2016年3月のつぶやきコーナー
<Twitter代わりのつぶやきとお知らせのコーナー>
[雨169] 第36章 I LOVE YOU(3)恋とはそういうもの 
[雨170] 第36章 I LOVE YOU(4)きっとそれも愛 ~18禁~ 
【雑記・花】梅は百花の魁~須磨浦山上遊園の梅林~ 
通常の記事は、もうひとつ下から始まります
2016/3/31
ほとんど何もできないまま3月がすぎて行きました(;_:) この数日、夕方になると足に力が入らなくなって震えだすので、なんかおかしな病気?と心配しているのですけれど、10時間程度寝たら、しんどいながら仕事に行けちゃったりするので、何の解決もないまま時間が経っていて。昨日はものすごい悪寒でどうしようかと思ったけれど、悪寒が収まっても熱が出ている気配はなくて……う~む。何の病気かしら。ただの慢性疲労症候群?
肺炎っぽいのはまだ変な咳が続いているけれど……最近、病院が臓器別になっていてどこ行ったらいいのかすごく分かりにくいし、何より行く時間がない……
そうこうしているうちに3月最終日。年度末、長期休み、などなどで、今仕事も修羅場(;_:)
皆さまも、お身体お気をつけて……
古いつぶやきは、続きを読むにあります。












ほとんど何もできないまま3月がすぎて行きました(;_:) この数日、夕方になると足に力が入らなくなって震えだすので、なんかおかしな病気?と心配しているのですけれど、10時間程度寝たら、しんどいながら仕事に行けちゃったりするので、何の解決もないまま時間が経っていて。昨日はものすごい悪寒でどうしようかと思ったけれど、悪寒が収まっても熱が出ている気配はなくて……う~む。何の病気かしら。ただの慢性疲労症候群?
肺炎っぽいのはまだ変な咳が続いているけれど……最近、病院が臓器別になっていてどこ行ったらいいのかすごく分かりにくいし、何より行く時間がない……
そうこうしているうちに3月最終日。年度末、長期休み、などなどで、今仕事も修羅場(;_:)
皆さまも、お身体お気をつけて……

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2016/3/27
昨日は久しぶりに三味線のお稽古。今、河内音頭と闘っていて、これがまたどうしても覚えられない……(>_<) 体力と一緒に記憶力も減退?
お稽古中は大丈夫だったんだけれど、帰りの車の中で咳が止まらなくなって大変でした。まだまだ怪しい…・・やっぱり気管支炎だったのかなぁ。今日は京都でお世話になった先生のお祝いごとに参ります。着物を着なくちゃ。
2016/3/23
ほんとにご無沙汰していてすみません。咳と微熱と頭痛が取れず、まだ怪しいのです(>_<) しかもちょっと動いただけで息切れがするので、物事に妙に時間がかかっています。人に迷惑がかからない範囲で働いていますが、先送りしていた仕事が溜まっていて、いつ追いつくのやら……そんなこんなで、ほんと、不義理ですみません(;_:)
うぅ……ふらふらするよ~
2016/3/19
1週間、大変でした。先週の日曜日から怪しかったのですが、月曜日~水曜日、身体を縦にしておくこともしんどいくらいながら目一杯お仕事で喋り続け、水曜日の午後から福島に移動。ご飯食べても味が全然わからなくて、せっかくの美味しいご飯が……(>_<)
ここ2日は咳が止まらなくなることがあって、でも何とか大事な仕事は昨日終えました。
今日やっと、ちょっとご飯を食べる気持ちになってきたところ。……体の熱っぽさも取れて、ようやくまともにお仕事に行けそうです。今日は夜に会議があるので、それまではお土産買いに行ったりしてゆっくりします(*^_^*) みなさまんちにもコメ残しに行きますね。
2016/3/16
インフルエンザ? 撃沈しています……あまりのしんどさに画面を見ていられなくて、コメ返とご訪問が滞っていてすみません(>_<) 先日、緊急事態で一晩職場に詰めていたら、そこがあまりにも寒かったからかしら? 寝てないし。でも、お仕事、休めないし(;_:)
今日から、お仕事込みで仙台なのら。大丈夫かなぁ? 昨日はご飯中から吐きそうで…・・ふぅ。頭とのどが痛い……ロキソニン漬けになってます。
2016/3/12
姫路出張から帰って来て、ちょっと緊急事態に巻き込まれていたら、3月11日が過ぎて行った……
ちょうど5年前のあの日も、私は姫路出張の日で、姫路からの帰りの車の中で緊急速報を聞いたのでした。ラジオは大阪にある放送局からだったのに「揺れている」と……日本の島を揺らすほどの大きな自然の力だったのですよね。
昨日(もう一昨日だ)、テレビを見ていたら、津波ではぐれた奥さんを遺体安置所で見つけたある人が、その後もずっと遺体安置所に通って家族を探す人の手伝いをし続けていたという話をしていました。首がなかったり、腕一本、という御遺体もあって、それでもわずかな手掛かりで家族を探さなければならなかった人たちの想いは、あの時報道では伝えてもらえなかったのだとその人は語ります。でも、その人の活動をずっとご覧になりご存じだった人がおられた。天皇陛下です。
また、今日は、東北のある大学院の研究室の方が、災害現場の心霊現象について調べて論文にまとめられたという話をやっていました。そこでも取り上げられていましたが、実は明治の津波の際に亡くなった妻の霊に会ったという話が、『遠野物語』に載っているのですよね。東北は生者と死者がとても近い場所。あの世とこの世は切り離されていません。そこにその人がやはりいるということ、それは不思議でもなんでもなくて、ごく自然なことなのかもしれません。
福島のある農家では、いつかこんな日が来ると原発に反対していたお父さんが、福島の農業はもうだめだと自殺された。5年というのは、復興でも何でもない、ただ時が流れただけ、あるのは怒りだけだと話していた息子さんの横顔に、言葉がありません。
去年の秋、訪れた福島の景色はやっぱり美しかった。でも、石紀行では書けなかったけれど、山の中に入っていくと、その一方で残酷な現実も見聴きしました。
死者15894名、行方不明2561名、そして震災関連死3407名、そのうち1979名が福島県。これが数だけになって風化してしまうことがないように……
来週、また福島と宮城に参ります。

2016/3/6
またあっという間に3月。昨日は無理しちゃて、朝から神戸須磨浦山上遊園の梅林を見に行って(登山トレーニングついでに)、お昼はちょっとお仕事に行って、夜は京都まで、大学時代の同級生たちの女子会。学年の女子は20人ほどだったので、今でもみんなで集まるのだけれど、今回はその中の1人が結婚したと……仕事を辞めて1年間、旅をするのだそう。そんな生き方もいいなぁ~。このところ睡眠不足で回っていない頭で、ちょっとしみじみ思っちゃいました。
ところで、もう、神戸から京都まで、在来線では行けないわ……新幹線は私の友です。テーマソングはやっぱり、TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』(ちょっと素敵な作品を発見したので、追記に……)。
今日は、【海に落ちる雨】と花の記事(梅)をアップしちゃった。だって、花は旬のものだから。この写真、放っておいたら桜が咲いちゃう……【雨】もラストスパート。何とかここまで来た……
2016/3/6@つづき
これを聴いていると元気が出てくるなぁ~。長瀬くんと山口くん、2人で歌ってるのがいいのです(結構長い間、私の携帯の呼出音だった。今はほとんどマナーになっているので、ただの電話の音)。そして、ついでに、これをBGMに電車が走っている映像を見ていると、てっちゃんの気持ちも分かるような気がする(^^)




昨日は久しぶりに三味線のお稽古。今、河内音頭と闘っていて、これがまたどうしても覚えられない……(>_<) 体力と一緒に記憶力も減退?
お稽古中は大丈夫だったんだけれど、帰りの車の中で咳が止まらなくなって大変でした。まだまだ怪しい…・・やっぱり気管支炎だったのかなぁ。今日は京都でお世話になった先生のお祝いごとに参ります。着物を着なくちゃ。

ほんとにご無沙汰していてすみません。咳と微熱と頭痛が取れず、まだ怪しいのです(>_<) しかもちょっと動いただけで息切れがするので、物事に妙に時間がかかっています。人に迷惑がかからない範囲で働いていますが、先送りしていた仕事が溜まっていて、いつ追いつくのやら……そんなこんなで、ほんと、不義理ですみません(;_:)
うぅ……ふらふらするよ~

1週間、大変でした。先週の日曜日から怪しかったのですが、月曜日~水曜日、身体を縦にしておくこともしんどいくらいながら目一杯お仕事で喋り続け、水曜日の午後から福島に移動。ご飯食べても味が全然わからなくて、せっかくの美味しいご飯が……(>_<)
ここ2日は咳が止まらなくなることがあって、でも何とか大事な仕事は昨日終えました。
今日やっと、ちょっとご飯を食べる気持ちになってきたところ。……体の熱っぽさも取れて、ようやくまともにお仕事に行けそうです。今日は夜に会議があるので、それまではお土産買いに行ったりしてゆっくりします(*^_^*) みなさまんちにもコメ残しに行きますね。

インフルエンザ? 撃沈しています……あまりのしんどさに画面を見ていられなくて、コメ返とご訪問が滞っていてすみません(>_<) 先日、緊急事態で一晩職場に詰めていたら、そこがあまりにも寒かったからかしら? 寝てないし。でも、お仕事、休めないし(;_:)
今日から、お仕事込みで仙台なのら。大丈夫かなぁ? 昨日はご飯中から吐きそうで…・・ふぅ。頭とのどが痛い……ロキソニン漬けになってます。

姫路出張から帰って来て、ちょっと緊急事態に巻き込まれていたら、3月11日が過ぎて行った……
ちょうど5年前のあの日も、私は姫路出張の日で、姫路からの帰りの車の中で緊急速報を聞いたのでした。ラジオは大阪にある放送局からだったのに「揺れている」と……日本の島を揺らすほどの大きな自然の力だったのですよね。
昨日(もう一昨日だ)、テレビを見ていたら、津波ではぐれた奥さんを遺体安置所で見つけたある人が、その後もずっと遺体安置所に通って家族を探す人の手伝いをし続けていたという話をしていました。首がなかったり、腕一本、という御遺体もあって、それでもわずかな手掛かりで家族を探さなければならなかった人たちの想いは、あの時報道では伝えてもらえなかったのだとその人は語ります。でも、その人の活動をずっとご覧になりご存じだった人がおられた。天皇陛下です。
また、今日は、東北のある大学院の研究室の方が、災害現場の心霊現象について調べて論文にまとめられたという話をやっていました。そこでも取り上げられていましたが、実は明治の津波の際に亡くなった妻の霊に会ったという話が、『遠野物語』に載っているのですよね。東北は生者と死者がとても近い場所。あの世とこの世は切り離されていません。そこにその人がやはりいるということ、それは不思議でもなんでもなくて、ごく自然なことなのかもしれません。
福島のある農家では、いつかこんな日が来ると原発に反対していたお父さんが、福島の農業はもうだめだと自殺された。5年というのは、復興でも何でもない、ただ時が流れただけ、あるのは怒りだけだと話していた息子さんの横顔に、言葉がありません。
去年の秋、訪れた福島の景色はやっぱり美しかった。でも、石紀行では書けなかったけれど、山の中に入っていくと、その一方で残酷な現実も見聴きしました。
死者15894名、行方不明2561名、そして震災関連死3407名、そのうち1979名が福島県。これが数だけになって風化してしまうことがないように……
来週、また福島と宮城に参ります。


またあっという間に3月。昨日は無理しちゃて、朝から神戸須磨浦山上遊園の梅林を見に行って(登山トレーニングついでに)、お昼はちょっとお仕事に行って、夜は京都まで、大学時代の同級生たちの女子会。学年の女子は20人ほどだったので、今でもみんなで集まるのだけれど、今回はその中の1人が結婚したと……仕事を辞めて1年間、旅をするのだそう。そんな生き方もいいなぁ~。このところ睡眠不足で回っていない頭で、ちょっとしみじみ思っちゃいました。
ところで、もう、神戸から京都まで、在来線では行けないわ……新幹線は私の友です。テーマソングはやっぱり、TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』(ちょっと素敵な作品を発見したので、追記に……)。
今日は、【海に落ちる雨】と花の記事(梅)をアップしちゃった。だって、花は旬のものだから。この写真、放っておいたら桜が咲いちゃう……【雨】もラストスパート。何とかここまで来た……

これを聴いていると元気が出てくるなぁ~。長瀬くんと山口くん、2人で歌ってるのがいいのです(結構長い間、私の携帯の呼出音だった。今はほとんどマナーになっているので、ただの電話の音)。そして、ついでに、これをBGMに電車が走っている映像を見ていると、てっちゃんの気持ちも分かるような気がする(^^)
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Category: つぶやき
[雨171] 第37章 絵には真実が隠されている(1)小さくともかけがえのない一歩
【海に落ちる雨】第37章その(1)です。真が以前勤めていた唐沢調査事務所の先輩探偵・三上のところを訪ねる真。彼は事務所の爆発事故で下半身不随になっています。真はその事故については自分も後ろめたい気持ちを持っていて、三上の不自由に対して直視することができないでいました。でも、当の三上も妻の裕子も、そんなことは意にも介していないみたいです。本人は知らないところで、こんなふうに想ってくれている人たちがいる。本当に、今まで真はちゃんと周囲を見ていなかったのかも。
そして添島刑事から語られる澤田の事情と、潔い葉っぱかけの言葉……言葉は悪いけれど「ケツを叩かれた」?
お楽しみいただければ幸いです(^^)
登場人物などはこちらをご参照ください。
【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント 
【海に落ちる雨】登場人物
そして添島刑事から語られる澤田の事情と、潔い葉っぱかけの言葉……言葉は悪いけれど「ケツを叩かれた」?
お楽しみいただければ幸いです(^^)





