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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】16.岡山・楯築遺跡~岡山のストーンサークルと亀石~ 

今回は積み残していた吉備地方(岡山)の石です。
これまでご紹介してきた山の中の巨石とは少し違って、人為的に円を描くように並べられた石たちです。
その石たちはそう、ストーンサークルですね。
以前大分のストーンサークルをご紹介いたしましたが、今度は岡山。
いつものように、難しいお話は無視して、とりあえず石を楽しみに行ってしまいましょう。

実は吉備地方、むやみやたらと古墳や墳丘墓があります。近畿や九州にも負けていません。邪馬台国はこの辺りだったという人もあり、ロマン多き土地です。
「卑弥呼」が統治していた国がどこだったか、それを解明することにもロマンがあるだろうし、古代のあちこちに、大陸から人々がやってきて、日本古来の人々との間に交流があって、そこかしこに邪馬台国のような「国」があったと思うことにもロマンを感じますね。卑弥呼のような女性首長はいっぱいいたのだろうし……
楯築入口
この辺り、公園として整備されていて、周囲は山を切り開いた住宅地になっています。
しかも奈良と一緒で、小高い山はみんな古墳や墳丘墓に見えるので、近づけば近づくほど目的地が分からなくなるという。
ナビで出たのは「鯉喰神社」だったので、とりあえずそこに行ってみて、困ってしまって地元の人に道を尋ねました。
すると自転車で通りかかったおじいちゃんが、「この辺りでよく聞かれる」と仰って、地面にすらすらと地図を書いてくださいました。鯉喰神社とはかなり離れています。
後で確認したら、「楯築遺跡」のある「王墓の丘史跡公園」の管理は「鯉喰神社」になっていました。無人の神社に見えたけれど……
楯築入口2
道を進んでいくと、看板がありました。
楯築遺跡看板
看板説明によると、「直径約50mの主墳に北東・南西側に2つの突出部(団地造営工事のため犠牲になった)を備えており、全長は約72m」。すごく大きな墳丘墓だったのですね。ちなみにこの突出部にも石列、丹塗りの壷型土器が多数並んでいたそうです。
上部の丸のあたりが、かのストーンサークルの部分です。
行ってみましょう。
楯築全体
行ってみたら……何となく拍子抜けするくらいに明るい広場でした。
さて、残された石は、大きなものが5つ。本当はもっとたくさんあったのでしょうか。ここに残されたのは一部なんでしょうか。埴輪みたいに並んで、王の墓を取り巻いていたんでしょうか。あるいは魔除けだったのでしょうか。
温羅の伝説によると、温羅が放った矢から王を守る楯の役目をしていた、まさに「楯」のための石だったのだとも。

そう、大事なのはこの中心部の地下なのです。
楯築中心
ちょうど真ん中には、石で囲まれた祠があります。近づいて見てみましょう。
図2
看板その2によると、この祠がある場所から少し西南にずれた地下はこんなことになっていたんですって。
楯築遺跡看板2
埋葬は2つ、確認されたそうです。
そのひとつが上の写真。墳頂中央部の地下1.5mあたりに埋葬されていた木棺は長さ2m、幅70㎝、棺の底には厚く朱(30kg以上)が敷かれていたとのこと。

朱は、九州の装飾古墳にも多く使われていますし、日本だけではなく海外の同様の遺跡にも赤が使われていますね。
先日、NHKスペシャルでやっていたティオティワカンの太陽のピラミッド・月のピラミッド・ケツアァルコアトルのピラミッド、その周りの主要な建物も、やはり赤く塗られていたそうです。
マルタの地下遺跡も真っ赤に塗られていたというし。
赤は再生の色。当時は不老不死の妙薬とも考えられていた……この色、母親の子宮の色なのですね。

木棺の中には何が? 歯が2つと副葬品(鉄剣1、翡翠製の勾玉、ガラス小玉と管玉)。骨は腐って残っていません。
この木棺はさらに木槨(長さ3.5m、幅1.5m、底板は少なくとも2枚)の中に収められていて、これを取り囲む中心墓壙は南北9m、東西6.25m、底の深さは2.1m、排水設備まで設けられていたんですね。
もう1つの埋葬は、中心埋葬から約9m離れたところにあって、わずかに朱が認められるのみで副葬品は見つかっていないそうです。

