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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

2015年10月のつぶやきコーナー 

<Twitter代わりのつぶやきとお知らせのコーナー>
【石紀行】32.高知足摺岬・唐人石巨石群(1)~ここは古代の灯台~
【石紀行】32.高知足摺岬・唐人石巨石群(2)~古代の祈りと再生の場~
通常の記事は、もうひとつ下から始まります


2015/11/1
福島にいますその2。本当なら11月のつぶやきコーナーを作らなければならないのに^^;
安達が原猫
今日は福島の巨石を結構見て回ってきました(^^) こちらの猫さんは、謡曲『黒塚』(鬼婆伝説)の舞台、安達が原の観世寺の猫さん親子。分かりにくいけれど、右端の仔猫ちゃんがちょっと上を仰いでいるのが可愛い(^^)
福島、米と酒がとっても美味い~(#^.^#) 明日は雨だけれど、幾つか観音さんを見て回る予定。
また帰ったらレポートをお楽しみに!


古いつぶやきは、続きを読むにあります。
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Category: つぶやき

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【雑記・小説】設定のこだわり~物書きブログテーマ(2)~ 

かなり時流に乗り遅れておりますが、今度は八少女夕さんのお題、【もの書きブログテーマ】設定のこだわりについて記事を書いてみることにします。
決してネタが切れたわけでもないのですが、いささか忙しくてまとまった時間が取れず、それなのにケーブルテレビでやっていた『深夜食堂』に嵌っておりました。しかもオープニングで小林薫さん演じるマスターが豚汁を作るシーンを見て、ここんところしばらく豚汁が続いていたうちの食卓。やっぱり小説やドラマの食べ物シーンには影響されちゃうんですよね。
(『深夜食堂』@以前通っていたボクシングジムの会長が超お気に入りだった人情もの、You Tubeでも見れますので、ご興味のある方は是非どうぞ。)

さて、今回のお題、設定のこだわり……実は「遅ればせながら」になってしまったのにはそれなりに理由がありまして。
皆様の「こだわり」を拝読して、ふ~む、なるほど、あぁ、あるある、とは思ったものの、ふと我に返ってみると、私ってあんまりすごく拘っていることが無くて……いや、勝手にそうなるってことはあるのですが、ここは譲れないわというほどの強いものがないのです。だから、記事としてまとまるような気がしなかったのです……

仕事の物書き(文筆業ではありませんが、物書きすることもある)のためには膨大な資料を読まなくてはならないけれど、せめて自分の世界を書く時は楽をしたいなぁ~なんて思ったりします。でも、結果的に現実世界を書くことが多いので、書きながら矛盾点を確認することは必要ですが、こだわりというほどのものでもないし。
で、あれこれ考えて、ひとつだけ捻り出しました!(捻り出したのか……)

多分、舞台の設定はそんなにこだわっていないような気がします。もちろん、自分のよく知っているわけではない国や町を書くのは大変で(ロケハンをしても旅行者として行くのと住むのとでは違うし)、住んだこともある、よく知っている町を舞台に書く時は楽だという面はありますが、それは書くほうとしてはどちらもそれなりに楽しい。
その街や国に住んでいる人が読まれたら、そんなのないない、と思われることも多いだろうけれど……忍者が東京の町を歩いていることのないようには気を付けているつもりです^^;
(でも、ローマはいささか心配。行った回数だけを挙げたら結構なのだけれど)

もしこだわっていることがあるとすると、登場人物のバラエティかなぁと思ったりします。いや、バラエティ豊かにしようとした結果、登場人物が多すぎてややこしくなっているという気もしなくはないのですけれど……
そう言えば、短編なのに登場人物が多すぎる、と言われたことがあったなぁ。だって、湧いて出てくるんですもの。

すごく単純なところでは、性別が偏らないように、年齢が偏らないように、という部分。
実は【清明の雪】はお寺(禅寺)が舞台だったので、始めに書いた時、出てくるのが男性ばかりだったのです。それで終わっても良かったのですが、なんか気持ち悪くなってきて(むさくるしくなってきて、ではありません^^;)、彼らを祇園に引きずり出しました。祇園の灯りはやっぱり恋しいのです。祇園の町に出てきた途端に、それまで白黒だった画面がカラーになった気がしました。

年齢では、私が書いているような世界では子どもや老人を出すのはそれなりに理由づけが必要になることもありますが、できるだけしっかりと中心人物に絡めて登場させようとしています。
【海に落ちる雨】は源氏物語並みに登場人物が出てきますが、年齢の高い方の登場人物はかなりバラエティに富んでいるように思います。これは私のオッチャン好きのせいかもしれませんが、オバちゃんも密かに頑張っています(サーシャとか、悪女の村野花とか)。子どもは少ないのですが、一応出ている。
次作の【雪原の星月夜】では、かなり中心に子どもがおります。真夫婦の住む寺の離れに居候を目論んでいる家出幼稚園児。この子は、真シリーズと少し設定の似通った物語・【奇跡を売る店シリーズ】では和子(「にこ」、主人公がワケアリで父親になっている、でも懐かない子ども)の立ち位置になります。
子どもがそこにいて違和感が無いように、物語の中でしっかり動いてくれるように、あれこれ考えていたような気がします。

【奇跡を売る店シリーズ】は京都が舞台だし、イメージがつかみやすいのと、真シリーズみたいに作者の私がどうすることもできないくらいにいつの間にか設定が出来上がってしまっていた物語と違って(練り込んでいた年月が長過ぎて、今更変更できない)、ある意味、自分の手で作り込んだという気がします。だから、登場人物たちも意味づけを持って配置していますので、老若男女のバラエティが割としっかり出ているんじゃないかと思います。
ただ……バラエティの話では、このシリーズの弱点は「ほんまの悪人」がいないこと。老若男女はいいけれど、善人・悪人のバラエティではやっぱり偏っているのかも。

善悪のバラエティという意味では、【海に落ちる雨】は悪人もかなり気合が入っています。もちろん「一寸の虫にも五分の魂」的事情はあるのですけれど、悪人も、わけのわからん奴も、相当数出てきています。小役人とか、スケベな気味の悪いおっちゃんとか、刑務所に入っているのとか、イケてない人物が半数はいるかなぁ。
そして結果として、やたらめったらたくさんの人間が出てきて収拾がつかなくなっていく、そんな気もする今日この頃です。
でも、このおもちゃ箱みたいなのが、私のこだわりなのかも……

Category: 小説・バトン

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【石紀行】34.兵庫姫路の石(1)高岳神社~空に開かれた磐座と書写山圓教寺~ 

兵庫県姫路は世界遺産の白鷺城で賑わっているようですが(そう言えば、白鳥城=ノイシュバンシュタイン城と白鷺城は姉妹城?なんですってね)、実はこっそり石の見所もあるのです。今回はそんな姫路の石をご紹介したいと思います。
兵庫県の石処と言えば、東の横綱は西宮~六甲の石たち、中でも兵庫西宮・越木岩神社の甑岩は圧巻ですね。そして西の横綱はやっぱり兵庫高砂・生石神社の石の寶殿ですね。

兵庫県の地形はご存じのように南は海に面していて、短い平地があって、すぐに切り立った山になっています。大きな町はほとんどこの短い平地にあって、山を越えていくと結構交通も不便だったりします。だから道は坂とカーブだらけ。山に入れば岩はどこにでもあるのですが、やはりただ岩があるだけでは、地球のどこに行っても岩はあるよ、ってことで珍しくも有難くもないのですが、山の中に入るからには岩の性質は気になることもあります。

