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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨33] 第4章 同居人の失踪(4) 

*切り処が微妙なので、勢いでアップしてしまいました。これで第4章が終わります(^^)
って、このお話、38章もあるんですよ。
もちろん、途中でいささか茶化した章が入っているので(回想シーンと言うのか、高校生時代の真と竹流)、実際には35章分くらいでしょうか。
この程度を勢いでアップしたところで、先は長い……適当に端折りながら読んでいただければと思いますm(__)m
*さて、この回は、ちょっと意外な真の過去をお見せすることになるかも…^m^
美和ちゃん視点の続きから入ります。




 記憶を辿るような夢を見た。
 眠ってしまう前に思い出していたからかもしれない。

 秋の終わりの午後、明るい喫茶店の窓側の席で、その男は通りを見ながら椅子に深く座って煙草を燻らせていた。
 明るい日差しを通すと、髪の色は真っ黒ではなく、光を吸い込んで輪郭がぼやけるように輝いていて、煙草の煙が周囲の空気を揺らせている。煙草を吸い込んで、一度テーブルの上の灰皿に戻した指は随分華奢に見えたが、身体を壊して入院していたからだと聞いていた。

 もう半時間以上、美和はその男を離れた席から観察している。
 恋人の北条仁から、北条一家が所有している新宿の空きビルにテナントをいくつか入れることになったこと、そのひとつを調査事務所にしようと思っていること、所長候補は既に決まっていて、ただちょっと決心がつかないみたいだから一押しするようにと言われていた。
『お前、秘書というか、共同経営者として一緒にやれよ。大学で勉強するより、よほどいい社会勉強になるぞ』
 任侠一家の男と付き合っているだけで十分社会勉強している、と美和は思った。仁は意味ありげに美和を見て、一冊の写真集を出してきた。

 その表紙の少年のこちらを真っ直ぐ見つめる目に、美和はどきっとした。
 しかも写真家の名前は、将来の写真家候補の美和もよく知っている名前だった。
『滝沢基、って、あの報道写真家の?』 
 仁は頷いた。
『昔は社会風俗を撮ってたんだ。しかもかなりタブーのな。売春、同性愛、未成年の性、そういった類の。今でこそ世界の戦地を飛び回っているが、それが奴の出発点だ。その写真集はその中でも随分異色で、発行部数が少なかったし、滝沢基が一人のモデルだけを使った写真集を出しているのは後にも先にもそれ一冊だ』
『これが、何の関係?』
 美和が問うと、仁は写真集を開いた。

 その目を見た瞬間に、惹き込まれるような、呑み込まれるような感覚に陥って、思わず息をすることを忘れていた。
 圧倒的な存在感でそこに存在している少年は、今まさに大人になる瞬間を生きているように見えた。
 切れ長で野生的な瞳は真っ黒ではなく、特に右の目は光の加減によっては明らかに碧色に沈んでいる。しっかりとした眉のライン、細めで通った鼻筋、そして扇情的でさえある薄めの唇。その唇が薄く開けられて、碧の目は真っ直ぐにファインダーを見つめている、その時カメラマンはどれほど興奮していただろう。子どもでも大人でもなく、男性でも女性でもなく、あくまでも中性的で年齢も定かでない、人ともつかない神懸りのような存在。それが、一枚一枚の写真から湧き上がるように伝わってくる。誰のものにもならないという緊張感が突き刺さるようで、この被写体となった若者はどこへ行こうとしているのだろうという不安が、見るもののうちに湧き上がってくるのだ。
 これは少年から大人に、あるいは野生の生き物から、良し悪しは別にして人間に変わろうとしていた瞬間の、二度とない時間を残したものだったのだろう。それはカメラマンの力も本人の力も及ばない、時の神秘によるものだ。

 古いレンガの校舎の蔦のはい登る壁にもたれて立っている少年が、うつむき加減から目を上げていく四枚組の写真は、美和にも見覚えがあった。うつむいている少年は泣いているように見える。目を上げたとき、彼は綺麗な碧を帯びた瞳でカメラの方を、いや実際にはその向こうにある命の行く末を、さらにその先にある死すらも受け入れて、果てしなく遠い自分の未来を見つめていた。
 ページをめくると、春夏秋冬の景色をバックにした、やや作り物的な要素のある物語風の写真もあった。秋は菊慈童、冬は雪女、春は梅の精霊、そして夏は太古の昔と思しき草原で風の精を、それぞれモチーフにしているようだった。
 中でも菊慈童は秀逸だった。少年は幻影のような菊の花園を背景に、白い衣をまとい、能の面を手に立っていて、振り返りざまだった。いや、それとも魂になってでも想う相手のところへ会いに行こうとした『菊花の契り』を下敷きにしていたのだろうか。その瞳には凄絶なほどの色気があって、薄く開けられた唇は淡い菊の背景の中で浮かび上がるように赤く、いかにも見るものを誘いこむような妖しい吐息を漏らしているように見える。明らかに彼は、そのファインダーの向こうに誰か、具体的な誰かを見つめているのだと思える。
 薄衣をまとっただけのように見える雪女は、雪の大地に倒れざまにこちらを見上げている。唇には紅を引いて、あたかも愛するものを食い殺したような凄絶な印象を持たせていたが、一転して春の梅の精は、ごく普通の白いシャツとスラックスの上に美しい錦の打掛を羽織った少年が、梅の木の上の鴬に何か語りかけるように手を差し伸べていて、穏やかで優しい光景だった。果てなく広がる夏の景色は、実に自然な光景だった。少年は風の向こうを振り返り、微かに開いた唇が桜の色に染まっていた。淡い茶色の髪は光に溶け入り、細い首筋はまだ少年と大人の狭間で彷徨っているように見えた。

 写真集の副題には『二度とはないこの瞬間を』と書かれていたが、仁の解説では、それはある大手のフィルム会社の宣伝のタイトルだったという。この少年は全く名前を出される事も無く、その一度の宣伝に滝沢基のモデルとして現れて、以後一度も顔を見ないらしい。だが当時、駅の看板にも電車の吊広告にもその少年の写真が並べられて、一時は騒然としていたようだった。滝沢基はその写真を機に日本から消えてしまい、今の報道写真家としての仕事を始めている。
『この写真集、そういう趣味の連中の夜の友になっていたともいうけどな』
 美和にも見覚えがあった四枚組の写真は、フィルム会社の宣伝で町中に貼られていたものだったのだ。その会社の宣伝は、業界ではトップレベルの芸術性で、過去の宣伝写真を網羅したバイブル的写真集が発行されていたからだ。
『しかも、滝沢基は俺と同じ人種でな、モデルともほとんどそういう関係になっているという噂だった』
『って、これ、未成年でしょ』

 仁はにやりと笑った。確かに写真集の中には、あたかもそのことを示唆するような、ベッドの上で撮られたものもあって、これを見た『そういう趣味の連中』が夜のオカズにしていても頷ける。いや、ベッドの上の写真でなくても十分だった。その目と唇を見ているだけでも、その目に自分だけを映し出させ、その唇に自分のもっとも敏感なものを銜えさせたいと思う連中がごまんといてもよさそうだ。もしもこの、まさに人とも思えない神懸りな生き物を、自分の足下に跪かせ、淡く光を躍らせる髪を鷲摑みにし、たっぷりと唾液を零れさせた唇に欲望を銜えさせ、その咽の奥にまで深く挿入し、そして綺麗なラインを描く顎に手を触れたときに、ふとその潤んだ碧の目が自分を見上げたら、と想像するだけで、何度でもイケそうだ。少なくとも男はそう思うだろう、もしもその趣味がなくても。女の美和でさえそう感じたのだから。

