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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【石紀行】32.高知足摺岬・唐人石巨石群(1)~ここは古代の灯台~ 

駄馬から見上げる唐人石
ここは高知県の足摺岬の突端近くです。
言うのは安し、行くのは大変! という足摺岬。
実は私、龍馬研究会幽霊部員でして、〇十年前などは脱藩の道へも何度か足を運んでいたので、四国は割とよく行ったのです。台風が来て、橋を渡れないなんてことが結構ありましたが。
それでも足摺岬だけは、私にとって未踏の場所。何しろ遠い! と予想がついていたので、今回の旅程はただただ「足摺岬にたどり着く!」という目的のためにひた走るものとなりました。

ここは足摺岬の突端ではありませんで、海は遠くはないのですが、まだ山の中。ここにたどり着く交通手段は車しかないと思われますが、分かれ道はここしかないので、道に迷うことはなさそうです。それに、足摺岬に至る道の途中の分岐点に「唐人駄馬遺跡はこちら」って、しっかり看板がありますし。
で、この広く切り開かれた野っぱらと山の写真は何? 石紀行じゃないの? と思われたかもしれません。
しかし、よく見ると、山の中腹に白い塊がありますよね。あれが唐人石巨石群なのです。そしてこの「野っぱら」は駄馬。「唐人駄馬」というのは「唐人=大陸からやって来た異国人」が切り拓いた「駄馬=広く平坦な場所」という意味です。
駄馬
キャンプもできる感じのいい広場で、幾つかのグループやライダーさんがテントを張っていました。でもあまり人が来ることはなさそう。ここを唐人石の方から見下ろすとこんな感じです。太平洋も見えていて気持ちのいい景色ではあるのですが。
千畳敷岩から見た唐人駄馬
丸で囲んだのは……実はここは巨大なストーンサークルだったそうです。ストーンサークルと言っても、ストーンヘンジのような祭祀用の巨石の組み立てではなく、野生動物が入ってこないように作った柵としてのストーンサークルです。マルタ島にも多くの石垣がありますが、まさにあんな感じだったのでしょう。
駄馬のサークル2
隅っこにの片りんが残っていました。ワゴン車で槇を持ってきていたおじさんに「ストーンサークルってどこですか?」と聞いたら、この広場をぐるりと取り囲んでいる低い塀がそうだと教えてくださいました。確かに、ついつい丸く石が並んでいるものを想像してしましますが……巨大すぎて分からんかった^^;
ここは畑だったのです。駄馬を大きく丸く取り囲む石垣が築かれ、中にも区画を明確にするための石積みがあったようです。古い時代の写真ではこんな感じでした(学術報告から航空写真をお借りしました)。この四角い区画にも石が積まれていたのだとか。
なんと、残念なことに、遺跡とは考えずに切り拓いてしまったのですね。
唐人駄馬古い地図2
そう言えば、韓国の済州島に行った時にも、こんな石垣がありました。話は斉明天皇に戻りますが、かの時代、韓国にあった百済とは親密な関係にあった倭国。石の文化自体は百済との深い関係を物語っているようです。
気を取り直して、あの山の中腹を見上げてみましょう。望遠にして写真を撮ってみたら、あ、人です。石の上に人が乗っていますね! もうここから見ているだけでもワクワクしますが、もちろん、あそこに登りに行きましょう。
唐人駄馬遠景2
足摺岬への道の途中から、この唐人駄馬遺跡までの山道の途中に「唐人石」登り口があります(公園と登り口の間はわずか200mくらい、車道で行けます)。実は先にトイレに行こうと駄馬まで降りてきたのです(トイレは駄馬公園の中にあります。水洗じゃありませんが)。
唐人石登り口
この登り口の近くの道は少し幅広になっているので、10台程度の車が停められるようになっています(停め方によるけど)。案内の看板もありました。
唐人駄馬地図
では、唐人石巨石群、登って行きましょう! と言っても、いつものことですが、遊歩道を素直に登らずにいきなり『南のサークル』の中に踏みこんじゃうのですけれど……
南のサークル
正直なところ、どう見たらサークルなのかよく分からないのですけれど、真中の2つの大きな石を取り囲むように石が丸く並んでいる……そうです。えっと……?
