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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨103] 第21章 わかって下さい(少し長い同居の経緯)(4) 

【海に落ちる雨】第21章の(4)、「死にたくてたまらない(でも一人では寂しいので誰かを巻き込みたい)」という病に侵されている女性・りぃさに巻き込まれていく真でしたが、身体は悲鳴を上げていたようです。
18禁で読みたくないわと思っていた方も、ここからは回復過程なので、ご安心ください。
ちょっとイケナイ女に引っかかっていた真が、病気をきっかけに、色々な人の助けで立ち直っていきます。

まずは、ロシア人女性・自称冒険家のサーシャです。
彼女の物語を絡めながら、竹流と真の同居(同棲ではなく同居)までの経緯をお楽しみください。





 久しぶりに家に戻ると、幾日か前の山のような吸殻がそのまま灰皿に残っていた。
 葉子がいなくなって、この家は真にとって、何も入っていない箱のような空間になってしまった。真はダイニングのテーブルに置いてあったプラネタリウムの玩具のスイッチを入れた。

 それは、真が小学生の時、登校拒否で学校に行けなかったときに、功が作ってくれたものの一つだった。葉子が結婚して何日かしたときに、たまたま功の書斎で見つけた。配線のどこかの接触が悪くなっていたのを直すと、今でも十分に小さな星の群れを楽しむことができた。
 真は部屋の電気を消した。部屋中の壁と天井に無数の星々が映し出された。天の川が天井を横たわり、そこに何億光年もの大宇宙を描き出した。だが、この宇宙を共に見上げ、共に星を数えた『父』はもういなかった。この星々の下で、今真は一人きりだった。

 椅子を引いて腰掛けると、テーブルの上に投げ出された煙草の箱を取った。
 星など、北海道なら降るほどにあの天に広がっていた。天の川は何時でも真をその高みへ連れて行き、星々はいつも無数の物語を真に語った。真は一人ではなく、その宇宙とひとつだった。真の身体は空へ突き抜ける筒のようなもので、細胞のすべては遺伝子や原子のレベルまであの宇宙と共有していた。星は真の内側に流れ込み、内側からまた天上へ溢れ出し、世界を包みながら真をあの高みに導いた。
 あの土地を離れたのも、葉子を嫁に出したのも、全部自分が選んできたことだ。それなのに、この恐ろしい不安と孤独はどうすればいいのだろう。

 火をつけて煙草をひとつ吹かした途端、急に吐き気がこみ上げてきた。
 思わず洗面台まで走ったが、空えづきだけで、空っぽの胃からは何も出てこなかった。唾だけを吐いて、蛇口をひねったが、水を口に含むのは気分が悪くてできなかった。
 身体が熱いし咽も痛いし、多分風邪をひいたんだろうと思った。
 何とか居間まで戻ると、ソファに横になった。酷い胸痛と腹痛が襲い掛かり、脂汗が出てきたが、動くこともできなかった。

 意識は途切れ途切れになりながら、朝まで続いた。苦しくて何かをずっと呻いていた気がしたが、一人きりの空洞に響くようで、その声はどこへも届いているようではなかった。苦しいのは呼吸なのか、腹の内側が際限なく痛むからなのか、自分自身の身体とは思えないほど熱く苦しく、どこかが辛くなるたびにその部分を切り離してしまいたいと思っていた。プラネタリウム、消さないと、と思ったが身体が動かなかった。朝方だったのか、電話の音を聞いたように思ったが、夢の中との区別がつかなかった。

 生活は無茶苦茶で、食事もいい加減だった。酒は飲んで煙草も吸うのに、ろくな栄養もとっていなかった。そんな状態で何か月過ごしたのだろう。りぃさの勧めるままに妙な薬を飲んだり吸ったりもしていた。今更、後悔をするような話でもなかったが、一気に押し寄せなくても、と思った。
 いつの間にか朝になっていたのか、あたりはほんのりと明るく感じた。プラネタリウムの星は白い壁や天井から、彼方の天へ溶けて消えてしまっていた。光と地球の生き物が奏でている微かな音が苦しかった。あまりに辛い腹痛で、何とかトイレに行くと、身体から出てきたのは褐色に鮮血の混じったタールのような便だった。

 驚いたのと、急な眩暈とで身体が立たなかった。何とか下着を上げたが、スラックスのフックを止める力はなかった。トイレのドアを開けた途端に足元が回ったように思った。
「真」
 気持ち悪い、と思った瞬間に抱き上げてくれた相手の懐に吐いていた。
「おい、大丈夫か」
 誰かが真が吐いたものをその手に受け止めて、それから冷たくなった身体を抱き上げられたような気がした。耳は鼓膜ごと中途半端な反響を繰り返していて、その誰かが何かを話している気配は分かったが、何を言っているのかは分からなかった。
 次に明らかに意識できたのは、自分の手を握りしめたその強さだった。自分の身体を血の臭いと酸い臭いが取り囲んでいた。
「俺の手を握ってろ。意識を失くしたら承知しないぞ」


