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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨43] 第7章 父と子(1) 

第2節のスタートです。
第1節で起こったいくつかの出来事……同居人・大和竹流の怪我と失踪、彼のインタヴュー記事の波紋、彼の仲間や恋人たちの複雑な感情、そして真の恋人(一応)・深雪のパトロンである代議士・澤田顕一郎の接近、女刑事・添島麻子が特別な筋から受けている命令、そして深雪の恋人であったという3年半前に自殺した雑誌記者・新津圭一の死の真相は? また新津の死に疑問を抱いている女記者・楢崎志穂は澤田や深雪に疑念を抱いているようである。一方、姿を消した竹流も、新津圭一の自殺の記事を残していた。彼の失踪は新津の事件と関係があるのか? そして竹流と一緒に姿を消している寺崎という竹流の仲間。
第5章までのあらすじはこちらをご覧ください→[雨・番外]limeさんが描いてくださったイラストとあらすじ
そして、第6章。元傭兵でありジャズバーの店長・田安隆三が水死体で見つかる。真は田安が澤田の育ての親であることを聞かされたばかりであり、苦しかった時に『お前は優しい人間だ』と慰めてくれた田安の死にショックを受けていた。

では、第2節を始めたいと思います。
彼を探して旅に出る第2節……それは過去を思い出す旅でもあります。
色々な『謎』の解明は真に任せて、ご一緒に真の心の旅に付き合ってやってくださいませ(^^)
改めて、よろしくお願いいたしますm(__)m





 美和は事務所で新津圭一の事件を見直していたが、半分は上の空だった。
 今日は大学の授業に一時間だけ出てみたが身に入らず、途中で教室を出てしまった。あまりにも堂々と出ていくところを、呆れたように講師が見ていたのも何となく背中に感じたが、どうでもいい気分だった。
 さっきからずっと、添島刑事に呼び出されて行った真の後姿が、めくっている本の上をちらついていた。
 恋人の北条仁が勧めるので、遊びで寝ただけだと思いたかった。

 めくっている本は図書館で頼み込んで借りたもので、一九七六年の一月から二月の新聞記事を綴ったものだった。
 企業倒産件数一万二千六百六、戦後最多。一月二十六日、江夏豊が阪神から南海へ移籍、二月四日、ロッキード事件。
 そんなに大きな事件ではないのだろう。むしろ三面記事を見ることにして、ページを戻ると、不況の文字が躍っている。伊藤忠と安宅の合併の波紋、五百円紙幣を硬貨に変更することを決定。一月三十一日、鹿児島で五つ子誕生、更に戻ると、一月二十九日、昭和四十三年に盗まれたロートレックの『マルセル』を預かっていたと大阪府警へ会社員が届け出ている。
 一月二十七日にも、絵画に纏わる記事が出ている。
 不況の文字の中で、絵画の値段だけが浮いて見えていた。
 新潟の市内の旧家が県に寄贈したレンブラント、フェルメールについて、寄贈者は十九世紀末の優秀な贋作であると説明、鑑定者も数名、確認。全て本物なら数百億の価値。

 変な記事。
 美和はその小さな記事を読みかけていたが、電話が鳴ったので本を閉じた。
「もしもし、相川調査事務所です。……あ、こんにちは」
 添島麻子刑事だった。ちょっと嫌な気分になったが、それを押し込めて挨拶をすると、向こうは穏やかな調子で言葉を返してくる。
「少し前、お宅の所長をお返ししたけど、せっかくパトカーで送ってあげるって言ったのに電車に乗るって帰ったのよ。でもちょっと気分が悪いみたいだったし、気になって連絡したの。帰ったら休ませてあげてくれる?」
 そんなこと何であなたに言われなきゃならないのよ、と思いながらも美和は冷静な声を繕って質問していた。
「何かあったんですか?」
「彼の知り合いが水死体で上がったの。ちょっとショックだったみたいで」
「それって、まさか」
 美和の最悪の想像を一蹴した添島刑事の声は穏やかだった。
「そんなわけないでしょ。今横浜なの。さっき電車に乗ったところだと思うから」
 美和は暫く考えてから、質問した。
「ショックって、水死体がですか? それともその人が死んだから?」
 添島刑事は向こうで暫く間を取っていた。
「両方……かな。それとももっと別のことかも知れないけど」
「別の事?」
「相棒がいないことよ。気をつけてあげて」
 それで電話が切れた。

 美和は机に戻り、さっきの本を開きかけて直ぐにやめた。傘を二つ持って事務所に鍵をかける。宝田は北条の大親分に呼ばれて屋敷に出掛けているし、今日は賢二も姿を見せない。
 階段を下りて外に出ると、まだ雨は降り出していなかったが、泣きそうな空だった。
 美和はぶらぶらと歩いて、新宿駅の東口改札まで来ると、改札から吐き出されてくる人たちがそれぞれの目的地へ散り散りになっていく様子を、ぼんやりと見つめていた。

 まるで中学生の初恋のようだった。
 叶うことが目的でもなく、相手に知らせることが目的でもなく、ただ見つめているだけでよかった、そういう初恋と同じ気配だった。肌を合わせて求め合ってからこういう気持ちになるとは思ってもみなかった。
 相手がいつここに姿を見せるかもわからない、もしかすると現れないかも知れないのに、そんなことはどうでもよかった。ただ会いたい気持ちだけが、時間の長さも辺りの雑多な気配も、気温も音も何もかも消し去ってしまうように、膨れ上がっていた。

 一体、亡くなった人というのは誰なのだろう。大家さんではなさそうだけど、それほど先生がショックを受けるということは? それに相棒がいないからって、何に気をつければいいのだろう。
 何度も改札の前を行ったり来たり、柱に凭れたりしながら、美和は様々な想像と愛しい気持ちを持て余していた。

 今でも、初めて会った時の喫茶店での横顔を思い出す。
 私はいつ先生に恋をしただろう。あの喫茶店なのか、あるいは初めて抱かれたあの夜なのか。いや、そうではないのかもしれない。もっとずっと前、少年の日の彼の写真を見た時なのかもしれない。
 でも、これは片恋だ、と思った。
 どれほど真自身が否定しても、彼はただ一人の人を想っている。
 そう考えてみると、叶いそうにないところまでが初恋に似ている。それに、美和にも付き合っている男がいて、きっと簡単には別れられないだろう。新しい想い人ができても、その男と美和の間にある思いは、決してマイナスの気持ちではない。

 もう何度電車の到着があったのか、また急に膨れ上がった人間の波が押し寄せて、改札から吐き出される。その中に、まるで浮浪者のように生気のない真を見つけた。
 こんなにもたくさんの人が袋に入った米粒のようにひしめいているのに、その中からたった一人の人を見つけ出すことがこれほどに簡単なのは何故だろうと、美和は思った。ずっとその人を想って待っていると、視覚にも超能力が加わるのかもしれない。
 真は忙しげに通り過ぎる人に肩をぶつけられてふらついている。美和は思わず駆け寄りそうになったが、ふと足を止めた。
 何故、そんなにあの人を想っているのだろう。
 言葉で何を言われるよりも、夜中のリビングの真の姿は決定的な何かを美和に思い描かせた。冗談で妄想を核に作り上げた文章教室のトレーニング材料は、今では美和の中で立派なノンフィクションになっていた。
 どんなに追求しても、本人は肯定しないだろうけれど。

「先生」
 真はしばらく、話しかけたのが美和だとは分かっていないような顔をしていた。
「……どうしたんだ」
「迎えに来たの。雨、降りそうだったし」
「何時から、待ってた?」
「少し前。添島刑事が電話くれたの。大丈夫?」
 真は頷いて美和の手から傘を受け取った。
 その一瞬、二人の手が触れた。美和は自分の手の冷たさを感じたが、真の手はその美和の手よりもずっと冷たく、鋭利な氷の刃のようだった。

 傘を並べて歩いても、二つの傘の間から雫が零れ落ちた。その小さな隙間は、飛び越えられない次元のずれのように思えた。駅から事務所までの僅かの時間、真は口を開くこともなくただゆっくりと歩いている。美和は話しかける言葉を見つけられなかった。  
 事務所に戻ると、美和は温かいコーヒーを淹れて真に差し出した。真は机ではなく接客用のソファに座ってそれを受け取った。表情は硬くて何かを堪えている。だが、真はやはり何も言わなかった。
 真はコーヒーを飲み終わると、止める美和を振り切るようにして、名瀬弁護士の事務所に出掛けていった。幾つかの仕事を請け負って数時間後に帰ってきたので、美和はその仕事を取り上げて真を休ませようとした。しかし、真は休む間もなく少年院に出掛けて行ってしまった。

 帰ってきた宝田に事情を話し、真の後を追いかけさせて、一人になると、美和は机に座って一息ついた。
 何かをしていないと余計なことを考えてしまいそうだった。
 夕方になって、美和は新津圭一の姉の家に電話をした。当たり前だが、電話に出た相手の声は不審そうで硬かった。
「柏木美和と申します。実は私、新津さんと同じ出版社に勤めてたんですけど、三年近くニューヨークに行っておりまして、先日帰国して初めて亡くなられた事を知ったんです。大変お世話になりましたのに、不義理をしてしまって。それで、ぜひお墓参りをさせていただきたいのですが」
 姉夫婦は多摩川の傍に住んでいた。言葉は丁寧だが、墓参りの件は断られた。
「あ、千惠子ちゃん、どうされていますか。私たち、とても仲良くしていたんですけど」
 姉という人は向こうで暫く黙っていた。それから、父親の事は思い出させたくないので会わないで欲しいと言われた。そのまま電話は切れた。
 不名誉な死に方をした弟の事は忘れてしまいたいのだろう。井出の話では、新津の娘は姉夫婦や親戚に預けられたわけではなく、施設に引き取られたということだったし、姉夫婦はもちろん、世間の噂から切り離された生活を望んでいるということなのかもしれない。

 真は八時には帰ってきて、その電話の事を聞くと、淡々とした声で、そうか、とだけ言った。
「先生、ご飯どうする?」
 真からは、今日はいいという返事が返ってきた。いつもなら、ちゃんと食べないと駄目、と引きずってでもどこかに連れ出すところだが、今日ばかりは美和も力が入らなかった。
「家に送るよ」
 淡々と、美和に有無を言わせぬ気配で真は言った。
 真は美和を北条仁と同棲しているマンションまで送ってくれて、そのまま一人で竹流のマンションに戻ったようだった。言いたいことはいくらでもあったのに、一言も言えないまま、美和は部屋に入った。上着も脱がずに居間のソファの横の床に座りこむ。
 テーブルの上には、仁の残していった煙草の箱がそのまま残っていた。その濃い青の箱に、カーテン越しの鈍い光が僅かに反射している。窓の外からは、アスファルトの湿度をじっとりと抱き込んだタイヤの音が、遠く聞こえている。部屋の内側には、何もかもから切り離されたような静けさがぼんやりと漂っていた。
 傘を渡した瞬間に触れた真の手の、残酷なほどの冷たさを思い出して、気持ちは深く沈んだ。


          * * *

 竹流のマンションに帰りつくと、真はシャワーを浴び、奥のオーディオルームに入ってテレビをつけた。冷蔵庫から出した缶ビールのプルトップを上げながら床に座る。
 この部屋はプライベートな空間で、大きな画面のテレビとオーディオセットが一方の壁を占拠している。別の壁は、寝室への扉以外の場所をレコードとフィルムと本が埋め尽くしていた。他にトレーニング用の器具が幾つか置かれている以外は何もないが、多少雑多な感じがして、ある意味では寛げた。
 真はフロアソファに凭れてビールを一口飲み、髪をタオルで拭きながら、ただテレビ画面を占拠しているだけの漫才番組を眺めていた。

 よくここで映画を一緒に見た。
 どこでどう手に入れてくるのか、古い映画のフィルムで、映写機とスクリーン代わりの白い壁の間を繋ぐ白い光の帯に、真は不思議に穏やかに気持ちになって同居人の映画鑑賞に付き合っていた。たまにはただやたらと絵画や彫刻を映しているいるだけの無声のフィルムもあったのだが、退屈ではなく、心は穏やかでいられた。
 意外にも同居人は涙もろくて、つまらない恋愛映画でも時々感動している。たまには真が感動していると、自分の事は棚に上げて、今泣いてただろうと大騒ぎする。
 同居人のお気に入りは変わった国の映画ばかりで、トルコやソ連やギリシャの監督の作品には、何のことかわからないままつき合わされた。
 何度も見せられて台詞さえも覚えてしまいそうな映画はタルコフスキーの映画で、中でも『アンドレイ・ルブリョフ』は同居人のお気に入りだった。真も、理解できない部分も多くありながら、映画のラストシーンでモノクロがカラーになり、舐めるようにルブリョフのイコンを映すところでは、いつも口が利けないくらい入り込んでいく気がしていた。

 だが今は、しゃべり続ける漫才師のけたたましさの方が救いに思えた。
 腰にタオルを巻いただけだったので、不意に身体が芯から冷えてきた。真は寝室のクローゼットを開けて、竹流がいつも引っ掛けているガウン代わりの着物を、無意識に手に取った。それを着て襟元を掻き合わせるようにし、オーディオルームの床に座りなおす。真の祖母が竹流のために縫った着物は、勿論真には大きすぎるのだが、着心地は滅法良かった。
 しばらくテレビ画面を眺めていたが、映像も音声も光も、何もかもがただの記号であって、まるで意味を成していないことに気が付いた。真は思わず身震いした。 

 テレビを消した途端に襲い掛かってきた静寂に耐え切れず、ビールの空き缶を思い切り音を立ててゴミ箱に放り込み、寝室に戻ってベッドに潜り込んだ。
 眠ったら今日の出来事は忘れてしまおうと思った。何に対してそう思ったのかは自分でも分からなかった。
 目を閉じると、身体ごとベッドの底から深い彼方へ沈んでいくような、あの嫌な感じがする。静かで音は何もなく、誰の気配もない。

 ……水の中に四日間もいて、さぞ寒かったろう。
 突然そう思うと、身体は今まさにその冷たさを感じたように震えた。
 俺はろくな死に方をせん。お前さんは畳の上で死ねるように生きていくほうがいい。
 田安は時々神妙な顔でそう言った。
 水の中よりも火の中のほうがましだろうか。ふと竹流の背中の火傷を思い出してそう思った。
 辛かっただろうに、どうして自分が辛いときには何も言ってこないのか。
 真が辛いときには、何を察したのかずけずけとやって来て、いらないと言っても手を差し伸ばしてくる。恐ろしい夢を見た時には、何も聞かないが、身体を抱き締めてくれる。一種の精神安定剤のようなものだ。それなのに、彼自身がごたついているときには姿を消してしまって、真が手を差し伸べる隙さえ見せてくれない。
 ……今頃、どこで何をしているのだろう。


 真夜中に自分が泣いているので目が覚めた。
 死んだのは田安だ。竹流ではない。だが夢の中では、その区別はつかなかった。深い海の底へ彼の身体が沈んでいく、それを追いかけようとして覗き込んでも、暗いばかりで何も見えない。

 子どもの頃、ゼニガタアザラシを見ようと襟裳岬に連れてってもらい、何をどうしていたのか、足をとられて海で溺れかけた。水は冷たく、暗く、ただ恐ろしかった記憶しかない。以後、できる限り水には近付かないようにしていた。中学生のとき、伯父が失踪し、子どもだけで住んでいるのは良くないと竹流に言われた時、何があっても葉子は自分が守るから、祖父に何も言わないで欲しいと頼んだ。竹流のスパルタ教育はそれまでも大概だったが、そこから一段とエスカレートした。水泳に限らず、水からは逃げ回っていた真に、今度こそは逃げられないぞと脅してきた。何度も溺れかけながら、結局泳げるようになった。
 それでも、今でも水は時々恐ろしい。特に夜に海を見ると、大きな闇が全てを呑み込もうとしているように見える。

 その水は田安を呑み込んだのだ。
 思わず身体を起こした時、手の上に落ちた冷たい水滴に身体の芯から凍りついた。
 勘違いしたまま、会いに行けばよかった。
 信じられないことだが、ぼろぼろ涙が出てきた。こんなに声が出るほどに泣いているのを、もしも誰かに見られるような事があればどう思われるだろう。何よりも自分がどうなっているのか、わけが分からなかった。
 自分自身の嗚咽に重なるように電話の呼び出し音が鳴ったときも、耳の中で反響して、現実の音かどうかよく理解できなかった。ようやく我に返ったとき、電話は一旦切れた。

 呆然と枕もとの子機を見つめていると、しばらくしてもう一度呼び出し音が鳴った。この際、脅迫電話でもいいと思った。
「……先生?」
 電話に出ると、向こうも長い間黙っていたが、ようやく呼びかけてきた。美和だった。
「ごめんね。寝てた? ……気分悪そうだったし、ちょっと心配になって」
 不意に、傘を渡してくれたときに触れた美和の冷たい手を思い出した。美和は、多分随分長く改札口で真を待っていてくれたのだ。
 あの時、どうして抱き締めてしまわなかったのだろう。
 混乱してわけがわからなくなっていた。

「先生、ほんとに大丈夫?」
 何も答えないでいると、美和がもう一度問いかけた。いつもの景気のいい明るい声ではなかった。
「夢」
「え?」
 声が擦れて後半は言葉にならなかったので、美和が聞き返してきた。
「夢ばかり見て……」
 もうそれ以上は声にならなかった。
「行くわ。先生、風邪ひくから、ちゃんとあったかくしててね」
 そう言って慌てたように電話は切れた。真は暫く子機を握っていたが、やがてホルダーに戻した。

 少し落ち着くと美和が来る前に全て泣いてしまっておこうとまで思ったが、もう涙は出てこなかった。美和が来るということに安堵している俺は卑怯者かもしれないと思った。ただ、理屈もなく誰かに傍に居てほしかったのだ。
 ベッドから出て、着物の帯を締めなおし、それから居間に行ってカウンターの後ろの棚からコニャックを出した。グラスに注いでいると、いつの間にか手が震えているのに気がついた。
 とにかく一気にあおった。
 ぼんやりと突っ立っていると、また何が何だか分からなくなってきた。

 美和がやってきたのは思ったよりも早く、真は玄関で彼女を迎え入れたとき、そのソバージュの髪が濡れているのに気が付いた。
「雨、降ってたのか」
 聞くまでもなく、ドアの向こうからかなり派手な雨の音が聞こえていた。
「うん」
「夜中に、申し訳ない」
 幾分か冷静になっているつもりだった。
「ううん」
 美和は部屋に上がって、それから彼らは一緒にオーディオルームの床に座ってフロアソファに凭れた。一度抱き合ったといえ、そうは簡単にベッドには入れなかった。結局美和はフィルムを探して、当たり障りのないところでジョン・フォードの『我が谷は緑なりき』を出してきた。
 言葉もなく身体を寄せ合うようにして映画を見た。気丈な母親が炭坑夫の集会で自分の夫は炭坑主とつるんでなどいないと啖呵を切るシーン辺りで、真は美和の肩に思わず寄りかかった。眠れるとは思っていなかったが、そのふりをしてしまいたかった。
 美和は真の頭を黙って抱くようにしてくれた。





新宿東口。この小説にもちょっとした『聖地』(参照→物語を遊ぼう13:ロケハンと聖地巡礼)がありまして……
友人にこの新宿東口をその一つに数えていただき、大変うれしかったのです。
もう一つは、番外編(これは日の目を見ないかもしれませんが、何かのおまけにキー付きで出てくるかも)に登場の新宿ガード下。
時代が少し古いので、今の東口とは違うかもしれませんが、通った際には、美和と真の少し悲しい雨のシーンを思い出してやってください(*^_^*)

*コラムにありました【終わらない歌】のコーナーは別カテゴリに移動しました。

Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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NEWS 2013/5/17 病気自慢 

三味線ストラップ
GWが終わって、あれこれ仕事のストレスもあって(あれこれというより、明確にある出来事が原因ともいえるけれど)、小康状態だった逆流性食道炎が悪化の兆しを見せ、薬を常時服用するようになりました。
というわけで、私が絶対に手放せない薬をふたつ、載せてみました。
薬だけだったら寂しい写真なので、三味線ストラップに囲んでもらいました(^^)
ヒバ、鼈甲のくず、螺鈿様の貝殻、色んな素材のものが毎年津軽に行くたびに増えていきます。

さて、薬ですが。

パリエット…プロトンポンプインヒビターという胃炎・胃潰瘍の薬ですね。
実は普段はお手頃に同種のタケプロンという薬を愛用しています。水なしで口の中で溶けてくれるから、便利なのです。ただ、1か月くらい続けて飲んでいると、ものすごい口渇で、しまいにやたらと口内炎ができるようになりまして。胃酸を抑えるついでに唾液も抑えちゃうようです。
この薬は飲んでから効くのに3時間くらいかかるので、突然発作的な痛みに襲われた時は、時すでに遅しです。

もう一つは、ロキソニン。
言わずと知れた痛み止めです。もうこれがないと生きていけません。
最近は少し飲む回数は減りましたが、肩こり→緊張性の頭痛→もうだめ~という私は、ロキソニンなしでお出かけは絶対にできません…特に人込みは死にそうになるので、町に出るときは必須です。忘れたら不安でたまらない…

実は、私も結構な病気持ちでして。

①手術を勧められたけれど、放置してほとぼりが冷めるのを待っている(た)子宮筋腫と大出血
女性はほとんどこれを持っていると言われておりますが、私も例にもれず直径10cm, 8cmを筆頭に4-5cmのものを複数個、持っておりまして、同時に無排卵になり不正出血に苦しみました。
黄体ホルモンを飲んでコントロールをしていたのですが、これがまただるくてしんどくて、数か月サボったりしていると朝になったら冷たくなってるかも、と思うくらいの大出血もあり(って、男の人が読んだら微妙な話ですみません)、結構つらかった…幸い、峠は越したようですが。
ドクターショッピングをしまして、4軒目で『様子を見ましょう』といってもらえたので、手術をせずに閉経をまつことに(閉経すると自然に小さくなる)。
でもそこの先生も、次の検診に行くと、『手術する?』
いやいや先生、この間しないで様子をみるって話、しましたよね?

そこで分かったことは、ヘモグロビンも8を切ると結構しんどいということ。階段は息が切れるし、なんかだるい…と思ったら7台。鉄剤を飲んだら、胃が気持ち悪くて吐きそうになり…
『じゃあ、シロップにする?』
お子ちゃんじゃないんだから、こんなシロップ、飲めましぇん…しぇんしぇい…
ということで役に立ったのは、南部鉄瓶と鉄卵。
鉄瓶で湯を沸かし、料理をするときに鍋には鉄卵(鉄の塊…やかんの形のもある)。

無排卵で苦しんだ挙句、心配なのは骨粗鬆症。
で、登場するのが骨密度測定。
毎回言われる。
『いや~、大海さん、あなたの骨は立派ですね~、同年代の女性の120%以上あって、20代後半です』
ま、骨太ってことですね(いい加減な括り)。

②思い起こせば、あれもあれもこれ……逆流性食道炎
ある日の朝、突然ものすごい胸痛に襲われました。
痛くて苦しくてのた打ち回り、ついでに吐き続け、仕事にも行けず、起きていることも寝ていることも座っていることもできない、もちろん食べれない…1週間。
首を絞められるような痛みが心窩部から咽喉までつきあがってくる。
てっきり女性によくある不安定狭心症かと思い、あぁ、若くして私も…と自己診断しつつ、でも待てよ?こんなに吐くのか?とか思いつつ、だましだまし放置してやっと重い腰を上げて、行った先が内視鏡がべらぼうにお上手という名医のいる消化器クリニック。
実は私、若いころ、胃潰瘍一歩手前の胃炎もちでして、胃薬の手放せない人で、内視鏡はもう大嫌い。

名医は聞きます。
『鎮静しましょうか?』
『はい、無論です。ばっちり寝かしてください』
軟弱な私は、ドルミカムという名前のいかにもいい夢をみそうな薬でおねんねして内視鏡検査。
ピロリくんはいなかったので、それはよいとして、胃が胸腔へスライドしている食道裂孔ヘルニア状態。
でも、その前から、さすがに名医は症状だけで『逆流性食道炎ですね』
いえ、無論、私の症状の訴えも的確だったと…思うのですよ(^^)
『今日は車を運転しないでくださいね』
『はい』といいつつ、夕方には残業をしに仕事場へ行こうと、もう大丈夫だろうと運転しようとしたら…
何かに集中すると、ふらふら~とすることが判明。
鎮静剤を使ったら、その日は大人しくしましょう!