『何しろ、当の写真家本人は宣伝のポスターが町中に貼られて写真集が出たときにはトンズラしてしまっていたし、モデルのほうは、まぁ名前も出自も出さないという契約だったようだから、会社もだんまりを決め込んでいたからな。そのモデルを捜せ、ってんで、逆にヒートアップしてものすごい宣伝効果だったわけだ。しかも、その宣伝のタイトルはつまり、誰にでも一生でただ一度やってくる、少年から大人になる瞬間をって意味だ。そのモデル個人、ではなく、一般人誰でも、ってことだと強調していたしな。だが、まぁその印象的な顔、一般人の代表にするには無理があるよな。そそられる』
 仁のちょっと個人的でいやらしい感想に、美和は多少むっとしながら納得した。多分、これをオカズにするような男たちは、まさにその『瞬間』にこの少年を囲い慰み者にしながら写真を撮ったカメラマンという妄想を頭の中で描きながら、無茶苦茶に嫉妬しただろう。この写真集を見た全ての人間が、このモデルとカメラマンの情事を想像し、それを覗き見る悪趣味な気分を味わい、自分もベッドかどこかで自慰をするほどの気分になったはずだ。こんな目が電車の吊広告やら街角の看板からこっちを見ていたら、本当にたまらない気がする。もっとも、それだけに見てはいけない秘密の気配が漂って、目を逸らす人もあっただろうが。
 まぁ、北条仁は自慰なんかしない、多分ちゃっかりその辺で誰かを口説いているだろう。美和はそう思いながらも、誰かを実際抱くのと、誰かを想像しながら一人でするのと、どっちが気持ちいいんだろう、と考えて、自分で気恥ずかしくなった。

『それで、これが何の関係があるの』
『まぁ、行ってみればわかる』
 そう言われて待ち合わせ場所にやってきた。

 随分育ってしまったが、明らかに同じ横顔だった。後で仁に問い詰めたら、本人にはその写真の話はしていないという。ただ、ある人物に刑務所に面会に行った時、堀の外の道ですれ違った瞬間にぴんと来たというから、仁のその道の目は恐ろしいくらい確かだ。
 あの写真に見られるような、男性とも女性ともつかない、どこか中性的な危うい気配はもうどこにもないが、どこか綺麗な野生の生き物を思わせるような顔つきと目のムードはそのままだった。もっとも、さすがに、夜のオカズにされちゃうほどの際どさはもうないかな、と美和は思ってほっとした。もしもあのままなら、歩いているだけで公然猥褻罪に近い。そう考えると、ああいう危うさはある一時期に一気に放出されてしまうものかもしれない。だが、もしもその時間を傍で共有している人がいたら、そのときは本当に大変だったろうな、とも感じた。

 いずれにしても、この人が上司になるのは悪くないかも。
 じっくり半時間は観察して美和は立ち上がった。
『こんにちは。お待たせしてすみません』
 突然声を掛けると、男は少しばかり驚いたように顔を上げた。遅れたことを責める気配もなく、少し頷くように煙草に視線を戻し、灰皿で揉み消す。痩せているように見えていた指は、それでもしっかりとした骨組みを感じさせる力強い男のものだった。
 色々な話をしたように思うが、ほとんど美和がしゃべっていた。男のほうは気を逸らさない程度に聞いてくれていた。調査事務所の胡散臭い所長が爆破事件を起こした件も、この男自身が有名な弁護士の名瀬に気に入られていて、今はそこで勤めていることも、どうやらエリート集団の中で気詰まりな気分になっていることも、それとなく話の中に折り込んだ。

 それから幾分かプライベートな話にも及んだ。
『最近、恋人と別れたんでしょ。すごく落ち込んでたって』
 男はひとつ息をついた。それから、責めるようではないが、淡々とした調子で言った。
『それ、これから仕事をしていく上で、話さなければならないようなことか』
 触れられたくないのだな、と思って美和は首を横に振った。
『ところで、男の人と一緒に住んでいるって、本当?』
 さらに美和が話をふると、表情を変えずに男は答えた。
『それも、何か問題なのか』
 男は表情を変えなかったが、美和は一瞬どきっとした。一瞬だが、男の目に、写真と同じ強烈な媚のようなものを感じたのだ。勿論、それは美和に対してではないのだが、美和は思わず答えた自分の声が上ずっているのを感じた。
『別に。どういう関係かと思って。もしそうだとしても、別に問題にはならないけど』

 やはり例の写真集が引っかかってしまう。どう見ても男に身体を許しているような色気だったし、それ以来そういう性向を持っているとしてもおかしくはないわけだ。そしてその相手が同居している男だというのは、ありがちな構図だった。さっきの一瞬の目の光を見れば、今でもこの男が、四六時中でなくても何かの瞬間には、誰かを狂うほどの興奮に陥れるようなフェロモンを撒き散らしているとしても頷ける。
『一緒に住んでいる相手がいるのは事実だ。でも、単に大家のようなものだ。それに、そういう趣味もない』
 美和はちょっと拍子抜けして、淡々とした表情を崩さない男をしばらく黙って見つめていたが、やがてにっこり笑ってみせた。
 やっぱり、この人が上司になるのは悪くないかも。
 あの日以来ずっと、美和は真の同居人の大和竹流を、大家さんと呼んでいる。


 夢で思い出すだけでも、強烈な色気だったように思う。仁の話では、あの時は恋人と心中しそうなまでに煮詰まっていた恋愛の後で、その女性が自殺して、本人も身体を壊して入院し、退院後ようやく働きだしたところだと言っていたし、そういう病み上がりの色気があったのだとしても、誰にでもあるような色気ではないと思った。
 色気といっても、女が持つものとは明らかに違う。そういうものに女が惹きつけられるような色気だった。いや、多分、女だけではない。
 それを、今も真はどこかに漂わせているし、こうやって身体を重ねた後でも変わらない気がする。あの喫茶店で彼を初めて見た時から、自分は彼と寝たいと思っていたのだろうか。

 美和はリビングのソファで眠っている真を見つめながら、さて、どうしようかと思っていた。真は身体をいくらか丸めるようにしていたが、ガウンの襟元から覗く首筋の筋肉と鎖骨が、たまらなく色っぽく見えた。それが昨日身体を重ねたからそう思うのか、あるいは彼と同居人の関係を疑うからそう思うのか、美和自身にもよく分からなかった。
 こういうのは、所謂野次馬根性の側面があるのかな、それともミーハー根性? 当事者になるよりちょっと離れて見ているほうがいいというような。
 何とか客観的になろうと考えている自分がほんの少し滑稽な気がした。それから、さしあたって今どうするか、選択肢を思い浮かべる。

 寝かしておいてあげるか、キスしちゃうか、それとももっといたずらして彼のものを触っちゃうか、美和は色々オプションを考えながら、結局とにかく顔を近づけてみた。
 途端に、真の手が美和の髪に伸びてきた。
「起きてたの」
 真は頭を抱えるように起き上がった。
「二日酔い?」
 それには答えずに、真はソファに座った状態で頭を抱えた。美和は横に座った。
「大丈夫?」
 真は頷いたが、あまり良い状況とは言いかねるようだった。美和はちょっと顔を覗くようにした。
「結構しらふだって言ってたけど、やっぱり酔った勢いなのね」
 ちょっとやり込めたい気分で美和がそう言うと、真は顔を上げた。
「ちゃんと覚えてるよ。酒の勢いは借りたかもしれないけど」
「そう? ゴムつけなかったことも? 大家さんとの関係を認めたことも?」

 真はさすがにびっくりしたような顔をした。後半はカマをかけただけだったのだが、美和は真がどっちにびっくりしたのだろうと思い、その真の反応に驚いた。
「つけなかったのは、覚えてる。仁さんと決闘しなければならないのも分かってる。で、何だって?」
 美和は真剣に真を見つめた。真は怪訝そうに美和を見つめていた。思わず、電話を盗み聞きしていたことへの後ろめたさよりも、その姿を見てしまったときの小さな衝撃が言葉になってしまった。
「恋人同士の、電話だよ」
 真はまだ美和を見つめていた。
「電話?」

 確かめるように真が呟くのを美和の方も見つめていた。その碧のかかった黒い瞳の色には、見るものを自ずと惹きつけてしまう色気がある。じっと見つめると、写真集で見たとおり、右の目のほうが碧の色が強い。そしてその奥に、あの喫茶店で垣間見た、強烈に絡みつくような際どい媚を見つけることは、難しいことではなかった。
 この目で大家さんを見つめるのだ。
 いくら大和竹流が場慣れしていても、こんなのはたまらないだろう。この目に自分だけを映させ、この唇に自分のものだけを銜えさせ、その身体の中心に自分のものだけを刻みつけ覚えさせたい。自分の中心をその腹の奥に十分に与え、その口からもっと欲しいと甘えるような喘ぎを涎のように垂れ流させたい。支配欲の強い男であれば、絶対にそういう欲求を覚えずにはいられないはずだし、美和の見る限り、大和竹流という男は独占欲や支配欲が強いタイプに見えた。それどころか、真のほうも、明らかに大和竹流に対して、自分の中のもっとも大事なものを差し出してもいいと思うくらいの媚を振りまいているはずだ。だが、もしも、仁の言うとおり、一度でもそういう事になっていながら、そして今ベッドで隣に眠っているのを見ながら、時にはすがりつくように甘えてくるのをかわしながら、その欲求を抑え込むというのは、一体どういう事情で、どれほどの精神力なのだろう。