南のサークル中心の石?
中心の石でしょうか? 上から見たらもう少しはっきりと円に見えるのかもしれませんが、歩いている限りは分かりません。しかも石の数も、2つと言われても、もっとあるように見えますし、看板の地図を見ても、サークルのところに書いていある石がそもそも円じゃない……
山の中の石たちを見て歩いていると、「これってサークルかも?」みたいなところにはしばしば出くわします。もちろん、長い年月の間に石が割れたり、あるいは土中に埋まってしまったものもあるでしょうから、以前の形を保っているとは限りませんし、後から現代の者が勝手に名付けた場合もあるので「サークルに見えない!」なんて目くじらを立てても仕方ありません。
要するに、大事なのは「石たちとの触れ合いを楽しみましょう!」ってことですよね(*^_^*)
南のサークルから登っていく
サークルの中、石の中を登って行くと、かなり大きな石がごろごろしていることが分かります。明らかに地面から完全に顔を出しているものもありますが、半分以上が土中にあると思われる石も多くあります。小さな石もありますが、相当に巨大な石もあります。ここはまさに岩山なのですね。そして、駄馬から見上げた石は、そのごく一部だということが分かります。多くの石が木々に覆われる中、地形的にあの部分だけが付き出ていて、あるいは残った石が大きかったために、木々に覆われることなく、下からはっきりと確認できるというわけです。
道なき道を行って遊歩道に出ました。見上げると、そこにはもう千畳敷岩が構えています。駄馬から見た時に人が乗っかっていた岩です。
千畳敷岩見上げる
別方向へ回っていくと……
千畳敷岩見上げる2
遠くから見ても、下から見てもすごいけれど、巨石はやっぱり登ってみなくちゃね!(磐座は、一部を除いて登れませんが……あ、そう言えば登ることができるかの御神体は、思いだしただけでも感動します。語れませんけど)
少し行くと、今度は亀石、というよりも亀頭石が突き出しているのが見えます。
「亀石」と名付けられたものが、この巨石群に2つありますが、こちらは全く「亀頭石」ですね。
だって、「亀石」というとこんな感じですよね。(写真は飛鳥観光協会さんからお借りしました。)
亀石
う~んと、どうして素直に「亀頭石」とか明日香みたいに「マラ石」とか言わないのかしら? まさか、恥ずかしいとか……
亀頭石見上げる
でももちろん、こちらも近づいて見るべきでしょう。
看板2
看板の言うとおり、道を行きます。
岩の隙間を登っていく
こんな岩の隙間を泳ぐように登って行きます(これは来た道を見下ろしたところ)。
すると、すぐに亀頭石がでん、とお目見えです。ある人曰く、岩の形態をよく見ると、しみじみ亀頭だなぁ、と。ふむ。
亀頭石1
失礼ではありますが、登ることもできます(ちょっと先っぽの方は怖いけれど)。上に寝転ぶこともできます。
亀頭石2
確かに立派です! うん。
さて、まだまだ先があります。あの千畳敷岩に登らんと!
