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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【Time to Say Goodbye:3】炎の記憶・海の記憶(前)(18禁) 

注:18禁シーン(BL)を含みます。

二人の関係を前に進めようと思い、新作を書いてみました。竜樹さん(萌えろ! 不女子)にイラストを描いていただいたお礼は、お話を書いてお返ししなければ、とちょっと一生懸命…頑張ったよ!
もともとSSだったのに、引き伸ばされてどこまで行くのかはわかりませんが、もう少しHappy Endとわかるところまで、持っていきたいと思います。

とは言え、今回は少し深刻なお話……かも。
宗輔の過去は、拓以上にややこしかったようで。
でも、未来へとつながっていくためのお話なので、よろしければお付き合いください。

前篇は、宗輔視点。そして後篇は拓視点です。
今回は前篇をお届けします。
すごい勢いで書いているので、推敲しながらの掲載です。
時々手直しが入って、変わっているかもしれません。
ついでに、誤字脱字、その他、これはあかんやろ~というところはご指摘ください。

もうサービス精神いっぱいで?あまり上手ではない18禁シーンも織り込みました。
SSから始まったストーリーなので、できるだけコンパクトにしていくつもりですが、今回も8400字。
そして、今回の要は、例のロボット博士・斎田アトム氏の登場です。




炎の記憶・海の記憶(前篇)


 その日の帰り、宗輔は思わぬ場面に遭遇した。

 社長業とは言え、一代限りの成り上がりという気持ちがあって、会社の行き帰りに運転手を雇うほど自分がお偉い人間とは思えなかったので、公の業務ではない場合には自ら車を運転している。
 その十五年来の愛車、アルファロメオが今朝方、入院した。
 宗輔にとっては、まさに唯一の家族が入院した、という心地だった。もうそろそろ買い替えを、と既に五年以上前から言われていたのだが、どうにもそんな気にならないままここまで来た。この十五年の間には数えきれないほどのモデルチェンジがあったし、今さら宗輔のハートをぐっと掴むようなちょっとレトロなアルファロメオには出会えそうにない。

 ま、もう一回くらいは直してみせますけどね。

 宗輔が頼りにしているメカニックは、幸いなことに仕事馬鹿でプライドが人一倍なので、新しい車を売りつけようとする自社の営業の視線を背中にしても、動じる様子はない。宗輔にとってはありがたいことだが、もう一回というこの台詞は何度聞いたことか。
 宗輔は後ろ髪引かれる思いで入院を宣言されたアルファロメオに背を向けて、タクシーに乗り込んだ。

 思えば、帰りもタクシーを使えば良かったのだ。あるいは会社の車を使っても、誰一人宗輔に文句を言わなかっただろう。大体、運転手や秘書は、宗輔が自分の車を自分で運転することに対して、あまりいい顔をしていない。事故にでも遭ったらどうするのだ、社長らしく堂々と会社の車と運転手を使え、というのだ。そのたびに、宗輔はそのうちに、と曖昧に答えている。
 そしてその日、久しぶりに電車に乗ってみようと思ったのがいけなかった。
 
 駅から自宅のマンションまで、結構な距離がある。
 そもそも高級住宅街に住むような人間は車移動を基本とするのだろうし、駅前のごちゃごちゃした雰囲気を好まないもののようで、いささか交通が不自由なことなど気にしていない。たまに電車を使うとその不自由さに直面するのだが、考え事をするには悪くない時間だ。

 ちなみに、電車で宗輔のところにやってくる『一応恋人』の葛城拓にとっては、ロードワークの一環にすぎないだろうし、それどころか駅からだけでは物足りなくて、ジムから1時間以上かけて走ってきているかもしれないという気もする。
 確かめたことがないので、今度聞いてみよう。
 とは言え、今度会うのがいつになるのか、まったく予測不可能の恋人なので、それまで覚えているかどうか。
 離れている時間がやたらと長くて、その間には拓に見せたいものや話したいことを山のように思いつくのに、いざ会えば、ほとんど会話にならない。短い時間を惜しむように抱き合っているからというのもあるのだが、何を話したらいいのか、言葉が簡単に出てこないのだ。