 勿論、美和の想像力が大仰に働いていることも否定はできない。さっきまで何とかやり過ごそうと思っていた自分自身の感情が、またも思わぬ方向に転がっていく気配を感じて、美和は思わず、どう思考回路を切り替えようかと、一瞬の間にこれまでの全ての経験をひっくり返さなければならなかった。
「なんちゃって。これも妄想よ。夜中に電話かかってきたの、大家さんでしょ」
 ここで煮詰まっても仕方がないと美和は思って、ころっとムードを変えて明るい調子で言った。冗談にしておいたほうがよさそうだと、とっさにそう思った。
「先生、泣きそうに見えたし、何か遠距離恋愛の恋人同士みたいな電話だったよ。会いたいのに会えない、みたいな。ご飯食べたら会いに行っていいですよ。でも、食べれる?」

 最後の質問が終わらないうちに、突然美和は真に抱き締められ、予想外のことにびっくりした。
 真の身体から僅かな発酵したアルコールの甘い匂いがした。
「先生」 
 呼びかけたが返事はなかった。代わりに、真は美和を少し離して両手で顔を包むようにキスをしてきた。美和には、それが本心を隠したいための行動に思えたが、真が舌を口に入れてきたときには、やはり身体が昨日の事を思い出して自然に応えていた。
 随分長い時間キスをしてから、真は額をくっつけたまま唇を離した。美和は離れる真の唇を追いかけかかって、止まった。真の両手が随分と優しく美和の頬を包んでいる。だが、その指先は血が巡っていないかのように冷たかった。
「美和ちゃん、俺は」
 美和はその先がどっちの内容であっても、聞いてはならないような気がした。
「先生、昨夜すごく良かったよ。恥ずかしいくらい濡れちゃった。ね、私はどうだった? やっぱり深雪さんの方がいい?」

 こんなことを言いたいわけではなかったが、自分が言い出したとはいえ、今あの男の話は聞きたくないと思った。真は何を察したのか、言いかけた言葉の先は続けなかった。代わりに、また美和の唇を優しく吸い、軽く音を立てるキスをしてきた。
「すごく良かったよ。愛おしいと、思った」
 その返事の後半を聞いた時には、美和は泣きそうな気持ちになって、真に抱きついた。真の言葉は嘘ではないだろうが、美和は、自分たちがしたことがこの男の気持ちを追い詰めないかと思って心配になった。
 それから随分長い間抱き締めあっていた。
 もしも、多分そういう周期ではないので大丈夫だろうが、子供ができたとして、北条仁が許してくれたとして、その先はどうなのだろう。この人は、本当に私のものになる?

 美和が自分の胸のうちに問いかけた瞬間、電話が鳴った。
 真は暫く動かなかったが、ゆっくり美和から離れると立ち上がる。美和は真が受話器を上げるのを見て、急に別の次元に行ってしまったように感じた。
「はい、大和ですが」
 同居人の苗字を当たり前に名乗っている後姿を、美和は取り残されたような気分で見つめた。
「いえ、どういう意味ですか?」
 真は向こうが話すのを確認するように聞いている。美和はその背中が徐々に緊張していく気配を感じた。
「誰も、見かけてないという意味ですか。いつから? いえ、ここには」
 真の声はいつもより擦れていた。酒のせいなのだろうが、その分切羽詰って聞こえてくる。
「分かりました、すぐに行きます」
 真は受話器を置いて、寝室に行ってしまった。出てきたときには着替えていて、美和の顔を見て、一瞬何か言いかけてとどまった。美和は問いかけた。
「病院?」
 真は弾かれたように頷いた。
「どうしたの?」
「竹流の、姿がないらしい。とにかく、行ってくる」
「え?」
 美和はどう返事していいのか、しばらく真を見つめたままだったが、出て行く真を追いかけて玄関まで行った。靴を履いてから、真は美和を振り返った。
「美和ちゃん、ちょっと澤田の経歴を調べてくれないか。それから、もし事務所に竹流から連絡があったら」
 真は一瞬躊躇ったようだったが、意を決してその先を続けたように見えた。
「俺がつかまらなかったら、二丁目の『葵』というバーのママに知らせてくれ。どこか机の引き出しにマッチがあったと思う。頼んだよ」
 先生、二日酔いは? と問いかける言葉を聞きもせず、真は飛び出していった。 
 美和は暫く玄関でぼーっとしていたが、急に気を取り直して出掛ける準備を始めた。



さて、いちゃついている間に何だかとんでもないことが起こっていたようで…
次回第5章『誰も信じるな』、お楽しみください。
ちなみに、この章題には出所があります…Xファイルのモルダーの部屋に貼ってあるポスター。
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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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[雨32] 第4章 同居人の失踪(3) 

*さて、これはラブシーンと納得していただけるかどうか…真夜中の電話。
 電話を盗み聞きしているような気持ちで読んでいただけると嬉しいです(実際に、美和ちゃんが盗み聞き^^;)




「随分飲んだんじゃないのか。すごい声になってるぞ」
 答えが出てこない。口を開いたら、さっきまで考えていたことの奥にある大事な何かが、そのまま零れ出てしまうような気がした。
「見張ってたのか」
「何を?」
「俺を。随分タイミングよく電話を掛けてくるじゃないか。もしかしたら帰ってこなかったかもしれないのに」
 話しながら真は、自分は何を言っているのかと思った。
「馬鹿を言うな。帰ったら美和ちゃんに泣きつかれただろう。随分な剣幕だったからな」
「それで、俺がここへ帰り着いて、彼女を慰める時間まで計算してたってわけか」

 竹流が少しの間向こうで躊躇しているように感じた。この小さな間が、永遠のように苦く感じるのは何故なのだろう。答えた竹流の声は穏やかで、どこか哀しげにも聞こえる。
 考えてみれば、捨て台詞を吐いて別れたきりだったのだ。
「そういうことにしてもいい」
「それで、あんたは俺に深雪を見張らせていたのか。それとも深雪に俺を見張らせていたのか」
「何のことだ」
「あんたと深雪の関係は何だ? 澤田とは?」
 真は自分でも何を言っているのかわかっていなかった。半分は澤田を問い詰めなかった後悔だった。半分は、あんな状態になっているのに、何も話してくれない同居人への怒りだった。

 怒り、というよりも半分は悲しみのようなものかもしれない。どうせ自分は、彼にとっては何の役にも立たない、少なくとも彼が自分に与えてくれていることの一割も返すことができないままでいる。
 竹流は多分、この真の問いかけに対して、無視してしまうか茶化してしまうに違いない、そう思っていた。対等の立場で語り合うことは難しいし、特に話題が、彼が触れてほしくない部分に及べば、まともな答えが返ってくるとは思い難かった。
 だが意外なことに、その問いかけに対して電話の向こうで同居人は押し黙っていた。
 真はその沈黙の間に、ますます混乱してきていた。なぜ頼ってくれないのかと情けなく思う気持ちと、あの病院の屋上で別れた時の怒りと苛立ちが咽喉元まで突き上げてくる。結局、やはり酔っているのだ。

「澤田に、自分の下で働かないかと言われたのか」
 長い沈黙の後、竹流が電話の向こうから穏やかな声で問いかけてきた。
 どういうことなのだろう。どうして竹流はそんなことを知っている? 知らないまでも、澤田がそんな申し出をすると予想できたというのだろう。頭の中がぐるぐると回って収拾がつかなくなっていた。
「よく知っているな」
「俺が奴の立場なら言うかもしれないと思っただけだ。それで、何と返事をした?」
 断った、と言いかけて、ちょっとばかり腹が立ってきたので曖昧な言い方をした。
「考えさせてくれと言った」
「そうか」
 だが、それに対しても竹流はあまりにもあっさりと返事をして、また長い間黙った。電話のことなので、長い間といってもそれほどでもなかったのかもしれない。
 真はその間を、何とも言葉を継ぐことができずに黙っていた。

