FC2ブログ
06 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 08

コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

NEWS 2013/7/12 TOKYO出張中/明治神宮とカラスのポー? 

DSCN1196_convert_20130711215532.jpg
高所恐怖症なのに、何の因果か25階に泊まっています。
外は見ない……でも、頑張って写真を撮ってみた。
右上のほうに古墳みたいに見えているのが明治神宮。行ったことなどなかったので、会議の合間にとりあえず行ってみました。
DSCN1223_convert_20130711215245.jpg
日本一大きい檜の大鳥居です。
DSCN1212_convert_20130711215348.jpg
何に驚くかと言うと……90%以上が外国人。わざわざこの暑い日中にここに来る日本人はいないと言うのも何となく分からないでもないけれど……それにしても日本語はほとんど聞こえてこない。
DSCN1229_convert_20130711214951.jpg
もっとも目を引いたもの。入り口近くにある一兎樽の奉納コーナー。そしてその向かいには……
DSCN1228_convert_20130711215022.jpg
ワイン? ウィスキー?
あまりの暑さに真面目に見ていませんでしたが、ワールドワイドだなぁと感心しながら歩いておりました。
更に別の参道入り口の近くにはポニーが。ニンジンあげてもいいよ時間があるらしく、子ども連れの家族がニンジンを持ってきていました。
DSCN1198_convert_20130711215719.jpg
そして、代々木公園の中には……

ん??
DSCN1253_convert_20130711214713.jpg
あ! カラスのポーだ! と一人で盛り上がっていました。(参考記事:カラスのポー(小説ブログ「DOOR」))
このカラス、今口開けていますが、啼いているわけではなく、なぜか口を開けて、ポーズをとってくれている。
で、ありがとう、ポー、またね!と手を振って立ち去ろうとしたら、かぁ~~~~~
うん、やっぱり賢いのかなぁ、カラスって。
DSCN1235_convert_20130711214835.jpg
公園の外の道、歩道橋へ上がる階段わきには、こんな芸術も。
DSCN1234_convert_20130711214805.jpg
東京って、ある意味本当に面白い。近年、よく友人と東京街散歩をしますが、本当に雑多、なんですね。
下町の横にでっかいビルの立ち並ぶこぎれいな新しい街、高速や車・電車のすごい交通網の横に整備された緑の公園。
新しいものも古いものもごっちゃ。歩いてみると、色んな顔がある。
田舎者には疲れますけれど……

と言うことで、東京街角散歩、でした(*^_^*)
さて、後は今日もひと仕事。それが終わったら、やっと解放されます。
いえ、夜まで会合・会議は続くのですが(残念ながら酒抜き……)。

今日も暑いんだろうなぁ。
皆様も、脱水にはご注意を。

Category: 旅(あの日、あの街で)

tb 0 : cm 4   

[雨65] 第12章 絵と女の来歴(4) 

第12章『絵と女の来歴』最終回です。少しずつ過去の出来事と現在が繋がっていきます。




 短い眠りを繋いで、いつの間にか朝を迎えた。
 真がぼんやりと、天井の染みが形を明らかにしていくのを見つめていると、足音と鍵を開ける音が続いた。また取調室へ連れて行かれるのかと思うと、署長の部屋に案内された。何かもっと具合の悪いことでもあったのかと思って、隣の制服の警察官の顔を見たが、何かを問いかける隙もなく、彼は所長室のドアをノックした。
 中から入れと声が聞こえてくる。

 ドアが開けられた瞬間、真は、これは事態が好転したのか、もっと悪くなったのか、どちらだろうと思った。
「ご迷惑をおかけしました」
 署長に頭を下げたのは、添島麻子刑事だった。
「いえいえ、特別な任務とあれば、予めお知らせくだされば、こんなご迷惑もおかけしなかったのですが」
 署長は、多少嫌味の篭った気配でそう言った。

 添島刑事は、ぼんやりとしたまま事態を飲み込んでいない真の腕を引っつかむと、さっさと部屋を出た。真は引きずり出されて、どうとも返事もできないまま、彼女に従った。
 外は明るく晴れていて、気分のいい空気だった。

 警察署の駐車場には、添島刑事の青いベンツが停まっていた。
「馬鹿」
 彼女は助手席の扉を開けると、真に乗るように促した。真は逆らうこともできず、素直に乗り込んだ。
「一体どうしてここへ」
 真は運転席に乗りこんだ添島刑事に、やっとの事で当たり前の質問をした。
「こっちが聞きたいわよ。まさか糸魚川まで来る気だとは思わなかったわ」

 添島刑事はベンツを発進させた。これは彼女のプライベートな車だろうから、彼女がここに来たのはあくまでも『私用』ということだ。
「どこへ」
「東京に帰るに決まってるでしょ。世話を焼かせないで」
「どうしてここに」
「私だって来る気はなかったわよ」

 添島刑事は赤信号で停まると、やっと真のほうを見た。
「どうしてそんな無茶を思いつくの?」
「無茶をしたわけではありません」
「そうかしら。もうちょっと上手く逃げ出せる方法はあったんじゃないの?」
 それはそうかもしれない。
「レンタカーを借りたままだ」
 情勢が悪くなりそうなので、話の向きを変えてみたが、あっさりと返事を返された。
「返しておいたわ」
「それは、どうも」

 添島刑事は無言のままアクセルを踏んだ。糸魚川から一刻も早く出たいような気配で、アクセルの踏み込み方は警察官というより暴走族のようだった。
「ここまで車で?」
「歩いてきたように見える?」
「見えないけど」
 ここまで車で四時間半、彼女は朝一番から叩き起こされて何か言われたのだろう。機嫌が悪くて当然とも思えた。
「それで、どうしてここに?」
 この当たり前の質問の繰り返しが、彼女を怒らせるような気はしたものの、一応聞いてみる。沈黙のほうが気まずいせいもあった。

「昨日、美和さん一人東京に帰したでしょ。彼女から電話があって、事情があって九州へ行くけど、あなたのことをよろしくって言われたの。放っておこうと思ったら、昨日のうちに、あなたの前科やら仕事について糸魚川署から問い合わせがあって、取り調べられているって言うじゃない。大体、美和さんと一緒にいなさいって言ったのに、勝手なことをするからだわ、と思って無視していたら、今度は早朝から総監にお呼び出しを食らったのよ」

 真は添島刑事の横顔を見て、やっぱり怒っているな、と思いつつも聞いた。
「澤田代議士が、何か」
「あなた、澤田が自分を助けてくれたと思ったの?」
 運転を続けたまま、彼女がちらりと自分を見た。
「まさか」それ以上は言葉にならなかった。「申し訳ない」
「何が」
「だから、つまりあなたはここへ来るように命じられて、不本意ながらやって来た」
「その通りよ」

 添島刑事はぶっきらぼうな声でそう返事をしてから、暫く間を置いた。それから一つ溜息をつくようにして、先を続けた。
「でも、もっとショックだったのは、朝倉武史が昔と違って見えたこと」
 やはり、彼女にここへ来るように仕向けたのは、父だったのかと思った。
「どういう意味ですか」

「ICPOにいた頃、ロンドンで一度だけあなたの父上に会ったわ。張り詰めた、氷のような男だった。仕事を冷徹にこなし、一人で戦っている男だった。噂も、会った本人も、そういう男が尊敬できるとか格好いいとかいうレベルじゃなくて、こういう男は遠くから見ているだけでいい、と思った。ところが、今日会った男は、相変わらず冷たい表情をしているのに、何だか随分老いたように見えた。氷のような塊を胸のうちに持っている男だと思っていたのに、そこから滲み出ているのは、何だか息子が愛おしい、っていう、父親っぽい情愛に見えた。あんな人種には、随分安っぽい感情でしょ。そんなものを持った途端に、身を滅ぼす世界に生きているのよ。合法にしても非合法にしてもヤクザのような組織に属している人間が、そういう感情を持った途端に、後ろからドスンってやられる場面を何度も見たわ。何だか哀しい気分になって、こんなところまで来る破目になったのよ」

 真は焦点の定まらない前方を見たまま、今の添島刑事の言葉を頭の中で反芻していた。
 父親の情愛? まさか、あの人にそんなものがあるとは思えなかった。
 彼女が見たものは間違いだろうと思った。そして、間違いであって欲しいと思った。何故、間違いであって欲しいと思ったのか、それは自分でもよく分からなかった。

「少し眠ったら? どうせ、留置場の汚い布団の上じゃあ、よく眠れなかったでしょ」
「いや、途中で運転替わります」
「冗談。寝不足の人に自分の車を任す勇気はないわ」
 それもそうだ。愛車というものを持つ人は、自分の車を他人に運転させない。竹流も、何台かある車のうち、テスタロッサだけは絶対にキィを他人に渡さない。

 真は暫くの沈黙の間に、後ろめたい気持ちを押し込めようと努力をしてみたが、無駄だと思った。
「あの」
「何?」
「寄って欲しいところがあるんだ」
 添島刑事は暫くそのまま運転していたが、そのうち車を左に寄せて停めた。川べりで、遠くのほうで電車の音が聞こえていた。
「あなたのセンチメンタルな気分につき合って来いとは言われてないわ」
「分かってます」
 行き先など知れているだろうと思った。糸魚川に関係して、真が行きたい場所などひとつしかないのは、添島刑事も分かっているだろう。

 河川敷を体操服姿の学生の集団が、掛け声と共に走り去った。
 添島刑事は大げさに溜息をつくと、また暴走族なみの気風の良さで、車を反転させた。
 添島刑事もここに来て、その場所を聞いていたのかもしれない。あるいは、始めから真が行きたがることを分かっていたのかもしれない。気恥ずかしくて、聞く気にも礼を言う気にもなれなかったが、心のうちでは有り難いと思っていた。彼女が竹流の女だから、真に優しいのかどうかは分からない。だが、これは彼女の性質なのだろう。いかにも、竹流が好みそうな気の回り方だった。

 辿り着いたその場所は、公園になっていた。
 公園といっても、ただ木が繁っている散歩道といった場所だった。犬を伴った老夫婦が見えた。田舎だし、犬などその辺で走り廻っていても良さそうだが、ああやって夫婦の会話を楽しんでいるのかもしれない。
 二十三年前に、まだ決して老いてはいなかったはずの夫婦が、死を選んだ場所には見えなかった。

 車を降りて、真は暫く道の反対側の木々を見つめていた。添島刑事は車の中に残っていたが、暫くするとエンジンが止まる気配がして、彼女が後ろから声をかけてきた。
「缶コーヒーでも買ってくるわ。あなたも飲むでしょ」
 そう言って、真の返事を待たずに添島刑事は歩き去っていった。買うと言っても周辺に店など見当たらなかったし、彼女も当てがあったわけでもないようだった。彼女なりの気遣いだと思うと、更に有り難いと思う半分で、ますますこの女を恋人にした男の好みが現れているようで、複雑な気分になった。

 真は道路を渡って、その敷地に入った。
 敷地は、もと旅館だっただけあって、一見ではどのくらいの広さなのか分からなかった。隣の敷地は畑で、さらに隣には古い家屋が建っていた。公園の反対隣は舗装のされていない道が奥へ伸びている。敷地を囲むように、古い竹の柵が巡らされていた。それでも、二十三年前のものとは思えない。

 ここで、小さな頃の深雪はどんなふうに育っていたのだろう。深雪の顔立ちからも、多分上品で美しい娘だったのだろう。その娘に突然に襲い掛かった両親の犯罪と自殺。それを招いた新聞記事。
 もしも深雪が、それを書いたのが澤田だと知っていたら、澤田に復讐をしたいと思っただろうか。そして、自分と同じような境遇の、かつての恋人の娘に対してはどんな思いでいるのだろう。

 ふと見上げると、木々は枝を重ねて、その隙間から暖かい光が降り注いでいた。梅雨の季節だったが、ここは東京とはまた違った気温と天気を持っているのだろう。鳥の声と、向こうで犬の吠えている声、目を閉じると風が木々の葉を震わせる音が幾重にも重なり、真の感情ごと包み込んでいる気配がした。
 深雪を、もっと知っておけばよかったと、心から思った。
 美和に申し訳ないと思う気持ちも、一緒に沸き起こった。
 そして、自分の腹の奥のほうにある欲望にも気付かざるを得なかった。深雪でも、美和でもない。今何故これほどに飢えているのか、その核が何なのか、木々の隙間から降りおりてくるような気さえした。

 生きている彼に会いたかった。そして彼自身の口から、一体何故こんなことに巻き込まれたのか、自分自身を犠牲にしてまでも何を守りたいと思っていたのか、聞きたかった。

「どうぞ」
 どれほどの時間が過ぎていたのか、真は添島刑事のよく通る声で我に返った。
 添島刑事を見た瞬間に、真自身とは何の関係もないはずの彼女の声と存在に、安堵している自分に気が付いた。真は添島刑事から缶コーヒーを受け取り、一緒に少し歩いて公園の中の朽ちかけた色合いのベンチに座った。
 コーヒーは甘ったるく、冷えてはいなかった。それでも、胃に染み渡るとほっとした。

「あなたを練馬インターの近くで降ろすわ。彼の仲間のところに行って、一緒にいなさい。くれぐれも彼のマンションやギャラリーに近づいちゃ駄目よ」
 真は思わず添島刑事を見つめた。
「俺を連れて来いと、言われているんじゃないんですか」
「だから、逃がすと言ってるのよ」
「あなたが困るのでは?」
「本当は河本だって、あなたを総監に渡すのは本意ではないのよ。糸魚川から余計な報告があって、あなたの父親や河本が口を出したので、総監も何事かと思ったみたいだけど、煙に巻いてしまいたいのは河本も同じよ」

 真はもう一口コーヒーを飲んでから、尋ねた。
「何故急に警察が動き出したんですか。俺が糸魚川で留置場に入れられていただけではないですよね。竹流のマンションに近づくなって」
 添島刑事もコーヒーを飲んでから一つ息をついて、先を続けた。
「数年前の事件の証拠物件が盗まれて、その事件で死んだ男の娘が誘拐されたのよ」
 真はまた無遠慮に添島刑事を見つめた。
「それは、新津圭一のことですか」
 添島刑事はコーヒーを飲み干して、頷いた。

「娘が、見つかったんですか」
「どういう意味?」
「そもそも新津圭一が自殺した当初に、その千惠子という娘が預けられていた施設は地上げでなくなっているって」
 よく知ってるわね、という顔で添島刑事は真を見つめ、それから気を取り直したように説明した。
「その後、新津千惠子がどういう経緯で今の施設に預けられたのかは分からないけど、その施設からその子がいなくなった」
「でも、それでどうして竹流が関係するんです? 彼のマンションに近づかないほうがいいっていうのは」
「寺崎昂司が容疑者なのよ」

 真は混乱して添島刑事をまた見つめた。
「警察が聞き込んだら、寺崎が運送屋として大和竹流のギャラリーに出入りしているのがわかった。それで関係者として大和竹流に事情を聞こうとしたら、本人も行方不明、しかも病院から失踪している。その上、大和竹流が外国人で、六本木や新宿界隈の外国人の元締めに突っ込みを入れたら、そいつらが一様に彼を庇う気配を見せた。こいつもとんでもない悪党だな、そういえばキナ臭い噂もあるじゃないかってわけでしょ。その上、つい最近、寺崎を大和竹流のマンションの近くで見たという目撃証言まで出たのよ」

 真は事の展開についていっていないな、と思った。だがそれは、添島刑事自身も同じようだった。
「今夜、どこかで会いましょう。車を換えてくるから」
「車を換える?」
 添島刑事はちょっと息をついて立ち上がった。
「一旦総監にも河本に会わなければならないし、あんまり帰りが遅いと向こうも勘繰るでしょ。それに私の車は目立つし、何よりどこに盗聴器があるとも知れないし」
「総監があなたを疑っている、という意味ですか」
「そうじゃないわ。河本が私を信用していないのよ。大和竹流の女だから」

 真もコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「事務所も危険よ。分かってるわね」
 赤坂の近くの国道でピックアップしてもらう約束をして、彼らは車に戻った。