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「真くん、よかった。三上がどんなに心配していたか」
三上司朗の妻、裕子は腹の底から搾り出すような声で言った。
昨夜、女と話している時に、不意に三上のことを思い出した。毎日のように電話をしていたのに、急に途切れてしまって、三上はきっと心配しているだろうと思ったのだ。
裕子はどちらかというと小柄だが、痩せているわけでもなく、鍛えているという身体は筋肉質なほうで、いつもジーンズ姿だった。すごく美人、というわけでもないが、頼りになる姉貴に見える理由は、彼女が現役の看護師であり、職務に忠実に勤め続けているからなのかもしれない。裕子が身体を鍛える理由は、三上司朗、つまり夫が下半身不随で、何かの拍子に彼女の力が必要になることがあるからだった。もっとも、三上は自分でほとんどのことをこなしているし、何でも裕子に頼るという生活はしていない。
三上は犬の散歩なの、と裕子は言い、真を連れ出した。コースは分かってるから、と歩き始める。蝉の声が折り重なり、太陽は今日も容赦なく空の彼方から熱を降り注いだ。緑が濃くなり、生命の存在を主張する。
「犬、飼い始めたんですか」
「そうなの。って言っても成犬。ほら、捨て犬が保健所で殺されちゃうってのをテレビで見てて、急に三上が出掛けようって。それで絶対誰も飼おうなんて思わない、一番情けなさそうな汚い犬をもらって来たの。その犬、飼い主に虐待されてたみたいで、最初はえらく怯えてたんだけど、三上の不自由は分かったのかな。ペットショップの人がびっくりするくらい精神的に回復するのが早くて、この間から散歩にも行けるようになったのよ。犬は犬で、必死に三上を守ろうとしてるみたいで」
裕子はそう言って幸せそうに笑った。この夫婦は、なぜこんなにも幸福そうなのだろうと真は思った。
「あなたは、どうして三上さんと結婚したんですか」
裕子は真の唐突な質問に、暫く不思議そうに真を見ていたが、何かに思い当たったのか優しい顔で微笑んだ。
「好みのタイプだったから」
あまりにもあっけらかんとした答えに真は思わず裕子を見る。
「己の置かれた環境に屈せずに生きている。自分の不幸を他人のせいにしない。どんなことになっても惚れた人間を信じている。ついでに顔も好みだったからかな。ちょっと顎が張ってて、精悍な感じ。それに何だか犬っぽいでしょ。誠実な人だって思える」
真は、裕子が三上の過去の犯罪歴に対してどう思っているのか聞かなかった。それは聞かなくても分かっているような気がした。
世界はこうして光に満ち溢れている。それなのに、俺は一歩を踏み出すことができない。真は真っ直ぐに伸びる並木道の先を見つめ、その光の中で手を振る三上を認めた。三上は相当な勢いで車椅子をこいで、犬を伴って、真と裕子の傍に来た。
「生きてたか。お前、痩せたぞ」
犬は三上を庇うように車椅子と真の間に立ち、まるで見知らぬ人間を敵か味方か見極めるように真を見た。柴と何かの雑種のようで、短い毛と痩せた身体で、前足の一本が幾らか不自由そうで地面に完全にはついていない。その脚は、かすかに震えている。それでも犬は必死なのだ。お前はえらいな、と真は犬を見つめた。
犬には真の心が分かる。多分そうなのだろう。犬は真の目を見つめ、それからすっと一歩引いて、三上の車椅子の脇に座った。
「お前は無言で犬を納得させるから凄いな。俺なんか丸々一ヶ月だ。知ってるか」三上は真を示しながら、裕子に話しかける。「こいつと一緒に犬がいる家に行くと、犬は大概吠えるのをやめて黙るんだ」
「それは三上さんの誤解ですよ。なんて名前ですか」
「ジャイアン」
真は思わずやせっぽっちの犬を見つめた。
それから犬の話をしながら三上の家に戻ると、裕子がレモンケーキと紅茶を出してくれた。三上の家の、正確には裕子の家なのだが、小さな庭には柑橘類の木が何本か植えられていて、レモンはそのひとつだった。裕子は時々そうやってお菓子を作る。三上が甘いものが苦手なのを変えてしまったのは裕子だった。もっとも裕子のケーキは甘さ控えめで素直に美味しかった。
犬はべっとりと三上の傍にいる。
「大和さん、どうしてる?」
真は首を横に振った。
「何かあったのか」
レモンケーキが酸っぱくて、鼻につんとくるような気がした。
「何時京都から戻ったんだ?」
「三週間前」
「大和さんはまだ京都か?」
真はただ頷いた。
「何で離れたんだ?」
三上には全てを話さなくても、何かが通じてしまうような気がする。多分、身体が不自由な三上が、他人よりも五感、ついでに六感までも磨いているからなのだろう。
それから暫くの間、三上は保健所に行って、ジャイアンに初めて会った時の話をしていた。やがて、紅茶が二杯目になると、三上が唐突に言った。
「人工受精って聞いたことあるか?」
真が顔を上げると、三上が穏やかな顔をして真を見つめていた。
「俺はこうなってしまって、つまり簡単に勃起ができない。全く駄目ってわけじゃないんだけどな、色々試しても結局中途半端にしかならなくてさ。男としていささか情けない言い訳で、今は精一杯の生活だし、子どもはいらないって思ってたんだ。でも、こいつを飼い始めてから、何だか、色んなことが何とかなるんじゃないかって思えてさ。病院に相談に行ったら保険医療ではないから金もかかるし、楽なことばっかりじゃないし、不可能じゃないけど確率は微妙だって言われた。裕子は無理しなくてもいいって言うけど、やってみようかと思ってるんだ。他の男性から精子をもらうってのも含めてさ」
「何回も言ってるけど、それは最後の手段にしてね」
裕子はぴしり、と言って、真を見ると微笑んだ。三上は穏やかに笑って、真を見つめる。
「外国には第三者の精子提供者ってのがいて精子のバンクみたいなのがあるらしいけど、日本じゃボランティアを募るしかないし、誰かに頼むとすると、お前か唐沢しかないなって話をしてたんだ」
真はその対象者の名前のどちらにも驚いた。
「もし、俺が駄目で、唐沢が断ったら、お前、考えてくれるか」三上は犬の頭を撫でた。「どうせ唐沢は馬鹿笑いして断ると思うしな。あの人は、自分の遺伝子を残さないことだけが、彼がこの世界に対して出来る唯一の善行だと思ってるからな」
この夫婦の間で、唐沢正顕というのはどういう存在なのだろうと思った。その真の純粋な疑問に答えるかのように、三上はゆっくりと噛み締めるように言った。
「なぁ、真、一番苦しい時に誰が助けてくれたかということだよ。その恩義を返すためだけでも、あとの一生だけでは足りないくらいだと、俺は思うんだ。それに俺は、唐沢との関係を切りたくないんだよ。俺は今でも、唐沢正顕が三上司朗を必要としてくれていることを知っているんだ」
真を見送りながら、裕子がそっと言った。
「ごめんね、急に妙なこと言い出して。でも三上は必死なの。人工受精のことも、ジャイアンのことも、唐沢のことも。たぶん、あなたのこともよ」
真は裕子の顔を見つめた。
「あなたはどう思ってるんですか?」
裕子は決然と、しかし少しだけはにかんだような笑顔を見せて、言った。
「私は、その三上に人生を賭けたから」
真は並木道のベンチに腰掛けて、煙草を一本引き抜いた。銜えてからポケットに手を突っ込んで、ライターを持っていないことに気が付いた。ライターを摑みそこなった手に触れたものは、竹流の指輪だった。吸うことを諦めた煙草をケースに戻し、真は指輪を取り出して暫くそれを見つめ、そっと左の薬指に嵌めてみた。
銀の指輪は真の指には大きすぎて、不安定に回った。真は膝に両肘をついて、薬指に嵌めたままの指輪に口づけていた。愛してる、惚れた相手にそう言うだけだ、とあの女は言った。言葉は咽喉の奥に留まったまま出てこない。
昼過ぎの並木道を、自転車や乳母車、犬を連れた人が行き交う。背中に広がる公園からは子どもたちの勢いのある声が響いてくる。世界は明るく、空は高く、その下で人々は懸命に恋をして、人生を生き抜いている。それなのに何故、自分はこれほどに息を潜めているのだろう。
「気分でも悪いの?」
真は目を開けた。自分の前に、ヒールの低い黒い靴がある。顔を上げると、話しかけてきた女はすっと真の隣に座った。
「朝から探してたのよ。北条家にも相川家にもいないし、念のため大和竹流のマンションにも行ったけど。あなたの行きそうなところ全て電話して、やっと三上司朗の家で見つけたの」
添島麻子はちらりと真の左手の薬指を見たが、何も言わなかった。真はゆっくりと指輪を抜いてポケットに戻した。
「何か用ですか」
「澤田の容疑は一応は晴れたわよ」
真は添島刑事を見た。
「昨日、香野深雪が来たの。河本が彼女に会って、話を聞いた。澤田顕一郎は古いフィルムを貸金庫に隠し持っていた。幼い香野深雪が男に犯されているフィルム」
真は一瞬、吐きそうになったのを押し留めた。
「検察は色めき立ったけど、つまり現役の代議士が幼女への性行為を、自分がするかどうか別にして、そういうフィルムを楽しむ性癖を持っているということで、澤田を送検するつもりだった。そこへ香野深雪自身が現れて、そのフィルムを見て、確かにそれは自分だと言ったの。香野深雪はずっと澤田の世話になってたでしょ。検察は香野深雪の経歴を確認して、新潟の、香野深雪が預けられていた施設の園長だった渡邊詩乃にも問い合わせた。澤田は言い訳をしなかったけど、香野深雪も渡邊詩乃も、澤田に世話になりこそすれ、そういう辱めを受けたことはないと言った。澤田がそのフィルムを焼き捨てずに持っていた理由は」
「香野深雪の両親が自殺ではなかった証拠だから」
添島刑事は強張った表情のままで頷いた。
「新津圭一のビデオをあなたは持っているわね」
「えぇ。寺崎昂司が竹流のマンションに送ってきた。まだ竹流のマンションにあるはずです。つまり、香野深雪は、新津千惠子と同じように」
真はそこまで言ってから、その事実に改めて絶句した。
「香野深雪の両親は、縛り付けられて、目の前で幼い娘を犯されて、その後で自殺に見せかけられて殺されていたわ。とっくに時効だし、今更犯人は分からないでしょうけど」添島刑事は深い息をついた。「香野深雪の両親の死体の第一発見者は澤田顕一郎だったの。澤田は翡翠仏を介した収賄事件で香野深雪の両親を疑ってたから、しばしば取材に行っていたようだし」
「澤田が話したんですか?」
「えぇ。澤田の告白によると、澤田が発見したとき、香野深雪は両親の死体の下で、意識を失ってたそうよ。咄嗟に、この娘を隠さなければならない、と思ったみたい。彼女が何をされたのか、澤田には分かったでしょうから。あの時代、犯人を告発することは、香野深雪を好奇の目に晒し、香野深雪の人生自体も潰してしまうことは目に見えていたでしょう。だけど、殺人罪で犯人を起訴できるはずだと思った澤田は、香野深雪の両親は自殺じゃないって主張したそうだけど、結局警察はあっさりと自殺で片付けた。澤田の取材からも香野深雪の両親が絡んでいた収賄事件は明らかだったし、警察は、澤田こそ彼らを自殺に追いやったんだって言ったそうだし。澤田は自分の取材のせいで、香野深雪の家族が無茶苦茶になったんだと、それを随分悔いて、結局記者を辞めてしまった。香野深雪はそのあと親戚に預けられていたこともあったようだけど、でも結局そこでも性的虐待を受けて、澤田が引き取って渡邊詩乃が経営していた施設に預けたそうよ」
「その貸金庫にあったフィルムを、澤田はいつ手に入れたんですか。始めから見ていたのなら、その時にもっと強く、殺人だと主張していたでしょう」
「数年前に新津圭一が、新潟の蓮生家で見つけたのよ。新津圭一は既に時効だと分かっていたんでしょうけど、それを焼き捨てるかどうか迷って、結局澤田のところに持ってきた。香野深雪のためにどうしてあげるのが一番いいのか分からない、と言って」
「新津圭一」
真はその名前を痛みと共に思い起こした。香野深雪を愛していた男、自殺を装って殺され、その死体の下で娘を犯された男。冷静に考えてみれば、真にとっては恋敵であったわけだ。村野耕治にしても、新津圭一にしても、既に死んでしまったものたちが、亡霊のように人の心に染みを落としている。
そしてまた、真も、あるいは竹流も、これから先ずっと、寺崎昂司の亡霊を心に抱き続けるのだろう。
「新津圭一は、香野深雪の両親のことを調べていたそうよ。記者の勘なのかもしれないけど、殺しじゃないかって。調べていくうちに、当時、澤田顕一郎が香野深雪を診察してもらった医者にぶつかった。医者は口をつぐんだそうだけど、新津圭一にはそれが幼女暴行だと分かったんでしょうね。さすがに新津は優秀な記者だった。でも、恋人の身に過去に起こったとてつもない不幸に対して、どう対処するべきかは迷ったでしょうけど。しかも、収賄事件のほうからはずるずると色んなものが引っ掛かってきた。翡翠仏を運んでいた業者、つまり寺崎孝雄の運送会社、それに絡んだ政治家や経済界の面々。それは過去で終わっている話ではなくて、現在にまで繋がっていた。大和竹流が絡んでいたフェルメールの絵は、そのひとつの符号だったのよ。新津圭一は脅迫をしていたわけではなく、フェルメールの絵のことでそうした面々に事情を確認しようとしていた。そいつらはぞっとしたでしょうね。新津にとっては収賄事件だったけれど、実際は殺人や強姦を含んだ異常性愛の連中が相手だったわけよ。そいつらにとっては贈賄で挙げられるよりももっと悪い。人間性を否定されるのだから。だから連中は新津を生かしておくわけにはいかなかった。相談を受けた悪質ビデオの制作者、寺崎孝雄と和徳は、どうせ殺すなら、いつものように楽しんで殺そうとした。ちょうど、新津には可愛らしい娘がいた」
添島刑事はきつい口調で言った。
だが、犯人はもう出てこない。警察の手が届く前に、怒り狂ったイタリアのマフィアに断罪された。他に逃げ延びた関係者がいたとしても、もうそいつらは普通の穏やかな顔で、日常生活に戻っているだろう。次には自分に、狂ったゼウスの手が伸びてくるかもしれない恐怖と闘いながら。
「澤田はどうなるんですか」
添島刑事は煙草を真に差し出した。真は首を横に振った。
「疑いは晴れたけど、代議士は辞任するそうよ」
「村野花は」
「未成年に対する性的暴行、殺人教唆、猥褻ビデオの製作と販売。でも、刑法上、死刑になるほどの罪が出てくるかどうかは分からないわね。どの程度、村野花が関っていたか、証拠不十分、ってのもありそうだし」
「あの『連続殺人』の犯人は? 捕まらなかったら、ある意味大変なのでは」
「さすがにイタリアのマフィアは捕まえられないわね。証拠は全くない、しかも上の方で、もしも気が付いた人間がいたとして、握りつぶさざるを得ないでしょう。せいぜい暫くは繁華街に警官が多少多めに配置されて、暫くしたら日常に紛れて忘れられる。あとは、本庁と警察庁のお偉いさんの首がいくつか飛ぶか、あるいは減棒程度で済んじゃうのかしらね」
「河本さんは?」
「さぁ、どうかしら。河本は、ある意味では覚悟しているかもしれないけど。でもあの男のことだから、上手く立ち回るんじゃないかしら」それから添島刑事は遠くの空を見つめた。「河本の立場を思い遣ってるの? それともあんな男、地獄に堕ちろって思ってる?」
真は添島刑事の凛とした横顔を見つめた。不思議と静かな気持ちになっていた。
「何も。あの人にはあの人なりの、やむを得ない事情ってのがあったんでしょう」
「認めるの?」
「認めるわけじゃない。できるならもう、関わりたくないと思うだけです。ただ、あの人も決して得をしたわけでも、いい気分を味わったわけでもないことだけは分かります」
「あなたの父上も同じよ」
真はそれには反応しなかった。そして淡々とした声で尋ねた。
「あなたは、このままでいい、と?」
添島刑事はふと息を吐き出す。
「そうね。刑事としては認められないけど、たまには仕掛人がいてくれるのも悪くないわね」
「本気で?」
「本気よ。刑の執行なんてのを法律に頼っていたら、とんでもない悪党を見逃すことがあるってことは、私たちはよく分かっているもの。大和竹流のために目を瞑ることに抵抗はないわ。でも、本当はこんなことは刑事が絶対に考えちゃいけないことだわ。悪い刑事ね」
真は首を横に振り、視線を落とした。
「私は時々思うの。男は社会的倫理と体裁を重んじるけど、女はそうじゃない。男社会で男と同じ考え方で生きてきたと思っていたけど、今回は自分が女だと骨身に沁みて思ったわ。出世を望まないことも含めてね。女の潔さと言ってしまえばそれまでだけど、女にはもっと他に大事なものがあるからなのかもしれない。悪い刑事だと思うけど、自分がそういう人間だとわかったことは良かったと思ってる。だから辞表を出す気はもうないわ。最後までこの仕事に食らいつくことにした。仕掛人がいてくれたら、と思うのは今回が最後。犯罪は犯罪だと断じるのが私たちの仕事だから」
この女は本当に大和竹流を、いや、ジョルジョ・ヴォルテラという男を愛しているのだと思った。真には想像もつかないような歴史の重みを背負った家系の後継者を、その背景も含めて愛おしいと思っている、だからその中に自分の存在を無理矢理に押し込もうとはしていない。それに、この女の本質は、出世を望まないのだとしても、一人の刑事であるということから逃れることはないのだろう。
「新津圭一のビデオはどうしたら」
「もう犯人は殺されている。普通に考えたら、新津千惠子にとって、そのビデオが残っていることがプラスになるとは思えないわね。父親が自殺ではない、脅迫なんかしていないと分かって、でもそのことで、彼女の身体や心につけられた傷が癒されるわけでもない。澤田もそう思ったからこそ、香野深雪が受けた傷を揉み消そうとしたんでしょうね」
「でもフィルムを捨てなかった」
「そうね。でも、あれから二十年以上経っている。香野深雪がこれから生きていくにあたって、真実を押し隠すことと、己の身に起こったとてつもない不幸と向き合うことの、どちらが大切なことなのか、今になって澤田は少し迷ったのかもしれないわね。もう決めるのは彼ではない、香野深雪だって思ったんでしょう」
「深雪は……そのフィルムを見たんですよね」
真は改めてそう呟き、息をついた。深雪は、失われていた記憶を、無理矢理に思い出さされたのだ。その欠落していた彼女の記憶の部分は、まさにとてつもない負の要素を持っていた。
だが、本当にそうだろうか。本当にただ負の要素だけだったのだろうか。
たとえそれが辛く悲しいものであっても、いまや深雪の記憶はひとつに繋がり、彼女は一人の確かな人間となったのかもしれない。苦しみも悲しみも繋ぎ合わせて、彼女はこれから一人の人間として、今いる場所からようやく歩き始めることができるのだ。
真自身は、もしかして永遠に埋めることのできない記憶の欠落。真がその欠落した記憶を思い出す時が来たら、その時、この長い夢は終わってしまうのかもしれない。真は、自分の忘れている記憶については、やはり思い出したくないのだと、だからこそあえて記憶の引き出しに鍵を掛けたのだと思っていた。
だが、深雪は違う。たとえそれが負の力でも、存在を根底から覆すものにはならないはずだ。させてはいけない。
深雪のために、負の力ばかりではない、確かな正の力を与えてやることができれば。
その時、真は香野深雪から預かっていた貸金庫の番号と印鑑のことを思い出していた。寺崎昂司はいつか大切な『切り札』になる、と言っていた。それは犯罪者たちが断罪された後では遅いのだろうか。
「あなたは、どうするんですか?」
「どうって?」
真は暫く、何も言葉にできなかった。地面を忙しく歩く蟻たちは、この太陽の熱に焼かれながらも懸命に重荷を背負っていた。
「ジョルジョ・ヴォルテラのこと?」添島刑事は少しの間黙っていた。「そうね、一年に一度くらいは休暇を取ってローマに会いに行こうかしら。あなたが許してくれたら、あるいはジョルジョ・ヴォルテラが誰かさんと駆け落ちして居場所が分からなくなるのでなければ」
真は顔を上げた。
「ヴォルテラの自家用機は成田に次の主人を迎えに来たわよ。駆け落ちするんなら、さっさと決めなさい」
真は、どうして自分の周りにはこんなに勢いのある潔い人間ばかりいるのだろう、と考えていた。あるいは真ばかりが思い切れないだけなのか。みな、何故真の煮え切らない思いを知っているのだろう。
「香野深雪が今、どこにいるか知っていますか」
(つづく)




このお話は時代が古いので、まだ人工授精に関してはあれこれややこしかった時代なんです。そんな不確実な中でも、三上は必死だったみたいですね。その当時のことですから……いや、結構唐沢が、じゃあ!って言ったりして。いえ、大丈夫、きっとうまく行きます。
次回は深雪と真が過去を少し辿って行きます。絵が見つかるかな?
<次回予告>
「生か死か、どちらかしかないような生き方はしたくない、してはいけないと思っていた。新津が私を愛してくれたとき、彼の奥さんが意識もなくただ病院で死ぬだけの運命だと知って、それなのに私が新津と生きていくことを、新津が私と生きていくことを選んだら、私たちはその選択の中に放り込まれてしまう、ずっとそれが怖かった。それでも新津の手を拒めなかった私が彼を殺したのかもしれないと思った。誰かの不幸を下敷きにした幸福に酔ってはいけないって、その罰を与えられたような気がしたわ。だから、もうそれ以上何も聞かなかったことにしよう、見なかったことにしよう、知らなかったことにしようと思ったの」