「……お前、俺のところに来るか」
 突然、竹流がいつもと変わらない穏やかな声で言った。
 あまりにも予想外で唐突だったので、酔っている真の頭は、『会いたい』と言われているのだと誤解した。いや、会いたいと言って欲しいと思っていただけなのかもしれない。
「俺、酔ってるし、運転できない」
「馬鹿だな、そういう意味じゃない」
 じゃあ何だ、と言いかけて真は口をつぐんだ。これは、つまりある特異な申し入れなのだ。澤田と同じような言い方をすれば、自分のところで働かないか、というような。
「お前に、どんな形であれ、俺のような人間がすることに、あるいは将来しなければならないことに関わらせるつもりはないと、そう思ってきた。だが、お前がそれでは耐えられないというなら、俺のところに来い」

 何を動揺しているんだ、と真は自分に言い聞かせた。そして、自分が本当に酔っているのか確かめようと、部屋の壁に架かる遺跡の絵を見つめた。それは多分シチリアのどこかにあるギリシャ時代の遺跡だろう。揺らいでいるのは思い出や懐かしさのせいではない、きっとやはりただ酔っているのだ。
 竹流の声は恋人に囁くように甘い。遠い昔、何度も耳元で聞いたはずのこのハイバリトンの甘い声に、真は女のように酔いそうな気分になって、受話器を持ったまま壁に背を預けて座り込んだ。
 だが、もう今更、女や子供のように扱われるのは真っ平だった。
「酔ってるんで、考えられない」
 半分は本当だった。頭の中は既に廻っていたし、幾分か気分も悪かった。
「それに、またあんな訳の分からないところについて行くのは御免だけど」
「訳のわからないところ?」聞き返して、竹流が少し笑ったように思った。「サウジに行った時のことか? だが、お前のお蔭であの時は助かったと、あれからアリがえらく感謝していたけどな」

 誰のことだかよく覚えていないが、多分あの時一緒に行動していたアラブ人のトレジャーハンターがそういう名前だったかもしれない。あの時は生きるか死ぬかのぎりぎりのスリルを何回も潜り抜ける破目になったし、確かに、裸馬さえ乗りこなせる自分の特技が、彼らの危機を救ったことは真も自覚している。
 あの時は、竹流の本当の仕事に疑問を感じていた真が、丁度行きたくなかった高校の修学旅行をサボって、竹流を脅すようにしてついていったのだ。いや、実際はただ何とかして傍にいたかったのかもしれない。
「いつもあんなことしてるんだろう。映画じゃないんだから、必ず助かるとは思えない」
「だから、一緒にいたいんじゃないのか」
 真はそういうことだ、と思ってはいた。素直にそうだ、とは言えなかったが。
「俺は、あんたの女たちとは違う」
「当たり前だ。女は連れて行かない」

 真はまた黙り込んだ。気分が悪くなってきた。この電話が切れてくれなければいいと、ただそう思っていた。向こうで竹流も黙っていた。
 どこから電話してるんだろうと、病院の中の光景を想像した。病室を出て、廊下の先の大きな窓が並んだ明るいロビーだろうか。あの窓から竹流は今どんな景色を見つめているのか。
 シロカニペ ランラン ピシュカン
 目を閉じると銀の雫の降る音が聞こえてくるようだった。言葉にならない想いは、心の中でどんどん重みを増していく。滴る雫にもならず、ただ地球の中心に向かって重力の命令のまま、果てしなく深く潜っていく。
 明らかに身体の奥深くで震えるような重みを感じながら、これではまるで恋人の電話を切りたくない女子高生みたいだと思った。全て酔っているせいだと思いたかった。
 あるいは、久しぶりに声を聞いた親からの電話も、こういう気持ちになるものなのかもしれない。
 親と電話で話す、という状況は真には想像の榧の外だった。実際に父親と電話で話したことがないわけではないし、親子と名乗りあって語らうというわけではなかったが、たまに日本に彼が帰ってくるときに会うこともあった。何年かに一度程度で、恐らく真の二十七年の人生のうちでも、片手で数えられるくらいのことだ。だが、懐かしいとも恋しいとも思ったことがない。
 そう思える土台が、あの父と自分の間に無いのだろう。
 真にとって親と言える誰かがいるとすれば、幼少の時は祖父と叔父が、その後は伯父と、そしてこの男だった。その中で全くの他人である同居人は、血の繋がりもないのに、何故何の見返りもなくずっと真を庇い続けてくれていたのだろう。

「真、お前、ちゃんと上、着てるか? また熱を出すぞ。それから、登紀恵さんがレモンを持ってきてくれてただろう? 切るくらいできるだろう」
 同居人はくどくどと二日酔いの対策について一演説ぶって、真は時々相槌を打ちながらそれを聞いていた。聞いていたのは彼の声だけで、クエン酸がどうだのという内容はほとんど理解できていなかったが、そんなことはどうでもよかった。何となく何かが不安で、たまらなくこの声が愛おしく、ただこの電話を切りたくなかった。
「さっきの話だがな、急いで答えを出す必要はない。それに、いずれにしてもこの件が終わってからのことだ。それから、澤田も、他の誰でも、お前の利用価値を知っている。お前の遺伝子の値打ちと、おまえ自身の値打ちと。だから」
 竹流は暫く言葉を選んだようだった。
「誰も、信じるな」
 真の頭の中で、何か特殊なものが弾けた。

 それから、今度こそ随分と長い間、二人ともが黙っていた。こんなときに、電話線だけは随分と儚く頼りなく、それでも何かを繋いでいるように思えた。耳元に伝わってくる振動で相手の感情が解ればいいのに、と何度も思う。
 背中の壁の冷たさが不意に身体の芯にまで伝わるような気がした。
「雨だな」
 その儚い電話線の向こうで同居人が呟くように言った。このマンションの居間からは、ブラインドを下ろしてしまえば、廊下ともう一枚のガラスの向こうの外の気配は分からなかった。竹流は病院のロビーの大きな窓の並びから外を見つめているのだろう。
 真は自分が静かなコンクリートの箱の中に座っていて、その箱に銀の滴が降り注ぎ、雫は僅かな隙間から零れ出し、やがて穏やかな湿度が身体に滲みこんでくるのを感じた。竹流もまた、別の箱の中で静かに立っていて、銀の滴を感じているだろう。

「もう、切るぞ」
 うん、と返事をしたつもりだが、声が相手に届いていたかどうかは分からなかった。しばらくの沈黙の間に、恋しい気持ちが身体の中心から湧き上ってくるような気がした。
「そっちが切れよ」
 やがて同居人が優しげなハイバリトンの声で、囁くように言った。
 十代の恋人同士の電話じゃないのだし、そっちが切れ、と真は思った。それから、彼も電話を切りたくないのだと思った。わけもなく、泣きたいような心地だった。黙っていると、突然名前を呼ばれる。
「真」

 本当のところ、座り込んだところから立ち上がることも、腕を伸ばして受話器を置くこともできないような気分だった。ただ名前を呼ばれた不意打ちに、思わず言葉を捜した。
「明日、午前中にはそっちに行くよ」
 言葉は何でもよかった。向こうで同居人は暫く黙っていたが、あぁと短く返事をした。
「何かいるものは?」
「いや、別に何も。お前が来てくれるなら、それでいい」
 そう言ってからきりが無いとでも思ったのか、同居人はじゃあなと言って電話を切った。

 真はそれでもそれから長い間、受話器を持ったまましゃがみこんでいた。酔っているな、と思った。考えのまとまらない頭の中で、今何時だろうと思った。この空間に自分ひとりなら、時間など気にもせず迷わず今会いに行ったかもしれない。
 だが、電話を切って間もないのに会いたいと思うなどと、女のようだと思って直ぐに打ち消した。不意に、また穏やかなサテンのシーツに包まれる感覚が肌に蘇り、不思議な油絵具の匂いが嗅覚の中に浮き上がってきた。降りしきっていた銀の滴は薬指のリングに結晶し、真の肌に触れた。真は振り切るように立ち上がり、ようやく受話器を置いた。
 それから、真はのったりと部屋を見回し、ソファの方に回って、帰ってきたときに脱ぎ散らかした上着とネクタイとベルト、それから靴下を片付けて、ガウンの紐を結んでから、ソファに座ってテーブルの上の煙草を取り上げた。
 そうとも思ってはいなかったが、ライターをつけようとして自分の手が震えていることに気が付いた。
 この時何故美和を置いてでも会いに行かなかったのか、後から真はどれほど後悔したか知れなかった。


