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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨44] 第7章 父と子(2) 

第7章(2)をお届けいたします。
さすがにこれだけ長いと真視点だけでは話が平たんになるので、時々他の視点が混ざりますが、その中で最も多いのが美和視点。書くほうとしては大変書きやすい視点ですが、この子には語り部としての役割があるし、インタビュワーの才能もあるし、ちょっとミーハーだし??(って表現が古すぎでしょうか)
でも、後半にむけては彼女も色々と悩みが出てきます。
しばらく、お茶目でちょっと乙女で、そして(慣れない朝ごはんを作ろうと)頑張っている美和の視点をお楽しみください。煮られてくたっとなっているワカメの気持ちで…??





 朝まで、眠ったのかどうかも分からなかった。
 真は例の如く朝になると冷静で、美和が朝食の用意をする横で、茶を淹れていた。美和は味噌汁を手渡しながら、真の顔を見た。
 昨夜は眠れなかった。多分真も眠っていないと思った。けれどもそのことを話題にするのも憚られた。真の表情には、美和の問いかけも慰めも拒否するような静けさだけが、風の流れも水の音も消えてしまった風景画のように凪いで、貼り付いているだけだった。

「今日は大学に行くだろう?」
 真のほうから美和に尋ねてきた。美和は言葉の中身がよく分からないままに、とにかく頷いた。
 朝は面倒なのでいつもパン食だった。北条仁もそんなことはとやかく言わない。それなのに私は何をいそいそと朝から味噌汁なんか作っているのだろうと思った。
 高遠賢二が以前ここに居候していた時、朝からちゃんと米を炊いてくれて、しっかり味噌汁もついて、おかずも五品は並んでいると言っていたので、多分対抗意識なのだろう。 

『それが朝から飯が美味くてさ、今日も頑張ろうって気になるわ。先生も大和さんも朝は結構強くてさ、先生なんか朝、時々どっかの寺まで稽古に行ってるし、俺も何回かつき合わされたけど、たまにはその寺で朝飯、食べさせてもらったりさ。寺の朝飯ってのが、これがまた美味いんだよ。なんか、人がたくさんいてさ』
 賢二がその寺で食べる朝食をおいしいと思うのには、食卓につく人数の問題もあるのだろうが、それにしても毎朝、幸せなご飯にありついている真に、この味噌汁でいいのかどうかと思うと、浮かんでいるわかめにも申し訳ない気がした。そもそも台所には、料亭並みの道具と調味料が揃っていて、その半分くらいは使い方が分からないし、残りの半分も、美和がこれまでに使ったことのないものだった。

 だいたい、どう対抗心を燃やしても、真の同居人が作るものより美味しい味噌汁というのは無理だ。開き直って、わかめには諦めてもらうことにした。
 真は、美味しいとも不味いとも言わなかったが、嫌な顔もせずに淡々と食べてくれた。この人は綺麗な箸の使い方をするな、と手元を見ながら改めて思った。美和も、一応は山口県ではそれなりの家で育ったこともあり、箸の使い方については祖父母が異様にうるさかった。だから他人の箸の使い方が妙に気になる。箸がまともに使えない男とは生活を共にできないと思ってしまう。そういう意味では、北条仁はヤクザだが、全く問題がなかった。

 真が伸びきったわかめを箸でつかんで、一瞬、妙な顔をしたように思った。
「煮ちゃった」
 美和が言うと、真は何を言われたのか分からないような顔になって、それから納得したように、くたくたに変色したわかめを口に入れた。

 大学まで真が車で送ってくれる。
それを見咎めた友人が声を掛けてきた。友人、と言ってもとても親しいというわけではない。ノートの貸し借りはするが、大学以外のところでの付き合いはないし、そういう付き合いは美和のほうが敢えてしようとは思っていなかった。
 人数合わせの合コンには何度か誘われたが、特別に面白いと思ったことはなかった。そんなところに行かなくても、美和の周囲の人間たちは十分面白い人間たちで、合コンに来る男たちは、美和の中ではランクが低くなっている。恋人を探すためなら行く必要はなかったし、せいぜい学校の授業の人物観察に役立つ程度だった。

「いつもの彼氏はどうしたの?」
 大学の友人たちは『いつもの彼氏』、つまり北条仁がヤクザであることは知らない。ちょっとくらいは危ない感じに見えていても、仁は傍目には、若くして財を成した事業家と言っても、誰も疑ったりはしない外見だった。
「今、バンコク。あの人はバイト先の上司」
「朝帰り?」
 そうか、そういうことになるな、と改めて思った。
「柏木さんもやるわね。ちょっといい男だったじゃない?」

 そりゃそうよ、私が今本気で惚れてるんだから。
 心の中でそう思ってから、そうなのだ、と自分の気持ちに気が付いた。
「独身? 彼氏じゃないなら紹介してよ」
 美和は何だか落ち着かない気分になった。自分の気持ちの中に不可解な違和感がある。
 本気で惚れている。誰かの目に触れさせたいなどとは思わない。
 確かにそう思うのに、本気で惚れるわけがない、そういうわけにはいかない、とも思う。しかも、それが美和自身の感情なのか、他の誰かの感情なのか、糸が絡み合ってしまって、わけが分からない。
「駄目よ。恋人がいるから」

