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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨108] 第21章 わかって下さい(少し長い同居の経緯)(9) 

【海に落ちる雨】第21章、回想章『わかって下さい』の9話目です。
突然のりぃさの自殺、そして竹流に連れられてやってきた大間で、真は無愛想なマグロ漁師・元さんに出会います。
真の中で何かが変わるのでしょうか。

『老人と海/真シリーズバージョン』もしくは『ドキュメンタリー/マグロ一本釣り漁師』、そして真の三味線、お楽しみください。
そうそう、このお話の根源はよくテレビでやっているマグロ漁の番組をそのまま文字に起こしたようなもの。
今じゃすっかり魚群探知機でごっそり、なんでしょうけれど、これは時代も少し古いし……ま、お話なので、多少あれこれ差し引いてお楽しみください(*^_^*)
でも、あの手の番組、好きなんです(^^)





 土間のようになっている玄関を上がると、右手は土間のままの台所、それ以外には一部屋きりだった。
 家というよりは、まさに小屋だ。小さな卓袱台と、万年床と化している布団と、あとは粗末な仏壇と、家具といえばそれだけだ。

 無口な親爺は真にもグラスを差し出して、とにかく飲むように促した。口を開くのが面倒なのか、この地方の厳しい気候がそういう気質を育んだのか、親爺は何も話さなかった。
 真はちらっと竹流を見て、挨拶代りの好意だけは無にするまいとそのグラスに口をつけたが、さすがに病み上がりの胃に酒は沁みて痙攣するように震えた。
 竹流が真の手からグラスを取って、自分が残りを飲み干した。
「胃潰瘍で、退院したところなんです」

 親爺は、何のために来たのだとか、普通なら気にしてもよさそうな質問さえ一切しなかった。そもそも竹流が今日訪ねてくることを知っていたふうには思えなかった。大体、見渡した限りでは、電話もないように思える。
 親爺は自分の布団を隅に寄せて、一間限りの部屋の奥にある、扉のない押入れからもう一組、布団を下ろして敷いた。
 説明も何もなかったが、もともとは二人、つまり夫婦で暮らしていたのだろう。それ以上の布団も生活のための道具も見当たらなかった。

 竹流は親爺の敷いてくれた布団の、頭側に残るわずかなスペースに座って、粗末な仏壇に手を合わせた。線香だけは新しい緩やかな煙を吐き出していた。
「狭めえばって、そこで寝れるべ」
 親爺の声は、少なくとも響きの調子だけは、北の言葉に独特のイントネーションで、真はどこかほっとした。それから、あれ、下北ではなく津軽の方言だな、と思った。
 祖父に三味線を教えていた名人は津軽の出身で、同じような聞き取りにくい調子で話していた。真にはなじみの深い北の国の言葉は、僅かなイントネーションや語尾の違いでも区別ができる。

「大丈夫です。突然押しかけて、すみません」
「おめは、いつもんこったべ」
 無愛想な、怒っているかのような調子は、おそらく方言のためか、あるいは親爺の性質によるもののようだった。もっとも、実際には怒っているわけでもないのだろう。

 それ以上何も話すことはないというように、親爺は布団に潜り込んだ。
 竹流は上着だけは脱いで枕の近くに放り出し、それからどうしたものかと躊躇っている真をそのまま布団に引きずり込んだ。
「ちょっと待てって」
「そのままだと風邪ひくぞ」
「そうだけど」
「朝早いから、さっさと寝ろ」

 どうせ逆らっても無駄だし、確かにこの家にもう一組の布団があるとも思えなかったし、大体三つも布団を並べるだけのスペースもなかった。
 真は諦めて目を閉じた。
 幸いあっさりと眠気に襲われて、真は意外にも居心地の良い古い布団の中でほっとしていた。随分と長い間干した形跡もない布団は、湿っぽくてカビけた臭いがしていたが、枕に巻いてくれたタオルだけはパリッと乾いていて清潔に感じた。何よりも、竹流が傍にいると、どういうところでも構わないのだということに今更ながら気が付いた。

