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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨83] 第17章 豪農の館の事情(1) 

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【海に落ちる雨】第17章です。
フェルメールの贋作を巡って行方が分からなくなっている同居人、大和竹流を探してたどり着いた新潟。
問題の贋作が蔵から見つかったという豪農の館には、複雑な歴史もあったようです。
さて、この章ではその歴史を紐解いていきます。
このあたりから、前半のエピソードを拾って行きます(=謎解き篇。謎というようなものはでてきていませんが)。
前半を読むのが面倒くさいときは、ここから入ってくださっても、意外にいけたりするかもしれません。
前回から、真の旅に付き合ってくれている任侠の男・北条仁の毒舌、全開です(次くらいから?)。

写真の解説。
IL DIVOと嵐の新譜と一緒に並んでいるのは、この物語を書きあげるのに力になってくれた本たち。
内容とは関係ありませんが、頑張って最後まで書こうと思わせてくれた、そんな勇気をくれた本。
『雨月物語』はたまたま並んでいるだけです^^;
この中の『菊花の契り』をテーマに【百鬼夜行に遅刻しました】第3話(秋物語:菊)を書くつもりだったのですが、結局、今、お能の『菊慈童』をテーマに書いています。Stella/11月号に間に合うはず……





 村上まで降りると、駅前で花屋と洋菓子屋を見つけて、薔薇とケーキを買った。意外にも甘党の仁は、ケーキの注文ひとつでさえうるさいほどだった。
 こういう妙なこだわり方は、確かに女がこだわるより男のほうがしつこいこともある。
 同居人の料理全般へのこだわりも同じだ。

 賢二を引き取っていた頃、晩秋にマグロがあがったと大間から連絡があって、早朝から叩き起こされて車に乗せられた。賢二は一体この男は何なんだ、と思ったようだ。
『うるせえオヤジだ』
 思わず呟いた賢二には、真も同感だと思う面もある。

 同居人に言わせれば、食材にはその時、というものがある。それを逃したら本当に旨い物は食べられない。だから、万難を排してその場所に食べに行く、というわけだ。
 うるさいオヤジだと言っていた賢二は、大間で生マグロを口に入れた瞬間から、態度を変えた。一気に尊敬の念が湧き起こった、と言う。

 いくら何でもそれは大袈裟だと思ったが、家族の愛情に恵まれなかった賢二は、本当に旨いものを、つまり心の籠もった旨いものを食べたことがなかったのかもしれない。竹流は、他人を口説くときはまず胃袋を抑えろ、という信念を賢二に対しても実行したわけだ。

 千草から連絡が入っていたらしく、お手伝いの年配の女性は、何の疑問も持たずに真と仁を下蓮生の屋敷に招き入れてくれた。
 門を入るときに改めて周囲を見渡したが、どこに元々蔵が建っていたのか、今となっては分からない。
 空を見上げると、鈍い色の空から細かな雨の粒が降り落ちる。身体が熱っぽいのは仕方がないとしても、それを冷やしてくれるほどの効果はなさそうな曖昧な温度で、ただねっとりと纏わりつく湿度に、身体が一層重くなる気がした。

 お手伝いの女性は仁の差し出したプレゼントに感激したようで、いやに愛想よく、そのまま主の眠る部屋まで案内してくれた。
「しかし、ごっつい家だな」
仁は玄関を入ってすぐの土間から天井の梁を見上げて呟いた。
「こりゃあ、ろくなことはしてねえな」

 耳元に囁かれて真は、え、と思った。仁が不思議そうに真を見る。
「どうした?」
「いや、左耳、聞こえにくくて」
「お前、だいぶ殴られたりしたんだろ。鼓膜でもやられてるんじゃないのか」
 そうかもしれない。
 さりげなく、仁が真の右側に回った。

 お手伝いの女性は、仁と真を蓮生の当主の部屋に通した。家の南の端で、サンルームのような広く明るい部屋だったが、生憎の雨では太陽の恩恵も感じられなかった。
 当主はその部屋の大きな寝椅子に横になっていた。七十と言えばそうかも知れず、八十と言われればそうかもしれない。十分に戦争は二つ、彼の生涯に起こっていただろう。

