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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

連作短編【百鬼夜行に遅刻しました】秋・菊(前篇) 

stella
Stella
Stella 2013/11月号 投稿作品

遅くなりました。すっかりスカイさんのお言葉に甘えさせていただき、遅ればせながら投稿いたします。
小鬼のウゾくんがジョウブツを目指して奮闘中。
鬼になってしまった魂がジョウブツするためには、百鬼夜行学校の試験に合格して、108回の本番の百鬼夜行をやり遂げなければならない。
でも、ウゾくんは遅刻ばかりで、試験にも合格できないし、鬼としては半人前。
ウゾくんが遅刻するのには、何かわけがあるようなのだけれど。
そんなウゾくんが、花にまつわる事件を解決しながら、自分のヒミツと本当のジョウブツを手に入れるまでの物語です。
さて、秋は菊。菊の物語をお届けいたします。

なお、本当は1回で載せたかったのですが、長くなってしまったので、前後編でお届けいたします。

物語の発祥地となったウゾさんのブログはこちら→【百鬼夜行に遅刻しました】→ウゾさんのブログへ


【百鬼夜行に遅刻しました】秋・菊(前篇)

 長く暑い夏が終わった。
 朝や夕方はすっかり涼しくなり、過ごしやすい季節だ。もっとも、鬼には暑いも寒いもないのだが、ウゾはやっぱりちょっとほっとする。雨が多くなると、心なしか身体が楽なのだ。もちろん、タイフウとかいうデッカイ雨は鬱陶しいのだけれど、少しの雨ならむしろ身体が満たされたようになる。
 かといって、ウゾの遅刻が減るわけでもない。
 例のごとく、今日もウゾは一時間目の始業時間には間に合わなかった。

 ダンゴたちは最近、小賢しくなった。
「ウゾ、チコク」「ウゾ、フラレタ」「サクラ、コナイネ」「ウゾ、チコク」……
 語彙が増えたのは大いに結構だが、言えるのはそれだけだ。
 そうなのだ。ダンゴたちも気が付いているように、最近サクラちゃんは迎えに来てくれない。しかも、学校にはウゾより遅れてくることが多い。何度かサクラちゃんちに迎えに行ってみたが、サクラちゃんはナカラギのサクラの家にはいないのだ。
 遅刻して学校にやって来るサクラちゃんは、何となくぼんやりとしている。一度声を掛けてみたが、返事は上の空だった。

 ウゾはそれ以降、何となく話しかけられないままでいる。
 教官たちは何かを知っているのか、サクラちゃんをそっとしておいてあげているように見える。
 それに何日か前からは、遅刻してきたうえに、早く帰ってしまっていたのだ。
 病気なのかな。鬼の病気なんて聞いたことはないけれど、女の子には色々とあるのかもしれない。
 でも、今日こそはもち姫のところに行ってみよう。サクラちゃんは、ウゾには言えないことでも、もち姫になら相談しているかもしれない。
 ただ、もち姫が女の子の秘密を、何でもウゾに教えてくれるとは思えないのだが。

「ウゾ、牛の刻参りの授業の後、ちょっと話があります」
 そう言ってきたのは、教官の一人、パーフェクトのっぺらぼう女史だ。
完全なのっぺらぼうだということは、元がニンゲンではないということなのだが、実際、前世はキツネだったという噂だ。ニンゲンがのっぺらぼうになった場合には、パーフェクトにはならないので、キツネだけのことはあると、皆が感心している。
 顔がないので、怒っているのかどうか、よく分からない。
 その日、ウゾは何か悪いことをしたのかとびくびくしながら授業を受けていた。