「真くん、よかった。三上がどんなに心配していたか」
三上司朗の妻、裕子は腹の底から搾り出すような声で言った。
昨夜、女と話している時に、不意に三上のことを思い出した。毎日のように電話をしていたのに、急に途切れてしまって、三上はきっと心配しているだろうと思ったのだ。
裕子はどちらかというと小柄だが、痩せているわけでもなく、鍛えているという身体は筋肉質なほうで、いつもジーンズ姿だった。すごく美人、というわけでもないが、頼りになる姉貴に見える理由は、彼女が現役の看護師であり、職務に忠実に勤め続けているからなのかもしれない。裕子が身体を鍛える理由は、三上司朗、つまり夫が下半身不随で、何かの拍子に彼女の力が必要になることがあるからだった。もっとも、三上は自分でほとんどのことをこなしているし、何でも裕子に頼るという生活はしていない。
三上は犬の散歩なの、と裕子は言い、真を連れ出した。コースは分かってるから、と歩き始める。蝉の声が折り重なり、太陽は今日も容赦なく空の彼方から熱を降り注いだ。緑が濃くなり、生命の存在を主張する。
「犬、飼い始めたんですか」
「そうなの。って言っても成犬。ほら、捨て犬が保健所で殺されちゃうってのをテレビで見てて、急に三上が出掛けようって。それで絶対誰も飼おうなんて思わない、一番情けなさそうな汚い犬をもらって来たの。その犬、飼い主に虐待されてたみたいで、最初はえらく怯えてたんだけど、三上の不自由は分かったのかな。ペットショップの人がびっくりするくらい精神的に回復するのが早くて、この間から散歩にも行けるようになったのよ。犬は犬で、必死に三上を守ろうとしてるみたいで」
裕子はそう言って幸せそうに笑った。この夫婦は、なぜこんなにも幸福そうなのだろうと真は思った。
「あなたは、どうして三上さんと結婚したんですか」
裕子は真の唐突な質問に、暫く不思議そうに真を見ていたが、何かに思い当たったのか優しい顔で微笑んだ。
「好みのタイプだったから」
あまりにもあっけらかんとした答えに真は思わず裕子を見る。
「己の置かれた環境に屈せずに生きている。自分の不幸を他人のせいにしない。どんなことになっても惚れた人間を信じている。ついでに顔も好みだったからかな。ちょっと顎が張ってて、精悍な感じ。それに何だか犬っぽいでしょ。誠実な人だって思える」
真は、裕子が三上の過去の犯罪歴に対してどう思っているのか聞かなかった。それは聞かなくても分かっているような気がした。
世界はこうして光に満ち溢れている。それなのに、俺は一歩を踏み出すことができない。真は真っ直ぐに伸びる並木道の先を見つめ、その光の中で手を振る三上を認めた。三上は相当な勢いで車椅子をこいで、犬を伴って、真と裕子の傍に来た。
「生きてたか。お前、痩せたぞ」
犬は三上を庇うように車椅子と真の間に立ち、まるで見知らぬ人間を敵か味方か見極めるように真を見た。柴と何かの雑種のようで、短い毛と痩せた身体で、前足の一本が幾らか不自由そうで地面に完全にはついていない。その脚は、かすかに震えている。それでも犬は必死なのだ。お前はえらいな、と真は犬を見つめた。
犬には真の心が分かる。多分そうなのだろう。犬は真の目を見つめ、それからすっと一歩引いて、三上の車椅子の脇に座った。
「お前は無言で犬を納得させるから凄いな。俺なんか丸々一ヶ月だ。知ってるか」三上は真を示しながら、裕子に話しかける。「こいつと一緒に犬がいる家に行くと、犬は大概吠えるのをやめて黙るんだ」
「それは三上さんの誤解ですよ。なんて名前ですか」
「ジャイアン」
真は思わずやせっぽっちの犬を見つめた。
それから犬の話をしながら三上の家に戻ると、裕子がレモンケーキと紅茶を出してくれた。三上の家の、正確には裕子の家なのだが、小さな庭には柑橘類の木が何本か植えられていて、レモンはそのひとつだった。裕子は時々そうやってお菓子を作る。三上が甘いものが苦手なのを変えてしまったのは裕子だった。もっとも裕子のケーキは甘さ控えめで素直に美味しかった。
犬はべっとりと三上の傍にいる。
「大和さん、どうしてる?」
真は首を横に振った。
「何かあったのか」
レモンケーキが酸っぱくて、鼻につんとくるような気がした。
「何時京都から戻ったんだ?」
「三週間前」
「大和さんはまだ京都か?」
真はただ頷いた。
「何で離れたんだ?」
三上には全てを話さなくても、何かが通じてしまうような気がする。多分、身体が不自由な三上が、他人よりも五感、ついでに六感までも磨いているからなのだろう。
それから暫くの間、三上は保健所に行って、ジャイアンに初めて会った時の話をしていた。やがて、紅茶が二杯目になると、三上が唐突に言った。
「人工受精って聞いたことあるか?」
真が顔を上げると、三上が穏やかな顔をして真を見つめていた。
「俺はこうなってしまって、つまり簡単に勃起ができない。全く駄目ってわけじゃないんだけどな、色々試しても結局中途半端にしかならなくてさ。男としていささか情けない言い訳で、今は精一杯の生活だし、子どもはいらないって思ってたんだ。でも、こいつを飼い始めてから、何だか、色んなことが何とかなるんじゃないかって思えてさ。病院に相談に行ったら保険医療ではないから金もかかるし、楽なことばっかりじゃないし、不可能じゃないけど確率は微妙だって言われた。裕子は無理しなくてもいいって言うけど、やってみようかと思ってるんだ。他の男性から精子をもらうってのも含めてさ」
「何回も言ってるけど、それは最後の手段にしてね」
裕子はぴしり、と言って、真を見ると微笑んだ。三上は穏やかに笑って、真を見つめる。
「外国には第三者の精子提供者ってのがいて精子のバンクみたいなのがあるらしいけど、日本じゃボランティアを募るしかないし、誰かに頼むとすると、お前か唐沢しかないなって話をしてたんだ」
真はその対象者の名前のどちらにも驚いた。
「もし、俺が駄目で、唐沢が断ったら、お前、考えてくれるか」三上は犬の頭を撫でた。「どうせ唐沢は馬鹿笑いして断ると思うしな。あの人は、自分の遺伝子を残さないことだけが、彼がこの世界に対して出来る唯一の善行だと思ってるからな」
この夫婦の間で、唐沢正顕というのはどういう存在なのだろうと思った。その真の純粋な疑問に答えるかのように、三上はゆっくりと噛み締めるように言った。
「なぁ、真、一番苦しい時に誰が助けてくれたかということだよ。その恩義を返すためだけでも、あとの一生だけでは足りないくらいだと、俺は思うんだ。それに俺は、唐沢との関係を切りたくないんだよ。俺は今でも、唐沢正顕が三上司朗を必要としてくれていることを知っているんだ」
真を見送りながら、裕子がそっと言った。
「ごめんね、急に妙なこと言い出して。でも三上は必死なの。人工受精のことも、ジャイアンのことも、唐沢のことも。たぶん、あなたのこともよ」
真は裕子の顔を見つめた。
「あなたはどう思ってるんですか?」
裕子は決然と、しかし少しだけはにかんだような笑顔を見せて、言った。
「私は、その三上に人生を賭けたから」
真は並木道のベンチに腰掛けて、煙草を一本引き抜いた。銜えてからポケットに手を突っ込んで、ライターを持っていないことに気が付いた。ライターを摑みそこなった手に触れたものは、竹流の指輪だった。吸うことを諦めた煙草をケースに戻し、真は指輪を取り出して暫くそれを見つめ、そっと左の薬指に嵌めてみた。
銀の指輪は真の指には大きすぎて、不安定に回った。真は膝に両肘をついて、薬指に嵌めたままの指輪に口づけていた。愛してる、惚れた相手にそう言うだけだ、とあの女は言った。言葉は咽喉の奥に留まったまま出てこない。
昼過ぎの並木道を、自転車や乳母車、犬を連れた人が行き交う。背中に広がる公園からは子どもたちの勢いのある声が響いてくる。世界は明るく、空は高く、その下で人々は懸命に恋をして、人生を生き抜いている。それなのに何故、自分はこれほどに息を潜めているのだろう。
「気分でも悪いの?」
真は目を開けた。自分の前に、ヒールの低い黒い靴がある。顔を上げると、話しかけてきた女はすっと真の隣に座った。
「朝から探してたのよ。北条家にも相川家にもいないし、念のため大和竹流のマンションにも行ったけど。あなたの行きそうなところ全て電話して、やっと三上司朗の家で見つけたの」
添島麻子はちらりと真の左手の薬指を見たが、何も言わなかった。真はゆっくりと指輪を抜いてポケットに戻した。
「何か用ですか」
「澤田の容疑は一応は晴れたわよ」
真は添島刑事を見た。
「昨日、香野深雪が来たの。河本が彼女に会って、話を聞いた。澤田顕一郎は古いフィルムを貸金庫に隠し持っていた。幼い香野深雪が男に犯されているフィルム」
真は一瞬、吐きそうになったのを押し留めた。
「検察は色めき立ったけど、つまり現役の代議士が幼女への性行為を、自分がするかどうか別にして、そういうフィルムを楽しむ性癖を持っているということで、澤田を送検するつもりだった。そこへ香野深雪自身が現れて、そのフィルムを見て、確かにそれは自分だと言ったの。香野深雪はずっと澤田の世話になってたでしょ。検察は香野深雪の経歴を確認して、新潟の、香野深雪が預けられていた施設の園長だった渡邊詩乃にも問い合わせた。澤田は言い訳をしなかったけど、香野深雪も渡邊詩乃も、澤田に世話になりこそすれ、そういう辱めを受けたことはないと言った。澤田がそのフィルムを焼き捨てずに持っていた理由は」
「香野深雪の両親が自殺ではなかった証拠だから」
添島刑事は強張った表情のままで頷いた。
「新津圭一のビデオをあなたは持っているわね」
「えぇ。寺崎昂司が竹流のマンションに送ってきた。まだ竹流のマンションにあるはずです。つまり、香野深雪は、新津千惠子と同じように」
真はそこまで言ってから、その事実に改めて絶句した。
「香野深雪の両親は、縛り付けられて、目の前で幼い娘を犯されて、その後で自殺に見せかけられて殺されていたわ。とっくに時効だし、今更犯人は分からないでしょうけど」添島刑事は深い息をついた。「香野深雪の両親の死体の第一発見者は澤田顕一郎だったの。澤田は翡翠仏を介した収賄事件で香野深雪の両親を疑ってたから、しばしば取材に行っていたようだし」
「澤田が話したんですか?」
「えぇ。澤田の告白によると、澤田が発見したとき、香野深雪は両親の死体の下で、意識を失ってたそうよ。咄嗟に、この娘を隠さなければならない、と思ったみたい。彼女が何をされたのか、澤田には分かったでしょうから。あの時代、犯人を告発することは、香野深雪を好奇の目に晒し、香野深雪の人生自体も潰してしまうことは目に見えていたでしょう。だけど、殺人罪で犯人を起訴できるはずだと思った澤田は、香野深雪の両親は自殺じゃないって主張したそうだけど、結局警察はあっさりと自殺で片付けた。澤田の取材からも香野深雪の両親が絡んでいた収賄事件は明らかだったし、警察は、澤田こそ彼らを自殺に追いやったんだって言ったそうだし。澤田は自分の取材のせいで、香野深雪の家族が無茶苦茶になったんだと、それを随分悔いて、結局記者を辞めてしまった。香野深雪はそのあと親戚に預けられていたこともあったようだけど、でも結局そこでも性的虐待を受けて、澤田が引き取って渡邊詩乃が経営していた施設に預けたそうよ」
「その貸金庫にあったフィルムを、澤田はいつ手に入れたんですか。始めから見ていたのなら、その時にもっと強く、殺人だと主張していたでしょう」
「数年前に新津圭一が、新潟の蓮生家で見つけたのよ。新津圭一は既に時効だと分かっていたんでしょうけど、それを焼き捨てるかどうか迷って、結局澤田のところに持ってきた。香野深雪のためにどうしてあげるのが一番いいのか分からない、と言って」
「新津圭一」
真はその名前を痛みと共に思い起こした。香野深雪を愛していた男、自殺を装って殺され、その死体の下で娘を犯された男。冷静に考えてみれば、真にとっては恋敵であったわけだ。村野耕治にしても、新津圭一にしても、既に死んでしまったものたちが、亡霊のように人の心に染みを落としている。
そしてまた、真も、あるいは竹流も、これから先ずっと、寺崎昂司の亡霊を心に抱き続けるのだろう。
「新津圭一は、香野深雪の両親のことを調べていたそうよ。記者の勘なのかもしれないけど、殺しじゃないかって。調べていくうちに、当時、澤田顕一郎が香野深雪を診察してもらった医者にぶつかった。医者は口をつぐんだそうだけど、新津圭一にはそれが幼女暴行だと分かったんでしょうね。さすがに新津は優秀な記者だった。でも、恋人の身に過去に起こったとてつもない不幸に対して、どう対処するべきかは迷ったでしょうけど。しかも、収賄事件のほうからはずるずると色んなものが引っ掛かってきた。翡翠仏を運んでいた業者、つまり寺崎孝雄の運送会社、それに絡んだ政治家や経済界の面々。それは過去で終わっている話ではなくて、現在にまで繋がっていた。大和竹流が絡んでいたフェルメールの絵は、そのひとつの符号だったのよ。新津圭一は脅迫をしていたわけではなく、フェルメールの絵のことでそうした面々に事情を確認しようとしていた。そいつらはぞっとしたでしょうね。新津にとっては収賄事件だったけれど、実際は殺人や強姦を含んだ異常性愛の連中が相手だったわけよ。そいつらにとっては贈賄で挙げられるよりももっと悪い。人間性を否定されるのだから。だから連中は新津を生かしておくわけにはいかなかった。相談を受けた悪質ビデオの制作者、寺崎孝雄と和徳は、どうせ殺すなら、いつものように楽しんで殺そうとした。ちょうど、新津には可愛らしい娘がいた」
添島刑事はきつい口調で言った。
だが、犯人はもう出てこない。警察の手が届く前に、怒り狂ったイタリアのマフィアに断罪された。他に逃げ延びた関係者がいたとしても、もうそいつらは普通の穏やかな顔で、日常生活に戻っているだろう。次には自分に、狂ったゼウスの手が伸びてくるかもしれない恐怖と闘いながら。
「澤田はどうなるんですか」
添島刑事は煙草を真に差し出した。真は首を横に振った。
「疑いは晴れたけど、代議士は辞任するそうよ」
「村野花は」
「未成年に対する性的暴行、殺人教唆、猥褻ビデオの製作と販売。でも、刑法上、死刑になるほどの罪が出てくるかどうかは分からないわね。どの程度、村野花が関っていたか、証拠不十分、ってのもありそうだし」
「あの『連続殺人』の犯人は? 捕まらなかったら、ある意味大変なのでは」
「さすがにイタリアのマフィアは捕まえられないわね。証拠は全くない、しかも上の方で、もしも気が付いた人間がいたとして、握りつぶさざるを得ないでしょう。せいぜい暫くは繁華街に警官が多少多めに配置されて、暫くしたら日常に紛れて忘れられる。あとは、本庁と警察庁のお偉いさんの首がいくつか飛ぶか、あるいは減棒程度で済んじゃうのかしらね」
「河本さんは?」
「さぁ、どうかしら。河本は、ある意味では覚悟しているかもしれないけど。でもあの男のことだから、上手く立ち回るんじゃないかしら」それから添島刑事は遠くの空を見つめた。「河本の立場を思い遣ってるの? それともあんな男、地獄に堕ちろって思ってる?」
真は添島刑事の凛とした横顔を見つめた。不思議と静かな気持ちになっていた。
「何も。あの人にはあの人なりの、やむを得ない事情ってのがあったんでしょう」
「認めるの?」
「認めるわけじゃない。できるならもう、関わりたくないと思うだけです。ただ、あの人も決して得をしたわけでも、いい気分を味わったわけでもないことだけは分かります」
「あなたの父上も同じよ」
真はそれには反応しなかった。そして淡々とした声で尋ねた。
「あなたは、このままでいい、と?」
添島刑事はふと息を吐き出す。
「そうね。刑事としては認められないけど、たまには仕掛人がいてくれるのも悪くないわね」
「本気で?」
「本気よ。刑の執行なんてのを法律に頼っていたら、とんでもない悪党を見逃すことがあるってことは、私たちはよく分かっているもの。大和竹流のために目を瞑ることに抵抗はないわ。でも、本当はこんなことは刑事が絶対に考えちゃいけないことだわ。悪い刑事ね」
真は首を横に振り、視線を落とした。
「私は時々思うの。男は社会的倫理と体裁を重んじるけど、女はそうじゃない。男社会で男と同じ考え方で生きてきたと思っていたけど、今回は自分が女だと骨身に沁みて思ったわ。出世を望まないことも含めてね。女の潔さと言ってしまえばそれまでだけど、女にはもっと他に大事なものがあるからなのかもしれない。悪い刑事だと思うけど、自分がそういう人間だとわかったことは良かったと思ってる。だから辞表を出す気はもうないわ。最後までこの仕事に食らいつくことにした。仕掛人がいてくれたら、と思うのは今回が最後。犯罪は犯罪だと断じるのが私たちの仕事だから」
この女は本当に大和竹流を、いや、ジョルジョ・ヴォルテラという男を愛しているのだと思った。真には想像もつかないような歴史の重みを背負った家系の後継者を、その背景も含めて愛おしいと思っている、だからその中に自分の存在を無理矢理に押し込もうとはしていない。それに、この女の本質は、出世を望まないのだとしても、一人の刑事であるということから逃れることはないのだろう。
「新津圭一のビデオはどうしたら」
「もう犯人は殺されている。普通に考えたら、新津千惠子にとって、そのビデオが残っていることがプラスになるとは思えないわね。父親が自殺ではない、脅迫なんかしていないと分かって、でもそのことで、彼女の身体や心につけられた傷が癒されるわけでもない。澤田もそう思ったからこそ、香野深雪が受けた傷を揉み消そうとしたんでしょうね」
「でもフィルムを捨てなかった」
「そうね。でも、あれから二十年以上経っている。香野深雪がこれから生きていくにあたって、真実を押し隠すことと、己の身に起こったとてつもない不幸と向き合うことの、どちらが大切なことなのか、今になって澤田は少し迷ったのかもしれないわね。もう決めるのは彼ではない、香野深雪だって思ったんでしょう」
「深雪は……そのフィルムを見たんですよね」
真は改めてそう呟き、息をついた。深雪は、失われていた記憶を、無理矢理に思い出さされたのだ。その欠落していた彼女の記憶の部分は、まさにとてつもない負の要素を持っていた。
だが、本当にそうだろうか。本当にただ負の要素だけだったのだろうか。
たとえそれが辛く悲しいものであっても、いまや深雪の記憶はひとつに繋がり、彼女は一人の確かな人間となったのかもしれない。苦しみも悲しみも繋ぎ合わせて、彼女はこれから一人の人間として、今いる場所からようやく歩き始めることができるのだ。
真自身は、もしかして永遠に埋めることのできない記憶の欠落。真がその欠落した記憶を思い出す時が来たら、その時、この長い夢は終わってしまうのかもしれない。真は、自分の忘れている記憶については、やはり思い出したくないのだと、だからこそあえて記憶の引き出しに鍵を掛けたのだと思っていた。
だが、深雪は違う。たとえそれが負の力でも、存在を根底から覆すものにはならないはずだ。させてはいけない。
深雪のために、負の力ばかりではない、確かな正の力を与えてやることができれば。
その時、真は香野深雪から預かっていた貸金庫の番号と印鑑のことを思い出していた。寺崎昂司はいつか大切な『切り札』になる、と言っていた。それは犯罪者たちが断罪された後では遅いのだろうか。
「あなたは、どうするんですか?」
「どうって?」
真は暫く、何も言葉にできなかった。地面を忙しく歩く蟻たちは、この太陽の熱に焼かれながらも懸命に重荷を背負っていた。
「ジョルジョ・ヴォルテラのこと?」添島刑事は少しの間黙っていた。「そうね、一年に一度くらいは休暇を取ってローマに会いに行こうかしら。あなたが許してくれたら、あるいはジョルジョ・ヴォルテラが誰かさんと駆け落ちして居場所が分からなくなるのでなければ」
真は顔を上げた。
「ヴォルテラの自家用機は成田に次の主人を迎えに来たわよ。駆け落ちするんなら、さっさと決めなさい」
真は、どうして自分の周りにはこんなに勢いのある潔い人間ばかりいるのだろう、と考えていた。あるいは真ばかりが思い切れないだけなのか。みな、何故真の煮え切らない思いを知っているのだろう。
「香野深雪が今、どこにいるか知っていますか」
(つづく)



