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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

☂[14] 第2章 同居人の入院 (1)(改)(あらすじ付) 

第1章 あらすじ

相川探偵事務所所長・相川真(27)は、もと家庭教師(?)かつ保護者である大和竹流と同棲を始めて2年半が経過している。大和竹流(=ジョルジョ・ヴォルテラ)(36)は美術品の修復師であるが、実はヴァチカンを支える裏組織ヴォルテラの跡継ぎであり、本人は望んでいないが、いずれローマに帰ることを期待されている。
このところ竹流が考え込んでいることが多くなっていたが、真は事情を聞きだすことができない。親であり兄であり、また教師でもある同居人がいなくなることが、実は不安でたまらなくて、考えたくないと思っている。
そんな時、竹流がしばらく留守にするといって出かけて行った。
ちょうどその頃、竹流が某経済・社会雑誌のインタビューに答えた記事が掲載される。オーナーとなっているレストランやギャラリー、修復師としての仕事について、そしてついでにプライベートにまで触れた記事には、同居人の真のことまで書かれていた。ふたりの関係をちょっと誤解されるような答え方で…
事務所のメンバー、共同経営者の女子大生・柏木美和、孤児施設出身のヤクザ志望・宝田三郎、バイトの主婦たち、その他事務所のある新宿で働く知り合いたち、などなど周りからインタビュー記事のことを面白がられている気配を感じて、いささか面白くない真は、恋人というよりも体の関係だけを続けている銀座のバーのママ・深雪に会いに行ったりしながら、竹流の帰りを待っている。深雪は代議士・澤田顕一郎の愛人という噂もあるが、実のところはよくわからない。
そんな時、自分の実の父親のことを知る老人・田安隆三の経営するジャズバーで、真は楢崎志穂という雑誌記者と会う。志穂は、澤田顕一郎のことを調べていて、真に深雪から澤田のことについて何か聞いていないかというのだが…

それでは、第2章【同居人の入院】、お楽しみください。
その前に、おまけ写真:遠からず登場予定のマルタ島の石の神殿。
マルタ1



「もしもし、相川調査事務所です。……え? はい、代わります」
 真が自分の机の上で鳴っている電話をしばらく放置していると、前を通りすがりに、いつも通りやたらと勢いのよい声で電話を取った『秘書』の柏木美和が、途中から真に目で合図を送るようにして露骨に嫌な顔をした。そして受話器の口を押さえもせずに真に渡した。
「刑事さん」
「刑事?」

 真は美和の手から受話器を受け取り、さて、何の話かと考えた。仕事上、時々警察がらみになることはある。しかし、今のところお世話になるような話はないはずだった。
「お久しぶり」
 真はその声に思わず受話器を握る手に力を入れた。添島刑事、本庁捜査一課の女刑事だ。
「何かありましたか」
「大ありよ。忙しい? ……わけはないわね。あなたが事務所に座ってるんだから」

 電話の向こうの声は爽やかに痛いところを突いて無駄なく響く。
 この女刑事は時々同居人の仕事の事で何かを嗅ぎ廻っているような気配があるが、実際に彼女のターゲットに同居人が入っているのかどうかもわからない。大体、竹流の仕事の裏のほうで多少は法に引っ掛かるかどうかの際どい部分があるのだとしても、捜査一課が関わってくる理由はなさそうだった。

 確かに一週間ほど前から閑だった。それまではあれやこれやと問題を持ち込まれ、名瀬弁護士からも手伝いを頼まれ、美和だけでなく自称『弟子』の高遠賢二まで走り廻ってくれていた。ところが季節労働者のようなもので、いきなり暇になる。こうなると浮気の調査でもいいや、と思ってしまう。

「とにかく来て頂戴。G医大病院の別館。玄関で誰か待たせるから」
「いきなり何ですか」
「用件は来てから話すわ」
 女刑事はそれだけ言って一方的に電話を切った。
 真がしばらく受話器を握りしめたままでいるのを、美和がまだ不愉快そうな顔で見ている。

 真とその女刑事の接点は、考えてみれば同居人しかいない。彼女は捜査一課で少年事件とは何の関係もないし、その女刑事と会うのも同居人のギャラリーでだけだった。どういう関わりかはともかく、その刑事が真を呼ぶとなると同居人絡みの可能性は高いが、どういうことだろう。

 同居人が出掛けてからすでに三週間は経っている。そんな時に掛かってきた本庁の女刑事からの電話は、あまり良い内容とは思えない。同居人の仕事がどこかで法に触れる可能性は十分にあるのだろうが、捜査一課となると随分複雑だ。
「出掛けてくる」

 美和が不満と不安をあからさまに顔に出して真を見ていたのは、刑事という職業の人間への警戒と、真が個人的にそういう種類の人間と関わっていることに対する負の感情のためだろう。そもそも、美和は極道の女で、この事務所は任侠一家の持ち物だ。
 真は言い訳する言葉を見つけることもできなかったので、そのまま事務所を出た。階段を下りてから、車で行くか電車で行くか迷ったが、結局電車を選んだ。


「半分わかってます、って顔ね」
「いつもこんな顔です。用件をおっしゃってください」
 玄関で誰か待たせると言いながら、待っていたのは添島刑事その人だった。ダークグレイのパンツスーツを着て、いかにもキャリアウーマンを印象付ける容姿で、女性にしては背が高い分、履いている靴のヒールは低い。長い間海外で仕事をしていたとも聞くが、いかにもスマートなムードの女だ。耳の下辺りで切り揃えられたストレートヘア、切れ長の直線的な目、やや吊り上がった眉、通った鼻筋と横にくっきりと結ばれた唇。気がきつそうで賢くて、それに十人並み以上には美人だった。

 午前中の大学病院の玄関は多くの人間が出入りする。その中を縫うように、添島刑事は病院の廊下を早足で颯爽と歩いていく。こういうタイプは苦手だと思いながら、真は何とか彼女の後をついていった。やがて添島刑事はエレベーターの前で立ち止まる。
 添島刑事はエレベーターの現在位置を示すランプを見上げたまま、真の顔を確かめるわけでもなく、肩を落とすようにひとつ息を吐き出して言った。

「あなたの相棒、死に掛かってたの」
 真は思わず無遠慮に彼女を見つめた。

「普通の人間ならまず死んでたわね。出血多量と敗血症でショック寸前、折れた肋骨はもうちょっとで肺を傷つけるところだったっていうし、あれでどうしてあんな生意気な口をきけるのか不思議だわ。それから」彼女は意味ありげな視線を真に向けた。「これは新しいものじゃないけど背中の火傷の瘢」
「火傷?」
 エレベーターは各駅停車をしているようで、なかなか一階に降りてこない。

 添島刑事は彼女にしては僅かに躊躇うような時間を置いて、3の数字で止まっているランプを見上げていた視線を、真のほうに移した。
「知らなかったの?」
 驚いたような顔だった。というよりも、真自身が理解不能という顔をしているはずだった。
「本当に彼ですか?」
「それはどういう意味? 驚いたわ。一緒に住んでるし、何でも知ってるのかと思ってた」
「別に裸を見せ合って喜ぶ間柄ではないので」

 エレベーターの扉が開いて乗り込み際、添島刑事はちょっと真を振り返り、意外にも非常に好意を感じさせるような微笑を浮かべた。
「そういう言われ方をすると余計に勘繰ってしまうじゃない」

 エレベーターの中に一緒に乗り込んだ五人ばかりの他人に遠慮したのか、添島刑事はそれ以上続けなかった。真は現実味を帯びていない彼女の話の内容を、別の頭で忙しく考えていた。
 背中の火傷? だが、この女刑事が彼を見間違うはずはない。

 そう言われてみれば、同居人の裸の背中を見たのはいつが最後だったのだろう。
 昔はよく伯父に連れられて温泉にも行ったし彼の背中を流したこともある。最後に見たのが正確に何時で何処だったのかも思い出せないが、同居してから確かに裸の背中など見ていないかもしれない。
 風呂上りの同居人を見ることはあっても、裸でうろうろしていることなどなく、一緒に風呂に入るわけでもないし、ベッドの中で彼の背中に触れるわけでもない。違和感なくそういうものだと思っていたし考えたこともなかった。

 ましてや、その背中に直接触れたのはもう九年も前のことだ。


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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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【Time to Say Goodbye:2】2年目の贈り物(SS:バレンタイン、キス、氷)(18禁) 

【カテゴリ変更で再登場・中身は変わっていません(#^.^#)】

前回、彩色みおさんの企画してくださっているSSに初挑戦させていただき、玉砕したのに、また性懲りもなく思いついてしまいました。
懲りないやつだな、と思われるのを承知の上で、つい妄想が走ってしまい……

みおさんの魅力?魔力?のせいでしょうか。
なぜか想像力を掻き立てられるというのか……
これもみおさんのあったかい作品やブログから立ち上る仄かな色気、に惹きつけられたからに違いありません。
素敵なブログや作品は、他の人を力づけて前に進ませるのだなぁ、と思う今日この頃です。
みおさん、ありがとうございます。

そう、色気なんですね。
皆様のSSを拝読させていただいてわかったこと。
私の作品には色気がないわ、と。
チャーミングな色気、男らしい色気、優しい色気、妖艶な色気、いろんな色気があるけど、場の雰囲気を作る、立ち上るような色気。

それが私がBLを書けない理由でもあるのですが……ついついドキュメンタリーのようになってしまうのです。
だからHシーンが苦手。
困ったなぁ。
BLの醍醐味のわかっていない私ですが、無謀にもまた思いついてしまったので、恥を承知で載せてしまいます。
実は、ちょっと渋めのものを書いた後は、必ず茶化してみたくなる、関西人の悪い癖が出てしまったのです。
でも今度は4500字あまり。
少しはSSに近づいたかも?

あ、前回の長いSS(って、変な感じ。短い長期休暇、寸足らずのスカイツリー、みたい)にはタイトルがなかったことについさっき気が付きました。
そこで、付け焼刃的につけてみました。
Time to Say Goodbye
愛するIL DIVOの曲から取ってみました。
外交官黒田……なんでしたっけ、とりあえず、アンダルシアのテーマ曲、今はアルファードのCMで使われている名曲。
恋人との別れなのか、これまでの自分と決別して恋人ともに旅立つのか、どうとも取れる歌詞がちょっとイメージだったので。


さて、今回はあれから2年。
宗輔(シュウスケ)・拓(ヒラク)の二人はうまくやっているのか……
今度は宗輔視点で書いてみました。




『2年目の贈り物』
拓medium (イラスト:竜樹さま)感謝m(__)m

 恋人がぶちのめされて倒れる瞬間を見るのは、気分のいいものじゃない。
 当たり前のことだと思うが、実際に目にするまで、そのことに気が付かなかった。
 宗輔はリングの方へ駆け寄りたい気持ちを振り切って、試合会場を後にした。

 忙しかったこともあるが、これまで拓の試合を見に行ったことがなかった。拓の方から試合見に来てくれよと言ってきたこともない。
 本当に馬鹿みたいにがむしゃらに拓は闘っている。リングの上だけではない、多分彼の人生と、時々は命も賭けているようにさえ見える。
 プロテストに合格するまでには時間がかからなかったが、そこから先は決して順調とは言えなかったようだ。勝ってなんぼではなく、いわゆるファイトマネーで金を稼ぐわけだから、頼み込んででも試合に出させてもらいたいプロはいくらでもいる。時には八百長まがいのことを持ちかけられることもあるようだが、拓はそんなことを宗輔には言わない。

 聞き出したい気持ちがないわけじゃない。
 だが、聞けば拓の自尊心を傷つけることもあるだろう。
 宗輔も、自分の仕事の幾らか汚い部分を、拓に知られたいとも思わない。

 試合会場の外に出たら、雪が舞っていた。
 明後日は2年目のバレンタインだ。
 少しは気持ちが通じ合っていると思ったあの日から、二人で過ごした時間が十分あったとは言い難い。恋人、などとは誰がどこから見ても思わないだろう。
 それでも、今夜拓が宗輔のマンションにやって来ることだけは間違いがない。

『その日』は、いつも宗輔は上等の肉を2kgも買い込む。仕事中毒で、普段まったく休みを取らない宗輔が、1年に何度か取る、まる2日の休みのわけを、秘書も役員の誰もが知らない。

「くそっ」
 リビングのドアを開けた途端に倒れ込んだ拓が、誰にというのでもなく悪態をついた。
 ぼろぼろのザックは玄関に放り出したまま、かろうじてここまでたどり着いたような危ない足取りだ。リビングのソファで焼酎を飲んでいた宗輔は、拓を助け起こすのでもなく、そのままキッチンに行き、冷凍庫のアイスボックスから氷を幾つかつかみ出し、ビニール袋に入れて口を縛った。

「ほら、冷やしとけ」
 会場を去り際に見た対戦相手のカウンターは、ものの見事に拓の左こめかみあたりに突き刺さっていた。案の定何の手当もまともにしていない拓のこめかみには、申し訳程度の絆創膏が貼られていた。
 絆創膏はほとんど血まみれで、鼻に詰め込んだ止血剤の入ったスポンゼルまで赤く染まっている。目の周りも腫れていて、明日あたりはとんでもない顔になっているに違いない。
 唇の端も切れて、膨れ上がっている。
 色気も何もあったものじゃない。
 拓はしばらく頭がはっきりしていなかったのか、対戦相手と間違えているかのように恨めしげに宗輔を見て、それから氷の入った袋を払いのけた。

 払いのけた勢いのまま、宗輔の首の後ろに両腕を回し、血のにおいのする唇を押し当ててくる。
 このキスがたまらなかった。
 口の中にも、まだ鉄臭い味が残っている。それを宗輔は舌と唇とでもぎ取るように無茶苦茶に吸ってやる。血と唾液が交じり合ったキスは、身体の芯に火をつけた。互いに腕で相手を締め付け、息苦しくて意識が吹っ飛びそうになるまで、舌を絡め、引きちぎるほどに求める。
 鼻も塞がっている拓が意識を飛ばすのも構わずに求め、やがて背中に回した拓の手が、むやみに宗輔を殴る。
「肉」
 もうちょっと可愛らしい言い方があるだろうと思うのだが、この単語だけの要求が宗輔にはたまらない。本当は押し倒してこのまま犯したいが、肉を食らっている拓を見ること自体もたまらない快楽なのだ。

 減量のため、試合前には食欲も性欲も抑え込んでトレーニングをこなしている拓は、『その日』馬鹿みたいに肉を食う。野菜も炭水化物も、もちろんデザートにも全く興味を示さず、ひたすら宗輔の焼いた肉を、まるで草原で獲物を食らうライオンのように貪り食う。
 食べている姿とベッドの上の姿には共通項がある。
 どちらも我慢ならない欲求を満たす爆発のような行為だ。
 だからその姿に宗輔の体の温度は上昇し、欲望が芯から突きあがってくる。
 犯して、追い込みたい。
 始めは焼肉屋に連れて行ったのだが、すぐに外で食べることは危ないと気が付いた。
 店を出た時から、ほとんど身体を擦り付け合うように絡めあっていた。いや、食べている最中から、危なっかしかったのだ。
 そして車に乗り込んでドアを閉めた途端、拓は宗輔にむしゃぶりついてきた。もちろん、宗輔の方も同じだった。
 暗闇の中、焼肉屋の駐車場、色気とは程遠い大蒜の入った濃厚なタレや肉の臭いが身体にも服にも染みついたまま、他人目があるかも知れないのに、どうにも我慢ができず、体を繋げて貪りあった。

 だからそれ以来、肉は宗輔が準備して、マンションで焼いて食わせている。
 そして『その日』からまる2日、肉を食っては求めあい、部屋からは一歩も出ない。拓の傷や腫れはその2日の間に多少引くかどうかで、とても素敵な睦事とは言い難いが、会わない時間の方が長い二人にはそんなことはどうでもよかった。

「宗輔……、宗輔……」
 普段、拓は名前を忘れてしまったのではないかと思うくらい、宗輔のことをあんただとかお前だとかしか呼ばない。だがこの時だけはうわ言のように宗輔の名前を呼ぶ。
 声は嗄れて、喘いで漏れる息遣いがどんどんエスカレートしていく。
 拓の身体が宗輔を受け入れて狂うようになったのは、この1年ほどの間のことだ。それまでは男になすがままにされることに我慢していたのか、痛みが辛かったのか、まだ感じるということがどういうことなのか分かっていなかったのか、耐えているという気配の方が強かった。
 だが今は違う。
 拓は宗輔の上に跨って、腰を叩きつけるように振る。踊る、というよりも、まさにサンドバッグを叩くような勢いだ。拓の胸の筋肉のひとつひとつが汗で光る。宗輔は拓の引き締まった細い腰をさらに自分へと引き寄せる。突き上げる宗輔のものは拓の身体を引き裂く。
 拓の唇がしどけなく開いて、喘ぎ声と唾液が零れ落ち、汗が宗輔の腹の上に落ちる。
「拓」
 呼びかけると、うるさいと言わんがばかりに拓の尻の筋肉が宗輔を締め付ける。
 たまらない。
 いつの間にか狂わされているのは俺の方か。それとも、こいつが俺に狂ってくれているのか。

 ぎーっつ、ぎー、ぎーっ
 もうちょっと可愛らしい音が出るように改良しろと言わなけりゃな。どうせなら音楽が鳴るとか。いきものがかりのじょいふる、とか、チョコレートっぽくていいじゃないか。
 だが、まあ、でこぼこで足場の悪いベッドの上を歩くってのは大したものだ。
 宗輔は恋人が眠るベッド脇の椅子に座って、そいつのいささか不器用な歩行を見つめていた。
「お菓子をどうぞ」
 声はまずまずだな。
 拓はびくともしない。時々思い出して氷を当ててやっていた左目の腫れは少し引いてはいるものの、青染みはひどくなってきている。ちょっと痛々しくて、愛おしい。

「お菓子をどうぞ」
 そいつはもう一度言った。さっきよりボリュームアップしている。
 それでも拓はびくともしない。微かに肩が呼吸で上下する。練習と減量で自分を追い込んで、やっと8ラウンドの試合をさせてもらえるようになり、試合の後狂ったように肉を食い、宗輔を求める。そしてこうして眠り続ける。
「おりゃあ、ええ加減に起きんかい! いつまで寝くさっとんのじゃ」
 ついに、そいつは切れた。
 すごい。そいつはクラブシノハラの今年の新作チョコレートが載った盆を頭の上に持ち上げて、袴を穿いた足を器用に、倒れることもなく振り上げ、眠り続ける拓に蹴りを入れた。
 そいつが掲げた盆の上で、チョコレートがバウンドする。

 拓が跳ね起きた。
「さっさと食わんかい! 腕がだるいやないけ!」
 拓は呆然と目の前のからくり人形、いや、元からくり人形のロボットを見つめている。お坊ちゃん頭のからくり人形は、可愛らしい顔のまま、無駄に口をパクパク動かしている。口の動かし方に滑らかさがない。まだ改良の余地ありだ。
「われ、まさかわしの出したもん、食えん、ちゅうんけ!」
 拓はベッドの上で毛布を身体に巻きつけ、跳ね起きた姿勢のまま、しばらくロボットとにらみ合っていたが、突然正座して両手をついた。
「いただきます」
 そう言って、拓はロボットが掲げた盆の上に載ったチョコレートを口の中に入れる。
 やっぱりこいつは基本、大阪の人間だ。ロボットからの突然の突っ込みにもまともに対応する。
「うめぇ」
 宗輔に半分背中を向けたまま、拓は指についた溶けかけのチョコレートをそのまま舐めとった。
 こいつ、意外に可愛い。
 と思ったら、いきなり拓が振り向いた。

