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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【死者の恋】(3)嘘つき 

@ちょっと間が空きましたが、(3)をお届けします。重大な間違いに気が付いて、(2)を書き直して再掲しましたので、そちらも併せてお願いしますm(__)m


調査事務所所長の相川真のところに持ち込まれた、女子高生・島田詩津からの依頼。
岩木山で出会った足の悪い年老いた女性が持っていたという骨の入った小瓶。
それを返したいから、その老人を探してくれと言われたのだが、待ち合わせた上野駅には彼女は現れず。
彼女を真のところに連れてきたロック歌手の向井嶺もあてにならない。
付き合ってくれている同居人の修復師・大和竹流も、津軽に用事があるようなのだが…



 朝、弘前駅に着き、ホームに降り立つと、思ったよりも暖かい空気が身体を包んだ。
 寝台車では何度も目を覚ましたので、熟睡感はなかったが、北国の朝の空気はやはり心地がいい。温かい中に時々、肌を刺すような冷えた空気が混ざり、厳しく長い冬をようやく抜け出した後の、独特の匂いがする。
 駅のロータリーまで降りてくると、竹流が誰かに向かって手を挙げた。
 ふとその相手を見ると、軽トラックの前に立っているのは、真も知らない相手ではなかった。
「めんずらしい組み合わせだべな」
 それは確かにそうかもしれない。
 真が弘前に来るときには、大概祖父母のどちらかと一緒だ。そして竹流がこのリンゴ農家の男を知っているとなれば、間に挟まっているのは真の祖父でしかありえない。北海道に住む真の祖父と竹流は、年齢も民族も異なるのに、しかも真の祖父は頑固で人当たりが悪いのに、何故か馬が合って、真の知らないところで時々一緒に飲んでいるらしいのだ。
 一言二言挨拶を交わしているうちに、どうやら竹流はもともとこのリンゴ農家の男に車を、それも軽トラックを借りる予定だったらしいことが分かった。
「夕方、店に来るべ」
 軽トラックの鍵を竹流に渡すと、リンゴ農家、兼居酒屋の雇われ店長、兼津軽三味線奏者でもある澤井哲は、自分はそのまま集会があるとかで、すたすたと道を渡って行ってしまった。今年五十になるはずだが、典型的津軽のおっちゃんである哲は、相変わらず好き勝手に、程よくあれこれ楽しみながら、それなりのじょっぱり人生を生きている。

 つまり、結局『山背』には顔を出すことになるということだ。
 丁度いいので、『山背』を連絡先にしようと、公衆電話から嶺に電話を入れた。『山背』は居酒屋で、営業は夜だけだが、昼間は三味線の練習場になっているし、昼過ぎからは仕込みに入っているので、誰かが電話に出てくれる。
 この時間なら嶺は帰ってきてベッドに入る頃合いだろう。運よく昨夜のうちに志津を探し出してくれていたらいいのだが、また別の女と一緒である可能性もなくはない。
 だが、嶺は電話に出なかった。念のために、嶺が出演しているライブハウスにもかけてみたが、さすがに朝九時もまわったこの中途半端な時間に店に残っている者はいなかった。
 飲んだくれていて、どこかの道で寝ていてもおかしくないし、誰かと喧嘩して刺されて倒れていてもおかしくない。そんな嶺をあてにするのは間違っているとも思うのだが、どこかで信じたい気持ちもあるし、誰かが嶺を気にかけてやらなければならないとも思っていた。

 岩木山スカイラインに上がる前に、竹流の言う通り、岩木山神社に寄る。
 軽トラックを降りてドアを閉め、二重、三重に鳥居が見える先、岩木山そのものへ続くような参道を見る。弘前市内も大概田舎町だが、ここに来るとまさに空気が変わる。
 まだ中高生だったころの真は、ここに来ると体があちこち不調になっていた。何かが見えるとか、何かの気配がするとか、そういう単純な話にしてしまってもいいのだが、どうやらここは死者があまりにも近いのだ。それは真にとってのみ近いということではない。この東国、奥州日の本の国の人々にとって、あの世とこの世の境界はあまりにも曖昧と言うことであり、この場所はそういう聖域なのかもしれない。
 もっとも、杉林の向こうからまつろわぬ古の鬼たちの気配がすると言っても、それはおっかないというより、あまりにも当たり前にそこにあるもの、という印象であり、真の神経を逆なでするような嫌な気配ではなかった。

 山に登る前には山の神様に挨拶をせねばならないという日本人的感覚を竹流が身につけていることについて、もう真には違和感はないが、他の日本人が聞いたら不思議がるだろう。だがこういう手順を踏むというこだわりの有無は、その土地の人間であるかどうかということとはあまり関係がないような気もする。
 太い注連縄の下で、この山の神に入らせてもらいますという挨拶をし、竹流の横顔を見ると、例のごとく真剣に祈っている。
 カソリックの総本山を支えていると言っても過言ではない家の跡継ぎだと言われる男だが、宗教的には極めて寛容で、攻撃的なところがない。
「あんたの目的地は?」
「岩木山の北側だ。とりあえずスカイラインを上がって、あちこち聞きに回るんだろう?夕方、山背には顔を出さざるを得ないだろうから、今日中に辿り着くのは難しそうだし、市内に泊まろう。もっとも、哲さんが泊まれって言い出しかねないけどな。で、明日一緒にその寺に行ってくれたらいい」
「あんたの仕事が進まないんじゃないのか」
 竹流はちょっと考えているような顔をしていたが、それはまぁいいんだ、と何か本音を隠したように見えた。

 岩木山スカイライン。
 全長九、八キロの見事なヘアピンカーブの道だ。カーブは全部で六十九あり、密生するブナの原生林を抜けていく。昭和四十年に開通したこの道で、岩木山の八合目まで行くことができ、そこから九合目まではリフトで登ることができるが、その先頂上までは、一時間はかからないというものの、まさに岩を登るような登山になる。
 運転席の竹流は、相手が愛車のフェラーリであろうが、農家の軽トラックであろうが、まったく意に介していない。軽トラックと長身の外国人という組み合わせはどう見てもおかしいはずなのだが、何故かしっくり馴染むようにも見えるから、この男は不思議だ。多分、本人がこの組み合わせが可笑しいとは一向に思っていないからなのだろう。
 ブナの根元にはまだ雪が残っている。

 料金所で真はふと看板に目を止めた。
 あの娘、嘘をついたな。
 北国の出身である自分があっさり騙されたのもいささか格好が悪いが、正確な日付が分からなかったのでそういうものかと疑わなかった。おそらく、島田詩津は色々嘘をついていることがばれるのが怖くて、待ち合わせをすっぽかしたのだろう。
 さて、こうなるともう、何かの手がかりが見つかる可能性は低そうだが、とにかくここまで来たからには行ってみるしかない。
 もちろん、ここで引き返して依頼を断ることもできるのだ。しかし、内ポケットの小瓶が真のジャケットの内側で声にならない声で話しかけてくる。竹流の言う通り、これがこの依頼を受けてしまった理由でもあるのだから。
 真は助手席から窓の外を見つめていた。
 ひとつカーブを越えるたびに視界が広がっていき、日本海が大きくなり、波が打ち寄せる海岸線が伸びてゆく。津軽富士と呼ばれる岩木山の雄大な山麓が、視界のいっぱいいっぱいまで広がる。
 東京にいると時々息苦しくなる呼吸が、実はこんなにも楽だったのだと思い出させてもらっただけでも感謝することにしようか。

「それで、結局、その女子高生の話はどういう内容だったんだ?」
 付き合ってくれるというのだから、有難いと思うべきだったが、何となく申し訳ない気もしてきた。
「もしかしたら、まったく嘘を聞かされてきたのかもしれない」
「嘘?」
「二週間前に、この岩木山の登山道、つまりこの先の八合目の駐車場からさらにリフトで九合目まで行って、そこから先の登山道で、足の悪い年老いた女性に会ったと言ったんだ」
「二週間前?」
 竹流も嘘の内容を理解したようだった。
 二週間前なら、冬季のためこのスカイラインは閉鎖されていた。もちろん、その女性が四つあるうちのどれか登山道を下から登ってきたという可能性もあるが、少なくともあの娘は車で八合目まで行ったと言ったのだから、結果的には嘘に違いない。

 竹流はしばらく黙ってヘアピンカーブに集中してハンドルを捌いていたが、やがて静かに言った。
「だが、引き返す気はないんだろう?」
 真は答えなかった。竹流は分かっているだろうと思ったからだ。
「それならこのまま行こう。で、嘘っぱちでも、その小娘は他に何を言ったんだ?」
「その人は足が悪くて、段差のきつい岩場を全くうまく登れなかったようだ。足が悪いのにこんなところに一人で来て、なんて迷惑なばばぁだ、と思ったらしいんだが、行きがかり上、手を貸す羽目になったんだと」
「ばあさんは本当に一人だったのか」
「と言っていたけど。何でも、亡くなった御主人と一緒に登るはずの山だったから、何とか登りたいのだと言っていたらしい」
「で、その骨とどういう関係がある?」
「お礼だと言ってもらった饅頭の入った袋に、一緒に入っていたと言うんだが」
「なるほど。で、帰って見てみたら、中に骨の入った小瓶が混ざっていて、それを返したいが、手掛かりがないのでお前のところに来た、と」

 嶺が言っていた、あの娘は家に居場所がないのだという言葉が、ふと頭をよぎった。
 もう少し話を聞いてから来ればよかったと思う。だが、この道々でゆっくり話を聞いてやってもいいと思っていたのだ。
 もちろん、真には悩める少年少女の相談相手になれるという自負心など欠片もない。結果的に幾らかは頼れる大人の役割をしてやっていることは多いが、それが彼らにとってどれだけの助けになっているかと言うと、やはり大したことはできているとは思えない。
 結局答えを出すのは自分自身だ。

 山に上がり、八合目の駐車場でトラックを降りると、地上の霊気が祓われていくような清々しい風が吹き抜けていた。
 七里長浜から緩やかなカーブを描いて小泊岬、さらに向こうに北海道までが見えている。
 千六百二十五メートルの山の八合目は、四月の終わりではさすがに寒かった。軽トラックにはそれを見越したように、雨合羽らしいものが積まれていて、竹流が一枚を真に渡してくれた。
 竹流に促されて、リフト乗り場の受付に行く。
 足の悪い女性を探しているのだと言うと、案の定、少なくとも今年になってから、つまり僅か数日前に今年の開業を始めてからはそんな人は見かけないし、去年のことは分からないという答えが返ってきた。ちなみに、昨年の最終開業日を確認すると、十一月四日だったという。
 とりあえず、リフトに乗って、山の様子を見に行ってみることにした。
 一人乗りのリフトは、風が強くて随分と揺れた。これ以上風が強くなったら運行中止になるだろうが、受付の人はもうしばらくは大丈夫だろうと話していた。彼らのほかには、物好きな数人が乗っているだけだ。
 哲さんが車に乗せてくれていた雨合羽がバタバタと硬い音を立てて膨らみ、頬には風が突き刺さり、耳は遠くなるほどに冷たくなった。
 後ろの竹流振り返ると、雄大な山麓の景色から向こう、北海道の方を指差して何か言いかけてから、声が届かないことに思い至ったのか、ただ微笑んだ。

 リフトを降り立つと、すぐに竹流も降りてきて、あまりの風に自然に体が引っ付くくらい近い位置で山の方へ歩き始めた。
「どう思う?」
 真の耳に口元を近付けて竹流が聞く。
「どこまでが本当の話かってことか?」
「あぁ。少なくとも、場所までは作り話じゃないんだろうな。あとは、本当はいつだったか、ということだ。大体、その娘は、誰とここに来たんだ? 少なくとも女子高生が一人で来るところじゃないだろう」
 さすがにこの季節に山に登ろうという酔狂はいなさそうだった。ここまでリフトで来た夫婦連れらしきカップルと、若い男女のカップルも、リフトを降りてから山の方に向かう気配はない。
「家族で、と言っていたが」
 よく考えたら、奇妙な話だ。彼女は『家族の中に居場所がない』のだから、家族旅行を楽しむようには思えない。それも東京でちゃんと聞いておけばよかったと思ったが、そもそも島田詩津の態度は、真に何でも話して依頼する、という気配ではなかった。
 嶺に無理矢理連れてこられて、しぶしぶ話している、という感じだったのだ。
 嶺の奴も、珍しくおせっかいになったものだ。
 そのことも、少し引っかかる。
「ちょっと行ってみるか。山頂まで行ったら遭難しそうだけど」

 九合目から少しの間は普通に歩ける道だった。とは言え、アップダウンのある山道には違いない。やがて直ぐに雪よけの小さなヒュッテが見える辺りからは、足が不自由であればとても登れそうにない岩の道になっていた。ヒュッテの先は一旦平地のようになり、その先は頂上まで完全な岩の山だ。
 足が悪い、といっても、程度にはよるのだろうが。
 一段だけ、随分と高さのある岩を目の前にして、竹流が足を止め、真も思わず彼の顔を見た。
 女子高生が嘘をついていたのだとしても、その女性が完全な架空の人物と言うわけではないのだろう。
 では、その年老いた女性は、なぜ骨の入った小瓶を持って、この山を登ろうとしていたのだろうか。この骨は、普通に火葬されたものではない。ならば、その骨の持ち主はどのようにしてこの姿になったというのだろう。
 風で震える雨合羽の内側で、小さな骨がカタカタと鳴っていた。
 その風に紛れて、何かの声が聞こえそうな気がする。
 胸のあたりが熱くなっていた。それはこの骨にまだ肉塊が伴っていた頃の記憶や名残なのだろうか。もう少し耳を澄ませ、心をここから解放してしまったら、何かの真実に届くような気がする。

 不意に、意識が遠くに持ち去られそうになったとき、竹流がぽんと真の腕を取り、軽く促した。
「少なくとも、足の悪い老人が一人で簡単に登れる山じゃないことだけは確かだな。しかも、登れても降りるとなるとさらに大変だ。もしも万が一、山の下から徒歩で登ってきたんだとしても」
 真は思わず息を吐き出した。
 そうだ、そんなに都合よく死者の声が聞こえるほどの力が自分にあるわけでもない。霊媒師でもないのだし、たまに何かの気配を察知することはあっても、現実と幻覚の区別がつかないことがあると言うだけで、そういう情報を用いて事件を解決できるというよなはっきりしたものではない。
 冷静でいなければ、また妙なものに付け入られてしまう。真はようやく口を開いた。
「少なくとも帰りはバスか、タクシーを使っている? あるいは行きも」
 竹流はしばらくの間、黙って真の顔を見ていた。
 この男には、多分真の今の状況がある程度伝わっているのだろう。だから、自分の仕事を少しの間先延ばしにして、真に付き合っているに違いない。少なくとも、その女子高生が一緒ならばなかったであろう隙が、今の真にあるということなのだ。
「そうだな。まずはその小娘を引っつかまえて、本当はいつここに来たのか、問いただした方がよさそうだぞ」

 それにしても寒い。少なくとも本当にこんな季節だったのなら、その女性は凍えて大変なことになっているはずだ。
「ついでに、遭難届も調べておいたほうがよさそうだな」
 そう言った途端、竹流が真の身体を軽く抱くようにして、耳元に囁いた。真は驚いたが、単に無茶苦茶に寒くて温もりを求めただけなのかもしれない。あるいは、真がどこかへ意識を飛ばしてしまいそうになるのを引き留めたかったのか。
「こっちが遭難する前に降りよう。漫画みたいに、あのヒュッテにお世話になって一晩抱き合うって下りも悪くないけど」
「殴るぞ」
 抗うようにして言うと、頭を撫でられた。
 全く、いつまで子ども扱いする気なんだろう。
 とにかくバス会社とタクシー会社、それに警察だ。とは言え、その女性の出所が分からなければ、片手落ちになる。山を降りたら、まずもう一度、嶺に電話をかけてみよう。
 どうあっても島田詩津を捕まえた方が良さそうだ。
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【死者の恋】(2)すっぽかし 

@ちょっと大きな間違いに気がついて、書き換えました。書いたとき、ちょっとぼんやりしていて、新幹線にでも乗っているように書いてしまった…光景が昼間。
時代からは、弘前までの移動は、飛行機でなければどう考えても夜行なので、夜行の景色に変えました。
気をつけなきゃ^^;
再掲です。偉そうに、その時代にないものを書かないように気を付けると書いてあるのに…^^;^^;
では改めて、よろしくお願いいたします。


お待たせいたしました!…って誰も待っていないかもしれませんが…^^;^^;
突撃連載!【死者の恋】(2)をアップします。
このお話は、18禁要素は全くありません。

でもあまりにも(1)が前だったので、一応ジャンプできるようにしておきます…
(クリック→死者の恋(1))
でも、実は真と竹流がお好み焼きを食べているだけなんですが。

初めてこのブログにたどり着いてくださった方のために…
相川真は私のつたない物語のメインキャラクターです。
新宿の調査事務所の所長。
そして同居人(というよりも真が居候している)が修復師の大和竹流(ジョルジョ・ヴォルテラ)。
この二人の生い立ちは【海に落ちる雨】始章のページを開いてみてください。
いきなり、ヨーロッパ大河ドラマになっていますが……

幾つか確認事項。
このお話は、多分真が26歳のはずなので、1978年くらいの話。
1978年と言えば、サザン・オールスターズのデビュー、ピンクレディのUFO、キャンディーズのサヨナラコンサート、成田空港開港、初の24時間テレビ(萩本欽一と大竹しのぶ!)、ザ・ベストテンの放送開始。
もう、本当に楽しすぎます。
だから、携帯電話なんてありません。
そう、連絡の取れない切なさと不便さが物語にも歌にもなった時代なのですね。

大好きな曲のひとつ、徳永英明さんの『レイニー・ブルー』の歌詞にある、電話ボックスの外は雨、かけなれたダイヤル、回しかけて……と、この切なさを分かる世代の方は、思い出して楽しんでいただけると嬉しいです。
そして、そんな不便なのはあり得ない、という世代の方も、ちょっと想像して楽しんでいただけると嬉しいです。

だから、冷凍ミカン! 東北へ向かう国鉄の始発駅は上野! そう、JRじゃなくて国鉄!
何だか楽しいですね。
岩木山のスカイラインがそのころあったのか、思わず調べちゃいました。
ありました。よかった。
でもわからないのが、8合目から9合目までのリフトの沿革。ちょっと困ったなぁ。

さて、第2話、ようやくミステリーの気配が…?





 若い女ほど気まぐれなものはない、ということは知っていたつもりだった。女子高生となると尚更だ。
「で、これはすっぽかされたわけか」
 竹流は例のごとくあれこれと修復師の七つ道具(もちろん、七つ以上ある)が入った重そうなアタッシュケースを足元に置いて、上野駅の待合の椅子に座り、傍で突っ立ったまま腕時計を確かめる真を面白そうに見ている。
 ちらちらと自分たちを見る周囲の視線にはもう慣れていた。そもそも竹流が目立つ。背は百八十はあるし、淡い金の髪と青灰色の目、それに整った顔かたち、ついでにこの外見からは想像もできないくらい流暢な日本語、耳をくすぐるようなハイバリトンの声を聞けば、誰だって振り返るのだ。
 クォーターである真自身も、決して目立たない顔かたちではないのだが、もしも真一人だったら、それほど周囲の視線を集めることはないだろう。
 どういう組み合わせかと興味深く見られているに違いない。
「そうらしいな」
 ちょっと電話をかけてくる、と言い捨てて、真は公衆電話を探した。
 ホームの真ん中に見つけると、ポケットを探って小銭を取り出す。
 春とは言え、夜になると風は冷たい。
 電話番号は覚えていたのだが、念のために内ポケットから手帳を出して確認し、幾分かかじかんだ指でダイヤルを回した。

「あんたか。朝っぱらから何だよ」
 眠そうで不機嫌な声が受話器の向こうから聞こえてくる。朝、というのは彼にとって一日の始まる時間、つまり世間一般の夕食が終わる頃合いだった。
「お前が連れてきた島田さんと待ち合わせているんだが、来ない」
 ふーん、と興味なさそうにロッカーの色男は息を吐き出した。カチッとライターを打ったらしい音が聞こえてくる。ついでに、りょうちゃん、だれよ~という甘ったるい声が聞こえる。
「そこにいるんじゃないのか」
「馬鹿言うなよ。これは詩津ちゃんじゃなくて、みどりちゃん」
 えー、しづってだれよぉ、という声が、さっきより大きく聞こえてくる。
「嶺、お前、いい加減にしないと、そのうち女に刺されるぞ」
「あぁ、それもいいなぁ。で、オレは伝説になるってわけだぁ」
 向こうで何をしているのか、きゃっきゃっと女がはしゃぐ声が聞こえている。
「伝説になるのは、もう少し売れてからだぞ。今死んだらただの野垂れ死にだ」

 今年十八になる向井嶺は、中学生の時に家出して、バイトをしながらバンド活動をしている。以前は、メジャーデビューはしていないもののその世界では有名なあるバンドの使い走りをしていた。バンドは何度かメンバーを入れ替えたが、そのうちに嶺がボーカルに収まり、一気に女の子のファンが増えた。嶺のルックスと物憂い感じが引きのポイントだったようだ。メジャーデビューに最も近いバンドのひとつだと言われているらしいが、この世界にはそんな話はごろごろしている。
 流行のものは一通り経験したという嶺は、大麻や法律すれすれのクスリにも手を出していて、それがきっかけでチンピラと喧嘩をしたことも一度や二度ではない。
 まだ真が唐沢調査事務所で働いていた時、その時はまだ嶺のことを心配していた母親からの依頼で家出していた嶺を探したことがあった。何度か繰り返された捜索依頼は、嶺が十六になった年にぴたりと止んだ。母親が再婚したのだ。
 悪い奴じゃないことは知っていた。だが、この年にありがちな刹那的で投げやりな態度では、そのうち本当にどこかで刺されるのじゃないかと心配にもなる。
 その嶺がどういうわけか、いささか真に懐いてくれている。
 もちろん、態度は思い切り不遜だ。

「とにかく、詩津はここにはいねぇよ」
「今から弘前に行く。向こうから連絡先を知らせるから、もし彼女が連絡してきたら、電話をくれ」
 へいへい、と曖昧なあてにならない返事を聞いて、真は受話器を置いた。
 ちょうど列車が入ってきた。
 ホームの待合を出た竹流と視線が合う。
 購入した冷凍ミカンと駅弁と透明ボトルに入ったお茶を持って、座席に収まった。
 乗り込んですぐに寝台の座席のカーテンを引いて籠るのもどうかというところだったし、四人分の寝台が上下向かい合わせになっている区画の中、同席になるもう一人は、小柄な年配の女性だったので、眠る場所も考えた方がよいかと思った。
 いい加減で蓮っ葉な女子高生とはいえ、島田詩津が一緒なら多少は女性も安心したかもしれないが、こんなでかい外国人の男と左右の目の色が異なる愛想の悪い男と同席ではおっかないのではないかと思うのだが、例のごとく、竹流が押しつけがましくない程度の愛想の良さで女性としばらく会話を交わしているうちに、すっかり女性の気持ちはほぐれたようだった。この男は、年配の男女の気を引くことにかけては天下一品で、日本全国あちこちに茶飲み友達か日本の父または母ともいえる老人の知り合いを持っている。その数は、多分付き合っている、あるいは付き合ってきた女の数をはるかに凌駕しているはずだ。
 本来なら女性が上段のベッドだったのだが、ある程度の年齢以上で梯子の上り下り楽ではないだろうということで、志津がいないおかげで空いた下段を譲ることにした。
 しばらく他愛のない会話を交わした後で、女性は眠るまでのしばらくの時間、詩集を広げて読み始めた。

「連れ合いが来ないなら、テスタロッサで行くのもありかと思ったけど、列車もいいもんだな」
 弁当を食べて終わり、冷凍ミカンの皮をむく。皮は膝の新聞紙の上にばらばらに散らばっている。このミカンがいたく気に入ったらしい竹流は、年配の女性にもひとつを譲って、代わりに女性が自ら漬けたという茄子の漬物をもらって、すっかりご満悦だった。
 竹流のテスタロッサは、フェラーリの会長の許可のもと、デザイナー兼エンジニアがヴォルテラの御曹司のためだけに作ったという特別仕様車で、スポーツカーにありがちな長時間ドライブで腰を痛めることもない。
 だが、確かに、たまにはこうして列車の旅をするのも悪くないかもしれない。
 行きがけに共同経営者の美和がにこにこしながら言ったものだ。
 先生、大家さんが一緒となると、女子高生は邪魔ですねぇ。別に依頼人が一緒でなくてもいいんじゃないの。
 それがそうにもいかない。依頼人、島田詩津の話がいい加減すぎて、つかみどころがないので、とにかく現地に行ってはっきりさせる必要があったのだ。ほとんど学校に行っていないのかもしれないが、それでも良識ある大人としては女子高生に学校をさぼらせるわけにはいかなかったので、ちょうど数日後に始まるこの連休を選んだのだが、いい加減なのは話だけではなかったようだ。
 ちなみに、大家さんというのは竹流のことだ。二人の仲を疑う美和に、真が『あれは大家のようなものだ』と言ったので、美和はそれ以来竹流のことを大家さんと呼んでいる。

 詩集を広げていた女性が、二人に断ってカーテンを閉めたのは、高崎を過ぎたあたりだった。目の前のカーテンを閉じられると、急に二人きりで寝台車の座席に座っていることが間の抜けた感じに思える。
 窓側に座った真は、本当なら時間を逆行するような春の景色が見えるはずの真っ暗な窓の向こうへ目をやり、ふと上着の内ポケットを確認した。
 その気配をどう受け止めたのか、竹流が不意に真を見る。
「で、どうするんだ」
「あんたはどういう予定だ?」
「とりあえず寺に泊まる」
 また寺だ。本当によく寺に泊まる男だな、と思っていたら、竹流がまた勝手なことを言う。
「予定外の連れがいるんで、もう一人一緒に泊めてくれと頼んでおいた」
 この予定外の連れというセリフはもう何度聞いたことか。
 それにしても、寺と春画はちょっと微妙な組み合わせだ。いや、竹流のところに来る修復依頼には時々とんでもない種類のものがあるようだから、別に意外でもなんでもないのかもしれない。
 とりあえず、島田詩津が来るまでは付き合ってもいいか、と思い直す。土地勘がなかったので、もともと弘前に着いてから旅館もしくはホテルを探すつもりだった。

