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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】23.奈良山添村・長寿岩と鍋倉渓~巨石の村の地球と天の川~ 

長寿岩2
山添村石紀行の前篇としてお届けした巨石の聖地・岩屋桝形岩に引き続き、後篇では同じく山添村で見ることのできる「宇宙」をお届けしたいと思います。
まずは、山添村の「地球」? 長寿岩をご覧いただきたいと思います。
前回は少し小さめの写真でしたが、やはりこの迫力は大きな写真で見ていただこうと思います。じっくり見ると、岩の風化跡が大陸のようにも見えますね。てっぺんに乗っかっているのは丁髷ではなく注連縄です。

山添インターを降りてすぐ、ふるさとセンターへの入り口があります。
入っていくと造成地にポン、とこの石が鎮座しているのです。広い空間の中なので、一見はそれほど巨大に見えないのですが、近づいて見たらやはりでっかい。推定重量600t、直径7mです。
長寿岩4
おそらくこれが真正面というのか、近づいた時に最初に見える形でしょうか。
一番丸く見えるのはこの写真の右の方から見た場合なのですけれど、写真に撮って見るまで「でっかい」とは思っても「丸い」とは思いませんでした。
駐車場に車を停めて見ると、まずこんなふうな姿。
長寿岩5
ちょっとぐるりを回ってみましょう。
長寿岩6
案内板の解説を拝見。
『この大きな岩は、平成7年このふるさとセンター建設の造成工事の際出土したもので山添の地が未だアジア大陸東縁部にあったおよそ1億年前に、地下深く(10~20km)でマグマが固まった「花崗岩」です。この花崗岩は、当時の大地の変動(大マグマ活動)を記録しているという大きな地質学的意義を持っています。
この岩はその後の大地の変動によって、幸運にも地表に顔を出してくれた自然の貴重な贈り物と言えます。
どんな硬い石も地表近くでは長い間にはどんどん壊れて砂状になっていきます。長い年月の中で生き抜いたこの丸くてどっしりした姿は、自然が長い時をかけて作ってくれた芸術作品とも言えます。』
長寿岩1
それにしても、表情豊かな巨石ですよね。
どこかで聞いた話では、造成中にはもっと多くの巨石が出てきたそうです。それをダイナマイトで破壊していったわけですが、この石はあまりの大きさに、もし破壊するなら700万くらいかかるというので断念したとのこと。
そのおかげでこの巨石が残ったわけなので、何が幸いするか分かりません。でもこうして地表に出てきたからには、またいつか自然の摂理に従って風化していくのでしょうね。そして、地中にはさらに大きな石がゴロゴロしている……その一部をこうして見ているのだと思うと、この巨石が地球の申し子のように見えます。
そういう意味でも「地球」と言ってよい巨石なのですが……実はそれだけではないのです。
この石にはよく見ると謎の線が……
長寿岩ライン2
2枚目の写真の注連縄の下あたりをアップで撮ってみました。写真中の矢印のところに線があります。2枚目の写真を改めてみると、確かに、右上から左下へ襷がけに線が1本見えます。
長寿岩のライン
このおよそ裏側が4枚目の写真になるのですが、今度は左上から右下に向かって襷がけに線が見えます。繋がっているようです。
まさかこれが赤道とか黄道とか子午線とか言う気じゃないの? って思いましたよね。実はそういう話があるのです。
というのも、今アップでお見せした線は巾が10~20mmくらい。それとほぼ直角に交わるように、もう少し細い線が描かれているようです(5~10mm巾くらい)。
長寿岩ライン3
こちらはかなり見えにくいのですが……
さて、この線についてはあれこれと物議をかもしたことがあったようです。つまり自然のものか、人為的なものか。
1996年の造成時には、この巨石100メートルほどずれた位置の小高い丘の上にあり、「台座」に据えられてあったということなのです。それを工事の邪魔になるのでごろごろと転がしてきたのだと。「台座」がどんなものだったか気になりますが、いちいち工事中の人が写真を撮っていたとは思えないので、想像するしかないのですけれど……

実は、花崗岩には石英や長石による線が浮き出ることはあるようです。だから、これはあくまでも自然のラインだという意見もあります。ただ、ここまで長い直線ができるのかどうかは分かりません。
もしも、もとの位置にあったのなら、この球体が何を表していたのか、分かったでしょうか。あるいは金山巨石群(岐阜県)の巨石に刻みつけられた太陽の観測ラインのように、太陽の動きと関係したものだったでしょうか。

