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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】19.山形・峯の浦本院跡~もうひとつの山寺を語る巨石たち(とおまけの銀山温泉)~ 

城岩七岩
さて、前回の続きです。垂水遺跡からそのまま矢印に導かれて、ちょっとだけ細い道を辿っていってみることにしました。
ところで、こちらのような道案内は一応あるのです。しかもこの可愛らしいイラストは「山形県マーク」ですよね。
これからこの矢印にある城岩七岩方面へ向かいます。
烏帽子岩
山の細い峰を通ると途中に烏帽子岩と書かれた岩が、ちょっと行く手を阻むようにどでんと構えている。
あまり烏帽子には見えないけれど、確かに少し聳えているという感じ。
この脇を通り過ぎ、少し行くと『城岩七岩』の立札が見えます。
看板によると「向かいの所部集落から見てください」ってことですね。対岸から見れば「7つの岩、弓張り岩、盾岩、猿岩、鏡岩、塩岩、砦岩、兜岩が城壁のように並んで見える。山の頂は平らで、山肌が数段の階段状になっている。まさに中世の山城の様相」とのこと。イメージ図では、向かいの集落から見たらこんな感じだそうです。
城岩七岩の絵
灰色の■が岩だと思ってください^^;
実際にはこの岩の脇、上を歩いている感じになります。まずは弓張り岩。
弓張り岩
それぞれの岩の上に登れるわけではなく、いくつかの岩は崖っぷちだったり、木に埋もれていましたが、弓張り岩の上からの眺めは見事ですね。
弓張り岩2
ちょっと足元は怖いですけれど……見上げてみると。
城岩からの眺め
こうして今から写真を見ると、うん……単に断崖絶壁の上、という感じがするだけでしたね。
楯岩2
7つとも全て載せようと思ったけれど、よく見れば、全体像の見えない岩の写真は、何だか並べてもあまり面白くなさそうです。『猿岩』と『塩岩』……ね? どうとも反応ができませんよね。
猿岩
塩岩
木々に埋もれた岩もあり。一応歩道は草を刈ってあるようでしたけれど。
鏡岩
岩が途切れた先は、絶壁です。足元注意です。下は『兜岩』。
兜岩
ということで、ここまで来たら引き返しても仕方ない、前進あるのみ、ということになり、このまま道をゆくことにしました。
修験道場へ
歩道は一応確認できるような感じだったので、それほど危険感はなかったのですが、これまでかなりの山奥に入っていっても、誰か一人ぐらいは歩いていたのですが、今回ばかりは誰にも会わず……隣の山寺からの「やっほ~」とかいう叫びだけがどこからともなく響いてくる感じ。
修験道場へ3
そのうち、岩に挟まれた道のような道でないようなところに出て、岩の隙間を歩いて行くと……
修験場へ
大きな岩の脇から突然広々とした場所に出ました。こちらが修験場跡です。
修験道場
写真では分かりにくいのですが、岩に囲まれた相当に大きな広場です。
背景には2つの大きな屏風のような岩があります。この2つの岩はまるで広場を守っているようです。
雄岩2
木の奥にそびえるように見えるのは「雄岩」です。男石(男根)、つまり陽石です。
雌岩は少しわかりにくかったのですが、上の屏風のような岩の脇の奥にありそうです。
修験場の岩
足元の朽ちた落ち葉に埋もれた、半ば細い川のような亀裂を登っていくと、ありました。女石(女陰)、陰石です。
雌岩
何となく、産道から子どもが産まれ出るかのような神秘的な光景でした。
この広場に出る道の一方は雄岩、もう一方にも大きな岩が聳えていました。こちらは『毘沙門天岩』と命名されています。
毘沙門天岩
広場の立て看板には、このように陰陽の石、毘沙門天、屏風岩のような石が揃って、しかも広場のように切り開かれているところから、ここは円仁が訪れる前から古い庶民信仰のお祭り広場のようなものだったのだろうと書かれていました。
そう言えば、天草(熊本)の矢岳巨石群の近くにも「お祭り広場」と名付けられた場所がありました。あちらはまるで石たち自身がお祭りをしそうな空間でしたが、こちらは確かに人々の信仰の場であったような空気が流れています。
時代を超え、形を変えて、息づいているのですね。
修験場跡
広場を降りて行くと、胎内くぐり(産道)があると書かれているのですけれど……発見できませんでした。ちゃんと発見された方もおられるようなのですが、何しろこの修験場の下に天狗岩なども見られたのですが、周囲は草が多い茂っていて、とても踏み込めない感じ。
天狗岩
やっぱり天狗さん、いましたね。古峰神社の原型としての岩でしょうか。
仕方なく降りて行ったら、草がぼうぼうで、道がよく分からなくなっていました。
窟の脇
取りあえず進みます。道なき道の脇には窟がいくつか見られます。
窟
五輪塔窟、と名付けられ、幾つもの崩れかけた五輪塔が並んでいるところもありました。
五輪塔窟
しかし、以前にはもっと多くの塔が並んでいたのだとか。
発掘現場
さて、このあたり『峯の浦本院跡』と記されています。草ぼうぼうなのですけれど。
ここに発掘の様子が記された立て看板がありました。それによると、この辺りは昔から遺跡だと語り継がれていて、畑地であった時も人糞尿・家畜の糞尿を撒いてはいけないと言われていたそうです。
発掘現場立札
ここには、本院(阿弥陀屋敷跡)、薬師堂跡、即円寺跡、五輪塔窟、天狗岩、鬼岩、蓮池、荼毘場跡などの名称が残されていて、平成22年から3年間、ボランティアで発掘が行われたとのこと。その結果、縄文後期から14世紀南北朝、室町時代、江戸時代末までの長い時代にわたる遺物や遺構が出土したそうです。
座石
こちらは出土した座石のひとつ。
つまり、お隣の山寺よりも古い遺構で、一大寺院群があったと考えられ、しかもその信仰の大元は遥か縄文時代にまでも遡ると考えられる、まさに山寺の発祥の地、もう一つの山寺であったと言われる所以なのです。
旧街道
この辺りはまさに山の中の道なのですが、朽ちた小屋がありました。明治時代まではこの辺りは本街道で、この先の集落への生活道だったとのこと。道の脇には小さな石の祠がいくつか残されていました。ひとつは牛頭天王。祇園精舎の守り神で仏と集落を守るというので、集落の入り口にはよく祀られていたそうです。

