FC2ブログ
05 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】9.中津川:星ヶ見岩(2) 

hosigami
とにかくすごい、と見上げるばかりです。
hosigami
何だか、クジラの顔みたいだと思いませんか?
この下をくぐってみます。
hosigami
見上げると、こんな感じです。
hosigami
反対側から見ると…やっぱり人の顔のようにも見えます。
巨石に「北辰門」と刻まれています(こっちが表側だったようで、どうやら裏から回って来ていたようですが……どっちでもいいはず)。古代中国では、北極星が北辰と呼ばれていたそうです。
この北辰と刻まれている岩の下に潜れるようになっています。
hosigami
説明には「巨大な花崗岩が節理に従って割れ、長い年月の間にずれてできた空間、岩の間から仰ぐと、昼間でも星が見えると言い伝えられている。この割れ目の方角は南北、南面入口に北辰門の文字が彫られているように、この割れ目から北極星を見ることができる」
えーっと、どの割れ目?
正直よく分かりませんでした。これかな?
確かに暗いんだけど、星が見えるほどでは……
hosigami
でも、もしかすると、もっと蜜に重なっていたのかもしれませんね。
実際に、巨石同士が互いにもたれかかるようにして隙間を維持しているので、年月の間に形が変わっているのかもしれません。
hosigami

さて、低い石室(と言っていいのか)の奥へ進むと、また別の岩との隙間があります。そこに、妙見大菩薩の石碑があります。妙見大菩薩は北極星を神格化したもの。この石碑には1850年の年号がついているようです。
hosigami
hosigami
外へ戻ってみると、こうしてもう一度石の大きさを感じます。
hosigami

思ったよりも写真が多いですね。
リベンジだから力が入っていたようです。
その(3)に続く…^^;

スポンサーサイト



Category: 石の紀行文(写真つき)

tb 0 : cm 2   

【石紀行】9.中津川:星ヶ見岩(1) 

hosigami
ここは岐阜県中津川の星ヶ見公園です。
もしも興味を感じて行ってみよう!と思われたら、カーナビの設定は「中津川市民病院」です。
すぐそばに、この道を入ってもいいのかしら?と思うような小道があり、渓流があって釣りをしている人もいて…すでに星ヶ見公園の中に入っているようです。取りあえず細い道を進むと、駐車場があります。
昨年来たときは、この駐車場にも気が付きませんでしたが、今年は少し進歩。

公園といっても、ちょっとした登山道。
池沿いに周回を回って行くと実は近いようですが、ここは敢えて御嶽神社の鳥居をくぐって行きましょう。
hosigami
この公園は敷地面積15.1ヘクタールあるそうで、その中に巨大な岩がゴロゴロ……
花崗岩で、どれも数メートルの高さ、直径も数メートル以上~びっくりするくらい大きいものもある。
岩というより床みたいなところも。
ちなみにこの地面、花崗岩の崩れたものなのか、妙に滑ります。
(去年滑って、大変なことに……^^;)

巨石の森に入って行ってみましょう。
hosigami
hosigami
hosigami
あ、これはどこかで見ましたね……
思い出の岩? この斜面でこけました。ものの見事に足を捻り、動けなくなりました。
注意一秒、怪我一生ってこのことですね。
それもそのはず。もう大興奮状態だったのです。
巨石、巨石、巨石……前を見ていませんでした。
hosigami
ご覧ください、この岩の肌の感じ。どうなってこうなって、こんなにごろごろしているのか……
ちなみに、ここはこれまでご紹介した巨石たちの中でも、極めて自然度が高いところです。
人為が感じられず、そのままそこにある。
hosigami
頂上にあたる場所は、おそらく拝殿と考えられる大きな岩とその上に据えられた小さな祠があります。
そう言えば、鳥居を最初に潜りましたものね。
ご神体は、神社の名前から木曾御嶽山でしょうか。
この雲の不思議な流れ、まるで向こうの御嶽山から流れ込んでくるようです。

hosigami
こんなところを歩いていきます。
横にゴロゴロと巨石が見えています。
そして、看板によると、そろそろ目的の『星ヶ見岩』なのですが……
hosigami
階段発見。登って行ってみましょう。登った先を降りて、右に折れると……
見上げれば、木々の中に巨石。
hosigaim
hosigami
どうなっているのか、正直分からない、それも巨大すぎて、全体像が全く不明です。