 意識はしていないにしろ、真は一旦気を許して安心してしまうと、全く無防備で相手に身を任せてしまうところがある。ただ普通と違っているのは、その相手が専ら人間ではないことだ。人間で唯一身を任せることができる相手は、この男しかなかった。
 そのことに本当に気が付いたのは、りぃさと一緒にいるときだった。

 あれほど全てを捨てるほどまでにのめり込んだのに、彼女のところに一度も泊まってこなかったし、抱き合った後、その傍らで一度も安心して目を閉じたことがない。いや、最後にりぃさを抱いたあの日、真ははっきりと自分のうちにある感情を理解したはずだった。
 暖かい腕の中は、決して平和ではなかったかもしれないが、このままどうなろうと、どうされようと構わない心地にさせた。

 どのくらい眠ったのか、ふと僅かな物音がして、竹流が起きようとした気配を感じた。
 真は無意識のまま、離れたくないというようにしがみついていた。既に半分は意識が起きかかっていたが、半分はまだ夢の中だった。
 湯呑みか何かに液体を注ぎ入れる音が聞こえている。真があまりにもひっついて眠っていたからか、竹流は身動きの取れないまま親爺に声をかけたようだった。
「もう出掛けますか」
「一緒に行くべ?」
 竹流がうなずいた気配を感じる。
「男と分かってても、そんだけひっつかれっとたまらんべ」
「やせ我慢してるんですよ」

 もう一度揺り起こされて、真はようやく目を開けた。
「起きろ」
 あたりはまだ暗かった。
「行くぞ」
「どこに?」
「マグロ釣りに」
「マグロ?」
 真は起き上がって、それから親爺と目が合った。
 いつか竹流が、マグロ漁船に乗せてもらうような話をしていたことを思い出したが、その時はまさかそれが文字通りのことだとは考えてもいなかった。

 親爺はすでに準備に入っている。竹流は真を起こすと、布団を畳んで隅に寄せ、それから顔を洗いに土間に下りていった。促されて顔を洗いに行くと、台所兼洗面所の水は凍りつくように冷たくて、まだほとんど真っ暗な外の温度を感じさせた。
 彼らは港まで十五分ほどの道を歩いた。空を見上げると星が瞬いている。真は、無言のまま並んで歩く親爺と竹流の後ろをついていきながら、不思議な光景だと思っていた。

 親爺は異国人の竹流を当たり前のように受け入れ、まるでたまに帰ってくる息子のように扱っている。竹流も、親爺に倣って口数まで少なく、言われるがままにちょっとしたことを手伝っている。
 何らかの力関係も上下関係もなく、依存や過剰な愛情の気配もないのに、お互いの存在を当たり前に受け入れていた。

 港まで出ると、いくつもの明かりがちらちらと揺れている。早朝というよりも夜中に近い時間なのに、海辺の人々の動きが冴えた空気を震わせていた。
 親爺は幾人かの仲間に挨拶をしながら、彼のものらしい船に近づいた。漁師たちは親爺に連れがいることをいくらか不思議そうに見送っていたが、何も尋ねてはこなかった。いや、そういうことではなく、彼らもまた竹流の存在を当たり前に受け入れているように思えた。

 既にいくらかの船が沖へ走り出していた。親爺も手早く用意を整えると、真と竹流を船に乗せてエンジンをかけた。
 沖に出ると、その日の海は波が荒く船も随分と揺れた。もともと船の揺れが苦手な真は、暫くすると胃潰瘍後の胃の不快感も手伝って、辛くなってきた。

 真の顔色に先に気が付いたのは親爺で、早口で何か言った。
 聞き取りにくい津軽弁は、北の国の言葉を聞きなれているはずの真にもよくわからなかったが、それがあまりにも早口の方言だったからか、恐ろしく気分が悪かったからなのか定かではなかった。
「海に吐けって」
 竹流がそう言って船縁に連れて行ってくれた。

 風に当たるといくらかましにもなったが、やはり気分の悪さは並みのものではなかった。
 そういう状況でも竹流は平気な顔で、真の背を撫でてくれていた。時折嘔気がましになって竹流を見ると、時にはそれが大仕事だとでもいうように懸命に真の背中を撫でてくれていたり、時には顔を上げて遠くの海を見つめている。
 吐いてしまうと少しだけ楽になった。それでも船縁を離れてしまえるほど気分は落ち着かなかった。

