FC2ブログ
04 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 06

コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【サキさん30000Hitお祝い短編】 Hasta mi final~この命尽きるまで~ 

ブログのお友達、サキさんのDebris circusの30000Hitリクエストの枠をゲットしたので、何か掌編を書いて頂くことになったのですが、その前に、ずっと以前からミクin Romaの話を書く書く詐欺していたので、この際に私が先にお祝いの話を書こうと思ったわけです。

このポルト&ローマ陣営の物語には、八少女夕さんの【黄金の枷】シリーズ(外伝)と山西サキさんの【絵夢の素敵な日常】に登場する人々が絡んでいます。しかし、実のところは、うちのメンバーだけが実時間では未来から来た「タイムトラベラー」なのです。でも、これは楽しくキャラたちで遊ぼう?という企画なので、このシリーズにおいてだけ、うちのシリーズは時間軸を無視しております(^^) 
それはまぁ、読む際にはあまり大きな影響はないので、一応お断りということで。

サキさんと夕さんの書かれたキャラたちについて。
ここに登場する、ミク・イケウエ・エストレーラは少し複雑な出生の事情のあるオペラ歌手ですが、アウスブルグのオペラ劇場の音楽監督、ハンス・ガイテル氏に認められて素晴らしい舞台で主役を演じきった後で、ポリープの手術を受けることになってしまいました。彼女には、ポルトに祖母のメイコがいて、また6つ年下の(今回のお話の時点では)恋人未満、友人以上のジョゼがいます。
ジョゼは夕さんの【黄金の枷】のヒロイン・マイアの幼なじみ。さらに、その物語に登場する由緒ある一族に対して、うちのヴォルテラの新・次代当主のサルヴァトーレがオイタをしたといういわくもあります。

夕さんとサキさんがすでに書き上げられた部分では、ジョゼとミクはもう結婚式を挙げたのですが、この物語は、ちょっと遡って、まだミクとジョゼが気持ちを確かめ合う前、好きだけれど、年齢の関係も微妙だし、立場もチガウし、うにゃうにゃで悩んでいる頃です。
丁度のその時、ミクの友人、絵夢・ヴィンデミアトリックスの紹介でイタリアの有名耳鼻咽喉科医の手術を受けることになったミクをお世話することになったのが、ローマのヴォルテラ家。そして、ミクは手術を受けるために時々ローマで診察を受けたり説明を聞いたり、リハビリや術後の生活のことなどを整えたりしていますが、ローマ滞在の時は、ヴォルテラ家ではなく音楽家・慎一の家にいます。

細かいことはさて置いて、この由緒正しき教皇のお庭番?ヴォルテラの次期当主となるはずだったロレンツォが、事もあろうに、日本人のお嬢ちゃん・詩織と恋に落ちてしまったのですが、玉の輿シンデレラストーリーのはずが、やはり貴族と異国の庶民の結婚にはあれこれ障害もあり、さらにこの二つの家系は百年にわたる因縁があり、そうは問屋が卸さない状態で、何より詩織の父親・二代目真がかなりお怒りの様子。詩織は、家出同然にローマにいるので、まだ父親とは和解できていません。

ロレンツォと詩織の恋の軌跡を書いたシンデレラストーリーはこちら→【ローマのセレンディピティ】
ピアニスト慎一の若かりし頃の物語はこちら→【ピアニスト慎一シリーズ】

詩織の父親・二代目真のストーリーはまだ手が回っていませんが、実は鉛筆書きではファイル1冊分、多分ノートのページでぎっしり百枚以上あるのです。そんな因縁部分をぶっ飛ばしていますので、分かりにくい部分もあると思いますが、ここは単純に、娘の結婚を認められない頑固オヤジと思っていただいて問題は無いように思います。
一代目と違って、悩むことは悩むけれど、正しい方向へもずれた方向へも猪突猛進系の二代目です。
ちなみに、彼はただいま、日本では某バンド(ロックというのかポップスというのか)のヴォーカリスト、そして時々別の多国籍ヴォーカルグループでも活動しています。
その父親がついにこのヴォーカルグループのコンサートでローマに来てしまいました。危うし、詩織……ってそういう話じゃないか。いや、危ういのは、ぶっ飛ばされるかも知れないロレンツォか……

ミクと詩織がそれぞれ気持ちを固めていく会話をお楽しみいただけたら、と思います。
あ、ガイテル氏を勝手にあれこれ肉付けして済みません。まぁ、狭い畑ですから、知り合っていてもおかしくないだろうし。年齢は随分チガウので、ガイテル氏からすると、慎一は伝説の人に近いのかも^^;

