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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨114] 第23章 喪失(1) 

【海に落ちる雨】第4節の幕開けです。

新宿にある調査事務所所長・相川真の同居人・大和竹流。
ローマにある教皇庁と深い関係があるヴォルテラ家の後継者であるが、その立場を捨てて今は東京でレストラン・バーとギャラリーを経営する美術品修復師。

大怪我をして入院していた大和竹流の失踪。
その失踪に重なるように蠢いていた人間たちの影が、今となっては静まり返っていた。
代議士・澤田顕一郎、溺死した元傭兵の田安、内閣調査室の『河本』、『河本』の命令で動いている警視庁の女刑事・添島麻子(竹流の恋人)、米国中央情報局に雇われている真の父親・アサクラタケシ。

真はようやく竹流の失踪時、最も身近にいたはずの男に行き当たった。
澤田顕一郎の元秘書・村野耕治の息子・草薙。

竹流が失踪前に関わっていたのは、新潟の豪農・蓮生家の蔵から見つかったというフェルメールの贋作だった。
蓮生家の怪しげな面々、贋作の鑑定に関わったという弥彦の村役人・江田島、フェルメールのことで政財界の大物たちを脅迫したうえで自殺したとされる雑誌記者・新津圭一、口がきけなくなったその娘、新津の愛人で真の恋人でもあったバーのママ・深雪。

それぞれがそれぞれの事情で事件に絡み、物事を複雑に見せている。
だが、事件の核心はただ一つだ。
「妙に大物が動く割には起こっていることが小さい」
絡み合う人間の欲望の泥沼の中から、真は彼を探し出せるのか。
そして、竹流が本当にしようとしていたことは何だったのか。
彼の本当の『敵』は誰だったのか。

草薙に案内されて、真は、竹流がフェルメールの贋作を描かせていた女・御蔵皐月のアトリエに向かう。

【海に落ちる雨】登場人物紹介はこちら→【登場人物紹介】





 草薙は車も免許も持っていないというので、添島刑事が用意してくれたカローラは、有難いことに早速役に立った。
『河本』は多分土俵を下りたのだろうし、これから真が振り切らなければならない相手は警察関係だけかもしれないが、首都高速道路に乗ったカローラの周囲には、今のところ誰の気配もなかった。

 夜半に高速を西へ走る車は、トラックを別にするとさすがに少なく、具体的な目的地を思い描けない状況では、まるで異次元に向かって車を走らせているような錯覚に陥る。
 むしろ、直接的な敵からの接触があったほうが、この道が確かに彼の元へと繋がっていると信じられるのに、ここに至って何の気配もないことが辛かった。

 とりあえず、どういうことになっているかと考えると、相川真は、幼女誘拐および内閣調査室で窃盗を働いた寺崎昂司と一緒に姿を消した怪しい外国人、大和竹流の行方を知っている参考人で、楢崎志穂への婦女暴行の容疑者としてマークされているという状況のようだ。しかも、どちらも真にとっては言いがかりのようなものだ。
 そう考えると、罪状的には大したことはないように思えてきた。もっとも現時点では、『大和竹流の捜索の断念』という条件で『河本』から不問と安全を買ったことになっている。

 いや、『河本』は多分、真が結果的に諦めるとは思っていないだろう。相川真がアサクラタケシの息子であることを知っている彼は、この親子がどういう性質の遺伝子を持っているかを十分に理解しているはずだった。
 何よりの問題は、アサクラタケシは相川真をチェザーレ・ヴォルテラには渡すまいとしてくれているようで、その背後事情から一旦、どういう事情にしても真を拿捕しようと考えているかもしれない。
 そうなると、自分が一番振り切らないとならない相手は、実は父親なのか、と思った。

 甲府まで高速は順調だった。
 草薙は助手席で黙っていた。大柄ではなく、真よりやや背が高いかどうかで、顔振りが小さいからか全体にはむしろ小柄に見える。痩せて骨ばった頬に尖った顎は、動く獲物を狙う爬虫類に似ている。

 草薙は短い単語だけで、高速のインターを指示し、その先の道を誘導した。
 インターを降りてから二十分ほど走って、言われるままに車を止めると、全く車が走っていないわけではないが、深い山の中のように思えた。もっとも灯りがほとんど消されたこの時間では、たとえ人家があっても、どこも山や森の中のように感じたかもしれない。

 草薙の無言の気配で車を降りると、湿った木々の匂いがした。
 車のライトで照らされた道は、まっすぐに木々の中を走り抜け、少し先でやや登りの坂道になっている。登りの途中からは闇に吸い込まれているのか、実は下りに変わっているのか、いずれにしてもその先は奈落へ沈んでいるようにも見えた。