「旦那様、上の千草さんのご紹介で、お見舞いに見えられたですよ」
 主人の耳元で大きな声を出して、お手伝いの女性は言った。当主はお手伝いの女性の方に顔を向け、それから仁と真に曖昧な視線を向けた。

 真は仁につつかれるように、前に出た。
「私は向こうにいますからね。御用があったらお呼びください」
 女性は真と仁に愛想のいい笑みを見せて、出て行った。せっかく美味しいお菓子を貰ったのだ。ここに長居する理由もなかったのだろう。

 暫く、誰も何も喋らなかった。
 小雨が縁側のガラスの向こうで、穏やかな音を重ねていた。小降りだからか、雀の鳴く声も混じって聞こえてくる。軒下から滴る水音だけが、時々大きく反響した。
「千草の奴め」
 ぼそり、と当主が呟いた。真は思わず仁と顔を見合わせた。
「もっとこっちに来るだ」

 恐らく、蓮生千草は真と美和と話をしてから、この当主が本当はぼけていないことを確認しに来たのだろう。
 その時に、千草とこの当主の間でどんな会話が交わされたのだろう。
 真と仁が側に寄ると、当主は脇の椅子に座れというように、僅かに右手を上げた。取り敢えず言われるままに真は座り、仁は多少離れて真の後ろに立った。

「お前は何で首さ、突っ込むだ」
「友人を探しています。彼はこの家から見つかった絵のことで、行方不明になっています。あなたが何かご存知なら、教えて頂きたいんです」
 暫くの間、当主は視線を宙に浮かせていた。その沈黙の間に、やはりこの人はボケている、と言われたらそうかもしれないと思い始める。

「絵か。あれがみんな悪さをしとる」
「誰が絵を欲しがっているんですか。本物か、もしくはそれに近いものが?」
「本物? あれらはみんな贋物だ。そう言われてわしの親父が預かったんだ。今更、本物かどうかは知らん」
 仁が落ち着けというように、真の肩に手を置いた。

「あなたのお父上に預けたのは誰なんですか」
「わしは子どもだったし、よう知らん」
「ロシア人の女性も、ですか」
 下蓮生の当主は皺に埋もれた目を開けた。

「わしもよくは知らね。ロシアで革命が起こった時に、国から逃げ出さなければならなかった人間もおったんだろ。下にも置かない扱いだったんだ。けど、約束の日が過ぎても迎えは来んかった。蓮生には預かり物がそのまま残ったんだ」
「他にもロシア人がいたのか?」
 質問したのは仁だった。

「あぁ。戦争の後、暫くして、どういう種類かは分からんが、大層偉そうな人間が出入りするようになった。連れて行かれた人もようけおった。捕虜や処刑された者もおったかもしれん。女は残されたけんど、扱いに困ってそのうち蔵で生活するようになった。あれは座敷牢みたいなもんだった。綺麗な顔して、綺麗な服を着ておった。時々」
 当主は何かを言いかけて留まり、絡んだ痰を吐き出すような咳をした。そして一息ついて、続けた。

「その頃から、蔵にまた預かりもんが増えだした。女は時々妙な歌を歌うようになったり、急に泣き出したりするようになって、ある時から姿を見んようになった。それから、昭和になって蓮生の血筋の男子は、次々に死んでしもうた。呪いだ、皆、そう言っとるべ」
 呪い、と言われて、なるほど、とはさすがに思えなかった。

「預かり物の中に、絵があったんですね」
 当主は暫く口の中でもそもそ言っていたが、暫くして多少はっきりした声で言った。
「絵だけではなかった。けど、十年ほど前、絵を見せてくれと言ってきた男がいた。どこで聞いてきたのかはわからんけんど、しばらく絵を調べてから、売ってくれないかと言いよった。売ると言っても、親父も亡くなっとるし、元は誰のものかも分からん、それは無理な相談だと言った。けんど、七年くらい前から県の文化教育課だの、どっかの大学の先生だのがやって来るようになった。新潟の古いものを集めて美術館を作るだの、どこかに寄付できるものはねぇかだの、煩くなった。そうしたらまた、蔵で夜になると女が泣き始めた。恐ろしいなって、火を点けることにした」