 添島刑事は無言で運転を続けていた。高速の車の流れは極めて順調で、真は外の景色を眺めながら、時々は目を閉じ、時には不意に添島刑事の横顔をちらりと見たりした。
 確かに、竹流の趣味はかなりいいと思う。自分にはあり得ないタイプの女ばかりだが、世間からはかなり羨ましがられるような女ばかりだ。他にあと何人くらい恋人がいるのだろう。彼女たちは皆、自分が何分の一であるかを知っているのだろうか。

 真は、一度納まってしまうとなかなか体勢を変えづらいシートで少しだけ外のほうへ身体を向けて、目を閉じた。
 それでも、想いを等しくしている人間の側は、決して居心地が悪いわけではなかった。
 自分だけではない、彼女もまた、彼が置かれている状況をより深く知っているだけに、今直ぐにでも彼に会いたいと強く願っているのだろう。






次回から第13章『街の色』です。
糸魚川から東京へ戻った真は、以前勤めていた調査事務所があった六本木へ。
そこで竹流を探す外国人の動きを知り、元締めを訪ねる。その男たちとは過去に因縁があった。
さらに、添島刑事からは新しい情報が。
そして竹流の仲間であり、彼を想うゲイバーのママ・葛城昇と複雑な感情のやり取り。

事件の渦の中に少しずつ巻き込まれていく真。
遠巻きにしていた真実が近づいてくる。

Category: ☂海に落ちる雨 第2節

tb 0 : cm 8   

NEWS 2013/7/10 トーナメント参加/出張のご挨拶 

DSCN1190_convert_20130710050001.jpg
(仕事中、床に資料が散らかりまくり)

にほんブログ村のトーナメントに面白がって記事を出してみたら、旅行や風景のものはことごとく1回戦で消えてしまいました^^;
石なんか誰も見向きもしてくれなかったのね、とか、津軽の風景は地味だったのね、とか、あれこれ思いつつ。
今度、桜トーナメントがあったら、性懲りもなくまたチャレンジしてみよう。弘前城の桜で。
オリジナル小説書いてみたよトーナメントは1回戦は取りあえず生き残ったらしいです。
【清明の雪】です。
ま、雪だけに、すぐ消え行くのだろうけれど……^^;
季節感もずれてるし。この暑い時に…ねぇ。

今日から東京出張です。
今はその準備に追われています。
予定外に増えた仕事のため、まだpresentationと講演の原稿が最後までできていなくて、微妙に追い込まれ中。

最近、新幹線がとても良い仕事場になっています。
何故かはかどる。追い込まれているからか、それとも意外に人の目のあるところのほうがはかどるのか。
図書館とかで勉強がはかどるのと同じかな。

そう言えば、昔、PCでそのままpresentationができなかったころは、スライドは原稿を写真屋さんに出して作ってもらっていたので、ぎりぎりまで手直ししたり、新しいスライドを作ったりなんてことは出来なかったのに、本当に便利な世の中になりました。
30分前までまだ頑張れる!
最近の座右の銘は「最低の努力で最大の効果を」
でも、昔、「(行きの)飛行機の中で、スライド、手書きで作ろうかな」と言っていた強者の先輩がいたなぁ。
人間、追い込まれるとなんでも考える。

スポーツと音楽の世界には全く通用しないので、上記の格言?は三味線には使えませんが。

ということで、いつも出張の夜は飲んだくれている夜の会合があるので、あまり書き物は進まないのですが、PCと連れ立って行くので、何か少しでも進むといいなぁと思います。
取り合えず乗り切る!

ちなみに、今日は会議だけなので、夜は時間があって、幸いに採れたチケットで大泉洋ちゃんの舞台を観てきます。帰りの13日はまた別の舞台を見る予定。
出張をイベントで挟んでみました(^^)

では、また追い込みに入ります。
良い1日でありますように!

Category: NEWS

tb 0 : cm 4   

[雨64] 第12章 絵と女の来歴(3) 

カント オロワ ヤクサクノ アランケプ シネプ カ イサム
真が辛い時にはいつも呪文のように唱えていた言葉。
子どもの頃の唯一の友人であったアイヌ人の老人が真に遺した言葉です。
【清明の雪】からもったいぶってずっと意味を書かずに来ておりました。
いえ、もったいぶっていたわけではないのですが、結果的に今になってしまったのですね。

この回はギュッと、あれこれ絡んでいる人間たちの横顔のシルエットくらいが並んでいそうです。
そしてまたいささかセンチメンタルな真にお付き合いください。
この人、実際にセンチメンタルかどうかは不明ですが。




 何年何月頃、どういう人物が尋ねてきたかを、後から聞いてまとめた調書のようだった。真は刑事を一応睨んでおいてから、書類に目を向けた。
 一行目から、真は驚かされた。表情に出なかったかと思って、思わず間を置いてから刑事の顔を見たが、向こうは気が付かなかったようだった。

『昭和五十一年五月頃、男、外国人、身長百八十センチ、くすんだ金髪、年齢三十歳から三十五歳、保険の調査員』

 たったこれだけの説明で竹流だと決め付けるのもどうかと思ったが、この事件に似たような外国人がそうそう絡むわけがなかった。どれほど前のことであったとしても、彼の痕跡を見つけて、少しだけ落ち着いたのも事実だった。
 真は調書を取り上げて目を通した。

『昭和五十一年六月頃、男、日本人、身長百八十センチ、年齢三十歳から三十五歳、質実剛健、保険の調査員』

 竹流と似たようなイメージで日本人の男となると、今行方が知れないという寺崎のことだろうか。竹流と別々に来たということは、やはり何か複雑な事情があったのだろうか。

『昭和五十二年三月頃、女、日本人、身長百六十センチ、年齢三十歳前後、両親を探していると説明』

 こうしてわずかな単語の羅列の中に、自分と関りのある人物の表情や気配が浮かび上がると、意外にも自分が何かの真実に近づいているような気がしてきた。そうという確信はないはずなのに、深雪の顔が浮かんでいた。

『昭和五十二年十月頃、女、日本人、身長百六十五センチ、年齢二十台後半、新聞記者、両親は糸魚川の出身で自殺しているはずだと説明』

 人間は、完全な嘘をなかなかつき通せない。あの気の強そうな気配の楢崎志穂も、記者という部分ではいい加減なことを言えなかったのだろう。それともそれが彼女の誇りだったのか。新津圭一を尊敬していた、というのは、恐らく心からそう思っていたのだろう。
 だが、彼女はどうやって自分の過去を知ったのだろう。

『昭和五十三年四月、女、日本人、身長百六十センチ、年齢三十歳から三十五歳、法律事務所調査員、依頼人の両親について調べていると説明』

 この辺りから、かなり怪しいと思い始めたのか、似顔絵がついていた。知らない顔つきの女だった。しかし、かなりの美人で、右目の下の黒子が妙な色気を醸し出しているように見える。強い印象を残したのか、モンタージュ写真にあるような曖昧なムードはどこにもなく、似顔絵は妙にはっきりとした顔つきに仕上がっていた。

『昭和五十三年五月、男、日本人、身長百六十五センチ、年齢四十歳前後、公務員、義理の娘の両親とその祖父母について調べていると説明』

 これも知らない顔だった。曖昧な印象が伝わってくる、特徴の少ない顔だが、どこか気配を消したがっている人間たちに共通のムードを感じる。目つきだろうか、あるいはわずかな口元の気配なのだろうか。似顔絵を作成した誰かが、顔の特徴よりもそういった気配を写し取る技法に慣れているのだとして、だが。

 だが、確かにこれだけの数の人間が来ていれば、警察にも知らせたくもなるだろう。
「どうだ。知ってる人間はいるべ」
「いえ、これだけでは何とも言えません。それより」
 話を二十二年前に向けようとすると、刑事は机をばん、と叩いた。
「ちゃんと見るべ」
「見ました。しかし、はっきりと私が知っていると思われる人物はおりません」
「あんたの依頼人は、いるんじゃないのか」
「ですから、依頼人の事は言えません」

 結局は堂々巡りだった。真のほうもだんだん腹が立ってきて、刑事もいらいらしてきたのか、いささか小競り合いのようになり、ちょっとした言葉のやり取りが胸倉を掴まれた途端に不意に身体の接触になり、まるで待っていたようにいちゃもんをつけられた。
 いわく、公務執行妨害、らしい。険悪なムードのまま、留置場泊りが決定した。
 逃げる気もないので、どこかホテルにでも泊まらせろと言ったが、そのうち、そこまで言うならこっちから泊まってやる、くらいの気分になっていた。
 いや、どうあっても帰すつもりがないのはありありと伝わってきていた。
 
 明日こそ突き止めてやる、とどっちが刑事かわからないような決心をして、取調室よりも狭い留置場の、文字通り煎餅のような布団に横になった。文字通りのものを見るのは久しぶりだった。幸い、食事にはありつけた。あまりにもありがちなことに、ただの丼だったが、カツは入っていなかった。

 不自由なのは煙草だけだな、と思いながら天井を見つめていると、その隅の黒いシミが気になった。古い建物なのだろう。
 美和は今夜のうちに夜行で九州に行くと言っていた。
 別れ際に彼女は、先生、ちゃんと来たから安心してね、と言った。生理の話だった。

 確かに、安心したというのが本音だった。責任をとる能力の問題よりも、やはり自信がないのだろうと思った。
 彼女には親になる自信がないと言ったが、それは格好良すぎる言い訳だった。本当はもっと単純なことに、北条仁と決闘する自信がないのだ。勝てる、勝てないというよりも、可能不可能の問題であるような気がした。
 そういう意味では、一時の気の迷いとしてお互い忘れてしまうことができる、という状況が、彼女の生理と一緒にやってきたというのは、好ましいことのようだった。

 俺は、実際のところ、卑怯な男だと思った。経済的にそれほど裕福でないにしても、女と子どもくらい養っていけないわけではない。だから、恐らくは女を幸せにするつもりがないのだろう。
 それでも、このあまり清潔でない布団の上では、最後に触れた彼女の髪の匂いや感触が、まだ手や鼻に残っているような気がして、それはそれで悪い気はしなかった。

 そう思いながら天井のシミを見つめた。だんだん薄暗くなっていく時間の闇に、そのままシミも消えるように溶け入っていく。子供の頃から、自然の闇が訪れるこの時間に、ある一点を見つめているのは、好きだった。小さな頃は、それはいつも牧場の厩舎の藁の中から見る天井だった。

 草食動物である馬たちは、立ったまま極めて短いスパンの睡眠を繰り返している。彼らと一緒にいる時間が長かったからか、真もいつの間にかそういう睡眠のくせがついていた。
 いつも彼らは自分を守ってくれていて、時々その鼻先で真のいのちの気配を確かめてくれているような気がしていた。夏であれば祖父母はそのまま放っておいてくれることもあったが、大概は真夜中に起こされて部屋に連れ戻された。

 祖父の背中に負われて厩舎から出た瞬間に見上げていた、更に高い天井に散りばめられた大天界の星。
 あの星々を思い起こすと、どうして自分はあの穏やかな世界を捨ててきてしまったのだろうと思う。最後にあそこへ帰るチャンスを捨てたあの時を、今もどこかで後悔しているのだろうか。

 ふと、小さな頃に曽祖父の残した蔵書のアンデルセンの物語をこっそり読んだ日の、言われもない恐怖を思い出した。
 真を育ててくれた祖父母は、格調高い海外の文学などは異次元の物語と思っていたのか、真への子守唄代わりは、あくまでも民話と民謡だった。

 相川の一族は、歴史を辿ると高知の坂本龍馬の甥である直寛が北海道の地に入植した際には主従関係であったようだった。その後どういう事情か行動を別にして、今の浦河に落ち着いた。
 曽祖父は直寛と同じクリスチャンだったが、その子供たち三人は、真の祖父の長一郎を含めて誰も洗礼を受けなかった。特に祖父は、若い頃に蝦夷の歴史やアイヌの風俗に傾倒し、東北や北海道の風土をこよなく愛した。
 三男の弘志がアイヌ人の娘を嫁にしたいと言ったとき、長一郎が周囲の反対を理解しながらもその結婚を受け入れたのは、彼自身の思想や理想に感情が横槍を入れることをよしとしなかったからなのだろう。

『あなたは先住民族との共存という理想を語りながらも、いざ結婚となると、それは話が違う、というわけか』
 そのアイヌ人の長老の言葉に、祖父は意地でも応えたかったに違いない。

 ただ、真が混血といういうことで受けてきた孤立感を傍で見ていた祖父母が、それなりに苦しんでいたことは、真も、弘志もよくわかっていた。
 それでも、真は弘志の嫁になった女性を好きだったし、側で見ていて彼らが幸せになろうと懸命に闘っている姿には憧れの気持ちを抱いていた。
 だが、一方では、自分の両親が何故、叔父夫婦のように、息子も含めた幸せに対して貪欲に希望を抱いてくれなかったのか、それを思うと孤独感が募ることも事実だった。
 祖父は、三男夫婦が真を養子にしたいと望んでいると聞いたとき、真に決めさせろ、と言ったという。

 複雑な祖父の感情は、とりあえず海外の文学などもってのほか、というような教育方針となって幼少期の真に降りかかっていた。真自身も、近くに住むアイヌ人の老人のところが唯一の遊び場となり、今自分が生きている周囲の世界をありのままに受け入れること、そして生物にも無生物にも、この世にある全てのものには神が宿っていることを学んだ。

 だがその一方で、曽祖父の蔵書の背表紙の格調高い香りは、ほんの少し憧れにも似た気分を起こさせた。
 あの時、自分は一体いくつだったのだろう。あの本は絵本ではなかったから、それが読めたということは、小学生にはなっていたはずだ。だが、イメージの中に浮き上がった自分自身は、随分幼かった。

 明らかに子供向けの本ではなかったので、内容をよく理解できていたわけではなかった。
 しかし、人魚姫の物語を読んだ時、恐ろしくて震えてしまい、その日は出された食事まで吐き出してしまった。
 愛する者の為、美しい声と穏やかな海の底での暮らしを捨てて、人間の姿となりながら、やがては愛を成就できずに海の泡となってしまう物語の、哀しい残虐性を、真は敏感すぎるほど敏感に汲み取った。
 その本には挿絵があって、最後のページには、泡となって消えていく妹を、哀しげに見遣る人魚たちの儚い後姿が海に浮かんでいた。

 幾晩もその物語が頭の中を巡って眠れず、怯えて夢の中でも泣きじゃくっている子供を、祖父母はどうしたものか持て余していたのだろう。彼らが呼んでくれたのか、アイヌ人の老人が訪ねてきてくれた。それから彼とどんな話をしたのか、真自身は覚えていないが、彼は暫くの間真の側にいてくれた。

 だが、彼が帰っていく日に言った言葉だけは、今も耳の奥に残っている。
 カント オロワ ヤクサクノ アランケプ シネプ カ イサム

 彼は、飛龍がお前を守ってくれる、とそう言った。彼が亡くなったのはそれから間もなくのことだった。
 それなのに、飛龍が迎えに来てくれた時、真はついていかなかった。自分を守ってくれると予言されたものを拒み、別の手を取ったのだ。
 あの瞬間から、運命は人魚姫の物語のように残虐な結末へ向かって転がり始めたのかもしれない。今更、どうしても元には戻れない。

 そして今は、その別の手さえ、ここから失われようとしている。
 三年半前。竹流はこの新潟で何をしていたのだろう。その前の年、確かに彼はソ連に出掛けていた、そしてイコンを追いかけて、ウクライナで何かがあって、彼は新潟にやって来た。

 深雪の過去だけではなく、竹流自身の過去も、真はすっかりは知らなかった。一緒に住んでいる今も、彼の生業の半分も知らないのではないかと思う。確かに、竹流の実家に連れて行かれたことはある。田安から彼の実家の事情を教えてもらったこともある。しかし、実感のない話だった。
 どれほど竹流の実家が複雑な事情を抱えた立派な家であろうとも、それが今の彼をどのように定義づけているのか、彼にとってそういった事情や仕事と、そして沢山の仲間や女たちはどういう意味を持っていて、その中で自分は、一体彼にとってどういう存在なのか、言葉で確かめたことは一度もない。