 そう言えば、竹流はマンションに隣接したスポーツクラブにしばしば通っては泳いでいたし、イタリアに連れて行かれたときも、どうやら実家が所有していると思われるクルーザーを当然のように操っていたし、海の上にいることはまるきり苦痛ではないようだった。反対に真のほうは、雪の上なら何でも構わないのだが、水の中や上はできるなら避けたい場所だった。
「悪かったな、調子の悪いときに連れてきて」
 妙に優しい言葉をかけられると戸惑う。真は船縁に座り込んだまま、竹流から目を逸らした。

 そのとき、船に結わえられた強いロープのような釣り糸がぴんと張り出した。
 竹流はちょっと待ってろと真に告げ、親爺のところに行って、何か短い会話を交わし、親爺の仕事を手伝い始めた。
 真は少し離れたところからその光景を見ていた。彼らの仕事ぶりを見ていると、不思議と気分の悪さが消えていくように思えた。親爺と竹流はまるで古くからのパートナーでもあるようにほとんど言葉も交わさずに仕事を続けていたが、糸を手繰り寄せるうちにマグロは餌を振り切ったのか、不意に手ごたえを失ったようだった。

 その日はもう一度そういうことがあったが、結局マグロを釣り上げることはできなかった。
 陸に上がってから少し休憩して、昼食とも夕食ともつかない食事をし、それから親爺の誘いで飲みに出かけた。
 暖簾がかかってなければただの漁師小屋、もしくは掘っ立て小屋のようだった。親爺と同じような風体の男たちが既に幾人か集まっている。男たちの中には、すでに竹流も知り合いとなっている相手もいるようだ。
 短い挨拶と酒だけで、彼らは何の違和感もなく異邦人を受け入れた。

 交わされている会話のほとんどは、酒が入ってしまうと聞き取れなかった。だが、その畳み掛けるようなイントネーションの波は、真を落ち着かせていく。祖父とその師匠が叩いていた三味線の音のリズムや響きを思い出させるイントネーションだったのだ。
 そうして三日間も過ぎると、異国人とそれに近い外見を持つ若者の二人連れが、この北の地に存在していることは日常になってしまったかのようだった。

 しかし、マグロは親爺の手に落ちないままで、親爺の経済的苦境を救ってやろうとはしてくれなかった。そもそもマグロのほうも命がけだし、一方で、親爺が今の状態を苦境と考えているのかどうかも謎だった。
 竹流はそういう意味では何の手助けをする気配もなく、ただ、親爺の酒に付き合い、狭い貧しい小屋のような家に居候しているだけだった。ただ役立つことと言うと、昼食を作ったり、洗濯をしたりしていたことぐらいだ。ろくな掃除をしている気配もないし、真は、と言えばさらに役立つこともなく、時々竹流に言われて買物に付き合うくらいだった。

 親爺の生活は、毎日がマグロを追いかけて、あとは飲んで眠って、それだけだった。
 もともとは夫婦で船に乗っていたようで、その鴛鴦夫婦の夫婦船はこの辺りでは有名だったという。親爺の妻は八年ほど前に肝癌で亡くなっていて、それ以来親爺は一人で船に乗ってきた。親爺は語らなかったが、近所の乾物屋の老婦人によれば、親爺は妻の死を自分の責任と感じているのだという。貧しくて、妻が身体の不調を訴えることもできず、気が付いたときには手遅れだったからだった。

 その話を聞いた翌日、マグロは親爺の船の綱を引いた。やっと船に慣れてきた真もその日は親爺のすぐ傍で、重い風と濃い潮の中で強く張る綱の立てる鋭い音を聞いた。マグロの勢いは強く、親爺の表情からはそれがかなりの大物だと思えた。
 竹流が親爺は銛の名人だと言っていたが、その日までは親爺の銛捌きを見るチャンスもなかった。
 しかし、その日は竹流と親爺の二人は見事な大物のマグロを船の脇にまで引き寄せた。
 ここ何日かの付き合いで、そのマグロとの引き合いがいかに大変かを見ていた真も、波が船に入り込む揺れの中で何とか身体のバランスを取りながら、何かを竹流が叫んだ気配で自分もそれに加わった。

