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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨65] 第12章 絵と女の来歴(4) 

第12章『絵と女の来歴』最終回です。少しずつ過去の出来事と現在が繋がっていきます。




 短い眠りを繋いで、いつの間にか朝を迎えた。
 真がぼんやりと、天井の染みが形を明らかにしていくのを見つめていると、足音と鍵を開ける音が続いた。また取調室へ連れて行かれるのかと思うと、署長の部屋に案内された。何かもっと具合の悪いことでもあったのかと思って、隣の制服の警察官の顔を見たが、何かを問いかける隙もなく、彼は所長室のドアをノックした。
 中から入れと声が聞こえてくる。

 ドアが開けられた瞬間、真は、これは事態が好転したのか、もっと悪くなったのか、どちらだろうと思った。
「ご迷惑をおかけしました」
 署長に頭を下げたのは、添島麻子刑事だった。
「いえいえ、特別な任務とあれば、予めお知らせくだされば、こんなご迷惑もおかけしなかったのですが」
 署長は、多少嫌味の篭った気配でそう言った。

 添島刑事は、ぼんやりとしたまま事態を飲み込んでいない真の腕を引っつかむと、さっさと部屋を出た。真は引きずり出されて、どうとも返事もできないまま、彼女に従った。
 外は明るく晴れていて、気分のいい空気だった。

 警察署の駐車場には、添島刑事の青いベンツが停まっていた。
「馬鹿」
 彼女は助手席の扉を開けると、真に乗るように促した。真は逆らうこともできず、素直に乗り込んだ。
「一体どうしてここへ」
 真は運転席に乗りこんだ添島刑事に、やっとの事で当たり前の質問をした。
「こっちが聞きたいわよ。まさか糸魚川まで来る気だとは思わなかったわ」

 添島刑事はベンツを発進させた。これは彼女のプライベートな車だろうから、彼女がここに来たのはあくまでも『私用』ということだ。
「どこへ」
「東京に帰るに決まってるでしょ。世話を焼かせないで」
「どうしてここに」
「私だって来る気はなかったわよ」

 添島刑事は赤信号で停まると、やっと真のほうを見た。
「どうしてそんな無茶を思いつくの?」
「無茶をしたわけではありません」
「そうかしら。もうちょっと上手く逃げ出せる方法はあったんじゃないの?」
 それはそうかもしれない。
「レンタカーを借りたままだ」
 情勢が悪くなりそうなので、話の向きを変えてみたが、あっさりと返事を返された。
「返しておいたわ」
「それは、どうも」

 添島刑事は無言のままアクセルを踏んだ。糸魚川から一刻も早く出たいような気配で、アクセルの踏み込み方は警察官というより暴走族のようだった。
「ここまで車で?」
「歩いてきたように見える?」
「見えないけど」
 ここまで車で四時間半、彼女は朝一番から叩き起こされて何か言われたのだろう。機嫌が悪くて当然とも思えた。
「それで、どうしてここに?」
 この当たり前の質問の繰り返しが、彼女を怒らせるような気はしたものの、一応聞いてみる。沈黙のほうが気まずいせいもあった。

「昨日、美和さん一人東京に帰したでしょ。彼女から電話があって、事情があって九州へ行くけど、あなたのことをよろしくって言われたの。放っておこうと思ったら、昨日のうちに、あなたの前科やら仕事について糸魚川署から問い合わせがあって、取り調べられているって言うじゃない。大体、美和さんと一緒にいなさいって言ったのに、勝手なことをするからだわ、と思って無視していたら、今度は早朝から総監にお呼び出しを食らったのよ」

 真は添島刑事の横顔を見て、やっぱり怒っているな、と思いつつも聞いた。
「澤田代議士が、何か」
「あなた、澤田が自分を助けてくれたと思ったの?」
 運転を続けたまま、彼女がちらりと自分を見た。
「まさか」それ以上は言葉にならなかった。「申し訳ない」
「何が」
「だから、つまりあなたはここへ来るように命じられて、不本意ながらやって来た」
「その通りよ」

 添島刑事はぶっきらぼうな声でそう返事をしてから、暫く間を置いた。それから一つ溜息をつくようにして、先を続けた。
「でも、もっとショックだったのは、朝倉武史が昔と違って見えたこと」
 やはり、彼女にここへ来るように仕向けたのは、父だったのかと思った。
「どういう意味ですか」

「ICPOにいた頃、ロンドンで一度だけあなたの父上に会ったわ。張り詰めた、氷のような男だった。仕事を冷徹にこなし、一人で戦っている男だった。噂も、会った本人も、そういう男が尊敬できるとか格好いいとかいうレベルじゃなくて、こういう男は遠くから見ているだけでいい、と思った。ところが、今日会った男は、相変わらず冷たい表情をしているのに、何だか随分老いたように見えた。氷のような塊を胸のうちに持っている男だと思っていたのに、そこから滲み出ているのは、何だか息子が愛おしい、っていう、父親っぽい情愛に見えた。あんな人種には、随分安っぽい感情でしょ。そんなものを持った途端に、身を滅ぼす世界に生きているのよ。合法にしても非合法にしてもヤクザのような組織に属している人間が、そういう感情を持った途端に、後ろからドスンってやられる場面を何度も見たわ。何だか哀しい気分になって、こんなところまで来る破目になったのよ」

