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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

2013/5/8 津軽からの帰還(3) 

さて、続きを書いたのに、消してしまってショックのあまりしばらく放心……
気を取り直して、続きに参ります。

津軽のパワースポット、ということで今回の記事を書かせていただいておりますが、書いたものが消えてしまったのは、やはりあまり歓迎でないからなのでしょうか…いささか不安になりながらも、敬意をこめて記事を書きたいと思います。
大石神社
この場所にたどり着くのは結構大変だったのです。
何しろ看板がなくて、地元の人も迷子になるという。そして、岩木山登山百戦錬磨の別の津軽人に何度も電話で問い合わせながら、たどり着きました。この辺はまだ雪が少ないのですが、本堂の前は雪が積もって、近づくのが大変でした。雪解けは地面に接したところが解けてくるようで、雪の下には水が流れている。下手に踏むと、ずぼずぼと嵌ってしまって、ふくらはぎ半分くらいまで雪の中に……しかも下は水でべちょべちょ……道路らしきところは川のようになっていたり。
しかもこの鳥居。下の写真のように、鳥居の笠木が落ちているところも。これは雪のせいでしょうか。それとももう何年もこのままなのでしょうか。人気はまるでありません。本堂もシャッターが下りている。
山開きが5月1日ということなのですが、今年は寒いので、まだなのかもしれません。
大石神社
大石神社
この可愛い後ろ姿は狛犬さんです。神社の名前は大石神社と言います。

この神社の祭神は高御産巣日神(タカミムスビノカミ)と神産巣日神(カミムスビノカミ)。『むすひ』というのは生産・生成の意味で、これは二人の神様が対となって、男女の結びつき、安産・縁結びの神様となっているようです。
そういうわけで、ある松の木に18禁なものが……松の枝の一本が上を向いているので、それを削ってある形に整え、その上に杉の葉を置いて、下に鈴が2つ……神社の拝殿のように紐がついていて、この鈴を鳴らすことができます……やっぱりここに載せるには図柄に問題があると思われますので、ご想像ください^^;
これで子宝を願うわけですね。

岩木山というのは山岳信仰の霊地ですが、大きな岩を意味する山。実際9合目から上は完全なるロッククライミングで、岩がゴロゴロです。
この大石神社もご神体は大きな石。かつては千引大明神と呼ばれていたともいいます。千引石というのは、イザナギが黄泉の国を脱出する時、黄泉比良坂の登り口を塞いだという大きな石のこと。黄泉の国から追いかけてくる悪鬼の道を断ったという石です。
大石神社
石龍神
石の傍には、龍神の鎮座ましますところ、と書かれた立札。この川がまさに龍神です。

そしてまた、ここには馬が祀られた祠が数十もあります。
馬は農耕にも使われて、人の身近にいたというのもあるのでしょうが、龍神の好物だったという話も……
実際、大陸的な呪術では馬の首を切っていけにえにしたというお話も。
馬の祠
馬馬
比較的リアルな馬もいますが、なぜか妙に色気のあるチャーミングな馬さんも……

山開き後はもう少し人気のある神社なのでしょうか。
今のところ謎です。
さて、この神社は分岐点のようになっていて、ご神体(大きな石)はこの先にある赤倉霊場(赤倉山霊界)との境界石とも考えられているようです。

その赤倉霊場。
霊場?というと何だと思われるでしょうが、簡単に言うと、修験場みたいなところでしょうか。
神でもなければ仏でもない、新興宗教というわけでもなさそうで、でも拝み屋さんみたいな感じ?いや、それも少し違う?大いなる『何者か』の声を聞き伝えるために修行する人が集まる場所?
その人たちはカミサマまたはゴミソと呼ばれています。
いわゆる新興宗教と違って、集まっているけれど群れていない、ということのようで、それぞれ別の霊堂を建てて、そこに住まいながら自らの教義を編み出し、修行をされるようです。
しかしまだまだ雪下ろし中で、全ての霊堂は扉がしっかり閉められていました。つまり冬の間はカミサマたちも別の場所におられるようです。
赤倉
赤倉神社、赤倉山神社、といういくつかの神社と、なぜか四国八十八箇所の縮小版、弘法大師像、この赤倉に神社を建てよと夢でお告げを受けたという工藤むらさんの像、なんでもあるという感じです。
しかし、昭和40年代以降は新しい霊堂が作られることはないそうで(法律で定められたと)、これからはどうなっていくのでしょうか……雪でへしゃげた廃墟のようになっている建物もありました。
いい季節に行けば、少し印象も変わるのかもしれません。
弘法大師赤倉霊場
弘法大師の前にはじょっぱり(お酒。じょっぱりとは、津軽弁で意地っ張り・頑固者のこと…う~ん、ニュアンスは単なる意地っ張りじゃなくて、やっぱりじょっぱりとしか言いようがない)。右は工藤むらさんの像。
赤倉赤倉
赤倉山神社の雪よけ囲いの中。大きな草鞋もあり。
霊堂霊堂
霊堂のひとつ。下は、並んでおられる石仏。お不動さんやら大日如来やら。
赤倉
やはり観光でのこのこ行くところではないと思われますが、津軽の精神世界を垣間見る、不思議な場所です。
お邪魔させていただきました。ありがとうございます。


