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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【死者の恋】(3)嘘つき 

@ちょっと間が空きましたが、(3)をお届けします。重大な間違いに気が付いて、(2)を書き直して再掲しましたので、そちらも併せてお願いしますm(__)m


調査事務所所長の相川真のところに持ち込まれた、女子高生・島田詩津からの依頼。
岩木山で出会った足の悪い年老いた女性が持っていたという骨の入った小瓶。
それを返したいから、その老人を探してくれと言われたのだが、待ち合わせた上野駅には彼女は現れず。
彼女を真のところに連れてきたロック歌手の向井嶺もあてにならない。
付き合ってくれている同居人の修復師・大和竹流も、津軽に用事があるようなのだが…



 朝、弘前駅に着き、ホームに降り立つと、思ったよりも暖かい空気が身体を包んだ。
 寝台車では何度も目を覚ましたので、熟睡感はなかったが、北国の朝の空気はやはり心地がいい。温かい中に時々、肌を刺すような冷えた空気が混ざり、厳しく長い冬をようやく抜け出した後の、独特の匂いがする。
 駅のロータリーまで降りてくると、竹流が誰かに向かって手を挙げた。
 ふとその相手を見ると、軽トラックの前に立っているのは、真も知らない相手ではなかった。
「めんずらしい組み合わせだべな」
 それは確かにそうかもしれない。
 真が弘前に来るときには、大概祖父母のどちらかと一緒だ。そして竹流がこのリンゴ農家の男を知っているとなれば、間に挟まっているのは真の祖父でしかありえない。北海道に住む真の祖父と竹流は、年齢も民族も異なるのに、しかも真の祖父は頑固で人当たりが悪いのに、何故か馬が合って、真の知らないところで時々一緒に飲んでいるらしいのだ。
 一言二言挨拶を交わしているうちに、どうやら竹流はもともとこのリンゴ農家の男に車を、それも軽トラックを借りる予定だったらしいことが分かった。
「夕方、店に来るべ」
 軽トラックの鍵を竹流に渡すと、リンゴ農家、兼居酒屋の雇われ店長、兼津軽三味線奏者でもある澤井哲は、自分はそのまま集会があるとかで、すたすたと道を渡って行ってしまった。今年五十になるはずだが、典型的津軽のおっちゃんである哲は、相変わらず好き勝手に、程よくあれこれ楽しみながら、それなりのじょっぱり人生を生きている。

 つまり、結局『山背』には顔を出すことになるということだ。
 丁度いいので、『山背』を連絡先にしようと、公衆電話から嶺に電話を入れた。『山背』は居酒屋で、営業は夜だけだが、昼間は三味線の練習場になっているし、昼過ぎからは仕込みに入っているので、誰かが電話に出てくれる。
 この時間なら嶺は帰ってきてベッドに入る頃合いだろう。運よく昨夜のうちに志津を探し出してくれていたらいいのだが、また別の女と一緒である可能性もなくはない。
 だが、嶺は電話に出なかった。念のために、嶺が出演しているライブハウスにもかけてみたが、さすがに朝九時もまわったこの中途半端な時間に店に残っている者はいなかった。
 飲んだくれていて、どこかの道で寝ていてもおかしくないし、誰かと喧嘩して刺されて倒れていてもおかしくない。そんな嶺をあてにするのは間違っているとも思うのだが、どこかで信じたい気持ちもあるし、誰かが嶺を気にかけてやらなければならないとも思っていた。

 岩木山スカイラインに上がる前に、竹流の言う通り、岩木山神社に寄る。
 軽トラックを降りてドアを閉め、二重、三重に鳥居が見える先、岩木山そのものへ続くような参道を見る。弘前市内も大概田舎町だが、ここに来るとまさに空気が変わる。
 まだ中高生だったころの真は、ここに来ると体があちこち不調になっていた。何かが見えるとか、何かの気配がするとか、そういう単純な話にしてしまってもいいのだが、どうやらここは死者があまりにも近いのだ。それは真にとってのみ近いということではない。この東国、奥州日の本の国の人々にとって、あの世とこの世の境界はあまりにも曖昧と言うことであり、この場所はそういう聖域なのかもしれない。
 もっとも、杉林の向こうからまつろわぬ古の鬼たちの気配がすると言っても、それはおっかないというより、あまりにも当たり前にそこにあるもの、という印象であり、真の神経を逆なでするような嫌な気配ではなかった。

 山に登る前には山の神様に挨拶をせねばならないという日本人的感覚を竹流が身につけていることについて、もう真には違和感はないが、他の日本人が聞いたら不思議がるだろう。だがこういう手順を踏むというこだわりの有無は、その土地の人間であるかどうかということとはあまり関係がないような気もする。
 太い注連縄の下で、この山の神に入らせてもらいますという挨拶をし、竹流の横顔を見ると、例のごとく真剣に祈っている。
 カソリックの総本山を支えていると言っても過言ではない家の跡継ぎだと言われる男だが、宗教的には極めて寛容で、攻撃的なところがない。
「あんたの目的地は?」
「岩木山の北側だ。とりあえずスカイラインを上がって、あちこち聞きに回るんだろう?夕方、山背には顔を出さざるを得ないだろうから、今日中に辿り着くのは難しそうだし、市内に泊まろう。もっとも、哲さんが泊まれって言い出しかねないけどな。で、明日一緒にその寺に行ってくれたらいい」
「あんたの仕事が進まないんじゃないのか」
 竹流はちょっと考えているような顔をしていたが、それはまぁいいんだ、と何か本音を隠したように見えた。

 岩木山スカイライン。
 全長九、八キロの見事なヘアピンカーブの道だ。カーブは全部で六十九あり、密生するブナの原生林を抜けていく。昭和四十年に開通したこの道で、岩木山の八合目まで行くことができ、そこから九合目まではリフトで登ることができるが、その先頂上までは、一時間はかからないというものの、まさに岩を登るような登山になる。
 運転席の竹流は、相手が愛車のフェラーリであろうが、農家の軽トラックであろうが、まったく意に介していない。軽トラックと長身の外国人という組み合わせはどう見てもおかしいはずなのだが、何故かしっくり馴染むようにも見えるから、この男は不思議だ。多分、本人がこの組み合わせが可笑しいとは一向に思っていないからなのだろう。
 ブナの根元にはまだ雪が残っている。

