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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【8888Hitリクエスト・短編】人喰い屋敷の少年・(2)夫の死を願う女 

limeさん
少し間が空いてしまいました。この頃少し「スランプ」なのでしょうか。いちいち引っかかって前に進まないのです。集中力もないし、やたらと眠いし。もしかして「幽霊」の仕業か? 「人喰い屋敷」の呪いか?
なんて冗談はさておき、『人喰い屋敷の少年』(2)です。順番を入れ替えたので、章題が予告とは変わっています。
お楽しみくださいませ(*^_^*)
ちなみに第1話はこちら→(1)カグラの店

登場人物
相川真>大学を中退し、唐沢調査事務所に勤めている私立探偵見習。子どもの頃の遊び相手はコロボックルという不思議青年。3年ほど前に崖から落ちて生死の境をさまよってから、ますます霊感に磨きがかかっているという噂もあり。
カグラ>真の上司・唐沢が出入りする三畳酒場の女主人。本人がホラーのような存在。
作家>カグラの店の常連。本当に小説家かどうかは不明。真を観察して小説のネタにしようとしているらしい。
教授>カグラの店の常連。何の教授か、本当に教授か不明。おっとりとした声で理屈を言うのでそう呼ばれている。
窓さん>カグラの店の常連。いつも酔っ払っているサラリーマン。
松岡綾>真の依頼人。夫・松岡圭吾の生死を知りたいという。
ルカ>「人を喰らう屋敷」で真が出会った、猫を抱いた少年。(まだ出会っていませんね^^;)



【人喰い屋敷の少年】(2)夫の死を願う女

 その依頼人がやって来たのは土曜日の午後だった。
 所長の唐沢は昼過ぎには飲みに出て行ってしまったし、先輩探偵である三上は他の依頼の件で出かけている。事務員の女の子は土曜日は休んでいることが多い。

 調査事務所にとって駅から徒歩八分というのは極めて好立地だ。
 あまりにも駅に近いと、別に見られているわけではなくても、何となく人目が気になって入りにくい。かといって駅から遠すぎると、たどり着くまでに事務所の扉を開ける決心が鈍る。
 もっとも、この事務所に辿り着いた依頼人は、どう見ても戦前からあると思われるビルの大きな亀裂には足を止めるだろう。

 その日、留守番を預かっていた真は、誰もいない部屋で窓を開けたまま、事務机に肘をついてぼんやりと外を眺めていた。
 外、と言っても特別な景観があるわけではない。大通りから一本だけ入った道に面しているビルの二階で、見えるのは向かいのビルの古めかしい外壁と窓だけだ。
 真正面に見えるのは、喫茶アネモネという赤い文字で、少しだけ腰の曲がったオーナーの姿が薄暗いガラス窓の向こうでよたよたと歩いていた。還暦も過ぎたお祖母さんだが、オムライスが滅法美味いのと、孫娘が可愛いと言うので、唐沢のお気に入りだ。

 じりじりと熱を上げる道路の照り返しが窓に昇ってくる。一人の部屋でクーラーは贅沢だと思い窓を開けていたのだが、さすがに暑い。
 扇風機を回そうと立ち上がりかけたところ、重い木の扉がノックされた。
 真が扉を開けた時、ほっそりとした色白の女性が一歩後ろに下がり、驚いたような顔をした。
 もちろん、ここに来た目的が他にあるわけではないだろう。それでも彼女の気持ちは分からなくもない。調査事務所という場所には、扉をノックしてからでも引き返そうかと思わせる何かがあるのだ。

 束ねられた長い髪は艶を失っているように見えたが、頬にかかるほつれ髪は彼女の顔をより白く輝かせていた。地味な服装に化粧っ気のない顔。それでも一度見たら忘れられない女性だと真は思った。
 女性は松岡綾と名乗った。

 たいていの依頼人は真のような若い探偵に訝しげな顔をする。こんな若僧に大事な話をして大丈夫か、という不安からだろう。だが綾はそういう気配を見せなかった。憔悴したようにも見えるその気配から、真は浮気調査の可能性は低いと見た。
 浮気調査を依頼しに来る女性は、もっと明確な目的を持った顔をしていることが多い。少なくとも、依頼をする時点で何かを吹っ切っているからだ。