「あんた毎年、よくもまぁ、しょうもないチョコレートの渡し方、思いつくな」
 可愛いは撤回だ。そもそも、愛し合う二人の図柄なら、俺がお前の指を舐める場面だったはずだ。
「俺は菓子屋だ。お客様の手元に可愛いわが子らを届ける方法も、売るための演出もあれこれ考える」
 拓ははてなの貼りついた顔をしている。
 ま、からくり人形は会議で没になったコマーシャルの絵面だとは言いにくい。クラブシノハラの次のコンセプトは、家族でちゃぶ台を囲んで味わうスイーツなのだ。『もう一度家族を楽しもう』的な。

「去年は頭の上から、ラジコン飛行機でチョコレート、爆弾みたいにばら撒きやがって、今年はなんだ、こいつ」
 拓はからくり人形仕立てのロボットの鼻先に指を突きつけた。
 がぶっ
 途端に、盆を頭の上に掲げたままのロボットが口を開き、拓の指に噛みついた。

 こんなことまでできるのか。宗輔も驚いたが、拓もまわりが腫れた目をますます見開いて、かぶられたままの自分の指を見ている。
「俺の親友はロボット工学の研究者でな、しかも子供好きで、ちび達を喜ばせるアイディアをあれこれ考えてるんだ」
「俺がガキだってのか」
 左目の腫れはまだしばらく残るだろうし、その腫れが引く前にまたこいつはトレーニングを再開し、次の試合に全てを懸ける。いつも鋭い目できつい顔をして、餓えたライオンみたいに獲物を睨み付ける。
 だがそうして拗ねる顔は、結構いけている。
 闘っているお前も悪くないが、たまにはそんな顔を見せてくれ。

 まる二日、抱き合った身体をようやく洗い流した拓が、ソファで新聞を読んでいる宗輔のところへやってきた。宗輔の手から新聞を取り上げ、両脚の間に立ち、ソファに片膝を預ける。そのまま、まだいささか不細工なままの顔を近付けて宗輔の顎を掴んだ思ったら、目を閉じ、唇を重ねてきた。
 狂ったように求め合う時はともかく、キスは照れ臭いと言って、普段はこんな明るい光の中でキスをすることなどない。だから、多分今も同じなのだろう。舌を絡めるのでもなく、ただ唇で触れて、まるでどうしたらいいのか知らない中学生か高校生のように唇で唇を弄っている。
 拓の微かな息が宗輔の唇の上で震える。
 宗輔の唇に触れたまま、拓の唇が躊躇うように閉じられた。
 かすかに、二つの唇の間に距離ができて、吐息だけが絡まりあう。歯磨き粉のミントの香りが鼻先をくすぐっていた。
「どうしたんだ」
「俺、バレンタインとか忘れてて」
 額だけをくっつけたまま、珍しく情けない声で拓が言う。
 宗輔は拓の腰を抱き寄せた。拓は素直に凭れかかってくることはなく、ちょっと逆らうように、宗輔の両肩に手を突っぱねる。そして、ものすごく真剣な声で聞いてきた。
「なんか欲しいものあるか?」

 去年も拓は同じようなことを言っていた。
 だから、去年のホワイトデーには、拓がバイト先で貰ったという鉄材を使って、一昨年拓が持ってきたサンドバッグのために、はんだ付けの資格を持つ友人を連れてきて、一緒に鉄製の頑丈な吊枠を作った。
 拓はここに来たときには、感触を確かめるように叩いている。
 幸いなことに、今のところ、仕事でも、二人の関係でも、宗輔がサンドバッグを叩かなければやってられないような出来事は起こっていない。

 それだけで十分だった。進展もないけれど、壊れることもない。時々、お互いの存在を大事だと思いだす瞬間があったらいいと、今は思っている。
 氷でちゃんと冷やさずに抱き合っていたからちょっと不細工なままのボクサーが何だか妙に愛しくなって、宗輔は拓の頭に手を置いた。
 だから、今はこれだけでいいんだ。
「そうだな、来年のバレンタインも、その次の年も、俺にしょうもないチョコレートの渡し方を考えるチャンスをくれ」

~Fin~


おまけ
サンドバッグを殴りながら拓、ちょっと聞いてみた……
『ところで、あんたってホモだったのか?』
え? 今更聞く?
多分、そうじゃなかったら手出ししてないでしょうに。
拓は自覚なし、たぶん女でもよかったと思うけど、最初に男を経験してしまったので、そっちに流された系。
宗輔の返事など聞いているのかいなのか、ひたすら、矢田からもらった上等の服を切り刻んだぼろを詰め物にしたサンドバッグを打つべし、打つべし、打つべし!


お目汚しで、すみません。
結構、宗輔がいいやつで自分でもびっくりしました。
もう少し、いじわるかと思っていたんですが。

きっと七夕に毛が生えた程度しか会っていないとは思うのですが、無事に続いているようですね。
矢田氏とはどうなっているのか、わかりませんが……
それなりに幸せでよかった……

次回予告(があるってどういうこと?)
クラブシノハラ 意外な転換劇の裏側に密着?
高級菓子を売りにしてきたクラブシノハラが大きく客層を変える戦略。
篠原宗輔氏『やっぱりお菓子は子どもたちのもの』
親友のロボット工学者が語る『宗輔、お前、変わったな。いや、昔のお前に戻ったってのか』
……その後ろに、ちょっとお子ちゃまな恋人ボクサーの影ありか?
なんちゃって。


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Category: Time to Say Goodbye(BL)

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【SS:バレンタイン、キス、氷】 Time to Say Goodbye 

【挑戦:このページはBL絡みの記事につき、苦手な方はご遠慮ください←とはいえ、読んでみたらそれほどでもない、と言われそう。18禁の要素は、逆に情けないことに…ありません(..)】

ブログに時々お邪魔させていただいている、彩色みおさんが出して下さったお題つきSSに挑戦してみました。
私にはちゃんとした?BLが書けないのですが、本当に生き生きと頑張っておられるBL作家志望さんたちの応援団(今のところ団員2人、かのうさん、ありがとうございます!)として頑張ろうと思います。
そう、昔、阪神ファンのファンという先輩がおりましたが、そんな感じです。

ところで、チャレンジしてみたけど、結果的に長すぎ→SSではない、Hシーンがないし甘々でもない→BLとは言い難い、ということで見事!玉砕しました。私、やっぱり書けません……
でも、それでも読んでやろうという奇特な方は、ぜひお願いします。
何でこんなことになっちゃったのかというと、ただ、キスひとつするのに、すごい理由が必要なんです……私の場合。で、ついつい、人物の背景をやたらと書き込みたがるんですね。
そんなのSSではどうでもいいだろ~と思うのに。

えっと、つまり、ボクシングが書きたかったんかい、と思わないでくださいね。
ま、否定はしないんですけど。
『ボックス!』に憧れてるんです。あんなのが書きたい~と。

もちろん、BGMはロッキーでお願いします(#^.^#)

あ、ところで、彩色みおさんの小説『ミッドナイト・ガバメント』が、某出版社さんの入賞作品Webにて公開されています。ちょっと今更何言ってんのよ、って感じですけど。
詳しくはみおさんのブログをぜひ訪ねてあげてください(下の「みおさんのブログ」をクリック)
みおさん、おめでとう!

みおさんのブログ





Time to Say Goodbye
拓medium (イラスト:竜樹さま)感謝m(__)m

 今日こそ全てと訣別する。
 葛城拓(ヒラク)は肩のザックを担ぎなおした。

 高校生の時、クラブの指導者だった赤沢には、もう話を通してある。挨拶に行った時の赤沢ジムの連中の顔には、逃げ出した人間に対する侮蔑の表情が張り付いていた。その中には、当時拓よりも弱かった奴の顔もあった。だが、わずかなファイトマネーだけでこの道に専念しているハングリーな目には、今では拓のはるか前方を歩いている自信が宿っていた。
『セレブ奥様の下の相手してるような奴が、今さらボクシングだなんて、笑わせるよな』
 明らかにそんな声が耳に届いた。
 赤沢も半分は信じていないだろう。口元には、まぁ1週間持つなら考えてやるけど無理だろな、という笑いが浮かんでいた。
『お前、高校のアマチュアの大会で優勝したからって、軽く考えんな。もう4年離れてるんだろ。今の仕事を辞めちまわない方がいいんじゃないか、いつでも戻れるようによ。辞めちまったらなかなか戻れないってのは、よく知ってるだろうが』
 そんなつもりはない。半端な気持ちではないのだ。赤沢は、自分でトレーニングして2か月後に来い、試合を見て考える、と言った。

 その期日が明後日だ。
 あの時だって、辞めたくて辞めたんじゃない、と拓は拳を握りしめた。
 必ず見返してやる。
 もう一度あの世界に戻るためだけに、この2ヶ月、ハードなトレーニングと食事コントロールで身体を作り直した。体重を52kg台後半から49kg台まで落とした。バンダム級の連中相手では戦えないことが分かっていたからだ。アマチュアの時とは階級分けが違うが、もとのフライ級でなければ、とても赤沢に認めさせる試合ができない。

 拓はセレブ御用達のスポーツジム『シャングリラ』の従業員専用入り口に、認証カードをかざした。
 2か月前のこの身体も、体脂肪は5%ほどだった。一般的には十分に引き締まった体で、ジムに通う奥様、会社役員、芸能人達からは素敵だと憧れてもらっていた。165センチメートルという、男としては比較的小柄な体格だが、小顔のために全体のバランスが極めていいと言われるのは、身体が資本の業界では必要な魅力だった。

 パトロンの矢田は、ベッドの上では、もう少し柔らかい体がいいと言ったが、それならもう少し肉付きのいい小姓を探したらいいのだと思う。
『どないしたんや』
 体脂肪率を4%を切るところまで落とした体を、矢田は撫でまわしながら怪訝そうに言った。拓の決心などには気が付いていないのか、それとも何かを感付いていながら知らぬふりをしているのか。

 そして、あの男も。
 拓は頭を振った。
 元々耳が隠れるほどに伸ばしていた髪を、昨日刈り上げるほどに切った。ピアスも2か月前からしていない。
 廊下の途中にある姿見で、拓は自分の顔を確かめた。
 元々目つきが怖い、野生的、などと言われていた顔だが、この2ヶ月でますますとっつきにくい顔になったのかもしれない。今まで営業スマイルを貫いてきたために隠れていた本来の顔が戻ってきたことには、拓自身は満足していた。

「おはようさん、髪、短すぎじゃないの」
 ジムのインストラクター仲間が肩を叩いていく。180センチはある長身で、赤く染めた髪に、エステで磨いている体は、インストラクターというよりもホストの様だ。赤沢ジムの連中が言っていたことはあながち間違いではない。
 セレブ達の下の世話、とまではいかなくても、恋愛ごっこの相手をしている。おかげで、身入りは悪くないし、中にはホストよろしく車やマンションを買ってもらったというインストラクターもいるらしいと聞く。
 拓に関しては、関西系の不動産会社社長がパトロンで、車もマンションもあてがってもらっている、という噂があるために、大きな贈り物をしようとするセレブはいないが、恋愛ごっこの相手は幾人か持っている。
 だが、それも今日で終わりだ。拓が1か月前に退職願を出していることを知っているのは、この『シャングリラ』の社長と銀座店の店長だけだ。何かと騒がれるのは真っ平だったし、店の方では拓の気が変わらないか、期待している節があった。

「明日はバレンタインですわね。お忙しいんでしょ」
「まさか。私は社長室に座っているだけですからね」
 着替えてトレーニングルームに出た途端に、よく響くバリトンの声が鼓膜を捉えた。
 このところ、ふわふわ食感のバームクーヘンで業績を伸ばしている製菓会社の社長、篠原宗輔(シュウスケ)だった。
 そもそもは小さな町の喫茶店で出していたケーキがあまりにも美味いというので話題になり、いくつかの一流ホテルに店を出すようになり、ネット販売を始めた時に日持ちのするバームクーヘンが大当たりしたのだ。もちろん、バレンタインが近くなれば、社長と秘書自ら現地に飛んで確かめたカカオだけで作っているという限定生産のチョコレートも大売れなのだろう。
 長身で、がっしりとした体格、誘うような低い声、甘いマスクにうねる様なウェーヴのかかった髪。毎週末にはジムに現れ、若い女性に囲まれる。元はその小さな喫茶店でケーキを焼いていた、いわゆるパティシエだったというが、確かに細くて綺麗な指をしている。もっとも今は金計算と書類に判を押すばかりで、その指でケーキ作りなどすることはないのだろう。あとは、拓の体を愛撫することくらいだ。いや、あるいはあのご婦人方の幾人かとも、同じようなことをしているに違いない。

 宗輔を取り囲んでいるのは、宝石商の女性社長とその娘、それにあれは某ホテルオーナーの奥様だ。少し離れて様子を見ているのは、この間デビューしたばかりのアイドルに違いない。
 今年32になると言っていた独身貴族の金持ちを、女たちが放っておくわけがない。
「私、クラブシノハラのトリュフを12ダース注文しましたわ。本当に、なかなか手に入らないんですから」
「それは申し訳ありません。うちは契約農場を持たないものですから、その年に基準を満たすカカオがどれだけ手に入るかわからないので、予約されても確約できないのですよ。契約しても、気候や土地の状態によって、その農場がその年に世界最高レベルのカカオを生産してくれる保証はありませんからね」
 ご立派なこだわりだと思うが、チョコレートひとつに千円近くも出すような世界とは、もう関係がない。たとえ、その男の手が先週末まで拓を抱いていたのだとしても。
「チョコレートではあなたの気を引けませんわね」

 ちらりと宗輔の切れ長の目が拓を捉えた。
 この甘い顔で、なかなかハードなセックスを要求する男なのだ。いや、ほとんど拷問に近いこともある。金曜日のレッスンの後、翌日の勤務開始時間が遅いことを知っているのか知らないのか、ほとんど立てなくなるまでやられる。
 まさにやられる、という言葉が適切だ。
 愛している、とか、可愛いよ、とかいう言葉かけは全くなしだ。キスさえも、滅多にしない。突っ込まれているときに興奮して求めることはあっても、愛おしむようなキスなど、もちろんしたことがないし、されたこともない。
 独身貴族を満喫する男だから、女と付き合ったら妊娠とか結婚とか、面倒くさいのだろうと拓は思っていた。
 で、欲望のはけ口が俺ってわけだ。
 そのハードなセックスがこの2ヶ月ほどの間にエスカレートしてきている。おかげでトレーニングに支障の出ることもあったが、この野郎、と思う気持ちが後押ししてくれるので、試合に向けて、気持ちはマックスだった。
 拓は大きく息をつき、わざとらしく目を逸らした。
 どれほど助平で鬼畜な野郎か、ご婦人方にばらしてやりたい。もっとも、ご婦人方の中にも大概な人がいるのだが。

 拓の受け持つスタジオトレーニングは格闘技を取り入れたシェイプアップのエクササイズだった。音楽に合わせながらシャドウを繰り返すような優雅なトレーニングとも今日でお別れだ。
 音楽の代わりに、ミットやサンドバッグを打つ激しく鋭い音が、すでに耳の中で反響している。あの熱い息遣い、飛び散る汗、そして血の匂いまでも、懐かしくてたまらなかった。
 ふと、ガラス張りのスタジオの向こうから視線を感じる。
 宗輔がランニングマシーンで軽快に走りながら、ただこっちを見つめていた。拓もしばらく、むしろ力を入れて見つめ返していた。

 スタジオレッスンの後、予約のあったプライベートレッスンを順番にこなしていきながら、拓は最後の名前にふとスケジュール表の上を滑らせていた指を止めた。
 一体、何の真似だ?
 宗輔は確かにもともと拓のプライベートレッスンの生徒だった。それが1年前、身体の関係を持つようになってからは、パブリックな場所での体の接触を避けたのか、予約を入れてくることはなくなった。別にそのことを宗輔に確かめたことはない。
「篠原さん、プライベートレッスンは久しぶりですね」
 他人の目があったので、何も言わないでトレーニングを始めると変に思われると感じて、当たり障りのないことを言った。
「そうかな」
 宗輔の返事はあっけなかった。
 いくつかのマシンを回る間も、目を合わせられなかった。がっしりとしたいい体格だが、ショルダープレスの時、少し右肩がひきつるように上がるのが癖だった。フランスに留学中、交通事故に遭って、右肩に大怪我を負ったらしく、大きな傷がある。腕を上げるとき、どうしても吊られるように肩が動いてしまう。
 その肩が上がらないように、彼の右肩に手を添えた瞬間、何とも言えない感情が襲いかかってきた。
 意外にも意識をしている自分に、今さらながらに驚く。
 もう決めたことだ。こいつとも今日を限りに別れる。
 ストレッチをする時には、その体に触れてももう何も感じなかった。少なくともそのようにふるまうことができていた、つもりだった。

「本当に辞めるのか」
 12時が過ぎ、ジムの掃除を終え、店長に挨拶に行くと、店長はため息をついて言った。
「はい。1か月前に言った通りです」
「結構、身入り良かったんじゃないの。そんなあてにならないファイトマネーだけで食っていけるのか」
「でも、今持っているのは俺の金じゃないですから」

 大阪の難波にある祖父の代から続いていた小さな喫茶店を受け継いだとき、母にのしかかってきたのは遺産ではなく借金だった。父親は元プロボクサーだったが、パンチドランカーになって認知障害、暴行を繰り返すようになった。母親がその父を刺し殺し、執行猶予が付いたとはいえ犯罪者になって、結果的に喫茶店は地上げ屋に持っていかれてしまった。高校を出て、大学でもボクシングを続けようとしていた拓に、辞めてほしいと泣いてすがった母は、不動産会社社長の矢田の愛人になっていたが、拓が高校を卒業する前に亡くなった。矢田の人脈のおかげで優秀な弁護士が付き、母の裁判が有利に進んだのだが、裁判で言われたような正当防衛などではなかったことを拓は知っていた。
 おそらく、矢田も知っていたのだろう。
 母が亡くなって、今度は拓が矢田の愛人になった。矢田の口利きで『シャングリラ』に勤めるようになり、矢田が満足している限りは、矢田が立て替えたはずの篠原家の借金のことは何も言われなかった。
 矢田は拓の交友関係には無頓着だった。拓に対して、特別に執着心があるわけではないのだろう。それでも、そこから抜け出せるのかどうかは、今もまだわからない。
「わかんないなぁ。何に餓えてんの? せっかくいい暮らししてんのに」
 その言葉を背に、拓は『シャングリラ』を後にした。

 12時を過ぎているから、もうバレンタインだ。
 拓はセレブしか住んでいないというマンションのコンシェルジェに挨拶をして、1012号室を呼び出してもらった。毎週の来客である拓には、すでにコンシェルジェも慣れてくれていた。
 とは言え、拓の背中の手製のサンドバッグと、ごみ袋にはいささか目を見開いている。しかし、さすがに、十分に金を払ってくれる住人の客に対して、失礼な言葉はかけてこなかった。
 そもそもどういう関係と思っているのだろう。ちょっと聞いてみたい気もしたが、それも今日までだから、もう今さらな気がした。

 1012号室の鍵は、例のごとくかかっていない。
 拓はドアを開け、サンドバッグとゴミ袋を担ぎ直す。だだっ広いリビングのドアを開けて、多分優雅にブランディグラスなどを揺らせているはずの宗輔にサンドバックを投げつけようと思ったら、宗輔はそこにはいなかった。
 ふわふわの白い絨毯、ゆったりとしたソファー、アクリルの低いテーブル、酒の棚、柔らかい音楽はサティだ。
 拍子抜けして、そのままリビングにサンドバッグにゴミ袋を放置して、キッチンの方へ移動する。何か、削るような音が小気味よく響いてきていた。

「遅かったな」
 宗輔はアイスピックで氷を丸く、それもかなり小さく丸く、形を整えているように見えた。宗輔の長い指が、器用に小さな氷を扱っている。
 十分いい男だけど、俺も別に男好きってわけでもないし、たとえ乱暴なセックスをする男でなくても、まぁこれが潮時だよな。
「何か飲むか?」
 へえ、そんなお優しい言葉は初めてだ、と拓は思った。
 いつも、こっちの準備ができてようといまいと、お構いなしに突っ込んでくるのだ。おかげで、さすがに拓の方も自分で準備をするという技を覚えた。今日も、『シャングリラ』のシャワールームでしっかり準備をしてきている。明後日の試合に響かせるわけにはいかない。もちろん、朝までやられるのは仕方がないとは思っているから、せめて被害を最小限に留める努力をしているわけだ。