 料金所で真はふと看板に目を止めた。
 あの娘、嘘をついたな。
 北国の出身である自分があっさり騙されたのもいささか格好が悪いが、正確な日付が分からなかったのでそういうものかと疑わなかった。おそらく、島田詩津は色々嘘をついていることがばれるのが怖くて、待ち合わせをすっぽかしたのだろう。
 さて、こうなるともう、何かの手がかりが見つかる可能性は低そうだが、とにかくここまで来たからには行ってみるしかない。
 もちろん、ここで引き返して依頼を断ることもできるのだ。しかし、内ポケットの小瓶が真のジャケットの内側で声にならない声で話しかけてくる。竹流の言う通り、これがこの依頼を受けてしまった理由でもあるのだから。
 真は助手席から窓の外を見つめていた。
 ひとつカーブを越えるたびに視界が広がっていき、日本海が大きくなり、波が打ち寄せる海岸線が伸びてゆく。津軽富士と呼ばれる岩木山の雄大な山麓が、視界のいっぱいいっぱいまで広がる。
 東京にいると時々息苦しくなる呼吸が、実はこんなにも楽だったのだと思い出させてもらっただけでも感謝することにしようか。

「それで、結局、その女子高生の話はどういう内容だったんだ?」
 付き合ってくれるというのだから、有難いと思うべきだったが、何となく申し訳ない気もしてきた。
「もしかしたら、まったく嘘を聞かされてきたのかもしれない」
「嘘?」
「二週間前に、この岩木山の登山道、つまりこの先の八合目の駐車場からさらにリフトで九合目まで行って、そこから先の登山道で、足の悪い年老いた女性に会ったと言ったんだ」
「二週間前?」
 竹流も嘘の内容を理解したようだった。
 二週間前なら、冬季のためこのスカイラインは閉鎖されていた。もちろん、その女性が四つあるうちのどれか登山道を下から登ってきたという可能性もあるが、少なくともあの娘は車で八合目まで行ったと言ったのだから、結果的には嘘に違いない。

 竹流はしばらく黙ってヘアピンカーブに集中してハンドルを捌いていたが、やがて静かに言った。
「だが、引き返す気はないんだろう?」
 真は答えなかった。竹流は分かっているだろうと思ったからだ。
「それならこのまま行こう。で、嘘っぱちでも、その小娘は他に何を言ったんだ?」
「その人は足が悪くて、段差のきつい岩場を全くうまく登れなかったようだ。足が悪いのにこんなところに一人で来て、なんて迷惑なばばぁだ、と思ったらしいんだが、行きがかり上、手を貸す羽目になったんだと」
「ばあさんは本当に一人だったのか」
「と言っていたけど。何でも、亡くなった御主人と一緒に登るはずの山だったから、何とか登りたいのだと言っていたらしい」
「で、その骨とどういう関係がある?」
「お礼だと言ってもらった饅頭の入った袋に、一緒に入っていたと言うんだが」
「なるほど。で、帰って見てみたら、中に骨の入った小瓶が混ざっていて、それを返したいが、手掛かりがないのでお前のところに来た、と」

 嶺が言っていた、あの娘は家に居場所がないのだという言葉が、ふと頭をよぎった。
 もう少し話を聞いてから来ればよかったと思う。だが、この道々でゆっくり話を聞いてやってもいいと思っていたのだ。
 もちろん、真には悩める少年少女の相談相手になれるという自負心など欠片もない。結果的に幾らかは頼れる大人の役割をしてやっていることは多いが、それが彼らにとってどれだけの助けになっているかと言うと、やはり大したことはできているとは思えない。
 結局答えを出すのは自分自身だ。

 山に上がり、八合目の駐車場でトラックを降りると、地上の霊気が祓われていくような清々しい風が吹き抜けていた。
 七里長浜から緩やかなカーブを描いて小泊岬、さらに向こうに北海道までが見えている。
 千六百二十五メートルの山の八合目は、四月の終わりではさすがに寒かった。軽トラックにはそれを見越したように、雨合羽らしいものが積まれていて、竹流が一枚を真に渡してくれた。
 竹流に促されて、リフト乗り場の受付に行く。
 足の悪い女性を探しているのだと言うと、案の定、少なくとも今年になってから、つまり僅か数日前に今年の開業を始めてからはそんな人は見かけないし、去年のことは分からないという答えが返ってきた。ちなみに、昨年の最終開業日を確認すると、十一月四日だったという。
 とりあえず、リフトに乗って、山の様子を見に行ってみることにした。
 一人乗りのリフトは、風が強くて随分と揺れた。これ以上風が強くなったら運行中止になるだろうが、受付の人はもうしばらくは大丈夫だろうと話していた。彼らのほかには、物好きな数人が乗っているだけだ。
 哲さんが車に乗せてくれていた雨合羽がバタバタと硬い音を立てて膨らみ、頬には風が突き刺さり、耳は遠くなるほどに冷たくなった。
 後ろの竹流振り返ると、雄大な山麓の景色から向こう、北海道の方を指差して何か言いかけてから、声が届かないことに思い至ったのか、ただ微笑んだ。

 リフトを降り立つと、すぐに竹流も降りてきて、あまりの風に自然に体が引っ付くくらい近い位置で山の方へ歩き始めた。
「どう思う?」
 真の耳に口元を近付けて竹流が聞く。
「どこまでが本当の話かってことか?」
「あぁ。少なくとも、場所までは作り話じゃないんだろうな。あとは、本当はいつだったか、ということだ。大体、その娘は、誰とここに来たんだ? 少なくとも女子高生が一人で来るところじゃないだろう」
 さすがにこの季節に山に登ろうという酔狂はいなさそうだった。ここまでリフトで来た夫婦連れらしきカップルと、若い男女のカップルも、リフトを降りてから山の方に向かう気配はない。
「家族で、と言っていたが」
 よく考えたら、奇妙な話だ。彼女は『家族の中に居場所がない』のだから、家族旅行を楽しむようには思えない。それも東京でちゃんと聞いておけばよかったと思ったが、そもそも島田詩津の態度は、真に何でも話して依頼する、という気配ではなかった。
 嶺に無理矢理連れてこられて、しぶしぶ話している、という感じだったのだ。
 嶺の奴も、珍しくおせっかいになったものだ。
 そのことも、少し引っかかる。
「ちょっと行ってみるか。山頂まで行ったら遭難しそうだけど」