 真は焦点の定まらない前方を見たまま、今の添島刑事の言葉を頭の中で反芻していた。
 父親の情愛? まさか、あの人にそんなものがあるとは思えなかった。
 彼女が見たものは間違いだろうと思った。そして、間違いであって欲しいと思った。何故、間違いであって欲しいと思ったのか、それは自分でもよく分からなかった。

「少し眠ったら? どうせ、留置場の汚い布団の上じゃあ、よく眠れなかったでしょ」
「いや、途中で運転替わります」
「冗談。寝不足の人に自分の車を任す勇気はないわ」
 それもそうだ。愛車というものを持つ人は、自分の車を他人に運転させない。竹流も、何台かある車のうち、テスタロッサだけは絶対にキィを他人に渡さない。

 真は暫くの沈黙の間に、後ろめたい気持ちを押し込めようと努力をしてみたが、無駄だと思った。
「あの」
「何?」
「寄って欲しいところがあるんだ」
 添島刑事は暫くそのまま運転していたが、そのうち車を左に寄せて停めた。川べりで、遠くのほうで電車の音が聞こえていた。
「あなたのセンチメンタルな気分につき合って来いとは言われてないわ」
「分かってます」
 行き先など知れているだろうと思った。糸魚川に関係して、真が行きたい場所などひとつしかないのは、添島刑事も分かっているだろう。

 河川敷を体操服姿の学生の集団が、掛け声と共に走り去った。
 添島刑事は大げさに溜息をつくと、また暴走族なみの気風の良さで、車を反転させた。
 添島刑事もここに来て、その場所を聞いていたのかもしれない。あるいは、始めから真が行きたがることを分かっていたのかもしれない。気恥ずかしくて、聞く気にも礼を言う気にもなれなかったが、心のうちでは有り難いと思っていた。彼女が竹流の女だから、真に優しいのかどうかは分からない。だが、これは彼女の性質なのだろう。いかにも、竹流が好みそうな気の回り方だった。

 辿り着いたその場所は、公園になっていた。
 公園といっても、ただ木が繁っている散歩道といった場所だった。犬を伴った老夫婦が見えた。田舎だし、犬などその辺で走り廻っていても良さそうだが、ああやって夫婦の会話を楽しんでいるのかもしれない。
 二十三年前に、まだ決して老いてはいなかったはずの夫婦が、死を選んだ場所には見えなかった。

 車を降りて、真は暫く道の反対側の木々を見つめていた。添島刑事は車の中に残っていたが、暫くするとエンジンが止まる気配がして、彼女が後ろから声をかけてきた。
「缶コーヒーでも買ってくるわ。あなたも飲むでしょ」
 そう言って、真の返事を待たずに添島刑事は歩き去っていった。買うと言っても周辺に店など見当たらなかったし、彼女も当てがあったわけでもないようだった。彼女なりの気遣いだと思うと、更に有り難いと思う半分で、ますますこの女を恋人にした男の好みが現れているようで、複雑な気分になった。

 真は道路を渡って、その敷地に入った。
 敷地は、もと旅館だっただけあって、一見ではどのくらいの広さなのか分からなかった。隣の敷地は畑で、さらに隣には古い家屋が建っていた。公園の反対隣は舗装のされていない道が奥へ伸びている。敷地を囲むように、古い竹の柵が巡らされていた。それでも、二十三年前のものとは思えない。

 ここで、小さな頃の深雪はどんなふうに育っていたのだろう。深雪の顔立ちからも、多分上品で美しい娘だったのだろう。その娘に突然に襲い掛かった両親の犯罪と自殺。それを招いた新聞記事。
 もしも深雪が、それを書いたのが澤田だと知っていたら、澤田に復讐をしたいと思っただろうか。そして、自分と同じような境遇の、かつての恋人の娘に対してはどんな思いでいるのだろう。

 ふと見上げると、木々は枝を重ねて、その隙間から暖かい光が降り注いでいた。梅雨の季節だったが、ここは東京とはまた違った気温と天気を持っているのだろう。鳥の声と、向こうで犬の吠えている声、目を閉じると風が木々の葉を震わせる音が幾重にも重なり、真の感情ごと包み込んでいる気配がした。
 深雪を、もっと知っておけばよかったと、心から思った。
 美和に申し訳ないと思う気持ちも、一緒に沸き起こった。
 そして、自分の腹の奥のほうにある欲望にも気付かざるを得なかった。深雪でも、美和でもない。今何故これほどに飢えているのか、その核が何なのか、木々の隙間から降りおりてくるような気さえした。