 丑の刻参りの授業は、キブネ神社のさらに奥の山の中で行われる。
 人を呪わば穴二つ、とはよく言ったもので、呪いをかけたニンゲンは鬼としては下等な部類に入れられる。下等な鬼とされたら、死後のジョウブツはかなり難しい。少なくともそのままでは百鬼夜行学校への入学は許可されないので、情状酌量の余地があるのか、サイバンがある。
 サイバンは厳しいと聞いているが、どんな仕組みで行われるのか、判定をするのが誰であるのか、ウゾのような小鬼は知る由もないし、上級の鬼たちでも多分知っていないのだと思う。そういう難しいケースに対応するのは、きっと閻魔大王のような絶対権力者みたいな鬼なのだろう。そして、ジョウブツが認められない鬼たちは、この世のどこかで闇として渦を巻いている。

 鬼になってから、丑の刻参りの授業を受けても遅いと思うかもしれないが、実は丑の刻参りの呪いは鬼に大きく関わっている。呪いが跳ね返って、無関係の鬼に襲いかかってくることがあるのだ。ジョウブツを求めない不遜さ、あるいは失われたジョウブツへの強い憧憬、いや、何よりも呪いそのもののどす黒い闇は、ジョウブツを求めて頑張っている鬼たちには恐ろしいものだ。万が一それに取り込まれたら、ジョウブツどころの話ではない。
 ウゾはこの授業が苦手だ。
 呪いとか、人の心の闇とか、そういうものが鬼のくせに怖いのだ。

 人の心にそういうものが潜んでいることは理解できる、ような気がする。
 でも、ウゾにはその闇を覗いて見る勇気がない。ウゾは綺麗なものが好きだったし、こうして鬼になってしまっているけれど、色々なことを抱えながらもジョウブツを目指して一生懸命頑張っている仲間たちの気持ちの中にも、その綺麗なものがあると思っている。
 ウゾだって、遅刻ばかりしているけれど、ジョウブツする気持ちは満々なのだ。ジョウブツを選ばなかったグンソウのような鬼にさえなれない鬼もいるけれど、グンソウの気持ちだって、ウゾにとっては綺麗な気持ちに見える。

 だが、呪うというのは特別なことだ。ウゾだって、嫌いな奴はいる。いなくなっちゃえと思うことだってあるけれど、呪う、ということは別のことだ。
 授業は主に、その呪いを被らないような防衛方法についてだった。
 簡単に言うと、まずは「その場所に近付かないこと」が大事なのだ。自ら危険な場所に行かないこと、そのためには「危険」の臭いを覚えることが大事で、その臭いを学ぶためにその場所に行ってみるというのが、授業の手始めだった。

 授業が終わって皆が解散になった後、相変わらず表情からは何も読み取れない(当たり前だ、顔のパーツが何もないのだから)パーフェクトのっぺらぼう女史が、ウゾを手招きした。
 理由を尋ねようとしたところ、パーフェクトのっぺらぼう女史が指を口に当てた。いや、口があったはずの場所にあてた。
 そして、そのままするするとキブネの森の中をさらに奥に進んでいく。ウゾが見送っていると、パーフェクトのっぺらぼう女史が立ち止まって振り返る。
 来なさい、ということだ。

 ウゾはちょっと嫌な気持ちだった。森に棲んでいるくせに、ウゾは暗い森の奥が苦手なのだ。
 仕方がないので、ウゾは、足元に変なものがいないか気にしながら、そろそろとついて行った。変なものを踏んでしまうと、いつまでも足が臭くなるのだ。鬼になってしまった虫とか、肉体よりももっと厄介なタマシイの鬼火の残りかすとか、そういうものがこんな深い森には漂っている。
 下ばかり見ていると、突然、ウゾは何かにぶつかって、鼻をうった。目の前にあるのは、のっぺらぼう女史ののっぺらな顔のほうだった。
「な、な、なん……」
 のっぺらぼう女史の真っ白な指がウゾの口に封印をする。
 その指がウゾの口を離れたかと思うと、すーっと動いて、森の奥を指差した。