 当主は疲れたのか、一旦黙り込んだ。
「けども、全部は燃えんかった。幸い日誌やらは皆燃えてしまっていたし、もうあん頃のことを知っとるのはわしだけだ。例え何か見つかってもうちの者は知らんかったことで済む。それでええと思った」
「その、十年ほど前に絵を売って欲しいとおっしゃった方は、幾つくらいで、何を売って欲しいと言ってこられたんですか」
「若い、あんたよりももう少し年を食ったくらいの、三十になるかならんかの男だった。絵は、詳しくは分からんけど、オランダの何とか言う画家の絵が欲しいと言うとった」

「フェルメール」
 真がその名前を出しても、当主は首を横に振っただけだった。違う、というようではなく、分からないという様子だった。
 当主はうつらうつらとし始めたように見えた。ボケているというのが芝居であっても、年齢を考えれば十分に現世と夢の世界を行き来してもおかしくない。
 真は、まだ何か大事なことを聞き出せていないような気がしたものの、どう切り出していいのか分からなかった。

「ところで、爺さん、あんたわざわざボケたふりまでして隠し通そうとしたものを、何でまた急にしゃべる気になったんだ?」
 突然、仁が強い語気で言った。真は思わず振り返って仁を見上げる。
 当主は目を開け、それからまた閉じた。一瞬、笑ったようにも見えた。
「墓場に持って行くだけじゃあ、面白くないと思ったわけか?」

 仁の更なる突っ込みに、当主はもう一度目を開けた。
「千草は言いよった。もう家には継ぐものもいねえ。村から若い者は皆都会に出て行く。蓮生の家では跡継ぎの男子はもう、時政んとこの倅しかいねぇ。千草は時政んとこの倅を養子にするつもりだったけど、それはなんねぇと言いにきよった。千草はわし等に恨みを持っとる。蓮生が滅びたほうがええ、と思っとるんじゃ」

「千草さんは御結婚されていないのですか」
「千草の婿は死んでしもうたんだ」
 真はほんの少し息をついた。
 実のところは息苦しくなってきていた。身体が熱っぽく、脈が速くなっていた。仁がその気配を察知しているように、真を支えるように直ぐ後ろに移動してきた。

「お前さんが探しとる、いうのはどんな人だ」
 蓮生の当主の質問は、奇妙に優しげに聞こえた。真は思わず身体を乗り出した。
「美術品の修復師です。日本人ではありませんが、主に屏風絵や浮世絵、それに宗教画を扱っている」
 暫くの時間を置いて、当主は真の方を見た。

「半年ほど前、背の高い綺麗な青い目をした男が訪ねて来たべ。その男が来たのは二度目だった」
「二度目?」
「始めに来たのは、三年か四年ほど前だ。お前さんが今言った、なんとか言う画家の絵を元の持ち主に返したいと言ってきよった」
「元の持ち主に返したい?」
 そういうことだろうと思っていた言葉が投げ掛けられて、真は何故かほっとした。

「ソ連のどこぞかに住む爺さんが死に掛けとって、絵をもう一度見たいと言っとると、そう聞いた。けんど、火事の後で、結局うちの馬鹿息子が蔵の中のものを処分した後だった。ほとんどは上手く丸め込まれて寄付したり、二束三文でどこぞかの蒐集家に売っ払ってしもうとった」
「その絵は、県に寄付された絵だったのですか」
「何処へ行ってしもうたかはわしも知らん。そのように言ってやった」
「それで、何故もう一度、彼は訪ねて来たのですか? 何と言って?」

 当主は更に躊躇ったようだったが、漸く決心したように尋ねた。
「その人は、あんたの何だ?」
「何、とは」
「あんたは警察でもないのに、何故その男を探しとる」
 真はどう答えていいものか、考えた。だが、その返事は仁が横から掠め取るようにして、強い語気で答えた。

「その男はこいつの親兄弟も同然だ。この世のどんな絆より深い縁で結ばれてんのさ。だから、ヤクザに無謀に突っ込んでいって、身体は傷だらけ、薬で頭は朦朧としてる。爺さんが協力しないんなら、下手すると、どっかに化けて出るかもしれん。そうなったら、あんたもあの世でも寝覚めが悪いだろうよ。なんせ、こいつは霊感が強くて、小さい頃の遊び相手は伝説の小人ときてる」
「仁さん」
 何故仁がそんなことを知っているのだろうと思った。大体、竹流にもそんな話をしたことがない。その理由の一部は、竹流がオカルトや幽霊の類を嫌っているし、信じてもいないからだ。