思い起こせば、若かりし頃、カレーに凝って、スパイスを各種取り揃え、自分でアレンジしてカレー三昧だった私。ある時から、急にスパイスが食べられなくなっていた。
若いころ、イタリア大好きの私は旅行では水代わりにワインを飲み(だって、昔ってワインのほうが水より安かった)オリーブオイルどっぷりのパスタやサラダをがっつり食べていたのに…
ある日、ナポリのレストランで食事中、急にしんどくなって吐きまくった……
酒に弱くなって、飲んだら翌日は吐きまくる…でも頭は結構冴えている?二日酔いっぽい頭痛とかもない。
全て、逆流性食道炎の症状だったのです。
胸痛は、胃から逆流した胃酸が食道の粘膜を焼いたためのもの。
狭心症に間違えられるほどの痛み、というのはまさに事実です。

そして、今いえることは、病気は克服するものではなく、お付き合いするもの。
食べてはいけないもの、控えたほうが良いもの、食べる時間、痛みに襲われた時の対処方法。
これらを駆使して、この病気とはなが~いお友達です。
ちなみに運転中とかにも、急に激烈な痛みに襲われることもあります。
効果てきめんなのは水。
そう、食道へ上がってきた胃酸を水で胃へ流し戻す作戦。
でも、5分くらいしか持たないので、また飲む。…そのうち胃酸が諦める、という。

名医『油っこいもの、甘いもの、スパイス、コーヒー…はダメですね』
大海『分かりました。でも一つだけ、どうしてもやめられません……コーヒーを取り上げられたら、ストレスで悪化します』
今、私が絶対無理なのは、上等な霜降りのお肉。確実に吐きます……だから安上がりの肉で助かります。

③(原因不明の)強烈なめまい……多分、一過性脳虚血だったような…
ある日、朝ベッドから出たら、こけた。
確かに前日、飲み会だったので多少飲んでいたので、あれ?二日酔い?
でも実は気持ち悪くて、あまり飲めなかったんだよな~とか思いながら歩こうとすると、歩けない??
あれ? しかも気持ち悪い。
土曜日だったので、職場に電話して、待機で詰めている後輩に『なんか歩けないねん』
後輩『そんなん、二日酔いですよ』
大海『あ、やっぱり』
しばらく放置してソファで寝転んでいると……

もう全く立つことも歩くことも寝転んでいることもできなくなり、回っているというよりもぐらぐら…
身体を維持することができない。
えーっと……これはなんかまずいんでは??
で、親に来てもらって救急病院へ。病院に着いたときにはもう人間以外になっていた私でした。
救急車で運ばれてくる数人の患者さんよりも、余程私のほうがやばく見えたようで、すぐにMRIへ。
取りあえず、MRAでは血管が詰まっていることはなさそうと判明。
名医その2『でもそんな状態ではどうしようもないですね。入院してください』
大海『入院したら、この症状はよくなりますか?』
名医その2『いえ、それは同じです』
大海『じゃあ、帰ります』

それから1週間、立つことはできず、座っていることもできず、起き上がってはコケ、家の中でもトイレに行くときはゴルフクラブ(昔やっていたゴルフ…こんなことに役に立つとは思わず)を杖にして歩くか、這っていくしかなく。
でも、寝転んでいてもぐらぐら回り続けるので、寝ることもできない……

最初は澤穂希さんと同じなんだわ、と思っていましたが、その後訪ねためまい専門病院では、そういう類の一般的なめまいよりも症状が激烈すぎるので、やはり血管の問題(+アルファ)だったのでは、と言われまして…
数か月、眼振が続いていました。
真っ直ぐ歩けないので、壁沿いに歩き、ふらふら~ぐるぐる~
名医その3(私のMRAを再読影した脳外科医、しばらくの沈黙ののち)『大丈夫でしょう』と言いつつも『私もずいぶん色んな患者さんを診てきましたからね、これをきっかけに、仕事の量や質を見直しなさい。でなければ10年予後はわかりませんよ』
先生、それは……どういう予後でしょうか? まさか、生命予後??
(神経学的予後でも嫌~~)
本当に私のMRAは正常なの~!?

ただ一つ言えること。
あの急性期の激烈な状態は、もう二度と味わいたくない!
『あ、繰り返すことはありますからね』……(@_@)

そして2か月目、我慢ができずに巨石を見に行った私は、山の中でこけて、ひどいねんざで大変な目に遭いました。誰もいない岐阜県は中津川の山の中で、遭難するかと思いました。
『めまいでこけたん?』
いやいや、決してそうではありません。
はっきり言って、不注意です。
始めの数日は車いすが必要で、その後数週間、松葉づえが手放せませんでした。
しかし、そうなってみると、世の中の道って本当にバリアフリーではありませんね。
普段気にならないちょっとした段差が、とても大変だということを感じます。


というわけで、何の落ちもありませんが、取りあえずお開きです^^;
病気って、どうして自慢したくなる時があるのでしょうか。


Category: あれこれ

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NEWS 2013/5/15 探偵はバーにいる2/ 災害の備え 

探偵
今度のパンフレットは、ショーパブのマッチ風で、華やかさを感じさせるものです。
そう、観てまいりました、『探偵はバーにいる2』

前半はちょっと遊びが多すぎて、ファンには面白いけれど、これを初めて見た人には、あれ?という感じがするんじゃないかと思ったりもしました。映画1本のストーリーとしての出来のよさは1作目のほうが上という気がします。
ただですね、細部は今回もよくできていいたのです。
大きな流れはともかく、細かい部分での遊び、エンターテイメントとしていうならば、上出来です。
ショーパブの華やかな小物とか、探偵の部屋とか、ケラーオーハタの小物とか、『ちょっと前』の時代を十分に感じさせる小道具にあふれていて。
乱闘シーンが大好きな私は、それだけでも楽しんでしまいましたし、今回も松田龍平さん演じる高田が最高。
原作では、本当に探偵は一人ぼっちで戦う印象の話なのですが、そこをあえてエンターテイメントにするべく、常に高田が近くにいる(例のごとく、来るのは遅いけど)。
しかも、乱闘中に高田がやられた!って感じの場面での、洋ちゃんの必死な顔、などなど、人物のかかわりは十分に楽しませていただきました。
しかも、絶対それ、アドリブを素で撮って、そのまま使っているんじゃ、というようなシーンがあちこちに。
水曜どうでしょう、かと思っちゃった。
ちなみに、そんなに銃とかぶっ放していいのか、って点はもう無視しましょう。
It's a show time! ですから^^;

そして、後半に追い込む感じは前作同様、GOOD!でしたよ。
結局、結末=犯人がこんなやつで悲しすぎて動けない、という洋ちゃんの感じも、よく伝わってきましたし。

個人的には、最後の屋上で、探偵に煙草を渡して、ライターを差し出す高田、その手を覆うように火をもらう探偵のシーンにきゅん、となりました。
いえ、決して腐ではないのですが、これはもちろん屋上だから、風が強くてってシーンなんだけれど、事件の結末にちょっと悔しくて何となくすっきりしなくて、悲しいような、世の中こんなものかって思っているに違いない探偵に煙草・火を差し出すだけだけど、友情というほどにもクサくない距離感、でも独立した人間同士が信頼しあっている(来るの遅いけど)感じが、このシーンに集約されていて、その真下にススキノの交差点があるのです。
この映画の題名が、ススキノ大交差点、というのが、このシーンでぎゅっと心に感じられる。
色んな人生が、良くも悪くも交錯した場所なんですね。

記事を書いていたら、やっぱりいい作品だった!としみじみ感じてきました。
も一回観ようかな。

ちなみに、1作目は小雪さんの超絶な感じ(やっぱり美しい、というのか雲の上的印象)が物語を引っ張ったという気がして、作品としての出来栄えに大きくつながったのかも。
今回のヒロインの尾野真千子さんも全然悪くないのですが、小雪さんがちょっとスーパーだったというだけで。
でも、今回のヒロインはギャップを楽しむ、という感じですので、超絶美人では逆にダメなわけでして。

そして、私が気になって仕方がなかったのが、作中でやたらと食べられている、北菓楼のおかき。
もう、大好きなんです。北海道に行くと、山のようにお土産に買ってきます。
特に甘海老が最高。
細部に…こだわっているんですね、きっと(^^)


ところで、映画館に行くには、神戸の僻地にいる私は、半時間ばかり車で山を越えていくのですが、ちらりと見ると、ガソリンは少ないし、携帯の充電も危ういし、あらら、と。でもレイトショーに間に合うべく、そのまま走りました。
今、災害が起こったら大変!とか思いながら。

そう、災害への備えとして、必要なもの…
常にガソリンは満タン、携帯の充電も満タン、ベッドの傍には靴。
ガソリンに困るのは絶対見えているし、携帯は懐中電灯代わりにもなるし、大震災の時裸足で出て行って怪我した人が多いので靴は必須、と。
避難袋とか置いていてもすぐ忘れるけど(どこに置いたかわからなかったり^^;)、この3つはまずやっておくというのが神戸の人間の結論のようです。
もちろん、水とかも大事だけど。

そんなことを考えながら、昨日は映画レイトショーに走った日でした。
眠い……(@_@)

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[雨42] 第6章 水死体(4)/ 昔イラスト第2弾(4) 

添島刑事と真の会話、後半です。今回、第6章『水死体』、そして第1節の完結です。


「三年半ほど前……ICPOにいた?」
 添島刑事が何を聞くのか、という顔で真を見た。
「えぇ」
「竹流とは、その頃からの知り合い……ですよね?」
「知り合ったのはもっと前だけど。それがどうかしたの?」
「一九七六年の一月ごろは? 彼が何をしていたのか知りませんか」

 添島刑事は厳しい目つきになった。
「それが何か関係あるの?」
「彼が火傷を負ったのはその頃だ。丁度ロッキードの頃」
 真がそう付け加えると、添島刑事は少し考えていたが、やがて呟いた。
「ソ連」
「ソ連?」
「ロシア貴族の末裔がウクライナに住んでいた。ロシア帝国の財産の一部がそこにまだ隠されていて、それが日露戦争の頃に幾つか新潟へ持ち出されたという噂があったの」
「財産? 金塊か宝石? それとも美術品ですか」
「絵画よ。何百億かって話だったわ。何しろものはレンブラント、ルーベンス、デューラー……、値段のつけられないものもあったかもしれない。ところが蓋を開けてみればそれは贋作で、新潟県は贋作を安く買い取ったことはあって、それはそんな古い時代の事ではなくて、近年のことだって言ってたけど。鑑定家が贋作の確認をしたと思うわ」

「新潟」
 真はその地名を繰り返した。今の話はまさに高瀬の言っていたことと一致する。
「彼は贋作を盗むんだと言って笑ってた」
「贋作? それで見逃した?」
「えぇ、まぁ、そういうことになるかしら」
 添島刑事は明言を避けた。彼女が覚えていたのは、彼女なり職業意識への罪悪感が残っていたからなのかもしれない。
「本物だった、ということは?」
「新潟県が鑑定を複数の人間に依頼したの。そういう可能性は十分に検討されたはずよ」
「本物ではなく、贋物であることを証明する為の鑑定ですか」

 真は呟くように言ってから、初めてこの理屈のつかない事件が同居人のテリトリーに入ってきたと思った。
 三年半前、竹流が寺崎昂司と『贋作を盗みに』新潟に出掛けていた。何があったのかはわからないが、そこで竹流は寺崎昂司を庇って背中にあんな火傷を負った。
 丁度その頃、新津圭一は誰かを脅迫していたが、『自殺した』。この二つの出来事の接点は不明だが、竹流は高瀬のところに新津の自殺の新聞記事を残していた。
 そして今、竹流は河本、つまり内閣調査室長が追いかけている人物の関係者と接触している。それが多分、美和がつけていった男の事なのだろう。美和がどこかで会ったことがあるようで、思い出せなくて気持ちが悪いと言っていたその男。
 その男を、何故か楢崎志穂もつけまわしている。彼女は、香野深雪が新津圭一の恋人、いや不倫相手だったという。その上、何故か彼女は香野深雪を『肉親』と言い、更に澤田顕一郎を恨んでいるようなことを言っていた。

 河本が追っている相手は誰なのか、河本自身も分からないらしいと添島刑事は言う。勿論、河本がこちらに情報を全て広げてみせるわけはない。だが、その『誰か』を澤田も香野深雪も捜しているらしいという。
 そして、澤田顕一郎の親代わりだったという田安隆三が殺された。
 まるでばらばらに思える出来事が、静かに絡まり始めている。

 自分の事として考えてみれば、深雪と付き合うようになったのは一年以上前のことだ。澤田顕一郎はずっと自分の『愛人』の若い恋人の事を知っていたはずなのに、今までは何も言ってこなかった。真の父親が特別な仕事をしていると知って、初めて接触してきた。澤田にとっての相川真の意味は、愛人の恋人ではなく、相川武史またはアサクラタケシの息子ということだ。それは河本にとってもそうなのだろう。

 二年半前から、大和竹流と同居している。
 そのきっかけになったのは、真が付き合っていた小松崎りぃさの自殺だった。あの時、胃潰瘍と肺炎でひっくり返っていた真を庇いながらも、真の看病を知り合いのロシア人女性に任せて、竹流はどこかへ出掛けていた。
 ソ連だ。彼の専門分野の一つに聖画があるので、彼がソ連に出掛けることはそれほど珍しいことでもないのかもしれない。もっともそれは、イコン画家だったという、そのロシア人女性の夫の絵を捜しに行っていたからだと聞かされている。今度の事と関係しているのかどうかは分からない。

 竹流はいつも仕事に出掛けるときは楽しそうだった。嫌な顔をしていたことはほとんどない。真自身が引っ掛かっているのは、彼が今回出掛けるとき、珍しく乗り気がしないような顔をしていたことだった。ただ絵のことなら、彼はあんな顔をしなかっただろう。何か嫌なことが絡み付いているのだ。
 それが澤田顕一郎や、河本が追いかけている誰かや、真の父親のことと関係しているのだろうか。
いずれにしても、始まりは多分新潟にあるという『贋作』なのだろう。

「もう大丈夫?」
 不意に添島刑事が優しく気遣うように話しかけてきた。
「どうして今度は田安さんのことに関わっているんですか。上からの命令って」
 ようやく吐き気が落ち着いてきて、少しだけ頭が働いてきた。
「私にもよく分からないのよ」
「あなたは捜査一課でしょう? 何故こんなことに首を突っ込んでいるんです?」
「今回は特別な手伝いをするようにと言われているわ。それ以上はあなたに説明する義務はないと思うけど、でも私もちゃんと説明を受けているわけではないのよ」

 真はしばらく部屋の硬質な床を見つめていた。
「河本さんに聞けば、竹流の居場所はわかる?」
「どうかしら。でもあなたはあの人がどういう種類の人間か知っているでしょ。無害そうな顔をしているけど、彼が要求してくる代償は高いわよ」
「代償?」
「あなたのお父上が何を考えているのかわからないし、今回彼がどこからどんな命令を受けているのかも知らないけど、河本に接触すること自体は問題がないんでしょうね。彼があなたを心配して駆け引きという危ない橋を渡ろうとしているのでなければ」

 真はまだ床を見たままだった。窓の外の大きな楡の木が作る光の小さな輪は、ちらちらと揺れながら、単色なのに複雑な景色を足元に展開している。
 そして、十分に三度は頭の中で彼女の言葉が廻ってから、真は顔を上げた。
「父に、会ったんですか?」
 添島刑事は真を見つめ返した。
「河本は私に言ったの。しばらく一課を離れて、特別な任務につくように、上との話はついていると。ジョルジョ・ヴォルテラ、つまり大和竹流が病院に担ぎ込まれたと連絡があった日よ。私が受けた命令は、大和竹流と、澤田顕一郎と、そしてあなたを見張っているように、ということだった。あなたを見張っておく理由は二つだけでしょ。一つはあなたが大和竹流と接触すれば、あるいは相手はあなたと彼の関係を知っているのだから、あなたに接触してくるかも知れない、そうすれば相手の尻尾が捕まえられる。もう一つは、それでもあなたが危ない目に遭うのは困る、なぜならそれを回避させることであなたの父親に恩を売ることができるから。でも、昨日私が呼び出されて会ったのは、澤田顕一郎よ」

「澤田?」
「自分の恩人の店が爆破されたということで、どういうことか所轄も警視庁も飛び越えて、河本のところへやって来た。澤田は自分が捜している相手が、河本の捜している相手と同じだということを知っている」
「澤田はあなたたちの味方ではないのですか、あるいは利害を一致させているわけでは?」
 添島刑事は首を横に振った。否定というより、分からない、というような感じだった。真は続けた。
「今回は澤田が竹流をさらっていったという可能性は? 澤田に彼をあんな目にあわせる理由はなくても、その『誰か』に接触するために必要な駆け引きの切り札になるかもしれない、ということは? 相手は何かを探していて、それを竹流が持っていると思っているのでは」
「考えられなくはないわね」

 真は、添島刑事自身が何もかもを知らされて動いているわけではないことを知った。上の考えには理由など問わずに従うしかない、というのが彼女の立場だ。自由にやっていられる真とはずいぶん違う。
「でも、澤田が大和竹流の素性を知っていて、尚且つ賢明な人間ならば、彼には手は出さないでしょうけど」
「どういう意味ですか」
「ヴォルテラの跡継ぎに手を出すということがどういうことか、多少はこういう世界の事情を知っている人間なら分かっているはずよ」
「澤田は分かっていると?」
 添島刑事が真を見つめる目は思慮に富んでいた。

 改めて見ると、厳しく鋭いとばかり思っていた彼女の眼は、深みのあるハシバミ色に近いブラウンで、奥に芯が強く深い優しさを湛えているようにさえ見えた。人というのは、近づいて語り合ってみなければ分からないことがあるのかもしれない。
 いや、どこかで、何かを期待している。同居人につながる人間の誠意というやつを、だ。組織や上からの圧力とやらに屈することなく動いてくれることを。もちろん、それは真の虫のいい願いに過ぎないのだろう。

「澤田は田安隆三とは古い付き合いよ。田安隆三は傭兵を辞めた後でも、情報を売って生きていた。ヴォルテラの名前を知らないはずはないわ」
 真はしばらく添島刑事と目を見合わせていた。
「それは、つまり、竹流をあんな目にあわせた奴は、彼の叔父のことを知らないということですか? それとも、知っていて挑戦状を叩きつけた?」
 添島刑事も真から視線を逸らさなかった。
「どうかしらね。駆け引きをする気なら、あえて挑戦状を叩きつけたくはない相手であることは確かね。何より敵にするよりも、利害を一致させたほうが得な相手だし。大体、もしもあのイタリア人が彼のあの姿を見たら」
 それは真も同意見だった。
「では、知らない、と?」
「分からないわ」

 竹流に勝算があって自ら消えたのなら問題はないと信じたい。真は両手を組み、額を乗せた。自分の手が異様に冷たい気がして、心のうちまで震えた。
 田安隆三の店の地下の射撃場。あれは一体どうなったのだろう。添島刑事は何も言わないが、知っていてあえて黙っているのか、それとも誰かが恣意的に隠匿したのか、多少は気になったが、ここで真がそれを追求することはあまり賢いことではないような気がした。
 それから長い間二人とも黙っていた。

 締め切った部屋にいるからなのか、昼間とは思えない静けさだった。今頃、検屍官が田安の遺体から何か情報を探り出しているのだろう。田安ほどの人間が、あんな死に方をするのかと思うと、人間の人生の終わりというものに対しては、あまり多大な期待をしないほうがよさそうだった。
「もう大丈夫? もし辛いなら、少し横になって休んだら? 顔色悪いわよ」
 真は返事をしなかった。女に気遣われるというのも、多少有り難くない感じがする。
「女に慰められるのはいい気分じゃないでしょうけど、私は単に慣れてるだけだから」
「慣れてる?」

 真が聞き返すと、添島刑事は穏やかな優しい声でゆっくりと話した。
「水死体よ。ICPOで仕事してるとき、盗難美術品の担当だった。ICPOってほとんど事務仕事みたいな組織なの。現場に出ないと事情が摑めないって上司に掛け合って、一年ばかりマルセイユに住んでいた。色々、地元の警察と揉めたりしたけど、いい経験だった。盗難品の出入りと一緒に随分水死体にもお目にかかったわ。あまり有り難くないことに、慣れちゃったのね」

 真はしばらくぼんやりとその言葉を考えていた。
「そこで、竹流と知り合ったんですか?」
「マルセイユで私に住まいを提供してくれたのは、フランスでは知られた収集家の一人だったわ。そこで随分と絵の事を教えられた。その男の自慢は数点のジョルジョーネと言われている作品だった。ジョルジョーネ自身は生涯も謎に包まれているし、同時代のティツィアーノの作品と見分けのつかないものもあるし、本当かどうかは定かじゃなかったけど、ジョルジョはそれを見るために年に何度かはマルセイユに来るのだと言っていた」
 真は少し懐かしむような顔をした添島刑事を見て、それから視線を逸らせた。

「彼の仕事を知っていたんでしょう? 単に絵を見るためだけに来ていたのではないと」
「どうかしらね。ジョルジョは上手く尻尾を摑ませないで仕事をしていたし。それに、そうだと確信したときには既に特殊な関係になった後だったし、それでも暫く悩みながら仕事をしていたけど、丁度父が亡くなって、ICPOを辞めるいいきっかけになったわ。続けていたら何時か彼を追い込まなくちゃならなかったかもね」

 真は暫くの間、添島刑事が彼を本名で呼んだことに僅かな抵抗を感じながら黙っていた。二人きりでいる時に、彼女は彼をその名前で呼んでいるのだろう。それは真が永遠に呼ぶことのない名前だった。
 自分の感情の中に湧き上がる何かを押さえつけるように、真は質問した。
「その、新潟の事件に詳しい人は?」
「事件? 噂と声明でしょう。事件とは言いがたいけど」
「でも、あなたはICPOで盗難美術品に関わっていた。そういう分野に暗いわけではありませんよね。何か妙な感じはなかったんですか?」

 添島刑事は暫く何をどう答えるか考えていたようだったが、とにかく差しさわりのない事を答えたように見えた。
「あいにく、彼が何をしようとしていたのかは知らないわ」
「でも贋作を盗みに行くと、そう言っていたのでは?」
「あの男は時々酔狂で妙なことをしでかすから」
 酔狂とは言え、贋作を盗みにいく、とはどういうことだろう。当然のことだが、わけもなくそういうことをする男ではない。

 真は添島刑事が差し出した煙草を断った。
 気分はまだ悪くて、とても煙草を吸う状態ではなかった。いつの間にか空は重く暗くなり、光の輪は床から消えてしまっていた。

 田安隆三の解剖の結果、相当量のアルコールが体内から検出された。死因は明らかに溺死、しかも東京湾の水で、ということだった。死亡推定日は六月二十三日、四日前である。勿論時刻までは綿密にはわからない。水路部の情報も合わせると、入水場所はやはり芝浦の近くではないかということだった。他に死因と結びつきそうなものは何も出てこなかった。腹の傷はやはり死後のものだということだった。
 追加の報告があれば知らせると言われて、真は事務所の電話番号を残して東京に戻ることにした。多くは期待しないでくれ、というような気配だった。

 パトカーで送ろうかと問われたが、断って電車に乗った。
 電車の揺れは気分の悪さを増長するばかりだった。何が自分を苦しめているのか、考えたくなくて手は震えていた。電車の扉に体の右半分を預けて外を見ていると落ち着いてくるかとも思ったが、気分の悪さは変わらなかった。
 さっき見たばかりの遺体の残酷な姿と、電車の中の人間たちが、同じ種類の生き物だとは思えなかった。それはつまり、誰にもいつでもそのような姿になる可能性があるということだ。
 真は目を閉じた。
 今はもう何も考えたくないと思った。

(第6章 完結・第1節 完結)



さて、これで事件は起こりました(って、どんだけ長い『事件』なんでしょう。普通はひとつ死体を転がしておけばいいのに……あれこれ起こって、やっと第6章で水死体ひとつ^^;)。
ここからは、ひたすら足跡を追いかけていく第2章に入ります。
因果関係はともかく、水死体を見てからはすっかり不安の塊になっている真は、よからぬ想像を打ち消したいからか、やたらと過去を思い出す始末→『若葉のころ』。
高校生のころの可愛い(かな?)真をじっくりお楽しみください。

以下、コラムです。

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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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[雨41] 第6章 水死体(3) /昔イラスト第2弾(3) 

第6章『水死体』は比較的短いので、あと2回で終了です。第7章からは第2節に入ります。
今考えてみると、この改訂版を始めたとき、1回分を短く切るという話をしていたのに、蓋を開けてみたら、あまり短いと話がぶつぶつ切れた感じになるので、結局長くなっている気がします。
読みにくいとか、ございましたら、いつでもご指摘くださいませ。
それでは、第6章(3)、竹流の恋人・女刑事と真の会話、お楽しみください。




 田安を訪ねたのは、父の事を聞きたかったからなのかもしれない。
 その人のことを知らないままでは、恐怖ばかりが自分にまとわりついてくるような気もしていた。いや、そうではない。ただもう一度聞きたかっただけなのかもしれない。

 お前は優しい人間だ、と。人の死を願うような人間ではないと、ただそう言って欲しかったのだ。
『あの男と一緒に住んでいるそうだな。そりゃ構わんが、早く嫁さんを貰え。あの秘書のお嬢さんはどうなんだ。北条仁の恋人だって? いや、ああいうあっけらかんとしたタイプがお前さんにちょうどいい』
 珍しく酔った時、田安はそう言っていたこともあった。
 その人がこの世にいない。あんな膨れ上がった人間かどうかもはっきりしないような姿になって横たわっていた。

 何度も何度も吐いたのに、まだ胃の中に黒い塊が残っているような気がした。それはどうしても吐き出せず、苦しくて堪らなかった。涙と汗が血を絞るように噴き出してきたが、今はもうどうすることもできなかった。
 真がふらふらと手洗いから出ると、廊下で待っていた添島刑事が顔を上げた。嫌味な気配はなく、心配そうな顔だった。
「大丈夫?」
 真は返事をしなかったが、添島刑事は真の腕を労わるように支えてくれた。格好悪いとか、考える余裕はまるでなかった。

 控室は殺風景で、事務的な机と椅子が並んでいた。薄暗い廊下から部屋に入ると、窓からの光が作る暖かで穏やかな影とのコントラストが目を射た。突然別の次元に来たような心地がする。
 添島刑事は長椅子に真を座らせ、彼女も隣に座った。
「あなたって本当に、突然意外な顔をするのね。気丈かと思ったら、本当に脆いんだから。そんなに大切な人だったの?」
 真は答えなかった。大事な人だったかどうか、本当はよく分からなかった。

 傍らで添島刑事がそっと息を吐き出した。
「呼びつけて悪かったわね。あなたならもう少し冷静に何か見つけ出してくれるかと、いえ、本当は何か知ってるのかと思ったのよ」
 添島刑事の手が自分の背中に触れたので、真はびくっとした。不意打ちだったからではない。それが思った以上に優しい手だったからだ。

 あぁ、そうか。この女も実際には意外と優しい女らしい人なのだろう。こういう、芯が強くてしなやかで優しい女は竹流の好みだし、この女が彼の恋人として相応しい一人であることは納得がいった。
 そのことに思い至ったとき、背中に触れている彼女の手が、心のうちに今、自分が最も求める手と重なった。
 りぃさの自殺を真に伝えたのは竹流だった。やはりあのマンションのベッドで、もうその時は声を上げることもできなかった真を抱き、彼は静かに真の頭を包み込んでくれていた。そしてその後、大間の海岸で、一緒に住もうと言われたのだ。
 不意に、真は身体を貫くような痛みを覚えた。もしかして、あの手も二度と冷たくなったこの身体を抱き締め、時には慰めるように頭を撫で、あるいは労わるように肩を叩いてくれることはないのだろうか。そう思ってぞっとした。