 ウゾは大声を出しそうになった。いや、出したつもりだったのだが、出なかった。
 のっぺらぼう女史のクチナシ術が利いていたのだ。
 のっぺらぼう女史の白い指のずっと先で、ぼんやりと光が揺れていた。
 よく見ると、ろうそくの火だった。
 もちろん、妖怪図鑑によくあるように、頭の上に鉄輪を載せてろうそくを立てているわけではない。足元に置いてあるだけだ。だが、白い装束の女性がしていることは、噂に聞く丑の刻参りなのだ。
 女の人は、白い顔をしている。手に持っているのは金槌。そして五寸釘で木に打ち付けているのは、藁人形のようだ。

 鬼のウゾとて、噂に聞くばかりで丑の刻参り自体を見たのは初めてだった。
 だが、ウゾを最も驚かせたのは、その女の人のやっていることではなかった。
 のっぺらぼう女史の指が正確に指していたのは、丑の刻参りをしている女の人ではなかった。

 サクラちゃん!!

 ウゾは気を失いそうになってしまった。
 サクラちゃんは女の人が藁人形を打ち付けている木の近くに隠れるようにして、じっと女の人を見つめているのだ。とても悲しそうな瞳が、ここからでもわかる。
 女の人は藁人形を打ち終わった後も、しばらくじっと立ったまま打ち付けたところを見ていた。悲しそうな後姿だとウゾは思った。そして、その人をじっと見つめているサクラちゃんもとても悲しそうなのだ。
 
 その時、女の人が不意に力が抜けたようにその場に座り込んだ。
 サクラちゃんが思わずその人に走り寄りそうになったけれど、すぐに足を止めた。
 ニンゲンに鬼が見えてしまったら、そのニンゲンは死んでしまうことがある。それもあまり良くない死の形だ。だからサクラちゃんは、足を止めたのだろう。
 女の人は、しばらく、闇の中で白く揺らめくろうそくの炎の中でうずくまっていた。やがて静かに立ち上がり、傍に置いてあった杖を手にすると、それに縋るように立ち上がる。そして、ゆっくりとウゾとのっぺらぼう女史の方へ歩いてきた。

 ウゾは振り返った女の人を見て、何かを思い出しそうで思い出せなくて、そして何より、サクラちゃんと同じように悲しくなった。女の人は目がうつろで、頬がこそげたようにやつれていて、白い装束の中の身体も力なく、崩れていきそうに見えた。
 ぼんやりと女の人の進路に突っ立っているウゾの首根っこをつかまえて、のっぺらぼう女史がぽわーんと木の上に飛び上がる。
 
 幸い、女の人にはウゾたちの姿は見えなかったようだった。それどころか、女の人の目には何も映らなくなっているのかも知れない。
 ウゾの足下を、女の人は杖にすがるようにしながら、ゆっくりと歩き去っていく。
「ウゾ、行きましょう」
 どこへと質問する間もなく、のっぺらぼう女史がするすると地上近くまで降りて、さらに森の奥へ進んでいく。
 まだ行くの? と問いかける間もなく、のっぺらぼう女史の目的がサクラちゃんを追いかけることだと分かって、ウゾも慌てて後を追った。

 サクラちゃんは暗い森の中をすたすたと歩いて行き、やがて細い川の近くに出た。水の側で立ち止まり、やがてかがみこんでそっと手を合わせる。
 何に手を合わせているのだろう。
 暗がりの中で、白い花がゆらゆらと揺れていた。
 しばらくじっと祈った後で、サクラちゃんは自分の前にある花の葉っぱをそっと手に取った。
 闇の中でも、その白い花の匂いがウゾにはすぐ分かった。

 菊だ。サクラちゃんは葉っぱを手にして、何か呪文を掛けるかのようにじっと座り込んでいたが、そのうちに立ちあがり、水の流れに沿って道なき道を下って行く。のっぺらぼう女史はその後をつけていく。ウゾも遅れまいと一緒に後を追った。
 やがて細い水流は川になる。サクラちゃんはずんずんと進んでいく。
 キブネの森を抜け、やがて川が太い流れになると、街の灯りが見える。

