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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【物語を遊ぼう】17.もう一度見たい、あのドラマ~『人間・失格』と『ダイヤモンドの恋』~ 

近頃は古い作品もあれこれDVD化されて、懐かしいドラマや映画を見ることができるようになっていますね。You Tubeなんかでも思わぬ作品がアップされていたりして。
実は、ある週末、急に思い立って『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』(1994)全12話を観てしまったのです。
人間失格
1990年代と言えば、丁度私がKinKi Kidsのふたりに嵌ったころ。彼らはまだ10代の初々しい盛りで、特に剛くんの演技には泣かされまくっていました。ちなみに私、特別にJさんチームに嵌っているわけではないのですが(いえ、某5人組のリーダーには惚れておりますが、これは結果論……たまたま惚れ込んだ人がJさんだった、ってのはありますが)。

実は私、もともとテレビっ子ではありませんでして、有名なドラマのほとんどを知りません。小さい頃、好きなアニメとか仮面ライダー、松竹新喜劇(寛美さん(*^_^*))などは一生懸命見たけれど、学生の頃はテレビから離れていたのですね。
それがある時、何の拍子かKinKi Kidsのふたりが出演していた『若葉のころ』(1996 ) を見て、「なんだ、この初々しいキラキラの少年たちは……しかもこのやるせない、胸を締め付けるようなドラマ展開は何なの?」とすっ転び、逆もどりする感じで『人間・失格』を見た記憶があります。


最近物議をかもした(といっても見ていないのでよく分かっていない)『明日ママがいない』の野島伸司さんの作品で、いじめ、自殺、倒錯愛、復讐、というどろどろのストーリー。
登場人物はイケていない人ばかり。赤井英和さん演じるお父さんは、貧しいながら必死で息子を有名男子校に入れて、教室まで入ってきて「息子を頼みます~」なんて生徒たちの前でやっちゃうKY盲目親爺。息子を信じられなくなったり仲直りしたり、そして自殺した息子の死に疑問を抱き、ついに体罰と苛めの事実を知ると復讐に駆られてしまう(煽る奴がいるからですが)。
櫻井幸子さん演じる新米教師は、自分のクラスに苛めがあるとは思わず、生徒の言動に流され、挙句に仮面の奥に非道な狂気を宿した社会科教師に恋をして、生徒が大変なことになっているのに仕事よりも恋に揺れている。
加勢大周さん演じる写真部の顧問であり社会科教師は、生い立ち故の孤独から歪んだ性癖を持ち、同じく孤独な生徒・留加(光一くん)への想いを愛情と思い込み、留加が赤井さんの息子・誠(剛くん)との友情を深めようとすることに危機感を抱いて、彼を追いこんでいく(その策略の結果、生徒たちに追い込まれて、誠は屋上から飛び降りる)。
留加の母親は、高校生の時に留加を産んだものの自分では育てず、今は妻子ある男性の世話になっている少女のように可憐で弱い女(を演じているのかも)。中学生の留加を引き取った後もどう扱えばいいのか分からず、留加の孤独を理解できない。
留加は積極的にずっと苛めに加担しているわけではないけれど、誰か(自分?)を傷つけずにはいられない、一方で友情を求めてもいるのにどう表していいのか分からない。
生徒たちは、いじめられる側がいじめる側になったり、無視したり、残酷にもなる一方で、犯した罪には震え、親の期待に応えたいと思ったり親を守ろうとしたり、傷つきやすく脆い。教師たちは自分の都合を優先し、どこかで言い訳をし続けている。

そう、誰に感情移入したらいいのか分からないくらい、残念な人たちばかりなのだけれど、それはもしかすると、その残念な人物たちの一人一人の中に「もしかして自分も似たようなところがあるのかも」という曖昧な不安を感じさせられるからなのかも。いや、社会科教師はかなりおかしいけれど……それでも、おかしい奴も含めて全ての登場人物の「事情」をここまで書かれちゃうと、感情移入はともかく、妙に納得して、逆に居心地が悪い……


昔のドラマって、今放映したら怒られそうな「そこまで言っちゃうか……」という話が結構あったような気がします。臭いものに蓋をしなければならなくなった昨今の社会情勢、残念な内容・人物を反面教師として自分なりに善いものを選び取り判断する能力(想像力)が失われた現代においては、番組を作る人たちも大変ですよね。

逆に妙にエキセントリックな人物をわざと描くドラマが多くみられますが(しかも何か能力が高くて、ある意味ではスーパーマン。現実にはそんなスーパーマン、いないけれどね)、内容にドロドロ感はあまりなくて、それがまるで「痛快」と感じさせるような作りになっている。現実感がない、というのが今の時代のドラマや映画のキーワードなのかも。
それを考えると、賛否両論あるものの、この作品は現実感がありすぎて怖いドラマです。

でもね、この情けない新米教師が、学校を「寿退職」という名の解雇に追い込まれた時、挨拶する壇上から訴えるラストは、やっぱり泣けちゃいますね。自分を含めたここにいる全ての心無い人間が誠を殺したのだ、みんなは他者を傷つけることで生きている実感を持とうとしているのではないか、そして、みんなかけがえのない命なのだから、自分をもっと愛して、自分を愛するように友達を愛して、と。当たり前のことを言っているのに、空々しく聞こえないのは、それまでの部分があまりにも重いから。教師たちは刺激的な演説?に生徒たちを講堂から帰そうとするけれど、最後まで逆らってその場に残り話を聞こうとした10人余りの生徒たちに、微かに希望が残るのです。