 田安は殺されたのだ。いくつもの戦火を潜り抜け、戦いに明け暮れた人生を送り、人一倍他者の殺気には敏感な男が、東京湾に浮いた。田安が老人だったとは言え、ただの年寄りではない。その無情で周到な殺人者が竹流を放っておいてくれるだろうか。
 そう思って身体は震えた。
 震えてから、幾分か頭が冷めると、竹流が関わっていることと、田安の死に関係があるという確証がないことに気が付いた。だが、もう半分は何が何だか訳が分からなくなっていた。
「帰って待ってる? 解剖の結果は教えてあげてもいいわよ」

 真は、待つと答えた。田安の死を見届ける義務があると思った。そして、竹流が戻ってくるまで、まだ倒れるわけにも狂ってしまうわけにもいかないと思った。あの手を取り返すまで、たとえ心の内にどんな闇を抱えていようとも、立っていなくてはならない。
「泣いてるの?」
 真は返事をしなかった。添島刑事が隣でひとつ息をついた。
「あの人があなたを放っておけないわけがわかるわ。でも、本当はそんな単純な言葉じゃ片づけられないのよね」
 彼女の呟きの意味の全てが、理解できたわけではなかった。だが、意外にも優しい気配を感じると、この女が竹流を本当に愛しているのだと信じられた。

 あの馬鹿、何人の女をその気にさせたら気が済むのだろう。それなのに、生きて帰ってこないとしたらとんでもない。精一杯の強がりでそう思った。
「竹流を、本当に好きなんですか」
「そうね。そうかもしれないわね」
 添島刑事は突然の質問にも驚いた気配はなかった。
「何人も女がいるのに」
「知ってるわよ。多分、私のほうがあなたよりずっと具体的なことを知ってる。でもあの男はそれぞれの女といるとき、本当にその相手に真摯だから、少なくともそう思わせてくれるから、女は気持ちよく騙されてしまうのよね」

 むしろ爽やかに言い切る隣の女に、真は嫉妬した。
「腹が立たないんですか」
「立つわよ。でも、実際に目の前にいて上手く甘えられてしまったら、それまでなの。そして抱かれたら許してしまう。彼に見つめられると、自分が世界の中心にいるのだと思えるの」
 真は思わず添島刑事を見た。
「だからあいつはつけあがるんだ」
 添島刑事は真が驚くほど感じのいい笑みを見せた。
「そうね。で、あなたは?」
「俺? 何で?」
「てっきりあなたたちはできてるんだって思ってたけど。カマをかけたのに、あなたは引っ掛からないし」

「カマをかけた?」
 真が訝しく思って聞くと、添島刑事は幾分か楽しげに笑った。
「彼の背中の火傷のこと。知らない振りをしてあなたにカマをかけたわ」
 あぁ、そういうことか、と真は思った。
「いえ、引っ掛かるも何も、俺は実際知らなかった。それにできてるって、どこかの三文雑誌並みの発想です。刑事のあなたが、らしくもない」
 添島刑事は今度は意味ありげに笑った。
「そうかしら? 刑事らしい洞察力だと言って欲しいわね。あの男は本当に、『恩人の息子』を我が子か弟か恋人かってくらい、可愛がっているものね」

 真は少しの間考えていたが、やがて自分の手を見つめたまま言った。
「できてるんなら背中にだって触れる。火傷の瘢の事を知らないことはない」
 添島刑事も少しの間考えていたようだったが、やがて言った。
「じゃあ、もっと女たちの気持ちを害するわね」
 真は意味がよく分からずに、彼女の顔を見た。
「余計に悪いって言ってるのよ。セックスをする相手の方がよほどましね。身体を求めないのに、あそこまで大事に思うってのは」真が理解できないまま返事もしないでいると、添島刑事は先を続けた。「あれは二年ほど前のことだったかしら? あなた、ビッグ・ジョーのところでひどい目にあったでしょ。彼がその時どうしようとしたか聞いている?」

 真は思わず息を飲み込んだ。
「可愛い恋人のためでなかったら、あんな喧嘩の売り方をするかしらね。いえ、喧嘩じゃなくて戦争だわ。頭に血が上って何も目に入らなかったって感じだったけど。彼の仲間たちがそういう部分で常識的な人間たちでなかったら、新宿は文字通り戦場になってたわよ。あの男に自覚はなかったんでしょうけど」
 真は添島刑事から目を逸らした。僅かに身体が震えるような感じがした。
「俺にはただ、野良犬に噛まれたようなものだから忘れろと、そう言っただけです」
「あなたにはそんな自分を見せたくなかったんでしょうけど、あの事件でその世界では、完全にあなたは彼の恋人だと思われるようになった。その上全国版の雑誌であんなに堂々と愛しているなんて宣言されたんじゃね。しかもあなたたち、否定しないじゃない」
「それは、面倒だからです」

 真はいちいちそう答えるのも面倒な気がしてきた。大体、人と人との間の微妙な距離感を、第三者にどう説明してもわかってもらえる気がしない。何よりも自分自身が自分の感情に確信が持てない。 
 だが、添島刑事にそう言われてみると、あの雑誌の記事が何となく周辺の人間たちの感情を引っ掻き回した気がしなくもない。竹流の仲間たちも女たちも、面白くないと思っただろうし、あるいは彼の敵だって、別の形で何かを思ったかもしれなかった。

「あの時、何があったか知ってる?」
「え?」真は聞き返して添島刑事の顔を見て、それから床に視線を落とした。「いや、俺は」
「そうね、さらわれてから薬漬けで散々玩具にされて、意識もなかったんでしょうね。あの時、ビッグ・ジョーは彼がソ連やアメリカ、ヨーロッパの国から美術品を運んでいるルートを欲しがった。あれほど完璧にやばいものを隠せるルートは他にないと思ったんでしょうね。ある意味正しいけど」
「それは、あいつは怒るでしょう。そういったものが麻薬や武器の隠れ蓑に利用されるとしたら」

 添島刑事は微妙な表情で笑った。
「そうね。でも、彼はビッグ・ジョーにこう言ったそうよ。そんなものが欲しければいくらでもくれてやる、堂々と正面から交渉に来い、けれども既に交渉の席につくチャンスをお前は自分から失ったってね。彼にとって、本当にそんなものはどうでもよかった。そのルートを奪われるだけなら、彼は戦争をしかけようとは思わなかった」
 真は床の冷たいタイルの色を見つめたままだった。そのことについて竹流自身がどう思っているかは別にしても、葛城昇や東道が竹流を見て危なっかしい気持ちになったのは十分理解できる気がした。

「世界中には馬鹿みたいな金持ちがいて、自分のためだけに値段もつけられない土地と屋敷と金銭以外の財産を持っていて、数えたこともないほどの数の車や自家用機や船を持っていて、ついでに気が向いたときに何時でも玩具にできるセックスの相手をハーレムのように持っている。普通の遊びでは飽き足らなくなっていて、相手の性別も年齢も全く気にせずに玩具にするのよ。それも使い捨てでね。異常なセックスの結果、相手が死のうと構わない。あるいは、宴会の余興に、素手の人間を、虎やライオンと闘わせたりして楽しむ。寺崎昂司があなたを助けなかったら、あなただってそういう金持ちに売られていたかもしれない」

「寺崎?」
 真は思わず飛び込んできたキーワードに飛びつくように彼女の顔を見つめた。
「あなた、誰が自分を助けてくれたのかも覚えてないの? まぁ、あんな状態だったから仕方ないけど」
「寺崎昂司って、竹流の仲間の」
「仲間? ちょっと違うかしら」
「どういう意味ですか」
「彼の仲間と彼は表向きにはほとんど接触しないようにしているでしょ。でも寺崎昂司と彼だけは違うわ。一緒に遊んでるし、いつだって何かを競って楽しんでいる。お互いに特別な存在なんでしょうね。寺崎は関西では有名な運送屋の社長の息子で、裏家業では逃がし屋として知られている。あなたを助けることができたのも、寺崎昂司の持つネットワークが物を言ったのよ」

 真は添島刑事が、寺崎が今彼と一緒に(現在一緒にいるかどうかは別にして)行方不明になっていることを知っているのだろうかと思ったが、そのことを確認していいものかどうか判断がつかなかった。寺崎の名前が偶然に出されたのか、それとも故意なのか、何か探りを入れられているのかもしれなかったが、あまりにも竹流の身近にいる人物のことだけに、ここで寺崎の事情を話すことが躊躇われた。
 だが、そうなのか、と思った。だから高瀬は、あなたは知っている、と言っていたのか。添島刑事が言うビッグ・ジョーに捕まっていた時、意識が朦朧とした状況だったので、あの時自分を助けてくれたのはてっきり竹流自身だと思っていた。助けに来てくれた男の背格好も気配も、実際竹流とよく似ていた。いや、本当のところはあまりよく覚えていないのだ。

「寺崎昂司があなたを救い出すのが僅かに遅かったら、あるいは寺崎が彼を止めなかったら、それこそ新宿のど真ん中で血の雨が降っていた。いいえ、あるいは止めたのが寺崎昂司じゃなかったら」
添島刑事は一瞬、言葉を継ぐのを躊躇い、そして続けた。
「いつも陽気で性質的には寛容で穏やかな男に見えるけど、あの時はやっぱりイタリア人だと思ったわ。報復に手ぬるいことはしない」

 あまり考えないでおこうと思った。竹流がそうしようとしたのは、多分彼自身の血のせいで、自分をどうこう思っての事ではないと思った。彼は、例えば寺崎昂司が同じようなことになっても、やはり同じ反応をしただろう。
 そういう男だと思った。
 竹流は寺崎昂司を庇ってあの背中の火傷を負ったのだ。自分が傷つくことよりも友人が傷つくことを恐れたのだろうか、それともただ、受けてきた教育の結果として、身体と脳が反応するままにそうしただけのことか。

 真は自分の手を握りしめた。この手で彼の背中に触れたのは、一体いつが最後だったのだろう。あんなにもそばにいたのに、知り合ってから十五年も経つのに、本当に彼の何を知っていたというのか。少なくとも知ろうという努力が必要でないほどに、彼は真を大事にしてくれていたということなのかもしれない。
 だが、本当にそれだけで良かったのだろうか。
 あんな新聞記事の切り抜き一枚を残されても、何をどうしたらいいのか分からない。
 だがふと、三年半前、というキーワードを思い出した。
 あの新聞記事、雑誌記者の自殺と、竹流が火傷を負ったという三年半前。





以下コラムです。
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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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[雨40] 第6章 水死体(2) 18R /昔イラスト第2弾(2) 

大事な人がいなくなってあれこれパニックになってしまったようで、このあたりから真がやたらと過去を思い出しています。今回は、あまり幸せでない方の過去なので、注意付きです。
以前にも出てきた苛めのシーンですが、少し具体的な描写で出てくるのと、昔付き合っていた女とのシーンでいささか18禁表現がありますので、15R/18禁です。
主人公ですが、一応この人にも色々負の感情がありまして、この【海に落ちる雨】は人の心の負の感情もひとつのテーマになっています。だから今回、ちょっと彼の負の感情が出てきますが、許してやってください。
でも、何度も鬼平で申し訳ありませんが、「人は良いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら良いことをする」のです。うちの和尚さん(from【清明の雪】)に言わせると、「100%の善もなければ、100%の悪もない」ということでして。
そして、ミニコラムは、『黒歴史』その2の2ページ目。大和竹流つまりジョルジョ・ヴォルテラと真の息子・慎一の話の300P突破記念コラムの2ページ目^^;(→記事の最後の『続きを読む』)




 過去に網膜が送った全ての情報の中を探しても、その服装や水死体そのものについても、記憶の引き出しに納めるべき段はなかったが、生前よりも随分と膨らんだ顔の口元から延びる髭は、紛れもなく田安隆三のものだった。昨日訪ねていって会えなかった。日常、水死体などに用事はないが、どう見ても昨日今日の死体には見えなかった。つまり、昨日のあの時には、田安はもうこの世にはいなかったということだ。
「手洗いはそこよ」
 辻に教えられた通りの場所を添島刑事が示し、真は指された方へゆっくりと歩いた。何の考えも浮かばず、ただ言われたままに行動していただけだった。頭の中には、もう田安ではなくなってしまっている膨れ上がった物体がただ存在していた。

 朝方の電話で水死体、と聞いて、一瞬、脳の中の思考が細胞ごとにばらばらになった。わざわざ同居人の恋人からかかってきた電話だ。まさか、と思うのが当然だった。一旦そう考えてしまうと、その考えを打ち消すのには相当の時間と努力が必要になった。女刑事の淡々とした声を聞きながら、灰色の細胞の隅のほうでようやく、そんなはずはないと冷静に受け止める部分が分裂した思考回路を纏め上げた。
 安置室の扉が開く前に、添島刑事に水死体は大丈夫か、と聞かれたが、経験がないのでわからない、と思った。そう考えるくらいには余裕を取り戻しているつもりだった。実際、自分でも意外なことに、膨らんだ水死体の異様さには動じなかった。

 だが、その髭を見た途端に、咽元に心臓が上ってきて回転したように感じた。呑み込んで胃に納めようとした塊は、何度も体の中心で拍動した。頭の方へ回る血液は明らかに減少して、滝壺に落ちるように全ての血液が胃へなだれ込んでいった。小中学生の頃、学校に行くと、しばしばこんなふうになって、あとは意識が吹っ飛んでいた。
 あの頃と同じようにすーっと頭が冷たくなったと思った時に、誰かに腕を摑まれて部屋から連れ出された。その腕に血液も神経も集中すると、何とか倒れずに済んだ。手洗い、と言われてどういう意味か理解はできないままだったが、足は別の意志を持っているように扉の中に体を運んだ。開いたままの便器の蓋に手を掛けてその冷たさを感じた瞬間に、一気に嘔気がこみ上げてきた。今朝は何も食べていないので多分ろくなものは出てきていないはずだが、胃液のような液体を吐き出すと、楽になるどころかさらに気分が悪くなった。
 しばらく嘔吐は止まらず、血液の臭いまでしたように思った。胃の中には、もう田安ではなくなってしまっている膨れ上がった物体がまだ残っている気がした。その物体は真の体の中で蠕いて、しわがれた声で話しかけてきた。

 お前は、優しい人間だ。

 その声は腹の中から背骨の細かな関節を伝い、耳の骨にまで直接響いてきた。関節を超えるときに音は増幅し、輪唱する歌のように幾重にも折り重なり、頭に響いてきたときには割れるようなわんわんとした雑音になっていた。眩暈を感じると、その雑音はしばらく遠ざかり、それから輪唱の最後のパーツのように透明になった声が残り、もう一度同じ言葉を繰り返した。それは、確かに真が覚えている田安の声だった。
 あんなにも怪しい老人なのに、普段は厳しく他人を吟味しているのに、あの時彼は本当に真を思いやってそう言ってくれたのだ。

『そんなふうに殺気を漂わせていてはいけない。自分が許せないからか? 哀しいことは泣いてしまうのがいいのだよ。お前は父親とは違う人間だ。幻想に摑まれてはいけない』

 父親との接点は考えたことがなかった。懐かしむとか求めるとか、そういう感情を一切抱いたことがなかった。少なくとも自分はそうだと、今の今まで思い込んでいた。
 昨日、自分は何故田安に会いたいと思ったのか。
 澤田と田安の接点を知ったからかもしれないが、その澤田の口から、父親代わりという言葉が出たからなのだ。小さなキーワードだった。

 初めて田安に会ったとき、彼はアサクラタケシのねぇ、と呟いた。その名前が何か特別な名前であることを直感的に感じながら、恐ろしくて聞き返せなかった。何故、祖父もおじたちも、真が次男の武史の子供であることを敢えて隠しはしないのに、父親に会わせてくれようとしないのか、あるいは会えないのか、その理由を説明してくれたことはなかった。
 父が恋しいわけではなかった。恋しいと思う感情が湧き出すほどに、その人を具体的に思い描くことができなかった。
 そして何よりも、父の仕事が何か得体の知れないものであることを気配として察知して以来、恋しいと思ってはならない相手になった。 
 自分の中の得体の知れない血が、いつかとんでもないことをしてしまうのではないか、そんな恐怖がいつも付きまとっていた。


          * * *

 中学生の時も、学校で苛めにあっていた。
 小学生の苛めとは本質的に違っていて、大人の身体に近付いて体力を身に付けた『いじめっ子』たちのやり方は、肉体的な苦痛を強いる暴力へと姿を変えていた。
 体格も大きく力のある柔道部の上級生に何度も呼び付けられて殴られた。
 彼らが真の何を気に入らなかったのかはわからないが、真は小学生の時から苛められていたのと同じ理由だろうと思っていた。自分の髪と瞳の色が他の子供たちと少し異なっていたことと、もともと他人と話すのが苦手だった上に、東京に出てきてから言葉が上手く理解できなくなっていて、あまり他人と口を利いたり打ち解けたりしないので、生意気だと思われていたせいだろうと、そう思っていた。

 殴られても始めは本当には恐ろしいと思っていなかった。そういう態度が余計に彼らの気に障ったのかもしれなかった。
 真は実際、自分自身には武器があることを知っていた。
 赤ん坊の真を北海道に連れて行って育ててくれた祖父は、何度も熱を出して死にそうに見えた子供を鍛えなければと思ったのか、厳しく躾け、剣道を教えてくれた。祖父はその当時、北海道ではかなり有名な猛者だったし、子供だからといって真に対して一切手を抜かなかった。お蔭で真も自分の腕にそれなりの自信もあった。だが人一倍厳しい祖父は、それを喧嘩に使うことなど勿論許さないはずだった。もし殺されても相手に手を出すなと言いそうだった。それに真自身、子供の頃から唯一信頼し尊敬できる大人だった祖父を、失望させたくはなかった。

 だが、ある時我慢と恐怖の限界を越えてしまった。
 相手はいつも複数だったが、その時はいつもより人数も多く、何か新しい苛め方を思いついたのか、にたにたと笑っていた。その顔を見たとき、既に真は身体が硬直するような恐怖を覚えていた。
 コンテナのような造りのクラブの部室に連れ込まれて、あっという間に押さえつけられて裸にされた。日本人ではないようだから、身体の隅々まで違いをよく調べてやる、と言って、彼らは笑いながら下着まで剥ぎ取った真の足を開かせて、前と肛門まで懐中電灯で照らして、笑いながら写真を撮り、そのうち真の身体に落書きを始めた。力強い幾人もの手で押さえつけられたままで、口の中には何か異物の気配があり、息を吸うのもままならず、叫ぶことも噛み付くこともできなかった。

 女のものと一緒だ、と大笑いをしながら誰かが言った。そういう落書きを後ろの孔の周りにしていたようだった。それから、頭は床につけられたまま、腹ばいにされて腰を抱えられた。
『ゴムとゼリーつけてやったほうがいいんじゃないのか』
 興奮した声が唾を呑み込むような卑猥な響きを伴っていた。息苦しい姿勢のまま、何の話かと思うまもなく、いきなり肛門に何か硬いものを突っ込まれた。
 叫んだはずだが、喉には何かがつっかえている。肛門に突っ込まれたものは、更に奥深くに押し込まれ、身体を押し広げるように激痛が滲みこんできた。
 涙と涎が零れだす感じがした。逃げようとしたはずだが、頭は足で床に押さえつけられ、両手の自由は完全に奪われていた。後ろに突っ込まれたのは大人のための玩具らしく、彼らはそれを抜き差ししながら、卑猥な声を上げていた。

『すげぇ。こいつ、感じてるんじゃないの。ここ、ひくついてるぜ』
 誰かの一言で、皆がまた笑い始めた。下品で粗野で不潔な人間たちだった。
 もちろん、感じるはずなどなかった。大体、感じるというのがどういうものなのか、その時の真はまだ知らなかった。ただ、足が痺れて、頭の中ではフラッシュが焚きつけられたような旋光が何度も飛び散った。
『ちびってやがるんじゃないのか。扱いて、白い方、ちびらせてやれよ』

 誰かの汚らしい手が、真の性器をつかみ扱き始めた。真は痛みのあまりに叫んだつもりだったが、声は咽喉元にまで詰め込まれた何かで閊えて、ただ唸っただけだった。その閉塞感は耳の中で、籠に閉じ込められた虫の断末魔の羽音のように反響していた。
『あぁ、俺、たまんなくなってきた』
 その声がぞっとするくらい近いところから聞こえてくる。
『女よりいいらしいぜ。むっちゃ締まりがいいんだってよ。突っ込んでやれよ』
 後ろの中心から硬い玩具が抜き取られ、尻を押さえつけられ、もう少し温度のある硬い別の感触がひきつった部分にあてがわれた瞬間、激痛と恐怖と屈辱と、そしてついに怒りとが一気に吹き上がった。何かの拍子に一瞬、腕が自由になった。
 その瞬間、思い切り暴れて、手の届くところにあった長い棒を摑んだ。それが何だったのかはもう記憶にない。

 殺さなければ、いつか殺される。こいつらは殺されても仕方がないことをしている。こんな下品な奴らを殺したって平気だ。真は口の中で呟いていた。
 大勢が逆転したのを知ったときの彼らの恐怖に引きつった顔が、今も忘れられない。あの時、もしも手に触れたのが野球のバットで、もしも給食の車が通りかからなければ、きっと彼らを殺してしまっていた。
 結局その事件で学校には行けなくなった。伯父は相手の親が何か言ってきたと学校から呼び出されたが、逆に完全に切れて、ようやく息子を苛めていたやつの正体が分かった、徹底的にそいつらの責任と学校の責任を追及すると言って、知り合いの有名弁護士の名前を出して全面対決の構えを見せた。学校が事件を隠そうという姿勢に変わった時には、伯父はたまたま一年ほどアメリカに留学する話があったのに飛びついて、真と葉子を連れてカリフォルニアに移った。
 伯父は真を赤児のように抱き締めて、一緒に泣いてくれていた。日本に帰ってからは、結婚するつもりだった昔の恋人が経営している私立の学校に真を編入させてくれた。そこからは、環境は随分と変わった。

 それでも時々、手の中にあの時彼らを叩き続けた感触が蘇った。被害者として殴られていた痛みにも震えるほどの恐怖がこみ上げてくるが、加害者として殴っていた時の感触はそれにも増して忘れようのないものだった。
 あの時、殴っている間に思い出していたのは、赤ん坊の時の不気味な記憶だった。
 覚えのないアパートの部屋で、美しい女性が赤ん坊の自分を抱いていたが、泣き出した赤ん坊を見ると、その人は形相を変えて小さな首を絞めた。

 真は上級生たちを叩きのめしながら、まさに今、その女にも復讐をしているのだと思っていた。
 そもそもあの女が悪いのだ。あの女が俺をこんなふうにしたのだ。だから、あの女を殺さなくてはならない。
 これまでも、夢の中で食い込んでくる指の気配で、何度も目を覚ましたことがある。
 それが本当の記憶なのか、誰かがそのような昔話をしているのを聞いて、自分の中で作り上げられた幻想なのか、今となってははっきりしない。だが、殺さなければ殺されるという感情を真の中に残したのは事実だった。

 その女性が伯父の妻で葉子の母親で、真の実父が捨てた女だということを知ったのも中学生の時だった。
 彼女は、真の父に捨てられた後、精神が不安定になっていた。
 伯父の功は、もともと憧れていた女性だったこともあって哀れに思ったのだろう。当時付き合っていた女性と別れて、その女と結婚した。だが、引き取った赤ん坊が、よりにもよって自分を捨てた男の子供で、文学部の同人誌に書かれるほどの大恋愛の末に生まれた赤ん坊であることを、その女は知っていた。
 もちろん、彼女なりに乗り越えようと必死だったはずだった。
 けれども、神経質で過敏な赤ん坊の泣き声は、その女を追い込んでしまった。

 伯父が失踪した後で、その女が長く入院していたサナトリウムで末期の癌に侵されていると知ったとき、真は自分がその女よりも初めて優位に立っていることを感じた。
 自分は生きていて、女は明らかに死に向かっていた。今や、その女の運命さえも自分が握っていると感じた。
 今の自分は首を絞められるばかりのか弱い存在ではない、それどころかその女を救ってやる広い心と力を持っているのだと思い、自分の部屋のベッドの上で布団に潜ってうずくまり、ずっと笑っていた。
 そう、あの女についに復讐するときが来たのだ。ゆっくりと真綿で首を絞めていく、その復讐を始めるときが来たのだ。

 興奮して、知らず知らずのうちに性器を擦り、肛門に唾液で濡らした指を挿れ、何度も自慰をした。思いつく限りの呪いの言葉を口にしながら限りないほど昇り詰め、その後は窓から胃液を吐き続け、寒くなって震えるようにベッドに戻り布団を被ると、そこに深い闇があった。

 自然の世界には完全な闇はない、と教えてくれたアイヌの老人は、ただ一つ、人の心の中にだけは完全な闇があると言った。
 それが今まさに自分の心の中にあった。その女の孤独で無惨な死を思い描いて興奮していた自分が恐ろしくて、いや、ただ何もかもが恐ろしくて、その女のために自分の身を犠牲にしようと考えた。
 あの闇を、自らが作り上げた美しい物語で覆い隠してしまいたかった。自分の首を絞めた女のために、天使のような心を持った赤ん坊は成長して、女の病を治療するために自らの貞操と羞恥を売りに出した。

 だから、滝沢基に身を任せたのだ。
 しかし滝沢は、真が考えていたほどには酷い人間ではなかった。真自身は何をされてもよかったし、できるだけひどく扱われたいと願っていた。そういう自分の犠牲が、あの心の闇を浄化するための儀式であるとさえ思っていた。だから、ベッドの上では滝沢に教えられるままに何でもした。だが、どう思い返してみても、ファインダーを間に挟んでいないときには、むしろ優しく扱われたという記憶しかない。それが金に変わったとき、本当は声に出して泣き叫びたかったのに、うめき声一つ上げることができなかった。