「それで、行先は?」
 竹流が自分の予定と真の予定を突き合わせようとするのか、尋ねてきた。
「ひとまず車を借りて、岩木山スカイラインに行ってみる」
 島田詩津が、曰く『迷惑なばばぁ』に出会ったのは岩木山の登山道だ。詩津以外に彼女を目撃していた人がいてもおかしくはない。尤も、もう二週間も前の話なので、そんな簡単に目撃者に出会えるとは限らないのだが。
「で、お前をすっぽかした女子高生は後からでも来るのか?」
「分からない。伝言はしたんだが」
「お前、その依頼は金になってるのか? 相手は女子高生だろうが」
「あぁ。小遣いだけは随分持っているらしい」
 嶺の話では、詩津は随分と金を貢いでくれているらしいし、多分金持ちのお嬢様なんだろ、ということだったが、正直なところ真はその金の出所を心配し、先に詩津の家の事情を調べていた。万が一、詩津が女子高校生としては許されない方法で金を稼いでいるのなら依頼を受けるわけにはいかないと思ったからだ。
 だが、確かに詩津の家は立派な家で、父親は中堅の企業の重役だった。
 それでも、金の出所と、この依頼の成功報酬が正しく支払われるかということについては、今でも百パーセント信じているわけではなかったが、前払い金は確かにもらっていた。それに、嶺の頼みを断りたくなかったのだ。
 あいつ、家に居場所がないらしいしさ。
 そう言った嶺の顔が、昔一度だけ真に見せた不安な顔つきだったからだ。

 そしてそれだけではない。詩津が持ってきたあるものが、真を動かしていた。それを考えると胸のあたりが熱いような気がして、ふとジャケットの上から左胸を押さえた途端、竹流がすかさず聞いてきた。
「で、その胸の内ポケットに入っている小瓶は何だ?」
 本当にこの男はどこで何を見ているのだか、恐ろしいくらいだ。千里眼ってやつなのか。もっとも、竹流に言わせたら、真が隙だらけらしいのだが。
 真は観念して竹流に小瓶を手渡した。
 竹流はしばらく、その小さな紫の薬瓶のような小瓶の中を見つめていた。そしてすぐに真の内ポケットに戻す。
「骨か?」
「あぁ」
「ヒト?」
「確認してもらった」
「それで、どうにも断れなかったか」
 真は返事をしなかったが、竹流は納得したようだった。
 小瓶の中には、ヒトの第二頸椎、いわゆる舎利といわれている骨と、両手の指の先の骨がきっちり十、入っていた。舎利は仏の座った姿、そして指の骨は立ち姿と言われているが、後者は火葬の場合焼け残らないことが多いという。それが十本、そろっている。
 しかも、この骨は火葬されたものではないというのだ。
 沖縄じゃ戦前は土葬して洗骨するっていう風習があったけど、最近は衛生的な問題で保健所から指導が入ったっていうしな。しかし、これはどう見ても焼いた骨じゃないぞ。
 訪ねた先の骨学者はそう呟いた。
 この瓶を真の手元に残していった女子高生、島田詩津は、気味が悪いから預かってくれと言った。その『迷惑なばばぁ』に押し付けられたというのだ。
 どこまでが本当の話なのか、詩津にもう一度確かめたかったのだが、とにかく今は嶺からの連絡を待つしかない。
 いつまでも話していると、カーテンの向こうの女性に悪いというので、もう眠ることにした。
「上に上がるのが面倒だったら、一緒に寝るか」
「馬鹿言うな」
 言い捨てて真は梯子を上った。カーテンを引きかけて、隣の誰もいない寝台の席を見ると、自然と息が零れた。詩津がいい加減な女子高生であると思う批判的な気持ちと、彼女の中の本当の姿をまだつかみ切れていないような焦りのようなものが、どちらも一緒に存在していた。
 そしてさらにまた、カーテンを引いてしまうと、突然取り残されたような寂しさと一人きりになった穏やかさとが、同時にこの狭い空間を満たした。




ちょっと解説
『やたらと寺に泊まる男』『予定外の連れ』というのは【清明の雪】で竹流が京都のある寺から依頼を受けていて、真を連れて行った件を指しています。
さらに、日本に来た頃、まだ修復師として無名だったころは、日本全国の神社仏閣を歩き回り、一宿一飯の恩義として修理や修復の仕事をしていた(最初はちょっと押し売り)ので、大和竹流には日本のあちこちに泊めてくれるお寺や神社があるのです。


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[雨24] 第3章 同居人の恋人たち(2) 

大けがで入院している同居人・大和竹流。その恋人の一人である室井涼子はどちらかというと、気持ちがまっすぐなために苦しんでしまう大人の女です。真は嫌味を言われつつ、どうすることもできない…
そんな真のところに、怪しい電話が2本…





 翌日の昼間、仕事の合間に病院に寄ったとき、帰りがけの真を捕まえた涼子が、今日は泊まれないのと言った。そんなに毎日泊まっていなくても大丈夫だろうと言うと、涼子は複雑な表情をした。
「お茶でも飲まない?」
 真は涼子と一緒に病院の地下の喫茶室に行って、暫く無言で座っていた。個人的に彼女と二人で向かい合うのは、あの抱き合った日以来だった。今は、涼子の気配からは、そんな親しげなムードは全く感じられない。自然と真も構える態勢になっていた。
「あれからあの子、ご飯作ってくれてるの?」
「えぇ、まぁ」

 美和は特別料理が上手いわけでなかったが、マンションに来てからはそれなりに一生懸命に炊事をしてくれている。だが、そんなことを涼子が気に掛ける理由が分からなかった。
「彼女、葉子ちゃんにどこか似てるわね」
 真は思わぬ言葉にしばらく無遠慮に涼子を見つめていた。
 同居人も同じことを言っていたが、真にはそうは思えなかった。顔が似ているというわけでもないし、葉子はあんな挑発的な格好で家の中をウロウロしたりはしなかった。
「彼女がお嫁に行って、お姫様を盗られた騎士二人が、また新しいお姫様を見つけたって感じかしら」
 真は涼子が何を気にしていたのか、ようやく分かったような気がした。

 恐らく葉子は、竹流の女たちの最大のやっかみの相手だったかもしれなかった。
 いくら真が彼の身近にいても、あくまで男で、嫉妬の対象にはなりにくい。だが、葉子は別だった。葉子のことを、竹流がそれこそ言葉通り『目の中に入れても痛くない』くらい、つまり我が娘か妹のように大事にしていたのは誰の目からも明らかで、彼女の結婚式には一切の衣装や道具を準備して、一般家庭から金持ちの御曹司のところへの嫁入りに文句をつけさせなかったくらいだ。それどころか、普段名乗りを上げる事も無いのに、葉子の結婚式には本名を名乗って相手方の親戚を威圧してしまった。この俺がついているのだからこの娘を傷つけたら許さない、というパフォーマンスだったのだろう。竹流の恋人たちの誰一人として、あれほどに彼に大事にしてもらってはいないはずだった。
 女を簡単に口説き平気で手を出す男が、葉子には姫君を扱うように接する、その特別扱いは、他の女にしてみれば同性であるだけに面白くない部分があるだろう。

「あの子、貴方のこと好きなのね」
 突然思いもしないところに飛び込んできた言葉に、真は自分でも驚くほど速くに反応していた。
「それはない。第一、恋人がいる」
 涼子は返事をしなかったが、微笑んだ。好きになるのに恋人がいるかどうかは関係ないんじゃないの、というような微笑に見えた。
「あの人も、あの子と話していると楽しそうだったわ。色々と本音もこぼれるみたいだし」
「本音って」
 真は思わず口をつぐんだ。ベッドの話は確かにまずかったな、と思った。と言っても、ここでいきなり言い訳をするのも妙な気がした。

 心のどこかに存在する不可解な自分自身を感じる。その自分は涼子に、そんなに毎日側にいられたら竹流も困るんじゃないかと言いかけていた。どっちのためを思ってなのか、あの男に本気にならない方がいいと言ってやりたい。
「雑誌、読んだんでしょ」
 涼子は運ばれてきたコーヒーにはまだ手をつけていなかった。
「あれは、単に」
 涼子の何かを訴えるような視線に真はまたその先の言葉を失った。
 いくら言い訳しても仕方がないことのように思えた。彼女たちにとって事実は事実だ。真はあの男と一緒に住んでいる。ご飯も作ってもらっている。同じベッドで眠っているし、時には抱き締めてもらうこともある。だが、どれも子供をあやすようなものだ。それでも、彼女たちにはそこに伴う感情などどっちでもいいのだろう。
 その事実だけが重い。
 それに、そこにある真自身の感情は、もしかするともっと重い。
 何だか息苦しいと思えた。

「こんな時くらいしか彼の側にいれないの」
 涼子が不意に言った言葉の後ろに、真に対する僅かな嫌悪感が潜んでいることを感じる。自分が彼の側にいるからだ、と真は単純に思っていた。
 同居してからも、竹流は何度か涼子をマンションに誘った。真が遠慮して今日は相川の家のほうに戻ると言うと、竹流は別に構わないと言った。何が構わないのか、涼子のほうはいくら何でも真のいるマンションで竹流と抱き合うなどということはできないだろう。恨まれるだけの十分な理由だと真は思った。
「もしかして何か誤解しているんだったら」
 真が言いかけると、涼子は疲れたような表情で真を見た。
「大体、俺は彼の背中の火傷のことも初めて知った。雑誌の件もあいつらしい冗談だ。本当に誤解だよ」
 涼子は初めて、真の目をまともに見た。
「あの火傷のお蔭で、相手の女がどういう人間かよく分かるって言ってたわね。身体の傷のひとつやふたつはたいしたことじゃない、そんなものは深く残るものじゃないって。貴方に知られないようにしていたわけじゃないんでしょうけど」
 涼子は溜息をついた。
「貴方が彼と住んでいることなんて、別にどうって事じゃないわね。彼の背中の火傷に触れても、気味が悪いとは思わなくて、この男をなお愛おしいと思う女は何人もいる。それどころか、あの背中に触れて、もっとあの男を自分だけのものにしたいと思った女だっているでしょう。女は男の体の傷にも、心の傷にも弱いから。それを癒せるのは私だけだと信じたいのよ」
 まるで自分自身に言うように涼子は重くそう言うと、首を横に小さく振った。
「私、何を言ってるのかしらね。貴方に何を言っても仕方ないのに」
 それで涼子は話を切り上げた。

 涼子の思いの深さには何となく気が付いていた。だが、その時本当にはっきりと真は彼女の心の向きがわかったように思った。
 涼子はもうあの不倫相手を、情熱を持って愛してはいないのだろう。
 だが、新しい恋はもっと不幸で不安だった。
 その新しい恋の相手はその時だけの愛を捧げてくれるが、それ以上のものを求めることも求められることもない。例えば人生も心も全て求めているわけではない、かえってそういう足枷を嫌うだろう。そんな恋には走り出せないことは、涼子もわかっている。 
 涼子が例の不倫相手がやってくる日だからと言って帰っていく後姿を、真はぼんやりと見送った。今ではその長年親しんだ不倫相手は、彼女の精神安定剤になりつつあるのだろう。以前とは逆だった。

 コーヒーが冷めていくのを見送りながら、真はどうともできない気持ちを放り出したいと思っていた。人の感情は重くて、突きつけられるとどうしようもないと思う。自分が関わった人間の感情は、そこにもう一人の人間の感情が絡んで重みを増し、真にはどうしようもなくなってしまう。
 病室に戻ると、丁度看護師が氷枕を取り替えるついでに、竹流の左肩の包帯を巻きなおしていた。
 今更だが彼の美しいと言ってもいい身体に傷を負っている姿を見ると、この傷を負わせた相手を憎く思う一方で、その扇情的で愛おしい様子に、この傷の痛みを共有したいとも思う。涼子の言うとおり、この背中の傷は、誰かの心に強い憐憫と恋情を燃え上がらせても不思議ではない。
 看護師が出ていってから、竹流は黙って側に立っている真に話しかけてきた。
「医者に聞いたろう」
 真は目を逸らした。
「お前には、火傷したという一言では済まないからな。いつの間にか隠し事をしているようになってしまったが、別に始めからそういうつもりではなかった」

 涼子の心ではない、始末に終えないのは自分の心のほうだと思った。
 竹流の仲間にも、竹流の女たちにも、相川真という人間は鬱陶しい存在なのだろう。普段そんなことを考えることはなかったが、今ははっきりと彼らの拒否を感じていた。こんなにも彼を心配しても、その感情を共有していても、自分はひどく孤独なのだと思えた。
 その上、竹流の最も側にいて、彼の恋人にも仲間にも嫉妬の目を向けられている自分だけが、彼の背中の火傷のことを何も知らなかった。
 あり得ないほど割に合わない話だと思えた。

 真がマンションに戻ったのは九時前だった。美和はもしかしたら友達と出掛けるかも知れないといっていたので、遅くなるかもしれなかった。
 遅くなってもマンションに行きますからね。できれば、ひとりでもちゃんとご飯は食べといてくださいよ。期待してないけど。
 うるさい小姑のような生意気な口のききかたは、確かに少しばかり妹や同居人に通じるものがある。美和の心配通り、飯など口にもしていなかった真は、せめて酒でも飲むか、と同居人お気に入りのブランディの蓋を捻った。
一人でいるときに、マンションでブランディを開けるのは初めてだった。

 さっきまで気休めにと思って、最近相川の家に戻ったときに持って帰ってきていた『宇宙力学論』という本を読んでいたが、どこかから字面を見ているだけなのに気が付いていた。この本は既に絶版になっていて、父、正確には伯父の功が失踪したとき、一緒に消えた本だったが、ある時古本屋で同じ本を見かけて購入したものだった。
 ブランディをグラス半分ほど飲むと、無性に煙草が吸いたくなった。咥えてライターを取り上げると、何回か空打ちのカチカチという音がして、結局火はつかなかった。
 身体の内側で急にかっとした何かが吹き上がって、真はライターを床に叩きつけた。
 昼間のことを思い出していたのだ。何かが真の神経を逆撫でしている。
 だが少し冷静になれば、同居人の女たちのことで、あるいは同居人が背中の火傷を真に隠していたからと言って、熱くなっても仕方がないと思えた。真は煙草を吸うことを断念して、せめて落ち着いて茶でも飲もうとソファから立ち上がった。

 広いダイニングを背に台所で湯を沸かしながら、真はコンロの前に突っ立っていた。
 それにしても美和の奴、一体何をやっているのだろう。
 もう十一時になる。名瀬弁護士の事務所に行った後、病院に寄る前に事務所には一度電話を入れたが、宝田が出て、美和はもう帰ったと言っていた。もちろん、友達と遊びに行くかも、とは言っていたし、真がいらいらして心配する必要もないのだろうが、遅くなるならせめて連絡ぐらいくれてもいいはずだ。ちょっと下まで見に行こうかと思ったとき、電話が鳴った。

 美和だろうと思って受話器を取り上げたが、相手は何も言わなかった。
「大和です」
 だがそれでも相手は無言のままだった。たっぷり一分近くの沈黙の後、真は受話器をどのタイミングで置こうかと考えながら、あと数秒待とうかと思った途端に、相手の声がした。
「……竹流は、どうしてる?」
 擦れた低い声だった。思わず返事をした声も上ずってしまった。
「あんた、誰だ?」
「教えてくれ」
 これは、もしかして昇と東道が言っていた連絡を寄越さなかった仲間ではないのか。
「あんた、竹流の仲間か」
「彼は生きているのか」
「生きてる。死に掛かってはいたけどな。一体」
「彼に伝えてくれ。カタはついた、だからもう手をだすな、と。それで分かる」
「……おい」
 呼びかけた途端、電話は切れた。真は呆然と受話器を握りしめていたが、プープーという耳の奥のほうの音にようやく我に返り、受話器を戻した。
 何の話だ、と思った。何がどうなっているのか分からないうちに、最後通告のような電話だけがかかってくる。カタがついたような気配は、勿論伝わってこなかった。

 力が抜けたような気がして、気を取り直して湯を沸かしていた火を止め、お茶の葉を急須に入れて湯を注ぐ。熱湯を入れるなと同居人に怒られそうだが、今日は本人がいないので熱湯でも水でもいいような気分だった。
 それを飲みかけたとき、再び電話が鳴った。
 今度こそ美和だろうと受話器を取る。
 だが、次の電話の相手はもっと意外な人間だった。さっきの電話に比べると真っ当なものの言い方をする相手だったが、内容は同じくらい意外だった。
「相川真さんでしょうか。私、澤田顕一郎の秘書の嵜山と申します」

 真は一瞬に身体が凍りついたような気がした。下世話な噂話で、香野深雪のパトロンと言われている代議士、澤田顕一郎が一体どういう事情で真に連絡をしてくるというのか。
「澤田が一度ぜひ貴方にお目にかかりたいと申しまして、もしご都合がよろしければ、明日夕食を御一緒させていただけないでしょうか」
 嵜山という男の話し方は、真の都合を聞いているようで、有無も言わせないような気配に満ちている。
 真は冷めた頭で、悪いときに悪いことは重なるのもだと考えていた。ついに澤田の利害と自分が何か不都合な関わり合い方をしたのだろうか。それとも単なる澤田の興味なのだろうか。
 別に構わないと言うと、相手は事務的な声で言った。
「では、明日七時に事務所へお迎えに上がります」

 受話器を置いてから、さすがに何てことだ、と思った。
 せっかく淹れたお茶を飲む気力もなく真はダイニングに座っていたが、何だかますます落ち着かなくなってきた。奇妙な二つの電話と、帰ってこない美和と、三つのものが真の神経に障っている。
だが、そのうち最も解決に近そうなのは、美和の行方だと思った。
 他に考えつかず、何よりも落ち着かなくて、とにかく事務所に向かうことにした。
 地下の駐車場でエレベーターの扉が開くと、湿気がのしかかるようだった。車を出して通りに出てから窓を開けると、外は六月の肌寒い夜で雨の匂いがした。車を赤信号で停めたとき、不意に昨夜の深雪の言葉を思い出した。
 駆け落ちしてくれる?
 ……まさか、澤田にもそのようなことを言ったわけではないだろう。それに、あまり知ろうとは思っていなかったが、澤田という男は女に入れあげてホテルに住まわせるような人物ではないようだった。深雪が澤田の女だという証拠は何もないし、もしそういう事実があれば、彼の政治家としての道はスキャンダルで閉ざされているはずだ。
 新宿の街に入ると、まだ夜は宵のうちだった。





Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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NEWS 2013/3/30 やっと土曜日:一分咲 

しだれ
我が家の枝垂れ桜は、他の桜よりも少し遅くに咲きます。まだ一分咲。

ちなみに私は、この一分咲程度の桜の木が一番好き。
つぼみの花の色が濃いからかもしれませんが、木全体が『今からピンクになるぞ!』というギュッとピンクを(桜色を)詰め込んだみたいに見えるから。
咲いちゃうと、あぁ、咲いちゃったって感じになるからかも。

今日はやっと土曜日。
昨日また夜中までかかって仕事を片付けたので(この1週間、ほとんどこんな感じだった…)、今日はやっと週末作家(ってないいもんじゃないけど)になるぞ(*^_^*)

その前に、今日は魚の話題。
この間、テレビに水族館の人が出ておられて、イワシがかたまってトルネードを作らなくなった、と言っておられた。イワシが集団で泳ぐのは、カツオやマグロといった大型の魚から身を守るためで、水族館の中ではカツオ・マグロにもちゃんと餌を与える→イワシを襲わない→イワシは安心→みんなで集団でトルネードを作らなくても平気→群れから外れるイワシが出てくる→トルネードなんていらないや…
これではイワシを水族館で見せる意味がありません。
で、ちょっと腹を空かせたカツオ・マグロをイワシの水槽に入れてみたら…あわててイワシはトルネードを作るようになったらしいです。

魚の社会って、本当に人間世界と同じなんだなぁ。
ま、危機管理のためには常に危険にさらされていないとならない、疑似的に危険状況を作るってのは、この現代では難しいんでしょうけれど。

こんな話もあります。(さかなクン談)
ある魚の群れでは、群れの10%が怠け者だそうです。
で、この怠け者の魚を取り除いたら…
また残りのもともと真面目だった90%のうち、10%が怠けるらしい…
いわく、これが10%を超えると魚は群れとしてやっていけなくなるのだとか。
これも、何だか示唆に富んだ話ですね。

そもそも人間界で使われている色々なもの・工学製品も、自然界の真似をしたものがたくさんありますよね。
水をはじく仕組みとか…
人間はもっと沢山のことを自然界から学ぶことができるようです。

さぁ、今から、週末作家(*^_^*)
明日は、京都の山奥に行く予定です。

Category: NEWS

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【物語を遊ぼう】9.短編って難しい…その2 

ちょっと続きを。
ウゾさん、limeさんからのコメントへのお返事を、記事にしてしまいました。
というよりも、私自身が、短編・中編・長編の違いをあんまり判らずに書いていたことに気が付きまして……ググってみました。

しかし、結論はよく分からない…原稿用紙換算の枚数にしても、色々違っていて、何やら明確な定義があるものではなかったようです。
でも、大筋としては……
長編は、それだけで1冊の本になる長さ、原稿用紙では300枚以上くらい。
短編は100枚未満、本当の意味での短編は70~80枚以下。
中編は100~250枚程度(単純に短編と言うには長く、長編と言うには短い、といった意味合い)。
ちなみに掌編は30枚以下。10枚以下、という説も。
というあたりで落ち着きそうです。
文学賞などで規定されている枚数からも、大体こんなあたりだろうとのこと。

となると、短編って、思ったより長いんじゃないの?という気がしたんですけど。
100枚と言ったら40000字。
『百鬼夜行に遅刻しました』で7481文字。これはまぁ、掌編ということにしていたのですが、短編と呼ぶにはせめて倍はいるってことになるのですかね。
連作短編に、と思っていたけれど、連作掌編ってことになるのか……

あぁ、ややこしい。
結局、もうこれでいいことにしよう!
短いのは短編。長いのは長編。その間が中編。線引きはその時の気分で!
でも短編も意外に長いものもありのようだし、書かなきゃいけないことはちゃんと書かないといけないんだ!
登場人物の人となりも、物語の背景も、起承転結も。
50枚=20000字あったら、結構書けるぞ!
ただ、短い話は、どの視点で、どの場面を切り取るか、ってのは勝負どころなんだろうな。それはよく吟味しないと。
……そういうことにしとこう。

物語って、長さだけで決まるものではないと思うけれど、組み立てていくときには長さのイメージは必要ですよね。自分の言いたいこと、書きたいことがどの長さに収まっていれば、一番読んでいる人に届きやすいのか……原稿用紙の枚数は結果論でもあるけれど、究極17文字に魂を籠める日本人としては、ちょっと枚数(文字数)にこだわってみたくもなるのだろうなぁ。
長さに関わらず、丁寧に、そして時には大胆に、素敵な物語を紡いでいけたらいいですね。

Category: 物語を遊ぼう(小説談義)

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[雨23] 第3章 同居人の恋人たち(1)/第2章あらすじ付  

第2章 あらすじ

同居人・大和竹流が仕事の内容も告げずに出かけて3週間、新宿の調査事務所所長・相川真のところに、警視庁の捜査1課の女刑事・添島麻子刑事から電話がかかってくる。
竹流が怪我をして入院しているというのだ。病院へ行くと、竹流の怪我は真の想像以上に酷いもので、山梨の県道で見つけられてから数日意識がなく、昨日集中治療室から出たばかりなのだという。その上、修復師として『神の手』と言われていた右手まで傷つけられていた。医師はその手が元通りに動かない可能性を告げ『まるでいたぶられたようだ』と言うのだが、当の本人は話をはぐらかして何も言おうとしない。はるかに年上で、自分が頼ってばかりいた相手が傷ついてベッドから離れられないでいる姿など初めて見た真は、いつものように身体の関係だけを続けている銀座のバーのママ・深雪に会ったりしながらも、頭の中では竹流のことでいっぱいになっている。
しかも、竹流の背中には数年前の古い火傷の痕があるという。真は同居してから彼の背中など見たことがなかったことに改めて気づき、さらに竹流が自分に何も話さないでいることに傷ついたり、イライラしたりしてしまうのだった。
竹流の恋人の一人であるブティックのオーナー・室井涼子に入院中の竹流の世話を頼み、何も話そうとしない竹流の怪我の事情を知るための糸口をつかもうと、真は竹流の仲間であるゲイバーのママ・葛城昇を訪ねて事情を聞こうとする。しかし、昇も元ボクサーのイワン・東道も何も知らないという。竹流の仕事仲間たちは、ボスである竹流のためなら何でもするような連中で、真に、自分たちで何とかするから、お前は引っ込んでろと告げるのだった。

…さて、第3章【同居人の恋人たち】を始めたいと思います。
第1章のあらすじは第2章の始めにあります。
ふたつ読んだら、十分に今からでもお話についてくることができますので、よろしければここからでも参戦してみませんか?
長いお話ですが、この第3章はどちらかというと、登場人物を紹介するような章です。
気楽に、お付き合いください。





 この二日間、竹流の許しを得た美和はマンションにやって来て泊り込んでいた。
 美和は意識しているのかいないのかはともかく、Tシャツに半パンツというかなり挑発的な格好でうろうろしていて、風呂上りなどは栗色のソバージュヘアをポニーテールにしてうなじを見せて、平気で真のすぐ横に引っ付いて新聞を覗き込んだり、テレビを一緒に見たりしていた。

 ここ数日はそれなりに仕事も入ってきて、その日真は家出をしている二人の中学生を捜しに高崎まで出掛けて行って、本人たちと会ってきたところだった。高崎までの足取りを確認するのには二日かかったが、中学生もそろそろ金がなくて心細くなっていたところのようだった。
 家にすぐには帰りたくないというので、今日は宝田が預かって、事務所の上の彼のねぐらで面倒を見てやっている。彼らにとって宝田のようなアウトサイダーは、懐くことはできなくても、自分たちの境遇を不幸に思わずに済むきっかけにはなるだろうと思えた。
 明日は彼らを家に帰るようにしてやらなければならない。親の種類によってはかなり骨が折れるのはこれからだった。

 そういうことをぼんやりと考えながらも、美和の素足の脹脛が気になった。これで誘っているつもりはないと言われても困るな、と真は思った。
 それで三日目には事務所を出るとき、ドアに鍵を掛けながら、傍らの美和に言った。
「いくら北条さんがバンコクでも、三日も留守だと心配するだろう。今日は帰って電話を待ったらどうだ?」
 美和はちょっと唇を尖らせるようにして真を見た。
「どこかに行く気なんだ」
 そう言ってから美和はくるりと表情を変えて、にっこり笑った。
「先生って女を口説かないって顔をしていながら、結構怖い人と付き合ってるんですね。絶対騙されてるんだから、気をつけたほうがいいですよ」
 尤も、美和の口調はと言えば、顔の表情とは裏腹で、かなり怒っているように聞こえる。
 それにはまともに答えずに、真は美和をマンションまで送った。どこからそんな話を聞いたのだろうと思ったが、聞きとがめるほどの事でもない。