このお話は時代が古いので、まだ人工授精に関してはあれこれややこしかった時代なんです。そんな不確実な中でも、三上は必死だったみたいですね。その当時のことですから……いや、結構唐沢が、じゃあ!って言ったりして。いえ、大丈夫、きっとうまく行きます。
次回は深雪と真が過去を少し辿って行きます。絵が見つかるかな?
<次回予告>
「生か死か、どちらかしかないような生き方はしたくない、してはいけないと思っていた。新津が私を愛してくれたとき、彼の奥さんが意識もなくただ病院で死ぬだけの運命だと知って、それなのに私が新津と生きていくことを、新津が私と生きていくことを選んだら、私たちはその選択の中に放り込まれてしまう、ずっとそれが怖かった。それでも新津の手を拒めなかった私が彼を殺したのかもしれないと思った。誰かの不幸を下敷きにした幸福に酔ってはいけないって、その罰を与えられたような気がしたわ。だから、もうそれ以上何も聞かなかったことにしよう、見なかったことにしよう、知らなかったことにしようと思ったの」
Category: ☂海に落ちる雨 第5節
[雨170] 第36章 I LOVE YOU(4)きっとそれも愛
【海に落ちる雨】第36章その(4)です。今回はさすがに18禁かなぁ。相変わらず、大したことのないシーンですが。念のため、相当年齢に達していない方は引き返してください(って、いうほど読者はいないのですけれど)。
5日おきくらいにはアップしようと思っていたのですが、今回は3月11日が迫っているので、変則で少し早めにアップしました。比較的短めなので、ご容赦ください。
ついでに、へんてこりんな孫タイトルになっていてすみません。これ、何の話だっけ? 愛の水中花?
登場人物などはこちらをご参照ください。
【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント 
【海に落ちる雨】登場人物
5日おきくらいにはアップしようと思っていたのですが、今回は3月11日が迫っているので、変則で少し早めにアップしました。比較的短めなので、ご容赦ください。
ついでに、へんてこりんな孫タイトルになっていてすみません。これ、何の話だっけ? 愛の水中花?





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幾つかの部屋を勝手知ったるというように横切って、女は真を別室に連れ込んだ。
北条家の家屋敷の中では狭い部類に入る、六畳ほどの部屋だった。小奇麗に片付けられた部屋の片隅に鏡台と茶箪笥、隅にはやや大振りな布団が敷かれている。
薄暗い部屋の輪郭は、ぼんやりと豆電球の明かりだけで辛うじて読み取れる程度だった。
女は暫く真の顔を見ていたが、いきなり思い切り平手打ちを喰らわせると、真を布団に押し倒し、忙しなく真の腰のベルトの金具を外し、細くしなやかな手で真のものを救い出すと、手と口で愛撫した。やがて十分に大きくなったのを見届けると、すっと立ち上がり着物を脱ぐ。
女が襦袢まで脱ぎ、下着と腰紐だけになった瞬間に、真は身体を起こして女を腕に抱きとった。真のほうから女を組み敷くと、女は慈愛に満ちた菩薩のような顔をして、真の手が裾を開くのに任せていた。
女のその場所は暖かく潤んでいて、真は身体ごとこの女に深く預けたいと思った。女は、仁が最後まで外しそこなっていた真のシャツのボタンを全て外し、真の胸に緩やかに指を滑らせる。真はその瞬間に、女の中に深く自分自身を沈めた。
途中から、深雪を抱いているのだと錯覚していた。
女の身体の内側は、優しい海のように深く、静かに生命の始まりを予感させる。真はただ夢中で女を求め、女はなだめるように最も深いところまで真を導いた。福嶋に抱かれていたときには全く感じなかった穏やかな快感に、身体の芯まで癒されるような心地がして、ずっとこの女の中に留まっていたいと思った。女はそれが分かっているのか、性急に求めることなく、ゆっくりとした真の動きに合わせている。波に揺られるような穏やかな心地よさは、腰から頭までを包み込み、真を慰めた。
長い時間、真は女の中にいた。女もまた腰を震わせながら、真を包み込んでいた。そのうち更なる快楽を探し求めるように波は大きくなり、真は軽く喘ぎながら腰を動かした。女は真の身体の反応を敏感に読み取ると、徐に声を荒げて腰を真のほうへ、より強く絡みつくように持ち上げた。緩やかな波に任せるように、真も女も腰を動かし続け、やがて真は吸い込まれるように女の中に射精した。女は極度に真を締め付けることはなく真を穏やかに受け入れ、真が全て出し切るまでの不可解なほど長い時間、じんわりと腰を揺らめかせていた。
それからどれほどの時間だったのか、真には出し切った感覚がなく、まだずっと女の奥に身体を沈め続けていた。波に揺られ続けたまま、真は腰を女へとさらに深く押し付ける。このまま女の内側へ入り込み、その子宮に眠りたいような心地だった。
不意に、頬に触れた指に真は目を開けた。
「正気かい?」
それでも真の目は、まだ女の顔の輪郭を捉えていなかった。
「気持ちいいのは結構だけどね、くすぐったいよ」
女は慣れた口調でそう言った。暗がりでよく分からなかったが、照れたように視線を外す。相変わらず真は女の中に留まったままだった。
「本気で孕んじゃうかと思ったよ。深雪姉さんが惚れるはずだ」
真は一気に我に返った。その瞬間、真はずるっと女の中から滑り出た。女は、放心したままの真を下から抱くようにして、するりと抜け出すと、襦袢を軽く着込んで、部屋を出て行く。真は起き上がり、こめかみを押さえた。
二日酔いが冷めていないのだと思った。
女は直ぐに戻ってきて、一升瓶と二つのグラスを枕元に置くと、明りを灯し、衣桁から男物の着物を外して真の肩に掛け、背中からそっと肩を抱いて、飲むかい、と聞いた。
真は首を横に振った。
「二日酔いなんだ。それに酒は強いほうじゃない」
女は真の返事を無視して、二つのグラスに酒を注いだ。髪が艶やかで、結い上げた脇から零れる後れ毛が色っぽく、改めて見ると、言葉や態度よりも随分と女らしく優しく見える。女はグラスをひとつ、真に渡す。真は仕方なく受け取り、軽く乾杯をして半分まで飲み干した。胃が悲鳴を上げているのを感じて、思わず顔をしかめる。
「いい男じゃないか。小娘から仁を横取りしなくたって、十分間に合ってるんだろう」
真はグラスを畳に置いた。さっきまでの出来事が嘘のようで、仁と言い争っていたことまで現実味を無くし、今心の中には波が立っていなかった。
「仁さんを横取りしようとしたわけじゃない。ただ」
女は先を急がせなかった。真のグラスに更に注ごうとするのを、真は止める。
「あんたは」
真が聞くと、女はふと笑った。
「仁の従妹だよ。仁の許嫁でもある、って言いたいところだけど、それはあたしの勝手だからね。子どもん時から仁の女房になるって決めてたのに、今更あんな小娘に掻っ攫われるとは思ってなくてさ」
女はそう言ってグラスを空ける。口元が優雅で色気があり、目が力強く幾らか子どもっぽい。深雪の名前が出たことを聞いたつもりだったが、女は気が付かなかったようだった。
吸うかい、というように女は煙草を真に差し出す。真は有り難く受け取り、火を点けてもらった。煙を吸い込むときに顔を近づけて、女の香水も一緒に吸い込んでいた。媚薬のような香水だった。
煙草をゆっくりと何度か吹かし、そう言えばとち狂っていたからか、ここ何週間か煙草を吸っていないことに気が付いた。久しぶりに味わう煙を、肺が狂ったように欲しがっている。
「ここんとこ、仁も妙だったじゃないか。あんたの影響だろ」
さぁ、と真は返事をした。仁が真を心配してくれていたことが事実だとしても、仁を狂わせるほどのこともないと思っている。いや、あるとすれば、仁は真があまりにも簡単に福嶋鋼三郎と寝たことに狼狽えているのかもしれない。だが、そのことにもっとも狼狽えているのは真自身だった。そのことを突き詰めると、自分自身の性ようなものに触れる気がして、そのとてつもない闇が恐ろしくなり、考えないようにしてきた。
「あんたは」
「何さ」
女は真を見ないまま、煙を吐き出している。もう一度深雪のことを聞こうとしたものの、何故か聞き辛くなったので、話を自ら逸らした。
「いいのか。仁さんに惚れてるんだろう?」
「惚れてるさ。でもあたしは三十年近くも待ってるんだよ。今更急ぐ必要なんてないんだ。あと何年か待つくらいどうってことない。仁は直ぐに小娘に飽きるだろうし、小娘ははなっから極道の妻になれる玉じゃないよ。言っとくけど、あたしが小娘の立場だったら、あんたの胸に匕首を突き立ててたよ」
真は女の歯切れのいい言葉を聞きながら、不意に笑みが零れるのを感じた。それは自嘲でもあり、ただ本当に女の潔さにほっとしたのでもあった。女は一瞬怖い顔で真を睨み付けてから、ふと笑った。笑うと子どもっぽく、優しい風情に見えた。
「あんた、惚れた人がいるんだろう」
真は女から目を逸らし、もう一度煙を吸い込んだ。
「仁はそれで嫉妬してるのかい?」
奇妙な話の流れに真は顔を上げる。女は微笑んだ。
「仁はさ、人間に惚れるんだよ。惚れたら身体も求めちゃうあたりが困るんだけどさ。あんたが仁の神経を逆撫でする理由は、あたしが察するところ、あんたが煮え切らないからなんだろう。いつもの仁なら直ぐかっとなって、あんたをその人んところに引きずって行くんだけどさ、今回ばっかりは小娘への自分の感情と絡まっちまって、仁自身がこんぐらがってんのかねぇ」
この女は凄い女だ、と真は思い、暫く彼女の顔を無遠慮に見つめていた。
まさに仁の気持ちはこの女の言葉通りだと思った。仁がこのところ妙なのは、多分真のせいだと自覚はしていた。真が大和竹流のために我を忘れてしまっていたことを、仁は目と耳で、あるいはその肌で感じ続けていたのだ。そして仁の心に、忘れていようとしていたはずの事実を突きつけていた。
いつか、美和にもこういうことをさせてしまうのではないか。
人間は衝動によってこそ人を殺し、自分を追い詰める。追い詰めるような環境にいなければそれでいいが、仁の商売は、いつでも仁や周囲の人間を追い詰める類のものだ。そのことを仁は、美和に対してだけ目を瞑ってきていたのだ。
真は灰を落とし、心を静めた。真が竹流に会えないでいる理由を、仁が一番よくわかっている。多分、女の言うとおり、本来の仁なら京都に真を引きずって行くはずだった。
竹流の気持ちも、仁の気持ちも、深く考えると、真は叫びだしそうになった。だからできるだけそれを遠ざけてきた。仁が、真の父親のことを持ち出したのは、もう切羽詰って、そこにしか突破口を見いだせなくなっていたからなのだろう。
「何故、深雪を知っている?」
言葉を繋いでおかなければ、崩れそうになっている。ようやく真は聞いた。女はあぁ、と思い出したように頷いた。
「銀座なんて狭い町さ。あたしもホステスやってんだよ。あ、これでも店に出てる時は、ちゃんと丁寧で女らしい言葉でしゃべってんだよ。なんせ銀座はお上品な街だからね、客がビビっちまう。逆にここでお上品な言葉でしゃべったら、男衆に馬鹿にされちまうだろ。ヤクザって、ほんと、男尊女卑の世界だからね」そして自分の指の間の煙草を、少しの間弄ぶように揺らせた。「深雪姉さんが店持つ前だけど、二人とも同じ店で働いててさ、たんまに飲む仲だったんだ。あの人はあんまり自分の事は話さないけどさ、あたしは結構姉さんを頼りにしてたんだよ。この人は心に傷があるから優しいんだろうって思ってた」
女は静かに煙を吐き出す。真は女の顔を見つめる。不思議と穏やかな気持ちになっていた。
「それがこないだ、ここに来たら姉さんがいたんで、こっちはもうびっくりしたよ。足怪我したんだって、仁が預かってるってんでさ。実のところ、ここんとこ姉さんが店を閉めてたから、姉さんの店の客がうちに流れてきててね、深雪ちゃんはどうしたんだって、やたら聞かれてたんだよね。あんたのことは、もう随分前に客から聞いてたんだよ。深雪ちゃんが最近若い男と付き合ってる、あれは性質の悪いホストかジゴロじゃないかってさ、オヤジたちが心配しちゃって」
女は真の顔を見て笑う。
「それがなんだい、いい男じゃないか。ま、察するところ、オヤジたちの嫉妬だろうけどね。ここんとこ、あんたずっとぼーっとしてたから、私がこの家にしょっちゅう出入りしてたのも気が付かなかったろ?」
そう言ってから、女はわずかに俯き、少し笑みを噛み殺したようにしてから顔を上げた。
「そうじゃないね、一度、姉さんの店で会ってるんだよ。あんたは覚えてないだろうけどさ。実を言うとね、噂を確かめに行ったのさ。ちょっと一言、言ってやろうと思ったんだけど、あんたを見つめてる深雪姉さんの顔見てさ、あぁ、姉さんは本気だな、って分かったんだよ」
真は、深雪が今どうしているかを聞こうとして、混乱した自分の感情を保つ自信がなくなってしまい、やめた。だが、女はその辺りでは容赦しなかった。
「深雪姉さん、店を閉めるんだってさ。マンションも引き払ったそうだし」
真は女を見る。女はまるで菩薩のような顔をしていた。
「あんたは他に惚れた人がいるんだろうし、姉さんのことどころじゃないとは思うけどさ、会いに行ってやってくれないかな。姉さんは何も言わないけど、あんたに会いたがってると思うんだ」
真は顔を伏せ、目を閉じる。そんな資格が自分にあるだろうかと考えている。それに、深雪は狂ったように寺崎孝雄に匕首を突き立てた真を見ていた。深雪の怯えたような目が、真の網膜に蘇っていた。
不意に女の手が真の頬に触れ、軽く唇が触れた。
「思い切り引っぱたいちまったね。仁にもやられたから、暫く腫れてるかもね。言っとくけど、あたしが小娘の代わりにあんたの胸に匕首を突き立てなかったのは、深雪姉さんのためだ。それを忘れないでおくれよ」
真は、あんたは不思議な女だな、と言った。誰かの身体に匕首を突き立てる、ということを、この女は潔さにすり替えてしまった。
女はそうかい、と言いながら襦袢の襟を整える。男を納得させるのが上手い、と真が言うと、女は微かに微笑んだ。まさにさっき真を受け入れながら見せていた、菩薩のような顔だった。
「あたしは店の客とは寝ないけどね、セックスボランティアをやってんのさ」
真が言葉を理解できずに女を見ていると、女は帯も整えながら、綺麗な横顔を見せていた。
「障害者、色んな意味の障害者のさ、セックスの相手だよ。必要なんだ、彼らにも、愛や恋じゃなくても身体を慰めてくれる相手ってのがさ」
それに、と女は目を伏せて言った。
「あたしはいつだって、どうすれば仁に相応しい女になれるか、それだけを考えてるのさ」
真は暫くの間、無遠慮に女の顔を見つめていた。そして、ふと、唐沢調査事務所の爆発事故で下半身不随になった三上のことを思い浮かべた。この女が見たら、車椅子の三上は健常者で、一見五体満足に歩いている真が障害者に見えるのかもしれない。
「あんたには、俺が障害者に見えた?」
「そうだね。正確には、障害者になりたがってる、最も性質の悪い心の障害を抱えているって感じだよ。あたしがしていることは単なる一時的な癒しさ。あんたの病に特効薬はない。あるとしたら、たったひとつだ」
女の顔は、気品に満ち、厳しく優しい。美和も本気にならないと、この女に負けるかもしれないと心配になるくらいだった。
「知りたいかい?」
真は素直に頷いた。女は真に掛けてくれた着物の襟をそっと合わせた。
「愛してる」女はそう呟いて顔を上げた。「本気で惚れた相手にそう言うだけさ」
(第36章了、第37章『絵には真実が隠されている』につづく)