 十も年下の生来野生児のような拓は、宗輔以上に自分の感情を言葉にしてこない。そもそも誰かと分かり合うための会話が得意ではないのだろう。だからかもしれないが、拓の生い立ちやこれまで置かれていた環境を考えても、随分と辛いことがあっただろうに、そういうことを宗輔にぶつけてくることはない。
 お互いにもうちょっと相手のことを知ろうという努力をしてもいいのにと、これもまた離れているときには思うのだが、実際に会うと言葉がいかに不自由なものか、思い知らされる。
 それに、会う時間だって、もっと作ろうと思えば作れるはずなのだ。会うのが難しいのなら、もしかして一緒に住むという選択肢だって考えられなくもない。
 だが、拓は、宗輔の住むような高級マンションには住みたがらないだろう。
 今はハングリーでないとだめだ、という強い信念が拓にはある。何も言わないが、拓の目がそう語っている。
 だから、宗輔は拓があの世界から足を洗う日が来たらと、その日を何年でも待つつもりでいた。もちろん、拓が結果的に女の子と巡り合って結婚して、ということになるのなら、その時は潔く身を引くつもりだった。十も年上の男として、嫉妬したり、失恋で狂おしくなるようなみっともないことにはなりたくない。
 あるいは、そういう結末があるかもしれないと覚悟を決めているので、宗輔自身もまた、もっと会いたいなどという通常の恋人同士のような言葉を投げかけられないでいるのかもしれない。
 いつか、そういうことを拓と話す日が来るのだろうか。
 それとも、もしかして『今度結婚することになったから、クラブシノハラの菓子、引き出物に使ってやるんで、安くしろよ』とかいう一言で終わってしまうのだろうか。

 電車の中で家路をたどるサラリーマンたちや、いかにもカップルというような男女を見ながら、そんなことを考えていたら、電車を乗り過ごしそうになった。
 慌てて降りながら、多分この慌てて人をかき分けて扉へ急ぐ男が、『恋のお返しのお手伝い』というホワイトデーの宣伝を送り込んでいるクラブシノハラの取締役社長だとは、誰も気が付かないだろう、と思ったらちょっと可笑しくなった。
 そうか、明日はホワイトデーだ。
 そして、明後日は、宗輔にとって一年で一番辛い日だ。

 改札を出て、一度立ち止まり、駅から四方へ散らばっていく人の流れを見つめ、やがて誰も待たない部屋に向かって歩き始める。
 駅前からまだ数百メートル歩いたばかりだった。
 線路沿いの道の角々にある少し洒落たレストランや店、たまにいかにも大衆飲み屋的な店の並びが切れると、すぐにオフィスなどが入る低いビルが続き、角を覗くと小さなマンションや住宅が見える辺りで、宗輔は足を止めた。

 いや、正確には足が竦んだ。
 その瞬間、鼻先をかすめた臭いに、あの時と同じように、目の前が真っ赤に染まった。
 耳元ではじける、何かが爆発するような音。鼻と口の中に容赦なく襲いかかってくる煙の臭い。宗輔の視界を舐めあがるように昇る赤い炎が周囲を取り囲む。耳も目も咽喉までもその炎を捉えているのに、肌だけはまったく温度を感じていないような記憶が残っていた。ふらふらと炎の真ん中へ近づこうとする宗輔の腕を誰かが掴んだ。
 宗輔!
 耳元に叫ぶ声が聞こえる。
「火事だ!」
 身動きもできないまま立ちすくんでいる宗輔の脇を駆け抜けていく幾人かの足音、やがて遠くからサイレンの音が近づいてくる。

 野次馬の集まる路地の入口から宗輔が抜け出したのは、そのすぐ後だったのか、ずいぶん経ってからだったのか、記憶は全くない。
 ただ、マンションの灯りが見え、表の植込みの影の中、数段の階段に足を投げ出すようにして座る人影を見つけた時、宗輔は年甲斐もなく走り寄っていた。
「よぉ」
 立ち上がりザックを肩に担ごうと持ち上げかけた拓を、宗輔は力任せに抱き締めた。
「おい、何だよ……」
 言いかけた拓が、あまりの宗輔の強い力に言葉を飲み込んだ気配があった。
「宗輔?」
 遠慮がちに聞く声が随分と幼く、愛しく聞こえる。