西宮辺りは大阪の地層と繋がっているのですが、六甲山は世界有数の断層の多い花崗岩類メインの地層で、越木岩神社のあたりは六甲山系の東の端っこなので、むしろ六甲花崗岩地層に当たるのか……な?
一方、高砂辺りの石は「竜山石」と言われています。この地域の地質に関しては、成層ハイアロクラスタイトと言われていて、水中に噴出した流紋岩溶岩が急に冷やされて粉々に壊れ、それが水流によって運搬され堆積してできたものだそうです(参考:『竜山石』について)。以前幾つかの記事にも書きましたが、この辺りは古代から注目されていた石切り場だったのです。色合いも青や赤、黄色が混じっていて綺麗ですよね。
そして姫路。この辺りは流紋岩、火砕岩、花崗岩類からなる火成岩の地層というので、普通の日本の山の岩たちという組成ですが、道を走っていると高砂のあたりと似たような景色にぶつかることがあります。でもやっぱり色合いは黒っぽいですね。こうしてむき出しになっていて、しかも節理が見えていると、崩れてこないか心配になります。うん、やっぱり足元注意! ですね(と声を大にして……)。
姫路の山
ちなみに下は高砂の竜山石。こちらの方はやはり色合いが白っぽい。加工もしやすいそうで、切り出して石棺にでも使いたくなるのも分かるような気がします。
周囲の岩山
姫路の町を見下ろすなら、やはり書写山。書写山と言えば『ラストサムライ』や『軍師官兵衛』の撮影のロケ地としてすっかり有名になっておりますが、無知な私は姫路に足繁く通うようになってからも「早口言葉にしたら結構難しい」とかくらいしか思い至らず。
でも、こちらは是非とも一度訪れてみてくださいませ。山自体が霊山の趣ありですし、比叡山や高野山をちょっと規模を小さくした感じで、なかなか素晴らしい場所です。

この書写山からもそう遠くない場所に今回ご紹介する『高岳神社』(たかおかじんじゃ)があります。
高岳神社道路反対側から
何気なく住宅地の中に普通の道のように参道があり(参道は道路を渡ってさらに繋がっている)、見るかに神社があると思われるこんもりと茂った丘が見えています。この常夜燈の傍に神社のものらしい駐車場(空き地?)があったので、車を停めさせていただきました。
高岳神社本殿へ登る
道を渡ると長い階段が丘を取り囲むように続いています。階段の途中には、稲荷神社や金毘羅宮の小さなお社があります。
高岳神社金毘羅宮
と思ったら、階段の上に広い駐車場がありました。一体どこから入っていくのか、住宅街の細い道はよく分かりませんね。駐車場からさらに階段を登って行きます。
高岳神社本殿へ上る
たどり着いた先が拝殿です。
高岳神社2
実はかなり切り立った丘の上なので、この拝殿の前にはほとんどスペースが無く、全体像を収めるような写真が撮れなかったのです。この後ろに本殿があるわけなのですが……後はもうほとんど岩場になっています。
高岳神社磐座へ登る
拝殿の脇を少し行くと、このような階段があり、まださらに登って行きます。
高岳神社磐座全景2
階段はすぐに途切れて、まさに岩を登って行くような感じになるのですが……
高岳神社磐座4
実はこちらの神社は『姫路・巨石』でググっていて、あるブログさんが載せておられたお写真を発見したのですが、その写真を拝見して「いったいどんな立地なの?」と不思議に思っていたのです。まさか丘の頂上の岩(というよりも丘そのもの?)がそのまま磐座だったとは……
多くの磐座は山の奥深くにひっそりと鎮座されているので、周囲が木々に覆われていて少し薄暗いところにあるという印象。あるいはお寺や神社でも周囲は森、みたいなことがよくあるのですけれど、こちらは山のてっぺんで、背景は空! 見上げたら、空以外には何も視界に入ってこないんですよね。
高岳神社磐座7
こちらがこの神社の中心とも言うべき霊岩『蛤岩』です。
縁起によると、ある時、土地の人がこの岩上で蛤を拾い、福徳長寿の幸を得たので、このように名付けられたとのこと。さらに、この巨岩の頂上にはくぼみがあって、四季を通じ常に霊水をたたえ、しかもこの水が干満と共に満ち引きする、という神秘が伝えられているそうです。もちろん、聖域に付き立ち入ることはできませんので、確かめようがないのですけれど。
高岳神社磐座6
右方向から撮ってみると、向こうに町が見えていますね。
高岳神社磐座5
縁起を拝読すると、坂上田村麻呂の名前が出てくるほどに古くから信仰を集めていた神社のようですが、神社そのものは少し離れた八丈岩山にあったものを蛤山に移したものとされています。
高岳神社磐座3
ぐるりを一周出来ないのが残念ですが、これだけ明るく開放的な磐座も少し珍しいかも? ドローンで空から見てみたい、と不届きなことも考えてしまいました。神様も空からよく見えて、この磐座に降りて来ていただきやすのでは……
高岳神社1
蛤岩から振り返ると町が見えています。石の寶殿の生石神社の山も素晴らしく居心地の良い場所ですが、こちらもなかなか良い場所です。でも寛ぐ場所ではないみたいですね……

最後に縁起を引用しておきます。
『当神社は延喜式内社で、古来播磨国「五の宮」として崇められ、皇室を始め国司領主武将の尊信極めて厚く、その由緒の古く正しいことにおいては国内屈指の古社です。
延暦元年(782)に征夷大将軍坂上田村麻呂は幣帛を奉って武運を祈り、寛元年中には鎌倉幕府執権北条経時が、家人の佐貫十郎を遣わし、銀貨一包・太刀一口を献じて祈雨祭を行っています。
また播磨国守護赤松氏を始め、姫路城主松平侯、酒井侯は何れも神殿を供し、走馬を献じ、社殿を造修し、神供料を献納するなど、敬神以て民生の安定、郷土の進展を図っており、地方の衆庶も深く尊信の至誠を致した。』

次回は同じく姫路市にある『破磐神社』のわれ石にご案内します。
*『続きを読む』から、書写山圓教寺を少しだけご案内いたします。

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Category: 石の紀行文(写真つき)

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[雨・番外] 第5節に向けての座談会 

【海に落ちる雨】第4節の完結を記念して、八少女夕さんの真似をしてうちも座談会を開催してみました。
っても、第5節はいつ始まるか? 【人喰い屋敷】を終わらせてからにしようかな、と思っておりますが、いや、もうさっさと読ませてくれ! って言ってくださる方がいたら並行しようかな……
なお、体調不良に付き、大和竹流氏は欠席です。
また、ふぉるてさんちから翻訳担当のハゾルカドス氏にもお付き合いいただいております。ふぉるてさん、勝手にお借りしてすみません!

 座談会 
美和 「何故かいつも座談会の司会を仰せつかる柏木美和です。花の女子大生ですが、新宿の相川調査事務所の秘書です。ではまず、先生から自己紹介と第5節への意気込みをお願いします」
 「その調査事務所の雇われ所長をしている相川真です。同居人(大和竹流)を酷い目に遭わせた奴に復讐を誓っています。彼は今、薬剤性肺炎で死にかかっています。このまま放っておく気はありません」

福嶋 「のっけから血の気が多いやないか、え? 兄さん」
美和 「あ、福嶋さん、勝手に発言しないでください。作者からは、勝手にしゃべらせたら血の雨が降ることもあるので、ちゃんとコントロールするように言われていますので」
福嶋 「そう硬いこと、言わんで、まぁ、一杯やりながら仲良く話そうやないか。なかなか手に入らへん、えぇ酒があるんやで」
美和 「ほんとですか? じゃ、一杯やりながら……」
さくら 「ちょっと、美和ちゃん、あんた、この男に懐柔されてどうすんのよ」

美和 「あ、そうでした! え~っと気を取り直して、作者曰く『この物語の最後の大物、第5節より登場!』の福嶋さん、自己紹介お願いします」
福嶋 「わしか。福嶋鋼三郎や。八尾生まれの京都育ちや。職業は聞かんといてくれ。まぁ、ちょっとしたフィクサーみたいなもんやと思うてくれたら大体おうとるわ。第5節のわしの仕事は兄さん(真)を焚きつけることや。そうそう、珠恵ちゃんとは旧知の仲や、なぁ」
美和 「あ、珠恵さんの手を握らないでください。では、珠恵さん、お願いします」