 そして、本当に女が死んでしまったとき、どれほど否定しても湧きあがってきたのは、安堵の気持ちだったのだ。もう恐ろしい夢を見なくても済む、と思い、自分の心に黒い空洞が開き、そして真は生まれて初めて、心の闇を吐き出すかのように泣き叫んだ。
 その時、何も聞かず、何も言わずに真を抱いていてくれたのは、今の同居人だった。狂ったように泣き叫び、自分自身を傷つけようとした真を、彼はただ一晩中抱き締めてくれていた。彼があの日、偶然傍にいてくれたのか、自分が彼を訪ねて行ったのか、もう記憶にない。

 だが、誰かの死を願うという心の闇は、再度真の内に湧き上がった。それは、妹(実際には従妹)の結婚相手、すなわち唯一の友人の、従姉に対してだった。
 幸いにも妹の葉子は、真の首を絞めた女の娘だったにも関わらず、その人にあまり似ていないようだった。赤ん坊のときから葉子自身、一度もその女に抱かれたこともなく育ててもらえなかったことが、親子の類似点を消してしまったのかもしれなかった。葉子をずっと大事に思っていたし、高校生のときから付き合っていた篁美沙子と別れた後、一時は本当に彼女に告白したい衝動に駆られたりもした。

 だが、できなかった。
 葉子は本当に『大事な人』だった。妹としても恋人としても姫君としても、誰よりも大事な人だった。だからこそ、穢れた心を抱いたままの自分では、最後の一歩は永遠に踏み出せなかった。手を伸ばせば数センチで彼女の手があったのに、その手に届かなかったあの秩父の山奥の流星の降る秋の夜空の下で、あの恋は恋のまま永遠に残った。

 葉子の花嫁姿を見た日、彼女の夫となった男の従姉と、迷いもなくベッドを共にした。そして、狂ったように彼女にのめりこんでいった。
 小松崎りぃさは自殺願望に縛られた女性だった。いつも一緒に死んでくれる相手を探していた。りぃさと初めてベッドを共にした日、彼女は真の身体に残る事故の傷跡を見て、真の『死に掛かった』過去に対して恍惚とした表情を浮かべ、その傷跡に触れ口づけた。彼女にとって真は一緒に死んでくれるのに相応しい、最高のパートナーに思えたのかもしれない。

 それから数えられないほどセックスをしながら自殺ごっこを繰り返した。彼女が本気だったのか遊びだったのか、ただ不安だったのか、今でも真には分からなかった。
 どこで手に入れてきたのか、警察官からかっぱらったと言っていた手錠や赤い紐でベッドに括り付けられ、町で手に入れたという法律すれすれの薬を飲んだり吸ったりして淫蕩な行為にふけった。りぃさが望むので、彼女を縛り、肌に食い込んだロープの隙間から突き出す乳首をちぎれるほどに強く噛み、言われるままに彼女の前で自慰をした。何の抵抗もなく、何の後悔もなかった。

 彼女の理論は不思議に説得力があった。
『普通、食物連鎖の中では増えすぎた生物は、食べるものが減って滅びるのよ。どうして人間はこんなに増えているのかしら。きっと他の生物たちは人間が地球を汚しながらたくさん蔓延っているのを見て、何とかしなくちゃって思っているわ』
 その言葉には反論することはできなかった。人間に、そして自分に引き返す道がないことは、真も理屈では分かっていた。時々、りぃさは真の身体の下、腕の中で昇り詰めながら涙を流していた。気持ちいいと呟いていたが、本当はそういうことではないということを、真はよく分かっていた。

 ただりぃさを救いたいと願っていた。彼女を救う方法が一緒に死ぬことなら、それも仕方がないと思っていた。
 だが、りぃさの細い指で、あるいは紐やベルトで首を絞められるたびに、いつも身体の中のどこかで何かが悲鳴を上げていた。それを聞かないふりをし通した。

 りぃさが自殺をしたと聞かされた時、襲ってきたのは悲しみではなく、安堵の気持ちだったのだ。いつも使っている薬の量を間違えた、と聞かされたが、本当かどうかは分からない。どこかでりぃさの死を願っていた自分が、彼女を呪い殺したのかもしれないと思ったとき、その自分の心の闇が恐ろしくて耳も心も閉ざした。今度こそどうなってもいいと思い、ふらふらになっていた。

 その時、当時勤めていた調査事務所の先輩の三上が、事務所の爆発事故で下半身不随になった。
 三上はいつも真を気に掛けてくれていて、兄貴のように面倒を見てくれていた。真は、三上が二階の窓から爆風と炎で吹き飛ばされ、表通りに落ちるのを、まともに見てしまった。
 事故は田安隆三を真に紹介した胡散臭い唐沢所長の保険金詐欺によるものだったが、その予兆は以前からあって、もしも真が女にうつつを抜かしてさえいなければ、十分に気が付いて三上を救えていたかもしれなかった。
 それだけに、もっと自分を許せなくなった。

 あの頃、どこかにこの自分自身を沈めてしまいたかった。不安定な気持ちをぶつけるのに、田安の射撃場は思った以上の効果を示した。
 だが、その時田安が言ったのだ。

 お前は優しい人間だ。そんなふうに殺気を漂わせていてはいけない。自分が許せないからか? 哀しいことは泣いてしまうのがいいのだよ。お前は父親とは違う人間だ。幻想に摑まれてはいけない。





以下コラムです。
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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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[雨39] 第6章 水死体(1)/ 昔イラスト第2弾(1) 

さて、第6章『水死体』を始めたいと思います。
第5章までのあらすじは『limeさんのイラストと…』(→click)に載せております。
いよいよ病院から完全に姿を消した大和竹流。そして浮かび上がる3年半前の雑誌記者の自殺。
竹流が関わっていたのは何? 雑誌記者の自殺の裏には何が?
ミニコラム復活しました。教えていただいた記事の畳み方を実践(*^_^*)
そして発掘された昔のイラスト(というより記事の1ページ)を公開しております(^^)
→続きを読む、からどうぞお入りください




 マンションに戻ると、美和の靴が玄関にだらしなく脱ぎ捨ててあった。真は、薄暗い照明の中に浮かび上がるヒールの低い靴をしばらくぼんやり見つめていたが、きちんと揃えようと屈んだ。そのとき、まだ自分の身体に深雪の残り香が纏わりついていることに気が付いた。麝香の香りに似ている、それは深雪の身体の匂いのようだった。それを感じた真の身体の芯は、まだ火照っている。
 今日の自分はどうかしている、と真は思った。深雪と寝るという行為が、極めて動物的で肉体的な欲望であると同時に、生命が太古の昔から宿している生殖という聖なる儀式であるということを、この身体が認めていることを感じていたのだ。

 ただ不思議だった。深雪と寝るとき、真は明らかに自分が生物学的に雄であることを強く感じている。雌を追い込み、その性器の中に己の雄を突っ込み、生殖行為をするという当たり前の生物としての営みをしていると感じている。だからこそ、そこに愛おしさや優しさが入り込む隙間がなく、ただ寝たい、やりたいと思っているのだ。それは高校生のとき美沙子としていたセックスとはどこか違っていた。あの頃も、ただやりたいという気持ちがあったのだとしても、生殖行為という感覚はなかった。ただ思春期の男の身体の欲望に過ぎなかったと思う。そう思うと、今まで自分は何か勘違いをしていたような気持ちになった。

 何故、深雪と寝るときにだけ、こういう感覚があるのだろう。他の女と寝ても、一度も雄としての本能を強く感じたことはない。自分の遺伝子を残そうとする雄の強烈な本能は、端から自分には縁の無いもののように思っていた。性行為に対して、子孫を残すという意味づけ自体を感じていなかったし、自分の遺伝子にはどこか認めてはいけない穢らわしいものがあると思っていた。だから、これまで曲がりなりにも付き合ってきた女性に、本能からこの遺伝子を残すために子どもを宿して欲しいと願ったことがない。
 深雪には子どもができないことは聞いていた。その理由までも確認したことはないし、その言葉を信じる根拠もなかったが、深雪がそれについて嘘を言う必要などないと単純に信じていた。子孫を残せない女に対してだけ、真自身の身体も心も特殊な反応をしている。

 真は美和の靴を揃えてから部屋に上がり、リビングに入った。
 リビングのソファで、美和が上着も脱がずに丸まって眠っていた。
 初めて美和を抱いたとき、子どもができたら責任を取ると言った。だが、自分の心は、そんなことはないと知っていたのではないか。今日、深雪を抱いてきて、ここに立っている自分自身は、もう以前の自分ではないような妙な感覚があった。

 だが、こうしてこの部屋の中で真の帰りを待っている美和に対して、愛しいという思いを抱いていることは、決して嘘ではなかった。それはもしかすると、女としてではなく、家族のような、あるいはお伽噺の幼い恋人のような、そういう優しい愛情なのかもしれない。こういう種類の愛情に身を委ねるのは、ある意味では心地よいことなのかもしれない。自分が人間として正しい、理性的な優しい人間であるような錯覚を感じさせてくれる。
 美和はどのくらいこうしていたのだろう。そう思うと、今更だが胸が痛んだ。

「美和ちゃん」
 美和は呼び声に少しだけ反応したが、相当飲んだのか、起きる気配がなかった。
だが真が抱き上げると、彼女は目をこすった。
「先生?」
「うん」
「……もう帰ってこないかと思った」
 寝ぼけているような口調だった。

 帰ってきたとは言え、することはしてきているのだから美和に言い訳する言葉もなかった。寝室に運びベッドに寝かせると、美和は目が廻る、と言った。布団を掛けてやると、美和はもう話しかけてこなかった。
 その寝顔を暫く見つめ、額に口付けると、真はリビングに戻ってまだ美和の温もりが残るソファに座った。
 上着の内ポケットから煙草とライターを取り出し、火をつけて、上着を脱ぐこともなくそれをゆっくりと吸った。相変わらず味のない煙草だった。
 一人になると、本当は女のことなどではなく、全く別のことを考えている。その自分の中にある不可解な『何か』が、自身の底のほうから湧き出してきそうになると、慌ててそれを意識から遠ざけた。気が付くと、手のひらに爪の瘢が残るほどきつく自分の手を握りしめていた。

 身体には深雪の匂いが残っていた。不快にも思わず、何も感じず、ただそういうものだという気分だけが移り香と一緒にまとわりついていた。さっき感じた不可思議な印象を、真は考えたくないと思った。深雪との行為にあんなにも身体は悦んでいたのに、何かもっと大事なものを感じるための器官は完全に麻痺していて、全く機能している気配がなかった。
 そういう意味では美和を抱いていたときも同じだったのかもしれないと思ったとき、理性はそれを完全に否定した。美和は違うと、その理性らしいものは真自身を説得しているようだった。

 煙草が一本終わると、真は手の仕事を探すようにテーブルの上の資料を広げた。
 美和が調べてきた澤田顕一郎の略歴だった。

 澤田顕一郎。
 頭の中でその人物を思い描くのに、たっぷり十秒は時間が掛かっていた。
 澤田の出身地は大分県の国東半島で、実家は廃寺になっていた。父や伯父と同じように地方から出て、地元の期待と後押しと誇りを背中に負って東京大学で学び、東京の出版社に勤めてから直ぐに九州日報に勤めを変わっていた。
 長崎の原爆被害については随分いい仕事をしたようで、某かの賞を貰っていた。
 地元大分から衆院初当選が昭和三十年とあるから、僅かに二十代後半である。その後当選六回。三十を過ぎてから東京で結婚、相手は後に首相になったSの親戚にあたるらしい。澤田の初当選の翌年が総裁公選であり、八個師団誕生の年になる。その年から四代目でSが首相になり、澤田はSの元でそれなりに羽振りのいい時期を過ごしていたようだった。時の大蔵大臣は後に首相となるTで、澤田自身は政策に対する意見ではTとはかなりぶつかることが多かったようだが、対立するというほどではなかったように見える。その後S内閣は退陣を迎え、昭和四十七年にT内閣が誕生した。澤田はこのS派を席巻したT派にはやはり加わらなかったようで、とは言えアンチT派にも加わらず、ここから数年の二派閥対立時代には中央ではすっかりなりを潜めている。

 澤田はこの頃、地元や地方を中心に、文化芸術方面の組織の結成、コンサートホールや美術館の整備に力を注いでいたようで、近隣諸国との友好にも一枚噛んで、民間レベルの文化交流に協力をしており、その中で天皇陛下にも拝謁している。その際に、『地方の外交』と賞賛され、一部からは悪態をつかれつつ、主に中国やソ連、東欧の国々との文化交流を助けている。
 T内閣から二代目に、Tとは対立関係にあったFが首相になったのが昭和五十一年。
 新津圭一が首を吊った年である。
 相変わらず澤田の位置ははっきりしていない。しかし、地元大分県では災害対策や観光事業のために尽力し、かなりの人気であったようで、彼の代議士生命は底辺で脈々と繋がっていた。昭和五十年、新幹線が博多に到着するが、この時岡山から博多までの土地確保のために何年も前から協力していたらしい。
 美和が澤田と握手したというのは、この頃のことなのだろう。

 昭和五十一年一月二十日、新津圭一の自殺。同年二月四日、ロッキード社不法献金発覚。
 そして同年十二月にF内閣が発足すると、澤田はここでようやく中央の政治にも名前を出されるようになっている。新幹線のために使った手腕で成田問題を鎮めろとでも言われたのか、ご意見番の一人となって、それから二年以上、澤田顕一郎はF内閣の一員として、着実な歩みを続けているように見える。
 真はその紙の束をパサリとテーブルの上に置いた。
 新津圭一と澤田顕一郎のつながりは見えてこない。全ての出来事は澤田顕一郎だけを遠巻きにして起こっているように見えた。


 ソファでほとんど眠れないまま朝を迎えた。意識があるのかないのか自分でも分からない状態で、朝、電話の呼び出しでたたき起こされた。
「もしもし」
 電話に出ることは出たが、次の言葉が出てこないまま黙っていると、向こうからははっきりとした声が聞こえてきた。
「お早う。まだ寝ぼけてるの?」
 添島刑事だった。
「出頭命令ですか」
 頭が廻っていなくて、浮かんだ言葉をそのまま言うと、向こうで彼女は呆れたようだった。声が尖っている。
「まぁ、そんなところね。ここは横浜海上保安庁。あと半時間で来れる?」
「横浜? 無理ですよ。一体何ですか?」
「あなたに会って欲しい人がいるのよ。もっとも、既に『人』の域かどうかは不明だけど」
 真は受話器を握りなおした。

「つまり、あなたが言っているのは、水死体という事ですか」
「ご名答。早く来てもらわないと解剖ができないのよ」
 真はまだ暫く声も出せずに受話器を握りしめていた。頭の中を色々な種類のあてもない疑問や曖昧な答えが浮かんでは過ぎっていた。まさか、ということがあるのか、と自分の中で自分に問いかけている。いや、この女が冷静にしゃべっているのだから、それはないだろうと自分で答えを出している。
「まさか、とか思ってるんじゃないでしょうね。いくら何でもそれは私も困るわ」
 一瞬だけ真の頭を過ぎった最悪のシナリオは、添島刑事にさっさと否定された。
「パトカー回すから、急いで支度なさい」
 それだけ言うと電話は切れた。

 その時隣の寝室から美和が出てきて、明るい声で、寝過ごしちゃった、と言った。
「何の電話?」
「添島刑事だ。ちょっと出掛けてくる」
 いつ帰ってきたのとか、昨日はどうだったのとか聞かれる前に逃げるほうが賢明にも思えたし、タイミングは実によかった。真は洗面所に行って髭を剃って顔を洗った。気が付くと昨日の深雪の移り香がまとわりついたままだった。とりあえずシャツだけ着替えたところで、もうインターホンの呼び出しがあった。
 まるで犯人として連行されているようだと思いながら、サイレンを鳴らしたパトカーに乗せられて横浜に向かった。何故自分が呼ばれるのだろうと思ったが、やって来た警察官も何のために連れて行くのか分かっていないようで役に立たなかった。


          * * *

 その朝、いつものように早朝のジョギングをしていた伊藤健二は、去年四十年以上勤めた会社を定年退職し横浜の潮の匂いのする古い家に妻と二人移り住んだのだが、たまたま気が向いてその日に限って海のほうを覗き込んだという。沖のほうで工事のクレーンやタンカーが見えている中に、何かチラッと気になるものが視界の隅に見えたからかもしれない。
 コンクリートの低い堤防の向こうで、明け方の鉛色の海水は静まり返っていた。
 その物体は陸のほうに近づくのでもなく、沖へ逃げるのでもなく、居場所を決めかねたように静かに浮かんでいた。初めはそれが何か、はっきりとは分からなかった。しかしそのすぐ後、伊藤は腰が抜けるほど驚いて、近くの電話ボックスに飛び込んだ。

 横浜海上保安庁の辻利泰は、海上保安官としては三十年目のベテランだった。その日はようやく目が覚めるか覚めないかの早朝に呼び出しを受けた。水死体と聞けば一分一秒も惜しいように飛び出していく夫の後姿を見送って妻も三十年目を迎えていた。
 巡視艇は半時間後には現場に到着した。
 伊藤健二が発見したときよりも死体はかなり沖合いのほうに移動していたが、発見は困難ではなかった。巡視艇はゆっくりと船首を死体のほうへ近づけ、数メートルのところに来ると停泊した。船のデッキから死体揚収ネットが下ろされる。

 水死体は薄いベージュの作業服のようなものを着てうつ伏せに浮いていた。髪には海のごみやらヘドロがまとわりついていて、はっきりしないが見掛けよりもがっしりした男のようだった。
 死体から二メートルの距離を置いて揚収作業が続けられた。ネットは海面下に沈められる。幸い潮流は緩やかで死体は流れていくことはなく、死体の直下にネットが入り込むと上手く縦一メートル、横二メートルの長方形のネットに向きを合わせて四角のロープを引っ張る。
 ネットは太いパイプの枠組みの底になっていて、死体はうまくそこに乗った。

 辻と一緒に巡視艇に乗っていた若い保安官は無言のまま手術用の手袋をつけて、デッキの上に乗った死体を仰向けにした。腹は例の如く割れて、血液はもう海へ流れでてしまっていた。普通の人間なら倒れてしまうような情景も、辻にとってはいつもの仕事の風景だった。
 すばやく船は基地に向かって走り始めていた。多少の揺れはものともせず観察を行う。別の若い保安官が記録を始めている。若い保安官は二人とも辻と共に巡視船に乗って、この手の死体に慣らされていた。この光景を一般人が見ても、とても水死体を検分している空気を感じることはできないだろう。それほどに、辻たちには日常の業務だった。最も、だからといって楽しい仕事とは言えない。

「身長は百七十二センチ、着衣の乱れはありませんね」
 水死体の衣服は薄いベージュの上下で建設現場の作業衣に似ている。背は高くはないが体つきはがっしりしていたと思われる。しかし、そういう生前の面影を素人の目で想像するのはかなり困難な状態だった。それでもこれらの死体を見慣れた専門家は、死後に修飾されたものを彼らの頭の中で取り去って、生前のイメージを作り始めている。
「六十は出てますよね」
 服の内に何か身分を示すものを身に付けていないか見ても、それらしいものはなかった。辻は、少なくとも自殺をするようなタイプの男ではないと思っていた。

「あれぇ」
 記録している若い保安官が声を上げた。
「この男知ってますよ」
「本当か」
「えぇ、芝浦でジャズバーを経営している老人ですよ。何年か前、芝浦の近くで身元不明の水死体が上がった時、この男が通報してきたんですよ。俺、初めての揚収だったんでびびってたんですが、この男、死体なんて見慣れてるって顔で、俺に頑張れやって声を掛けてくれたんですよ。その後何度かこの人の店に行きましたからね。今年、ハマに移ってからは久しく会ってなかったんですが、えっと、何て名前だったかなぁ」
 辻は死体を見つめていた。
「死体を見慣れている?」
「えぇ、何か戦争の地獄を山のように見てきたからだって言ってましたよ」

 こうした事情で身元は直ぐに割れた。警察に連絡すると一時間後には本庁から刑事がやって来た。異例のことだった。
「本庁臨時特捜部から来られた添島麻子警部補です」
 横浜警察署の馴染みの若い刑事が、緊張気味に本庁からのお客を辻に引き合わせた。
「特捜? なんだ、一体?」
 しかも女か、と思った。
 その上美人ときている。どうせ警察学校を優秀な成績で卒業して若い頃からトップを約束されていた経験の浅い青二才だろうと思うと、辻は幾分か敵意を露にしていた。

「この男はブラックリストに名を連ねていますので」
 澄んだ明瞭な響きの声が、その美人の口からこぼれた。
「ブラックリスト?」
 その辻の質問を無視して添島刑事は死体安置室に入り、お世辞にも美しいとは言えない水死体を見ても顔色一つ変えなかった。しかも、その遺体の腹は割れて、内臓には半分喰いちぎられた痕がある。女ならもう少し可愛げのあるところを見せてくれ、と思う。
「検屍の結果が出るまで、何とも言えませんがね」
「でも、あなたの勘では殺し、ですね」
「私の勘など」
 辻が言いかけると、添島刑事は振り返り、親子ほども年の離れた男を真っ直ぐ見上げた。
「あなたの勘はほぼ間違いないと、父から聞かされていました」
「お父上?」

 辻が、こんな立派な娘を持つ父親の知り合いなどいないと思いを巡らせている間に、添島刑事は水死体を確認するべく手袋をはめていた。その横顔には明らかな面影はなかったが、添島という名前を思い返して、あぁと思った。
「するとあなたは、あの捜査一課の添島刑事の」
「娘です」
 添島刑事とはそれほど親しい間柄ではなかったが、デスクにつかず歩き回るのが性に合っていると言って、刑事一筋で三十年以上勤め、今時珍しい人情刑事だと噂されていたが、その情が仇となって一昨年殉職した。エリートコースとは程遠い叩き上げの男で、若い頃から随分苦労したと聞いていた。女ばかり三人の子供で苦労させなくて済むと思っていたら、長女が刑事になってしまって、某かの試験に通って国際警察機構に勤めていると笑っていた、その顔が思い出された。数回、水死体が縁で一緒に仕事をしただけだが、印象のいい男で、何度か飲んだ。
 あれは私と違って頭もいい、母親の血でしょうな、と恥ずかしげに自慢していた、これがその娘なのか。その母親は一番末の娘が小学校に上がる前に癌で亡くなったと聞いている。

「確か外国にいらっしゃったのでは」
「父が亡くなって、妹たちの面倒を見なければならなくなりましたので。まだ成人していない妹もおりますし」
 添島刑事は裸になった遺体を検屍の邪魔にならないように見ている。
「死後数日、ですか」
「そうですね。解剖を始めてもいいでしょうか」
「あと一時間ばかり、待って頂けますか」
 この死体を見ても顔色も変えないというのは、優秀ということとは関係はなさそうだった。
「身内の方がいらっしゃるのですか」
「えぇ、まぁ、そのようなものでしょうか」
 添島刑事は承諾を得て、電話を二箇所に掛けていた。

 亡くなった男の名前は田安隆三、年齢は不詳だが七十前後のようだという。身体つきは筋骨逞しく、とてもそのような年齢には思えない。身体には、古傷は別にして、生前のものらしい傷はなく、口の中に泡沫が見られ溺死はほぼ間違いがない。つまり少なくとも水中に没した時点で、意識は別にして生きていたということだ。硬直はまだ緩解しておらず、腐敗の程度も酷くはない。しかし水死体には独特の臭いがあり、こんなふうに腹を割かれた酷さには目を覆うものがある。
「この傷は、船のスクリューか何かに巻き込まれたものでしょうか」
「おっしゃる通りですね」
 添島刑事は落ち着き払っている。辻ほどのベテランならともかく、いくら刑事と言っても、水死体を見て若い女がここまで落ち着いていられるのは不思議だった。
「慣れてますね」
「一年以上、マルセイユにいましたの。水死体はもっと酷いものを随分見ましたわ。あなたが見たほどではないかもしれませんけど」
 そうなのか、と納得した。

「この男はどういう男なのですか」
「長い間傭兵をしていたと聞いています。中南米、中東のいくつもの国を渡り歩いて、いつからか芝浦でジャズバーをしている男です。実は昨日この男の店で爆発事故があって、行方を捜していたのです」
「何か犯罪を?」
「さぁ、どうでしょうか」
 添島刑事の説明では、爆発事故は午後四時ごろで、周辺の倉庫を二棟巻き込んだが、負傷者はいなかった。周辺への聞き込みでは、ここ数日店を開けていないようだったという。事故の原因は明らかに仕掛けられた爆弾によるものだということが分かっている。
『身内の者』を待つ間、辻保安官と添島刑事はコーヒーを飲みながら、亡くなった父親の添島刑事の話をして次第に打ち解けた。こ憎たらしい程落ち着いていた彼女がコーヒーを口にしてほっと息をつくのを見たとき、辻保安官は妙に安心した。

 十時過ぎにパトカーのサイレンが保安庁の前で止まって、暫くすると刑事が若い男を連れてきた。
 息子、というわけではなさそうだ、と辻は思った。
「横浜海上保安庁の名探偵、辻利泰保安官よ」
 若い男は緊張した面持ちで頷いた。
「こちらは新宿の名探偵さん。失踪人調査では、かの名瀬弁護士のお気に入りの捜査官ですの。特に未成年の事件では大変な活躍ですわ」
 添島刑事の言葉に若い男が何か言いたげに彼女を見た。辻保安官は、若いくせに妙に苦労癖のついたタイプだと思った。ハーフかクォーターか、異国の血が混じっているのか、瞳に碧の色が混じって髪の色も幾分か明るい。
「名瀬弁護士はご存知でいらっしゃいますか?」
「勇名は聞こえていますね」

 若い男は添島刑事につつかれて頭を下げた。
「相川真です」
「辻利泰です。よろしく」
 相川と名乗った男は添島刑事の方に何か言いかけたが、彼女はそれを遮った。
「会って頂いてもよろしいですね」
 辻が頷いたので、添島刑事は自らその若い男を死体安置室に連れて行った。辻はその後ろからついていった。随分印象的な男だと思ったが、生きているときに田安と名乗っていた水死体との関係は窺いようもなかった。