 サクラちゃんは灯りが見え始めると、ニンゲンの目に触れないようにと少し宙に浮きながら、車の通りを南へ下って行った。
 その頃になって、ウゾはやっとクチナシの術を解いてもらった。
 のっぺらぼう女史に質問したいことはいっぱいあったが、サクラちゃんの行き先のほうが気になる。
 サクラちゃんは、棲み処であるナカラギのサクラも通り過ぎて、さらに進んでいく。大きな通りに面した大きな建物が見えて来たとき、サクラちゃんはふわっと飛び上がった。
 すごい。サクラちゃんは、鳥の術なんか使わなくてもあんなに高く上がれるんだ。
 優等生のサクラちゃんはいろんなことをいっぱい勉強していて、ウゾよりもずっと物知りだった。自分の力ではあんなに高く飛び上れないウゾは、のっぺらぼう女史の力で浮き上がってついて行く。

 サクラちゃんは、その大きな建物の上層階まで昇って行って、暗い窓の外でしばらく浮かんでいた。やがて、すうっと吸い込まれるように窓の中へ入っていく。
 のっぺらぼう女史につかまったままのウゾは、その窓の傍に寄って行き、中を見た。

 部屋の中にはベッドが見える。そして、そのベッドに横たわっているのは、さっきキブネの森の中で見た女の人だった。白くて色のない顔は、枕元の明かりに照らされてより一層白く見える。
 サクラちゃんはその人の側にじっと立っている。正確には浮かんでいる。
 やがて大事に掌に乗せている菊の葉っぱから、女の人の暗い唇の上にそっと雫を零した。



 ウゾは何回も何回もそのサクラちゃんの哀しそうな瞳を頭に思い描き、そしてやっぱりもち姫のところにいこうと決めた。
 のっぺらぼう女史は、昨夜あの後、ウゾに何も説明しなかった。ただ、サクラちゃんを守ってあげるようにと言った。
 守るって何をどうしたらいいんだろう?

「ねぇ、もち姫、サクラちゃんは何をしていたのかなぁ? もち姫はサクラちゃんから何か聞いていない?」
 もち姫はふうっと息をつく。
「ウゾ、お前は何でも私に頼ろうとするけれど、何故サクラに自分で聞かないの?」
 それは痛い所をつかれたような気がするけれど、サクラちゃんの哀しそうな瞳を見つめるのは辛いのだ。
「サクラだって、心細いんじゃないかしら。あなたが助けてあげなければ」
「でも、どうしたら? サクラちゃんは、その、何となく何も話してくれそうにないんだ」
 それに何より、避けられているような気もするのだ。話しかけても最近、返事をしてくれない。

「お前にはひとつ、特技があるじゃないの。どうしてそれを使わないの?」
 特技? そんなものあったっけ? 遅刻の才能くらい?
「それじゃあ、お前に大事な言葉を授けてあげるわ。これは扉を開く呪文よ」
「呪文?」
「ジゲンジシュジョウ フクジュカイムリョウ」
「ジゲン……?」
 もち姫もまたその呪文以外何も教えてくれなかった。ウゾはすごすごとタダスの杜に帰ってきた。棲み処であるアキニレにもたれかかり、ふうとため息をつく。

 もち姫は最近、ちょっと厳しいんじゃないかな、と思う。そうだ、あの朝顔の精に会ってからかもしれない。いや、そうじゃないんだ。甘やかしていたら、いつまでもウゾがジョウブツできないと思っているのかもしれない。
「ウゾ、チコク」「ウゾ、フラレタ」「サクラ、サクラ」「コナイ、コナイ」
 遅刻どころか、今日はウゾも学校をサボっている。
 鬼が言うことではないけれど、あの怖くて足を踏み入れたくないキブネの森の奥に、今日もサクラちゃんは行っているような気がする。
 丑の刻参りは7日間続けなければならないという噂だ。だから、あの女の人は少なくとも昨日が7日目でなければ、今日もあの森に行くはずだった。そして、サクラちゃんも女の人のことを心配して行くはずに違いない。
 のっぺらぼう女史に、今日も連れて行って、と言うわけにはいかないだろう。
 自分でなんとかしなくちゃ。それは分かっているのだけれど。

