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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・あれこれ】 69回目の終戦記念日(コメント欄開きました) 

心に深く思うことってなかなか言葉にできないですよね。
深く思うのであれば何かを語っておきたい気もするのだけれど、この議論はいつも「安全な場所にいて何も知らないくせに何を言う」と言われそうで、あるいは分かり切ったことを今更何を声高にとか思われそうで、つい口をつぐんでしまう。
考えを突き詰めていくと感情的になってしまったり、怖くなってしまったり、どきどきして眠れないこともあって。
だから、去年もこの日、何か記事を書こうとして結局やめてしまったのですけれど、今年はちょっとだけ書きます。

ちょっと話は紆余曲折しますけれど、例えば肝臓の病気。
感染症(肝炎)、うっ血性心不全による肝うっ血、薬剤やアルコールによる肝障害。
その臓器が病気になる理由は色々あるし、それぞれにはそれぞれの事情、つまり「病因/治療過程」があるのですけれど、終末像は同じ。
肝硬変になって、時には肝癌になって、死ぬ。
行きついた先の組織は同じような「終末の病理像」になっている。
下の写真についてのNHKスペシャルを見た時、戦争の終末像、死亡の病理像はこれなんだと思いました。
焼き場に立つ少年
この写真の中に立つ少年も、被爆して亡くなり兄に背負われて焼き場に来た小さな子供も、そして、このカメラのファインダーの手前に立つアメリカ人のカメラマンも。
さらに、写真には撮られなかったけれども、あの場所にいた全ての人々が背負った死・後悔・病苦。
決して、戦闘機が飛び交っている光景が戦争の「像」じゃなくて、地面の上で小さな子どもまでもが死に、ひとつひとつの残酷な死に苦しんだ心のひとつひとつが「終末の病理像」だった。
「この戦争で310万人が死んだ」のではなく「310万件の死亡事件があった」。
しかもその半数以上が、餓死や病死。
そう言えば、ナポレオンのロシア侵攻も、戦死者の多くは凍死・餓死・病死でしたよね。
そして、空から「敵」を攻撃し、その後上陸して無残な死の光景を見て生涯苦しみ続けた「敵国」の兵士たちも、やはり犠牲者だったのかもしれない。

今年、この番組を文字起こししてくださっている記事を見つけました。
【あなたはこの『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ戦争はしょうがないと思いますか?】
断りもなく勝手に紹介させていただくのですけれど、改めて読ませていただき、また少し考え込んでしまいました。
人間って愚かだから、また繰り返すかもしれないという怖さがあります。
車の場合は、そもそも走る凶器だから、凶器に足かせをつけるようになりつつある(障害物を認識したら勝手に止まる機能)。
人間の愚かさにつける装置・機能はあるのかな。

戦争の大義名分、戦争・自衛についての様々な議論、そして今大きな話題となっている集団的自衛権・憲法9条解釈の問題。「事」が起こる前であれば、その議論にはどちらの側にも是も非もあるのかもしれません。
でも起こってしまったら、戦争には「言い訳」の隙はありません。多分、どこから来るのか分からない「命令」(時に『神』からの指令、時に『何世代も前から決まっていたこと』)に従い、前頭葉は使わず、脊髄辺りで反射する行為をせざるを得なくなると思うのです。生物としての防御反応が攻撃になることだってある。
結果的に、一方的な加害者も被害者もなく、どちらも悲惨なだけ。
戦争の精神(状態)が怖いのは、自分が被害者になることもだけれど、加害者になることもあるから……
いったん戦争という状況にしてしまったら、誰が誰を責めることができるんだろう。
だから「してしまってはいけない」。そのくらいの叡智は人間にもあると思いたいけれど……

昨日、夜中に何気なくつけたテレビで、東京大空襲の時の消防のドラマをやっていました。
「2時間余りで10万人を殺してしまう、それはどんな精神なのか」
登場人物が呟いていましたが、これは空から爆弾を降らせた敵を恨んでの言葉じゃなくて、戦争というものはそういう精神状態になってしまう(被害者・加害者の区別なく)、という恐怖に対する呟きだったように思いました。
空の上から見たら死は遠くにあるけれど、地上では死は隣に、すぐ頭上にある。
広島・長崎の経験が語るように、そして今も世界のどこかで起こっている戦争が語るように、戦場で戦う兵隊さんたちだけでなく、市井の人々の上にある。
議論をしている時は遠いけれど、次の瞬間には隣にあるのかも知れない。
逆に、空の上からではなく、隣にいる一人の人が相手ならば、無残なことはできないのかもしれない。あるいは、してしまったら悔いることができるのかもしれない。

予備校の時の日本史の先生が、電灯は10~20ワットで世の中は暗く貧しかった、日清・日露で戦争景気にあやかった日本は戦争をしたらまた豊かになると思ってしまった、と言っておられた。
戦争へ向かっていったのは、誰か一人の戦犯のせいじゃなくて、日本の国民が作ってしまった大きな「ムード」だったということを認めておられたのでした。
いつそのムードに巻き込まれてしまうか分からない。だからこそ心していなければならない。
あの時を知る人がすっかりこの日本からいなくなるまで、もうそれほど時間はない。

あれこれ思って出口はないけれど、今日の日だけでなく、思い続けなければならないことなのだと改めて心に刻む今日でした。

……フミヤさん、大好きなので……この有難いコラボを選びました。

コメントをやり取りするには重すぎて、コメント欄を閉じていましたが、けいさんが長いメッセージを下さって、もしコメント欄をもう一度開くなら転記をしてほしいとまで書いてくださったので、やはり開くことにしました。
大海はろくなコメ返ができないかもしれませんが……
けいさん、ありがとうございます。
けいさんのメッセージは、追記にあります。
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Category: あれこれ

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