* * *

 目を覚ましたのは、電話の音よりも、隣の居間にいる男の気配のためだった。
 美和はしばらくの間、途切れ途切れの話し声を、聞いてはいけないものを耳にしてしまったような気持ちで、随分遠くの音として留め置いていた。それでも気になって身体を起こし、開いたままの居間の扉のほうに行って、その陰からやはり薄暗いままの居間の様子を隠れるように覗いた。
 さっき身体を重ねたばかりの男は、今全く別の次元にいる生き物のようだった。
 受話器を持ったまま床に座り込んで壁に凭れ、その男は電話の向こうの誰かに見えもしないのに相槌を打っているように見えた。その上、泣いているようにさえ見えた。

 美和は思わず唇を噛み締めた。
 そういうことは分かっていた、と思った。
 どれほど関係を否定されても、上司である真とその同居人の間柄は親密以上のものだった。それが単純に恋人同士の関係には思えないが、それだけにもっと悪かった。美和の恋人の北条仁は、女の方が好きだと言いつつ、世間にもバイセクシュアルであることを公にして憚らなかったが、時々美和に解説することがある。
 男同士の関係は長続きしない、と。
 それは単に肉体的な繋がりの難しさを言っているのか、法的に守られないからか、世間的に理解を得られないと思われているからか、いずれにしても自然の摂理から外れた関係を続けることは困難なのだろうと美和も思っていた。いや結局は、男女であっても肉体的な繋がりだけでは長続きしないということなのかもしれないし、それ以上に、男性同士は愛しいという感情を相手に抱きにくいものなのかもしれない。男女なら、肉体的な強い欲求が消えても、家族への義務的で自然摂理にも見合った愛情や、社会的な枠組みが守ってくれる。
 だが、目の前にいる真と同居人はまるで気配が違う。

 二人が恋人に見えるか、兄弟に見えるか、親子に見えるか、と問われたら、内情を知っていれば、実際最も近いのは親子ではないかと思えた。真の同居人は真を時々子供のように扱っているし、普段は反抗的なことを言いながらも真の方もそれに甘えている気配が見えないわけではない。年も十歳近く離れているようだし、ちらりと聞いた話では、真が子どもの頃勉強の面倒を見てくれていたのはその同居人だったという。つまり、真にとって、子供時代、もしくは最も多感な思春期の人格形成の一時期を、ほとんど全てあの同居人に預けていたのだろう。
 その上で、もしも仁の言うとおりなら、恋人同士であってもおかしくない距離にいる。
 他人の恋愛事情として妄想だと言いながら突っ込んだが、本当は事実に近かったのかもしれない。何かの拍子に驚くほど近い身体と身体の距離は、一度も関係を持たなかった人間にはあり得ない距離だと、仁が言っている通りに思えた。むしろ、実際には肉体的な関係を辞めてしまったのに、身体も心も尚更相手を求めているような、そんな気配だった。

 美和はそっとベッドに戻った。
 さっき狂うほどに求め合ったばかりだ。今もまだ、真が自分の中で果てた時の気配と拍動を、身体の芯が覚えていて疼いていた。美和の内側は真が中に出したものを、一滴も零したくないように収縮して飲み込もうとしていた。意識してのことではなかったが、衝動にしても心からこの男の子供を身籠ってもいいと思った。その欲求が性的な結びつきの快楽と切り離せないことも感じた。

 恋人である北条仁には、確かに男女問わずに相手がいる。任侠の世界に生きている男は比較的女関係には堅いと聞いていたが、仁はむしろ粋で遊びを楽しむタイプの人間だった。だが、遊びは派手だと噂されていた割には、美和に対して無謀な振舞いをしない。
 美和も郷里の山口で付き合っていた相手がいなかったわけではない。真には偉そうに言ったが、修学旅行でも、それ以外での友達とのおしゃべりの中でも、男女の恋愛については耳年増になるばかりで、実際に初めてちゃんとセックスをしたのは東京に出てきてからで、相手は北条仁だった。今でもその行為に完全に慣れたというわけではない。感じる、ということはちゃんとできていると思っていたが、どこかでいつも何かが引っ掛かっていて、昇り詰めるという次元にまではいっていなかった気がした。本当のところ、『いった』のは今日が初めてなのだ。そして、頭の芯が痺れ、子宮も腟も痙攣し続けるような感覚に、初めてこれが絶頂なのだと知った。子どもを産む痛みに女が耐えることができて、それでもまたセックスをしたいと思うのはこの快感が女にだけ与えられているからだとも、女は男よりも七倍は気持ちいいのだとかいうのも、会話の中では楽しんでいたが、実際に自分の身体で感じたのは初めてだった。
 北条仁は、美和の初めての相手が自分であることを知っていて、時々ベッドの中で、他の男とも寝てみたほうがいい、と勧めた。冗談なのか本気なのかよくわからなかった。具体的に誰、と言われたわけではない。もっとも、ベッドの中では仁と他にも色々な話をする。行為そのものよりも、話をするほうに時間を使っている。それはとても楽しく、不思議なことに暖かい時間だった。
 多分、北条仁は状況をしっかり理解しているのだ。それはつまり、この状況で万が一にも美和が子供を生むということになれば、美和自身にも美和の家族にも北条一家としても簡単な話ではないことを、いかにも勝手で強く自信家の男がけじめをつけたがっているということだった。それは仁が自分を大事にしてくれているからだということは、よく分かっていた。だが、快楽というものは、そういう理屈を重ねると薄れるものかもしれない。

 だが、万が一自分と真が恋人になって、その上で真とその同居人の関係を許容できるだろうか。自信がなかった。自分の恋人が身体で他の誰かを求めている事も許せないが、それよりも心で他の誰かを求めているとしたら、それはとんでもなく重いことのように思う。
 仁さんは他の男と寝てもいいって言うけど、そんな簡単なことじゃないわ。
 美和は恋人の言い分がやはり納得できなかった。
 仁の言うとおり、ちゃんと付き合っている相手がいて、その相手に許されて他の誰かと寝ることは、ある種類の人間からは羨ましいとさえ思われている。だが実際にしてみると、ややこしくてやってられないと思った。
 本当の恋人との行為のほうがずっと良くて、それを思い出してしまってもややこしい。逆に刹那の恋人との行為のほうが良くて、離れられなくなってもややこしい。
 身近な相手を選ぶんじゃなかったな、と思った。顔を合わせるということは、離れにくいということだ。

 真は寝室に戻ってくる気配はなかった。夜を他人と一緒に過ごせないと言っていたし、女の人のところに泊まってくることもないと話していた。あくまでも、真にとって大和竹流という男は別格なのだ。
 まぁ、でも考えても仕方がないか、と思い直した。
 大体、真と同居人の関係は始めからわかっていた話だ。そこに割り込もうと思っているわけでもない。
 あんなに切ない顔をされるのは、ちょっと意外だけど。
 美和は布団に深く潜りなおした。お尻がいくらか冷たいのは、きっと自分がかなり濡れていた跡のためだろう。本当にびっくりするくらい濡れちゃったな、と思った。感情はともかく、関係を続けるのは悪くないかもしれないが、そういう割り切りが自分にできるかどうか、やはりわからない。
 裸のまま布団に包まっているのは、結構気持ちが良かった。とにかく眠ってしまおうと思った。





次回、第4章最終回です。今回は短かった。
美和ちゃんの回想(真と初めて出会った時の…)あり、その中には真の意外な顔が…お楽しみに(^^)

Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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[雨31] 第4章 同居人の失踪(2) 18禁 