まだまだ続く。
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Category: 旅(あの日、あの街で)

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2013/5/8 津軽からの帰還(2) 

橋
ここは五所川原市の鶴田というところにある、日本で一番長い木の橋=ながーいきの橋=鶴の舞橋のたもと。
300mあるそうで、3つのアーチがあって、鶴が羽を広げているようだというのでこの名前です。
地元のおばさまたちが集まっておしゃべり中。もちろん、ばっりばりの津軽弁。
(どうやらシルバーボランティアか何かで、清掃中のよう)
よく聞くと、高齢者保険制度の話で、「おめ、今年でいくつだ?」とか言いながら談義中。
かなり深い内容でした。
ちなみに、車であちこち連れて行ってくれたのは青森県人なのですが、彼ら曰く『青森県人と関西人には何か通じるところがある』と。う~ん、確かに。青森県人、結構突っ込むし、早口だし、政治批判好きだし、知らん人と普通に会話するし(田舎ってどこでもそういうところはあるかもしれませんが)。
ちなみに橋はこんな感じです。
橋

実は三味線を始めてから、東北の歴史を勉強し始めまして、その中で、網野善彦先生と赤坂憲雄先生の本をずいぶん読みました。歴史学は民俗学から切り離してはいけない、というのがお二人の御意見で、東北の歴史を学んでから、若い時に習った日本史は西国の歴史だ、ということを改めて感じました。名前を変えながらも続いた朝廷の歴史から見ると、まさにここはまつろわぬ最果ての国。
でも、縄文遺跡は西国ではなく東国~北国に圧倒的に多い。縄文時代と弥生時代は単に土器の名前からついているだけで、後先についてはもう云々するのは間違っていると考えられますが(縄文→弥生、という単純な流れではない)、はっきりとした四季のある東国には白神山地に代表される落葉樹の素晴らしい森があり、ここが生命をはぐくむ大地・大自然で、狩猟や採集という生活の基盤が成立したのは、この豊かな森があったから。だからマタギという仕事も現代まで綿々と続いていたわけだし、一方で縄文文化だからって農耕をしなかったわけでもないし。
西国は大陸から多くの文化や渡来人が入ってきて、その関わりの中から文化・文明をはぐくんだと思うけれど(だから日本独自っていうものは本来は存在しない)、そもそも東国だって大陸には大いに近かったわけで、その交易の広さは半端ではなかった。陸は危険だらけだったから、海から移動するのが当然だった時代、日本海側の沿岸は大陸に大きく開いていて、そこにある国々はとても近いお隣さんだった。日本の中で唯一ミイラの文化を残していたのが奥州藤原氏。ミイラは大陸から伝わったとされていて、日本のほかの地域にはこの風習・技術はなく、これは大陸との交流の名残だと言われています。
東北学および津軽学という雑誌も購読して、あれこれ勉強したら、歴史って本当はもっと面白かったんだ!と思いました。
ちなみに、縄文人にはほとんど虫歯はなかったそうで…虫歯ができるようになったのは甘い炭水化物を食べるようになったから。実は、彼らはこのことを知っていて、あえてそういうものを食べなかったのではないかという研究もあります。