さて、件の石の方を見ていきましょう。
「5つの立石」と書いてあるのですが、真中の神社の背面にあたる大きな石、周囲にあるものでは、2つの楯の形のものと、棒状のもの、で……え~っと。イスみたいなのと、もうひとつがお皿みたいな形? あれ、6つある? そうか、イスみたいなのは円形から外れていたので、違うのかもしれません。
図1
まずは楯型のもの。前からと横からを並べてみました。
もう一つの楯型の石。
楯築石4
棒状のものをを2方向から。
図3
イスのような、お皿のような不思議な形の石。 
楯築石2
中に小石が入っているからか、ちょっと洒落たお皿にも見える。
この小石は誰かのいたずら、でしょうね。
楯築神社の背面
祠の背面に立っている中心の石が一番大きくて迫力があります。
でも実は、一体、どこまでが「件の石」なのか、ちょっと分かりづらいです。地面にうずもれるような小さめの石もあります。
楯築石6楯築石5
これも立派な石に見えるけれど、5つのひとつには数えられていないようです。ベンチみたいですね。イタリアのデザインの椅子にこんなのもありそうです。
楯築石3
いや、そもそも元の形が分からないのだから、5つと決まったわけでもないんですよね。
でも、周りの4つを東西南北、あるいは背面の山々や曰くのある土地(例えば温羅の本拠地・鬼ノ城)の方角を向いているという話もあるようです。ほんと、ロマンですね(*^_^*)

こうして見ると、ストーンサークルと言っても色々ですね。
明らかに天体観測の跡? つまり暦を表していると思われるものもあるし、こんなふうに聖なるものを守るというのか結界を表しているようなものもあるし。古墳(こちらは正確には墳丘墓)の上にストーンサークルがあって、丁度棺を取り囲んでいるとなると、これはやっぱり邪気を入れないための魔除けなんでしょうか?

この大きな墳丘墓の周りにも「向山古墳群」という小さな古墳が山のように発見されているのです。
王のお墓の周りに、その種族のお墓もあったのでしょうか。
向山古墳群1
向山古墳群2
ごろごろと石が転がっています。

さて、実はまだメインが残っているのです。
楯築神社の石保管庫
何? この無骨な建物は? と思われたことでしょう。
そうなんです。私が見たかった石は、この中に保管されているのです。
実はもともとは上記の遺跡の真ん中にある神社(楯築神社)の祠の中に収められていたもの。
やはりそれでは具合が悪いということで、こちらに保管されたようです。事前に連絡しておけば、見せてもらえるのだとか。
でも今回はこの建物の側面の小さな窓から覗いちゃいましょう。
楯築神社の石
亀石。亀に似ているのかどうか? はちょっと置いておいて、左右約92cm、前後約90cm、厚さ約30cm。
この石に彫られた模様は弧帯文と呼ばれていて、縄をぐるりと回して輪っかを作ったような感じの模様です。これが全面に彫られていて、弥生時代にこれだけ全体に文様が彫られた石は他に例を見ない、そうですが。

これ、どっかで見たよなぁ。
そうなんです。世界のあちこちに見かける渦巻き模様。ケルトの渦巻、インディアンの渦巻、アイヌの渦巻、縄文の土器だって思えば渦巻。これこそシンクロニシティというものでしょうか。
渦巻の意味は、移動(インディアンの渦巻にはこの意味合いが強いと聞きました。彼らは定住ではなく移動していた)、再生(生から死へ、死から生へ、これもまた移動)。
ケルト渦巻
マルタにあるケルト文様の渦巻。

あるいは、日本の歴史がより中国や韓国に近いとすると、こっちじゃないかという説も。
玄武
京都の玄武神社の絵馬から借りました。玄武……そう言えば亀? 亀石とはそういうこと?

「渦巻」には果てしなくロマンを感じ、心惹かれるのでした。

そう言えば……この『石紀行』、最近くどくなってきました。薀蓄など無視して(いや、薀蓄は他のブログさんにお願いして)、石の魅力のみをお伝えするのが目的だったのに……
次回からは、宮城と山形の巨石です。あっさりと、しかしダイナミックにご紹介したいと思います。

と、その前に。
続きを読むから、吉備地方の魅力的な古墳を少しお見せいたしまする。
古墳に興味がある方はぜひ続きを。

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Category: 石の紀行文(写真つき)

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