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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨48] 第8章 ある代議士の事情(1)18R 

第7章 あらすじ
自分の父親の正体を知る元傭兵・ジャズバーの店長・代議士澤田顕一郎の育て親である田安隆三が水死体で発見された。彼の死体を見た真は、行方不明の竹流の身を案じながら、不安で押しつぶされそうになっていた。
一方、女刑事・添島麻子から、新潟の贋作鑑定事件というヒントを与えられた美和は、真と一緒に新潟に行くことを決めたが、事務所の仲間である宝田や賢二から、真と竹流の事情などを聞きながら気持ちが揺れ動いている。
そんな時、事務所に真の実の父親・相川武史が訪ねてくる。訪問の理由は明かさないまま、そして真との間にある深い溝を埋めようともせずに、ただ警告のような言葉だけを残していった。

「彼はずっとここにはいられない男です。ヴォルテラが跡継ぎを諦めることはないし、実質ヴァチカンの懐刀であるヴォルテラが、あの子たちの関係を認めることもない。たとえそれが恋人同士ではなく、きわめて親密な親子のような関係であっても、です」

さて、第8章を始めたいと思います。今度は、澤田顕一郎の事情に絡めながら、竹流を探す真を見守ってやってください。
内容などあまり気にせず、頑張って謎解きなんてしようとせず、登場人物の心の動きを追いかけていただければと思います。
この第2節は、真がやたらめったら過去を回想しています。そして美和との間にも、男女関係よりも少し深い気持ちが育っていっているのかもしれません





 武史に送られて竹流のマンションまで帰りつくと、真は美和と一緒に車を降りた。
 車の中では三人とも黙っていたが、気まずいという状況は通り越していて、むしろ淡々とした気配だった。真にしてみれば、もう既に語る言葉はないという距離感が父と自分の間にあることを、ただ確かめただけだった。歩み寄る手がかりさえも見出せないし、そもそも歩み寄りたいと思っているわけでもなかった。
 今更、父親に何も期待していない。期待どころか、その存在すら受け入れいていない。真の人生も生活も、全くその人と関わりのないところで成立していて、心を乱される要因にさえならないはずだった。

 マンションのエレベーターの中で二人きりになると、ずっと俯いたままだった美和がようやく真の顔を見た。
「ごめんなさい」
 真は美和が何を謝ったのか理解できなかったが、よく考えれば、彼女なりに言い過ぎたとでも思ったのだろう。
「何も謝ることはない」
「でも、叔父さん、気を悪くしたよね」
 真は美和が武史に言ってくれたことは、美和に対しては有り難いと思っても、謝られるようなことではないと思った。

「いや、あんなことくらいで気分を害したりするような人じゃない」
 武史にとって美和の感情など子供の戯言程度のものだろう。だから、残念ながら、美和の心配するように、武史が感情を乱されることはあり得ない。武史にとって真の事がそうであるように。
 美和は何を考えているのか、暫く黙っていた。

 部屋に入ってから、不意に美和の腕に触れようとしたが、するりと美和は真の手を逃れた。そしてかしこまったように真の前のソファに座って言った。
「私の妄想じゃないよね? 先生のお父さん、なんだよね。どうして叔父さんだって」
 真は上着を脱いで、それをソファの背凭れに掛けてから、美和の前に座った。
「あの人の言うとおり、誰も隠しているわけじゃない。ただ、戸籍ではあの人の籍に俺は入っていない。それだけのことだ」

 美和はただ心配そうに真を見つめていた。
「それで、先生はいいの? お父さんに甘えたいとか、何とかして欲しいとか思わないの? ううん、そうじゃなくて、腹が立ったりしないの? 親だったらあんな冷淡になれないよ。大家さんの事だって、いくら許されないって、ここにずっといられない人だなんて、わざと先生に聞こえるように言ったんでしょ」
 真は美和の顔を、心から、真正面に見つめた。彼女の気持ちは本当に有り難いと思った。
「美和ちゃん、そもそも大きな誤解がある。俺と竹流はそういう関係じゃないし、第一あいつは女としか寝ない。百歩讓って、確かに親か兄貴か教師か、そういうものには近いかもしれないが、そういう相手は一生一緒にいるものではない」

 自分の声が、他人のもののように淡々と響いた。武史の中の何かと自分の中の何かが呼応して、こんなふうに冷めた声が出せているのかもしれない。唐突に自分自身の感情に対して冷淡になることができるのも、やはり親から受け継いだ特質なのだろう。あるいは、誰かに殺意を持つような残虐性までも、あの男の遺伝子から受け継いだのかもしれない。
「それに、事実として、あいつのローマの家は次の当主が戻るのを待っている。それを覆したりすることは、多分誰にもできない。たとえ彼自身が望んでも、無理なことだ」