「シャワーを浴びる間もなく来たでしょ」
 よく通る声で添島刑事が言ったので、辻保安官の耳にも聞こえた。
「え? ……あぁ、そう、その、パトカーがあっという間にやって来たし」
 確かに若者の身体からほんのりと甘い香りがしていた。女の香水の匂いなのだろう。女にはそれなりにモテそうなタイプにはみえた。近頃の女は、こういう中性的なムードを好むらしい。いや、中性的というよりも、性別や種の枠を越えて、まるで別の生き物のようにも思える。性別は確かに雄だ。顔つきも整っていはいるが、女顔などでは決してない。何より、不思議な目の色だった。見つめていると、男だろうが女だろうが強烈に引き込まれてしまうような何かを、雄としての魔力のようなものを持っているように思える。

 安置室のドアを開けるときに、添島刑事は相川真に確かめていた。
「水死体は、大丈夫?」
 辻保安官は遺体確認の現場で気を失った遺族をしばしば見てきた。腐乱した夫の遺体に取りすがって泣いた妻も見た。父の死体に気を失った三十代の逞しげな息子もいた。総じて女は泣きわめく率が高く、男は倒れてしまう率が高いように思う。
「田安さん……、なのか」
「聞いたの?」
「パトカーの中で、芝浦の爆発事故の事を」
「その通りよ」
 すでに腐敗臭は漂ってきていた。相川真は気丈な横顔をしていたが、添島刑事がドアを開けると顔をしかめた。
 手袋をはめた捜査官がシートを取り去ると、こちらに足を向けた男の裸体が必要以上に膨れ上がって見えた。若い捜査官は顔だけを見せるはずだったが、この仕事を始めて一年目の若者で、水死体と二人きりで残されて舞い上がっていたようだった。

 辻はいつの間にか相川真の後ろに立っていた。もしかして倒れたら、と思っていた。
「どう思う?」
 淡々と添島刑事は聞いた。
「殺されたんですね」
 意外にも若者の声はしっかりしていた。
「腹の傷は死後のものね。でも酔っ払って海に落ちたとは考えにくいわね」
「誰が?」
「あなたに心当たりは?」
「俺? 何故?」
「昨日、彼の店に行ったわね」
 この女刑事は、水死体の視覚的衝撃を利用して、関係者の口を開かせようとしているかのようだった。
「昼間のことですか?」
「そう、何の用だったの?」
 相川真は添島刑事の方を見た。
「あなたこそ、何故田安さんの死体に付き合っているんです?」
「上からの命令よ」
「上?」
 添島刑事は相川真の腕を摑み、辻のほうを振り返った。
「解剖を始めて頂けますか」
 辻は頷いた。辻もこの若い男を別室で休ませた方がいいと思った。添島刑事に遺族のための控え室の場所を教えると、彼女は、それより御手洗を教えてもらったほうがいいかもしれません、と言った。





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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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[雨:番外] limeさんが描いてくださったイラストとあらすじ 

真(limeさん)
真2
このページを開いた途端、あれ、別のブログに来ちゃったんでは?と思った方も多いはず(*^_^*)
そうなんです。このイラスト、なんとなんと、小説ブログ「DOOR」のlimeさんが真を描いてくださったのです!!!!!!!!!!(;_:)ヽ(^o^)丿\(^o^)/(*^_^*)(;_:)
limeさんから「自由にお使いください」との有難いお言葉を頂いたので、ここに載せさせていただきました。limeさんのブログ…は有名なので?皆様ご存知とは思いますが、一応clickして飛べるように…→→小説ブログ「DOOR」
言わずもがなですが、この絵の著作権はlimeさんにあります。無断引用・転用は固くお断りします。
作成秘話などは、またlimeさんが書いてくださるに違いない????
とにかく、ものすごーく、ものすごーく、ものすごーく嬉しいです(;_:)\(^o^)/
なぜか昔から、真はあまり描いたことがなかったのです。
あ、これは誤解を招く表現ですね。昔はいささか私もイラストを描きまして…今は描きません、というより描けません^^;
で、下手なイラストを描いていた昔でさえ、真のイラストは少ないし、なんかイメージが自分でも上手くまとまらなくて、描けなかったのです。思い入れが強すぎると、そんなものなのかもしれませんが。
それをlimeさんがするりと絵にしてくださったのです!!!
実は実は、本当のところを白状しますと、こころの中でlimeさんが描いてくださらないかなぁ、なんて見えない光線を送っていたのですが、ネットの海の儚いラインに乗って、届いたのではないかと思ったくらい、びっくりしまして…
やっぱり【電脳うさぎとココロのありか】(→limeさんのお話へGO)なみに心が伝わったに違いありません(;_:)(*^_^*)
limeさん、本当にありがとうございます(*^_^*)m(__)m

limeさんの絵、今更なんですが、本当に素敵ですよね…
何だか、温かくて、そしてミステリアスで。
小説も面白いし、limeワールド!って感じの素敵なブログで、そしてココロがこもっていて。
いちファン(あ、私がlimeさんの一ファン)のだらだら小説にこんな素敵な絵を描いていただいて、もう本当にもったいなくて…
ありがとうございます…(;_:)

嬉しさのあまり、アップも載せてしまいました。
目を見ていただくと、右目は碧の左目は茶~黒(光線の加減で…)、そう、この人オッドアイなのですね。
多分青い目のオッドアイの人よりも目立たないと思うのですが。
ま、よく小説に出てくるオッドアイですが、これはこの子が自分の出生に不安を覚えていて、自分に刻印された異国人の母親(正確にはハーフですので、本人はクォーター)の影として捉えている、その表現型のひとつにすぎませんので、あまり本編で云々することは少ないのですが……
髪も…剣道をしていて、時々ちょんちょんに切っては、竹流には栗のように扱われている?のですが(あ、栗は撫でられない…)、面倒くさがりなので放置して、この長さになって…また切って…の感じなので、まさにこんな時があるのです。
新宿に事務所を開いてからは(25の時です)、多分近くの床屋が彼に目をつけていて、ちょっと伸びたら店に呼び込んでいるに違いありません。
で、この世の中を拗ねたような顔! もう、本当にこんな人なんですよ。
ま、今ではこの初々しさは半減して、ちょっとおっさんですけれど。

さて、お礼に、真と竹流のハネムーン(って、勝手に呼んでる作者。本人たちは迷惑でしょうが)の話を書く予定です。
大学受験頑張ったから褒美にお前の国に連れて行けと家庭教師に駄々をこねた真が、初めて見たイタリアの町々。
行ってみたら…みんな自分の知らない名前で彼を呼ぶので、すごく不安になっていく…そんな顔だわ、とこのイラストからインスパイアされて、以前こっそり書いていたイタリア旅行編(多分、このイラスト描いていただくことがなかったら、決して日の目をみなかった…^^;)を改定してお出ししたいと思います。
この旅、アドリア海クルージングから始まって→パレルモ(シチリア)→ナポリ→ローマには寄らずに海岸線を上がってピサ→シエナ→フィレンツェ…ここでローマに連れ戻され、しばらくローマ滞在→アッシジという旅だったのです。
この旅の前が、幸せのピークだったと思います。この旅で、結局光の裏にある影を見てしまったのかもしれません。イタリアって、それにぴったりな国ですし。
その後はいろいろありまして。
【海に落ちる雨】が終わりましたら、年表なども公開できればと思います。

で、この場面は、シエナだ! 泊まっていたのは教会を改装した小さなホテル。中に教会が実際にあります(本当にあるホテルです)。その庭にこんな像があったことにして(卓球台とオリーブ畑はあったけど…)、ちょっと一人ぼっちで寂しいので、あの美しいカンポ広場に行って……
旅の途中、時々真は一人で放り出されるんですね。竹流には色々訪ねなければならない人(多分老人、たまに女)がおりまして。で、その間にたまに一人でうろうろしてあれこれ巻き込まれる真。言葉もわからないし、変なもの見えるし、どうしましょう、ということで、「シエナの休日」演じていただきたいと思います。
わくわく(●^o^●)(って自分がわくわくしてどうするんだ???(?_?))
こうご期待(*^_^*)



さて、【海に落ちる雨】再始動です。
津軽で三味線に夢中になっていて、ちょっと間が空いてしまったので、あらすじをまとめて載せてみました。
併せて、第5章のあらすじも載せておきます。


<第1章:同居人の留守>
相川探偵事務所所長・相川真(27)は、もと家庭教師(?)かつ保護者である大和竹流と同棲を始めて2年半が経過している。大和竹流(=ジョルジョ・ヴォルテラ)(36)は美術品の修復師であるが、実はヴァチカンを支える裏組織ヴォルテラの跡継ぎであり、本人は望んでいないが、いずれローマに帰ることを期待されている。
このところ竹流が考え込んでいることが多くなっていたが、真は事情を聞きだすことができない。親であり兄であり、また教師でもある同居人がいなくなることが、実は不安でたまらなくて、考えたくないと思っている。
そんな時、竹流がしばらく留守にするといって出かけて行った。
ちょうどその頃、竹流が某経済・社会雑誌のインタビューに答えた記事が掲載される。オーナーとなっているレストランやギャラリー、修復師としての仕事について、そしてついでにプライベートにまで触れた記事には、同居人の真のことまで書かれていた。ふたりの関係をちょっと誤解されるような答え方で…
事務所のメンバー、共同経営者の女子大生・柏木美和、孤児施設出身のヤクザ志望・宝田三郎、バイトの主婦たち、その他事務所のある新宿で働く知り合いたち、などなど周りからインタビュー記事のことを面白がられている気配を感じて、いささか面白くない真は、恋人というよりも体の関係だけを続けている銀座のバーのママ・深雪に会いに行ったりしながら、竹流の帰りを待っていた。深雪は代議士・澤田顕一郎の愛人という噂もあるが、実のところはよくわからない。
そんな時、自分の実の父親のことを知る老人・田安隆三の経営するジャズバーで、真は楢崎志穂という雑誌記者と会う。志穂は、澤田顕一郎のことを調べていて、真に深雪から澤田のことについて何か聞いていないかと尋ねるが、真は覚えがないと答える。

<第2章:同居人の入院>
同居人・大和竹流が仕事の内容も告げずに出かけて3週間、新宿の調査事務所所長・相川真のところに、警視庁の捜査1課の女刑事・添島麻子刑事から電話がかかってくる。
竹流が怪我をして入院しているというのだ。病院へ行くと、竹流の怪我は真の想像以上に酷いもので、山梨の県道で見つけられてから数日意識がなく、昨日集中治療室から出たばかりなのだという。その上、修復師として『神の手』と言われていた右手まで傷つけられていた。医師はその手が元通りに動かない可能性を告げ『まるでいたぶられたようだ』と言うのだが、当の本人は話をはぐらかして何も言おうとしない。
はるかに年上で、自分が頼ってばかりいた相手が傷ついてベッドから離れられないでいる姿など初めて見た真は、いつものように身体の関係だけを続けている銀座のバーのママ・深雪に会ったりしながらも、頭の中では竹流のことでいっぱいになっている。
しかも、竹流の背中には数年前の古い火傷の痕があるという。真は同居してから彼の背中など見たことがなかったことに改めて気づき、さらに竹流が自分に何も話さないでいることに傷ついたり、イライラしたりしてしまうのだった。
竹流の恋人の一人であるブティックのオーナー・室井涼子に入院中の竹流の世話を頼み、何も話そうとしない竹流の怪我の事情を知るための糸口をつかもうと、真は竹流の仲間であるゲイバーのママ・葛城昇を訪ねて事情を聞こうとする。しかし、昇も元ボクサーのイワン・東道も何も知らないという。竹流の仕事仲間たちは、ボスである竹流のためなら何でもするような連中で、真に、自分たちで何とかするから、お前は引っ込んでろと告げるのだった。

<第3章:同居人の恋人たち>
竹流の許可のもと、事務所の共同経営者で女子大生の美和は、竹流のマンションに泊まり込んでいる。実は彼女の恋人は事務所のあるビルのオーナーで、ヤクザなのだが現在タイに出張中。
ある日、真が帰りの遅い美和を待っていると、電話が2本かかってきた。一つは竹流の無事を確認する男からの電話。そしてもうひとつは、真が付き合っている銀座のバーのママ・深雪のパトロンだという噂の代議士・澤田顕一郎の秘書からだった。澤田が真に会いたいと言っているという。
美和の帰りが遅いので、事務所に行ってみると、事務所は荒らされていて、いくつかのどうでもいいようなフロッピーやテープ類が盗られていた。そこへ、ジャズバーの経営者・田安隆三のところに出入りしていた雑誌記者・楢崎志穂が現れる。先日、いささかけんか腰になっていたことを謝ろうと思っていたという。彼女から、『美和を見かけた、どうやら自分(志穂)と同じ男をつけていたらしい』という話を聞いて、志穂に事情を聞こうとするがはぐらかされる。一体何がどうなっているのかと思いながらマンションに帰ると、美和が戻ってきていた。
美和は、竹流のところに面会に来ていた男のあとをつけていっていたという。そしてその男から、『下手に関わると危ないから手を引け』と言われたことを告げる。美和はその男と会ったことがあるような気がするのだが思い出せなくて気持ち悪い、と真に告げる。
ちょっと昔話や恋愛談義(と言っても美和の一方的?)をしながらいいムードになっていた二人だったが、結局何もなく、終ってしまった。いささか美和のご機嫌を損ねてしまったようなのだが……
翌日病院に行った真は、竹流に怪我の事情を問い詰めるが、結局相手にされず、何も教えてもらえない。
事務所に訪ねてきた添島刑事からは、彼女がある筋から特別な仕事を任されていて、どうやらその件に竹流が関わっているらしいことを匂わされる。そして、そこには澤田や深雪も関係しているような気配が…
もしかして、竹流の怪我と澤田が関係している? 澤田から接触があれば、知らせてくれと言う添島刑事は、最後にちらりと爆弾発言を残して去っていく。実は、彼女もまた、大和竹流の恋人の一人!
添島刑事には澤田の秘書から連絡があったことを告げていないのだが、これが糸口かも知れないと思って、真は意を決して、澤田に会うことを決めた。
一方の美和は、澤田の秘書らしい男が真を迎えに来たことに驚く。自分に何も教えてくれなかった真に憤慨しながらも、事務所の従業員、気の弱いヤクザ志望の宝田三郎、そして少年院上がりの高遠賢二に『真が誘拐されたからさっさと後をつけて』と言い残し、自分は竹流の病院へ。
竹流は慌てる美和を窘めて、あっさりと受け流す。しかし、帰るふりをして見張っていた美和は、竹流が誰かと電話をしていて、『真が澤田に呼び出されたらしい』などと会話する声を聞いていた。
やはり、竹流の怪我と、真の恋人・深雪のパトロンである澤田は何か関わっているのだろうか?

<第4章:同居人の失踪>
恋人(というよりセフレ)である銀座のバーのママ・深雪のパトロンという噂のある代議士・澤田顕一郎から呼び出された真は、赤坂の料亭で会うことになった。澤田は竹流の怪我と何か関係しているかもしれないと、女刑事・添島麻子、雑誌記者・楢崎志保からにおわされている真は、探りを入れるつもりで乗り込む。もちろん、深雪とのことでちくちくいたぶられる可能性もあるのだが…と思いつつ行ってみると。
話の内容は予想もしないことだった。
真に、澤田のもとで働かないかという勧誘だったのだ。それも、澤田は真の実の父親、相川武史(世間ではアサクラタケシという名前で通っている)の大学の先輩であり、真の出生の事情、伯父・功が真を引き取ったことも知っていた。澤田は、自分のもとに来ることが真の安全を保障することになると告げる。しかも、ジャズバーの経営者・元傭兵の田安隆三は澤田の育ての親だという。
話の内容には警戒しながらも、澤田のペースに巻き込まれて飲んでしまった真は、過去の話にいささかセンチメンタルになっていたことも手伝って、心配して真の帰りを待っていた美和とセックスをしてしまう。もちろん、美和のことは可愛いと思っていたので、勢いではなかったつもりなのだが、事が終わってしまうと自分の中で何かが冷めていることに気が付く。
そこへもう一人真のことを心配していた竹流からの電話。何も話してくれない竹流に対してイラついていたにも関わらず、声を聞いているうちに恋しさがこみあげて来てしまう真に、竹流が『この件が終わったら、俺のところに来るか(=仲間として仕事をする、あるいは自分の全てを話すというニュアンス)』と言い、最後に『誰も信じるな』と告げる。
美和は、真と電話の相手(=大家さん、つまり大和竹流)の間には割り込めないことを感じながら、真と初めて会った時のことを思い出していた。
そして翌朝、二日酔いの真のもとへ、病院から竹流が姿を消したという電話がかかってきた。

<第5章:誰も信じるな>
竹流の姿がないと聞いて、真は病院へ急いだ。そして確信する。竹流は何か事情があって自分から出て行ったのではないか。その後、入院費を届けに来た男がいて(竹流のところに面会に来ていた男?)、さらに、大和邸の執事・高瀬には、自分がいなくなったら真に渡して欲しいとある新聞記事が残されていた。竹流の失踪は本人の意思には違いないが……
しかし、看護師も心配していた通り、彼の身体はまだ十分回復していたとは言い難く、しかも効き手である右手は不自由なままのはずだった。
添島刑事が、竹流をどこかに隠したのかと怒鳴り込みに来る。少しばかり喧嘩のようになってしまったが、彼女が焦っている理由は、内閣調査室の河本という男が調べている『ある男』の件で、竹流の方が首を突っ込んできたというのだ。危ないから関わらないようにという河本からの説得にも関わらず、竹流は深くこの件に入り込んでいるようだという。
『誰も信じるな』という竹流の言葉を胸に、あれこれと思い巡らす中、真は澤田の育ての親だったという田安隆三のジャズバーを訪ねるが、彼は留守で、楢崎志穂が田安を待っていた。しかし田安は現れず、真は志穂に連れられてあるラブホテルに行く。志穂が言うには、このホテルは『ある雑誌記者がある女と不倫密会に使っていた』という。そして、その雑誌記者は自殺していて、女はどうやら香野深雪だというのだ。志穂はその雑誌記者の後輩であり、好意を抱いていた相手であり、彼の死に疑問を抱いていた。志穂は竹流のところに面会に来ていた男を見張っていたという。
一方、美和が、事務所によく顔を出す新聞記者・井出に確認したところ、井出がその事件の記事を書いていたことが判明。『自殺した』雑誌記者・新津圭一には8歳になる女の子がいて、寝たきりの妻がいる身でありながら香野深雪と不倫関係にあったこと、どうやら政財界の当時の大物を脅迫しており、逆に追い詰められて3年半前に自殺した、ことになっていた。井出は協力を約束してくれる。
そして、深雪に呼び出された真は、彼女から1か月だけ預かっていてほしいと、貸金庫の番号・印鑑・手紙などを預かる。そして、ふと気になった志穂の言葉を確認する。
楢崎志穂は、真のことを肉親の恋人、と言っていたのだ。しかし深雪は、自分には妹もいないし、家族も知らないのだと答えただけだった。

さて、だんだん複雑になってきて、わけもわからない感じがしますが、謎?は大体出揃ったかな?
ここからは解決に至る成り行き…として、あれこれ起こる側線には惑わされずに、真と一緒に『彼』を探しながら、成り行きをお楽しみください(*^_^*)


Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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NEWS 2013/5/12 津軽戦利品/庭の守り神 

GWの充電が済んで、忘れないうちにと思って書いた旅行記に使ったパワーも回収できて、休んだ後の仕事の怒涛もちょっとだけやり過ごして、昨日は三味線のお稽古でついに!太鼓のレッスンもしてもらって、ようやく今日、家でまったりしています。
ということで、今日は更新をがんばるぞ、と。
庭掃除もしなければなりませんが。

ちなみに、太鼓のレッスン。
三味線というのはもともと伴奏する楽器でして、そこから出発して、津軽は前奏の独奏部分をメインにした曲を作るようになって、世間に浸透したと思うのですが、やはり根本は伴奏=唄付け。しかも民謡の場合、曲・節の長さは唄い手次第なので、あ~~~とか唄ってても、いつ終わるか分からないので、顔伺いながらアレンジ力が問われる。つまり、唄主導なのです。
唄の場合、太鼓が必要になりまして。
この太鼓の部分を教えていただいたのです。
いつか、唄も…と思っておりまして。
糸
行く前にも糸を変えましたが、また一部変えました。
三味線の竿、今一の糸を張っておりませんが、手前から一、二、三と細くなっていきます。
左にある3つの丸まった糸がその3本。一と二は絹、三はナイロンです。
津軽は、弾くというより叩くので(初めて聞いた人は、叩いている!打楽器なんだ、と納得してくださいます)、三の細い糸が絹だと、すぐ切れてしまいます。で、ナイロンかテトロン。一時テトロンにしてみましたが、硬くて痛かったのでナイロンにしています。津軽は、はじいたり掬ったり、結構糸を操るのです。
使い終わった糸…切れるまで使うこともありますが、くたっとしてくるので、どこかで変えます。そのいらなくなった糸、ありがとうの気持ちで、お正月にまとめて神社にどんと焼きに出す笹に結びつけております。
(これは、ある人がやっているのを聞いて、自分も真似をしています)
ちなみに、三味線の竿、私の三味線は沈みトチであまりはっきりしませんが、木の模様…斜めに筋が入っているのが見えますでしょうか。高い三味線ほど、このトチがぐるぐる巻きです。

お土産=戦勝品。
津軽土産
金木の三味線会館で売っているTシャツです。右の黒は定番で、ピンクとオレンジは毎年出る限定カラーの一種。
ピンクのは後ろのデザインです。
津軽土産
いつも必ず購入してみんなに配るお土産。
斜陽館=太宰治の生家の前で売っているリンゴジュース。濃厚で、各種リンゴの味(10種類くらいある)が別々に作ってあって、甘い~酸っぱいまであります。私は酸っぱい紅玉が結構好き。で、このジュースは木から落ちて捨てるようなリンゴではなくちゃんと木になってるリンゴから作られています。
ちなみに、リンゴは岩木山ふもとのリンゴが美味しいですよ!
私は初めて青森に行ったとき、リンゴってこんなにおいしい果物だったんだ!とびっくりしました。
今まで食べていたリンゴは何か間違っていた!と。
そして、シャリシャリのリンゴが入った焼き菓子の『らぷる』…いつも山のように購入して送ります。
八甲田はチーズケーキ。帰りに買います。美味しいです。
青森土産はぜひ、これらをお試しください。

お庭の守り神、フクロウ君。再びの登場です。
守り神
我が実家に約40年鎮座まします人相の悪いカエル。
守り神
このくらい人相の悪いカエル、最近はなかなか見かけません…
で、庭の蓮の鉢に泳いでいるメダカと金魚。金魚は勝手に越冬。1匹大きいのが2年越し、他は1年越し。
金魚は割とじっとしていて、カメラを構えていても動かないけど…
問題はメダカ!
なんというか、すごい敏感で、影が動いただけでも逃げるし、カメラのピントを合わせる音もダメ。
なかなかシャッターチャンスがありませんでした。水面の木の陰と一緒に写っています。
めだか
きんぎょ
そして今、庭のヒオウギが綺麗。朝と夕方の光の違いもお楽しみください。
ちなみに朝の写真のほう、バックの青は、実は昔の火鉢なのです。
夕日を受けたら、頬を染めた少女みたいですね。
ひおうぎ
ひおうぎ

さて、本筋の記事に向けて、今日は頑張ります(*^_^*)

Category: ガーデニング・花

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2013/5/9 津軽からの帰還(4) 

やっと最終回です。
ここでもパワースポットにこだわって、津軽をご紹介したいと思います。かなり、偏っておりますが^^;
しかし、まずは腹ごしらえ。津軽半島には十三湖という、宍道湖と並ぶしじみの生産地があります。
そこの特大しじみの入ったラーメン。卵と比べてみてください。
このラーメン、塩味で、かなり美味しいです。
『和歌山』というお店が地元人のお勧めです。
ちなみに、宍道湖ではしじみどんぶりが美味しかった。
しじみラーメン

では、高山稲荷神社へご案内いたします。
お稲荷さん
お稲荷さんですから、狐さんだらけ。
入り口にはこんな微笑ましい親子の狐さん……
実は私、これをウサギを捕まえたところかと勘違いしました…罰当たりですみません(;_:)
頑張って階段を上ると拝殿があり、周囲にいくつかの社があり、その先また階段を下りると、この光景です。
伏見稲荷ほどには鳥居がみっしりと並んでいるわけではないのですが、これは一見の価値あり。
高山稲荷
高山稲荷
高山稲荷
この鳥居を抜けた先に、古い祠や狐さんが置かれています。引退した祠などが全国からここに預けられるみたいです。
それにしても狐さんたちの表情の豊かなこと。
きつねさん

そして最後は、西の高野山、弘法寺です。
西の高野山
始め、北(もしくは東)にあるのに、何で西?と思いましたが(関西から見たらだめでした…)、これは極楽浄土が西にあるという意味で、津軽半島の西端にあるお寺だからなんですね。
ここには、ちょっと有名な『お休み大師様』がおられまして、そっとご挨拶してまいりました。
お休み大師
大師様の横には、なぜかこのカエルさん。ちゃんと阿吽になっているところがすごい。
カエルの狛犬版?
かえる
このお顔が何とも優しい像は、最古の弘法大師像と言われています。
五頭身くらいのお姿も可愛い(と言ったら失礼ですが)。
最古の弘法大師像最古の大師像
実はここは、川倉地蔵尊と同じように、やはり花嫁人形や花婿人形が奉納されるというお寺です。
本堂の脇には人形堂があって、入ることはできませんが、その心を感じることのできる場所です。
本堂