 生きている彼に会いたかった。そして彼自身の口から、一体何故こんなことに巻き込まれたのか、自分自身を犠牲にしてまでも何を守りたいと思っていたのか、聞きたかった。

「どうぞ」
 どれほどの時間が過ぎていたのか、真は添島刑事のよく通る声で我に返った。
 添島刑事を見た瞬間に、真自身とは何の関係もないはずの彼女の声と存在に、安堵している自分に気が付いた。真は添島刑事から缶コーヒーを受け取り、一緒に少し歩いて公園の中の朽ちかけた色合いのベンチに座った。
 コーヒーは甘ったるく、冷えてはいなかった。それでも、胃に染み渡るとほっとした。

「あなたを練馬インターの近くで降ろすわ。彼の仲間のところに行って、一緒にいなさい。くれぐれも彼のマンションやギャラリーに近づいちゃ駄目よ」
 真は思わず添島刑事を見つめた。
「俺を連れて来いと、言われているんじゃないんですか」
「だから、逃がすと言ってるのよ」
「あなたが困るのでは?」
「本当は河本だって、あなたを総監に渡すのは本意ではないのよ。糸魚川から余計な報告があって、あなたの父親や河本が口を出したので、総監も何事かと思ったみたいだけど、煙に巻いてしまいたいのは河本も同じよ」

 真はもう一口コーヒーを飲んでから、尋ねた。
「何故急に警察が動き出したんですか。俺が糸魚川で留置場に入れられていただけではないですよね。竹流のマンションに近づくなって」
 添島刑事もコーヒーを飲んでから一つ息をついて、先を続けた。
「数年前の事件の証拠物件が盗まれて、その事件で死んだ男の娘が誘拐されたのよ」
 真はまた無遠慮に添島刑事を見つめた。
「それは、新津圭一のことですか」
 添島刑事はコーヒーを飲み干して、頷いた。

「娘が、見つかったんですか」
「どういう意味?」
「そもそも新津圭一が自殺した当初に、その千惠子という娘が預けられていた施設は地上げでなくなっているって」
 よく知ってるわね、という顔で添島刑事は真を見つめ、それから気を取り直したように説明した。
「その後、新津千惠子がどういう経緯で今の施設に預けられたのかは分からないけど、その施設からその子がいなくなった」
「でも、それでどうして竹流が関係するんです? 彼のマンションに近づかないほうがいいっていうのは」
「寺崎昂司が容疑者なのよ」

 真は混乱して添島刑事をまた見つめた。
「警察が聞き込んだら、寺崎が運送屋として大和竹流のギャラリーに出入りしているのがわかった。それで関係者として大和竹流に事情を聞こうとしたら、本人も行方不明、しかも病院から失踪している。その上、大和竹流が外国人で、六本木や新宿界隈の外国人の元締めに突っ込みを入れたら、そいつらが一様に彼を庇う気配を見せた。こいつもとんでもない悪党だな、そういえばキナ臭い噂もあるじゃないかってわけでしょ。その上、つい最近、寺崎を大和竹流のマンションの近くで見たという目撃証言まで出たのよ」

 真は事の展開についていっていないな、と思った。だがそれは、添島刑事自身も同じようだった。
「今夜、どこかで会いましょう。車を換えてくるから」
「車を換える?」
 添島刑事はちょっと息をついて立ち上がった。
「一旦総監にも河本に会わなければならないし、あんまり帰りが遅いと向こうも勘繰るでしょ。それに私の車は目立つし、何よりどこに盗聴器があるとも知れないし」
「総監があなたを疑っている、という意味ですか」
「そうじゃないわ。河本が私を信用していないのよ。大和竹流の女だから」

 真もコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「事務所も危険よ。分かってるわね」
 赤坂の近くの国道でピックアップしてもらう約束をして、彼らは車に戻った。

 添島刑事は無言で運転を続けていた。高速の車の流れは極めて順調で、真は外の景色を眺めながら、時々は目を閉じ、時には不意に添島刑事の横顔をちらりと見たりした。
 確かに、竹流の趣味はかなりいいと思う。自分にはあり得ないタイプの女ばかりだが、世間からはかなり羨ましがられるような女ばかりだ。他にあと何人くらい恋人がいるのだろう。彼女たちは皆、自分が何分の一であるかを知っているのだろうか。

 真は、一度納まってしまうとなかなか体勢を変えづらいシートで少しだけ外のほうへ身体を向けて、目を閉じた。
 それでも、想いを等しくしている人間の側は、決して居心地が悪いわけではなかった。
 自分だけではない、彼女もまた、彼が置かれている状況をより深く知っているだけに、今直ぐにでも彼に会いたいと強く願っているのだろう。






次回から第13章『街の色』です。
糸魚川から東京へ戻った真は、以前勤めていた調査事務所があった六本木へ。
そこで竹流を探す外国人の動きを知り、元締めを訪ねる。その男たちとは過去に因縁があった。
さらに、添島刑事からは新しい情報が。
そして竹流の仲間であり、彼を想うゲイバーのママ・葛城昇と複雑な感情のやり取り。

事件の渦の中に少しずつ巻き込まれていく真。
遠巻きにしていた真実が近づいてくる。

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Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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