 真は慌ててテーブルに放置されたエロ雑誌を片付けた。唐沢があちこちに放り出しているので、こうした雑誌が散らかっているのが見慣れた景色になってしまっているが、来客の存在でその異常さに気が付く。
 それから、窓を閉めてクーラーの電源を入れ、依頼人を招き入れて、奥の冷蔵庫から麦茶を出し、小さなガラスのコップに注いだ。
 事務員はサクラという名前の若い女の子で、昼間はこの事務所で、夜は小さなスナックで働いていると言っていた。髪の毛を染めて、化粧は派手だった。間延びした喋り方をして、いつも億劫そうに座っているだけだが、それでもこんなちょっとしたことをしてくれる人間がいないだけで、結構面倒なものだと思う。

 真が麦茶の入ったコップを持って戻ってきたとき、綾は来客用のソファに座り、ぼんやりと向かいのビルの『アネモネ』という文字を見つめていた。
 真は、これに書き込んでくださいと言って、綾に依頼書とペンを渡した。綾はしばらくじっと依頼書を見つめていたが、重いものでも持ち上げるようにペンをとり、身を屈めるようにして書き込んでいった。

 松岡綾。二十七歳。住所は江戸川区。職業は空欄だった。依頼内容の部分に来て彼女の手が止まる。真が、そこは私が書きますからと言うと、重労働を終えたかのようにほっとした顔になった。
 それから少しの間は沈黙が続いていた。

 こんな時、熟練の探偵ならうまく相手の気持ちを和らげるのだろうが、真はいつまでたっても話を切り出すのが苦手なままだった。時々こうして留守番をしているが、飛び込みの依頼人がやって来ることは滅多にないので、自ら苦手を克服しようという気持ちにもならない。いつも唐沢や三上がどんなふうに話を切り出していたかと考えても、うまく思い出せなかった。
 やがて綾の方が真の視線と沈黙に屈したようだった。

「この人が生きているのかどうか知りたいのです」
 綾は表情を変えずにそう言って、小さな擦り切れたバッグから写真を出した。
 細く白い手には指輪はなかった。
 写真には、今よりも少し幼い顔をした綾と三十代くらいの男が並んで写っていた。男は背が高く、いささか目つきがきな臭い。写真だからそう見えると言うのではなく、ある独特の職業の人間が持つ顔つきだった。

 真は彼女の言葉を依頼書に書き込みながら、ふと顔を上げた。
「あの……失踪人を捜すということではなくて?」
 綾は一瞬、不意打ちを受けたような顔をした。真の質問の意味を即座に理解したのは、彼女自身も普通の依頼ではない、何か事情を抱えていることを自覚していたからなのだろう。
 綾はしばらく注意深く真の顔を見つめ、やがてはっきりと頷いた。
「死んでいたらそれでいいのです」

「生きていたら?」
 綾は視線を漂わせたが、返事をしなかった。
 昔の恋人の消息を知りたいとか、生き別れた家族のことを知りたいとか、そういう依頼はありがちだ。だがこれほど明瞭に生死を問う依頼は滅多にない。何か特別な事情が見え隠れしていた。

 失踪人調査の場合に気を付けなければならないのは、依頼人と失踪人の関係と捜索の理由だった。後で何が起こってもこちらは責任を持たないと突っぱねることができるか、確認が必要な場合も多々あるからだ。場合によっては、探し当てた後から修羅場になることもある。
「この方のお名前と、あなたとの御関係をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
 というより、話してくれなければ前に進まない。綾は少し間を置いて答えた。

 小さな間だったが、彼女の逡巡の理由が複雑であるという気配を漂わせていた。
「松岡圭吾。私の夫です」
 真は、膝の上におかれた綾の左の薬指をもう一度確かめた。
 もちろん、結婚指輪をしない女性もいる。だが、彼女の場合は、何か強い意志を持って外しているように思えた。
「あの、これは皆さんにお聞きするとこなので、お気を悪くなさらないでください。どういう事情にしても、警察には届けられたのでしょうか」