珠恵 「東海林珠恵どす。祇園で芸妓をしとります。相川はんのお気持ちを知って、一緒に闘うつもりでおります」
福嶋 「珠恵ちゃん、せやから何べんもゆうたやろ。いくら大事な旦那が酷い目におうたからゆうて、君はかよわいおなごなんやからな、余計なことをせんほうがええんや。その分、きっちり兄さんが落とし前つけてくれるわ」
珠恵 「『あの男』はうちにはよう手を出しまへんさかい、うちには何も危ないことなどあらしまへん。けど、逆に福嶋はんもあの男もうちにはほんまのことを言うてはくらはりませんやろ。そやけど、うちは相川はんとは一蓮托生や、思とります。相川はんに万が一のことがあったら、うちも……」
福嶋 「まぁまぁ、兄さんのことはわしに任せとき。悪いようにはせぇへんさかいな」
(作者の声:いや、あんたに任せたらエライことに……今は言えないけど……)

美和 「え~っと、先に自己紹介……と。じゃ、添島刑事」
添島刑事 「警視庁捜査一課の添島麻子です。大和竹流、つまりジョルジョ・ヴォルテラとは旧知の中で、上層部の圧力を受けながらも相川君に協力しています。今は縁の下の力持ち役かしらね。それから、大きな声では言えないけれど、駆け落ち推奨派よ」
美和 「いや、むっちゃ声大きいですけど(チェザーレをちらっと見て)。じゃ、さくらちゃん」

さくら 「新宿二丁目ゲイバーのチーママのさくらよ~。真ちゃんにはほんと、世話になってるのよ。あ、美和ちゃんはうちの常連で、あたしとは飲み仲間よ~」
美和 「私たちは、落ち込んだ先生を励ますのが役割かしらね。では、ちょっと出番が遠ざかっている澤田さん」
澤田 「先日から病気療養中ということになっている衆議院議員です。元は新聞記者でした。過去に罪のない子ども(深雪のこと)に辛い運命を負わせてしまったことを今も悔いている。自分が正義を貫いたと思ってしたことで他人を傷つけてしまった。今は、その元凶となった者(村野花。その夫の耕治は死んでいるので)と会って過去の決着をつけたい」
美和 「結構熱い人ですよね。では、この物語最大の大物、チェザーレさん」

チェザーレ 「教皇庁の裏警護を担当するヴォルテラファミリーの当主だ。息子を酷い目に遭わせた奴を同じ目に遭わせてやろうと考えている。我々の掟に従って、目には目を、歯には歯を、だ。私の手からは何人も逃れられるとは思わないで欲しい」
福嶋 「あんたとは意見が合いそうや」
チェザーレ 「あなたほど悪人ではありませんよ」
福嶋 「悪人度はえぇ勝負やと思うで」
(福嶋とチェザーレ、微妙な視線を交す)

さくら 「みんな、いい男ね。三人とも大筋では合格よ。座談会の後、うちのお店に来ない?」
美和 「さくらちゃん、なんの合格点?」
さくら 「いい男の合格ラインよ。この物語、おっさん率の高さで有名じゃない? 今回は刑務所ん中だから来れなかったけれど、唐沢(真の元上司)なんて、作者の超お気に入りなんだから。あの作者、事あるごとにおっさんを出そうと画策しているのよ。中にはちょっとどうよっておっさんもいるんだから。ところで、なんで猫までいるの?」

トニー 「にゃ、にゃにゃん、にゃ。にゃ~、にゃにゃにゃ、にゃ!」
美和 「えっと、こちらの『杖』氏が翻訳を担当します」
ハゾルカドス 「自動翻訳機のハゾルカドスと申しますです。『茶虎猫のトニーです、竹流の親友です、オレの親友をいじめたやつに強烈ねこキックをお見舞いするぜ』と言っておりますです」

美和 「えっと、始めから収拾がつかないことは予測していたんだけれど……一言ずつ、この物語もしくはシリーズへのコメントをお願いします」
添島刑事 「そうね、相川君は究極のツンデレだと思うわ。自分は何もしない、知らないって顔をしながら、実は腹の中に熱いものを抱えている。ほんとなら止めるべきなんだけれど、今回のことだけは、止めても無駄だって分かってるから、止めないことにしたのよ。河本? えぇ、多分何もかも分かっていて、普通に呆れているわね。でもあの男も内心は『好きにやってくれ』って感じなのかもしれないわ」
(作者註:『河本』→内閣調査室室長。真の父親・武史の大学時代の後輩でもある)

さくら 「真ちゃんは愛を貫いているのよ。あたしたちは何かできるわけじゃないけど、何があっても真ちゃんの味方よ。あ、このお話ね、何だかんだと言いつつ究極の恋愛小説じゃないかと思うのよ。作者と主人公2人は否定すると思うけど、あたしは絶対そう思うわね」
美和 「そこはきっと誰もが思っているんだけど、先生は否定するでしょ」
 「だからこれは『なんちゃってミステリー』なんだろ? あれ? 『なんちゃってハードボイルド』?」
美和 「うん、まぁ、中途半端な出来だってのは作者も認めるところみたいよ。だから、『なんちゃって恋愛小説』と言ってもいいんじゃないかな」
 「どこが恋愛?」
(みんなに無視される)

さくら 「(美和に)そう言えば、あんたとあのや~さんの恋も展開するのよね」
美和 「うん……まぁ、それはまた本編でお楽しみいただきましょう! 珠恵さんは、一部では大家さん(=竹流)の扱いがひどすぎるんじゃないかって意見も出ているようですが、いかがですか?」
珠恵 「うちは、旦那はんが思うように生きてくらはったらそれでええんどす。第一、旦那はんがついてきてくれと言わはっても、うちは祇園を離れて生きることはできしまへんし」
美和 「うん、さすがに珠恵さん。何よりもあんな面倒くさい男たちを掌で転がしているんですものね。私も見習わなくちゃ。では、おじさんたちにも一言ずついただきましょう」

チェザーレ 「私が願っているのはただひとつだ。私の息子には予言通りローマに帰って跡を継いでもらわなければならない。そのためには多少の犠牲はやむを得ない。彼自身もそのことを肝に銘じてもらわなければならないのだよ」
さくら 「いい男だけど、怖いわ~」
添島刑事 「絶対に近付いちゃダメなタイプよ。何しろ一見優しそうな顔をして近づいてくるけれど、中にゴジラとキングギドラとヤマタノオロチとヴィジュヌとシヴァとコモドドラゴン……が棲んでいるみたいな男なんだから」

美和 「澤田さんはいかがですか。あ、私、最初の頃あれこれ疑っていましたけれど、澤田さんは結局いい人なんですよね?」
澤田 「だといいのだが……記者としても国会議員としても何もかも十分でなかったことは反省しているのだよ。正しいことをしようとすると軋轢が強く、自分が正しいと信じたことで傷つく他者がいる。世の中は難しいものだね」
美和 「作者的には、澤田さんと大家さんの立ち位置は同じ、という設定にしているみたいですよ。自分は気が付かないけれど、その高い所には到達できない人たちからは恨まれるような場所にいて、さらに誰かに対して親のような愛情を注いでいるという」

添島刑事 「確かに、このお話にはあちこちに二重構造と、疑似親子関係が潜んでいるのよね。作者が始めからそれを設定していたとしたら大したものだけれど、あれは単にそういうのが好きなのよね。で、書いていたらどんどん多重構造になっちゃったという」
トニー 「にゃっ! にゃにゃ! にゃにゃにゃ~あ」
ハゾルカドス 「『頭の中がこんがらがっていることを暴露しているだけじゃないかにゃ~あ』」
トニー 「にゃ?」
ハゾルカドス 「あ、申し訳ございません。訳しているのに語尾が猫語のままでございました」