この姐さん、実は第1節の始めの方で出ているんですよ。真は深雪の店でニアミスしているんですね。
もっとも、姐さんの告白によると、噂を確かめに行った(真を見に行った)ってことだったようですが。
って、えらい長い伏線やなぁ~
それはともかく、こうしてみると、真ってやっぱりオスなんですけれどね、う~む。
それはともかく、ついに、全ての事件の解決編というのか、始末編の第37章までたどり着きました。あ~、長かったなぁ。あと最終話まで2章+終章の3章分。ようやくそんなことを言っても現実味を帯びてきたような気がします。
この先、事件のあらましに誰がどう関わったがある程度整理されますので、適当に流し読んでくださいませ。だって、その部分はあんまり萌え萌えなシーンはないんですもの。で、主人公2人はどうなったんだって? 駆け落ちなのか? それとも哀しい別れが待っているのか? うん、と……それは第38章後半まで、お待ちくださいませ^^;
<次回予告>
「なぁ、真、一番苦しい時に誰が助けてくれたかということだよ。その恩義を返すためだけでも、あとの一生だけでは足りないくらいだと、俺は思うんだ。それに俺は、唐沢との関係を切りたくないんだよ。俺は今でも、唐沢正顕が三上司朗を必要としてくれていることを知っているんだ」
真を見送りながら、裕子がそっと言った。
「ごめんね、急に妙なこと言い出して。でも三上は必死なの。人工受精のことも、ジャイアンのことも、唐沢のことも。たぶん、あなたのこともよ」
真は裕子の顔を見つめた。
「あなたはどう思ってるんですか?」
裕子は決然と、しかし少しだけはにかんだような笑顔を見せて、言った。
「私は、その三上に人生を賭けたから」



幾つかの部屋を勝手知ったるというように横切って、女は真を別室に連れ込んだ。
北条家の家屋敷の中では狭い部類に入る、六畳ほどの部屋だった。小奇麗に片付けられた部屋の片隅に鏡台と茶箪笥、隅にはやや大振りな布団が敷かれている。
薄暗い部屋の輪郭は、ぼんやりと豆電球の明かりだけで辛うじて読み取れる程度だった。
女は暫く真の顔を見ていたが、いきなり思い切り平手打ちを喰らわせると、真を布団に押し倒し、忙しなく真の腰のベルトの金具を外し、細くしなやかな手で真のものを救い出すと、手と口で愛撫した。やがて十分に大きくなったのを見届けると、すっと立ち上がり着物を脱ぐ。
女が襦袢まで脱ぎ、下着と腰紐だけになった瞬間に、真は身体を起こして女を腕に抱きとった。真のほうから女を組み敷くと、女は慈愛に満ちた菩薩のような顔をして、真の手が裾を開くのに任せていた。
女のその場所は暖かく潤んでいて、真は身体ごとこの女に深く預けたいと思った。女は、仁が最後まで外しそこなっていた真のシャツのボタンを全て外し、真の胸に緩やかに指を滑らせる。真はその瞬間に、女の中に深く自分自身を沈めた。
途中から、深雪を抱いているのだと錯覚していた。
女の身体の内側は、優しい海のように深く、静かに生命の始まりを予感させる。真はただ夢中で女を求め、女はなだめるように最も深いところまで真を導いた。福嶋に抱かれていたときには全く感じなかった穏やかな快感に、身体の芯まで癒されるような心地がして、ずっとこの女の中に留まっていたいと思った。女はそれが分かっているのか、性急に求めることなく、ゆっくりとした真の動きに合わせている。波に揺られるような穏やかな心地よさは、腰から頭までを包み込み、真を慰めた。
長い時間、真は女の中にいた。女もまた腰を震わせながら、真を包み込んでいた。そのうち更なる快楽を探し求めるように波は大きくなり、真は軽く喘ぎながら腰を動かした。女は真の身体の反応を敏感に読み取ると、徐に声を荒げて腰を真のほうへ、より強く絡みつくように持ち上げた。緩やかな波に任せるように、真も女も腰を動かし続け、やがて真は吸い込まれるように女の中に射精した。女は極度に真を締め付けることはなく真を穏やかに受け入れ、真が全て出し切るまでの不可解なほど長い時間、じんわりと腰を揺らめかせていた。
それからどれほどの時間だったのか、真には出し切った感覚がなく、まだずっと女の奥に身体を沈め続けていた。波に揺られ続けたまま、真は腰を女へとさらに深く押し付ける。このまま女の内側へ入り込み、その子宮に眠りたいような心地だった。
不意に、頬に触れた指に真は目を開けた。
「正気かい?」
それでも真の目は、まだ女の顔の輪郭を捉えていなかった。
「気持ちいいのは結構だけどね、くすぐったいよ」
女は慣れた口調でそう言った。暗がりでよく分からなかったが、照れたように視線を外す。相変わらず真は女の中に留まったままだった。
「本気で孕んじゃうかと思ったよ。深雪姉さんが惚れるはずだ」
真は一気に我に返った。その瞬間、真はずるっと女の中から滑り出た。女は、放心したままの真を下から抱くようにして、するりと抜け出すと、襦袢を軽く着込んで、部屋を出て行く。真は起き上がり、こめかみを押さえた。
二日酔いが冷めていないのだと思った。
女は直ぐに戻ってきて、一升瓶と二つのグラスを枕元に置くと、明りを灯し、衣桁から男物の着物を外して真の肩に掛け、背中からそっと肩を抱いて、飲むかい、と聞いた。
真は首を横に振った。
「二日酔いなんだ。それに酒は強いほうじゃない」
女は真の返事を無視して、二つのグラスに酒を注いだ。髪が艶やかで、結い上げた脇から零れる後れ毛が色っぽく、改めて見ると、言葉や態度よりも随分と女らしく優しく見える。女はグラスをひとつ、真に渡す。真は仕方なく受け取り、軽く乾杯をして半分まで飲み干した。胃が悲鳴を上げているのを感じて、思わず顔をしかめる。
「いい男じゃないか。小娘から仁を横取りしなくたって、十分間に合ってるんだろう」
真はグラスを畳に置いた。さっきまでの出来事が嘘のようで、仁と言い争っていたことまで現実味を無くし、今心の中には波が立っていなかった。
「仁さんを横取りしようとしたわけじゃない。ただ」
女は先を急がせなかった。真のグラスに更に注ごうとするのを、真は止める。
「あんたは」
真が聞くと、女はふと笑った。
「仁の従妹だよ。仁の許嫁でもある、って言いたいところだけど、それはあたしの勝手だからね。子どもん時から仁の女房になるって決めてたのに、今更あんな小娘に掻っ攫われるとは思ってなくてさ」
女はそう言ってグラスを空ける。口元が優雅で色気があり、目が力強く幾らか子どもっぽい。深雪の名前が出たことを聞いたつもりだったが、女は気が付かなかったようだった。
吸うかい、というように女は煙草を真に差し出す。真は有り難く受け取り、火を点けてもらった。煙を吸い込むときに顔を近づけて、女の香水も一緒に吸い込んでいた。媚薬のような香水だった。
煙草をゆっくりと何度か吹かし、そう言えばとち狂っていたからか、ここ何週間か煙草を吸っていないことに気が付いた。久しぶりに味わう煙を、肺が狂ったように欲しがっている。
「ここんとこ、仁も妙だったじゃないか。あんたの影響だろ」
さぁ、と真は返事をした。仁が真を心配してくれていたことが事実だとしても、仁を狂わせるほどのこともないと思っている。いや、あるとすれば、仁は真があまりにも簡単に福嶋鋼三郎と寝たことに狼狽えているのかもしれない。だが、そのことにもっとも狼狽えているのは真自身だった。そのことを突き詰めると、自分自身の性ようなものに触れる気がして、そのとてつもない闇が恐ろしくなり、考えないようにしてきた。
「あんたは」
「何さ」
女は真を見ないまま、煙を吐き出している。もう一度深雪のことを聞こうとしたものの、何故か聞き辛くなったので、話を自ら逸らした。
「いいのか。仁さんに惚れてるんだろう?」
「惚れてるさ。でもあたしは三十年近くも待ってるんだよ。今更急ぐ必要なんてないんだ。あと何年か待つくらいどうってことない。仁は直ぐに小娘に飽きるだろうし、小娘ははなっから極道の妻になれる玉じゃないよ。言っとくけど、あたしが小娘の立場だったら、あんたの胸に匕首を突き立ててたよ」
真は女の歯切れのいい言葉を聞きながら、不意に笑みが零れるのを感じた。それは自嘲でもあり、ただ本当に女の潔さにほっとしたのでもあった。女は一瞬怖い顔で真を睨み付けてから、ふと笑った。笑うと子どもっぽく、優しい風情に見えた。
「あんた、惚れた人がいるんだろう」
真は女から目を逸らし、もう一度煙を吸い込んだ。
「仁はそれで嫉妬してるのかい?」
奇妙な話の流れに真は顔を上げる。女は微笑んだ。
「仁はさ、人間に惚れるんだよ。惚れたら身体も求めちゃうあたりが困るんだけどさ。あんたが仁の神経を逆撫でする理由は、あたしが察するところ、あんたが煮え切らないからなんだろう。いつもの仁なら直ぐかっとなって、あんたをその人んところに引きずって行くんだけどさ、今回ばっかりは小娘への自分の感情と絡まっちまって、仁自身がこんぐらがってんのかねぇ」
この女は凄い女だ、と真は思い、暫く彼女の顔を無遠慮に見つめていた。
まさに仁の気持ちはこの女の言葉通りだと思った。仁がこのところ妙なのは、多分真のせいだと自覚はしていた。真が大和竹流のために我を忘れてしまっていたことを、仁は目と耳で、あるいはその肌で感じ続けていたのだ。そして仁の心に、忘れていようとしていたはずの事実を突きつけていた。
いつか、美和にもこういうことをさせてしまうのではないか。
人間は衝動によってこそ人を殺し、自分を追い詰める。追い詰めるような環境にいなければそれでいいが、仁の商売は、いつでも仁や周囲の人間を追い詰める類のものだ。そのことを仁は、美和に対してだけ目を瞑ってきていたのだ。
真は灰を落とし、心を静めた。真が竹流に会えないでいる理由を、仁が一番よくわかっている。多分、女の言うとおり、本来の仁なら京都に真を引きずって行くはずだった。
竹流の気持ちも、仁の気持ちも、深く考えると、真は叫びだしそうになった。だからできるだけそれを遠ざけてきた。仁が、真の父親のことを持ち出したのは、もう切羽詰って、そこにしか突破口を見いだせなくなっていたからなのだろう。
「何故、深雪を知っている?」
言葉を繋いでおかなければ、崩れそうになっている。ようやく真は聞いた。女はあぁ、と思い出したように頷いた。
「銀座なんて狭い町さ。あたしもホステスやってんだよ。あ、これでも店に出てる時は、ちゃんと丁寧で女らしい言葉でしゃべってんだよ。なんせ銀座はお上品な街だからね、客がビビっちまう。逆にここでお上品な言葉でしゃべったら、男衆に馬鹿にされちまうだろ。ヤクザって、ほんと、男尊女卑の世界だからね」そして自分の指の間の煙草を、少しの間弄ぶように揺らせた。「深雪姉さんが店持つ前だけど、二人とも同じ店で働いててさ、たんまに飲む仲だったんだ。あの人はあんまり自分の事は話さないけどさ、あたしは結構姉さんを頼りにしてたんだよ。この人は心に傷があるから優しいんだろうって思ってた」
女は静かに煙を吐き出す。真は女の顔を見つめる。不思議と穏やかな気持ちになっていた。
「それがこないだ、ここに来たら姉さんがいたんで、こっちはもうびっくりしたよ。足怪我したんだって、仁が預かってるってんでさ。実のところ、ここんとこ姉さんが店を閉めてたから、姉さんの店の客がうちに流れてきててね、深雪ちゃんはどうしたんだって、やたら聞かれてたんだよね。あんたのことは、もう随分前に客から聞いてたんだよ。深雪ちゃんが最近若い男と付き合ってる、あれは性質の悪いホストかジゴロじゃないかってさ、オヤジたちが心配しちゃって」
女は真の顔を見て笑う。
「それがなんだい、いい男じゃないか。ま、察するところ、オヤジたちの嫉妬だろうけどね。ここんとこ、あんたずっとぼーっとしてたから、私がこの家にしょっちゅう出入りしてたのも気が付かなかったろ?」
そう言ってから、女はわずかに俯き、少し笑みを噛み殺したようにしてから顔を上げた。
「そうじゃないね、一度、姉さんの店で会ってるんだよ。あんたは覚えてないだろうけどさ。実を言うとね、噂を確かめに行ったのさ。ちょっと一言、言ってやろうと思ったんだけど、あんたを見つめてる深雪姉さんの顔見てさ、あぁ、姉さんは本気だな、って分かったんだよ」
真は、深雪が今どうしているかを聞こうとして、混乱した自分の感情を保つ自信がなくなってしまい、やめた。だが、女はその辺りでは容赦しなかった。
「深雪姉さん、店を閉めるんだってさ。マンションも引き払ったそうだし」
真は女を見る。女はまるで菩薩のような顔をしていた。
「あんたは他に惚れた人がいるんだろうし、姉さんのことどころじゃないとは思うけどさ、会いに行ってやってくれないかな。姉さんは何も言わないけど、あんたに会いたがってると思うんだ」
真は顔を伏せ、目を閉じる。そんな資格が自分にあるだろうかと考えている。それに、深雪は狂ったように寺崎孝雄に匕首を突き立てた真を見ていた。深雪の怯えたような目が、真の網膜に蘇っていた。
不意に女の手が真の頬に触れ、軽く唇が触れた。
「思い切り引っぱたいちまったね。仁にもやられたから、暫く腫れてるかもね。言っとくけど、あたしが小娘の代わりにあんたの胸に匕首を突き立てなかったのは、深雪姉さんのためだ。それを忘れないでおくれよ」
真は、あんたは不思議な女だな、と言った。誰かの身体に匕首を突き立てる、ということを、この女は潔さにすり替えてしまった。
女はそうかい、と言いながら襦袢の襟を整える。男を納得させるのが上手い、と真が言うと、女は微かに微笑んだ。まさにさっき真を受け入れながら見せていた、菩薩のような顔だった。
「あたしは店の客とは寝ないけどね、セックスボランティアをやってんのさ」
真が言葉を理解できずに女を見ていると、女は帯も整えながら、綺麗な横顔を見せていた。
「障害者、色んな意味の障害者のさ、セックスの相手だよ。必要なんだ、彼らにも、愛や恋じゃなくても身体を慰めてくれる相手ってのがさ」
それに、と女は目を伏せて言った。
「あたしはいつだって、どうすれば仁に相応しい女になれるか、それだけを考えてるのさ」
真は暫くの間、無遠慮に女の顔を見つめていた。そして、ふと、唐沢調査事務所の爆発事故で下半身不随になった三上のことを思い浮かべた。この女が見たら、車椅子の三上は健常者で、一見五体満足に歩いている真が障害者に見えるのかもしれない。
「あんたには、俺が障害者に見えた?」
「そうだね。正確には、障害者になりたがってる、最も性質の悪い心の障害を抱えているって感じだよ。あたしがしていることは単なる一時的な癒しさ。あんたの病に特効薬はない。あるとしたら、たったひとつだ」
女の顔は、気品に満ち、厳しく優しい。美和も本気にならないと、この女に負けるかもしれないと心配になるくらいだった。
「知りたいかい?」
真は素直に頷いた。女は真に掛けてくれた着物の襟をそっと合わせた。
「愛してる」女はそう呟いて顔を上げた。「本気で惚れた相手にそう言うだけさ」
(第36章了、第37章『絵には真実が隠されている』につづく)



この姐さん、実は第1節の始めの方で出ているんですよ。真は深雪の店でニアミスしているんですね。
もっとも、姐さんの告白によると、噂を確かめに行った(真を見に行った)ってことだったようですが。
って、えらい長い伏線やなぁ~
それはともかく、こうしてみると、真ってやっぱりオスなんですけれどね、う~む。
それはともかく、ついに、全ての事件の解決編というのか、始末編の第37章までたどり着きました。あ~、長かったなぁ。あと最終話まで2章+終章の3章分。ようやくそんなことを言っても現実味を帯びてきたような気がします。
この先、事件のあらましに誰がどう関わったがある程度整理されますので、適当に流し読んでくださいませ。だって、その部分はあんまり萌え萌えなシーンはないんですもの。で、主人公2人はどうなったんだって? 駆け落ちなのか? それとも哀しい別れが待っているのか? うん、と……それは第38章後半まで、お待ちくださいませ^^;
<次回予告>
「なぁ、真、一番苦しい時に誰が助けてくれたかということだよ。その恩義を返すためだけでも、あとの一生だけでは足りないくらいだと、俺は思うんだ。それに俺は、唐沢との関係を切りたくないんだよ。俺は今でも、唐沢正顕が三上司朗を必要としてくれていることを知っているんだ」
真を見送りながら、裕子がそっと言った。
「ごめんね、急に妙なこと言い出して。でも三上は必死なの。人工受精のことも、ジャイアンのことも、唐沢のことも。たぶん、あなたのこともよ」
真は裕子の顔を見つめた。
「あなたはどう思ってるんですか?」
裕子は決然と、しかし少しだけはにかんだような笑顔を見せて、言った。
「私は、その三上に人生を賭けたから」
Category: ☂海に落ちる雨 第5節
【雑記・花】梅は百花の魁~須磨浦山上遊園の梅林~

梅一輪 一輪ほどの 暖かさ
……と言いますが、今年はこの妙な気候のおかげで、春の暖かさを有難がるよりも、1日くらい雪が積もっても良かったんじゃないの? と思ったりしています。
うちはかなり大きくなった枝垂れ桜がありますが、去年、小さな梅の苗を植えました。まだ80cmくらいかな? でも花は少しだけついていて、いい匂いがしています。

古代には「花」と言えば桜ではなくて梅。いつの間にか桜に乗っ取られちゃいましたが、桜と梅のどちらが好きかと聞かれたら、「梅」と答えることにしています。でも桜が咲くと、あの華やかさにくら~っとしちゃうのですけれど。まるで「女は顔より性格」とか言っている男が、美人が通りかかるとふら~っと行っちゃうようなもの? いや、梅は十分に「美人」なのですけれど。

ただ、写真を撮ると、本当にこの美しさと愛らしさがどうやったら伝わるのかと考えてしまいます。花の写真ってそもそも難しいですよね。光の加減でもずいぶん印象が変わりますが、何よりも人間の目に映る世界を再現するのは不可能だし、だからこそ、プロのカメラマンさんたちは、それを違った形で印象的に捉えなおして私たちに見せてくださるわけなんですよね。

昨日、須磨浦山上遊園の梅林に行ってみました。花は七分咲くらい。昨年は3月のお彼岸頃に姫路の綾部山梅林に行ってみたら、遅すぎたかなという感じだったので、今年はちょっと早めに行ってみました。今度はちょっと早かったみたい。花って本当に、ちょうどいい時期に見るのは難しいですね……

以下、写真が多いので記事を畳んでいます。素敵な梅たちの匂いをお届けできないのが残念……

ひよどりかしら、と思ったけれど、ひよどりってもっと頭がぼざぼざした感じですよね。これは……ムクドリ?
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うん。これはムクドリっぽい。くちばし黄色かった。と思ったけれど、鳥にお詳しいLさんの御判断を仰ぎたいと思います。
(追記→limeさんによると、これはシロハラという鳥だそうです! そうか、世の中には知らない鳥がいっぱいいる!)
梅にはやっぱり鶯がいいけれど、鶯って滅多に見かけない。特に梅とセットでは。メジロはよく見かけるけれど・……

近づいて撮ってみると、ほんわりと匂う。この「ほんわり」がいいのです。梅林の中を歩きながら「全然匂いがしない」という声が聞こえましたが、風向きとかで時々ふっと気が付く程度の匂いがいいのですよね。
あるいは夜。うちの小さな梅の木でも、何かの瞬間に闇の中でふわっと匂いが風に混じることがあります。あの夜の闇の中で、密かに匂いが漂う感じ、とても好きです。

それから、梅はやっぱり枝振りですよね。桜は咲いている時に枝を見ることはあんまりないのだけれど、梅は花がまばらなために、枝が気になる。そう言えば昔から、絵の中の梅は枝振りも見事。梅は剪定をしないと上手く咲かないと言いますから、そんな辺りもまた魅力なのでしょうか。うちのは剪定したら消えちゃう……^^;

まばらなので、焦点がなかなか合いません。なのでちょっとぼわっと感も楽しんでみます。

枝垂れ梅の見事な枝振りもいいですね。この上の方にはミニモノレールとかゴーカートとか、昔懐かしい系の遊具があります。

写真を撮るときって、主役を決めて撮ると締まった写真になると言いますが、う~む。動物園に行くときも、猿を見るなら「今日の主人公」を決めてみるんだそうです。そうしたら漠然と見ているよりもずっと楽しめるんだとか。

縦に撮ると、突然和風度が増すのは何故かしら。何だか浮世絵の世界みたいになる?