「さっさとやろうぜ。前置きは面倒くさい」
 宗輔はからん、とアイスピックをキッチンテーブルに放り出した。拓の顔を見ないまま、息をひとつついたように見える。
 ご婦人方にはあんなにつらつらと滑らかにしゃべっているのに、拓に対してはまるでその話術が発揮されたためしがない。おかげで、拓の方もそれに慣れて、この男相手に会話など無駄だと思うようになっていた。
 テーブルの上には小さなグラスが置いてあって、宗輔はさっき削っていた氷を放り込むと、そのグラスを持って拓の方へやってきた。そしていきなり腕を摑むとリビングの方へ引っ張り込む。

 結局、いつも同じだよな。
 絨毯に押し倒された形になった拓は、諦め気分で不意にアクリルテーブルの上に宗輔が置いたグラスの光を見つめた。グラスの中に幾つかの氷が、不思議な光を跳ね返している。白、ピンク、オレンジ、琥珀色、そして。
 拓は自分からベルトを外し、ジーンズを下着ごと脱ぎ掛けた。こいつとやる時には、とりあえず下半身さえ脱いだらいいと、そう思っていた。
 その拓の手に、いきなり、宗輔の手が重なる。
 拓は宗輔が自分のものを弄ぶつもりなのだろうと、下半身に目をやったが、その手はただ拓の手を押さえただけだった。

 何だよ、と思って顔を上げた時、宗輔はグラスの中の氷をひとつ取り、ちょっと光にかざすように見つめていた。
 氷の中に、黒っぽいハートのようなものが見えている。
 何だ、と思ったとたん、宗輔がそれを自分の口に放り込み、そのまま拓にかぶさるようにキスをしてきた。
「何す……」
 唇に触れる熱は、宗輔の唇から零れる氷の温度で冷やされ、拓が唇を開きかけると、宗輔も唇をわずかに開いた。
 二人の熱の間に、氷が踊っている。
 溶け出す氷の雫が唇の端からこぼれる。時折、氷と一緒に宗輔の唇が触れる。冷たくて、温かい唇は、氷の先の拓の唇を探しているようにも思える。
 拓は唇と舌で互いを隔てる氷を転がしながら、その冷たさにたまらなくなった。
 その向こうの熱が欲しいと、宗輔の唇から氷を奪い取る。
 氷を自分の舌の上に受け取って、拓はそのまま宗輔の体を抱きしめて、熱い唇と舌と、そのさらに奥にあるものを求めた。
 まだるっこしかった。キスよりも、この身体が欲しい。

 宗輔の手を自分のものへ引き寄せようとしたとき。
「え?」
 口の中にいきなり甘みと、少しの苦みと、それから不思議な温度が広がった。
 その瞬間、拓は初めて宗輔のたまらないほどの笑顔を見た。
「何だよ」
 飲み込んでしまってから、悪態をついてみたが、遅かった。

「いや、久しぶりにクラブシノハラの初代天才パティシエが創作チョコレートを作ってみようかと思ったんだ。温度が難しい」
「温度?」
「チョコレートを氷の中に入るように凍らせて、それから氷の中でチョコレートが偏る位置になるように氷を削る。チョコレートが凍ったままじゃ、口の中で味が広がらないだろ。だから口の中で半分溶かして、それからお前に」
 解説なんかするな、と思って、拓はまた宗輔を引き寄せた。
 宗輔は始めこそ珍しく躊躇っていたようだが、やがて拓の体を強く抱きしめ、時には確かめるように、そして時には強く、そしてまた時に慈しむように唇を合わせ、舌を絡めてきた。
 舌の上に、まだチョコレートの味が甘く残っていた。
 これ、例の最高級のカカオなんだろうか。
 いや、そんなことはどうでもいいや。きっと宗輔が氷の中に閉じ込めた時に、このカカオは最高級のものになったのだろう。
 時折、宗輔の大きな手が拓の短く刈ってしまった髪を撫でる。
 拓は目を閉じた。
 キスの時、目を閉じたのは初めてだった。多分、相手を疑っていて、何をされるか警戒して、キスに溺れていたことがなかった。いや、そもそもキスなど、こんな風にまともにしたことはなかった。
 キスって結構いいものなんだ。
 そんなことを思ったのは初めてだった。大体男同士で愛し合うなんてのは、つまり欲望が満たされればいいわけで、愛だの恋などの感情は別のものだと思っていた。だからキスは余分な手順で、それこそ下半身だけで十分だと思っていたのだ。少なくとも、相手はそうなのだと思っていた。
 そんな無味乾燥な無茶苦茶なセックスをしてきたのに、今夜はただキスだけで十分だなんて、本当にどうかしている。
 聖バレンタインの気まぐれなのかもしれない。いや、どんなおっさんか知らないけど、まさか男同士の初本気キスを応援する破目になろうとは思っていなかったに違いない。

 そのまま絨毯に座って、何故か手をつないでソファに凭れていた。こんなふうに手に触れるのも初めてかもしれなかった。宗輔の手の大きさ、温度も、指の形も、今ようやくはっきりと確かめることができる。
「新手のチョコレートの渡し方だろ」
「意味わからん。なんで急に乙女チックなことするかな。それより、するならさっさとしようぜ」
 どう言えばいいのか分からなくて言ってみたが、さすがに迫力がなかった。
 宗輔にはしっかり照れ隠しに聞こえただろう。
「明後日、試合なんだろ」
 今日は一体、なんなんだ、と思った。
「何で知ってるんだ」
「矢田さんに聞いた」
「何で矢田が知ってるんだ。ていうか、何で矢田を知ってるんだ」
「有名だろ。お前が矢田さんの愛人だって」
「そうか……ってそれもよくわからないんだけど」

 結局、あれこれと空回りしているのは自分だけなのか。
「俺、世の中のことも、俺自身のことも、どうしようもない、仕方がないことばかりだと思ってたから」
「お前の様子がおかしいと思って、矢田さんに会いに行ったんだ。そうしたら、矢田さんが、あいつまたボクシングをやるつもりらしいと。お前が身体絞ってんの見て、気が付かないわけないだろ。親父がパンチドランカーでどうしようもなくなったのに、それだけは母親に頼まれてたのに、だが決心したなら仕方がないってさ」
「何で矢田に会いに行ったんだ」
「お前、無茶苦茶減量して、身体絞ってたからさ、目つきも変わってたから、心配で。いや、つまりお前のことがもっと知りたかったのと、必要なら矢田さんと決闘しようかとか、色々考えて」
「なんだ、それ。俺、別に矢田のものじゃないし。借金の分を体で払ってるくらいなもんで……でもそれも言いわけで、本当はただ、流されるままここまで来ただけだ」
「矢田さんは、お前をボクシングから遠ざけようとしてたんじゃないかな。あの人なりに、お前のことが心配で」
「どうだか。そんな善人じゃないぜ、あのおっさん。商売のやり方もあくどいし」
「そう、人はさ、良いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら良いことをするんだ」
「分かったようなことを言うんだな」
「そりゃ、お前より10年は余分に生きているからな」

 傍で宗輔が頭をソファに預けた。
「でも、多少長く生きてきたからって、どうしていいのか分からないこともあるんだ。この2ヶ月、どうやって切り出そうかと思っていた。ボクシングなんか辞めて、俺の愛人になれ、とか言ってみようかとか」
「で、あんなに乱暴だったのか。もうちょっとやり方考えろよ」
「やかましい。お前があまりにも何考えてるのか分からなかったからだ」
「それ、こっちの台詞だよ。あんた、何にも話さないし。だから、俺、嫌われてるのかと思ってた」
「お前が俺を嫌ってんたんじゃないのか」
「そうなのかな。今日は何が何だかもうよく分からない」
 混乱してしまっているのだ。
 でも、と拓は続けた。
「嫌いなら、ここに来てなかったんだろうな。あんなに酷い扱いされてたんだし」

 不意に、宗輔の腕が拓の頭を抱きしめた。強い、大きな手だった。
「やめろって言ったらやめるか」
「やめない」
「……だろうな」
「俺は優しい親父をあんなふうにしたボクシングに復讐してやりたいんだ……あんなになったからって親父を刺し殺した母親にも復讐してやりたい。そう思ってたんだけど……でも、何だか、今分かった気がする」
「何が」
「ボクシングが好きなんだ。サンドバックを叩く刺すような音、ストレートが相手をぶちのめすまでのわずかな時間に空を切る音、目が腫れちまって血の中で何にも見えなくなっても、相手の息遣いを追いかけながら、ゴングが鳴るまで闘い続けるのが。親父が試合に勝ったとき、俺を肩車してくれて、あの時リングの上から見たあの景色が」

 宗輔は長い時間、黙っていた。そして、今度はもう一度拓の頭を抱きしめ、それからそっと離した。
「わかった。じゃあ、俺はここから黙ってお前を見守っている」
「そこ、俺もまたパティシエとして新作にチャレンジするよ、とか言う場面じゃないのか」
「馬鹿、もう俺にはそんな若さも才能もないよ」
 顎で示された先、アクリルテーブルの上では、氷が溶けた水の中で、色々な種類のチョコレートが間の抜けた感じで沈んだり浮かんだりしている。
「それに、経営が面白いんだ。今にクラブシノハラをもっとでかくしてやる。そう思っている。ま、お前のためにまたしょうもないチョコレートの渡し方は考えてやってもいいけど。それより、お前、これ何なんだ」
 宗輔が絨毯の上に放り出されたサンドバッグとゴミ袋を指す。

 改めて見ると、何だか俺ってバカっぽい、と思った。
「え……っと、つまり、バレンタインプレゼントだ。菓子屋にチョコレート渡すの、バカだろ。その、普段の俺へのやり方見てて、あんたはサンドバッグが必要なのかと思って。俺と別れた後、殴るものがいるかな、と。で、殴っているうちに中の詰め物が減ってくるから、後から足す詰め物もいるかと……それ、矢田からもらった上等のコートとかスーツとか、切り刻んだぼろなんだ。もういらないし」
 宗輔が呆れたような顔になったが、意外にもまともなことを言った。
「サンドバッグ吊るための枠は? 頑丈なものがいるだろ」
 確かに、そこまでは考えていなかった。サンドバッグだけ渡されても、どうやってつりさげるかのほうがはるかに問題だ。
「じゃ、とりあえず、蹴っとけよ」
 宗輔は笑いをかみ殺すようにして、拓の短い髪になった頭を撫でた。
 こいつ、意外に笑うんだ。知らなかった。
「しばらくサンドバッグは使うことはないさ。プロになって賞金稼いで、いつかお前がこのごついサンドバッグの吊枠を買ってくれ。そのうち、俺にも本当に殴らずにはいられない時がくるかもしれないからな」
「自分で買えよ。金持ちのくせに」
「お前が責任とれ。俺の気持ちをさんざん惑わせたんだからな」

 どっちがだよ、と思ったけれど、何だか今夜は喧嘩を売っても買ってもらえないようだった。
 それに、今は何となく気分がよかった。いつの間にか二人の間にある距離が愛しくて、絨毯に置いた手に手が重なる。長い時間、手と手をただ重ね合わせ、重ね合わせていることを忘れるほど時を過ごした。
 時々、お互いの手の温もりを思い出すのだが、わざと忘れているかのように心を鎮め、いつか離さなければならない手だと知りながらも、この一瞬が続いてくれるようにと思った。
 もうどれくらいの時間がたったのかもわからなくなってから、宗輔がぽつりと言った。
「言いそびれてたけど、その髪、似合うよ」
 バリトンの声が耳に心地よかった。心地よいだけに、この声を聞いていてはいけないとも思った。

 トレーニングに入ったら、きっとしばらくは会えないだろう。
 いや、まずは明後日の試合に勝ちたい。赤沢とジムの連中に、葛城拓が本気であることを見せたい。
 そして4年間のブランクを埋めなければならない。誰かに甘えたらそこまでになってしまう。今までのように流されるのではなく、今度こそ自分の手で何かを掴み取りたい。
 そしてそれが分かっているに違いない宗輔は、ただ重ねた手をそのままに何も言わなかった。
 それでも、口の中に、あの冷たい氷の感触と、甘いチョコレートの味と、そして熱い宗輔の舌の感触が、いつまでもいつまでも残っていて、今はただそれを忘れたくないと願っていた。




あぁ、だめだ。私って、本当に、あまのじゃく。
これって別れ話なのかも……しかも、ますますこのブログのジャンルが不明になってきた…

しかも出来上がってみたら、ただのボクシング馬鹿の話。
書く前に頭ん中にあるときは、もう氷でキスのシーンがでーん、と。
で、出来上がったら、キスシーンはちーん、と、小さく収まっているだけ。
休みの日はこれに没頭する!と決心して(石旅行を断念し…ただ渋滞が嫌だっただけだけど)頑張ったのですが。

人生2作目のBLにするぞ、と思ったんですけど、ほんとに難しいなぁ。
(1作目は……友人の許可があれば、いつか、お目にかかるかも…でもそれを書いて、私は玉砕しました。私には無理だわ……と)

しかも、宗輔ときたら、まるでみおさんちの暁さんみたいなこと言ってるし。
お前のことが知りたいとか、何とかかんとか。
いけません、また直前に読んだお話に流されてしまった……
みおさん、ごめんなさい。
ついつい、みおさんと、ヘタレ攻め好きが似ていたために……

そういえば、昔、トルストイの『戦争と平和』を読んだとき、大変なことになっていました。
思えばあの時、ヴォルテラの家(ローマ教皇の背後組織)の仕組みが出来上がったのであった。
あのころの作品、ヨーロッパ風大河ドラマでしたから……

なお、本当にチョコレートでこんな氷詰ができるのか、確認していません。
キスでうまく溶けるのかも、もちろんわかりません(^^)
妄想ですから。

これを考えた時、ベースにあったのは、敬愛するO・ヘンリーの『賢者の贈り物』
でも、「相手を思うあまり、お互いに身を切る」まではいかなかった。
現代風にしたら、せいぜいこんなところでしょうか。
贈り物が割と役立たずってところだけ一緒^^;

ついでに、男が二人出てくると、どうしても組合せパターンがこうなってしまう。
ずいぶん年下のくせに生意気で一筋縄ではいかない、はっきり言って性格も可愛くない受け
態度は偉そうで社会的立場も立派だけど、どこか情けないところがある、いささかヘタレな攻め

という感じでしょうか。
BL書いたことないので、表現が正しいのかどうか、わかりませんが……

しかし、本当に、SSって難しいですね。
一体何をどこまで書けばいいのか。
これまで皆さんが書かれたSSは、余計なことをさらりと流して、それでも物語の完成度とか世界はちゃんとできていて、ものすごく勉強になったんですけど、いざ自分が書くと、学んだことが役立っていない……(>_<)
いや、なによりBLが難しい。
みおさんのBL論読ませていただいて、なるほど、そうなのか!と思って、目から鱗だったんですけど……

自分の書いているものの所属するジャンルが分からなくて、結構困ったりしていました。
で、帰属先を考えて、さまよったのですが……
はっきり言えているのは、『長い』『物語は何でもミステリーが信条』という2点のみ。

ということで、やはりジャンルは『長編小説』?
でも、ジャンル分けって本当に難しいですね。
この間も、どなた様かのブログを訪ねさせていただいて、みなさん、同じようなことで悩んでおられるんだなぁ、と。でも探すほうは、キーワードがないと探せないし……

かのうさまにも、男二人が出てきて、できてたらBLでいいんじゃないの、と爽やかに力強く言い切っていただきましたが、そういう意味では、うちの二人(真と竹流)はできている、とも言えるので、BL?
お伽噺(人魚姫)をベースにした大河風ミステリー的BL
でも、本筋が恋愛じゃないところが痛い。
しかも、最も問題なのは、女性と絡むほうがはるかに多い……
女性の登場人物もやたらと多い……(しかも、たいがい強い…?)

参考までに
パンチドランカーというのは、頭を殴られたりしているうちに脳に障害が起こってしまった人で、頭痛を認めたり、認知障害、酷いときには人格障害を引き起こしてしまいます。
通っているボクシングジムでお会いした、あるプロ(っても色々な方がおられます)の人が言ってました……
本当にぼわーってしょっちゅう脳震盪みたいになるんだって。
それって、どうなんだろう。医学的には、本当はよくないですよね。
で、プロになれるのは32歳までと決まっています。
ちなみに突然の脳出血などは40歳代から増えます。
本当に、プロボクサーの方々には体を大事にして、頑張ってほしいです。

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Category: Time to Say Goodbye(BL)

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心機一転! カテゴリ追加 

拓

注:このカテゴリはBL・18禁要素が含まれます。苦手な方は引き返してくださいね。
  でも、あまり迫力?はありませんので、逆に期待もしないでください…(..)


彩色みおさん(BL作家に五里霧中!)ご企画のSSにチャレンジさせていただいて生まれた二人の物語を、独立カテゴリにしました。
きっかけは…な、なんと!
竜樹さんが拓(Hiraku)のイラストを描いてくださったんです!
それが上の素敵なイラスト。竜樹さんのご許可をいただきましたので、貼らせていただきました。
本当にありがとうございますm(__)m 竜樹さんのブログはこちら→萌えろ!不女子(click)

感謝感激雨嵐!です。
ちょっとびっくりして、で、興奮して、嬉しくて、でもどうしたらいいのかしら、と思いながらじたばたして。
取りあえず独立カテゴリにしよう!ということにしました。
そして、頑張って続きを書いて、お礼にしたいと思います。
(同窓会が終わったら…(>_<))
もう、妄想は2作先まで走っているのですが……実は、Hシーンがない…
あんまり得意ではないのですが、何とかねじ込みます!
お楽しみに!!