美和 「福嶋さんはいかがですか?」
福嶋 「いや、わしは大いに楽しませてもらっとるで。今は言えんけどな、このシリーズの中でわしは結構おいしい役どころなんや。何せ、次作のトップシーンにまで出させてもらってるさかいな。そういう意味では、この物語に何の不満もないで」
美和 「うん、聞きましたよ。作者曰く、悪人の鑑みたいなおっさん、ですものね。なのに、作者とその友人には妙に好かれているという……ま、作者も友人Aさんも、妙に善人ぶらないところが好きなので、この先もいい人にならないでね、と思っているそうですよ」
福嶋 「わしが善人になるわけないやろ。ところで姉ちゃん、この後一杯どうや?」

美和 「う~ん、酒には惹かれるんですけれどね~、先生が怖い顔をしているのでやめときます。最後に、トニーさん、締めてくださいね」
トニー 「にゃ、にゃにゃん、にゃにゃにゃ、な~、にゃおん、にゃ!」
ハゾルカドス 「『みなさん、いよいよ第5節の開始です。のっけからえらいことになっておりますが、もう諦めて、ここまで来たらぜひ最後までお付き合いしてくれよな。オレも親友(竹流)と弟(真)を見守ってやらんといかんから、結構忙しいんだにゃ!』……あれ?」
美和 「なんか、しゃべった分よりも長い翻訳、頂きましたが、そういうわけで、よろしくお願いします!」
*ハゾルカドスさん、翻訳ありがとうございました!

 第5節ラインナップ 
第31章 何の矛盾もない
第32章 焼ける
第33章 太陽の破片
第34章 交差点
第35章 恋花
第36章 I LOVE YOU
第37章 絵には真実が隠されている
第38章 そして、地球に銀の雫が降る
終章   結晶

実は章題は懐かしい昭和~平成初期の名曲からタイトルを頂いたものが幾つかあります。歌詞の中に出てきた単語も含まれます。長渕剛、尾崎豊、CHAGE&ASUKA、ですね。
第31~33章は真が事件の裏側にいる連中を追い詰めていくのか、追い詰められていくのか、という展開。いろんな人物が事件の背景を語ります。そしてその中で真の怒りが爆発して……。第34~37章は、そのどん底から真が周囲の人たちに掬い上げられていく過程、になるのかもしれません。そして38章は、果たして大団円と言うのかどうか。終章は過去に遡って「絆」を語っております。最後の最後にもうひとつ、とんでもない「え?」があるかも知れませんが、それはまぁ……「血の契り」の家系ですので、許してやってください。
最終話まで、この先もよろしくお願いいたします!!

Category: ☂海に落ちる雨 第4節

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[雨150] 第30章 巷に雨の降る如くに(8)優しく殺して~18禁~ 

いよいよ、【海に落ちる雨】第4節最終話=第30章最終話です。そして、丁度150話目になりました。
少数ながらもお付き合いくださっている読者様に、心から感謝申し上げます。第4節が終わったら、今度は怒涛の復讐劇となるのか……全ては真次第です。真を見くびったら怖いのか、あるいは、そうは言っても所詮真なんてこの程度なのか、それは皆様のご判断に委ねます。そして、この物語がハッピーエンドと言っていいのかどうかも。
と、その前に竹流の怒涛の独白、最終回です。今回、ある真実が語られますが、真は知る由もありません。そもそも真がこのことを知ったとしても、竹流とその共犯者を恨むことはないでしょう。なぜなら、真はあの時、彼女に溺れながらも、救い出してくれる手を待っていたのですから。

何はともあれ、第4節最終話、お楽しみくださいませ。
今回もいささか18歳未満の人には不適切なシーンがあるので(大したことはないという気もしますが)、一応18禁にしました。少しだけ、お気を付け下さいませ。
なお、あの恋愛事件?の顛末(真視点)を思い出してくださる方はこちらを斜め読みしてくださいませ。あるいは、他を読まれていなくても、ここから始まる第21章は独立した章なので、どんな危ない女が出ているのか、ちょっと覗き見してくださいませ。
[雨100] 第21章 わかって下さい(少し長い同居の経緯)(1)~[雨102]までがりぃさの章です。
このあたりを再読すると、真の心を縛っているのは、まだ赤ん坊の彼の首を絞めた義母だということが、今更ながらに分かるなぁ。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
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Category: ☂海に落ちる雨 第4節

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【石紀行】33.高知足摺岬・金剛福寺~弘法大師の石たちと猫~ 

金剛福寺の岩1
今回は、前回予告いたしましたこの謎の物体! に迫ります。
といっても、実はここにたどり着いたのは既に夕刻。お寺はもう閉まっていて、その謂れも何も調査できず、謎を残したままなのですけれど……というわけで番外編的にお気楽に写真を眺めてくださいませ。
ここは四国八十八カ所霊場の第三十八番札所・金剛福寺です。公式ホームページによると……
『四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。』
石の謂れは分かりませんが、このお寺の方が石に特別なものを感じておられるのでしょうか。広い境内はまるで石の庭。本堂・大師堂がある境内にも池の周りは見事な石が並んでいて、手水場にも石が!
そして、冒頭の写真がある場所は、本堂がある境内とは少し離れた、本坊と客殿の傍のようですが……あの白いものの正体を見たいですよね!
金剛福寺の鍾乳石
夕暮れ時だったので、光りの方向によってはちょっと白さが足りませんが……
金剛福寺の鍾乳石2
これって、どう見ても鍾乳石ですよね。ここは屋根のない仏殿、でしょうか。
鍾乳石が光背に見えます。あるいは空を天井と見立てた、本殿の芯柱?
金剛福寺の石庭1
金剛福寺の石庭2
そして、並んだ仏様の前には、石たちが遊ぶような庭があります。通路もあって歩くことができるようになっていました。
金剛福寺石庭の石
ここから本堂のある伽藍へ歩く道にも、大小様々な石が置かれています。
石庭から金剛福寺本堂へ
本堂に行ったら5時を過ぎていたので、すっかり人気もなく……夕陽が落ちるまでに岬の展望台に行きたかったので、あまりゆっくりとはできませんでしたが、またいつか八十八箇所巡りの時にでも。
金剛福寺
境内の池の周りにも石たちがぐるりと……
金剛福寺境内
そしていつも前を歩いてくださっている弘法大師。
金剛福寺弘法大師
手水場にも少し小さめの鍾乳石が置いてありました。どなたかが寄進されたものでしょうか……
本堂にも石庭
これまでの「古代文明の謎!」的な石とはまるきり違っていますが、別の形で信仰を見るような石の姿ですね。ちょっと過剰な気もしますが、石同士、呼び合ってここに集まってきたのかもしれませんね。それにしてもなぜ鍾乳石?
高知には龍河洞という有名な鍾乳洞がありますが、場所は離れているし……でもこうして地上に出ていると、また違った趣がありますね。四国にはカルストという不思議な地形もありますし、地下の洞窟に潜ってみたら、どこにでも鍾乳洞はありそうですね。

地下の世界と言えば、古代マヤ人たちも「あの世」と認定していたようですし、もちろん日本でもイザナギとイザナミの神話にも「あの世」は地下のイメージ。古い時代、死者の世界はすごく遠い場所にあるのじゃなくて、何かの境界を越えたら「そこにある」というイメージなのが興味深いのですが、いずれにしても古代人が「その境界の向こう」を畏れていたことは確かです。
そんな地下の世界から地上世界に持ち出されたこの鍾乳石。一体どういう世界を象徴しているのでしょうか。荘厳で不思議な空気を感じます。

そう言えば、唐人駄馬遺跡の近くには『風神アネモス』という個人の方が造られた石の庭があるそうです。今回、微妙な時間の設定だったのでお邪魔し損ねてしまいましたが、次回はまた訪ねてみたいと思います。