 綾はじっと真の顔を見つめた。吸い込まれそうなまっ黒な瞳だ。オッドアイのために人の目を見るのが苦手な真も、思わず見つめ返していた。
「届けてはおりません。私からの届けは必要なかったものですから」
「どういう意味ですか?」
 他の誰かが届けたということか。真は写真の中の松岡圭吾という男の顔をもう一度見た。独特の職業の人間が持つ、きな臭い顔つき。

「夫は刑事でしたから」
 やはりそうか。面白いことに、対極にいるはずのヤクザと刑事は大体同じような顔つきをしていて、写真などで見ると職業がどちらか言い当てるのは難しい。
 いずれにしても、探偵事務所にとってはどちらでも同じだ。あまり有難い相手ではない。
 真はペンを置いた。
「では、探偵事務所が介入する余地はないと思うのですが」

 綾は口の中で何かを呟いたように見えた。言葉を選んだのかもしれない。
「夫が失踪してもうすぐ七年です」
 綾の頬は相変わらず、固く閉ざされた氷のように白いままだった。
「失踪する前に関わっていた事件は解決しています。夫が失踪した理由は別にあるのです。そして、当時警察は真剣に行方を捜していたとは思いません」
「どうしてそう思うのですか」

「夫は、良い刑事ではありませんでしたから」
 言葉を吟味してそう言ったようだが、綾は真の顔を見て、もう一度考え、付け加えた。真が意味を解していないような顔をしていたからだろう。
「捜査の仕方が強引でした。裏では良くない人たちとのつながりがあって、詐欺や恐喝まがいのこともしていたようです」
「それで」
 真は一旦言葉を切った。依頼書に書かれた細い文字が、筆で薄く書かれた仮名文字のように、頼りなく流れていくように見えた。

「もしも生きていたとしても、七年経って失踪宣言の審議申立てをして認められれば、あなたは法律上は自由の身になれるんじゃありませんか。わざわざ今、生死を確認しなければならない理由はなんですか?」
 もう少し綿で包んだような言い方をしろと所長の唐沢には言われる。女にそんな口のきき方をしていたら、嫌われて何もしゃべってもらえなくなるぞ、と言うのだ。
 かく言う唐沢は相手によって言い方を変えていて、女性相手には優しい話し方をしているが、相手が相手ならどちらがやくざかと思うような口のきき方だ。

 いや、唐沢自身、まともな調査事務所を経営している、まっ当な探偵というわけではない。彼が裏で何をやっているのか、真はあえてその辺には触れないようにしているが、博打と女に金を注ぎ込んでいながら、時折従業員に給料と言う名前の破格の小遣いをくれるからには、正攻法で探偵業だけをしているとは思えない。
 綾の夫といい勝負なのだろうが、公僕ではないゆえに見逃されているようなものだ。
 だが、唐沢が探偵として極めて優秀な事だけは確かだ。表向きは実に真っ当な仕事をしていて、いくつかの弁護士事務所や保険会社からは最後の砦だと思われていた。

「それは、依頼の際に必要な事でしょうか」
「はい。あなたがそのようにおっしゃることの中に失踪の理由があるのなら、知っておかなければ捜すことはできません」
「捜さなくていいのです。ただ死んでいるのかどうか知りたいのです」
「同じことではありませんか? 捜さなくて死んでいるかどうかだけ確認することはできません」
 そう、ただひとつ、その「死」が殺人で、犯人が確かに殺したと言うなら別だが。

 この依頼はいささか裏がありそうだ。唐沢は金になると思えば食いつくが、金にもならないのにただ面倒だと知れば、うまくあしらって依頼を諦めさせる。真にはそのような芸当はできそうにもないが、引き受けて最初に聞き込みをする相手が警察というのは、どう考えても上手くない。綾が怒って帰ってしまうならそれもいいと思った。
 だが、綾はもう一度バッグを開け、細い手で厚い封筒を出してきた。
「こういう調査にいくらかかるのか想像がつかなかったものですから」

 唐沢なら、この時点でこの人の手を握るだろう。
 真はじっと綾の黒い瞳を見つめた。張り詰めたような鋭い緊張が見て取れる。もう何年も思いつめていたことが分かる。何かに追い籠められてここに来たことも理解できる。それだけに何とかしてあげたいと思わなくもないが、刑事の失踪となると話は別だ。