「チガウ、チガウ」「サクラ、サクラ」「ウゾ、サクラ、スキ」「コナイ、コナイ」「チガウ、チガウ」
 え?
 ウゾは思わず顔を上げる。ダンゴが変な単語を覚えた。
 好き?
 それはもちろん、大事な友だちだもの。サクラちゃんの哀しそうな顔を見たくないんだ。
「ダンゴ、なんかいい知恵ない?」
 ダンゴたちに期待しても仕方がないのだけれど。
「チガウ、チガウ」「キタ、サクラ」「キタ、キタ」「サクラ、サクラ」「チガウ~!」
 何だかダンゴたちの語彙が増えているし、それに、何だかごちゃごちゃになっている。
「キク、キク」
 聞く? 来た? サクラ? じゃなくて、キク? 菊?

 不意に、ウゾの鼻がヒクヒクと動く。そうだ、秋が来たんだ。菊の匂いがタダスの杜に漂っている。今日は風が強いので、色んな菊たちの香りが順番にウゾに挨拶をしにくる。
 今年も咲いたよ。今年も顔を見に来てよ。今年は娘がいるのよ。
 そうだ、匂い。そして花たちの言葉。ウゾには花たちと話せるという特技があった。そして花たちの匂いを、どの一輪のものであっても区別することができる。

 ウゾは立ち上がり、ふん、と肩に力を入れた。
 そして、思い切り風を吸い込むと、韋駄天のごとく走って、川を遡った。
 遅刻常習犯の脚力を生かしたら、キブネの山はそんなに遠くないはずだ。
 途中、あちこちから菊たちの匂いが香ってきた。秋の訪れだった。
 だが、今ウゾが探しているのは、ただ一つの菊だ。
 昨夜、サクラちゃんが祈っていた菊。

 目や耳の記憶をたどるよりも、ウゾにとっては一番頼りになるのが匂いだった。そして、その匂いは間違いなくウゾをあの菊のもとへと導いた。
 強い香りだ。どの菊よりも強く、甘く、香っている。
 それはその菊に、多くの記憶が詰め込まれているからだ。
 花の匂いさえあれば、ウゾは怖いものなんてないと思えた。

 確かにこの菊の匂いだ。
 ウゾは立ち止まる。そして、小さな流れの側に咲く菊にそっと触れた。
「ねぇ、教えて。サクラちゃんは何を願っていたの?」
 その菊は、いっそう芳醇な香りを放った。だが、何も答えてくれようとしない。
「サクラちゃんを助けたいんだ。お願いだよ、教えて」
 願いや想いが強い封印で閉じ込められているような、頑なな気配がする。こじ開けようとしても、花は優しく嫋やかでいて、犯そうとする力に対しては何も応えてくれないのだ。
 水を与えなければ咲くこともなく、何も告げることもない。

 水。
 サクラちゃんがそっと菊の葉から零していた雫。その雫はサクラちゃんの涙のように、女の人の唇に滴り、サクラちゃんの魂が女の人に囁きかけているようだった。
 僕はサクラちゃんの力になってあげたい。
 それなのに、のっぺらぼう女史ももち姫も何も教えてくれなかった。
 何も。
 何も?
 いや、もち姫は、教えてくれた。何だったっけ? 扉を開く呪文。
 ジ……

「ジゲンジシュジョウ フクジュカイムリョウ」
 口に出してみたその時、ウゾの唇から、文字が流れ出た。
 古い古い記憶。慈しみの心と、過ちと、願い。そして孤独の哀しみ。
 これって、誰の記憶だろう?
 優しく、甘く、そして悲しい。