 そのまま引きずるように部屋に連れ上がり、まだ何が何だかわかっていないような顔のままの拓を寝室のベッドに投げ込むようにして、いきなり求めた。
「どうしたんだよ」
 一度だけ、拓は拒むように事情を確認しようとした。だがすぐに諦めたようだった。
 宗輔は鬱陶しい背広を脱ぎ棄て、上半身はジャンパーさえ脱がさないままの拓のジーンズを下着ごと下げた。自分もスラックスを脱ぎ捨て、もちろんまだその気配さえない拓の身体の反応を無視して、乱暴に足を開かせ、いきなり後ろに突き入れようとすると、さすがに強い抵抗にあう。

 イライラしていた。とにかく、自分の何かを誰かに預けたかった。
 もどかしさに狂いそうになりながらベッドサイドの引き出しからローションを取り出し、自分の熱く火照ったものとまだ固いままの拓のその場所に垂らし、解してやることもせずに突き立てた。
 実際には拓も、まったく準備をしていなかったわけではないのだろう。ここに来るときにはそれなりの覚悟をしているはずで、入口の強い抵抗は先端が入ってしまうまでで、その先からはすんなりと宗輔を受け入れた。

 一瞬、脈絡なく暗い思いが宗輔を押し包んだ。
 こいつはまだ矢田と会って、あのいやらしいおっさんに身体を預けたりしているのだろうか。だからこんなふうに、簡単に男を銜え込んだりできるのじゃないか。
 そう思ったら、我慢などできなかった。
 初めてのバレンタインの日まで、宗輔はいつも強姦でもするような勢いで拓を抱いていた。気持ちが通じ合ってからは(少なくともそう思えるようになってからは)、拓が求めるのでなければ、それほど無茶を要求したことはなかった。
 だが、今日はもうどうでもいい気持だった。突き立てた自分の雄がぎちぎちに拓の身体を押し広げ、逆に拓の粘膜が強い筋肉のように局所を締め付ける気配に、宗輔は相手を気持ちよくさせてやろうという余裕など完全に失った。
「宗輔!」
 宗輔が容赦なく動くと、一度だけ拓が悲鳴のように宗輔を呼んだ。
 拓の身体が宗輔を受け入れているのかどうかもわからなかった。この一年ほどは確かに、拓のその場所は宗輔を認め、宗輔の身体に合わせて快楽をむさぼる気配も伝わってきていたのに、今日は何もわからないまま、宗輔は拓を責めた。
 拓が宗輔の背中に爪を立てる。何かに縋るように、耐えるように、宗輔にしがみ付いてくる。噛みしめる唇が赤く色を変えていた。苦しいほどの勢いで腹の奥に己を打ち込みながら、その拓の唇の両端を押さえ、開かせる。息を飲み込めない拓が、喘ぎ声と一緒に唾液を零す。腰の勢いを緩めないまま、唇でそれを吸い取る。拓が首を振って逃れようとするのを、背中ごと強く抱きしめ、ますます体の奥を擦った。
 拓の大腿の裏から尻にあたる宗輔自身の下腹が、そのまま拓を壊そうとしている、自分でもそう錯覚した。異様に気持ちが良かった。恐ろしいほどの快楽が背中を這っていて、拓をこのまま取り殺してしまいそうになっていた。

 翌朝、目が覚めたのは鳥や犬の声が聞こえてきたからだった。
 宗輔は跳ね起きた。
 一体いつ眠ったのか、いや眠ってなどいなかったのか、思い出せなかった。
 頭が痛い。そう思って傍らを見ると、拓が身体を丸めるようにして眠っていた。こいつはいつも身体を丸めて寝るんだなと改めて確認して、不思議な気持ちになった。
 拓の睫毛は、僅かな空気の動きを受け取るように震えている。相変わらず短く刈られた髪が、光の加減で淡く輝いて見えていた。もともと綺麗な形の耳をしていたが、殴られて出血したり腫れあがったりしているうちに、すっかり変形したように見える。そのひとつひとつが妙に愛しかった。