 それから救急車に乗ったことは何となく覚えていた。竹流が傍にいることもわかっていた。それでも、どこかから記憶は飛んでいた。
 目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
「傷が増えなくて良かったな」
「まだわからんよ」
 どちらも聞き覚えのある声だった。
「最低一か月は入院だな」
 それは困る、と言いかけて、竹流の怒ったような視線に、まともな意識がよみがえった。もう一人の見知っている年配の男は、溜息混じりに言った。

「大体、いい大人がヘモグロビン六台ってのはふざけてるぞ。ただでさえ無茶苦茶な脈は、いつにも増して酷いし、ちゃんと検診にもこないからだ。一日待って、まだ貧血が進むんなら、輸血して手術だ。わかったな」
 病人には優しく、という言葉は、今どうやらダブルで怒っている二人の保護者には通用しそうにはなかった。下血したことは何となく覚えていたが、その先のはっきりした記憶はなかった。竹流が傍にいてくれたことと、その自分の手を握りしめていた強い力だけは、何となく覚えていた。
「もう少し眠ってろ」

 その手が頭にそっと触れたとき、もう何も考えたくないし、考えられないと思った。
 不規則なモニターの音が、真の命のリズムだった。それを鼓膜に受け止めながら、真は目を閉じた。
 あの時、とんでもない痛みと下血と何かを吐き出した苦しさの中で、自分の身体が生きて悲鳴を上げているのを感じた。心が死へと向かうのを留めるように、これがお前の身体で、こんなふうに痛みを感じ苦しいのだから明らかにこの世に存在しているのだと、もう死んでしまっているなどという馬鹿げた考えは捨てるようにと言われている気がした。


 夢だったのかもしれないが、ずっと竹流が傍にいてくれたように思っていた。しかし、真が比較的まともな意識をもって状況を理解できたときには、彼はそこにいなかった。
「あら、目が覚めたわね。気分は?」
 威勢のいい訛った日本語に、真は遠いところから急に今のこの現場へ連れ戻された気がした。目の前にいたのは、竹流と同じ蒼い、しかし彼のものより幾分か濃い光をたたえた瞳を持った、異国人の女性だった。ヘーゼル色の髪は後ろで束ねて巻き上げられていて、彼女は少しばかり太り気味の身体をもてあます事も無く目一杯利用して、その力強い声を響かせている。

「もう幾日か絶食ですってよ。本当に、それで病気になるわね」
「あなたは」
 女性はにっこりと笑って、筋肉も脂肪も立派についた力強い腕で、真の頭を持ち上げると、氷枕を換えてくれた。五十に届くか届かないか、という年回りだろうが、北の海に突然に射した光のように、晴れやかで明るい雰囲気の女性だった。
「本当に、あの子ったら、私が頼んだ仕事の報酬はいらないから、自分が帰ってくるまで、子どもの面倒を見てくれないかって言ったのよ。病気になったから放っておけないし、そうでなければ一人で遊ばせておくんだけど、って。子どもっていうから、どんなおチビさんかと思ってたら」
「子ども?」
 自分のことか、と気が付いたのは随分間をおいてからだった。

「竹流の、知り合いですか」
「ええ、そうよ。まあ、でも、あの子が、子どもなんかを拾ったにしても間違えてどこかでできちゃったんだとしても、引き取って育ててるなんてびっくりしたけど、別に拾ってきたわけでもなさそうね」
 竹流の女にしては歳が行き過ぎている気もするが、あの男なら母親くらい年の離れた恋人がいてもおかしくはない。女と見れば誰にでも、相手がはっきりと誤解するくらい優しくするし、女性というものはそういう対象だと思っているふしがある。
「竹流は?」
「ソ連に行ったの。私が仕事を頼んだから。でも、おチビさんがこんな状態なのを放って行かせて悪かったわね」
 おチビさんって一体どういう呼び方やら、と思ったが、彼女はこの呼び方が気に入ったらしかった。

 彼が傍にいてくれると思っていたのが、ソ連などという、またもやわけの分からない所に行ってしまっていると聞いて、妙に寂しい気分に襲われた。その自分の感情に気が付いて、真は自分はどうしようもないなと思った。まるで親からはぐれまいとしているアヒルの子どものようだ。情けないのか馬鹿馬鹿しいのかわからなくなって、真は優しい手に背を向けて布団に潜り込んだ。