「お前か、吾を呼ぶものは。この頃は、騒がしいものだ。いや、いつの世も、人というものは浅ましくも悲しく不老不死を求めてやって来る」
 ウゾは目を見張った。
 目の前に立っているのは、見目麗しい少年で、艶やかな肌と黒々とした髪には、夜の巷にざわめく微かな光が吸い込まれていくようだ。
 だが、その目は決して、周囲を顧みず無謀にも前に向かって突き進むような、若々しい力に満ちたものではなかった。それは老人の目だ。
「あ、あの……あなたは?」
「ほぉ。小鬼か。死者が吾に用事があるとは」
 そう言ってから、少年はじっとウゾの目を覗き見た。

「いや、お前はただの死者ではないようだ。しかし、今さら不老不死を求めても仕方のない身のようだというのに、吾を呼び出した訳とは」
「すみません。あの、昨日、女の子がここに来ていましたよね。ぼ、僕は、その……」
 少年は老いた目でウゾをじっと見つめている。ウゾはしどろもどろになった舌を一旦止めて、息を吸い込んだ。甘く悲しい菊の香りが鼻腔を満たす。
「その子はサクラちゃんというんですけど、今、何かとても苦しんでいて、その……」
 少年の目の色は変わらない。氷のように悲しい色のままだった。

 ウゾは一度口を開きかけて、留めた。何かを説明しようとしても上手く言えない。
 ……でも、これだけは確かなことだ。
「サクラちゃんは僕の大事な友だちなんだ。僕は、サクラちゃんが大好きなんだ。だから困っているのなら、助けてあげたい」
 ふわっと、菊の香りが甘くなった。それと同時に、少年の目が揺れたように見えた。
「なるほど。小鬼よ、あの娘の友であったか」
 少年はそっと自らの身体である葉を一枚手に取り、さらさらと幻の文字をその表に書き記した。

 慈眼視衆生 福寿海無量
 観音様はいつでも優しく思いやりの目を持って私たち衆生を見てくださる。観音様を一心に信じれば、福の集まること海の如く無量にある。

「ではまず、吾の話を聞くがよい。小鬼よ。これは法華経の八句の偈、その中の普門品の二句である。今より3000年も前の頃、周の穆王(ぼくおう)がよい馬を手に入れ方々を回っていたが、ある時、釈尊に出会った。釈尊は彼に国を授け、それと同時に国を治めるための法を授けた。それが八句の偈だ。吾は穆王の寵愛を受けた童子であった。しかしある時、誤って帝の御枕を跨いでしまったのだ。そのため、野獣の住む寂しいレッケン山に流罪とされることとなった。その時、帝が吾を憐れんで、この二句をそっと伝授してくださったのだ」
「3000年? あなたはとても若く見えます」
「1800年近くも前のこと、魏の文帝の使いにも同じことを言われた。しかし、小鬼、まずは吾の話を最後まで聞くが良い」
 ウゾはうん、と頷いた。本当はサクラちゃんのことが心配だった。
 花たちはいつも少しだけ回りくどいのだ。自分の物語を聞いて欲しいと思っている。
 でも、花たちもまた、この世に咲き出て散るまでの間、懸命の命を生きている。そして、自分の中で脈々と繋がっている命の連鎖、その記憶を、誰かに分かち合って欲しいと願っている。

「吾、当時の名を慈童と言ったが、恐ろしい山の中に流罪にされたことよりも、帝に会えないことを悲しく思っていた。悲しみのあまり、毎日枕を濡らし、その乾く間もなかったのだ。しかし、帝に言われた通り、授けられた偈を忘れないようにと菊の葉に書きつけ、毎朝唱えていた。またいつか、帝にお会いできる日を信じて」
 ウゾは少し身を乗り出した。
「小鬼よ、吾は知らなかったのだ。その使いがやって来るまで、1000年もの時が流れていたことを。吾の姿は何ひとつ変わることがなかったのだから、昨日今日のことと思っていた。吾が帝の御身を尋ねると、彼らはその時から何代も帝は変わり、今は魏の文帝の時代であると言った。文帝は、レッケン山より流れ出た水を飲んでいた人々の病気が治り、不老不死の長寿を保ったことを聞きつけた。彼らは文帝に召され、上流の様子を見に来て、吾を見出したのだ」