ということで、その(2)に続きます。


Category: 石の紀行文(写真つき)

tb 0 : cm 2   

NEWS 2013/6/24 織田信長が見た景色 

hikari
長野県某市の某屋上から見たある日の夕方の景色。
高い建物はほとんどなく、畑や田んぼと家が平たんな土地に並び、その向こうに日本アルプス。

最近思うこと。
生まれ育った土地、今暮らしている土地で毎日見る景色、それが人を決めているんじゃないだろうかと。
世界遺産になった富士山。
あの雄大な山を毎日見て暮らしている人と、大きな都会の下町で人間同士の息遣いが近いところで育った人。
太平洋へ開かれた大きな海を見て少年時代を過ごした人と、古い寺や神社の境内を遊び場所にしていた人。
良し悪しじゃなくて、目に見える景色はその人の人となりの大きな部分を占めるんだろうなと思います。

そう言えば、太宰治は、津軽富士、つまり岩木山こそは天下随一の山と思っていた。
でも、東京に出て、富士山を見て打ちのめされる、でも認めたくない。
そういう井の中の蛙のくせに頑強なのが津軽人だと、そう書いていましたね。

このたび、リベンジで中津川の石を見に行き、関ヶ原の近くの養老温泉の旅館まで移動する間に、初めて岐阜城まで登りました。
下から見たことは何度かあるのですが、一度も登ったことはなかったのです。

で、その時、母と話していたのが景色のこと。
『織田信長の見た景色を見よう』
斎藤道三でもいいのだけれど、天下を取ろうと思うような人は、きっと何か特別な景色を見たはずだ、と。

斎藤道三は、もう少し遅く生まれていたら、自分が天下人を目指していただろうと言われていますよね。
織田信長は、どの時点で天下人を意識したのだろう…
やっぱりこんな景色を見た時かも。
岐阜城
丁度いいんだろうなぁ。やたらめったら高いところからではなく、見える景色は自然の雄大さばかりではなく、向こうまで続く平野の景色、川が流れて、町が広がり、眺めれば自分が一国の主であることを実感させてくれる光景。なるほど、この大きさなんだな、と。
大きすぎず、小さすぎず、この一国(美濃)を制したものが天下を制すると道三や信長に思わせた景色。

のぶなが
さて、残酷だったとも言われる信長氏。
でもあの時代、本当に彼のしたことがすべて残酷だったわけでもエキセントリックでもなかったかも……
敵将のしゃれこうべで黄金の盃を作って酒を飲んだのが残酷?

今の我々の基準で判断してはいけないのではと思う。
時々戦争をして、景気を取り戻していた時代なのです。
戦は景気を回復する手段だった……
人を殺すようなことが、と思われますでしょうか?
でも、あの時代、天災と病気と餓えで死ぬ人のほうが、戦で死ぬ人より遥かに遥かに多かった。
そういえば、日清・日露など戦争で景気が良くなったかの時代、太平洋戦争を始めたのは、やはり行き詰まった景気を回復したかったからだ(戦争をしたら、景気が良くなる!)とも。

のちの時代から、以前の時代を責めるのは、後出しじゃんけんですので、この件で、現代のわれわれの誰一人として、当時の人々の誰をも責める権利はない。
でも、反省材料にすること、そこから何かを学ぶことは大切なことだと思います。

さて、話は戻って。
戦をし、領土を広げる、そして民を潤す。
民が喜んで戦に参加したのは、戦の時は無礼講で、略奪や女を手籠めにするのは当たり前だったから。
そうでなくても、子どもの三分の一くらいは病気や餓えで亡くなっていたのでしょうから…
それが普通の暮らしだったのかも。
そういう戦国時代の民の暮らしを書いた本によると、武田と上杉の闘いが勝敗がつかなかったのは、つけなかったからなのだとか。
勝ちすぎても負けすぎてもいけない。適度に勝って、適度に負ける。
相手に体力を残すのは、また小競り合いをして、細く長く民を潤すためだとか。
勝ちすぎてしまったら、褒章として差し出す土地なども多く必要になるわけで……

