった。

「トト、一体これはどうしたことだ。何故君が」
 教皇のためだけの礼拝堂に入ることを許されるのは、教皇本人と、その影ともなるべきヴォルテラの当主および次期当主だけだった。
 おそらく誰もがその清貧さに驚くであろう空間には、祭壇と小さな椅子、最低限の装飾、キリストの十字架とペテロの十字架しかなかった。ペテロは、キリストと同じでは恐れ多いと言って、自ら逆さに磔られることを望んだので、その身体は逆さ十字架に磔られていた。
 もう、その覚悟はできている。

「御許可を頂きたく参りました。本来なら、現当主が同席するべきですが、諸般の事情を鑑みて、私が一人でご挨拶に参りました」
 サルヴァトーレは絹の布地を内ポケットから出し、掌の上でそっと広げた。真っ白な絹の上で、荊と十字架のヴォルテラの紋章が刻まれた指輪が、周囲の光を吸い込んで重く、しかし強く、輝いた。
「どうぞ、これを私の指に」
 サルヴァトーレは教皇にそれを差しだし、跪いた。

「一体、ロレンツォはどうしたのだ」
「彼は、エウジェニオの予言を成就するため、あるいは運命を切り拓くために行きました。今頃は空港に。間に合えばいいのですが」
 あの堅物の兄にデリカシーなど期待できない。フライト時間を聞いて初めて狼狽えたような顔をし、慌てて席を外そうとした彼を呼びとめて、小さな箱を投げてやった。
 そう、間に合えばいいが。

 何しろ全く、事はサルヴァトーレの思うようにはいっていなかったのだ。
 サルヴァトーレの予定では、彼が適当に雑誌社や新聞社にあることないことリークした記事に慌てた二人が、想いを伝えあって今頃はハッピーエンドのはずだったのだ。それを、詩織の奴、逃げ出す馬鹿があるか。
 自分の力で答えを出すのは今だというのに。

 教皇はたっぷり一分間は考えを巡らせていたようだったが、やがてサルヴァトーレに歩み寄り、指輪には手を触れることなく、そのまま彼を抱きしめた。
「これがお前の望みなのか」
「私は、あなたが下さった予言を成就するためにここに来ました。私にとって一番大切な人を守り、救うために」

 やがて教皇は指輪を取り、サルヴァトーレの手を握った。
「息子よ、窮屈で残酷で苦しい世界だ」
「えぇ、でも私はもう現世を十分に遊びつくしましたから」
 ようやく教皇は微笑み、愛しい手を取り、その左の薬指に荊と十字架の指輪を託した。サルヴァトーレは教皇の手を取り、口づけた。
「父上、私が生涯、あなたをお守りいたします」


 座席に座り、シートベルトを締めると、ほどなく機体は滑走路へ向かって動き始めた。
 今日もローマの空は高い。
 最後は何もかも失ってしまったけれど、それでも私はこの街が好きだった。

 自転車で走りにくい石畳も、道の脇に転がっている古の建物の柱の欠片も、夏に咲き乱れる夾竹桃の赤や白、人々や鳩が集まる噴水、夕刻にオレンジに染まった広場の熱気、博物館や美術館の廊下に響く靴音、教会の側廊の静かな暗がり。自分勝手でナルシストで、でも陽気でしたたかに生きる人々。
 重い運命を背負いながらも闘い抜こうとするヴォルテラ家の人たち。私を妹のように愛してくれたサルヴァトーレ。
 そして。
 もう考えちゃだめだ。
 機体は滑走路へ機首を向ける。エンジンの音が大きく唸り始める。

 その時だった。
 一旦大きくなったエンジン音が、すとん、と止まった。
 静寂の後、乗客がざわめく。
「当機は、積荷の安全確認のため、一旦ゲートに戻ります。シートベルトは締めたまま、席をお立ちになりませんよう、お願いいたします」

 なんだ、まさかテロか、というようなざわめきが機内を走り抜けた。詩織は緊張した。このところ、事故やテロのニュースも後を絶たない。
 もしそんなものに巻き込まれたとしたら……
 けれども、それもまた運命なのだろうか。

 そう思っているうちに、機体はゲートの近くにまで戻り、停止した後、前方の扉が忙しなく開かれ、如何にも警察官という複数の人間が乗り込んできた。何があったのだろうと思っていると、彼らは詩織の横で立ち止まった。
 え?

「アイカワシオリさん?」
「え? は、はい」
「あなたの荷物を至急調べるようにと通報がありました」
「はぁ?」
 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「とにかく降りてください」

 一体この国は何なの。来た時も、出ていく時も、簡単には空港を出れないなんて、一体何の因果なのよ。そんなに私を嫌わなくてもいいでしょうに。せっかく青い空を眺めてセンチメンタルに泣こうと思っていたのに、何なのよ!
 とか何とか思っているうちに、周囲の乗客の「可愛い顔して何をやったのかしら」「コノチンチクリンガテロリスト?」という視線を目一杯浴びながら、詩織はタラップの階段を無理やり下ろされ、しばらくして詩織のスーツケースが機体から放り出されると、警察官は詩織を連行して空港のターミナルの方へ戻り始めた。

 正直、ムカついていた。無理やり下ろされた上に、無実の罪で周囲の人の疑惑の視線を浴び、挙句に何で自分でスーツケースを持たなくちゃならないのよ。
「ちょっと、そっちの都合なんだから、あんたたちが運びなさいよ」
 とかごちゃごちゃ言っているうちに、詩織が乗るはずだった1122便は機体のチェックも適当に、さっさと滑走路へ戻っていってしまった。

「もっとちゃんと調べなくていいの? 私は何もしてないわよ。他に怪しい荷物があるかも知れないじゃない」
 警察官たちは肩を竦めるばかりで、ろくすっぽ何もしようとしない。挙句の果てに詩織を待合に戻し、しばらくここで待つように言って、そのままどこかへ消えてしまった。

 詩織は呆然とした。
 というのか、怪しいなら取り調べをしなさいよ!
 と叫ぶ相手も目の前からいなくなっていて、混乱して座り込んだ。
 これって、何? 私はまた空港のホテル泊まるわけ? で、一体このチケット代はどうなるの?
 そう思いながら途方に暮れて、1122便が消えてしまったゲートを見やった時だった。

 どういうこと?

