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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨75] 第15章 ビデオと女記者の事情(2) 

少し間が空いてしまいましたが、第15章の(2)をお届けいたします。
プリンター(兼スキャナー)が壊れてしまって、ソ連の残り記事を書こうと思ったのにできません…残念。

竹流が隠そうとしていた(あるいは保管しようとしていた)ビデオは、新津圭一という雑誌記者の死が自殺ではなく他殺であるという証拠でもあったが、また別の犯罪の映像でもあった。竹流は、被害者を想い、動くことができなかったに違いない。だが、何か事情があって、竹流と寺崎昂司は犠牲者である少女を隠し、寺崎は新津の残したフロッピーを盗み出そうとした。
まだ、真実には届かない。
映像に衝撃を受けた真は、すっかり混乱してしまっていた。


楢崎志穂、全編中、最も分かりにくい女と、最も分かりにくい主人公の真のシーンです。
色気はないので、特に18禁にはしておりませんが、一部官能的な表現が使われておりますので、15歳未満の方はご遠慮ください。

では、続きをどうぞ。





 真が動かないままでいると、志穂は少し間を置いてから、寝室の電気を消し、真の側に寄った。灯りを消しても、壁際にフロアライトが残っていて、光の乱反射は艶めかしく情景を変えただけだった。

 その曖昧な明かりの中に立つ志穂の声と気配に現実味がないように思えるのは、彼女が自分と目を合わせないようにしているからだということに、今さらながら気が付いた。

 志穂は躊躇いがちに真の薄手のジャケットに手を掛け、脱がすようにした。
 誘われているのかどうか、あまり確信はなかった。しかし、志穂の手が再び真のスラックスのベルトに触れた瞬間、頭の中は真っ白になった。

 男の首に巻きついていた濃い色のベルト。ゆっくりと絞め上げて、肉に食い込んでいく。
 一気に込み上げてきた吐き気は、別の表現をとって真の体を締め上げた。

 一瞬、自分が彼女の首を絞めているのか、彼女が自分の首を絞めているのか分からなかった。
 万華鏡のように散らばる鏡の中に、数限りない自分と彼女と、あるいは自分でも彼女でもないものたちがばら撒かれ、脈絡もなく次元を折り重ねた。どこかに本当の自分がいるのか、あるいはそんなものはとっくに失われてしまったのか、分からなかった。

 いや、首を絞めていると思ったのこそ、幻だったかもしれない。
 その感覚は息ができないという現実の結果で、その理由は真が呼吸のタイミングを掴めないほど必死になって彼女と唇を吸い合っていたからだった。

 相手が誰かということも、確信が持てなくなっていた。
 多分どこかで、りぃさだと思っていた。

 乾いた細い指が、真の首に巻きつき、躊躇うこともなく絞めてくる。少女のままのような身体なのに、ねっとりと絡みつくように真の身体の一部を咥え込み包み込む、その同じ頭の下についた腕、か細いのに意外に力のある指が、赤い紐やベルトを彼女自身の一部のように支配し、真の首に絡みつく。
 下半身と上半身を同時に締め付けられる異様な快感。

 りぃさ。
 実際にその名前を呟いていたかもしれない。彼女の中はあまり濡れているようではなかったが、暖かく、狭く、真を締め付けて、どこかへ連れて行こうとする。

 だが、愛していたわけではなかった。狂うほどに求め合っていたのに、あれが愛だったとは思えなかった。愛が何かも分からなかった。好きだったかさえ、記憶がはっきりしない。たとえ結果はどうであれ、美沙子の事は好きだったという確信はあったのに、りぃさを思い出しても何も出てこない。
 一緒に死んでもいいと思っていたのに。

 あれは狂気だった。自分の中にある、死を喜んで受け入れようとする快楽に似た狂気。それを今日、あのビデオを見た時、目は見ることを拒否していたのに、どこかで異様な興奮が目覚めてくるのを感じていた。
 死体を吊り下げ、女になっていない少女を犯す男の欲望。吐き気のする悦楽と興奮。

 妹の結婚式のワンシーンがフラッシュバックのように浮かび上がる。
 この結婚にいかにも不満があるように、他人に思わせるな。二次会に出て、それから、気が向いたらマンションに来い。