 九合目から少しの間は普通に歩ける道だった。とは言え、アップダウンのある山道には違いない。やがて直ぐに雪よけの小さなヒュッテが見える辺りからは、足が不自由であればとても登れそうにない岩の道になっていた。ヒュッテの先は一旦平地のようになり、その先は頂上まで完全な岩の山だ。
 足が悪い、といっても、程度にはよるのだろうが。
 一段だけ、随分と高さのある岩を目の前にして、竹流が足を止め、真も思わず彼の顔を見た。
 女子高生が嘘をついていたのだとしても、その女性が完全な架空の人物と言うわけではないのだろう。
 では、その年老いた女性は、なぜ骨の入った小瓶を持って、この山を登ろうとしていたのだろうか。この骨は、普通に火葬されたものではない。ならば、その骨の持ち主はどのようにしてこの姿になったというのだろう。
 風で震える雨合羽の内側で、小さな骨がカタカタと鳴っていた。
 その風に紛れて、何かの声が聞こえそうな気がする。
 胸のあたりが熱くなっていた。それはこの骨にまだ肉塊が伴っていた頃の記憶や名残なのだろうか。もう少し耳を澄ませ、心をここから解放してしまったら、何かの真実に届くような気がする。

 不意に、意識が遠くに持ち去られそうになったとき、竹流がぽんと真の腕を取り、軽く促した。
「少なくとも、足の悪い老人が一人で簡単に登れる山じゃないことだけは確かだな。しかも、登れても降りるとなるとさらに大変だ。もしも万が一、山の下から徒歩で登ってきたんだとしても」
 真は思わず息を吐き出した。
 そうだ、そんなに都合よく死者の声が聞こえるほどの力が自分にあるわけでもない。霊媒師でもないのだし、たまに何かの気配を察知することはあっても、現実と幻覚の区別がつかないことがあると言うだけで、そういう情報を用いて事件を解決できるというよなはっきりしたものではない。
 冷静でいなければ、また妙なものに付け入られてしまう。真はようやく口を開いた。
「少なくとも帰りはバスか、タクシーを使っている? あるいは行きも」
 竹流はしばらくの間、黙って真の顔を見ていた。
 この男には、多分真の今の状況がある程度伝わっているのだろう。だから、自分の仕事を少しの間先延ばしにして、真に付き合っているに違いない。少なくとも、その女子高生が一緒ならばなかったであろう隙が、今の真にあるということなのだ。
「そうだな。まずはその小娘を引っつかまえて、本当はいつここに来たのか、問いただした方がよさそうだぞ」

 それにしても寒い。少なくとも本当にこんな季節だったのなら、その女性は凍えて大変なことになっているはずだ。
「ついでに、遭難届も調べておいたほうがよさそうだな」
 そう言った途端、竹流が真の身体を軽く抱くようにして、耳元に囁いた。真は驚いたが、単に無茶苦茶に寒くて温もりを求めただけなのかもしれない。あるいは、真がどこかへ意識を飛ばしてしまいそうになるのを引き留めたかったのか。
「こっちが遭難する前に降りよう。漫画みたいに、あのヒュッテにお世話になって一晩抱き合うって下りも悪くないけど」
「殴るぞ」
 抗うようにして言うと、頭を撫でられた。
 全く、いつまで子ども扱いする気なんだろう。
 とにかくバス会社とタクシー会社、それに警察だ。とは言え、その女性の出所が分からなければ、片手落ちになる。山を降りたら、まずもう一度、嶺に電話をかけてみよう。
 どうあっても島田詩津を捕まえた方が良さそうだ。
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Category: ★死者の恋(間もなく再開)

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【死者の恋】(2)すっぽかし 

@ちょっと大きな間違いに気がついて、書き換えました。書いたとき、ちょっとぼんやりしていて、新幹線にでも乗っているように書いてしまった…光景が昼間。
時代からは、弘前までの移動は、飛行機でなければどう考えても夜行なので、夜行の景色に変えました。
気をつけなきゃ^^;
再掲です。偉そうに、その時代にないものを書かないように気を付けると書いてあるのに…^^;^^;
では改めて、よろしくお願いいたします。


お待たせいたしました!…って誰も待っていないかもしれませんが…^^;^^;
突撃連載!【死者の恋】(2)をアップします。
このお話は、18禁要素は全くありません。

でもあまりにも(1)が前だったので、一応ジャンプできるようにしておきます…
(クリック→死者の恋(1))
でも、実は真と竹流がお好み焼きを食べているだけなんですが。

初めてこのブログにたどり着いてくださった方のために…
相川真は私のつたない物語のメインキャラクターです。
新宿の調査事務所の所長。
そして同居人(というよりも真が居候している)が修復師の大和竹流(ジョルジョ・ヴォルテラ)。
この二人の生い立ちは【海に落ちる雨】始章のページを開いてみてください。
いきなり、ヨーロッパ大河ドラマになっていますが……

幾つか確認事項。
このお話は、多分真が26歳のはずなので、1978年くらいの話。
1978年と言えば、サザン・オールスターズのデビュー、ピンクレディのUFO、キャンディーズのサヨナラコンサート、成田空港開港、初の24時間テレビ(萩本欽一と大竹しのぶ!)、ザ・ベストテンの放送開始。
もう、本当に楽しすぎます。
だから、携帯電話なんてありません。
そう、連絡の取れない切なさと不便さが物語にも歌にもなった時代なのですね。

大好きな曲のひとつ、徳永英明さんの『レイニー・ブルー』の歌詞にある、電話ボックスの外は雨、かけなれたダイヤル、回しかけて……と、この切なさを分かる世代の方は、思い出して楽しんでいただけると嬉しいです。
そして、そんな不便なのはあり得ない、という世代の方も、ちょっと想像して楽しんでいただけると嬉しいです。

だから、冷凍ミカン! 東北へ向かう国鉄の始発駅は上野! そう、JRじゃなくて国鉄!
何だか楽しいですね。
岩木山のスカイラインがそのころあったのか、思わず調べちゃいました。
ありました。よかった。
でもわからないのが、8合目から9合目までのリフトの沿革。ちょっと困ったなぁ。

さて、第2話、ようやくミステリーの気配が…?





