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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・音楽】2018春の音楽活動~アムランと辻井伸行~ 

コンサートパンフレット
本当ならすでにもう1作アップしているはずだったのですが、先週は月曜日から残念なことになっていて、まるきり覇気がありませんでした。2年前にマイコプラズマ肺炎になったときも、1ヶ月ほどもヨレヨレになっていましたが、今回も似たような症状で。前回は、学会直前に発症して、そのまま行ってしまったので薬を飲めず、1ヶ月以上苦しんだので、今回は反省してさっさとジスロマックを内服してみましたが……弱ってたのか、お腹は緩くなるし、何しても咳は止らないし。1週間経過していますが、今ひとつ不安な状態。
GWは近くの山以外に出かけたのはフェスティバルホールのみだったので、そこでもらったのかしら? もしもただの風邪でこの状態だったら、私ってヤバくない? とちょびっと不安な今日この頃です。

それなのに、5月初めから結構賑やかだった私の音楽活動。
あ、自分自身の音楽活動はちょっと置いといて、まずはコンサートのご報告から。

5/4 葉加瀬太郎・高嶋ちさ子・古澤巌 3大ヴァイオリンコンサート(フェスティバルホール)
こちらは、【サキさん30000Hitお祝い短編】 Hasta mi final~この命尽きるまで~ の「続きを読む」でも書いたので省略。
でも、繰り返して言いますが、楽しかった~(*^_^*)

5/12 シャルル・リシャール=アムラン/オールショパンプログラム「革命」(シンフォニーホール)
誰それ? ですよね。実は、先日、2015年の国際ショパンコンクールのことを書いた本を読んだのです。で、俄然気になたのが、2位になったカナダのシャルル・リシャール=アムラン。コンクールの時に26歳という、コンクール出場者の中ではかなり高い年齢であったそうですが、自然体で完成度の高い演奏を見せていたと。ファイナル(ショパンの2曲のピアノ協奏曲のうちどちらかを弾く)では、ただひとり第2番を選択。ちなみに、これまでファイナルで第2番を弾いて優勝した人はいないそう。曲の長さもわかりやすさも第1番の方がちょっと上なのかな。ちなみに、彼自身は「なぜ第1番を選ばなかったのか」と聞かれて、「弾いたことがなかったから」。あら、そう……この朴訥は感じ、好きかも。
そんなこんなで、興味津々で、チケットを取ったのでした。
歩く姿がちょっとテディベアみたいで、「いい人」雰囲気がにじみ出ているようなステージへの登場。でも、演奏は、すごく理知的だと感じました。これはホールの素晴らしい(しかし、ちょっとタイトすぎる)残響のおかげもあるのかも知れませんが、一音一音の粒が、弱音まで澄んでいてよく届くので、心地よい演奏でした。ころころと真珠が転がっているみたいな、そんな音色。
いきなり、ただいま私が格闘している「ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作(レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ)」からスタートしたコンサート。前半は、4つの即興曲、エチュードop.10-12「革命」、ポロネーズ第6番変イ長調op.53「英雄」。そして、後半がバラード全4曲。有名曲を散りばめつつも、幻想曲4曲、バラード4曲というセットで持ってくることで、ショパンの何かに迫ろうとしているのが理解できるように思いました。
以前、辻井伸行さんのバラードの1番を聴いた時は、ちょっとうるっとして感情的になりそうでしたが、今回は聴いているこちらも、泰然と聴いていられる、そんな印象でした。そしてついつい、後半ではオペラグラスで観察しちゃいました。体格も大きな人なので、手も大きいけれど、左手などは、弾いているのを見てても、動かしているのかどうか分からないような(つまり指のハンマー度がすごいって事ね)。
プロフールを見ると音楽院で後身の指導もされていると。この人は大変よい教育者でもあるのではないかと、そんな気がしました。

実はピアニストひとり、というコンサートに行くことがあまりなかったので、まじまじと聴衆を観察しちゃっていました。
どう見てもピアノを習っていると思われる子どもを連れた両親、音楽関係者と思われる女性のグループ、音楽ファンらしき夫婦、でも意外に目についたのは、相当年配のひとり客でした(男女問わず)。クラシックファンってなんか面白いなぁ。でも、以前よく行っていた頃は、若者のひとりってが結構いたように思いましたが、そういう人は少なかったなぁ。