18禁です。ご注意ください。
…でも本音では、大したことないんですけど…逆に期待しないでね…と言う気持ち^^; こういうシーンを楽しむために書いたわけではなく、美和ちゃんとの気持ちの行き来の延長として、会話込みでお楽しみいただければ。
ついでに、これまでこういうシーンを『具体的に』書いたことがなかったのです…つまり、シナリオで言うと、ト書きみたいな感じで、「そして二人はベッドに行く」程度の言葉で書き、翌日「寝乱れたシーツから体を引き離し、ベッドの下のスリッパを探る」みたいな言葉が出てきて、はい、おしまい。
…そういうのしか書かなかったので、ちょっと気合入れたら玉砕したという。その時の参考文献…エッチなシーンに使われる局所や行為を示す単語のあれこれ、というテーマの本を読んで、びっくり! うわぁ、エッチ小説書く人って大変だぁ、と思い、自分にはその想像力がないことが分かりました。考えてみたら、人類、どころか動物がみんなやっている普遍的でなんの変哲もないシーンを、ひたすら手を変え品変え書くわけで、飽きが来ないようにアレンジする能力は半端ではないと思ったのです。と言うことで、官能小説家さんたちをすごく尊敬するに至りました。…つまり、何がいいたいのかと言うと…18禁という言葉に期待しないでくださいね、ということでして。
*風邪をひいてしまい、頭がぼんやりとしていて、更新が遅れてしまいました。咳が止まりません…でも、仕事に行かなくちゃ。
(個人的に、夕さんにごめんなさい^^;)
*実は、ちょっと書き直そうかと思っていたのですが、うん…まぁ、いいか、とそのまま出すことにしました。結局、流れの中で書いているので、ここだけ変えてもなぁ、と。




 マンションの玄関のドアを開けて、薄暗い明かりの中をぼんやりとした足取りのまま靴を脱いで上がり、そのまま右手に折れた廊下を歩いて突き当たりのドアを開け、上着を脱いでソファに放り出した。体がスローモーションのようにだるく、重く動いているのを感じる。
半分で澤田という男が意外にもいい人間だったと思い、半分で何か別のことにかっかしていた。
 それが何だかわからない。真はネクタイを解いて、靴下まで脱いでその辺に放ると、ついでにスラックスのベルトも引き抜いた。それから上着の内ポケットを探って煙草を探し当てると、テーブルの上のライターで火をつけようとした。

 その瞬間に、隣の寝室からの続き扉がものすごい勢いで開いて、美和が飛び込んできた。
「先生!」
 押し殺した悲鳴のように美和は叫んだ。
「……何だ、どうした?」
 思わず咥えた煙草を落としてしまった。あまりの美和の気配に、真は彼女に何事かあったのかと思った。美和はソファを廻って、そのまま躊躇いもなく真の腕に飛び込んでくる。
「何かあったのか」
 美和は顔を上げて真を真正面から見た。真剣な思いつめた表情に、真のほうは酔いも吹っ飛びそうだった。
「何かあったのは先生でしょ。澤田顕一郎に何かされなかった?」
「何かって……」
 真は美和が何を誤解していたのか分かって、ようやく少し笑った。
「夕食をご馳走になっていただけだ」
「それだけ?」
「そう」
「嘘」
「嘘じゃない。そんなに悪い人には見えなかったよ。君の言うとおりだ」
「香野深雪のことじゃなかったの?」真は頷いた。美和は必死、という表情で言葉を繋いでいた。「先生を抱きこもうって話でも? 添島刑事が言ってたみたいな」
「彼のところで働かないかとは言われたよ。勿論、断ったけどね」
「苛められなかったの?」
「苛めるって、そういう話じゃないよ。澤田が君の思っているような悪人なら、ここに帰ってきてないと思わないか?」

 美和はようやく安心したのか、やっと真に抱きついていることに気が付いたようで、顔を赤らめて手をぱっと離した。そして俯いて小さな声で言う。
「心配したの」
「悪かった」
「さぶちゃんと賢ちゃんにあとをつけさせたの」
「あぁ、知ってる」
「帰れって言ったの、先生?」
「俺だ」
「ごめんね」
 真は思わず彼女のポニーテールを外した髪を引き寄せるように撫でた。
「何を言う。心配してくれて有難う」
 美和は少し真のほうへ体重を預けた。それから彼女は顔を上げ、ほっとしたように笑った。
「先生、お酒臭いよ。酔ってるでしょ」
「いや、自分でもこんなに飲めるとは思っていなかった。結構しらふだ」
「ほんと?」

 不意に彼女のその感情を隠さない真っ直ぐな心が愛しいと思えた。時々訳の分からないところへ一人で走っていってしまうが、そのよく表情を変える瞳も、決して裏表を感じさせない感情表現も、愛おしいものに思えた。
 確かに、葉子に似ているのだ。それは性格や外見の事ではない。
 自分を真っ直ぐに見つめてくる瞳、その明るい気配、少なくとも真が騎士になろうと思ったそのこと自体が、他の誰にでも抱けるような感情ではなかった。
 葉子が常に自分に、兄に対してではない感情を抱いていたのは知っていた。いや、それは真の方だ。本当の兄妹ではないのだから、告白さえしていれば他人の妻になることはなかったのだろう。
 お兄ちゃん、あの時から私には夢があったの。お兄ちゃんのお嫁さんになりたかった。
 彼女が嫁ぐ前の日に真の前に座り、あの誰よりも愛おしい声で言った言葉は、今でも耳の奥に残っている。

 何故急にそんなことを思い出したのかはともかく、真は、今目の前で美和が微笑んで、小さな声でやっぱり酔ってると言った、その桜色の唇が動くのを最後まで見届けてから、今度はそれを逃がしたくないと思って自分の唇で捕まえていた。
 美和はさすがに一瞬びっくりしたようだったが、すぐにそれに応えるように真の唇に吸い付いてきた。気が付くと、お互い夢中になって相手を求めていた。一瞬唇が離れた時、美和が俯いた。それをそのまま唇で追いかけると、美和が確かめるように言った。
「酔った勢いっていうのはいや」
「酔ってないよ」
「嘘。先生、目が据わってるもの。明日になったら、俺何かした? とか聞くんでしょ」
「まさか、ちゃんと覚えてるよ」
 もう一度求めると、今度は美和は逃げなかった。頭の隅で真はやっぱり酔ってるな、と思っていた。言葉は中途半端にしても、正面切って女の子に抱きたいという意思を伝えたのは初めてだった。
「明日、覚えてないなんて言ったら殴るから」
 美和は真が酔っていることを心配しているわけではないようで、真剣に拒否をしているというよりも、どこかでこの状況を楽しんでいるように見えた。真が美和を抱き上げると、彼女はびっくりして叫んで少し手足をばたばたした。そのまま美和がさっき勢いよく開けた寝室へのドアをくぐって、ダブルベッドの上に二人一緒に倒れこんだ。

「やっぱり酔ってる」
「分かった、酔ってる。でもちゃんと分かってる」
 真がそう言うと、美和のほうは暫く確認するように真の顔を見つめていた。そしてそのまま、彼女は真の首の後ろに両手を廻した。
 今度は長いキスだった。
 美和に恋人がいることも、その男に自分がいく分かの恩義があることもちゃんと頭では分かっていた。だが今、突然に抱きたいという衝動に駆られたのが事実だとしても、誰でもよかったわけではない。
 美和だからだ、と思っていた。自分のものが既に熱くなっているのは分かっていたが、深雪を相手にしているときのように、とにかく直ぐにそれを彼女の中に埋めたいとは思わなかった。十分にこうして愛おしく可愛がってキスをしていたいと思っていた。
 葉子にはできなかったことだった。もちろん、昔も今も彼女にそうしたいと思っているわけではなかった。葉子はいつまでも大事な姫君で、そのことは永遠に変わらない。だからと言って、美和が葉子の代わりとは思っていない。