 自分の望みを断ち切るように、真は言い切った。
 言葉にすることで、自分に言い聞かせるしかなかった。
 必ず彼をローマに連れ戻す日が来ると、彼の叔父に宣言されている。あの穏やかで冷たい声の調子は、耳の底に溜まったままで、時折耳の中で唸るのだ。

「先生……」
 美和はその先に何かを言いかけて、飲み込んだようだった。
「とにかく、明日の準備をしよう」
 真はそう言いながら、スーツの上着の内ポケットの煙草を取り出し、火をつけた。美和はまだ黙っていたが、やがてバッグを持って立ち上がった。
「先生、心の奥にある本当の気持ちって、絶対に湧き出てくるのを押さえられないよ。大体、先生と大家さんの間の事を、身体の関係がどうとうか精神的な繫がりがどうとか、そんなことで量ったりなんかできないでしょ。賢が言ってた、大家さんは」

 美和は真がちゃんと聞いているのかどうか確かめるように、一度言葉を切った。その間に、真はテーブルの上に残していた視線を、ようやく美和に向けた。
「人を愛して心も身体も求めたら、その先にあるのは何だと思うって、賢にそう聞いたんだって。大家さんは先生がまだ小学生のときから先生のこと、ずっと見てたんだよ。先生が色んなことで苦しんでたときも、好きな女の子がいたときも、何もかもみんな。それを全部受け止めて大事に思うってことは、簡単にはできないよ。親だって、子供が自分の思い通りにならなかったら腹が立つのに、大家さんが先生に向けている愛はすごい愛なんだよ。私には届かないよ」

 美和の感情が直線的で、真はそれをまともに見つめていられない気がした。火をつけて吸わないまま手に持っていた煙草を、思い出したように咥えて、真は何か言葉を探したが、結局何も出てこなかった。
「先生、大家さん、ずっと前に先生と一緒にイタリアに行ったとき、もう一歩で狂うんじゃないかと思ったくらい幸福だったって、先生が言ってくれた言葉は、それが何だったのかは話してくれなかったみたいだけど、今まで誰からも、それほど有り難くて幸福な気持ちにさせる、心だけじゃなくて身体まで昂ぶらせるような言葉を聞いたことがないって、そう言ってたんだって。大家さんは、ずっとそう思ってるんだよ」

 真は思わず美和から視線を外した。
「先生、私、今日は帰るね。明日の朝、上野で待ち合わせようよ」
 そう言って、美和は部屋から出て行こうとした。真は彼女が部屋から出ようとドアを開けた瞬間、思わず声を掛けた。

「美和」
 無意識だったが、初めて彼女を呼び捨てにした。美和はびっくりしたように振り返った。
 自分の中の何かをこのまま抱えているのは無理だと思った。

 いつだってあの男が傍にいたのは分かっている。彼のほうではない、彼を求めていたのは自分のほうだということも分かっている。真がアッシジで彼に言った言葉は寸分も違わず、そのまま今の気持ちだった。引き離されるなどあり得ないと思いたかった。
 学校の勉強も、それ以上のあらゆる学問も、学ぶことの素晴らしさと一緒に教えてくれたのは彼だった。それどころか、他人と交わす言葉も、ただ日本語や英語というのではなく、語り合い求め合うための言葉自体を彼が教えてくれた。りぃさと同じように、この世に生きていることが罪悪のように思えていた時、あの崖から落ちた時、それでもこの世に帰ってこなければならないと思ったのは、彼の呼んでいる声が聞こえたような気がしたからだ。

 今生きている自分自身の意味が、ただあの時彼に呼ばれて戻ってきたからだと、もしかするとこれは仮の命で、それは自分の命ではなく彼の命だとそう思っている。
 自分の命の核は、自分の中ではなく、彼の中にあるのではないかと、そう感じている。
 それを認めることが苦しかった。今の現実も、これから来るであろう未来のほぼ確かな現実も、その男から引き離されている。

「帰るな」
 言葉はいつでも心を全て表すものではない。そしてそれが本当に言葉になるときは、一生のうちに恐らく数えるほどしかない。

 美和は半開きのドアに凭れるようにして突っ立っていた。真は煙草を灰皿に捨てて立ち上がり、美和をただ力任せに抱き締めた。美和は暫く真の腕の中で堅い棒のようになっていた。ぽとんとバッグが床に落ち、真の足にあたった。美和はしばらく動かなかったが、やがて真の胸に頭を寄せるようにした。
「先生、自分が結構卑怯だって分かってる?」