 せめて、背中の火傷のことくらい、知っていてもよかった。

 天井のシミはもう闇の中へ消え入っていた。
 真も短い眠りに落ち込んでいった。

 カント オロワ ヤクサクノ アランケプ シネプ カ イサム
 それは、天から役目なしに降ろされたものはひとつもない、というアイヌの言葉だった。






言ってしまえば簡単な言葉ですが、大切な大切なアイヌの教えです。
だから彼らはイヨマンテでクマを天に送り、自然のもの全てに神を見出し、自分たちもまたその一部であると考えるのでしょう。
全ての生きとし生けるもの、あるいは物であっても、意味があってこの世に天から降ろされたのです。
アイヌの老人は真に、お前もそのひとり(ひとつ)であると告げていたのです。

次回は、竹流の恋人(のひとり)、添島麻子刑事と真のやり取りです。
お楽しみに。

Category: ☂海に落ちる雨 第2節

tb 0 : cm 1   

[雨63] 第12章 絵と女の来歴(2) 

弥彦の役場に勤める江田島という男。
一見物腰の柔らかそうな、しかし融通の利かなさそうな男。
怪しいと言えば怪しいし、そうでもないと言えばそうでもない。竹流のことを知っているようではあるけれど、美術界で名前を知っているという程度のニュアンスのようでもある。
さて、手掛かりになったのかどうか。
美和の推理は直感的ですが、意外に役立つ女の直感。
では、糸魚川へ参りましょう。





「あの人に掛かると、有名な画家も『なんだ、それだけのもの』って感じですね。でも、ちょっとフェルメールを、なんて言うのか、わざと下げて言っているみたいな」
 村役場を出た途端の美和の感想は、真の足を止めさせた。
「下げる?」
「好きな女を苛める、みたいな感じかな?」

 真は美和の観察眼にまた多少驚いた。
「そういうものか?」
「仁さんみたいに、すぐ恋愛モードで測っちゃうのかな?」
 そう呟いて、美和自身、あ、と小さく口の中で呟いて黙ってしまった。
 真は聞かなかった振りをした。美和の心の中で、仁の存在が消せるわけはない。そのことは真も、誰よりも美和自身がわかっているはずだった。
「でも、大家さんの事、芸術家って言ってたね。日本では修復師の地位は低いって、大家さん言ってたけど、その道の人にはその道の見え方があるんだ」

 真はレンタカーの鍵を開けて、美和に乗るように促した。
 小さな村役場には不似合いなほどの広い駐車場には、停まっている車の数も少なかった。広い空間に、広い空、そして遠くはない海の向こうに、確かに江田島の言うように大国がある。
「でも、下げるっていうのはどういうことだろう?」
 運転席と助手席に収まってから、真は美和に問いかけた。

「つまり、好きだって事を知られたくないってことじゃないの? あの人、努めて穏やかそうに話してたけど、きっと内面は激しい人なのよ。自分は田舎の村役場なんかに納まっている人間じゃないって。だって苦労してお金貯めて、フランスにだって留学してたんでしょ。それなのに、家の事情でこんな田舎町に帰ってこなければならなかった」
 真は美和の顔を見つめた。
「それも、文章教室のトレーニングの一環か?」
 美和は、やっと少し微笑んだ。
「そうね。ちょっと深読みしすぎかな」
「いや、いい線を行ってるかもしれない」

 しかし、だからと言って、彼が竹流をさらっていたぶっただろうか。修復師としての、芸術家としての彼の才能や、努力して手に入れたものに嫉妬した、などという事があるだろうか。男の仕事に対する嫉妬は凄まじいものがあるとも思うが、そこまでするのはよほどの事だ。江田島には竹流に対して暴行をするような、ある種の狂気の気配が感じられない。

「これからどうするんですか」
「糸魚川に行こうかと思ってる」
 美和はロードマップを広げて小さな悲鳴を上げた。
「糸魚川ってずっと端のほうじゃない」
「新潟まで送るから、先に東京に帰っていて構わない」
 美和は少し黙っていた。それから、一息ついて言った。
「また追い返す気ね」
「そうじゃない。大分に行ってくれるんだろう。先に戻って調べを進めておいてもらえると有り難い」

「私を一緒に行かせたくない理由は何?」
「別にない」
 美和は、今度は心配そうに真を見つめていた。考えてみれば、真を一人にしないようにと添島刑事に言われて、美和はここまでついて来たのだ。誰が敵か分からない中で、さっきのように相手に警戒心を抱かせるようなことを言ってしまうのは、何かの瞬間に、真の中で歯止めの利かない感情が膨れ上がるからだろう。それを、美和は心配しているのだ。

「深雪の、生まれ故郷なんだ」
 美和は、さすがに驚いたような顔で真のほうを見た。
「もっとも、彼女が記憶しているかどうかはわからない。それに、彼女に妹がいたというのも、本当かどうか確認したい。昔のことを知っている人間がいるかもしれない」
 美和は暫く黙っていたが、それからまた小さく溜息をついた。
「無理しないでね」
「君も」

 小さな間の後で、美和は助手席から少し身体を乗り出すように、真の肩に自分の頭を乗せ掛けた。真も少しの間をおいて、彼女の頭を抱き寄せた。
 もしも、美和が妹か従妹か、せめてそういう関係ならば、今こんなに愛おしいと思う存在はないだろうと思った。そう思えば、妹というのは真には必要な言い訳だったのだ。
あんなに愛おしいと思えた葉子の手を、握りしめられなかったのではない。妹という言い訳に安心して、握りしめようとはしていなかったのだ。


 真にとって、この道は遠い道だった。
 真は、自分が深雪の事をどこかで諦めていないことを感じていた。それが愛情の度合いを測るものではなく、ただその身体に対する執着の表れかと思うと、自分ながら浅ましい気がした。
 目一杯の言い訳を探してみれば、ただの欲望の捌け口を求めているなら、その時々の行きずりの相手でも良かったわけだし、美和と寝るまでは、ここ何年も彼女以外の女と寝たこともないのも事実だった。勿論、ただ身体の相性の話をすれば、これまでにも彼女ほどに自分を喜ばせてくれる女が他にいたわけではない。

 それでも、結局、それだけにしてしまいたくない自分がいて、その自分は彼女との関係に対して理屈付けを求めていた。りぃさがあんな形で亡くなってから、誰かの心のうちに深く入ることに恐怖を感じていたのも事実だったので、深雪の心の奥にあるものを知るのが怖かったのかもしれない。
 深雪のうちにある哀しい魂が、時々真自身の中の何かに反応しようとすると、それを見つめてはいけないような気持ちになっていた。それでも、二年近くも彼女と、内容はともかく付き合ってきた。その相手に対して何の感情も持っていないわけではない。

 澤田と深雪の愛人関係は、政敵や世間が作り上げたでまかせであろうと思っている。そんな政治家を許すほど世相も甘くはない。だが、彼らの間に何の感情もないとは思えない。
 そしてまた、真の気持ちを乱したものの中に、新津圭一の名前があった。

 深雪の恋人だったというその男が、実際に深雪とどのような時間を共有し、思いを語り合い、そして抱き合ったのだろうと思うと、不意に眩暈のような感覚が襲ってくる。それが嫉妬なのかどうかはわからないが、自分にも関係のあることのように思えてならなかった。

 もちろん、香野深雪が相川真を愛していると思うのは、真の思い上がりに過ぎない。
 だが、彼女が何かのサインを真に向けて送っていたかもしれず、それに真は気が付いていなかったのかもしれないのだ。彼女の身体も美しい顔も思い出せるのに、彼女自身である何か大事なものを、どうしても思い描くことができない。深雪の過去も何も知ろうとしなかったし、彼女の心の声に気持ちを向けることもなかった。
 それは、今まで真にその動機を与えてくれるものがなかったからだった。一番あり得た動機は、愛だった。だが、それが真の中になかったのだ。
 深雪の生まれた町に行って、それから彼女にもう一度会いたいと思った。


 糸魚川に着くと、まず市役所に向かった。
 そろそろ今日の仕事を切り上げようかという時間帯で、真以外の一般人は数人を数えるのみだった。人を捜している旨を伝えると、背の低い人懐こそうな男が、真を雑然とした奥の方へ誘って、低い小さいテーブルの前のソファを勧めた。
 市役所というよりは、村役場といった穏やかな気配に包まれた空間だった。人々は机の上の書類と向かい合っているが、本当に忙しいのかよくわからない。時々、ちらちらと自分の方を窺っているのがわかる。東京では面倒くさそうにされるような用件でも、こうやって丁寧に相手をしてくれるのは有り難い気がした。

「お待たせいたしました。人を捜しておられるとか」
 今度は身体の大きい男が現れて、真の前に腰掛けた。人工革張りのソファは軋んだ音を立てた。身体の割には目の小さい男で、熊のような印象を与える。
「実は」真は素直に調査事務所の名刺を差し出した。「ある女性から依頼を受けて、彼女の両親を捜しています」
「はぁ」
 意味のない声を発して、男は頷いた。胸元の名札には、寺島とある。
「彼女のご両親は、この糸魚川で旅館をされていたと聞きます。実は自殺なさったようで、そのことは彼女も知っているのですが、ぜひ詳しく両親の事を知りたいとおっしゃるのです」

「自殺を」
 寺島は確認するように、しかし抑揚無く、その言葉を繰り返した。
「古い旅館で、硬玉翡翠の販売も手がけておられたということですが、何やら事件に巻き込まれて二十三年前に自殺なさったらしいということでした」
「二十三年前、ですか。旅館というなら、調べればわかりますが、自殺の事まではわかるかどうか。まぁ、待っとってください」

 寺島は席を立って、少し離れた席に座っているかなり年配の男のところに行って、何やら話しかけていた。年配の男は真のほうに一瞥をくれて、それから寺島に何か話すと、寺島は頷いて奥のドアへ消えた。
 年配の男は直ぐに立ち上がって、真のところへやって来た。
「私、庶務課の江崎と申します」
 そう言って、彼は名刺を差し出した。真も名刺を出そうとしたが、江崎は寺島から聞いたと言って受け取らなかった。それから、妙にゆっくりとした間を取って、椅子に腰掛けた。その上で、じっくりと真の顔を見て切り出した。

「ここ二年ばかりの間に、同じ質問をしに何人かの方がここへ訪れています」
 それには、真のほうが言葉を失った。
「何が起こっとるのか知りませんが、事と次第によっては警察にも知らせんといかんです。一体、どういう理由ですか」
「何故、警察に知らせないといけないのですか」
 江崎は胡散臭そうに真を見ていた。
「そんな昔の事を、今更何人もの人間が掘り出そうとするのはおかしいことです。その娘さんは一体何人の探偵を雇ったのかは知りませんが、妙な話です」
「私は嘘を言っているわけではありません」
「では、その『娘さん』とやらを捕まえなければなりません」
「何故です?」
「そりゃ、あなた、怪しいからです」

 何が怪しいのかもわからないが、真はこの男が取っている妙な間が気になった。本当に警察を呼んでいるのかもしれない。冗談じゃないと思ったが、今更逃げるわけにもいかない。第一、名刺を出してしまっている。
 諦めて座っていると、先程寺島が出て行った奥のドアが開いて、まずは寺島が、それから私服の刑事らしい男が二人現れた。すぐ横に暇な警察があるのだろうか。刑事やその類は、人相と身体つきで直ぐにわかる。
「この名刺は、本物か」
 訛りのある言葉で凄まれると、やはり迫力があった。
「そうですが」
「ちょっと話を聞かせてもらおうか」

 ふと気が付くと、フロアの職員は皆手を休めていて、こちらを注視していた。真は黙って立ち上がると、二人の男について、奥のドアから出た。そこは廊下で、そのまま裏口から出られるようになっていた。
 横は本当に警察署だった。
 警察署といっても驚くほど小さな造りで、このくらいのほうが可愛げがあっていい、と真がくだらないことを考えている間に、二階に上がる狭い階段を、前後を挟まれるようにして上がらされ、二つ目のドアの中に案内された。
 事務的な机と椅子があるだけの狭い部屋は、いかにも取調室という部屋だった。

 二人のうち一人がパイプ椅子を引いて、真に座るように促した。もう一人の年配のほうの男が、向かいに腰掛けて、真の顔を覗き込んだ。
「若いのに、探偵さんかい。それとも、悪い女に騙されて追いかけているチンピラか」
 何の話だ、と思った。
「名刺の住所に問い合わせて下さっているんでしょう」
「あたりめえだ」
「じゃあ、待ちます」
「なんだ、そのふてぶてしい態度は」

 前の事務所で働いていたときから、所長の唐沢に付き合って何度も警察と渡り合ったし、対処も学んでいたので、さすがにこんなことで怯むのでもなかったが、その凄み方をみると、こうやって冤罪事件は出来上がるのだろうと思えた。
「正真正銘、私は調査事務所の人間で、市役所でお話した通り、依頼を受けて仕事をしているんです。私が来る前に、何人の人間が同じ事を聞きに来たかは知りませんが、そんなことは私の知ったことではありません」

 直ぐに若い男が入ってきて、目の前に座っている男に何か長い耳打ちをしていた。真は黙って座っていた。賢二や宝田のことだから、上手くかわしてくれているだろうと思った。話を聞き終えると、男は真のほうに身を乗り出した。
「あんた、いくつだ」
「何がですか」
「年に決まってるべ」
「二十七です。それがどうか」
「随分若いのに、調査事務所の所長さんかい」
 何か悪いことをしているに違いないという口調だった。
「それがどうかしたのですか」
「何で、そんな大昔の事件を探りにきてるんだ」
「事件?」
 真は自分のほうから身を乗り出した。刑事のほうが一瞬、怯んだ。

「何だ」
「私はただ、依頼人の両親の自殺について聞きに来たただけです。事件とはどういう意味ですか」
 刑事はまた威圧するように、自分も身を乗り出した。
「あんたの前に、何人もの人間が同じ事を聞きに来とる。市役所の江崎が気味が悪いちゅうて、今度来よったら連絡するといって寄越した。何で、同じ事を、それも『ただの自殺』について聞きに来るべ」
「それはこっちが聞きたいですね」
「ふてぶてしい態度はよくねぇ。何なら、泊まっていってもらってもいい」
「何の罪状で?」
「そんなものは何でもかまわん。御託を並べとらんで、さっさと事実を話すんだ。今まで聞きに来たやつらとの関係は? 一体何が起こっとるんだ」

 真はふと興味を引かれて、多少丁寧に刑事に質問した。
「その、今まで聞きに来た、という者たちの人相書きとかはないのですか。見せていただいたら、関係のある者もいるかもしれません」
 刑事は真の顔をじっと見て、それから部屋に残っていた若い男に、何か持ってくるように言いつけた。
「自殺については調べられたんですか」
 刑事は真の方をちらりと見て、椅子に深く座りなおし、背凭れにもたれた。

「あぁ。確かに二十二年前、旅館の主人夫婦が自殺しとるべ。娘が二人いて、姉の方は施設に預けられて、赤ん坊だった妹は、弥彦のほうにもらわれて行ったと聞いとる」
 話の内容は、これまで聞いてきたことと大筋は違っていない。
「自殺の原因は?」
 刑事は真を睨んだ。
「質問しとるのはこっちだ」
「答えようにも、こちらにはなにも情報がありません」

 真は、ふと以前勤めていた調査事務所の所長、唐沢を思い出していた。
 今刑務所に入っているその男は、警察に絡まれても大概ふてぶてしい態度でやりあっていた。いつもちゃらんぽらんで、やけくそのような態度だったが、多感な少年時代を戦争と共に生き、大戦後は傭兵として主に中南米の戦場を潜り抜けてきたという、悲惨でもあり逞しくもある過去を持つ、不思議な男だった。基本的には胡散臭いことには変わりはないのだが、警察でのあの態度は、ある意味では頼りになるとさえ思われた。

「あんたに依頼したという女のことを話すべ」
「依頼人の事は、たとえ警察であってもお話できません」
「そんな悠長に構えとられる立場じゃないだろう」
 何の立場だ、と思った。あまりにも理不尽だと思っていると、そこへ先程の若い方の刑事が戻ってきて、座っている年配のほうの刑事に書類の束を渡した。刑事はそれに目を通してから、真の前の机にやや乱暴に置いた。






次回はちょっとポイントになるかも?
絡んでいる人間の数が少しだけ数えられるかもしれません。
(でも、まだいるのですね……いや、すでに出てきてはいるのですが表舞台には上がっていない?)
そして、いよいよ、【清明の雪】から持ち越してきたこの物語全体のキーワードのひとつである言葉の意味が出てきます。
引き続き、お楽しみください。