そしてもうひとつ、大阪の人間はどうやらしつこい?というのがよく表われるのが、アンコールの時。あまりにもしつこいので、アムラン氏、3曲も弾いてくれました。多分最後の1曲は予定に無かったと思う……他の日のプログラムに弾く予定の曲だったみたいから、急遽追加してくださったのではと思います。3大ヴァイオリンコンサートでも、あまりにもアンコール(カーテンコール)に呼ぶので、高嶋ちさ子氏が「もう1曲やります?」って言ってましたし。
ちなみに、アンコールの1曲目はエチュードop.10-3「別れの曲」でした。日本人用?

5/13 ヴァシリー・ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団(ピアノ:辻井伸行)(フェスティバルホール)
最初に、終演後のことを書くのも何ですが、指揮者のペトレンコ氏にサインを求めるファンの長蛇の列に驚きました。CD買ったらサインがもらえるよってやつですが……ただの野次馬的な人も一部いると思いますが、そういう人たちでも思わずCD買ってサインもらおうっと!と思えるような見事な演奏でした。ペトレンコ氏は42歳でしょうか。背も高くて見栄えもするし、豪快な部分と繊細な部分と、見事にバランスの取れた指揮でした。
あまり予備知識なく行ったのですが、素晴らしいチャイコフスキーだったなぁ。第4番、最初のファンファーレがもう良くも悪くも「チャイコフスキー!」なんですが、一方で弱音は森の奥の湖の前に立って耳を澄ましているような美しさで、弦のピチカート連発部分で、チェロから第1ヴァイオリンまで音が移動してくるところなんか、鳥肌が立つようでした。

順番が逆になってしまいましたが、前半は辻井伸行氏のピアノ。
これも豪華なラインナップで、ラフマニノフ『パガニーニの主題による狂詩曲』(最近どこかで見たなぁと思ったら、八少女夕さんの最近のプレイリストに入っていた(^^))、チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』。
久しぶりに生で聴いたチャイコフスキーの1番。この曲は、そう言えば、献呈しようとした相手に見せたら「演奏不可能」と言われたらしいけれど、ベートーヴェンも「今は弾けなくてもいつか誰かが弾いてくれるだろう」的な譜面を作っていたし(当時のピアノの楽器の性質も今とは随分違っていたのもあると思いますが)、作曲家って、ほんとに……(@_@)
それはともかく、この曲聴くと、気が大きくなるのはいいことなのかどうか……しみじみ、ピアノがオーケストラをねじ伏せるのが大変な曲だなぁと思う(いや、ねじ伏せなくてもいいけれど、途中でやられそうになるじゃないですか。チャイコフスキーやってる時のオーケストラって、どこか容赦ない。バレエ曲だとそうでも無いのになぁ。編成の問題?)。
第3楽章に向けて、掛け合いに乗っていくのが見えて、聴き応えありました。

それはともかく、辻井伸行氏を聴きに行くのは3回目になります。実は、彼のコンサートはピアノソロの時が一番聴き応えがあったのです。もちろん、オケが一緒で悪いことはないのですが、ピアノの音をよく聴きたいなぁと思ってしまう。個人的には彼のラヴェルやドビュッシーが何とも心地いいもので(そう言えばアンコールは『月の光』でした)。水が跳ねているのが見えるような、そんなピアノで。
何より、彼のコンサートは箱(ホール)が大きいのが難点(人気がありますからね)。ピアノは齧り付いて聴いた方がいいなぁ(かつて、アシュケナージを最前列で聴いて足しか見えなかったけれど、音はやっぱりすごかったなぁ。実はピアノの下って、すごい響きがいいんですよね)
あ、ラフマニノフ、よかったです。第17変奏から第18変奏に移るところ、いつ聴いてもよいのですが、この曲一度聞くと、しばらくの間、「ラ」「ミ」が頭で響く……(主題はラドシラ)。
ついでにオーケストラのアンコールが『ここは素晴らしい場所』でした。どど~ん、という曲じゃなかったのがよかった(チャイコフスキーの後でほっとする(^^) いや、私は嫌いじゃないけれど、チャイコフスキーって嫌う人はとことんだからなぁ)