 美和のTシャツの下から手を忍ばせると、彼女の肌が冷やりとして気持ちがよかった。そのまま何もつけていない乳房に触れると、少し緊張した美和が唇から逃げようとする。真はそれを追いかけて捕まえ、また舌を絡ませた。指の間で美和の乳首がつんと立つ。じれったいように美和がTシャツを脱いでしまおうとするのを止めて、なおゆっくりと手掌と指で愛撫を続けた。
 唇は美和の柔らかい耳を弄びながら、手はずっと彼女の胸を愛撫している。手の中で美和の昂ぶりが分かるようで、それをいつまでも可愛がっていたいと思った。そのうち真が美和のTシャツを脱がせると、彼女もゆっくりと真のシャツのボタンを外していく。遠慮している気配はなかった。
 美和の乳房は、見慣れている深雪のものとは全く違う。乳首も小さく、まだ子供のようだった。真はそれを口に含んで、始めは舌で転がすように、それから歯を立てて彼女が拒否しないのを随分長く確かめてから強く噛むようにした。美和は小さく声を上げたが、逃げなかった。むしろ真の背に廻した腕でさらに強く真を抱き寄せた。美和のショートパンツを下着ごとずらして脱がせてしまって、その薄めの繁みへ口づけたときも、美和はもうそのつもりだったのか、自分から腰を上げて脱がせやすいようにしてくれたし、先生もちゃんと脱いで、と要求してきた。
 真は一瞬躊躇ったが、そのままシャツもスラックスも下着も脱いだ。その真の体を見て、さすがに美和はちょっと驚いたようだった。

 けれども、その反応は以前りぃさが真に向けたものとは全く異なっていた。
「ハードボイルドの主人公並みだけど、どうしたの」
 真は何故か少しほっとしていた。
「昔、崖から落ちて死に掛かった、その時の傷やら手術の瘢やら」
「いつ?」
「大学に入った年の秋、かな」
「どうして? 常識的な生活してたら崖から落ちないでしょ、普通」
「覚えてないんだ、馬に乗って走ってたことしか」
 デジャヴのように、同じ言葉をりぃさに言った時の事をおぼろげに思い出す。真は僅かに何かに緊張している自分を感じていた。
「事故?」
「だろうな」
「意識が吹っ飛んでたってこと?」
「医者曰く、逆行性健忘だって」
「それって、いつかは思い出すの?」
「どうだろう」
 美和は、真を促すように仰向けにさせると、その上に覆いかぶさるようにして、いつかりぃさがしたように真の傷に触れ、口づけた。けれどもその口付けは温かく、まるで今からでも傷の痛みを吸い取ろうとするようで、慈しむように優しかった。これは美和であって、りぃさではない。りぃさのように、真を死の淵へ連れて行くようなことは決してないだろう。
「古傷って、痛むでしょ」
「そうでもない」

 美和は傷に触れ、それからゆっくりと真自身の昂りに手を添えた。それはずっと硬くなったままだったが、妙なことに焦りはなかった。始めは多少躊躇っていた美和が、指に力を入れてしっかり握ってくる。そして傷に触れるのと同じようにキスをして、緊張しきった先端を軽く口に含んで吸った。
「先生って着痩せするんだ。知らなかった」
 美和の反応は何もかも若々しくて、明るい。
 真が脚を開かせると、美和はさすがに最初だけ少し抵抗したが、真はそれを簡単にねじ伏せてしまうとその茂みの奥に唇で触れ、そのさらに奥へ舌を差し入れた。もう彼女は溢れるほどに濡れていて、あまりにも溢れてくるので後ろのほうまで濡れてしまうのを真が舌で追いかけると、さすがに美和もびっくりして脚を閉じようとした。予想していたので、それを押さえつけてしまい、後ろの方も舌で襞を確かめるように舐めてゆく。
「ずっと、濡れてたの。先生が帰ってきて顔を見たときから」
 そう言って美和は息を吐き出した。真は美和の手を自分のものへ導き、美和はそれを彼女自身のほうへ探らせるようにして、さらに脚を開いて真がやりやすいようにしてくれた。十分に先端だけを濡らすようにして何度も出入りを繰り返し、美和の反応をいちいち確かめながら、少しずつ奥へ入っていく。入口はともかくも、そうしなければ簡単には奥まで行き着けないように狭く、締め付けてくるようで気持ちがよかったこともあるが、このまま直ぐに奥の奥まで味わってしまうのは勿体ないような気さえした。

 真があまりにもゆっくりと焦らすようにするので、美和は急かすように腰を突き上げてくる。真が意地悪をするように引くと、美和の表情がむくれたようになった。その可愛らしい口から何か卑猥な言葉を引きだしてみたくなって問いかける。
「どうしたの」
「……深雪さん、いつもいいって言う?」
 思わぬ言葉に真のほうが驚く。
「いきなり、どうしたんだ」
「ちょっと気になったの。続けていいよ」
 ふてくされたようにそっぽを向くのを、真は軽く戻して唇にキスをした。
「深雪のことを気にすることはないだろう」
「だって、プロだもん」
「プロ? まさか、そりゃ君よりは場数を踏んでいるだろうけど、別にそれで金を取っているわけじゃない」
「でもいいんでしょ」
「それは今、関係ないだろう」
「私もそう思うわ。でも、気にしちゃう」
 真は半分まで美和の中に収まっていた自分のものをさらに奥へ入れる。美和はきゅっと目をつぶった。
「美和ちゃん」
「何よ」
「普通ね、女の子はこういう状態でそんなにしゃべらない」
「普通じゃないもん」

 本当に愛しいと思った。真は美和の脚を抱えるようにして、最後は少し勢いをつけて彼女の一番奥まで突いた。締め付けてくる美和の内側は、まだ少女のもののように狭く感じた。深雪の中のように襞がまとわりついて締め付けるたまらない気配はなく、ただ懸命に自分を受け入れてくれているようで、愛しい気持ちは募った。北条仁と関係を重ねているだろうに、随分と幼く感じる。
 それでも何度も繰り返し奥まで動いていると、少しずつ広がっていくように思った。そのまま美和を抱きかかえるようにして、真は座る姿勢になった。美和は脚を開いたまま座った真の上半身に身体を預けた。美和の顔を見ると、額にいくらか汗を滲ませて、唇を半開きにし、それから照れたような優しい目で笑う。
 そう言えば、自分の方も、こんなふうに女の子と会話をしながら抱き合うことを楽しむなんてことは、まるでなかったような気がした。もしかしたら少しばかり、自分と美和の間に運命でもあるのだろうかと誤解もしたくなる。
 そう考えると、この子はなんて可愛いのだろうと思い、その気持ちをどう表そうかと考え、唇を吸った。舌を吸いながら下半身を突き上げると、さすがにこのときばかりは美和も娼婦のようにのけぞって真にしがみついた。美和自身も腰を上下させながら動いて、あまりにも夢中になっていたのか、真のものが彼女の中から吐き出され、彼女の身体が後ろへ倒れそうになるのを真が慌てて抱きとめる。

 美和はもう一度照れたような顔になる。若くて奔放なヤクザの情婦なのだから、もっと場慣れしている娘なのだろうと思っていたが、それは意外な顔だった。
 何かを確かめるような気持ちで後ろを向かせて、もう収拾がつかないほどに濡れている部分へ後ろから攻めようとすると、やはり美和は抵抗した。嫌なのか、と聞くと、後ろからは苦手、と彼女は言った。
 北条仁とどのようなセックスをしているのかと気にしている自分が滑稽だと思いながら、真は美和の抵抗を無視した。脚を開かせてお尻を抱えると半分まで埋まっていたものをさらに奥へつき、美和の抵抗がないことを確認すると、彼女が昇り詰める寸前まで攻め続ける。きつくて気持ち良かったが、美和が震えて逃げようとしたので、さすがにその体勢は長くは続けられなかった。
 大丈夫かと尋ねると、うん、と小さく答える。
 愛しいと思う気持ちが込み上げるままに、もう一度顔を見つめ合いながらさらに心も体も高まっていくのを確認する。それでも、どこかにかすかに理性は残っていた。
 真が一旦彼女の中から出ようとすると、美和が締め付けてくる。
「待ってくれ」
「何」
「ゴム、つけるよ」
 身体を離そうとすると美和の腕が真を抱きとめた。
「美和ちゃん」
 窘めるように真が呼びかけたのを完全に無視して、美和は真を抱き締める。その必死とも思える力に真は少しばかり驚いていた。フェイントを食らった真は逆に美和にベッドに押し付けられる形になり、美和は上になって真を迎え入れた。
「だめだって」
「ここ、いつもそんなもの置いてあるの? 大家さんが使ってて?」
「まさか、あいつ、そんなもの使わないだろう」
「じゃあ先生が使うの?」
「とにかく離せって」
 美和が真を締め付けたまま、一瞬黙りこみ口調を変えて続けた。
「いいよ」
 真はその潤んだ瞳を見つめ返していた。
「このままして」
「だから、それは駄目だ」
「深雪さんの時もつけるの?」
「彼女は子供ができないんだ、だから……」