 そう言って、涼子の身体を抱くように式場から出て行った男の後姿。
 くすんだ金の髪と穏やかな青灰色の瞳。
 自分をりぃさという狂気の具現に向かわせたきっかけが、その後姿だったということを、ずっと認められないでいた。

 あれはアッピア街道の石畳の彼方に見た影だ。まるで自分自身を見るように、哀しく穏やかな瞳で彼を見つめていた影。
 彼は影に問うた。
 主よ、どちらに行かれるのですか。
 もう一度、十字架に架けられるために、ローマに。

 ローマの教会の地下にある古い礼拝堂。小さな明り取りの窓、立ち並ぶ柱を浮かび上がらせる天の光。壁から降ろされた絵、その前で恍惚と絵を見上げている横顔。
 立ち竦んでいる真を振り返り、おいで、というように手を差し伸ばす。抱き寄せられるように一緒に石の床に座り、絵を見つめる。

 十字架から降ろされるイエス・キリスト。その手のひらに残る打ち込まれた杭の瘢。
 彼の右手。

 ふと抱き寄せてくれた右手を見ると、その手が掴んでいる真の白いシャツに、赤い血が滲んでいた。血は徐々にシャツを真っ赤に染め、恐怖に駆られて真が隣の男を見ると、もう彼には実体はなく、その影はさらさらと崩れて空気に散らばった。後には赤い血の背景が散らばるばかりで、その血の色はまた別の血に重なっていく。

 幼い少女を飲み込む黒い男の欲望。
 実際に血の臭いが鼻の中に充満しているような気がした。寺崎の血の臭いかも知れないし、別のものかもしれなかった。

「どうして泣くの」
 責めているような、慰めるような、あるいは何の感情も介さない声だった。
「ごめん」
「どうして謝るの」
 返事ができなかった。それからふと志穂の顔を見ると、泣いていたのは彼女の方だったのか、と思った。

 志穂は真を上から覗き込み、それからゆっくりと真の隣に身体を寄せた。
「小松崎りぃさ、って人の事を聞かせて」

 真は突然現実に戻された気がした。崩れていった竹流の幻や幼い少女の犠牲に比べたら、りぃさはよほど現実の、思い出してもまだ耐えられる対象だった。
 それは単に、失ってから流れた時の長さによっているのかもしれない。

「誰から聞いたんだ?」
「田安さんが言ってた。女に入れあげて身を滅ぼす男がいるけど、あれは女の自殺願望に引きずられて、自分もそうだと思い込んでいただけだって」

 真は返事をしなかった。志穂も暫く黙っていた。
 隣にいるのに、何故か志穂からはぬくもりを感じなかった。りぃさと繰り返し繰り返し求め合っていた時と同じだった。
「愛してたの?」
「よく分からない」真は今度は素直に答えて、問い返した。「君は? 新津圭一を愛していたのか?」

 志穂はその巻き返しに一瞬身じろぎしたようだったが、やがて小さな声で答えた。
「そうよ。尊敬していたの。いつもたてついてばっかりだったけど、心の奥では早く私の気持ちに気が付いて、って思ってた。でも、子供を愛していて、入院している奥さんのことも大事に思っている人だった。だから、自分の気持ちを抑えることもできた。それなのに、香野深雪と付き合うようになった。彼が香野深雪に深入りしていく様子をずっと側で見ていたわ。男が女にのめり込んで、身を滅ぼしていくのはこういうことなのかと思った」

「君が、あの記事を書いたんだろう? あの記事を読む限り、強請られていたと思われる何人かの政治家の顔が思い浮かぶ。澤田顕一郎を追い落とすためか。それが香野深雪にも影響すると思ったからか」

「澤田にとってあの女がどういう存在なのか、彼女に何かあれば彼がどうするかということには興味はあったわ。でも、追い落とすのが目的だったわけじゃない。それに、私が記事を書いた出版社は不渡りを出して倒産した。もう誰も新津の件には触れなくなった。でも、香野深雪は澤田を疑うと思った。あの女は両親の自殺以降、新潟には帰っていなかったはずだけど、自分の両親と同じように、首を括って新津が死んだ。自殺するはずじゃないと、彼女が信じていた男が。香野深雪が澤田を疑うかどうか、確信があったわけじゃないけど、彼女の中に澤田への疑惑が生まれてもおかしくないと思った。澤田顕一郎が何故自分を援助してくれるのか。案の定、彼女は糸魚川に行った。自分の両親を自殺に追い込んだのが、記者時代の澤田顕一郎の告発だと知ったはずよ」