 時計を見ると、まだ慌てれば十分に間に合うことは分かったものの、とてもそんな気分にはならなかった。ベッドに起き上がり、枕元の電話の子機を取って秘書に連絡を入れると、宗輔の嗄れた声に何を察してくれたのか、何も言い訳を聞いてこなかった。午前中は特に重要な会議もないし、どうでもいいアポイントメントは変更しておくと、向こうから宣言してくれる。
 もっとも、ここの所、宗輔がクラブシノハラの経営方針について、高級菓子からもう少し家族や子供が楽しめる菓子を作りたいというコンセプトを提案してから、会議はしばしば荒れている。秘書は宗輔のその提案について、今の経営方針は十分上手くいっていて、それをむやみに変更することは他の重役の反感を買うばかりで、宗輔にとって得なことは何もないと言っている。彼が宗輔を心配してくれていることも分かっているが、その本心は分からない。
 いずれにしてもホワイトデー戦線は昨日で終わっているのだから、少なくとも今日ばかりは、社長が自ら何かをすることなどほとんどない。
 プライベートの恋人のお返しを待つ以外には。
 そう考えてから、なぜ拓がここにいるのかと、今さらのように思った。そして、あるいはバレンタインのお返しに来てくれたのかもしれないと思い、それをあんなふうに無茶苦茶に求めて悪かったと、この期に及んで幾らか申し訳なく思った。

 受話器を置いて、ふと振り返ると、拓が目を開けて宗輔を見ている。こいつの目は本当に純粋で、恐れのない目だ。
「大丈夫か?」
 同じ言葉を言おうとした瞬間、拓の方から聞いてきた。
「どういう意味だ?」
 拓は首の後ろを押さえながら起き上った。細っこい身体のくせに、バランスよく鍛えられた胸の筋肉が、気持ちのいいほどに滑らかに動く。
「魘されてたからさ」
「うなされてた?」
 宗輔は、俯いて目を逸らした拓を見つめたまま、言葉を確かめるように繰り返した。

 頭の隅に、昨日路地の隙間から見た火事の光景が巣食っていた。足が竦んで、何もできなかった、叫び声さえあげることのできなかった自分の身体を走り抜ける、不可解な感情を思い出す。頭痛の原因はそれなのかもしれない。
「うん。その……、俺、ホワイトデーにお返しも買えないし、下手なドラマみたいに、プレゼントはオレ、あんたの好きにしてくれって気持ちで来たから、なにされても良かったんだけど」
 拓は怒っていないことを伝えようとしたのか、拙いことを聞いたとでも思ったのか、ちょっと宗輔を盗み見するようにして、うやむやにして言葉を切った。
「そうか」
 宗輔は拓に背を向けてベッドから起き出した。拓にどう言えばいいのかわからなかった。
「ちょっと昔の嫌なことを思い出したんだ。飯にしよう。シャワー浴びて来い」
 ホワイトデーでなかったら、こいつはここに来なかったのだろう。そして俺もまた、こいつをこんなふうに追い込まなくてもよかったのだろう。
 そんなふうに思ったら、明日という日を迎えるのがまた一段と辛くなった。


 宗輔が階段の上で右手を軽く上げると、階段を上りがけにため息ひとつつくために立ち止まり上を見上げた黒縁メガネの男も、右手を上げて挨拶してきた。
 相変わらず風采の上がらない、何年前から同じものを着ているのかというような、よれよれのコート姿の男は、以前切ったのはいつなのか不明のぼさぼさの髪を掻きながら、だらだらと駅の階段を上ってきた。
「すまんな。お前が気にしてるんじゃないかって、こっちから電話するつもりだったんだけど」
 斎田アトム、ロボット工学博士、嫁なし子なしで研究一辺倒、そして製菓会社社長取締役・篠原宗輔の唯一無二の親友だった。
「いや、こっちこそ、いつも付き合わせて申し訳ない。しかも、今年はこんなタイミングでアルファロメオがいかれちまって」
 斎田はポン、と宗輔の腕を叩いた。
「馬鹿言うんじゃないよ。俺にも関係のあることなんだから」