 仁の言葉は相手をおちょくっているようで、半分は脅しに近い。だが、意外にも効果は覿面だった。
「もう一枚、同じような絵があるはずだと言ってきよった。それは、第二次大戦の前後で、蓮上が預かったはずだ、と」
「同じような絵?」
 この話は、寺崎の言っていたことと一致する。絵は、二度日本にやって来た、と。だが、もう一枚、とはどういうことだろう。同じ絵が二度、海を渡ったという意味ではなかったのか。
「同じオランダの画家の絵だと言っておった。知らんと、答えた」

 真は何となく引っ掛かっていた事に漸く自分で気が付いた。
「あなたは、その時にはもう、ボケたふりをしていたんじゃないんですか? 彼とは話をしたということですか? 何故?」
 当主は少し、引きつったような顔をしたが、答えなかった。迷っているのか、何かが引っかかったのか、目を閉じて真の質問をやり過ごしたように見えた。

 だが、真の後ろに立っていた仁が、断定的に言った。
「青い目に金の髪を持っていたからだな」
 真は思わず仁を振り返った。振り返るなどという余計な動作をすると、身体がふらつく。その真の肩に仁の手が触れた。
「俺は絵の事はよく分からんが、どうもその女の事が気になる。あんたの話を聞いてると、俺と同じで絵の事はよく分からん、けど女の話は随分具体的だ。何というか、あんたが気にしていたのが分かる。そのロシアの女は、大方金髪碧眼、つまりこいつの探している男と同じ髪と目の色をしていた。あんたは、その目の前では、ボケたふりをし通せなかった」

 当主は長い息をついた。
「呪いを解きたきゃ、事実を話すことだな」
 仁と一緒に来てよかった、と思うのは不謹慎かもしれないが、自分ではここまで威圧的にはなれないだろう。真はそう思って、仁に倣って暫く黙っていた。
 仁の手が肩に乗って、僅かに真を支えるようにしてくれている。
「女が埋められるところでも見たか?」

 真の肩の上に置かれた仁の手に力が入った。真はびくっとして、思わず老いた当主の目の奥を見つめた。
「爺さん、世の中そうそう呪いなんてあるわけがない。けど、あんたはそう思っている。理由があるはずだな。それもかなりインパクトのある理由がな」
「呪いを解く方法が分かるべ」
 当主の力のない言葉に、思わず真は彼の長年の苦悩を払ってやりたいと思った。

「蓮生さん、昭和になって男子が亡くなって、跡継ぎがいなくなったとおっしゃいましたけど、大きな戦争の時代です。呪いでなくても、多くの男性が戦争で亡くなっている。しかも残された子どもや老人も、衛生状態の悪い状況の中で、病気になることも多かったはずです。蓮生家に限ったことではありません。それにあなたの言うとおり、生活のために古い田舎の家を捨てた人もいたのでは?」
 それから下蓮生の当主は長い間黙っていた。

 再び雨足が強くなった。真の脈は、自分ではっきりと感じるほどに速くなってきた。身体が熱く、震えていた。やがて下蓮生の当主は、ゆっくりと語り始めた。

「わしは子どもだったで、その女に何が起こっとたのかは、よう分からんかった。時々、大きな見たこともねぇ車で人がやってくると、奥の部屋が騒がしくなっとった。それから急に静かになって、皆が薄暗いところで話し合っていたりもした。暫くすると声が聞こえてくるんだ。女が泣くような、叫ぶような声だ。何人もの男が女を取り囲んでいた。暗うて小さい明かりの中で、女の髪の毛がきらきら光っとった。見たのは一度きりだが、何やら恐ろしゅうて、あとは分からねぇ。何年かそんなことが続いとった。ある時、夜中に便所に起きたら、蔵の中から明かりが漏れとったんだ、覗いたら、穴を掘っとった。黒い布団みてえなものから、きらきらした髪が見えとった。次の戦争のときには、わしの親父も、上蓮生の伯父も、みんな死んでしもうた。蔵にはいつも女がいたんだ。年も取らず、いっつも娘のようだった」