 美和の目に、一瞬これまでと違う表情が宿った。深雪という同じ女性への同情と、それを利用している男への怒りだったのかもしれない。
「先生の馬鹿」
「分かったよ、じゃあ外に出すから」
「いや」
「いやって、おまえ」
 まるで非難するように美和が真の胸を叩いた。
「できたら責任とってよ」
「責任って……」
「仁さんと決闘してでも、責任とってよ」
 真は暫く黙っていた。後で思い出しても、このとき酔っ払っていたのかしらふだったのか分からない。けれども、このまま美和の気持ちを受け止めてやりたいと思った。
「わかった」
 短くそれだけ言うと、真は身体の位置を入れ替えて、美和の頭を抱きしめると激しく動き始めた。誰かに対する罪悪感は異常な興奮に繋がるような気配がある。美和も同じだったのか、二人で狂ったように動きながら求め合い、腰をぶつけ合って愛し合った。美和が奇妙な声を上げてわめき始めても、真は動きを止めなかった。最後には二人ともがほとんど同時に訳が分からなくなって昇りつめてしまった。
 美和の中に出してしまうと、彼女の中でゆっくり搏動するように嵩りを小さくしていく自分のものの気配をたまらない余韻の中で確認して、まだそれを美和の中に埋めたまま、口付けを交し合った。美和は真を離そうとはせず、その粘膜はまだ痙攣するように真を締め付けていた。

 美和は泣いているようだった。
「どうしたんだ」
「ううん、大丈夫。びっくりしたの」
「何故?」
「すごくよかったの」
 真は唇で美和の唇と舌を吸うようにしながら、その髪を撫でていた。まだ彼女の中に入ったままだったが、心地よくてもう少しの間このままにしておきたい気がした。
「後悔しない?」
「俺が? それとも君が?」
「先生だよ」
「しない」
 真は適当ではなく真実そう思って答えた。
 美和はいつになくまじめな顔で真を見つめ、小さく頷いた。それから、真の背中に腕を回して力を入れた。
 真は黙ったまま美和を抱き返した。

 だが、美和の小さな抵抗を無視して彼女の中から出て、枕もとのティッシュを取って後始末をしているうちに、すっと冷めていく何かが襲い掛かってくるような気がした。
 その感覚に、真自身驚いた。
 真は愛おしい気持ちを片手に抱いたまま、頭ではもう別のことを考え始めていた。美和を可愛いと思う気持ちとは別のところに何か大事なものがあって、思い出したいような忘れていたいような妙な感覚だった。そもそも、深雪を相手にしているときには愛おしいという感情は乏しく、自分が溜まったものを吐き出してしまえば後は素面にもどって当然だったが、今、明らかに愛おしいと思って抱いた女に対しても、全く同じような気分に襲い掛かられたのだ。男が射精してしまえば一気に冷める、というメカニズムは理解していたが、それが今自分の感じているものなのか、というと半分あたっていて、半分ずれていた。
 四六時中、一分の隙もなく、ただずっと抱かれていたいと思った時が確かにあったからだった。そういう感覚を、自分の腹の奥のほうがそのまま記憶している。真は目を閉じて、息を吐き出した。
 それでも美和が背に抱きついてくると、真は当たり前のように抱き返した。

 多少は酔っているのだろうし、きっと明日は二日酔いには違いなかった。いつものように飲みすぎて頭痛がしてこないだけ今日はましだった。だが、冷静になってきて目を閉じるとほんの少し廻っている。考え始めると気持ちが悪くなってきた。
 傍らで美和はうとうとしているようだった。気持ちがよくて眠くなったのだろうと思い、その顔を見つめているとほっとするものがあった。
 美和は本当はどういうつもりだったのだろう。周期的に絶対妊娠することはないと確信していたのか、それとも本気でそうなってもいいと思っていたのか、それともただその時の快楽に酔った衝動だったのか。もし本当にそうなってもいいと思っていたのなら、それは北条仁に対する何かのレジスタンスなのか、あるいはもっと別のものだろうか。
 美和なりに不安なのはよくわかった。北条仁はいい男だが、堅気ではない。彼女も極道の妻になる決意まではできていないだろう。だから自分に乗り換えたのかもしれない。
 そういう見方をするのは、美和に対して酷いことかもしれないが、普通の感覚として理解はできることだった。北条一家が仁の父親の代で家業を畳むつもりでいたことは知っているが、もしもこの先仁が父親の希望通り堅気になったとしても、今までのしのぎの方法を全て放棄することはできないだろう。それに、美和の実家が彼らの関係を了承するわけはない。そういう意味では、真も決して、美和の家族が望む理想的な娘の相手ではないのだろうが、良識の範囲の中には留まっているはずだ。

 嫌なことを考えている、と思った。
 眠っている女の子の顔をこんなにじっと見つめるのは初めてのことだ。その感情のあれこれを、是非の感覚は別にしても、考えているのも初めてだった。それに何よりも自分が、結婚などという現実的な内容を前提に考えを巡らせていることに、真自身は驚いてもいた。
 だが多少冷めた頭の中では、別の部分で澤田顕一郎のことを考えていた。澤田が今日何を言おうとしていたのか、ただ本当に勧誘するだけのつもりだったのか。
 澤田は田安隆三の事を知っていた。それも父親の代わりに学資を出してくれていたという。それどころか、真の実父のことも知っていた。ただ伝聞としてではない、同じ時代に同じ大学で、同じ倶楽部で会話さえ交わした間なのだろう。
 しかも、真の出生時のことを知っている。
 真自身に何の記憶もない、何の感慨も持てない時間と空間を、今日初めて会った、しかも今、真が内容はともかく付き合っている女のパトロンかもしれない他人が体験しているのだ。
 その他人は、まるで父親のように、守ってくれるような事を言った。

 馬鹿げている、と思った。もしも澤田が本気で真を雇おうとしているのだとしても、きっととてつもない損得勘定があるのだ。
 何より、自分にそれほどの『値段』がつけられているとは思えない。
 今自分に価値があるとすれば、同居人のことだろうか。それは十分にあり得る話だ。
 真は今になって、澤田をもう少し問い詰めてこなかったことを後悔した。しかし、澤田はあまり竹流の話題には興味を示さなかった。それは演技だったのだろうか。
 酔っていたのかもしれないが、どこかであの男を悪い人間ではないように思い始めていた。それは、もしかすると父や母の話をしていたからなのだろうか。とすれば、真自身に生みの親への思慕があるということなのか。
今まで考えたことのない感情だった。
 煙草を吸おうと思って、真は身体を起こした。美和は起きる気配はなかったが、少し大きめの息をした。

 真が美和の耳にそっと口づけた瞬間、暗闇を裂くように電話の呼び出し音がした。
 真は慌ててベッドから出ると、枕もとのガウンを引っ掛けて、隣の居間に行った。ほとんど無意識の行動だった。
 ベッドの脇には子機もある。それなのに、同居人はいつも夜中の電話を隣の居間で取った。真を起こさないように気遣っているのかもしれないが、夜中の電話のほとんどは竹流の母国からの電話で、途中から激昂してくると隣室で眠っている真が目を覚ましてしまうほどの勢いで話している。別に寝室で話していても、真には理解できない国の言葉だ。
 それでも聞かせたくないと思っているのかもしれない。
 今同居人はいないが、鳴っていると迷惑なので、この電話に出るしかなかった。
 日本語でいいや、と思って声を出そうとすると、がさがさの咽に張り付いたように上手く声が出てこなかった。
「もしもし」
 耳の中で反響する自分自身の声は随分愛想がなかった。
「……無事か? 美和ちゃんが心配してたんで、どうしたかと思ってね」
 真は思わず受話器を握りなおした。





いよいよ、全編で最も、書いている私が萌えた電話のシーン。
これこそがラブシーンと思って書いたのですが……それも竹流の一言が。
あんたは中学生か高校生?というこの電話切りたくない会話をお楽しみください。
風邪で、ミニコラムをつける元気がないので、シンプルに。
次回は、今日の夜、更新しようと考えております。
この回が1日遅れたので^^;

Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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