多くの巨石は古い信仰と結びついていますが、その「使い道」の中には太陽観測という側面が含まれいてるようです。春分の太陽が昇る、とか、夏至や冬至の太陽が昇るとか沈むとか、そういう巨石は日本中に点在しています。
古代には今のようなカレンダーは無かったでしょうか。いえ、もしかするともっと実用的なカレンダーを持っていたのではないでしょうか。何よりも大切な農耕のタイミングを知るために、天体の動きを事細かに観測していたと思われます。山や巨石はその太陽観測のために欠かせない装置だったわけです。エジプトのピラミッドや神殿も然り、マヤやアステカのピラミッドにも同じような仕掛けがあります。冬が終わり農耕を始めるタイミングを確認し、その日は祝い=祭り=祀りを行ったのでしょう。
巨石の中には、こうした太陽観測の装置=信仰の対象=祭事の場、となっていたものが多くあったと思います。
そして、後から起こってきた宗教(神道や仏教)がこれらの古い信仰の上に乗っかってきたのですね。
そこに祈る人がいたから、その祈りの気配が残るから、巨石は素晴らしいと思うのです。

さて、この十字ベルト、皆さんはどう思われますか?
実はもっとはっきりとした十字ベルトがあるのです。それは後ほどお見せするとして、次に、山添村の「天の川」を見に行きましょう。
鍋倉渓橋から
車道から不意に見えるこの景色。一瞬「え?」とハンドルをとられそうになります。
実はかなり幅の狭い橋が架かっていて、この橋の上方550m、下方100mにわたって、この石がゴロゴロ……の景色が続いているのです。
そう、ここが山添村の「天の川」、鍋倉渓です。山添インターを降りたら西に向かい、途中「めえめえ牧場」の看板を南へ入ると着きます。道が少ないので、ほとんど迷子になることはありません。
駐車場があって、そこにはこんなカラスが迎えてくれます。
鍋倉渓からす
なぜカラス? なぜ鍋倉? それは謂れを書いた看板を後で読んでみることにしましょう。
鍋倉渓階段2
脇にこんな階段が付いていて、山を登って行きます。
鍋倉渓3
斜面がカーブしているので、上までは見えませんが、本当に、ずっとこんな黒い石がゴロゴロと斜面に転がっているのです。これは花崗岩じゃないみたい? そうです。深成岩ではありますが、解説を読んでみましょう。
「この地点から上方へ550メートル、下方へ100メートル、幅25メートルにわたって巨岩怪石がるいるいと続いています。そしてこの谷を流れ下る水は岩石の下を深く伏流し、岩の間から微かにその水音のみを聞くことができます。
これは地質地形上、特別の条件のもとに生じた極めて珍しい風化現象で、全国的にも学術上の価値が高く評価されています。」
この奇景、自然発生的なものであることは間違いありませんが、岩の川かと思ったら、ちゃんと下には水が流れているようです。確かに上に上がっていくとかなり湿った地面になり、石の下、木々や草の影を流れる水の音がしっかりと聞こえてきました。
鍋倉渓4
「この付近の大和高原地域一帯は、花崗岩質で形成されていますが、その中でこの神野山だけは角閃斑糲岩という深成岩(火成岩の一種)でできており、岩質が非常に硬いために侵襲に耐えてこの山容ができたものと考えられています。」
そう、花崗岩とは違う、もっと硬い石なのですね。水や風による侵襲も受けずに、こうして土がや水が流れ落ちた谷に大きな石が貯まってしまったもののようです。
鍋倉渓1
「伊賀の天狗と神野山の天狗が喧嘩をして投げあった岩だという伝説や、火山の溶岩が流れ出して固まったものだなど、色々な俗説はありますが、この成因は地質時代に山の表面が風化して、次第に細かく土壌化する際に、前記の角閃斑糲岩の特に堅い部分が風化に耐えて溶岩のまま残り、当時の谷底に自然に移動して集まったもので、その後地形の変化に伴って、現在のように浅い谷となり、岩石が昔の谷にそのまま長い列をなして堆積したものと考えられています。そして流れ下る水は一層谷底を深く侵蝕して岩石の下をくぐり、全くの伏流となったものと言われています。」
なるほど、それで天狗だったのですね。ここは三重県の伊賀にも近いのです。伊賀のあたりにもずいぶんと古墳が眠っているようで、このあたりの歴史が10000年以上さかのぼれると言われても、もう驚く気もしなくなってきますね。
鍋倉渓2
少し上方になると、石がやや小さくなります。苔むしている石も増えてきます。
ちなみに、鍋倉というのは地名ではなく、「堆積した岩のそれぞれが黒く煤けた色をしており、鍋の底を連想されるところからこのように呼ばれるようになった」とのことです。
鍋倉渓上方
さらに上になると、かなり土に埋まった部分も出てきます。
鍋倉渓周辺の岩
というのか……掘ったらみんなこんな石ばっかりじゃないの? 
「天の川」に相当する部分の外側もこんな感じで、どうみても表に出てきていないだけで、いくらでも埋まっていそうです。
天狗岩への道
さて、本来ならこんな山は頂上まで登らずにはいられない大海と母ですが、岩屋桝形岩探検で捻挫のまだ癒えぬ足はすっかりお釈迦に。特に階段はきついので、天狗岩までたどり着いて断念しました。
まだその先には、王塚(デネブに相当)や八畳岩(ベガに相当)などもあったのですが、天狗岩(アルタイルに相当)にて引き返してきました。
そうなんです。この「天の川」は天の天の川を写し取り、なおかつ夏の大三角形に相当する巨石まで配置していあるということなのです。…・・・・でもね、すごい石だらけなんですよ。ロマンはあるのだけれど、古代人がそう考えて巨石を配置したというよりも、ちょっと大きい石に名前をつけたら、夜空の星座は幾つか描けそうです。