そして、サキさんへのリクエストは、いよいよ手術となれば、きっとジョゼや絵夢も遠くから見守っているだけではすまなかったと思うので、その辺りのことを、結婚後の思い出話としてでも新婚旅行に絡めてでもいいので、お願いしちゃいましょう。

そうそう、慎一は、私が敬愛していた大フィルの指揮者・朝比奈隆さんと同じように92歳までは頑張っていただく予定です。今回、直接の登場はありませんが、ミクのことを孫娘と同じように思っているようです。
そして、このタイトル『Hasta mi final』というのはスペイン語で「(私の命の)終わる時まで」という意味です。この歌は『続きを読む』を御覧ください(BGMにしてくださいませ)。
実は、二代目真が参加しているヴォーカルグループのモデルは、IL DIVOなのですが、彼らの曲のイメージでこの物語を書きました。歌詞はほぼまんま、結婚式のあの誓いの言葉です。

改めまして、サキさん、30000Hit、おめでとうございます(*^_^*)
この【Hasta mi final】の歌は、ミクとジョゼの結婚へのお祝いでもあります(^^)/


【Hasta mi final~この命尽きるまで~】

 末娘が、どうやら結婚するようです。
(「お前、どうやら、って何だよ」と後ろから笑いを含んだ仲間の声がする。)
 ご存知の方も多いと思いますが、子どもが三人います。上の二人の子どもが小さいときには、仕事でほとんど家にいなかったので、あまり懐いてくれなかった。でも、一番下の娘は、甘えん坊で離れると泣くので、小さい頃からよく仕事にもくっついてきて、ここにいる三人からも、日本の私のバンドのメンバーからも可愛がられていました。
 父親というのは、ここにいる皆さんもそうでしょうが、勝手に思い込んでいるものです。まさか、この可愛い娘が自分の手元から離れることはあるまいと。
 私は、十九の時に日本に母親をひとり置いて、今のバンドのメンバーと渡英したのですが、そういう私の身勝手とか無鉄砲さとか、よく言えば独立心が強いところなど、三人の中で格別泣き虫で甘えん坊で素直で可愛らしいこの小さな娘だけは、受け継いでいないものだと思っていました。けれど、彼女は私の反対を押し切ってこのローマに来て、自分なりに少しは人に認められる仕事をして、愛する男と出会った。やはり彼女は私の娘だったのだと、不思議に納得して、今になって、これまで手元で可愛がっていた時よりもはっきりと、彼女を誇りに思うようになっています。
 そんなお前が選んだ男なんだからと言ってやりたいのは山々ですが、やはり父親は誰でもそうでしょうが、今のところは相手の男をぶっ飛ばしてやりたいと思っています。しかし、運命の神が結び合わせたものを、人の力で裂くことはできないといいます。
(「そうだ、諦めろ」)
 仕方が無いので、歌います。


 その日のコロッセオは、溢れ出す熱気が天にまで届くようだった。
 寒くなり音楽シーズンが本格的になればどのコンサートホールも賑わいを見せるのだが、夏から秋にかけてのこの時期には、野外の古代遺跡が特別なコンサート会場になる日がある。大都会の灯りのために、シャンデリアの代わりに星々が天を埋め尽くすとはいかないが、その日は満月で、見上げると月の光に抱かれているような心地になった。

 ここに来るまで、本当は迷っていた。父とは日本を出てきてから、もう何年か一度も会っていないし、今の状況について自分の口からは説明できていなかった。だが、チケットは曾祖父の慎一のところに十枚以上も送られてきていたし、世話になっているヴォルテラ家の人たちだけではなく、ロレンツォの隠れ家(そして近い未来には新婚生活を送るはずの家)の工房の仲間たちも幾人か招待することになってしまったので、さすがに当の詩織が行かないわけにはいかなかった。招待された全員が、今日のコンサートを心待ちにしていることも分かっている。

 それに、その日は、このところ曾祖父が気にかけている女性が一緒だった。
 彼女はポリープの治療のためにイタリアに来ていて、今年中には手術を受ける予定になっている。彼女の住まいはポルトガルのポルトだが、今は診察を受けたり、手術の説明を聞いたりするのに、時々ローマに滞在している。手術を受けることを決めているものの、まだ不安の方が大きいだろうし、心細いだろうから、歳の近い詩織に力になってやって欲しいと頼まれていたのだ。