 見間違えるはずのない背中だった。
 男は飛び立った1122便の方角を見上げたまま、微動だにしない。
 詩織は荷物を引き摺りながら彼に近付いた。

 やがて肩を落として振り返った男は、今度は、これまで詩織が見たことのない驚きの表情を見せて、一瞬飛び下がった。
「な、なんだ、どうして」
「こっちが聞きたいわよ。あなたなのね? 私の荷物が怪しいって、どういうことよ!」
「一体何の話だ?」
「警察官に金を握らせたでしょ」
「はぁ? 何故、私がそんなことを……」
 ロレンツォは急に黙り込んだ。

 それから、息をひとつついた。まるで彼ひとり、得心がいったように見えて、詩織はむっとした。まだ混乱したままの詩織は、突然いつもの落ち着きを取り戻したロレンツォに突っかかった。
 そうよ、私だって、「あ」と「え」以外にもあなたに言いたいことがあるの!
「この期に及んで……」
 結婚するくせに!
 その先の言葉は、強い腕の力でねじ伏せられた。

 もしかすると、これはジェットコースターの最後の坂を登っているところ? 最高と最低の行き来を繰り返し、そしてこれからどこかに落ちていくのだろうか?
 それとも、私、飛行機の中で夢を見ている?
 夢ってどうやって覚ますんだっけ? えっと、ほっぺたをつねるとか原始的な方法でいいのかな?

 けれどもこの匂いは本物だった。油絵具の匂い。いいえ、ロレンツォの匂いだ。冷たい顔をしているのに、この人の胸の中はこんなにも暖かかったのだ。
 やがて大きな手が詩織の両頬を包み込んだ。
 詩織は、その違和感にすぐ気が付いた。
「何?」
「指輪……」

 ロレンツォの左の薬指には、ずっと二つの血脈の間を割いていたあの荊と十字架の指輪がなかった。
 だが、ロレンツォは何か別のことを思ったのか、あぁ、と言って、ポケットから何かを取り出してきた。その頃には、彼の表情は、いつものいささか冷静で味わいのないものに戻っていた。
 表情とは裏腹に彼の指は微かに震えているように見えた。そのロレンツォの綺麗な指が何かを躊躇い、ようやく小さな箱をそっと開ける。

 二人ともが、何となく狐につままれたような顔で相手を見た。
 小さな赤い箱の中には、荊と十字架の指輪ではなく、ピンクダイヤの指輪が光を照り返していた。
 何にしても出来過ぎだ。きっとこれはロレンツォの演出ではない。
 だが、その先の言葉は、ロレンツォの精一杯の気持ちだったに違いない。

「つまりその、君の契約期間はまだ終わっていないし、いや、と言っても、私も家を出なければならなくなったので、契約は別の形になるわけだが、つまり君には、あのナヴォーナ広場近くの工房の上に住んでもらわなければならないかもしれないが。いや、もちろん、私も一緒にということだが……いや、その前に東京に行って、君の父上に……いや、何よりも、君が、その……」
 何だか訳がわからないけれど、今のロレンツォに聞いても、お互いに半分くらいしか理解できないだろう。

 ロレンツォは結局全ての解説を呑み込み、ひとつ息をつくと、暖かいピンクの光を揺らめかせるダイヤの指輪を取り出し、最後に言った。
「これを受け取ってくれるか?」

 全く状況は分からない。でも、たったひとつだけ分かったことがあった。
 いつかサルヴァトーレが言っていた。誰にも頼ることができない状況で自分の力で答えを見つけなければならない時が、必ず来る。
 それが今なのだ。いや、本当は少しだけ遅かったのだろうけれど。
 ならば今、改めてそれを選び取ろう。

 もしもこの人があの家を背負って立つ運命にあるのだとしても、私が東洋のちんちくりんのお嬢ちゃんでも、たとえ釣り合わなくたって、厳しい運命が火を吹いていたって。
 ……私はこんなにもこんなにも、この人が大好きだったんだ。
 詩織は返事の代わりに、もう一度ロレンツォの胸の中に飛び込んだ。

 唐突に目の前で展開した愛の告白シーンの顛末に湧き立つ待合室の大勢の人々の拍手喝采、口笛の音が耳に届いたのは、随分時間が経ってからだった。
 
 今、運命はひとつ先に進んだのだろうか。
 私の血の中にも、この人の血の中にも、幾世代にもわたって近付いては反発し、共に生きることが叶わなかった魂の遺伝子がいくつも眠っている。その血は、螺旋の絡まりのようにお互いを求め合い、今、一世紀もの時を越えて、静かに重ねた手と手の中で、溶けて行こうとしている。
 でも、きっと、運命は背負って生まれてくるものではなく、出会ってから拓けるものなのだ。

(【いきなり最終章】ローマのセレンディピティ 


お粗末さまでございました。
続きを読む、でぜひ、エンドロールをお楽しみください(*^_^*)
あの猫が、この物語を、別の角度から一言で言い表し、一刀両断してくれます
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Category: ローマのセレンディピティ

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【scriviamo!参加作品】青の海、桜色の風 

アーモンド2
Scriviamo!はscribo ergo sumの八少女夕さん主催の文字通り「一緒に書こうよ!」企画です。
毎年この季節の恒例行事になっていますが、皆さんの素晴らしい作品の数々に、今年は腰が引けていました。賑わっているマンハッタン系には参加する気合が湧かず(想像力が貧困で……)、とは言え他に何も思いつかなくて悶々……。あれこれ迷っている時に、ふと冬の庭に出てみると、何本かあるアーモンドの小さな木が、蕾をつけてじっと春を待っていました。
早く咲かないかなぁ→そう言えばアーモンドって夕さんの書かれている街(作品中ではPと記される)の近くでも綺麗なんだよな~→咲かせちゃう?→じゃ、書くか。でもPに行きそうなキャラってうちにいるかな? あ、ローマに住んでるのがいた。

というわけで、書き始めたらやっぱり起承転結が欲しくなって、最初の予定の倍の長さになってしまいました。でもscriviamo!参加作品なので、前後編に切るのもまだっるこしいし、一気にアップいたします。
シンデレラストーリーその後。身分違いを乗り越えてやっと想いが通じ合った(多分)恋人たち。でも前途は多難のようです。独立した恋愛掌編としても読んでいただけますが、含みがかなりあり、関連文献を読めば2倍楽しめる?

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【Infante323黄金の枷】:八少女夕さんの素晴らしい設定の物語。独創的な設定に対する夕さんの細やかな解説には目をみはるばかり。このトップ記事にある用語解説は必読。小説中にもあれこれたくさんの気になる背景が語られていて実に面白いのです。
【ローマのセレンディピティ】:拙作「真シリーズ」の子孫の物語ですが、真シリーズとは独立した恋愛小説としてお楽しみいただけます。身分違いの恋を描く、シンデレラストーリー。続きを書く気がなかったので独立カテゴリにしておりませんでしたが、前・中・後編となっております。

登場人物
相川詩織:身分違いの恋を成就させたはずのシンデレラ。しかし相手は複雑な組織の御曹司で、どうやら簡単には物事が進まないよう。
コンスタンサ:P街に住む少女。黄金の腕輪をした「星のある子どもたち」の一人。
ロレンツォ:詩織の婚約者だが、身辺事情が複雑で恋人と過ごす時間がない。