 親爺は綱から手を離し、銛をつかんだ。波は高く、マグロの暴れ方も尋常ではなかった。
 それでも、親爺の銛は見事にマグロを突いた。

 しかし、それで闘いが終わったわけではなかった。マグロに縄をかけて、逃げないように結わえ付け、暴れる大物のマグロを陸に連れ帰らなければならなかった。
 マグロが手に入って喜ぶ気配もなく、親爺は何度もマグロの気配を確かめながら陸へ船を走らせた。
 だが、五分もしないうちに、急に船の走りが安定した。マグロが決死の猛暴れでついに自由をものにしたようだった。親爺は船の操縦を竹流に任せて、慌ててマグロのところへ行ったが、マグロは海に逃げ戻っていた。

 真には特別な出来事のように思えたが、親爺はいつものまま、無口で酒を飲んでいた。
 その日はいいマグロの群れがやってきていたのか、酒場はいつもよりも賑やかな気配だった。親爺は今日マグロを釣り上げた若い漁師仲間にねぎらいの言葉をかけてやっていたが、その後は黙って飲んでいた。竹流は何ら変わった様子も見せず、親爺を慰めるのでもなく、ただ一緒に親爺と無口に酒を飲んでいた。

 酒場の中には、壁に取り付けられた木の柵のような横棒がしつらえてあって、三味線が掛けてあった。真は何となく、その三味線に目を遣って、それからまた親爺のほうに視線を戻した。
 そのうち誰かが気分がよいのか、歌を歌い始めた。よされの節だった。

「艶ちゃん思いだすべ」
 親爺の近くに座っていた、やはりかなり年配の漁師が、思いやるような気配で親爺に声を掛けた。親爺は返事をしなかったが、ふと三味線の方を見た。
「元さんのよされもな」

 親爺は黙っていたが、その年配の漁師の言うことには、親爺の奥さんはもともとこの店の看板娘で、三味線の名手だったという。親爺はここで飲んでは唄って、彼女のハートを射止めたという恋物語があったようだった。奥さんは、結婚してからは慣れない船に一緒に乗り、それからはすっかり漁師の嫁になり、漁の無いときは、昆布漁を手伝いに行ったり、この店の手伝いをしたりして、貧しい家計を支えていた。時には夫婦で飲みに来ては唄っていたという。

「三味線なら、こいつが弾きますよ」
 竹流は何を思ったか、不意に真の方を指した。
 多少は周囲の好奇の気持ちもあったろうが、誰かが壁から三味線を下ろし、真のほうに寄越した。真は一瞬どうしたものか、竹流を見て、それから親爺を見たが、親爺は黙って飲んだままだった。

 飲んで調子よくなっていた他の漁師が、面白半分というように真に弾くように薦めたので、真はまた竹流の意見を求めるように彼を見たが、竹流は少し笑ったように見えただけだった。
 もう一瞬だけ躊躇ってから、真は糸巻きと皮を確認し、店の老婦人が差し出した駒と撥と指摺りを受け取って、それから駒で糸をあげた。最も音が響く場所を探るようにして、駒の位置をずらしていく。さわりを確認する。
 その一連の作業に、親爺がふと気になったように、一度真を見て、また目を伏せた。

 それでもまだ躊躇っていると、さっきの年配の漁師が促して、少し離れた椅子に真を誘った。出来合いのステージだった。店の中の八人ばかりの客は、皆好奇心を露に真を見ている。
 叩けるもんなら叩いてみな、とでも言いたげな、からかうような視線を受けて、真もついに意を決して指摺りを左手に掛け、右手に撥を握った。糸合わせのためにまず一の糸を叩くと、驚くほどに、冷えた空間に冴えて響いた。
 よく見ると、女性が持っていたものとしては重く、トチもびっちりと巻いている。いい三味線だと思った。

 親爺が何本で唄うのか分からなかったので、祖父の長一郎と同じ本数にして、さわりが響くように改めて調節する。
 その糸合わせの始めから、親爺は顔を上げて真のほうを見た。全く期待していなかったであろう周囲の客も、東京から来たというのに異国人の気配を漂わせる風貌の若者に、改めて注目してくれたように見えた。
 真がよされ節の前奏を叩き始めたとき、親爺は一瞬遠い眼をして、それからゆっくりと酒をもう一杯注いで、飲んだ。