長くなるので、このあたりで一旦休憩。
鰺ヶ沢(津軽半島の付け根、西)の海の青で目を癒してください。この家の屋根が、なんとも北国っぽい。
そしてこの家と手前の土手の間を、かの有名な?五能線が走っています。単線です。
鰺ヶ沢

さて、東北の文化を民俗学的視点から学ぶと、そこにはあるキーワードが出てきます。
死者との距離。
これが本当に近い。
高校生の時、修学旅行で恐山に行きました(生徒が自分たちでコースを決めた…不思議な学校だった)。
その時、私はここは『あの世だ』と思った。
この世にあの世が普通に混じり合ってそこにある。
あの世って、なんだ、結構普通に近いんだ、と思って、怖いというよりも納得した感じだったのを覚えています。
ちなみにイタコというのは、実はかなり職業的に訓練された人たちで、呪い師とは意味が違う。
嘘か真かは別問題として、死者を下してもらうことで、もう一度死者と語り合おうとする感覚、死者はあっちへ行ったのではなく、とても近い『そこ』にいる感覚、その死者と語ることによって今生きているものが、失ったものへの哀切を乗り越えて(あるいは抱えながら)命を先へとつないでいくための道しるべを与える、そういう職業なのだと理解されているようです。
ちなみに案内してくれた青森県人(アラフォー夫婦)も、子供のころ、おばあちゃんとかについて行って、おじいちゃんとかをオロシてもらった場に居合わせたとか。信じるわけでないけれど、あの時家族にとっては、亡くなった人の声を聴くことは必要だったと感じているのだとか。

あの世は結構近い。
実はこの感覚、四国を歩いている時も、和歌山を歩いている時も感じました。
そう思ったら、この伝説の地には必ず、弘法大師の足跡がある……御縁ですね。

金木には川倉地蔵尊というところがあります。
実はこの世にあるあの世、賽の河原としては恐山よりも古いと言われています。
川倉
このお堂の中には、お地蔵さん、そしてその後ろに小さな石の地蔵さんがずらり…たとえて言うと、三十三間堂の千手観音さんの並びみたいな(もっとたくさん)感じです。服を着て帽子をかぶせてもらっています。
子どもたちのためにお供えされたお地蔵さん(あるいは子供たち自身)なのです。
これは子どもを亡くした親御さん方が、子供のために草履や手ぬぐいや、生きているときに使ったもの、生きていたら使ったであろうものをお供えしたお堂です。
堂内の写真は、親御さんたちのお気持ちを思うと、敢えてここに載せることはしませんが、『川倉地蔵尊』で検索すると出てくると思います。罰は当たらないと思うので、よろしければご覧ください。
私はちょっと…心に仕舞っておきたいので。

お供えされた草履や手ぬぐいにはひとつひとつ、子どもの名前と住所などが書かれています。
草履は三途の川を渡るときに必要だから、手ぬぐいは寒さを防ぐための頬かむり。
この名前が書かれてあるということが大切。子供たちが、三途の川を渡るときに、どれが自分のものかすぐ分かるように、ちゃんと名前を書いておいてあげなくてはならないのです。
(と、事務所の方が教えてくださいました)
賽の河原
外は斜面になった道が続き、その道に同じように小さなお地蔵さん、そして祠の中にもお地蔵さん。
堂内の沢山並んだお地蔵さんもみんなこんな感じです。
賽の河原
ここが岸辺になります。湖があるのですが、三途の川に見立てられているのでしょうか。
川倉
子どもを亡くした人が、みなここにお地蔵さんを奉納していくわけではありません。
実は、傍に置きたくて、家に同じような祠を造って毎日『会っている』人もいる。
でも、その親御さんが年老いて、あるいは亡くなって、この地蔵尊に後を託していくこともあるそうです。

また、別のお堂には、花嫁人形やお婿さんのお人形がずらりと並んでいます。
なくなった子供がその年になった時、女性には花婿を、男性には花嫁を娶わせてあげるのです。
その相手に見立てたお人形です。
親同士がお見合いのようなものをするところもあると聞いています。
いわゆる『冥婚』ですが、もう少しおっかない場所なのかと思っていましたら、何だか暖かい、明るいところでした。子供を亡くしてもそこで終わりではなく、娶わせて伴侶を見つけてあげるまでは親の責任は続いているという考え、そこには自然な親御さんの愛情が溢れていると思いました。
実は、これまでたくさんの死を見てきたので、この場所に来て、何だかとても安心しました。
安心、というと変なのだけど、ほっとしたというのか。
親御さんの愛情で、みんな迷子にならずに自分の名前を見つけらるんだと思ったのです。
心から、手を合わせたいと思います。