 志穂が淡々と語る声が、次第に真を落ち着かせていった。
「君は田安さんと澤田の関係を知らなかったのか」
 志穂は少し躊躇っているような気配だった。真が志穂の顔を見ると、彼女は天井を見つめたままだったが、その目に少しだけ光るものがあったように見えた。

「澤田が田安さんの葬儀をすると知ったとき、正直びっくりした。田安さんは殺されたの?」
 今度は志穂のほうから真に尋ねた。
「そうだと思うけど、今度の件に関わっているのかどうかは分からない。新津圭一は、本当に澤田を脅迫していたのか?」
「誰を脅迫していたのかは分からない。だって、相手の名前はどこにも残っていなかったのよ。完全に抹消されていた。新津の残していたはずの手帳も、メモも、そういったものの一切が」

「だが君は、新津圭一が脅迫していた相手が澤田と、幾人かのそれらしい政治家ということにして告発した」
 志穂は答えなかった。
「もうひとつ、聞いてもいいか」
 彼女は全く動かなかったが、真は先を続けた。
「本当に、君は香野深雪の妹なのか」

「どうして聞くの?」
「君が、彼女と血が繋がっている気がしない」
 真の側で、志穂が咽の奥で笑ったような気がした。
「セックスしてみて分かったってこと?」
「馬鹿な」

 言葉では否定したが、確かにそういう一面はあったのかも知れない。
 志穂はむしろ、真に深雪ではなくりぃさを思い出させた。もちろん、ある女とある女に共通項があると思うのは、その女をよく分かっていないからに違いない。すっかり似た女などどこにもいないのだから。

 だが、自分にとって香野深雪という女が特異な存在であることだけはよく分かっていた。
 彼女ほど男としての真を昂ぶらせる女はいなかった。湿っぽく暖かく、彼女の中に入ると、自分の男としての何かが強く刺激され、全部をこの女の内に吐き出してしまいたい衝動に駆られる。
 女の体を生物の雌として感じ、子孫を残すために雄が持つ生殖行為という欲求の存在を、あるがままに受け入れられるような気がする。

 志穂はまた少し笑った。
「私もよく分からない」
「分からない?」
 志穂は身体を起こした。そのまま上から真を見下ろす。胸だけは豊かだったが、全体には痩せている。短い髪は抱き合った熱のためか、乱れて額に張り付いていた。志穂の頭の上、天井の鏡の中で、幾つもの彼女が重なり、散らばり、どれが現実なのか分からなくなる。

「どうして香野深雪の男ばかり好きになるのかしら。もしかして、やっぱり血が騒ぐのかしら、ってそう思ったけど」
「新津圭一はともかく、君は深雪と付き合っていると知って俺に近付いたんだろう? それは、好きになったとは言わない。そう思うように自分の気持ちを追い込んでいる。違うか?」

「じゃあ、あなたは? 小松崎りぃさの身代わりに香野深雪を好きになったの? それともやっぱり香野深雪とは身体だけの関係で、秘書の柏木美和が本当の恋人なの? でも彼女は北条仁の女でしょ。それとも、それはみんなまやかしで、あなたが本当に愛しているのは、全く別の人間?」

 真は暫く、志穂の顔を見つめていた。あなたの秘密はみんな知っているのよ、というような彼女の目には、真の心の奥にある複雑で重い塊を捻る力があるように思える。
 その目が、距離感を一切狂わせながら、視界いっぱいに散乱している。

「それなのに、あなたは他の女を、それぞれちゃんと愛しているって自分で思い込もうとしている。小松崎りぃさがどういう女だったかは知ってる。十代でAVに出ていた。麻薬を使ったり、ヤクザ絡みでも、何回も補導されている。それをあなたの妹の旦那の家が、名誉に関わるからって全て金を積んで握りつぶしていた。彼女はあなたの親友の従姉で、しかも不名誉な出生で、そのせいかどうか、いつも死にたがっていた。あなたが彼女と付き合ったのは、妹を取られた腹いせ? あなたの妹は本当は従妹で、あなたたちは結婚してもおかしくなかったわけでしょ。親友に讓って、いざ結婚ということになったら惜しくなったの? だから、あなたは自分の親友が困るようなことをしてみたかったの?」