Category: ☂海に落ちる雨 第2節

tb 0 : cm 0   

NEWS 2013/7/7 塩ブーム/七夕のリクエスト 

DSCN1188_convert_20130707132600.jpg
最近、あちらこちらで塩ブームですね。
塩麹が火をつけたのでしょうか。
運転の友に、眠気覚ましのキャンディをよく買いに行くのですが、キャンディにも『塩』という文字の入ったものが増えています。

ためしに買ってみたら、結構おいしい。
飴本来の甘みと塩加減が、ちょうどいいのかもしれません。

でも、健康のために減塩じゃないの?という声が聞こえてきそうですが。
実際には、高血圧のおじいちゃん・おばあちゃんはともかく、あまりにも減塩に気を付け過ぎて、逆にナトリウム不足で筋肉のけいれんを起こすこともあるし、適切に採ることは必要なのですね。
昔、ゴルフをしていたころ、よくメンバーのおじいちゃんとかが、塩を持ってきていて、舐めながら水を飲んでおられました。ラウンド中汗かいて、電解質不足で筋肉が痙攣するのですね。

で、何となく調べてみたら。
塩の致死量は30~300g(1日)だそうで。
何でも致死量ってあるのね、というのがびっくり。
珈琲は75杯、砂糖は1kg、コーラ200本、醤油170~1500ml、……
あのね、何よりもそんな一気に採れるかってのね。
少なくとも自分でやったら、下痢・嘔吐で終わりそう。
まぁ、ミステリーで使ってもいいネタかもしれませんが。
括りつけて胃にチューブ入れて摂取させると。腎臓はやられるだろうと思うけれど。

ちなみに本当の致死量は分からない、って!
当たり前ですけどね。誰が試すのって話ですから。
でも確か、宴会の罰ゲームで醤油の一気飲みをさせられて、倒れた人がいるというのは聞いたことがあります。
生死は忘れちゃったけれど。

そう言えば、風邪薬の中に入っている鎮咳薬の一種がコデインで、これで気持ち良くなれないかって考える馬鹿もいたようですが、気持ちよくなるには、かなりでかい袋一杯飲まなきゃならないようで、その前にお腹壊すっていうのを習ったなぁ。

いやいや、世の中、びっくりするようなことがあるようで。
何でも適切に飲み食いいたしましょうね。
少なくとも、カップラーメンの汁は残してくださいね。
一応、1日4杯、汁を全部飲んだら、致死量の下限値に達するようです。
って、最近、カップラーメン食べないなぁ。

多くても少なくてもダメですね。『適切に』。

DSCN1171_convert_20130707132822.jpg
今朝、房咲きのヘヴンリーブルーがあったので、撮ってみました。
さて、話は変わって、七夕
今日は7月7日ですが、毎年梅雨の中にある七夕。
本来なら旧暦で別の日になるはずで、もっと天気がいいはず。
旧暦だと毎年日が変わるので面倒だからなのか……でも、織姫さんと彦星さんのために、今後は七夕は旧暦にしてあげて欲しい。
ちなみに今年の旧暦に当てはめた七夕は8月13日だそうです。
今日は天気も良さそうで、会えそうなので、今年はもう一回会えるのかも??

ついでに、こと座のベガとわし座のアルタイルの間の距離は約16光年。
光の速さで移動しても16年かかる……
1年に1回会おうと思ったら、実は、ワープしない限り会えないのか……って、何の話やら。

さて、新たにカウンターを設置して今日で20日。
先日500になってHIT記念はないけど、とか言っていたら、せっかくだからと、Scribo ergo sumの夕さんがリクエストを下さいました。ちなみに夕さんのブログは25000HIT記念をされている……50倍!!!
そんなに長く私ってブログを続けていられるかしらと、大先輩の後ろ姿をうるうるした瞳で見つめているのでした。

そして、戴いたお題が「指揮者の出てくる話
以前私が、昔、某指揮者の追っかけをしていたことがあると書いていたのを覚えていてくださったのですね。
おぉ、無謀にも音楽の話を書いていた昔……(真の息子の慎一がピアニスト→指揮者になっていまして…^^;)
冷汗が出てきました。
でも、落ちも何もなくていいから、とおっしゃって下さって、ありがたいですね。
では、その私が愛した指揮者さんのエピソードを、少し物語にしてみたいと思います。
出張前の準備で来週末までは難しいけれど、それが終わったら!

テーマ曲は、マーラーの5番です。
夕さん、ありがとうございます(*^_^*)
DSCN1173_convert_20130707133705.jpg
関係ないけれど、今日の木漏れ日でした。枝垂れ桜の木です。

Category: NEWS

tb 0 : cm 12   

[雨62] 第12章 絵と女の来歴(1) 

さて、12章『絵と女の来歴』をお届けいたします。
女とは、ここでは表向きは真の恋人である、銀座のバーのママ・深雪のことになります。
しかし、問題となっている「贋作と烙印を押された絵」に絡む女たちがいまして、ひとりはすでに登場の上蓮上家の女主、そしてもう一人は、まだ出てきていませんが少しだけ片鱗がちらちらでている女です。
絵の方は……どうやら遠いソ連からやって来たようですが。
さて、多分絶対怪しい男、新潟の弥彦の村役場に勤める、昔フランスに留学して画家を目指していたこともあるらしい、しかし挫折してるらしい江田島という男を訪ねてみましょう。

*失踪した同居人・大和竹流の行方を探す調査事務所所長の相川真。彼の残した新聞記事には新津圭一という雑誌記者が自殺した件が書かれていた。調べてみると、その自殺はどうやら怪しいらしく、殺されたという疑惑もある。一方、彼が誰かを脅迫していたという後追い記事があり、その脅迫の内容は「IVMの件で」
それが企業の名前ではなく、フェルメールのことだと分かった真は、やはり同居人(修復師)の竹流の関与を確信するのだが……


*切り処がなくて、少し長いです。しかも長々と贋作云々話をしています。ご容赦ください。ご興味のある方はじっくりと、あまり贋作話に興味のない方は読み流してくださって、江田島の怪しさを探っていただければと思います(^^)





 翌朝、顔を洗った後、美和がまだ起き出さないのを確認して、サイドテーブルにロビーにいるというメモを置いて、そっと部屋を出た。煙草を吸いたかったし、何となく二人きりの部屋で美和と顔を合わせる気持ちになれなかった。
 少しは眠ったのかどうか、自分でもわからなかった。このところ、ほとんどずっと夢を見ている気がする。中学生や高校生の頃の夢だ。自分の感情はあの頃からずっと止まったままのような気もした。

 新聞を読みながらコーヒー一杯を、たっぶり時間をかけて飲んで、それから二本目の煙草を吸い終わる頃、美和が降りてきた。
 向かいに座ると、美和はちょっと躊躇ってから言った。
「先生、眠れた?」
 そう言われて彼女を見ると、本当に心配そうな視線にぶつかった。単純で真っ直ぐな彼女の感情には、嘘や演技ではなく、本当に心配している色合いがあった。
 そういう表情を見ていると、やはり女の子は愛おしいと思える。
「大丈夫だよ。何か食べるか?」
 美和は一呼吸置いてから、うん、と頷いた。

 ホテルを出ると、予め連絡を入れてあった弥彦の江田島という男に会いに出掛けた。
 電話での対応は真面目な印象だった。新潟に着いてからずっと心が現実と過去と夢の間を行き来しているのは、漠然と、不安の対象がそこにあるからだと思っていた。
 もしかするとその根源がこの江田島という男ではないかと感じていたので、電話の声を聞いて意外な気がしたのだ。勿論、ここにきてようやく例の絵に直接関わり、知識を持った人間が初めて現れた、というただそれだけのことかもしれない。

 弥彦までは国道四〇二号線を走った。
 海岸沿いの越後七浦シーサイドラインとも呼ばれる道で、日本海の荒波が作り出す様々の景観を楽しみながら走ることができる。
 美和はずっと海の景色を気にしていて、いちいち車を止めて、とはしゃいでみせる。奇岩も港も個性的で飽きさせず、美和のカメラの腕も鳴るのかもしれない。
 それでも、真は、美和が必要以上にはしゃいで見せていることを感じないではいられなかった。カメラを構える後姿の裏側で、彼女がどんな表情をしているのかは見えない。

 そのまま弥彦スカイラインに入り、弥彦山へ登った。急なカーブがいくつも続き、二輪車の乗り入れは禁じられている危険な道は、そのうち山頂に至る。
「晴れててよかったですね」
 別に観光に来ているわけではないので、天気などどうでもいいのだが、これで雨でも降っていたら、気分は余計に滅入っていたかもしれない。美和は真の横で、カメラを構えながら、とってつけたように言った。
「佐渡が見えるんだ」

 改めて言うほどのことでもないのに、敢えて美和は言ったようだった。彼女がその後黙ってしまったので、真は眼下の町や向こうの佐渡から、思わず美和のほうを見た。
 美和は遠い佐渡を見つめたままだった。彼女が泣いているのではないかと思ったが、何も聞けなかった。
「昨日は、ごめんなさい」
 不意に、美和は小さな声で言った。
「何が?」
「だだをこねたでしょ」
 別に美和に非があるとは思わなかった。混乱しているのは真の方だった。
「いや、俺のほうが悪かった」
 こうして互いに謝ることで、その関係は却って恋人という範疇から外れていくような気がした。

 車だと遠回りになるので、山頂の駐車場に車を置いて、ロープウェイで弥彦の町に降りた。
 山麓駅で降りて三百メートルも行くと、弥彦神社に着く。周囲は鬱そうと木々が生い茂り、背後には今下りてきた弥彦山がそびえる。
 広い境内を、時間を持て余しているようにゆっくりと歩いた。美和は真の少し前を歩きながら、時々大きな樹にファインダーを向けている。途中で、赤い袴姿の巫女さんが通りかかった。古い社に不釣合いなほどの鮮やかな朱は、美和の気持ちをひきつけたようだった。

 若くて健康的な笑顔を向けられて、美和は彼女の方に寄っていくと、写真を撮っていいかと交渉していたようだった。巫女の若い女性は快く承諾して、さりげなく歩いている風景となった。
 何枚か写真を撮ってから、美和は女性に礼を言って暫く何かを話していたが、女性は笑顔で首を横に振って、会釈をして向こうへ去っていった。
 笑顔の口元は美人にありがちな形なのかもしれないが、誰かに似ているようも思った。印象的で、はっきりと美人と言える顔立ちだった。

「越後って美人が多いわね」
 美和が、カメラのレンズに蓋をしながら、まだ彼女を視線で見送っていた真に話しかけてきた。
「うん、そうだな」
「先生でも見惚れることがあるんだ」
「いや、どこかで見た顔だと思って」
「あ、そう。女を口説くときに男の人がよく使う台詞よね」
 そう言われて美和を見ると、いつもの彼女だった。何かほっとして、真は何となく頷いて、そのまま本殿のほうに足を向けた。


 弥彦村役場を尋ねると、直ぐに狭い応接室に案内されて、程なく江田島が現れた。
 真は、例の『歴史紀行』の名刺を差し出した。江田島はじっと名刺を見て、声に出して真の名前を読んだ。それから自分のほうも名刺を差し出した。
 弥彦村役場経理課課長 江田島道比古
「お話は県庁の時政さんから伺っています」

 真は、半分拍子抜けしたような気分だった。江田島は特に印象深い顔でもなく、格別に美男子というわけではないが、真面目で人の良さそうな人物で、一見して好印象を与える男だった。背も日本人としては平均的で、威圧感もなく、穏やかそうに見える。話し方ははきはきとしているが、きつい感じではなく、頭の良さそうな落ち着いた印象だった。
「例の、絵のことでお見えだとか」
「はい、贋作について、色々と教えていただけないかと思ってやってまいりました」
 江田島は真と美和に、ソファに座るようにと手で促した。

「絵をご覧になられましたか?」
「はい」
「あれらが贋作であっても、初めてあの絵を見たときには、大変感動したのを覚えています。何と言うのか、そこにこめられた作家の感動が、明確に伝わってくるのですね。ですから、あれらは贋作であっても価値のあるものだと、蓮生さんにはお話いたしました」
 江田島の言葉はほとんど標準語だった。若い頃から絵の勉強をしたくて苦労をしていたというこの男は、長い年月故郷を離れて、自分の生まれた土地の言葉をぬりかえてしまったのだろう。

「贋作とわかったのは、顔料が幾つか、その時代にないものと判明したからだと、時政さんからお伺いしました」
「その通りです。東京の大学にフランス留学中に知り合った教授がおられたので、最終的に科学的検査を依頼しました。私は、贋作者が実に巧妙にこの仕事をやり遂げたことを確信しています。素材はフェルメールのものに近く、印象的な女性が描かれています。実際、絵を見るときに最も大切なことは、全体の印象です。私たちは何も始めから科学的分析に頼るわけではありません。勿論、描かれている素材が、その時代や場所に適切なものであり、またその当時実際に使われていた技術が用いられているか、そういうことは確認の上でのことです。その後に、絵から迫ってくるものは、全体の印象であって、それはある意味では科学的分析に勝っているかもしれません。例えば、フェルメールの絵の場合、光に溢れていますが、同時に光と微妙に分けられた影も存在している。つまり影の気配を描くことによって光を、光を描くことによって影を描いているのです。基本的に彼の絵にはポワンティエと呼ばれる点々、つまり色彩を光に置き換えた点が散りばめられている。しかし、誰か別の画家がただその点々を同じように描いても、それはフェルメールにはならない。画家が、自分の技巧や素材に対して何らかの確信を持たなければ、それらのものが『本物』として見えてこないのです。だから、どれほど上手く真似たとしても、そこに画家本人が盲目的な確信を持って描いた何かが感じられなければ、私たちはそれを本物と感じることができないのです。しかし、あの絵にはその確信のようなものがありました。その絵がフェルメールであることに迷いがないように感じられたのです。贋作者がつい一筆塗ってしまったような不要な部分、贋作者の一瞬の迷いから生じた彼自身の内なるもの、フェルメールであることを迷った跡がありません。ただ、あまりにも完璧に過ぎて、却って疑いを感じてしまった。つまり」
 江田島はやっと一旦息をついて、言葉を捜したようだった。
「絵には、出所というものが大切です」

「たかが新潟の豪農の分家から出たものでは、話にならないということですか」
江田島は穏やかで真剣な視線を、真に向けた。
「そういうことです」
「逆に言えば、新潟の豪農の分家などから、フェルメールが出るような事情があってはいけなかった。そこから出たものを、本物と証明するわけにはいかなかったと、そういうことですか」

 さすがに江田島は、複雑な表情をした。真自身、この一瞬、自分が何を言っているのか、冷静でいるのかどうかもわからなくなっていた。美和が真の腕をつつかなかったら、このまま不可解な突っ込みを続けて、江田島の警戒心を更に煽っていたかもしれない。
「あなたは、あれが本物ではなかったのか、と、そう思っているのですか?」
「いや、つまり、そういう可能性もあったのではないかと」

 真は自分が何を焦っているのかと思った。江田島の第一印象に対する意外な感じを拭えないまま、どこかでこの男の怪しさを引き出そうと躍起になっていたのか。だが、どう見ても、江田島は紳士に思えた。

「まぁ、聞いてください。あの絵にはかなり巧妙な技巧がこらされていました。いえ、つまり一見のところ、本物といってもいいような証拠がちらついていました。しかし、実際のところ、意外なところから意外な有名画家の絵が見つかるケースはあって、そうした場合むしろ、あなたが仰るように、絵が『本物ではあり得ない、本物らしくない』故に、否定されたり、誤って贋作という鑑定をされていたこともあるのです。画家によっては、ある時期に大変素晴らしい絵を描いていても、また別の時期には信じられない駄作を生み出していることもある。実際、フェルメール自身の絵も、晩年の作品などは最盛期の絵とは比べ物にならない雑な印象を受けます。現在ではあまり高く評価されていない同時代の作家の作品のほうが、遥かに完成度の高いものもある。そういった全ての真贋を定めるのは大変困難で、特にフェルメールのように神話になってしまったような画家の場合、駄作を生み出したなどということを認めるには忍びないという、評論家や一般人の気持ちが誤った歴史を作り出してきたことは多いのです。だから、あれらの絵が、新潟などから出たとして、もっとまずい絵なら却って本物らしく見えたかもしれない。しかし、実際はあまりにも素晴らしい絵だったので、却って疑う余地ができてしまったのかもしれません。皆が、慎重になり得たということです」