ちなみに本来はSSなのに、やたらと長くて、しょっぱなからSSではありませんm(__)m
かといって、あらすじ、というような上等なものもありません。
おおざっぱに言うと、高級菓子製造会社の社長・篠原宗輔(Shinohara Shusuke)とボクサー・葛城拓(Katsuragi Hiraku)の恋物語?
ということにしておこう。
第3作目からは、お茶の水博士と拓が呼ぶ、ロボット工学者・斎田アトムも登場予定。年寄りではなく、宗輔の親友。
気楽に、読み始めてやってください。

勢いで誕生したふたりですが、たまには私もHappy Endにしてやろうという親心を持ちました。
(キャンディ・キャンディの呪縛から逃れて…参考→【物語を遊ぼう】7
いえ、不幸にしてやろうなんて思っているわけではありません。
でも何だか苦しんでいる本編の二人を書いていると、たまには…ね。

ちなみに、葛城、という名字、本編にも出てきます。
葛城昇……新宿2丁目のゲイバーの妖艶な店長。竹流が信用している仕事仲間の一人。
ま、時代が違うのですが、もしかして、姪の子ども、程度の親戚だったりして。

一応BLの仲間に入れてください。
でも、正直、あまり恋愛度は高くないかも。
萌え度も低いかも。
18禁シーンなんて、本当に色気がないかも。

でも、変な萌えはあるかも?
(焼肉とエッチ、とか)

ということで【小ネタ出し】から引っ越ししました。
本編のようにのんべんだらりと長くならないよう、SSではないけど、MMくらいのサイズまでで、頑張りたと思います。
改めまして、よろしくお願いします(#^.^#)

Category: Time to Say Goodbye(BL)

Tag: * 
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☂[13] 第1章 同居人の留守 (13)(改)(『それっぽい』) 

「私が奢ってあげましょうか」
 どこか男を挑発するような顔つきなのに、この女の中にはアンバランスさが見て取れた。それが何なのか、今の真には興味がなかった。
「食事をする相手を探しているわけじゃない」
「ベッドを共にする相手?」

 真は思わず女を睨み付けた。
「どっちかというと抱き締めて可愛がってくれる相手よね」
 女のほうも挑戦的な目で真を見つめる。真が返事をしないままでいると、女はさらに続けた。
「心中するんじゃないかと人に思われるほど好きになった女がいたのに、今はあんなおっかない女と付き合っていて、しかも本当は留守をしている恋人が恋しくて仕方がないってわけでしょ」
「恋人ではない」
「あらそう? でも街ではすっかりそう思わせておいて放っているじゃない。雑誌にまで派手に書かれちゃって」
「単なる誤解だ」
「言い訳してないじゃない?」

 それはその通りだった。
 だがそれは妙な趣味を持っている連中への牽制と、そしてたまには同情や同族意識を引くためと、あの男が自分の『恋人』と思われていればある種類の人間たちに仕事上での威圧になるからでもあった。
 同居人のほうもわざとなのか、その噂を否定さえしない。あんな雑誌のインタビューであってもだ。

 真はライフル銃を田安に返して、放り出していた上着を取った。
 内ポケットから煙草を出してきて咥えると、女は何を思ったのかそれに火をつけてくれた。火をつけてもらう程度のことを拒否する理由もないので、そのまま新鮮なニコチンを吸い込む。
 ふと近くに来た女を見ると、何か特殊な気配を感じた。
 口で生意気を言うほどには敵意のないことを示したいような、そういう視線に思えた。

「まぁまぁ、上でバーボンでもどうだ?」
 面白そうにやり取りを見ていた田安が真と女を窘めて促した。
 真は煙草を咥えたままそれについて行き、女も後に続いた。
 地下から上る階段はバーのカウンターの裏の足元に出る。ちょっと見れば食品庫のような出入り口だった。真と女はカウンターの外側に廻り、背の高い椅子を間にひとつ空けて座った。

 倉庫のような造りで天井が高い店の中には、大きくはないがドラムセットとグランドピアノを置いて、他にベースや管楽器が多少持ち込まれても問題のないくらいの大きさのステージがあり、フロアには無秩序にテーブルが十ばかり散らばっている。カウンターはL字になっていてやはり十数人は座ることができた。

 バーはまだ開店前で、こういう店には似合わない明るい照明に包まれていたが、すぐに田安は灯りを落とした。瞬間に、どこか間が抜けたような白々しさは消え去り、空間が秘密めいた匂いを纏い、心の奥を吐き出したい気分を盛り上げてくれる。

「あまり意地悪を言わずに、素直に探偵さんに頼み事をしたほうがいいぞ」
 バーボンを、彼女の方には濃い目に、真には薄めに作って、田安はカウンターにグラスを並べ、すっとそれぞれのほうへ滑らせた。器用で、隙のない動きだ。

「もっと汚らしいトレンチコートでも着て、女好きで、ウィスキーはダブル、ニコチン臭くて、胃薬なんか飲んでる、それっぽい探偵でないと、頼みごとを言い出しにくいか」

 田安は時々、真があまりにも『探偵』ぽくないことをからかう。
 真はほとんど水に近いバーボンを半分くらい飲む。女はまだ黙っている。真は煙草に火をつけ、しばらく黙ってふかしていた。
 随分と間をおいてから、女が呟くように言う。

「別に、頼み事なんて」
 煙草の灰を灰皿に落としかけて真がふと女を見ると、女は少し肩を竦めるように視線をバーボンに落としていた。
「俺と話をしているときとは、もっと素直なのにな。それではまるで好きな子を苛める小学生だ」

 何を言うのよ、という顔で女が田安を睨んだ。田安はちょっと優しげに笑んで真に目配せを送った。
 怪しい老人だが、面倒見がいいところもある。
「この娘はこういう物言いしかできないが、まぁ悪気があってのことじゃない。お前さんに頼みがあるんだよ」

 頼みがある人間がそういう物言いをするか、と真は思ったが、煙草の火をつけてくれた瞬間の視線は確かに嫌味ではなかった。
「頼みって事じゃないけど」
「言えよ」
 真が心して優しげな声で言ったからか、女はちょっと真と視線を合わせてから俯いた。

「志穂ちゃん」
 田安は促すように声を掛けてから、店の看板に明かりを灯しに表に出て行った。
 志穂という名前なのか、と妙に感慨深く思っていると、彼女は例のごとく勝気な表情で真を見つめた。

「あなたが付き合ってる女」
 真は彼女を見つめ返した。
「香野深雪が、誰の女か知ってるんでしょ」
「どういう意味だ?」
「澤田代議士。一応自民党だけど、半分無所属みたいな男」

 真は彼女の言いたいことを探るように、その勝気な瞳と形のよい扇情的とも言える厚めの唇を見つめていた。
「あの男のことを調べてるの」
「仕事か」
「まぁね。でも私が知りたいのは表に出てくる澤田のことじゃない。あの男の過去を知りたいの。というよりも、その過去と繋がっている今のあの男のこと。香野深雪はあなたに寝物語でも何か話さないの?」
「まさか。大体何の話だ?」
「あなた、澤田が提供しているって噂の、香野深雪の住まいになっているホテルに堂々と出入りしているじゃない? 澤田がそれを許してくれているなんて思ってるの?」

 いつの間にか田安がカウンターのうちに戻って彼らの会話を聞いていた。
 話が単なる仕事の依頼ではなく、自分の身に直接関わりのあることだったので、真の方も冷静に田安の気配を窺っていたわけではなかったが、何となく田安もこの会話の内容に興味を抱いているような気がした。
 田安はこの女の頼み事の内容は知らなかったのかもしれない。
 あの長い眉毛の向こうの目が注意深く何かを窺っているように思えた。

「もしもそうだとして、今更澤田代議士が俺をどうこうしようなんて思わないだろう。大体そういう気ならとっくに何か言ってきているはずだ」
「あなたの価値を知れば、別でしょうけど」
「俺の価値?」
 真は女を見つめ、それから思わず田安の方を見た。
 田安も黙って真を見ていた。だが、田安の表情からは相変わらず何も読み取れない。

 真はもう一度女のほうに視線を戻した。
「それで、君は澤田代議士をどうしようと言うんだ? 政治家としての失脚が目的か?」
「ただ本当のことを知りたいの」
「本当のこと? 仕事ではないのか」
「香野深雪に聞いてみて。澤田がどういう男か知ってるのかって」
「言っておくが、彼女は俺にそういうことは話さない。単に店の客というだけだ」

「じゃあ、あなたは彼女に一回いくら払ってるの?」
 真は今までそういう単純な話に思い至らなかったこと自体に、自分でも驚いた。

 深雪とこれほどに肌を合わせても、金銭的なやり取りをしたことはない。ましてや抱き合う場所についても、たまに深雪が面白がってラブホテルに行こうと言う時以外、真が財布を出す事もない。
「あんな怪しい女が単に好き嫌いであなたと寝ると思ってる? しかもあなたとのセックスがどんなに良くても、それだけで関係を続けることなんてあり得ないわよ」

 身体の相性がいいからだと思っていたが、確かに深雪に何かを確かめたことなど一度もなかった。
 だが、男と女の間のことだ。愛じゃなくても身体が離れられないようなことだってあると、この目の前の生意気な女に言ってやりたい気がした。
「彼女とのことは個人的なことだ。悪いが、そういうことなら頼まれても協力はできない。それに澤田代議士が俺に何かを要求してきたことも接触してきたこともない。筋違いだ」

 真は黙ったままの楢崎志穂の突き刺さるような視線を感じながら、薄いバーボンを口にした。
 薄いはずのバーボンが舌に突き刺さるような気がした。





以下、コラム畳んでいます。
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☂[12] 第1章 同居人の留守 (12)(改) 

 長いと思われた一ヶ月の半分以上は過ぎようとしていた。

 あの日以来、何となく気恥ずかしいのと後ろめたいのとで、深雪にも会っていなかった。
 大体、たった一人の例外を除けば、他人と同じベッドにいて眠れたことのない真に、同居人が留守だからといって他の女性と夜を共にしたところで落ち着けるはずもなかった。
 そう思うと、左隣がどうとか言わずに、とにかく耐えるほうがましに思えた。

 時間のつぶし方はそれほど難しいことではなかった。

 共同経営者の柏木美和は、恋人である北条仁がタイに出張しているので夜は暇だったらしく、彼女と必ずひっついてくる宝田三郎と、最近ほとんど事務所に入り浸るようになった元不良少年で少年院上がりの高遠賢二とが、真の心の内を知ってか知らずか、しばしば真の夕食に同伴した。
 時には北条の親爺さん、つまり任侠一家の親分が碁の相手をしてくれといって事務所に電話をかけてきて、食事を振舞われることもあった。

 その上、誰が何を言ったのか、たまには食事でもどうだといって、名瀬弁護士や、真の不整脈の主治医で、脳外科医の伯父の親友だった斎藤医師や、以前に勤めていた唐沢調査事務所の先輩の三上司朗までが電話をかけてきた。
 美和が言ったのかも知れないと思ったが、名瀬はともかく、斎藤や三上の連絡先を美和が知っているとは思いがたかった。そうなると考えられることはひとつだった。出掛ける前に同居人が知らせていったのだろう。妙な気の回し方に、有難いと思うより何となく腹が立ってきた。

 真は食い込むような重みを肩に受け止めて、前方を睨みつけていた。その視界の中央に、黒い人影が起き上がってくる。
 実際のスピードはかなりのものだったはずだが、集中すると、的が立ち上がる時間は、その何倍も引き伸ばされて感じる。
 ライフルを構えると指は勝手に反応した。ずん、と身体に、多分心臓の真ん中に重い振動が伝わってくる。
 弾丸は視界の中心を裂いて、そのまま的のど真ん中に突き刺さった。

 真は自分でもかなり動体視力がいいと思う時がある。おそらく、子どもの頃から祖父の手加減のない剣道の相手をさせられていたからで、いつからか、相手が打ち込んでくる瞬間には、その動きがスローモーションのように感じられるようになっていた。

「そりゃあ、お前さん、有難いと思うべきだろう」
 三度ばかり、お見事、というように両手を叩いてからイヤプロテクターを外し、火をつけたパイプを美味そうに燻らせて、ほとんど白髪の老人は面白そうに言った。

 真は今でもこの老人に初めて会ったときの事を鮮明に覚えている。
 真が大学を中退したとき雇ってくれたのは、ある縁があってそれまで時々バイトに行っていた調査事務所の唐沢所長だった。
 かなり胡散臭い男で、実際、自分の事務所に爆弾を仕掛けた保険金詐欺を企んで、今刑務所に入っている。

 この老人はその唐沢所長の古くからの知り合いらしく、胡散臭いといえば所長以上だったかもしれない。しかし、どこかに人懐こい気配を持っていて、風変わりな容貌にも関わらず人を惹きつけた。
 田安隆三という名前のこの老人は白髪を肩まで伸ばしていて、大概ニットの帽子を被っていた。
 白く長い眉毛は小さな鋭い目を隠して、そこに宿る細々とした複雑な人生の来し方を見せまいとする。この老人なりの基準で整えられた長めの顎鬚も、まるで口元の何かを隠すようだ。大柄ではなく、どこかすばしこそうな気配を醸し出していて、なぜか蜥蜴を思い起こさせる。
 いつもパイプを燻らせている風変わりな老人で、どういう経歴の人物か、今でも真にはよく解らなかった。

 初めて会ったとき、この年齢不詳の老人は真を値踏みするような目で上から下まで見つめ、アサクラタケシのねぇ、と呟いた。

 あの時、真の身体の芯は、思い出してはいけない記憶を引きずり出してきて震え始めた。
 久しぶりに意識を失うのではないかと思った。
 だが、それ以来、田安隆三は、真がただ一度尋ねたときを別にして、その男の名前を真の前であえて口にしたことはない。

 田安が経営しているジャズバーは東京湾の近くで、客の半分以上は外国人だった。田安はその店の二階に住んでいたが、そこは本とレコードと変な骨董のようなもので溢れた部屋で、田安は生活しているというよりもただそこに存在しているという感じだった。

 今彼らがいるのは、そのジャズバーの地下の部屋だった。田安のほかに女が一人、一緒にいる。

「それで、その食事の誘いが鬱陶しくて、ここに逃げてきたわけだな」

 確かにそういう側面はあった。人と食事を共にすることは、それが比較的よく知った相手でも気を使うものだった。名瀬弁護士はいい親爺のようだが、エリート街道を歩んできた人間で、気が置けない相手とは言いがたい。斎藤医師は伯父が失踪した後、真と葉子の保護者を自任していた一人で、昔から自分たちを知っているが、逆に知られていることで甘える相手にはならなかった。三上司朗は良い兄貴分だったが、事務所の爆破事故で下半身不随になり車椅子の生活を続けていて、ある部分では責任を感じている真にとって、彼が優しく接してくれればくれるほど罪悪感を覚える相手でもあった。ましてや、任侠の親分と楽しく食事というわけにはいかない。

「あら、じゃあ私と行きましょうよ」
 綺麗な脚を持った派手な顔つきの若い女は、その脚を見せ付けるような短いスカートをはいている。
 あまり手を入れているとは思えない短い髪と化粧気のない顔だが、もとの作りが派手なのか、十分男心をくすぐるタイプだった。目は化粧なしではっきりするほどに大きく、唇はたっぷりと水を含んでいるように艶やかに存在を主張しているが、小振りの輪郭の中に上手く納まっていた。
 声に尋常ではない色気があるのだが、態度が素っ気ないことが勿体なく感じられる。

 どういう関係かは知らないが、田安のところにしばしば出入りしている。週刊誌の記者だと聞いているが、本当かどうか確かめたこともない。楢崎という苗字だけは知っていたが、ここで会う以外に接点もなかった。もっとも、田安がこの地下室に出入りを許しているということは、それなりの事情があるはずだった。

 真は外したイヤプロテクターをカウンターの上に置いた。
 完全に法に触れていることは知っているが、ここに来て銃を撃っていると、その瞬間には何かを忘れていられた。

 真が小さい頃、唯一の友人だったアイヌ人の老人は、よく熊の話をしてくれた。
 彼らが熊を撃ち、熊に感謝し、それを食らい、その皮を取り、魂を天に返す儀式の全てが、真には生きることと思われた。銃を握るということはそういうことだと思っていた。
 実際に祖父の長一郎は猟銃の免許を持っていて、時には狩りもする。
 もともとマタギとも暮らしたことがあり、その腕前は相当なものだと聞かされたことがあるし、熊が人里に出てきた時にはいつも借り出されているのを知っている。
 だが、それはあくまでも特殊な事情のあることだ。

 感謝し食うためでもないのに、これで人を撃ったり殺したりするのはあり得ないことだと思っている。
 だが、撃った瞬間に自分の身体に響く重い振動は、時折それだけで生きていることを実感させる衝撃となった。

 そもそもこの怪しい老人が何故自分をこの地下室に誘い銃の扱いを教えたのか、真は未だに聞いたこともないし、聞いたとしても田安が答えるとは思えない。

『こういう世界をどう思う?』

 尋ねられたとき、真は理解したくないと答えた。今でもそれは変わらないが、この衝撃を感じている瞬間だけ、自分の血の中のある一部が熱くなるのを感じる。
 だが、これが父と繋がっているからだとは、まだ認められないでいる。

 教えて欲しいと言ったとき、田安は、知らないほうがいいこともあると思わないかと答えた。
 真が逡巡していると、田安はパイプの煙を吐き出して、静かに言った。

『アサクラタケシ。アメリカの国家が飼っているスナイパーだ。多分、世界中で数えても片手のうちに入る腕の持ち主だ。仕事をしくじったことは一度もない、冷徹に淡々と仕事をこなしている。俺はあの男の親分を知っているがな、あの男には感情の起伏がないのか、あるいは極めて平坦なのだと言っていたよ。だからアメリカはあの男を手離さない。極めて精巧で、これ以上を望めないほどの道具だからだ。万が一にも敵の手に落ちることがあってはならないから、最後まで飼い殺す気だ』

 田安はその時慈しむような目で真を見た。
『坊主、その男がお前の父親の相川武史かどうか、それはわからん。確かにお前さんはいい腕を持っている。だが、お前の祖父さんは猟銃を扱うだろう。それも半端じゃない腕と聞いたぞ。お前が引いているのはその血かもしれない。人間がひとつの動物として生きていくために必要とした道具を扱う腕だ』

 真は自分の手を見つめた。もしかして真もまた銃の扱いに関していい腕を持っているのだとして、こんな技能が何の役にも立たないことを分かっているし、それを万が一にも行使するような場面には出会いたくないと思っている。だが、これが父の生業なら、せめて何かを理解したいと願っているのだろうか。

 真は、自分はあの父親に捨てられたのだと改めて思った。
 それなのにその男を理解する必要がどこにあるのだろう。


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【物語を遊ぼう】7.竹宮恵子『ジルベスターの星から』 

私の漫画遍歴はどちらかというと貧弱なのですが、その中で竹宮恵子さんには大きな影響を受けたような気がします。
もちろん、あの時代(!)ですから、萩尾望都さん池田理代子さんなど、そうそうたる大作家さんがおられて、どの作家さんにも強い影響を受けているのですが……
そもそも私たちの世代、日本の歴史は大河ドラマ、世界の歴史は漫画で学んだわけですし。

それはともかく、思えば、事の起こりは『キャンディ・キャンディ』ですよ!
私の『そう簡単に物事はうまくいかない感覚』の根源は。
なかよし、なんて可愛らしい少女漫画の本に連載されていて、目もおっきくてキラキラ、いかにも少女漫画という顔をしていながら、中身と言えば、相手役の男の子はすぐ死んじゃうわ、喧嘩しながらもやっと気持ちの通じあった恋人は他の女にもっていかれるわ(しかもその女も結局は悪い人間じゃないところがつらい、しかもラストのほうで!)、結果的には老人と思っていたあしながおじさんが結構若かったという下りで、ま、いずれくっつくんだろうと予測されて終わるわけだけど……
読んでいる小学生はやっぱりテリーとのHappy Endを望んでいたはずなのに!
……幼心にびっくりした展開だった。
ただ、あの時、物語って面白い、と思ったのも事実。やられた!って感覚かもしれません。

そして、さらに追い打ちをかけたのが、マジンガーZ(アニメですが)。
最終回、負けて終わってしまった。
あれはいったい何だったのだろう。最後の最後に正義が勝つとは限らない!って話?
しかも、続きで出てきた新しい主人公がどうにもいけすかない。

今でこそ仮面ライダーもロボットものも複雑で、敵も味方もそれぞれ事情があるってのは当たり前になってるけど、あの頃、ちょっと子供心に傷ついたりしました。
でも、あの頃、確かに暗いアニメは多かった。
キャシャーン、デビルマン、などなど。でもそれは設定の暗さであって、最終回にいきなり負けるのはどうかと思う。

さて、また脇道でしたが、竹宮恵子さんのこと
実は、握手してもらったことがある唯一の漫画家さんなんです。
サイン会に行って、登場人物のマスコットを作って持って行って、けなげなファンでした。
だれのマスコットだったか……それは私の大好きな漫画『変奏曲』のエドアルドくんだったはず。

一番好きな作品は、と聞かれたら、二つで迷うけれど…『変奏曲』『地球へ…』と一応答えている。
もちろん、本当に好きなんですけど…
でも、最も好きな作品は多分、だれも知らない、あるいは覚えていないかもしれない短編なのです。

『風と木の歌』であの当時、漫画界に嵐を巻き起こしたと言っても過言じゃない竹宮さんですが、実は竹宮さんの本領が発揮されるのはコメディじゃないかと今も思っている。
それは、しばらく漫画から離れていた私が、ものすごく久しぶりに竹宮さんの漫画を手に取って、本当に面白いと思ったのは『私を月まで連れてって!』で、これを読んだとき、これこそ竹宮恵子さんだわ、と思った。
ユーモアのセンスが抜群。こじゃれたユーモア。
もしかして、私の中で『変奏曲』も『地球へ…』も抜いたかも、と思いました。
これは本当におすすめ。

さて、私の愛する短編をご紹介します。
この間、アマゾンで検索しました。
もう売ってないんじゃないかと。
そうしたら短編集の中にありました。

『ジルベスターの星から』
ジルベスター(これは私の持っている古い本)

演劇部だった私は、実はこれを何とか舞台でやりたいと思った。
(しかし実現しなかった。宇宙戦艦ヤマトと赤川次郎さんの作品はやったんだけど…それにしてもなんて画期的な中学生だったんでしょうか! 30年ほど前? え? いやはや、自由な学校だった)
でも、この世界がとても愛しく思えて、そのまま大事においておくことにした。

今でも、読むと、そこはかとなく心が温かくなる。

放射能で汚染され、ドームの外には出られない未来の地球。
宇宙パイロットになる夢を持った少年、アロウのもとに幽霊のような少女とも少年ともつかない子ども(ジル)が現れる。それは遠い星、ジルベスターから送られてきたテレパシーが作った映像。
その辺境にある星は、汚染された地球から移民団が移り住んだ星なのです。
ジルはアロウに、ジルベスターがどんなに素敵な星か、どれほど夢のある場所か、そしてラベンダーの空がどれほどに美しいか、話して聞かせる。
時には意見が合わないこともあったけれど、語り合いながら夢を紡いでいったのです。
いつかジルベスターを見たい、その気持ちがアロウを動かし、優秀なパイロットになった彼は、周囲が進めるエリートへの道を断ってでも辺境の星ジルベスターへ行きたいと願う。
しかしある時、依頼していた調査の返事が返ってくる。
ジルベスターでは宇宙線の影響で子どもが育たず、10歳前後で死んでしまう、移民は失敗だったと。
ジルはそこにいるのになぜ。
どうしてもこのままにしておくことはできない。この目で確かめなくては。
アロウは、恋人を置いて、ついに辺境の土地、ジルベスターへ旅立った!
そこでアロウが見たものは、荒廃した灰色の土地、まったく人の姿もない枯れた土地、白い墓碑。
いったいジルはどこに……
そして、アロウの恋人、ヴェガの驚きの行動とは!