ところで、うちの庭にもなかなか見事な生駒石が鎮座しております。
最近は庭に置けるような丁度いいサイズの生駒石を採ることこと自体が難しいそうなので、もしかしたらこの先はいささか貴重なものになっていくのかも。といっても、魂が宿っているとかまでは感じませんが(百日紅の木の枝を切るときに登るくらい?)……でも、常にそこに在ると落ち着くものかもしれません。あるいはその家の守り神的なものかも。
石を庭に置きたがるってのは、古代から変わらない石への思い、なのかしら?
庭の生駒石
あ、手入れの悪い庭が写っている……^^;
石は磐座として神の宿るもの・神が降りてくる依代、あるいは神そのものと考えられてもいますが、もう少し身近なものと考えるのもいいですよね。

話は少し変わりますが、何かのテレビ番組で、故郷を離れて住む人が、家に小さな掌くらいの石を置いて大事にしておられました。その石には、両親や先祖の魂が宿っていると。墓石の場合は、墓石そのものに魂が宿っているというわけではないので、持ち歩くことはありませんけれど(当たり前ですが^^;)、この「先祖石」は石そのものを先祖の魂と見ているようです。これがどこかの地方の風習なのか、その番組では分かりませんでしたけれど、動かしてはならない石などがある一方で、誰かの身近にいなくてはならない石もあるようです。

さて、夕陽が落ちそうです。と言っても、足摺岬は夕陽スポットではないそうです。夕陽は海に沈むのではなく、山影に沈んでいきます。でも、行ってみたら素敵でしたよ。
足摺岬の灯台までの道はこんな椿のトンネルを潜って行きます。
足摺岬椿のトンネル
と歩き始めたら、周囲には猫さんたちが!
足摺岬猫1
駐車場の猫さんもまるで人を怖がる様子もありません。あ、猫によるみたいですけれど。
足摺岬猫2
写真を撮っていたら睨まれちゃいました^^; すみません、毛づくろい中にお邪魔いたしました。
足摺岬猫3
足摺岬の猫さんたち、何だか人相が悪い?
足摺岬猫4
こちらはちょっと若い猫さんでしょうか。みんな似ているのは、血縁関係があるのかしら?
そう言えばこの間、仙台の某島に猫だらけの島があって、O氏が取材に行っていたなぁ。今度3月にまた出張で仙台に行くから、ついでに寄ってこようかな。猫を始め、動物の写真ってほんと、難しいですよね。
足摺岬猫5
さて、猫さんたちと分かれて、足摺岬の椿のトンネルを潜って行きます。
椿の木に映える夕陽
ここにも夕陽。夕陽が枝に照りかえって綺麗です。
足摺岬灯台
歩いていると灯台が見えていました。
足摺岬のミニ唐人石2
灯台まで歩く間に、唐突に石たちが顔を出します。まるでミニ唐人石みたいです。灯台に近づくと、石が見えてきました。
大師の爪とぎ石1
大師の爪書き石です。この岩肌には大師が爪で「南無阿弥陀仏」と六字の名号を彫っています。といっても、あまりはっきりとした文字が見えるわけではないのですけれど。
大師の爪とぎ石2
この足摺岬には、大師所縁の石たちがいくつもあります。亀石、揺るぎ石、そしてこの爪書き石。四国中に大師の足跡があるので、この土地の道を歩いていると一緒に歩いてくださっているのだと実感できるんですね。『同行二人』。
灯台から見る夕陽2
四国の石紀行、まだまだ全てを見切っておりませんが、今回はひとまずこれにて。
お付き合いいただきありがとうございました。
皿鉢料理
そうそう、高知と言えば、やっぱり皿鉢料理? でも皿鉢料理はデリケートな料理ではないので、空腹状態で臨む必要がありそうです。それよりもやっぱりカツオとお刺身ですね。あ、日戻りガツオが絶品だそうですよ。
次回の石紀行は福島県の石。また旅行雑記は四万十川の沈下橋です。

Category: 石の紀行文(写真つき)

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[雨149] 第30章 巷に雨の降る如くに(7)漂流する箱舟 

以前にも書きましたが、この物語の表題は村上春樹さんの『国境の南、太陽の西』の中に出てきた一文(というよりも単語)にあった「海に降る雨」から来ています。「降る」が「落ちる」になったのは、そのほうが切なくていいという友人のアドバイスによるものでした。
そのタイトルのイメージが、今回の竹流の独白の中に潜んでいると思います。
あ、私はハルキストではなく、作品もごく一部しか拝読しておりませんで……すみません。

今回のミニタイトル、「方舟」か「箱舟」か迷ったけれど、「方舟」にはいっぱい動物たちも乗れるくらいの大きな舟のイメージがあったので、みみっちい感じがいいなぁと「箱舟」にしました。
なお、一部に18歳未満の人には不適切な表現が含まれていますが、直接のシーン描写ではないので、そのままにしました。お気をつけて、お入りください。不快でしたらごめんなさい。

【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント
【海に落ちる雨】登場人物
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Category: ☂海に落ちる雨 第4節

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【雑記・小説】VIVA 青春~青春ド直球には勝てない~ 

滅多に連続ドラマを見ることはないのですけれど(すぐ忘れちゃう……いや、録画したらいいのは分かっているけれど、録画して観るほどでもないし、ってので)、先シーズンは嵌りました。
ドラマの王道はやっぱり恋愛もの? そして刑事ものなどのミステリー路線? そして外せないのが青春学園ドラマ。
古い辺りでは熱血教師が登場していたけれど、このごろは生徒目線がメインになっていて、一生懸命さがよりくっきりと浮かび上っているような気がします。

実は青春学園もの(部活絡み)って、嵌る傾向にあるらしいです。私が、ってのでもあるし、きっと多くのみなさんも。
思い起こせば、別にキャストの誰かのファンなので見るってことではなくて、何となく偶然1回観ちゃってそこから一生懸命見ちゃった、ってのがこの手のものに多いです。
今回の『表参道高校合唱部!』もそうですし、少し古いところでは『ウォーターボーイズ』(男子シンクロ)、ちょっと前にやっていた『タンブリング』(男子新体操)も、見ているうちにやみつきになっておりました。

えぇ、私の青春時代なんて、恐ろしく昔です。おばちゃんの若いころと言えば、何と言ってもかの殿堂入り青春学園ドラマ『金八先生シリーズ』……今でも中島みゆきさんの『世情』が流れた回は、私の中の殿堂シーンだけれど、あれもまさに「時代」だったですね。
『世情』と言えば……もちろん、さすがに私にとっては学生運動は「過去」でしたけれど、私たちにとっての兄貴分に当たる先生の世代はもろにその中を通ってきた人たちで、他人事って気がしませんでした。泥臭くて息苦しいほどに一生懸命の時代だった。
そうそう、私が初めて目にした学園ものは、千葉県知事の森田健作さん主演の『おれは男だ!』(剣道部)。あ、この頃はまだ学生じゃなかったのですけれど(さすがに……)、でも幼いながらに結構好きだったのですよ。いや、年齢は追及しないでください。
(失礼しました^^; 思わず過去を懐かしんでしまいました)

さて、今回の合唱部ドラマ。実は最初に見たのは2話目だったのですが、後で1話目を見て「かなり痛い」と思いました。
何しろ、一生懸命すぎて浮いている転校生が合唱の楽しさを教えたいと、昼休みに中庭で一人歌っていると、上から泥水が! なんてシーンもあって……主人公の頑張りが痛すぎる1話目……それを救ったのが、この曲とそれを歌うメンバーたちでしょうか。
表参道高校合唱部!Over Drive
ドラマは、 香川県から東京の高校へと転校してきた合唱大好き主人公が、ある目的を持って廃部寸前の合唱部を立て直そうと奮闘する物語。でも、学校にはカースト制並みの序列があって、合唱部のメンバーは最下位。生徒たちも、顧問の先生もあれこれ問題を抱えまくっているし、上位カースト(1軍)の生徒にもあれこれ問題ありまくり。でも、歌の力で想いを通わせ、最後には、離婚寸前だった両親と、廃校になるところだった学校まで救ってしまうという、もう見ていると恥ずかしいぐらいのど直球物語。