【青の海 桜色の風】

 詩織は託された箱を手にしっかりと持ったまま、その場に立ち止まって、ぐるりと百八十度あまりを見回した。
 青、青、青。
 実際にその絵が占める面積よりもずっと広く遠く、青が連なって見える。青の単色で描かれているのに、なんと豊かな色彩なんだろう。見つめていると吸い込まれそうだ。 アズレージョという、上薬をかけて焼かれたタイルだ。

 これが駅なんて、信じられない。
 高い窓から射し込む光が波を揺らめかせる。近づいてみると、青の濃淡がより豊かな色彩を纏って動き始めた。なんて穏やかな、その一方で心を震わす青なのだろう。
 色彩とは不思議だ。世界は色に溢れているのに、何色もの色が相殺し合って死んでしまうこともあれば、こうしてただの一色で描かれていても色が踊り出すこともある。
 何だか訳も分からないままに涙が滲んできた。ずっとずっと緊張していた糸が不意に緩んだ瞬間だった。

「アイカワシオリさんですか?」
 詩織は自分の背中から掛けられた声に振り返った。
 光に溶け込むように、一人の女性が立っていた。いや、女性というよりもまだ少女と言っていいのかもしれない。こちらの人はみんな少し日本人よりも年かさに見えるから、その分を差し引いても十三歳くらい、それ以上でも十五歳になったかどうかというところだろうか。
 光に透き通るように見えた髪は、少し光源の位置が変わるとヘーゼルナッツのような色合いで、そのハシバミ色の瞳と上手く釣り合っていた。卵型の綺麗な顔、三日月のような眉、紅くて形のいい唇。……一瞬、天使かと思った。

「あ、はい」
「コンスタンサと言います。あなたを案内するように言われて来ました、ドンナ・アントニアの使いの者です」
 この人に渡すのかしら、と思いながら手にした箱を差し出しかけた時、少女が首を横に振った。
 彼女が光輝いて見えた理由は直ぐに分かった。その細い腕に金の腕輪が光っていたのだ。腕輪の金が天からの光に染められて、それ自体が光源のように光り輝く。腕輪には赤い星が二つ、その金の光を吸い込むように沈みながら、少し悲しげに瞬いていた。

 こんなに輝いているのだから、きっと皆がこの少女に見入っているだろうと思ったのに、誰も気に止める様子もなく、立ち止まることもない。まるでそこにこの愛らしく美しい少女が存在していないかのように。
 私、おとぎの国に来たのかしら。
 少女はそれ以上何も言わずに歩き始めた。その背中が影に吸い込まれていく。
 ローマからずっと誰かが詩織を見張っている。この街Pに着いてからもずっと誰かの視線を感じる。詩織は諦めたように息を吐きだし、腕に抱えた箱をもう一度大事に抱え直して、後を追いかけた。


 あの秋の日から詩織の周囲は大きく変化していた。
 身分違いの叶わぬ恋だと諦めてローマを離れようした途端の、空港での突然のプロポーズ。世話になったヴォルテラ家の人々からはどんな非難を受けるかと思ったのに、まるで娘のように迎え入れてくれたこと。それに何よりも驚いたのは、揺るぎない次代当主として周囲に認められていた長男のロレンツォと、帰還した放蕩息子・次男のサルヴァトーレの次期当主交代劇の顛末だった。

 何しろ、ヴォルテラの家系は、もう何時とも知れない時代から教皇の警護団を勤めており、その外堀を強固に護る性格上、裏社会とのやり取りまで含めて相当の覚悟と犠牲の上に成り立っている組織だった。
 その性質はひとつの家系というよりも、まさに血の契りを交した組織と言ってよく、次代当主が必ずしも「ヴォルテラの血脈である」必要はなかったのだが、一度交された契約が反故にされた例は過去に一度もなく、今回の次期当主交代劇はヴォルテラの組織にとっては自らの存在意義を揺るがすほどの一大事、裏を返せば教皇庁にとってはヴォルテラに対して歴史上初めて、忠誠と信頼を問いただす機会となってしまった。

 次期当主と認められ、教皇の御傍に近付くことを既に許され、いくつも機密事項に通じていたロレンツォがその職務を「放棄」することは、教皇とヴォルテラの現当主・次期当主(新旧含めて)が納得しているからと言って、簡単に済む手続きではなかった。何しろ前例がないのだ。
 ただ一度、現当主の祖父にあたるジョルジョ・ヴォルテラがその職務を放棄しようとしたことがあった。だがその時、ある意味では「凄まじい力」が働いて、結果的に彼はローマに戻ってきたという。

 恐ろしいことに、これまでの不文律の慣習を頑なに護る強硬派が、職務を放棄しようというロレンツォの存在自体を亡きものにしようとしている、という噂さえあった。「組織を抜けようとする」からには、それ相応の犠牲を要求するべきだというのだ。もちろん、ヴォルテラの組織の側も教皇庁の側も、多くの者は、心の内では穏やかに事が進むことを願っており、何とか周知と納得を引き出したいと思っているはずだった。

 とは言え、そんなことは日本からやって来た小娘としか「組織」に認識されていないはずの詩織には、全く届いてこない事情だった。いや、もしかすると、この「小娘」がヴォルテラの次期当主を籠絡した魔性の女だと勘違いされている可能性もあり、詩織の周りでも、はっきりとは目に見えないものの、何かが蠢く気配が見え隠れしていた。

 そういう事情で、ロレンツォの計画通り、すぐにあの共同工房のあるアパートに住むというわけにはいかなかった。
 詩織はしばらくの間これまで通りにヴォルテラ家に住み込み、新しいジュエリー工房に勤め始めた。これまでと違っていたのは、屋敷の中で使用人として働くことはなく、通勤には自転車ではなく、運転手つき車が用意されたことだった。週末の考古学教室への出入りは叶わなかった。生活はいつも誰かに見張られていた。

 ロレンツォはしばらく辛抱してくれとだけ言い、ようやく想いを確かめ合った恋人同士とは思えないほど、同じ屋敷に住みながらも、現実に彼と会える時間はほとんどなかった。
 そんな時間が長くなると、会えない時間が愛を育てるというのは嘘だ、と思うほどに気持ちは後ろ向きになった。この恋が実ったのは夢か勘違いだったのかとさえ思う時もあった。

 シンデレラストーリーには恋が成就した後の部分は「いつまでも幸せに暮らしました」としか書かれていないが、そもそもそんなはずはないじゃないか、と詩織は思った。シンデレラは確かにお城から招待状が貰えるくらいの家系に生まれていたようだが、やはりお妃になるには身分の違いは問題となっただろうし、どれほど優しく美しくても、それまで家政婦のようにみすぼらしい恰好で働いていた娘に十分な教養があったとは限らず、お城での礼儀作法を教える教育係とかからは苛められたに違いなかった。


 それに、詩織には何よりも大問題があった。
 父親だ。メンバーの全員がすでに五十歳にもなろうという歳だが、カリスマバンドとも言われている『Breakthrough』のヴォーカリストで、年に一度は、それぞれ異なる四か国からメンバーを集められたヴォーカルグループの一員としても活動している有名人ではあるが、そんなことは詩織にとって問題ではなかった。