 もっともこの闇の中だ。距離感は曖昧で、昼間に見る景色とは随分違っているのだろう。
 突然、甲高い鳥の鳴き声が闇に木霊して、真は思わず頭上を振り仰いだ。
 舗装された道の両脇には木が覆うように並んでいて、車を停めたのは、舗装道の脇から伸びている砂利道の角だった。砂利道の入り口には杭が打たれ、チェーンがかかっている。

 草薙が助手席のドアを開けたまま、身体を乗り出すようにして冷めた声で言った。
「どうする気だ? この時間じゃとても探しものはできないぞ」
 地面に落ちた生命の残骸が湿った音をたてているのは、風のせいか、それとも足音を忍ばせた生き物が蠕く気配なのだろうか。時々、侵入者を確認するように、無音になる。

 真は草薙の問いかけには答えず、闇の向こうを見つめたまま尋ねた。
「この先に、御蔵皐月のアトリエがあったのか」
「そうらしいな。だが、今は完全な燃え跡で、もう何も残ってない」
「ただの火事だったのか?」

「わからん。色々と燃えやすいものが多かったから、何かが引火したんだろうって話だけどな」
「よく大火事にならなかったな」
「アトリエまでの道と周辺は随分切り開かれていたし、幸い風のない日だった。それに、通りかかった隣の別荘の人間が、部屋の中で燃えている火を見かけて、直ぐに消防を呼んだらしい。それでも消防が来たときには、アトリエはほとんど燃えてしまっていたらしいがな」

 真が諦めきれずにその先の闇を見つめていると、草薙がぽん、と投げ出すように言った。
「明日にしよう。まさか、お前を追っかけている連中も、山梨にいるとは思ってないさ」
 誰かに追いかけられているという強い緊張感はない。むしろ、こっちが何かを追いかけているのに、目的のものに届かないという焦りのほうを強く覚える。
 どちらかと言えば、追いかけてきて姿を見せろという気分だった。

「悪いが、生きている保証はないぞ。だが、今日生きているなら、明日もまだ生きているだろうよ。すでに死んでいるなら、一晩焦ったところで仕方ないだろう」
 真はそれには答えなかった。

 だが、確かに、この時間からこれ以上身動きがとれるとは思えなかった。
 そのまま甲府に泊まることにし、駅前のちっぽけなビジネスホテルに入った。
 建物の一階が駐車場になっていて、その脇の粗末な鉄製の階段を昇って、透明の扉を押し開けると、ロビー兼喫茶店になっていた。

 喫茶店のレジがそのままフロント代わりだった。カウンターと二席ずつのテーブルが三つ縦に並んで、狭い通路があるばかりの喫茶店だ。申し訳程度の観葉植物が、十分な水と栄養と日光を与えられないために、葉の先端を重力に任せたまま、細い自動扉の脇に納まっている。

 シングルの部屋を二つ頼んで、染みた汚れが取れなくなっている鍵を受け取ると、古く安っぽい暖簾のかかった通路を通り、更に狭い階段を昇って、足下の何かの荷物を踏み越えて部屋に入った。火事にでもなったら逃げられないな、と思ったが、値段を考えたら、別に訴えるようなことでもない気がする。

 部屋は本当に狭く、決して大きくはないベッドがようやく一つきり入っていた。窓の外は建物の壁で、まるで監獄のようだ。ユニットバスも一人でも狭いと思うような作りで、ドアも完全には閉まらなかった。
 正直、よく営業を続けていると感心するようなホテルだった。普段、客が泊まることがほとんどないために、傷んでしまっているのかもしれない。

 シャワーを浴びて、ベッドの上に放りだしてある、糊だけは十分にきいた掠れた青の浴衣を着て、身体を横たえた。カビのような臭いと染み付いて取れない古い体臭が入り交じっていたが、不快とも何とも思わなかった。

 実際、次にどうしたらいいのか、分からなくなっていた。
 御蔵皐月のアトリエの焼け跡に何かが残っているとも思えない。それでも一度はそこに行ってみなければならない気はしている。おそらく皐月があの絵を描いていたのは、そのアトリエなのだろう。

 だが、不思議な符号だな、と思った。佐渡の爆発事故と山梨のアトリエの火事。竹流が火傷を負ったのは実際はどっちなのだろう。
 それに、本当に寺崎昂司は御蔵皐月を殺したのだろうか。
 楢崎志穂はどうしているのだろう。真に暴行されたと、警察に言った。彼女は荒神組の連中に脅されていたのだろうか。