現代では別の道が通されて、この道をゆく人はほとんどありません。
でも、ここは縄文時代から、確かに人々が生活し、祈りの場としてきたのですね。
その最初の「信仰・祀り」の形は、あの垂水遺跡の奇岩・巨石だったのではないでしょうか。
始めに石ありき。
あの迸るパワーは、まさに物語を始めるにふさわしい、漲る神秘のエネルギーなのですね。

さて、如何だったでしょうか。
この道の終着点は、現在の山寺の墓地(霊園)です。
つまり山寺側からも入ることができるのですが、多分、どこが旧街道への入り口か、霊園の中で見つけるのは難しそうですので、千手院から入ることをお勧めします。
……と言っても。
霊園から千手院まで、車道を歩いて戻っていたら、集落の住人と思しき、犬の散歩中のおじいちゃんに話しかけられました。
一体どこに行ってた? え? 垂水遺跡? 山の中、歩いてきたのか? いや、わしらでも子どもの頃行ったきりだ、草ぼうぼうだったんじゃないか、よく行ってこれたな、どこから来た? 大阪? なぜわざわざこんなところへ?……
というようなことを、東北弁で質問攻め。うちの母は「???」だったようですが、場所は違えど毎年青森県に行く私は、少しは慣れており(?)、何とかコミュニケーションさせていただきました。
うん、おじいちゃん、草ぼうぼうだったよ……
もう少し整備して、もっといろんな人が見たらいいのに、と思う反面、いつまでもこの神秘な気配を失わないでいて欲しいとも思ったのでした。
ガス灯
さて、ガス灯ですよ。何とも言えない暖かい色合いですね。
今年はLEDが大流行りですが、どこか単調で冷たい色合いの光とは違って、この光にはほんのりと温かみがあるようです。
続きを読むから、ぜひ、この日のお宿、かの銀山温泉の景色をお楽しみください。
また、次回の石は、宮城県丸森町の『日本一の立石』にご案内いたします。
本当に巨大な、まさに日本一の道祖神としての岩。しかしその表情は素晴らしく豊かです。
またまた道なき道を行きますよ(やっぱりなのね)!

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Category: 石の紀行文(写真つき)

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