 頑固で感情を隠すことのない直情的な性格の父親は、いくつかの因果の結果、ヴォルテラ家にいい感情を持っていないようだった。そこへ来て、よりにもよって三人の子供たちの中で一番可愛がっていた詩織が、事もあろうにヴォルテラの次代当主と恋に落ちたということに、激怒しないわけがなかった。

 それまで何ひとつ父親に逆らったことのなかった詩織が、初めて反旗を翻してジュエリーデザイナーとしてイタリアで勉強したいと言った時もひと悶着あったのだが、それはまだ激震とまでは行かなかった。いつか日本に帰ってくるものだと信じていたからだ。
 ところが、今回はまるで事情が違っていた。

 本来ならこの恋に自ら決着をつけて日本に戻るはずだった飛行機に、詩織は乗らなかったのだ。正確には、すでに動き始めようとしていた飛行機から無理やり下ろされたのだが、そんなことは父親の知ったことではない。レコーディングの予定をずらしてまで成田に迎えに行こうとしていた父親が、連絡を受けてどれほど怒り狂ったかということは、詩織の想像に難くなかった。

 そのままローマ行の飛行機に乗って娘の奪還に来そうだった父親を、家族もバンドメンバーも必死で止めたのだろう。
 有難いことに彼らのスケジュールはタイトだった。多分、怒りをライブにぶつけている父の声は、その年齢とは思えないくらいいつも以上に刺激的でかっこよく、ファンを魅了したのだろう。
 こっそりネットで調べてみると、日本国内のライブにも拘らず、その評判は海外メディアにも取り上げられるほどに上々で、すでに幾度目かのワールドツアーの話も浮上しているようだった。

 だが、いずれローマにやって来るはずの父とロレンツォの対決は、多分避けて通れないものだ。
 何重にも気が重くて、吐きそうになる。
 父のことはともかく、詩織は自分の気持ちに自信が無くなって来ていた。取り残されているような感覚は日ごとに強くなっていった。本来なら一番身近で守ってくれてもいいはずの恋人の顔は、この数週間全く見ることがなかった。


 コンスタンサはすたすたと石畳の道を進んでいく。随分と起伏に富んだ街であるらしく、通りを吹き抜けていく風にも揺らぎがある。時刻は十五時過ぎ。まだ陽は高いところにある。
「通り道ですから、大聖堂をお見せしなさいと言われています」

 コンスタンサの英語はゆっくりで聞き取りやすく、とても綺麗な音として聞こえる。少女から大人の女性へと変わりゆく中にいる、不思議な緊張感と不安が声の中に光と影を生み出している。詩織よりもずっと幼いのに、もう何かを憂えているように見えた。

 大聖堂の高台に登ると、P街の景色を印象付ける赤茶色の屋根屋根、優雅な貴婦人のようなD川、向こう岸に並ぶワイナリーなどが見渡せた。
 少し冷たい風が気持ちいい。
 大きな開かれた海に近い街は風の色も違うんだなと思いながら、コンスタンサの後について大聖堂の正面に回る。薄く黄味がかかった石造りの大聖堂は、強固な要塞のようにも見えた。

 大聖堂の中も、思った以上に簡素だった。大理石の柱なのだろうから、見かけ以上には豪勢なものなのだろうが、高い天井と飾り気のない柱は、むしろ冷たいほどに静かだ。その中で黄金や細かな彫刻に飾られた祭壇は、厳かに存在を際立たせていた。

 祭壇では丁度婚礼が行われていた。後姿の花嫁のヴェールが、天使の羽根のように空気を孕んでいる。祭壇の飾りよりも、何の装飾もない真っ白なヴェールの方が、誇らしげで光に満ちているように見えた。
 祈りの声が詩織の耳をくすぐる。ふと隣を見ると、コンスタンサもじっと花嫁のヴェールを見つめていた。それも、心を打たれるような寂しげな表情で。

 不意にため息が零れた。別にウエディングドレスに憧れているわけでもないし、プロポーズがあったからと言ってそうそう楽観しているつもりはない。いや、それどころか、そろそろ「勘違い」に気が付きなさいという神の配剤が働いているのかもしれない。試されているのだ。お前は本気で、ヴォルテラの次期当主をその椅子から引き摺り下ろす気なのかと。相手の立場を危うくしても、貫く気があるのかと。

 気が付くと、隣でコンスタンサが祈りを捧げていた。その髪の上で光が踊っている。
 詩織も静かに目を閉じた。
 好きというだけでは済まないものがあることは分かっていた。彼がどれほど望んでも、市井の住人としての生活が簡単に始まるわけではないことも。

「明日、時間がある時にでも回廊と博物館を見学してください。素晴らしいアズレージョもご覧いただけますから」
 コンスタンサの言葉にうなずきながら、中世の町並みの中へ入っていく。上から見ると立ち並ぶ赤茶色の屋根の色に目を奪われて気が付かないが、こうして通りを歩いてみると、はがれかけた壁の塗料や黒ずんだ色合いに、年月の重みと決して華やかではない生活の気配が滲み出る。

 歩いているうちにも、背中からも街のどこかの窓からも視線を感じる。このところ、少し過敏になり過ぎだと詩織は思った。
 そのうち、コンスタンサがある扉の前で立ち止まった。ドアノッカーを叩く。
 すぐに扉が内側から引き開けられた。

 視線だけで促されて中へ入ると、そこは不思議な空間だった。
 小さく殺風景な部屋だ。窓は道に向けてひとつきりで、光は高い建物に遮られてようやく部屋の全体を薄く染める程度だった。目が慣れてくると、壁側に簡素な棚があり、いくつかの靴が並べられているのが見て取れる。
 真ん中に作業台らしきものがあり、扉を開けた背の低い白髪の老人はちらりと詩織の方を見ると、無言のまま視線を詩織の手の中の箱の方へ向けた。

「あ」
 詩織は思わず声を出して、その箱をおずおずと老人に差し出した。
「これを、ローマのヴォルテラ家の奥様から言付かってきました」
 老人は無言で受け取り、詩織を見上げ、それからじっと詩織の足元を見た。数は少ないが靴を置いているからには、靴屋なのかもしれない。

 詩織の靴はヴォルテラ家の使用人として働いていた頃に買ったものだ。履きやすいからと古くなっても履き続けている代物で、踵も低いし、お世辞にもお洒落とは言い難い。靴屋にじっと見つめられると恥ずかしくなってきた。
 ふと、自分の傍に立つコンスタンサの靴を見やると、彼女の靴はお洒落というわけではなかったが、彼女の形のいい足にしっくりと馴染んで心地が良さそうだった。

『あんた、箱の中身を知っているのかね?』
 唐突にポルトガル語で聞かれたので、詩織は一瞬言葉の意味を掴み損ねた。
「いいえ。ただ、ドンナ・アントニアの使いの方に渡すようにと言われただけです」
 老人は目を細めて穏やかな声で言った。
『では、四日後にもう一度箱を取りに来なさい』