 講義中も落ち着かない気持ちは続いていて、結局二講目は諦めた。
 大学門を出ようとすると、青い車にクラクションを鳴らされる。
「添島刑事」
 思わず呟くと、添島刑事は乗りなさい、と言うように助手席のドアを開けてくれた。
「事務所へ行ったら所長は出掛けてるし、秘書は大学だって言うし」
 車を走らせてから最初の信号で止まり、ようやく添島刑事は言った。美和はその言葉の尻尾に噛みつくように、声を被せた。
「何か御用ですか」

 昨日の電話から敵対する気持ちだけではなくなっていたが、警察という職種に対してはどうしても警戒心を抱いてしまう。考えてみれば私は極道の女なわけだし、と美和は自分で納得した。
「昨日、おたくの所長と話していて、彼がやたらと引っかかっていたから、気になったの。もしかして彼、新潟に行く気になったんじゃないかしら、と思って」
「新潟?」
「絵の事でね」
 不意に、昨日丁度この刑事の電話で中断された本の最後のページを思い出した。
「まさか、贋作」
「彼から聞いたの?」
 美和はえ? と思った。本当にあの記事の事なのか。贋作と新潟。そうそう重なるキーワードとは思えない。
「いえ、年譜みたいなやつで。でもそれがどうかしたんですか」

 青信号になったので、添島刑事はアクセルを踏んだ。発進はまるで暴走族のレディースのような潔さで、美和は驚いた。
「詳しいことは彼から聞きなさい。それから、あなたもついていってあげた方がいいわね」
「私?」
「今あの人、一人で放っておけないでしょ」
 美和は逆らうこともできず頷いた。
「彼を、好きになってしまった?」
 あっさり言われてどきどきした。

 やはりこれは恋なのかもしれない。
 尋ねた添島刑事の声は、美和の想像をはるかに超えて優しかった。考えてみれば、あの大和竹流が恋人にしている女だ。真と違って、女の趣味がいい男が選んだ女なのだ。
「……そうかもしれません」
「大変よ」
 美和は思わず運転する添島刑事の横顔を見つめた。
「刑事さんもそう思います?」
「えぇ」
 美和は何故かほっとした。

「初めて寝たときはそう思わなかったけど、昨日分かっちゃったんです。あの人を好きになるのは簡単だけど、好きでい続けようと思ったら、壁が立ちはだかってるっていうのか」
「随分大きい壁でしょうね」
 美和は急にこの刑事に親近感を覚えた。大学の友人たちよりよほど私の気持ちが分かる人だわ、と思った。
「分かります?」
「分かるわよ。その壁ときたら、温かく見守っているつもりで、外敵を蹴飛ばしてるものね」

「私は外敵かぁ」
 思わず本心から呟いた。添島刑事は声に出して笑った。
「いざそういう思いで見ると、彼の周りにはぐるりに高い壁が張り巡らされている。彼を好きでい続けようと思ったら、その壁を崩さないといけない、もしくはずっとその壁と付き合っていかないとならないものね。あなたは壁の向こうの人と愛し合わなければならない」
 美和はほっと息をついた。
「刑事さんって、大家さんの恋人……でしょ」
「生憎ね。向こうはそう思ってるのかどうか、ベッドの相手とは思っているでしょうけど」
 美和は少しの間黙っていた。そういう関係は大人びてかっこよく聞こえるが、ひどく寂しく感じた。自分はとても北条仁が言うような境地には立てない。

「それでいいんですか」
「何? 寝るだけの関係ってことが?」
「えぇ、その……」
 美和は言葉を継げなかった。
「それでいいのよ。ベッドの上でだけは二人きりで、あの人は私のことをちゃんと見てくれているし愛してくれるから。残念ながら、それ以外の彼を求めるのは無理だけど、それ以上のものを求めることのできない相手と分かって恋をしたわ」
 美和は溜息をこぼした。
「先生はいつもどこか遠くを見てる。ベッドの上でだって」
 暫く添島刑事は何も言わなかった。美和も自分が何を言いたいのかわからなくなった。
「それで、北条仁とは別れるつもり?」

 美和は返事をしなかった。
 不意にそう尋ねられて、そんなことを考えてもいなかった自分に改めて驚く。浮気をしたのに、元の彼と別れることなど思いもしない。自分だけはイマドキの女の子みたいなことをしないと思ってきたが、案外そうでもないのかもしれない。
 別れ際に添島刑事は大きな茶封筒と新潟までの切符を二枚渡してくれた。
「新潟に行ったら、弥彦に寄ってこの人を訪ねなさい。絵画には詳しいし、その贋作の鑑定をした一人だから。切符は私からのお餞別。車は置いていきなさいって伝えて」


 美和が事務所に入ると、宝田と賢二が神妙な顔で話をしていた。美和の顔を見ると、二人とも多少緊張し、それから宝田が美和に話しかけた。
「お帰りなさい。先生はまだ名瀬先生のところっすよ」
「うん」
 美和が気のない返事をすると、二人とも心配げに美和を見つめた。美和はそれに気が付いて、気を取り直して努めて明るく言った。
「明日からちょっと新潟に行ってくるから、先生と一緒に。だからちょっとの間お願いね」
「え? じゃあ、その、婚前何とかって言う……」