古い漫画なのでネタバレしてもいいのかしら。
でも、読んでほしいです。たった50Pに込められた本当に深く美しい物語。
短い中に出てくる登場人物の魅力的なこと、そして何より、描かれた世界の美しさ。
物語って、美しいことが大事なんだと思わせてくれる。
『美しい』って使い古された言葉だけど、ある時、村下孝蔵さんの故郷を歌った『夕焼けの町』を聞いて、あぁ『美しい』ってなんて素晴らしい言葉かと思った。
素直に使うと、そして心を込めて語ると、本当に伝わる言葉だと。
修飾語で飾り立てなくても、心を込めて、そのまま言えばいい。

背景に流れているリルケの詩が心に触れます。

だれがわたしにいえるだろう
わたしのいのちがどこまで届くかを……


竹宮恵子さんは、私にクラシック音楽の素晴らしさを、そしてロルカやリルケ、ヴェルレーヌの詩の美しさを教えてくださった漫画家さんです。
この切り取られた詩の数行が、本当に物語の中を泳ぐように流れている。

もしかしていつかチャンスがあれば、やっぱり私はこの物語を三次元の映像で見たいと思うのです。
映画? あるいは舞台? それとももっと違う何か。
いえ、やっぱり私の心の中の世界に置いておくほうがいいのかしら。
私が物語を語るとき、いつも支えにしているいくつかの作品のひとつ。

竹宮恵子さんのもう一つ、素晴らしい作品は『ロンド・カプリチオーソ』です。
スケートの話ですが、兄弟の葛藤がたまらなくて。
おかげさまで、拙作にはやたらと兄弟葛藤が出てくるようになってしまいました。
そしていつも私は、弟の才能や自由さに嫉妬して苦しみながらも弟を愛する兄貴の味方なんですよね…
またいつかご紹介します。

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Category: 物語を遊ぼう(小説談義)

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【石紀行番外編】フランス南西部・美しい村(3)ロカマドゥール 

ロカマドゥールへご案内します。
崖にへばりついているような礼拝堂、ここから12世紀に聖アマドゥールのミイラ遺体が発見されたことから、聖地になりました。その後巡礼地としてにぎわうようになり、世界遺産に登録されている村。
ロカマドゥール
崖の上には城があり、中腹の崖にへばりついて教会(聖域)があり、下には町があります。
城から教会のある聖域までは、つづら折りの道があり、道が折れるところにはキリストの受難のレリーフがあります。
道
受難2受難1
聖域とされる場所は礼拝堂に囲まれているといった感じで、ここに最も有名な黒い聖母子が安置されています。木製とのこと。こちらでは船の航行の安全を祈ったり(ここで祈ったおかげで遭難を免れた、という年代が記されたレリーフがある)、また囚人の巡礼地でもあるようです。
教会1ファザード
黒い聖母子、何かの小説を思い出しますね。意味合いはともかくも、少し普通とは印象の違う聖母子像ですが、それだけに不思議な力に充ちているように見えます。
硬質な石の世界の中の木のぬくもり、なのかもしれません。
聖母
聖アマドゥールの遺体が見つかったのは聖域の上層。壁画が美しい。
壁画
そしてこの階段。
階段貝
下から216段ある階段…巡礼の方々は膝で登られるのですが…やはりハードな道ですね。
それにしてもわずかにカーブして登っている、美しい階段です。
何だか全く違うのに、京都の永観堂の裏手にある階段を思い出してしまいました。
永観堂の階段は龍が臥した姿を模したと言われますが、木のカーブはもう少し柔らかい感じ。
ここにあるような石造りの階段には、やはり弱さを拒むような厳しさを感じる。
けれどもそこに膝をつけて登っていくとき、もしかするとそこには、その人にしか分からない温度・温もりがあるのかもしれません。
階段にはホタテガイが……これは巡礼の道の印だそうです。
ナイフや
実はナイフでも有名な町だとか。これは下の町にあるナイフ屋さん。

町の造り自体が荘厳な印象のロカマドゥール。
フランス南西部にある美しい村の中で、聖地の魅力を存分に湛えた場所です。

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【石紀行番外編】フランス南西部・美しい村(2)ベナック城 

さて、少し考えさせられるお城へ行ってみたいと思います。
ベナック城です。

と言っても、何の城?って感じだと思うのですが、まずはご案内いたします。
これもフランサテムさんのガイドさんのお力をお借りして、見せていただいた世界。
お城の全景、とまではいきませんが、大体こんな感じ。中世風、いかつい城、要塞みたいなお城ですね。
ベナック城
敷地の中に教会があります。
おじいちゃん教会

中を覗いてみましょう。
台所だトイレ
これは実は台所。つまりダイニングですね。竈もしっかりある。
で、いつ敵が攻めてきても対応できるように、テーブルの横には剣が並んでいる。
落ち着いてご飯食べれませんね……

隣は、みなさん、想像しやすい空間ですよね。
いわゆるどっぽんですが、この城の下には川が流れているので、つまり下水道完備?
ちょっと落ち着く感じの空間でした^^;
って、並べるなって? ご尤もです。すみませんm(__)m

その下水道……いえいえ、美しい川が森や畑を縫うように流れています。
川の傍にはいくつも同じような中世の古いお城がある。
ながめ
けれども、今ではこうしたお城を『昔の姿のまま留める』ことは大変困難なことになっています。
富の配分はいつの世も不公平。だから世界中にはこんなお城の一つでも持って、改築して現代風にして住みやすく……と考えるような金持ちはいくらでもいるようです。
しかし、それはこの城の歴史的価値、この景観の中での存在意義を変えてしまうものになる。

実は裏に回ると、こんな感じなのです。
修理中
そう、地道に修理中です。
そしてこの城の主のおじいちゃんは城の隣に住んで、昔の姿を保ちつつ、補修はするけど改築はせず、『売れ』という声にも負けずに、心意気ひとつでこの城を守っているわけです。
ご自身は隣にある小さい家に住んでいる。
おじいちゃんの家
でももうかなりのご高齢とお聞きしました。おじいちゃんがいなくなったら、このお城は変わってしまうのでしょうか。それとも心意気を持った誰かが後を担ってくれるのでしょうか。

古いものを残すことはとても大切ですが、時は流れていく。
古いものを残すことは時には大きな負担になる。
金銭的にも、そして誰かの時間と人生を縛ったりもするかもしれない。
そうまでして残すべきなのか、そうまでして残すだけの余力が私たちにあるのかどうか。
レトロを愛する気持ちだけでは、どうすることもできない現実があるような気もする。

保存・保護、って言葉で言うのは簡単だけど、そこにかかる費用と人手を考えると、ちょっと唸ってしまいます。
残すって、なんなのだろう。
形あるものはいつかは壊れていくわけで……
修理しても修理しても、そのうち追いつかなくなっていくのかもしれない。

でもだから愛しいのかもしれませんね。
だから、おじいちゃんはせめて自分が生きているうちは、この城を精一杯愛したいと思っているのでしょうね。

おじいちゃんに乾杯

ジャンヌダルク
おかげで、このお城、映画監督には大人気のようです。

Category: 石の紀行文(写真つき)

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NEWS 2013/2/23 更新情報 

更新情報を少し。

今週末に
小説談義をひとつ(中身は…NHKドラマ『ダイヤモンドの恋』、もしくは竹宮恵子さんの作品かも)
石紀行のお休み中おまけ→フランスの美しい村その2(サン・シル・ラポピーほか)
【死者の恋】(2)
の更新予定です。

週末に緊急の仕事が入らなければ、SSから派生した拓・宗輔シリーズ(いつのまにシリーズ?)も書こうかな。
あとは、【清明の雪】に登場した京都の志明院をご紹介するコーナーも考え中。

【海に落ちる雨】は毎日更新、の予定。
たまに飛びますが。
各回の後ろに、ちょっとミニ小説談義とか舞台裏とか、書いています。
タイトルの後ろカッコ内にトピックスの題を入れました。
そちらもお楽しみいただければ、幸いです。
あるいは、ご意見などもいただけると嬉しいです(^^)

では、お仕事と三味線、そして同窓会準備!に邁進します。

Category: NEWS

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☂[11] 第1章 同居人の留守 (11)(改)(冒頭とは) 

*パパ(竹流)が留守にしているのでちょっとイライラしている?真。
しかしそのころ竹流は……(竹流視点に替わります)
もともとこの小説の冒頭は、このシーンでした。
したがって、今から読んでやろう!という人はここから読んでいただいても、差し支えありません(^^)



 くぐもった音がまたひとつ、頭の上を掠めていった。
 その音は既にいくつ続いたのか分からなくなっていた。
 何の音だろうと考える頭はもうなかった。銃声のようにも聞こえる。

 相手の人数も動きも読んでいたのに、どこからか意識が自分のいる世界から滑り落ちてしまい、今はただ何とか足の裏につく地面の感覚をせめて失わないようにと思うのが精一杯だった。
 誰か知った声が彼の名を呼んだようだった。
 しかし、それは頭の襞の間をすり抜けて、何の像も記憶の回路の中に結ばなかった。

 俺としたことが何という失態だろう。

 命からがら、などという場面はこれまでにも何度もあったが、それは堪らないスリルと快感と、それを乗り越える楽しみを与えてくれただけで、本当に死んでしまうかもしれないと思ったことはない。

 いや、俺はどこかで何かのきっかけを捜していたのか。
 死んでしまうかもしれないと思えるほどの刺激を、あるいは自分の何かが完全に変わってしまえるほどの何かを。

 去年の秋、即位したばかりのローマ教皇が一ヶ月の在位で亡くなり、彼、ジョルジョ・ヴォルテラが生まれた時の教皇から数えて正確には四代目の教皇が即位した。いや、この新しい教皇はそれを即位ではなく就任と言ったのだが、その人がポーランド人であると知った時から、彼はどこかで焦っていたのかもしれない。
 予言など信じてはいない。
 だが、子どもの時に誰かの心の中に植えつけられた迷信というものは、そんなはずはないと知った後でも、守らなくてはならない絶対のルールのように思える時があるのも事実だ。寝る前に神様にお祈りをしなかったら夢の中に悪魔が出てくる、靴下を穿いたまま寝たら怖い夢を見る、というような他愛のない迷信であっても。

 多分、お祈りをちゃんとしなかったんだな、彼は自分を嘲笑ってみた。こんな時に限って冷静になる自分が可笑しいと思った。
 それとももっと別の罪が彼をこの状況に追い込んだのかもしれない。
 首に手を掛けることもなく殺してしまった一人の男と、一人の女。
 それらの魂がこの千載一遇の機会に地獄から手を伸ばして、ついに彼の足を捕まえたのかもしれない。男は彼を呪うように、死の間際に彫っていた像に、殺人者の顔を写し取っていた。女は今も、彼が最も大事に思う人間の心の内に棲み付いて、時々その首を絞めようとしている。

 逃げることは屈辱だとも思わなかったし、真の祖父の長一郎がいつも言っていたように、かの織田信長も逃げ足は滅法速かったという。逃げるが勝ちという戦法は、彼自身最も好むやり方のひとつだった。
 だが、逃げている最中に意識が遠のいてくるなんてことは初めてだった。

 もっとも、朦朧としながらも身体は勝手に動いていた。
 だが、走っているのか歩いているのか、それほどのスピードさえ出ていないのか、本当のところは進んでいないのかさえわからない。既に夕方になっていたはずだが、この暗さは深い森が名残の太陽の光を遮っているからなのか、ただ時間の故に実際に闇になっていたからなのか、あるいは意識がまともでないからなのかも分からない。

 唯一感じるのは、肩から出血しているらしい拍動だけだった。
 このまま血を流していると本当に死んでしまうのかもしれない。

 誰かがもう一度、彼の名を呼んだ。それから、肩口の傷を何か布のようなもので気を失うほどにきつく縛った。部位が部位だけにそんなもので止血できるとも思わなかったが、その痛みで一瞬意識が鮮明になった。

「逃がし屋失格だな。だが、この真下は国道でトラックの抜け道だ。運がよければ助かる」
 話している相手が誰なのか、思い出せないような感覚に陥った。
「昂司」しかし、声のほうは意識よりも先に相手の名を呼んでいた。「ここから早く離れろ」
「馬鹿言え。お前を置いて逃げられるわけがない」
 腹が立つほどに寺崎昂司の声がスローモーションで聞こえていた。

「この下が国道なら何とか逃げられる。もう俺のことは心配するな。それよりも、あの子を助けてやってくれ。何とか彼女の父親の汚名も晴らしてやって欲しい」
 彼の声は彼自身の中ではスムーズに響いていたが、実際にはどの程度相手に聞こえていたのか定かではなかった。しかも、知らないうちに自分が地面に尻をついていることに気が付いた。

「お前を置いていくわけにはいかない」
 彼の言葉など完全に無視をするように、もう一度寺崎昂司が言った。
「俺のことよりも、お前は彼女に償ってやらなけりゃならない」
 その言葉は昂司の耳に届いたのかどうか、定かではなかった。

 もう相手の顔もろくに見えていなかった。暗いのは自分の視力が保たれていないからかもしれない。
 しかし、昂司の手が一瞬揺らいだのを感じることはできた。
 昂司は彼を立ち上がらせると、勢いをつけるように彼の背中を押した。そのお蔭か、足は自動のゼンマイを巻かれたように森の斜面を駆け下り始めた。
 だが実際には駆け下りるほどのスピードではなかったのかもしれない。
 人の気配も銃声のような音も、背中の遥か彼方へ遠のいて行くように思った。

 あの馬鹿、引き付けているのか。

 再び意識ははっきりしなくなってきた。身体に当たっているはずの木々の枝の鞭のような感触にも痛みさえ感じない。たまに身体ごと木にぶつかるので、その痛みがかろうじてあと何歩かを継いでいた。もつれたような足の感触はもうよく分からなかった。
 肩はずきずきと拍動を続けていた。血はどんどん流れ去って、心臓が空っぽのまま拍動しているような錯覚に陥る。

 彼の記憶はどこか一部が曖昧になっていた。
 曖昧にせざるを得なかった。
 右手には全く感覚がなく、一体それをどこに置き忘れてきたのか、思い出そうにも思い出せない、思い出したくないような気がしていた。
 昂司はどうして俺を助けに来てくれたのだろう、どうして俺を逃がしてくれたのだろうと思った。いや、それが大和竹流が頼りにしている逃がし屋としての彼の仕事だからだ。

 一人で何とか話をつけるつもりだった。
 相手に容赦も理屈もないことは感じていたが、三年半前に救ってやれなかった少女に対する後ろめたさが今も燻り続けていた。

 その少女の何に固執しているのか、自分でも分からなかった。
 真が付き合っている香野深雪という女の、過去に持っている深い傷を知ったとき、彼は真の手を離してやる時が来たのだと思った。真が自然に女と愛し合い、自然に家庭を作り、その場所にあの少女の居場所もあるようにさえ思った。
 真には、本人も気が付いていない、他人の傷を癒す力があると思っていた。それがあの傷ついた女と少女のためのものだと言ってしまっていけないということはないはずだった。

 そうでもしてくれないと、俺はお前を奈落の底へ引きずり落としてしまう。

 感覚のない右手からも痛みと血が零れ落ちていく。
 その痛みが蘇ると、彼は自分の心をまた抑えられなくなった。

 いや、あれはお前のものだ。お前があの日、定められた運命の歯車に乗って、手に入れたものだ。みすみす手放すことはない。奈落の底までつき合わせたらいいのだ。

 彼は迷いながら、既に下がり始めた血圧で全く回らない頭を最大限に回転させているうちに、だんだん何も考えられなくなった。仲間たちの怒りが目に見えるような気がした。一人で行くなといつも言われていたのに、つい己を過信してしまった。

 いや、そうではない、ただ信じたかったのだ。彼が、己の心の闇を閉じ込めたあの小さな地下の礼拝堂の鍵を預けた男を、ただ救いたかったのだ。

 あんたは甘すぎる、世の中の人間が最後は善意であんたを迎えてくれると思っている。あんたはやっぱりお坊ちゃんなんだよ。だから俺たちがいるんだ、絶対に一人で勝手なことをするな。

 葛城昇の声が聞こえてくるようだ。
 不意に、一ヶ月くらいだと言った瞬間の、頼りなげな真の顔を思い出した。

 まいったな。真のやつ、一人で食っていけるんだろうか。

 そもそも真を甘やかして、一人で飯を食うという当たり前の習性を奪い取ったのは彼だった。
 そう思った瞬間、やはり俺はあれを手放したくないのだと、手放すことは半身を捥ぎ取られるようなものだと痛みと共に思い出したような気がした、

 その時、遠くのほうから地鳴りのような音が聞こえているように思った。
 トラックの音だろうか。真の顔を思い出した途端、運が舞い戻ったような気がした。
 そして次の瞬間、突然に足が空を踏み抜いた。

 意識は、突然の強烈な光とクラクションの音と、地面に叩きつけられた激しい痛みを最後にぷっつりと途切れた。


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☂[10] 第1章 同居人の留守 (10)(改)18禁? 