 そのまま直接深雪の店に行った。
 店に入ると、テーブル席で深雪が視線の厭らしそうな太った中年男の相手をしていた。ちらりとそれを見遣って真がカウンターに座ると、深雪はすぐにカウンターの内に入った。テーブル席を立つタイミングを見計らっていたのだろう。
 カウンターには、明らかに水商売と分かる、派手な服を着た女が一人座っている。深雪よりも年下だろうか、静かに飲んでいる水割りのグラスにかかった手は綺麗で、爪は磨かれているもののマニキュアの色はなかった。美人というよりも、凛とした気配で、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。任侠映画に出ていたなら啖呵でも切りそうな、強いムードを感じる。
「どうかしたの。貴方が同じ週のうちに二度も来るなんて」
 山崎の薄めの水割りをいつものように手際よく作って、深雪は優しげな言葉で真に話しかけてきた。
「同居人が入院してて」
「まぁ、どうしたの?」
 彼女は真と同居人の関係をどう思っているのだろうか。聞いたことはないが、世間並みには興味深く見ているのだろう。
「ちょっと事故にあったんだ」
 真は言葉を濁したが、深雪はカウンター席に座る他の客の水割りを作りながら、ちらりと真の顔を見てから、優雅に目を伏せるようにして視線をグラスに戻した。
「それで、この間あんなに荒れてたの?」

 真はついこの間深雪に会ったときのことを思い出してみたが、確かに竹流が入院していると聞かされて病院に行った日のことだ。深雪に泣かれたことをふと思い出し、真は答えに窮した。それでも、深雪があの時、真の尋常ならぬ気配を感じていながらあっさりと受け流してくれたことは、ありがたいと思っていた。
「ちゃんとご飯、食べてたの?」
 何故かみんなが同じ心配をする。それほど一人では飯も食べられないという印象を世間に植え付けているのだろうか、それともあの雑誌のインタビューのせいか。
 そう思ってから、何だって同居人が入院していることと自分が荒れていることが結び付けられたんだろう、と思ったが、敢えて聞くのも妙な気がした。

「うちのうるさい秘書が何かとお節介で」
 何気なく言ってしまったが、不意に深雪が僅かながら複雑な顔をしたことには気が付いた。
「ネクタイピンの彼女ね」
「ネクタイピン?」
 聞き返しながら、真は思い当たる節をすぐに探し当ててしまった。
 三ヶ月ほど前、確かに深雪のホテルにネクタイピンを忘れた。それがよりにもよって美和が真の誕生日にと買ってくれたもので、せめて一週間に一度くらいはつけてね、と例の可愛らしい調子で言うので、決まって金曜日にはつけていたものだった。
 普段からネクタイをして仕事をするわけでもなかったが、金曜日は必ず名瀬弁護士の事務所に行くので、その時はスーツにネクタイという格好をするため、丁度よかったのだ。
 そのネクタイピンが、土曜日の夕方、そろそろ帰ろうと片付け始めたデスクの上に置かれて、美和が拗ねたように言った。
 もう忘れないで下さいね。
 すぐに深雪が届けに来たのだろうと思ったが、次に深雪に会ったのは金曜日ではなかったので、そのまま聞くのを忘れていた、そのネクタイピンだった。

「あの時は、用心棒みたいな人があとをつけてきたのよ」
 深雪は幾らか面白そうに笑って言った。
 多分ネクタイピンを受け取った美和は、宝田に深雪のあとをつけさせたのだろう。だから美和は深雪の事を知っていたのか。少し聞き込めば、深雪の素性くらいすぐに分かっただろう。
 それに不器用な宝田の尾行では、素人だって気が付いただろう。それでも、宝田のような一見その道の男に見える人間にあとをつけられて、動じなかった深雪はたいしたものだと思った。

「姉さん、私、そろそろ行くわね」
 カウンターの二つ向こうの席に座っていた女が立ち上がった。座っていた時にはわからなかったが、かなり背が高い。スリットの入ったスカートから覗く脚は優雅で美しい。女は意味深な視線を真に向け、その後で深雪に微笑みかけた。
「今日はお店?」
「ううん、例のボランティアよ」
 深雪はわざわざその女を見送りに店の外まで出て行った。
 深雪の友人関係や仕事上の付き合いをいちいち確認するのはどうかと思っている。それではまるで自分が深雪の恋人で、深雪を束縛する権利のある男だと考えていることになる。真にも独占欲がないわけではないし、付き合っている女が他の男とセックスをしたり、いやそれどころかさっきのような太った中年男に膝をさすられたり、あるいはただ親しげに話しかけたりしている場面であっても、見ているのはあまり気持ちのいいものではない。たとえ、商売でそういうことをしているのだと知っていても、しかも真自身が彼女の恋人でも何でもなくても、誰か他の男に触れさせたいとは思わなかった。だが、今の真にそこまでの権利も覚悟も何もない。

 深雪のほうも、真が彼女を占有する権利のある男だとは思ってもいないだろう。金を持っているわけでもないし、彼女の仕事にプラスになるわけでもない真の存在は、深雪にとって一体何だろう。深雪に言い寄る、金を持った社会的にもステータスのある男と違うのは、せいぜい若いということくらいに違いない。あるいは真がいつも感じているように、身体の相性がいいということを、深雪も感じているだけなのかもしれない。セックスがいいということは、時には他の何よりも大事な瞬間がある。
 それとも、何か特別な事情があるのか、あるいは少し年下の男を、たまには弄んでみたいだけなのかもしれない。

 だから、その夜いつものように深雪の住むホテルで求め合った後で、彼女がこう言った時、真はやはり自分は弄ばれているのかと思った。
「ねぇ、真ちゃん、もしも私がどうしてもって言ったら、駆け落ちしてくれる?」
 こうして何人の男を、この真剣で美しい瞳で手玉に取ってきたのだろうか。それなのに、深雪がしな垂れかかるように身体を預けてくると、たまらないほど甘美な気分になった。
 澤田代議士はこの女に手玉に取られているのだろうか、それとも手玉に取っているのだろうか。どちらにしてもあの男の利害に真が関わることはないだろうから、こうして無事でいられるのだろうが、風向きが変われば分からない。
「それとも、澤田が怖い?」
 真の心情を見透かしたように、深雪がさらりと言った。

 深雪の口から澤田の名前が出たのは実は初めてだった。それだけに真はかなり動揺した。それは繋がった身体の部分を通して深雪に伝わったはずだった。今の自分の動揺を深雪はどう思っただろう。
 真は返事もせずに、何かを封じ込めるように笑っていく深雪の顔を見つめていた。
「いやね、そんな顔しないで。冗談よ」
 深雪は澤田という男から逃げたがっているのだろうか。
けれども、その男から深雪を奪ってやるだけの力と金と、そして何よりも愛情が自分にないことくらい、真は重々承知していた。

Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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【物語を遊ぼう】9.短編は難しい… 

さて、今日は起承転結の話でも。
この間やってみたバトンにもありましたが、文体・文章で最も影響を受けている作家さんは?という質問……実は、かなり答えるのが難しくて、結局はその時読んでいた本に左右されることが多いというのが答えかなぁ、と思ったのですが……そう、まるで、『好きなタイプは?』『その時付き合ってる人』って感じですね。
でも、短編について語るなら、この大先生を置いて、他にはありません。

O・ヘンリ大先生。新潮文庫の『O・ヘンリ短編集』全3巻は私のバイブルでもあります。時々、行き詰ったら読む。短い話ばかりなので、どれかを適当に選んで読んでいるわけですが、何だかリフレッシュします。
たまに、昭和に浸りたいときは、松本清張さんの短編集ですが。

バトンにも書きましたが、まともにプロットを書かない私ではありますが、プロットを作らないわけではありません。頭の中では、ものすごい勢いで話が流れています。特に長編はその勢いで書くので、確かに何が何だかってことは多いのですが、もう妄想をぶつけてるって感じになります。
こんないい加減な人間なので、短編が下手。
短編が書けない奴に長編は書けない、とか言われそうですが、それはもう、重々承知していますので、あしからず。

そう、短編こそ、正確なプロットが必要と思うのです。短編は怖い、といつも思っている。短編こそ、起承転結がはっきりしてないと、読み終わって何も残らない。短いから、登場人物に入れ込む間もないわけで、純粋にストーリーの面白さが問われる。
もちろん、長編があってのおまけ的短編なら、つまり知っている登場人物が活躍するのなら、筋立てはいい加減でもいいのかもしれませんが……それはエピソードであって、短編とは言わないのではないか?と思ったりするのですね。
世間で、作家の○○氏の短編がよいと言われて読んでも、なんだろ?と思ってしまったことはいく度もあり、すぐに読むのをやめてしまった。結局、基本中の基本、起承転結が見えないと嫌になってしまうようです。もちろん、起承転結の考え方は人それぞれで、たまたま私の琴線に触れなかっただけなのかもしれません……

O・ヘンリと言えば、『賢者の贈り物』『最後の一葉』ですね。この『起承転結』は、皆さんよく御存じなので、あえてここでは書きませんが、どちらも、しっかりと起承転結があります。
で、今日は、もう私が好きで好きで、何回読んだかしら、という短編をご紹介いたします。
『黄金の神と恋の射手』
……文学なので、ネタバレはいいと思いますから、ストーリーをご紹介します。

登場人物は、金持ちの爺さん(もしかして思っているより若いのかも?)とその息子、そして息子が思いを寄せる女性、金持ちの爺さんの妹、そして……

金持ちの爺さんは金で解決できないことなどないと主張しています。その息子は生真面目で奥手の悩める若者。彼は恋をしていますが、その女性に言い寄ることはできない。告白するチャンスも、二人きりになるチャンスもないまま、彼女はヨーロッパへ旅立って何年も帰ってこない、という状況に。金持ちの爺さんは、息子のその奥手さ加減が歯がゆい。お前はものすごい金を持っているのだから、金で何とでもできるはずだ、と。でも奥手の真面目な青年は、『お父さん、金では解決できないこともあるんですよ』と。

時代も時代で、女性に交際を申し込むには社交界の色々な掟もあり、やっと二人きりになれるのは、彼女がヨーロッパへ旅立ってしまう前に親戚と舞台を楽しむ劇場までの馬車の中のほんの4・5分。駅にいる彼女を迎えに行き、劇場まで送るという許可を、ようやくもらったのです。でも、そんな短い時間で、これまでちゃんと話をしたこともなかった彼女のハートをつかむことは到底無理と、青年は諦めています。
青年の叔母は、青年の母親の形見の品である『愛をもたらしてくれる指輪』を青年に渡します。叔母もまた、金で解決できないことがあると思っているものの、時間がたっぷりあればともかく、今となっては、甥が心を奪われた女性と結婚するのは難しいだろうと思っている。

そして、彼女を迎えに駅へ行き、ようやく二人きりになった馬車で……青年は、母の形見の指輪を落としてしまったことに気が付きます。青年は馬車を止め、彼女に断って、1分で戻ってくるので、と言って指輪を探しに行って戻ってくると……
その1分の間に彼らの馬車の前に電車が止まっていて、馭者がすり抜けようとすると荷物配達車に行く手を阻まれ……そこへトラックやら二頭立て馬車やらも絡まって……ふと見ると、彼らが進むべき広小路は大渋滞です。
始めはお芝居に間に合わないと言ってイライラしていた彼女も、とても進めそうにないことに気が付いて、諦めたようです。『僕が指輪さえ落とさなかったら…』と謝る青年。彼女は、『いいえ、どうせお芝居だってつまらないんだわ』

さぁ、どうなったと思いますか?
2人は婚約しました! 叔母は兄の金持ち爺さんのところにやってきて、『指輪を落としたおかげで、結局2時間も大渋滞に巻き込まれたんですよ。その時間にゆっくり話ができて…ほら、真実の愛を象徴する指輪が二人を結びつけたんですよ』と。

この話、これで終わったら、『で?』ってことですが。
翌日、金持ち老人のところに男が訪ねてきます。金持ち老人『だいぶ上首尾だったようじゃな』、男『足が出てしまいました。荷物配達車や辻馬車は5ドルで話が付いたが、トラックや電車は10ドル……しめて5300ドルかかった』と。
皆まで言いますまい…と言いたいところですが、つまり2時間の大渋滞、爺さんが金にものを言わせて作り出したものだったんですね。
金持ち爺さんは男に尋ねます。『ところで、太った裸んぼの小僧が、しきりに矢をはなっていたのを見なかったか?』と。『そんな小僧がいたら、ポリ公にふんじばらてますぜ』
『わしもそうだと思っとった』……爺さんは満足であった……

これこそ起承転結というものだわ、と思って、読むたびに満足な短編 (面白さは色々ですが^^;)ばかりです。
さて、皆さんはいかがですか?
私は、SSでも一生懸命、起承転結を作ろうと思いながら書いているのですが、とても難しい。でも、一生懸命さが伝わるといいなぁ、と思うこの頃です。
短編の先生をご紹介しました。是非、一度読んでみてください。落語と一緒で、落ちが分かっていても面白いですし、学ぶ姿勢で読むともっといい。そういう目でみると、すっかり手垢が付いたような有名な話である『最後の一葉』も『賢者の贈り物』も味わい深いですしね。


ちなみにこの話があまりにも気に入った大海は、相川真シリーズの4代先、大和竹流=ジョルジョ・ヴォルテラのひ孫(もろもろややこしい家の跡継ぎ・やや優柔不断)がヴォルテラの家を捨てて、相川真のやしゃ孫(繊細だけど言いたいことは言う、でも自分の気持ちにはなかなか素直になれない考古学者ちゃん)と結ばれる話の最後に、このシーンを頂きました(#^.^#)
ヴォルテラの力を持ってしたら、誤解したまま東京に帰ろうとする彼女を引き留めるために空港ひとつ塞ぐくらい、なんてことないはず!(やったのは優柔不断な兄貴にイライラしていた弟だけど…そう、『麗しのサブリナ』の本歌取りさせていただきますので(#^.^#))
でも、私がたまたまその空港に居合わせたら、怒るけどね!

Category: 物語を遊ぼう(小説談義)

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NEWS 2013/3/27 春…爛漫 

というようなお写真をせめて…と思ったけれど、なかなか爛漫、とまではいかない(;_:)
忙しいですね…年度末。毎年こうなるのがわかってはいるけど、今年は特にひどい…(;_:)
なかなか更新ができないので、なかなか見られない光景をお目にかけたいと思いまして…

橋
これは、金木、という青森県は五所川原というものすごく大きいガンダムみたいなねぶたで有名な町の近くにある、三味線発祥の地、の橋のたもと、欄干の写真です。
こんなところに津軽/三味線が…

大会2
そして、金木の大会の、超手作り感あふれる光景。
公民館でやっていて、地元のおじいちゃんおばあちゃんが聴きに来られて、横で入賞予想とかしておられる。競馬じゃないんだけどね…鉛筆で、○とか×とか、つけておられるんですね。…結構面白いのです。
ここの大会の大賞の部は勝ち抜き戦。かなりハードで、見ごたえがあります。
金木の町は太宰治の故郷、斜陽館といういかにも傾きそうな名前の旅館(太宰の親戚が経営されていた)の跡に太宰の記念館があります。
その真前に、津軽三味線会館があって、生演奏も聞くことができます。

大会1
こちらは弘前の大会の控室…と言いたいところだけど、ロビーにビニールシートを敷いて、みんなここで練習しています。普通に、吉田/兄弟さんとかが歩いていたりします(彼らは大会に出ないけれど、お仲間さんの応援に来られたりするのです)。
ましろ/のおと、で少し浸透したような気もするけど、まだまだマイナーで地味な世界でした。

さて、せっかくなので、春の花も。
春の花2
我が家には、お茶花がたくさんありまして、そのひとつ、イカリ草です。地味だけど…
この一輪に無限の春が宿る…
いつもそう思いながら、花を眺めています。

そして、こちらは東洋ナッツさんの敷地にあるアーモンドの花。ほぼ桜、です。
春の花3
今日は、帰ってきたらちょっと更新を…と思っております。
昨日、せっかく、いやな書類を一個片づけたのに、寝てしまった…

Category: 旅(あの日、あの街で)

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NEWS 2013/3/24 ミニライヴ 

昨日から、三味線三昧です。
昨日もまた、この世界の難しさに玉砕し、もっと勉強せねば、と思いました。
もちろん、私は趣味でやっているだけなのですが、趣味とは言え、やるからにはちゃんとその世界を知り、感じながらやらなくちゃ!と思うのです。しかし、どの世界もそうでしょうが、深いですね…

今日は今から、三味線の糸を張り替え、いざ、ミニライブ?ミニコンサート?楽器屋さん主催のコンサートに行ってまいります。2曲、心を込めて叩いてまいります。
(三味線を叩く…というのは津軽ならでは、なのですが、ほとんど打楽器みたいでして。でも、もちろん、弾くってイメージの部分もあります。その強弱が魅力のひとつ)

コメントを下さった方々へ、コメント返しをできるだけ早く書きたいのですが、まずは行ってきます。
帰ってきたら、たくさん、お返事書きたいと思います。
いつもありがとうございます。
コメントは本当に本当に嬉しいんです。ついつい、力の入ったお返事を書いてしまっていますが、うっとおしくてごめんなさい。
また夜中にでも?あるいは朝方?遊びに来てください。

今日は弘前城の、多分数年前の桜を。
弘前城
さくら1
さくら2
ほんと、北国の桜は、ため息が出るほど綺麗です。

Category: 旅(あの日、あの街で)

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NEWS 2013/3/23 更新…ままならず 

ということで、今日は朝の風景をお目にかけて、お茶を濁そうかと…^^;

まずは、今朝のうちのお庭の花を。
さくら
下を向いて咲く桜でして(名前…忘れちゃった…)、しかも昨日の雨のせいか、ちょっとしょぼくれている…
ぼけ
こちらは真紅のボケの花。珍しいいろで、しかもこのボケ、とげがありません。

そして、憧れの朝ごはんブログに挑戦??
朝ごはん
のりがしょぼくれているとか、炭水化物率高いんとちゃうんかとか、苺のヘタからいかに冷蔵庫に放置されていた時間が長いかわかるとか、この皿は実はとなりのトトロとか、細かい突込みはしないでくださいね^^;
そして、これがなければ私の朝は始まりません。
珈琲
本当は、お湯をかけてふわんとドームになった珈琲淹れてるとこを写したかったんですが、一人では無理だった。
今朝の珈琲はマンデリン。中煎りの、春らしい珈琲です。
本当は深煎りのがっしりした豆が好きなんですが、今日は春の朝の気分だったので。
珈琲豆提供は、ポエムさん。わざわざ買いに大阪のT市まで行きます。
この波波のフィルターに注目。実は土佐和紙で作られたものもあるのですが、ちょっと高いので普通の紙です。これで淹れる珈琲はコクがあります。
珈琲2
ブログでは匂いがお届けできないのが残念。せめて湯気だけでも…!?
珈琲3
そしてお気に入りのしまうまマグカップでいただきます(^^)
向こうにいるのは誰?
そう、この子、島根県のゆるきゃら、よすみちゃんです。
四隅型古墳をモチーフにしたゆるきゃらで、体は古墳、頭は水だそうで。
いずれ、石紀行でじっくり、ご紹介いたしますね。

では、今日は今から三味線どっぷりに行ってまいります(^_^)/~

Category: NEWS

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連作短編【百鬼夜行に遅刻しました(ウゾさんへ)】春・桜 

stella
Stella
Stella 2013/4月号 投稿作品



さて、掌編をお届けします。
もしskyさんからご許可をいただけましたら、月刊Stellaさんへ投稿しようかと思っております。
→skyさんからご許可いただき、無事にタグを貼りつけることができました(*^_^*)
よろしくお願いいたします。季刊くらいの参加にはなりまするが…

ウゾさんからご許可を頂き、ウゾさんのブログ名をタイトルに戴いた【百鬼夜行に遅刻しました】です。
→ウゾさんのブログへ
そして、主人公の名前が、もう勝手にウゾくんになってしまって、他の名前にしようとしてもどうしてもダメなんです~とウゾさんに謝ってはいたのですが、それでも何とか他の名前に変えようとしたけれど、やっぱりだめでした。
ここでもう一度謝ります。ウゾさん、もう『ウゾ』以外にはなりません!^^;^^;

ウゾさんのブログ名、本当に私のど真ん中直球で飛び込んできまして、妄想が走り始めてしまったのですね。
いやいや、いかん、ひとんちのブログ名だから…と思ったけれど、そこへもち姫さんのお写真を拝見してしまい……妄想は消えるどころかヒートアップしちゃいまして……

ごめんなさい、ウゾさん。
お気に召さなければ、もうすぐにでも抹消いたしますので、ご遠慮なさらずにおっしゃってくださいませ。

これは一応、ウゾさんのブログから漂う何かを一部お借りした二次小説という位置づけ、のつもり。
これまでだったら、妄想が走っても文字にするところまではいかなかったけれど、ブログというもののおかげで文字にする意欲が出て、一応形にすることができました。
ウゾさん始め、Stellaの管理人さん、お誘いくださった夕さんに感謝です。
あ、まだ管理人さんからのご許可をいただいていないので、一応タグはお預けです。

まるきり続くことを前提にしているような話運びですが……気にせずに、ひとまずお楽しみください。
ウゾさんのダメだし次第で消えることも……
約7500字。ウゾくんともち姫さんが大活躍のお伽噺のようなお話。
ファンタジーは書けない、書くまいと思っていたのですが…




【百鬼夜行に遅刻しました】

 しまった! また寝坊しちゃった!
 ウゾは急いで夜行用衣装に着替えて、タダスの森を飛び出した。
「うぞ、オハヨウ。また寝坊か」「寝坊か」「またか」「寝坊」「ネボウ」
 ダンゴ達は、キノコの苗床になっている木の葉の下からごそごそと音を立てながら、いつものようにハモって話しかけてくる。あいつらは害にもならないが何の役にも立たない。
 どうせなら、起こしてくれたらいいのに!
 ウゾは転がるように森を出ると、橋の下に潜った。水辺で遊んでいる五尺龍たちの力を借りたら、少しは早くゴショに着けるかもしれない。
 今日は三千六百五十回目の及第試験の追試日だった。
 つまり、三千六百四十九回、試験に落ちている。
 その理由は試験開始時間に間に合わないからだ。
 ウゾは早起きが苦手だ。というよりも、他の鬼とは違う特別な性質があって、普通の鬼が眠りについている時間帯にぐっすり眠れないのだ。だから寝る時間が遅くなってしまって、必然的に起きる時間も遅くなって、亥と子の刻の間の集合時間にはいつも間に合わない。

 しかし、その日、橋の下の川辺に五尺龍たちはいなかった。
 カモガワの水はいつものように、ニンゲンたちが川辺に灯したあかりを跳ね返してちらちらと揺れながら南へ下っていたが、いつもなら水の上で跳ねている龍たちの姿はなく、奇妙に静かだった。
 ウゾの姿は水面にははっきりとは映らない。でも、他の鬼とはちょっと違うところなのだが、少しだけ映るのだ。ウゾはカモガワの水を覗き込む。ウゾには角はないけれど、ニンゲンがよく絵に描いている普通の鬼に近い姿をしている。鬼、といっても、小鬼だ。
 もちろん、水面には、ニンゲンが描く絵みたいにくっきりとは映らない。ゆらゆらゆれる水の中のウゾの頭の上に、光虫がふわふわと漂っている。
 だめだ、だめだ、まだ一生懸命走ったら、ギリギリ何とか滑り込めるかもしれないのだから。

 さぁ、走るぞ、と思ったときだった。
 ウゾのとんがった耳がひくひくと動いた。
 しくしくと泣く声が聞こえる。声、というよりも震えのようなもので、はっきりと耳で聞こえるような音ではない。鬼のウゾだから聞こえる周波数だ。
 水音でかき消されて途切れ途切れにはなるのだが、確かに誰かが泣いている。

 あぁ、もう、構ってる場合じゃないんだ。もしかして、今ならまだ三千六百五十回目の追試に間に合うかもしれないのに!
 ……なのに、やっぱりウゾは足を止めてしまった。
 辺りを見回してみると、向こう岸に繋がるカメ石の上で、誰かがしゃがみこんで泣いていた。
 ニンゲン?
 おかっぱ頭で赤いスカート、ピンクのカーディガンを着ているから、女の子なのだろう。
 今日は四月の丑の日なのだ。だからもしもニンゲンに鬼の姿が見えてしまったら、そのニンゲンは死んでしまう。いや、ニンゲンの死期を決めているのは、鬼を見たかどうかということではないのだが、死期が近いニンゲンに引導を渡してしまうことになる。
 鬼にしてもニンゲンの死期に関与することを好んでいるわけではない。だから不用意に近づいてしまって、もしかしてそのニンゲンの『時』が迫っているのなら、鬼の姿がニンゲンに見えてしまうかもしれない。
 とは言え……
 ウゾはそろりと泣いている女の子に近付いた。
 背丈はウゾと同じくらいだから、ニンゲンならば五歳くらいだろうか。おかっぱの髪の毛は薄茶色で、光虫たちがその周りをふわふわと漂いながら行き過ぎている。
 ウゾが女の子と同じカメ石の上に立った途端、女の子はその気配を感じたのか、顔を上げた。

 わっ!
 ウゾの方がびっくりした。
 いやいや、こういうのは見慣れているのだから、びっくりする方が鬼として情けないのだが、やっぱりびっくりした。
 これじゃあ、女の子にはウゾは見えないだろう。もちろん声も出せない。耳だけは聞こえるようだ。そしてウゾに触れることもできる。そう、女の子はまっ白い顔をしていた。要するに、のっぺらぼうだった。
 つまり、女の子はもうニンゲンではないようだった。

 ウゾは困ってしまった。
 困ったのは、三千六百五十回目の追試を受けられないということではない。もうそのことはすっかり頭の中から消えてしまっていた。女の子を何とかしてあげなくちゃならない。女の子が泣いているのは、帰る先が分からないからだ。
 鬼の中にはのっぺらぼうなんてざらにいるのだが、年季の入ったのっぺらぼうはウゾにもすぐに見分けがつく。何故なら、完全なのっぺらぼうはキツネとかタヌキたちの化けた姿で、帰属のはっきりしない、多分もともとニンゲンだったのっぺらぼうの場合には、口だけは残っていることが多いからだ。
 女の子ののっぺらぼうぶりは、『新人』としか思えない。だって、目も鼻も口もないのだから。
 予想外の『時』を迎えた時に、五感のうちいくつかがこっちの世界とあっちの世界とでばらばらになってしまうことがある。だからあっちの世界に残してきたものを、ちゃんと回収しなければならないのだ。あっちの世界に何かを残したまま、『時』から七日以上が経ってしまうと、ウゾ達と同じように鬼になっていまう。鬼になったら、ニンゲンたちが言うところの『ゴクラク』までの道のりは気が遠くなるくらい、長いのだ。
 しかし、口のない状態では、女の子から情報を聞き出すことは難しい。