 四日後、ということはそれまでの三日間も何をして過ごそうか。もちろん、大聖堂の回廊や教会、博物館を見て回るのは楽しいだろう。川辺を歩いたり、対岸のワイナリーに行ってポートワインを楽しむのもいい。
 でも、こうして見張られている中で動くのは、何となく気が重い。
 コンスタンサにホテルへの道を案内してもらいながらも、知らない街での三日間に正直ため息が漏れた。その溜息をどう受け取ったのか、コンスタンサがようやく笑顔を見せた。

「三日間、何か計画されていますか?」
「いいえ。突然の出発だったので、何も考える時間がなくて」

 つい二日前のことだ。
 ヴォルテラ家の奥方・エルヴィエールから、Pという街に行き、ドンナ・アントニアの使いという人にこの箱を渡して、その後、相手の言う通りの期日を待って再び箱を受け取って来て欲しいと言われたのだ。
 何か秘密の使いを頼まれたような気もして、中身を聞くこともなくやって来た。開けてはいけないとも言われなかったが、何となく開けてはならないような気がして、自分が何のために派遣されたのかは知らない。飛行機も列車もホテルも、全て予約済みで必要なものは向こうに揃えてあるからというので、箱と身の回りのもの以外ほとんど何も持たずにやって来た。

「それなら、私に付き合っていただけますか?」
「でも、学校とか、あるいはお仕事とか……」
「学校は丁度お休みですから」
 そう言えば今は春期休暇の時期だ。

 微笑んでいるコンスタンサの表情には、ほんの少し翳りがある。若い娘には色々と用事があるだろうし、気を遣ってもらうのはあまりにも悪いからと断ろうと思ったものの、その翳りがほんの少し気になった。
 それに、本当にあてがなかったのだ。
「じゃあ、お願いします」

 ホテルはさっき待ち合わせた駅よりも少し北だというので、通り道にある教会を訪ねてみることになった。教会の近くに素敵な本屋さんがあるので行ってみませんか、と誘われて、詩織はもちろん、と返事をした。
 外観はシンプルな建物だったので、中に入った途端にデジャヴを覚えて驚いた。
「普通の本屋さんなの?」
「はい。1881年創業の老舗なんですよ。でも、古本屋じゃありません」
 確かにガイドブックなど、新しい本も並んでいる。骨董屋ではなく、普通の本屋のようだ。

 それにしてもなんと見事な内装だろう。ネオゴシック様式で、天井まで届く壁いっぱいの見事な書棚を見上げていくと、天井には幾何学的な木の装飾が施されている。その装飾と一体化するように中央に階段が設えてあり、うねる様なカーブを描きながら二階へと誘う階段は、どこか未知の世界へと続くようだ。途中で左右に別れ、また合流する階段の木の手すりや赤い床は、二階の天井部分のステンドグラスで微妙に色合いを変えている。
 決して広い空間ではないが、まさに完成された映画のワンシーンを見るようだった。

 デジャヴの理由は直ぐに分かった。
 初めてヴォルテラの図書室に入れてもらった時のことを思いだしていたのだ。本を手渡してくれようとして、初めてロレンツォの指が触れた時のことを。
 いや、もしかすると、こうして数日間とは言えヴォルテラの屋敷から出されたのは、それなりの訳があるのかもしれない。少し頭を冷やして考えてみなさい、ということなのか。この旅の終わりには、答えを出すことを求められているのか。

 少しずつ諦めていくことも、あるいは考えなくてはならないのかもしれない。お伽噺はそう簡単には成就しないということを。
 詩織は首を横に振った。せめて、自分を見失わないようにしよう。私は分不相応な恋をしているのだ。
 本屋や図書館に入ると籠ってしまうのが詩織の悪い癖だ。思わず本の背表紙を追いかけながら、装飾の図版や写真集を探してしまう。コンスタンサにゆっくりしてくださっていいですよ、と言われて、その言葉に甘えることにした。

 二階に上がり、気になる本をチェックしている時、何気なく手摺から階下を見下ろし、そこにいるコンスタンサの顔が目に入った。
 詩織は思わず目を逸らした。見てはいけないものを見てしまった気がした。

 彼女は誰かと目と目で語り合っていた。いや、相手の男性も何か言いたげに彼女をじっと見つめていたので、誰か、というのは不適切な表現だ。
 背が高くブルネットの巻き髪を短く刈った青年は、本屋の従業員のようだった。二人の表情は言葉よりもずっと雄弁だった。少なくとも、恋に惑っている詩織には明らかだった。しかも、その恋は、詩織と同じように、ままならぬ何かを抱えている。

 光を受けたコンスタンサの顔の半分を支配する翳が、そのことを表していた。
 まだ若いのに、そんなに惑うような恋をしているのだろうか。少なくとも、あの年であれば恋愛には翳りなどなく、未来は光に満ちていてもよさそうなのに。


 初日に見損ねた大聖堂の回廊と、回廊にある小部屋、博物館、そして街の中に点在する教会を訪ね歩き、ワイナリーを訪れて試飲をしたり、この街の名物料理を楽しんだりしながら二日間が過ぎて行った。
 D川の景色は心を揺さぶるものだった。昼間の光の元では、そう遠くはない海の青を連れてきて輝き、夕陽が沈む時刻には太陽の橙を孕んで沈むように揺れさざめいた。街の各所に見られるアズレージョのタイルの青もまた、見る時間によって無限の色彩を放っていた。

 コンスタンサは年に似合わず名ガイドだった。その上、彼女の学校での専攻は美術で、ジュエリーデザイン工房で働いている詩織の仕事に随分と興味を示してくれて、自然と会話は弾んだ。
 コンスタンサは美しいだけではなく、聡明で利発な少女だった。始めは緊張していたのか受け答えも硬く聞こえたが、会った翌日には彼女の本来の性質なのか、人好きのする暖かいムードを惜しみなく詩織にも向けてくれた。二人はすっかり打ち解け、まるで歳の離れた親友同士、あるいは姉妹のように感じ合っていた。

 ある時、コンスタンサが詩織の左手の薬指の小さなダイヤを見て、一瞬視線を逸らし、それからまた顔を上げた。
「シオリは結婚しているの?」
「ううん。……約束はしているけれど、まだどうなるのか分からないの」
「どうして? 愛し合っているんですよね」
「うん。でも、思うようにはいかなくて。始めはね、二人が想いあっているのかどうかも分からなくて、やっと気持ちが通じたと思ったけれど、そもそも猫の子どもが間違えて人間の王子様に恋をしたようなものなのよ。今は話をする時間も持てなくて、だんだん本当に信じていいのかどうか分からなくなってきて」