 真は古い家の歴史を背負ってしまった当主の、薄く白くなった髪の毛を見ていた。子どもの頃に見た正体のはっきりしない幻影。それに縛られたまま大人になり、老人になり、常に恐れて生き、そしてこのまま亡くなっていくのだ。自分の一族が高貴なロシア人女性を慰み者にしていた羞恥に満ちた歴史を、背負ったまま。
「大方、呪いを成就する秘密の儀式でもあったんだろうな。実際、女の死体が蔵の下に埋まってる可能性はあるだろう。掘り出して供養してやったら祟らないだろうよ」

 真は思わず仁を睨んだ。言い過ぎだと思った。しかし、仁は真に意味深な視線を送っただけだった。それから、聞きたいことを聞けよ、という顔をした。
「第二次大戦の前後にもう一度絵を預かったときの事を、何か覚えていませんか。あなたは戦争へは行かなかったのですか?」
「結核を患っとって、家から離れておったから、その間のことはわからんべ。親父がもう老いて、家に残っとったから、どうにかしたかもしれねぇ」

 仁が椅子を引っ張ってきて、どん、と音を立てて座った。
「おい、爺さん、本当のことを言ってやれよ。お前さんの見た幻の話で十分だけどな」
 隣に座った仁が、さりげなく真の腕を握っていた。身体が辛いのは分かっている、というようだった。
 暫くの沈黙の間、雨の音が何かを訴えかけるように天から落ち、地面に沁み入り、深い地中で何か得体の知れないものを育てていた。真は思わず込み上げてきた嘔気を飲み込んだ。

「わしが子どもの頃までは、蓮生の家の子どもは、本家も分家も皆、本家で暮らしとった。わしは体が弱くて病気ばかりしとったんで、よう分家の離れに閉じ込められとった。昭和の戦争の時、結核で出征できんかったわしは、その時も離れに隔離されとったんじゃ。家のものはみな、わしのことを長くはもたねえと思っとったろう。寝込んでたわしのところに親父が見舞いに来て、そん時、親父が布に包まれた四角いもんを持っていたのは覚えとる」
「四角いもの? 中はご覧になったのですか?」
 当主は、宙を見ていたが答えなかった。真は、その目に一瞬、怯えのようなものが走ったのを認めた。

「その時も、蔵には女がいたのか?」
 仁が畳み掛けるように聞いた。
「いっつも女はあそこにおったんだべ」
 現実と妄想がない交ぜになっている話は、半分は差し引かねばならないだろうと思ったが、宙を見つめたままの当主の目は、彼にとっての真実だけを語っていたのだろう。

 不意に、その宙を彷徨っていた目が、真の方に向けられた。
「あんたが探しとる男は、綺麗な目をしとった。これだけの歴史を背負った家を守るのは大層なことだろうと、わしの手を握ってくれよった。だが、国も文明も家も、滅ぶべきときに滅ぶもんだと、そう言っておった。あんたはロシアから来たんかと聞いたら、そうじゃない、南の国だと。けど、自分には北の血が混じっているんだと、だからどこにいても中途半端なんだと、そう話しておった。みな誰もが、自分の居場所を求めてさまよっているんだと。わしはついぞそんなものは見たことがなかったけども、天使か綺麗な悪魔か、もしかすると神かも知れねえ、そう思ったんだ。だが、よく使われたえぇ手をしておった。昔、蓮生の家に出入りしとった大工と同じ、誇りを持った職人の手じゃった」

 真は黙ったまま、膝の上の手を握りしめた。
「何故、絵を探してるのかと聞いたら、一度目に来たときは、哀れな老人のためだとそう言っとった。二度目に来たときは、絵のためじゃと」
「絵のため?」
「どんな絵にも、そこに描かれた理由があり、魂があるんだと。この世に現れた理由がちゃんとあるんだと、だからその魂の還る先を見つけてやらにゃあならないと、そう言っとった」
 竹流らしい、と思った。
「あんたにとって大事な人だったんだべ」真はただ頷いた。「早く見つかるとええな」
 厭味ではなく出た言葉に思えた。