 困ったときにウゾがすることは決まっていた。
 ウゾは女の子の手を引っ張った。
「もち姫のところに行こう」
 女の子の手は何となく暖かだった。そして何となく懐かしかった。
 
 もち姫は『知っている』猫だ。知っているということは、『見える』以上だということだ。猫の場合は、ニンゲンよりも比較的見える率は高い。でも、知っている猫となると、そんなにたくさんはいないのだ。この町で『知っている』猫は、もち姫と、あともう数匹の猫たちだけだ。
 もち姫が住んでいる家は、カモガワをずっと遡ったところにあった。
 ウゾは女の子の手を引っ張って、うんとこ走った。鬼でも結構な時間がかかるところなのだが、女の子は半分あっちの世界に残っているから、重かった。
 だから、もち姫の家の竹垣の隙間をすり抜ける時も、女の子は引っかかってしまった。勢いで手を強く引っ張ったら、赤いスカートのポケットの切れ端が竹の隙間に絡まって千切れ、あっちの世界に残ってしまった。
 穴のあいたポケットから、ひらりと薄紅の花弁が零れ落ちた。

「あら、ウゾじゃないの。あなた、今日は三千六百五十回目の追試の日じゃなかったの」
 もち姫は縁側でいつものようにゆったりと真っ白な身体を横たえていて、金色と碧色の二つのとても綺麗な目でウゾを見た。
 もち姫はあっちの世界では少し身体の弱い猫だ。それはつまり、こっちの世界ではとても元気だということだ。もち姫はすぐに女の子に気が付いて、首を長く伸ばした。
 しばらく、もち姫は女の子の気配から何かを探っているように見えた。
「その子はどうしたの?」
「川で会ったんだ」
「まぁ、じゃあ、あなた、また試験を受けそこなったのね」
 もち姫はウゾのおせっかいのことを、とてもよく知っている。
「そうなんだ。でも放っておけなかったんだよ」
「でもいい加減試験に通らないと、百鬼夜行の本番に参加できないんじゃないの。このままでは、いつまでもこっちに残ってしまうわよ」
 そうなのだ。
 百鬼夜行には気が遠くなるくらいのルールがある。ニンゲンから見たら、鬼が並んでいい加減に歩いているように見えるかもしれないが、障害物、つまり多くはニンゲンや他の生き物との距離の取り方や、通ってはいけない場所、一方通行、止まってはいけない場所、などがあって、鬼によって、つまりもとの身体の形や、あっちの世界に残してきたものの状態やらによって、歩く順番やスピード、飛んでいい高さなどにも決まりがある。
 だから、本番の百鬼夜行に参加するためには、まず学校のようなものがあって、そこでしっかり勉強して、試験に合格しなければならないのだ。
 学校は『ゴショ』の中にある。『ゴショ』には昔ながらの辻や大通りがあるし、子の刻にはもうニンゲンはほとんど通らないので、半人前の鬼たちがまかり間違って気配を消すことを忘れていたとしても、問題になることは少ないから、勉強するにはとても好都合な場所なのだ。
 ウゾは何とか授業の単位を取り終えたのだが、ニンゲンの住む町中を練り歩く本番の百鬼夜行に参加するための試験にまだ通っていない。受けそこなった回数と試験は受けたけれど落っこちた回数の合計が、今のところ、三千六百四十九回、ということなのだ。そして今日、それが三千六百五十回になってしまったらしい。
「でも、今までの最高回数を誇った鬼が一万八百八回だっていうから、まだまだ僕は大丈夫だよ」
「ウゾ、でもね、いつかはちゃんとしなきゃだめよ。いつまでもこのままじゃね」
 鬼の時間はニンゲンの時間とは違うのだが、たいていの鬼は千回以内で試験に合格する。試験に合格したら百鬼夜行の本番に参加できる。参加すると少しずつ色んなことが分かっていくという。
 たとえば、自分がもともと何だったのか、どうしてすんなりとゴクラクに行けずに鬼になってしまったのか、あっちの世界に何を残してきてしまったのか。
 ウゾが普通の鬼が眠っている昼間に眠れない理由も、きっとあっちの世界に何か特別なものを残してきているからに違いないのだが、試験に通らないとその謎も解けないままなのだ。
 本番の百鬼夜行に百八回参加すると、魂魄は解放されて、ゴクラクへ行けるのだという。
 でも時々、ウゾは思う。
 僕は本当は知りたくないのかも……と。

「ね、もち姫、この子がどこの子だかわかるかなぁ?」
 もち姫はそっとため息をついた。
「口も目も鼻もないんじゃあね……」
 ウゾに手を引かれてここまでやって来る間、女の子は多分何が何だか分からなくてぽかーんとしていたのだろうが、ここに来てまたしくしくと泣きだした。声を出せないままで。
 確かに、目印になるものは何もない。口がないのでは名前も分からない。目がないのでは、女の子に案内してもらって知っている場所を探すこともできない。鼻もないので匂いも分からない。
 ウゾはもち姫の真似をして、ため息を零した。

 せめて服に目印でもあるといいのだけれど、名前が縫い込んであるわけでもない。
 ウゾはもち姫の家の庭をうろうろと歩き回り頭をひねった。
 その時、さっき女の子が隙間をすり抜けそこなって引っかかっていた竹垣が、ウゾの目に入った。そうだ、あんなスカートのポケットの切れ端をあっちの世界に残したら、またゴクラクに行けなくなってしまう。
 ウゾは赤い布きれを竹垣から引っ張った。

 その時、赤い布きれにはりついていた薄紅の花びらがひらりと落ちた。
 ウゾの足元の緑の草の上に、数枚の同じような花びらがいくつも落ちている。暗がりの中で、薄紅の灯りがともったように、ウゾの青い足を照らしている。
 ウゾは花びらをつまみあげて、じっくりと見つめた。女の子の赤いスカートのポケットに、この花びらがたくさん入っていたのだろう。
 匂いを嗅いでみると、ウゾにはその花弁がどんな花のものか、すぐにわかった。
 ナカラギの桜だ。
「あら、桜の匂いね」
 もち姫にもその微かな香りが届いたのかもしれない。
 そう言えば、ウゾともち姫は花の縁で知り合った。どちらも花が好きだった。杉の花を除いて。ウゾにはどんな一本でも、桜や梅の木々を見分けることができた。
 ナカラギの桜は、この街のカモガワ沿いにある植物園の脇、八百メートルの道に並んでいる桜だ。開花時期はほんの少しだけ、他の桜よりも遅い。
 これはそのナカラギの道の北の端の方にある、古い木の花びらだ。

 そこからはもち姫の出番だった。
 もち姫の招集で町中の猫たちが集った。知っている猫も、見える猫も、見えない猫も、みなが助けてくれた。そして、見えないけれど人間の言葉が読める不思議な能力を持った黒猫のナイトが、その看板を見つけてくれた。
 四月十五日午後九時、ナカラギの桜が途切れるあたり、キタヤマ通りでバイクに人がはねられたらしく目撃情報を求めている、と。僅かな血の跡とバイクのタイヤ痕が残っていたようだが、それらしい事故の届けはなく、音を聞いた、逃げていくバイクを見たという情報だけが数件、警察に寄せられていた。また、近くに住む五歳の女の子の行方がわからなくなっていて、警察は二つの出来事には関係があるかも知れないと思っているらしいのだ。

 ウゾは女の子をその場所に連れて行った。
 ナカラギの桜はもうほとんど散っていて、僅かに数本に名残の花が、暗闇の中で艶やかに浮かび上がって見えていた。淡い紅の花びらがウゾと女の子の周りで散った。女の子はもう泣いておらず、ウゾの手をしっかりと握りしめていた。
 そして、キタヤマ通りの事故現場に立った時、女の子は耳を少し動かした。
 車や人の作り出す音、風の音、水の音、それらを一生懸命に聞いているようだった。やがて、女の子はウゾの手をしっかりと握ったまま、走りだした。
 ウゾは女の子の手をしっかりと握った。やはり、とても懐かしい気持ちになった。
 猫たちも一緒に走った。
 あっちの世界の、女の子の身体のある場所に向かって。
 今日は四月二十二日、時は午後八時五十五分。


「ウゾ! お前は本当に、一体全体、試験を受ける気があるのか~!」
 百鬼夜行学校の一番おっかない教官、タタラが叫んだ。タタラはやたらと体が大きいので、大きな声を出すと空気の振動が半端なかった。元はミドロガイケの龍だったという話だが、龍がジョウブツできなくて鬼になるなんて話は聞いたこともない。多分、ただの噂話だ。とにかく、鬼が言うのもなんだけど、顔も大きさも声も、怖いのだ。
 ウゾは首を縮めた。
「いえいえ、ウゾはニンゲン助けをしていたのですから、ちょっと大目に見てあげましょうよ」
 この物わかりがよく優しい、パーフェクトのっぺらぼう女史は、鬼になる前はキツネだったらしい。
「いや、これでウゾは、この学校始まって以来、予定も含めて、二番目に追試回数の多い生徒になってしまったんだぞ~」
「でも、一番は一万八百八回だから、まだまだ……」
 ウゾが言いかけると、タタラが畳みかけた。
「その記録は特別なのだ! 三千を超えるなんぞ、普通ではありえん~!」
 振動が耳の鼓膜を破りそうだった。
 そう、一番の記録は断トツで、その伝説のつわものにはウゾも一度は会ってみたいものだと思っている。そして、二番手は昨日まではウゾともう一人が並んでいたのだが、今日ウゾがついに一歩前に出たのだ。
「まあまあ、タタラ先生、そのくらいにしてあげましょう。今日は新入生を紹介しなくては」
 パーフェクトのっぺらぼう女史がタタラの腕を優しく掴んだ。

 あれ!?
 ウゾは自分の目を疑う。
 そこには、ポケットを縫い付けた痕のある赤いスカートをはいた、そして顔にはちゃんと目と鼻と口の戻った、あの女の子が立っていた。女の子はウゾを見て、にっこりと笑った。
 その笑顔には何だかとっても暖かいものがあって、ウゾはちょっと嬉しくなった。
 いや、そんな感傷に浸っている場合ではない。
 間に合ったはずなのに。ちゃんとゴクラクに行ったんじゃなかったのか……
 パーフェクトのっぺらぼう女史が生徒たちに告げた。
「サクラちゃんは、七日の期限に間に合わなかったので、今日、私たちの仲間入りをしました。それに、あっちの世界でサクラちゃんを死なせてしまった犯人がまだ捕まっていないので、お母さんが苦しんでおられます。場合によっては逢魔が時の呪いを使いましょう。ウゾ、面倒をみてやってね」

 ウゾは時々鬼が怖くなる。
 自分も鬼なのだが、怖いのだ。
 鬼たちは許せないニンゲンがいると、時々容赦がない。
 逢魔が時の呪い。それは上級の鬼にだけ許された百鬼夜行だ。
 普通の百鬼夜行は深夜に行われる。ニンゲンが間違って見てしまったら命を吸い取られるというが、それも月に一度の百鬼夜行日だけだ。だが、逢魔の時に特別に行われる百鬼夜行は、夜行というには少し早い時間だが、まさに命を取りに行くものなのだ。
 鬼なのに、鬼が怖いのは何故なんだろう。
 ウゾにはまだまだ自分が分からない。

 サクラちゃんが嬉しそうにウゾに走り寄ってきた。サクラちゃんの目は茶色で大きくて、光が入っているみたいに輝いていた。
 サクラちゃんはウゾの手を握って、綺麗な声であの時はありがとうと言った。こんな素敵な声だったんだと思ったら、少しだけ、先にゴクラクへ行ってしまわないでいてくれてよかったと思った。一緒にもち姫のところに遊びに行くこともできると思うと、嬉しかった。
 でも……一度鬼になってしまったら、ゴクラクまでの道のりはちょっと遠いのだ。
「どうして鬼になってしまったの。間に合ったと思ったんだけど、時計が間違っていたのかなぁ」
「ううん。ウゾ君のおかげで目と鼻が戻ったら、お母さんに桜の花びらを届けるところだったことを思い出したの。それでおうちに寄り道していたら、間に合わなくなっちゃったの」
 サクラちゃんは病気のお母さんに桜の花を見せてあげたかったのだ。だからあの日、あんな時間に、ひとりでナカラギの道に行ったのだという。そしてポケットに桜の花びらをいっぱい詰め込んで家に帰る途中、バイクにはねられたのだ。
 サクラちゃんはすぐに『時』を迎えたわけではなかったようだ。サクラちゃんをはねたニンゲンは、サクラちゃんと目があって、顔を見られたと思ったのかもしれない。こんなに小さな子どもに顔を覚えていられるなんて、どうして思ったのだろう。そのニンゲンはサクラちゃんを近くの山へ連れて行って、殺してしまったのだ。
 パーフェクトのっぺらぼう女史の言うとおり、逢魔が時の呪いを使うに値する、ひどい話だとは思うけれど、それでもウゾの心の中には何かが引っかかる。
 
「ありがとう。お母さんに桜を見せてあげることができたのは、ウゾ君のおかげだよ」
 それでも、サクラちゃんにそう言ってもらえると、嬉しくなった。サクラちゃんにとってはゴクラク行きの簡単コースに間に合うことより、お母さんに桜を見せてあげることの方が大事だったのだ。
 お母さんは、やっと見つかったサクラちゃんのためにポケットを縫ってくれたそうだ。
「僕じゃなくて、もち姫と猫たちのおかげだよ」
 サクラちゃんは本当に花のように素敵に笑った。
 そうだ、後で一緒にもち姫に会いに行こう。もち姫に話を聞いてもらったら、きっとどんなことも乗り越えていけるような気がする。それに、たぶん僕より早く、さっさと試験に通ってしまうに違いないけれど、これからサクラちゃんと一緒に過ごす時間は、きっととっても素敵なものになるだろう。

 ふと風が吹いた。その風に乗って、サクラちゃんからは、あのナカラギの桜の匂いがした。

(【百鬼夜行に遅刻しました】了 2013/3/22)



Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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NEWS 2013/3/20 私もバトンをやってみた 

初バトン体験……(^^)
皆さんがやっておられるのを見て、何だか自分も書いてみよう…と。
でも結構、大変でした^^;
それでは、お暇な方は見てやってくださいませ。そして、やってみてくださいませ。



1.小説を書く際、資料などは使いますか?
はい。使いますね……。今書いているメイン小説は昭和50年~60年頃のお話なので(私にとっては大事な古き良き時代)、その頃の写真集とか時代史の本は必ず使います。大和竹流が修復師なので、書棚には美術関係の本も並んでいます。ネットでは、ちょっとしたものの歴史を確認します。ビールとか、風俗史とか、交通手段とか…
歴史・時代小説を書くときに大切なことは?との質問に、畠中恵さんが『その時代になかったものを書かないこと』と答えておられたのが印象的で…簡単な言葉だけど、守るのは難しい。
ちなみに、下は大事な資料の一部。写真集はとっても大事です。イメージをつかむにも。
参考までに、この『新宿』という写真集、ネット古本でやっと見つけた代物で、高かった……
資料
もちろん、現在のお話などは、ちょっとネットで調べる程度で、こんなたいそうな資料は使いませんが…あ、内容によりますけどね。まだそこまでの作品を書いておりません…
これから歴史ものにもチャレンジしたいのですが、その資料が今から本棚の一部を占拠しております。

2.プロットやフローを用意しますか?
聞いてほしくなかった…^^;という質問。実はまともに用意したことがありません…。もちろん、頭の中では用意していますし、途中で整理・確認のために、ポイントを書き出すことはあります。頭の中で、ラストのキラキラシーン(と私が呼んでいる、つまりはクライマックス?)が湧き出したら、起承転結をパンパンと決めて、あとは書くだけ。でも、台詞とかシーンの覚書をするためのメモ帳は持っています。
いえ、もうわかっているんですよ。ちゃんと用意するべきですよね。その方が楽ですよね。分かっているんだけど…
起承転結は短い話であればあるほどきちんと作りますが…これも頭の中。長い話はもう、大河ドラマ状態で、エピソードを振りまきまわって、回収しまくって…の繰り返し。

3.小説をどこかに投稿したことがありますか?
実は……随分昔に一度だけあります^^; その時何を考えていたのか覚えていないけど、賞を目指したというより(そもそも私の実力では届くわけがない)、物語を完結させることを目指した(締切がないと終わらないと思ったから)という感じでした。その原稿はもう残っていませんが(書院の時代)、イメージとか世界観は【清明の雪】の中に残っています。
*書き終えてから、自分でもこりゃダメだと思って、文章教室に行ってみた(×2)。せっかく行ったのに、その後は投稿したことはないです。自分の限界とか現実を知ったからというのもあるけど、リアル仕事があまりにも忙しくなっていたので。でも、教室では基礎が色々と学べて面白かったし、リアル仕事で文章を書くときに結構役立っている。一番おもしろかったのは、名作のラストを変える遊び。

4.あなたの小説(文章)で一番影響を受けている作家様は誰ですか?
うーん。結構その時に読んでいた文章に影響されるんですね……文章だけでなく、絵や写真、全体の印象とかにも。一番ひどかったのはトルストイ『戦争と平和』を読んでいた時。丁度、ジョルジョ・ヴォルテラ(大和竹流)と慎一(真の息子)の話を書いていた時で、ローマを舞台にしたとんでもない大河ドラマになっていた。出発地点は夏目漱石の『こころ』『それから』、だったような。だから私の書くものには余白が少ないんだ!
逢坂剛さんを読めば逢坂剛さんに、東直己さんを読めば東直己さんに、高村薫さんを読めば高村薫さんに、宮部みゆきさんを読めば宮部みゆきさんに、柴田よしきさんを読めば柴田よしきさんに、志水辰夫さんを読めば志水さん、桐野夏生さんを読めば桐野さん…どこまでも感化され続けるのであった…^^;
ちなみに、物語の構造は、O・ヘンリーが大先生。あのものすごい数の短編で、起承転結が本当にくっきりすっきり。松本清張さんの短編も好き。
挑み続けている(本歌取りと言いますか)のは源氏物語といくつかのお伽噺。源氏物語は、若菜以降が面白いし、宇治十帖の裏側に秘められた世界などは萌えどころになっています。お伽噺は人魚姫が一番気になるけど、最近はやりのグリム童話大人編も気になる。
目指しているのは、池波正太郎さんのような江戸っ子文章だけど、憧れるだけで私には難しいです。

5.あなたの書いた情景描写、その中で一番好きなものをひとつ。
情景描写…うー、どういうものが情景描写、と言い切っていいものやら、まだよく分かっていません。とりあえず、アッシジの風景の中の二人を。情景描写だけではなくて、あれこれ混じったものしか書けないので、中途半端ですが、真が見ている風景は、いつも彼の心の動きそのままです。
でも多分、正しい答えはその2、みたいなやつかな。

 アッシジ。
 聖フランチェスコの壮大なる寺院の堂内には柔らかで美しい光が充ちていて、足下をほんのりと照らしていた。真の魂は、異国の聖堂の中で返るべき場所を見出したかのように静かだった。つい二日前までは身体は凍ったり、炎に包まれていたりを繰り返し、落ち着く場所が全く見出せなかったのに、今は北海道の森の中を歩いているときと同じ、穏やかな空気に包まれていた。
 まさに自然の営みは非情だった。光は、太陽が今の温度を天体の命の時間として保つ限りは、暖かく優しく真の周囲に溢れた。今まさにこの瞬間、この地球の上で、真は時の偉大な流れの中に偶然居合わせていて、それをどうすることもできないのだという、不思議な安堵感に包まれていた。生きるということは、意思の力でどうこうするものではない。ただお前は今、そこに在るべくして在るのだと、そこに神の力を説く聖人も、ただ非情を説く仏も、同じことを真に伝えている気がした。
 聖堂の壁には聖フランチェスコの生涯が描かれていた。
 聖フランチェスコは、小鳥や動物たちの前に立ち、話しかけるように説教をしている。
 この高潔なる聖人の前で、小鳥や動物たちはその説教が終わるまで、ただの一羽も飛び立たず、ただの一匹、一頭もその場を立ち去らなかった、という伝説を竹流が話してくれていた。
 真は、黙って立ちすくんだまま、涙を流した。
 ホテルの広いベランダから、果てまで広がる緑の田園。トスカーナでも同じように吹いていた、地球という天体を包み込む暖かく偉大なる風。そこには感情はなく、ただ自然の法則に従い吹き渡るという、そのことの有り難さを真の身体中の細胞が感じていた。
 石畳の道を寺院とは反対の方向に歩きながら、時々路地を見やると、猫が眠たげな目を彼らに向ける。その猫の脇の壁の上から、重たく撓った枝を投げ掛ける白やピンクの花。花に群がるように、子孫を残すための営みを続ける小さな虫たちの羽音、全てを包み込む空の青。
 この世界は、何と美しいのだろうと、真は当たり前に感じた。
 崩れかかった城壁の危なげな小道を上がっていくと、ホテルのベランダから見えていた、人の温もりも自然の雄大さも心地よい半分で交じり合ったイタリアの小さな街の優雅な姿が目の前に広がる。この美しい世界の中で、人間もまた、産み出し破壊しながら非情な時の流れを漂っていた。そこに是も否もないことに、真はただ安堵した。
 竹流は何か真に話し掛けながら、風の向こうの景色を指さした。その瞬間、真は、この是非のない世界の中で自分の存在を支えているものが何かということを、しっかりと心に受け止めた。それはまさに理解ではなく、降り注いできた天啓のようなものだった。
 竹流が、どうしたのか、という顔で真を見て、それから隣に座った。
 ずっと、ここにいてもいい、ローマにも東京にも帰らないで、ずっとここに。

(【海に落ちる雨】終章より)

その2
 遥か地平線まで深い緑がうねっている。緑はずっしりと湿度を湛え、その足下に無数の命を孕んでいる。広げた羽根は吹き上がる風で膨らみ、身体は重力の支配から解き放たれた。
 宇宙(そら)から銀の雫が降る。金の雫が降る。光の雫はうねる緑の上で雨になる。地平線に連なる天の縁には、柔らかな藍が染み出している。太陽はまだあの地平線の下、地球の裏側なのだ。天をまたいで、砂浜の粒のような無数の星が煌めき、薄い絹を投げ上げたように川を描く。緑の畝の隙間を縫って、地にも川が映し取られる。
 銀の雫が降る。宇宙の微かな光は、雨になって地球の川に降りしきる。川はやがて大海に届く。その海にも銀の雫が降りしきる。
 シロカニペ ランラン ピシュカン コンカニペ ランラン ピシュカン
 雨は川に落ち、海に落ち、誰にも気が付かれることなく地球の一滴になる。大海原に呑み込まれながら、確かな生命の一滴となる。
 雨の気配に目を覚ました。

(【海に落ちる雨】始章より)

6.上記の心理描写verをお願いします。
え? 上記の心理描写…それは無理だわ。書き換えをしろってことなんですよね。
代わりに別の場面で許して…(しかも、まったくテイストの違う場面…^^;)
しかも私の書くものの中で一番少ないのが、この心理描写ではないかと思われる……
いえ、書いているんですけど、こう思った、こう感じた、ってのが少なくて、想像してくださいってなことになっている……人任せ^^;

 不意に、いつか竹流が見せてくれた地獄の扉を思い出した。ロダン自身だといわれている『考える人』が、背後から地獄へ吹き堕とされる人間たちを見つめて、人間の業について沈思している。二百体を超える彫刻の人間たちは、苦しみもがきながらも、地獄から逃れ、這い上がり、ある者は飢餓の苦しみのためにわが子を食らいながらも生き抜こうとしている。ロダンの傍らで、堕ちまいと必死にしがみついている男の姿が、闇の中で浮かびあがった。
 俺もやはり、今はただこの地獄を生きぬいてやろうとしている。ただ沈思するだけの男でもなく、その男を悲しげに見つめている別れた恋人であり弟子でもあった女性でもない、この身はただ煉獄に放り込まれた二百体のひとつに過ぎないのだ。(中略)
 意識は悠然と地獄を歩いていた。凍るような水と、焼けるような炎と、身体が千切れるような嵐の中を、苦もなく歩き続けていた。足もとの道は延々と続く針の道だった。一歩進むごとに、足の裏から甲に突き出す幾本もの針は、そのものが生きているかのように真の身体の血を吸っていた。明らかに強烈な痛みを感じるのに、恐れもなく歩き続けているのは、誰かの手が、冷たく凍るような真の手を握りしめていたからだった。

(【海に落ちる雨】第4節・第23章:喪失より)

7.あなたが書いた小説で登場した台詞。好きなのを三つどうぞ。
これは結構迷いました。実は、女性の登場人物のきっぷのいい台詞ばかり浮かんだのですが、でもやっぱり、ここは主人公たちの会話がいいよなぁ、と思いまして。
ひとつ目は違うんですが。

(1)
「はっきり言っとく。忘れろ。お前が真にしてやれる最も大事なことは、忘れてやることだ」それから仁は大きく息をついた。「今はお前もこんな状態で、どうもならんだろうけど、いつか報いてやれ。そのためにも、あいつを傍から離すな。あいつがお前のために何をしたんだとしても許してやれ。あいつが望んでいるんだ、奈落の底まで連れて行ってやれ。俺が言いたいのはそれだけだ」
(【海に落ちる雨】第5節より あるヤクザの言葉)

(2)
「お前と、生きていこうと思った。お前の返事がどうであっても」
「返事なら九年も前にしたよ。あんたが聞くのが遅い」

(【海に落ちる雨】第5節より 竹流と真の会話)
*ちなみにその返事が、上記の「ずっと、ここにいてもいい、ローマにも東京にも帰らないで、ずっとここに」でして。これがこの物語の要の言葉なんですが…本編の中で読まないと、なんのこっちゃって感じですね…

(3)
「珠恵(たえ)が他の女と違うことは認める。でもお前にそんな顔をされる言われはないな」
「どういう顔もしてない」
「そうか? 彼女のいわゆる旦那が俺だって聞いてきたんだろう。否定はしない。あの人は俺にとって母親でもあり姉でもあり、恋人で、そういう言い方が適当なら妻のようなものかもしれない。だが残念ながら、彼女にとっての俺はあんまりいい旦那じゃない。他に好きな人がいるしな……聞いてるのか?」
「聞いてるよ。そんな人が京都にいるとは、一緒に住んでても知らなかったけどな」
「馬鹿言うな。何でお前にそんな話ができる?」
「あぁ、必要のないことだよ」
「お前、何言ってるんだ」

(【海に落ちる雨】第4節より:友人に面白がられた、竹流と真のかみ合わない会話)

完全に【海に落ちる雨】祭りでした^^; 何だかラブラブを見せつけただけだったなぁ。
ちなみに、これはBLではないのです……結ばれるわけでもないし、恋愛がテーマでもないし。ただ魂と魂のぶつかり合い、とは言えるのかも。
でも、ここに出ているものだけ読んだら、一体どんな話なんだってことになりそうだけど……

8.あなたが書いている小説の先の展開で、これは! と言う台詞をどうぞ。
これは!と言うのではないけど、こんなシーンもあるよ的な会話。探偵談義。
台詞じゃなくて会話でごめんなさい。

「でも、探偵って、なんて言うのか、もっと小汚くて、トレンチコートとか着てて、お金がなくって、世の中斜めに見てて、煙草と酒ばっかり飲んでる、警察を辞めたくたびれたおじさんって印象だけど。小説の登場人物のステレオタイプってそんな感じ? でもアイカワさんは全然若いし、そんな人生を投げるような歳に思えないし、どっちかって言うと、大学院生とか、そんな感じに見えます」
「ハードボイルドのイメージは差し引いて、そういう人は確かに多いかもしれない。そもそも一歩間違えたら犯罪者になりそうな仕事だよ」
「うーん、でも、人のためのお仕事ですよね」
「そう言ってもらえると、世の中のくたびれた探偵は随分救われる」

(【雪原の星月夜】より、真の母校で、ある少女との会話)

9、執筆中、音楽の類いは聴きますか?
聞いたり、聞かなかったり。でも気分を盛り上げるために聞くことはあります。ただし、書いているうちに書く方に夢中になって、途切れてても気が付かない。
民謡・三味線⇒単なる睡眠学習的なもの。
結構多いのは、IL DIVO、B’z、オムニバスのアルバム(80年代の曲)、村下孝蔵(声が大好き)、中島みゆきや長渕剛の古いアルバム、嵐……クラシックも聴きます。指揮者では若杉弘さんを追っかけてたこともありまして…

10、日々の生活で、「あのキャラならここはこうするだろう」「あのキャラならこれを選ぶだろう」といった妄想が展開されることはありますか?
お話の展開はしょっちゅう考えているし、実際に目にした景色の中に登場人物を置いてみることはあるけど……どちらかと言うと、彼らは友人で、いつでも話をすることができる相手、という感じ。……あれ、それが妄想?