「それって、いわゆる身分違いですか?」
「大きな括りでは、そうかな」
「でも、信じ続けなきゃだめですよ。障害があっても、魂が呼び合っているのなら。だって、お互いの心が一番大事なんですから」
 表情にはあの不安な翳りがあったが、いつになく熱を帯びた強い口調だった。

 あなたにも心から想う人がいるのね。
 詩織は声には出さなかった。あの本屋で交わされていた視線が、必ずしも恵まれた恋人同士のものではないということは、同じように必ずしも報われるとは限らない恋をしている詩織には、直感で理解できたのだ。
 彼女は命がけの恋をするには幼いだろうか。いや、ロミオとジュリエットだって、恋に落ちた時、彼女と変わらない歳だったのだ。

 コンスタンサの表情に同じような翳りを見たのは、その時だけではなかった。詩織が今度ローマに遊びに来ないかと言った時、コンスタンサは一瞬顔色を変え黙り込んだ。
 彼女の細い指が、詩織が初めて見た時に天使の持ち物かと思った黄金の腕輪に触れていた。微かに震えるような指先を見て、詩織はその腕輪のことを何度も聞きかけては呑み込んだ声を、また飲み込んだ。

 その腕輪はどうやって外すの?
 ジュエリーデザイナーの詩織には単純な疑問だった。まるで継ぎ目のない完璧な形は、それ故にこの少女をどこかに繋ぐ解けない鎖にも見えた。

 コンスタンサは小さな声で、街を出たことがないし、きっと両親が許してくれないから、と言った。詩織は何だか申し訳ない気がして、不用意な発言を謝罪した。そして、小さなメモに、いつかロレンツォと住む約束をしている、ローマの下町の修復工房の住所を書いた。
 自分が書いた住所をしばらくじっと見つめ、詩織は小さく頷いた。信じなきゃ。そう言ったコンスタンサの声が耳の中に残っていた。詩織は顔を上げ、コンスタンサの手を取ると、その掌に小さなメモを握らせた。
「じゃあ、これはお守りね。いつかきっとここを訪ねてきて。十年後でも、二十年後でも、きっと待ってるから」

 そう、いつかきっとこの場所に住み、あの賑やかな工房の人々と暮らし、ロレンツォにとっては運命と言える修復の仕事を見守りながら生きて行くのだ。
 コンスタンサの言う通り、信じなければ夢は叶わないはずだから。

 それにしても、相変わらず、どこを歩いていても、バスや路面電車に乗っていても、常に付きまとう視線があって、時には少しナーバスにもなった。
 三日目になって、詩織は、コンスタンサの方もその視線を気にしている気配を感じた。
 そして、ふと違和感を覚えた。
 もしも、この「視線」が詩織に向けられているものなら、コンスタンサが気付いた時点で詩織に何か注意を促すだろうと思った。その時、初めて、もしかしてこの街に入ってから、ローマにいる時よりも強く、複雑に感じるこの気配は、自分だけではなくコンスタンサに向けられているものもあるのではないかと疑った。


 そして明日は約束の箱を受け取りに行こうという前日。
 二人はD川を遥かに遡り、上流に咲くアーモンドの花を見に行く約束をしていた。待ち合わせは駅だったが、そろそろ出かけようかという刻限になって、コンスタンサがホテルのロビーから電話をかけてきた。
「お部屋まで迎えに行きます」
 いつものように明るい声だった。

 しかし、いくら待ってもドアがノックされることはなかった。始めはエレベーターが混んでいるとか、部屋を間違えたとか、あるいは化粧室かどこかに寄っているのかと思ったが、それにしても遅すぎる。
 何か事件にでも巻き込まれたのだろうか。ロビーからここまでの僅かな時間に?
 連絡するにも彼女の電話番号さえ知らない。部屋で待っていた方がいいのかどうかも分からない。詩織は出かける準備を整えて部屋を出ようとドアに向かった。

 その時、ドアの下の隙間からすべり込ませたと思われるメモが目に入った。
 詩織は急いでメモを拾い上げた。二つ折りになった白い便箋を開くと、細く頼りなげな、しかしはっきりとした意志の強い文字が並んでいた。

シオリ、一緒にアーモンドを見に行けなくてごめんなさい。後生ですから、今は絶対に私を探さないで。たった三日間一緒に過ごしただけなのに、シオリは私にとって一番大事な友だちになりました。いつかきっとローマに、シオリに会いに行きます。

 詩織はメモを握りしめた。


 これから何をするべきなのか分からなくなって、詩織はベッドに潜り込んだ。
 ヴォルテラの予約した部屋は、詩織一人にはどう考えても勿体ない、落ち着かないくらいに広い部屋だった。王侯貴族も泊まるというホテルに宿泊するのは、どう見ても庶民丸出しの、ろくな靴も履いていない自分には不釣り合いだと思ったが、こんなところでヴォルテラの意向に反するのは無駄な労力だった。

 いつかきっと、と誓ったけれど、空を見上げて高みを望むことは容易いが、現実の地面を一歩進むのは難しい。
 訳も分からないうちに泣けてきた。コンスタンサの境遇についてもっと聞いてやるべきだったのではないかと思った。

 でも、彼女は絶対に言わなかっただろう。その強い意志は彼女の表情からも小さな手の動きからも読み取れた。だから、詩織も聞かなかったのだ。聞かないことが彼女にとっても最善であると思ったからこそ。でも、いなくなってしまうくらいなら、聞いて励ますことくらいはできたかもしれないのに。
 いや、自分だって、もしかしてヴォルテラの事情を詳しく知っていたとしたら、誰かにべらべらと喋ることはできない。それと同じことだ。

 彼女は何かを選び取ったのだ。あの本屋に行って、コンスタンサと視線を合わせていた青年に聞けば分かるだろうか。いや、あの青年はもしかして、もうそこにいないかもしれない。だめだ。私が何かをすれば、もしかしたらコンスタンサに迷惑が掛かるかも知れない。例えば彼女を探すような素振りを見せてはいけない。

 ぐるぐると思考が巡っている時、ドアベルが鳴った。無視してベッドに潜っていたが、もしかしてコンスタンサが、と思ったら、裸足でドアまで走っていた。
 しかし、ドアアイの円の中には、知らない男性が立っていた。
「ドンナ・アントニアの使いのものです」
 コンスタンサを探しに来たのだ。詩織は一気に緊張した。

 だが、相手に気取られてはいけない。詩織は息を吸い込んで吐き出してから、ドアを開けた。
 三十代くらいのそれほど大柄ではない穏やかな表情の男が立っていた。いでたちはいかにもホテルのボーイか運転手といったところだ。
「何か御用でしょうか」
 聞かれてもしらばっくれてやる。私にだってそのくらいの芝居はできる。
「あなたをアルト・ドウロ地方の、今一番アーモンドの花が美しい村までお連れするようにと、ドンナ・アントニアから言付かって参りました」
 