 都心を離れて、千葉の方へ向かう電車移動の間、隣に座った斎田からはかろうじて風呂だけは入ってきました、という安物の石鹸の匂いがしていた。ちゃんとすれば、こいつだってそれなりにいい男のはずなのだが、まったく服装にも周囲の目にも無頓着だ。今も頭の半分はロボットの設計図で埋まっているはずだ。そんな斎田の存在を有難いと心から思いながら、宗輔は半分後ろを振り返り、流れていく景色を見る。

 毎年車を運転して行くので、景色を見る余裕はない。だがこうして電車に揺られていると、下手に時間があるだけに、景色の中に色々なものを見てしまう。
 家々の佇まい、その一軒一軒に灯りを届けている電線、その上にとまっている雀たち、脇の道を通るワゴンカー、中には家族連れの姿が見えている。道を歩く親子連れ、何かをねだって母親の腕を引っ張る子ども、犬を連れて歩いている老夫婦。
 何かを置き忘れてきたような寂寥感と、何とかしなければいけないような焦りが同居している。

「お、ところで、蘭丸くんはどうだった?」
 いきなり隣の斎田が尋ねてきた。
「蘭丸くん?」
「ほら、あのお茶運びからくり人形改良ロボットだよ。バレンタインの前にプレゼントしてやったろ」
 そんな名前がついていたのか。
「いや、あれはなかなかよくできてた。歩くのも蹴りを入れるのも実にバランスがいい」
「そうか、それは良かった。片足で立った瞬間にバランスを計算させるのがなかなか難しかったんだが、人間の三半規管の機能を応用してだな……」
 解説が長くなるのを避けて、宗輔は被せるように言った。
「それに、いきなりかぶりついたし。あれはすごかった」
「え?」
 斎田が黒縁メガネを落としそうな勢いで、宗輔を見た。
「何だよ」
「かぶったのか?」
 電車の中にも関わらず、斎田は大きな声で宗輔に迫らんばかりの勢いで顔を近付ける。
「あ、あぁ。何だよ、一体」
「どうやって、何をして、どうなってかぶった?」
「えっと」
 確か、拓がこいつは何なんだととか言って『蘭丸くん』の鼻先を指差して、指に噛みつかれたのだ。それを「誰が」という部分を省略して伝えると、斎田は唸るように考え込んだ。この男にとっては、研究室も公衆の面前も、滅多に帰らない自宅も、ロボットのために全てを捧げる場所なのだ。
「何だよ」
「いや、確かにそういう機能は組み込んだんだが、何回試してもうまく作動しなかったんだ」
 斎田はいきなり宗輔の指を捕まえて、この指先から特殊な光線でも出ているのではないかとでもいうように、じっくり眺める。いくら宗輔がホモセクシュアルの嗜好があるからと言って、電車の中で指を見つめられるのは、いささか面映ゆい。もっとも、車内の他の乗客は、斎田のことを怪しい変人にしか思っていないだろう。
「おまえ、今度、蘭丸くんを持って来て、同じようにやってみてくれよ」
「指差したのは俺じゃないぞ」
「お、そうか。お前の恋人だな。バレンタインはラブラブだったわけだ。よし、彼女に協力を要請してくれ」
 声がでかい、と思うのだが、斎田にそんなことは通じない。それに、『彼女』じゃないのだともこんな公衆の面前では言えない。
 斎田は親友だが、今まで色恋の話をあれこれする相手ではなかった。従ってカミングアウトする機会がなかったのだ。もちろん、斎田に隠したいと思っているわけではないし、よく考えたら他の誰に対しても、宗輔が自分の恋人を紹介する機会も必要もなかった。
 斎田はまだ考え込んでいる。その『うまく作動しなかった機能』について検討しているのだろう。宗輔はあの時、拓がロボットにかぶられた自分の指を見たまま、びっくりして固まっている姿を思い出して、少しだけ気持ちが落ち着くのを感じた。
 小さな時間しか積み重ねていないのに、そのひとつひとつが抱きしめたいほどに愛おしい。

 この坂道を上る宗輔の足が軽かったことは一度もない。隣を斎田が歩いてくれなければ上ることもできないだろう。
 海風を受ける坂の上にあるのは老人介護施設で、精神に問題のある老人、痴呆やアルツハイマーを抱えた人、さらに身体の病気を患っている場合でも預かってくれるという施設だった。もちろん、費用は半端ないのだが、家の中にそういう病の家族を置いておけない金持ちにとっては、有難いところだった。