 疲れているのだ。休息を与えられない脳が、過剰に活動している。
 子どもの頃から、網膜に映ったシーンは何時もばらばらだった。それを脳内で意味のある一つの絵にするためには、意識的に使い慣れない脳の部分を刺激する必要があった。
 ばらばらのカードを並べて、組み合わせていくという作業をするためだった。

 落ち着いたらできることが、焦るとできなくなる。今、頭の中にはばらばらのカードが散らばっていて、その中で真は、疲れてぼろぼろの身体で歩き回りながら、途方に暮れている。
 そこに交じっている無関係そうに見えるカードが、時々悪質な臭いを放ち、真の足に絡み付く。
 いや、これこそが最も中心にあるカードなのか。屈みこんで触れようとすると、身体が痺れたように硬直した。

 思考が整理できないことに焦りを覚えながらも、一度横になると身体を起こすことができなかった。
 ヤクザに殴られたのも、もう随分前のことのように思える。実際に身体に受けた暴行からは少しずつ立ち直り、むしろここ何日かは、短くともベッドに平穏に横になる時間さえあった。

 それなのに実際は全く眠れていない。夢を見た記憶もない。ただ暗い天井を睨みつけていただけだった。荒神組の連中に殴られた趾がたまに疼くのは、今日の午後、草薙の店で受けたものが追い打ちをかけたからだろう。
 眠れないのは、まだはっきりとは抜けきらない薬の幻覚が、脳のどこかに住処を作っているからだ。

 幻覚と現実の境目をうろうろしていると、つい今日の午後、男達に殴られたり蹴られたりしたその場面が、身体の内側から突き上げてくるような気がした。
 ベッドに横たわっているのではなく、殴られて身体がどこかへすっ飛んでいくような不気味な感覚を、あたかも身体そのものはまだその現場に残っているように感じていたのだ。

 そして、不意に大きな男に顎を摑まれて分厚い唇を押し付けられた感触と、誰かのごつい手が自分のものを握った感触が幻覚を越えた。
 今この身に起こっている実際の出来事ではないのに、真は跳ね起きた。何よりも、身体が幻想に反応していることに自分で驚いたのだ。

 今でも、ほんのたまのことだが自慰をすることはある。けれどもさすがに中学生や高校生の頃のように、夢精をすることはなくなっていた。
 もともと眠りのスパンが短い真は、夢を見て覚えていることは比較的多くそれが現実と区別がつきにくいことも少なくない。その中で艶夢を見ることもあったが、下着を汚すようなことはなかった。真は自分の勃ち上がったものの先端が僅かに湿っているのに触れて、自分は一体何をこんなに餓えているのだろうか、と思った。

 俺は、やっぱりおかしいらしい。
 ここに至って、理由は明らかだった。
 いや、本当は以前からずっと解っていたのだ。美和とベッドを共にした後、何となく盛り上がっていた気持ちがほんの数日で急速に冷めたのは、何も仁に叱られたからではない。
 日一日と時間が経っていく中で、彼の不在を身体も心も恐怖に感じている。

 自分で今の状態を処理しようとは思わなかった。
 単に勃起して感情の昂ぶりがないまま射精できないことなど、珍しいことでもない。そんなことで欲求不満になるほどのこともない。
 だが、ふと気がつくとまた、涙も流さずに泣いていて、情けないほどに頼りないのを感じた。会ったところで、抱き合ったりキスしたりすることが簡単にできるわけではないのはよく解っていた。
 満たされないことがあるとしたら、ただ耳の中の小さな産毛まで震わすようなあのハイバリトンの声と、鼻腔をくすぐる白檀のようなオリエンタルな香りが、今ここにないこと、そのことだけだった。

 美和に追及されてもさすがに答えられなかったが、大学に入る前、ほんのしばらくの間あの男とそういう状態にあったことは事実だった。だが、真自身は大学入試で参っていたし、その後のまるでハネムーンのようなイタリア旅行の間、自分たちが多少箍が外れていたのも知っていた。しかも、あの時竹流は、日本に来てから何年も帰らなかった故郷に久しぶりに足を踏み入れて、色々と複雑な感情になっていたのだろう。

 実際にそうなってみて、分かったことがある。
 自分は以前からずっとそのことを望んでいて、他の誰かを抱いたり抱かれたりしている時にも、彼の手を探していた。だから、そうした行為の最中に、他の誰かの手を探さなくてもいいということが、どれほど満たされた思いがするのかということを知った瞬間の、あの震えるような感覚も、真はまだはっきりと覚えていた。