書いてみて分かった。私、評論家の才能0ですね。
そうそう、今回、シンフォニーホールとフェスティバルホールに連続で行ったわけですが。
先だって書きましたように、私、体調不良で結構咳が出そうで困っていたわけです。で、問題はシンフォニーホール。
この残響2秒の素晴らしい音響のホール、開演前に「飴の包みなどを開ける音もよく響きますので、ご注意ください」ってアナウンスがあるんですよ。
ステージの音がよく響くって事は、客席の雑音もよく響くって事で、これだけの人が入ってるんだから、当然、雑音はあるわけで……ステージの音は響かせて客席の音は吸収してしまうって離れ業はできないだろうし。空気の乾燥に弱い人とか、風邪気味の人には辛いシンフォニーホールなのでした。
そもそも、座席数が違うので比べるのはどうか、なのですが(シンフォニーホールは2階までで1704席、フェスティバルホールは3階までで2700席)、建て替えの後でフェスティバルホールもなかなかよくなったと思うのですが、クラシックを聴くには、ちょっと大きすぎるんですよね(私が友の会に入っていたびわ湖ホールも1700-1800席、兵庫芸術文化センターの大ホールで2000席)。
でも、チャイコフスキーなら大丈夫だな。あと、マーラーも。でも、今回思ったのですが、弱音、すごく綺麗に響いていました(2階席だったのですが)ので、許せるかな。

それから、もうひとつ。
やっぱり、オーケストラは「見に行く」ものですね。いや、もちろん、「生で聴く」のは「録音を聴く」よりいいのですよ。そうではなくて「見に行く」のです。クラシックなんて興味ないわとか、興味あるけれど何を聴いたらいいのか、なんて人こそ、見に行って欲しい。
私、初めて行ったのが、なぜかスロヴァキアフィル。その時、何に感動したかというと「弓がそろって動いてる~」だったという^^;(←バカ丸出し) 
でも、こういう視覚的な面白さってあるんですよね。その時から(正確には中学生の音楽の時間から)、今も、『モルダウ』が大好きで、この曲が私がクラシック音楽に嵌まったきっかけだったかも。

もちろん、「生で聴く」と、オーケストラの音って、聴く位置でこんなに違うのかというのにも感激します。少しヴァイオリン寄りで聴くのが聞きやすい気がするけれど(もちろん、一番いいのは真ん中、12-15列辺りなんでしょうかね。歌舞伎は8-10列目の真ん中、少しでも役者さんに近づきたい人は花道横を)、コントラバスの前で聴くと、別の曲みたいに聞こえるのがまた面白いのです。あれだけの大所帯ですから、場所によって音が聞こえてくる大きさも違うし耳に到達する時間差もあって。ある意味、それが音の厚みなのですけれど。当たり前の話ではあるけれど、そのことを体感する面白さがあります。

で、オーケストラの「見所」ですが(あくまでも、個人の意見です^^;)。
何より、気になるのは、後ろの方に控えている、いつ登場するのか分からない、シンバルの人やトライアングルの人。出るところ間違えたりしないのかな、とかドキドキして見てたり^^; 登場回数でお給料とか違うんかしらと考えたりとか(大阪の人間って…)。弦は人数が多いからいいけど、数の少ない管楽器の人たちは外したら目立つよな~ってじ~っと見つめてみたり、弦楽器の楽譜は2人にひとつですが、あのめくる側の席(客席から遠い方)になるかどうかはどうやって決まるんだろ、とか考えちゃったり。前の方に座っていたら、時々閑そうな瞬間のチェロの男前の人と目が合ったり。2階席などから見ると、弦楽器の弓の動きが美しかったり。
そうです、オーケストラはぜひ「生で見に」行きましょう!