 ここに、宗輔の母親が入所していた。
 あの日以来、宗輔と会話を交わすこともできなくなった母親だ。そして宗輔にとっては、憐れみと憎しみと混乱の対象となっている母親でもあった。宗輔が頼んでいるので、施設からは毎月母親の状態については報告が来るが、実際に宗輔がここを訪れるのは年に一度、宗輔がすべてを失った日だけだった。
 放置して会いに行かないこともできるのかもしれない。だがそれはやはりできなかった。後ろめたさを抱え込んで、まだ先になるだろう死の報告だけを待つのは、古く懐かしく優しくもある記憶が許さなかった。かと言って、自主的に、事あるごとに会いに来ることもできなかった。

 それを察したのか、斎田がこの日になると宗輔を誘って、ここに来るようになった。
 あの日、火事で燃えた宗輔の家に居合わせた斎田は、このことを彼自身の義務とも思ってくれているようだった。
 二人は一緒に面会の受付を済ませ、職員の案内で、不安なほどに明るい廊下を進む。時には、彼らを息子と間違える老人に話しかけられることもある。始めは驚いたが、そのうちにそれを否定せず、やんわりとやり過ごすこともできるようになった。
 窓の向こうには海が見えている。
 そしていつものサンルームに彼女は座っていた。

 半分火傷の痕の残っていた顔は、その必要性について疑問を投げかける形成外科の医師を説得して皮膚移植をしてもらい、何とか見れるようになっていたが、年を経るとアンバランスな皺のよりかたで違和感を覚えざるを得ないようになっていた。高温の煙で焼かれた咽喉は声が出なかったし、食べ物は胃婁からしか受け付けなかった。
 それに、母には宗輔が息子であることが分からないままだった。
 それでも、宗輔の届ける好物の甘い菓子と、斎田の持ってくる小さなおもちゃのようなからくり人形やロボットには、彼女は声を出して笑ってくれた。
「宗輔さんとアトムさんですよ」
 母は昨年よりもいっそう小さくなっていた。まだ六十にならないというのに、八十の老人と言ってもいいように見えた。母は顔を上げたが、目は宗輔を見ているようではなかった。母の座る前に、折鶴が散らばっている。折り紙の端っこを上手く合わせられないので、いびつな形をしている。
 宗輔は隣に座り、こんにちはと挨拶をした。
 母は宗輔を見ないまま、不安そうに小さく頷いた。

                            (前篇・了)



《予告》

強くて大人で、困ったことも辛いことも何もないと思っていた十歳も年上の恋人・宗輔が魘される姿を見てしまった拓。
ジムでもうまくいかないことがあって、赤沢(ジムの会長)にしばらくリングに上がるなと言われる。
むしゃくしゃして矢田のところに行く拓は、そこで衝撃的な雑誌を目にする。
【クラブシノハラの青年社長が隠す過去、母親を姥捨山に置き去りにしたあの日】
拓はたまらずに宗輔のマンションに飛んでいくのだが、張り込みの記者たちがいて近づけない。
うろうろしていると、黒縁メガネの冴えない男が声をかけてきた。
そして、宗輔が姿を消してしまう……

…宗輔はどこに?
宗輔の過去に何があったのか?
拓は宗輔の思いを支えることができるのか?
そして拓自身の将来は?
(後篇は拓視点です)

(予告って、なんだかかっこいいなぁ…^^;)

それにしても、この二人の関係はやっぱり、メイン本編の竹流・真とかぶってるなぁ、と反省。
年齢差(竹流と真は9歳違い)が似たり寄ったりだから、かしら。発展のない私……
しかし、向こうはもっと力関係が大きいし、そもそも恋人というには語弊がある。
関係がないとは言いませんが^^;
キリスト的存在の竹流と野生のヤマネコ的真の関係も、宗輔と拓くらいすっきりしていたらよかったのになぁ。
どちらもがんばろっと。

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Category: Time to Say Goodbye(BL)

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☂[18] 第2章 同居人の入院(5)(改)(ブログって…) 