そう、その中で、敵将のしゃれこうべは勝利の証だった。

比叡山の焼き討ちも……
あの時代の比叡山は、ひとつの大きな戦闘集団・政治的勢力だった。
つまり、宗教というよりも、信長にとっては、あるいは当時の他の人にとっても一つの別の国だったのかも。


そもそも信長は下戸だったと言います。
彼が酒を飲んで…というエピソードは全て嘘で、信長公記にはそんなシーンは一つも出てこない。
強い男=酒も強い、という後世のイメージが作り上げた「お話」なのです。
信長が茶の湯にのめり込んだのも酒が飲めなかったから。
彼の顔は、典型的な「弥生人」(この言葉の使い方にはいささか疑問があるけれど)とか。
「弥生人」はアルコール分解酵素が少ない種族で、それが現代の日本人にも繋がっている。
ちなみに全然酔わないあなたは「縄文人」(この分類もどうかと思うけれど)。

この国の王になろう(天皇になり替わろう)とした人物は歴史上に三人いると言われているけれど(平清盛、足利義満、織田信長)、そういう点では、世界を違う方向から見ることのできた人かも知れない。
平清盛も、宋との貿易をめざし、外国を意識することで、日本という「国」を意識した人。
義満はいささかイメージが違うけれど、織田信長もやはり世界を意識した人。

地球が丸いと宣教師に言われて、理屈ではなく直感で理解したというこの男。
のぶなが
ルーペ、望遠鏡、地球儀。伴天連たちがもたらす異国の様々なものや考え方。
摩訶不思議なものに動じず、確かめ、時に利用し、ただ役に立つものを選び取っていった。
それが時には残酷と思われるのかもしれませんが、やはり彼の人気は絶大ですね。


岐阜城には人がいっぱいいました。
ロープ―ウェイは高所恐怖症の私にはいささか辛かったですが…しかも上に上がってからも、結構歩きます。
お城は昭和31年に作られたもの。だから、何があるというわけでもないのです。
展示されているものも複製がほとんど。
でも、彼が見たであろう景色は……priceless……かな?

そしてこれ。
のぶなが
のぶなが
資料館に、彼の名前を冠した、もしくは彼が登場する本が並んでいました。
全部ではないのかもしれませんが、これを見ても、彼の人気が絶大であることが分かります。


そういう意味では、彼は天下を取ったのかも。
何しろ、子孫も繁栄しているし。家系図を見ると、ものすごいです。横にも縦にも…^^;
スケートの彼もいるけれど、そうそうたる流れが現代まで続いている。

そう言えば、実は濃姫というのは、最後まで信長についていったというのは後の創作。
公記では、16歳と15歳で結婚した……以後、信長が斎藤家を滅ぼして以降、まったく名前もでてこない。
実は、信長は、後家さん(というよりも一度は子どもを産んだことがある女性)を多く妾にしていたとか。
理由は、「産めよ増やせよ」で、一度産んだ女性は産まず女ではない、つまりまた子を作ってくれるという理由だったとか。

う~ん、興味はあるけれど、あまりお近づきにはなりたくない人かも。


さて、なぜ信長?
実は、いつか書きたいと思っている時代小説がありまして。
信長は直接出てこないのですが、おやかた様に恋していた少女の壮大なるお話。
秀吉と家康と利休は出てきそう。

そしてこちらが我が家の信長コーナー。例のごとく、二重になっています。
信長
いつか、きっと。
そう決意した、岐阜城からの景色でした。




星が見
さて、先日の記事でもできたこの写真。
似ていますが、実は別の写真です。
先日の記事の写真は去年の9月のもの。
この写真は、一昨日のもの。
そう、ここでこけて、その先を見ることができなかった私にとって、この向こうは未知の世界でした。
次回、石紀行【ついに見た!星ヶ見岩】(リベンジ・中津川)、少し準備にお時間を下さいませ(^^)


Category: 旅(あの日、あの街で)

tb 0 : cm 6