「それだけ巧妙な贋作を作るとしたら、その作家はかなり科学の知識にも長けていなければなりませんね」
「その通りです。しかし、逆に本当に古い絵ということもあります。一番われわれを手こずらせる贋作は、その画家の時代に極めて近い時代または同時代に、近い場所で描かれたもので、後の時代に誤って、または故意に作者の名前が書き換えられたものです。実際、フェルメールの活躍していた十七世紀のオランダの社会情勢、当時の画家たちの置かれた環境を考えても、似たような絵があったのは当然で、今でこそもったいぶって美術館に飾られているものも、ある程度の値段でオランダの市民が買うことのできるものだったわけです。フェルメールの絵が、当時の絵画界で極めて独創的だったわけがありません。実際、良く似た構図の絵でフェルメール以前に描かれた作品は幾つか確認されています。つまり、フェルメールもその時代の影響を強く受け、オランダ市民に買ってもらうために当時のブームに乗った絵を描いていたわけです。しかも、高く売るために、作家自身が、他の有名作家の名前を騙ることさえあった。贋物といっても、本物以上の価値のある物だってあるし、逆に本物でも贋物より絵画としての価値が低いものもある」

「つまり、あなたがおっしゃっているのは、あれはいずれも古い時代の贋作だったということでしょうか。発表された当時の話では、十九世紀末となっていましたが、今のお話では、もっと古い、あるいは十七世紀のオランダのものかもしれないということですか」
 江田島は穏やかな表情で真を見つめ返した。

「いいえ、あれは多少の誤差はあっても、科学的に言うと十九世紀の末頃のものでしょう。勿論、科学が証明しうるのは最後の僅かな部分でしかありませんが。一八六六年にフランスのトレ=ビュルガーの論文がフェルメールの名前を二百年ぶりに再発見したなどと言われていますが、実際十九世紀の半ばには既にフランスではフェルメールの名前はかなり知られ始めていたのです。ただ、オランダという国は、いわゆる芸術の擁護者、パトロンは、一般の市民であることが多く、フェルメールの絵は美術館よりも個人の所有になっているものが多かった。だから、多くの人の目に、特に他国の人間の目に触れる機会はなかったのです。しかし、テオフィール・トレ、すなわちトレ=ビュルガーは社会活動のため亡命を余儀なくされていましたので、他のフランス人と違い、実際にオランダ国内で絵の所有者たちに会い、絵を見る機会に恵まれた。彼の言葉を人々が信じた所以です。しかも、彼は画商としての一面も持っていた。わかりますか、絵を高く売るために彼がした『パフォーマンス』が、フェルメール再発見と言われる論文なのです。あの絵は、それ以降に作られた贋作でしょう。実際、二十世紀にフェルメールの名前を世界に押し上げ神話にまでしてしまったのも、有名な贋作事件でした」

「レンブラントの絵のほうもですか?」
「あれは、工房の作品と考えています。レンブラントは生涯に、明らかになっているだけでも三百五十点以上の作品を残しています。彼は工房を持っていましたし、かなりの浪費家で債務を賄わなければならないために、一年に十点は作品を生み出さねばならなかったのでしょう。工房で作られたもので明らかに彼の真筆でないと思われるものにも、彼はサインを入れています」

 真はいよいよ決心をして一番核心に触れた質問へ移っていった。
「他にも絵が、蓮生さんの家から見つかったようですね」
 江田島はゆったりと頷いた。
「そうですね。色々です。非常に価値のあるものから、そうでないものまで。日本画でないものは、贋作か、あまり有名でない作家のものばかりでしたが」
「入手経路については、どうお考えですか」
「さぁ、どうでしょうか」
 江田島は、先程出所が大事、と言ったことを忘れたかのように、興味なさそうに曖昧な表情をした。

 真は続けて質問した。
「あなたは、蓮生家とは縁戚のご関係ですか」
「いいえ」
 一体何の話か、というように江田島は真を見た。
「では、このようなことをお聞きしても失礼にはならないかと思いますが、日露戦争もしくは第一次大戦の頃にでも、ロシア皇帝の縁戚に当るある貴族の元から略奪された絵画が存在しているというような話を、お聞きになったことはありませんか」

 江田島は、感情のはっきりしない、落ち着いた、というよりも無関心と思われるような表情で真を見つめていた。それからゆっくりと、真をたしなめ、諭すような口調で言った。
「そういう噂が、どこかで流れているということですか」
「えぇ、そうだとしたら?」
「それで、貴方は、あれの出所を気にしておられるのですか」
 真が頷くと、江田島は少しの間目を閉じて何か考えていた。

「相川さん、でしたね。そんなことは、今のこの時点で追求するべきことではありません。それが貴方の取材の目的ならば、私はお答えするべきではなかった」
「何故です?」
「そうした古い歴史の中で行われたことに対して、今更私たちが何かを暴いて、誰かを攻撃することは決して良いことではありません」
「そうでしょうか。自分たちの先達が、それに引き続いて今自分たちが、犯しているかもしれない略奪行為に対しては、過ちと気づいた時点でそれを認めて謝罪するべきではないでしょうか」

「相川さん、それを言い出しては、現在大国が大きな美術館に所有している作品の多くについて、どこも謝罪をしなくてはならないことになる。例えばヒットラーの時代はその顕著な例でしょう。中には過去の過ちとして戻されたものもありますが、行方不明になっている美術品もあります。こういうことはお互い言いっこなし、という面があります。それがあるいはその時代の略奪行為であったとしても、もう今更、誰も元の持ち主に返したりはしません」
「それではまるで貴方が、あれらの絵を、あるいはそのどれかを本物と知りながら、故意に戻さないために偽った声明をしたように聞こえます」

 美和が、びっくりしたように自分のほうを見たのを、真は身体の左側で感じた。自分でも、そんなつもりはなかったのに、ついに突っ掛かってしまった。
「あれらは本物ではありません。それは私が、いや東京の名誉ある大学の科学的分析能力にかけて、証明いたします。世界のどこに持っていっても間違いがありません。それに、蓮生家が分家して、古い時代に荒川から村上に出たのは、交易のためです。昔は、大きな百姓の次男や三男を、その家の更なる発展のために、特に当時は北海道の松前などへ出したといいます。われわれが知っている以上に、古い時代から、鎖国の時代でさえ、日本海は大国へ開かれていた。略奪ではなく交易だとはお考えにはなれませんか」

 そう語っている江田島の目は、田舎の村役場の経理課課長の持つべき従順で善良な目ではないように思えた。まるで無知な人間を絶対的な弁論で説得し窘めるように見えた。

「ありがとうございます。もう十分です」
 美和が急に真の腕を掴み、江田島に言った。それから、彼女は真に、もう帰ろう、と小さな声で言った。その様子を見ながら、江田島がゆっくりとした口調で話しかけてきた。
「貴方がこの事を調べているのは、何か特殊な事情があるからではありませんか。取材でも、正義のためでもないでしょう」
「では、貴方が弁明する理由は?」
「弁明しているわけではありません。事実を曲げられるのは困る」
「貴方が納得のいかない事実だってあるでしょう」
 江田島は悠然とした、しかし真摯な態度で真の疑問に答えるように、言った。
「そうかもしれません。実際、私は絵画のこと以外には暗い人間です」

 そう言って、江田島は真の名刺をもう一度見つめた。
「しかし、何か新しい発見があればお話いたしましょう。この編集社の電話でよろしいのですか」
「えぇ、結構です。しかし、私が直ぐには捕まらないこともありますので」
 真が言いかけると、江田島は穏やかに笑んだ。
「本当の名刺を」
 このまま白をきり通す事もできた。井出の計らいで、その編集社に真宛の連絡があれば、回してもらえるように話はついている。しかし、既に蓮生千草のところにも素性はばれている。

 真は調査事務所の名刺を差し出した。
「新宿ですか。一体、何の調査を?」
「行方不明の人間を捜しています」
「行方不明? それがあの絵とどういう関係が?」
「一人は銀座でギャラリーを経営している私の友人です。修復師としても名を知られている。あの絵か、さもなければその周辺の絵のことを調べていたようですが、今は行方がわかりません。もう一人は十歳くらいの女の子です。父親が三年半ほど前に、『IVM』のことで誰かに脅迫文を残して自殺しました」

 一瞬たりとも、真は江田島から目を逸らさなかった。しかし、江田島は特殊な反応を見せなかった。
「IVMというとフェルメールの署名ですね。それで貴方はあれが本物ではないかと疑われたわけだ」
 納得したように江田島は真のほうを見つめた。

「大和竹流、行方不明というのは彼ですか」
 真は素直に頷いた。同じ世界に生きているのだ、名前を知っている可能性は十分にあるし、大体あの雑誌以来、誰が彼の名前を口にしてもおかしくはないわけだ。
「そうですか。随分、怪しげなお仕事もされているのではないかと、この世界でも有名な方です。貴方がどれほどその方の事を理解されているかはわかりませんが、ある意味、誰かの恨みを買ってもおかしくはないお仕事ですよ。確かに、日本画や仏像、仏具の修復では右に出るものがいないとも言われています。正教の聖画、すなわちイコンについては、世界中捜しても彼ほど造詣の深い人間はいないとも言われている。彼の師匠がイタリアでは屈指の修復師で、ルネサンス期の絵画についても、恐らくは誰にもできない修復の技法と材料を持っているとも聞いています。しかし、十七世紀のオランダとは、意外ですね。彼は、むしろダイナミズムを作品に求めるタイプの芸術家だと思っていましたが、十七世紀のオランダの作品は、彼には小さすぎるでしょう」

「でも、イコンも十分小さな宇宙です」
 美術など全く自分の範疇にない真の、呟きにも近い言葉に、ふと江田島が顔を上げた。
「宇宙?」
「彼はいつも、宇宙を蘇らせるのだと言っていました。作品の大きさなど、関係はないと思います。彼が日本画に、特に障壁画に魅せられたのは、確かにあれらは作品としては小さくはありませんが、実際の大きさ以上の宇宙があったからだと、雨の音や鳥の声、梅の香り、そういったものまで感じるからだと、そう話していました。フェルメールの絵の宇宙に、彼がそれを見たとしても、不思議ではありません」
「フェルメールの宇宙ですか。多少、誇張が過ぎる気もしますね。彼の絵は、王家や教会が金を出せなかったオランダという国の社会情勢から出ています。市民の生活という、小さすぎる宇宙ですよ。大和さんの得意とする世界は、もう少し物語性の、あるいは自然界のダイナミズムに支えられているように思えますが」






あぁ、長かったですね。お疲れ様でした。多分、全編で二番目に長い解説シーン。一番があるのかって?
はい、あるんですね。謎解きあたりに。いえ、別に謎解きというほどでもないのですが、一応「犯人」の言い訳は聞かないとね。
え? 犯人がいるのかって?
それはもう、うじゃうじゃと……(あ、言ってはいけない????)

次回は、真、糸魚川でセンチメンタルに浸る、です。
まるで浅見〇彦氏のように警察に捕まるおバカなシーンを……^^;

Category: ☂海に落ちる雨 第2節

tb 0 : cm 0   

NEWS 2013/7/6 立ち枯れる/庭の花たち  


今週の庭の花。トップバッターは、ルリヤナギです。
もともとブラジル~ウルグアイのあたりに生息する花、一応低木に属するようです。別名、琉球柳とも言いますが、最初に入ったのが琉球だったようです。
花言葉は胸の痛み、叙情……う~ん。確かに胸は痛む。この花、我が家では11年ほど前に植えられ、そのまま放置され、1本だけひょろんとして立っていて、周囲に圧迫され、扱いはぞんざいで、それでも毎年けなげに花を咲かせる。綺麗な瑠璃色の花ですね。確かに、胸が痛むなぁ。ごめんなさい。

そして、今日のテーマは「立ち枯れる」。
毎年、紫陽花の花が終わる頃に悩むことがひとつあります。

それは……
DSCN1159_convert_20130706103116.jpg
DSCN1160_convert_20130706103047.jpg
DSCN1162_convert_20130706103139.jpg
上から、名前を知らない白い紫陽花、カシワバアジサイ、アナベル。いずれも元々真っ白な紫陽花なのです。
そう、そろそろ花が終わりかけて色褪せてきているのです。
何を悩んでいるかというと、花を切ってしまうかどうか。
暑苦しくなるので、庭の木々の剪定も含めて、夏前にたいていは汚くなった花を落としてしまうのですが、紫陽花は悩んでしまう。
他の花は、終わりかけたら切ってしまった方が株が弱らなくていいというのはよく分かるのですが、紫陽花はあまり関係なさそう。

そう、実は夏を過ぎて、秋ごろ、立ち枯れている姿が結構好きなのです。
ドライフラワーまでは言いませんが、水分が抜けて、その上で凛と立っている感じ。紫陽花百面相の最後の姿は「立ち枯れる」なのですよね。うちの親も結構この立ち枯れが好きとはいうのですが……
放っていると、手入れの悪い人みたいで(悪いけど)……
丁度今、生枯れの時期が一番見た目によろしくないのかも??

利休は、「花は野にあるように」と言って、野にある姿のままお茶室に生けるように言っております。
ならば紫陽花の立ち枯れも、野にある姿なのですよね。

なんだか、弁慶の立往生にもつながるその姿(全然違う?)。
日本的美意識の中には結構そういうのがあって、枯れすすきも演歌になるし(それも違う?)。
私の好きな加賀友禅の文様に虫食い、というのがあって、ただ一度だけ加賀友禅を買ってもらったときに「虫食いの模様がいい」と駄々をこね、若いのに変わった趣味、と言われたこともありますが……
(*余談:これはわけありで、実は、私の振袖が洗い張りに出していた先で盗難にあったのです。それは京友禅だったのですが、申し訳ないからと呉服屋さんが(多分保険?)好きなものを(弁償します)、と言って下さったので、ダメもとで言ってみたのでした。今、もしかしたら海外のちょっとした金持ちの家の壁飾りか敷物になっているかもしれない私の振袖……着物の基本で、一点ものなので、見ればわかる……)
何故か、綺麗すぎるものよりも、少しくたびれたほうが好きなのかも。


というわけで、しばらく悩みます。
最終的には、庭掃除の日の気分で変わります^^;
掃除のとき、ものを捨てる気分の時と、ついとっておいてしまう気分の時がありませんか?
まさにそれですね。

ついでに、今日は風が強くて、あのヘヴンリーブルーはこんな無残な姿に。
DSCN1148_convert_20130706103019.jpg
それでも頑張って咲いている、というのか、もともと根性のある花なので、千切れるくらいなんだ!ってことでしょうね。
たくましく、枯れるまで、あるいは食われるまで、あるいは枯れた後も生きている、そんな花たちは、どんな姿でも可愛いです。


おまけ。ひとつの花の中でこんな複雑なことになっている紫陽花。これ、他のひと玉はちりちりのはちりちりのままなんですけれど、何故か半分だけ開いている。ちなみにこの株、何かの間違いで(接ぎ木?)ちりちりと開く花がひとつにまとまっちゃってて、開くのとちりちりが半々なのですが、ひと玉の中で半々なのは初めて見た。
DSCN1150_convert_20130706103215.jpg

Category: ガーデニング・花

tb 0 : cm 4   

NEWS 2013/7/5 予告編(^^) 


さて、朝日に輝くヘヴンリーブルー、綺麗ですね。
この朝顔、前にも書きましたが、宿根朝顔でして、蔓が伸びてあちこちに飛び火して、ある意味すごい邪魔なことも……生命力旺盛で、写真にもあるように房になって咲くので、涼やかではなくて、やや暑苦しい朝顔です。
名前はおしゃれなんですけれど。
しかも、夏場の花は大きいけれど、だんだん秋~冬にかけて花が小さくなっていく。
そうなんです、うちの朝顔の開花最長記録は12月初旬。
正直、暑苦しいを通り越して、厚かましいんですけれど。
さすがに最近は、あまりにも季節感がないので、10月末には始末してやります(^^)