注:プチ18禁? 真はしながら考え事ばかりしているので、相変わらずどうでもいいくらいのシーンにも思えますが…一応。

「真ちゃん?」
 深雪が白い肩の上から黒髪を滑らせて、上から真を覗き込んだ。
「今日はずっとだんまりね。あれからずっと来ないから心配してたのよ」

 深雪の綺麗な卵形の顔と、派手ではないのに惹きつけるような唇の形を見つめながら、真は考え事のひとつを反芻していた。
 あの週刊誌の女記者、楢崎志穂に言われたことが気にならないわけではなかったが、深雪に聞きただす気にはなれなかった。深雪も自分も、身体を合わせることで満足しているはずだった。深雪を利用して澤田代議士に近づくことも考えないし、第一その男とはできる限り顔を合わせたくないと思っている。澤田という男の仕事にも過去にも、興味はなかった。

 もちろん、深雪と自分の事を、澤田が知らないとまでは思っていない。
 澤田の顔はポスターやテレビでも何度か見たことはある。目つきは鋭いが顔つきはそれを隠すような穏やかさを湛えているし、女性ファンも多いという噂も聞く。だが、その政治的活動については、真は敢えて知ろうとも思わなかった。自分が澤田を気にして怖がっていると人に思われるのも癪だろうし、誰よりも深雪にそう思われるのは、彼女を抱く男としての沽券に関わると思えた。
 巷では、深雪が澤田のために何人かの男を破滅させたという噂もある。
 本当かどうかもわからないし、実際にそんなことがあるのなら澤田顕一郎の周りには黒い噂が渦巻いていてもいいはずだが、真の知る限り、政治家としての澤田が女を使って何かをしなければならないほど野心があるとか、敵が多いとかいう話は聞かない。
 もっとも、酒の席の戯言なのだとしても、深雪がこの身体で誰かを破滅させることができると言われれば、そうかもしれないと思えた。あるいは、少しばかり世間の覚えのめでたい政治家を追い落とすための、単なる小汚い噂話かもしれない。

「二週間ぶりに店に来て、ホテルに来て、それなのに私の顔も見てくれないの」
 深雪はそう言いながら彼女の方から唇を合わせ、そのまま下半身も深く沈めてきた。
 既に二度ばかりも極めた後で真自身は萎えていたが、まだ彼女の中だった。それを逃がさないように深雪が締め付けてくると、その粘膜の襞のひとつひとつが意識を持って絡みつくように感じて、真の身体はいとも簡単に反応する。
 思わず息を吐き出して声が漏れた。
 考えても仕方がないと思って、真は深雪の腰を強く抱き寄せ、上から覆いかぶさるようにしている彼女の両頬を捕まえて、貪るようにその唇や舌を吸った。

 それでも頭の中に冷めた部分があって、そこで同居人の事を考えていた。
 自分が何に混乱しているのかは明らかだった。
 彼は強く、自分を守ってくれるものだと思っていた。自覚はなかったがそうなのだ。

 東京に出てきたのは十一のときだった。北海道にいたときよりも酷い苛めにあって、何度も学校で倒れた。当時真を息子として育ててくれていた伯父の、個人的な秘書のような仕事をしていた竹流が、いつも渋々真を学校に迎えに来た。何度も怒鳴られたし嫌味も言われた。
 始めのうち、真は自分が東京の言葉が理解できないのだと思っていた。だが、そのうちだんだん人間の言葉が理解できないような気がしてきた。早口でまくし立てるクラスの子供たちの言葉だけではなく、学校の先生が何を言っているのかも分からなくなった。急速に不安になり、人混みや学校の教室で恐ろしい吐き気や頭痛に襲われた。手足が冷たくなっているのを感じたときには、何時も意識が吹っ飛んでいた。
 伯父はいつも優しかった。伯父の友人の斎藤医師もそうだった。それでも真に気を遣って腫れ物を触るように大事にしてくれる大人たちに、敵意は無くても心から甘えることはできなかった。
 あの当時からかなり流暢な日本語を話していた竹流は、それでも腹が立ってくると、日本語とイタリア語とをちゃんぽんにして真を何度も怒鳴りつけていた。だが不思議なことに、彼に何を言われてもその言葉が理解できるし、気を失うこともなかった。真を心配して言ってくれている言葉ではなかったが、裏表の全くない言葉は、本能的に言語以上のものを感じ取る真には、唯一理解できる言葉になった。
 当初竹流は、真の伯父を、彼の大切な人の血縁者を殺した、少なくとも死に追いやった仇だと誤解していたようだし、真のほうも竹流が伯父に危害を加えようとしていると誤解していたのだが、その誤解が解けた後、伯父が失踪してから、伯父への恩義を何かの形で示そうとしたのか、竹流は真と伯父の一人娘の葉子の実質上の保護者を買って出た。
 それからはずっと、その時々で共にした時間の長短は別にして、いつも彼が自分たちを守ってくれていたと感じている。