この『Over Drive』はJudy and Mary(2001年に解散)の1995年のナンバー。ドラマ中では、始めは合唱部に恥をかかせようとしていた1軍の1人だった女の子が、主旋律を任されていたのに本番前に(わざと、というのかな)いなくなっちゃう。合唱部の他のメンバーが主旋律のないまま歌始めた微妙な曲の途中で、歌に誘われるようにその女の子が1軍メンバーの中から抜け出して、合唱に加わっていく過程がちょっと感動的で。
役者さんの女の子が、歌の途中で泣いているんですよ。多分、思わず泣いちゃったんだろうな。
他にドラマ中に使われている曲は、坂本九さんが歌うことが叶わなかった『心の瞳』やThe Blue Heartsの『TRAIN-TRAIN』などちょっと古い名曲が満載で、1曲1曲に登場人物たちのドラマが織り込まれていて、歌の力を前面に押し出す作りになっていました。

ヒール役の女の子たちも、途中で味方になっていったり、最後に棚からぼた餅的に学校まで救うことになっちゃったりで、ちょっと痒いくらいなんだけれど、それさえも爽快でお見事。大人たちが会議室で「廃校、仕方がないよね」なんて話し合っている脇で、ある学校内での活動をネット動画に流しちゃっただけで、学校を存続させちゃうヒール役の女の子の下りでは、思わず膝を打っちゃいましたよ。
(いや、でも。実は天邪鬼のおばちゃんが、ヒールはヒールでもっと悪魔っぽく踏ん張って欲しいと思っていた、なんてのは内緒です。)

うん。青春ドラマはこうでなくちゃね。
実は先日、福島いわき市のフラガール甲子園のドキュメンタリーをやっていて、恥ずかしながら途中からはずっとうるうるしながら見ておりました。始めは何もできなくて、自信を無くして、逃げ出しそうにもなりながら、先輩や仲間に支えられて、数か月もしないうちに見事なダンスを披露するようになる彼らの真摯な姿。そのダンスはきっと荒削りで、プロの目からはまだまだなんでしょうけれど、踊っている姿はキラキラで、見ているものの涙を誘います。感動って「上手い」ってだけでは引き出せないんですよね。

打ち込めるものがあることは素晴らしい。見返りがあるかどうかは分からないけれど、一生懸命何かに向かっていく。そこに仲間がいて、時には反駁する相手もいて、でもそれを巻き込みながら何かを乗り越えていく。青春が乗り越えていくものは「敵」じゃないんだなぁ、青春の答えはひとつじゃないんだなぁと感じます。
高校野球の取材に来た、ある外国人の記者が質問したそうな。
「日本人は何故こんなに高校野球に夢中になるんだ? 決勝だけじゃなくて全ての試合が放送されるのが不思議だ」
日本人記者の答え。
「それは、勝つことだけが答えじゃないからだ。甲子園は負けることを学ぶ場所でもある」

あるいはもしかすると、そんなふうに私には打ち込めるものなんてないわ、何がやりたいかも分からないし、一緒にみんなで何かやるなんて苦手って人もいるかもしれない。みんなで頑張るだけが青春じゃないからね、悩んだり探したりする過程自体が、とっくにそこを通り過ぎた私の世代からは、素敵な場所に思えます。
青春っていいなぁ、と遠い昔を想うおばちゃんなのでした。いや、日野原重明先生によると「70歳はまだジュニア」らしいですから、うちらもまだ生まれてもいないのかも? 

ドラマに出てくる言葉。「地球には何億もの人間がいて、其々声を持つ。それでハーモニーを奏でたら世界は平和になる」なんて、恥ずかしいけれど、言ってみたいね。
何しろ、どんな物語を作っても、あの舞台で懸命に笑顔で踊っていた高校生フラガールの1分間のドラマに勝てないなぁ、『Over Drive』を歌いながら泣いていた役者さんの涙に勝てないなぁ、って、そんなことを思うのでした。
というわけで……

嵐の中 闘う友よ いざ行け 
握りしめた手の中には 君の言葉 
雨に打たれ風に吹かれ僕らは向かう 
VIVA 青春 胸を張れ いつでも変えられるさ
イチニのサンで さぁ前を向け 常識なんて吹き飛ばせ
(嵐『GUTS!』 作詞:eltvo, s-Tnk)

*参考:【表参道高校合唱部】あらすじ

Category: 小説・バトン

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[雨148] 第30章 巷に雨の降る如くに(6)泡になる 

 魚の焼き加減を相談……
「オレはもうちょっと生のほうが好みだけどなぁ」
「君はそうだろうけど、ニンゲンにはちょっときついよ。もうちょっと焼いといてもいいかな」
「うん、まぁ、今日んとこはお前も腹具合、わるそうだしさ、そこはゆずるよ」
ってな会話を交わしていたんでしょうか、魚の焼き加減を相談するトニーと真。
(今回の本文冒頭をご参照ください)

……これは、『海に落ちる雨』を友人に読んでもらったときに卓上製本器とじ太くんでA5版の本を作った時、中表紙に使った一文。
竹流から見ると、彼らはこんな会話を交わしているように見えた、のかな(^^)?

というわけで(?)、【海に落ちる雨】第4節・最終章(第30章)『巷に雨の降る如くに』 その(6)です。この物語はアンデルセンの『人魚姫』をベースにしていると、以前どこかに書かせていただきましたが、その片鱗が見えるかも? こちらでは「王子」も「人魚姫」もダメダメだけど。

感情の流れを切りたくないなぁと少し迷ったけれど、あまりにも長いのでやっぱりあと3回に切ることにしました(実は適切な切り処が無くて、無理矢理切った)。その代り、5日おき更新の予定でしたが、他の小説をちょっと後にして、4日おきにさっさと終わらせることにしました。このままだと、いつまでも竹流の独白に振り回されるし^_^; いつ第5節に入るのやら、そしていつ、この話が終わるのやら。
したがって、第4節は今回を入れてあと3回。
本当にこんな怒涛の独白ですみません……えぇ、もう笑ってやってください(開き直っている大海^^;)。

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【石紀行】32.高知足摺岬・唐人石巨石群(2)~古代の祈りと再生の場~ 