この朝顔が出たということは……
【百鬼夜行に遅刻しました】
子鬼のウゾくんの物語、coming soon! なのですね。
でも、来週末の東京出張(毎年の一番のイベント)が終わらないとなかなか着手できませんでして、もう少しお待ちくださいね。本当はStella 7月号に間に合いたかったのですが……
取りあえず、朝顔の写真でお茶を濁す(^^)
内容は、もちろん、朝顔全開です。そして、もちひめさんの秘密も少し顔を出します。
もちひめVS朝顔の精? タタラも活躍(いや、吠える?)、どうするウゾ? 
……なんて話ではありませんが、お楽しみに。
DSCN1126_convert_20130705063329.jpg

その他、予定を。
【海に落ちる雨】
今週末から第12章『絵と女の来歴』が始まります。女とは…真の恋人(ということになっている)、銀座のバーのママ、香野深雪のことです。美和を東京に帰して、一人で深雪の故郷・糸魚川に向かった真。なぜか翌朝には拘置所の中?……浅見〇彦氏にありがちな展開みたいになっています(^^)
怪しい人間がまた一人登場。きっとまた癖があると言われそうな……
少し長い章になりますが、竹流の恋人(の一人)、刑事の添島麻子と真のやり取りもお楽しみに(^^)

……長いので、本当に読んでくださる人がいるのかしらといつも不安なこの話。
一気に読める本ならいいのだけれど、極めてブログ向きではないし。
しかも詰め込みすぎて展開は遅いし、更新している自分も、時々気が遠くなる。
時々孤独な気分になりながら、心配しながら、更新している感じです。
きっと多くの皆さんが、そんな感じでブログの海に言葉を送り出しているのだろうなぁ。
この話の題名、まさにそんな意味ですものね。
【海に落ちる雨】は誰にも気が付かれない、という(う~、皮肉な題名だったなぁ)。
たまに孤独感が強くなって、もうやめようかなぁと思ってしまいそうになる時もあって……
でも数人でも、一人でも拍手を下さる方もいてくださるみたいなので、頑張ろうかな、と気を取り直しています。
その方々にとても感謝しています。

【天の川で恋をして】
7月中には書きたいと思っていた読みきり短編。
やっとちょっと頭の中でお話が整理できたので、書いてみようと思いました。
これ、ずいぶん前に、大阪府の某市に天の川(天野川)って川があって、この名前だけで想像力を掻き立てられる、『天の川で恋をして』って話でも書こうかしら、なんてつぶやいていたら、あるブログのお友達さんが、それ読みたいと言ってくださっていたのですが(お元気ですか???)、まるきり中身がなかったので放置していました。
しかし七夕を前にむくむくと湧き上がりまして。
私も一度、乙女な話を書いてみようと思ったのです。
ある日、一通のメールが……「私を憶えていますか?」って、違~うぅ。
ある日、一通の招待状が……お見合いイベントが行われる古い洋館で起こる猟奇的殺人……って、それも違~うぅ。
ある日、一通の招待状が。初恋の彼の結婚式の招待状だった。連絡も取っていないのに……
というお話。こうご期待(^^)

【バッカスからの招待状】
【幻の猫】のちょっとした続きを。フィレンツェで再会した彼らの、一夜のどんちゃん騒ぎをお届けいたします。

そして、【死者の恋】、いよいよ再開です。
他に短編BLもどき(まさにもどき)、かたをつけなければと思いますので、終わらせたいと思います(^^)
キャラたちは結構好きなので、またどこかに出したいと思っているのです。
ボクサーの拓(ひらく)、製菓会社の社長、ロボット博士、アスペルガー症候群の子ども、刑事になる剣道大学生、ヤクザになる剣道大学生……うん^_^;

って、これは何の記事って?
そう、私の、「宣言しないとできない病」への付け薬です(^^)
お腹痛いのも治ったし、さぁ、仕事行こうっと。

ちょっと画像をアレンジした朝顔で記事を閉めたいと思います。
長々とお付き合いいただきありがとうございます。
FSCN1131_convert_20130705063409.jpg

追伸:2013/7/5 22:45 ちらっと見たら、6/18にカウンターを初めて設置してからちょうど500!
皆さんが、切りのいい数字を踏んだ方からリクエストを受けつけるという企画をされているのをみて、ちょっと面白そうだな、と思ってみたり、自分には無理だなと思ってみたり。
でも、いずれにしてもありがとうございます。

Category: NEWS

tb 0 : cm 6   

NEWS 2013/7/3 ごんぎつね 

DSCN1132_convert_20130702215754.jpg

大好きな絵本のこと。
実は、先日新聞に、新美南吉の『ごんぎつね』のオリジナルテキストがあって、私たちが読んできたのは雑誌『赤い鳥』主宰者・鈴木三重吉が添削したものだということが書いてありました。

え? そんなことがあるんだ、と驚いたり、確かに作家が書いたものを、より読者に受け入れられるような形に編集者、あるいは雑誌の主宰者が添削を入れるってのは、あるとも聞くしなぁと納得したり。
もちろん筋立てが変わるわけではないけれど、表現が変わると微妙なニュアンスが変わることもある。

そこで、ある学校の先生が、オリジナルのテキストと流通している『赤い鳥』版を両方使って比較しながら授業をされているのだとか。実際に、両方を読んだ子供たちの反応は豊か。
どちらがいい・悪いではなく、違いからどんなふうに感じるか、ということが大事なようで。

特に最後の場面は、ちょっとした言葉の違いで結構印象が異なっています。

オリジナルは以下。

権狐(オリジナルではこう表記)は、ばったり倒れました。兵十はかけよって来ました。所が兵十は、背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためて置いてあるのを眼にとめました。
「おや――――――――――――。」
兵十は権狐に眼を落しました。
「権、お前だったのか……。いつも栗をくれたのは――――――。」
権狐は、ぐったりなったままうれしくなりました。兵十は、火縄銃をばったり落としました。まだ青い煙が、銃口から細く出てゐました。


赤い鳥版は以下。

ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや。」と兵十は、びっくりしてごんに眼を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。


ごんの「うれしくなりました」について、子どもは「気持ちが届いてごんが嬉しくなったとはっきり書いてあって、自分も嬉しくなる」「兵十の『おや――――――――――』はすごい。驚きや後悔などいろいろな気持ちがこもっている」などと感想を述べたとのこと(小学校4年生だそうです)。

確かに、通して読んでみると、ごんの気持ちの流れがずっと書いてあるのに、最後だけ『ぐったりと目をつぶったままうなずいて」終わるので、何だか「ごんぎつね」は悲しい話という読後感が残ってしまっていました。
間違いで撃たれてしまったごんが、実は『嬉しかった』、という言葉を新美南吉が残していたんですね。
そして、撃ってしまった兵十は「おや」じゃなくて「おや――――――――」だったんですね。

読みようによっては子どもたちに「罪を償う話」にとられてしまいがちだったものが、この言葉で、「ごんが自分と同じように孤独な兵十に、つながりを求め続けた思い」が子供たちによりわかりやすく伝わるようになったと。

たった一つの言葉で印象や読後感が変わる。
これって結構怖い話だと思いけれど、物語というものの広がりも感じさせるなぁ、と思いました。

この黒井健さんの絵、本当に素敵ですよね。ほわんとした優しい絵。
お母さんのお葬式のシーンの彼岸花の赤、そのあとずっと兵十のあとをついていって様子をみているごんの姿。

分かって欲しくて、でも償いのためにやっていることをわざわざ言うこともないし、というよりも言えないし、ずっと後ろをついていっている。栗をくれたのは神様だという会話を聞いてがっかりしてみたり。
特に、兵十のお母さんのお葬式を見て、穴の中でひとり反省している(文字通り、省みている/顧みている)ごんの絵がとても好きなんです(アップで……)。
そのあと、ちょっと離れたところから精一杯のことをしているごん。
(黒井さんの絵は、暗がりの中のその黄金の狐の毛が、とても印象的。)
ごんの色々な気持ちが集約して、「うれしかった」という言葉なんだなぁ。


同じ新美南吉さんの『手ぶくろを買いに』……昔はハッピーエンドのこっちのほうが好きだったけれど、最近、『ごんぎつね』のほうが気になっていました。
そこにこの新聞記事だったので、物語の中の悲哀とか、そこから生まれる人の心の深さとかを改めて感じさせられた次第です。

南吉の15歳の時の日記。
ストーリィには悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変る
と書いてあったそうです。15歳の言葉! 驚きますよね。
しかも29歳で亡くなっている。

私は、彼の目指したものが「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」というのを、『手ぶくろを買いに』の表紙の裏で読んで、この言葉を何回もノートの隅に書いていました。

今あらためて、南吉の求めたものがしみじみと伝わる記事を書いてくださった記者さんに感謝します。
(朝日新聞2013/6/19)


ところで、いつも不思議に思っていること。
帽子屋さんは、こぎつねの持ってきたお金が本物なので、手袋を売ってあげたんですよね。
でももし、木の葉っぱだったらどうなっていたんだろう?
しかも、この本物の白銅貨、親狐はどこで手に入れたんだろう?
いくら人間が怖いからって、何かあったらどうするの~、子どもについていってやれよ~(いや、初めてのお使い、か?)
とかあれこれ、悩んじゃっていたのでした(あまのじゃく~~^m^)。
そこは読み流せよ、と自分でも思うけれど^m^
いえ、大好きな話なんですけれどね。
特に好きなのは「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」~きゃわいい(*^_^*)


大人になってしみじみ味わう『ごんぎつね』……悲しい話のようだけれど、そこに込められた愛の深さ。ここに作家の心が強く表れているのだと思いました。





Category: 本(ご紹介・感想)

tb 0 : cm 18   

[雨61] 第11章 再び、若葉のころ(3) 

さて、高校生の真を書いた【続・若葉のころ】、最終回です。
真が少しだけ、竹流の仕事の片鱗を知る、そういう部分になるでしょうか。
というよりも、彼の本音は「この男が人殺しでも多分平気」といったところなのかもしれません。
ある意味、恐ろしいことかもしれませんが、実際にはこれがこの本編の中の真の感覚に繋がっていっているのかもしれません。ここでは善悪は問いませんが、この本編の第4節に出てくるイタリアのゴッドファーザー、じゃなくて竹流の叔父をどう感じるか、皆様のご意見をいずれまたお聞きしたいです。
ひとまずここは、可愛らしい真を楽しむ最後のチャンスかも!
髭を武器に?真をおちょくって遊んでいる竹流をお楽しみください(二度とないシーンですから)(^^)





 あまり躊躇いもせずに、マンションのレセプションで名乗って501号室を呼び出してもらおうとすると、来ることが分かっていて言付けてあったということなのか、レセプションの上品な紳士が呆気なく通してくれた。

 しかし、部屋に上がると、そこには竹流の恋人で、マンションの上の部屋に住んでいる室井涼子が来ていた。
 いつも綺麗にしている大人の女性は、その当時の真には眩しい限りで、言葉もでないまま頭を下げて挨拶をした。彼女が何をしにここに来ているのかもわかっていたし、それはそれで緊張の一因にもなった。
 涼子が、あの頃自分たちの逢瀬の邪魔になる真に対してどう思っていたのかは分からない。しかし、まさかこの高校生がいずれ自分の恋愛の差支えになるなどとは思ってもみなかっただろう。

「帰るわ」
 竹流は、あぁ、とだけ言った。それから真に奥へ行ってろ、と言って、涼子を玄関まで送りに行った。
 その玄関まで行く間も、竹流は涼子の肩を愛おしげに抱いて、今にも口づけそうなくらい近くで彼女に何か話しかけていた。涼子は髭にくすぐったそうな顔をして微笑んでいる。
 真はちらっとその様子を見てから、台所奥のリビングダイニングの方へ行った。

 淡い辛子色のソファに座ると、何だかぐったり疲れてしまい、直ぐに眠気に襲われた。人の気配がひとつ、マンションの部屋から消えていく。その空気をぼんやりと頭の後ろのほうで感じながらも、ふわふわするような心地で意識が遠くなりかかっていたのを、急に身体ごと浮き上がったようになって目を覚ました。

 竹流の顔が間近だった。その青灰色の目は、びっくりするほど優しく真を見つめていて、真は頭の中がひっくり返ったような気がした。いや、何よりもこの髭がいけない。見慣れたはずの顔が、知らない誰かのようで、顔を見るたびに照れてしまうのだ。真は目を逸らして訴えた。
「降ろせって」
「何で?」
「何でって……」
 真は言葉に詰まった。
「今日はいい日だから、いいじゃないか」

 髭だけではない。少し見ない間に竹流は随分日焼けしていて、いちだんと逞しく大人に見えた。
 いや、もちろん初めて会った時から十分に大人だったのだが、ここにいる彼はさらに素晴らしく惚れ惚れとするようないい男だった。同性の相手に惚れ惚れする、というのも妙だが、それが不自然でもないのが不思議だった。

「しばらく帰ってこないんじゃなかったのか」
「そのつもりだったんだけどな、ペルーの山の上で寝ていたら、神のお告げがあって、東京でお前が待っているので帰りなさい、と言うんだ」
「何、馬鹿言ってんだ」
「本当は、お前の顔がちらついて寝られなかったんだけどな」
「嘘つけ」
 真は言ってから、竹流の手から逃れようとした。
「降ろせって」
「うるさいぞ」
 竹流は、かわいい子どもにするように、その頬に頬をくっつけた。
「髭、嫌だって」

 逃れようとすると、余計に面白くなるのか、わざとらしくすり寄せてくる。
「くすぐったいんだって。なんでそんな伸ばしたままにしてるんだ」
「森の中に入ってたからな、剃ってる余裕がなかったんだ」
「帰ってきたら剃りゃあいいじゃないか」
「俺は飛行場から武道館に直行したんだぞ」
 竹流は真を抱いたまま、少し距離を取って、むくれたような顔を作った。真が今の言葉の意味を考えているうちに、竹流の顔が優しい笑顔に変わっていく。

「しかし、今日は良かったな。何よりも、おじいちゃんに褒められて嬉しかったろ」
「何で?」
「何で? 俺のところじゃなくて、おじいちゃんのところにすっ飛んで来たくせに」
 え? と思って竹流の顔を改めて見た。そんなことを考えていたのか、と思って驚いた。
「俺が仕事を放りだして地球の反対側から帰ってきたのに、おじいちゃんのところに飛んでいくような薄情な奴だが、今日、ここに来たから許してやろう」

 何を言われているのかよく分からなくなってきて、真はとりあえず言葉だけは足掻いた。
「とにかく降ろせって。しかも俺、汗臭いし」
「だめだな」
「それに、そう言いながらあの人といちゃついてたくせに」
 何気なく出てしまった自分の言葉にも驚いたが、真は自分をまともに見つめる竹流の視線に心臓が打つ速度が速まったように感じて、更に驚いた。

「妬いてるのか」
「なんで? 女しか抱かないんだろ。降ろせよ」
 半分焦って脈絡なく真は言った。それを聞いて、竹流はいつもの、可愛いものを見るとからかわずにおれないという悪い虫が出てきたようで、真をようやくソファに降ろしたと思ったら、そのまま真を抱き締めた。またしつこく頬をすり寄せてくる。
「宗旨替えしてもいいな」
「馬鹿言ってるんじゃないって」

 すかさず言ったものの、竹流には全く相手にされていなかったようだ。
 真は自分の耳朶に竹流の唇の感触を覚え、思わず首を縮めた。しばらく触れるか触れないかの距離が保たれたままだったが、やがてその耳の奥の鼓膜に、いやあるいは耳の軟骨を通じて直接三つの小さな骨に伝導するように、竹流の声が穏やかに優しく響いた。

「とにかく、今日は勝てて良かった。意味のある勝ちだった。おじいちゃんも、だから喜んだんだろう。お前が打ち込んだ瞬間、おじいちゃん、跳上がるみたいに立ち上がったからな」
 抱き締められてそう言われると、何だかほっとした。長一郎がそんなふうに自分の闘いを、まるで自身が闘っているかのように見ていてくれたのだと思うと、嬉しかった。

 それに、他人と触れていて、こんなにも穏やかな気持ちになることは他にはない。
 尤も、今日は幾らか勝手が違っている。髭を見てしまうと、見慣れないからか、やはり幾分か緊張するのだ。それは竹流にも伝わっているようで、彼の方は面白そうに、視線を避ける真の目の前に顔を寄せてくる。
 しつこいぞと言いかけて、相手との距離にぞくっとした。相手があまりにも近くにいるので、ますます自分の汗の臭いが気になった。女みたいな気のしかただなと思うと恥ずかしかった。