 それに手術の期間、その後のローマでの治療期間は、ヴォルテラ家が完全にバックアップすることになっている。古い付き合いのヴィンデミアトリックス家のお嬢様がくれぐれもよろしくと直接挨拶にも来ていたし、ついでにロレンツォ曰く、サルヴァトーレが以前迷惑をかけた筋の関係でもあるから、その貸しをいくらか返すことにもなるという。
 さらに、ピアニストであり、八十代の今でもローマのオペラ座の音楽顧問兼チェチーリア音楽院で教鞭も執っている曾祖父の、若い友人のひとりであるハンス・フリードリヒ・ガイテル氏からも、くれぐれもくれぐれも頼みますと何度も連絡が来ていた。

 慎一はピアニストなのだが、一時、事情があってピアノを離れていたときに東欧の劇場の音楽監督を務めていたこともあるし、スカラ座やオペラ座の音楽助監督を務めていたこともある。そして、彼が作曲・編曲した現代オペラを好んで取り上げて上演してくれている劇場の責任者のひとりが、ガイテル氏なのだった。
 そのガイテル氏は、ミクの「才能」を心から愛していて、誰よりも彼女の手術の成功を願っている。彼はそう言っていたが、詩織は何度か会って話しているうちに、彼の気持ちはそれだけではないのだなと感じた。
 人が人を思う気持ちというのは本当に暖かくて尊いものだと思う。

 手術を担当する予定になっているのは、世界でもこの分野では最も腕がいいとされている幾人かの医師の一人だが、それでもこれだけの面々に囲まれてしまったのでは、医者も身が縮むだろうね、と慎一は笑っていた。その医師のことはよく知っていて、信頼しているのだ。
 だが、例えどんなに周囲が道を整えたところで、ミクの不安はすっかり消え去るものでもない。手術を受けるのは他の誰でもなく、本人なのだ。そして、音楽家が自分の武器を失うことの恐怖を誰よりも知っている慎一は、ミクに対して、まるで本当の祖父のように接しているのだった。

 幾度となく父親がステージに立っている姿は見てきたが、こんなに緊張して客席に座るのも、父がステージの上でこんなにも話すのを聞いたのも、初めてだった。
 バンドで主にMCを務めているのは作曲とキーボードを担当している神坂伸二だったし、そもそも父はヴォーカリストのくせに人前で話をするのが得意な人ではなかった。他のメンバーに肩を叩かれて、押し出されるようにステージの中央に立った彼が「仕方が無いので」と言ったのは、まさに本音だったのだろう。

 その曲が始まってから終わるまでの時間は、ものすごく短かったようでもあるし、曲のままに命の尽きる時までの永遠のようでもあった。CDでは何度も何度も聴いていた曲なのに、今日は全てが違って聞こえた。
 もちろん、花嫁となる娘を持つ父に花を持たせようとしてくれた他のメンバーが、自分たちのソロパートを全て父に譲ったからというのもあったけれど、それは打ち合わせに無かったようで、父は自分のパートの後、誰も歌い出さないので一瞬驚いたようにメンバーを振り返っていた。

 さっさとお前が続きも歌え、というようにメンバーが手で合図を送ると、客席からは大きな拍手が湧き起こり、ローマの夜空に響き渡った。
 詩織の席からステージまでは幾分か距離があったので、事態を飲み込めなくて戸惑ったような彼の顔がはっきりと見えていたのかどうかは分からない。だが、詩織には、父の表情は目の前にあるように分かったし、それを見た瞬間に、抑えていた涙が溢れ出し、そこから先は、本当にステージは見えなくなった。

 オーケストラの伴奏を追いかけるように、父がやむを得ずというように再びマイクに向かうと、一瞬に客席が静まりかえる。管弦楽の暖かな響きがコロッセオを包み込み、その中に感情を押し殺しながらも、意味を確かめるように言葉を紡ぐ父の姿が、涙の向こうで神々しいくらい眩しく浮かび上がっていた。

 この多国籍ヴォーカルグループは、ある音楽プロデューサーが「自分が聴きたい音楽をやるために」作ったというグループで、自分たちのメインの音楽活動は続けたまま、一年に一度くらい集まり、幾つかの都市でコンサートをしたりアルバムを作ったりしている。アメリカ人のジャズ歌手、ドイツ人のオペラ歌手、フランス人のミュージカル・オペラ歌手、そして日本人のポップス・ロック歌手。
 誰もが「それって成立するのか」と訝しんだにも関わらず、当初は五年間の活動予定だったものが、気がついたらもう十五周年を過ぎてしまった。音楽の幅はますます広がって、今や世界中のファンが彼らのステージを待ち望んでいるという。

 久しぶりに生で聴く父の声は、そして短い曲のラストには、プリセンス・シオリといつも詩織のことを呼んでくれた彼らの重なり合った声は、全てのひとつの言葉を明瞭に聴く者の耳に運び、詩織の前に愛しくも懐かしい日々を描き出した。