蚊取線香は必須
この季節、山の中に入るときに必須のもの、と言えば、何を置いてもこれ。そう、蚊取り線香です。
10月以降はそうでもありませんが、9月くらいまでは蜂の活動も活発で、あまり黒い服を着ていかない方が良かったり、また頭には白い帽子を被っている方がいいわけです。そして、何よりも蚊です。とにかく「エサ!」とばかりに寄ってきます。
そこで大活躍なのが蚊取り線香。母は毎日畑仕事をしているし、私も庭仕事の時には、この蚊取り線香をぶら下げているのですが、石紀行の際にも持って行くわけです。これが消えたら大変。どわ~っと蚊が寄ってきます^^;
虫除けスプレーなどもありますが、やはり蚊取り線香に勝るものはありません。
ボクジョウ
唐人駄馬遺跡の近くにはこんな素敵な牧場がありました。あれ? 牧場? 実は最初に通りかかった時には、ここに牛やポニーがいっぱいいたのです。でも写真を撮ろうと戻ったら……もうおうちに帰っていました。岩が沢山顔を出していますね。素敵な場所です。唐人岩の近くにも休憩中のポニーたちが。
ポニー発見
この有刺鉄線からこっちが唐人岩巨石群の遊歩道です。呼びかけたけれど、無視されちゃいました……
名前はないけれど岩はごろごろ
ポニーたちの近くにも、名もなき巨石が山のようにゴロゴロ。というよりも、これは地上に顔を出している一部ですから、地中にはからに大きな部分が潜っているわけですね。ここはやはり、木を払ったら、もっとすごい岩山なのです。
さて、余談は置いて、さらに唐人石巨石群を登って行きます。千畳敷岩を降りて、分岐点の看板まで戻り、丁度裏から唐人岩を見る方向へ上がって行きます。
更に登る
岩の隙間を歩いていきましょう。
石が顔を出している道
写真で見ると、あんなとこに登れるの? と思っていましたが、いつもと変わらない巨石紀行の風景です。岩登りというよりも山登り。
石たちの間を更に登っていく
もちろん、名前もない岩たちですが、多くの岩がこうして角が取れて丸くなっている中に、ちょっと特異な岩がありました。丁度唐人石巨石群の一番裏手になるあたり、です。
ストーンスクレイパー
ストーン・スクレイパー(鬼の包丁岩)です。加工の後はないということなので、自然のままの形のようです。それにしても見事な尖り方ですね。あ、何かの間違いで人の手が(母、大きさ比べ係、今回は手のみ!)……心霊写真ではありません^^;
ストーンスクレイパー2
少し斜めから見ると、かなり大きな石であることが分かります。
さて、「亀の背」という看板が現れました。少し平たい石があるので、それのことかもしれないと思ったのですが、あまりカメっぽくない。実は後から表から見て納得するわけですが、どうやらこの岩のこと、のようです。
子亀を背中から見る
いや、ここから見ても亀には見えないのですが、そして前から見ても、カメというよりは……
再生のエリア
もったいぶっても仕方がないので表に回ってみます。ん? 左右に大きめの石、真中に小さめの石の3つの石のセットです。小さめの石、木の陰に隠れて形が見にくいですね。まずはこの小さめの石をご覧ください。
子亀
「亀石」と書かれています。確かに、先にご案内した「亀石」すなわち「亀頭石」に比べると、亀と言われたら亀かもしれませんが……私にはでんでん虫に見えます……
つまり、この3つの石の組み合わせは、真中に子どもを挟んで、お父さん(向かって右)とお母さん(左)なのですって。
左の大きな斜状立石はお父さん石です。
お父さん
と思って写真を載せてみたら、何だかお父さん、あまり大きくなくて、ちょっと面目がありません。斜面に立っている石なので、見る位置によってずいぶん印象が変わるのです。上の3つの石がセットの写真では、やはりお父さんはがっしりと構えているように見えます。しかしそれにも増して迫力があるのはお母さんでは?
お母さん
こちらの方が立石で屹立して見えるのですけれど、一見して2つの岩の組み合わせ、というよりは割れ目があることが分かります。巨石セオリーとしては、この「割れ目」が陰石である母石のイメージなのでしょう。
お母さんと子亀
こうして子亀と並べてみると、いかにも母から生まれ出た、というイメージを醸し出しているのかもしれません。説明の看板には、子宝や子どもの健やかな成長を祈った場所(再生のエリア)で、この巨石群最大のパワースポットとされている、と書かれています。
どの時代からそういうイメージが付随したものかは分かりません。きちんとした歴史・考古学の世界に巨石文明もしくは巨石文化が取り入れられないのは「物証」がないからですが、やはりここはイメージを逞しくするしかないようです。
いずれにしても、この「でんでん虫」はなかなかユニークな姿をしています。
でも、私がこの巨石群の石たちの中で「パワーを感じる」と思った石は、こちらです。
(あ、亀頭石もね、すごいパワーがあると思いますが……)
祭壇石1
象かマンモスが伏しているように見えたのです。それに石に入り込んだ少し異質なマグマの成分の痕が力を感じさせます。と思ったら、この前に双子のように仲良く並ぶ石がありました。
祭壇石3
ここだけでまるで神殿のようですね。この前に並ぶ2つの石は、まるで門のようです。ここには「祭壇石」と説明がありました。石の性質からも他のところから運ばれて並べられたのでは、ということのようですが。でも、命名通り、ちょっと手を合わせたくなる石の組み合わせです。この石たちの左手にも印象的な立石があります。
線入りの石
以前、奈良・山添村にある見事な十字の線が入った岩をご紹介しましたが、こちらにもやはり線が入っています。花崗岩にこのような線が入るのは珍しいことではないようですね。何か意味を求めてしまいますが、自然の造形なのでしょう。
それでもシンボリックであることには違いがありません。
唐人石から駄馬を見る
このあたりは前回ご紹介した千畳敷岩の後方・上方あたるので、千畳敷岩に登っている人の姿、その向こうの太平洋が見えています。
唐人石の小さな石たち
巨石ではなく、このような小さな石たちもまた支え合うように立っていて、この巨石群を作り上げています。
石の集まる場所
巨石群の上の方に、道なき道を上がってみました。相当大きな石から、ストーンサークルというよりもスローンロードと思われるような石の並びに見える場所もあり、またこのように石が集まっている場所もありました。ここは何だか石たちが生まれ出ずる場所みたいに光が注いでいました。もちろん、名もなき場所ですけれど。
磐と木
また、こうして石と木が寄り添っている場所もあります。というよりも、木が石を避けて、まるで石と同化するように生えてきているのですね。以前、コメントを下さった方のどなたかが、写真で見ると石と木は一体化して見えますね、と書いてくださっていましたが、まさにそんな感じです。
うしろから見た唐人石
実際に目で見るともう少し石と木は異質なもの同士、色も質感も違っているのですけれど、私の写真の腕も悪いので、こうして出来上がった写真は時々混じり合って分かりにくくなっているのです。でも、もしかすると、その本質は深いところで繋がっているのかもしれませんね。
別方向から千畳敷岩を見上げる
降りていくと、千畳敷岩を別方向から見上げることになりました。何だかここから見ると仏教の寺院(仏塔)みたいです。
石手寺の仏塔
似てない? 石手寺(四国八十八箇所霊場第51番札所・愛媛県)の仏塔でした。
東のサークル
最後に遊歩道へ降りていくと、東のサークルがありました。南のサークル同様に、まるでサークルには見えないのですけれど、石が沢山集まっています。
この唐人石巨石群の全体像、それにこの近隣の山の中にも多くの特別な石があり、まだまだ神秘なるものが隠されているように思えます。でも、こうして顔を出している部分だけを見ても、素晴らしい場所であることは間違いがありません。

日本は小さな島国でありながら(いや、島国だから)、4つの海流に囲まれています。黒潮、対馬海流、千島海流、リマン海流。足摺岬はその中でも最も大きな海流・黒潮の流れが吸い寄せられるように海岸線に近づいてくる場所。こうした潮の流れに乗って多くの漂流物が海岸に打ち上げられます。時にはそれが船であったり人であったりしたかもしれません。古代の交易範囲は現代人の想像よりもはるかに広かったと考えられています。そもそも陸路の方がよほど移動困難だったのですから。

今は大都市から離れた辺鄙な場所と思われるここも、古代には大きな集落だったようです。縄文時代の石器・土器片・矢じりなども多く出土しているそうです。そこに住んでいた人々は、この場所で海を舞台に大活躍していたかもしれませんね。魚を獲り、大陸と交流し、また駄馬を拓いて農耕を行い、この巨石群の中に特別な祈りの場所を持っていたのかもしれません。

今は島国で、国境という見えない境界に囲まれていますが、古代にはそれはありません。いま日本人と呼ばれている民族のルーツも大陸や南の島々との関係なしに考えることもできないし、逆に地続きであるはずの現在の東北・北海道地方には大和朝廷とは異なる大きな文化圏(もしくは王朝)があったともされます。
一体、古代はどんな場所だったのだろう、やはり浪漫は尽きません。