一生懸命、写りのいい子を探しているのですけれど、フレームに納めたらまた雰囲気が違っていて。でも、どの子もみんな綺麗ですね。

こんなふうに見上げると、相当の迫力のある木も。

紅梅は終わりかけのものが多かった。

白い花と、黒っぽい幹~枝のコントラストも美しい。

で、縦になると、やっぱり和風に……

梅一輪、と言いますように、桜のようには一気にぶわっと咲くことはなく、ゆっくり自分のペースで一輪ずつ咲いていく梅。その一輪ごとに春が高まっていく……

ところで、ここは六甲全山縦走路の西の端っこ。もちろん、須磨浦公園駅辺りから登山しても良し、ロープ―ウェーとこのリフトを利用してきても良し(とびおりはダメ)。

JR須磨駅からバスで高倉台→人類用とは思えない傾斜の坂道もしくは階段を上って、このおらが茶屋の前を通り、ひたすらウバメガシの木々の間を歩き、たどり着くのもよし。

この辺りは、高倉台→須磨アルプス方面とは違って、歩いている人も多いので、ちょっと安心。

おらが山から見た栂尾山(梅林のある須磨浦山上遊園方向とは逆の、東方向を見る)。あそこまで階段400段と書いてあるけれど、本当はもっと多い+上りの坂道。しかもその階段ったら、1段1段が高い(【雑記・旅】六甲縦走・須磨アルプス~高所恐怖症だけど頑張った!~ )。写真の「ここまで上る」の奥に「いま、ここにある秘境」=須磨アルプス馬の背があるのです……(>_<)
ところでこのおらが山のおらが茶屋。私が時々六甲縦走路の山に(巨石紀行のトレーニングのために)登るようになった時には、閉められていました。茶屋は以前噂のカレー=「特製カレー」で有名で、でもご高齢の方がやっていて、泥棒に入られたりして怖いので閉店したとか、聞いていたのですが。久しぶりに行ったら、経営者の方も変わって、リニューアルオープンされていました!

朝7時からお昼は2時半がラストオーダー。カレーももちろんあって、茶粥もあって、デザート系もあれこれ。
今度から登山の時におにぎり握って来なくてもいいなぁ~

この階段、下から300段あまり、上らないと行けないけれど・……もちろん、スロープもあるんですよ。でもこのスロープも所々とんでもないことに。前屈みに登らないと、後にこけそうになるくらいの傾斜だったり、降りるときは「もしかして、人間用に作ったわけではないんですか?」と聞きたくなるような傾斜のところもあって……いや、ほんと、携帯が通じる範囲で良かった(遭難? 馬の背はありうる)。


何はともあれ、春の景色、お楽しみいただけたら何よりです(*^_^*)
あ、タイトルに「梅は百花の魁」と書きましたが、我が家の魁は金縷梅(まんさく)の花。お、この漢字「梅」が入っているから、あながち間違いでもないのか。今はもう、木瓜にクリスマスローズに、と賑やかになってきました。またお庭の花たちもアップしたいと思います。


うん。これはムクドリっぽい。くちばし黄色かった。と思ったけれど、鳥にお詳しいLさんの御判断を仰ぎたいと思います。
(追記→limeさんによると、これはシロハラという鳥だそうです! そうか、世の中には知らない鳥がいっぱいいる!)
梅にはやっぱり鶯がいいけれど、鶯って滅多に見かけない。特に梅とセットでは。メジロはよく見かけるけれど・……

近づいて撮ってみると、ほんわりと匂う。この「ほんわり」がいいのです。梅林の中を歩きながら「全然匂いがしない」という声が聞こえましたが、風向きとかで時々ふっと気が付く程度の匂いがいいのですよね。
あるいは夜。うちの小さな梅の木でも、何かの瞬間に闇の中でふわっと匂いが風に混じることがあります。あの夜の闇の中で、密かに匂いが漂う感じ、とても好きです。

それから、梅はやっぱり枝振りですよね。桜は咲いている時に枝を見ることはあんまりないのだけれど、梅は花がまばらなために、枝が気になる。そう言えば昔から、絵の中の梅は枝振りも見事。梅は剪定をしないと上手く咲かないと言いますから、そんな辺りもまた魅力なのでしょうか。うちのは剪定したら消えちゃう……^^;

まばらなので、焦点がなかなか合いません。なのでちょっとぼわっと感も楽しんでみます。

枝垂れ梅の見事な枝振りもいいですね。この上の方にはミニモノレールとかゴーカートとか、昔懐かしい系の遊具があります。

写真を撮るときって、主役を決めて撮ると締まった写真になると言いますが、う~む。動物園に行くときも、猿を見るなら「今日の主人公」を決めてみるんだそうです。そうしたら漠然と見ているよりもずっと楽しめるんだとか。

縦に撮ると、突然和風度が増すのは何故かしら。何だか浮世絵の世界みたいになる?



一生懸命、写りのいい子を探しているのですけれど、フレームに納めたらまた雰囲気が違っていて。でも、どの子もみんな綺麗ですね。

こんなふうに見上げると、相当の迫力のある木も。

紅梅は終わりかけのものが多かった。

白い花と、黒っぽい幹~枝のコントラストも美しい。

で、縦になると、やっぱり和風に……

梅一輪、と言いますように、桜のようには一気にぶわっと咲くことはなく、ゆっくり自分のペースで一輪ずつ咲いていく梅。その一輪ごとに春が高まっていく……

ところで、ここは六甲全山縦走路の西の端っこ。もちろん、須磨浦公園駅辺りから登山しても良し、ロープ―ウェーとこのリフトを利用してきても良し(とびおりはダメ)。

JR須磨駅からバスで高倉台→人類用とは思えない傾斜の坂道もしくは階段を上って、このおらが茶屋の前を通り、ひたすらウバメガシの木々の間を歩き、たどり着くのもよし。

この辺りは、高倉台→須磨アルプス方面とは違って、歩いている人も多いので、ちょっと安心。

おらが山から見た栂尾山(梅林のある須磨浦山上遊園方向とは逆の、東方向を見る)。あそこまで階段400段と書いてあるけれど、本当はもっと多い+上りの坂道。しかもその階段ったら、1段1段が高い(【雑記・旅】六甲縦走・須磨アルプス~高所恐怖症だけど頑張った!~ )。写真の「ここまで上る」の奥に「いま、ここにある秘境」=須磨アルプス馬の背があるのです……(>_<)
ところでこのおらが山のおらが茶屋。私が時々六甲縦走路の山に(巨石紀行のトレーニングのために)登るようになった時には、閉められていました。茶屋は以前噂のカレー=「特製カレー」で有名で、でもご高齢の方がやっていて、泥棒に入られたりして怖いので閉店したとか、聞いていたのですが。久しぶりに行ったら、経営者の方も変わって、リニューアルオープンされていました!

朝7時からお昼は2時半がラストオーダー。カレーももちろんあって、茶粥もあって、デザート系もあれこれ。
今度から登山の時におにぎり握って来なくてもいいなぁ~

この階段、下から300段あまり、上らないと行けないけれど・……もちろん、スロープもあるんですよ。でもこのスロープも所々とんでもないことに。前屈みに登らないと、後にこけそうになるくらいの傾斜だったり、降りるときは「もしかして、人間用に作ったわけではないんですか?」と聞きたくなるような傾斜のところもあって……いや、ほんと、携帯が通じる範囲で良かった(遭難? 馬の背はありうる)。


何はともあれ、春の景色、お楽しみいただけたら何よりです(*^_^*)
あ、タイトルに「梅は百花の魁」と書きましたが、我が家の魁は金縷梅(まんさく)の花。お、この漢字「梅」が入っているから、あながち間違いでもないのか。今はもう、木瓜にクリスマスローズに、と賑やかになってきました。またお庭の花たちもアップしたいと思います。
Category: ガーデニング・花
[雨169] 第36章 I LOVE YOU(3)恋とはそういうもの
【海に落ちる雨】第36章その(3)です。
前回は真の妹(従妹)の葉子とのガールズトークでしたが、今回は北条の屋敷に戻った美和。何やら揉めている仁とマコト、じゃなくて真(「にゃ?」……いや、君は揉めていない……って、マコト、どこ行ってたの? あ、ぷいって行っちゃった。関係ないけれど、この変換、本当にいいところで「真」じゃなくて「マコト」って変換されるんですよね。なんかおちょくってる?)。
今回は美和視点なので、細かいもめごとの理由は書かれていませんが、男たちにとってはそもそも愛や恋より重大な問題があったようで。彼らにとって「立場」「立ち位置」の問題はもっと大きなことらしく、仁は結局、真が肝心の根のところを自分に打ち明けてくれないことにイライラしていたのかもしれません。そこに「カワイイ弟分」への微妙な感情も混じって……あらら。半分目を瞑ってお楽しみください。えっと、18禁ほどの迫力はないので、そのままです。
ところで、前回「ずれてる」姫君の告白がありましたが、そもそも作者にとっての葉子の立ち位置はこんな感じ。
↓
彼女は生まれた時から母親に一度も抱いてもらったことがありません(母親は精神疾患で療養入院中、そのまま亡くなった)。記憶にある限りでは、脳外科医の父親はいつも家にいなくて、食卓にはお手伝いさんの作ってくれたご飯。小学校3年生の時、兄貴ができるかもしれないと聞かされて、北海道へ会いに行った。それはもう気合いを入れてお姫様になり切ったと思います。彼女の気持ちは→「食卓を囲む人を何が何でもゲットする」→だから「胃袋を掴んだら離さない」(おかげで真はいつも食べ物に不自由していないのです)
そこからの彼女は、掴んだ獲物は離さない、家族とか恋人とか、放っておいたら何かの拍子に崩壊するかもしれない関係なんて、それこそ紙切れ一枚。それよりもアロンアルファのように一度くっついたら離れない強力な粘着力で、新しい「家族」を作り上げる。そのためなら、非常識と言われても、兄貴が男に惚れているならその男とくっつける(?)、イタリアのマフィアも利用する(?)、兄貴の親友にはあらゆる面から兄貴をサポートさせる(金もあるし、人徳もあるし、何よりも絶対に親友を裏切らないという確信がある)、面倒くさい女は排除する……
これがこの恐ろしい姫君の正体です。そう、世界は彼女を中心に回っている……
そして、この物語の裏でシナリオを書き換え続けているあの男と、天と地の両方からこの物語を廻しているのです。
登場人物などはこちらをご参照ください。
【海に落ちる雨】再開に向けてのキーポイント 
【海に落ちる雨】登場人物
前回は真の妹(従妹)の葉子とのガールズトークでしたが、今回は北条の屋敷に戻った美和。何やら揉めている仁とマコト、じゃなくて真(「にゃ?」……いや、君は揉めていない……って、マコト、どこ行ってたの? あ、ぷいって行っちゃった。関係ないけれど、この変換、本当にいいところで「真」じゃなくて「マコト」って変換されるんですよね。なんかおちょくってる?)。
今回は美和視点なので、細かいもめごとの理由は書かれていませんが、男たちにとってはそもそも愛や恋より重大な問題があったようで。彼らにとって「立場」「立ち位置」の問題はもっと大きなことらしく、仁は結局、真が肝心の根のところを自分に打ち明けてくれないことにイライラしていたのかもしれません。そこに「カワイイ弟分」への微妙な感情も混じって……あらら。半分目を瞑ってお楽しみください。えっと、18禁ほどの迫力はないので、そのままです。
ところで、前回「ずれてる」姫君の告白がありましたが、そもそも作者にとっての葉子の立ち位置はこんな感じ。
↓
彼女は生まれた時から母親に一度も抱いてもらったことがありません(母親は精神疾患で療養入院中、そのまま亡くなった)。記憶にある限りでは、脳外科医の父親はいつも家にいなくて、食卓にはお手伝いさんの作ってくれたご飯。小学校3年生の時、兄貴ができるかもしれないと聞かされて、北海道へ会いに行った。それはもう気合いを入れてお姫様になり切ったと思います。彼女の気持ちは→「食卓を囲む人を何が何でもゲットする」→だから「胃袋を掴んだら離さない」(おかげで真はいつも食べ物に不自由していないのです)
そこからの彼女は、掴んだ獲物は離さない、家族とか恋人とか、放っておいたら何かの拍子に崩壊するかもしれない関係なんて、それこそ紙切れ一枚。それよりもアロンアルファのように一度くっついたら離れない強力な粘着力で、新しい「家族」を作り上げる。そのためなら、非常識と言われても、兄貴が男に惚れているならその男とくっつける(?)、イタリアのマフィアも利用する(?)、兄貴の親友にはあらゆる面から兄貴をサポートさせる(金もあるし、人徳もあるし、何よりも絶対に親友を裏切らないという確信がある)、面倒くさい女は排除する……
これがこの恐ろしい姫君の正体です。そう、世界は彼女を中心に回っている……
そして、この物語の裏でシナリオを書き換え続けているあの男と、天と地の両方からこの物語を廻しているのです。