 その男が傷ついてベッドに横たわっている姿など、これまで一度も見たことがなかった。今朝から何とか保っていた理性は、ここに来て腹の底から湧いてくるような怒りにも似たもので、吹き飛ばされそうになっていた。

 彼の右手。
 聖堂の宇宙を蘇らせていたという敬愛する修復師を神様だったと言い、いつか自分の手でもあの宇宙を蘇らせるのだと言っていた、その右手。付き合っていた女の子と別れ、大学も辞めて行き先を失っていた真のために、錆びついた刀剣を磨いてくれていた手。ギャラリーや大和邸のアトリエで、彼が過去の作家たちの仕事を讃えながら、そこからその作品を愛した人々の心までも蘇らそうとしていた、その尊い右の手。

 それが動かないかもしれないと、淡々と語った医者に罪はないのに、その言葉に爆発しそうな何かが突き動かされた。
 いつの間にか三度硬くなった自分自身を、深雪を組み敷くようにして彼女の中に埋め、真は狂ったように彼女の内側を擦った。形の上では深雪の白い豊かな乳房を揉み乳首を噛みながら、心のうちでは別の何かに対する炎に似たものが燃え上がっていた。
 どこのどいつかは知らないが、必ず彼をあんなにした償いをさせてやる。

「……真ちゃん」
 喘ぐように深雪が真を呼んだ。その声は遠くの木霊のように彼方にあって、今の真自身のいる場所とは次元自体が異なっているようで、真の意識には直接届かなかった。
 何て名前だっけ? 竹流の仲間がやっている店、ゲイバーだったことだけは覚えている。彼の仲間なら何か知っているのだろう。あの調子では竹流自身が何か話してくれるとは思えないが、自分たちのボスを信頼して大事にしているあの仲間たちが、何も知らないわけがない。
「痛いわ……」
 不意に切羽詰った悲鳴のような声が耳に飛び込んできて、真は我に返った。

 これではまるで深雪に対して殺意があるようだと気が付いた。
 殺意? 俺に人が殺せるのだろうか。田安にはそんなことはあり得ないと言ったが、今はできるような気がしていた。姿形も見えない誰かに対して自分が今抱いているものは、明らかに殺意だった。同じだけ、いやそれ以上の傷を相手にも負わせてやらなければ気が済まなかった。
 多分、彼の仲間たちも同じ思いを抱くだろう。

 ふと気が付くと、深雪の身体が小刻みに震えていた。強すぎるほどに噛んでいた深雪の乳首を歯の間から自由にして、真は幾分か驚いて深雪を見つめた。
 深雪は下ろしたままの長い髪を白い枕の上に広げ、薄っすらと目に涙を溜めていた。
「ごめん」
 何人もの男をたぶらかし身体で商売をしてきた女だと、頭のどこかで思っていた。それがまるで幼い子どものように震えている。真はしばらくの間、真っ白になった感情を持て余していた。

 冷静に考えてみれば、セックスをしながら人を殺すことを考えていたのだ。その殺意のようなものが、繋がった身体を通して深雪に伝わったのかもしれない。真は薄い口紅が残っている唇に口づけ、まだ硬いままの自分自身をゆったりと動かしながら、もう一度ごめんと言った。深雪はするりと腕を真の背中に回してきた。
 抱き締め合っていると、不思議と安心した。それでも、頭はどこかで他のことを考えていた。

 そうだ。葵……そんな名前だった。『ママ』の名前も確か同じだ。





以下ブログについてのつぶやき……

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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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