 言葉の使い方が間違っていると美和は思った。
「馬鹿。仕事よ」
 宝田が賢二と顔を見合わせて、それから美和の前にやって来た。幾分躊躇ってから、勢いをつけて言う。
「美和さん、先生はまだあの女と別れてないんですぜ」
「知ってるわよ。私だって仁さんと別れたわけじゃないもの。それに、そんな簡単な話じゃないの」
 宝田はまた賢二を見る。賢二は少し肩をすくめたが、あまり積極的に会話に参加したくはない、という風情で目を逸らした。仕方ないという顔をして、宝田が先を続ける。
「美和さん、俺、やっぱり無理やと思いやす」
「何の話?」
「先生には、その」

 美和は宝田と賢二の顔を交互に見た。全く、本当に二人とも、大学の友人よりよほど私の気持ちが分かるんだから、と思った。
「さぶちゃんは先生の想い人が誰だと思ってるわけ?」
 美和は、まともな学歴もなく、性格もはっきしりたところのない宝田が、かなりできの悪い男だろうという気持ちがないわけでもなかったが、時々宝田が見せる究極の突っ込みにたじろぐこともあった。
 北条仁との事もそうだった。
 美和が、他の男と寝てもいいって言われてるんだと冗談交じりに言った時、宝田は、でも美和さんはそうしたいんすか、と平然と聞いてきた。宝田相手なら、緊張したり言葉を繕ったりしなくてもいいのだと気楽に話しかけてきたが、相手が思ったよりも鋭い返事をすることで、その存在を改めて感じさせられる、宝田にはそういうところがあった。

「美和さん、その、相手が悪いっす」
 宝田は賢二に助けてくれという目配せをしたように見えた。
「私、大家さんに対抗しようなんて思ってないから」
 言い出しかねるというような宝田の気配に、ちょっとむっとして美和は言った。
 だいたい私には、ヤクザとはいえ、一応男がいるのだ。しかも何だってこんなに真面目な顔で、ちょっと寝ただけの男のことで、しかもその男の想い人が男だという話を聞かされなきゃならないのだ。
 そう思うとむかむかしてきたが、賢二の視線にぶつかると、急に頭の中が冷めた。

 賢二がちょっと心配そうに宝田を見た。その目の表情を読み取って、美和は二人が何かを話し合ってたんだな、と思って開き直った。
「それにね、大体何よ、二人ともモジモジしちゃって。私は確かに先生と寝たけど、仁さんが他の男と寝てみろって言うから、試しにそうしただけ。別に何とも思ってないから」

 実際には、言葉にしてしまうと急に悲しくなった。言葉の途中から涙が目の奥で熱くなるのを感じる。意外にも鋭い感性を持っている宝田にも賢二にも、気が付かれていないとは思わなかったが、ここで泣いてしまうのは癪だった。
「二人でそんな噂話をしてたわけ?」
「いや、その、賢二が一緒に住んでたときの話をしてて」
 宝田はその大きな体に似合わないモジモジとした態度のまま、改めて賢二の方に助け舟を求めた。

 確かに賢二は半年ばかりあのマンションに、真と竹流と一緒に住んでいた。少し考えてみたら、ずいぶん興味深い話なのだ。
 それに、涙を堪えたのを、たとえ知られているのだとしても誤魔化したくて、美和は強気に言った。
「へぇ、何の話? 私にも聞かせないさいよ」
 賢二は急に話を振られたからか、困った顔をした。
「いや、単に大和さんが言ってたことを思い出しただけだから」
「大家さんが、何て?」

 美和は何でも来い、という気分になっていた。
 本当は、今更だが、真のことならば何でも知っておきたいと思っていた。所長と秘書という関係も、年上の知り合いからまるで兄妹みたいと言われる関係も、悪くはない。だが、肌を合わせた仲ともなれば、その行きつく先が恋人という関係に落ち着かなくても、少しだけ入り込んで相手を知ってもいいはずだ。
 いや、深く知れば、初恋のようなこの不可解な不安定さやもどかしさから逃れられるに違いない。
 それとも、もっと苦しくなるものだろうか。

「あの人、よく俺の事連れ廻してくれてさ、先生は、その、女遊びに俺を連れて行ってくれたりなんかしないし、でもあの人はいい遊びから悪い遊びまで一通り教えてくれた。判断するのはお前で、そのためには多くのことを知っていたほうがいいって。それで、俺、先生にもそういうこと教えたのかって聞いたんだ」
 今年の始めに成人式の話をしていたから、賢二は美和よりひとつ年下のはずだった。背が高くて上から見下ろされている感じが少し癪に障るのだが、賢二自身は童顔で、普段は大人しい。ただ、気持ちを溜め込んでしまって、表に出る時に賢明な方法を取れなかったからこそ、父親を刺すという行動に出てしまったのだろう。それは賢二の幼少期の家庭環境によるものだが、賢二自身は真と一緒にいるようになって、少しずつ、自分の感じ方や行動を修正しようとしているように見えた。