 だが真は、綾の切羽詰ったような表情に負けてしまった。
「これは多すぎます。とりあえず、手付金として三万円を頂きます。この調査が簡単に済んでしまうものなら、追加料金は頂きませんので」
 どう見ても封筒の中には百万ほどの現金が入っていた。身なりからもそれほど裕福なご婦人と言うわけでもなさそうだったので、この金には彼女の決心が見て取れた。
 ようやく綾はほっとしたような顔をした。そして、やっと秘密を打ち明ける気になったようだった。
「夫は人食い屋敷に食われたのかもしれません」


 カグラの店には一癖も二癖もある人間たちが集まる。
 真は何時の間にか連れだって歩いている連中を確認した。

 前を歩くのは、酒を飲んでいても歩いていても背筋をつっと伸ばして、如何にもダンディな「教授」。
 いつも髪をきちんと撫で付け、綺麗に髭を剃っている。そして、時に重大な宇宙の真理を計算しているように宙を見る。暑さなど感じないかのようにネクタイを締め、スーツを着崩さない。

「教授」の斜め前を歩いているのが「作家」。
 時折振り返り、真の歩みを確かめている。着崩した背広姿でポケットに手を突っ込んでいるのは、少し世間を斜めから見ているというパフォーマンスなのか。もう少し古い時代なら、作務衣か着物姿も似合いそうだが、やや長めの髪をキャスケット帽に無造作に収め、ずれた丸眼鏡をそのままにしている。

 そして、真の後ろからついてくるのが酔っぱらって千鳥足の「窓さん」。
 サラリーマンだと言っていたが、ニックネームから察するに窓際に追いやられているのか。靴はぼろぼろで、一応背広姿ではあるものの、外したネクタイがポケットから半分はみ出していた。たまにふらついて、電信柱に何か話しかけている。

 妙なことになったものだ。
 カグラの店は新宿の外れにあった。新宿から小田急線に乗り、世田谷の某所までやって来て、「作家」が知っているという「人を喰らう屋敷」、有り体に言えば幽霊屋敷に、飲み屋の客同士が連れだって向かっている。

 幽霊談義はカグラの店での毎日の話題のひとつだ。
 店の独特の雰囲気がそうさせるのかもしれないが、何より、お互いの職業も住んでいる場所も明かそうとしない客たちが酒を飲みながら会話をしようとするなら、何か特別な話題が必要となる。
 だが、天気の話は一分あれば十分だ。政治と経済の話は三畳ばかりの狭く安っぽい飲み屋では野暮すぎる。カグラの店に集まる連中は皆、政治を憎んでいるように見えるし、世間が上昇気流に乗っていても、あの店はいつも不景気な顔をしている。

 だから、皆、好んで噂話をする。
 噂と言っても、有名人の話ではない。誰にも関係がなさそうな、嘘と言えばそうとも聞こえ、真実だと言えばそのようにも聞こえる、そんな噂話だ。それも大袈裟で嘘っぽいほどいい。誰も真実を突き止めようとはしないはずだからだ。
 おそらくそんな中で『人食い屋敷』の話を聞いたのだ。

 カグラの店での真の位置づけは『オカルト系実体験が豊富な霊感探偵』というところらしい。
 もちろん、真自身が自分のことをそのように言ったわけではない。真を連れ回すことを趣味にしているとしか思えない所長の唐沢が、あることないこと吹聴するのだ。しかも、具合の悪いことに、真自身が持っている「オーラ」とやらがそれを真実らしく脚色しているらしい。

 目は右が深い森のような碧、左は深い闇のような黒だった。髪の色は幾分か明るい。真自身は会ったこともないが、母親はドイツ人とのハーフだと聞いている。
 その一方、育ったのは北海道の沿岸部で、まわりの大人たちは漁師か牧場関係者ばかりだった。言葉は荒く北国訛り、お蔭で東京に出て来てから人と話すことに抵抗があり、自ずと無口になってしまった。
 あれこれが絡まって、独特のムードがあると思われていて、それがオカルト探偵もどきの噂に真実味を与えてしまっているというわけだ。

