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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・小説】物語を書くということ 

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(文字がびっしり書いてあるノート。【Eroica】……ジョルジョ・ヴォルテラと真の息子・慎一の壮絶な親子葛藤の物語。ノートの上部には、読んだ本の感想とか、ちょっとした日記とか、あれこれ)


自分の書くものを分類すると、多分2種類に分かれる。
ひとつは、人に読んでもらうことを意識した物語。
もうひとつは、自分のためだけに書いた物語。

人に読んでもらうことを意識しなければ、文章が洗練されないし、読みにくいままだし、向上しない。だから、物書きはいつだって、人に読んでもらうことを意識するべきだ。
ブログで小説を発表するようになって、そのことを強く感じるようになりました。


文章だけではなく、読みやすいように文字の大きさや色、テンプレートを変えてみたり、文字数を少なくしたり、イラストや写真を散りばめてみたり。
あ、文字数は多すぎますね。もっと少なくしなくちゃ。

こうやって読み手をいつも想定してこそ、物語は体裁を整えていく。
人からいいねって言ってもらえたり、感動したよって言ってもらえるようになる。


でも、実際には、私には自分のためだけに書いた物語がある。
長いこと、具体的には二十年以上かけて、書いたり、止めたり、手書きからワープロ、パソコンと手段も変わり、読み直しては何度も書き直し、逆に無情なほど存在を忘れて放置した時間もあり……それでもまだ自分の手元にある。

もちろん、書いていない時も「彼ら」はそこにいたので、全く疎遠だったわけではないけれど、中断して一字も書かずに放置した年数の方が、書いていた時間よりもずっと長い。


そう、書き始めた日付けも書かれていないので、わからないけれど、ノートの端の落書きに、「岡田」「亀山」とあるので、某関西のプロ野球チームで彼らが選手として活躍していた時期に書き始めているよう……

読み手は想定していなかったので、全く自分のためだけの物語。
だからちょっと酷い。いろんなものを詰め込んである。
苦しいこととか、頑張ったこととか、情けないこととか、ものすごく崇高な想いも混じっているし、欲望とか欲情とかどろどろなものも混じっている。すごく綺麗なエピソードも入っているけれど、怒りと悲しみと、自分の中のあんまり綺麗じゃないものも、こんな理不尽は許せないってこととかも、入っている。
自分でも読み返せないエピソードまである。


ある日、何の拍子にだったか、友人に読んでもらったことから、事情は変わってしまったけれど(友人の「もっとたくさんの人に読んでもらいなさい」というツルの一声。いえ、今でもたくさんの人が読んでくれているわけじゃないのですけれど……)、今でもこのお話だけは、やっぱり人に読んでもらうために書いたものじゃないと、そう思える。

自分のために書いたものが読んでもらえて、人に受け入れてもらえたら嬉しい、とかそういうことではなくて、これはもうそんなことを越えた、超自己中な物語なのです。
本音を言うと、もしかして、永遠に読者が私一人でもいい。


じゃあ、何故、こうしてブログに発表しているんだろう。
それもまたよく分からないのです。


例えば、ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』。
彼は生涯この絵を手元に置いて、筆を入れ続けたのだとも。
例えば、ミケランジェロのミラノにあるピエタ(ヴァチカンのではなく)。
未完成という噂もあるけれど、石から湧き出るままに彫って、あそこまで来たとき「もうこれ以上は彫れない」と感じたのだとも。
(あ、比べる対象がでっかすぎましたね^^;)

あれらは、もしかすると画家の、彫刻家の、彼自身のための作品だったのかも。
芸術は万人のためのものであったとしても、その絵や彫刻、その音楽などと向き合っていのはあくまでも個。
だから極めて自己中心的なものなのかも。


その一方で、分かち合いたい、わかって欲しいという思いも、やっぱりあるのでしょうか。
(ポッキーの宣伝みたいに)

ぐるぐるまわって、冒頭に挙げた、自分にとっての2つの種類の物語は、結果的に裏表なのかもしれませんね。
……何だか、書きながらよく分からなくなってしまったのでした。
何のために書く? やっぱり自分のためなのですよね。


そんな私だけの物語だった【海に落ちる雨】……ついに問題の第4節に突入、です。
「だった」と書いたのは、「だめだよ、こんな話」とか思っていらっしゃるかもしれないけれど、根気よく付き合って下さる、数少ない、でも暖かい読者様がいてくださるから……(感謝です)

こんな理由で、ダメダメなお話ですが、もしかすると魂と情念は、他のどの物語よりも深いのかも。
テーマは? 上手くいえないけれど、私の書くものは、いつも『再生』の物語なのです。


テーマソングはB'zの『Calling』だと以前に書きましたが、この物語を書いていた頃、最も聴いていたのは、尾崎豊の『太陽の破片』、そして長渕剛の『何の矛盾もない』でした。
どちらも、第5節の章題に、戴いています。
私にとっての「昭和」は3丁目の夕陽じゃなくて、これらの歌のイメージを抱えた時代でした。
(『続きを読む』に畳んでいます)

ちなみに、【清明の雪】は前者。読んで下さる方を(一応)意識して書いたものです。
多分、他の多くの物語も前者です。
でも、前者であるからには、もっとお勉強しなくてはなりませんね。

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(ノートの続き。びっしりの文字だけれど、たまに余白があると自慢して喜ぶ作者^^;)
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(縦長の余白に狂喜したり)
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(こちらは【海に落ちる雨】のノートにシャーペンで自筆時代。まだワープロも持っていなかった。初めて買ったワープロは『書院』でした。ちなみに、このシーンは、真と美和ちゃんのシーン)
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(こちらは【死と乙女】……今アップしているものは、この時ノートに書いていたものより、倍の長さになっている)
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(ノートの端には、こんな薀蓄?も……^^; 読めるかなぁ?)
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Category: 小説・バトン

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