 美和は怒っているようではなく、その声は随分優しく真の耳に届いた。真は返事をしなかったが、その通りだと思った。けれども、何もかも、今はどうすることもできないような気持ちだった。
 ベッドに入り、ただ自然に求め合った。美和は嫌がっていたわけではないようだった。初めての時よりも真を簡単に受け入れると、美和は潤んだ目を開けて真を見つめた。
「何?」
 真が問いかけると、美和は小さく首を横に振った。

 美和を愛おしいと思う気持ちには全く偽りがなかった。それはりぃさを想っていた時よりも自然で、多分美沙子と別れた後に、彼女に対して本当はそう思っていたと感じた気持ちと同じようなものだと思った。あの時、付き合っている間は、そんな自分の気持ちに気が付くこともできなかったのに。
 そして、それ以上に自然に、他の誰かを想っている自分を感じた。それは美和の言うとおり、どうしようもないことだと思った。

「やっぱり一応避妊しよう」
 言葉はいつでも思う通りにはならない。
「もういいよ。先生は嫌なの?」
 美和は真がどこかで極めて冷静になっていることを感じていたのだろうが、怒り出すこともなく穏やかに尋ねてきた。
「そうじゃない。仁さんと決闘しなければならないのも分かってるけど、今はまだ子どもの親になる自信がない」
 もうできているなら仕方がないと思ったが、武史に会って自分の気持ちが中途半端に乱れたことを認めざるを得なかった。美和は暫く真の顔を見つめていたが、小さな声で、そうだね、と言った。
「君を、大事に思っていないわけじゃない」

 こんな状況で言い訳だけはする男としての自分を腑甲斐無いと感じたが、どうしても美和には言っておきたいと思った。そして、美和は可愛らしく微笑んで頷いた。
「先生の言いたいことは分かってる」
 そう言って彼女は一つ大きく息をついて起き上がった。そして真に避妊具を持ってこさせて、自分から率先してそれを真のものに着けてくれた。そうしている間に少しばかり真のものは小さくなっていたが、美和は愛しそうに手で扱いてくれて、躊躇することもなく脚を開いて真を誘った。

「何だか不思議」
 真は、そう呟いた美和の顔を見つめた。穏やかで暖かい表情は、救い主の死に寄り添っていた女たちの慈愛に満ちた気高い顔そのままだった。
「うん、何だかどうでもよくなっちゃった。仁さんに刺されても、大家さんが先生を愛してても、私がもしかしてまだ仁さんを好きでも、先生が大家さんを」
 真はそれ以上話を続けさせたくなくて、硬くなった自分自身を彼女の中に埋めた。
 美和の腕が真の首の後ろで重なり、優しく真を引き寄せた。


 イエス・キリストがラザロのためにしたことは、彼を死者の群から取り戻したことではなく、彼の死を友として涙したことだった。キリストが医術としてか奇跡としてか、あるいは偶然としてか、いずれにしろラザロを蘇らせたとして、キリストがもしラザロの死に涙を見せなかったら、一体結果としての蘇りにどれほどの価値があったのだろう。
 彼が自分にしてくれたことは、そういうことだと思っている。
 真が崖から落ちて命すらどうなるか分からなかった二週間。ようやく意識が戻ったとき、最初に目にしたのは、ただ自分を見つめてくれていたあの深い青灰色の瞳だった。滅多に感情を面に出さない祖父が、目に涙を浮かべて真に言った。
 大和君がずっとお前の傍に座っとった。お前が目を覚ますまで、ほとんど飲み食いもせず、ずっとお前の傍にな。
 だから祖父は、竹流が不義理をしたと頭を下げたときも、言ったのだ。
 わしは、真のことはあんたにやったと思っとる。あの子が東京に出て、馴染めん街で生きてこれたのは、何もかもあんたのお蔭だ。いや、北海道にいても同じことだったかも知れんと思っておる。あの子があの崖から落ちて、生きて帰ってきたのは奇跡だ。あんたがあの子をこの世に呼び戻してくれた。煮て食おうが焼いて食おうが、あんたの好きにしてもらったらええ。
 祖父が、自分たちの間の事を、仁のように恋愛関係として認めていたとは思いがたい。あの時は猫の子どもじゃないのだからやり取りするようなものじゃないと思ったが、その祖父の感覚はまさに正しいと今は思っている。