「シャワー借りてもいいか」
「一緒に入ろう」
「馬鹿言うなって」
 拒否したにも関わらず無視されて、結局一緒に風呂に入った。
 背中を流してもらいながら、真はその日何度目かでほっとしたように思った。

 そうか、勝ったんだと思って、じわじわと嬉しかった。ひとりで闘って勝ったときは、それはその場だけのことだった。それが今日は、仲間たちの顔を一人一人思い出し、立ち合ったライバルの面の向こうの顔を思い出し、何度考えても嬉しかった。
 嬉しいという気持ちを感じるためには、多分心の余裕が必要なのだろうが、それが実際ここで提供されているからなのだろう。

「お前、ここんとこだいぶ打ち込んでたな」真の背中や腕を力いっぱい擦りながら、竹流が話しかけてきた。「筋肉の具合が違う。いい感じだ」
 真は何で自分が照れているのかと思った。
 それから、交代で竹流の背を流している時、彼の脇腹の痣や腕のいくつかのかすり傷の跡に気がついた。いや、かすり傷というほど単純なものには見えなかった。何かがかすっていった跡のようだったが、何、というのもある程度想像の範囲にあった。
 ただ、自分が今までそんなものを見たことがないだけで。

「どうしたんだ」
 真の質問の意味を察したのか、竹流はあっさりと返事をした。
「まぁ、いろいろある。鉄砲玉が飛んできたり、崖から滑ったり」
「鉄砲玉? 何やってたんだ」

 今度は、竹流は返事をしなかった。真は黙ってその背中を洗っていた。
 多少の傷はともかくとして、綺麗な整った逞しい身体だった。筋肉の張りは皮膚の表面からも窺われるようで、その腕に触れると、この腕でどれほどの女を楽しませているのだろうと考え、複雑な気持ちになった。
 真の保護者として学校に行って以来、竹流は髪を短くしたままで、優雅さを保ったまま、太陽の光で焼けたしっかりとした首筋を後ろから見ると、不意にたまらない感覚が襲ってくるような気がした。

 広い湯船に向かい合って一緒に浸かりながら、竹流はちょっとの間、真を随分優しい目で見つめていた。真は思わず視線を湯の面に落とした。
「あんたが、」真はちょっと考えて言葉を切った。「何やら危なっかしい仕事をしてるのは分かってるつもり、だけど」
「何を言ってる? 俺がやってるのは、仕事じゃなくて趣味だ」
「趣味? 鉄砲玉が飛んでくるようなのが趣味なのか?」

 顔を上げて言うと、竹流が少しばかり、しまったな、という顔をした気がした。
「まぁな」
「何やってるのか教えろよ。何千万の金を動かせるって言ってたけど、普通じゃない」
 今度は竹流は真剣な目で真を見つめていた。
「知ってどうする?」
「どうって、別にどうもしないけど」
「知ったら俺から離れられないぞ。いや、お前を離さないかもしれないぞ」
 真は黙って相手を見ていた。

「しかし、今日は特別、お前の活躍に免じて許しておこう。俺がしているのは泥棒と詐欺だ。たまには怪我もする」
「泥棒?」
「いや、正確には何でもありだな。手を出さないのは、法外なクスリと武器くらいだ。時には今回みたいにトレジャーハンターと未開の土地みたいなところにも出かけることがある。人類の尊い財産をかっぱらったりするわけだ」
 真はまだ呆然と相手を見ていた。
「たまには人ん家から絵画や宝石を盗んでくることもある。別に自分のものにするわけじゃない、もとの持ち主に返すためにな」

 少しだけ言葉を切って、竹流は両手で湯を掬い、顔を洗った。
「ちなみに、人殺しはしない。物については、あるべきところにあるべきだと思っているだけだ。さぁ、これで俺と離れられなくなったわけだ、どうする?」
「どうって」真はちょっと下を向いた。「それ、俺をおちょくってるのか」
「いや、本当のことだ。もしも、お前が」
 竹流は言いかけて、今度は本当にそこで止まり、上がろう、と言って先に風呂から出た。

 真が浴室から出ると、脱衣場で竹流は何故か真にタオルを渡そうとはせず、真の身体を拭いてくれた。
 真は逆らう隙も伺うことができず、ただ任せていた。
 上半身だけでなく下半身まで丁寧に拭かれて、真は思わず自分のものが反応しないかと緊張したが、さすがに緊張の方が強かったのか、心の奮えとは裏腹にそこは大人しくしてくれていた。
 だが、竹流の方は何も言わず、真の顔も見ないまま、真が恥ずかしくなるくらいじっくりと時間をかけて、いや、むしろ真の身体の隅々まで確認するように丁寧に拭いている。足の間、そして後ろのその場所まで来たとき、真は頭の半分で、これは口封じとかいう理由で自分をどうにかしようとしているのだろうか、とも思ったが、女しか抱かないと言っていたし、多分そういうことではないのだろうと、気を取り直した。

 とは言え、緊張から逃れようと語りかけた自分の声は上ずっているようで嫌らしく感じた。
「それって、命に関わったりしないのか」
「そういうこともあるかもな」
 それ以上はその話題は続かなかった。竹流がタオルを洗濯機の上に放り投げたとき、真はやっと緊張から解放された。
 別に竹流の仕事についてどうこう言おうとは思っていなかったし、予想していた以上にひどい話というわけでもなかった。
 むしろ、人殺しだと言われなくてよかったと思った。

 翌日、真が起きた時には、竹流はもう髭を剃り落としていた。一晩で髭面に慣れ始めていたので、また無くなってしまうと、逆にちょっと驚いた。その真の顔を見て、竹流は面白そうに笑った。
「髭も良かったろ。惚れ直したんじゃないのか」
「惚れ直すってのは、もともと惚れてるってことだから、言葉の使い方が変だ」
「惚れてるだろ」
「意味わかんないよ」
 真は話を切り上げたが、竹流はまだおかしそうに笑っている。

 一緒に灯妙寺の離れに行くと、祖父の手料理が待っていた。釣りをする剣道の生徒からもらった新鮮な魚の刺身に、祖母の手作りの幾種類もの佃煮、季節の野菜の天麩羅、その他シンプルながら豪勢な食事が並んだ。
 前日の試合の話も含めて話題は尽きることなく、長一郎と竹流は気分よく酒を飲み続けていた。年齢も民族も性質も違うこのふたりが、一体どうしてこんなに馬が合うのかは謎だった。
 祖母の奏重は、お酒につき合うことのできない未成年の子供たちに、いつまでも待ってても埒が空かないから、先に寝るように言った。葉子は直ぐに、そうする、と言って部屋に上がった。真は一瞬どうしようかと思ったが、確かに待っていてもする事も無いので、奏重の言う通りに二階の部屋に上がろうとした。

「竹流さんと寝るでしょ」
 勿論、同じ部屋で、という意味で祖母は言ったに違いないが、真は一瞬びくっとした。それから、自分が何を狼狽えたのかと思った。
「もうそろそろあっちも切り上げさせないとね。長一郎さん、明日も早朝練習の生徒さんが来るのに」

 真は耳が熱くなったような気がして俯いた。
 祖母が今でも夫のことを名前で呼ぶことに、真はずっと何の違和感もなかったが、ある時、日本の夫婦では珍しいと聞いてから、奏重が夫の名前を呼ぶたびに、真も意識するようになっていた。そのことは少し自慢でもあったのだが、何故意識をするようになったのかと思うと、少し気恥ずかしかった。

 時計を見ると、もう一時を回っている。
 部屋に入ると、布団がふたつ並んでいて、真は心なしか二組の布団がひっつき過ぎかな、と思った。それが祖母の微妙な感情の結果であるような気がして、後ろ暗く不安な気もしたし、あるいは自分の考えすぎかとも思ったりした。
 とにかく、一方の布団に潜り込んで、ややこしいので竹流が上がってくる前に寝ようとしたが、どういったわけか眠れなかった。

 しかし、それほど時間も置かずに竹流が部屋に入ってきて、酔っぱらっていたせいもあってか、空いているほうの布団ではなく真の寝ている布団の方に潜り込んできた。真はびっくりして跳ね起きようとしたが、そのまま後ろから抱き締められた。
「酔ってるのか」
「うん、日本酒は気分がいいとついつい飲み過ぎて、しかもよく回る」

 酒にべらぼうに強く、もちろん幼少の頃から色んな意味で鍛えられているので、酒くらいではめったに酔わない竹流が、長一郎と飲んでいると気分がいいのか、時々こうやってかなりでき上がってしまうことがある。
「あっちで寝ろって」
「うるさい」
 そう言って、また抱き締める手に力を入れてくる。その抱き締めてくる手が、真の下腹部に触れそうな位置にあって、真は思わずぎくっとした。
「朝、片一方の布団で寝た気配が無かったら、おばあちゃんがびっくりするよ」
「そうかな。多分納得するだろ」
「何を?」

 しばらく何ともいえない間があって、それから竹流は寝ぼけたようなもにょもにょとした声で、真の背中から肩越しに言った。
「おばあちゃんは、何か理解してくれている気がする」

 何をこいつは言ってるんだ、と思ったが、その後は全く反応がなかった。
 結局そのまま竹流が寝てしまったので、真はどうしようもなくなってしまった。この腕から逃れて、別の布団に入ろうとも思ったが、あまりにもしっかり抱き締められていて離してくれなかったので、諦めた。
 それから、少しの間自分でも定まらないことをあれこれと考えていたが、何ひとつ収まりがつかなかった。

 子どもの運動会やお稽古事の発表会に、親が忙しい仕事の都合をつけて、何としてでも来てくれる、というような経験のない真にとっては、それがどれほど子どもにとって大事なのかということについて、何の根拠も感慨も持てなかった。
 もちろん、祖母はいつも来てくれたし、時々は祖父や大叔父たちも来てくれたが、他の子どもたちが若い両親に囲まれているのを見ると、心臓の真ん中にぽっかりと穴が開いたようになってしまうので、自分だけが違うということをまともに考えないようにしてきた。

 自分には親がいないということをいじける理由にする前に、真は諦めてしまっていたのだ。
 だから昨日、竹流の姿を応援席に見つけた時、真は嬉しいという感情に初めて出会ったような気がして、すっかり混乱してしまっていたのだろう。だが、親のようだと決めつけてしまうには、自分の気持ちはもっと透明で、もっとどろどろしていて、もっと複雑な色合いをしていた。

 真は竹流の腕の中で向きを変え、その胸に自分の方からしっかりひっつくようにした。そうすると、竹流は起きたわけではなかったのだろうが、逞しい腕で真の背中と頭を抱き締めるようにした。
 この男が詐欺と泥棒を働いていも、もしかして人殺しでも構わないと思っている。
 俺、やっぱりちょっとおかしいのかな、と思った。

 これが恋愛感情だとは思わなかった。もちろんつき合っている篁美沙子に対しての感情も、恋愛感情かどうか定かではないところがあったし、そういうものが自分の中できちんと区分けされて分類できるという気もしなかった。
 しかし、美沙子と会って別れ際に離れたくないと強く思うことはなかったのに、この男といると、不思議と離れたくないと思った。別に特別な行為をするわけでもないのに、どうしてそうなのか、わからなかった。


 この自分の中にある何か特別な感情を、あの頃真は持て余していた。まだ自分自身というものを掴み所なく頼りなく思っていた年代の真にとって、自分が異性ではなく同性の相手に興味を抱いていること自体が不可解で不安だった。もちろん、女性に興味がないわけではなかった。涼子を見て時々は自分が熱くなるような気もしていたし、美沙子と会えばいつでも夢中でセックスをした。

 ただ、考えてみれば、異性同性関係なく、人間そのものと深く関わることをどこかで怖がっていたのも事実で、美沙子とも身体を重ねるだけで、心から向き合えていなかったのかもしれない。もしも、心で求めるような深い感情があれば、彼女は離れていったりはしなかっただろう。
 だとすれば、やはり特別な感情を、もしかすれば北条仁が言うような特別な恋愛感情に近いものを、彼に対して抱いていたのだと言われても、否定する根拠もなかった。

 ただ、ひとつだけはっきりと自覚していることがある。
 あの頃、真は自分が恐ろしく幸せだったと、今でもちゃんとわかっているのだ。






この【海に落ちる雨】にはあともうひとつ、完全に独立した章(過去)があります。
第3節に出てくるのは、『わかってください』という章題の同居に至る過程。
もちろん、あの名曲、涙で文字がにじんでいたなら、分かってください~ってやつです。

高校を卒業する前に、いささか箍が外れてしまったこの二人ですが、イタリア旅行の後(そう、【幻の猫】のあとフィレンツェ→ローマ→アッシジとちょっとややこしいことに……)、いったん会わなくなります。
そして、大学1年生の秋、真が浦河の崖から落ちて死にかかって(実は死んじゃって、後は幽霊じゃないかという一部のうわさもあり??)、以後はつかず離れず……
その頃の話が【清明の雪】です。(真、大学3年生、ちょうど中退する時です)
それから何とか頑張っていた真が、妹の結婚を機に、ちょっと壊れそうになる。
付き合った相手が悪かったんでしょうか。妹の結婚相手、そして親友である富山享志の従姉と恋愛関係になり、自殺未遂の一歩手前までいくようになり、体を壊して入院。
それから大和竹流と同居に至るまでの過程を書いています。

またお楽しみに。

次回から、新潟の贋作事件に戻ります。
どんどん怪しい奴が出てきますが、真と一緒に竹流につながるヒントを探してやってください。
どの糸が彼に繋がっているのか……

次回、第12章『絵と女の来歴』です。


Category: ☂海に落ちる雨 第2節

tb 0 : cm 4   

[雨60] 第11章 再び、若葉のころ(2) 

青春小説の片鱗を書いてみたくて、高校時代の真のクラブ活動をちょっとばかり紹介。
剣道部でして。臭いので、胴着は自分で洗っていたと思います(さすがに妹にはさせられない)。
思えば、高校時代が一番、年齢相応で可愛らしかったような気がします。というわけで、目いっぱい可愛らしい?真を楽しんでいただければと思います。
ちなみにここに出てくる、同じクラブの主将の前原と対戦校の主将(古塚と言います、ここに名前は出てこないけれど)は将来、警察官になります。調査事務所所長になった真とちょっと絡むこともあり。
先の話ですけれど(*^_^*)





 その春の高校対抗の剣道大会の時、多分南アメリカに行っていて帰ってこないようなことを言っていた竹流が、何を思ったのか、途中で仕事を放りだして応援に戻ってきた。そのことは、葉子や真を随分驚かせた。

 だがあの時、多分竹流は、真がいつになく緊張しているのではないかと思ったのだろう。
 それまで真は自分ひとりのために戦ってきたのであって、決して誰かと苦楽を共にしたり励ましあったりするような戦い方はしてこなかった。それがこのとき初めてクラブなどという集団に属して、仲間と一緒に戦うことになり、剣道を始めて以来、これほど真剣に練習したことはないというほど頑張っていた。

 もともと勝負など時の運だと思っていたし、これまで自分が負けたところで誰も困ることはなかったので、勝負の行き先にこだわりも感慨もあまりなかった。強いて言えば、祖父に褒めてもらうことだけが目標だったかもしれない。怖いもののなかった真は、気楽に剣道を楽しんでいたし、ある程度までは強かった。
 しかし、このとき初めて真は必ず勝ちたいと思い、負けることを怖いと思った。仲間のためでもあり、後輩たちのためでもあり、そして何より、自分のためでもあった。

 準決勝の前に昼休憩になって、選手は応援席に戻った。
 剣道部の他の部員も享志のように真剣に友人を応援に来た他の部の者たちも、それからただひやかしの応援に来た学校の連中も、励ましの言葉を掛けてくれた。

 真は、葉子が弁当を高々とあげて自分に合図をくれたので、彼女の方を見て、初めて竹流がいることに気がついた。葉子と付き合っている享志も、今日は周囲への遠慮もあったのか、葉子とは離れて他の同級生達と一緒だった。この秋から真と微妙な関係になっている副級長の篁美沙子も、享志たちと一緒にいた。
 真は何となく気恥ずかしくて、彼女から目を逸らした。