山添村いわくら文化研究会さんの立札には、「古代人が築いた巨石構造物ではないかと考えられているが、その方法については謎は多い。天の川を地上に映したものと考えられている。」と大胆な言葉も。
そう言えば、かなりエキサイトして読んだ本に、グラハム・ハンコックの『神々の指紋』がありました。眉唾な部分は多くあるにしても「そうかも」と思うと楽しいですよね。あの本の中で、ギザのピラミッドの配置が12000年だったか前のオリオン座の三ツ星の位置関係にぴったり当てはまっている、というのがありましたね。
というわけで、アルタイルに相当する天狗岩です。
天狗岩3
具体的にどれが「天狗岩」なのかよく分からないのですが、この岩の集合体なのでしょうか。
天狗岩2
立札から見て左手には、いかにも荒々しい感じの岩の塊、そして右手にはちょっと面白い岩が。
天狗岩
立札とは反対の側から見ています。石が割れて、間に小さな石が挟まっています。割れてから挟まった(誰かが挟んだ)のか、石が挟まって割れてきたのか……
でもこの「挟み石」というのは巨石にもよくありまして、象徴的に扱われている時があります。

さて、この「天の川」ですが……これを見て「天の川」と呼んだのはいつの時代からなのでしょうか。
この景観がかなり珍しいものであることは疑いようはないのですが、私はこれを「天の川」だと呼び、周囲の石を星座に見立てようとした人々にぜひお会いしたいと思いました。それが古代人でも、現代人でも。
日本人の想像力の豊かさは、こうした「見立て」に生かされていると思うのです。庭園なども、砂で水を表す枯山水などがありますが、日本の文化には多くの見立てが用いられて、狭い空間の中に無限を描いてきました。
日本の巨石にも(無理やりなのもあるけれど)名前を付けてある石が沢山あります。
多くの巨石を何かに見立て、名前を付けて、祀り、崇め、そして楽しむ。これこそ巨石と触れ合う第一歩なのかもしれませんね。
だって、かの世界的ベストセラーにも書いてありましたっけ?
「始めに名前ありき」 (「言葉ありき」です)
名前を付けることは「呪」、つまりこの世に魂を留めおくための祈りなのですから。

もうひとつ山添村の巨石をご紹介するつもりだったのですが、長くなったので記事を改めます。
次回は「もうひとつの十字ベルト」、岩尾神社の御神体にご案内いたします。
鍋倉渓橋より下
「下方100m」にもまだまだ続く鍋倉渓でした。車道から見るだけでも十分に楽しめます(*^_^*)


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Category: 石の紀行文(写真つき)

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