というわけで、津軽の精神世界の一部をお目にかけることができたでしょうか。
私は津軽人ではないけれど、この『あの世は結構近い』という感じ、『死者との距離が近い』という感じは、よく分かる気がします。ある人が亡くなった時、私も、その人がいるならあの世は結構いいところかも、と思いました。まだまだ語りたいことがあったからです。
ついでに、どうあっても池波正太郎先生をお探して、鬼平の続きを聞かなくちゃ!とか大真面目に思ったりもしています。
大事な人を亡くした家族やその周囲の人にとっては、死者がそんなに遠くに行ってしまったわけではないという感覚は自然であり、ここ津軽はそれを体感できる場所なのではないかと思うのです。
そして、これは死者のための場所でもあるけれど、残された生者のための場所でもあります。
三途の川を渡るときに、足が冷たくないように、怪我をしないように、草鞋にその子の名前を書いて置いてあげる、その子が小学生になるはずの歳になったら、ランドセルを贈る、妻を夫を得るはずの歳になったら花嫁人形や花婿の人形を奉納する、あるいは歳の見合った2人を親同士がお見合いして娶わせてあげる。
亡くなったところで終わったわけではない死者のと語らい合いができる場所です。
イタコ、というのは、そのきっかけを与えてくださる人なのですね。
そして、カミサマ。カミサマというのは人ですが、この世と大きな生命(それが何かは分かりませんが)を繋ぐ人であり、そうあろうと懸命に道を探す人であるようです。
ちなみに、津軽には道のあちこちに小さな祠があって、扉が付いていますが(冬は寒いので)、中には白くお顔を塗って、服を着たお地蔵様(のような)が並んでいます。道々、『お邪魔します』という思いで手を合わせながら歩くと、常に前を歩いてくださっているような、そんな気持ちがいたします。これはかつてこの世に生きていた人たちが道や辻で、生者を見守ってくれているということのようです。

では、またまた別の旅の物語でお目にかかりたいと思います。
次は多分石紀行。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございましたm(__)m

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2013/5/8 津軽からの帰還(3) 

さて、続きを書いたのに、消してしまってショックのあまりしばらく放心……
気を取り直して、続きに参ります。

津軽のパワースポット、ということで今回の記事を書かせていただいておりますが、書いたものが消えてしまったのは、やはりあまり歓迎でないからなのでしょうか…いささか不安になりながらも、敬意をこめて記事を書きたいと思います。
大石神社
この場所にたどり着くのは結構大変だったのです。
何しろ看板がなくて、地元の人も迷子になるという。そして、岩木山登山百戦錬磨の別の津軽人に何度も電話で問い合わせながら、たどり着きました。この辺はまだ雪が少ないのですが、本堂の前は雪が積もって、近づくのが大変でした。雪解けは地面に接したところが解けてくるようで、雪の下には水が流れている。下手に踏むと、ずぼずぼと嵌ってしまって、ふくらはぎ半分くらいまで雪の中に……しかも下は水でべちょべちょ……道路らしきところは川のようになっていたり。
しかもこの鳥居。下の写真のように、鳥居の笠木が落ちているところも。これは雪のせいでしょうか。それとももう何年もこのままなのでしょうか。人気はまるでありません。本堂もシャッターが下りている。
山開きが5月1日ということなのですが、今年は寒いので、まだなのかもしれません。
大石神社
大石神社
この可愛い後ろ姿は狛犬さんです。神社の名前は大石神社と言います。

この神社の祭神は高御産巣日神(タカミムスビノカミ)と神産巣日神(カミムスビノカミ)。『むすひ』というのは生産・生成の意味で、これは二人の神様が対となって、男女の結びつき、安産・縁結びの神様となっているようです。
そういうわけで、ある松の木に18禁なものが……松の枝の一本が上を向いているので、それを削ってある形に整え、その上に杉の葉を置いて、下に鈴が2つ……神社の拝殿のように紐がついていて、この鈴を鳴らすことができます……やっぱりここに載せるには図柄に問題があると思われますので、ご想像ください^^;
これで子宝を願うわけですね。

岩木山というのは山岳信仰の霊地ですが、大きな岩を意味する山。実際9合目から上は完全なるロッククライミングで、岩がゴロゴロです。
この大石神社もご神体は大きな石。かつては千引大明神と呼ばれていたともいいます。千引石というのは、イザナギが黄泉の国を脱出する時、黄泉比良坂の登り口を塞いだという大きな石のこと。黄泉の国から追いかけてくる悪鬼の道を断ったという石です。
大石神社
石龍神
石の傍には、龍神の鎮座ましますところ、と書かれた立札。この川がまさに龍神です。

そしてまた、ここには馬が祀られた祠が数十もあります。
馬は農耕にも使われて、人の身近にいたというのもあるのでしょうが、龍神の好物だったという話も……
実際、大陸的な呪術では馬の首を切っていけにえにしたというお話も。
馬の祠
馬馬
比較的リアルな馬もいますが、なぜか妙に色気のあるチャーミングな馬さんも……

山開き後はもう少し人気のある神社なのでしょうか。
今のところ謎です。
さて、この神社は分岐点のようになっていて、ご神体(大きな石)はこの先にある赤倉霊場(赤倉山霊界)との境界石とも考えられているようです。

その赤倉霊場。
霊場?というと何だと思われるでしょうが、簡単に言うと、修験場みたいなところでしょうか。
神でもなければ仏でもない、新興宗教というわけでもなさそうで、でも拝み屋さんみたいな感じ?いや、それも少し違う?大いなる『何者か』の声を聞き伝えるために修行する人が集まる場所?
その人たちはカミサマまたはゴミソと呼ばれています。
いわゆる新興宗教と違って、集まっているけれど群れていない、ということのようで、それぞれ別の霊堂を建てて、そこに住まいながら自らの教義を編み出し、修行をされるようです。
しかしまだまだ雪下ろし中で、全ての霊堂は扉がしっかり閉められていました。つまり冬の間はカミサマたちも別の場所におられるようです。
赤倉
赤倉神社、赤倉山神社、といういくつかの神社と、なぜか四国八十八箇所の縮小版、弘法大師像、この赤倉に神社を建てよと夢でお告げを受けたという工藤むらさんの像、なんでもあるという感じです。
しかし、昭和40年代以降は新しい霊堂が作られることはないそうで(法律で定められたと)、これからはどうなっていくのでしょうか……雪でへしゃげた廃墟のようになっている建物もありました。
いい季節に行けば、少し印象も変わるのかもしれません。
弘法大師赤倉霊場
弘法大師の前にはじょっぱり(お酒。じょっぱりとは、津軽弁で意地っ張り・頑固者のこと…う~ん、ニュアンスは単なる意地っ張りじゃなくて、やっぱりじょっぱりとしか言いようがない)。右は工藤むらさんの像。
赤倉赤倉
赤倉山神社の雪よけ囲いの中。大きな草鞋もあり。
霊堂霊堂
霊堂のひとつ。下は、並んでおられる石仏。お不動さんやら大日如来やら。
赤倉
やはり観光でのこのこ行くところではないと思われますが、津軽の精神世界を垣間見る、不思議な場所です。
お邪魔させていただきました。ありがとうございます。


まだまだ続く。

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2013/5/8 津軽からの帰還(2) 

橋
ここは五所川原市の鶴田というところにある、日本で一番長い木の橋=ながーいきの橋=鶴の舞橋のたもと。
300mあるそうで、3つのアーチがあって、鶴が羽を広げているようだというのでこの名前です。
地元のおばさまたちが集まっておしゃべり中。もちろん、ばっりばりの津軽弁。
(どうやらシルバーボランティアか何かで、清掃中のよう)
よく聞くと、高齢者保険制度の話で、「おめ、今年でいくつだ?」とか言いながら談義中。
かなり深い内容でした。
ちなみに、車であちこち連れて行ってくれたのは青森県人なのですが、彼ら曰く『青森県人と関西人には何か通じるところがある』と。う~ん、確かに。青森県人、結構突っ込むし、早口だし、政治批判好きだし、知らん人と普通に会話するし(田舎ってどこでもそういうところはあるかもしれませんが)。
ちなみに橋はこんな感じです。
橋

実は三味線を始めてから、東北の歴史を勉強し始めまして、その中で、網野善彦先生と赤坂憲雄先生の本をずいぶん読みました。歴史学は民俗学から切り離してはいけない、というのがお二人の御意見で、東北の歴史を学んでから、若い時に習った日本史は西国の歴史だ、ということを改めて感じました。名前を変えながらも続いた朝廷の歴史から見ると、まさにここはまつろわぬ最果ての国。
でも、縄文遺跡は西国ではなく東国~北国に圧倒的に多い。縄文時代と弥生時代は単に土器の名前からついているだけで、後先についてはもう云々するのは間違っていると考えられますが(縄文→弥生、という単純な流れではない)、はっきりとした四季のある東国には白神山地に代表される落葉樹の素晴らしい森があり、ここが生命をはぐくむ大地・大自然で、狩猟や採集という生活の基盤が成立したのは、この豊かな森があったから。だからマタギという仕事も現代まで綿々と続いていたわけだし、一方で縄文文化だからって農耕をしなかったわけでもないし。
西国は大陸から多くの文化や渡来人が入ってきて、その関わりの中から文化・文明をはぐくんだと思うけれど(だから日本独自っていうものは本来は存在しない)、そもそも東国だって大陸には大いに近かったわけで、その交易の広さは半端ではなかった。陸は危険だらけだったから、海から移動するのが当然だった時代、日本海側の沿岸は大陸に大きく開いていて、そこにある国々はとても近いお隣さんだった。日本の中で唯一ミイラの文化を残していたのが奥州藤原氏。ミイラは大陸から伝わったとされていて、日本のほかの地域にはこの風習・技術はなく、これは大陸との交流の名残だと言われています。
東北学および津軽学という雑誌も購読して、あれこれ勉強したら、歴史って本当はもっと面白かったんだ!と思いました。
ちなみに、縄文人にはほとんど虫歯はなかったそうで…虫歯ができるようになったのは甘い炭水化物を食べるようになったから。実は、彼らはこのことを知っていて、あえてそういうものを食べなかったのではないかという研究もあります。

長くなるので、このあたりで一旦休憩。
鰺ヶ沢(津軽半島の付け根、西)の海の青で目を癒してください。この家の屋根が、なんとも北国っぽい。
そしてこの家と手前の土手の間を、かの有名な?五能線が走っています。単線です。
鰺ヶ沢

さて、東北の文化を民俗学的視点から学ぶと、そこにはあるキーワードが出てきます。
死者との距離。
これが本当に近い。
高校生の時、修学旅行で恐山に行きました(生徒が自分たちでコースを決めた…不思議な学校だった)。
その時、私はここは『あの世だ』と思った。
この世にあの世が普通に混じり合ってそこにある。
あの世って、なんだ、結構普通に近いんだ、と思って、怖いというよりも納得した感じだったのを覚えています。
ちなみにイタコというのは、実はかなり職業的に訓練された人たちで、呪い師とは意味が違う。
嘘か真かは別問題として、死者を下してもらうことで、もう一度死者と語り合おうとする感覚、死者はあっちへ行ったのではなく、とても近い『そこ』にいる感覚、その死者と語ることによって今生きているものが、失ったものへの哀切を乗り越えて(あるいは抱えながら)命を先へとつないでいくための道しるべを与える、そういう職業なのだと理解されているようです。
ちなみに案内してくれた青森県人(アラフォー夫婦)も、子供のころ、おばあちゃんとかについて行って、おじいちゃんとかをオロシてもらった場に居合わせたとか。信じるわけでないけれど、あの時家族にとっては、亡くなった人の声を聴くことは必要だったと感じているのだとか。

あの世は結構近い。
実はこの感覚、四国を歩いている時も、和歌山を歩いている時も感じました。
そう思ったら、この伝説の地には必ず、弘法大師の足跡がある……御縁ですね。

金木には川倉地蔵尊というところがあります。
実はこの世にあるあの世、賽の河原としては恐山よりも古いと言われています。
川倉
このお堂の中には、お地蔵さん、そしてその後ろに小さな石の地蔵さんがずらり…たとえて言うと、三十三間堂の千手観音さんの並びみたいな(もっとたくさん)感じです。服を着て帽子をかぶせてもらっています。
子どもたちのためにお供えされたお地蔵さん(あるいは子供たち自身)なのです。
これは子どもを亡くした親御さん方が、子供のために草履や手ぬぐいや、生きているときに使ったもの、生きていたら使ったであろうものをお供えしたお堂です。
堂内の写真は、親御さんたちのお気持ちを思うと、敢えてここに載せることはしませんが、『川倉地蔵尊』で検索すると出てくると思います。罰は当たらないと思うので、よろしければご覧ください。
私はちょっと…心に仕舞っておきたいので。

お供えされた草履や手ぬぐいにはひとつひとつ、子どもの名前と住所などが書かれています。
草履は三途の川を渡るときに必要だから、手ぬぐいは寒さを防ぐための頬かむり。
この名前が書かれてあるということが大切。子供たちが、三途の川を渡るときに、どれが自分のものかすぐ分かるように、ちゃんと名前を書いておいてあげなくてはならないのです。
(と、事務所の方が教えてくださいました)
賽の河原
外は斜面になった道が続き、その道に同じように小さなお地蔵さん、そして祠の中にもお地蔵さん。
堂内の沢山並んだお地蔵さんもみんなこんな感じです。
賽の河原
ここが岸辺になります。湖があるのですが、三途の川に見立てられているのでしょうか。
川倉
子どもを亡くした人が、みなここにお地蔵さんを奉納していくわけではありません。
実は、傍に置きたくて、家に同じような祠を造って毎日『会っている』人もいる。
でも、その親御さんが年老いて、あるいは亡くなって、この地蔵尊に後を託していくこともあるそうです。

また、別のお堂には、花嫁人形やお婿さんのお人形がずらりと並んでいます。
なくなった子供がその年になった時、女性には花婿を、男性には花嫁を娶わせてあげるのです。
その相手に見立てたお人形です。
親同士がお見合いのようなものをするところもあると聞いています。
いわゆる『冥婚』ですが、もう少しおっかない場所なのかと思っていましたら、何だか暖かい、明るいところでした。子供を亡くしてもそこで終わりではなく、娶わせて伴侶を見つけてあげるまでは親の責任は続いているという考え、そこには自然な親御さんの愛情が溢れていると思いました。
実は、これまでたくさんの死を見てきたので、この場所に来て、何だかとても安心しました。
安心、というと変なのだけど、ほっとしたというのか。
親御さんの愛情で、みんな迷子にならずに自分の名前を見つけらるんだと思ったのです。
心から、手を合わせたいと思います。

観光地ではありませんし、ご供養に来られる方がほとんどですが、ここに来ると心に感じるものが必ずあると思います。静かに手を合わせたい場所です。
金木の斜陽館(太宰治の生家)、三味線会館の近くです(ちょっと遠いけれど、歩けなくはない)。

長いので続きます。

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2013/5/7 津軽からの帰還(1) 

あまりこのブログで三味線のことは触れまいと思っていたのですが……
まずは、三味線の運び方から。
出発のご挨拶で、三味線を畳んで運ぶ、というのをお目にかけましたが、普段は下のようなケースで持ち運びしています。
かばん
畳むのは、竿が弱いので、衝撃でどうにかなったら困るから、なんですが、さすがに近隣の移動にいちいち畳んでいたら大変でして……
普段は、長いままで糸を張っております(多少は緩めることはありますが)。
一度畳むと糸を張りなおすことになりまして、しばらくの間、音が落ち着かないのです。
一曲も弾かない(叩かない)うちに、音がずれてきてしまう。
で、車の時は上の四角いケースで(肩にもかけれるんですけど、重い…)、電車移動の時はもっぱら下のリュック型を利用しております。
リュック型のはギターっぽいけれど、上の部分は糸巻の分だけ幅があって、下の部分はギターより細身。
ちなみに、一番気を使うのはやっぱり皮。
津軽は猫ではなく犬ですが、猫より野太いとはいえ、いい音を出そうとぴんぴんに張ってあるとすぐ破ける。
ぼこぼこに張ってあったら破れないけど、音は無残…です。
ちなみに、破れる前には妙にいい音が出る、という。断末魔??
ちょっと濡れたら一巻の終わりなので、よくカラオケの映像なんかで海辺で吹雪の中で弾いてるのとかありますが、絶対無理。ま、イメージは分かりますが(^^)
『吹雪の音を聞け~!』みたいな楽器ですから……

さて、津軽で仕入れてきた写真などを。
GWには青森、弘前、金木と、大会が目白押しです。
民謡の大会もあって、周囲は賑やか。でも、今年は桜が遅くて、北国にとってはちょっと寂しいGWになっていたようです。
クラシックのコンクールとかと違って、なんでも来い(来るもの拒まず)的なところがありまして、先着順の自己申告制。出ようと思えば出ることはできる、みたいな感じです。
もちろん、A級ともなると、そうそうたるメンバーが出ております。
半プロのような人ばかりで…とはいえ、この世界、どの人がプロでどの人がプロでないのか、よく分かりませんが……
三味線人口、近年は青森の人より、県外の人のほうが多くなっているという話もあります。
青森の中ではやはりいささか家元やら流派やらややこしそうで、若者が少し減っているかも、と。
県外の場合は、その辺少し緩やかなので、とっつきやすのかもしれません。
そもそも基本が唄付けの前奏部分が独立した即興曲、というのが大会では多いので、決まりごとが少ないのが魅力かもしれません(ないわけじゃないけど)。唄付けとなるとまた大変ですが。
でも、地元の高校生や大学生で部活やサークルなどで始める人はそれなりにいて、とてもいいことだと思います(*^_^*)
津軽のリズム、それはやっぱりあの方言の間合いから生まれてくるものですし。
私たちは、所詮大阪弁の三味線……
金木大会

こちらは五所川原にある民謡/酒場です。
だだん
だだん
弘前や青森にもいくつかあります。
ご旅行の際にはぜひ、訪ねてみてください。

あるいは、ホテルや電車の中(五能線の中!)、駅前でも聞くことができます。
鰺ヶ沢のホテルでも、ロビーで演奏がありました。
この方、すごいです。自分で唄って弾いて、なんと太鼓は観客にその場で教えて手伝わせる。
民謡なんてやったこともない人間の太鼓で、ってやりにくいとは思うのですが……
エンターテイナーでしたね。
グランメール
ついでに、五所川原市内では12時に三味線の演奏が流れます。時報代わりです。

次は、津軽のパワースポットへご案内です。

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NEWS 2013/5/7 ただいま(^^)/鉄線ブルー 

てっせん
津軽から戻りました。
ただいまのご挨拶はこの青い青いてっせんの花です。
帰ってきたら、庭の花が待っていました。
てっせん
重なり合って咲く鉄線……白や紫のてっせんも植えてみたけれど、やっぱりこの色が好き。

しらん
そして、紫蘭です。この紫もきれい。
色々な方のブログの写真を見せていただいて、すごいなぁと感心するばかり。
自分で撮った写真はイマイチだけれど、私の手入れの悪さをものともせずに咲く花たちだから、ちょっと頑張っていい色に撮ってやりたいと思いました。
花の色って、本当に、どう表現すればいいのか。
花の数だけ色の名前が、空の数だけ色の名前が……というくらい、色の名前は豊かですね。

つつじ
真っ白な躑躅。夜のぼんやりと庭灯に照らし出されて浮かび上がる姿は、幽玄の世界と言えるかもしれません。
ちなみに、うちの躑躅、なぜか咲かない子が2株あります。
11年目ですが、一度も咲いたことがない、『咲かずの躑躅』(ミステリーでも書こうかしら)
……日照も、土も、他と変わらないんだけれど。

ばら
そして、薔薇こそ、手入れが必要ですが、まったく悪環境にも関わらず咲いてくれている。
有難いです。

色の名前と言えば、この本ですね。
色の名前
このシリーズ、大好きなんです。空の名前、とか宙の名前とか、暦の名前とか、色々テーマがあって、たまにパラパラめくっているとイメージが湧いてきます。

花が続いたので、北国の花を少しばかり。
北国の桜
今年は本当に寒かった。サクラももう寒々しいくらいで……
いつも満開か、あるいはもう散った後だった弘前城の桜も、3日の日にはまだ2分と言ったところ。
あまりの寒さに、毎年このGWに田をおこすはずの農家の方々も動けず。
例年ならせいぜいてっぺんだけが雪を残していた岩木山も、今年は裾のほうまで雪が残っていて、でも雪解け水は流れて、道はまるで川みたい。
梅もまだ咲いていて、津軽の人々も、こんな時期まで寒いのは初めてだ、とおっしゃっておられました。
異常気象、なんでしょうか。
つくしとふきのとう
上は仲良く並んだ土筆と蕗の薹。
つくしはこんなものじゃなくて、あちこちにうじゃうじゃ生えていて、ふきのとうもあちこちに……
ふきのとう

岩木山のすそ野のある場所では、雪下ろし中。
ゆきおろし
ついでに、あのふさふさだった『わさお』はなぜかしょぼくれていました…
雨のせいかな??
わさお

青で始まった記事なので、青で括ります。
鰺ヶ沢の海です。
海

Category: ガーデニング・花

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NEWS 2013/5/3 旅立ちの朝と昔のノート 

さて、ついに、本日から津軽に旅立ちます。
かつては、寝台車『日本海』で行っていた津軽。たまには飛行機利用(でもGWは高い)…そして今は新幹線。
あれこれ交通手段を変えながら、それでも毎年津軽地方にお世話になっております。

しばらくどっぷり津軽、そして東北弁シャワー、毎日飲み会、そして三味線に浸かってまいります。

ちょっと出かけようと思うと、仕事を片付けなければならなくて、ここ数日書類の山と格闘しておりましたが、またまたしばらく記事が書けないかなぁ。
タブレット買ったけど、どうせ飲んだくれてるし…
しかも、使い方がイマイチよく分からないままだし…
ということで、三味線三昧なので、お土産話はあまりお楽しみに、ってことでもないのですが、ロケハン兼ねての旅なので、物語に還元できたらいいなぁ(^^)

って、まだ何も準備していない…三味線畳まなくちゃ!
三味線
こんな風に、三味線は畳まれます…
三味線
そしてコンパクトにカバンの中に。まるで銃のように(って、知らんけど)折りたたまれて、ちょっと仕事人気分。
ちなみに、このままではなくて、ちゃんとお太鼓部分は和紙に入れて、布の袋に入れて、運びます(^^)

旅立ちの前って、カバンにもの詰めるより先に、家の片づけをしてしまう…
万が一、何かあって、誰かが家に入って、空き巣と間違えられたら…
いやいや、ちょっと恥ずかしいし、というのもありまして。

さて、ちょっとものを整理していたら、出てきたのが昔のノート!
私も昔はイラストもどきを描いていたらしい…もう描けないけど^^;
ノート
しかも、イラストにはレコードですよ! どんな時代…
写っているカレンダーが、例のコピー誌の付録カレンダー。
友人たちが描いたイラストはもっと素敵なのだけれど、ここには載せられないので、私の拙いイラストですみません。ってもよく見えないですね。
ノート
上は、真の息子の慎一(ピアニスト)ですね。
そして、真中にいるのが、ジョルジョですね(この頃メインで書いていたのが、真死後のジョルジョと慎一の話)。
で、下はなんとノートにびっしり書かれた小説ですよ。
こんなのが、20冊ほどもある…
ノートも、ふるーいブルートレインだったりして。
ノート

しばらく更新がままならないので、ちょっとばかり恥ずかしい過去を暴露してお茶を濁しました。
では、いざ、津軽遠征へ(*^_^*)

Category: ☆真シリーズ・つぶやき

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[雨38] 第5章 誰も信じるな(5) 

18禁です。相変わらず、大したことのない18禁ですが……
*第5章最終回です。
*前回、すごく中途半端なところで切ったことに、今更ながらに気が付きました。井出が「(大和竹流が)何で行方をくらましてんだ」と聞いたところでした。




「分からない」
 真が俯き加減で言ったので、井出が珍しく真剣な顔で真を見た。
「まずい話なのか」
「みたいだ」
 井出は返事をせずに真を見つめている。それから徐に煙草をもう一本出して咥えた。美和がテーブルの上から真のライターを取り上げて、それに火をつける。酔っ払っていてもそういうところにちゃんと気が付くのが、美和のいいところだ。
「高くつくけど、調べといてやるよ。他に、何かあるか」
 井出の声が、いつもの『井出ちゃん』ではなくなっていた。
「その新津って記者のこと、もっと分かるだろうか」
「あぁ、そりゃまぁね。何疑ってる?」
「本当に自殺なのか」

「そう来たか」井出は面白そうににやりと笑った。「そりゃあ、あり得るねぇ。子煩悩な男で、自分の罪を悔いて死ぬのはいいとしても遺書一つ残さないってのもね。しかもブンヤの端くれとしては、ブンヤが真実を明らかにしないで死ぬってのも気に入らないんだよねぇ。大体脅迫される相手にも落ち度があるわけだから、自分が死ぬくらいなら真実を暴いて死にたいね。いい路線だよ、真ちゃん」
「この週刊誌の記事、伏せ字や暗号が多くても、読む人間が読んだら、ちゃんと何かが分かるようになっているんだろう」真が聞くと、井出は頷く。「じゃあ、このIVMってのもあながち見当違いの文字でもないってことじゃないのか。綴りの似た会社のほうには、それらしい問題はなかったんだろう?」
「まぁね。こだわるね」
「他のところは大方伏せ字なのに、具体的なアルファベットはこれだけだ」
「人捜しの名人は目の付け処がやっぱり違うねぇ。それってホテル宿帳、調べるときの確認事項?」
 真は頷いた。
「名前は結構、縁もゆかりもないものを思いつきやすいけど、具体的な数字やアルファベットはどうしても大きく外れられないものなんだ。数字は十個しかないし、アルファベットは高々二十六。だから特に追い込まれていると、組み合わせのバリエーションが少なくなってしまう。もしもこれを書いた記者が何かを訴えたかったんだとしたら、尚更、特定の誰かには分かるようになっているはずなんじゃ」
「ふーん、そりゃそうか」

