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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】14.岡山総社・鬼の差し上げ岩(1) 

今回は岡山総社市の鬼の差し上げ岩にご案内いたします。
この地に残る伝説・昔話と言えば、かの桃太郎伝説ですが、桃の絡んだ鬼退治のお話は日本の至る所にあって、その中で「黍(吉備)団子」とのコラボで見事に現在の地位(?)を勝ち得たのが岡山県ということになりましょうか。
黍団子の原型は15世紀ごろには記述があるそうですが、桃太郎のお話に黍団子のエピソードが盛り込まれたのは元禄以降だとか。それまではとう団子だったとも。
桃太郎侍(あ、桃太郎違い)
何はともあれ、この地は「桃太郎伝説」を紐解くにぴったりの条件がそろっていたようです。
それが大和朝廷と吉備国の対立。第7代孝霊天皇の第3皇子彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と稚武彦命兄弟の吉備国平定の話が「鬼退治」となったわけですね。
「鬼」とは大和朝廷にまつろわぬ民。吉備の国には「温羅(うら)」という鬼がいたという伝承があります。
温羅は古代吉備国の統治者で、出雲地域より飛来して吉備に入り、鬼ノ城を拠点として吉備地方を支配、製鉄技術を伝えたと言います。そもそものルーツは百済の国だったとも。
tataraba.png
製鉄と言えば『もののけ姫』を思い出しますね。タタラ場でもっとも有名なのは島根県ですが、この中国地方は古代には大陸に開かれた土地。百済や新羅から多くの人々がやってきて、多くの技術を伝えた。中でも製鉄と米、塩を作る技術はその最たるものだったと言えます。お米も大陸から伝わる前は、粟とか稗だったのですものね。

以下、宿泊した「あしもり荘」の支配人さんのお言葉。
「この地域には、温羅祭りというのがあってものすごく盛り上がるが、桃太郎祭りは盛り上がらない。ここの人間は温羅が好きなんだ。温羅は宝をもたらして、この鬼ノ城から吉備の国の集落を守ってきた。それを大和朝廷が……」
なるほど。
伝承では「温羅の支配に苦しんだ吉備の国の人々が、大和朝廷に陳情に来たので、追討命令を下した」ってことになっているけれど、まさに歴史は勝者が書きかえるってことなのかも。

さて、その大和朝廷と温羅の戦いはかなり壮絶だったようですが、温羅も殺されても生首だけで生きていて(これもどこかで聞いた話だ……美輪さんの声が~)、唸りを上げていたとも。
こういう話にはあれこれ利権やら正義やらが錯綜していて、どちらかが一方的に悪いとか良いとかもなく、また戦いも常に敵対していたというわけでもなく、和解もあったりして。
さて、この大和朝廷側の遺構・遺跡・神社はまた次の記事に譲るとして、まずは「鬼」の世界にご案内したいと思います。
鬼の城
こちらは鬼ノ城。温羅が鬼城山(標高400m)に築城したと言われる古代山城です。
鬼城山は南に向かっては何も遮るものがないので、遠く四国まで見えるという要所です。この山の8~9合目を取り囲むようにした石積の城壁・土塁の長さは、約2.8km、面積は約30ヘクタール。
鬼の城の遠景
古代の城、と言えば東北地方に見られる城柵と、九州・瀬戸内海沿岸・大阪湾沿岸に築かれた山城があります。当時の城は居住区というよりも軍事施設。そして、山城の中で、築城時期が不明で記録が全く残されていない城のひとつがこの鬼ノ城です。
西門や角楼周辺は復元されていて、土塁も古代の版築工法で作られました。壁となる部分に型枠を作り、内部に土を入れて一層ごとに突き固めるやり方。出来上がった土塁はまるでミルフィーユです。
版築工法
鬼の城3
上は復元された土塁。そして下はやはり復元された西門。
鬼の城2