 斎藤医師が夕方病室にやってきて、貧血は昨日から進んでいるわけではないので、とりあえず保存的に様子を見るから、と説明した。低栄養とストレス、全てが悪いほうに働いているし、この貧血で期外収縮と心室頻拍はいつもよりも酷いし、ただし、いつものことだから薬を使わずに様子をみるから意識が遠のきそうになったり胸が苦しいというようなことがあれば言うように、それから熱があるのは軽い肺炎を起こしているからで、大体お前は脾臓も取ってるんだから免疫状態は悪いし、低栄養で免疫機能の落ち込みに手を貸すようなことをするな、等々、くどくどと説明した。
 一緒にやってきた年配の消化器内科の医師は、胃と十二指腸潰瘍の状況と見通しとをさらに詳しく話して、何を聞いたのか、仕事のことも女のことも全て暫く忘れるようにと言った。

「病気の説明を聞くと、余計具合悪くなりそうだわね」
 真は彼女の感想に、それもそうだ、と納得した。医師たちは困ったような呆れたような顔をしていた。彼女は真にそっと目配せをくれて、医者たちが去ると、鼻歌を歌いながらベッドのリクライニングの頭を上げてくれた。ポップな明るいアレンジで気が付かなかったが、聞いたことのあるロシア民謡だった。
「後で身体を拭いてあげるわね」
「いや、それは」
 言いよどんで、彼女の力強い明るい瞳を見ると、それ以上否定も拒否もできなくなった。
「何言ってんの。こんなおばあちゃん相手に恥ずかしいとか思ってるんじゃないでしょうね。若くって綺麗な看護婦さんにしてもらうほうが、余っ程恥ずかしいでしょうに。もちろん、その方が嬉しいって言うなら別だけど」
「はぁ」
 彼女の明るいウィンクと勢いに押されて、思わず相槌を打ってしまった。
「でも僕は、おチビさんと言われるほど、子どもではないですし」

 彼女は、ぽん、と勢いをつけて真の肩を叩いた。彼女の力強い手には、自分の痩せてしまった肩はどれほど頼りなく感じられるのだろうと思った。
「恥ずかしがってもらえるほどには私もまだ魅力的ってことね。ありがとう、おチビさん。でも、もうすぐ六十になろうって年だからね」
「え?」
 しっかりびっくりした。とても六十歳になるような人には思えなかった。
「竹流の、恋人じゃないんですか」
「え?」
 今度は彼女のほうが驚いて、すぐに大笑いを始めた。
 その笑いの勢いは、ここしばらくりぃさの哀しそうな曖昧な笑みしか見てこなかった真に、恐ろしく新鮮な気分を吹き込んだ。あの涼やかで綺麗な声の不安なほどの細さは、この女性には縁遠いもののようだった。

「その誤解は光栄ね。でも、さすがに私もあんな若い恋人を持つほど精力的でもないのよ。あの子の数多いる恋人たちに太刀打ちする気合もないしね。第一、あの子は私の子どもといってもおかしくない年よ。生憎私には子どもはいないけれど、ただ、あの子が自分の子どもだったら楽しかったでしょうし、きっと目一杯可愛がっていたわね」
「どっちかというと、女癖を窘めたほうがいいような」
 真の呟きに、彼女はまともに感心してくれた。
「それもそうね。でもあれは多分マザコンの裏返しよ」
「マザコン?」

 それは竹流に最も似合いそうにない言葉だったので、思わず鸚鵡返しに呟いた。婦人は真の傍に椅子を引っ張ってきて座った。
「母親の愛を知らないのよ。あの子の付き合っている女はことごとく、頭のいい、気の強い、でも本音の優しい女でしょ。しかも、ほとんど年上」
 言われてみれば、確かにそうだと思った。
「あの子の母親は、それは綺麗な人だったわよ。スエーデン貴族の出身で、私は彼女とロンドンの大学で知り合いだったの。いつも取り巻きの男性に囲まれていて、気高くて、気が強くて、どんな場所にいても女王様だったわ。でも卒業して、国に帰りたくなかったのね、ローマに行って、そこで駆け落ち同然に結婚したのよ。すぐに家出したそうだけど」
「竹流を、残して?」
「そうみたいね。あの子はあなたには何も?」
「一度ローマに連れて行かれたので、彼が叔父さんの家に引き取られてたってのは知っていますけど、それ以上はなにも。彼は、自分のことはあまり話さないし」