観光地ではありませんし、ご供養に来られる方がほとんどですが、ここに来ると心に感じるものが必ずあると思います。静かに手を合わせたい場所です。
金木の斜陽館(太宰治の生家)、三味線会館の近くです(ちょっと遠いけれど、歩けなくはない)。

長いので続きます。

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2013/5/7 津軽からの帰還(1) 

あまりこのブログで三味線のことは触れまいと思っていたのですが……
まずは、三味線の運び方から。
出発のご挨拶で、三味線を畳んで運ぶ、というのをお目にかけましたが、普段は下のようなケースで持ち運びしています。
かばん
畳むのは、竿が弱いので、衝撃でどうにかなったら困るから、なんですが、さすがに近隣の移動にいちいち畳んでいたら大変でして……
普段は、長いままで糸を張っております(多少は緩めることはありますが)。
一度畳むと糸を張りなおすことになりまして、しばらくの間、音が落ち着かないのです。
一曲も弾かない(叩かない)うちに、音がずれてきてしまう。
で、車の時は上の四角いケースで(肩にもかけれるんですけど、重い…)、電車移動の時はもっぱら下のリュック型を利用しております。
リュック型のはギターっぽいけれど、上の部分は糸巻の分だけ幅があって、下の部分はギターより細身。
ちなみに、一番気を使うのはやっぱり皮。
津軽は猫ではなく犬ですが、猫より野太いとはいえ、いい音を出そうとぴんぴんに張ってあるとすぐ破ける。
ぼこぼこに張ってあったら破れないけど、音は無残…です。
ちなみに、破れる前には妙にいい音が出る、という。断末魔??
ちょっと濡れたら一巻の終わりなので、よくカラオケの映像なんかで海辺で吹雪の中で弾いてるのとかありますが、絶対無理。ま、イメージは分かりますが(^^)
『吹雪の音を聞け~!』みたいな楽器ですから……

さて、津軽で仕入れてきた写真などを。
GWには青森、弘前、金木と、大会が目白押しです。
民謡の大会もあって、周囲は賑やか。でも、今年は桜が遅くて、北国にとってはちょっと寂しいGWになっていたようです。
クラシックのコンクールとかと違って、なんでも来い(来るもの拒まず)的なところがありまして、先着順の自己申告制。出ようと思えば出ることはできる、みたいな感じです。
もちろん、A級ともなると、そうそうたるメンバーが出ております。
半プロのような人ばかりで…とはいえ、この世界、どの人がプロでどの人がプロでないのか、よく分かりませんが……
三味線人口、近年は青森の人より、県外の人のほうが多くなっているという話もあります。
青森の中ではやはりいささか家元やら流派やらややこしそうで、若者が少し減っているかも、と。
県外の場合は、その辺少し緩やかなので、とっつきやすのかもしれません。
そもそも基本が唄付けの前奏部分が独立した即興曲、というのが大会では多いので、決まりごとが少ないのが魅力かもしれません(ないわけじゃないけど)。唄付けとなるとまた大変ですが。
でも、地元の高校生や大学生で部活やサークルなどで始める人はそれなりにいて、とてもいいことだと思います(*^_^*)
津軽のリズム、それはやっぱりあの方言の間合いから生まれてくるものですし。
私たちは、所詮大阪弁の三味線……
金木大会

こちらは五所川原にある民謡/酒場です。
だだん
だだん
弘前や青森にもいくつかあります。
ご旅行の際にはぜひ、訪ねてみてください。

あるいは、ホテルや電車の中(五能線の中!)、駅前でも聞くことができます。
鰺ヶ沢のホテルでも、ロビーで演奏がありました。
この方、すごいです。自分で唄って弾いて、なんと太鼓は観客にその場で教えて手伝わせる。
民謡なんてやったこともない人間の太鼓で、ってやりにくいとは思うのですが……
エンターテイナーでしたね。
グランメール
ついでに、五所川原市内では12時に三味線の演奏が流れます。時報代わりです。

次は、津軽のパワースポットへご案内です。

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