 賢二は言葉を選びながら、美和の顔を確かめながら、話をしていたが、一旦間を置くと、次の言葉がなかなか出てこなかったようだった。
「それで?」
 それでも美和が強い言葉で聞きただすと、思ったよりもするりと答えた。
「いや、先生を女遊びするようなところに連れて行ったことはないって。あの人の遊び方見てて、絶対ホモでもバイでもないって思ったからさ、じゃあ、先生は何なんだって聞いたら、あの人、真顔で言ったんだ。賢、人を愛して身体を求めたらその先にあるのは何だと思う、って」
 美和はその言葉の意味を考えた。
「俺にも分からないんだって言ってたよ。俺、この人にも分からないことがあるんだ、ってその時は感心しただけだったんだけど」
 賢二はちょっと躊躇って、多分全てではないのだろうが、自分が竹流から聞いたことを美和に話してくれた。





さて、今回は特別に次回予告です。
高遠賢二。実は大手の会社の取締役の息子。父親からは暴力を受けて育っていて、父親の絶対支配下にある家の中では誰も味方がいなかった。で、思い余って父親を刺したため少年院に入っていたのですが、出てきたときにも家に帰ることを拒否。あれこれあって、竹流のマンションに預かられていたことがありました。
竹流にとってはもう一人の可愛い弟分。
で、つい、口が滑ったようです。
次回、竹流が高遠賢二に語ります。半分耳塞いで、聞いていただいたほうがいいかもしれません…^^;
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Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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NEWS 2013/5/18 朝ごはんブログに再チャレンジ!/今朝の花 

朝ごはん
トマトにブロッコリー、昨夜の焼き鳥の残り、ヒジキ、そしてお焦げ付きの筍ごはんおにぎり。
筍ごはんは毎年、実家近くの村の人がくれる筍で作られます(by母…大海ではない^^;)。
デザートはヨーグルトにダイダイの皮のシロップ漬け(母手作り)。
もちろん、ブログのお友だち・夕さんとお揃いのマグカップで珈琲。
(まるで一緒に買いに行ったみたいですね^^; 偶然です。しまうま模様のカップ。夕さんのはカップ&ソーサー)
あ、くれぐれも誤解しないでくださいね。毎日、こんなにちゃんと朝ご飯作っておりません^^;
っても、頑張ってこの程度、という声もあるかと……^^;^^;

今朝の珈琲はブラジルフレンチ。
苦みと深みのある、比較的正当な味わいの珈琲。
総じて酸っぱいコーヒーが苦手は私は、苦みのある豆のほうが好きです。
それを煎りの深さと豆のひき具合であれこれ変えてみて、好みの味わいを探しながら飲んでいるのですが…
正直、日によっても舌の具合が違うので、よく分かりません…^^;


筍で思い出しましたが、津軽で、竹というより笹の筍を取って食べるんですが、小指の先くらいなので、小さくてなかなか見つけにくいそうで、笹が茂っている中へ入って足元を見ている人たちがいると、友人(津軽人)が、
「ささのまいっこ、探してる」と。
ささのまいっこ??
まいっこ、というのは子どものことなんです。
もう、この、『まいっこ』が気に入って、あちこちで使いたがる大海です。
もちろん、ただ今連載中の【死者の恋】にもさっそく使いました(まだそのシーンはブログに載っておりませんが)。


さて、我が家の今朝の庭コーナーです(*^_^*)
ひおうぎ
ひおうぎ
ヒオウギもずいぶん咲きそろいました。
そして、さらに、開き始めたピンクの芍薬のお蔭で、庭の印象はピンク!
芍薬、薔薇(ピエール・ドゥ・ロンサーヌ)、ミニバラ…
芍薬の白はいつも少し遅れて咲きます。
ミニバラ
朝日で輝くような色…のはずが、私の写真がまずくて、自分でもがっかりの芍薬。
しゃくやく

そして…今では大木になってしまったレモン。
今は蕾が膨らみまくっています。
毎年、山のようにとれるレモンでケーキを焼きます……とか言ってみたい。
焼く時もある、程度。大概は魚の添え物になるだけです^^;
レモン

そしてこれ。何だかわかりますでしょうか。
アスパラ
恥ずかしながら、放置されたアスパラガスの花です。
いえ、もうタイミングを外すと、木のように大きくなり、こんな姿に……^^;
でも結構綺麗だったりもするんですよね。
そう言えば、昔、放置した野菜シリーズ……花は結構綺麗、なんて特集があったような(何かの園芸雑誌で)。

これから紫陽花の季節ですね。
我が家には、十年前植えた時にはみみっちい苗だった七段花(六甲か有馬かの山奥で発見された幻の紫陽花…もう今は幻ではないようですが)があります。ずいぶん大きくなって、ちょっと嬉しい今日この頃。
地味な紫陽花ですが、お茶花に使おうと植えたものです。
大体、山紫陽花は地味なものが多いのですが、一輪、切り取って床の間に飾るにはこれが一番ですね。
紫陽花は色も種類も本当に多彩で、楽しめる花のひとつですものね。
またここにご紹介したいと思います。

では、今日も頑張りましょう!(って、もうお昼だよ!!)