 真はまっすぐに葉子の所へ行き、祖父と灯妙寺住職の妙元和尚に挨拶をして、一瞬躊躇ってから竹流の横に座った。
 何となく印象が違って見えたのは、髭のせいだ。金と銀の合いの子のような色合いだから、遠くからはわからなかったのだ。整えた髭ではなかったので、完全に無精髭の状態に見える。

「とりあえず、順調のようだな」
 真は頷いた。葉子が特製の『絶対勝つぞおにぎり』を手渡してくれた。
「でも、次の対戦高に、前に大会の決勝で立ち会った奴がいる」
 真ははす向かいの応援席の垂れ幕を見つめたままそう言ってから、ふと竹流の方を見た。

「どっか、行ってたんじゃなかったのか」
「ペルーにな」
「仕事?」
「あぁ、まぁそんなものかな」
 真はそれ以上追求しなかった。竹流が話をごまかそうとしたのが、放りだして帰ってきたからだとは思ってもみなかった。
「そいつは強いのか?」
「うん、強かったし、実際負けたし」
「怖いのか?」

 真は少し竹流の方を見ただけで何も答えず、葉子のおにぎりをかぶろうと手元を見た。
 それにしてもでかすぎる。幸いなことに、竹流から直接指導を受けている葉子の料理の腕は確かなのだが、その感性は時々ぶっ飛んでいる。
 周りの連中も賑やかに昼食を楽しんでいる。真はその様子を見ながら、独り言のように呟いた。

「怖い、かな。よく分からない。負けたくないだけだ」
「じゃあ、勝ってこい」あっさりと竹流は言った。「俺を守ってくれるだろう」
 真は呆れたような顔で竹流を見たが、竹流はちょっとからかうように笑った。
「いつか、そんなこともあるかもしれないからな」

 その言葉を聞いたとき、真は自分の中に誰かに勝ちたい、負けたくないという思いがあることを、そしてその思いはもしかすると決して他人よりも弱いのではなく、強く確かな欲求として存在しているのだということを、明らかに感じた。

 真はおにぎりを食べて、それから葉子に美味しかったと言って、祖父と和尚にもう一度挨拶をしてから、何か言おうと思って竹流の方に視線を向けたが、結局何も言わずに仲間たちのところへ戻った。
 言葉にはならなかったが、見えない何かに背中を押されるような気配でもあったし、後ろに誰かがいるという安心感があるような、不思議に甘ったるい気持ちだった。

 主将の前原が真に、次の試合の打ち合わせのために話しかけてきた。真はただ黙って頷いていた。短い昼休憩が終わると、選手たちはまた下に降りた。
 ちらり、と見上げると竹流と葉子が自分の方に視線を向けたまま、何か話している様子が目に入った。竹流の視線は一旦、観客席の享志や美沙子がいるほうへ投げ掛けられ、竹流は葉子に何か言葉をかけていた。葉子はちらっと向かいの観客席を見て、少しむくれたような顔になった。

 準決勝の開始の合図があり、先鋒の名前が呼ばれた。
 今、目の前には、準決勝の相手校がいた。昨年の優勝校で、真が立ち会ったことがあると言っていたのは相手方の主将だった。
 向こうも真に気がついているようだった。

 実は前原は、勉強のことはともかくとして、こと剣道に関しては理論派だった。
 この準決勝までは自分が大将を務めてきたが、この昼休みの間に真に、次だけはお前が大将だと登録してある、と囁いてきた。真は耳を疑った。
 前原は、真が以前相手高の主将と立ち会っていて、かなり相手を意識していることを知っていたようだ。その真の表には出さない闘志に期待したし、それは次期主将候補のひとりである中堅の宮城と、そういう意味では全く闘争心のない真を、自分が引退の時には競わせたい気持ちもあったようだった。
 本来なら部の主将である前原自身が試合の大将を勤めるべきだったが、どうしても前原はその計画を譲らなかった。これは彼のプロファイリングの結果だった。この運びを見て、相手の主将はちょっと緊張した顔で、真に意味あり気な視線を送ってきた。

 先鋒の芝田が勝って、そのあと次鋒、中堅がいい勝負をしながらも負けた。副将は前原で、その相手も三年生だ。以前も個人戦で何度か三位には入っていた選手で、強いことは間違いがなかった。前原は自分が負けるわけにはいかないというので、さすがに緊張していたようだが、いつもの数倍の粘りを見せた。
 そして勝負は大将に持ち込まれた。

 真は、いつもなら冷静に試合の成り行きを見ているもうひとりの自分が、今日はいないな、と思っていた。
 今日は自分はひとりだった。つまり、一人として完全な姿だった。そして、仲間のために勝つべきであることを知っていた。こんな闘いは生まれて初めてだった。面をつける前に相手を見据えると、相手が威圧するように真を睨み返した。一度目を閉じて、それから何気なく応援席に視線を向けた。

 最初に祖父の顔が見えた。
 真が小さいころは、身体も弱くて何度も熱を出しては、祖父母に孫息子を北海道に連れてきたことを後悔させていて、彼らはこの子供がまともに育たないのではないかと心配していた。二親とも一緒に暮らすこともできず、引き取った育ての親には首を絞められ、行く当てもないような頼りない子供を引き取った祖父母は、何とかこの子を育てようと必死になってくれていた。

 当時は牧場の敷地内に、いくつかの家族(何れも親戚だが)が家をそれぞれ建てて住んでいて、祖父母は年が離れてできた三男の弘志と一緒にひとつの家に住んでいた。
 弘志はその頃高校生で、田舎の悪坊主で知られていて、遊び歩いて悪さをしては何度か補導もされていたが、それも優秀な兄二人への反発もあったようだった。しかも次男の武史の子供が家に入り込んできて、ずいぶん戸惑ったのだろう。結局、弘志は短い家出を繰り返し、結局すったもんだの末に、しばらく長一郎の兄の家に住んでいた。

 とは言いながらも、真のことは密かに可愛いと思っていたらしく(弘志にとって、真も自分もある意味では同じはみ出し者であるという気がしていたのだろう)、あるときよちよち歩きの真が疾走する馬の群れに巻き込まれたとき、最初に危険を省みずすっ飛んできたのは弘志だった。もっとも、馬たちは自分たちのボスである羅王が立って真を足元に庇っていたので、それを上手く避けて走り去っていき、真には怪我ひとつなかったのだが、このことが弘志を更生させるきっかけになった。

 弘志は札幌の大学の農学部に入ってそれなりに真面目に四年間を過ごし、結局従兄弟たち三人で牧場を継ぐことになった。札幌では大学のマドンナと付き合っていたようだが、その後、何を思ったのかアイヌ人の娘を結婚相手に連れ帰った。もちろん、彼女への愛情は確かだったろうが、その根底には、東京で寂しい思いをしているはずの真を、自分が結婚した暁には養子として引き取ろうという気持ちがあったようだ。その女性なら、真を受け入れてくれるという確信があったからなのだろう。勿論、その結婚が簡単な話ではなかったことは、真も微かに記憶がある。

 特に弘志が家を出ている間に、祖父母の真への愛情はエスカレートした。
 とは言っても、祖父は可愛いと思う分だけ、傍で見ていてもそこまで厳しくしなくても、というくらい厳しかったようだ。この弱い子供を育てるには、厳しくしなければならないと思ったのか、ほんの幼稚園の時から竹刀を握らせて剣道を教え、馬や犬たちの世話も自分で責任を持ってするように、と押し付けた。

 真は実際この頃から、祖父に誉められたいと思って一生懸命に剣道の稽古をし、その後も何かの大会に出れば祖父が応援に来てくれるので、喜んで試合にも出た。試合でよほどの情けない負け方をしない限り祖父は怒らなかったが、その後の練習は悪いところを徹底的に直された。逆に勝っても、よし、と言うだけで、ものすごく喜んでくれた記憶がない。だから、真はいつも祖父に喜んでもらいたいし誉めてもらいたいと思っていた。

 ついでに言えば、祖父は、友人である津軽三味線の名人の手ほどきで三味線や民謡を趣味にしていたが、実際はほとんど玄人で、レコード会社から話を持ち込まれたこともあるようだった。民謡ではタイトルこそなかったが、祖父の江差追分を聴きに、遠くから人がやってきたこともある。
 だが、子どもの誰にもそれを教えることができなかったので、唄はともかくも三味線に関しては孫の真を唯一の弟子にして、趣味とは思えない熱心さで教えてくれていた。村の盆踊りでも祖父母と何人かの仲間が演奏に借り出されると、必ず真を連れ出して一緒に櫓に登らせてくれた。
 もっとも、剣道があまりにも厳しかったので、真はこっちは厳しくないと思っていたのだが、周りからすると礼儀作法に厳しい祖父は、三味線の件でも真に無茶苦茶厳しいと思われていたようだった。

 そうしたわけで、子供の頃の真にとって、祖父は唯一無二の尊敬できる大人であって、この人に褒められることが真の大きな目標でもあった。

 その祖父と目が合ったのかどうか、確信はなかった。
 今はただ、真は姿勢を正し息を吐き出した。
 面をつける前に、もう一度応援席を見たとき、一生懸命に応援してくれている同級生の中に享志と美沙子を、それから葉子を見つけ、その葉子の横に竹流の明るい髪を見いだした。ただ黙って自分に向けられた視線に、真は一瞬、時間が止まったような気がした。

 もしも試合で緊張している場面でさえなければ、真は自分の感情を考えたかもしれなかったが、その時は事実それどころではなかった。

 面を付け、合図で立ち上がったとき、真はこれまでとは違う何かが見えたような気がした。
 自分が戦うことで、勝つことで、他の誰かのためになるなどとは思ったことがなかったのに、今日は自分が、冷静に物事を見据えているもうひとりの自分と分裂しているのではなく、ちゃんとひとつの自分であって、そのひとりの自分の周りに多くの人がいることを感じた。

 立ち会いは、ほとんどの時間が相手の隙を窺う緊迫したものだった。相手もなかなか打ち込んでこなかった。
 相手の大将も真に一度は勝っているものの、真が強いことを知っていて、普通に打ち込んだのでは躱されると思い、慎重に構えているようだった。真はじりりと右へ動いた。相手も間合いを変えないために同じ方向へ動いた。

 会場は静まり返っていた。
 瞬間、向こうから胴へ打ち込んできて、真は跳ねるようにそれを躱し、一瞬の突きで相手の小手を狙ったが、僅かに届かなかった。その後さらにもう一度長いにらみ合いがあった。
 葉子も竹流も、そして多分それ以上に長一郎が、自分の拳を握りしめ歯をくいしばるようにして真と相手の動きを見つめているような気がしていた。

 本来なら技を仕掛けるようにという指導が入りそうなものだったが、あまりにも緊迫したムードが伝わったのか、一度主審が主宰のところに相談に行って試合を中断したが、そのまま試合は続行された。
 それでも、後半は指導を気にした相手が何度も仕掛けてきた。鍔迫り合いでも相手の気迫は嫌というほどに伝わってきた。一瞬、怯みそうになる気持ちを真は畳み込み、跳ね下がった。下がる時にはもう次の攻撃の準備をしている。

 灯妙寺の和尚が、真のこの左足を褒めてくれたことがある。もっとも、これも全て、祖父の容赦のない打ち込みをかわし続けた結果、真自身の身体に染み付いた技術に過ぎない。下がる時にも、次の攻撃の準備をしていないと、かわすこともできないのだ。身長が自分よりも遥かに高い大人の相手をしてきたお蔭で、真は大きな相手に対しても怯むということがなかった。

 それから何度か激しい打ち合いになったが、旗は上がらなかった。そのあと、また長いにらみ合いになった。四分がこれほどに長いと思ったことはなかったが、ある意味では気持ちのいい時間だったのかもしれない。力が互角の相手と、真正面から対峙している。

 もうこれ以上は我慢がならないほどのにらみ合いの後、軽く仕掛けて相手が突きに入ったその瞬間から、真の目には全てがスローモーションのように動き始めた。
 その時、相手の突きをかわしながら、飛び込むような得意の面が入った。

 試合時間の四分いっぱいだった。
 一瞬の静寂の後、歓声が応援席と後ろの仲間から上がった。前原が飛び出しかけて、自身を制し、真と相手の挨拶が終わると、今度は皆が飛び出してきた。
 真は面を外す間もなくくちゃくちゃにされて、それから面を外したところを思いきり前原に抱き締められた。

 実際は決勝が残っていたが、こちらはむしろ楽勝だった。準決勝の相手よりも弱かったし、自分たちの勢いもあった。真が先鋒に入り、次鋒の芝田、中堅の宮城で勝負がついてしまった。
 表彰式があり、皆と並んで賞状やトロフィーやメダルをもらったとき、生まれて初めて、勝って本当に嬉しいと思った。
 こういうことは初めてだった。本当はものすごく嬉しかったはずだが、後からクラブの連中が、お前もうちょっとにこっりしたらどうなんだ、と言ってきたので、多分いつもの如く全く表情には出せていなかったのだろう。だが、前原だけは、いや、こいつはすごく嬉しそうだったよ、思わず抱き締めちゃったもん、と言った。

 武道館を出たところで、応援団の出迎えを受け、取り囲まれた。初優勝だったし、皆が興奮していた。新聞部の取材に主将の前原が照れながら答えている横顔が何だか嬉しかった。
 享志も美沙子も、暇なのでつられて来ていただけだった同級生も、それから享志に引っ張られて上級生の中に加わっていた葉子も、勝者たちを取り囲んでいて、真はその中に院長の姿を見つけた。

 院長のウィンクを受けて、ようやくしみじみと勝ったんだと思い、自分がどれほど緊張していたのか、気が付いた。それから、ふと、本当にこの人が自分の母親になってくれていたら、と思った。そして、少し離れたところに、祖父と和尚と竹流が一緒に立っているのが見えて、真は皆をかき分けるように祖父のところへ行った。
 もしもあの人が母親になってくれていたら、などと思うのは、こんなにも一生懸命に自分を育ててくれた祖父に対して何て申し訳のないことだろうと感じた。自分はいつも彼を目標にしてきたのだ。

 祖父の前に立つと、一瞬緊張した。きっといつものように、よし、と言ってくれるだけだろうが、それでもその言葉を聞きたいと思った。
 だが、意外なことに祖父は真の頭に手を置いて、無言のまま何度も何度も頭を撫で、そしてようやく一言言った。
「よくやった」

 初めて祖父に褒められたのが、自分でも驚くほど嬉しく、顔にこそ出さなかったが、真は言葉に詰まってようやく頷いただけだった。これもまた長一郎に負けず劣らず頑固でおっかなく、褒めることの少ない妙元和尚も、真によくやったと言ってくれた。竹流はその様子を見ていただけで、その時は何も言わなかった。

 皆のところへ戻るとき、真はちらりと竹流の方を見た。長一郎に髭のことで何か言われたのだろう、顎を慣れない手つきで撫でながら、事情を説明しているように見える。何か声を掛けてくれてもいいのに、と思ったが全く真の方を気にしてくれている気配はなく、それがちょっと引っ掛かったものの、その時はそれ以上何も言えなかった。

 その日は、真も葉子も祖父の家に泊まることになっていた。解散になった後、祖父のところに電話をすると、葉子が出た。何の目的で自分が電話をしたのか、どういうつもりなのかわからなくなって、勢いで今日は友達のところに泊まる、と伝言した。
 葉子はちょっと黙った後で、言っとく、と言っただけで、どこ、とも聞かなかった。真に、家に泊まりに行くくらい親しい友人がいるとは思っていなかっただろうから、それがどこであるのは、彼女も察しているだろうと思った。
 そして、真はほとんど無意識に、竹流のマンションを訪ねていた。





真の高校時代の物語。
あまり書くことはなくて、こうして回想的に出てくるだけなのですが、ひとつだけ、簡単なお話を考えています。
語り手は、相川真の自称親友・富山享志。
彼らが通っているのはクリスチャンスクールなのですが、学校によくある七不思議に名探偵の卵・真が挑むってありきたりな話。実現の可能性は30%くらい?(低っ!)

続きは、いちゃいちゃの竹流と真です。
あ、単に、竹流が真をおちょくっているだけですので、危ないシーンではありません。

Category: ☂海に落ちる雨 第2節

tb 0 : cm 2