 父親の商業用の顔は今では録画でも雑誌でもどこでも見ることができたが、母が撮っていた幾つかのビデオの中に閉じ込められていたプライベートの顔は特別なものだった。物心がついた時には、父親はほとんど家にいるようないないような生活をしていたので、母が子供たちのために「普通の父親」の顔を撮っておこうとしたものだ。
 走馬燈のように、というのは本当なのだと詩織は思った。場面が次々と現われて消えていくのか、一瞬にして全てが重なって周囲を埋め尽くしたのか、記憶の引き出しから魔法のように場面が飛び出してくる。

 姉や兄の時には言わなかったらしいのに、詩織の時だけは、小学校の参観日に行くと主張して、学校から「警備上の問題と周囲への影響から」できれば自粛していただけたらと言われた時の悔しそうな顔。マイホームパパはキャラに合わないと言いながらも、キャンプに行くとなれば一番はしゃいでいたのは父だった。
 中学生の頃にはぐれていた兄とは真っ向勝負、本気で戦っていた。母はいつも、あれは精神年齢が同じなのよ、と呆れ果てたように(でも愛情を込めて)言った。それでも、補導された兄を迎えに行った時、怪我をさせた喧嘩相手とその両親の前にいきなり土下座をして謝った父を見て、兄は馬鹿らしくなってぐれるのを辞めたと言っていた。兄は嬉しかったし恥ずかしかったのだ。日本中に名を知られているバンドのヴォーカリストである父にそんなことをさせてしまったことを。
 姉が医学部に合格した時、人前では当然だろうと飄々としていたけれど、こっそりと何度も何度も合格通知書を見ていたのを詩織は知っていた。詩織のことは、いつだって鬱陶しいくらいに可愛がってくれた。一年に一度は家族写真を撮るようになったのも、詩織が生まれてからだった。飼っていた秋田犬の散歩には、よく二人で行ったけれど、ほとんどトレーニングのようだったっけ。

 そして、詩織がイタリアに留学したいと言ったときに、初めて父を怒らせて口も利かなくなったこと。子供たちの中で一番いい子で、一度も父親に逆らったこともなく、にこにこしていたお姫様の詩織がいきなり反旗を翻したのだから、父のショックは相当なものだったのだろう。その上、仕事にも恋にも挫折して帰ると連絡をした矢先に、裏切るように突然ローマに残ることになってしまったのだから。
 色々な事情があって、あれから日本には戻ることができなかった。一度だけ、電話をかけた。ロレンツォが、やはりきちんと挨拶に行こうと言ってくれたからだった。だが、「いらん」と一言だけで電話を切られた。リハーサルで忙しいのよと母は言っていたけれど、許されていないのだと思っていた。

 忘れていたことも、悲しかったことも、嬉しかったことも、悔しかったことも、満たされていたことも、その時には我慢できないくらいに辛かったことも、目の前に浮かび上がってくれば、全てが愛おしかった。
 今はっきりと分かったのだ。
 ひと時だって、孤独だったことはなかった。その時は寂しくて潰れそうに思ったこともあったけれど、今この瞬間、何もかもが怖いくらいに報われていた。

 今このホールにいる全ての人々が、この曲がただ一人の愛するもののために歌われていることを知っている。そして、その個人的な感情は深い歓びを湧き立たせ、共有できる全ての人の魂と交わり、またやがて個人の元へ還っていく。その瞬間に生まれた音楽は、その次の瞬間には消えゆくものなのに、記憶の中に確かに何かを刻んでいく。
 震えている詩織の手に、隣から暖かい大きな手が重ねられた。
 Amamdote hasta mi final
 健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、良き時も悪い時でも、命の尽きる時まで変わることなく、君を愛することを誓う。

 父が自分の事を認めてくれたことは嬉しい。でも、誓いの言葉というのは、なんて重いのだろう。


「わたしのことなら、気にしなくてもいいんだよ」
 何だか個人的に盛り上がっちゃって、ミクは大変な思いをしてるのに、と謝ったら、その若いオペラ歌手は、笑って答えた。

 ミク・エストレーラは詩織より少し年上になる。時々お姉さんだなぁと思うこともあるし、時には少し幼く見えるときもある。でも、詩織が初めてミクにあったときから抱いている印象は、笑顔がとても素敵だなということだった。もちろん、人は誰でも笑顔の時が一番魅力的だが、こうして色んな感情を閉じ込めて笑う顔には、特に心惹かれるものがある。
「ロレンツォと一緒に行かなくてよかったの?」
「いいの。父はきっと私たちが訪ねていくのを見越して、楽屋から逃げ出していると思うし。あの人、娘と和解するなんてシーンは苦手なの。それに、ロレンツォ曰わく、ここは男同士がいいんですって。ぶっ飛ばされに行ってくるって」