Category: ガーデニング・花

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[雨43] 第7章 父と子(1) 

第2節のスタートです。
第1節で起こったいくつかの出来事……同居人・大和竹流の怪我と失踪、彼のインタヴュー記事の波紋、彼の仲間や恋人たちの複雑な感情、そして真の恋人(一応)・深雪のパトロンである代議士・澤田顕一郎の接近、女刑事・添島麻子が特別な筋から受けている命令、そして深雪の恋人であったという3年半前に自殺した雑誌記者・新津圭一の死の真相は? また新津の死に疑問を抱いている女記者・楢崎志穂は澤田や深雪に疑念を抱いているようである。一方、姿を消した竹流も、新津圭一の自殺の記事を残していた。彼の失踪は新津の事件と関係があるのか? そして竹流と一緒に姿を消している寺崎という竹流の仲間。
第5章までのあらすじはこちらをご覧ください→[雨・番外]limeさんが描いてくださったイラストとあらすじ
そして、第6章。元傭兵でありジャズバーの店長・田安隆三が水死体で見つかる。真は田安が澤田の育ての親であることを聞かされたばかりであり、苦しかった時に『お前は優しい人間だ』と慰めてくれた田安の死にショックを受けていた。

では、第2節を始めたいと思います。
彼を探して旅に出る第2節……それは過去を思い出す旅でもあります。
色々な『謎』の解明は真に任せて、ご一緒に真の心の旅に付き合ってやってくださいませ(^^)
改めて、よろしくお願いいたしますm(__)m





 美和は事務所で新津圭一の事件を見直していたが、半分は上の空だった。
 今日は大学の授業に一時間だけ出てみたが身に入らず、途中で教室を出てしまった。あまりにも堂々と出ていくところを、呆れたように講師が見ていたのも何となく背中に感じたが、どうでもいい気分だった。
 さっきからずっと、添島刑事に呼び出されて行った真の後姿が、めくっている本の上をちらついていた。
 恋人の北条仁が勧めるので、遊びで寝ただけだと思いたかった。

 めくっている本は図書館で頼み込んで借りたもので、一九七六年の一月から二月の新聞記事を綴ったものだった。
 企業倒産件数一万二千六百六、戦後最多。一月二十六日、江夏豊が阪神から南海へ移籍、二月四日、ロッキード事件。
 そんなに大きな事件ではないのだろう。むしろ三面記事を見ることにして、ページを戻ると、不況の文字が躍っている。伊藤忠と安宅の合併の波紋、五百円紙幣を硬貨に変更することを決定。一月三十一日、鹿児島で五つ子誕生、更に戻ると、一月二十九日、昭和四十三年に盗まれたロートレックの『マルセル』を預かっていたと大阪府警へ会社員が届け出ている。
 一月二十七日にも、絵画に纏わる記事が出ている。
 不況の文字の中で、絵画の値段だけが浮いて見えていた。
 新潟の市内の旧家が県に寄贈したレンブラント、フェルメールについて、寄贈者は十九世紀末の優秀な贋作であると説明、鑑定者も数名、確認。全て本物なら数百億の価値。

 変な記事。
 美和はその小さな記事を読みかけていたが、電話が鳴ったので本を閉じた。
「もしもし、相川調査事務所です。……あ、こんにちは」
 添島麻子刑事だった。ちょっと嫌な気分になったが、それを押し込めて挨拶をすると、向こうは穏やかな調子で言葉を返してくる。
「少し前、お宅の所長をお返ししたけど、せっかくパトカーで送ってあげるって言ったのに電車に乗るって帰ったのよ。でもちょっと気分が悪いみたいだったし、気になって連絡したの。帰ったら休ませてあげてくれる?」
 そんなこと何であなたに言われなきゃならないのよ、と思いながらも美和は冷静な声を繕って質問していた。
「何かあったんですか?」
「彼の知り合いが水死体で上がったの。ちょっとショックだったみたいで」
「それって、まさか」
 美和の最悪の想像を一蹴した添島刑事の声は穏やかだった。
「そんなわけないでしょ。今横浜なの。さっき電車に乗ったところだと思うから」
 美和は暫く考えてから、質問した。
「ショックって、水死体がですか? それともその人が死んだから?」
 添島刑事は向こうで暫く間を取っていた。
「両方……かな。それとももっと別のことかも知れないけど」
「別の事?」
「相棒がいないことよ。気をつけてあげて」
 それで電話が切れた。

 美和は机に戻り、さっきの本を開きかけて直ぐにやめた。傘を二つ持って事務所に鍵をかける。宝田は北条の大親分に呼ばれて屋敷に出掛けているし、今日は賢二も姿を見せない。
 階段を下りて外に出ると、まだ雨は降り出していなかったが、泣きそうな空だった。
 美和はぶらぶらと歩いて、新宿駅の東口改札まで来ると、改札から吐き出されてくる人たちがそれぞれの目的地へ散り散りになっていく様子を、ぼんやりと見つめていた。