次は、6月に2015年ショパンコンクールで優勝したチョ・ソンジン氏とフランクフルト放送響。こちらも楽しみです。
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【雑記・音楽】2018初夏の音楽活動~チョ・ソンジンとフジコ・ヘミング~ 

2018初夏コンサート
5月に引き続き、6月の文化的活動が終了。というわけで、5月に引き続きレポートです。

6/13 アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮フランクフルト放送交響楽団(ピアノ:チョ・ソンジン)(フェスティバルホール)
一言でいうと、(控えめに言って)素晴らしい! 非の打ち所のない、ものすごい充実した時間でした。クラシックのコンサートって、2時間以上も座って聴いていると、やっぱり時々は眠くなったりぼ~っと意識をあっちへ持っていったりすることがあるのですが(すみません、素人の音楽ファンってこんなものですよね^^;)、そんな一瞬がまるでなかった。
まずは、曲のラインナップを。
・ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18
・(アンコール)ショパン:前奏曲集28-17
・ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調Op.95「新世界より」
・(アンコール)ドヴォルザーク:スラブ舞曲集第1集第8番

初っぱなのワーグナーから、なんだ、このオケ?って興奮状態に入った私は、テンション上がりまくりでそのまま約2時間半弱、交感神経暴れまくりでした。まさにここは「序曲」で、この先のコンサートの内容を予感させる始まりだったのですね。
何回も書いていますが、ただの素人の音楽ファンなので、まるきり耳はよくありませんので、まぁいい加減な事を書いているかも知れませんが、ほんっとに素晴らしかった。あぁ、シンフォニーホールで聴きたかったなぁ。フェスティバルホール、前に比べてよくなったとは言え、クラシックには箱がでか過ぎると前にも書きましたが、贅沢をいっぱい言いたくなるような、もったいなくって有り難い演奏でした。
「新世界より」、何十年ぶりに生で聴いたけれど、第1楽章冒頭のあの宇宙を感じさせるところ、まさに「新世界」を感じました。管楽器が素晴らしい。クラリネット、オーボエ、ホルン、ちょっと鳥肌が立つ音で、息づかいが感じられる音色。つまり、管楽器って人が「吹いて」音を出しているから、音に「息」が色をつけているような気がするのですが、それが感じられるんですね。
そして弦楽器。有名な第2楽章の途中で、各楽器の最前列の演奏者だけが弾くところがあるのですが、そこになってふと気がついたんです。心地よすぎて忘れていたけど、今まで、この人数であのぶれのない音を出していたのか、って。集団で音を出すと、(うちらの津軽三味線なんか特に)これでもか!って分厚い音を押しつけちゃうけれど、(音量がどうというのではなくて)ひとつの透き通った音に聞こえていたんですね。あの数のヴァイオリン・ヴィオラから出ている音には思えない。
こんな美しい第2楽章、かつて聞いたことがあったっけ?
以前どこかで書いた気もするけれど、私が中学生の時、クラシック音楽ってすごいなぁと思ったのは国民楽派の音楽を習ったときからだったのですが(ピアノは習ってたけど、そして、私は最初からベートーヴェン大好きっ子でしたけれど、環境的にクラシック音楽じゃなくて民謡と歌謡曲の流れている家だった^^;)、ドヴォルザークの9番は最も好きな交響曲のひとつ。それが、これまで聴いてきたものとはまた違う、別のすごいものを聴いた気がしたのです。
そして、指揮者のアンドレス・オロスコ=エストラーダ氏(コロンビア生まれ)。あんまり大きな人じゃないのですが、その指揮はダイナミックでいて繊細。すごい指揮者だと思ったら、2021年からウィーン交響楽団の音楽監督に就任が決まってるんだとか。

……実は、個人的にはもうちょっと暴れ馬みたいなところのあるオケの音が好きなので(若杉弘さんが首席指揮者をしていた頃のケルン放送響なんかよい感じでした)、あまりにも洗練されて美しくて優等生な音に、たまに「暴れて~」とか言いたくなっちゃったけれど、ここまで完成されているともう何も言えない。いや、すごいオケでした。次に来日したら、ぜったいに行こ。
マーラーも聴きたかったなぁ。大好きな5番。どうして同じ都市で2つのプログラムしてくれないのかしら。
最後のアンコールのスラブ舞曲がきらっきら、でした。たぶん、何年も忘れられないコンサートになる。