11、これから小説を書かれる方などに、アドバイスなどがあれば。
私などが言えることは何もありませんが……プロットは立てましょう!?
じゃなくて。
書き続けること、楽しむこと、これに尽きますね! そして本をたくさん読むこと、かな。

12、バトンを回す…みなさん、どうぞ!
でも、これ、体力を使いますね……(・・;)

Category: 小説・バトン

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NEWS 2013/3/17 更新情報とHappy Birthday 

実は、今日はわたくしめの○○歳の誕生日でして(^^)
歳ですか?
ちょっと大きな声では言えませんが、多分、あちこちに片鱗が出ている通り、かなりの歳なのですよ。
頭はお子ちゃまですが……
昨日も、アリス・イン・ワンダーランドをどっぷり楽しみました。
はい、ディズニーも好き(オリエンタル/ランドの罠に嵌るバカな奴)、お伽噺も好き、アンパンマンも見ますよ。歌えますし。
それはあんまり関係ないか……

本当は中津川の石のリベンジに行くつもりでしたが、同行予定の母の具合が悪く、また私自身も明日、急遽大きな仕事があって、数日眠れないかもしれないので、今日は家でまったりです。
一生懸命、ひとつ書き上げて、あとは時間の許す限り、もう一つ書けたらと思っていますが…

ケーキもなく、質素な和食で過ごしていて、自分へのご褒美ってのもない1日だけど。
あ、昨日、大好きな珈琲店(大阪府の某市にあるPoemさんというお店)で買ったコーヒー豆、美味しくいただいたのが一番かも。あとは母が育てているクリスマスローズを20鉢くらいもらってきました。
うちのは10年たって、そろそろ株が微妙になってきましたので…

それから、コメントをふたつ、いただいて、それがとても素敵なプレゼントになっています。
limeさん、sakiさん、ありがとうございます(^^)
もちろん、お二人とも、私が誕生日とは露知らずでいらっしゃいますが……
勝手にプレゼントもらった気分でおります。
それから、いつになく拍手も一杯いただいて、何だかとても嬉しいです。
→その後、コメントを下さった月子さん、加納さん、ありがとうござます(;_:)(;_:)
 何だかうるうるでした。今日メール以外では誰ともしゃべっていなかったので(..)
 その後わざわざメールを下さったsakiさん、重ね重ね、ありがとうございますm(__)mヽ(^o^)丿
 さらに、コメントくださいましたlimeさんとウゾさん、ありがとうございます!ヽ(^o^)丿



ということで、更新情報簡略版。

【海に落ちる雨】
第2章まで終了。来週は第3章に入ります。
第2章の最後の回[22]にうちの本棚をご紹介しております。
本棚好きの方、ぜひ遊びに来てください。
連載終了分は、今月中に【小説家になろう】さんにアップ予定。
小説ってやっぱり縦書きのほうが読みやすいと思うのです。
さて、これからますますやたらと人が出てきますが、真がちょっと美和ちゃんとデレデレするのは大目に見てやってください。第3章の始めにはまた第2章のあらすじを入れておきます。
よろしかったらここからでもどうぞ、お入りくださいm(__)m

【Time to Say Goodbye】 (18禁)
第3話【炎の記憶・海の記憶】の後篇の1(click)をアップしました。
始めはBLのSSだったのに、色気あるHシーンのないまま、だんだん複雑なことに…
複雑化するのはいつものことなんですが。
今や、親子関係の物語になりつつある。そして、ちょっと気になる子どもをだしてしまいました。
このせいで、多分後篇は2回の予定が3回に伸びるかも。
ヒラクとシュウスケの恋の行方、どころか、人生の行方は!?ってなことになっております。
ちなみに3月のSS【桜・卒業・約束】 はこちら(click)(やはり18禁)
長いけれど、少しましになった…かな?(これも続編orアンサー篇がありそう…?)
ちなみに、物語が面倒でも、この3月SS記事の最後に載せた美しいアーモンドの花だけでも見に来てください(^^)

【相川真シリーズSS】1.吾輩は猫なのである (click)
初登場。【海に落ちる雨】のおまけシリーズの第1弾。
うちのむかし猫、にゃんたの超かわいい(^^)写真つき。
でも、数枚しか写真は残っていないのです。

掌編】月へん(click)
実は昔書いた、純文学(のつもり)の掌編です。
18禁とは言えませんが、やや色っぽい話・単語?が出てきます。
わたし的には中学生以上はOKのつもりですが…
登場人物が医学生たちなので、ある程度は許されないかしら。医学用語ですしね。
いや、本当に、私の『SSに詰め込みすぎ』の原点とも言える作品?だったりするのですね…
(これは恋愛ものではありませんが)


これから、三味線のお稽古でございます。
終わったら、【死者の恋】を書きたい~けど、どうかな。
石紀行は、予定より遅れていてごめんなさい…もしも待ってくださっている方がいれば、の話ですが。

ということで、とりあえず、ご報告まで。
今月を無事に乗り越えること(仕事と三味線)、それが今は一番です。

で、自分に花束を??
クリスマスローズ1
クリスマスローズ3クリスマスローズ2
我が家のクリスマスローズの最盛期のころの写真。今はもう株が弱ってしまって、ダメダメですが、来年は回復させたいと思います。



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Category: NEWS

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【相川真シリーズSS-1】吾輩は猫なのである 

さて、ちょっと休憩に、SSをお届けします。
連載中の【海に落ちる雨】を本にして友人に渡したときおまけにつけてあった掌編です。
おまけなので、内容はたいしたことはありませんが……

まだこちらのブログ内には登場しておりませんが、大和竹流の親友(ただし猫)にトニー・ハーケンという茶トラ猫がいます。
もしかしてこの名前にピンとくる人がいたらびっくりです。
でもこの時代、まだダンガードエースはやっていませんが……

その生意気で男前の茶トラ猫、しっぽまで縞々、お腹にも模様あり、のトニー(オス)視点で見た真と竹流の同棲生活。
ちょっと覗いてみませんか。




 吾輩は猫である。

 と、かの文豪が書き記した名作を真似て始めてみようとしたが、かったるいので止める。
 しかも、オレには一応名前というものがある。
 まぁ、名前なんてのは、オレに言わせると、全く無用の長物である。名前ってのは、集団の中で個を識別するために始まったものというよりも、名前があれば、モモノケに赤ん坊を取られずに済むっていうんで、子どもが生まれた途端にトラ、とかクマ、とか何でも強そうな名前を適当につけたものらしい(だから後から名前を変えるんだな。ま、一生クマって名前の人もいるんだろうけど)。いわゆる『呪』ってのかな。呪いじゃないぜ。魔力を込めるって感じだ。種族によっては、一般に呼ばれる名前のほかに、人に知られちゃいけない秘密の名前があったりして、それを知られたら力が失われる、なんてお話もあったりするわけだ。……ってのは、オレの親友の受け売りだけどね。

 で、その親友が、オレをトニーと呼ぶので、オレは自分がトニーということにしてやっている。一匹狼の猫にはどうでもいいことなんだが、親友のタケルに、あのいい声で呼ばれるのは、ちょっと気分がいい。そう、オレの親友は、ちょっと低めのよく通る声を持っていて、人間の言葉では『ハイバリトン』というらしい。それに手もいい。大きな手で、何てのか、無駄なところがない、器用で、よく使われた職人の手ってわけだ。この手で顎なんか撫でられると、ちょっとたまらないんだな。

 オレとタケルの出会いは、もう気の遠くなるくらい前のことだ。
 オレはまだ子猫だったんだが、親とはぐれちまって、一人で生きていたんだ。たまたまはぐれちまった場所が良かったから、何とか腕一本で生き延びてこれたが、人間がいっつもやたらと追いかけてくるから、オレのオフクロはあれにつかまってやられちゃったのかもしれないなぁ。人間は、船ってやつに乗って海に出て行って、魚を取ってくる。んで、その魚がトロ箱にごっついこと突っ込まれて、まだ夜も明けないうちからいっぱい人がやってきて、魚の取り合いをやるんだ。オレはその隙を狙うってわけ。で、タケルもオレも、つまりその魚をあさっていたわけさ。確かに、あいつの方がゴツい分、取り分は多かったけど、まぁ、オレとしてもその日の飯くらいは何とか稼げてたのさ。ツキジって場所だ。

 タケルのやつは、金を払ってたんじゃないかって? 金って何?
 ま、そんなことはともかくとして、何度も顔を合わせているうちに、情ってのかな、そういうのが湧いてきて、何となく一緒にいてやろうかと思ったわけさ。タケルのやつはオレをツキジから離れた山奥に連れてった。最初は海の匂いがしないのが気に入らなかったんだけどさ、住めば都だね。魚はタケルが運んできてくれるから不自由しないし、いつも家にいるシツジ(竹流のオヤジみたいな人だ)のタカセはオレと割と似たところがあって、無愛想で余計なことをしないのが気に入ってるし、オレには見回らなきゃならない場所がいっぱいあるから忙しいのだ。

 タケルのやつは、巣をいくつか持っている。
 ひとつが、オレとタカセが見張っているヤマトの家。それからオレの愛するツキジの近くにマンションとかいう箱みたいな巣がある。後は、まぁ、メスのいるところだな。そこはえらく遠いらしく、オレも行ったことがない。
 で、たまにツキジのマンションに行きたくなる時は、タケルのやってくるのを待って、赤いフェラーリ(ってのは乗り物だ。人間ってのは自分より速く動く乗り物がないと、移動が遅いのだ。しかし猫も長時間走るのは苦手だ。そういう意味では、長い距離を移動できるということで、人間はいいものを持っている)の前で待つわけさ。タケルはオレのために助手席のドアを開けてくれる。で、オレはこのドライブが結構気に入っている。あるいは、タカセのツレが、ツキジのマンションに掃除に行くので、それについていくこともある。掃除ってのがまたいいんだよ。オレは綺麗好きなので、タカセのツレの後ろをついていく。タカセのツレは、ちょっとおしゃべりでやたらとオレに絡みたがるから、オレは苦手な部分もあるんだが、掃除の腕は絶品だ。だから気に入っている。

 で、その日、オレは久しぶりにツキジのにおいを嗅ぎたくなって、タカセのツレについて行った。
 タケルのやつは、今、オレの弟分と一緒にマンションに住んでいる。弟はマコトと呼ばれているが、人間というよりも、ちょっとオレたち寄りのところがある。どんな所って、説明するのは難しいんだけどさ。
 で、行ってみたら、タケルは留守で、マコトがひとりで帰ってきたもんだから、なんか一人にしとくのは可哀想だなと思って、オレはタカセのツレに、今日はここに泊まってやることにするぜ、って言ったのさ。たまには弟とゆっくり過ごすのも悪くないと思ってね。オレとマコトは、まぁ、仲よくタカセのツレが作っていってくれた夕飯を食って、何となくだらだらとして、ベランダで海の匂いを存分に吸い込んで、ベッドに潜って、丸まって眠った。オレは蒲団の上で、マコトは蒲団の中で。

 そうなんだ、マコトのやつはオレらと同じように丸まって寝るんだな。そういや、タケルと一緒のときは丸まってなかったな。そう、タケルとマコトの関係はちょっと不思議なのさ。親子かな、とも思ったりするんだが、普通父親ってのは子どもの面倒は見ないものだし、随分前のことだけど、オス同士なのに交尾をしていたこともある。タケルのやつは、普段とってもいいやつなんだが、たまにマコトを苛めるからさ、オレとしては気にしてやらなくちゃならないのさ。

 翌日オレは久しぶりにツキジを散歩して、久しぶりに人間に追いかけられるスリルも味わって、で、マコトを待って、一緒にマンションに帰った。
 マコトはまずもって自分で飯を作るという芸当はできないのだが、ツキジで、ちゃんと包丁の入った魚をもらってきて、今日は刺身ってことになったようだ。オレも嬉しいぜ。でも、これもタケルが頼んでおいたものらしいんだよな。
 あんまり甘やかすと、本当に一人で何にもできない子になっちゃうから、少し厳しくした方がいいと、オレは思うんだけども、なんかこいつ見てると、オレが面倒見てやらなくちゃって気になるんだよなぁ。タケルのやつもそう思ってるんだろうけど、ちょっと甘やかし過ぎだぜ。

 でも、マコトのやつ、マンションに帰ったとたんに、電話で呼び出されて、どっかに行っちまった。オレのために刺身を先に出してくれたんで、オレはちょっとだけ食べたけど、一人で食っててもなんかつまらないんで、半分残してマコトの帰りを待った。仕事のようだ。あいつも頑張ってるんだなぁ、何て、オレもちょっと感慨にふけったりしながら待っていたら、随分遅くにマコトは帰ってきて、で、せっかくの刺身だからってんで一緒に食事ってことになった。
 刺身は極上だった。オレが刺身を頬張っている間に、マコトはネギを拙い包丁さばきで切っている。鍋を出して、出汁を取り始めた。

 お、味噌汁くらいは作れるようになったのかよ、兄弟。タケルも多少は教育ってのをやってるんだな。
 って、なんか噴火するような音がしたと思ったら、鍋が噴きこぼれて爆発していた。オレはびっくりして、しばらく鍋と兄弟の顔を見比べていた。
 えーっと、これはどういうことだろう、弟よ。
 どうやら、中に具を突っ込み過ぎて、しかもタケルがこいつのために作っておいた出汁袋をそのまま煮込んでいたらしい。マコトはしばらく呆然と鍋を見ていたが、ため息をひとつ付くと、オレに自分の分の刺身もくれて、ろくに飯も食わずにそのまま寝室に行ってしまった。
 いくら美味いからって、これ以上は食えないぜ、兄弟。
 オレは結局半分以上刺身を残して、マコトを追いかけたけど、マコトのやつは蒲団をかぶって丸まってしまっていた。

 もしかして、これはふて寝か?
 オレはちょっと考える。
 多分、タケルのやつはまたメスのところだろう。あいつがこういう回りくどい手の込んだ言い訳がましい親切(ツキジで魚がもらえるようにしてあったり、ってこと)をするってことは、つまり、後ろめたいってことだ。後ろめたいってことは、やっぱりメスの所に違いない。
 で、オレは、マコトのやつを応援してやろうって思ったわけさ。

 翌朝、いい匂いで目が覚めた。うん、いつ嗅いでもこのタケルの作る飯の匂いはいいもんだ。
 って、あいつ、帰ってきたのか。オレは寝室の床で伸びをして、自分が味噌汁臭いのを堪えて、ダイニングに行った。さすがにこの状態で蒲団の上に寝るのは憚られたんだよな。
 ダイニングに入って、こちらに背を向けて包丁を動かしているタケルを見た。浮気する男の背中は、いじらしくていいもんだなぁ、なんて考えながら。

 あれ、オレ、昨日だいぶ頑張ったんだけど、すっかり綺麗になってるじゃないか。マコトが噴き零した鍋をひっくり返して床に落とし、ついでに床の味噌汁溜まりにダイブしといたんだけどな。
 すっかり片付いている…ってことは、タケルが片づけたってことなのか。びっくりしただろうに、後ろめたい男は文句も言わずに片づけて、働いているわけか。いじらしいなぁ。
 食べ物の匂いの中に、麝香っての? オレも色々学んだんだけど、メスの残り香が微かにしているんだよな。また、キョウトとかいうとこに行ってたんだろ。
 ほんとに、いつかマコトにちゃんと釈明しろよ。

 そこへ、ちょっとびっくりしたような顔をしながら、マコトがダイニングに入ってきた。タケルが振り返り、マコトに何か言っている。まったく普通の顔だ。もちろん、怒ってもいない。ま、怒れる立場じゃないんだろうけどさ。マコトは竹流に何か言われて、不意にオレを見た。
 え、何で? という顔だ。そう、オレが味噌汁まみれなのに気が付いたらしい。
 そんなの決まってるじゃないかよ、兄弟。お前の援護射撃をしてやったのさ。
 オレは得意満面だった。本当は水浴びは好きじゃないんだが、ま、兄弟よ、一緒にこれからひとっ風呂浴びて、昨日の首尾についてゆっくり語り合おうじゃないか。んで、後ろめたさ満杯のタケルの作った極上の味噌汁を味わってくれ。
 あ、オレには昨日の刺身の残りで作った極上猫まんまと、ついでにコニャックも、頼んだぜ、親友。


「お帰り……帰ってくんの、夜じゃなかったっけ?」
「ちょっと心配で帰ってきたんだ。もうすぐ朝飯できるから、先、シャワー浴びて来い。ついでにその味噌汁まみれの猫も、洗ってきてくれないか」
「え?」

(【吾輩は猫なのである】了)             

このトニーは、うちで昔飼っていた茶トラ猫のにゃんた(一般名、本当の名前はイーヴ、と言いました…)がモデルです。
トニーは真のことを弟と思っています。
自分より後で竹流のところに来た(=飼われた?)から。
真は、猫にも保護者感情を抱かせる人だったようです。
一人で何にもできない子、って、そりゃないよ、トニー。
でも本当にその通り。
それにしても、動物視点ってむずかしいなぁ。


↓そのにゃんたの究極の1枚。
もう30年以上前だったか…我が家にやって来てくれて間もなくのころです。
にゃんた

Category: ☆真シリーズ・掌編

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【Time to Say Goodbye:3】炎の記憶・海の記憶(後1)(18禁) 

宗輔
竜樹さま(萌えろ!不女子)から頂いた宗輔(しゅうすけ)です。
本当にありがとうです。三つ揃いのスーツを着せてくださいとか、ちょっと髪は巻き毛気味ですとか、描写らしい描写もなかったのに、どうしてこんな風だとわかっていただけたのでしょうか。
不思議です。
イラストを描かれる方の感性って不思議ですね……そして素晴らしい。
とにかく感謝です。この『炎の記憶・海の記憶』は竜樹さんに捧げる…という気持ちで書いています。

BLとはもう言えない話になってきていますが、逆に言えば、ちょっとシーンに抵抗がなければどなたでも読んでいただける(と言っても、大したシーンじゃありませんし。所詮私には色気のある描写はできないので、ただのハードボイルド系)、ただし18歳以上で、という感じです。

ということで、後篇(拓視点)をお届けいたします。
と言っても、実は長いので、多分2回…もしかして3回になるかもしれません。
一応頭の中では2回なのですが。
それではよろしくお願いします。





「おい、拓、ちょっと来い!」
 赤沢のどすの利いた罵声が、拓のもつれかかった足に絡み付いた。
 丁度3分のゴングが鳴ったところだった。拓はスパーリングの相手をしてくれていた格上のボクサーに最後のカウンターを打ち込もうとしていた。
 カウンターは相手に届く前に行先を失う。
 拓は自分の勢いの反動を食らって前のめりになり、相手の肩に身体をぶつけた。相手はグローブで軽く躱し、舌打ちしてリングを出て行った。
 目に汗が沁みて、視界が曖昧になる。
 ぶち壊したいと思った悪魔のような影が急に消えてなくなってしまい、拓自身も行き場を失ったような気がした。
 1分のインターバルの間、身体をほぐすように軽く跳ねている足音が複数、絡まり合って拓の耳元に届く。リングから出ようとロープを潜りかけて、足元がふらつくのが分かった。足元に落ちる汗の輪郭がぼやけている。

 赤沢はジムの隅にあるデスクの前の丸椅子に足を広げて座っていた。その足は床を叩くように貧乏ゆすりをしている。彼は明らかにイラついていた。
 赤沢が何を言おうとしているのか、半分は分かっていた。
「拓、おまえ、しばらくリングに上がんな」
 拓はグローブを外しながら、赤沢から目を背けていた。
「俺が何を言おうとしてんのか、分かってるだろ。お前の闘争心は買ってやってる。だが、がむしゃらなのと無茶苦茶なのは全く違うぞ」
 拓は息を吐き出した。3分間、息もしていなかったような錯覚がして、今になって必死に呼吸の仕方を思い出している、そんな気がした。
「相手を憎んでぶちのめすくらいの気概がないとだめだ、同情心は捨てろ、餓えた猛獣になれ、そういうのがないと勝ち上がれん、と昔お前に言ったのは俺だがな、この期に及んでも足元と目の前が見えていないような奴をリングに上がらせるわけにはいかん」

 必死だった。4年のブランクを埋めるために、ほとんどのものを犠牲にしていた。気が付けば拓よりもずっと若い、体力も気力も充実した新人が入ってきて、瞬く間に力をつけていった。トレーニングの量やハングリーな気持ちだけでは乗り越えられない何かがそこにはあった。分かっていただけに、焦ると結果が余計に遠くなった。
 リングに上がる時、恐怖心が全くなくなっている。そのことを赤沢に咎められたのは、つい1か月ほど前だった。
 恐怖心を克服することは大事だが、無くすことは良いことではない。最低限の危険回避のルールがある。そのために必要な恐怖心は持ってリングに上がらなければならない。ただの喧嘩になってしまうぞ。
 赤沢の言っていることはよく分かっていた。
「殺し合いをしてるんじゃないんだ。命を懸けるなんて、あしたのジョーじゃないんだからな」
 赤沢は吐き捨てるように言ってから、ふいに息をついて口調を変えた。

「なぁ、拓、俺はお前の親父さんのことが好きだったさ。あの人はいいボクサーだった。他人への気遣いもできる、一方で闘う気力も充実していた。でもあんなことになっちまって……、俺はお前がいったんボクシングをやめた時、正直ほっとしたんだ」
 赤沢は拓の父親の後輩だった。
「しばらく試合に出んな。俺の言わんとしてることはわかるな。今のお前は怖い。お前が高校生ならまぁいいさ。けど、これからはちゃんと考えていかなきゃならん。どんな形にしても、試合に出れなくなってからの人生の方が長いぞ」

 いつもロードワークで走っている河川敷は、嫌味なほど明るく見えた。
 家賃の安さに魅かれたのと、1時間かけてでも走って行き帰りをこなすくらい自分を追い込みたくて、東京都内ではあるが郊外を選んで住んでいた。早朝から走って、ジムに練習に行き、筋トレをこなし、こんな真昼間には寝ているか、バイトをしているかのどちらかだった。夜にまた別のバイトに行くこともあるし、そうでなければハードなトレーニングをこなす。
 負けたくない、自分にも、他の誰かにも。
 そんな思いだけで突っ走っていた。
 だが、限界は自分の方が知っている。タイトルを取れるようなボクサーはほんの一握りだ。はなからタイトルを目指している奴でなければ、つまり高い目標を持っている奴でなければ、結局は潰れていってしまう。
 俺はタイトルを目指しているのか、あるいは壊れてしまいたいだけなのか。
 届かないタイトルを見ないようにして、ただ目の前の化け物にがむしゃらに挑んでいるだけなのか。

 ようやく空気の冷たさは和んできたものの、まだ春には遠い丈の短い草地にザックを放り出し、斜面に横になった。
 ボクシングが好きだった。離れているときには、たまらない思いを何度もした。
 そして再びその中に飛び込んだとき、まるきり届かない何かを目指しているような恐怖に襲いかかられた。タイトルになど永遠に届かないという宣告を今は受けたくない、お前には始めからそんな資格はないと言われるのが怖くて、誰かが口を開いて自分を批判する隙を与えないように、耳を塞いだまま、ただ無茶苦茶に走り続けた。
 空は春の霞で曖昧な白だった。高いというよりも、先が見えない、そんな色合いだった。低いのか高いのか分からない、頭上の中途半端な場所を鳥が横切った。遠くで野球の白球を追いかける声が聞こえている。鳴き交わす犬の声、水の音、子どもたちの高い笑い声。
 自分の周りに広がる世界、その中に自分が属していないような孤独と焦燥。
 宗輔……
 拓は目を閉じた。その途端に、何か懐かしいような、不安な気持ちがよみがえった。