 まるで中学生の初恋のようだった。
 叶うことが目的でもなく、相手に知らせることが目的でもなく、ただ見つめているだけでよかった、そういう初恋と同じ気配だった。肌を合わせて求め合ってからこういう気持ちになるとは思ってもみなかった。
 相手がいつここに姿を見せるかもわからない、もしかすると現れないかも知れないのに、そんなことはどうでもよかった。ただ会いたい気持ちだけが、時間の長さも辺りの雑多な気配も、気温も音も何もかも消し去ってしまうように、膨れ上がっていた。

 一体、亡くなった人というのは誰なのだろう。大家さんではなさそうだけど、それほど先生がショックを受けるということは? それに相棒がいないからって、何に気をつければいいのだろう。
 何度も改札の前を行ったり来たり、柱に凭れたりしながら、美和は様々な想像と愛しい気持ちを持て余していた。

 今でも、初めて会った時の喫茶店での横顔を思い出す。
 私はいつ先生に恋をしただろう。あの喫茶店なのか、あるいは初めて抱かれたあの夜なのか。いや、そうではないのかもしれない。もっとずっと前、少年の日の彼の写真を見た時なのかもしれない。
 でも、これは片恋だ、と思った。
 どれほど真自身が否定しても、彼はただ一人の人を想っている。
 そう考えてみると、叶いそうにないところまでが初恋に似ている。それに、美和にも付き合っている男がいて、きっと簡単には別れられないだろう。新しい想い人ができても、その男と美和の間にある思いは、決してマイナスの気持ちではない。

 もう何度電車の到着があったのか、また急に膨れ上がった人間の波が押し寄せて、改札から吐き出される。その中に、まるで浮浪者のように生気のない真を見つけた。
 こんなにもたくさんの人が袋に入った米粒のようにひしめいているのに、その中からたった一人の人を見つけ出すことがこれほどに簡単なのは何故だろうと、美和は思った。ずっとその人を想って待っていると、視覚にも超能力が加わるのかもしれない。
 真は忙しげに通り過ぎる人に肩をぶつけられてふらついている。美和は思わず駆け寄りそうになったが、ふと足を止めた。
 何故、そんなにあの人を想っているのだろう。
 言葉で何を言われるよりも、夜中のリビングの真の姿は決定的な何かを美和に思い描かせた。冗談で妄想を核に作り上げた文章教室のトレーニング材料は、今では美和の中で立派なノンフィクションになっていた。
 どんなに追求しても、本人は肯定しないだろうけれど。

「先生」
 真はしばらく、話しかけたのが美和だとは分かっていないような顔をしていた。
「……どうしたんだ」
「迎えに来たの。雨、降りそうだったし」
「何時から、待ってた?」
「少し前。添島刑事が電話くれたの。大丈夫?」
 真は頷いて美和の手から傘を受け取った。
 その一瞬、二人の手が触れた。美和は自分の手の冷たさを感じたが、真の手はその美和の手よりもずっと冷たく、鋭利な氷の刃のようだった。

 傘を並べて歩いても、二つの傘の間から雫が零れ落ちた。その小さな隙間は、飛び越えられない次元のずれのように思えた。駅から事務所までの僅かの時間、真は口を開くこともなくただゆっくりと歩いている。美和は話しかける言葉を見つけられなかった。  
 事務所に戻ると、美和は温かいコーヒーを淹れて真に差し出した。真は机ではなく接客用のソファに座ってそれを受け取った。表情は硬くて何かを堪えている。だが、真はやはり何も言わなかった。
 真はコーヒーを飲み終わると、止める美和を振り切るようにして、名瀬弁護士の事務所に出掛けていった。幾つかの仕事を請け負って数時間後に帰ってきたので、美和はその仕事を取り上げて真を休ませようとした。しかし、真は休む間もなく少年院に出掛けて行ってしまった。

 帰ってきた宝田に事情を話し、真の後を追いかけさせて、一人になると、美和は机に座って一息ついた。
 何かをしていないと余計なことを考えてしまいそうだった。
 夕方になって、美和は新津圭一の姉の家に電話をした。当たり前だが、電話に出た相手の声は不審そうで硬かった。
「柏木美和と申します。実は私、新津さんと同じ出版社に勤めてたんですけど、三年近くニューヨークに行っておりまして、先日帰国して初めて亡くなられた事を知ったんです。大変お世話になりましたのに、不義理をしてしまって。それで、ぜひお墓参りをさせていただきたいのですが」
 姉夫婦は多摩川の傍に住んでいた。言葉は丁寧だが、墓参りの件は断られた。
「あ、千惠子ちゃん、どうされていますか。私たち、とても仲良くしていたんですけど」
 姉という人は向こうで暫く黙っていた。それから、父親の事は思い出させたくないので会わないで欲しいと言われた。そのまま電話は切れた。
 不名誉な死に方をした弟の事は忘れてしまいたいのだろう。井出の話では、新津の娘は姉夫婦や親戚に預けられたわけではなく、施設に引き取られたということだったし、姉夫婦はもちろん、世間の噂から切り離された生活を望んでいるということなのかもしれない。