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葉子の話していた『真実の瞬間』は、まさにその日のうちに天から降ってきた。
東京に帰り、美和はさんざん迷った挙句に、マンションではなく、北条の屋敷に戻った。
色々な複雑な想いはあるが、このところ仁が憔悴しているように見えるのが気になっていて、ひとりでマンションにいても落ち着かないような気がしたのだ。
北条仁という男は大概自信に満ちていて、あまり落ち込んだり悩んだりしない人間に見えた。若い衆達を大事にし、時代劇に出てくるめ組の親分よろしく、困った人がいるとついつい顔も手も口も出してしまうような人間だった。たまにはその鷹揚さが他人を傷つけることもあるのだろうが、何となく人懐こいムードでそれを誤魔化してしまう。
勿論、人懐こい、というのはある側面の仁の顔で、ヤクザの跡継ぎとしての自分を世間に晒すときは、全く別の顔を見せる。美和自身は仁が啖呵を切る姿など見たことはないが、時折見せる剣呑な表情に、仁の中の全く別人格を感じることもある。
もともと華族でもある北条家の立場は、この世界では微妙な位置にある。それも東吾の豪快な性質のお蔭でなめられずに済んでいるようなものだ。この世界で生き残り、一家を守るために、絶対に舐められないようにと、どれほど仁が気を使っているか、想像に難くない。
不動産と株や金融で屋台座を支えている北条の経済基盤は、クスリや女を商売道具にしている周囲のヤクザ組織からは一線を画しているように見えていて、そのことがかえって東吾や仁のこの世界での居場所を微妙にしているところがあるからだ。
『生易しい』という批判を跳ね除けるように、仁は身体に彫り物を入れた。青白いヤクザと舐められることを嫌ったのだ。だから、親分筋の寛和会への義理は欠かさない。もしも抗争になれば、親元を助けるために一番に駆けつけるのだろう。
今なら目を瞑る、と言われて以来、仁はマンションにはやってこないし、美和を北条の屋敷に泊めている間も、全く美和に手を触れてくる気配もなかった。それどころか、真っ直ぐに美和の目を見ることもない。仁は美和の答えを待っているのか、もう諦めているのか、あるいはそれ以外の辛い決心を自らに迫っているのか、実際には美和も摑みかねていた。
あの日、若い衆たちが意識も朦朧とした真を連れ帰った日から、仁の目つきがより険しくなった。それからの数日、美和は全く屋敷を出してもらえなかった。夜は、離れていても聞こえてくる真の呻き声に恐怖を覚えた。何があったのか、誰も説明してくれなかった。北条の若い衆も東吾も仁も、たった一つの卵を猛禽から守る鳥の群れのようになって、真を守っているように見えた。
数日後には真は、夜はともかく、昼間は比較的まともに見えるようになっていたが、縁側に着流しで座ったまま、ほとんど口もきかなかった。着物の袷から覗く胸は、ここ暫くの間にやつれたように見え、そうなると真は異様なほどに色気があるように見えた。自分の存在については何の興味もなく、無防備で無抵抗な真の姿は、美和でさえ、自分が男だったら押し倒して犯してしまいたいと思うほどに情けなくやるせなく、そして欲情をかきたてるようだった。
もっとも当の真は、享志が帰ってきてからは、出かけるようにもなったし、食事中も自分が食べているものに対して反応するようにもなった。それまでは空気でも食べているように食事中も全く表情がなかったが、少なくとも味付けに顔をしかめるようにはなっていた。
一方で、仁のほうはますます思い悩んでいるように見えた。
真には自覚がないのかもしれないが、昼間の活動と、夜の様子がまるで違っているからかもしれない。真は出かけて行っては、帰って来ると、誰とも口をきかずに一段と無表情になってどこかあらぬところを見ていた。
それならいっそ出かけずに屋敷でぼんやりしていてくれる方がまだ安心だと、仁は思っているのだろう。このところ仁が真を見つめる目には、いつもの仁にはない複雑なものが潜んでいる。それが単に真への欲情だとは思えないが、彼は何かに酷く傷ついているように見えた。
桜と一緒に真を迎えに行ったあの薄暗い地下のバーを思い出す。テーブルに身を丸めるようにして座っていた真は、まるで見たことのない毒蜘蛛の巣の中に永遠の安堵の棲家を見出しているようだった。あの時、桜がいなかったら、あんなふうに上手くやり切ることは出来なかった。真のあの場所に残して、後ずさりしていたかもしれない。
真はまだ、あの暗い場所と、そしてこちらのもう少し明るい場所を行ったり来たりしていて、特に夜になると、ずっと暗い方へと引きずられていってるようだった。一度精神の病を発症した者は、それを上手く隠していても、ちょっとしたことでフラッシュバックを起こし、また暗い世界に戻っていってしまう。その行き来は真を余計に混乱させ、昼間に見せる回復の分だけ、夜の闇にはより敏感になっているのかもしれなかった。
それとも、そんなふうに思う美和の方が、何かに憑りつかれているのかもしれない。
自分にとって辛いことが起こっても今は目も耳も塞ごうと思っていたのに、あの日、夜中に真を抱く仁を見てしまった。
その日は、窓を締め切ると湿気が篭もるようで、かといって冷房を入れる習慣があまりない北条の屋敷では、風が通るようにと、襖が開け放たれていた。
彼らが特別な行為をしていたとは思わない。真はただ魘されていたのだろう。魘されながら叫びを上げて、仁に縋りつく姿は、美和の全く知らない生き物のようで怖かった。それが実際の性行為でなくても、仁の抱き方には真を求め、犯して救おうとするようなニュアンスがあり、真の縋りつき方にも仁に助けを求め、必要なら抱かれようとしているような淫らな気配が漂っていた。
昼間、真が縁側に座ったまま身動きもしないでいると、仁が時々真を見張っていた。一度美和と目が合ったとき、仁は、この屋敷で自殺でもされたら寝覚めが悪い、と言った。
真に何があったのか、美和は聞きたくもなかったし、考えたくもなかった。仁に、ヤクザの俺がビビるような目をしていやがる、と言わせるような何かがあったのだろうとは想像したが、直接確かめようとは思わなかった。知ることが怖かった。
美和が京都から北条の屋敷に戻ったのは、夜の十時を回った頃だった。若に知らせます、という若い衆を止めて、美和は自分で仁のところに行くと言った。若い衆は一瞬、微妙な顔をしたが、美和が断固とした気配を示すと、一歩下がった。
広間のほうから諍うような気配が振動のように伝わってきていた。広間は特に締め切ってあったわけでもなく、全く無防備な、開け放たれた空間だった。
「それはあなたには関係がないことだ」
その時美和の耳に飛び込んできた、幾らかかすれた真の声は、異様に切羽詰って聞こえた。昨夜真が戻ってこなかったのは、桜のところに泊まったからだと知っていたが、今日ここに戻っているのは、仁が迎えにいったからなのだろう。
「関係がない? 俺はただお前が妙な固定観念に縛られていて、それが理由であいつに会えないと思い込んでいるんじゃないかと勘繰ってるんだ。心配しているんだよ」
「だから余計なお世話だって言ってるんです。第一、あなたがそんなことを知って、何になるというんですか」
真の声が、いつもの彼とは全く違う調子で聞こえている。美和は思わず緊張した。
「何にもならんよ。あぁ、確かに、お前と初めて会った時、唐沢からお前の親父がどうのという話は聞いた気はするよ。だが唐沢流のジョークだと思っていた。ここに来て、皆がお前には人殺しの血が流れているだの何だのと言って、お前を腫物を触るように奇妙に扱う。これじゃ、勘繰ってくれと言われているようなものだ。俺はな、お前の親父が誰だか知りたいんじゃないよ。お前がそんなことに縛られてるのが堪らないだけだ」
その時、部屋をひとつ隔てた向こうの、全く美和からも開けっ広げになった場所で、真は突然仁を押し倒し、真のほうから仁に口づけた。仁は真の肩を摑んだが、そのまま二人は縺れ合うように、どちらかといえば獣が殺しあうような気配で長い間お互いを貪っているように見えた。
「これで満足ですか」
真の声は、いつか宝田と賢二と一緒に連れて行ってもらった料亭で、『叔父』と話していた時の冷たく乾いた声と同じだった。
仁は少しの時間を置いて、怒気を帯びた声で答える。
「福嶋鋼三郎のような男に騙されて身を売りやがって」
「騙されたんじゃありませんよ。自分から抱かれに行ったんだ」
「お前、どうしちまったんだ」
「どうもしません。あなたの言うとおり、福嶋の言うとおりですよ。俺は福嶋と寝て、福嶋に狂うほどに感じさせられて、おかしくなったんだ。でも、普通ならそれだけのことで人を殺したくなんかならない。寺崎孝雄を刺したとき、俺は無茶苦茶に興奮していた。今でもまだ興奮している。あの時と一緒だ。俺は今までも二度ほど人を殺しかかっている。いや、一緒じゃない。何のために殺したかったのかも今はわからなくなっている。今でも福嶋に抱かれて、今でも寺崎孝雄の体にナイフをつきたてている。この身体に、この手に感触がはっきりとある」
仁は組み敷かれたままだったが、思い切り真の頬を打った。真が狂ったように仁に殴りかかろうとすると、仁は真をきつく抱き寄せ、そのまま愛しげに真の頭を抱いた。
「あいつが苦しむ姿を見せられて、お前がおかしくなっても仕方がないよ。けど、それは正当な理由だ。頼むからしっかりしてくれ。お前、永遠にあいつを失うことになって、耐えていけるのか。お前とあいつのことに、お前の親父や福嶋鋼三郎は何の関係もないだろうに。なぁ、真、これ以上俺を狂わせんでくれ」
最後の部分は懇願するような、何かを必死で求める子どものような、それでいて淫猥な響きを持っていた。仁は真を少し離して、彼の頬に触れた。真の唇が微かに動き、何かを言った。美和には助けてと言っているよう見えた。仁は突然何かに突き動かされたようにもう一度真を抱き寄せた。貪るように唇を吸いながら、仁の手は真のシャツのボタンを気忙しそうに外し始める。真は肩で息をしながら、逆に仁を求めるようにぶつけ合うようなキスを返し、ただ仁の手が求めるままにさせていた。
美和は呆然と突っ立っていた。
仁は、真を愛しいと思っているのだ。それが女に対する恋とか愛とかとは違う種類のものだというのは何となく理解している。ただその存在が不安でもどかしいのだ。それもよく分かっている。仁は、懸命に何かと戦っている、それを表に出すこともできない、ただ己の心の内で沸騰する火の玉を持て余し唸り続けている、その真の心を抱いていてやりたいと思っているのだ。そして真は、どうしても仁に全てを預けることも甘えることもできない、それでも、本当に縋りたい相手に真っ直ぐに向かっていけない心を、誰かに救い上げて欲しいと足掻いているのだ。
仁さん、その人にそれ以上近付かないで、それ以上心を持っていかれないで、と喉まで言葉が突き上げてきたが、そのまま引っ掛かって留まってしまった。
甘いこと言わないでぶっ殺しちゃなさい、という桜の声が蘇ったが、美和にはどうすることもできなかった。
その時。
「あんた、ちょっと小娘、何ぼやっとしてんの。仁があんたに本気だって言うから、ちょっと猶予期間を与えてやってやったってのに、冗談じゃない。あんたのつもりがよく分かったよ。こういうのを指銜えて見てるようじゃ、失格だね」
それは先日この屋敷で仁に言い寄っていた水商売風の女だった。
女は今日は藍色の江戸小紋を小粋に着こなしており、美和に一瞥をくれると、美和の手を引っ張って、すたすたと部屋を横切って広間に行った。
そして、広間の仕切り襖で美和の手を離すと、いきなり胸元から出した匕首の鞘を抜き、まさに周囲も気にせず絡み合っていた仁と真の耳元の畳にざっくりと突き刺した。
美和も思わず声をあげそうになったが、まず驚いて飛び起きたのは仁だった。仁は女を見つめたまま、真の身体を庇うように抱き締めていた。
「あんたら、男同士で傷舐め合っていちゃいちゃしてんじゃないよ。男ってのは何だってそう、うじうじしてんだろうね。誰かに抱かれようが、誰かと刺し違えようが、腹括ってんだったらすっぱり忘れやがれってんだ。仁、小娘が泣いてるよ。あんたも罪な男だね。もういい加減、はっきり言ってやりな。お前には極道の妻は務まらない、すっぱり別れようってさ」
真は半分正気でないような、いやあるいはしっかり正気のような顔で、ただ女の顔を振り返り見ている。真の肌蹴た胸に一瞥をくれた女は、一瞬美和を振り返った。
その時改めて美和の目に映った女は、前に見たときよりもぐっと色気を増していて、濃く描かれた眉の下の目尻は、切れ長できりりと力強く持ち上がっていた。
仁はわざとゆっくりとした動きで女の視線を追うようにして、黙って美和を見つめている。美和の存在に驚いているような顔ではなかった。
「ちょっと、あんたは顔貸しな」
女は唐突に真を引っ張り、奥のほうへ勝手知ったるように、着物の裾で小気味いい音を立てて歩き去っていく。美和は呆然とその勢いを見送り、それからふと仁が自分を見つめ続けている視線に気が付いた。
美和も仁を見つめた。仁は着流しの袷を整え、胡坐をかいて微かに上を向き、息を吐き出した。
「昔っからあの喧嘩っ早さだけは始末に負えねぇ」
美和は黙っていた。頭が混乱して、今何をするべきか、何を言うべきか、全く検討もつかなかった。仁は胡坐をかいたままの姿勢でもう一度息を吐き出し、それから徐に美和を見た。
まだ暫く見つめあい、やがて仁が静かな、抑えるような声で言った。
「あいつの言うとおりだな、美和」
仁が何を言い出すのか、恐ろしくて美和は震えた。仁は淡々と低い声で先を続けた。あるいは感情を押し殺しているのかもしれなかった。
「いい潮時かもしれない。俺はこの通り浮気性な男だし、お前のために堅気になってやることもできない。お前も、どう転んだって極道に嫁入りは出来んだろう」
その瞬間、美和の中で突然雪崩のようにずり落ち、走り始めた感情は、もう後からどれほど思い出しても思い出せない種類の激情だった。
美和はその場で突然、着ていたものを全て脱ぎ捨てた。
たとえ屋敷の誰が見ていようとも、仁とこの広間で堂々と行為をしてやろうと美和は思った。今そうしなければ、永遠に仁を失ってしまう、という恐怖が突然に湧き起こり、ただ居ても立ってもいられない気持ちになった。仁と共有していた全ての時間がなかったことになってしまうことが、ただわけもなく苦しく、叫びだしたくなった。
仁は、唐突な美和の行動にただ呆然と美和を見ているだけで、美和が仁のところまで素っ裸で大股で近付いた時も、まだ何の反応もせずに美和を見上げていた。
だが、美和が仁に屈みこみ、仁の着流しの裾を広げようとすると、仁はかすれた声でよさないか、と言った。仁はそう言ってから暫くの間、混乱した顔をしていた。美和は突然突き上げてきた衝動に任せて、仁の足の間に口を近づけ、中途半端に大きくなったままの仁を銜えようとした。
仁は一瞬震え、それから美和、と呼びかけた。もう一度美和、と呼んで、仁は美和の肩を摑んで引き上げ、そのまま美和を抱き締めた。仁の腕の力は強く、どうしようもないとでもいうように苦しく美和を締め付けた。
「よさないか」
仁は低い、明瞭な声でそう言った。仁自身をなだめようとしているように聞こえた。仁はゆっくりと美和を離すと、着流しを脱ぎ、美和の裸の身体に掛けた。
「衝動的に決めることじゃない」
そう言って仁は美和を抱き上げ、そのまま奥の寝室に連れて行く。美和を布団に降ろすと、静かに身体を重ね抱き締めただけで、美和の額に口づけると、仁は素っ裸のまま立ち上がった。
「一緒にいてくれないの」
恐らく美和は初めて、泣きそうな声で仁に訴えた。仁は背中を向けたままだった。
「俺も、頭を冷やしたほうが良さそうだ」
美和は仁の背中の龍を見つめていた。蠕く龍は目を光らせ、本当にお前に覚悟があるかと聞いている。美和は目を閉じた。私も頭を冷やそう、と思った。
もう一度目を開けると、仁の姿はなく、明りも消えて、ただ真っ暗だった。
微かに遠くで風がなっている。密やかな睦事の音が衣擦れのように闇の中で交わされている。もしかしてあの女と仁が、と思ったが、不意にそれは違う、仁を信じたいと思った。幾つかの襖を通しても伝わってくる艶事の気配は、どこか必死で、それでいて静かに快楽を貪るように聞こえた。美和はその音を聞きながら、自分の身体がじわりと濡れてくるのを感じた。
仁を愛していると、美和は今はっきりとその言葉を頭の中に浮かべることができた。あの女はまだしも、真に仁を渡したくないと、そう思った。美和は、自分が一時とは言え心から惹かれた人間の、底なし沼のような引力を、自分こそがよく知っていると思った。仁が同じようにそれに惹かれていることが許せなかった。
今、自分は明らかに嫉妬していると思った。
真に対する捨てきれなかった想いの根底にある複雑な感情は、仁の真への想いと絡まってしまっている。仁は始めから、真を特別な場所においているような気がしていた。いつもの仁ならもっとさっさと口説き落としている、そして口説き落とせなければさっさと身を引く、そういう潔さがあるのに、たとえ大和竹流の存在がそうさせるのだとしても、真だけに対しては今は手を出さずに、それでもいつかは、と思っているのではないかと、美和は時々仁の横顔を見ながらそう感じていた。
それが、葉子の言う男の人たちが抱いている幻想の結果だとしても、仁自身はそんなことを深く考えてはいないだろう。単純に、仁は真が愛おしいのだろうと思える。そういう仁の感情を、あの日仁が始めて美和に真の昔の写真を見せた瞬間から、美和は悟っていたような気がした。そして美和は、あの瞬間、仁が無邪気に恋をしていた少年への想いを、共有したのかもしれない。
仁が想い、仁が優しく声を掛け、仁がその唇に触れようとするから、美和は真を同じ目で見つめている。そしてその時、美和はまだ会う前から、ずっと真に嫉妬していたことに気が付いたのだ。
美和は仁の着流しに染み込んだ、仁の男臭いにおいを吸い込み、ただ堪らない気持ちになって自分の中にそっと指を挿れた。そこは溢れるように濡れていて、仁を求めていた。仁の着物の襟が微かに、まだ子どものようだった胸に触れ、乳首が硬く勃ちあがると、身体が震える。美和は、いつも仁がするように優しくではなく、強く自分の胸の突起を摘み、身体の奥が明らかにじわりと熱を上げたのを感じた。身体が疼き、芯から震えるような心地がして、脚を広げてゆっくりと指を動かし、ただその場所に仁のものを受け入れていることを思い描き、微かに乱れた息を吐き出しながら、今、美和は生まれて初めて女になったのだと思った。
(つづく)




次回、第36章の最終部分です。いや、このあたり、やっぱりちょっと照れるな。真と仁が何しても、真と福嶋が何しても、一向にどうでもいいのに……
<次回予告>
「いいのか。仁さんに惚れてるんだろう?」
「惚れてるさ。でもあたしは三十年近くも待ってるんだよ。今更急ぐ必要なんてないんだ。あと何年か待つくらいどうってことない。仁は直ぐに小娘に飽きるだろうし、小娘ははなっから極道の妻になれる玉じゃないよ。言っとくけど、あたしが小娘の立場だったら、あんたの胸に匕首を突き立ててたよ」
(本当の意味で真を立ち直らせたのはこの女かも? いや、大して立ち直っていないけれど)