 恋人、家族、心の還る場所、そういうものを持ちたくない。だから必要以上に入り込まないようにと思っていた。相手は十歳も年上で、拓が心配したり気にかけてやる必要もない大人で、拓の方がこの関係に義務を果たさなければならないような部分がなく、そして同性であるということで、いつかこの関係が終わってしまうことに、世間も自分たちも納得がいくに違いないという奇妙な安心感があった。少なくとも、そうだと思い込んでいた。
 ただ気が向いたときにセックスすればいい。ちょっとむしゃくしゃしている時や、欲望が吹き出しそうなときとか、そういう時に身体を触れ合わせぶつけ合い、痛みとか苦しさの中に全てを吐き出してしまう、そういう関係でいいと思っていた。
 正直なところ、セックスが気持ちいいものだとは、少しも思っていなかった。少なくとも1年ほど前まではただ苦しいだけだった。自分がマゾヒストだという自覚はなかったし、そもそも殴り合うのが当たり前の世界にいるような人間は、いささかマゾっ気がないとやっていけないのかもしれないが、今でも相手を受け入れるときはただ苦しくて仕方がない。
 それなのに、宗輔に会いに行ってしまうのは何故なんだろう。
 それでも宗輔の肌に慣れ、唇の熱さに慣れ、彼のものを受け入れることに慣れ、いつの間にかセックスの途中からとは言え、痺れるような震えが腹の奥で湧き出すようになっていた。
 それがいわゆる快感だということは、拓にも分かっている。このまま繋がっていたいと思うこともある。ただそれでも、今はまだリングの上で殴り合い、意識が吹っ飛ぶような瞬間を越えるほどの快楽にはなっていなかった。
 いや、そうではないのかもしれない。
 時々、宗輔の名前を呼びながら、意識を手放しそうになる。ただ気持ち良くて、自分の身体が自分でコントロールできなくなる。それを認めるのが怖いだけかもしれない。

 宗輔には言えないことがひとつあった。
 今でも、時々矢田のところに行く。そして矢田の気分によっては、抱かれることもある。いや、拓の方は矢田に抱かれるために行っている。これは借金を返せと言わせないための口封じ的仕事だと割り切っているが、矢田の方は金を返せなどとは言ってこない。つまりは拓の一方的な都合で、後ろめたさをちゃらにするための義務だった。
 矢田に抱かれるのも、少しも気持ちいいとは思っていない。我慢するということ自体に意味があるような気がしていた。
 金なら稼いで返せばいいのかもしれない。そもそも借金の額など聞いたこともないし、矢田も言わない。喫茶店を営んでいた拓の祖父が残した借金、それを返せなかった母親はパチドランカーになって暴行を繰り返した父親を刺殺した。母親の裁判の結果は正当防衛として罪が軽くなったものの、その費用も全て母の愛人だった矢田が出している。庇ってくれる肉親を失った拓の面倒を全てみてくれたのも矢田だった。
 だからこれは仕方がないと、今も思っている。
 それとも、俺って、やっぱりホモなんだろうか。それを認めたくないから、仕方がないとか思いこんでいるだけなのだろうか。

 拓は目を閉じ、寝転んだまま、頭を振った。
 色々な思いが去就する中で、今日赤沢に怒鳴られる前に頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かんでいた不安と恐怖の種が、また頭をもたげてきた。
 頭の隅に巣食っているもの、今日リングの中で拓がずっと払いのけぶち壊したいと思っていたもの、それは魘される宗輔の姿だった。
 あの時、起こそうと思ったのに、何故か手が動かなかった。
 何してるんだ、かあさん。
 宗輔のうわ言のような声が、拓の耳や頭のどこかに突き刺さり、抜けなくなった。
 何かが宗輔を苦しめている。そしてそれは、あるいは拓自身にも通じる何かなのかもしれない。その気配が拓を締め付ける。
 宗輔と付き合ってきたのは、宗輔が拓に頼る必要のない大人だったからだ。そもそも身体の関係が一番で、お互いに深入りする必要がないからだ。途中から少しばかり恋人気分にもなっていたけれど、結果的に失っても怖くないと思っているからだ。
 それなのに息が苦しい。これまで避けてきた宗輔の本当の姿に触れるのも、深入りしていくのも。何よりも、拓の方が宗輔に頼りたくなってしまうのが怖い。
 そして失ってしまうことが。

 今日は始めから矢田に会いに行くつもりだった。何も考えず、今日の予定をこなすべきだと思い、ふと目を開けて、拓は驚いた。
 小学3年生か4年生くらいの子どもが、上から拓を覗き込んでいる。
 白くかすんだ空を背景に、子どもの顔だけが明瞭に浮かんでいる。
 少し膨れたような頬、唇は子供っぽく赤くて厚く、目は少し小さめ、髪はストレートで、その体はちょっとぽっちゃり気味だ。典型的ないじめられっこタイプに見える子どもは、急に拓が目を開けたことで、逆にびっくりしたようだった。

 この子どもはいつもこの辺りで見かけていた。
 ロードワーク中に周囲のことなどほとんど目に入っていない拓がその子どもに気が付いていたのは、子どもの方が拓をいつも見ていたからだ。見ていた、というよりもほとんどガン見に近かった。これで中学生なら、喧嘩でも売ろうってのかと掴みかかりたくなるくらいだった。子どもはいつも母親に手を引かれていて、振り返りながら、走ったりシャドウをする拓を見ていたのだ。
 母親はどうしたのだろうと思った途端、高い声が子どもを呼んだようだった。
「アラタ!」
 子どもはちょっとびくっとした。それからちょっとだけ後ろを振り返り、そして直ぐにもう一度拓を見た。
 しばらく子どもは拓を見たまま動かない。もう一度母親の呼ぶ声がした。
 拓は上半身を起こした。
「お前、呼ばれてるんじゃないのか」
 子どもは名残惜しそうな顔をした。名残惜しい、というのが適当なのかどうかわからないが、まさにそういう顔だった。
 何か言いたげで言えないというようなもどかしさが伝わってきて、もしかして口がきけないのか、と拓が思った途端、小さい低い声で言った。低く聞こえたのは、子どもの不安や躊躇いのせいだったのかもしれない。
「だいじょうぶか」
 その声に母親の呼ぶ声が再度、重なった。ついに子どもは諦めたのか、拓のもとを離れていった。


 久しぶりに矢田はその気だった。
 ここ数度、矢田は拓に食事をさせるだけで、身体を求めてくることはなかった。矢田が年を取ったのか、それとも仕事が忙しくてそれどころではなかったのか、あるいは拓に飽きたのか、興味もなかったので聞かなかった。
 矢田の行きつけの店のひとつで寿司をつまんだり鍋をつついたりした後で、矢田が拓を抱くのは、いつも決まって安いビジネスホテルの一室だった。多分相手が女なら、高級なシティホテルとかを使うのだろうが、拓ならこんな程度で十分だと思っているのだろう。ナニワ出身のじじいだから、そのあたりの計算はしっかりしているに違いないと思う。
 拓は、行為の最中にはいつも、矢田の大きくて重い体の質量をそのまま感じながら、箱のような部屋の真っ白な天井を睨んでいた。押しつぶされそうな重さと強さ、挿いってくるものが拓の身体をこじ開けようとする痛み、矢田の強い体臭、そういったものに完全に取り込まれて身体を許している間中、拓はいつもこのまま壊して欲しいと思っていた。身体を割かれてもう立ち上がれないようにされてしまって、もしかして意識もはっきりしなくなってしまいたいような、そんな心持ちだった。
 矢田が入り込んでくる時の苦しさは、宗輔が挿いってくる時とは別の苦しさがあった。入ってくるものの大きさのせいだと始めは思っていた。あるいは多少なりとも愛情の有無が影響しているのかもしれないが、それについては確信がなかった。
 だが、今まさに受け入れようとした瞬間、身体が固くなって一気に冷たくなった気がして、拓は目を強く閉じた。もう十分に肌を撫で回され、その場所も解されて、受け入れる物理的な準備は整っていたのに、腹が何かを拒否して固まってしまったようだった。
 矢田はしばらく頑張っていた。
 正直なところ、拓も受け入れようと努力していた。
 だが結局、行為は成り立たなかった。

 矢田が怒るかもしれないと思った時だった。
 いきなり矢田が笑い出した。首を絞められたり殴られたり、あるいは良くて嫌味を言われるか、マイナスのことだけを考えていた拓は、呆然と矢田を見た。
「拓、お前、いい加減はっきりと、もうやめてくれとか言えや」
 相変わらずの安いビジネスホテルの窓枠は、外の騒音のせいか、風が叩きつけるのか震えていた。
「いや、頭より体は正直なもんやな」
 身体を起こしたものの、まだ拓はぼんやりと、笑う矢田を見ている。
「この1年ほど、お前がいつ別れてくれ、て言い出すんかと待っとったんや。それがいつまで経っても言い出しよらん。わしもタイミングを掴みかねてもうたわ」
「何のこと……」
 矢田は浴衣を羽織って簡単に帯を結ぶと、素っ裸のままの拓の肩に浴衣を掛けてくれた。安いホテルの浴衣は、いたずらに糊が利いていて、それでいて沁みついた幾人もの人間の体臭が完全には取れていないような、くすぶった臭いがしていた。
「まぁ、拒否しとるくせに、結局は受け入れるお前も可愛かったさかいな、わしもちょっと手放しにくうて引き延ばしてしもたけどな」
 言いながら太い指で煙草に火をつける。その手元を拓は黙って見ていた。
「そろそろ、ちゃんと考えた方がええんとちゃうんか」
「だから何のことだよ」
「篠原宗輔と付きあっとるんやろ。向こうがお前に本気なんは、あいつがわしんとこに来よったさかい、何となく分かっとったけどな、まぁ、お前がその気かどうかは分からんかったし、ほってたんや。お前を抱いとっても別に違和感なかったしな。けど、この1年は違うたで。ここがな」
 矢田はまだ笑いをかみ殺したような顔をしたまま、煙草を挟んだ手で拓の胸のあたりをつついた。
「違うことを考えとんのが見え見えやった。あそこも、篠原宗輔のことを考えて震えてとったんやろ。それでもお前がボクシングをやっていくのに、幾らかわしも助けになるんかと思うて来たさかいな、これまで通り知らん顔してやってたけど」
 拓は矢田から目を逸らした。
 いつか、拓をその太いもので貫きながら矢田が耳元で聞いてきた。苦しくて吐き戻しそうになりながらも、その息が耳の中に注ぎ込まれるとき、拓は異様に興奮するのを感じた。殴られてリングの上に倒れる時の恍惚と同じだった。
 わしに何をして欲しいんや。
 その瞬間、拓の頭は不意に冷めた。
 俺が親父みたいになったら、殺してくれよ。誰かを傷つける前に。
 矢田なら殺してくれる。疑いもなくそう思った。矢田は拓が宗輔と関係を持っていることを知っていたし、その中でなぜ矢田とも関係を続けているのか、そこに拓にとっての何のメリットがあるのか確認したのだと思った。矢田がええで、と言ったとき、拓は無意識に矢田を締め付けた。矢田と寝て、あれほどに感じたのは初めてだった。
 ボクシングが好きな反面、恐怖はいつも付きまとっていた。
 離れられないのに、怖かった。
 いつか親父のようになったらどうしようか。
 あんなに優しい父親だったのに、母親を、そして拓を殴るようになり、壊れていった。自分もいつか壊れるかもしれない。そうなったとしても、宗輔は拓を殺してくれないだろう。もしかしたら面倒を見ようなどと思ってくれるかもしれない。だが相手が誰だかわからなくなった拓は、宗輔を傷つけるかもしれない。
 矢田ならやってくれる。殺し屋でも雇って、頭がおかしくなった拓を殺してくれる。そう思っていたから、矢田との関係を切らずにここまで来た。
「ほんまにええんか」
 拓が答えないままでいると、矢田はそう言いながら狭いライティングデスクから持ち込んだ雑誌を取り上げ、拓に投げて寄越した。乱れたシーツの上で、薄い衣服で股を広げ胸の谷間をくっきりと見せつける女性の横に踊る表紙の文字に、拓の目は釘付けになる。

 クラブシノハラの青年社長が隠す衝撃の過去!
 姥捨山に実母を置き去りにしたあの日!

 拓は顔を上げた。
「篠原宗輔も正念場やな。出る杭は打たれる、ゆうてな、世間様は黙って儲けさせてはくれへんのや。ここで潰れる人間もおるさかいな、せいぜい首括らんように見張っといたった方がええんとちゃうんか」
 矢田は椅子にどっしりと腰を下ろす。
「ま、お前のことかて、ばれたらスキャンダルかもしれへんけど、そっちは今時、珍しい話でもないさかいな」
 矢田は声を落とした。
「なぁ、拓、お前もそろそろ自分に優しいなったれ。どうするのが正解か、人生終ってみんことには分からんやろけどな、自分を可愛がらんでどないすんのや。わしなんぞ、自分が可愛いてしょうがないわ。お前を離しとうなかったんも、自分が可愛かったからや。安喜子を思い出してええ気分やった」
 理解ができずに矢田を見ると、矢田は、顔は厭らしいナニワのおっさんのまま、目には妙な穏やかさを湛えて笑っていた。
「わしはな、ほんまに安喜子が好きやったんや。愛人の一人やて、軽う思てたんとちゃう。まぁ、こんなことお前に言うてもしょうがないから、言わんかったけどな」
「俺を、借金の形に抱いてたんじゃ……」
「借金?」
 矢田は拓を見てしばらく呆然としていたが、やがて大きな声で笑い出した。
「あほか。お前んちの借金なんぞ、お前の親父と安喜子の保険金でチャラになっとるわ。わしはお前が可愛いて抱いとったんや。車も服も、マンションも、お前を抱く代償に出してやっとったんや。安喜子にしてやれんかったことも含めてな。もっとも、お前は車もマンションも結局突き返しよったし、服は刻んでサンドバッグに詰め込みよったらしいけどな」
 なんでそんなこと知ってるんだろう、と思ったが、それよりも他の驚きの方が大きくて、拓はまだぽかんとしたままだった。
「はよ、篠原宗輔のところに行ったれ。もっとも、マンションに入れるかどうか知らんけどな」
「え?」
「こんなもん書かれてみ、今頃あいつのマンションは記者どもに囲まれとるやろ」

 矢田との関係、矢田とのこれまでのこと、矢田と母親のこと、あれもこれも検証する余裕はなかった。矢田は、ほなわしは寝ていくわ、と拓を箱のようなホテルの部屋から追い出した。もっと上等な部屋に泊まればいいのに、と言ったら、あほくさい、誰が東京の馬鹿高いホテルに金なんぞ落としてやるか、と答えた。もしかしたら、拓のことをいい加減に扱っていたのではなく、矢田が金を出す価値があると判断する基準によっていただけなのかもしれない。
 そして、矢田の言った通り、宗輔のマンションの周りには、それらしい人影がうろうろしていた。ちょっとでも近づこうとすると、さっと自分を見咎める視線が突き刺さる。何度か意を決して近づこうとしたが、そのたびに足が止まった。
 そのうち、うろうろする小汚いザックを担いだ若者に対する連中の興味に火をつけてしまったら大変なことになるかもしれないと思い始めた。もう一つのスキャンダルの火種に自分がならないという保証がない。
 しかも、俺、宗輔の電話番号知らないんだ。
 そのことに初めて気が付いた。携帯電話には赤沢ジムといくつかのバイト先、矢田の電話番号しか入っていない。
 さんざん遠巻きにうろうろして、強行突破を考え始めた時、誰かに腕をがっしり掴まれた。拓はしまった、と思いながら、恐る恐る振り返った。
「君、さっきからうろうろしてるけど、もしかして宗輔の知り合い?」
 そこに立っているのは、拓に負けずとも劣らぬ安っぽい古い服を着た、黒縁メガネの冴えないぼさぼさ頭の男だった。年寄かと思ったが、よく見ると肌の艶はまだまだ若々しい。となると、年は宗輔と変わらないくらいなのだろうか。
「だったら何だよ」
 いや、こんな感じの記者もいるかもしれない。そう思って言葉を飲み込んだ。
 冴えない男はしっと口に指をあてて、周囲を窺い、拓をマンションからは見えない陰に引っ張っていった。
「どうやら強行突破は難しそうだ。電話は留守電のままだし、携帯にも出んし、仕方がないのでマンションのベランダにぴぃちゃんを送り込んだが、返事がない」
「ぴぃちゃん?」
 なんだ、この変な男は……
「鳥型ロボット……まぁ、伝書鳩みたいなもんだ。ベランダで変な音を鳴らすんで、窓を開けたくなっちまうはずなんだが」
「あんた、もしかして、お茶の水博士!」
 拓の中で、宗輔の友人で変なロボットを作っている男の名前は、勝手にお茶の水博士になっていた。
 状況を忘れて大きな声を出したら、冴えない黒縁メガネ=お茶の水博士に口を塞がれた。掌は思ったよりも大きくて、焦げたような臭いがしていた。
「声がでかいぞ。ん?」そう言ってから、黒縁メガネはじっくりと拓の顔を見た。「何でおれを知っている?」
 お茶の水博士、の部分に突っ込みはないまま、黒縁メガネ男は拓をしみじみと眺めた。
「とりあえず、この囲いを突破したいと思っている仲間であることは確かのようだ。君、一緒に作戦を練ろう」
 何が何だか分からないままに、拓はお茶の水博士に引きずられて、いったんマンションを離れた。離れ際にもう一度見上げた宗輔の部屋は、厚くカーテンが引かれたまま、遠くからでも人気がないことが分かるようで、寂しく悲しく拓の目に映った。
 宗輔……
 叫びだしたいような何かが喉の奥に閊えていた。

(【炎の記憶・海の記憶】後篇-1 了)


 しかし…蘭丸くんにぴぃちゃん…どんな命名なんでしょうか、アトムさん…

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Category: Time to Say Goodbye(BL)

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☂[22] 第2章 同居人の入院(9)(改)/ 本棚お見せします 

「イワン・東道。三年前までプロのボクサーだった」
 昇が連れてきた男は、確かに見たことのある男だった。
 ソ連人とのハーフだったが、ソ連といっても東方なので、人種としてはほとんどアジア人と言ってもよかった。目も髪も黒く身体も大きいので、見ているだけでも威圧感がある。無精にならない程度の髭を鼻の下に伸ばして、顔はテレビで見たままの角ばった形で、かろうじて目元が穏やかに見えることを除けば、姿形だけで格闘家という印象を示している。
 今はボクシングジムを経営していて、若手のかなり有名なボクサーが彼のジムの所属だと聞いたことがあった。

 彼らは昇の店のカウンターではなくテーブル席のほうに向かい合って座り、自分たちのテリトリーであるにも関わらず、密談の気配を漂わせていた。
「われわれのうちで主に連絡係をしている」
 イワン・東道は口も開かずに、しかし嫌味という印象はなく挨拶をするように頷いた。ただ、その表情は強張っている。
「こいつのところは一種の中継地点だ。竹流のやつ、時々勝手に動き回っては危ないことに首を突っ込むんで、万が一ってことを考えて、あいつと行動を共にしたやつは、こいつのところに情報を漏らしていくような決まりだった。ところが今回は何ひとつ連絡が来ていない」
「どういう意味だ?」

 二人の男が自分よりも年上であることも、色々な意味で自分よりも立場が強いことも、真にはよくわかっていた。しかし、この場で丁寧な言葉を使う余裕もなかったし、何よりも嘗められてたまるか、という気持ちもあった。竹流を挟んでは対等の立場にあるという態度を貫くつもりだった。
「何か個人的な事情があったのか。しかも高瀬の爺さん、わざとらしく姿を消していやがる。まぁ、どっちにしても竹流が口を割らないとなると、高瀬の爺さんは死んでも口を開かないからな」
 真は高瀬の動じない彫像のような顔を思い出した。それでも、あの男は主人に忠実というだけだ。何があっても決して主人を裏切らない。昇の言うとおり主人の言いつけなら、殺されても口を開かないだろう。

「何か、ローマの方の事情なのか」
「いや、今のところは国の大親分が動いている気配はないんだけどな」
 そう言ってから、昇はちらりと東道と視線を合わせた。それは、どこまで真に話すか、という打ち合わせをしている目に見えた。
「ただひとつ分かったのは、竹流は今回一人ではなかったということだけだ」
「一人で行動させないようにしているんじゃなかったのか」
「そのつもりだが、あいつは鉄砲玉みたいなところがある。お前さんもよく知ってるだろう」
 それはそうだが、何となく協力はできないという話が出てきそうに思えて、つい嫌味を言いたくなった。
「俺のところに一人だけ連絡を寄越さなかったやつがいる」
 東道が初めて重い口を開いた。声も重低音でよく響く。
「どういう意味だ?」
「招集を掛けた。非常事態につき、いかなる場合でも連絡せよ、と。ところが非常事態に応じないということは、そいつがもっと非常事態にあるということだ。不可抗力で応えられないにせよ、故意にせよ」
「それは、誰だ」

 聞いて分かるとも思えなかったが、かろうじて繋がりそうな何かにしがみつきたい気持ちだった。だが、その問いが出れば言おうと準備していたかのように、東道は一瞬で拒否の態勢に移った。
「これは我々の問題だ。仲間内の事はこちらでカタをつける。だからあんたは手を引いて欲しい」
 真はこの言葉が出ることは始めから覚悟していたので、驚かなかった。この男たちが自分たちのボスを守るためなら何でもするということも、他人の介在を喜ばないということも、真にはよく分かっていた。
 イラついては駄目だと思っていたので、冷静に受け止めたつもりだった。
「勿論、その仲間の件についてはあんたたちでカタをつけたらいい。だが、竹流があんな状態である以上、しかもこの上に何かをしでかそうとしている以上は、俺も放ってはおけない」

 昇は真の顔を見つめていた。東道のほうは明らかに睨みつけるような目つきだった。ついこの間まで竹流にしがみついている小僧のようだった真が、急に大人になって何かを要求してきているように思ったのだろう。
 真にもその自覚があった。彼ら竹流の仲間にしてみれば、こんな素人の小僧が竹流の傍でうろうろしていて、しかも竹流を危険に追い込んだり状況を悪くしたりしているように思えて、面白くないのは当たり前だろうと感じた。
「あんたには何もできない」
 東道が低い声でゆっくりと言った。
「以前とは違う」
「たった二年ばかりで偉くなったもんだ。しかも小僧の頃は、反射神経がいいだけのひ弱な餓鬼だったくせにな」

 真は思わず東道の顔を見た。そうか、伯父が失踪した後で竹流に連れて行かれたボクシングジムで、まだ若かった当時将来有望なこのボクサーの顔を見たことがあった。もっとも、葉子を守ると宣言したために、あの頃は真もかなり無茶なしごきを受けていたので、そのジムでまともな意識を維持していた記憶はない。剣道と違って、己の拳ひとつで戦うボクシングは、あの当時の真には相当ハードなものだった。竹流同様に、そのジムのオーナーも全く加減を知らない男だったからだ。
 真は東道の嫌味には返事もせずに黙っていたが、ここで引き下がるつもりはなかった。

 竹流の仲間たちが自分に良い感情を抱いていないのは分かっていた。
 真が彼らと関わったのは二年前だった。同居を始めてから街で面白い噂が流れているのを放っていたせいもあったが、外国人のシンジケートが海外から日本への密輸ルートに、竹流が持っている美術品の輸入ルートを欲しがったことがきっかけだった。竹流の輸入ルートは、表に出てもいい部分とよくない部分を上手くあしらえる特別な流れがあった。しかも美術品は管理がうるさく、手続きは煩雑で、輸入管理者でも相当の者でない限り手を触れることはかなわない。万が一にでも傷つければ、莫大な補償を請求されるとあっては、下手に手を出せないのだ。それだけに、怪しいものを隠して密輸するには恰好の方法だった。
 真を押さえればあの鼻持ちならないイタリア人は言うことを聞くだろうと、彼らが思ったのももっともだった。彼らは真を捕えて怪しい薬を使い、その手の趣味のある連中の中に放り込んで身体を自由にさせた。
 それがイタリア人の怒りをあれほどに爆発させる結果になるなどとは、思ってもみなかったのだろう。

 もしも竹流の仲間が止めなければ、竹流は新宿で戦争を仕掛けるところだった。
 そんなことをすれば、その先どういうことになるか分かっていたのか、あるいはそれでも止められなかったのか、竹流の怒りは半端ではなかったようだった。
 もっとも、真は後で他人から聞かされて知っただけだった。あのまま放っていたら、新宿はまさしく血の海になっていたぞ、と。だが、その時竹流は真にはこう言っただけだった。
 野良犬に噛まれたようなものだ。忘れろ。
 あの時は慰めてくれようともしなかったし、一時は目も合わせてくれなかった。だが、それが彼の怒りがいかに深かったかを表しているなどとは、真の方も思いも寄らないことだった。
 しかし竹流の仲間の方は、あの件で真の存在を警戒しているはずだった。もしも真の身に何かあれば、竹流がまた突拍子もない行動に出るのではないかと。個人的な感情に突き動かされるような行動は、どんな事態に陥っても破滅するまで歯止めが利かない可能性があることを、皆が知っている。

「あんたたちも、どうせ竹流から何も聞き出せなかったんだろう」
 彼らが竹流の見舞いに行ったか様子を見に行ったことは、容易に考えられた。その上で、竹流が彼らにSOSを出したとは考えにくかった。
 適当にカマをかけたつもりだったが、それは図星だったようだ。
 東道が相川真という存在を面白くないと感じているのは、真にはよく分かった。隣で昇が少し諦めたような表情で東道と真を見ていた。
 もちろん、東道も、簡単に助けを求めてこないボスに歯がゆい気持ちを持っているのだろう。
「とにかく、あんたに協力する気はない」
 そう言うと東道は先に席を立った。昇は出て行く東道を見送ってから、真に言った。
「つまり、我々もあんたと同じくらい八方塞がりってわけだ」
 真はその言葉には嘘はないと思った。





第2章、完結です。
次回からは第3章『同居人の恋人たち』。
また冒頭にあらすじを入れますので、ここまでを読み返すのが面倒だけれど、これから読んでやろうという奇特な方がおられましたら、第3章からでもお入りください。

コラムは我が家の本棚。ちょっと覗いてみませんか?
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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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【掌編】月へん(ちょっと純文学) 

実は、八少女夕さんのブログ(Scribo ergo sum)を何度か訪問させていただいていて、お勧めされていたStellaさん(星たちの集うskyの星畑)に投稿してみようかと思ったものの…
ちょっと描写(単語)がどうなのか、18Rとか18禁ではないのだけど、微妙なのかな、と躊躇いもあったりして。

ちょっとお伺いを立ててからにしようかとも思ったりしています。

実はこれは、もう10年以上も前に私が文章教室で書いた下手な掌編。
下手なりに、何だか懸命さが見えて、ちょっと懐かしくなりまして。
改行や単語を少し直しましたが、全体の雰囲気は変えたくなかったので、あえて大きな変更なく公開してしまいます。

これはお題があって、お題に対して書いたもの。
この時のお題は『月』。何だか、宮中のお歌の会みたい…^^;
彩色みおさんのSSでは、お題が3つもあって、ものすごく頭をひねります。
こちらはひとつ。さすがにひとつだと、私にしてはかなり短い6387字!
確か、原稿用紙10~15枚という指示だったような記憶が。
でも、登場人物の関係性が限定されていないという自由さと掴みどころのなさがあり、結局難しいのは同じですね。