 真は八時には帰ってきて、その電話の事を聞くと、淡々とした声で、そうか、とだけ言った。
「先生、ご飯どうする?」
 真からは、今日はいいという返事が返ってきた。いつもなら、ちゃんと食べないと駄目、と引きずってでもどこかに連れ出すところだが、今日ばかりは美和も力が入らなかった。
「家に送るよ」
 淡々と、美和に有無を言わせぬ気配で真は言った。
 真は美和を北条仁と同棲しているマンションまで送ってくれて、そのまま一人で竹流のマンションに戻ったようだった。言いたいことはいくらでもあったのに、一言も言えないまま、美和は部屋に入った。上着も脱がずに居間のソファの横の床に座りこむ。
 テーブルの上には、仁の残していった煙草の箱がそのまま残っていた。その濃い青の箱に、カーテン越しの鈍い光が僅かに反射している。窓の外からは、アスファルトの湿度をじっとりと抱き込んだタイヤの音が、遠く聞こえている。部屋の内側には、何もかもから切り離されたような静けさがぼんやりと漂っていた。
 傘を渡した瞬間に触れた真の手の、残酷なほどの冷たさを思い出して、気持ちは深く沈んだ。


          * * *

 竹流のマンションに帰りつくと、真はシャワーを浴び、奥のオーディオルームに入ってテレビをつけた。冷蔵庫から出した缶ビールのプルトップを上げながら床に座る。
 この部屋はプライベートな空間で、大きな画面のテレビとオーディオセットが一方の壁を占拠している。別の壁は、寝室への扉以外の場所をレコードとフィルムと本が埋め尽くしていた。他にトレーニング用の器具が幾つか置かれている以外は何もないが、多少雑多な感じがして、ある意味では寛げた。
 真はフロアソファに凭れてビールを一口飲み、髪をタオルで拭きながら、ただテレビ画面を占拠しているだけの漫才番組を眺めていた。

 よくここで映画を一緒に見た。
 どこでどう手に入れてくるのか、古い映画のフィルムで、映写機とスクリーン代わりの白い壁の間を繋ぐ白い光の帯に、真は不思議に穏やかに気持ちになって同居人の映画鑑賞に付き合っていた。たまにはただやたらと絵画や彫刻を映しているいるだけの無声のフィルムもあったのだが、退屈ではなく、心は穏やかでいられた。
 意外にも同居人は涙もろくて、つまらない恋愛映画でも時々感動している。たまには真が感動していると、自分の事は棚に上げて、今泣いてただろうと大騒ぎする。
 同居人のお気に入りは変わった国の映画ばかりで、トルコやソ連やギリシャの監督の作品には、何のことかわからないままつき合わされた。
 何度も見せられて台詞さえも覚えてしまいそうな映画はタルコフスキーの映画で、中でも『アンドレイ・ルブリョフ』は同居人のお気に入りだった。真も、理解できない部分も多くありながら、映画のラストシーンでモノクロがカラーになり、舐めるようにルブリョフのイコンを映すところでは、いつも口が利けないくらい入り込んでいく気がしていた。

 だが今は、しゃべり続ける漫才師のけたたましさの方が救いに思えた。
 腰にタオルを巻いただけだったので、不意に身体が芯から冷えてきた。真は寝室のクローゼットを開けて、竹流がいつも引っ掛けているガウン代わりの着物を、無意識に手に取った。それを着て襟元を掻き合わせるようにし、オーディオルームの床に座りなおす。真の祖母が竹流のために縫った着物は、勿論真には大きすぎるのだが、着心地は滅法良かった。
 しばらくテレビ画面を眺めていたが、映像も音声も光も、何もかもがただの記号であって、まるで意味を成していないことに気が付いた。真は思わず身震いした。 

 テレビを消した途端に襲い掛かってきた静寂に耐え切れず、ビールの空き缶を思い切り音を立ててゴミ箱に放り込み、寝室に戻ってベッドに潜り込んだ。
 眠ったら今日の出来事は忘れてしまおうと思った。何に対してそう思ったのかは自分でも分からなかった。
 目を閉じると、身体ごとベッドの底から深い彼方へ沈んでいくような、あの嫌な感じがする。静かで音は何もなく、誰の気配もない。

 ……水の中に四日間もいて、さぞ寒かったろう。
 突然そう思うと、身体は今まさにその冷たさを感じたように震えた。
 俺はろくな死に方をせん。お前さんは畳の上で死ねるように生きていくほうがいい。
 田安は時々神妙な顔でそう言った。
 水の中よりも火の中のほうがましだろうか。ふと竹流の背中の火傷を思い出してそう思った。
 辛かっただろうに、どうして自分が辛いときには何も言ってこないのか。
 真が辛いときには、何を察したのかずけずけとやって来て、いらないと言っても手を差し伸ばしてくる。恐ろしい夢を見た時には、何も聞かないが、身体を抱き締めてくれる。一種の精神安定剤のようなものだ。それなのに、彼自身がごたついているときには姿を消してしまって、真が手を差し伸べる隙さえ見せてくれない。
 ……今頃、どこで何をしているのだろう。