 若い女ほど気まぐれなものはない、ということは知っていたつもりだった。女子高生となると尚更だ。
「で、これはすっぽかされたわけか」
 竹流は例のごとくあれこれと修復師の七つ道具(もちろん、七つ以上ある)が入った重そうなアタッシュケースを足元に置いて、上野駅の待合の椅子に座り、傍で突っ立ったまま腕時計を確かめる真を面白そうに見ている。
 ちらちらと自分たちを見る周囲の視線にはもう慣れていた。そもそも竹流が目立つ。背は百八十はあるし、淡い金の髪と青灰色の目、それに整った顔かたち、ついでにこの外見からは想像もできないくらい流暢な日本語、耳をくすぐるようなハイバリトンの声を聞けば、誰だって振り返るのだ。
 クォーターである真自身も、決して目立たない顔かたちではないのだが、もしも真一人だったら、それほど周囲の視線を集めることはないだろう。
 どういう組み合わせかと興味深く見られているに違いない。
「そうらしいな」
 ちょっと電話をかけてくる、と言い捨てて、真は公衆電話を探した。
 ホームの真ん中に見つけると、ポケットを探って小銭を取り出す。
 春とは言え、夜になると風は冷たい。
 電話番号は覚えていたのだが、念のために内ポケットから手帳を出して確認し、幾分かかじかんだ指でダイヤルを回した。

「あんたか。朝っぱらから何だよ」
 眠そうで不機嫌な声が受話器の向こうから聞こえてくる。朝、というのは彼にとって一日の始まる時間、つまり世間一般の夕食が終わる頃合いだった。
「お前が連れてきた島田さんと待ち合わせているんだが、来ない」
 ふーん、と興味なさそうにロッカーの色男は息を吐き出した。カチッとライターを打ったらしい音が聞こえてくる。ついでに、りょうちゃん、だれよ~という甘ったるい声が聞こえる。
「そこにいるんじゃないのか」
「馬鹿言うなよ。これは詩津ちゃんじゃなくて、みどりちゃん」
 えー、しづってだれよぉ、という声が、さっきより大きく聞こえてくる。
「嶺、お前、いい加減にしないと、そのうち女に刺されるぞ」
「あぁ、それもいいなぁ。で、オレは伝説になるってわけだぁ」
 向こうで何をしているのか、きゃっきゃっと女がはしゃぐ声が聞こえている。
「伝説になるのは、もう少し売れてからだぞ。今死んだらただの野垂れ死にだ」

 今年十八になる向井嶺は、中学生の時に家出して、バイトをしながらバンド活動をしている。以前は、メジャーデビューはしていないもののその世界では有名なあるバンドの使い走りをしていた。バンドは何度かメンバーを入れ替えたが、そのうちに嶺がボーカルに収まり、一気に女の子のファンが増えた。嶺のルックスと物憂い感じが引きのポイントだったようだ。メジャーデビューに最も近いバンドのひとつだと言われているらしいが、この世界にはそんな話はごろごろしている。
 流行のものは一通り経験したという嶺は、大麻や法律すれすれのクスリにも手を出していて、それがきっかけでチンピラと喧嘩をしたことも一度や二度ではない。
 まだ真が唐沢調査事務所で働いていた時、その時はまだ嶺のことを心配していた母親からの依頼で家出していた嶺を探したことがあった。何度か繰り返された捜索依頼は、嶺が十六になった年にぴたりと止んだ。母親が再婚したのだ。
 悪い奴じゃないことは知っていた。だが、この年にありがちな刹那的で投げやりな態度では、そのうち本当にどこかで刺されるのじゃないかと心配にもなる。
 その嶺がどういうわけか、いささか真に懐いてくれている。
 もちろん、態度は思い切り不遜だ。

「とにかく、詩津はここにはいねぇよ」
「今から弘前に行く。向こうから連絡先を知らせるから、もし彼女が連絡してきたら、電話をくれ」
 へいへい、と曖昧なあてにならない返事を聞いて、真は受話器を置いた。
 ちょうど列車が入ってきた。
 ホームの待合を出た竹流と視線が合う。
 購入した冷凍ミカンと駅弁と透明ボトルに入ったお茶を持って、座席に収まった。
 乗り込んですぐに寝台の座席のカーテンを引いて籠るのもどうかというところだったし、四人分の寝台が上下向かい合わせになっている区画の中、同席になるもう一人は、小柄な年配の女性だったので、眠る場所も考えた方がよいかと思った。
 いい加減で蓮っ葉な女子高生とはいえ、島田詩津が一緒なら多少は女性も安心したかもしれないが、こんなでかい外国人の男と左右の目の色が異なる愛想の悪い男と同席ではおっかないのではないかと思うのだが、例のごとく、竹流が押しつけがましくない程度の愛想の良さで女性としばらく会話を交わしているうちに、すっかり女性の気持ちはほぐれたようだった。この男は、年配の男女の気を引くことにかけては天下一品で、日本全国あちこちに茶飲み友達か日本の父または母ともいえる老人の知り合いを持っている。その数は、多分付き合っている、あるいは付き合ってきた女の数をはるかに凌駕しているはずだ。
 本来なら女性が上段のベッドだったのだが、ある程度の年齢以上で梯子の上り下り楽ではないだろうということで、志津がいないおかげで空いた下段を譲ることにした。
 しばらく他愛のない会話を交わした後で、女性は眠るまでのしばらくの時間、詩集を広げて読み始めた。