 だが、探偵業務に役立つ霊感など、通常では考えにくい。少なくとも、真自身、調査の際に霊感が役立った例など全くない。しかも、見えざるものが見えたところで、お祓いができるなど人の役に立つことなど何ひとつなく、ただ感じるだけなのだ。そもそも真自身はこれが特殊な能力だとも思わないし、自分でもただの勘違いか精神病の一種ではないかと感じている。

 多くの飲み屋では、皆がある「役割」を演じているものだ。いつの間にか現実の姿とは少しずれた人物像を作り上げている。つまり、真の役割は、表の生活の中で話題にしたら怪訝な顔をされるような話のブラックボックス、というわけだ。話を放り込むのもよし、拡張させるのもよし、場合によっては吸収して消し去ってくれるかもしれない、という期待が込められていたりする。
 だから、カグラの店では、真を見れば皆、幽霊・オカルト話を始めるという始末だった。

 そういうわけで、依頼人の松岡綾が『人食い屋敷』の話をしたとき、「どこかで聞いた話」だと思ったのも当然だった。しかも、その「どこか」の選択肢は恐ろしく狭かった。
 綾自身はその屋敷がどこにあるのか、まるで知らないと言った。

 それじゃあ、なぜ、食われたなどと思うのです?
 真が聞くと、綾はまたじっと真の顔を見つめ、答えた。
 夫は私をその屋敷に連れて行って、「食わせる」つもりだったようですから。
 妙なことをずいぶんとあっさりとした顔で言うものだと思ったが、真はそんなこともあるのかもしれないと当たり前のように確認した。
「食わせる」というのは、屋敷にですか。
 綾は唇の端を少し上げて微笑んだ。真が、何がおかしいのかという顔をしたことにすぐに気が付いたようで、真面目な顔で答えた。
 いえ。驚かれたり呆れたりなさらないから。

 思えばおかしな女だと思った。まるで生死とか常識とか社会通念とか、そういうものを越えている。もっとも、真にとっては幽霊が事件を起こすよりも、現実の人間のすることの方が恐ろしい。
 綾が帰った後、彼女の座っていた場所には大金の入った封筒が残されていた。慌てて追いかけたが、あの細い身体は人混みに紛れて見つからなかった。
 後で返そうとあの封筒を引き出しに無造作に突っ込んできてしまったが、唐沢の目に触れていないことを願うしかない。出所を確認もせずに、懐に仕舞うに違いないからだ。

「屋敷の場所って、カグラさんが教えてくれたのですか?」
 真が聞くと「窓さん」がけたけた笑った。
「カグラさん、って、あのばあさんにさん付けはねぇよ」
「作家」が含み笑いをしているのか、背中が幾分か揺れていた。彼は歩みのスピードを緩め、真に並ぶ。

「ねぇ、探偵さん、この東京という大きな都市にはね、妖怪が闊歩していた江戸時代、あるいは新しい時代を築くために大事な何かを地中深くに埋めてしまった明治時代、あるいは摩訶不思議な熱気に煽られた大正時代から確かに続いている、不可侵の秘密がそこかしこに残されているんだ。あるいは、一般人民に知られることはまかりならない戦前・戦中の秘密もね。そういったものはどこにあると思います?」
 そう言うや、「作家」が立ち止まる。「教授」も足を止めた。

「たとえばこの何の変哲もない家。しかし、我々はこの家の中で何が行われているのか分からない。例えば七年間、少女が閉じ込められているかもしれない。少女はもしかすると自分が閉じ込められているということを知らないかもしれない。人生とはそんなものだと思っているかもしれない。ねぇ、教授」
「作家」が「教授」に流し目を送った。「教授」は「作家」が適当に示した家を検分するように見つめている。背丈はほぼ似ている二人だが、声のトーンがまるで違っていた。何かを探るような、いささか神経に触るような声で話す「作家」に比べると、「教授」の声はいつも穏やかで催眠術でもかけようとしているかのようだ。

「確かに、江戸時代の長屋のように、隣の怒鳴り声までも聞こえてくるような作りではありませんからね。ところで」
「教授」がいきなり真のほうを振り返った。表情は淡々としたままだ。少し離れた街灯からの明かりで、顔の半分だけが白く、残りの半分は暗く沈んでいる。
「あなたは何故、人食い屋敷を訪ねようとなさっているのですか」
「作家」がくつくつと笑った。
「教授、それはだめですよ。探偵にはね、守秘義務ってやつがあるんだ。我々はせいぜい彼にくっついて行って、謎解きの一端を覗き見るだけだ。ね、探偵さん」