さて、ここまでオケの話しかしてないんじゃないの? と思いましたよね。
そうです。本題はここから? なんです。
先日、2015年(前回)のショパン国際コンクールで2位だったシャルル・リシャール=アムランのピアノを聴きに行ったご報告をしましたが、もちろん、1位のピアニストの演奏も聴かなくちゃ片手落ちじゃありませんか?(なわけないけど) 
実はショパンコンクールのドキュメント本を読んだ時点では、俄然、2位のアムラン氏に興味があったのです(たぶん、書いた人がアムランびいきだった)。もちろん、彼のコンサートは素晴らしくて納得して帰ってきたのですが……今回のソリスト、チョ・ソンジン(1994年ソウル生まれ)を聴いたら、なんか吹っ飛んじゃいました。ごめんなさい、アムランさん。
でも、アムラン氏のピアノも、もう一度でも二度でも聴きたい、素晴らしいものでしたよ。アムランさんのおかげで、その日、コンサートの後、ピアノのレッスンだったのですが、「ノクターン嬰ハ短調」、先生に褒められちゃいましたよ。「どうしたの? 今日、なんかすごく音がいいよ」って。←レベルは低い^^;

でも、一体なんでしょ。これは理屈じゃないんですよね。久々に「恋に落ちました」。
(前に恋に落ちたのは、お化け屋敷で大野くんの座る椅子ががたって傾いたときだった。そう、恋は理屈じゃない)
恋に落ちると、「次はどこで弾くのだろう」とか、ネットで検索しちゃったりして。あ~、昨日軽井沢で弾いてたんだって。なんて、悔しがってたりするわけです。
ともかく、このラフマニノフの2番は反則だわ。もともと曲自体がロシアのロマンチシズムの極みみたいで素晴らしいのもあるけれど、とは言え、ラフマニノフの協奏曲。オケは容赦なく襲いかかってくるし、重力奏法でがんがん戦わないと負けちゃう~という曲じゃないですか。特に、先に書いたという第2楽章・第3楽章はともかく、後から書いたからか、疾走感が半端ない第1楽章でいきなりソリストが打ちのめされることもあるような曲。

ショパンコンクールの時は21歳、そして今、24歳?の彼の音楽は、まだまだ若いと思うのですが、音がひとつひとつ際立っている爽やかさ・力強さがある一方で、ものすごくなめらかなピアニズムがあるんですね。ソナタなどピアノだけの曲と、協奏曲のようなオケと絡む曲を弾く場合、自ずと弾き方って変わってくると思うのですが、つまり協奏曲では少々ミスタッチしようが、ひとつひとつの音よりも流れの方が遙かに大事だと思うのですが、その協奏曲でこんなに綺麗で音のひとつひとつ取り出して輝きを確かめたくなるような宝石みたいな音を出して(ちょっと粒が明瞭すぎるきらいはあるけれど)、しかも絹みたいになめらかさもあって、アジア人らしい適度な湿気もあって。
弾いているときには、身体を少しオーケストラの方へ傾けて、時に一生懸命オケの音を聴いているようで(いや、実は闘志むき出してガン見してる?)、たまにビクターの犬?思い出していたのは内緒です。そして、右手だけが鍵盤の上にあるときの左手、すっと手のひらを返すような仕草が、なんか音の名残をつかみ取ろうとしているようで、あの手にもやられたかも(←バカ丸出し^^;)。
そう言えば、綺麗な手なんですよ(CDのジャケット見ると)(そして、私は手フェチ。大野くんファンの理由のひとつはあの手の綺麗さでもある)。

去年、同じオケと別のところで演奏したラフマニノフの動画(続きを読むに納めました)を見たら、それも、すごくよいけれど、まだなんか闘ってる感が半端なくて(鬼の形相になってるときが^^;)、でもきっと回数を重ねて進化したのでは。
断然、この日(私が聴いた日)の演奏の方が良かった。若いってすごい。回数を重ねて、どんどん上手くなっていくんだぁ(三味線にもそういう子がいるんですよね)。
ちなみに、先日、バレンボイム氏の『悲愴』を貼り付けておいたら、TOM-Fさんが「髪の毛がはっちゃけててすごいことになってる」と指摘してくださいましたが、いや、弾いているときにはこうでなくちゃね。涼しい顔でしら~っと弾かれちゃ、こっちも感情移入できないし。普段の彼は、控えめで思慮深い印象だそうですよ。
40分あまり、一瞬も目を離せなかった(もちろん耳も)、そんなラフマニノフでした(*^_^*) あの音を箱詰めにしてお持ち帰りして、部屋に置いときたい。まだまだ技術が先走って何かがついてこない面もあるでしょうけれど(てか、この年ですでに完熟していたら困りますよね←それを言うなら円熟。トマトじゃないんだから)、彼は若い。この先まだまだ延びて行くであろう彼の音楽に期待するのでした。