注:やっぱりたいしたことはなのですが、一応18禁でお願いします。


 身体の相性からだけ言えば、これほどにいい女は他にいなかった。
 深雪の一番深いところに自分のものが当たるのを感じると、そのまま意識も身体も砕かれていくような心地がした。
 真が無理矢理に興奮したものを押し込むと、深雪は始めこそ苦しげな顔をするが、この女の内側は欠けたものを待っていたかのように真の形のままに変化し、緩やかに、やがて激しく真の身体から全てを吸い取ろうとするように締め付けてくる。
 その合わさった感じの堪らないほどの感覚は、他のどの女性とも分かち合ったことのないものだった。

 だから、そこに愛情があるのかといえば疑わしいが、身体は彼女との関係に極めて満足していることを分かっている。

 真が今日は随分と溜め込んでいてそれを全て彼女の中に出したことを、深雪はその締め付けた粘膜の内で感じただろうと思ったが、気恥ずかしい気分にもならなかった。
 そういう部分で、真は、自分が心の内ではやはり深雪の事を商売のために身体を使う女だと思っているのかもしれないと感じる。
 真が射精した後でも、深雪の内側の襞は、まだ足りないというように貪欲に真を締め付け、最後の一滴までも吸い取ろうとしていた。

 その足の間の生き物とは別物のように、赤い唇が冷めた声を吐き出す。
「続きはホテルに戻ってから」
 駄々っ子を窘めるように深雪が言った。

 ある意味これでもう満足だった。けれども今日は帰っても一人だと思うと、深雪の言うままにホテルに行く気になった。今夜だけは、誰もいない左隣を感じるのは御免だと思った。
 適当に身繕いをして、タクシーでいつものホテルに向かった。

 タクシーの中から見る東京の町の景色は、今が夜なのか、いや夜なのだが、実際に存在しない異質な時間帯に思えて、真の中の生物としての時計を狂わせている。深夜にも関わらず溢れている色とりどりのネオンや車のライトが、人間の脳を壊していっているのだろう。
 いつか祖父が、木に昼夜問わずライトを当てていると、その木は弱ってしまって花を咲かせないと言っていたことがある。

 北海道の牧場の深夜は穏やかな闇だった。だが、遠くで啼いている何か生き物の叫びにも、果てのない彼方の闇から吹き込んでくる風にも、一度も恐ろしいと思ったことはない。それはアイヌ人の老人がいつも子どもの目を静かに見つめて話してくれたからだ。
 完全な闇というものはない。草も木々も星明りを微かに跳ね返し、昼間の太陽の光を内に湛え、闇の中でも僅かな温度を放出している。お前を守るカムイたちの声も聞こえるはずだ、と。

 だが、この町は違う。これほどに光に満ち溢れているのに、ここは昼も夜も、真の神経の脆いところを知っていて叩きのめそうとする。
 東京に出てきてから自分は弱ってしまっているだろう。
 窓ガラスに映る影が、まさに真の今の姿そのものだった。頼りなく、儚い。周囲の闇や光の加減で、時々姿かたちは曖昧にかすれて消えてしまい、また現れるときには元の形を失っている時もある。

 今はある意味で充たされているはずだった。
 毎日とはいかなくても、その男が傍にいて、手を伸ばせば届くところに温もりがある。生命の根源を支える食物も精神を休める水も、その男の手から与えられる。あるいは、呼吸する空気でさえも与えられているように感じる。真の命も身体も、今は全てあの男の手が支えている。真の身体から温度が失われるような日は、いつでもあの男が自分の体温を分け与えるように暖めてくれる。
 少しの間出掛けると言われただけで、細胞のひとつひとつが、人間としての生命の形を保てない。
 なんと情けなく、馬鹿げた存在なのだろう。

 ガラスの中に浮かんだ自分自身の曖昧な感情を、見ていられなくなって目を閉じた。
 いつの間にか深雪の手が真の膝を撫でている。その手は膝から身体の中心へ優雅に滑ってくる。
 頭の中にある全ての思考を否定したくて、何かから逃れるように深雪を抱き寄せ、着物の袷から手を滑り込ませて直に乳房に触れると、深雪は唇を真の顔に寄せてきた。
 タクシーの運転手がバックミラーを気にしているのを感じたが、それをちらりと見て、滅多にないことなのに、逆にその気になった。

 一体何が不安なのだろう。
 時々見る夢の中で、自分自身が梟のカムイに変わってしまうことなのか。夜中に鳴る電話と、異国の言葉が持つ激しい残響のせいなのか。あるいは、あの男が、月が綺麗だと呟くからなのか。

 あからさまな欲情を隠しもせずに唇を吸い合って、真は深雪の脚を開かせてそのまま着物の裾の下を弄った。そういう行為を他人に見られていることの恥ずかしさよりも、今自分が感じている正体不明の孤独感を知られるほうが、恐ろしいように思った。

 タクシーの運転手はゆっくり走っていては身体に毒とでも思ったのか、さっさと客を目的地まで運んだ。
 深雪はいつものようにたっぷりとチップと上乗せした料金を払って、着物でも慣れた仕草で車を降りる。ホテルのベルボーイが彼女のためにタクシーのドアを持って、お帰りなさいませ、と声をかける。
 そのいつもの光景をドラマのシーンのように見つめて、真は黙って深雪についてホテルのエントランスに向かった。タクシーの中での行為にも関わらず、その時にはもう冷めた気分に包まれつつあった。

 どうやら深雪はこのホテルに半分住んでいるような感じで、真も金を払ったことがない。
 もっとも深雪も、自分が部屋代を払っているわけではないと言っていたので、彼女のパトロンが出しているのかも知れなった。それが本当なら、真がここで彼女と情事を重ねていることは困ったことを引き起こさないのかと思う。割と上品で大きなシティホテルだし、部屋も二間続きのセミスィートのようで、安い値段とは思えない。

「お先にシャワーをどうぞ」
 深雪は真をシャワールームに追いやって、彼女自身はその間に着物を脱ごうとしていたようだった。

 重く湿った心を抱えたまま一人シャワーを浴びている時、真は意外にもまた欲情してくるのを感じた。
 俺はどうしたんだろうと思った。
 そして、急に自分の手でそれを慰めたい気分になった。外に女が待っているのにどうなってしまったのか分からないまま、自分のものに手を触れた瞬間、高校生の時以来滅多に味わうこともなかった、痛みとも快感ともつかないものに襲い掛かられて、何度か手で扱いただけで簡単に昇り詰めてしまった。

 射精した瞬間、自分の五感に触れていったものに震えた。
 大和邸の主人の寝室の大きなベッドに広げられたサテンのシーツの手触り、不思議な媚薬のような油絵具の匂い、肌に触れていた冷たい銀の指輪の感触、自分を見つめている深い青灰色の瞳、舌の先に吸いつく甘い唇の熱さ、時々耳元に囁かれる異国の音楽のような暖かい言葉、そういったものが遠い昔のことのはずなのに、一瞬にこの身の上に蘇った。

「真ちゃん?」
 妙な記事を読んだせいだと思ったし、吊広告のせいだとも思った。あんな表情でなく、もっと特別な個人的な表情を自分は知っていると思いたかったのだろうか。それを思い出すことで、正体不明の孤独感から逃れられると信じていたからだろうか。
 シャワーから出てベッドに入った後、何を察したのか、深雪は何も求めず真を抱き締めてくれていた。


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☂[9] 第1章 同居人の留守 (9)(改)18禁? 

注:大したことはありませんが、一応18禁でお願いします。


「真ちゃん、今日は機嫌が悪いのかと思ったわ」
 ママの名前は深雪と言ったが、本名かどうか分からなかった。年齢も聞いたことがないが、肌の張り具合からは三十を越えたあたりなのだろうか。

 週末ではなかったが店にはそこそこの客が入っていて、テーブルはほとんど埋まっていた。
 カウンターには五人が座れるようになっていて、テーブル席は、座ると肩より幾分か低いだけの仕切りで三つの区画に分けられいた。カウンターには真の他に一人、髪に白いものが混じり始めた年配の上品な男性が座っている。
 ほんのりと赤みを帯びた照明は、こじんまりとした空間を穏やかに包み込むように見せながら、その半面毒を振りまくような気配を併せ持っている。この気配が男たちに心の奥の本音を吐き出させる。それを心地よく思って男はここに通い、女はそれを包み込む。

 店には五人ほど女の子がいて、交替で二人、あるいは三人が詰めている。それなりに美人で上品な女の子ばかりで、他の店ほどには年齢は若くないようだ。だが、会話をしてみると頭のいい女性ばかりだとわかる。彼女たちはテーブルをそれぞれ世話していて、忙しいはずだがそのような素振りも見せない。

 それでも、ちらちらと彼女たちが真を気にしているのが分かる。
 この店に来る客の中で真は極めて若い。大体、ここに通うほどの金をつぎ込める若い男はそれほど多くはない。真もあまり金を持っていそうにはないことを、彼女たちは嗅ぎ分けている。だから真がここに来ることができるのは、ママのお気に入りだからということも知っているはずだった。

 それでも、若いというだけでも真が彼女たちにとって魅力的な男であることは違いなかったろうし、真にもその自覚があった。どこか野生的な気配のある視線、明らかに異国人の血が混じっていると分かる髪と瞳の色、物欲しげに通っているはずなのに、ベッドの上以外ではクールで女を欲しがっているとは思えない態度が、男を値踏みし慣れた女たちにも好意をもって迎えられているようだった。
 勿論、真がママの男でさえなければ、だ。

 真がママの男であることを、皆が思っていても店の中で口に出すことはなかった。ママのパトロンだという噂の代議士のことも同様だった。
「雑誌のことか?」
「そうね」
「今日はどこに行ってもその話から逃げられない」

 上品な薄紫の着物を装った深雪は、真の前に薄めのウィスキーを作って出した。
 深雪は真がここに来るのは寝たいという合図だと知っていて、濃い酒を飲ませて男を使い物にならないようにすることはなかった。真がそんなには酒に強くないことを深雪は知っているはずだし、彼女のほうもベッドに入るときには真が一瞬で興奮するくらいに濡れているので、多分真が店のドアを開けた時点でその気になっていると思われた。
 今カウンターを間に挟んでいても、深雪の着物の裾の向こうの白く美しい脚の間が濡れていると思うと、自分の股間が熱く重くなってくるのを感じる。

 そういうカウンターの端のやり取りを、他の客が意味ありげに、そしていくらか敵意を持った視線で見つめていることを、時々露骨に感じる瞬間がある。
「本当に恋人じゃないの?」
「冗談だろう。知ってるくせに」
 もしも噂どおり同居している男が恋人なら、女を求めて街に出てくるわけがない。
「そうかしら」
 深雪は薄くて形のいい唇を優雅に動かして呟く。その唇が自分のものを咽の奥深くにまで咥えて、意外にも厚くて器用な舌で先を舐めてくれるのを今から待つ時間が、途方もなく長く感じる。

「大体、記事を読んで初めて知ったことがいくつもある。正確な年も知らなかったし、あいつの仕事の内容なんて、聞いてもまともに答えてもらったこともない」
 深雪はくすくすと笑った。
「ほら、そうやって愛情に飢えた子供みたいなことを」
 真はグラスを持った手を不意に強張らせた。
 深雪には時々何かを見透かされているような気持ちになる。もしかして篁美沙子が言っていたのは葉子のことではなかったのかもしれないと不意に思ったのも、抱き合っているときに深雪が言った何かの一言がきっかけだった。

 考えてみれば美沙子は、今思い出しても多感の塊だったような真の高校時代を共有していた相手だ。もしも深雪がたったこれだけの時間で真の心の内を見透かしたのだとしたら、美沙子があの頃の真の感情に気が付かなかったとは思えない。
 ここに来るのは、同居人が隣で眠っているので自分で自分を処理できないからではないのだろう。それを女たちは何と敏感に察知することか。

 カウンターに座っている別の男のグラスを気遣って、深雪が真の傍を離れた。真のグラスの琥珀が煌めきの位置を変える。何かをやり過ごすように目を伏せると、僅かな距離の中で交わされている会話の響きが、理解できない異国の言葉に変わっている。
 その時、我慢の限界かと思うほど自分のものが熱くなってきていることを感じた。それが、深雪が自分以外の男を気に掛けたからだと思いたかった。

 店がようやく看板の灯りを消したのは二時を廻った頃だった。
 他の客たちが真の存在を意識してわざと帰らないようにしているのではないかと思うほど、長い時間だった。女の子達が、珍しくまだ店を出ない真を気にしていたが、深雪は彼女たちに、後のことはいいから帰りなさいと声を掛けた。珍しく、というのは、大抵店の終わりかけにはママが真を外で待たせるか、先にいつものホテルへ行かせているからで、今日のように最後まで店の中で待たせることはなかった。

 深雪が看板の灯りを消してドアを閉めたとき、真はもう立ち上がっていた。
 強引に深雪の身体を引き寄せ唇を吸い、我慢ができないことを知らせるように自分のものへ彼女の手を導いた。そのまま一番傍のテーブル席のソファへ倒れこむように深雪を抑えつけると、着物の裾を割る。
 着物の下に深雪は下着をつけていなかった。それは彼女のほうも真を待っていた証拠だと思った。濡れている脚の間に手を入れた途端、スラックスの中で射精しそうになる。深雪は冷静とも見える表情で真のベルトに手を掛け、僅かな金属音をさせてそれを外した。
 金属音は湿った空気の中で角を落とされたように曇って、真の耳の奥でいつまでもごそごそと残っていた。

 深雪の細い指が絡みつくように真のものを下着の中から出して、やんわりと撫でるようにしたが、我慢を超えていた真は、構っていられなくてその手を払いのけ、既に真を迎え入れる準備ができているように湿った彼女の中へ自分自身を埋めた。
 足袋を履いたままの深雪の素足は、薄赤い照明の中で何時になく扇情的で、真はその両脚を抱えるようにして、そのまま彼女の一番深いところまで突いた。微かに深雪の顔が苦痛に歪んだように見えたが、直ぐにその唇から吐息が漏れ出し、絡みつく蛇のように腕が真の腰を抱き寄せる。こうしてただ挿入するだけで、身体の奥から湧き出すような快感が頭の中心にまで昇ってくる。深い海の底の圧力で身体中の細胞が歪められ、一番敏感な受容体の全てを弄っている。


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☂[8] 第1章 同居人の留守 (8)(改)(メロス論付?) 

 新宿駅の人混みには、ここに事務所を開いてから二年半たった今でも慣れない。
 吐き気や手足の先の痺れはあまり感じなくなったが、時々襲ってくる頭痛だけは始末におえなかった。かといって車で動くには不自由な町だ。

 新宿から有楽町まで電車に乗ってドアに凭れ、疲れた顔のサラリーマンたちや楽しげな若い女の子達のざわめきをぼんやりと眺めていると、いつものように自分がここにいる事に違和感を覚えた。

 時々、夢の中ばかりではなく現実であっても、天からの風を感じると、急に重力から放たれたような心地になる。そのまま、身体ごと北海道の雄大な緑の中に引き戻されるように感じながら、それを振り払ってここに存在している。
 この世界との関わりを重く感じる時間をやり過ごすために必要な存在が、今自分の向かっている先にある。そういう意味では女は必要な存在だった。

 ねえ、今月のプレデンシャル、見た?

 突然耳に飛び込んできたのは近くの女の子の高い声だった。
 そういう雑誌を絶対に見ない年代の女の子だ。真は、その言葉に何気なく吊広告を見上げ、不意に息を呑み込んだ。

 同居人の顔が映画スターさながらに広告の中で微笑んでいた。
 ハリウッドスターよりも遥かに品位のある顔立ちは、まさに作り物や後付のものではなく、彼の血の中に何世代にもわたって積み重ねられてきた遺伝子と環境によるものだった。
 程よくウェーヴのかかったくすんだ金の髪、青と灰色の混じった惹き込まれるような瞳の色、顔の造りには明らかに北欧系の血が感じられたが、皮膚の色には母方の血よりも僅かに父方の血が強く出ているようだ。スーツ姿の同居人の写真からは、女でなくとも惚れ惚れとするような品格と色気が滲み出ていて、その微笑には個人的に自分に向けられていると誰もが誤解しそうな親しみが込められている。
 彼に見つめられると、自分が世界の中心にいるような心地がする、と言っていた女がいたが、まさにその目が、吊広告から人々を見下ろしている。

 直視できないと思った。

 同居人には複数の女性がいて、沢山のパトロンや協力者や友人がいて、彼に才能を認められた仕事仲間がいて、それでも真は自分がその中で特別な存在であることを、どこかで小気味よく感じていることは否定できなかった。
 自分だけに向けられているわけではないことを知ってはいるが、その穏やかで優しげな微笑をこんな吊広告に晒して欲しいとは思えない。そう考えると、何やら腹が立ってきて落ち着けない気持ちになった。

 早く女を抱きたいと思った。

 行きつけている銀座のクラブは、この界隈の規模からすると随分と小さな空間だったが、古い馴染みの客も多く、客層は上品なほうだった。ほとんどの客は町や店のルールを弁えていて、余計なことを口外してはならないことを知っている。その店のママがある有名代議士の贔屓であることも皆が心得ていた。

 その店は先代のママの時代から、あまり派手な宣伝もパフォーマンスも好まなかったが、客足の途絶えることはなかった。ママが代わってからもそのムードは受け継がれたが、時代が変わったせいか、この頃は多少あからさまな物欲しげな視線をママに送る客もいる。俄かに金を握った連中だった。ママがこういった連中を客として入れているのは、彼女や彼女のパトロンが知りたい情報を得られる可能性が高いからかもしれない。

 勿論、そういう事が無ければ真が彼女の店に出入りするチャンスもなかった。
 真が彼女に会ったのはある失踪人調査の仕事がきっかけだったが、その件が落着した後も彼女との関係を切れなかった。仕事に協力してくれた彼女に礼を言いに行った日、誘われてそのままホテルに行ったのが最初だった。

 ベッドを共にした女の数からすれば、真も少ないほうではなかった。
 とは言え、ちゃんと付き合ったと多少なりとも自信を持って言えるのは、高校生のときから五年間付き合った年上の同級生だけだった。
 それにしても、真のほうはちゃんと付き合っていたつもりだったが、彼女がどう思っていたかについては、振り返ってみればかなり微妙な点もある。

 彼女と別れた後暫くの間は、引きずっていた初恋の火が燻っていて、自分の感情に始末をつけるのに時間を必要とした。それがはっきりと吹っ切れたのは、その初恋の相手である妹の葉子が、真の友人の富山享志と結婚したときだった。
 妹といっても実際には血の繋がりはあっても多少希薄で、葉子は従妹であり、父親同士は腹違いの兄弟だった。
 もっとも葉子との関係にはキスのひとつも介在しなかった。ただ一度、二人きりで流星を見にドライブに行った秩父の山奥で、葉子の手を握りたいと強く願った瞬間があった。
 もしもあの時、あの数センチが何かの間違いで物理的に消えてしまっていたら、多分その場でキスをして告白していたかもしれなかった。彼女の方でも自分に想いを寄せてくれていることには半分程度の確信があった。

 だが、その数センチは永遠に埋めることのできない数センチになった。
 その距離が何だったのか、今でもはっきりとは言えなかった。
 妹に一目惚れをして北海道から出てきたと言われても否定はできない。あの夏の日、白いワンピースのスカートの裾を牧場の風になびかせて、飛んでいこうとする麦藁帽子に手を伸ばした少女は、まさに天から降ってきた姫君だった。あれからずっと、兄としても恋をした男としても、自分は彼女の騎士だと思ってきた。

 だから、高校生のときから付き合っていた篁美沙子が別れるときに言った言葉は、葉子を指しているのだと思っていた。

 あなたが未来を共有したい相手は私じゃない、と。

 しかし、真の腹の深いところでは、それが葉子ではないかもしれないという気持ちが燻っていた。
 それがあの永遠に埋めることのできない数センチだったのだろうか。
 葉子にはいつでも自分の良い側面だけを見せていたかったし、だからこそ、そこに性的な衝動をかぶせることは侵しがたい悪徳であるような気がしていたのかもしれないが、本当にそれだけだったのか、自分でも確信がなかった。

 その頃、始めはバイトで勤め、その後はボーナスのない出来高制の正社員として働いていた唐沢調査事務所の胡散臭い所長にけしかけられて、真にしてみれば随分多くの女性とベッドを共にした。
 一度きりの女性もいたし、何度か会った女性もいた。そういった女性の一人一人を具体的には思い出せない。他の女性とベッドを共にしている時に、何かの癖が似ていたりして不意に思い出すことはあっても、顔や名前まで記憶に留めているわけではない。

 それは今この電車の中ですれ違うばかりの女たちと、大して変わるわけではなかった。ベッドを共にして身体の距離がゼロになるまで近づいた相手なのに、思い出せないような希薄な感情しか残っていない。