前置きが長くなってしまいましたが、こんな背景のある土地に今回ご案内する巨石があるのです。
鬼ノ城には小規模ながらビジターセンターがあって、お手洗いも綺麗で、沢山のハイカーさんたち、家族連れが休憩していました。お弁当などをゆっくり食べることができます。
ちなみに、私たちも宿泊したあしもり荘で頂いたおにぎりを食べました。美味しかった(^^)
このビジターセンターからさらに車で10分弱、3kmほど山の中に入っていくと、目的の岩屋・新山一帯にたどり着きます。
ようやく、本日の主役の登場です。
鬼の差し上げ岩500
まずはこの迫力ある巨石の集合体をご覧ください。
鬼の差し上げ岩6
ぎゅっとフレームの中に詰め込むと、その迫力が分かります。
ちょっとアングルを変えてみると、上にいささか不安定に乗っかっている岩が件の「差し上げ岩」だということが分かります。
差し上げ岩
横に回っていきます。ちょっと人間の大きさと比べてみましょう。
鬼の差し上げ岩8
側面から見るとこんな感じ。
鬼の差し上げ岩3
10鬼の差し上げ岩
後に回るとこんな感じです。
鬼の差し上げ岩4
そうなんです。後ろに回ると、かなり不安定な状態にあることが分かります。
実は、今年の4月に落石事故があったようで、周囲を「立ち入り禁止」のテープで囲われていたのです。
ちょっと岩の方から元来た道、岩屋寺(無人の寺)を振り返って見ると。
立ち入り禁止
テープが見えますでしょうか。
ということは、大海はもちろん立ち入り禁止の中におります。
というよりも、こんな大きな岩に何かあったら、立ち入り禁止の外にいても危ない立地なので、意味はないという気がします。巨石の旅、結構スリルのある場所、多いですから……
というわけで、さらに岩に近づいてみましょう。
鬼の差し上げ岩5
この朽ち果てたような祠。何を祀っているかというと。
磨崖仏
見えにくいと思いますが、この磨崖仏です。
差し上げ岩の中
祠の脇の穴から奥を見るとこんな感じ。さすがに奥までは行かなかったのですが、ちょっと後悔。
そしてこちらは手前の岩です。
鬼の差し上げ岩9
ちょっとエロチックなこの形は、陰石でしょうか。
陰石の中
いわゆる子宮をイメージした空間なのかもしれません。
鬼の差し上げ岩11
ちょっと立ち入り禁止の枠の外から写真を撮ってみました。差し上げ岩を支えている下の石に何か線が見えませんか?
アップにしてみます。
鬼の手形2
鬼の手形
そう、これは「鬼の手形」というわけです。
伝承の温羅が岩を「差し上げた」という伝説が残るこの岩。
日本にある巨石の多くは磐座や山岳信仰の聖地であったと思われ、自然の造形のままの姿が残されているようなのですが、時には「動かしたんじゃないか」と思われる跡があったりします(岐阜県の金山巨石群など)。二つに割れた岩の間から夏至の太陽が昇ると言われると、人工的に割ったのではないかと思ったりもします(尾道・岩屋巨石)。
それをこんな風に「ほら、鬼の手の跡があるでしょ。だから鬼がやったんだよ」と言われると、「なるほど! そうだよね」なんて思いたい大海なのでした。この不思議さを、ユニークな形で表した手形。いかがでしょうか。

とは言え、実際にはこの土地は、平安時代に山上仏教が栄えた土地。
巨石の多くはこうした宗教と結びついていて、大和朝廷と温羅が闘った古代ロマン溢れる時代よりも少し後の話になるのかもしれません。
でも、巨石は古代からそこにあったはず。
やはり温羅がここで祈りを捧げていたかもしれませんね。

さて、次回はこの山にある他の岩たちをご紹介します。
その前に。追記にて、迷子になった私たちの苦難?を記録しております。
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Category: 石の紀行文(写真つき)

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