「それにこの記事を書いた記者は、どうやってフロッピーの内容を知ったんだ? 新津圭一が恐喝をしようとしていたってことくらいしか新聞記事には書いていないし、具体的な説明は何もない」
 井出はにやにやしている。真が何だよという顔で井出を見ると、井出はにやにやを二乗したような顔になった。
「俺、やっぱり真ちゃん、好きだなぁ。俺もさ、あの時、ロッキードにかまけて頭からその事件のこと、追い出しちまったことが、後からなんか後ろめたくってさ、幾らか引っ掛かってたんだよね。けど時間が経っちゃうと、記憶から薄れていくってのか、今更掘り返すのが難しいっていう先入観に縛られちゃうってのか。時間がないってのも事実だけどさ、それに逃げちまってたかなぁ」
 少ししみじみした声になった井出は、美和が注ぎ足したお猪口の中の酒をゆっくりと飲み干し、カウンターに置くなり言った。
「俺に協力できることだったら、ちょっとくらい無理もするかな」
「ただ」

 真は井出が話をしている間に急に心配になった。添島刑事の言いようでは、相手はどこの誰とも知れず、しかも残忍で竹流をあんな目に遭わせている。もしかして、井出をそこに巻き込むかもしれない、と思った。
「ただ?」
「気をつけろと警告されている。もしかして、相手は隣の優しいお兄さんかお姉さんかもしれない」
「どういう意味?」
「よく分からないんだ」
 井出は注意深く真の顔を見ていた。気のいい酔っ払いではなく、ブンヤの目だった。
「了解。Trust No One、だな」
「え?」
 真は竹流が言った言葉を、井出が英語で同じように繰り返したことに驚いた。
「あるブンヤの言葉さ。俺としては、その先に何か欲しいんだけどね」
「その先?」
「Trust no one, but me」
 真は井出の顔を思わず真剣に見つめた。
 彼らの隣で美和は無言で飲んでいた。
 彼女なりに心配していてくれている気配は真にも伝わっていた。ただ、時々真が時計を見るのが気に入らないのもあるのだろう。あるいは、竹流の話題を出すことで、深雪のことから意識を逸らせたかったのかもしれなかった。

 真が井出に断って席を立ったときも、美和は何も言わなかった。真は先に支払いを済ませて店を出た。
 駅まで歩いていると、直ぐに後ろからどすどすと走り来る音がする。
「先生、美和さんから、伝言っす」
 その声に振り返ると、宝田が息を切らすようにして真に箸袋を手渡した。真は、美和が酔っ払ってちょっと踊った字で『早く帰ってきてね』と書いた文字を見つめた。
「分かったって、伝えてくれ」
 宝田はうんうんと頷いて、それでも立ち去る気配がなかった。
「何だ」
 宝田は口籠っていたが、やがて言った。
「先生、俺、先生が大和さんを好きなら、それは美和さんには悪いっすけど、仕方ないと思ってます。美和さんにも相手が悪いって言っときます」
 何を言いたかったのか、それだけ言うと宝田は走り去っていった。大きな身体を揺らせている後姿を真は呆然と見送った。誤解だ、と口を挟む隙もなかった。
 電話の話のあたりから宝田が真剣な顔をしていたように思ったが、そんなことを考えていたのかと思って驚いた。
 真は、宝田の事をちょっとばかり頭の弱い男だと思っていたことを、申し訳ないような気持ちになっていた。彼は彼なりに自分を心配してくれているのだと思って、有り難い気持ちだった。

 誤解は誤解だけど、と思いながら、真は事務所の駐車場に戻り、車を取って銀座に向かった。気分が悪いので電車には乗りたくなかったし、今はとにかく一人になりたかった。少なくとも車の中という個室では、他人に気遣う必要はなかったし、電車の吊広告を見なくて済むという最大のメリットがあった。
 昨日からの出来事に頭がまだ混乱していて、どこにもまとまりがつかなかった。
 未だに、竹流の怪我と失踪と、添島刑事や楢崎志穂が言っていたような澤田の件とが繋がっている確信がなかった。いや、何よりまだ、竹流が本当に失踪したとは思えなかったし、思いたくもなかった。
 それは、竹流があんな怪我をしていたのに察していなかったと添島刑事に責められたからかもしれないが、言葉だけでは起こっている出来事の重大性がつかめなかったせいもあった。
 どうせひょっこりと帰ってくるのだろう。大体これまでもさんざんややこしい所に出かけて行っていたのだし、今に始まったことでもない。大胆で勝手で、だが強運で天運が味方している、そういう人間だ。

 特別な運命の元に生まれている人間はいるのだろう。
 真がローマのヴォルテラの屋敷で放り出されて一人熱を出している時に、様子を見に来てくれていた医者が、竹流を幼少の時から知っている人だった。
『あれはちっこい頃からどうにも人を惹きつけてやまない子どもでな、本人も、神様だって自分の味方だと思っておる。いや、生まれたのも、ファシズムと闘って謀殺されたヴォルテラの先代が亡くなったのと同じ日でな、しかもドラゴンを打ち倒した聖人の記念日だ。だからその聖人の名前をとって名付けられた、初めから祝福された子どもだったんだな。まぁ、だから当代はあれを跡継ぎにと言って譲らないんだがなぁ。だが、あの子は一方では半端じゃない努力家だ、あの当代のスパルタにも耐え抜いたんだからな』
 そうだ、無謀そうに見えて、本当は人一倍の努力家で、するべき事への集中力と用意周到さは半端ではない、他人にもスパルタだが、自分に対してはもっと強い集中力と厳しさを持っている。だから、ただ無謀に敵に挑んで行ったりはしないに違いない。きっと何か勝算があるのだろう。ついでに言うと、逃げるが勝ち、という引き時も十分に知っている男だ。身が危ないと思ったら、うまく逃げているはずだ。
 今は、ただそう信じたかった。
 だからこそ、新聞記事を残していったに違いない。真に捜しに来いと言っている。彼があの新聞記事を高瀬に渡したのは、真が昨日竹流のところに行った後なのだろう。
もしも何かあったら、お前が俺を捜しに来いと。
 だが、本当に竹流の切り札が自分なのだとしたら、それはいかにも頼りない切り札で申し訳ない気がした。
 いくら何でもさすがにそれだけって事はないな、と思い直す。彼がそれほど真を当てにしているとは思えない。
 とにかく、今自分にできることだけを考えていればいい。深雪に会いに行けば、一つくらいは何かつかめるかも知れないと思った。


 いつものホテルに着くと、車を駐車場に入れてエレベーターに乗り、ロビー階で乗り換えて最上階の深雪の部屋まで上がった。それは一年半以上前から当たり前に繰り返されている行動で、それをなぞる間に、今日が決して特別な日ではなく、何度も繰り返されてきた逢引の日に過ぎないような気がしてきていた。
 そして、深雪の部屋のドアをノックして、バスローブ姿の彼女に迎えられた時、当たり前の時間が流れ出した。
ドアを閉め、いつものように抱き合ってキスを交わした。その間に、真は美和の事も竹流のこともどこかに置き忘れそうになっていた。駐車場を降りた瞬間から、この部屋に上がって深雪と肌を合わせるところまでは、朝起きて歯を磨くくらいに習慣のようになっていしまっている、そのことに今さらながら気づかされる。

 だが、キスを交わしている間に、ドアの外を通る人の足音が聞こえた。
 その他人の足音が、ここに来る前に後ろを追いかけてきた宝田の足音に重なる。
 唇を離すと、いつもと同じ艶やかな深雪が真を見つめていた。
「どうしたの?」
 真は、その瞳や声や指や全てが自分をどのくらい高ぶらせるのか、よく分かっていた。
「預けたいもの、って?」
「帰りに渡すわ」
 穏やかな声で深雪が囁く。
「今日は……」
 真は言いかけてやめた。もう十分に泥沼で、今更綺麗に別れようなどというのが虫のいい話だと分かっていた。
真の表情の細かいところを読み取ったのか、深雪は微笑んだ。
「あのお嬢さんと寝たの?」
 真は答えなかった。カマをかけられただけかもしれないと思ったが、返事はできなかった。
「私と別れたいのね?」
 深雪の指が自分の頬に触れかけたとき、真はようやく覚悟した。

 別れるなどとんでもないことだった。理性は言い訳を捜していたが、身体のほうは別の反応をしていた。深雪に薦められるままにシャワーを浴びていると、直ぐに彼女が入ってきて、石鹸をつけた身体で後ろから抱きついて真の背中を洗い、その綺麗な指が真の前を弄った。
 私と離れられるの、と聞かれている気がして、逆らいようもない気分になった。深雪に触れられると、簡単に真自身は反応し、居ても立ってもいられなくなった。やがて深雪は真の前に来て膝をつき、いつものように真の中心に手を添えて咽の奥深くまで銜え込んだ。何度も吸われているうちに耐えるという行為が馬鹿らしくなってきた。真は深雪の頭を押さえ、彼女の咽の奥へ自分の欲望を流し込んだ。下半身から吐き出した瞬間に、意識はどこかへ半分弾き飛ばされたような気がした。
 それからもシャワーの雨の中で立ったままひとしきり結び合って、お互いの身体を洗い、ベッドに入った後も、深雪はあらゆる手で真を喜ばせた。

 どこかに後ろめたさや良心があっても良かったのに、もう何も考えたくなかった。だが一方で、深雪自身の事を理解しようとする機能もなくなってしまっていた。彼女が今までにないくらいに真を喜ばす技巧を披露したことも、ただ商売の女がすることと心のどこかで思い込んでいた。
 もう数えられないほど極めた後で深雪が真の身体の上で上半身を起こし、自分の顔を見つめていた間、真はもう少し冷静になるチャンスがあったはずだった。後からそう思ったが、その時は頭の中の思考回路はどれも動いていなかった。下半身は合わさったままで、少し動くだけで異常な戦慄が身体の中心から背中を昇ってきた。
 もうこれ以上はどこにも何も残らないというほどに全てを奪い合った後で、深雪が枕もとのバッグを取り、印鑑とメモと封印された封筒を出してきて真に渡した。

 真は黙って身体を起こし、それを受け取り、メモを見た。そこには長い数字が並んでいた。
「この番号は?」
「I銀行の貸金庫の口座番号。その手紙と印鑑をあなたが持っていけば、開けてくれることになっている。これを一ヶ月、何も聞かないでそのままで預かっていて欲しいの」
「一ヶ月経ったら?」
「あなたのものよ。好きにして」
「何が入っているんだ?」
 深雪は一瞬、どう答えたらいいのか、まるで彼女自身もその答えを知らないかのような困惑した表情を見せ、真の手元に預けられたものをしばらく見つめていた。
「きっとつまらないものなの。その判断もあなたに任せるわ」
 深雪の声は淡々としていて、心のうちの何かをつかみ取ることはできそうになかった。真はしばらくの間、印鑑と封筒を見つめていたが、その意味合いも重みも、無機質な形からは何も感じることはできなかった。
「俺が、これをあなたに返すチャンスは、勿論あるんだろうな」

 深雪は暫くその言葉を受け止めるのに時間がかかっているような気配だった。やがて、ただ俯くように微笑んで視線を逸らせただけだった。
「帰るんでしょ。あのお嬢さんのところへ」
 真は暫くの間、深雪の白い項を隠す髪を見つめていた。深雪の声は決して責めるようでもなく、悲しそうでもなく、ただ静かだった。その静けさが、真を急にどうにも堪えられない気持ちにさせた。
 何かとんでもない間違いを犯しているのか、あるいは大事なことを今にも取りこぼしそうな気がして、真は深雪を抱き寄せた。
 突然湧き起こった感情の意味は自分でもわからなかった。
 だが、腕の中の深雪はやはり静かなままだった。なぜこんなにもこの女が静かになってしまったのか、理解できない自分に混乱してしまう。真は深雪の頬に触れ、その頬が陶器のように白く冷めていることが苦しくなり、そのまま唇を重ねた。
 もしかすると、それは真が深雪に示した初めての、そして最後の意味のある口付けだったかもしれなかった。
 もう何ひとつ残らないほどに抱き合った後だというのに、真はふともう一度この女に触れなければ後悔するのではないかとまで思っていた。もしかして深雪に何かが伝わればと、彼女の胸に触れようとしたとき、その口付けから深雪が身を捩るようにして逃れた。
 これ以上ここにいることはないのよ、と言われている気がした。

 真がベッドから起き上がり衣服を整える間、深雪がただ黙って自分を見つめている気配を身体の側面で感じていたが、顔を向けることができなかった。その視線を感じながら、収まりのつかない違和感や、意味不明の後悔や、何かやり残したことがあるような満たされない思いで頭がいっぱいになりながらも、表には出すこともできず、真は慌てるのでもなくシャツのボタンを留めていたが、ふと何かに刺激されたように振り返った。
 真の目に何か閃きが飛び込んできて、ひとつ引っ掛かっていたものがパチンと外れたようになった。
「……妹が、いるのか?」
 深雪は不思議そうに真を見つめていた。何を言っているのか理解できない、という顔だった。
「どうしたの? 幽霊を見たような顔をして」
 楢崎志穂は、真のことを『肉親の恋人』と言った。
「妹はいないのか」
 もう一度真が繰り返すと、深雪は冷めた穏やかな顔で答えた。
「いいえ。妹なんていないわ。私は親も知らないの」
 彼女から返ってきた答えはそれだけだった。深雪はその一瞬、白い皮膚の表に、突き通すことのできない透明な鎧を身に付けたようだった。





さて、次回からは第6章:水死体です。
誰の水死体かって…えーっと、結構あちこちで書いていたので、今更ネタバレもないのですが…
どちらかというと、気持ちが追いつめられていく真をお楽しみいただけると幸いです(^^)

多分、ここに至るまで、真はかなり突っ張って、一人前の男のつもりでいたと思います。
女ともいっぱしに付き合ってるし、しかも相手はかなりいい女で、自分たちは身体だけの関係、なんて恰好つけたりもしている。
事務所の所長として、それなりに面倒をみなければならない従業員(とまで言えるかは不明…一人はヤクザの情婦だし、一人は給料出しているのはそのヤクザだし、もう一人は押し掛け弟子だし)もいるし。
街は新宿だし、ある程度いきがって生きていかなくちゃならないし。
でも…根は、高校生の時から、あるいは大学生の時から変わっちゃおりませんでして……

ではまた次回、お楽しみに(^^)

Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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[雨37] 第5章 誰も信じるな(4) 

*竹流の怪我が尋常でなかったこと、少なくとも『彼のような』人間が簡単に傷つけられたという事実に、もっと何かを察するべきではなかったのかと責められて、真はようやく事の重大さに愕然とする。
もしかしたら大和邸の執事・高瀬なら、竹流から何かを聞いているかもしれないと訪ねていくが、残されていたのは、ある雑誌記者が自殺した記事だけ。
これは楢崎志穂が敬愛していたという先輩の記者のことらしい。そして、その男の愛人が深雪だったと、彼女は言っていたのだ。
深雪と鉢合わせたことで美和が怒っているのではないかとちょっと心配だった真だが、事務所に戻ると……




「先生、お帰りなさい」
 意外にも明るい声で美和が真を出迎えた。機嫌を直してくれたのかどうか、それはまだわからない。
「事件の事、分かったか」
「うん。どれも扱いは小さいけど、でも井出さんがその事件の事、よく覚えてるって」
「井出ちゃんが?」
 真は美和がコピーしてきた新聞記事に目を通した。そのうち一枚は、さっき高瀬から手渡されたものと同じだった。少しずつ、無関係であった人と人の関係が絡み合ってくる。
「しかも、その記事書いたの、井出さんなんだって。電話したら、今ちょっと手が離せないけど、六時ごろなら空くから飲もうって」
「飲む?」
 美和はにっこり笑った。
「先生に会いたいんだよ。それにその事件の事を聞いたら、声が裏返ってた」
「裏返るって……」
「うーん、なんて言うのか、飛びついてきたって感じ」

 どういう意味なのか分からないが、井出がこの記事のこと、事件のことを知っていて解説してくれるなら有り難いと思った。
 井出は某大手新聞社の社会部担当で、ちょっとした事件で知り合い、やたらと事務所にやってくるようになった。ネタ探しというよりは真を飲みに誘いに来るのが主目的のようで、多くは飲めない真を飲ませては何かしゃべらせようと企んでいるように見えた。一見は遊び人風だがやり手のようで、将来の有望株だと本人が言っている。半分は嘘ではないようだった。
「で、もう六時過ぎてるんだけど、行く?」
 真は時計を見た。気持ちは焦っていたが、どこか宛があるわけでもなかったのだ。
「そうだな」
 それから宝田と三人で井出に会いに、彼とよく飲んでいる居酒屋に出掛けた。


 雑誌記者、新津圭一は当時三十六歳で、その日自分の部屋で首を吊って死んでいるのを発見された。部屋の扉には鍵がかかっていて、窓も同様だった。発見したのは、たまたま家を訪問した圭一の姉婿だった。遺書らしきものはなかったが、机の上は整理されフロッピーディスクが一枚置かれていた。
 脅迫文めいた内容のものがそのフロッピーに入っていたが、詳しい内容は公表されなかったようだ。新聞ではそのあたりの事は省かれていて、彼が最近借金で苦しんでいたことなどが取り上げられている。内側から鍵もかかっていたので、警察は自殺と断定したようだった。
「その後の記事、一か月分くらい見たんだけど、続報はなし。その頃って新聞はロッキードだらけだったもの、こんな末端の事件はあんまり興味を引かなかったんでしょうけど」
 美和が歩きながら解説した。時々、美和の腕が身体に触れるので、真は少しばかり居た堪れない気持ちになった。

「らっしゃーい」
 居酒屋の引き戸を開けると、威勢のいい掛け声が出迎える。金曜日の夜だけあって、開店して間もないのに既に半分の席が埋まっていた。
「よぉ、久しぶりだね、真ちゃん」
 威勢のいい声の主がお絞りを持ってテーブル席にやって来た。
「先週来たよ」
「毎日来てよ。カウンター座んないの?」
「ちょっと人待ちなんだ」
「どうせ、井出ちゃんか桜ちゃんでしょ。いいじゃない」
 見抜かれているな、と思った。桜ちゃんというのは新宿二丁目のゲイバーの明るいチーママで、真に頼み事と悩み事相談をするのが半分趣味になっている。
 この町で真は何故かこういう水商売の男女に好かれる傾向がある。特にゲイバーに勤める連中の一部からは、同族と思われているせいもあるかもしれない。誤解だと言って解説するのが面倒で、たまに否定し、たまには相槌を打っている。

 美和がまずビールを注文し、それから宝田と二人でぽんぽんと注文を始める。
 宝田は実はほぼ下戸で、真以上に弱い。だが食べるほうは人一倍だった。美和と宝田が注文する間に、真に口を挟むチャンスは全くない。一通り注文が済むと、今度は真のほうを向き直り、先生は何する? と真の注文を更に聞こうとする。三人分どころか五人分くらい注文した後だというのに。もっとも残ることはないので、あと何品か真が追加したところで変わりはないのかもしれない。
 既に美和がビールを一気に二杯空けたところで、ようやく井出がやって来た。

「すまん、すまん。会議が長引いて。お、もうしっかり飲んでるね」
 井出は美和に声をかけて、宝田の隣、美和の向かいに座る。気さくと言えば聞こえはいいが、ある意味だらしがないほどにいい加減な格好は、大手新聞社の記者のように見えないといえば見えず、そうだといえばそう見える。頭は半分天然パーマ、半分は寝癖でいつも手入れが行き届いていない。服装も、真も頓着しない方だが、井出よりはましだと思ってしまう。
「あれ? 真ちゃんは何で茶なんかすすってるわけ?」
「先生は二日酔いで飲めないんですって」
「二日酔い? 珍しいじゃない」
 井出はそう言ってから注文を聞きに来た女の子にビールを頼む。それから、真に方に向き直り、にたにた笑いながら言った。

「真ちゃん、何かややこしいことになってるんじゃないの?」
「何が?」
「うちの若いのが一人、澤田顕一郎に張り付いてんだよね。澤田がいつも使ってる料亭に入るから誰が来るのかと思ったら、秘書の親玉、嵜山に連れられて来たのが真ちゃんだったってさ。もしかしてコレのことで嫌がらせされたんじゃないの?」
 そう言って井出は左手の小指を立てる。
「まさか」
 拙いタイミングの話だと思ったが、真の隣で美和は構わずに飲んでいた。
「何だったのさ。教えてくれてもいいんじゃないの」
 社会部記者であっても、とりあえず澤田が一般人に何を言ったのか聞いておきたいのだろう。あるいは単なる興味かもしれないが。

「昔話を聞かされてただけだ」
「昔話? 九州日報時代の?」
「九州日報? 彼、ブンヤあがりなのか」
 美和が真を覗き込む。
「先生、知らなかったの? 私が渡した澤田の資料、読んでないんですね」
「あぁ、後で見ようと思って。ごめん」
 美和の機嫌を損ねることばかりだ。
「で、どんな昔話?」
 井出が興味深そうに身を乗り出す。
「違うな、もっと前のことだよ。大学時代の」
「帝国大学か」
「東大だろう、いつの事だ」
「そんな話をわざわざするのに真ちゃんを呼ぶなんて、あり得ないなぁ」
 疑わしそうに井出は真を見る。真はひとつ息をついた。この話題はさっさと切り上げようと思った。
「俺の父を知っていると、そういう話だ」
「真ちゃんの親父さんって、脳外科医だったよな」
「うん、まぁ。もういいよ、別に苛められたわけじゃないし」
「あやしいなぁ。やっぱりコレのことでしょ」

 井出がもう一度小指を立てたあたりでビールがやって来た。それで乾杯している間に、真はさっさと話題を振り替えた。
「それより、新津って記者の話だけど」
 ビールをほとんど一気飲みして、井出はジョッキを置くと、真のほうへ身を乗り出した。「あれねぇ、あれは臭いよ、真ちゃん」
「臭いって?」
「それより何でこんな事件ひっくり返してんの? 怪しいなぁ。真ちゃんの興味を引く理由を教えてよ」
 井出の追求は記者だけにしつこい。
「いや、まだ分からないんだ。だから教えて欲しくてさ。井出ちゃんが書いた記事なんだろう」
 井出は椅子に凭れて頷いた。
「まぁね。というか、それ書いた時、俺、その家族に会っててさ。ていうより、色々気になって、ちょっと調べたことを続報にして記事書いたんだけど、没にされちゃってさ。でも、まあそんなことはしょっちゅうだからね、一々覚えてられないんだけど。しかもその頃ロッキードでてんてこ舞いしててさ、寝る閑も無くてそれどころじゃなかったんだよね」

 ちょっと昔を思い出すように言ってから、井出は記者の目になった。
「警察はろくに調べなかったようだった。確かに、その新津って記者は奥さんが意識のないまま病院で寝たきりで、借金抱えてて大変だったみたいだけど、結構責任感の強い人だったみたいよ。それがさ」
 井出は店の女の子の薦めるままに、ビールをもう一杯、美和と一緒に注文した。
「俺が覚えてるのは、その娘のことでさ」
「千惠子ちゃん」
 美和が口を挟んだ。
「そんな名前だったかな。その子がまともに見ちゃったらしいんだよね、父親がぶら下がってるところをさ。パパは鍵なんかかけない、って言ってそれきり、口も利かないんだっていってたなぁ」
「鍵をかけない?」

 井出は彼にしては珍しく、その後しばらく言葉を探しているように見えた。何か別のことを言いかけたようで、それを呑み込んだようにも見えた。
「そんな習慣がないってことだろ。っても、自殺するときには習慣なんて関係ないけどさ。まぁ、この事件は新聞で詳しくは扱われなかったけど、この記者が誰かを脅迫してて、それも借金に困ったからだろうって話でさ、死人に口なしだからそれ以上は誰も追及できませんっていうわけだ」
「脅迫の内容もか?」
 井出は上着の内ポケットから折りたたんだ紙を取り出した。ポケットに突っ込んできた割には大きな紙だ。
「これ、事件の二ヶ月後の週刊誌。これが新津圭一の勤めていたとこのライバル社から出たんだよね」

 週刊誌を数枚ちぎって折ったものを、井出は真の前に広げた。
 そこには意外にも随分大胆な内容が載っていた。新聞に取り上げられなかったのは、あまりにも内容が低俗だからか、出所がはっきりしない情報が多くて警戒したからなのか、ともあれ『記者の死』と見出しされたこちらの雑誌の方には、フロッピーの事、中に入っていた脅迫文の内容、彼の預金通帳の中身、愛人がいたことまで書き立てられていた。そういう記事にありがちなことだが、大した内容はないのに、スキャンダラスな気配と、顔も名前もはっきりしないが、社会的に許しがたい誰かを告発したい、あるいはこの記事が注目を浴びてほしいという、意気込みだけは感じ取れる。
「井出ちゃんがこれ、気にしていたのはどうしてなんだ?」
「なんかねぇ、俺も血気盛んでさ、報道規制にむかついちゃって」
「報道規制があったのか」
「んー、言葉じゃなく無言の圧力よ。いや、というより、気が付いたら記事が消えていたみたいな感じの。いや、記事どころか会社もね。その週刊誌の会社、よくそんな記事書いたな、と思ったら、その数ヵ月後には倒産したんだよね」
「倒産?」

 井出はようやく煙草を咥えた。真に、ライター持ってるか、という仕草をする。真はライターを出して火をつけてやった。
「何かごたごたしているうちに消えちゃった、って感じだったな。別に経営状態が悪いようには見えなかったけど。それに、ロッキードが一段落したとき、俺、実はその女の子のこと聞きに伯父さんとやらを訪ねたんだけどさ、どこかの施設に預けたって、門前払いだったしね」
 真はその記事を注意深く読んだ。フロッピーに入っていたのは、六人ばかりの相手への脅迫文で、その相手の名前は伏せ字になっている。だが、澤田らしい人物の伏せ字はなかった。要求している金額は予想より大きくはないが、それ以上の金額が彼の口座に振り込まれている。

「このIVMってのは何だ?」
 真は脅迫文に入っているアルファベットを指して井出に聞いた。脅迫文にはIVMの件で、と書かれていたという。
「うーん、IBMの綴り間違いかな、というか、その記事自体、妙に伏せ字と暗号が多いからね。わざと変えてるかもしれないし」
「この、愛人ってのは」
「新津って記者は愛人抱えるような男じゃなかったって聞いたけどね、というのか、つまりそんな甲斐性がないってのかな、でも、姉夫婦はもうその件には触れて欲しくないって感じだったよ」
「何か調べたのか、この愛人という女のことで」