「しゅひぎむぅ? 何の話ぃ?」
 酒臭い息が頬にかかった。「窓さん」が真の肩に手を掛けて話しに加わってくる。
「さて、探偵はどんな依頼を受けたのか。それすらも明らかにされずに始まる探偵小説もまた面白い」
「ではあなたはこれをネタに何か物語を書こうという訳ですか」
 責めるようでもなく、変わらずに淡々とした声だった。

「いやいや、俺はね、幽霊が見えると言う探偵さんに興味があるだけなんだ。しかもターゲットは噂の『人食い屋敷』。実はね、カグラに話を聞いてから、周辺を歩いてみたことがあるんですよ。それで、何を見たと思います?」
「お化け!」
「窓さん」が真の肩に置いた手に力を入れてくる。これだけ酔っぱらっているのに、話の脈絡がそれなりに合っているのが不思議だ。

「作家」は肯定も否定もせずに、唇の端を吊り上げて笑った。そして、意味深に三人の顔を見回し、秘密の話を打ち明けるように声を潜める。
「幽霊なのか、生霊なのか、いずれにしてもこの世にあり得べからざるものだ。実はね、今は誰も住んでいないはずの屋敷なのに、少年が目撃されているのですよ。青白い顔の少年が白い猫を抱いて屋敷の庭を歩いている。近所の小学生が塾の帰りに見たそうですよ。いや、もしかすると少年は悪い奴に拉致されて、閉じ込められているのかもしれない。あるいは殺されて庭に埋められているのか。そして、夜になったら魂だけが庭を彷徨っている」

「あなたが少年を見たわけではないんですよね」
 真には、人からは霊感と思われているものがあるかもしれない。だが、それは在りもしないことには騙されないという方向へ働く。胡散臭い話には、生きた人間の思惑が働いているものだ。
「作家」は真の顔をじっと見つめた。
「そう。俺には幽霊は見えませんからね。だが、猫はいたんですよ。白い猫」

 そして「教授」と「窓さん」の顔をじっと見て付け加えた。
「もっとも、俺が見たものが実存する猫かどうかはわからない。しかし、あの屋敷にはね、きっと秘密があるんだ。さあ、探偵さんの事件を覗き見しに行こうじゃありませんか」

 全く、幽霊話と宇宙人目撃話には尾ひれはひれがやたらとくっつくものだ。そのうち誘拐されたとかいう体験談まで加わってくるに違いない。
 もちろん、宇宙人に誘拐されるなどあり得ない。だが脳がそれを「記憶」することはあるだろう。例えばその話を百回も聞けば、実際に起こった出来事だと錯覚することはあり得る。幽霊も、そこにいると思えば「いる」。人間がそれを信じれば「実存する」かもしれない。逆に存在を信じなければ「いない」。実在する人間であっても、全ての人の記憶から消えれば、あるいは目の前から姿を消してしまって「いない」ということになれば、その人の存在は末梢される。

 夫の生死だけが知りたいという人妻。彼女は本当に人食い屋敷が夫を食ったと思っているのか。
 カグラの店で「教授」と「作家」が交わしていた会話が何故か気になった。
 真が心の中でため息をついた時、先を歩く「作家」と「教授」、そして「窓さん」の足が止まった。
「ほら、着きましたよ」

(3)人を喰らう屋敷 に続く。




少し分かりやすくしようと順番を入れ替えたりあれこれしていたら、少し間が空いてしまいました。
集中連載短編は1週間くらいの間にさっさと終わらせたいのですけれど、いざアップする段になると、あれこれ迷いが生まれて、うだうだしている間にまた悩みが深くなり。
未熟者につき、ご容赦ください。
変な道連れたちと、ついに屋敷にやってきました。
4回の起承転結で終わらせようと思っていたのに、まだ「起」から抜け出せない。
頭の中の構図は綺麗に4回分だったのですけれど。

では、ようやく次回、結界の中『人喰い屋敷』に入りましょう(^^)

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Category: ★短編(1)人喰い屋敷の少年

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