 そういう意味では、最後に恋をした小松崎りぃさは稀有な存在だった。付き合ったという感覚はないが、恋をしたとは思っているし、そう思いたいと願っていた。傍からは身代を持ち崩した大店の若旦那のようだと思われていたらしいが、のめり込んだのは事実だった。

 りぃさは親友の従姉で、出会ったのは妹の結婚式だった。あの日自分の感情に火をつけたのが妹の花嫁姿だったのか、それとも別の何かだったのか、今は記憶を明確にしたくないと思っている。

 確かに何かを感じていたはずの自分の心を記憶から締め出したのは、りぃさが自殺したと知った時に感じた空恐ろしい感情を、真は二度と味わいたくないと思っていたからだった。
 あんなにのめり込むように恋したのに、求めていた手は彼女の手ではなかったように思った。
 一緒に死んでもいいと心から思っていたのに、愛していたのかと言われると答えられない。

 りぃさが死んだと分かったとき、どこかに安堵している自分がいた。
 他人の死を願い安堵したのは二度目だった。三度も味わいたくない感情だった。

 だから、その後しばらくは女性とベッドを共にするようなことは避けていたが、健康な二十代の男がそのままで済まされるわけがなかった。
 自分で処理をしようと思っても、同居人と同じベッドではそれもできなかった。

 その状況でこのクラブのママの存在は有難かった。相手はそういう意味ではプロだと思えたし、恋愛という面倒なプロセスを踏まなくてもよかった。
 偉そうに言うほど女性を断っていた期間が長かったわけではない。彼女たちとの行為が、この世界で生きていくためには必要だと、ママと寝ているときにはっきりと感じている。

 それが本当に求めている行為でなくても、だ。






こうしてみると、結構遊んでいるように見える真ですが、結局本当に掴みたい手がが誰の手だったか、ということなんですね。
恋愛、というよりも、これは魂の結びつきの話。
だから4代先でもいいから結ばれたかったんです。
彼らも、私も。

…以下、追記です。

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☂[7] 第1章 同居人の留守 (7)(改) 

 真は思わず雑誌を放り出した。
 あの野郎、と思った。その気持ちに追い討ちをかけるように、美和が言葉を掛けてくる。
「ちょっと調べたら簡単に先生に行き着きますね」

 何を考えているんだか、時々突拍子もない行動に出る。
 それでも、同居人が目立つ外見ほどにはパフォーマンスを好まない人間であることがこれまで救いだったのに、一体何を考えているのか。確かに去年の秋から何やら思いつめたような顔をしていることがあるし、考えてみれば、夜中にかかってくる電話の数が増えたのも事実だったが、それとこれは別だと思った。

 もちろん、その電話が彼の母国語で交わされていることからも、同居人の身辺で女関係以外の何か特別なことが起こっている可能性は否定できない。その電話を同居人が枕元の子機で取ることはないが、後半には、隣の部屋で眠っている真もびっくりするくらいの激しい調子になっていることが多い。

 彼の実家が彼の帰りを待っていることは分かっていた。彼がそこに帰りたがっていないことも知っていた。
 自分が生涯呼ぶことのない同居人の本当の名前を、真は心の中でさえ思うことができない。その名前はある意味で恐怖に近い感情を引き起こすことがある。
 それは彼のいない左隣が引き起こす感情と全く同じだった。

 その日は外に出る気も起こらなかったが、幸い新しい仕事が舞い込む気配もなかった。

 とは言え、仕事にならない来客の多い一日だった。
「真ちゃん、最近顔を見せてくれないから、来ちゃったわ」
 といいながら疲れた顔に、目だけは異様に楽しげな気配を漂わせて、歌舞伎町の某ショーパブの人気者が顔を出したのは、真がコーヒーを飲み終えて間もなくだった。
 彼女はさんざん美和とおしゃべりをして、結局小一時間で帰ったが、何をしに来たのか全くわからなかった。

 美和の不思議なところは、水商売の女性たちにもあまり嫌われることがなく、会話にも簡単についていってしまう、それもただ屈託のない世間知らずのお嬢さん、という感じではなく、本当に明日からその手の店で働く気でもあるのではないかと思われるくらいの興味津々の顔で会話に参加していることだった。

 その後で、朝方まで開いているバーのバーテンが、コーヒーを飲みにやって来た。
 美和は、うちは喫茶店じゃないんですけどね、と言いながらもちゃんと美味いコーヒーを振舞う。
 この男は青森の出身で、ここに顔を出す連中の中では珍しいことに、真の探偵業とは何の関係もない知り合いだった。つまり、真は高校生のときから祖母の奏重が民謡酒場で唄う時に三味線伴奏に借り出されていたのだが、その酒場に客として出入りしていた男だ。
 彼は真に会うと、安心して津軽弁を話す。答える真はあくまでも標準語を繕うが、美和がいつも、どうして分かるの、と不思議そうに真を見る。その男も、今度またゆっくり飲みに来てくれと言って、半時間ほどで帰っていった。

 昼時には別の来客があった。
 この調査事務所を、バイト、というよりもほとんど趣味で手伝ってくれている主婦が幾人かいるのだが、彼女たちは尾行についてほとんど天才的ともいえる才能を示している。いかにも下町のお節介好きの買物中おばちゃん風から、旦那の帰りが遅いので昼間はぶらぶらとウィンドウショッピングやジョギングといったスポーツを楽しんでいる有閑マダム風から、真や美和では全く考えられない世間への溶け込み方を持っていた。
 彼女たちはまた、ほとんど娘か息子のように事務所の経営者を可愛がってくれているのだ。

 タッパーに詰めた肉じゃがに自家製漬物、炊き込みご飯などを持って、彼女たちはやって来た。
 お互いに面識があるのかどうか、複数の主婦に同時に仕事の手伝いを頼むことはなかったから、真も美和もよくわかっていなかったが、そこは主婦のネットワークを舐めてはいけないということなのだろう。

「うちの田舎から送ってもらった野菜なのよ」漬物を出しながら、有閑マダム風の都さんが言えば、「今朝、築地に行ってきたら、蛸が安かったのよ」と胡瓜と酢で和えた蛸を、吉祥寺に住むおせっかいな笙子さんが差し出した。
 さんざん喋った後で、笙子さんが言う。
「真ちゃん、あんまり水臭いのはなしにしてね」
「そうよ。困ったことがあったら、バイト料は要らないから私たちが手伝うわよ」

 都さんと、もう一人、かなり平凡な大人しい主婦の顔をした靖子さんも頷いている。
 靖子さんの肉じゃがは逸品で、靖子さん本人には会ったことはないものの肉じゃがだけは口にしたことのある竹流も、いつかは靖子さんに会って秘密を聞きたいと言っている。

 一体、自分が何を困るのかと真は思いながら、適当に相槌を打っておいた。

 後から振り返ってみれば、仕事帰りの水商売の連中や、昼間にやってきてお茶を飲んで帰った主婦にしても、つまりはあの雑誌の記事の話を探りにきたのだろう。しかも、真の性格を真以上に摑んでいる彼らは、直接聞けば真が何も喋らないことを知っていて、ただ真の顔を観察していたというわけだ。
 皆が、ある意味では真以上に探偵業に精通しているということかもしれない。
 

 夜になって真は身を隠すように事務所を出た。
 午後になって事務所にやってきた自称『弟子』の高遠賢二が、何か怪しい人影が外に、などと言うので、自意識過剰になったのかもしれない。
 それが必ずしも例の雑誌と関係しているわけではないだろうが、厄介ごとに巻き込まれるのは御免だった。

 調査事務所といっても、少々面が割れても仕事に差し支えるほどでもなかったし、全国ネットのテレビに連日顔を出しているような有名人でもない限り、顔を覚えられて困るなどということはないはずだが、自分の外見が割と印象的なのを真は知っていた。
 本来ならこの手の仕事は目立たないほうがいいはずだが、実際には目立つことがそれほど害になることはなかった。むしろプラスに働くこともあったので、最近では気にしないようにしている。

 考えてみれば、調査事務所を始める前までは、この外見で得をしたことなど一度もない。子どもの頃から北海道のような田舎では真の外見は否応無しに目立って、幼稚園でも小学校でも同年代の子供からからかわれ苛められ除け者にされた。
 庇ってくれる親はいなかったが、祖父が時々我慢がならん、というように苛めた子供の家に怒鳴り込みに行った。当時は親戚一同で経営していた牧場の経営がそれほど悪くはなく村にも随分貢献してきていたので、祖父の朴訥な行動は何とか許容されていたが、それでも他の家族はそんな祖父を窘めた。

 小さい頃、鏡の中の自分を見ていると変な生き物のように思えた。それは目と髪の色だけの問題だったのに、怖くて鏡を割ったこともあった。近くに一人で住んでいたアイヌ人の老人だけは、真の髪についても目についても何も言わなかった。いや、むしろ褒めてくれさえした。

 きっとお前の目は、他人の目に見えないものを見、感じることができる。

 それがどう意味だったのかはともかく、お蔭でしっかり変なものが見えた。最初は民話に出てくる『蕗の下の人たち(コロボックル)』だった。
 そういうものが、少なくとも世間常識的には、本当は存在していないのだということは、随分大きくなるまで分からなかった。

 孤独だった子供は、次第に見えるはずのないものを見て感じるようになった。
 今でも時々、どこまでが現実か幻か分からなくなる事がある。
 中学生のとき、逆にこの外見を利用してやろうと思ったことはあった。思えば随分と無茶をしたものだったが、お蔭で人が外見に惹かれ外見で他人を判断することがしっかりと認識できた。それはプラスにもマイナスにもなるが、あまり積極的にプラスにはなり得ない事も了解した。

 ただこの仕事を始めてからは、他人が自分を覚えてくれていることが助けになることも多々あった。ある意味名刺代わりだったのだ。
 勿論そのお蔭でかなり痛い目に遭ったこともある。しかし、その痛い目に遭ったことがきっかけで、今ではこの界隈で真につまらないちょっかいをかけてくる連中は随分と減った気もする。

 良いか悪いか、プラスかマイナスかは、人の心だけが決める。それはよくわかっているつもりだった。


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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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☂[6] 第1章 同居人の留守 (6)(改) 

 レストランのオーナーとしての材料の選択、それを任すべき人材の選択、またユニークな料金システムから始まるインタビューの内容は、確かに新しい試みと彼の人を見る能力が存分に散りばめられたものだった。

 レストランは、上層階には上品で料金も半端ではない店が入っていて、その下の階にかなりカジュアルな店を入れていた。
 このカジュアルな店の方が大人気で、ただし予約は一切入れない、料金もその日の持ち合わせで、困れば予算を言えば適当に見繕ってくれる、しかし恐らくレストラン側が損をしているのではないかというほどの旨いものが食べられる、名前も洒落ていて『かまわぬ』という日本名だった。どこでどうしたのか歌舞伎の名門のご贔屓になっているらしい。

 上層階のレストランは、それこそドレスコードが要求されるようなところで、ただしあくまでも少人数のための静かな環境を大事にしていて、パーティーなどには開放されていない。おそらく、最高級の料理とワインを味わえるが、メニューはなく、客はただ、その日の気分と、どのイタリアの地方の料理を食べたいかという注文だけを聞かれるという。

 行列ができる、というような店ではないが、週末はまず予約がなければ入れないというし、平日でもほぼテーブルが埋まっている。カジュアルな店のほうは、まず連日満席で、遅めの時間を含めても余程運がよければ入れる程度、という話も聞く。

 これだけ人気がありながら、数ある二号店・三号店のオファーをことごとく断っている。曰く、自分の目と鼻と舌の届かないところに自分の店があるというのは、耐えられないということなのだ。大体が、自分が美味いと思うものを食べるために作ったレストランなのだから、自分が通えないところにあるのでは本末転倒ということらしい。
 可愛いお店、というわけですね。
 インタヴューアーの女性の台詞も気が利いていた。

 もっとも、本人が家で作る料理は基本的には和食で、ただし、レストランで和食を提供することはない。それは分を弁えているということなのかもしれないが、その代わり有名無名を問わずやたらと日本料理店には出入りしていて、料理人とも随分親しくしているようだった。
 とある一流の料理人がこの男の舌を唸らせたら自信を持てる、とまで言ったらしい。

 雑誌の記事には、ハリウッドスター並みの容姿を存分に見せびらかすような写真が何枚も添えられていた。
 あの青灰色の瞳を、その色合いや内に籠められた光をどうしてここまで上手くカメラが捕らえたのかと思う写真ばかりだ。
 これまで何度もインタビューを依頼してきたが、ようやく受けてもらえた、というコメントがついていた。カメラマンは久しぶりに腕が鳴るほどの被写体に出会って気合が入ったことだろう。
 何より、記事を企画した編集者は、この号を売る方法を十分に心得ていたと思えた。

 何故か会員制のクラブの話題には一切触れず、話題はギャラリーの事に代わり、そこからインタビューの内容にも熱が入ってくる。
 ギャラリーは物を売っているだけではなく、バブルに向かって俄か金持ちが増えている日本で、本物の芸術の国からやってきた本物の目を持つ男が、洗練された生活の中で持つべきあらゆる貴重品・芸術品のコーディネートをしてくれる、つまり芸術コンサルタントとも言うべき仕事について書かれていた。

 具体的に同居人の仕事がそういうものなのかどうか、真には心当たりもない。
 実際、企業や有名会社の社長がこの男に芸術財産の管理を依頼したという話もあり、あるいは華族や没落した会社の関係者、もしくは神社や寺が、美術品の整理を頼んだというようなことは聞いたことがあったので、そういう意味合いなのかもしれない。

「でも、自分の本当の仕事は地味な修復師だって、何かかっこよすぎますよね」
 だがそれは本当かも知れないと思った。
 これは地道で科学的で冷静な判断能力を必要とする仕事で、一切自分を出さない仕事だと書かれている通り、同居人がその仕事に傾けている情熱と時間と、そして何よりもこの派手な外見の男が、文字通り寝食忘れて没頭している様を見ている真には、彼のその仕事へのエネルギーと作家たちへの尊敬の気持ちが、時に湧き立っているように思えることがあった。

 だが、問題はそんなことではない。あの男の本当の顔はもっと別だと真は知っていた。
「でも、注目すべきは男も女も惚れる男のプライベートって小見出しの先ですよ。先生、怒っちゃだめよ」
 美和は真の視線の先を追いかけて、解説を挟んできた。言われた時には真の目は既にその先を読み始めていた。

@ ところで、そんな大和さんの私生活は、どうなんでしょう。
$ それは、恋人のことですか。
@ もちろん、それも含めて。指輪を左の薬指にしていらっしゃいますが、御結婚されているわけではないんですね。
$ これは家の紋章です。結婚もある種の契約とすれば、それに近いものはあるかもしれません。
@ では、いずれイタリアに戻られるのですか。
$ いいえ、そのつもりはありません。日本は私にとってもう既に故郷のようなものですから。
@ 日本にお住まいになってから二十年ですよね。ちなみに、お住まいは都内のマンションとお伺いしていますが。
$ ええ。他に多摩に屋敷が、あとは仕事柄、京都にも家があります。
@ 恋人のことを伺ってもよろしいですか。
$ もちろん。
@ 噂では、恋人はお一人ではないとも。
$ 付き合いの深さは色々ですが、どの女性も平等に愛していますよ。
@ 世の男性が聞いたら怒りそうですね。
$ 女性との時間は、仕事の疲れと緊張を癒してくれる大切な時間です。彼女たちとの会話もそれ以外の行為も、仕事のインスピレーションを高めるのには欠かせないものです。それに、こちらがそのつもりでなくても、時にはとんでもなく危ない目に遭うこともありますからね、安らかな気持ちにさせてくれる女性の存在はどうしても必要なのです。
@ 御結婚への願望は。
$ ありませんね。というよりも、私のような男と結婚する女性は不幸でしょう。
@ では、恋人が他の人と結婚したら、どう思われますか。
$ それは止むを得ませんね。その人の幸せを願うしかありません。
@ もう一つ、気になる噂を聞いています。お聞きしていいものかどうか迷うところですが、男の方の恋人もいらっしゃるとか。
$ それはなかなかユニークな噂ですね。確かに、同居人は男ですが。
@ 今お伺いしようとしていたところですが、同居人がいらっしゃるというのは本当なのですね。しかも、それはかなり有名な話とも伺っています。本当に恋人なのですか。
$ ご想像にお任せします。そうでないとしても、彼は私にとっては全ての女性の恋人と比べても、勝るとも劣らない存在なので、噂にも一片の真実があるのかもしれませんね。
@ どういう方なのか、気になりますね。
$ 愛しているのかと聞かれたら、その通りだと答えます。尤も、恋人であるかどうか、つまり肌を合わせる相手であるかどうかというのは、また別のことです。しかし、一緒に住んでいる最大の理由は、彼が私の恩人の息子であることと、放っておくと食事も一人でできないので私が料理を作っているからです。
@ お料理の腕も半端ではないと伺っていますが、それは本当なのですね。
$ それについては自信を持ってイエス、ですね。もちろん、うちのシェフには敵いませんが。
@ そんなお料理をいつも食べていらっしゃる同居人の方は羨ましいですね。二重の意味で、世の女性の羨望の的です。
$ このあたりで勘弁してください。これ以上余計なことを話すと彼に怒られそうなので。


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NEWS 2013/2/17 SHOCK見てきました 

さて、まずはN700系内のWiFi……うまくいきませんでした。
申し込み完了のメールもきたし、IDもパスワードもあっているはず、接続状況もOK。
でも認証できないって?? なぜ??

そんなこんなで、結局新幹線は東野圭吾さんを読みながらのお休みタイムになってしまいました。

ということで、帝劇のSHOCKです。
今井翼くんが相手役(敵役、ライバル役?)だったころからSHOCKを見せていただいております。
もちろん、あのころはEndless SHOCKではありませんでしたが。

そういえば、今井翼氏、日本人初のバーン・ザ・フロアに出演、おめでとうございます。
実は、今井氏のNHKのスペイン語講座、結構いいんじゃないかと思っておりまして……
私はイタリア語講座を、忘れないために見ているのですが、まったく分からない他の講座もつい見ていまして。
アラビア語講座が割とお気に入り。
色々な出演者=勉強する人の中で、今井氏は格段に良かった!
さすがにフラメンコ、ならぬツバメンコで知られる、スペイン好きの今井氏。
昔は可愛かったのにおっさんぽくて嫌~というわが友人たちの声の中、私はいまのおっさんぽいあなたが結構好きです。

また道草の悪い癖が…

SHOCKです。
もう、本当に、親戚のおばちゃん(私の妄想的立ち位置)の気持ちは、年々、階段から落ちる光ちゃんが心配で心配で……
わかってるんだよ、君の美学は。
君の無理してるとこも、ファンへの気持ちも、座長としての頑張りも拘りも。
でも、おばちゃんは心配!
もう若くないんだから……君が手を抜いても怒らない、たぶん。
でも君は手を抜かない。
だからおばちゃんは、祈りながら、君を見続けています。
怪我のないように、今日の公演が無事に終わるように、そして君が君自身に恥じない、最高の舞台を明日も続けていけるように。

本当にそれだけです。

でも、ちょっとシェイプアップ/ブラッシュアップされた今回のSHOCKはなかなか良かったんではないでしょうか。
まず、劇中劇っぽいシェイクスピアが短縮されていたのは〇
元演劇部としては嫌いじゃないけど、ストーリーとしては無駄な部分に見えていた。

支配人が男性で植草かっちゃんがやっていた時、2幕の始めに墓を掘って苦しんでいたのが支配人というのは『??』だったけれど、今回は誰よりも"コウイチ"の事故に責任を感じているはずの"ヤラ"(ライバル役)に代わっているのはよかった。
屋良くんのファンのひいき目もかなりあるけど、芝居としてもそのほうが分かりやすい。

そして、太鼓のシーンも無駄に長かったのが、踊りが加わって、見ていてレヴューみたいで華やかでよかったです。マイケル・ジャクソンの振付師、トラヴィス氏の演出した踊り……舞台映えして素敵でした。

いささか、セリフで説明しすぎ感はあったけれど、敵役の気持ちが結構しっかり出されていて、入り込みやすくなっていた。
ま、毎回、屋良くんの泣くシーンでは泣く私が言うと、説得力はありませんが……

米花くん、町田くんが抜けて、あちこち新しくなった配役、役回りも含めて、今回の座長の気配りは大変でしょうし、開幕から約10日、無事に幕が上がってホッとしたり、疲れやら緊張やらしんどさが一旦吹き上がったり、気になることがいっぱい出てきたり、少ししんどいタイミングだったのかな、と思うところもいくつかありましたが、今日も頑張っているあなたを心から応援しています。

でも、そんな中、屋良くんがあなたの安心できる場所になっていることが結構嬉しい!
しかも、何だかツーショットが素敵でわくわく!
萌え、とは違うかもしれないんですが、男同士の絆みたいな感じに見えて、おばちゃんは満足でした。
カーテンコールでの目と目で語り合う感じがね!