 真は自分の声が上ずってないかと気になったが、井出も美和も何も思わなかったようだった。気が付くといつの間にか美和は冷酒に移っていて、既に二合徳利を二本倒している。
 美和がザルに近い酒呑みなのは分かっていたが、この飲みっぷりが自分への嫌がらせに思えて、逆に真は止められなかった。その上、井出までも美和と一緒に冷酒に移っている。
「いいや、だから俺もそれどころじゃなかったしね」井出は冷酒をぐいっと飲んで、真に向き直った。「それにこの記事、ちょっと面白いんだよ。この自殺した記者を断罪しているように見えて、何か目的が別のところにあるんじゃないかって感じがするんだよね」
「別のところ?」

 真が聞き返すと、井出は頷いてから、この居酒屋名物、焼いた甘い白葱を箸でつまんで口に放り込んだ。
「忘れ去られそうな事件をあえてひっくり返したいっていうのかな、その直後にロッキードだったからさ、そんな記者の自殺なんか忘れられそうな時期だったしね。愛人だの金の動きだのスキャンダル性を前面に出しながら、意外に細かいところ、ついてるんだよ。本当に書きたかったのは別のところにある、みたいな。その伏せ字になってる脅迫の被害者さ、じっくり読んだらちゃんと分かるようになってる。そのうち何人かは、もうとっくに現役を退いてる経済界の大物だったりする。わざわざ一線を退いた人間を、今更脅迫しても大したものが出てこないような相手だぞ。新津圭一の本当の目的は何だったんだろうって、ちょっと引っ掛かってしまうわけさ」
 真はしばらく、内容が薄そうでいて、奥行きの見えない週刊誌の切抜きを眺めていたが、やがて顔を上げた。
「この出版社の人間、知らないか? あるいはこれを書いた記者を」
 記事の最後に記者の記号がSとだけあった。
「調べたら分かるかも知れないけど」井出は真にお猪口を薦める。「高くつくよ」
「いつか借りは必ず返す」

 真がお猪口を断りながら食い付くように言うと、井出は真剣に真の目を見つめていた。
「真ちゃん、何かあったの? いつになく必死じゃないか」
 酔っ払い始めた美和が完全に据わった目で、真の腕に腕を絡めてきた。
「そうなんです。先生はね、恋しい人が行方をくらましちゃったので、気が動転してます」
 美和が酔っ払ってくると絡むタイプなのは皆知っているが、今日はいささか勝手が違う。真が深雪のところに会いにいくことを分かっているからに違いなかった。後ろめたさのせいで、もう飲むなとも言えず、真は美和の手からお猪口を取り上げようとしたが、美和の手が早かった。
「恋しい人?」
 井出が興味深そうに美和の言葉に反応する。
「大家さんです」
 横断歩道を渡るように右手を上げて、美和が宣誓の如く言い放った。

 駄目だな、これは、と真が思っていると、宝田が真剣な目で真を見ていた。
「先生、深雪さんだけじゃなくって、つまり、その」
「酔っ払いの言うことを真に受けるなって」
 宝田は美和の言うことは全て正しいと思っている。真は慌てて否定した。
「あーら、高校生みたいに電話でいちゃいちゃしゃべってたくせに」
 美和が真を覗き込むように口を尖らせて言った。

 いささか面喰ってしまった。
 そうか、夜中の電話の話か、と思い至った。いちゃいちゃというような、そんな記憶はないが、美和がそれを見ていたのだと改めて知ると、実に気まずいような気分になる。
 その上、深雪で恨まれてるんじゃないのか、と真は思い、更に当惑する。
 その件は、真自身の中でも、追及されても追及しても答えの出ない袋小路のような話だ。だが、美和がそのことを察していて、この状況で深雪ではなく竹流の名前を出したことに、真は心のうちを抉られたような気持ちになった。
「真ちゃんと電話でいちゃいちゃしゃべる相手って、ていうか、真ちゃんが恋人と電話でしゃべってる場面なんて、俺ん中ではあり得ないなぁ。せいぜい何十秒かで電話切って、相手に嫌われるのが落ちだろ。大家さんって、あの大和さんのこと?」
「そうです。先生が世界で一番愛してる人です」
「美和ちゃん」
 真が美和を制すると、一瞬、美和の目がしらふになった。
「妄想じゃないもん」
 井出は面白そうに目の前の真と美和の絡みを見ていた。
「大和さんって言えば、プレデンシャル、見たよ。確かに、愛してるって書いてあったなぁ」
「からかってるんだ」
「ま、確かに、恩人の息子ってだけじゃ一緒に住まないよな。で、何で行方をくらましてんだ?」
 井出はさすがに酔っ払っているようで話を逃さなかった。





相川調査事務所のメンバーにとっては飲み仲間でもある新聞記者の井出(もっとも真はほとんど飲めない、宝田は下戸…したがって飲み仲間なのは美和と井出のみ?)から、ある雑誌記者の『自殺』が疑わしいことを聞いた真。
…えーっと、もう少し居酒屋シーンが続きます。
予定外に長くて、切るところがなかったので、ちょっと中途半端でごめんなさい。
次回で、第5章が終わります。

第1節はあと第6章(水死体)を残すのみ。
これで、大方、事件らしきものは出揃います…と思います。

ちょっと余力がなくてお休みだったミニコラム、第6章からは復活かも?

Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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NEWS 2013/5/1 リサイクルの裏側? 

リサイクル
これは牛乳のパックを開いたところと、あるヨーグルトの蓋(というのか…)をめくった裏。
牛乳のパックのほうは、リサイクルしようと開かなければ見えないところに『リサイクルありがとう』
(写真、小さくて見えませんね…上のほうです)
ヨーグルトのほうは、この蓋の裏、結構ヨーグルトがべっとりついていて、そこもこそげて食べないと見えないところに『いつもありがとう』

何かの番組で、日本に住む外国人に、日本の好きなところを聞くという企画があって、この牛乳パックの開いたところのことを言っていた。
この『ありがとう』を見た時、日本ってすごいと思ったと。

これはもしかして、シーボルトの奥さんが、シーボルトからもらった上等の絹を、着物の表ではなく裏地にしていたという話と共通するのかも?
なぜ表にしないのかと聞くシーボルトに、嫁は、このような贅沢で素晴らしいものを人にひけらかすのは自慢しているようで嫌なのだが、あなたからもらったものは最も身近に感じたい、だから裏地にした、とか何とかそのようなことを言ったんじゃなかったかしら。

え? 全然違う話?
でも、ちょっと奥ゆかしいですよね。

えーっと、何の話だっけ。
リサイクル。
リサイクルと言うのはどこまでどのようにすればリサイクルと言うのか、採算はどうなのか、とか細かい論議はともかく、こんな見えないところに『ちょっと一言』はずるい=心くすぐる作戦です。
深く入り込んで見た人しか分からない、醍醐味(^^)

リサイクルとは何の関係もない話ですみません…m(__)m

でも、物書きとしては応用したい話でした。

Category: NEWS

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[雨36] 第5章 誰も信じるな(3) 

 二人とも出て行ってしまうと、突然事務所がだだっ広くなった気がした。その降って湧いた、安い芝居で見たような寂寥感に、真は自分がこれから何をするつもりだったのか思い出せなくなってしまった。仕方なく、接客用の応接セットのソファに身体を預けるように座って、煙草を引き抜いた。
 美和への感情と、深雪が接触してきたことへの興味と、楢崎志穂が提供していった情報を並べてみて、どれもが心の中で中途半端な重みを持っていることだけが分かった。まだ一体何が起こっているのか掴み切れないままで、真はイライラしている自分の核がどこにあるのか、分かりそうで分からない、いや、分かりたくない自分が最も難敵だと知っているようにも思った。

 煙草は味がなかった。
 同居人がめったに煙草を吸わないので、マンションの部屋の中では遠慮している分、時々あのテラスで吸う煙草は、高校生の時に隠れて吸った煙草並みに美味い気がしたが、今ここで吸っている煙草には味も何もなかった。
 そのことに気が付くと吸っていられない気がして、煙草を揉み消した。
 その瞬間ドアがノックされたので、真は反射的にどうぞ、と返事をした。あまりにも無愛想だな、と気が付いてドアを開けにいこうとすると、向こうからドアが開けられた。
 立っていたのは部下を一人連れた添島刑事だった。

「彼を逃がしたの?」
 明らかに添島刑事の声は緊迫感があった。
「何のことです?」
「どこに隠したのかと聞いてるの」
 真は暫く女刑事の顔を見つめたままだった。
「自分で電話してこないで、私を指名して病院に電話させるってことは、私と顔を合わせたくなかったってことでしょ。でなければ、どういう了見なのか聞きたいわね」
 真は添島刑事を事務所に誘い入れることも忘れていた。
「隠してなんかいません。しかも、あなた方は彼を見張ってたんじゃないんですか」
「あなたに任せると言ったでしょ。どうせあの男はこちらの裏を掻いてくると思ってたから、あなたに頼んだのよ。いいえ、あるいはもう手を引くかと思ってたわ」
「もし自分で出て行ったのなら、それなりの理由があるのだろうし、防御策くらい考えてるでしょう」
「本当に隠してないの」
「知りません」
 それから暫くまた睨み合っていたが、やがて静かに添島刑事が言った。
「自分で出て行ったの?」
「そのようです」
「あんな目にあって、まだ手を引く気がないのね、あの馬鹿」

 真は黙ったまま、女刑事の俯いた表情を見つめた。身体の芯のところでは何かが燃えているようにかっかしているのに、どう表現すればいいのか分からなかった。
「あなた、人捜しが専門でしょ。とっとと捜しなさいよ」
 いつまで冷静でいられるのか、いささか自信がなかった。だから、まだ頭が冷めているうちに確認しておくべきだろうと思った。身体の芯で燃えているものの正体はまだ見えない。
「あなたは、澤田が接触してきたら河本さんに連絡しろと言った。澤田は俺の叔父、いえ、父のことで外務省やら警察庁に探りを入れているとも言った。内閣調査室の室長が、何故澤田の目的を知りたがっているんですか。大体、そういうことと竹流に何の接点があるんです。あなたはちらちらと澤田の名前をちらつかせながら、竹流のことでは肝心なことを話していない。しかも、捜査一課のあなたが、どうして政治家絡みの事件に首を突っ込んでいるのか」
 添島刑事は目を閉じるようにして俯いた。小さく首を横に振り、何かを制する部下に構うなという仕草をした。

「彼がどうして首を突っ込んできたのか、こっちが聞きたいわ」
「どういう意味ですか」
「首を突っ込んできたのはあなたの同居人のほうなのよ。彼は河本が以前から追いかけている人物の関係者と接触している。あなたが香野深雪と付き合ってたのは偶然だと思うけど、澤田もその人物を調べているみたいだった。河本は澤田に会ったけど話をはぐらかされたようよ。澤田はあなたの父親の仕事を知っていて、理由は分からないけど彼と個人的に接触しようとしてるんじゃないかと、河本はそう思っている。ICPOの時代から私がジョルジョ・ヴォルテラと面識があることを知っていて、河本は私を呼び出して、彼にこの件から手を引くように警告しろと言ったわ。命に関わることになるかもしれないって。彼には河本の言葉を伝えたけど、無視された。私の警告など聞くような男じゃないとは思っていたけど、でも、さすがにあんな目に遭ったので、今度こそもう手を引くかと思ったのよ。少なくともあの右手じゃどうしようもないと思った。それなのに」
 竹流の名前が本名で呼ばれた時点で、真の感情は簡単に引っ掻き回されてしまった。しかし、むしろその先の内容に、真は思わず添島刑事に近づいて腕を掴んだ。

 命に関わる?
 単語の意味が呑み込めずに、すぐには言葉が出てこなかった。
 やはり、物事は真が思っている以上に複雑だったということだ。
 添島刑事の部下が真の手を抑えようとしたが、それを振り払う。途端に、不信感は言葉になった。
「何故、ちゃんと知らせておいてくれなかったんですか」
 真の声も怒鳴り声に近かったが、答えた添島刑事も同じように叫びのようだった。
「あなたに何でも話すわけにはいかないでしょ」
「あなたがちゃんと知らせてくれていたら、彼を一人にはしなかった。機密だか何だか知らないが」
「馬鹿言わないでよ。あんな怪我してたのよ。あなただってもう少し察しがいいかと思ってたわ」

 真は添島刑事から手を離した。
 その通りだ。
 昨夜の電話でもう少し何かを感じていたら、いや、いっそ会いたいと言われているのだと勘違いして会いに行っていたら。それなのに自分は敵か味方かも分からない澤田に誘われて気分よく飲み食いをして、挙句に美和とじゃれあっていたのだ。その自分自身に吐き気さえしてきた。
 その感情を押さえるようにして真はゆっくりと言葉を繋いだ。
「あいつは妙なお宝を探して変なところに出掛けてるけど、そんな国家だの政治だのに不用意に首を突っ込むような人間じゃない」
「その通りよ」
 真は添島刑事の押さえた声に、彼女なりの必死な気配を感じた。公的な部分つまり仕事としての懸命さではないもの、それを彼女は精一杯押さえつけている。
 この女もやはり彼を愛しているのだ。必死でないはずがなかった。

「その人物って、誰です?」
「わからないのよ」
「分からない?」
「河本がどこまで私に手の内を見せているかは知らないけど、彼は正確に誰を追いかけているのか分からないと言っていた。ただ、幾つかの出来事について『誰か』が動いているようだということと、それが彼や彼の関係する事情の中では好ましくないのだということだけがわかっているのだと」
 河本が簡単に添島刑事に全ての事情を話すとは思えない。彼のような立場の者は、駒として使う部下には、駒として不必要な情報は与えないだろう。確実に、目の前の命令をこなしてくれたらそれで十分だと考えるはずだった。
 だが、河本が言いたくないその『誰か』が確かに竹流を傷つけたのだ。

「そいつが、竹流をあんな目に遭わせたのか」
 真は思わず誰にでもなくそう呟いていた。身体の奥で何度も疼いていたものが怒りで燃え上がりそうになるのを感じたが、添島刑事に悟られるのは拙いと思った。
「それはわからないわ」 
 添島刑事は真の独り言のような呟きに返事をしてくれた。
 真は顔を上げて彼女を見た。添島刑事は、何かを訴えかけるような目で真を見ていた。これ以上話せないけれど、察しなさい、とでもいうような目だった。

「あなたは、竹流が危ないと、そう思ってるんですね」
「そうよ。言ったでしょ。ああいうことをする人間は、普通の顔をしてるんだって。もしも外見から危険な人間なら警戒すれば済むことよ。でも隣の家の優しいおじさんを見分けられる? そしてあなたは、その人の何を知っている?」
 その時、真は改めて電話の竹流の言葉を思い出した。
「誰も信じるな」
「そうよ。あなたの味方は、多分あなたの心だけが見分けられる」
「俺の、心?」
「私が味方だと言ってあげたいけど、それをどう思うかはあなた次第でしょ」
 真は俯いて、静かに拳を握りしめた。

 
 美和に置き手紙をして、事務所の鍵を閉めた。
 じっと座っていることはもうできなかった。
 大和邸まで車を走らせながら、信号で停まるたびに手の平の汗がじっとりと冷たく感じた。色々なことが頭に浮かんだが、思考の域まで達していたかはわからない。
 どこかで、大和竹流という男が完璧で隙のない人間だと思っていた。あの傷ついた姿を見た後でも、それでも彼に勝算がないなどとは思ってもいなかった。真にとって、あの男はある種の神のようなものだといっても過言ではない。真に言葉を教え、道を示し、呼吸の仕方さえ教えてくれたのは彼なのだから。
 だが、添島刑事は『大和竹流』だけではなく『ジョルジョ・ヴォルテラ』という男を知っている。その背後事情を知っている刑事があれほどに動揺しているということがどういう意味なのか、真にもようやく事情が呑み込めたような気がした。

 竹流には、命に代えても彼の身を守ろうとする仲間がいる。彼の身が危険に晒されるなら、彼の実家は、後継者のためにいつでも使える軍隊のひとつくらい動かしたとしてもおかしくない。それなのに、竹流は仲間に何ひとつ知らせてもいないし、ローマの大親分が動いている気配がないというのだから、そっちの方にも、少なくとも竹流の方からは何も連絡をしていないということだ。そして一人で、あるいは真や彼の仲間が知らない誰かと一緒に、何か危ないことに首を突っ込んでいる。
 何故、誰にも何も言わないで、一体何をしようとしているのか。
 あのマンションで一緒に住むようになって二年半だ。
 竹流は修復師としての仕事で大概はアトリエに籠っているし、ギャラリーやレストランの仕事もある。もちろん、レストランの方は竹流自身が動かなくても勝手に大方のことは回っているのだろうが、手抜きをしないあの男は、常に食材のチェックをしている。真の仕事も不規則極まりない。だから四六時中顔を合わせているわけでもない。お互いに何となく、二十四時間に一回は顔を見る方がいいだろうと思っているだけだった。それが寝顔だけという日もなくなないのだが、少なくともお互いの存在を明瞭に確認する時間の必要性は感じていた。もちろん、竹流の方は、真に飯を食わせる、という義務を遂行することにいささか熱心でもあり、朝食だけはよほどのことがない限り、一緒に食べるように心がけている。
 ままごとのようだが、それが言葉にしないながらも、現実のルールのようなものだった。
 そういう形ではあったが、互いの時間を共有しての二年半だ。

 それなのに、一体俺は彼の何を知っているというのだろう。
 掌はじっとりと熱を帯びている。
 大和邸への道自体が自分の感情を少しばかり刺激していることは分かっていた。その場所に、お互い口にせず、触れないように仕舞ってある過去があるからだ。
 もっとも、同居を始めてからも時には大和邸の方で過ごすこともあったし、久しぶりに辿った道というわけでもない。同居人の方はどう思っているのか、真をこの屋敷に呼びつけても、別に変わった気配をみせなかった。
竹流がここに戻るのはちょっとばかり人に言えない仕事の時で、通常の修復作業ならギャラリーのアトリエでしている。ここに来るのは特殊な仕事や大きな仕事を抱えているときだけで、時には一週間ほど篭りきりになっている。

 その間、同じ屋根の下でも顔を合わせない日もある。料理は大和邸の執事である高瀬がしてくれるので不自由はないし、真のほうもマンションに帰るよりは時間を気にしなくてもいいので、気楽なところもある。真が遅くに帰ってもほとんど竹流はアトリエに篭りっ放しで、高瀬は真をあの例の無表情で迎えると、無言のまま、竹流をアトリエに呼びに行き、仕事の手を止めさせ、食堂のテーブルに座らせるという困難な仕事を真に押し付けてくる。竹流がアトリエに篭っているときにそこへ侵入するのは、高瀬の労働基準にはないのかもしれない。
 真としてもアトリエに入って竹流の仕事を邪魔するのは気が引ける部分もある。時には懸命になっている彼に怒鳴られるのじゃないかと思うこともあるし、声を掛けられないまま高瀬のいる食堂に戻ることもあった。だが、大抵は我慢して半時間ほども待っていると、知っていて無視していたのかもしれないが、竹流のほうが手を止めて、一緒に食堂へ降りてくれる。竹流の身体から匂う油絵具やその他の何か特殊な薬品の匂いが、時々真の記憶を過去へ引きずり戻しそうになる。

 真の手はまだ彼の背中の感触を覚えていた。
 あの時は、背中にあんな火傷の瘢はなかった。
 考えてみれば、いつ彼の裸の背中を見たのが最後なのだろう。
 思い返してみて、同居してからは一度もないような気がした。同居する前はどうだろう。
 大学を辞めた年、一緒に京都に行った。ある寺の住職に頼まれて不動明王を捜しに行ったのだ。あの時、寺の風呂で彼の背を流した。そして、それが最後だったような気がする。
 五年以上も前のことだ。
 だが、どういう状況にしても、男同士で裸の背中を見たかどうかなどということは、記憶に留めてどうこう思い出す種類の事ではないはずだ。

 大和邸への道は、滅多にバスが来ない道を進む。バス道を逸れてから一本道を更に山のほうに入ると、大きな門構えの前に出る。門のところで車を停め、インターホンを押して、暫くすると返事もないままに自動で扉が開く。
 大和邸の執事の高瀬が帰っているのだろうと思った。もしかして、ひょっこりこの家に竹流がいたりなんかしないだろうかとも思った。
 屋敷の前で車を降りると、もう高瀬は玄関の扉を開けていた。
 相変わらず無表情のまま、老人といってもいい年齢の小柄な男は真を迎える。今の季節はいいのだが、冬になればコートでさえ、この男の手を借りないで脱ぐことは難しい。真は慣れないので未だに躊躇ってしまうが、高瀬は無表情のまま高貴な人を迎えるのと同じ態度で真のコートを脱がせてくれるし、自分でコートを脱いで彼の仕事を取り上げるのはまかりならぬ、という気配だった。
 真の顔を見るなり、高瀬はどうぞ、と中に誘い入れ、応接室まで案内してくれた。そして一旦姿を消す。

 真が勝手知ったる家なのに、と思いながら待っていると、高瀬は戻ってきて茶封筒を真に手渡した。真はそれを受け取って、一旦高瀬の顔を窺ってから封筒の中を見た。
 入っていたのは一枚の新聞記事の切抜きだった。
「これは」
 高瀬の無言の視線に強要されて真はそれに目を通し、改めて高瀬を見た。
「もし旦那様が病院からいなくなるような事があれば、それをあなたにお渡しするようにと申し付かっておりました」
「彼はどこへ」
「私にも分かりません」
「彼はいつあなたにこれを」
「昨日です」
 高瀬が聞かれたこと以外答えないのは知っていた。だが、幸いなことに、決して嘘をつくことはない。
「他に何か言っていませんでしたか」
「いいえ」

 真は暫く黙った。聞いても高瀬が簡単に話してくれるとは思えないが、事態は高瀬にとってもそんなに簡単ではないと思いたかった。
「あなたの知っていることを話してください。誰が彼をあんな目に? それなのにどうして竹流はまだそいつに関わろうとしているのですか」
「それは存じ上げません」
 真は高瀬の目を見つめたままだった。
「あなたは暫く留守をしていましたよね。竹流が入院していたからですね。何かを調べていたのではありませんか」
「留守をしていたのは所用です」
「あなたのことを、彼の国元への最も太いパイプだと、彼の仲間が言っています」
 高瀬は少し頷いたように見えたが、それ以上何を聞かれても答えないという気配を見せた。もしかして、高瀬はヴォルテラの大親分と連絡を取っていたかもしれない。すると、あの人が来るのか、と真は思った。

 イタリア人だ。彼のあの姿を見たら、絶対に報復する。
 真は諦めて出て行きかけてから、ふと振り返った。ここに来るときに不意に思い出した彼の背中のことを確かめておきたかった。
「竹流の、背中の火傷の事をご存知ですか」
「はい」
「彼は病院で、住んでいたところが火事になったと言ったとか。嘘ですね」
「はい」
「では、あれは何のせいで?」
 高瀬は真の目を見つめ返していたが、一向に動じている気配はなかった。
「爆発事故と聞いています。お仲間を庇って火傷を負われました」
「いつのことです」
「三年半ばかり前でしょうか」

 真はふと手元の新聞記事を見た。一九七六年一月二十一日、とある。まさに三年半ほど前のことだ。
「これと何か関係が?」
「偶然かどうかは分かりかねますが、まさにその頃のことです」
「彼は、その頃何をしていたのですか」
 高瀬はもしかすると、多少真に同情してくれたのかもしれなかった。勿論、高瀬の表情からはそんな気配は微塵も読み取れなかったが、真が高校生の頃からこの男は見知っているし、彼の主人と真の関係をある意味では最もよく知っている人間の一人だった。いや、あるいは全てを知っているのは、この男だけかもしれない。竹流は、この男の前でだけは、感情も行為も全く隠そうとはしないのだ。

「日露戦争の頃、ロシアから日本へ運び込まれたという美術品の事で調べまわっておられました。それが新潟のさる処にあるというので、あるお仲間と頻繁に出掛けておられました。それ以上は私には分かりかねます」
「その仲間というのは」
「寺崎昂司という方です。あなたもご存知の方では」
「寺崎……」
 直ぐには思い出せず、真は口の中で名前を呟いただけだった。
「竹流が庇ったのは、その人ですか」
 高瀬はいくらか間をおいて、ようやく返事をした。
「恐らくは」
「彼と連絡が取れますか」
 もしかしてその男が、昇と東道が言っていた『連絡を寄越さなかった仲間』ではないのか。勿論、ただの偶然で何の関係もないのかもしれないが。
「いいえ」
「何故」
「連絡が取れません」
 真は言葉なく高瀬を見つめた。

 まさに、その男なのだ。マンションに電話をかけてきて、竹流は生きているのか、と聞いた。あの竹流の怪我の事を知っている、そしてもしかすると、今も竹流と一緒にいるのかもしれない。何かのカタがついたと言っていた。言葉からはそうは思えなかったが。
 真は高瀬に頭を下げて大和邸を辞し、新宿に戻った。





さて、少しずつ不安な影が増していき、追い詰められていく真……
こういう時はどうしたらいいんでしょうか?
今日はこの格言?を真に授けたいと思います。

『身近な謎からこつこつと……』

出所は、しのぶもじずりさんの小説(連載中)『天州晴神霊記』第4章(5)です→しのぶさんのブログ【物語とか雑文とか】
この格言(?)にちょっと萌えてしまった私です(*^_^*)
しのぶさん、勝手に紹介しちゃってすみません m(__)m

次回はまた一人、新しい登場人物が現れます。
井出幸之助、新聞記者です。
えーっと、この方には明らかにルックスのモデルがいます。
何を隠そう(何も隠してないけど)、大泉洋氏です。
中身は…まぁ、かけ離れてはいないかもしれません。
実は、将来的には大変重要なキャラなのですが、今はまだ端役です。

酔っ払っていじけて大暴露をする美和ちゃんもお楽しみに(^^)

Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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