 真は、この女は自分に対してどういう憎しみを抱いているのだろうと思った。
 葉子の事は、もう自分の中ではけりがついていた。りぃさの事をなかったことにしてしまえないのは、他の理由だろう。初めてりぃさと寝たのは、まさに葉子の結婚式の日だった。だが、それは葉子を妻に迎えた男への嫉妬ではない。

 妹のウェディングドレスのデザイナーが装っていた、控えめで艶やかな紫のドレス。他の誰かが着たら蓮っ葉で下品に見えるような危うい色合いが、彼女に纏われると上品で高貴にさえ見えた。その女の腰に優雅に腕を回した男の左手。薬指に光る銀の指輪に装飾された荊と紋章。

 あの指輪を外すのは、男が修復作業の際に大切な美術品を傷つけないようにするためだ。彼の手が女よりも大事に扱う絵画、障壁画、屏風絵、教会や寺院の装飾品。

 だが、あの夜。
 真が望んだからだが、彼は指輪を外した。

 これが気になるか?
 そう聞かれて、真は首を横に振った。嘘だった。あの指輪が何を意味しているかは知っていた。ヴォルテラの後継者である印。それは彼という人間を、この世でも天からでも、見分けがつくように区別するための印のように思えた。

 この女に何かを説明することなどできない。自分でも本当の答えを知らないのだから。だが、今特別に志穂に対して憎いとか鬱陶しいとかいうような感情は、湧いてこなかった。

「新津圭一のことを教えてくれ」
「新津圭一の何を?」
 真は目を閉じて、鏡に散らばる幾つもの自分と志穂と、それに連なる幾多の人の影を消し去った。
「どんな男だった?」

 少しの沈黙の後、いくらか離れたところから志穂の声が聞こえた。
「あんまり見栄えがいい男じゃなかった。背もそんなに高いわけじゃないし、太っていたわけでも痩せていたわけでもなかった。体だって、別に鍛えていたわけでもないし、どこにでもいるような人。目は少し茶色がかっていた。唇だけはちょっと色気があって、声が良かった。低くて、近くで囁かれると、いい気持ちになるような。記者としては」

 一旦、志穂が言葉を切った。真は目を閉じたまま待った。
「最高の男だった。真実を突き止めたいという強い意思を持っていた。同僚には優しかった。優しすぎるんじゃないかと思うくらい。女には」

 志穂がもう一度言葉を切り、真はふと目を開けた。志穂は真を見つめていた。
「仕事としては付き合っても、のめり込むような男には思えなかった。香野深雪だけがどうして違うのか、それはあなたの方がよく知ってるんじゃないの?」

 真はその問いには真摯に答えてやらなければならないような気がした。しかし、上手く言葉は見つかりそうになかった。
「深雪は哀しい海のようだから」
 思いつくままを言ったが、自分でも何を言っているのか分からなかった。

「海?」
「男は、自分が女から生まれ出てきたことを知っている。でも男には新しい生命を生み出す力はない。生命はずっと昔に海で形を作った。幾つもの原子、粒子、エネルギーが形を成し、生命になった。そういう記憶を誰もが遺伝子の奥に持っていて、脳の一番深いところに眠らせている。深雪を抱いていると、彼女の中の海に、そういう記憶が蘇る気がする。生物としての自分に返るような気がして、それがたまらない肉体の快感になって跳ね返る」

「それは、ただ香野深雪が名器の持ち主で、彼女の中に入ると気持ちいいって話を、美化して言ってるだけ?」
 真は何故か素直に答えた。
「そうかも知れない」
「あなたが、香野深雪を愛しているようには思えないもの」

 真は黙っていた。深雪を抱いているときだけに感じることのできる何かを、他のものに譬えることはできない。
「香野深雪に会いたい?」
 真は、ぼんやりとしていた頭に強く刺激を受けた。

「どういう意味だ? 彼女の居場所を知っているのか?」
「知らないけど、行きそうな所は見当がつく」
「どういうことだ?」
「彼女がようやく自分の記憶を辿り始めたとしたら?」
「記憶?」





もう少し会話は続きます。
あと2話分で、15章そして第2節が終わりです。
そうしたら、登場人物紹介が待っていますよ(*^_^*)
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Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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