「連れ合いが来ないなら、テスタロッサで行くのもありかと思ったけど、列車もいいもんだな」
 弁当を食べて終わり、冷凍ミカンの皮をむく。皮は膝の新聞紙の上にばらばらに散らばっている。このミカンがいたく気に入ったらしい竹流は、年配の女性にもひとつを譲って、代わりに女性が自ら漬けたという茄子の漬物をもらって、すっかりご満悦だった。
 竹流のテスタロッサは、フェラーリの会長の許可のもと、デザイナー兼エンジニアがヴォルテラの御曹司のためだけに作ったという特別仕様車で、スポーツカーにありがちな長時間ドライブで腰を痛めることもない。
 だが、確かに、たまにはこうして列車の旅をするのも悪くないかもしれない。
 行きがけに共同経営者の美和がにこにこしながら言ったものだ。
 先生、大家さんが一緒となると、女子高生は邪魔ですねぇ。別に依頼人が一緒でなくてもいいんじゃないの。
 それがそうにもいかない。依頼人、島田詩津の話がいい加減すぎて、つかみどころがないので、とにかく現地に行ってはっきりさせる必要があったのだ。ほとんど学校に行っていないのかもしれないが、それでも良識ある大人としては女子高生に学校をさぼらせるわけにはいかなかったので、ちょうど数日後に始まるこの連休を選んだのだが、いい加減なのは話だけではなかったようだ。
 ちなみに、大家さんというのは竹流のことだ。二人の仲を疑う美和に、真が『あれは大家のようなものだ』と言ったので、美和はそれ以来竹流のことを大家さんと呼んでいる。

 詩集を広げていた女性が、二人に断ってカーテンを閉めたのは、高崎を過ぎたあたりだった。目の前のカーテンを閉じられると、急に二人きりで寝台車の座席に座っていることが間の抜けた感じに思える。
 窓側に座った真は、本当なら時間を逆行するような春の景色が見えるはずの真っ暗な窓の向こうへ目をやり、ふと上着の内ポケットを確認した。
 その気配をどう受け止めたのか、竹流が不意に真を見る。
「で、どうするんだ」
「あんたはどういう予定だ?」
「とりあえず寺に泊まる」
 また寺だ。本当によく寺に泊まる男だな、と思っていたら、竹流がまた勝手なことを言う。
「予定外の連れがいるんで、もう一人一緒に泊めてくれと頼んでおいた」
 この予定外の連れというセリフはもう何度聞いたことか。
 それにしても、寺と春画はちょっと微妙な組み合わせだ。いや、竹流のところに来る修復依頼には時々とんでもない種類のものがあるようだから、別に意外でもなんでもないのかもしれない。
 とりあえず、島田詩津が来るまでは付き合ってもいいか、と思い直す。土地勘がなかったので、もともと弘前に着いてから旅館もしくはホテルを探すつもりだった。

「それで、行先は?」
 竹流が自分の予定と真の予定を突き合わせようとするのか、尋ねてきた。
「ひとまず車を借りて、岩木山スカイラインに行ってみる」
 島田詩津が、曰く『迷惑なばばぁ』に出会ったのは岩木山の登山道だ。詩津以外に彼女を目撃していた人がいてもおかしくはない。尤も、もう二週間も前の話なので、そんな簡単に目撃者に出会えるとは限らないのだが。
「で、お前をすっぽかした女子高生は後からでも来るのか?」
「分からない。伝言はしたんだが」
「お前、その依頼は金になってるのか? 相手は女子高生だろうが」
「あぁ。小遣いだけは随分持っているらしい」
 嶺の話では、詩津は随分と金を貢いでくれているらしいし、多分金持ちのお嬢様なんだろ、ということだったが、正直なところ真はその金の出所を心配し、先に詩津の家の事情を調べていた。万が一、詩津が女子高校生としては許されない方法で金を稼いでいるのなら依頼を受けるわけにはいかないと思ったからだ。
 だが、確かに詩津の家は立派な家で、父親は中堅の企業の重役だった。
 それでも、金の出所と、この依頼の成功報酬が正しく支払われるかということについては、今でも百パーセント信じているわけではなかったが、前払い金は確かにもらっていた。それに、嶺の頼みを断りたくなかったのだ。
 あいつ、家に居場所がないらしいしさ。
 そう言った嶺の顔が、昔一度だけ真に見せた不安な顔つきだったからだ。

 そしてそれだけではない。詩津が持ってきたあるものが、真を動かしていた。それを考えると胸のあたりが熱いような気がして、ふとジャケットの上から左胸を押さえた途端、竹流がすかさず聞いてきた。
「で、その胸の内ポケットに入っている小瓶は何だ?」
 本当にこの男はどこで何を見ているのだか、恐ろしいくらいだ。千里眼ってやつなのか。もっとも、竹流に言わせたら、真が隙だらけらしいのだが。
 真は観念して竹流に小瓶を手渡した。
 竹流はしばらく、その小さな紫の薬瓶のような小瓶の中を見つめていた。そしてすぐに真の内ポケットに戻す。
「骨か?」
「あぁ」
「ヒト?」
「確認してもらった」
「それで、どうにも断れなかったか」
 真は返事をしなかったが、竹流は納得したようだった。
 小瓶の中には、ヒトの第二頸椎、いわゆる舎利といわれている骨と、両手の指の先の骨がきっちり十、入っていた。舎利は仏の座った姿、そして指の骨は立ち姿と言われているが、後者は火葬の場合焼け残らないことが多いという。それが十本、そろっている。
 しかも、この骨は火葬されたものではないというのだ。
 沖縄じゃ戦前は土葬して洗骨するっていう風習があったけど、最近は衛生的な問題で保健所から指導が入ったっていうしな。しかし、これはどう見ても焼いた骨じゃないぞ。
 訪ねた先の骨学者はそう呟いた。
 この瓶を真の手元に残していった女子高生、島田詩津は、気味が悪いから預かってくれと言った。その『迷惑なばばぁ』に押し付けられたというのだ。
 どこまでが本当の話なのか、詩津にもう一度確かめたかったのだが、とにかく今は嶺からの連絡を待つしかない。
 いつまでも話していると、カーテンの向こうの女性に悪いというので、もう眠ることにした。
「上に上がるのが面倒だったら、一緒に寝るか」
「馬鹿言うな」
 言い捨てて真は梯子を上った。カーテンを引きかけて、隣の誰もいない寝台の席を見ると、自然と息が零れた。詩津がいい加減な女子高生であると思う批判的な気持ちと、彼女の中の本当の姿をまだつかみ切れていないような焦りのようなものが、どちらも一緒に存在していた。
 そしてさらにまた、カーテンを引いてしまうと、突然取り残されたような寂しさと一人きりになった穏やかさとが、同時にこの狭い空間を満たした。