「それで、あなたはどうしたの?」
「吾は期せずして不老不死となり、1000年の時を生き延びてしまったことを知った。今もなお、死ぬることなくこの世にある。その上、吾の触れた菊の葉にたまった露が川に滲み入ると、流れる水がすべて天の甘露の霊薬になった。しかし、それからさらに2000年もの時が過ぎ、少しずつ霊力は衰えてきているようだ。何故なら、吾の心には悲しみが降り積もっていくからだ」
「哀しみが降り積もる……」
「慕う人のない世をいたずらに永らえて何の楽しみがあろうか。求める愛が叶わぬまま、時だけが過ぎていくのだ。不老不死とはすなわち、果てしない孤独ということなのだ」

 老いた目の少年は静かに語る。ウゾは今、言葉に引き込まれていた。
 自らを生きながら鬼に変えて釘を打ち付けていた女の人、その人が横たわっていたベッドのシーツの白さを思い出した。
「でもせめて、病がなければ、穏やかに過ごせるのに」
「小鬼よ、病には二通りある。一つは死に至る病、もう一つは死することのない病だ。あるいは、ひとつは心を殺す病、もうひとつは心の闇を乗り越えていくための病だ」
 そう言って、老いた少年は、件の二句を書きつけた葉をウゾに渡した。

「それを持っているが良い。吾が触れた故に、その葉から滴る水は霊水となろう。それをどのように使うか、それはお前に任せよう。お前が望めば、そこからは真に不老不死の水が零れるであろうし、あるいはまた別の望みを強く願えば、別の救いをもたらすこともできるであろう。小鬼よ、求めることだ。ただ泣き迷っているだけでは、本当の意味での救いは与えられず、吾のように死することもできず、ただ永遠に続く時間だけを友とせねばならぬ」
 ウゾは少年に言った。
「サクラちゃんのことを教えて」
「小鬼よ、それはお前が自ら聞くが良い。お前が本当に彼女を助けたいのなら」
 菊の記憶を持つ慈童はそう告げると、花に吸い込まれるようにして消えた。


「ウゾくん?」
 ウゾははっと顔を上げる。
「サクラちゃん」
 ウゾは真正面に立ったサクラちゃんを見つめた。サクラちゃんの目は昨日の夜と同じ、悲しい目だったけれど、今は驚きの方が大きいようだった。この哀しみと驚きの上に、今は穏やかな優しさを重ねてあげたかった。
「どうしてここに?」
「サクラちゃんが心配だったんだ。あの」
 ウゾは一度俯いた。そして、菊慈童に授けられた菊の葉をそっと両の手で包み込んだ。
 顔を上げた時、ウゾははっきりとした声で言った。
「サクラちゃん、僕は、その、遅刻ばっかりしていて、あ、今日なんかはさぼっちゃったりしているんだけど、そんなので頼りないかもしれないけれど、でも、サクラちゃんの力になりたいんだ」

 サクラちゃんはしばらく返事をしなかった。じっとウゾを見つめている。
 でもそのうち、サクラちゃんの大きな目に涙がいっぱい溜まって、ぽろぽろと流れ落ちた。

(後篇へ続く)




もともとかなり短かったものを書きなおして、長くなっています。ついでに内容も、大きく変えてしまいましたが、少しややこしくなってしまったかもしれません。
でも、ウゾくんやサクラちゃんの成長も見守ってやってください(*^_^*)
後篇、少しお待ちくださいね。
よろしくお願いいたします(^^)

それから、コメ返が遅くなっていてごめんなさい。ちょっとゴタゴタとパニックが続いていて、もう少しお時間を下さいませ。いつもありがとうございます m(__)m
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Category: 百鬼夜行に遅刻しました(小鬼)

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