雑談だけれど、昔、初めて片岡孝夫(現・仁左衛門)の『勧進帳』の弁慶を見たとき(私が歌舞伎に嵌まった頃は、先々代の勘三郎さんがまだ生きていた頃。仁左衛門さんも先々代、梅幸さんとの人間国宝そろい踏みが今でも忘れられない)、何だよ、若いな~と思ったものでしたが(えらそ~に)、いや、その人が、今や押しも押されぬ円熟役者。
昔から優男が上手かったんだよな~。あの色気は天性のものもあるだろうけれど、やっぱり役者としての幅と余裕は、年輪が証明するもんですよね。でも逆に、孝夫の時の青臭い弁慶が、今でも忘れられないんですよ。あの時からもしも「私(観る人)が求める全ての要素を兼ね備えた完璧で納得の演技」なんかされてたら、きっと印象になんか残ってなかったと思う。
若くてまだまだな弁慶だったけれど、底知れぬオーラがあったんです。
ソンジンくんを初めて生で聴いて見て、感じたのもそのなんか……オーラかも。

……それにしても、この先、クラシック界はどうなっていくのだろう。上手い人は数多出てくるだろうけれど、カオスだろうなぁ。要するに、聞き手としては自分の好みに合った演奏に出会えるかどうか、ということだけなのかも。
うちの業界でも、今までってレジェンドのような大先輩が支えてきたけれど、今の若い後継者たちは良くも悪くも小粒。確かに技術もあって知識もあって大したものなんだけれど、突き抜けた大物感がないんだよなぁ。時代なのかなぁ。もちろん、それはそれで悪くないんだけれど。
ソンジンくんもアムラン氏もそれぞれいいところがあって、それぞれまだまだ足りないところがあって、で、批評する人はあ~だこ~だ言って、あげくはその人の音楽以外のところにまた、あ~だこ~だ言って。周りがあ~だこ~だ言い過ぎて、若い人の秘めたる大物感をつぶしていかないようにしなくちゃな。
好き嫌いはあるだろうけれど、ど派手なリムジン?だったかを乗り回していたパバロッティは、それでもやっぱり私の中では最高のテノールだったし、お気に入りの女性ヴァイオリニストに肩入れしすぎと叩かれた帝王カラヤンはやっぱり今でも追従する人がいないものすごい指揮者だった。

そう考えたら、コンクールの審査なんて、本当に大変だろうなぁ。
かのショパン・コンクールの評をいくつか読んで思った。みんな(審査員でさえ)どこかに肩入れして聴いちゃうから、その時点でバイアスが掛かる。これって、何かに似てない? そう、甲子園。どこかのチームのけなげなピッチャーとかに肩入れして見ちゃうんだよなぁ。そして負けると一緒に泣く。「かわいそ~」って。
でも、実は、当の本人は結構図太い面も持ってたりしてね。
ショパンコンクールのファイナルではショパンのピアノ協奏曲のどちらかをやるんだけれど、このオケ(ワルシャワ)がくせ者。どど~ん、と重い音で、しかもものすごくテンポがゆっくりなんだそうな。これにやられちゃうコンテスタントも多いのだとか。
優勝した後のガラで同じ曲(第1番)を演奏したソンジンくんは、「ファイナルの時とガラで弾き方が変わりましたね」と言われて(インタビュアーは優勝して解放されたような素晴らしい演奏だったと言いたかったのかも)、「僕は変わっていませんよ。変わったのはオケです。序奏のところなんか、ファイナルの時は4分もかかっているのに、ガラでは3分だったんですよ」(後でyoutubeで確かめたんだそうな)! いいね、この図太さ、かなりすき。
頑張れ、若者。周囲の雑音なんか意に介さず、突き進め。
つかみ取るべき未来はまだまだその道のずっと先にあるんだから!