 疑問はサンタクロースの袋に納まらないくらいにある。もしかしたら誘拐かも知れない。そもそもドンナ・アントニアが誰かも知らないし、あるいはそんな人はこの世に存在していなくて、何かの記号か割符なのかもしれない。
 ただ、幾らかやけになっていた。もしかしてこれが誘拐でも、どこからかずっと詩織を見張っているヴォルテラの誰かが助けてくれるんだろう。

 鬱陶しいくらいに見張っていたんだから、こんな時くらい役に立ってよね。
 いや、でも、もしかしたらヴォルテラにとって詩織は邪魔な小娘かも知れないのだ。それならそれで、相手の本性を見抜いてやる。

 詩織はぶつぶつとあれこれ口の中で呟きながら、窓の外を景色が変わっていくのを見つめていた。上着のポケットの中に忍ばせた、小さく折り畳んだコンスタンサの手紙を掌で握りしめる。
 私たちは同士なのだ。そんな思いが不思議と湧き上がってきた。

 市街を一歩出ると、そこはもう長閑な田舎の景色だった。
 何だか懐かしい、と思った。どこまでも続く緑の丘の重なりはタペストリーのようで、トスカナの田舎を思い出させた。そして不思議だ、と思った。いつの間にかあの国が私の懐かしい場所になっているなんて。
 詩織は目を閉じた。

 私の懐かしい景色は日本ではなくなっているんだろうか。それはそれで妙に寂しく感じられた。両親や姉、弟は何時だって懐かしい。頑固で煩い父親だけど、その愛情もよく知っている。賑やかな東京の街だって、生まれ育った景色は何時でも帰りたい場所なのに。
 今私は、何だかとてもふわふわしていて、頼りがない。
 その時、不意に車が止まった。
 詩織は目を開けた。

 一瞬、桜並木だと思った。
 低い石垣の傍に車は止まっていた。その先には、青い空を背景に、緑の草地に遥か先まで並ぶ桜色の木々。車を降りると、風が耳元を掠めて行った。
 ちらりと運転手を見ると、どうぞ、とでもいうように石垣の先に入ってもよさそうな素振りをしたので、緑の草地に踏み込んだ。

 そうだ。桜のはずがない。近付いてみると、桜よりもずっと力強く空を目指して伸びているような枝振りに、少し大振りの、幾らか濃い色合いの花が咲いていた。その色合いには、儚さも迷いもなかった。枝の張りにも、何かの大きな力が宿っているように見えた。
 懐かしいと思うノスタルジアよりも、先へと手を伸ばす希望が漲っている。

 そう。私は自分で選んだんだ。帰ろうと思えばいつだって帰れたんだから。
 唐変木で女の気持ちなんて絶対に分かっているとは思えないし、か弱い私の腕で掻き分けられる障害かどうかは確かめもしなかったけれど、それでも一緒に生きて行こうと決めたんだから。

 詩織は息を吸い込んだ。一度叫んだら、すっとするに違いない。
 私は世界に名を知られるヴォーカリストの娘なんだから、あの丘の向こうにまで届くほどの声が出せるはず。
「ロレンツォのばか~! へのへのもへじ~!」
 あぁ、すっきりした。

 へのへのもへじとはどういう意味だ。
 風が木霊を連れて戻ってきた。
 木霊? 空耳にしては随分とはっきりした声だ。しかも、木霊のくせに、質問が返って来てる?
 ぱちん、と枝を踏み割る音がして、詩織は驚いて振り返った。

「こんなところで何をしている?」
「……そ、そっちこそ」
 久しぶりに会う恋人同士にしてはそっけない言葉を交わしてから、何となく並んで歩きだした。それにしても、一体どうしてこんなところに忽然と現れたのだろう?

 詩織は、いつもと変わらず無表情な恋人の横顔をちらりと見た。黒に近い鳶色の髪と青灰色の瞳。それでも、この瞳に時々驚くほどに優しい色が降りてくることを、詩織は知っていた。
 でも、キスまではいいから、せめて手を繋ぐとか、肩を抱き寄せるとか、無いわけ?

「どうせまたトトの奴の策略だな。あいつは兄をからかうことしか頭にないらしい」
「サルヴァトーレが何かしたの?」
「よく分からんが、本当なら自分が行きたいのだがどうしても行けない、他に信頼できる人間がいないから、P街のボアヴィスタ通りのどこぞの屋敷に重大な手紙を届けろとか、本屋の青年をどこぞに連れて行けだとか、他にもあれこれ頼まれてきた。挙句に今朝はホテルに電話がかかってきて、この村に迷子がいるから拾いに行けと」

 振り返ってみたら、さっきの運転手の車は忽然と消えていた。
 もしかして。詩織はロレンツォの言葉にドキドキした。本屋の青年とコンスタンサのために、あの策士のサルヴァトーレが動いていたのなら。ことの顛末は何も分からないし、実際にコンスタンサとあの本屋の青年が何に困っていたのかを詩織は何も知らないのだ。
 コンスタンサの手紙にあったように、今詩織が彼女にしてやれること何もない。
 それでも、彼女の翳りの中に宿っていた強い光のようなものを、詩織は心から信じた。

「どうやって来たの?」
「列車とヒッチハイクだ」
「どうやって帰るの?」
「何とかなるだろう」
 そう言ってからロレンツォはポケットから何かを出してきた。鼈甲飴?
「Rebucados da Regua。砂糖と蜂蜜、レモンから作られた飴だ」
 ポケットからアメチャン……って、大阪のおばちゃんじゃないんだから、と呟きながら鼈甲色の飴を受け取る。そして、このむっつりとした男がどんな顔で飴を買ったのだろうと思うと、何だか少しだけ可笑しくなった。
 そう言えば朝から何も食べていなかった。
 糖分が頭に届くと、少しだけ元気が出てきた。

「今、色々と大変なんでしょ」
「そうでもない。ある程度は予想していたことだ。組織というものは思ったよりも頭が固いことが分かったが」
「怖い噂もあったから……」
「私が殺されるとか?」
 詩織は驚いてロレンツォを見上げた。そんなにあっさりと言わないで、と思った。だが、ロレンツォはふっと優しい顔をして笑った。笑い、とまでは分かりにくかったけれど。

「だが、一方で組織というものは噂よりもずっと寛容でもある。お前が心配するようなことは何もない。まだしばらくはトトを補佐してやることは必要だが」
 本当に、私は何もできないなと思った。
「工房にも行けていないんでしょ」
「数か月もすれば仕事を始められる。修復を待つ絵は、百年単位の時間を待ってくれていたんだ。百年前の修復師が百年後の私たちに託した時間だ。そして私たちはまたさらに百年後の修復師にその時間を託す。数か月など物の数でもない」
 詩織はただ頷いた。
「私を待つのに疲れたのか?」
 詩織がロレンツォを見上げ、首を横に振った。