 眠ってしまった美和を見つめながら、いくらかうとうとしたようだったが、朝、真は美和の例の如く威勢のいい声で叩き起こされた。
「先生!」
「……何だ、大きな声で」
 思わず背を向けて布団に潜り込もうとした真の肩を美和はむんず、と摑んで彼女の方に向かせた。
「これ見て」
「何だよ」
「何だじゃないの」

 もしもこの子と結婚したら絶対尻に敷かれる、などと無責任なことを思いながら真は起き上がった。ちゃんと真面目に悩んでいるはずなのだが、美和の絶対的な明るさは天性のもので、真にはない彼女の最大の美徳だった。
 起き上がった真の目の前に美和が新聞の三面記事を突きつけた。
 真は思わず新聞を彼女の手からもぎ取った。

『澤田代議士、恩人の告別式の喪主を務める
 本日正午より澤田顕一郎代議士は品川区○×寺に於いて、氏の早逝した父の友人、田安隆三氏の葬儀を執り行う予定である。田安隆三氏は戦後より東南アジアでの開発事業に着手し成功を収め、現在も会長として事業を担う傍ら、芝浦でジャズ喫茶を経営していた。身寄りはなく、一人暮らし。六月二十七日早朝、横浜で水死体となって発見された。同日解剖の結果、死亡したのは六月二十三日、体内よりアルコールが検出され、酔って誤って海に転落したものと推定されている。同氏は澤田代議士の高校・大学時代の学費を出資し、政治家となった後も後援者として資金を提供していた一人と言われ、その孤独な死に澤田代議士はショックを隠しきれない様子である』

 記事の内容はざっとそういうところだった。美和と真は顔を見合わせた。
「その田安って人が、先生の知り合いだった人? 添島刑事に呼び出された」
「あぁ。しかし、まさか」
「何かおかしいの?」
「田安さんの経歴がかなり眉唾ものなのも事実だが、澤田がどうして? 下手すると政治家生命に関わる」
「それはつまり、田安さんって人が怪しいから?」
 真はもう一度記事を読み返した。
「にも関わらず葬儀をするって事は、何かのパフォーマンスかしら?」

 美和が真の視線の先を探るように、一緒に新聞を覗き込む。真はしばらくして顔を上げた。すかさず美和が聞く。
「お葬式、行く?」
「新潟に出るのが遅くなるだろう」
「でも、気になるでしょ」
 結局列車を夜行にして、ホテルも一日宿泊の予定をずらした。美和がてきぱきと予定を変更している間、真はまだベッドの上で座ったまま新聞を見ていた。 

 田安の死は事故で片付けられたのだろうか。ここには彼の店の爆発事故の事は触れられていない。田安が叩けば埃の出る人物であることは間違いがないし、警察のブラックリストにだって載っているはずだ。マスコミが何かを嗅ぎ付けたら、澤田にはマイナスになってもプラスになることは絶対にない。
 一体、澤田は何を考えているのか。これではまるで、澤田顕一郎ここにあり、と宣言するようなものだ。しかも叩けば埃の出る人間の関係者であることをあえて世間に晒して、自らの立場を危険に追い込む、この目的は何だろう。赤の他人のふりをし通すことだってできたはずだ。

「先生、早くシャワー浴びてきて」
 美和が寝室を覗き込んで声を掛けてきた。真はまだ新聞の記事に釘付けになっていた。頭の中で何かの符号が形になろうとしていたのに、ピースがいくつか足りない、そういう感じだった。
 真がシャワーを浴びて出てくると、美和が寝室の隣の部屋でテレビをつけていた。真が声を掛けようとした瞬間、美和があっと声を上げた。

 テレビの画面は、田安隆三の死亡のニュースと、澤田代議士がその葬儀をするというので、記者たちが彼にインタヴューをしているところだった。
「昨日、あんまりにも頭が興奮してて言うの忘れてたけど、ほら、先生がお父さん、じゃなくて叔父さん? どっちでもいいけど、あ、違う、どっちでもよくないんだ」
「何の話だ」

 美和の話はほとんど支離滅裂になっている。
「つまりその、先生とお父さんが向かい合って煙草吸ってたとき、絶対親子だって、つまりDNAがかなり近いって思った瞬間に、思い出したの。この間大家さんの所に面会に来てた男の人、どっかで会った気がするって、でもなんか変な感じで思い出せないって言ったでしょ。会ったような会ってないような、って。私、多分あの人のお父さんに会ってるの」
「何だって?」