ちょっと解説
『やたらと寺に泊まる男』『予定外の連れ』というのは【清明の雪】で竹流が京都のある寺から依頼を受けていて、真を連れて行った件を指しています。
さらに、日本に来た頃、まだ修復師として無名だったころは、日本全国の神社仏閣を歩き回り、一宿一飯の恩義として修理や修復の仕事をしていた(最初はちょっと押し売り)ので、大和竹流には日本のあちこちに泊めてくれるお寺や神社があるのです。


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[雨24] 第3章 同居人の恋人たち(2) 

大けがで入院している同居人・大和竹流。その恋人の一人である室井涼子はどちらかというと、気持ちがまっすぐなために苦しんでしまう大人の女です。真は嫌味を言われつつ、どうすることもできない…
そんな真のところに、怪しい電話が2本…





 翌日の昼間、仕事の合間に病院に寄ったとき、帰りがけの真を捕まえた涼子が、今日は泊まれないのと言った。そんなに毎日泊まっていなくても大丈夫だろうと言うと、涼子は複雑な表情をした。
「お茶でも飲まない?」
 真は涼子と一緒に病院の地下の喫茶室に行って、暫く無言で座っていた。個人的に彼女と二人で向かい合うのは、あの抱き合った日以来だった。今は、涼子の気配からは、そんな親しげなムードは全く感じられない。自然と真も構える態勢になっていた。
「あれからあの子、ご飯作ってくれてるの?」
「えぇ、まぁ」

 美和は特別料理が上手いわけでなかったが、マンションに来てからはそれなりに一生懸命に炊事をしてくれている。だが、そんなことを涼子が気に掛ける理由が分からなかった。
「彼女、葉子ちゃんにどこか似てるわね」
 真は思わぬ言葉にしばらく無遠慮に涼子を見つめていた。
 同居人も同じことを言っていたが、真にはそうは思えなかった。顔が似ているというわけでもないし、葉子はあんな挑発的な格好で家の中をウロウロしたりはしなかった。
「彼女がお嫁に行って、お姫様を盗られた騎士二人が、また新しいお姫様を見つけたって感じかしら」
 真は涼子が何を気にしていたのか、ようやく分かったような気がした。

 恐らく葉子は、竹流の女たちの最大のやっかみの相手だったかもしれなかった。
 いくら真が彼の身近にいても、あくまで男で、嫉妬の対象にはなりにくい。だが、葉子は別だった。葉子のことを、竹流がそれこそ言葉通り『目の中に入れても痛くない』くらい、つまり我が娘か妹のように大事にしていたのは誰の目からも明らかで、彼女の結婚式には一切の衣装や道具を準備して、一般家庭から金持ちの御曹司のところへの嫁入りに文句をつけさせなかったくらいだ。それどころか、普段名乗りを上げる事も無いのに、葉子の結婚式には本名を名乗って相手方の親戚を威圧してしまった。この俺がついているのだからこの娘を傷つけたら許さない、というパフォーマンスだったのだろう。竹流の恋人たちの誰一人として、あれほどに彼に大事にしてもらってはいないはずだった。
 女を簡単に口説き平気で手を出す男が、葉子には姫君を扱うように接する、その特別扱いは、他の女にしてみれば同性であるだけに面白くない部分があるだろう。

「あの子、貴方のこと好きなのね」
 突然思いもしないところに飛び込んできた言葉に、真は自分でも驚くほど速くに反応していた。
「それはない。第一、恋人がいる」
 涼子は返事をしなかったが、微笑んだ。好きになるのに恋人がいるかどうかは関係ないんじゃないの、というような微笑に見えた。
「あの人も、あの子と話していると楽しそうだったわ。色々と本音もこぼれるみたいだし」
「本音って」
 真は思わず口をつぐんだ。ベッドの話は確かにまずかったな、と思った。と言っても、ここでいきなり言い訳をするのも妙な気がした。

 心のどこかに存在する不可解な自分自身を感じる。その自分は涼子に、そんなに毎日側にいられたら竹流も困るんじゃないかと言いかけていた。どっちのためを思ってなのか、あの男に本気にならない方がいいと言ってやりたい。
「雑誌、読んだんでしょ」
 涼子は運ばれてきたコーヒーにはまだ手をつけていなかった。
「あれは、単に」
 涼子の何かを訴えるような視線に真はまたその先の言葉を失った。
 いくら言い訳しても仕方がないことのように思えた。彼女たちにとって事実は事実だ。真はあの男と一緒に住んでいる。ご飯も作ってもらっている。同じベッドで眠っているし、時には抱き締めてもらうこともある。だが、どれも子供をあやすようなものだ。それでも、彼女たちにはそこに伴う感情などどっちでもいいのだろう。
 その事実だけが重い。
 それに、そこにある真自身の感情は、もしかするともっと重い。
 何だか息苦しいと思えた。