 このアーモンドの花たちだって、咲いている時間は本当に短いけれど、ちゃんと実を結んで、そして散ってもまた花の時期をずっと待っているのだ。
 それにしても、ヴォルテラの次期当主だった男が、列車とヒッチハイクだなんて。いや、この人はこれから先、何があろうとも、ただのローマ市民として生きていくことを選択したのだ。お兄ちゃん大好きのサルヴァトーレが聞いたら、予定外だと言って拗ねるかも知れないが。

「ところで、さっきは一体何を叫んでいたんだ?」
「えっと、つまり、日本では伝統的に青い海に向かって叫ぶの。海のばかやろ~って」
「そんなことをして何になる?」
「うん、と……青春?」
 ロレンツォには全く意味が通じなかったらしい。

 村の方へ歩きながら、途中で牧場から戻るトラックに拾ってもらい、駅まで連れて行ってもらった。ぎりぎりP街への最終列車に間に合い、革のかたいシートに並んで座ると、ようやくほっとした。相変わらず誰かの視線は感じるけれど、もういいかと思えた。しばらくこの状況は変わらないのだろうから、慣れるしかない。
 何だか今日は疲れた。これくらいはいいよねと、眠ったふりをして、ロレンツォの腕に寄りかかった。

 膝の上に置いた手に、そっと大きな手が重ねられた。
 ずっと傍にいてくれ。
 それは、ただ桜色の風の音かもしれなかった。それでも、重ねた手のぬくもりだけは、今、確かにここに在った。


 翌日、ロレンツォと一緒に、例の箱を受け取りに行った。
 背の低い老人はじろりとロレンツォを見上げ、それからゆっくりとした英語で詩織に聞いた。何だ、話せるんじゃない。
「あんた、本当に箱の中身を聞いていないのかい?」
「え……と、はい」

 ふん、と鼻で息を鳴らし、詩織に箱を手渡すと、老人は顎だけで開けてみなさいと促した。箱は持ってきた時よりも少し軽くなっている気がした。
 詩織はロレンツォを見上げ、誰かに怒られやしないかとドキドキしながら箱を開けた。これは詩織などには開けることが許されない、秘密の箱だと思っていたのだから。

「……」
 声が出なかった。

 箱の中に入っていたのは、花嫁が履く真っ白の靴だった。
 パールが混じったようにほんの少しの光でも吸い込んで純白に輝く靴は、ごくシンプルで飾りのひとつもなかったが、上質の革で作られていることは直ぐに分かった。しかも、詩織がこれまで履いたことのある一番ヒールの高い靴の、倍の高さがあった。一体これは……

「履いてみるといい」
「……私の靴?」
「あんた以外の誰の靴だというのだ」
 狐につままれたような心地で、言われるままに靴にそっと足を入れてみた。

 未知の高さのヒールだったにもかかわらず、靴はまるで吸い付くように詩織の足に馴染んだ。試しに数歩、歩いてみたが、ふかふかの絨毯の上を素足で歩いているようで、ヒールの高さを全く感じなかった。
 そう言えば。少し前に、ロレンツォの母親が、自分の服と靴を作るついでだからと、詩織の分も採寸し粘土で足の型を取らせていた。じゃあ、あの箱に入っていたのは……

「ふん、歩き方は式の日までに練習した方がよさそうだがな」
 それから老人は作業台の上に置いてあったもう一つの靴を取り上げた。それは日常に履くためのブラウンの革靴で、やはり飾りも何もなかったし、作り手が分かるようなロゴマークのひとつもなかった。
「この靴はこれから花嫁になる女性へのプレゼントだ。あんたの靴はひどすぎる。女性なら、せめて後一センチは高い靴を履くべきだ」

「おじいさんが作ってくださったんですか?」
「いや、わしではない。わしはただの仲介人だ」
 老人は余計なことは何も話さなかった。


 ウェディングシューズの箱にはカードが添えられていた。
 それを読んで、詩織は泣き出してしまった。

 花嫁のために姑が最高の靴を贈るのは、ヴォルテラの風習だった。靴を贈ることで、「あなたをこの家に迎え入れます、あなたの足でこの地を踏みなさい」という気持ちを表すのだという。

 ふと、唯一の小さな明かり取りとなっている窓を見やる。薄暗い闇や翳りの中にも必ず光が届くのだ。その小さな明かりを見失わないように、しっかりと地面を踏みしめながら歩いていこう。
 そして、その頼りない光は、この素敵な街で出会ったあの少女にも必ず幸せが舞い降りて、いつかきっと再会できるような予感を運んできた。


あなたを待たせて不安にさせていることを許してくださいね。でも、遠からずあなたを迎える準備が整うことでしょう。あなたが私の娘になってくれることは、この上ない喜びです。私たちは、幾世代もの時を経て、魂と血が呼び合ったことを知っているからです。この先の未来を、誇りと愛を持って共に歩いてゆきましょう。私の新しい娘へ、この靴とたくさんのキスを贈りますXXXXXXXXXXXXXXX
追伸。結婚式と新婚旅行が前後することを私は嫌いません。しばらくその唐変木を預かってくださると嬉しいわ。妻としてのあなたの最初の仕事は、彼の辞書に休暇という単語を書き加えることになりそうです。

(「青の海 桜色の風」了)


夕さんちの登場人物を使わせていただくことで、何か設定にひびが入っていはいけないと思い、名前と靴だけ登場していただきました。えぇ、靴はもちろん、あの方が作って下さったのですよね。
組織的には何となく根底が似ており、ヴォルテラとは何らかの接点があるのかもしれない、なんて勝手にあれこれ想像を巡らし、誰が作ったとも知られていはいけない靴をこっそり掠め取らせていただきました。
「星のある子どもたち」の中には、絶対に○○○○した子もいるだろうなぁ、真実を知らされた時にはもう恋に堕ちていて、他の誰かと出会っても心動かされない子だっていただろうし、監視人さんたちに見張られながらも必死で恋心を守り通した子も。で、監視人たちは、それに対してどうしたのかしら。ペナルティはなんだろう? その辺はもう夕さんの頭の中にしかないと思うので、さらりと流しました。
で、トトは一体何をしたのか? あるいは兄貴はトトに使われているふりをしてなにをやらかしたのか? そんなことしていいのか? その辺はもう、見て見ぬふりで。
「意外に組織は寛容」とロレンツォも言っておりますし……何卒お手柔らかに^^;

作品中に登場した本屋はレオ・イ・イルマオン
詩織の泊まっているホテルは夕さんが記事にも書かれていたその名もInfante Sagres
いえ、もちろん私、P街のモデルのあの街に行ったこともないのですけれど。
あ、リスボンには一度行ったことがあります。
アーモンド3
どう見ても桜に見えるけれど、アーモンド。

あ、それから……
「こんなところで何をしている?」「そっちこそ」
という会話は、初代ジョルジョ(竹流)と初代真が、冬の襟裳岬で交わした会話でもあります。
その会話が聞けるのは、『雪原の星月夜』……『雨』の次作です。先はまだまだ長い道のりだね。

Category: 掌編~詩織・ロレンツォ~

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