さて、次回は足摺岬の思わぬ石スポット? にご案内いたします。
金剛福寺の岩1
道を歩いていると、唐突に不思議なものが目に入ります……ここは38番札所、金剛福寺です。

Category: 石の紀行文(写真つき)

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[雨147] 第30章 巷に雨の降る如くに(5)愛しさと罪の原点~18禁~ 

【海に落ちる雨】第4節・最終章(第30章)『巷に雨の降る如くに』 その(5)です。今回は18禁とさせていただきます。とは言え、甘々ラブラブなラブシーンは期待しないでくださいませ(あ、期待してませんね)。
今回から4回(もしかしたら切り処の都合で3回になるかもしれません)、竹流の怒涛の独白になりますが、ベースのエピソードの半分は既に始章の『邂逅~アレルヤ‐予言~』で登場しており、また真の方からは第2節の『若葉のころ』などの回想シーンで何度か出てきているエピソードです。それを竹流の側から見るとこんなことに……
何はともあれ、引かずに読んでいただけると嬉しく思います(^^) 何しろ、竹流は大まじめですが、冷静になって考えてみると、なんだか必死に言い訳しているみたいで、ちょっぴりおかしいのです……恋は盲目? ま、そうとも言います。
*参考→ラス=カサス

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【雑記・小説】視点と人称~物書きブログテーマ(1)~ 

少し出遅れちゃったけれど、小説ブログ「DOOR」のlimeさんが打ち上げられた「物書きブログテーマ」に参加してみようと思います。

limeさんが掲げられた最初のテーマは「視点・人称」。
ブログのお友だちが其々皆さんの方法論を記事にアップされていたので、コメントを残したものの……はて、私って1つの記事が書けるほどの内容がないわ、と気が付きました。
だって、私の場合はもう基本的に決まっていて……「三人称のふりをした一人称もどき」で書く形式なんです。何故って、単に書きやすいから。自分が一番親しみやすい形式で書かないと、途中からおかしなことになったりしてしまうのです。

でもこれだけでは身も蓋もないので、ちょっと掘り下げてみます。
実際には、もともと「視点」とか「人称」とか考えずに書いていた頃があったのですが、諸事情で(あ、決して作家になろうなんて思ったわけではありません)ほんの少しの間「文章教室」なるものに参加してみたことがあり、初めて自分の書いていた「小説もどき」が体を成していないことを知りました。

いわゆる「神様視点崩れ」だったわけです。多分、テレビドラマや漫画・アニメなどの影響かもしれません。絵やドラマでは、台詞が無くても表情などから各登場人物の感情が読み取れるようになっていますよね。自然に「多視点の交差型」になっているのです。で、これをそのまま小説で書くと、本来なら「神様視点」という形になるわけですが……

本来、神様視点って難しいんだと思います。視点があっちこっちに飛んでいると、実は読むほうは振り回されてしまって、誰にも感情移入できない間に終わってしまった、ってことになりかねません。
小説では表情が見えないので、読者に「読み取ってもらう」ことが必要なんですよね。文章教室で言われて記憶に残っている「教え」は「読者は親切ではない。読者に労力を科すと、読んでもらえない」というものでした。始めから「ブンガクに向かい合うという気合を持って机の前に坐して小説を読む」なんて人は昨今滅多にいないでしょう。だから何よりも「苦労を掛けずに読んでいただける」ことが大事なのだと。

そういう意味では、一番書きやすくて感情移入してもらいやすいのは一人称、でしょうけれど……
これは好き嫌いがありますよね。一人称小説って、読み始めて1ページ目で「あ、この『私(あたし、俺、僕)』、あんまり好きじゃないわ」と思った途端に読むのをやめちゃうことがあります。内容はもしかしたらすごくいいのかもしれませんが、何となく語り口が嫌いとか、必要以上に多い心の声が面倒くさかったり……

実は私、オフ会話とかのお遊びはともかくとして、真面目に(?)書いた一人称小説がひとつだけあります。
あ、【名探偵マコトの事件簿】も大真面目の一人称かもしれませんが、あれはまぁ……ネコなので……ちょっと置いといて。
【学園七不思議シリーズ】図書館の手紙です。「ねらい」というほどの高尚なものはありませんが、これは単に享志視点で「彼=真」を描写するというのをやってみたかったからなのです。それに、真視点だと、彼は「ホームズ役」なのでネタバレしちゃいますから、「ワトソン君」=享志に語ってもらったというだけ。あ、ネタってほど大したものはありませんでしたけれど。
だからこれは「一人称のふりをした」だけかもしれません。それに、享志だったら、まぁ読んでくださる方に嫌われないか、とタカをくくって(ウザくない程度の天然ボケですから)……

でも書いてみて分かったことがあります。一人称だと、余計な描写や説明をしなくて済む点は楽だということ。心象風景とか、あまりくどく書かなくてもいいんだなぁ、とか、本人が知らないことは知らないまま通せるし、なんて、ちょっと味を占めたことは内緒です。

それはともかく、結局一番「自分が書きやすく」、「読んでくださる方を混乱させない」パターンとして、「三人称をよそおった一人称っぽい書き方」に落ち着いたわけです。これだと、物語が多次元で進む場合には、視点が変わっても違和感がありません。視点が一次元であっても、それはそれで問題は無い。自分も惑わない。

例えば【清明の雪】は三人称で書いていますが、視点は一次元です。視点は真に固定してあって、竹流の視点は出てきません。
でも、このお話、実は最初に書いた時はもっと長くて、竹流視点のシーンがずいぶんと入っていたのです。それを全部切ったら、3分の2くらいの長さになって、すっきりしました。でも、そのあと少し描写を足したら元の長さに戻ったんですけれど^^;

ただし、多次元で進むお話の時も、シーンの中では視点は変えないようにします。
いえ、今はこんなふうにカッコよく言ってみていますが、もともとひとつのシーンの中でも視点が定まらないまま書いていて、本当に読みにくかったのです。この「神様視点」で書いても読みにくくないお話を書ける人もおられますが、これはきっとセンスなんだろうなぁと思います。私の場合はダメダメでした。う~ん、物書きとしてはあんまりセンスはないことは自覚していますので……

【海に落ちる雨】は多次元構造ですが、真と美和が一緒にいても、美和の視点からのシーンと、真の視点からのシーンを混在させないようにしています。竹流が怒涛のように語っても、それと真視点のシーンが混在することはありません(多分)。

「三人称のふりをした一人称もどき」なので、(八少女夕さんが書かれていたように)「真は」という文章の中に「俺は」という文章がさらりと混じることはしょっちゅうです。これは違和感がなく、感情ダダ漏れになってウザく思われない範囲でやっています(つもりです)。
一方で、気が付かれている方もあるかもしれませんが、竹流のシーンは「俺は」ではなく「彼は」と突き放した書き方をしています(まれに「俺」がでてくるかもしれませんが、それは文章の流れを重視する場合です)。真視点のシーンなら「彼は」はやりません。真の感情は丸裸になってもいいや、と思っているからです。というのか、この人、「実は結構わかりにくい人」なので、少々ダダ漏れにしないと「ヘンな子」に拍車をかけちゃうんです……
【海に落ちる雨】は次回から竹流の怒涛の独白になりますが、真視点のシーンに比べると三人称感が強いと思います。彼はやはり「下々の人」ではありませんので、例えDV男になっちゃっても、たとえひどい扱いを受けてボロボロになっていても、「神々しさ」を保っていて欲しいという作者の気持ちが籠もっているのかもしれません。

……あ、ちょっと気を付けていることがあります。
それは「私はこれはAの視点から書いている」と思って描写しても、「Aにはそれを感じることはできない・見えない」ってことに気がついていなかったり、あるいは「A視点とは言えない文章が混じる」ことがあるんですよね。これは単に言葉遣いの問題でもあるのですけれど、実はそれが一番難しいと思ったりします。

Category: 小説・バトン

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