「こんな時くらいしか彼の側にいれないの」
 涼子が不意に言った言葉の後ろに、真に対する僅かな嫌悪感が潜んでいることを感じる。自分が彼の側にいるからだ、と真は単純に思っていた。
 同居してからも、竹流は何度か涼子をマンションに誘った。真が遠慮して今日は相川の家のほうに戻ると言うと、竹流は別に構わないと言った。何が構わないのか、涼子のほうはいくら何でも真のいるマンションで竹流と抱き合うなどということはできないだろう。恨まれるだけの十分な理由だと真は思った。
「もしかして何か誤解しているんだったら」
 真が言いかけると、涼子は疲れたような表情で真を見た。
「大体、俺は彼の背中の火傷のことも初めて知った。雑誌の件もあいつらしい冗談だ。本当に誤解だよ」
 涼子は初めて、真の目をまともに見た。
「あの火傷のお蔭で、相手の女がどういう人間かよく分かるって言ってたわね。身体の傷のひとつやふたつはたいしたことじゃない、そんなものは深く残るものじゃないって。貴方に知られないようにしていたわけじゃないんでしょうけど」
 涼子は溜息をついた。
「貴方が彼と住んでいることなんて、別にどうって事じゃないわね。彼の背中の火傷に触れても、気味が悪いとは思わなくて、この男をなお愛おしいと思う女は何人もいる。それどころか、あの背中に触れて、もっとあの男を自分だけのものにしたいと思った女だっているでしょう。女は男の体の傷にも、心の傷にも弱いから。それを癒せるのは私だけだと信じたいのよ」
 まるで自分自身に言うように涼子は重くそう言うと、首を横に小さく振った。
「私、何を言ってるのかしらね。貴方に何を言っても仕方ないのに」
 それで涼子は話を切り上げた。

 涼子の思いの深さには何となく気が付いていた。だが、その時本当にはっきりと真は彼女の心の向きがわかったように思った。
 涼子はもうあの不倫相手を、情熱を持って愛してはいないのだろう。
 だが、新しい恋はもっと不幸で不安だった。
 その新しい恋の相手はその時だけの愛を捧げてくれるが、それ以上のものを求めることも求められることもない。例えば人生も心も全て求めているわけではない、かえってそういう足枷を嫌うだろう。そんな恋には走り出せないことは、涼子もわかっている。 
 涼子が例の不倫相手がやってくる日だからと言って帰っていく後姿を、真はぼんやりと見送った。今ではその長年親しんだ不倫相手は、彼女の精神安定剤になりつつあるのだろう。以前とは逆だった。

 コーヒーが冷めていくのを見送りながら、真はどうともできない気持ちを放り出したいと思っていた。人の感情は重くて、突きつけられるとどうしようもないと思う。自分が関わった人間の感情は、そこにもう一人の人間の感情が絡んで重みを増し、真にはどうしようもなくなってしまう。
 病室に戻ると、丁度看護師が氷枕を取り替えるついでに、竹流の左肩の包帯を巻きなおしていた。
 今更だが彼の美しいと言ってもいい身体に傷を負っている姿を見ると、この傷を負わせた相手を憎く思う一方で、その扇情的で愛おしい様子に、この傷の痛みを共有したいとも思う。涼子の言うとおり、この背中の傷は、誰かの心に強い憐憫と恋情を燃え上がらせても不思議ではない。
 看護師が出ていってから、竹流は黙って側に立っている真に話しかけてきた。
「医者に聞いたろう」
 真は目を逸らした。
「お前には、火傷したという一言では済まないからな。いつの間にか隠し事をしているようになってしまったが、別に始めからそういうつもりではなかった」

 涼子の心ではない、始末に終えないのは自分の心のほうだと思った。
 竹流の仲間にも、竹流の女たちにも、相川真という人間は鬱陶しい存在なのだろう。普段そんなことを考えることはなかったが、今ははっきりと彼らの拒否を感じていた。こんなにも彼を心配しても、その感情を共有していても、自分はひどく孤独なのだと思えた。
 その上、竹流の最も側にいて、彼の恋人にも仲間にも嫉妬の目を向けられている自分だけが、彼の背中の火傷のことを何も知らなかった。
 あり得ないほど割に合わない話だと思えた。

 真がマンションに戻ったのは九時前だった。美和はもしかしたら友達と出掛けるかも知れないといっていたので、遅くなるかもしれなかった。
 遅くなってもマンションに行きますからね。できれば、ひとりでもちゃんとご飯は食べといてくださいよ。期待してないけど。
 うるさい小姑のような生意気な口のききかたは、確かに少しばかり妹や同居人に通じるものがある。美和の心配通り、飯など口にもしていなかった真は、せめて酒でも飲むか、と同居人お気に入りのブランディの蓋を捻った。
一人でいるときに、マンションでブランディを開けるのは初めてだった。

 さっきまで気休めにと思って、最近相川の家に戻ったときに持って帰ってきていた『宇宙力学論』という本を読んでいたが、どこかから字面を見ているだけなのに気が付いていた。この本は既に絶版になっていて、父、正確には伯父の功が失踪したとき、一緒に消えた本だったが、ある時古本屋で同じ本を見かけて購入したものだった。
 ブランディをグラス半分ほど飲むと、無性に煙草が吸いたくなった。咥えてライターを取り上げると、何回か空打ちのカチカチという音がして、結局火はつかなかった。
 身体の内側で急にかっとした何かが吹き上がって、真はライターを床に叩きつけた。
 昼間のことを思い出していたのだ。何かが真の神経を逆撫でしている。
 だが少し冷静になれば、同居人の女たちのことで、あるいは同居人が背中の火傷を真に隠していたからと言って、熱くなっても仕方がないと思えた。真は煙草を吸うことを断念して、せめて落ち着いて茶でも飲もうとソファから立ち上がった。

 広いダイニングを背に台所で湯を沸かしながら、真はコンロの前に突っ立っていた。
 それにしても美和の奴、一体何をやっているのだろう。
 もう十一時になる。名瀬弁護士の事務所に行った後、病院に寄る前に事務所には一度電話を入れたが、宝田が出て、美和はもう帰ったと言っていた。もちろん、友達と遊びに行くかも、とは言っていたし、真がいらいらして心配する必要もないのだろうが、遅くなるならせめて連絡ぐらいくれてもいいはずだ。ちょっと下まで見に行こうかと思ったとき、電話が鳴った。