 美和はテレビの中の澤田を指差した。澤田は後ろに何人かを従えて半分歩きながら、記者の質問に穏やかに答えていた。カメラのフラッシュの中で、彼は田安が自分の父親と親しく、父の死後は彼が自分の父親代わりだったと話していた。
「しかもまさにこういうシチュエーションだった。今このシーン見て思い出したの。その人、こんなふうに澤田の後ろに立ってた」

 美和が指したのは秘書の嵜山だった。
「君が澤田に会ったっていうのは、新幹線の土地買収の時」美和は頷いた。「澤田の秘書ってことか?」
「うん、同じ立ち位置ならそういうことよね。でもどうしてそういう人の息子が大家さんと一緒にいたんだろう?」
 美和は昨日の事はすっかり棚に上げて気分を一新して、例のよく動く瞳をくるくるさせて真を見つめていた。
 全く、田安が、こういうあっけらかんとしたタイプがお前に丁度いいと言ってくれていたのも頷ける気がした。
 真はもう一度テレビに視線を戻したが、ニュースは直ぐに別の話題に移った。

「ね、先生、その人のこと、調べてみていい?」
「そうしてくれ」
「先生、お葬式、一人で行ける? ついていった方がいい?」
 美和は、今度は真面目な顔をして聞いた。そんなに心配しなくても、と思った。
「大丈夫だ。で、列車はどうなったんだ」
「二十三時三分、上野発の出羽」
「じゃあ銀座で食事をしよう」





なんだかちょっと夫婦みたいなシーンになっていますね^^;
美和と真、本当にどうしてくっつかなかったんだろう???
作者のいじわる? いえいえ、これは神の配剤なのです……

イエス・キリストがラザロのためにしたことは……の下りは、もう20年も前に書いた文章のまんまです。
敢えて書いた自分が付け足すことなんて何もないはずなのですが、語りたいことのエッセンスみたいなものかもしれません。
大きな声では言えませんが、私、そのころ『イエス・キリストの生涯』を書き始めていたんですよ……
歴史に生きた革命家としてのイエス・キリストを書きたくて。
怒られそうですが、テーマは『ナザレの春』だった。
砂漠の荒涼とした土地の中で、美しい春の景色を見せていたというナザレの村で生まれたイエスの教えは、やっぱり生まれ変わる春・蘇る命(心)という、自然から得た印象・教えだったのではないだろうかと。
私はクリスチャンではないけれど(どころかめいっぱいアニミズム人間かつ浄土真宗)、このくだりを書いたときも今も、心からラザロの蘇りのシーンの本当の美しさは、ただの一文、「イエスは涙を流された」にあると思っています。いえ、多分、聖書の中で最も美しい一文に違いありません。
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Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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【幻の猫】(2) 失われた少女 

真250
表紙の目印には、やっぱり嬉しくて、いちいちlimeさんのイラストをのっけております(^^)
アップバージョンの小さい版にしてみました。
さて、真を放り出して、竹流は女のところに……探偵気分で、竹流の行動を見張りましょう!
まずは物語をお楽しみください(^^)




シエナ

「いいえ、そんなはずはないわ。そんな馬鹿なこと……」
 竹流が通りに面した門を叩き、大きな扉を開けて現れた取次の女性に名前を告げた後、ほとんど待つこともなく、奥からそんな言葉と共に少し年を取った女性が現れた。小柄で、ほっそりとした印象を受ける上品な女性だが、声がよく通る。
 そして女性は、竹流の姿を見ると、目を見開き、大きく開けた口を両手で覆うようにして、そのまま固まってしまった。

「ベルナデッタ、やっと会えた」
 竹流が呼びかけると、女性は感極まったように涙を流した。
「あぁ、その声は確かにジョルジョ坊ちゃま。私は夢を見ているのかしら」
「まさか。長年の無礼を詫びに来たんだ」
 ベルナデッタは、ヴォルテラの屋敷に仕えていた女中だった。そして、大和竹流、すなわちジョルジョ・ヴォルテラがロヴェーレ家から養子に出されたとき、始めにジョルジョの世話をしてくれた女中であり、日常のあれこれの教育係かつ相談相手でもあった。