繰り返しますが、おばちゃんはなにより、怪我なく今日も無事に幕が上がり幕が下りることを一番に願っています。
また福岡で、素敵な"コウイチ"と"ヤラ"に会える日を、心待ちにしております(#^.^#)

あれ、ファンレターになっている?





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NEWS 2013/2/16 東京へ 

最近、新幹線の中が本当に良い仕事場です。
今までは出張の数日前に出来上がっていた原稿などなどは、1日前になり、当日朝になり、そして今や新幹線の中で勝負をかけるように……
日常業務はともかく、出張の多くは学会・研究会などに関わることなので、最近、最低の努力で最大の効果を挙げるのだ、などとうそぶいてみたり。
本当はひやひやです。

でも、
N700系の中ではWiFiも使えると聞いて、今日初めて申し込んでみました。
さて、無事に使えるのかどうか。

ちなみに今日は出張ではありません。東京に出張以外で行くのは1年ぐらいぶりでは…
実は、帝劇に堂本光一くんのSHOCKを見に行きます。
毎年、何とか行かせていただいております。
今年は大好きな屋良朝幸くんがSHOCKに復帰するので、嬉しいのです。

私はジャニーズおたくというわけではないのですが(大体、どのグループが何人いるのか、よくわかっていない)、Kinki Kidsはデビュー前からのお気に入りでした。
それは、『人間失格』『若葉のころ』(すみません、『海に落ちる雨』のタイトルにいただきました)という、本当に古いドラマからの出発で、あのころのドラマは本当に重い苦しいお話でした。
でも、すっかりハートを射止められ、応援すること○○年……昨年15周年を迎え、本当に感無量でした。

今では私は親戚のおばちゃん。
甥っ子の光一くん、剛くんは最近どうしているのかしら、的な立ち位置なのです…

そういう中で、幾人か新たなお気に入りの方が出てきたわけです。
って、15年以上で2人だけ?
1人がその屋良くん。
そしてもう一人が嵐の大野くん。
実は、他は全然目がいっていません。
(ごめんなさい、決して嫌いとかではなく、見ている余裕がないのです…)

共通点は……小っちゃい、職人、踊りが上手。
大野くんは動じないところと、歌声も好き。素直な真っ直ぐな声の質だと思うのです。
踊りも、何だか手を抜いているみたいに見えるけど、歩いている足がすでにステップを踏んでいる。
ターンして、足を下すまでの時間が美しい。
Monstarの踊りなどは、もう、何回見ても素敵で、飽きるほど見ました。

はまった瞬間も覚えています。
お化け屋敷で、みんなが『ギャー』というような出来事にも、まったく動じなかったあなたに惚れました。(座った椅子が、がたんと落ちたんですね。大野くんは動じなかったけど、見ていた私は落ちました……)

屋良くんは、やっぱり踊りですね。
でも、本当はMA(Musical Academy)時代のミュージカルが本当に好きだった。
4人で頑張ってて、毎回本当に楽しませてもらって。
カーテンコールでの米花くんと屋良くんの息の合った、ものすごい高さのダブルバック転。
確か10列目くらいで見ていた私は、今でも、目に焼き付いていて離れません。

小っちゃい、というのは、実は藤井フミヤさんからのスタートで、チェッカーズ時代からのファンなのです。
今でも、毎年フミヤのコンサートには行きます。
私の青春を支えてくれた恩人ですから、『お礼参り』みたいなものです。
今でも、とってもかっこいい、と思う。

小っちゃい人が好みというわけではないのですが……
だって、引退しちゃったけど城島健司さん、そして昔お嫁にもらってほしいとまで思っていた大泉洋さん、などは低くないし。
他に気になっている人は、中井貴一さん、堺雅人さん、伊勢谷友介さん、上川隆也さん……
何だか、脈絡のない私でした。
でも、基本的に芝居のうまい人が好き。職人が好き。

わが友の名言に
生涯いちミーハー
というのがあります。本当に、誰かを応援するのは楽しい。
そして、応援するなら、いい時も悪い時も応援したい
それが私のモットーです。

あれ、何の話だっけ?


ということで、新幹線の約3時間、半分は仕事に、半分は記事書きに充てようと思っています。
できれば、『死者の恋』を進めたいのと、そしてできればSSの2年後SSを書いてみたい…
とか言って、寝ちゃうんですけど……
本も読みたいし。
今読みたいのは、久しぶりに『スケルトン探偵シリーズ』……ご存知ですか?
訳者が変わって、ちょっと印象が変わったという話があるのですが……(ずいぶん前のことだけど)

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☂[5] 第1章 同居人の留守 (5)(改) 

 次の朝、真が調査事務所に着くと、既に秘書の女の子が鍵を開けていて、居ついているヤクザ志望の大男が掃除をしていた。

 この二年ほどの間に、相川真という名前は新宿ではちょっとばかり知られた名前になっていた。
 相川調査事務所というのが、堅気ではない北条グループの持つビルの一室に設けられていることもあるが、その所長がよくあるような元警察関係者でもなく、まだ二十七の若い男であること、そのバックについているのが、有名な企業の顧問弁護士をいくつか兼任している、しかし実際には少年事件でその高名を世間に知らしめている名瀬弁護士であるということ、この職業にありがちないかにも胡散臭い気配もなく、ちょっと印象的な外見を持っていて、ある筋では有名な男と同居しているということが、この若者の名前をこの町の中で一気に押し上げてしまった。

 調査事務所とは言え、最近では不良少年少女の駆け込み寺的存在にすらなりつつある。
 以前、真が勤めていた唐沢調査事務所は、所長が保険金詐欺を働いて閉鎖されたが、そこでも未成年の家出は真の担当だった。
 名瀬のような立派な経歴の弁護士に、唐沢のような怪しい男の知り合いがいることを未だに真は理解できないでいるのだが、唐沢が逮捕されてからも名瀬は真を重宝してくれていた。独立してからも、名瀬の手伝いで少年事件の下調査を続けていて、いつの間にかこの調査事務所の売りが未成年の家出調査ということになってしまい、気が付けば関わった子供や親たちのクチコミでそういう世間的な存在の意味が出来上がってしまった。
 勿論、今では未成年に限らず成人の失踪人調査の依頼も多いし、時には何を間違ってかペットの行方不明まで扱うこともある。しかも、大きな声では言えないが、実は動物関係はかなり得意でもある。人間の顔が一人一人異なるように、真には猫の顔も犬の顔も全て異なって見えるのだが、何より本来野生の生物がこの東京という都会の中で、本能的にどういう行動をとるのかということを、真自身が身を持って知っているからかもしれない。

 実際には、相川真はこんな仕事に向いている屈強で我慢強く逞しい男ではなかった。
 明らかに異国の血が混じっていると分かる外見、よく見ると真っ黒ではない髪と、左右の色が異なっている目は、月並みなことだが、物心ついた頃には苛めの対象になっていた。大柄でもなく、一見では強そうにも見えなかったことは、その状況を悪化させることになった。事情があって両親に育ててもらえなかったことが、さらに気持ちを卑屈にさせる結果になり、子どもの頃に育った北海道を出て伯父の住む東京に来てからは、微妙な方言のイントネーションが少年時代の真を苦しめた。

 様々の成り行きが真をこの仕事に就けさせたが、本人はこれを望んでいたわけではなかった。大学生の時にはロケットを飛ばすエネルギーの研究をしていて、もしも大学を辞める状況に追い込まれなければ、研究職という、有難くも他人とあまり口を利かなくて済む職業に就いていたはずだった。
 だが紆余曲折した人生は、時には思わぬところで役に立つ事がある。
 卑屈になっていた少年時代のお蔭で、苦しむ少年少女の気持ちには敏感にならざるを得ず、とはいえ慰めることは全くできないのだがそれがかえって彼らには居心地がいいらしい。
 その上、他人を肩書きや職業や学歴で判断できなくなってしまっていて、やむを得ず身に付いた平等感覚が、多様な立場の人間の気に障らない彼という人間を作り上げてきた。今の仕事はそういう感覚がプラスに働いている。
 もっとも、この真の感覚を、馬、犬、人間という程度の区別しかついていないと、同居人はからかう。確かに、人間の顔の区別がつくように、個々の犬や馬の顔の区別も難なくつけることができる真にとっては、平等という感覚が他人とは違う次元で成立しているのかもしれない。

 それに、申し訳ないが、もとヤクザか刑事かというほどに胡散臭い顔つきの同業者たちの中で、いくらかでも堅気の人間が取っ付きやすい年齢と顔つきであることは、一見ではこの手の仕事をしている人間には見えないし、仕事を依頼してもらいやすいという、ありがたい側面を生んでくれる。
 都会に身寄りのない地方出身の大学院生に間違えられることも多かったし、やや年かさの人間の保護本能をくすぐるには、この外見は大いに役立ってくれた。たまにふと、わざと北の国のイントネーションを絡ませている自分に気が付くと、真は随分阿漕になったと我ながら感心することもあった。

 そのお蔭か、決して大手でもない真の事務所は、何故か情報網の豊かさでは何処にも負けていない伝を幾つか持っている。もちろん、真の怪しい『師匠』唐沢正彰のネットワークはそのまま使わせてもらえることもあるのだが、それはかなり危険な方面の伝であって、何より市井の人間の伝という点では、真も、共同経営者の女の子も、世間知らずの田舎者の媚を振り撒いては、怖いくらいに相手の同情心と人情を煽るという技を、知らず知らずに使えるまでになっていた。

 新宿の東口を出た歌舞伎町の一角にある四階建てのビルは、表向きは不動産業だが昔気質のいわゆる任侠一家の北条グループの持ち物で、数年前の風俗店一斉ガサ入れまでは多少怪しい店が入っていたが、その後は一応まともそうに見える事務所や店舗が入っていた。

 一階は薬屋で、その奥に小さな診療所がある。主に漢方を扱っている薬局だが、この界隈の人間が利用する理由は、精力をつけてくれる類の薬やら道具を売っているからだった。店主は小太りの中国人で、真にもしばしば薬を勧めてくれる。買い求めたことはないが、無理矢理押し付けられたことはあり、どんなものかと一度だけ試してみたことはあるが、効果を実感できたという気はしていない。診療所のほうはいわゆる性病を診てくれる病院のようだが、割と流行っていることは出入りする人間の数からも想像できる。

 二階には真が使っている事務所と、隣にはどういう客層を狙っているのか分からない旅行会社がある。尤も、かなり格安のチケットを扱っていることと、ツアーの行き先が辺境地というあたりも手伝ってか、特異な格好をした若者がやってくるし、たまには青年海外協力隊のような特殊な任務を背負った団体の利用もあるようで、この二階への階段を上って来る客はこの界隈の一般的な基準からはまともな方かもしれない。
 三階は事務所と住居が一緒になったような造りになっているが店は入っておらず、四階はカラオケバーになっていた。

 ビル自体の入り口は人通りの多い表通りに面していて、それほど陰湿なムードは感じられないが、初めて訪れた客が上るには多少の勇気と覚悟が必要には違いない階段を上ると、事務所の扉の前で大柄な男が廊下を掃いていた。

「お早うごぜえやす」
 身体も顔も厳つく大きいが、気の小さいこの男は宝田三郎という名前で、大阪の出身だった。
 身体つきは、仕事を失って筋肉が贅肉に変わり始めたプロレスラー、といったところで、子どもの頃どぶに落ちて切ったという顎の傷が、後の処置が悪かったのか随分と目立って取り残されている。これが宝田を厳つく見せていて、すれ違う人はまず彼と目を合わせないようにするはずだが、よくよく見ると小動物のような可愛らしい目をしている。北条の若旦那のところに弟子入りを希望したが、性格が向かないと言って一蹴された。天涯孤独で行き場がなく困っているのを、真の事務所に紹介された次第で、北条の若旦那に恩義を感じ、真のことは先生、先生と言って尊敬してくれている。

 宝田はその尊敬の気持ちを表すべく、毎朝頼みもしないのに事務所をぴかぴかに研き上げる。宝田が育った施設は、お世辞にも愛情深く子どもたちを育てているという環境ではなく、そこで彼はいつも掃除をさせられていたらしい。お蔭で、古い新宿のビルにも関わらず、事務所は清潔で比較的居心地も悪くない。

「先生、おはよ」
 真が事務所に入るなり、奥の炊事場から元気な声が聞こえた。
 砕けた調子で挨拶をする『秘書』の柏木美和は、北条の若旦那の恋人だった。とは言え、本人は大学でジャーナリズムを勉強している写真家志望の一見普通の立派な女子大生で、あまりちゃんと聞いたことはないが、いい家のお嬢さんのようだった。それが任侠の男と付き合っていて家族問題になっていないのは、彼女の出身地が山口県というかなり地方であるお蔭だった。

 ちなみに『秘書』と本人は譲らないが、真にとっては実際は共同経営者だった。彼女なりの美意識の中で、『秘書』というのがハードボイルド的に格好いいということらしい。もっとも、探偵小説の登場人物ではないのに、ハードボイルドを求める理由はよく分からない。
 普通の女子大生よりはお洒落に気を使っている気配はないし、どちらかというと童顔なので高校生と言われても通用しそうだが、口だけは年上の人間を完全に言い負かしてしまう。だが、田舎ののんびりした金持ちのお嬢さんという出身によるものなのか屈託がなく、口だけは江戸っ子並みのきっぷの良さだが、嫌味がない。

 宝田も美和も推理小説の読みすぎだった。所長のことは『先生』と呼ぶのが格好いいと思っている。ただし、宝田が読むことができるのは、少年少女向け江戸川乱歩シリーズくらいだろう。
「雑誌、見ました?」
「雑誌?」
 美和はタイミングよく淹れたコーヒーを運んできて、大きめの窓の前のデスクに座りかけた真の前にコーヒーを置いた。
 デスクの上に美和が持ってきたらしい雑誌があって、真は表紙を見た途端、勘弁してくれ、と思った。
「ほんと、大家さんってモデルにしてもいいくらい男前よね」
 と言うのか、半分裏社会に首を突っ込んでいるような男が、こんなに堂々と全国誌の表紙を飾っていていいのか、と思った。

 雑誌は砕けた切り口が売り物の経済誌で、社会の上層の男たちが身に付けるべき教養や服装にまで言及している。その上、一流の女性の読者層も狙っていて、特集でしばしば一流の世界で成功している人物が取り上げられる。女性にも、というのは、その特集の人物が大概年寄りではなく若手で、しかも圧倒的に独身の男が取り上げられているのだ。この手の教養誌にしては発行部数も多く世間への浸透率も高い。切り口は砕けているが、奥行きが深いというのも、この雑誌の発行部数を伸ばしている理由のひとつだった。

 雑誌の表紙には、銀座の有名ギャラリーおよびレストランのオーナー、稀代の修復師『大和竹流(36) 』と、彼の胡散臭い日本名がでかでかと掲載されていた。

 知り合ってから十五年以上もたって、しかもこんな雑誌の表紙で、今更だが同居人の年齢を知った。自分よりも随分年上だとは思っていたが、大体そんな単純なことさえ知らなかったと思うと情けない気分になってくる。誕生日は四月だと聞いたことがあるが、何日かさえ知らないし、祝ってくれと言われたこともない。

「それ、アイドルの雑誌なみに売れてるみたいですよ」
 美和は楽しそうに話しかけてくる。もっとも、彼女はいつだって楽しそうだ。
「そんな雑誌が売り切れになるほど売れるなんて、普通はないでしょ。表紙だけでも買っていく女性がいっぱいいるんだって、本屋の人が言ってましたよ。最後の一冊だったんだもの」
 美和は栗色の瞳を思い切り楽しそうに輝かせて続けた。
「インタビューを読んで、先生、怒らないほうがいいですよ」
「怒る?」
 美和は御丁寧に雑誌を開いてくれた。


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【石紀行番外編】フランス南西部・美しい村(1)サルラ 

本当はルフィニャック洞窟の予定だったのですが、実は洞窟で購入したスライドが見当たりません(;_:)
撮影禁止なので、大事なスライドなのですが……
必ず探し出して、また記事を書かせていただきたいと思います。

そこで、今回はフランス南西部の美しい村を巡る旅にご案内いたします。
なお、この旅行の際に大変お世話になった旅行社さんがフランサテムさん(HPはこちら)です。
あれもこれも、というわがままを聞いてくださり、とても素敵なプライベート旅行を計画してくださいました。色々なオプションを考えてくださいますので、このあたりに旅行される際にはぜひご検討ください。

さて、まずはサルラの街です。ガチョウのモニュメントが有名ですが……
そう、このフランス南西部には世界3大珍味のうち2つがあるのですが、そのうちのひとつ、フォアグラの元がこの界隈に……(ガチョウさん、ごめんなさい)
ちなみにフォアグラは鴨の場合もあります。鴨は安いのですが、ガチョウは高級。
フランスの方々に聞くと、ガチョウは特別な日にしか食べられないのだとか。
もちろん、旅行者には『今日』がその特別な日だから、いただきました。
sarura
街はこんなふうに明るくて素敵な感じ。
コチラはほとんど立ち寄り、という感じだったのですが、印象的なのがマルシェ(市場)。
ちょっと覗いてみましょう。
マルシェ4マルシェ5
古い建物を利用したマルシェ。入り口はちょっとロボットの格納庫みたいですが、中に入ると普通にマルシェ。
並んでいるお酒もソーセージも、おしゃれです。
マルシェ
マルシェ2
マルシェ3

街の中のショーウィンドウも、とても素敵。
ショウウィンドウショウウィンドウ2

そして、フォアグラです。
フォアグラ1
街にはフォアグラ専門店?にて、こんなふうに缶詰が並んでいます。いかにも脂肪たっぷりの肝、という感じの色合いに見えるのは私だけ?
フォアグラ
ラスコー近郊にはこんなガチョウ農家さんがあります。本当に、ごちそうさまですm(__)m
がちょう

フランスに行って思ったこと。
本当にご飯がおいしい。イタリアも美味しいけれど、逆流性食道炎持ちの身には辛いものがあります……
しかし、フランスの食事には外れがありませんね。
日本人がフランス料理にならされてしまっているのかもしれませんが、たとえば先日ご案内したブルターニュ地方は、海が近いので魚介類がとてもおいしい。調理もシンプルで、和食に近いものがあったりします。

そもそも京料理は、海から遠いために素材の新鮮さが失われてしまう→美味しく食べるための工夫を積み重ね、現在の素地が出来上がったとか何とか(嘘かもしれません)。
もちろん、今は流通がスムーズなので、素材も良くなって、さらに美味しくなったということなんですよね。
フランス料理も、ソースなどの工夫がされていったのは、やはり海から遠い地方での『必要は発明の母』的なものがあったのかもしれません。
いずれにしても、美味しいものにありつける私たちは幸せです。

さて、フランスの美しい村、次もゆっくりご堪能ください。

Category: 石の紀行文(写真つき)

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