6/17 マリオ・コシック指揮スロヴァキア国立放送交響楽団(ピアノ:フジコ・ヘミング)(フェスティバルホール)
さて、こちらはまた奇しくも「新世界より」を立て続けに聴くことになった演奏会でした。が、それは結果論で、実は、何よりも私のピアノの上にかかっているこの版画の作者フジ子・ヘミングを見に行きたい・聴きに行きたいと、それだけでした。
にゃんすきー
彼女は絵も描くんですよね(お父さんは画家)。版画や絵には実際に飼っている猫さんたちが登場しまくるのですが、私が有り難くも手に入れることが出来たのはニャンスキーという名前の猫さんの版画。なにしろ、ピアノを弾くのは「猫たちを食わせるため」と公言されている彼女。
若いときに才能を認められながら、戦争、無国籍(お父さんがスウェーデン人で、日本の生活に馴染めず帰っちゃった)、貧しさで留学中も暖房を入れることも出来なくて風邪から中耳炎などで聴力を失って、プロのピアニストの道を絶たれて、挫折の中、それでもピアノを弾いていた(教師の資格をとって教えていたそう)、それはもう、技術としてのピアノじゃなくて人生としてのピアノですよね。

登場されたとたん、私が思い出したのは、先代の四世・茂山千作さんが舞台に現れた瞬間、それを初めて生で観た時のこと。その時、まだ何も演技が始まってないのに(いや、役者さんにとっては舞台に一歩出たとたんから、もしくは、出る前からが演技だろうけれど)、もう「可笑しい」んですよ。うわ、狂言ってすごい、と思ったら、弟の千之丞さん(あ、もう先代になるのね。童司くんが襲名。狂言を見に行かなくなって久しいけど、また行こうかなぁ)が「あの人はほんとうにすごいというのか、得というのか、舞台に出ただけで観客が笑う」と言ってたから、狂言役者の中でも希有な人だったんでしょう。もう、身体から「狂言役者・茂山千作」という空気がわき出している。
フジコさんが舞台に現れたとたんに思ったのは、そういう、何か特別な人が持つ雰囲気でした。

プログラムは……
・スメタナ:モルダウ
・ショパン:ピアノ協奏曲第1番
・リスト:「ラ・カンパネラ」(もう1曲、ラフマニノフの前奏曲だったかな)
・ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
・アンコールはたぶんスラブ舞曲のどれかだったと思うけれど、済みません、確認できないまま。
あらゆる意味で、4日前のコンサートとは全く異質のものを観て聴いた、という印象。

実は、フジコさんは名古屋で(先日演奏会があったのですね)駅でこけて手を負傷されていたそうで、辛そうな演奏ではあったのですが、でも「カンパネラ」は彼女の気持ちや年輪が刻まれているようでしたね。ショパンの時はあちこち危なげだったですが、よく考えたら御年80代であの姿は本当に偉いものだと思います。
「もう今日は弾けないと思ったけれど。本当に歳はとりたくないものです」ってMCも。分かるわぁ。怪我がね。治らないのよ。それに、本当に身体が反応しないのよ。怪我の一瞬。若い人には分からないだろうなぁ。
オーケストラがちょっと抑えながら合わせてくれてたのもあるだろうけれど、演奏会ってある意味すごいなぁと思いました。普段レコードとか聴いていると、録音の技術でいい状態の音を選びながら作っていくけれど、生ものは本当に色々あるのですね。ただ、こうして目にすることが出来て、それはものすごく刺激的だった。