 自分が少しばかり拗ねたような顔に見えたのかもしれないと、真は思った。婦人は、真の寂しげな表情を見逃さなかったようだ。
「喧嘩でもしてるの?」
「喧嘩?」
 真は婦人のヘーゼルの瞳を見つめた。その瞳はゆったりと大きく真を包み込もうとでも言うように、真の碧のかかった瞳を見つめ返していた。

「あなたには異国の血が混じってるのね。ハーフ?」
「いいえ、クォーターです。多分」
「そうなの。私もクォーターなのよ。四分の三がロシア人、あとの一が日本人。でも、多分ってのは?」
「母のことは、よく知りません」
 婦人は飛び切りの、遠慮のない優しい瞳で真を見つめたままだった。
「お母さん、小さい頃に亡くなったの?」
「分かりません。誰も母のことは教えてくれないので。ドイツ人とのハーフだったみたいですけど、どうしたのか、今どうしているのかも」
「お父さんは?」
「父とも、ほとんど会うことはありません。ワシントンかロンドンか、あるいはモスクワにいることが多いみたいですけど、会いに行くこともありませんし、帰ってもきません」

「あなたを育ててくれたのは?」
「育てる?」
 その言葉の意味にいささか引っかかってしまったが、婦人は特別な意味を込めたわけでもなさそうだった。
「初めは祖父母が、それから、伯父が」
「それと、ジョルジョね」
 真は、彼女が勝手に納得したらしい断定的な声と内容に、驚いた。
「どうして?」
「だって、あの子はあなたのこと、子ども、子ども、って。あの子のああいう顔を見たのは初めてよ」

 真は恐らく、理解不能という顔で彼女を見つめていたのだろう。彼女はにっこりと笑った。
「上手く言えないけど、誰かのことを話すとき、あんな顔をしたことは今までなかったわね。どんな顔を言われたら、上手く言えないけれど。それに、あなたをローマに連れて行ったなんて、どういうつもりにしても、ものすごいことね」理解できないまま彼女を見つめると、彼女はにっこりと微笑んだ。「それは、あの叔父さんの独裁政権への宣戦布告でしょうに。日本にいるのは理由がある、ローマに帰る気はない、っていう」

 徐々に頭の中の理解の回路が回り始めていた。
「あの子の世界に、本当の意味で存在しているのは叔父さん一人だったのよ。どんなに沢山の恋人がいても、世界中にどれほどの友人がいても、彼にとっての意味はほとんどなかった。今まではね」真は、まだ彼女を見つめたままだった。「良かったわ。あの子が、一生、本心からは誰も愛さないのかと心配してたのよ」
 真は理解の回路をどう扱えばいいのか、よく分からなくなって首を横に振った。

「疲れるとまた具合悪くなるわね。少しお休みなさい」
 婦人はベッドのリクライニングをゆっくりと倒してくれた。そして、真の顔を覗き込むように話しかけた。
「あの子には世界中に恋人も、友人も、パトロンも大勢いる。それなのに、どうして日本の東京なんかに住んでるのって聞いたら、一番大事な人間がいるからだって、そう言ってたわね。冗談でも言ってるのかと思って聞き流していたけど、今日、その謎が解けたわ」

 真は婦人に言われて、目を閉じた。
 考えてみれば、さっき会ったばかりの婦人と、こんなにも会話を交わしている自分も不思議だった。それも、お天気の挨拶ではない。
 それから、婦人が何を言いたかったのか、考えようとしたが、またぼんやりと眠くなってきた。何も考えなくてもいいよというように、婦人の暖かい大きな手が、真の頭を撫でてくれた。そうされていると、昨日の夜、やはり同じように暖かい手が自分の髪に触れていたことを、思い出した。

 りぃさと一緒に死んでもいいと思っていた。彼女の手やあの赤い紐で首を絞められながら昇りつめる度に、身体からは魂も一緒に抜け出していくように思っていた。どうせ一度死んでしまった身体だと思っていた。
 それなのに、この胃の痛みと、ベッドに横たわっていると明らかに感じる脈の不整は、まるでお前は生きている、ということを示す警鐘のようだった。病気の痛みや苦しさが、自分が生きていることを教えてくれるなどとは、思ってもみなかった。
 そうなのだ。飛龍は、お前はまだここで死ぬわけにはいかないはずだと、お前が願ったロスタイムを了解したのはここで死なせるためではない、その身体の痛みをよく味わっておけと、とそう言っているのかもしれない。





りぃさのところから帰ってきた真が、功(脳外科医、育ての親で伯父)の作ってくれたプラネタリウムを灯すというエピソードは、お気に入りです。
気に入ったので、次作の『雪原の星月夜』ではこのプラネタリウムが小道具として幅をきかせています。
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Category: ☂海に落ちる雨 第3節

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