 ヴォルテラの屋敷に仕える者たちは、大概何代にもわたって仕えてきたものばかりであったし、ベルナデッタの家系もそのひとつだった。しかし、ベルナデッタ自身は、ジョルジョが神学校に入った年に血液の腫瘍であることが分かり、療養のために職を辞した。
 この時、当主のチェザーレ・ヴォルテラは彼女の病気治療のために、当時としては最先端の医療を受けさせるべく奔走した。そのかいあってか、ベルナデッタは寛解し、今も検査は必要であるもののこうして生きながらえている。
 ひとつの大きな不幸を抱えながら。

「何を仰いますのやら。いつも手紙や贈り物をしてくださって」
 竹流はベルナデッタに歩み寄り、その手を取り、まるで貴婦人相手にするように口づけた。ベルナデッタは慌てて手を引っ込めた。
「まぁ、いけません。坊ちゃま。私のようなものを相手に、そんなことを」
 そう言ってから、ベルナデッタはほうと息をついた。
「坊ちゃまは本当にお変わりではありませんのね。あの頃も、私たち使用人とあまりにも対等にお話し下さるので、立場を弁えるようにと随分と怒られていなさった。それなのに、よくこっそり私たちのところにやって来られては、下々の者たちの戯言話に付き合っておられて」

「ベルナデッタ、俺はもう坊ちゃまじゃないんだ。手紙にそう書いただろう?」
 とんでもないとベルナデッタは首を横に振った。
 ベルナデッタは中庭に面したテラスに竹流を誘い、先ほど取り次いだ女性に頼んでカプチーノを用意させた。

 高い建物に四方を囲まれた中庭には、午前中の光は十分には届いていなかったが、半分だけ真っ白に明るく染められていた。その中に、心穏やかな朝食のために用意されている比較的大きめのテーブルがある。
 中庭の半分はまだ太陽の恩恵が届かず、闇に沈んでいる。
 竹流はその陰の中に、木の椅子に座ってぼんやりと四角い空を眺めている老いた女性を見出した。椅子の肘掛には杖がひっかけてある。

「あぁ、グローリア、あなたもご一緒にいかが」
 ベルナデッタの声に、グローリアと呼ばれた女性がゆっくりと竹流とベルナデッタを振り返った。

 魂の籠っていないような無機質な瞳だった。あるいは大事な何かを失ったために、感情を一緒に持ち去られたような瞳だった。まるで人形のように静かで、そして乾いた様子で、彼女は闇の中に座っていた。
 綺麗に撫でつけられ結われた髪には飾りのひとつもなく、暗い影の中に沈んだブラウスとスカートのもとの色合いは分からなかった。首には古い石の入ったネックレスが、ようやく光の足掛かりになろうと揺らめいていたが、照らす光源がなくては輝く術もないようだった。

 竹流が気を利かせて、足の悪い女性がこちらのテーブルへ移るのを助けようと、一歩踏み出したとき、ベルナデッタがやんわりと止めた。
「明るい所を嫌がっておられるんですよ。私たちがあちらの小さいテーブルに参りましょう」
 そしてベルナデッタは、グローリアとは少し距離を取って、何も話さず、ただ優しい表情を浮かべて彼女を見守りながら、そして時折竹流に日本の話を聞きながら、短い午前中の時間を演出した。
 グローリアのいる闇に目が慣れてくると、その女性がそれほど歳をとっているわけではないことが分かった。何か悲しい出来事のために、髪も白くなり、身体も心も間違えて歳をとり急いでしまったかのように見える。

 その時、微かに、視界の端で何かがきらめいた。
「おや、ジョルジョ、お前、どこに行っていたの?」
 竹流は自分の名前が呼ばれたのかと思って、驚いてベルナデッタの視線の先を追う。

くろねこ
 猫だった。
 真っ黒で、尻尾の長い猫が、ゆったりと歩いている。首には金の首輪。すらりとしたしなやかな体つきは、小さな黒い豹のようにも見える。
「あぁ、坊ちゃま、ごめんなさい。この子はグローリアの猫なんですよ。その、坊ちゃまと名前が一緒なのは偶然で……」
 ちらり、と猫が竹流を見上げる。ゴールデンアイの、吸い込まれるような瞳は、光を失った飼い主の代わりに、世の中を見つめているかのようだった。
 やがてジョルジョ、つまり真っ黒の猫は、グローリアの足元に頭を摺り寄せ、グローリアはようやく何かから解き放たれたように猫を抱き上げた。