 美和だろうと思って受話器を取り上げたが、相手は何も言わなかった。
「大和です」
 だがそれでも相手は無言のままだった。たっぷり一分近くの沈黙の後、真は受話器をどのタイミングで置こうかと考えながら、あと数秒待とうかと思った途端に、相手の声がした。
「……竹流は、どうしてる?」
 擦れた低い声だった。思わず返事をした声も上ずってしまった。
「あんた、誰だ?」
「教えてくれ」
 これは、もしかして昇と東道が言っていた連絡を寄越さなかった仲間ではないのか。
「あんた、竹流の仲間か」
「彼は生きているのか」
「生きてる。死に掛かってはいたけどな。一体」
「彼に伝えてくれ。カタはついた、だからもう手をだすな、と。それで分かる」
「……おい」
 呼びかけた途端、電話は切れた。真は呆然と受話器を握りしめていたが、プープーという耳の奥のほうの音にようやく我に返り、受話器を戻した。
 何の話だ、と思った。何がどうなっているのか分からないうちに、最後通告のような電話だけがかかってくる。カタがついたような気配は、勿論伝わってこなかった。

 力が抜けたような気がして、気を取り直して湯を沸かしていた火を止め、お茶の葉を急須に入れて湯を注ぐ。熱湯を入れるなと同居人に怒られそうだが、今日は本人がいないので熱湯でも水でもいいような気分だった。
 それを飲みかけたとき、再び電話が鳴った。
 今度こそ美和だろうと受話器を取る。
 だが、次の電話の相手はもっと意外な人間だった。さっきの電話に比べると真っ当なものの言い方をする相手だったが、内容は同じくらい意外だった。
「相川真さんでしょうか。私、澤田顕一郎の秘書の嵜山と申します」

 真は一瞬に身体が凍りついたような気がした。下世話な噂話で、香野深雪のパトロンと言われている代議士、澤田顕一郎が一体どういう事情で真に連絡をしてくるというのか。
「澤田が一度ぜひ貴方にお目にかかりたいと申しまして、もしご都合がよろしければ、明日夕食を御一緒させていただけないでしょうか」
 嵜山という男の話し方は、真の都合を聞いているようで、有無も言わせないような気配に満ちている。
 真は冷めた頭で、悪いときに悪いことは重なるのもだと考えていた。ついに澤田の利害と自分が何か不都合な関わり合い方をしたのだろうか。それとも単なる澤田の興味なのだろうか。
 別に構わないと言うと、相手は事務的な声で言った。
「では、明日七時に事務所へお迎えに上がります」

 受話器を置いてから、さすがに何てことだ、と思った。
 せっかく淹れたお茶を飲む気力もなく真はダイニングに座っていたが、何だかますます落ち着かなくなってきた。奇妙な二つの電話と、帰ってこない美和と、三つのものが真の神経に障っている。
だが、そのうち最も解決に近そうなのは、美和の行方だと思った。
 他に考えつかず、何よりも落ち着かなくて、とにかく事務所に向かうことにした。
 地下の駐車場でエレベーターの扉が開くと、湿気がのしかかるようだった。車を出して通りに出てから窓を開けると、外は六月の肌寒い夜で雨の匂いがした。車を赤信号で停めたとき、不意に昨夜の深雪の言葉を思い出した。
 駆け落ちしてくれる?
 ……まさか、澤田にもそのようなことを言ったわけではないだろう。それに、あまり知ろうとは思っていなかったが、澤田という男は女に入れあげてホテルに住まわせるような人物ではないようだった。深雪が澤田の女だという証拠は何もないし、もしそういう事実があれば、彼の政治家としての道はスキャンダルで閉ざされているはずだ。
 新宿の街に入ると、まだ夜は宵のうちだった。





Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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NEWS 2013/3/30 やっと土曜日:一分咲 

しだれ
我が家の枝垂れ桜は、他の桜よりも少し遅くに咲きます。まだ一分咲。

ちなみに私は、この一分咲程度の桜の木が一番好き。
つぼみの花の色が濃いからかもしれませんが、木全体が『今からピンクになるぞ!』というギュッとピンクを(桜色を)詰め込んだみたいに見えるから。
咲いちゃうと、あぁ、咲いちゃったって感じになるからかも。

今日はやっと土曜日。
昨日また夜中までかかって仕事を片付けたので(この1週間、ほとんどこんな感じだった…)、今日はやっと週末作家(ってないいもんじゃないけど)になるぞ(*^_^*)

その前に、今日は魚の話題。
この間、テレビに水族館の人が出ておられて、イワシがかたまってトルネードを作らなくなった、と言っておられた。イワシが集団で泳ぐのは、カツオやマグロといった大型の魚から身を守るためで、水族館の中ではカツオ・マグロにもちゃんと餌を与える→イワシを襲わない→イワシは安心→みんなで集団でトルネードを作らなくても平気→群れから外れるイワシが出てくる→トルネードなんていらないや…
これではイワシを水族館で見せる意味がありません。
で、ちょっと腹を空かせたカツオ・マグロをイワシの水槽に入れてみたら…あわててイワシはトルネードを作るようになったらしいです。

魚の社会って、本当に人間世界と同じなんだなぁ。
ま、危機管理のためには常に危険にさらされていないとならない、疑似的に危険状況を作るってのは、この現代では難しいんでしょうけれど。

こんな話もあります。(さかなクン談)
ある魚の群れでは、群れの10%が怠け者だそうです。
で、この怠け者の魚を取り除いたら…
また残りのもともと真面目だった90%のうち、10%が怠けるらしい…
いわく、これが10%を超えると魚は群れとしてやっていけなくなるのだとか。
これも、何だか示唆に富んだ話ですね。

そもそも人間界で使われている色々なもの・工学製品も、自然界の真似をしたものがたくさんありますよね。
水をはじく仕組みとか…
人間はもっと沢山のことを自然界から学ぶことができるようです。

さぁ、今から、週末作家(*^_^*)
明日は、京都の山奥に行く予定です。

Category: NEWS

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