そして、オーケストラですね。
ほんとに申し訳ない。客席にはきっと、私のように「一度、フジ子・ヘミングを見たい」という輩がいっぱい居たんでしょう。私がもっとも愛する『モルダウ』の最初の部分で、いきなり後ろの席のおばちゃんが「スメタナやんな」とか言うし。いや、この曲はここなんよ。この冒頭の弦の響き、向こうから水が湧き出してくるようなこの静かな響き、ここが大事なんよ。静かに聴かせてくれ~! と叫びそうになったのは私だけではないはず。
しかも、『新世界より』では、楽章の間に拍手が起こるし。時々、間違えて拍手する人がいても、大概、第1楽章の終わりでやっちゃっても、回りの雰囲気に気がついて第2楽章からはやらないってことが多いのですが、なぜか、当たり前のように、私の周辺でも毎回拍手してるし。ああいうとき、どうしたらいいんだろう。
民謡でもジャズでも、他の音楽なら、盛り上がったところで、曲の途中でも拍手しまくって、その拍手が演奏家を鼓舞してまたいい演奏が聴けるってのはありますし、クラシックだけそんなこと言われてもって人もいるかも知れないけれど、いや、これはだめなんよ。歌舞伎で大向こうのプロじゃない人が、とんちんかんなところで「○○屋!」ってやっちゃうようなもので、流儀に反してるのよ。
例え楽章の終わりに間があっても、そこは演奏家は集中しているのよ。次の楽章へ向けてイメージをつなげているのよ。拍手しちゃだめ~!
若い頃、もちろんクラシックは聴く一方で曲の細かいところなど覚えていないし、曲によっては「じゃんじゃかじゃん!」って気前よく終わったような後にさらにコーダがあったりして、拍手のタイミングに困ったことがあって、それでいつも、コンサートで聴く予定の曲は予習していったものでした。最後の部分は覚えていくという。だって、やっぱり演奏する人への配慮も必要だろうと、若い駆け出しクラシックファンとしては、素人なりの努力もしていたのです。
いや、そんなことを他人様に要求しているわけじゃないけれど、聴く方にも流儀・たしなみってものが……
う~ん、ごめんなさい、オケの皆様。色んな意味で集中力を欠くコンサートになっちゃいましたよね。

でも、そこはさすがにプロ。第3楽章と第4楽章の間になると、もう、指揮者もオケの皆さんもしら~んぷり。そして、このオケは面白いことに、『モルダウ』よりも、フジコさんに合わせながら抑えるように演奏していた『ピアノ協奏曲』のようが、そしてさらに『新世界より』の第1楽章の方が、それよりもっと第2楽章の方が……というように尻上がりでした。第4楽章はよかったなぁ。あ~そうそう、これがスラブの音だわ、と思える高揚感がありました。なんか懐かしい音とテンポとリズムのある『新世界より』だった。
フランクフルト放送響の『新世界より』は本当に異次元の新世界だったけれど(素晴らしかったけど。なんか、宇宙の彼方から地球に呼びかけている感じ)、こちらの『新世界より』はやっぱり草のにおいがしたわ。私が中学生の時から大好きだった、ドヴォルザークの世界。アメリカから故郷に呼びかけている。
ふたつの『新世界から』はまったく空気感が違って、どちらも本当に楽しめました。

予定コンサート
次の文化的活動の予定は秋。またまたご報告いたします(*^_^*)
続きを読む、からはソンジンくんのラフマニノフをどうぞ(^^)

【追記】TOM-Fさんが曲目に興味を示してくださったので。
・アシュケナージ指揮アイスランド交響楽団
  セグルビョルンソン:氷河のノクターン
  ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:辻井伸行)
  ラフマニノフ:交響曲第2番
…またまたラフマニノフの2番だよ。攻めるなぁ(^^) 

・フランツ・ウェルザー=メスト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  モーツァルト:オペラ『魔笛』序曲
  モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調(ピアノ:ラン・ラン)
  ブラームス:交響曲第2番 ニ長調
…泣くほど高かったチケット(;_;) 1ヶ月以上悩んで、でも、ウィーンフィルのブラ2とラン・ランのモーツァルトの誘惑に勝てなかった。ラン・ランのオレンジ転がしにちょっと興味津々。そういえば、ソンジンくんはラン・ランの代役でベルリン・フィルと共演したのよね。

・ヴァレリー・アファナシエフ
  ベートーヴェン ピアノソナタ『悲愴』 『月光』 『テンペスト』 『熱情』
…一度聴いてみたかったピアニストシリーズ。しかも怒濤のベートーヴェン。弾く方も大変だろうけれど、聴く方も覚悟がいるな、これ。『熱情』の前に熱出さないように聴かなくちゃ。私の中では『テンペスト』の中には全てが入っていると思うので(30-32番のあの世界の濃縮)、そこで倒れるかも……
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