 カプチーノを飲み終えると、ベルナデッタは竹流を建物の中に誘った。
 建物の奥にはいくつかの個室があって、それはこの『協会』の目的のために使われていた。教会付属の婦人団体である『片羽根の天使協会』は、不思議な団体で、言ってみればご婦人方のネットワークを生かした人探しを主な仕事にしている。依頼人は女性に限るのだが、行方不明の人、探して欲しい人がいる場合、この協会が力になってくれるし、もしもの時には『慰め』をも仕事のひとつにしている。各地に支部があり、ここシエナの責任者がベルナデッタだった。依頼人は時には居場所のないものや遠くから来たものであったりするので、彼らが宿泊できるように小さな部屋がいくつも用意されている。
 全て教会への寄付から成り立っている完全なボランティア組織であり、健康も心も不安定となったベルナデッタを支えてきたのは、人のために何かをしているという充足感なのだろう。

 部屋のひとつがベルナデッタと幾人かの女性が共同で使っている事務所だった。机が四つと、真ん中に小さなソファ、それぞれの机の上には書類が積み上げられている。機能的とは言い難いが、彼女たちはその中のどこに何があるのか、完璧に記憶している。
 それぞれの机には、持ち主が誰であるのかがわかる写真が置かれている。どれもそれぞれ、ここで働いている女性の家族の写真だ。ベルナデッタの写真にも、小さな痩せた女の子と、まだ治療のためにやつれた顔をしていた頃のベルナデッタが写っていた。
 今日ここで仕事をしているのはベルナデッタ一人のようだった。

「あの方はね、ミラノからいらしたんですよ。二番目の娘さんが連れていらしたんです。お気の毒に、ちょうど一年前にシエナに五歳になるお孫さんと旅行に来られたんですが、そのお孫さんが行方不明になってしまわれて。彼女は自分がお孫さんの手を放してしまったことで、行方を見失ってしまったと言って、自分を責めておられるんですよ。警察にも直ぐに届けて、ずいぶん探されたんですけどね、結局何の手がかりもないまま時間だけが過ぎて、一時は精神的にも随分危ない状態になっておられたんですの……いえ、今もまだ心はここにはなくていらっしゃるのですわ」
「それは……気の毒だね。彼女はその時からずっとこの協会に?」
「いいえ、ミラノに二番目の娘さんと暮らしておられるのですけれど、丁度一年前の今日がお孫さんがいなくなった日ですから、もしかしてと藁にもすがるような思いで、一週間前にこちらに来られたんですよ」

 常識的に、一年も行方不明の子どもが、その丁度一年目だからと言って、ここで今見つかるとは思えない。哀れだが、子どもが無事である可能性は低いだろう。
「その子どもの母親は?」
「それが、家を出てしまわれたとか」
「なぜ」
 ベルナデッタは首を横に振った。
 事情を知っているのか知らないのか、あるいは知っていても部外者に話すことを躊躇ったのかもしれない。ヴォルテラの力は知っているだろうに、チェザーレやその息子には頼るわけにはいかない、という彼女の気持ちも分からなくはない。

「ベルナデッタ、もしかして少し手伝えることがあるかもしれないよ。もちろん、子どもが無事であるかどうかは保証できないけれど、少なくとも、いささか胡散臭い連中に事情を聞くことはできる」
 まるで感情を失ってしまったようなグローリアの瞳と、戦いを挑むような黒い猫の金の瞳が竹流の中で二重写しになっていた。
 旅行中に手を放してしまったために孫は行方不明、その母親も家を出て行ったというグローリアが気の毒だったし、それにもしかしてその子どもが犯罪にでも巻き込まれたというなら、自分にもいささか情報網の心当たりがなくもない。今更、探し当てられる自信はないが。

「結果的に、彼女に辛い事実を突きつけることになるかもしれないけれど、でもどこにいるのか分からないままでいるよりは、事実を受け入れる方が救いになるかもしれない」
 それから竹流はベルナデッタの手を握りしめた。ベルナデッタは俯いていたが、自分を握りしめた竹流の手を逆に両の掌で包み返した。
「坊ちゃま、確かにその通りです。時々、旦那様が何か協力できることがあるだろうと言って訪ねてくださるのですけれど、犯罪に絡むようなことは恐ろしくて調べることはできません。調べた結果は大概悲しく辛いものですから、知らないまま、もしかしてどこかで幸せに暮らしているかもしれないと信じている方が、救いになるかもしれない。そう思って、依頼人の方にはただ心穏やかでいて下さるように祈るしかなかったのです」