 誰かが唄う気配もなかったが、真は長めの前弾きを弾いて、そのまま唄の節に入って弾き続けていた。誰かが親爺を促したようだが、親爺は唄い出そうとしなかった。
 ただ、真の手元を見つめて、こぼすように言った。
 そのしわがれた唇が零した言葉が、離れた場所から無音のまま真の耳と目に届いた。
「若いばて、哀しい音出すべ」

 竹流は親爺を穏やかな目で見つめたまま、そのグラスに酒を注ぎ足した。その酒をしばらく見つめてから一気に飲み干すと、親爺は俯いたまま、唸るようなよされを唄い始めた。
 真は一瞬手を緩めかけたが、すぐに親爺に合わせて叩き続けた。別の漁師が、机を叩いて太鼓の代わりをした。

 祖母の奏重が唄う伴奏をしているときは、自然に身体が浮き立つような気持ちのまま、何の技巧も計算もなく、ただ彼女の唄についていけばよかった。それが血の繋がりのなせるものなのか、自分でも分かるほどに開け広げの感情を叩き出しても、恥ずかしいと思ったことがなかった。
 祖母以外の唄い手の伴奏をする時、唄を食いすぎだと言われたこともある。押さえることができない真の身体の内の欲情のようなものを、祖母の唄だけが丸め込んでくれる、そんな気がしていた。

 だが、今真は不思議なほど自然に、誰かに合わせて、つまり親爺の人生や生活の中の様々な想いに合わせて音を紡ぎだしたいと願っていた。浮き立つような気持ちではなく、親爺の声や気配を感じながら、ただ親爺の声を支えて生かしたいと思っていた。
 唄付けをするということの本当の意味が、何故か今はっきりとわかったような気がした。

 小屋の中に残っていた夫婦の気配、海の上のマグロとの闘い、厳しかったに違いないが時には笑顔を交わし合ったであろう日々の暮らし、それを支えていた大間の海の大きな自然。そのすべてが三本の糸に乗り移っていた。糸から迸る音は親父の声を支えるための海になった。

 一曲終わって顔を上げると皆が一瞬反応もせずに自分を見ていたので、真は何かまずかったかな、と思った。考えてみれば、これほどに泥臭いまでの本場で弾くのは初めてだったし、このよそ者が、という反応もありがちな気がした。
 しかし次の一瞬には漁師たちは口々に何か話し始め、要するに次はじょんからをやれと言っているようだった。
 真が少しばかり呆然としていると、まるで自分たちの言葉が伝わらなかったからだと思ったのか、誰かがゆっくりともう一度、次はじょんからをやれ、と言った。

 真が困ったように竹流を見ると、竹流は目だけで、さっさと弾けと返事をしてきた。真はとにかくもう一度音を合わせて、そのうち夢中になって前弾きを始めた。
「東京もんにこげな音ば出せるべ」
 近くのまだ若い漁師の言葉に対して、竹流が答えている。
「こいつは北海道の浦河出身ですよ。それに、こいつに三味線を教えたのはこいつの爺さんですが、その師匠は津軽出身の名人だった。亡くなったそうですが、亡くなるいくらか前、こいつの三味線を聞いて、弟子に寄越せと爺さんに言ったそうですから」

 真が唄の節に入ると、誰かが直ぐに太鼓の代わりに手で机を叩きはじめ、目配せだけで順番を決めて唄が繋がれていった。
 多分十番は越えて二十にも届きそうだったはずだが、いつまでも誰も止めようとしなかったので、真もさすがに終わりのない唄の途中で何度も観客たちに救いを求めなければならなかった。
 漁師たちは、その日、本当に真の事を受け入れてくれたようで、胃潰瘍を無視して真に酒を薦め、自分たちも気持ちよく飲み続け、時に唄い、時には昔を語った。
 いくらかしてもう皆が順に帰り始め、親爺も帰ろうと席を立った。

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Category: ☂海に落ちる雨 第3節

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