「もう一度見たいあのドラマ」というタイトルにしましたが、「もう一度見るにはしんどいドラマ」という副題をつけておかなければならない気がしてきました。しんどいのは、どこか身につまされるから。こんなこと言われたって、じゃあどうしたらいいのか答えもでなくて、見ていると苦しい。でも、いつまでもどこか片隅に残っていて、ふと思い出しては気になって仕方がない。

そんな行き詰ったものよりも、現実感の薄い痛快さが好まれる昨今、逆にその非現実感が現実の残酷な事件へ繋がっていっているのじゃないかと思うこともあります。そして、スーパーマンではない残念な人物が足掻いているドラマの中に「希望」を探す力が求められているのかもしれない、と思ったりしたのでした。

とは言え、痛快・非現実ドラマ(ストーリー)は頭の休憩にはもってこいなんですよね。あまりにもリアルに残念な人物を見ていると、悲しくなって疲れちゃう、ってのも事実。
本当は『若葉のころ』も見たいけれど、12話分見たら、また悲しくなっちゃうので(これもまた、残念な連中がいっぱい登場)、しばらくは休憩です。
いやしかし! 赤井さんとKinKiのふたりの銭湯入浴シーンは萌えますよ!(夕さん、limeさん、TOM-Fさん……あれ、TOM-Fさんはそっち系はないか…・・って、どっち系?)

こんなふうに、もう一度見たいけれど、その内容の重さゆえに(DVDなど)見る手段はあるけれど見るのが辛いドラマもありますが、見たいのにどうしても見ることができないドラマもあるのですね。


そう、本当に見たいのです。でも、ビデオ化もDVD化もされていないし、その予定もないそうです。実は先日、VHSを整理していたら、そのドラマの一部(録画していた)が出てきて、思わずビデオデッキを繋いじゃいました。あぁ、全部残っていたら良かったのに……

2005年にNHKで夜に放映されていたドラマで、確か25分くらいの番組を平日毎日やっていて、数週間で終わり、というやつじゃなかったかと思うのです。同じころにやっていた『ロッカーのハナコさん』はDVD化されているのですけれど、放映が終わって5年以上経っても番組の掲示板がオープンになっていて、DVD化を望むって声が出ていました。確か、その時のNHKの人のお返事は、NHKの地方局(奈良?)の版権なので、勝手にDVD化できない、というようなニュアンスだったような。

内容は地味だったのですけれど、見ているうちにボディブローのように効いてくる。あ、ドロドロ系ではなく、超爽やか系です。
『ダイヤモンドの恋』というドラマで、浅野温子さん主演。
ダイヤモンドの恋
41歳のジュエリーデザイナー(離婚歴あり)で、仕事も年下の男との恋も娘との生活も順調だったキャリアウーマンが、更年期障害をきっかけに仕事が上手く行かなくなり、恋人の裏切りにも遭い、解雇に追いやられてしまう。それでも更年期障害だなんて認めたくない……故郷の奈良(桜井市)で父親(宍戸錠さん)が経営する旅館に戻り、地元の遺跡発掘の手伝いをすることになって、以前カルチャーセンターの講師に来ていた考古学者(吉田栄作さん)と再会。奈良の美しい景色を舞台に、ゆっくりと恋を育てていく物語なのです。
別れた元亭主、海外に住んでいたのに突然帰国してきた娘、考古学者の婚約者?との恋のバトル、診療所の女医などとのエピソードも語られて、少しずつ前を向いていく姿が描かれています。古の土器やら発掘物のスケッチをしながら、デザイナーとして再生していく過程もあり、そして、東京に一時戻った主人公と奈良にいる考古学者が同じ月を見ながら電話で話すシーンが何とも……王道過ぎて……ほろりとしてしまうのです。

今やアラフォーの恋物語は珍しくなくなったけれど、当時はそんな題材はなかったんですよね。更年期障害の女性の物語、というのは相当の冒険だと思ったけれど、テーマ曲の『しあわせ』を聞くと、爽やかな空を見上げているような気持ちになりました。

最後の部分。しあわせ 永遠はないということ 続かないと気付くこと その分だけ自分を懸けて愛せること……にはっとさせられます。


そう、実は、拙作『ローマのセレンディピティ』の主人公・詩織がジュエリーデザイナーで考古学教室にも出入りしている、というのはここからのパクリです。だって、再放送してくれないし、DVDも出してくれないんだもん。

あぁ、本当に琴線に触れる物語って、見ることが叶わなくても、いつまでも心の中で輝いているのですね。いえ、時には、輝いているわけではないのに、ずしんと腹の底に残るものもある。
拙作では、『清明の雪』は暗闇から這い出した時に見る晴れ渡る空のような輝きを、『海に落ちる雨』は腹の底に重く残る忘れられない暗い真実と最後に残る一筋の光明を、目指していたような気がします(一応ね^^; 目指していただけかもしれませんが……)。
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Category: 物語を遊ぼう(小説談義)

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