 竹流はベルナデッタの肩を抱くようにして、ソファに一緒に座った。叔父、チェザーレ・ヴォルテラが今でも一介の使用人であったベルナデッタの生活に気を配っていることを聞くと、何故か背中がうずくような気がした。いや、竹流はずっとその男に育てられてきたのだ。どれほどの悪事に手を染めていても、大事に思う人間の一人をも漏らさぬように思いやる、ヴォルテラの当主としての義務を叩き込まれてきた。
「ベルナデッタ、あなたはきっと他人の悲しみに自分の悲しみを重ねて、優しくなりすぎるんだ。大事な人を失った辛さは、あなたは誰よりも知っているのだから」

 もしかしてもうこの世にいないかもしれないが、その少女の足掛かりを探してやろう。長い間ベルナデッタに何もしてやれなかったことの償いにでもなれば。
「それなら、坊ちゃま、私の代わりに説明できる人がここにもうすぐ来られますわ。話だけでも聞いてあげてくだされば、幾らかでも救いになるでしょう」

シエナ
 やってきたのは、グローリアの娘だった。クラリッサという名前の艶やかな女性は、赤い髪に見事なグリーンの瞳を持っており、大学で地質学を教えているのだと言った。ベルナデッタが竹流を紹介する間、その賢明で揺るぎのない瞳で竹流を見つめていた。
 何かを訴えるような、力強い瞳だ。
 やがてクラリッサは挑むような目をふと緩ませて、話し始めた。

「そうですか。もう今さら、誰かに話して辛いとも恥ずかしいとも思わなくなりましたから、打ち明けますわ。いなくなったのは姉の娘で、フィオレンツァと言いました。その時、五歳だったのですが、ここシエナに来たのは、両親が不仲で随分と酷い喧嘩をしていましたので、私たちの母、グローリアがフィオレンツァを不憫に思って連れ出したのです。その結果あんなことになって、姉はそれから余計に夫と上手くいかなくなって、少しおかしくなっていたのかもしれませんが、家を出てしまったのです」
 竹流は思わずベルナデッタを見た。哀れな打ち明け話を聞かされるのだと思っていたのだが、あまりにも淡々とクラリッサが話すので、違和感を覚えたというのが正解だ。いや、彼女自身のことではないのだから当たり前なのかもしれない。 

「失礼ですが、不仲の理由は」
「よくある夫の異性関係ですわ」
「それで、あなたの姪御さん、フィオレンツァがいなくなったのはこのシエナのどこです?」
 竹流はクラリッサから目を離さなかった。いつも女性を口説くときには意識してその目を見つめる。まさに今も、この女性をベッドに誘い込むほどのつもりで見つめていた。そうしているうちに、この女性が本音を零してくれないかと思った。

「母はあのような状態なので、はっきりしたことは分かりかねます」
「あなたはその時、ご一緒ではなかったのですね」
「えぇ。失礼ですけれど、シニョール・ヴォルテラ、私は母に自分自身を取り戻してほしいと思っておりますが、フィオレンツァのことは正直諦めています。もう一年も前のことなのですよ」
 彼女の言葉に竹流は同意した。

 その時、かりかりとドアをひっかく音が聞こえた。
 ベルナデッタが扉を開けると、黒い塊のようなものが飛び込んできて、竹流の足元に来ると、ふんふんと匂いを嗅いだ。それから何か納得したように座り、竹流をそのゴールデンアイで見上げて、にゃん、と何かを訴えかけるように鳴いた。




さて、女のところにおりましたが、別に色っぽい理由ではなかったようですね(^^)
そうなんです、竹流は、あちこちにこういう老人(とまではいかない年の人もおりますが…男女問わず)がおりまして、決して礼を欠かさない。本当に老人に好かれる人でして。
本人も職人ですから、腕に覚えのある年寄りは特に好き。

でも、登場した妙齢の女性はちょっとヤバそうですね。
みんなでしっかり見張りましょう!って、何のことやら。

さて、limeさんの【白昼夢】を読まれた皆様はちょっとあれっと思われたかもしれません。
いえ、ぜんぜん関係ないとも言えますが、ちょっとだけもじってしまいました^^;
(limeさんへのお礼ストーリーですから!)
OEA(片目を閉じた天使)…という組織の裏バージョンみたいで…片羽根の天使協会。
しかもイタリア版おばちゃん探偵団!
何だかシリーズものが書けそうに思いますが……もちろん、書きません^^;

猫の写真は、イタリアで撮ったものですが、町はタルクィニアというところ。
エトルリア時代の墓を見に行ったのです。
丁度、黒猫!と思ってここに載せてみました。

さて、次回は(多分)いじけている真に会いに行きましょう!


Category: ☀幻の猫(シエナミステリー)

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