 あの男が、その後なぜそういった行為を一切止めてしまったのかも、何となくは解っているつもりだった。彼は、やはり女しか抱けないと言っていたが、それが思わず口をついて出た言い訳に過ぎなかったのではないかと、時々そう感じている。
 彼がそう言った時は、真のほうも納得して何となく安心し、妙に開放された気分になったりもした。その上でベッドの中では半分は無意識に、半分は意識的に、彼に甘えた。彼は酒の量が増えていたような気がする。

 それでも、セックスをしないことが苦しいと思っていたわけではない。厩舎の藁の中と同じ匂いがするあの空間を、頭の上に広がったあの大宇宙と同じ温もりを、手離すつもりもなかった。
 その一方で、彼が留守をしている期間は、おかしなくらい深雪のところに通いつめるようになっていた。しつこい男だと思われるのは情けなく、行かない日には、熱い風呂に入って早くベッドに潜った。眠れないので、自分で自分を慰める日もあった。
 代わりになるようなものは何もなかった。

 彼も自分も決して同性愛者だとは思わない。彼以外の男にどうこうされたいとは一片も思わないし、女性に対しての性欲は全く普通だと思っている。あの男もそうだ。普通に女性を抱いている。もっともかなり複数、という点は問題だが。

 あの男が目指し求めているものが何なのか、真にはよく分からない。ひと時燃え上がって終わってしまうような恋ではなく、もっとはるか高みを求めているのかもしれない。
 その理想を自分が理解できないことは、もう構わなかった。
 しない、というならしなくてもいい。したい、と言われたら応える、それだけのことだと思ってきた。どうせ自分の中で答えが出ない問題なら、そのまま呑み込んでしまったほうがいい。

 何より、始めから真はあの男のものだった。指の先、爪の先、髪の毛の先の、明日剥がれ落ちしまうような細胞の一片までも、あの男のものだった。全ての血を搾り出して見せろと言われたら、躊躇わずにそうする。
 真の命の核は、十九のあの日からあの男の中にあった。

 それなのに、あの男は何故、俺の首を締める権利を持っているのに、それを行使しないのだろう。
 真は、自分が狂いそうになっている理由をよく知っていた。あの男が自らの命を危険に晒している理由が「相川真」ではないからだ。狂いそうになっているのは、何かわけの分からないものに対する嫉妬だった。

 酒の一杯でも手に入れておくべきだった。そうすれば睡眠薬代わりになって、一気に眠れたのかもしれない。
 不意にドアがノックされた。飛び上がるように驚いたが、それが真の昂ぶりを鎮めてくれた。

 ドアを開けると、草薙が立っていた。
 部屋に入る前に食事に出ないかと誘われたが、まだ殴られた趾も辛くて気分も悪かったので、断っていた。草薙は缶ビールを真の手に押し付けた。
「睡眠薬代わりにはなるぞ」

 缶ビール一本がこれほどに有り難いと思ったのは初めてだった。しかも、これだけで十分酔っぱらえる自信もあった。草薙は真を見て、泣いていたのか、と聞いた。真は、そうか、涙を拭うのは忘れていたとぼんやりと思った。
「とにかく、飲んで寝ろ。ああは言ったが、俺もあいつに簡単に死んでもらっちゃ、寝覚めが悪いんでね」
 真は礼を言って、ドアを閉めた。

 作り付けの細長い机の上の鏡は、長年磨かれた気配もなく、ひびが入っていた。鏡の中の薄暗い世界に、真は亡霊のように立っている。ひびの部分で歪んだ世界の中では、二つの感情もそのままひび割れていた。

 真は涙など欠片も流していないことに気が付いた。泣いていたのは、上手く鏡になど写らない心だけだった。草薙は、真の背中に張り付いているもうひとつの世界を見ていたのかもしれない。
 ベッドに座って、苦い薬を流し込むように一気に缶ビールを空にして、そのままカビと古い汗の臭いが染みた薄い布団にくるまった。すぐには眠れそうになかったが、少なくとも泣かずに済みそうだと思った。

 彼に会いたかった。本当にただそれだけでよかった。


(つづく)


次回予告?

「あんたは、何故自分の父親をそんなふうに突き放して話すんだ?」
 草薙が鼻で笑った気配を感じたが、ほとんどエンジン音に消されてしまっていた。
「あんたはどうなんだ? アサクラタケシの息子さんよ。人殺しの親父にどんな気持ちを抱いている?」
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Category: ☂海に落ちる雨 第4節

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