葉子の話していた『真実の瞬間』は、まさにその日のうちに天から降ってきた。
東京に帰り、美和はさんざん迷った挙句に、マンションではなく、北条の屋敷に戻った。
色々な複雑な想いはあるが、このところ仁が憔悴しているように見えるのが気になっていて、ひとりでマンションにいても落ち着かないような気がしたのだ。
北条仁という男は大概自信に満ちていて、あまり落ち込んだり悩んだりしない人間に見えた。若い衆達を大事にし、時代劇に出てくるめ組の親分よろしく、困った人がいるとついつい顔も手も口も出してしまうような人間だった。たまにはその鷹揚さが他人を傷つけることもあるのだろうが、何となく人懐こいムードでそれを誤魔化してしまう。
勿論、人懐こい、というのはある側面の仁の顔で、ヤクザの跡継ぎとしての自分を世間に晒すときは、全く別の顔を見せる。美和自身は仁が啖呵を切る姿など見たことはないが、時折見せる剣呑な表情に、仁の中の全く別人格を感じることもある。
もともと華族でもある北条家の立場は、この世界では微妙な位置にある。それも東吾の豪快な性質のお蔭でなめられずに済んでいるようなものだ。この世界で生き残り、一家を守るために、絶対に舐められないようにと、どれほど仁が気を使っているか、想像に難くない。
不動産と株や金融で屋台座を支えている北条の経済基盤は、クスリや女を商売道具にしている周囲のヤクザ組織からは一線を画しているように見えていて、そのことがかえって東吾や仁のこの世界での居場所を微妙にしているところがあるからだ。
『生易しい』という批判を跳ね除けるように、仁は身体に彫り物を入れた。青白いヤクザと舐められることを嫌ったのだ。だから、親分筋の寛和会への義理は欠かさない。もしも抗争になれば、親元を助けるために一番に駆けつけるのだろう。
今なら目を瞑る、と言われて以来、仁はマンションにはやってこないし、美和を北条の屋敷に泊めている間も、全く美和に手を触れてくる気配もなかった。それどころか、真っ直ぐに美和の目を見ることもない。仁は美和の答えを待っているのか、もう諦めているのか、あるいはそれ以外の辛い決心を自らに迫っているのか、実際には美和も摑みかねていた。
あの日、若い衆たちが意識も朦朧とした真を連れ帰った日から、仁の目つきがより険しくなった。それからの数日、美和は全く屋敷を出してもらえなかった。夜は、離れていても聞こえてくる真の呻き声に恐怖を覚えた。何があったのか、誰も説明してくれなかった。北条の若い衆も東吾も仁も、たった一つの卵を猛禽から守る鳥の群れのようになって、真を守っているように見えた。
数日後には真は、夜はともかく、昼間は比較的まともに見えるようになっていたが、縁側に着流しで座ったまま、ほとんど口もきかなかった。着物の袷から覗く胸は、ここ暫くの間にやつれたように見え、そうなると真は異様なほどに色気があるように見えた。自分の存在については何の興味もなく、無防備で無抵抗な真の姿は、美和でさえ、自分が男だったら押し倒して犯してしまいたいと思うほどに情けなくやるせなく、そして欲情をかきたてるようだった。
もっとも当の真は、享志が帰ってきてからは、出かけるようにもなったし、食事中も自分が食べているものに対して反応するようにもなった。それまでは空気でも食べているように食事中も全く表情がなかったが、少なくとも味付けに顔をしかめるようにはなっていた。
一方で、仁のほうはますます思い悩んでいるように見えた。
真には自覚がないのかもしれないが、昼間の活動と、夜の様子がまるで違っているからかもしれない。真は出かけて行っては、帰って来ると、誰とも口をきかずに一段と無表情になってどこかあらぬところを見ていた。
それならいっそ出かけずに屋敷でぼんやりしていてくれる方がまだ安心だと、仁は思っているのだろう。このところ仁が真を見つめる目には、いつもの仁にはない複雑なものが潜んでいる。それが単に真への欲情だとは思えないが、彼は何かに酷く傷ついているように見えた。
桜と一緒に真を迎えに行ったあの薄暗い地下のバーを思い出す。テーブルに身を丸めるようにして座っていた真は、まるで見たことのない毒蜘蛛の巣の中に永遠の安堵の棲家を見出しているようだった。あの時、桜がいなかったら、あんなふうに上手くやり切ることは出来なかった。真のあの場所に残して、後ずさりしていたかもしれない。
真はまだ、あの暗い場所と、そしてこちらのもう少し明るい場所を行ったり来たりしていて、特に夜になると、ずっと暗い方へと引きずられていってるようだった。一度精神の病を発症した者は、それを上手く隠していても、ちょっとしたことでフラッシュバックを起こし、また暗い世界に戻っていってしまう。その行き来は真を余計に混乱させ、昼間に見せる回復の分だけ、夜の闇にはより敏感になっているのかもしれなかった。
それとも、そんなふうに思う美和の方が、何かに憑りつかれているのかもしれない。
自分にとって辛いことが起こっても今は目も耳も塞ごうと思っていたのに、あの日、夜中に真を抱く仁を見てしまった。
その日は、窓を締め切ると湿気が篭もるようで、かといって冷房を入れる習慣があまりない北条の屋敷では、風が通るようにと、襖が開け放たれていた。
彼らが特別な行為をしていたとは思わない。真はただ魘されていたのだろう。魘されながら叫びを上げて、仁に縋りつく姿は、美和の全く知らない生き物のようで怖かった。それが実際の性行為でなくても、仁の抱き方には真を求め、犯して救おうとするようなニュアンスがあり、真の縋りつき方にも仁に助けを求め、必要なら抱かれようとしているような淫らな気配が漂っていた。
昼間、真が縁側に座ったまま身動きもしないでいると、仁が時々真を見張っていた。一度美和と目が合ったとき、仁は、この屋敷で自殺でもされたら寝覚めが悪い、と言った。
真に何があったのか、美和は聞きたくもなかったし、考えたくもなかった。仁に、ヤクザの俺がビビるような目をしていやがる、と言わせるような何かがあったのだろうとは想像したが、直接確かめようとは思わなかった。知ることが怖かった。
美和が京都から北条の屋敷に戻ったのは、夜の十時を回った頃だった。若に知らせます、という若い衆を止めて、美和は自分で仁のところに行くと言った。若い衆は一瞬、微妙な顔をしたが、美和が断固とした気配を示すと、一歩下がった。
広間のほうから諍うような気配が振動のように伝わってきていた。広間は特に締め切ってあったわけでもなく、全く無防備な、開け放たれた空間だった。
「それはあなたには関係がないことだ」
その時美和の耳に飛び込んできた、幾らかかすれた真の声は、異様に切羽詰って聞こえた。昨夜真が戻ってこなかったのは、桜のところに泊まったからだと知っていたが、今日ここに戻っているのは、仁が迎えにいったからなのだろう。
「関係がない? 俺はただお前が妙な固定観念に縛られていて、それが理由であいつに会えないと思い込んでいるんじゃないかと勘繰ってるんだ。心配しているんだよ」
「だから余計なお世話だって言ってるんです。第一、あなたがそんなことを知って、何になるというんですか」
真の声が、いつもの彼とは全く違う調子で聞こえている。美和は思わず緊張した。
「何にもならんよ。あぁ、確かに、お前と初めて会った時、唐沢からお前の親父がどうのという話は聞いた気はするよ。だが唐沢流のジョークだと思っていた。ここに来て、皆がお前には人殺しの血が流れているだの何だのと言って、お前を腫物を触るように奇妙に扱う。これじゃ、勘繰ってくれと言われているようなものだ。俺はな、お前の親父が誰だか知りたいんじゃないよ。お前がそんなことに縛られてるのが堪らないだけだ」
その時、部屋をひとつ隔てた向こうの、全く美和からも開けっ広げになった場所で、真は突然仁を押し倒し、真のほうから仁に口づけた。仁は真の肩を摑んだが、そのまま二人は縺れ合うように、どちらかといえば獣が殺しあうような気配で長い間お互いを貪っているように見えた。
「これで満足ですか」
真の声は、いつか宝田と賢二と一緒に連れて行ってもらった料亭で、『叔父』と話していた時の冷たく乾いた声と同じだった。
仁は少しの時間を置いて、怒気を帯びた声で答える。
「福嶋鋼三郎のような男に騙されて身を売りやがって」
「騙されたんじゃありませんよ。自分から抱かれに行ったんだ」
「お前、どうしちまったんだ」
「どうもしません。あなたの言うとおり、福嶋の言うとおりですよ。俺は福嶋と寝て、福嶋に狂うほどに感じさせられて、おかしくなったんだ。でも、普通ならそれだけのことで人を殺したくなんかならない。寺崎孝雄を刺したとき、俺は無茶苦茶に興奮していた。今でもまだ興奮している。あの時と一緒だ。俺は今までも二度ほど人を殺しかかっている。いや、一緒じゃない。何のために殺したかったのかも今はわからなくなっている。今でも福嶋に抱かれて、今でも寺崎孝雄の体にナイフをつきたてている。この身体に、この手に感触がはっきりとある」
仁は組み敷かれたままだったが、思い切り真の頬を打った。真が狂ったように仁に殴りかかろうとすると、仁は真をきつく抱き寄せ、そのまま愛しげに真の頭を抱いた。
「あいつが苦しむ姿を見せられて、お前がおかしくなっても仕方がないよ。けど、それは正当な理由だ。頼むからしっかりしてくれ。お前、永遠にあいつを失うことになって、耐えていけるのか。お前とあいつのことに、お前の親父や福嶋鋼三郎は何の関係もないだろうに。なぁ、真、これ以上俺を狂わせんでくれ」
最後の部分は懇願するような、何かを必死で求める子どものような、それでいて淫猥な響きを持っていた。仁は真を少し離して、彼の頬に触れた。真の唇が微かに動き、何かを言った。美和には助けてと言っているよう見えた。仁は突然何かに突き動かされたようにもう一度真を抱き寄せた。貪るように唇を吸いながら、仁の手は真のシャツのボタンを気忙しそうに外し始める。真は肩で息をしながら、逆に仁を求めるようにぶつけ合うようなキスを返し、ただ仁の手が求めるままにさせていた。
美和は呆然と突っ立っていた。
仁は、真を愛しいと思っているのだ。それが女に対する恋とか愛とかとは違う種類のものだというのは何となく理解している。ただその存在が不安でもどかしいのだ。それもよく分かっている。仁は、懸命に何かと戦っている、それを表に出すこともできない、ただ己の心の内で沸騰する火の玉を持て余し唸り続けている、その真の心を抱いていてやりたいと思っているのだ。そして真は、どうしても仁に全てを預けることも甘えることもできない、それでも、本当に縋りたい相手に真っ直ぐに向かっていけない心を、誰かに救い上げて欲しいと足掻いているのだ。
仁さん、その人にそれ以上近付かないで、それ以上心を持っていかれないで、と喉まで言葉が突き上げてきたが、そのまま引っ掛かって留まってしまった。
甘いこと言わないでぶっ殺しちゃなさい、という桜の声が蘇ったが、美和にはどうすることもできなかった。
その時。
「あんた、ちょっと小娘、何ぼやっとしてんの。仁があんたに本気だって言うから、ちょっと猶予期間を与えてやってやったってのに、冗談じゃない。あんたのつもりがよく分かったよ。こういうのを指銜えて見てるようじゃ、失格だね」
それは先日この屋敷で仁に言い寄っていた水商売風の女だった。
女は今日は藍色の江戸小紋を小粋に着こなしており、美和に一瞥をくれると、美和の手を引っ張って、すたすたと部屋を横切って広間に行った。
そして、広間の仕切り襖で美和の手を離すと、いきなり胸元から出した匕首の鞘を抜き、まさに周囲も気にせず絡み合っていた仁と真の耳元の畳にざっくりと突き刺した。
美和も思わず声をあげそうになったが、まず驚いて飛び起きたのは仁だった。仁は女を見つめたまま、真の身体を庇うように抱き締めていた。
「あんたら、男同士で傷舐め合っていちゃいちゃしてんじゃないよ。男ってのは何だってそう、うじうじしてんだろうね。誰かに抱かれようが、誰かと刺し違えようが、腹括ってんだったらすっぱり忘れやがれってんだ。仁、小娘が泣いてるよ。あんたも罪な男だね。もういい加減、はっきり言ってやりな。お前には極道の妻は務まらない、すっぱり別れようってさ」
真は半分正気でないような、いやあるいはしっかり正気のような顔で、ただ女の顔を振り返り見ている。真の肌蹴た胸に一瞥をくれた女は、一瞬美和を振り返った。
その時改めて美和の目に映った女は、前に見たときよりもぐっと色気を増していて、濃く描かれた眉の下の目尻は、切れ長できりりと力強く持ち上がっていた。
仁はわざとゆっくりとした動きで女の視線を追うようにして、黙って美和を見つめている。美和の存在に驚いているような顔ではなかった。
「ちょっと、あんたは顔貸しな」
女は唐突に真を引っ張り、奥のほうへ勝手知ったるように、着物の裾で小気味いい音を立てて歩き去っていく。美和は呆然とその勢いを見送り、それからふと仁が自分を見つめ続けている視線に気が付いた。
美和も仁を見つめた。仁は着流しの袷を整え、胡坐をかいて微かに上を向き、息を吐き出した。
「昔っからあの喧嘩っ早さだけは始末に負えねぇ」
美和は黙っていた。頭が混乱して、今何をするべきか、何を言うべきか、全く検討もつかなかった。仁は胡坐をかいたままの姿勢でもう一度息を吐き出し、それから徐に美和を見た。
まだ暫く見つめあい、やがて仁が静かな、抑えるような声で言った。
「あいつの言うとおりだな、美和」
仁が何を言い出すのか、恐ろしくて美和は震えた。仁は淡々と低い声で先を続けた。あるいは感情を押し殺しているのかもしれなかった。
「いい潮時かもしれない。俺はこの通り浮気性な男だし、お前のために堅気になってやることもできない。お前も、どう転んだって極道に嫁入りは出来んだろう」
その瞬間、美和の中で突然雪崩のようにずり落ち、走り始めた感情は、もう後からどれほど思い出しても思い出せない種類の激情だった。
美和はその場で突然、着ていたものを全て脱ぎ捨てた。
たとえ屋敷の誰が見ていようとも、仁とこの広間で堂々と行為をしてやろうと美和は思った。今そうしなければ、永遠に仁を失ってしまう、という恐怖が突然に湧き起こり、ただ居ても立ってもいられない気持ちになった。仁と共有していた全ての時間がなかったことになってしまうことが、ただわけもなく苦しく、叫びだしたくなった。
仁は、唐突な美和の行動にただ呆然と美和を見ているだけで、美和が仁のところまで素っ裸で大股で近付いた時も、まだ何の反応もせずに美和を見上げていた。
だが、美和が仁に屈みこみ、仁の着流しの裾を広げようとすると、仁はかすれた声でよさないか、と言った。仁はそう言ってから暫くの間、混乱した顔をしていた。美和は突然突き上げてきた衝動に任せて、仁の足の間に口を近づけ、中途半端に大きくなったままの仁を銜えようとした。
仁は一瞬震え、それから美和、と呼びかけた。もう一度美和、と呼んで、仁は美和の肩を摑んで引き上げ、そのまま美和を抱き締めた。仁の腕の力は強く、どうしようもないとでもいうように苦しく美和を締め付けた。
「よさないか」
仁は低い、明瞭な声でそう言った。仁自身をなだめようとしているように聞こえた。仁はゆっくりと美和を離すと、着流しを脱ぎ、美和の裸の身体に掛けた。
「衝動的に決めることじゃない」
そう言って仁は美和を抱き上げ、そのまま奥の寝室に連れて行く。美和を布団に降ろすと、静かに身体を重ね抱き締めただけで、美和の額に口づけると、仁は素っ裸のまま立ち上がった。
「一緒にいてくれないの」
恐らく美和は初めて、泣きそうな声で仁に訴えた。仁は背中を向けたままだった。
「俺も、頭を冷やしたほうが良さそうだ」
美和は仁の背中の龍を見つめていた。蠕く龍は目を光らせ、本当にお前に覚悟があるかと聞いている。美和は目を閉じた。私も頭を冷やそう、と思った。
もう一度目を開けると、仁の姿はなく、明りも消えて、ただ真っ暗だった。
微かに遠くで風がなっている。密やかな睦事の音が衣擦れのように闇の中で交わされている。もしかしてあの女と仁が、と思ったが、不意にそれは違う、仁を信じたいと思った。幾つかの襖を通しても伝わってくる艶事の気配は、どこか必死で、それでいて静かに快楽を貪るように聞こえた。美和はその音を聞きながら、自分の身体がじわりと濡れてくるのを感じた。
仁を愛していると、美和は今はっきりとその言葉を頭の中に浮かべることができた。あの女はまだしも、真に仁を渡したくないと、そう思った。美和は、自分が一時とは言え心から惹かれた人間の、底なし沼のような引力を、自分こそがよく知っていると思った。仁が同じようにそれに惹かれていることが許せなかった。
今、自分は明らかに嫉妬していると思った。
真に対する捨てきれなかった想いの根底にある複雑な感情は、仁の真への想いと絡まってしまっている。仁は始めから、真を特別な場所においているような気がしていた。いつもの仁ならもっとさっさと口説き落としている、そして口説き落とせなければさっさと身を引く、そういう潔さがあるのに、たとえ大和竹流の存在がそうさせるのだとしても、真だけに対しては今は手を出さずに、それでもいつかは、と思っているのではないかと、美和は時々仁の横顔を見ながらそう感じていた。
それが、葉子の言う男の人たちが抱いている幻想の結果だとしても、仁自身はそんなことを深く考えてはいないだろう。単純に、仁は真が愛おしいのだろうと思える。そういう仁の感情を、あの日仁が始めて美和に真の昔の写真を見せた瞬間から、美和は悟っていたような気がした。そして美和は、あの瞬間、仁が無邪気に恋をしていた少年への想いを、共有したのかもしれない。
仁が想い、仁が優しく声を掛け、仁がその唇に触れようとするから、美和は真を同じ目で見つめている。そしてその時、美和はまだ会う前から、ずっと真に嫉妬していたことに気が付いたのだ。
美和は仁の着流しに染み込んだ、仁の男臭いにおいを吸い込み、ただ堪らない気持ちになって自分の中にそっと指を挿れた。そこは溢れるように濡れていて、仁を求めていた。仁の着物の襟が微かに、まだ子どものようだった胸に触れ、乳首が硬く勃ちあがると、身体が震える。美和は、いつも仁がするように優しくではなく、強く自分の胸の突起を摘み、身体の奥が明らかにじわりと熱を上げたのを感じた。身体が疼き、芯から震えるような心地がして、脚を広げてゆっくりと指を動かし、ただその場所に仁のものを受け入れていることを思い描き、微かに乱れた息を吐き出しながら、今、美和は生まれて初めて女になったのだと思った。
(つづく)



次回、第36章の最終部分です。いや、このあたり、やっぱりちょっと照れるな。真と仁が何しても、真と福嶋が何しても、一向にどうでもいいのに……
<次回予告>
「いいのか。仁さんに惚れてるんだろう?」
「惚れてるさ。でもあたしは三十年近くも待ってるんだよ。今更急ぐ必要なんてないんだ。あと何年か待つくらいどうってことない。仁は直ぐに小娘に飽きるだろうし、小娘ははなっから極道の妻になれる玉じゃないよ。言っとくけど、あたしが小娘の立場だったら、あんたの胸に匕首を突き立ててたよ」
(本当の意味で真を立ち直らせたのはこの女かも? いや、大して立ち直っていないけれど)
Category: ☂海に落ちる雨 第5節
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