以前に書きましたが、これが先生に『詰め込みすぎ』と言われた代物です。
もう少し、さらりと使えと。
もう、月、月、月…とやりすぎて、ちょっと下品だったらしいです^^;^^;
自分ながら、何だか一生懸命の作品で、ちょっと『自分で自分を褒めたい』世界だったんですけど…

ここに出てくる詩は、本当に私が予備校の教科書で出会ったもの。
引用したのはその詩の一部なのですが、この部分を読んだとき、本当にS台の教室の中で鳥肌が立った。
貧しい海辺の家で、両親とも働いていて家を空けているのか、他に人の姿はなくて、飯を炊く匂いがしている。そこに赤ん坊が一人、小籠に座って、おそれを知らず、微笑んで海を見ている…という詩。
詩人は伊良子清白。詩は『安乗の稚児』
志摩の村で、僻地診療に生涯をかけ、往診に向かう途中亡くなられたという医師かつ詩人です。

私の掌編はともかく、この詩を紹介したかったので、ちょっと恥ずかしいけれど読んでいただけると幸いです。



【月へん】

 ご遺体からそれが出てきたのは、五月の祭の日だった。

 北原冬真は、祭の高揚感など全く届かない二階の教室で、周囲から『四季』と呼ばれているグループのメンバーと一緒に、終わる気配の見えない作業を続けていた。
 キャンパスの一番奥にある、古く堅い色をした棟は、一級河川に面している。この部屋に入った時間には、窓枠で切り取られた河川敷に、若い葉に目一杯の光を跳ね返した桜の木が並んでいるのが見えていた。今は同じ枠の中で、低く黒い山の影を背景にして、川向こうにある別の大学の荘厳な四角い影の中に、窓明かりがぽつぽつ浮かび始めている。

 硬質の台が並んだ広い教室には、『四季』のメンバーの他は、一組が残っているだけだった。彼らがいつも遅くまで作業をしているのは、丁寧で探究心が強いからだ。しかし、『四季』のメンバーが遅いのは、真面目にやっていないからだ。
 冬真は、切れ味の悪い鋏や、手袋の中の冷たい汗に苛つき始めていた。何より、遺体の顔が目に入る度に、胃の中がかき回されるような感じがする。鼻の形が似ている、などと誰かが言い出さないか、いつも気になっていた。

「ちょっと煙草、吸ってくるわ」
 茶髪でピアスをしている京谷通秋が突然、攝子とメスを置き、脱いだ手袋を裏返しに掴んで立ち上がった。京谷は開業医の息子で、ルックスは悪くないし、バンドでベースを弾いていて、隣接する看護学校の学生にも人気がある。しかし、どこか軽薄な感じがして、冬真にとっては苦手なタイプだった。京谷はついさっきまで億劫そうな表情で、台の上に重く横たわるご遺体の、ある部分を観察していた。

 一時間前に同じ事を言って出て行った蒲田嗣春は、まだ戻ってきていなかった。蒲田は明らかに体力勝負の学生で、テニス部の次期部長候補である。好感度は学年一だが、声が大きすぎてがさつな感じがする。
「ちょっと、冗談じゃないわ。もういい加減、終わらせましょうよ」
 きりっとした口元に、細長い目に長い睫を持った金原爛夏は、昨年の学生着物美人コンテストで優勝した、料亭のお嬢様だ。性格はきついし、女子の友人がいるようには見えない。金原はさっきまで、京谷の手元を直視できずにいたが、今度は彼を真っ直ぐに見て文句を言った。その瞳に熱っぽいものが浮かんでいる。
 偶然だが、名前に春夏秋冬が入っているので、『四季』と呼ばれているのだが、この作業が始まって一ヶ月、チームワークが発揮されたことなど一度もなかった。

 丁度そこに、蒲田がコンビニの袋を提げて戻ってきた。
「おう、ちょっと休憩しようや」
 爽やかに大声を上げて、すでに休憩は十分取ったはずの蒲田がメンバーを誘った。
 蒲田は解剖学教室の眼鏡をかけた女性助手に頼みこんでいる。彼女は迷惑そうな顔のままだったが、蒲田の勢いのある愛想の良さに負けて、研究室の電気ポットのお湯を、四つのカップラーメンのために分けてくれた。

 このままだと自分の頭もホルマリンで固定されそうだったので、休憩は悪くなかった。冬真は蒲田の後ろに続いて、教室の裏手から河川敷に沿った広場に出た。
 始めは反対していた金原も、蒲田の勢いには巻かれてしまったようだ。トイレに寄ると言った京谷の分もカップラーメンを持って、おとなしく後ろをついてきた。
 金原は、自分たちのご遺体が比較的若い筋肉質の男性であることに、羞恥と不満を感じているような気配があった。一人で解剖室に残されたくなかっただけなのかもしれない。

 薄暗い中に、石のベンチが二つ、少し離れて川に向かって並んでいる。蒲田がそのうちのひとつに座った。冬真は、等間隔の法則に従い別のベンチに座ろうとしたが、蒲田に手招きされて、彼の隣に座ることになった。
 気、きかせろよ。
 蒲田が冬真の腕を肘でこついて、小さな声で言った。
 金原は、戻ってきた京谷にカップラーメンを渡し、同じベンチに座る。冬真はちらりとその様子を盗み見た。薄暗闇の中で、彼女の頬がほんの少し赤く染まったように見えた。

「おい、三分過ぎてるぞ」
 蒲田の号令で、皆が蓋を開けてラーメンをすすり始めた。
「あー、うめぇ。何で解剖実習中のカップラーメンはこんなに美味いんだろ。この卵の黄色いの、実習が始まったら食えねぇって先輩が言ってたけど、ちっともそんなことねぇなぁ。お湯で膨らむと、確かに脂肪そっくりだよ」
 このデリカシーのない発言は、金原の微妙な女心に気が付いた男のものとは思えない。金原はさすがに蒲田を睨んだ。それでも四人とも、卵も残さず、スープまで飲みきった。

 口頭試問が近いので、ノルマまでは進めなくてはならないはずだが、教室に帰る気がしなくて、ベンチに座ったまま空を仰いだ。暗い空に薄黒い雲の輪郭が厚く押し付けられている。そのうち、蒲田が口頭試問の予行演習しようぜ、と言い出した。
 いつものように表情がはっきりしないままの京谷が、ラーメンを食べていた箸で、地面に骨の絵を描き始めた。骨に続いて、臓器、血管まで、あっという間に河川敷の電燈の下に、かなり精巧な人体の地図が広がった。京谷にそんな才能があるなんてのは驚きだった。

 ひとつひとつ声に出して、人間の身体の部分につけられた名前を挙げていく。そのうち、英語と日本語の名称を、地面に書いては消すようになった。
「鮨屋のネタが魚偏なのは当たり前として、何で人間の身体のパーツには月偏がついてるんだ?」
 恥ずかしくもでかい声で蒲田が言うのに、冷たい声で金原が答えた。
「馬鹿ね。月偏じゃなくて、人体の部分の場合は、にくづき、って言うのよ」

 いつの間にか、地面に描かれた古代の壁画のような人体の輪郭が、薄明かりに揺らめいている。見上げると黒い雲の上端に光の縁取りができていた。
「そう言えば、今日は満月よね」
 金原が言った途端に、雲の向こうから光の矢が飛び出した。思わず空から目を逸らすと、京谷が地面に男性器を描いているのが目に入った。それは、たった今天空を支配した新しい光と、人工の薄暗い電燈の明かりによって、幾重にも陰影を揺らめかせ、随分と生々しく見えた。
 あまりの事に、金原は呆然としていたが、さらに京谷はポケットから何かを取り出して、ペニスの絵の上に置いた。

 それは白く鈍い光を跳ね返す小さな球で、地球に落ちた天体の欠片のようだった。白濁した球は天の光を映して、輝き始めるように見えた。
 蒲田が屈んで、徐にその球を人差し指と親指で摘むように拾い上げ、すっかり姿を現した天の球体にかざした。ふたつの球体が三十八万キロメートルの距離を越えて重なり合う。
「これ、真珠か?」
 京谷が無表情のまま答えた。
「さっき、ご遺体から出てきたんだ」
「マジかよ。あそこから? ヤっちゃんが女を悦ばすのに入れるってやつかよ。そういや、背中にごっつい三日月型の傷があったな。やっぱり、ヤっちゃん?」
 冬真は思わず、蒲田の手から真珠をもぎ取った。
「何するんだ」
 真珠には熱があるようだった。
 冬真はその真珠を手掌に受けたまま、他の三人に背を向けた。
 なんて事なのだろう。よりにもよってあの男はこんなものを入れて、あの女を悦ばせていたのか。


 数度に渡る解剖学の口頭試問と筆記試験を無事に乗り越えて、『四季』のメンバーは無事に単位をもらって夏を迎えた。夏休み直前の日曜日、いち早く運転免許をとっていた蒲田が運転席に座り、『かね原』という屋号がついたワゴン車は、伊勢の安乗に向かっていた。
 解剖実習を終えたら行く、というあの日の約束が今日実行に移された。明らかにお節介な蒲田はともかく、京谷や金原が付き合っている理由はよくわからなかった。第一、実習中に『四季』のメンバーに友情が芽生えた気配など、感じなかった。
 夏の大会の前だったので、どうしても午前中はクラブに出るという蒲田の都合で出発は昼になり、安乗の漁港に着いた時は、既に陽が傾き始めていた。

 狭い村の中では、『三村咲月』という女性の住まいは直ぐに知れた。
 その家は、海辺に建つ掘建て小屋のように見えた。青く薄暗くなっていく海を背景に、黒いシルエットとなった小さな家の薄く開けられた窓からは、甘い香りを漂わせて、米を炊く蒸気が零れ出していた。
 玄関口で、いつものように大きな声で蒲田が呼びかけたが、返事はなかった。冬真は居心地悪く、蒲田の後ろに隠れるように立っていた。

 その時、家の脇に廻った金原があっと声を上げた。
 皆が脇に回って金原の視線の先を見ると、砂地の地面に直接、大人が両手で何とか抱えられるくらいの籠が置かれていた。
 金原が叫んだのは、籠の中に赤ん坊が見えたからだった。
『四季』のメンバーは暫く会話なく、白い着物に包まれた赤ん坊を見つめていた。赤ん坊といっても、もうそこそこ大きく、この世に生まれ出てから半年以上は経っているようだ。
 赤ん坊は彼らの気配を感じた様子もなく、一人で海に向かい、微笑んでいた。
 黄昏時の空の下、何と語り合っているのか、静謐とも思われる空気を纏い、時には空に向かってさし上げた自分の手をじっと見つめている。
 少し向こうの方で、座ったまま首を伸ばした犬が、四人を窺っていた。

「あの、うちに何か?」
 いつの間に戻ってきたのか、粗末な灰色のブラウスを着て、長靴に漁師用の黒いエプロンをつけたままの女性が、彼らの後ろから声をかけてきた。女性は振り返った四人の顔を順番に見つめ、それから確かめるように冬真に話しかけた。
「あなた、冬真くん?」

 三村咲月は彼らを家に招き入れ、何もないけど、と言ってお茶を出してくれた。
 彼女は若くはなく、もう四十になっているはずだった。咲月の傍らに置かれた籠の中の赤ん坊が彼女の子供なら、随分な高齢出産というわけだ。それに美人とは言いがたく、隣に学生着物美人コンテスト優勝者が座ると、みすぼらしいほどだった。
 咲月は『真珠』を受け取り、右の親指と人差し指で摘まんだ。その節くれ立った指は太く、指輪なんて似合わないだろうと思えた。
「そうなの、こんなものが」
 咲月は不思議そうに珠体を見つめ、真実の真珠は薬品でも変形しないって本当なのね、と呟き、それから微笑んだ。
 その顔は、あの赤ん坊の表情と同じだった。

「脳溢血で倒れる前、あの人、時々鬱ぎ込んでて、ある日、私を悦ばせるんだって出掛けていって。帰ってきてから、幾夜も頑張ったのよ。私ももう長い間そういう悦びを感じたことなんてなかったけど、あの満月の夜は、きっと受精するって思った」
 生物の普通の営みを語るように、さらりと咲月は言った。
 四人を送り出して家の外に出たとき、咲月は冬真を呼び止め、天空の光をその両眼のうちに映して、海鳴りに負けじと思うのか、大きな声で言った。
「申し訳ないとは思ってないわ。でも、あなたが大学に受かったって聞いたとき、あの人、何も言わなかったけど、一人でこの浜に座って、海に向かってお酒を飲んでいた。海の上には満月が昇ってきて、あの人の影は光に浮かび上がる仏のようだった。あの人が、自分が死んだらあなたの入った大学に献体するって遺言を書いたのは、その日のことだった。まさか、本当に直ぐに仏になって、直接自分の息子の将来に役に立つとは思ってなかったでしょうけど」


「お前って、意外に苦労してたんだな。何も言わないし、いつも人を観察してるみたいで虫が好かなかったけど」
 珍しく、蒲田の声を耳障りに感じなかった。
『四季』のメンバーは誰が言い出したわけでもなく、季節順に浜に寝転んでいた。もうすっかり夜になっていて、彼らの足の伸びるずっと先の海から、月が昇ってきていた。
「しかも、世の中ってびっくりするような偶然があるのね」

 もっとも、冬真が小学生の時に愛人を作って家を出て行った父親の記憶は、あまり明確ではなかった。だから、実習が始まって、初めて黙祷をし、遺体の入った袋を開けたときも、直ぐには気が付かなかった。気が付いたのは、肩から背中の傷の瘢を見た時だった。その大きな三日月型の傷は、海に行ったときに岩場で足を滑らせた息子を助けようとして、背中から岩に落ちたときにできたものだった。
 それからは、遺体に自分と似た部分を探すようになっていた。
 父が亡くなったことを母は知っていたようだが、冬真には何も言わなかったのだ。母は安乗まで一人、葬式を『見に』行っていた。
 享年五十二、死因脳出血。
 母から聞きだした情報は、解剖学教室の台の上の遺体につけられた札のプロフィールと同じだった。

「ネアンダルタール人とクロマニヨン人の間には、ミッシングリンクがあるんだ」
 突然、京谷が言った。間の抜けた声で蒲田が聞き返す。
「ミッシングリンク? 何や、それ」
「それって、バンドのオリジナルで歌ってる曲? サビが『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』ってやつでしょ」
 さすがに、金原は京谷の歌をよく知っていた。
「人類の祖先を辿ると、直接の先祖はクロマニヨン。でも、クロマニヨンの前には繋がらない。ネアンダルタールは遥か昔に分かれて別の道を行った遠い親戚。でも、クロマニヨンの前には誰もいない。クロマニヨンはどこから来たのか。人類はどこから来たのか。あの月か。だから月が懐かしいのか。だから僕らの身体には、たくさん月の欠片があるのか」

 はっきり言ってあまりいい歌とは思えなかったが、京谷はなかなかの美声の持ち主だった。海鳴りをバックに、ラップ調のその曲は大した盛り上がりもなく淡々と響いたが、古の太鼓の音が背中の大地から突き上げてくるような感じがした。
「そうか、それで月偏なんだな」
「だから、人体の場合は、にくづきだって」
 蒲田と金原のやり取りに、京谷が歌とは違ったトーンの、ぼそぼそとした声を被せた。
「でも、朧とか朦とか朗は、月偏なんだよな。ぼんやりとした感じとか澄んでいる感じとか、そういうのは。それと人体を表す漢字の部首が同じってのは、何だか不思議だよな」

 ふと、小さな頃に父に連れられて行った、海辺の村の光景を思い出した。
 月が光を落とす海に漂う白い影。それは天と海を繋ぎ、揺らめきながら浜辺に伸び、やがて海から上がってくる女性の姿に変わっていった。
「さっき、赤ん坊が籠の中で笑っているのを見たとき、あ、こいつは知ってるんだって思ったよ」
 京谷は妙なことを考えている奴だった。妙だけど、きっと何か真実に近いことを。
 冬真はちらりと京谷を見た。
 あれは本当に真珠だったんだろうか。京谷は、本当は何かを知っていたのかもしれない、と思った。

「私も。さっき赤ちゃん見たとき、予備校の教科書に載っていた詩を思い出したの。それって、私たちの大先輩の医者が書いたもので、しかもまさにこの安乗が舞台で。その詩を読んだとき、見たことのない景色に取り込まれていく感じがした」
 金原は、予備校のときいつも窓際の席に座っていた。あの頃からとても綺麗で、いつも冬真の視界の隅っこは彼女が占拠していた。この詩を、色気のない教科書で見たとき、思わず窓の方を見た冬真は、窓際で金原も同じように、夜の空の向こうにその景色を描いていることを感じた。
「稚児一人小籠に座り、微笑みて海に向かえり」
 冬真が歌うように呟くと、京谷の向こうの金原は寝転んだままふっと冬真の方を向いて微笑み、それから上半身を起こした。
「見て」
 金原の言葉に皆が起き上がり、彼女の手が指す方向を見た。
 遥か海には遠い故郷からのメッセージが、光の帯となって降り注ぎ、揺れさざめきながら、まっすぐ冬真たちの足元まで伸びてきていた。
 彼女の手は、遠い昔、海から現れた女性の手と同じ彼方を指していた。その人の指は節くれ立っていて、とても指輪など似合いそうになかったのに、そこには光のリングができていた。

 ねぇ、冬真くん、生物の営みには月の引力が必要なの。珊瑚も満月の夜に一斉に産卵するのよ。でも、どうしてその日が満月の夜だって分るのか、不思議でしょう。私たち女は月のサイクルを持っているのよ。
 そう、私たちはみんな、知っているのよ。

(【月へん】了)
……月偏、月の欠片(月片)、月についての掌編(月篇)……


参考までに、詩の全部ではありませんが一部を。

とある家に飯(いひ)蒸かへり
男もあらず女も出で行きて
稚児ひとり小籠に坐り
ほゝゑみて海に対へり

荒壁の小家一村
反響(こだま)する心と心
稚児ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほゝゑみて海に対へり

(伊良子清白『安乗の稚児』:岩波文庫『孔雀船』より一部抜粋)

*稚児について
実はこの詩に初めて出会ったとき、私は何の疑問もなく、これは籠の中に入るくらいだから、赤ちゃん、と思い込んでいました。この掌編を書いた時も、そう信じて疑っていなかったと思います。
今考えると、実はもうちょっと大きい幼児なのか?と思ったりもして。
ただ、赤ん坊が恐れも知らず、私たちには見えない何かを見て、それに向かって微笑んでいる姿をよく見かけるので、私の勘違い(あるいは勘違いではないかも)は満更悪くない、と思い、稚児=赤ん坊のままです。
清白先生が見られた稚児の年齢は……ま、想像ということで。
この詩で、まるで小さい子を放置しているみたいだけど、「反響する心と心」にとても深いものが込められているんですね。
自分の子供のころ、裕福ではなかったと思うし、両親はすごく働いていて、私は掘っ立て小屋みたいな事務所の小さい和室にほっとかれてて、よく三和土に落ちて頭打ってたけど…同じような世界の中にいたように思います。

Category: その他の掌編

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☂[21] 第2章 同居人の入院(8)(改)/ 作品の世界 

 葛城昇が連絡を寄越したのはその三日後だった。

 三日間、真は半分裏切られたような気分で過ごしていた。竹流の仲間にしてみれば、真は彼らにもその仕事にも関係のない存在で、彼らのボスを守るのは彼らだけの仕事と考えていて当然だった。
 その三日間、真も手をこまねいていたわけではなかったが、大和邸に行っても執事の高瀬は留守をしていて、マンションに来た彼の妻の登紀恵に確かめると、来週まで帰らないという。夫の行き先を彼女は知らなかった。竹流と繋がっていそうな知る限りの情報屋をあたってみたが、誰もここ暫くの彼の動向を知るものはなかった。

 勿論、当の竹流自身にもさりげなく探りを入れてみるのだが、こちらは尚一層鉄の壁だった。話が具合の悪いところへ行くと、身体の不調を訴えて口をきかなくなる。しかも本当に具合が悪そうなので、それ以上は突っ込めなくなってしまった。増してや、右手のことは触れて欲しくもない、というような気配だった。

 他に話す人がいないからか、真はしばしば医師から病状説明を聞く破目になった。
「いつもついていらっしゃる女の人が、てっきり奥さんかと思いましてね」
 そんなことは看護師からの情報をちゃんと確認したらすぐにわかるだろう。看護師たちは家族状況や見舞客の素性については確認しているし、もしも言葉で確認しなくても勘が鋭いのだから。
 もっとも医師がそう思い込むのは当然だった。真が竹流の入院を伝えた翌日から、涼子は病院に泊まりこんでいたし、始めの数日は、昼間も店を若い子たちに任せて竹流に付き添っていた。
さすがに多少元気になった竹流は、その必要はないと涼子に伝えただろう。勿論、本当はずっと傍にいて欲しいという言葉を期待していた涼子を、できる限り傷つけない優しい言い方で。

 竹流の病室で涼子に会っても、真は何となく目を合わせられなかった。
 だがその微妙な空気をやり過ごす方法は簡単に見つかった。事務所の秘書の美和が半分は心配して、半分は他の興味も手伝って、真に引っ付いて見舞いに来たがったからだった。
「大丈夫。大家さんのいない間は、先生の面倒は私がちゃんと見ますからね」
 美和は例のごとく勇ましく明るく宣言して、竹流の苦笑いを誘っていた。
「もっとも、先生には他に行くところがあるみたいですけど」
「どこにも行ってないよ」
 真は美和の勢いを何とか抑えようと、事実を否定した。

 美和が何を思ってか気合を入れてお見舞いの花を選んできていた。それを受け取って、涼子が花瓶に水を汲もうとしている。美和はするっと真の傍を離れて、お手伝いしましょうか、と声をかけた。
 涼子は硬い表情のまま、それを断っている。美和の機敏な気配、屈託のない話し方、明るい調子は、周りにいる者たちの気持ちを逸らさせない。それを涼子が複雑な思いで受け止めていることを、真ははっきりと感じていた。

 美和は真の横に戻ってくると、思い立ったように楽しげな声で言った。
「いっそ、うちに泊まったら? どうせ一人だとろくにご飯も食べないでしょ」
「うちって、それはないだろう」
『うち』というのは、美和が任侠一家の跡取り息子と同棲している部屋のことだ。美和には両親が用意してくれた他のマンションもあるのだが、彼女はほとんどそこへは帰っていない。せいぜい親に対するアリバイ作りをする時くらいだろう。

 ともかく、この突拍子もない娘には良識や常識はあるようでないし、一方ではないようで結構まともな側面もある。
「ね、大家さんもその方が安心でしょ」
 竹流は面白そうに真と美和を見ていた。
 いつか竹流が、美和と一緒にいる真を見て、昔の葉子と一緒にいるときのようだと言ったことがあった。
 葉子も遠慮しているようでいて、妹かつ姫君の立場を思い切り利用して上手く兄に甘えていた。その辺りには、ある種類の女の子にしか使えない感性の武器があるのだろうが、美和と葉子にはそういう意味では共通点があるのかもしれない。
 妹とは言っても、葉子と真は父親同士が腹違いの兄弟の従兄妹だったし、似ていない部分のほうが多い。それでも兄妹と言えば皆が納得する仲の良さだったし、そう思えば真と美和が兄妹と言っても差し支えのないくらいで、聞かされた他人が納得するくらい、彼らは雇い主と秘書という以上に親密に見えた。もっともそれは真の態度ではなく、美和や葉子の持っている天性の性質によるものなのだろう。

「真に北条さんと決闘する気があるかどうか、聞いておいたほうがいいぞ」
「残念でした。あの人は今バンコクなの。修羅場にはならないわ」
 真は、この二人は当事者を棚に上げて何を言ってるんだと思った。
「冗談じゃない。修羅場になる、ならないより、そんなことができるわけがないだろう。大体そうやって節操なく男を誘うのは辞めなさい」
「節操なく誘ってなんかないわよ。先生には下心があるからでしょ」
「馬鹿言うな。大体君は同級生の男だとか賢や宝田君を平気で家に泊めてるだろう。男はみんないい加減で、下心のある生き物だと思っていた方がいい」

 三人が三様に意見を言い合うのを見ていて、涼子が少し複雑な顔をしているのに真は気が付いた。涼子はゆっくりと目を伏せて、そのまま窓の外を見る。
 涼子の視線を追いかけるようにして見た窓の外は、明るくもなく暗くもなく、曖昧に白みを帯びてくすんでいた。
「だって友達じゃない。しかも賢ちゃんやさぶちゃんに下心なんかあるわけないじゃない。ね? 大家さん」
 美和の声は、そんな曖昧な景色など吹き飛ばすように屈託がなく、逞しく響く。
「それは分からないな。ああ見えて賢は結構口説くのは上手かったぞ。少なくともこいつよりはな」
「あら、先生は私を口説かないけど、綺麗なお姉さんたちの気を引くのは上手だもんね」

 真は涼子の引くような気配が気になって、返事をしなかった。
「ちなみに賢ちゃんは私を口説いたことなんかないわ。それに、仁さんには他に気に入った人がいたらデートしても寝てもいいって言われてるもん」
「それは北条仁のパフォーマンスだな。本当に君が他の男とデートしてベッドでも共にしようものなら、出刃持って刺しにくるかもしれないぞ」
 竹流は意味深にそう言って、涼子を気にしている真の方をちらりと気に掛けたようだった。美和もすぐにそれに気が付いたのか、いくらか声のトーンを落とした。
「それに、これは下心とかの問題じゃなくて、先生の衣食住の問題なわけでしょ。でも、先生たちの愛の巣に私がお邪魔するのは、大家さんに失礼だし?」

 何か気になったものの、その内容までは理解できないはずの美和が突いたポイントは、いくらか涼子の気に障ったかもしれないと真は思った。雑誌の記事も拙いが、身近な人間が口にすると、その内容は急に重みを増す。
 だが、大体何が愛の巣だ、近頃の若い娘は何を考えてるんだ、と真が思った途端に、今度は竹流が余計なことを付け加えた。
「確かにベッドはひとつしかないし、一つ屋根の下となればすなわち……」
 真はその思わせ振りな竹流の言い方には思わず反応した。
「そういうことを言うと誤解するだろう」
「誤解じゃないな」竹流は面白そうに言って、美和に向き直った。「こいつは時々淋しいと無意識に引っ付いてくるからな。気をつけたほうがいいぞ」
「何の話だ」

 涼子の気配を身体の左半分で感じながら、真は慌てて否定した。
 竹流がどういうつもりでそんなことを言うのか、真は理解できなかった。大体、この男は涼子の気持ちなど痛いほどに知っているはずだった。しかも、この男は決して無神経な人間ではない。面白がって言っているだけでもない。真は思わず視線を避けた。
 視線を避けてしまったのは、幾らか後ろめたい気持ちがあったからだった。実際には、竹流の言っていることは本当だった。自分でも半分は無意識なので始末が悪いが、半分はよくわかっている。