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Category: ☂海に落ちる雨 第3節

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【雑記・本】セーガン博士の『はるかな記憶』/愛情と攻撃 

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さて、思い出したようにやって来る、カール・セーガン博士の本から選んできた一節をご紹介するコーナー。
今回は、愛情と攻撃は裏表?というお話です。
では、その1節を。

アオサギのメスは、オスの愛の呼びかけを待っている。たいていの場合、複数のオスが一時に愛の歌を歌っている。メスはその中から自分の好みに合ったものを選んで、オスの近くの枝に止まる。オスは、直ちにメスに迫ろうとする。
しかし、メスが自分に興味を示して近づいてこようとしたとたん、オスは変心し、不愉快そうにメスを追い払い始める。攻撃を仕掛けることさえある。落胆したメスが飛び去るやいなや、オスは必死で後を追う。その様子は、アオサギの生態研究の先駆者であるニコ・ティンバーゲンによれば「狂った」ようでさえある。
しかし、メスが戻ってきて再び恋の機会が与えられても、オスはやはりメスに攻撃を仕掛ける。メスの我慢がずっと続いて初めて、気紛れなオスの意地悪もだんだんと和らぎ、ようやくメスを受け入れる態勢をとるようになってくる。何ともややこしく、二律背反的なオスの行動である。
オスの心の中では性的行動と敵対行動がごちゃごちゃになり、しかもその混乱は極めて根が深いから、メスの忍耐強さがなければ、種を存続できないところかもしれない。もし、鳥に対する心理療法が可能なものなら、その候補として、まず第一にオスのアオサギを推薦したいところである。
程度の差こそあれ、似たような混乱は、爬虫類、鳥類、哺乳類の多くの種に認められる。脳内の攻撃に関する神経回路は、危なっかしいことには性行動の回路と密接に結びついているものらしい。だから、この両者は不思議なくらいに似てくるのである。といっても、ヒトとアオサギを一緒に論じるわけにはいかない。


生命って、どうしてこんなに複雑で謎に満ちているんでしょうか。

サメの交尾が激しいというのはよく知られていますが、こちらは、海の中で交尾をする生き物は珍しいことからも分からないでもありません。ふつうは海の生き物は、メスが産み落とした卵にオスが精子をかけるという方法、いわゆる体外受精を行いますが、サメは交尾をするのですね。
ところが流れの激しい海の中では、メスと体が離れて行ってしまうので、交尾中はあのジョーズの歯でメスの体に噛み付いているのです。そのために、ある種類のサメの皮膚は、メスはオスの3倍の分厚さがあるのだとか。それでも、メスは傷だらけの血まみれになる。

蟷螂は、交尾後にメスがオスを食べてしまう。
ちなみに50%くらいは逃げおおせるそうです。別にオスの方でも、「おれの子を産んでくれるこのオンナに食われる、これもまた人生だぜ」とか思っているわけではなく、あわよくば逃げて、次のメスに行こうと思っている。
メスの方でも、動くものは攻撃するという本能から捕まえて食ってしまうようで、交尾して卵を産むための栄養源としてオスを食べたい!と思っているわけでも無いようで。

いずれにしても、生命の不思議は尽きません。
ただし、人間に置き換えると、これはDVを正当化するものではありません。
社会を営み、知恵を選んで文明を築いている人類には、許されざることがありますので。
参考までに、交尾に関連して攻撃的になるのは霊長類でも、魚でもありますが、一方でその攻撃性を他へ転嫁する方法も持っているのです。
闘鶏用の鶏は、仲間をつついて攻撃する本能がありますが、相手を倒した途端、それ以上攻撃して殺していまわないように、近くにある石をつつき始めるのだとか。

オオカミは、仲間に会うと、自分の口を相手の鼻面に置いて挨拶をする。……(中略)……
これは親愛の情を示しているのである。しゃべることを知らない動物だが、その伝えたいところは明らかである。「歯をごらん。ほら、触ってみて。あなたを傷つけることなんて簡単。本当だよ。しかし、そんなことはしない。あなたが好きだから」。愛情と攻撃を隔てる線は、こんなにも細い。


種は保存の方向へばかり行っているのではないのでしょうか。
不思議ですね。

Category: 生き物

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