 真夜中に自分が泣いているので目が覚めた。
 死んだのは田安だ。竹流ではない。だが夢の中では、その区別はつかなかった。深い海の底へ彼の身体が沈んでいく、それを追いかけようとして覗き込んでも、暗いばかりで何も見えない。

 子どもの頃、ゼニガタアザラシを見ようと襟裳岬に連れてってもらい、何をどうしていたのか、足をとられて海で溺れかけた。水は冷たく、暗く、ただ恐ろしかった記憶しかない。以後、できる限り水には近付かないようにしていた。中学生のとき、伯父が失踪し、子どもだけで住んでいるのは良くないと竹流に言われた時、何があっても葉子は自分が守るから、祖父に何も言わないで欲しいと頼んだ。竹流のスパルタ教育はそれまでも大概だったが、そこから一段とエスカレートした。水泳に限らず、水からは逃げ回っていた真に、今度こそは逃げられないぞと脅してきた。何度も溺れかけながら、結局泳げるようになった。
 それでも、今でも水は時々恐ろしい。特に夜に海を見ると、大きな闇が全てを呑み込もうとしているように見える。

 その水は田安を呑み込んだのだ。
 思わず身体を起こした時、手の上に落ちた冷たい水滴に身体の芯から凍りついた。
 勘違いしたまま、会いに行けばよかった。
 信じられないことだが、ぼろぼろ涙が出てきた。こんなに声が出るほどに泣いているのを、もしも誰かに見られるような事があればどう思われるだろう。何よりも自分がどうなっているのか、わけが分からなかった。
 自分自身の嗚咽に重なるように電話の呼び出し音が鳴ったときも、耳の中で反響して、現実の音かどうかよく理解できなかった。ようやく我に返ったとき、電話は一旦切れた。

 呆然と枕もとの子機を見つめていると、しばらくしてもう一度呼び出し音が鳴った。この際、脅迫電話でもいいと思った。
「……先生?」
 電話に出ると、向こうも長い間黙っていたが、ようやく呼びかけてきた。美和だった。
「ごめんね。寝てた? ……気分悪そうだったし、ちょっと心配になって」
 不意に、傘を渡してくれたときに触れた美和の冷たい手を思い出した。美和は、多分随分長く改札口で真を待っていてくれたのだ。
 あの時、どうして抱き締めてしまわなかったのだろう。
 混乱してわけがわからなくなっていた。

「先生、ほんとに大丈夫?」
 何も答えないでいると、美和がもう一度問いかけた。いつもの景気のいい明るい声ではなかった。
「夢」
「え?」
 声が擦れて後半は言葉にならなかったので、美和が聞き返してきた。
「夢ばかり見て……」
 もうそれ以上は声にならなかった。
「行くわ。先生、風邪ひくから、ちゃんとあったかくしててね」
 そう言って慌てたように電話は切れた。真は暫く子機を握っていたが、やがてホルダーに戻した。

 少し落ち着くと美和が来る前に全て泣いてしまっておこうとまで思ったが、もう涙は出てこなかった。美和が来るということに安堵している俺は卑怯者かもしれないと思った。ただ、理屈もなく誰かに傍に居てほしかったのだ。
 ベッドから出て、着物の帯を締めなおし、それから居間に行ってカウンターの後ろの棚からコニャックを出した。グラスに注いでいると、いつの間にか手が震えているのに気がついた。
 とにかく一気にあおった。
 ぼんやりと突っ立っていると、また何が何だか分からなくなってきた。

 美和がやってきたのは思ったよりも早く、真は玄関で彼女を迎え入れたとき、そのソバージュの髪が濡れているのに気が付いた。
「雨、降ってたのか」
 聞くまでもなく、ドアの向こうからかなり派手な雨の音が聞こえていた。
「うん」
「夜中に、申し訳ない」
 幾分か冷静になっているつもりだった。
「ううん」
 美和は部屋に上がって、それから彼らは一緒にオーディオルームの床に座ってフロアソファに凭れた。一度抱き合ったといえ、そうは簡単にベッドには入れなかった。結局美和はフィルムを探して、当たり障りのないところでジョン・フォードの『我が谷は緑なりき』を出してきた。
 言葉もなく身体を寄せ合うようにして映画を見た。気丈な母親が炭坑夫の集会で自分の夫は炭坑主とつるんでなどいないと啖呵を切るシーン辺りで、真は美和の肩に思わず寄りかかった。眠れるとは思っていなかったが、そのふりをしてしまいたかった。
 美和は真の頭を黙って抱くようにしてくれた。





新宿東口。この小説にもちょっとした『聖地』(参照→物語を遊ぼう13:ロケハンと聖地巡礼)がありまして……
友人にこの新宿東口をその一つに数えていただき、大変うれしかったのです。
もう一つは、番外編(これは日の目を見ないかもしれませんが、何かのおまけにキー付きで出てくるかも)に登場の新宿ガード下。
時代が少し古いので、今の東口とは違うかもしれませんが、通った際には、美和と真の少し悲しい雨のシーンを思い出してやってください(*^_^*)

*コラムにありました【終わらない歌】のコーナーは別カテゴリに移動しました。

Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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