 今でも時々、何の脈絡もなくあの夢を見る。夢の内容はいつもほとんど同じだった。
 捜している。
 大概、夜の景色だったが、時には薄暗い不明な時間帯のこともある。何を捜しているのか、夢の中の真は知らない。ただ捜して歩き続けている。歩いている場所は色々だった。真の足元は短い草の感触だったり、あるいは雪を踏みしめる軋んだ音だったりしたが、風の匂いだけは懐かしい木や草や雪や生き物たちの気配を運んできていた。あるいは、明らかに都会のビルの谷間を歩いているようなときもある。だが、どこまで行っても自分以外の生きているものの姿がない。
 夢の中で何を捜していたのか、目覚めた自分は知っている。捜しているのは濡れた黒い瞳を持った懐かしいあの馬の姿だった。けれども一度も見つけ出せた事がない。気が付くと指の先からまた温度が失われている。

 夢でも見たか?
 まるで子供を宥めるように頭を抱き寄せて、冷たくなっている身体を暖めてくれるのはこの同居人だった。この現実の世界で真の恐怖を抱いて慰めることができるのは、他に誰もいない。 
 同居人は知らないのだ。他の誰かとベッドを共にしても、そのまま朝を迎えたことはない。他人と同じベッドでは、何を警戒しているのか自分でも分からないが、眠れなかった。あんなに長い間付き合っていた美沙子が相手でもそうだったのだ。夢から逃れられないとしても、無意識、などという状態にまで深く眠れるのは、この男の隣だけだった。
 同居人が他の人間と夜を過ごしている真を見たことがないのは当たり前で、多分同居人のほうは、真が誰に対しても同じように無防備になっていると思っているだろう。それを説明して、同居人の気分をよくしてやる必要はないと思っている。

「まぁ、でもお前の飯の心配をしてくれているわけだ。俺としては留守中に君がマンションにいてくれるのは構わないけど?」
 竹流は美和にそう言って微笑んだ。美和も、まるで大家さんも私も先生の保護者よね、とでもいうような分かり合った気配でその言葉に頷いている。真は余計なことを言わないほうが得策と決めて、後は黙っていた。

 竹流は少しの時間会話を楽しむと、また身体を完全にベッドに預けた。
 その様子を、真も、そして窓際に立つ涼子も気に掛けていた。
 日ごとに竹流の体は回復してきているように見えたが、未だに熱は下がりきってはいないと聞いていた。微熱になっているとは言え、大の大人がこれほども熱が続くと体力が奪われていくものなのだろう。さすがに面会人が帰るとベッドから起き上がれないようで、この頃は涼子にうるさく言われて解熱剤と入眠剤を飲んで眠りにつくようだった。
 人前では陽気なことを言いながら、竹流が心の中で何を考えているのか、誰にもわからないままだった。

 四日目に、葛城昇はもう一人の男を連れて真の事務所に現れた。真は不満そうな美和を残して、客人二人と一緒に外に出た。
 重くなってきた空は一段と暗さを増して、まだ昼時だというのに人々の足は何かを避けるように速くなっていた。三人は同じように急ぎ足で人混みを通り抜け、昇の店まで歩いた。





さて、第2章はあと1回です。
もしかして、気が向かれましたら、第3章からも入れるこの話。次々回から突入していただいてもOKなのですね。
本当に、ここまではいったい何なのでしょうね^^;
いえいえ、人物をつかんでいただくには大事で、伏線は張りまくりですけれど。
でも、途中からでも楽しめるはずです、多分。 

コラムは、作品の世界…作家さんの誰かの世界観に似ている?という話。
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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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☂[20] 第2章 同居人の入院(7)(改)/ 噂あるいは流言 

 誰もいないマンションの部屋の鍵を開けると、薄暗い玄関の明かりが僅かに強くなる。
 マンションの豪華なロビーに入る前に上着の雨を払ってきたが、玄関を入るとそれでもやはり重い湿気が身体を押しつぶすように感じた。

 上着を脱いでそのまま玄関脇のコート掛けに掛け、部屋に上がる。
 右手の廊下を進むと、突きあたりが親しい人を迎え入れる応接室を兼ねた居間になっていた。応接机を取り囲んで革のソファと一人掛けの椅子とが優雅に乃の字を描いて並び、左手にはバーカウンターを設えた酒類の並んだ棚が、右手には遺跡と海が描かれた穏やかな色合いの絵と寝室に繋がる扉が、奥にはくの字の廊下に繋がる扉と窓がある。
 真はソファに座り、同居人がいないのをいい事に、ここのところ室内で吸っている煙草の箱を机の上から取り上げた。吸殻が片付いているところを見ると、大和邸の執事の奥さんで、三日に一度は掃除や洗濯をしてくれている高瀬登紀恵が来てくれたのだろう。

 一本吸ったら、このマンションの上の階に住む室井涼子に会わなければならなかった。
 涼子に会うのは、僅かながら気まずい気持ちがあった。

 涼子は大きなデパートを経営するグループの社長の娘で、十年以上前に家を出て、一人でこのマンションに住んでいる。彼女を可愛がっていたグループの会長である祖父が金を出したと聞いている。彼女自身は、竹流の銀座のギャラリーからそう遠くないところで、ブティックを経営していた。
 涼子には高校時代の先輩だったという不倫相手がいた。大学を卒業して何年か経ってから母校の文化祭に行き、そこで再会して以来そのまま関係を持つに至ったという。当時、既にその男は結婚していて、子供が生まれるところだった。
 その状況で男が妻と別れることはあり得なかった。しかし男は不倫相の涼子を離す気もなかったようだった。涼子のほうも高校時代という特別な時間の一部を共有していた相手だけに、簡単に別れてしまえなかったようだ。

 涼子がこのマンションで暮らし始めてから、下の階に住んでいた長身の外国人と関係を持つまでにそう長い時間はかからなかった。この男のところにはその頃から複数の、いかにも金を持っていそうな女性がやって来ていたし、始めのうちは涼子も真と同じように、この男はヒモ暮らしをしているのだと思っていたようだった。
 涼子にとっての竹流は、始めは寂しい夜の身体を慰めてくれる相手でしかなかったのだろうが、始末の悪いことに、この外国人は女性には自然に精一杯の愛情を注いだ。勿論会っていない時間にはほとんど思い出しもしないのだろうが、会っている時間をこれほどに心地よく演出する男は、恐らく世界中を探してもそう多くは見つけられないだろう。そういう時間を騙されながら共有することは、大人の男女の間では楽しいはずだった。

 真が始めて涼子に会ったのは中学生の時だった。回りにはいない大人の女性の匂いは、時々乗り合わせるエレベーターの中でも、明らかに情事の後と分かる竹流のマンションでも、真には刺激的だった。涼子のほうも、どういう訳か自分の恋人のところに現れるこの特殊な雰囲気を持った遥かに年下の少年に、意識はしていなかっただろうが自分の女としての色香を存分に振りまいていた。
 真にとって淡い初恋の相手が妹の葉子なら、女という存在への初恋の相手は涼子だった。淡い初恋は手を握ることもキスをする事もなく過ぎていったが、女という生き物を感じさせた相手への恋は、ある時思いもかけない展開を見せた。

 それは、真がこのマンションで竹流と同居を始めてから間もなくのことだった。
 その日同居人は仕事で留守をしていて、たまたま真は涼子とエレベーターで乗り合わせた。
『竹流、留守なの?』
 涼子はいつの間にか大人になってしまった若者が、ずっと以前から彼女に特殊な感情を抱いていることは知っていたのだろう。
 涼子の問いかけに真はただ頷いた。
『飲みに来ない?』

 どういうつもりで涼子が自分を誘ったのか、今でも真は半分分かっているようで分からない。
 だが彼女に誘われたことは、胸をつかまれるほど刺激的で嬉しい出来事でもあった。後で来てと言われていったん部屋に戻り、それでもやはり期待をしていたのか、シャワーを浴びて何時になく丁寧に身体を洗った。
 約束の時間に涼子の部屋に行くと、軽い食事と酒を振舞われ、当たり前のようにベッドに誘われた。

 誘われた、というのはどこか間違っているのかもしれない。だが、真を部屋に迎え入れた時、涼子も明らかにシャワーを浴びた後のようで、髪は艶やかに濡れていた。その時点で、真のほうも明らかにそうなる確信を抱いた。
 ジンの匂いがふと近くで香ったと思ったとき、涼子の唇はすぐ傍にあった。グラスではなく、彼女の唇を吸い、涼子の手が遠慮がちに真の太腿に置かれた時、真の手は涼子の襟元を弄りその乳房に触れていた。

 その日の行為は、多分どの女性と共にしたものよりも、記憶に残る行為だった。彼女の身体の隅々まで手と唇で確かめ、撫でるように慈しみ、求められるままに朝まで自分を駆り立て続けた。
 その時は涼子の心のうちを考える必要を感じなかった。

 それ以来、涼子と個人的に口を利くことも会うこともない。涼子が同居人の恋人の一人であることは十分分かっているし、その同居人が留守のときであっても、もう一度彼女と夜を共にすることはなかった。
 同居人にどれくらい涼子を愛しているかと聞けば、恐らく例のごとく穏やかな笑みを浮かべて、心から愛していると言うだろう。その同居人への後ろめたさや遠慮があったからというわけではなかった。大体、真の目から見ていて、同居人が数いる恋人の中で涼子だけを特別に扱っているとは思いがたかった。
 涼子のほうが、何かにけりをつけたかったのだと思えた。

 考えても仕方がない。
 真は煙草を揉み消すと、決心が鈍らないうちに立ち上がり、マンションの部屋を出てエレベーターでひとつ上の階に上がった。

 このマンションはひとつの階に三つしか部屋がなく、エレベーターは三機ある。つまり、同じエレベーターを利用する同じ階の住人はいないことになる。涼子の住む部屋へはこの同じエレベーターを利用した。
 部屋の呼び鈴を押すと、随分と間を置いて、ドアホンから声が聞こえた。真だと分かると、涼子はまた随分間を置いてドアを開けた。
 涼子は長い髪を後ろで束ねて薄化粧をしているように見えた。
 竹流の恋人になる女は大筋では美人の域に入っている。涼子はさすがに良家のお孃さん育ちで顔つきも上品だったし、態度や気配も控えめに見えるが、何よりも仕事柄もあって、服装を含めた外見をきちんと整えた趣味のいい女だった。
 怪訝そうに自分を見つめている視線を受けて、突然訪ねてくるのは迷惑だと感じているのだろうと真は思った。同居人が留守だということは、彼の気配がここ何週間もないことで涼子のほうも分かっているだろう。そんな時に真が訪ねていけば、下心のある可能性を涼子も考えただろうと思う。
「夜分に、済みません」
 涼子はそのまま外に出掛けてもいいような服装だった。それは、あなたと寝る気はないわよ、というサインに思えたので、思わず丁寧な挨拶をしてしまった。
「どうしたの?」
 冷たい声ではなかったが、一線を引いている声だった。
「竹流が怪我をして入院しているので、見舞いに行ってもらえないかと」
 真は話しながら声が上ずっているのを感じた。それがどういう感情の反映だったのかは、自分でもよく分からない。涼子に対する感情なのか、あるいは同居人に対する感情なのか。
「入院?」
 涼子は思いも掛けない話の内容に、明らかに戸惑った顔をした。
「どういうこと?」
 真はそれには答えなかった。どう、と言われても竹流自身が何も言わないのでよくわからないのだ。それをうまく彼女に伝えられそうになかった。
「G医大病院の東病棟の八階です」

 そう言ってから、涼子が自分を見る微妙な敵意に、思い当たる節を見出した。
 涼子もあの雑誌を読んだだろう。あれを読んで、同居人の恋人の全てが自分の敵になったのだろうと、今更ながら真は思い至った。
 これまではただの噂だった。それが活字になり、同居人が意味合いはともかく『愛している』などという言葉を明確に示したのだ。真にとっては現実味のない言葉だが、彼女たちにとっては重い響きだ。
 真は多少居た堪れない気分になって、少し頭を下げるようにしてエレベーターの方へ戻ろうとした。
「真」それを不意に涼子が呼び止める。「あの人、具合悪いの?」
 真は涼子の方に、半分だけ向き直った。
「行ってあげてください」

 とても状況を説明できなかった。それにこれ以上涼子と向かい合っているのは苦痛に思えた。
 涼子の目は、私はあの人を愛しているの、あなたの存在など認めたくないの、と明らかに真に伝えているようだった。
 真とベッドを共にした夜、涼子がけりをつけたのは彼女自身の心の向きだったのかもしれない。心から愛しているのはあの不倫相手ではなく、素性もはっきりしない、複数の恋人を持っている異国人であるということを、自分自身に明確にしたのだろう。
 そのことを、今、涼子はその長い睫の向こうの切れ長の瞳から、真に訴えかけているように見えた。





さて、あのインタヴュー記事が色々な人間の心をかき乱しているようです。
この時代はネットなんて全く考えられなかった時代。
情報の伝達スピードは、今よりもはるかに遅い。
それでも、文字になり大衆の目に晒される。
言葉は言霊でもあるけれど、呪でもある。
(さっき、ちょうど陰陽師をやっていたので…^^; 野村萬斎さん、中井貴一さん、どっちももう大好きで)

もちろん、すべての人の目に触れるわけではないのだけれど、一度書いた人の(この場合はインタビューに答えた人の)手を離れたら、もう誰が何を思うかはコントロールが利かなくなる。
思うのは自由で、答えるのも自由。

でも、そこには明らかにルールがあるわけで。
書くほうには、その文字を公衆の面前に晒す覚悟も必要。
そして、匿名だからと言って、何をしても書いてもいい、ということにはならないという当たり前のこと。
もちろん、自分にとってはOKの範囲でも、他の人にとってはダメということもあるので、難しいのだけど、それはちゃんと語り合えるのなら分かり合える可能性があるということで……
節度、心の上品さ、思いやり、そういったものを忘れずに、でも自分の心を前に向かって伝える。

多分、竹流はこの世でただ二人に(もしかして三人)、自分の覚悟を伝えたかったのだろうけれど。

そしてここにも一人、心を乱された女性がいるようで。
室井涼子。
竹流が以前から付き合っている女性の一人。
うーん、そんなに女がいていいいのか、って話もありますが、それぞれがそれぞれのいきさつで付き合っていて、しかもこの人、一度付き合うと捨てないんですよね。
いいのか悪いのかは別にして。

開き直っていえば、モデルの一人が光源氏なので…『この野郎』な男だけど、一番大事な女も幸せにしてやれない男なんてなんだよ、ってことなんだけど、花散里も末摘花も捨てないという不思議な一面にはちょっと微笑ましいものが…ってただの優柔不断かしら。
でも『源氏物語』の醍醐味は、女三宮を正妻に迎えてから~宇治十帖だし、この人の生涯も、実は真を失ってからのほうが長かったりする。真の息子が傍にいるのだけど、親子葛藤がまたややこしくて。

あら、鬼も笑う先の話をしてしまいました。
それは大河ドラマの1年目の11月くらいの話なので、さておき。

そう、噂や伝聞が世の中を動かしているというのは、今も昔も変わらないようで。
そもそも経済を支えているのは噂やムードですし(だから風船)、ある日テレビで『ヨーグルトで長生きできる!』なんて放送されると、次の日スーパーからヨーグルトが消えるし。
元禄時代、赤穂浪士を駆り立てて仇討にまで至らせたのは、あの時代のムード、民衆の流言やパワーだという話だし。でなきゃ、隣近所の屋敷が、真っ暗闇の中の仇討を応援するべく松明を掲げたりしないわな(江戸時代なんて夜は真っ暗)。
そして、中世も、噂が時代を作ったって本も出ている。
歴史を勉強するとき、歴史学だけではなく民俗学を一緒に勉強するべきであったと今更ながらに思います。
(敬愛する網野善彦先生の受け売り^^;)

うーん、あまりにも余談のほうが長いのはまずいなぁ。

Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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☂[19] 第2章 同居人の入院(6)(改)/ タイトルの出所 

 新宿二丁目の表通りを一本入り、路地を進むと、幅一メートル程の道の両脇に堅く閉ざされた扉が並ぶ。どこか秘密めいた匂いをさせていて、この界隈でも特殊な雰囲気を作っている。これをずっと奥の突き当りまで歩くと、やはり曖昧な明りを灯した看板を出している店があって、赤に白抜きで『葵』と染め抜かれてあった。
 空気は重たく湿度を増していて、看板の文字の輪郭もぼんやりと定まらない。真はしばらくの間、葵の文字を見つめていたが、やがて意を決した。

 重い木の扉を開けると、さっと薄暗い店内の複数の人間の目が真に集まった。それは一瞬で敵か味方かを見分ける目であって、決して客を迎え入れる目ではなかったが、よほど敏感でもない限りそんなことには気が付かないはずだった。
 店内には、それぞれが個室感覚のあるボックス席があって、あとは僅かなオープン席とカウンターだった。お互いの視線ができるだけ合わないような造りにも関わらず、その気配を感じるなどとは、真のほうが気が立っているからに違いなかった。
「いらっしゃいませ」
 真正面のカウンターの奥の『ママ』と目が合った。

 こざっぱりとした白いシャツにきっちりとネクタイを締めているのは、そのタイを外してみたいという欲望を男に抱かせるためだと聞いている。もちろん、この『ママ』は変化自在だ。相手に合わせてどんな姿にもなってくれる。細身の体を衣服で隠していても、滲み出る色気は消せない。女顔でもないし、化粧をしているわけでもないのに、唇は紅を引いたように艶めかしい。軽くウェーヴした髪は、額と耳に零れている。そして、意志のはっきりとした強い目。その目が、真を睨みながら、唇だけが客を迎えて微笑む。
 むっつりとした顔の黒服のバーテンがさっと真の上着を取ってくれようとするのを断って、真はママのところまでゆっくりと歩いた。

「殺気があるじゃない」
 以前会ったときに、お前は俺の恋敵だな、と言われた。当たらずとも遠からず、といったところだ。
「話がある」
『ママ』は怪訝な目でただ真を見た。
「竹流のことで」
 ようやく『ママ』の手が座るように促す。真はちょっと店内の気配に目を遣ったが、座らなかった。
「込み入った話か?」
「二人だけで話したい」
『ママ』は暫く真の顔を見つめていた。それから背後にある棚のキィボックスからひとつ鍵を取ると、真に手渡した。その手はお世辞にも細くてしなやかな柔らかな手とは言いがたい。せいぜい性別を思えば華奢という程度だった。
「二階、先に行ってろ」

 このバーの二階には個室が六つある。人に聞かれたくない密談の場として使われることが多いようだが、勿論、人に知られたくない性癖を持った大物が『そういう』目的でここを利用しているとも聞く。
 この店に雇われているのは、どの性別の格好をしていても男性で、それなりのものを出せば相手をしてくれるようだった。ちらりと聞いた噂では、そのサービスは決して他では望めないほどのもので、一度味わったら深みに嵌っていかざるを得ないという。要求される金額は口止め料も含んでいるのかと思うほどで、普通の稼ぎではとても手が出ない。それでも、それに見合うだけのサービスが受けられるというのだから、客足が途切れるはずもなかった。

 真は店の奥の階段に目を遣り、何かを訴えるようにもう一度『ママ』を見てから奥へ行った。
 真が階段を上り際に振り返ると、バーテンがすっと目を逸らしたのを感じた。バーテンは『ママ』を見つめ、何らかの、少なくとも現実になれば真にとっては有難くない指示を仰いだようだが、『ママ』は首を横に振ったように見えた。
 真は薄暗い階段を上がって、暗く赤い光にぼんやりと照らされた廊下を進んだ。手元の鍵を見て右の三番目の扉の前に立ち、鍵を開ける。中に入ると本当に狭い通路の脇に、半畳ばかりのガラス張りのシャワールームとトイレのドアが、その奥にコンパクトにベッドと小さなテーブルと二つの椅子が納まっている。それでいっぱいの空間だった。廊下と同じ赤い薄暗い光がぼんやりと満ちている。窓はなく、完全に防音されているようだった。
『ママ』を待つ間に上着の内ポケットから煙草を出した。落ち着かない気分で、このところ煙草が増えている。それを一番身近に見ているのは秘書の美和で、真の気配を敏感に察しているだろうと思われた。

 一本吸い終わる頃にドアをノックされる。
「何の用だ。まさかわざわざ恋敵に改めて勝負を挑みに来たわけじゃあるまいな。それとも、あの雑誌を読んだ女の誰かに襲われたか」
 店での言葉遣いは幾らか中性的なのに、私生活では完全に男言葉を話している『ママ』は、入ってくるなり苛立ったようにそう言った。店での源氏名は葵と言ったが、私生活では葛城昇という立派な名前を持っている。
「竹流が何の仕事をしに行ったのか、教えてくれ」
 真はいきなり切り出した。
「仕事?」
「何処かに何かをかっぱらいに行ってたんじゃないのか」
「何の話だ」
 真が何時になく迫力のある気配を示したからか、葛城昇は胡散臭そうなものを見る目で真を見た。
「冗談ではなくあんたたちが泥棒集団なのは知っている。何処かに仕事に行ってたんじゃないのか」
 昇は真の座っているベッドの近くの椅子に座った。
「おい、もうちょっと丁寧な言葉で話せないのか。何を焦ってる?」

 真は暫く昇の顔を見つめていた。確かに、喧嘩を売る相手は彼ではなかった。それに、よく考えたら年上だし、幾ばくかの恩義もある相手だった。だが、今は構っていられなかった。
「竹流が仕事のときは、あんたたちは皆彼に付き合ってるんじゃないのか」
「まさか。全員で出掛けていくようなことはない。内容にもよるが、ほとんど数人だ。以前はあいつ、一人で出掛けていくこともあったが、俺たちがそれは辞めてくれるように言った。今は少なくとも二人では出て行っていると思うが」
「じゃあ、彼が誰と行ったのかも知らないのか。あんたたちの大事なボスだろう?」
「彼がどうかしたのか」
 そう聞かれて、初めて彼らが何も知らないことがはっきりした。真は別に隠す必要もないことだとは思っていたが、むしろ逆に彼らが知らないという事実に戸惑いを覚えた。
「何かあったんだな。一方的に聞いてないで訳を話せ」
 真が一瞬黙ってしまったので、昇が質問する側に廻った。

「今、病院だ」
「病院?」
「酷い暴行を受けたようで、一歩間違えたらあの世行きだったという話だ」
「どういうことだ」
 いきなり昇が真の胸ぐらを摑んだ。中世的なムードを纏っているが、その力は明らかに男のもので、か弱いどころか、鍛えられた筋肉の動きは艶やかに強い。
「こっちが聞きたい」
 すかさず真は答えた。昇は暫く真の目を見つめていたが、それから漸く真を離した。
「俺は何も聞いていない。高瀬の爺さんには聞いたのか」
 高瀬というのは大和邸の執事だった。真がその男と面識があることは昇も知っている。
「あの人が何か知っているのか」
「知っているかどうかは知らん。だが、あの人は竹流のことなら何でも知っている。国の大親分とも連絡を取り合っているくらいだからな」
「国の大親分?」
「ヴォルテラの大親分だ」
 真はしばらく昇の顔を見つめたままだった。唐突に出て来た大きな名前に、真が怯んだ気配を感じたのか、昇が鼻先で笑ったように見えた。
「その人が関係していることか」
「知るか。第一、大親分は俺たちの存在を疎ましく思ってる。大事な跡取り息子が、悪いお友達とつるんで家に帰って来ないとでも思っているんだろう。高瀬の爺さんが何を考えてるのかも俺たちは知らん。もっとも、あの爺さんは竹流が云うなと言えば、死んでも口を割らない。大体、彼は? 意識はあるのか? 何故本人に聞かない?」
「あいつが話すと思うか? 聞いても話をはぐらかす。しかも、まだ何か考えてる」
「考えてる?」昇はまだ真を睨みつけたままだった。「まだ手を引いていないということか?」
「分からない」
 真がやっと息をついたのを感じたのか、昇は表情を緩めた。
「酷いのか」
 昇はそれだけしか聞かなかったが、彼が何を聞いたのか真には十分伝わった。
「あぁ」
 真の方も短く答えるのが精一杯だった。とてもあの右手の事は昇に、彼の仲間の誰にも自分の口からは言えそうになかった。

 昇は俯いて何かを考えていたが、随分間を置いて顔を上げた。
「ひとつだけ聞いておく。彼のためなら何でもできるか」
 真は頷いた。昇はにやっと笑った気がした。
「人も殺せるか?」
 しばらく、真は昇の顔を見つめていた。俺は彼のためなら本当に何でもするぞ、という顔だった。堅気のお前にそれだけの決心などないだろう、という言葉を準備している顔だ。
「多分」
 その問い掛けは何かの試験なのかとも思ったが、返事までにかかった時間はともかく、腹のうちでは答えることに躊躇いなどなかった。その気概だけは伝わったのか、昇が、本気か、というような視線を真に向けていた。少なくとも、真がそう答えるほどに、竹流の状況が好ましくないということは伝わっただろうと思った。
「上等だな」
 昇は女のものではない、繊細だが骨っぽい右手を差し出した。真は躊躇わずにその手を握り返した。更に握り返してきた昇の手の力は、真が怯むほどだった。友好的な握手とは言いかねたが、これが儀式ではなく裏切ることは決してできない契約の成立と感じた。
 昇は近いうちに事務所に連絡をすると約束した。
 先に出て行く真の背に、昇が話しかけた。
「どこの病院だ?」
 ふと振り返った真の目に映ったのは、男とも女ともつかないが彼を愛している者の目だった。
「G医大病院」
「そうか」
 真は扉を閉じてそれに凭れ、赤い曖昧な光に満たされた廊下で目を閉じた。
 今の昇のような目をする者があと何人いるのかと思った。少なくともそのうちの一人には今から話しに行かなければならなかった。
 店を出ると、ぱらぱらと雨が降り始めいていた。思わず新宿の空を路地から見上げると、あまりにも近い空から雨が湧き降るように見えた。





さて、新しい登場人物が出てきました。今後もしっかり絡みますのでお見知りおきを。
竹流の仕事仲間、ゲイバーの店長『葛城昇』です。
私の話の中では珍しい、妖艶な男です。
でも、なぜか私が書くと、男っぽくなってしまう。うーん……色気を書く鍛錬が……
【Time to Say Goodbye】の葛城拓とは関係ないのですが、実は、遠い親戚だったりして、とか思って勝手に楽しんでます。時代が全然違うので(多分40歳くらい違う)、どんな関係かしら…(^^)


以下、コラムです。この小説のタイトルの出所について……
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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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