亀頭石から見上げる
亀頭石から唐人石の方向を見上げると、これもまた迫力があります。
トリがいる
亀頭石から見た千畳敷岩の上に、また鳥がいました。鳥が乗っている場所は割れていて、今にも落ちそうですね。
日本の巨石の多くが花崗岩で、花崗岩は「節理」に沿って何かの拍子にパン!と割れちゃうのですね。だからよくある「弁慶が割った」とか「鬼が割った」とかいうのは、自然の「摂理」なんですよね。おかげで美しい岩の形や景観を楽しめるのですが、災害の原因にもなる。自然とお付き合いするということは、自然をちゃんと知っておかなければならないということなんですね。
最近の我々日本人、自ら学ぶことなく文句ばかり言っているような気がしますが、わが身を振り返ってももっと自然に対してもっと謙虚になって気をつけなくちゃ。
亀頭石から千畳敷岩へ
亀頭石から岩の隙間の道(ピンク矢印)を通って、向こうに見える千畳敷岩(青い矢印)に行きます。
岩の隙間を行く
こんな岩の隙間を進んでいくって、なんだか秘密の場所に行くみたいでいいですね! 子どものときここに住んでいたら、絶対に秘密基地を作っているなぁ。
最後の難関?2
ここが最後の難関です。何が難関って、この岩の隙間、狭いので、リュックを背負っていると通れなくて。右の低い石がちょうど160センチくらいの女性の胸の下あたりでしょうか。
いや、最後の難関はまだあったか!
千畳敷岩へ1
青矢印が千畳敷岩です。このちょっとスリリングな橋を3つ渡らなければなりません。えぇ、何事も自己責任で参ります。
千畳敷岩へ2
ここは足場が完全に岩の斜面。ここに来るのにヒールで来ない方がいいですね。私たちはいつもフル装備なのですが(靴とステッキ……あ、歳も歳ですからね^^;)、やっぱり軽く来ておられる人も結構いて(観光ついでだったら仕方ないのですが)、気を付けて欲しいなぁと思います。何事も自己責任ですからね。
千畳敷岩、実は結構ななめなのです。もちろん、広々としていて、眺めはいいのですけれど、下は断崖ですから……
千畳敷岩2
もひとつおまけに。ななめ感がよくでていると思いますが……向こうに少し駄馬が見えていますね。
千畳敷岩から唐人駄馬
さっき鳥がいたところからのながめ。駄馬と太平洋が見えています。
千畳敷岩から亀頭石方向
千畳敷岩から亀頭石方向を見ると、森・森・森……そう言えば龍馬脱藩の道をうろついていた頃、よくこんな景色を見ました。高知から愛媛へ抜ける峠ってどこも結構深い山の中で、高いところに出ると、視界の先の先まで青く霞んだ山が連なっていて「ここから出れるのかしら?」とよく思ったものでした。東山魁夷の絵の世界みたいな神秘郷。
千畳敷岩から唐人岩
背中を振り返ると、唐人石が大迫力で迫ります。この光景を見るためだけでも、この四国の際果てまで来たかいがありました! 山の中に木々と巨石、そして空。
右の端に写っている石の表面が平たいのが分かりますでしょうか。これが「鏡岩」です。

今回のタイトルに「古代の灯台」とつけました。実際には根拠ははっきりしていませんし、ここが海からどういう具合に見えるのか、確認していませんので分かりません。
古代、海は重要な交通路でした。しかし「位置確認」の方法は今のようにハイテクではありません。海から帰ってきたとき、何を目印に元の場所にたどり着くのか。緯度や経度という概念もなかったでしょうが、彼らは「地形」を利用していました。
例えば、私の心の故郷のひとつ(心の故郷、多過ぎるかも……)、青森県の岩木山は海からの目印として灯台の役割をしていました。夜は、まぁ、無理ですけれど(いや、でもあの山の9合目以上はすごい岩山なので意外に何か手があったかも?)。
ここ足摺岬では、心の師匠・須田郡司先生の『日本の聖なる石を訪ねて 知られざるパワー・ストーン300カ所』では「白皇山」が灯台の役割を果たしていたであろうと書かれています。そう、山は海からも確認しやすい目印です。
ちなみに、ハトは何故伝書鳩になりうるのか。彼らは地図を覚えているわけでも、緯度や経度を感知する機能を持っているわけでも、太陽を観測しているわけでもないのですが、どんなに長い距離でも、景色の中で目印になるものをインプットしていって、その目印を頼りに飛んでいるらしいと言われています。ハトにとっても山や鉄塔などは恰好の目印、なんですよね。
鏡岩
ところで、鏡岩の平ら面、気になりませんか。これを見るとやはり、尾道・千光寺の「鏡岩」を思い出します。
鏡岩
こちらは何らかの細工も見られるようですが、こうして石を磨くと白く光るのです。太陽がここに当たるとどんな光を照り返すのでしょうか。小さな鏡ひとつでも太陽光を当てると、相当はっきりと光りますよね。
実は、ちょっと不思議な体験をしました。
この帰り道のことです。唐人駄馬遺跡から足摺岬ルートの至るまでの山道の途中で、車に乗っていた我々、同時に「あ!」と声を上げました。視界の隅で何かが光ったのです。山道なのであまりスピードを出していなかったからかもしれませんが、それはかなりはっきりした「光」でした。思わず車を停めると、すぐに光の正体が分かりました。薄暗い森の中です。
灯台の証拠4
これは車道から少し森の中へ入り込んだ場所なのですが、車道を走っている車からもはっきりと見え、思わず車を停めるほどくっきりと光っていました。
でも、近づいていくと、全くただの石なのです。そんなに表面が白いわけでもない。
灯台の証拠2
この岩のすぐ近くにも幾つか同じような岩が他にもあって、さらに大きな岩もありました。でもこの石だけが秋分の2日前の傾きかけた太陽を受けて、真っ白に光っていたのですね。
千光寺の鏡岩も長い年月、木々の中に埋もれていたのです。それが磨いてみたらあの姿。今は風化しているかもしれない石を磨いてみたら「鏡」のように光を跳ね返すかもしれません。
灯台の証拠3
この岩、おむすび型をしていて、見るからに良い感じの石です。大々的に祀られていた石ではなくても、もしかしたら古代の誰かも、この石に照り返す光で「時」を感じていたかもしれません。
この名もなき石との出逢い、それはまるでこの石が、「ほらね、石ってこんなふうに光るんだよ。だからもっと現代人もイメージを膨らませてぼくたちを見て!」って語りかけてくれているようでした。

もしかしたら、古代、ここはもう少し切り拓かれていて、所々に「暦石」があったかもしれませんね。1年間、節季ごとに順番に夕陽に光って、カレンダーの役割を果たすような要の石が、山々の中に並んでいる、もしくは点在しているのです。私たちに語りかけてくれたあの石は「秋分石」だったりして。
もしかしたら、唐人石あたりの山はもっと多くの岩が露出して見えたかもしれません。海から見たら真っ白な岩山だったかもしれないですね。そうしたら、これこそまさに灯台です。鏡岩を中心にして真っ白に輝いて見えたかもしれません。
そもそもここは駄馬があったことからも分かるように、「唐人」が切り拓いた場所。縄文前期時代からの多くの遺物が見つかっています。海に面しているということは、古代には大陸とも交流のある交通の要となる一大集落だったかもしれません。
そんな場所にある唐人石巨石群の「鏡岩」。この名前を頂いているということは、光るはず。そして、これだけ大きな石ですもの、相当遠くからもその光を確認することができたのではないでしょうか。
海と深くつながっていた古代、どんな人々がここに住み、自然の力を借りながら、悠久の時間の中にそれぞれの時を刻んでいたのでしょうか。
タイムマシンがあったら見てみたい! 岩を見上げるだけで想像が膨らみ、ワクワクする、素晴らしい巨石群です。
千畳敷岩を降りる
さて、唐人石巨石群、続きを歩いてみましょう。千畳敷岩から降りるほうがちょっとコワイ……
でも、長くなりましたので、唐人石巨石群最大のパワースポット・再生のエリアについてはその(2)でレポートしたいと思います。
最後に、ちょっとイイ写真?をひとつ。
荒野の?
しばしば巨石の横で「大きさ比べ係」をしているうちのおかーちゃん。齢70をとっくに越えているとは思えませんね……インディ・ジョーンズか、はたまた荒野のガンマン? いや、岩の上の大阪のおばちゃん、ならぬバアちゃんですけれどね。

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Category: 石の紀行文(写真つき)

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