 父親が早々に楽屋から逃げ出してどこに行っているのか、どうせ、ヴォルテラの誰かが見張っているに違いないから行き先は知れているだろうが、ロレンツォには確信があるようだった。時々、相川の家とヴォルテラの家の間にあった様々な出来事について、ロレンツォは知っているけれど自分が知らないことがあるのだと思うと、ものすごく不満を感じることがあるのだが、いつか曾祖父や大叔母が話してくれるだろうと信じていた。

 コンサートの後、詩織は曾祖父の住むローマ郊外の小さな別荘にミクと一緒に戻ってきた。
 現在、結婚式まではという約束で、詩織はまだヴォルテラの屋敷に住んでいる。
 そもそも次期当主の交替劇の後、ロレンツォは修復工房のアパートに住むつもりだったのだが、新たに当主となるサルヴァトーレが兄貴を簡単に手放すわけはなく、ロレンツォも時々無鉄砲なことをしでかす弟の側を離れるのが少しばかり心配なのだろう。
 詩織には時々、サルヴァトーレがわざと兄を困らせているように見えるのだが。

 ヴォルテラ家の人たちは詩織にはとても親切だが、やはり庶民出身の詩織には少し居心地が悪い面もある。だから、ミクが来たときは、堂々と慎一の家に泊まれるのが嬉しかった。何しろ、ミクの「お世話係」を頼まれているのだから。
 この別荘はローマの街から少し離れた湖の近くにあって、先々代の当主、ジョルジョ・ヴォルテラが義理の息子と言ってもいい慎一に遺したものだった。当初はここを受け取ることを拒否していた慎一だったが、歳をとって終の棲家を考えた時に、最も愛する街に戻ってきたということなのだろう。

 しかも、彼の側には、自分の娘よりも若い女性が連れ添っている。
「はい、どうぞ」
 庭で夜風に当たりながら、ミクと一息ついていたところへ、ワインとチーズを持ってきてくれたのがその女性、ラリーサだ。
 もとバレリーナだったという彼女は、祖国で祖父と父親が政治的監視対象だった関係で、幼いときにほぼ亡命のような形で国を離れざるを得なかったという。ほっそりとした少女のような雰囲気があって、ある程度歳をとった今でもまるで妖精のように見えるが、その意志の強さは、祖国の政治的危機に際して、残された親族のために国に戻ろうとしたことからも明らかだった。それに、そういう人だからこそ、親子ほども年の離れた女性を、曾祖父の方も恋するようになったのだろう。元々は、ラリーサ曰わく「私が押しかけ女房」だというのだから。

「ラーラも一緒にどう?」
「ありがとう。でも、写譜を終えてしまいたいの。ふたりでごゆっくり」
 慎一がこのところまた新しい歌曲を書き始めたと聞いている。いつかオペラに仕上げるつもりだとも言っていたが、彼の歳を考えたら、これが最後の作品になるかも知れない。その話を聞いて、この間、ハンス・ガイテル氏が、初演を是非自分に任せて欲しいと言っていた。ミクがここに来てくれたおかげで、慎一もガイテル氏も以前よりずっと近い関係になれて幸運だったと言っている。
 作曲の清書はラリーサが買って出ている。何でもいいから慎一の役に立ちたいと彼女はいつも思っているのだ。

 その後ろ姿を見送りながら、ミクがほっと息をついた。
「本当に羨ましい。ラーラと慎一。あんな夫婦になれたらって思う」
「すごい年の差だし、誰が見ても親子だけれど」
「でも慎一は若いよね。とても八十代には見えない。まだオペラの指揮もしてるんでしょ。ハンスがね、すごい大先輩なんだけれど、友人のように感じるって」
「うん、だって、お祖母ちゃんが生まれたのは慎一じいちゃんが二十歳くらいの時だし、お祖母ちゃんは十九の時に父を産んでるんだもの。だから、慎一じいちゃんは、四十で孫を持ったわけ。だから、私の曾おじいちゃんといっても、おじいちゃんって歳だものね。それでも、さすがに去年から、ウィーンで毎年続けていたピアノコンサートは辞めたんだって。まだ教えてるけど」

「自慢のおじいちゃんだね。そして、そんな人に教えてもらえる学生は幸せだって思う。ハンスもね、まだどっちの方向に進もうか決めかねていた学生の時に、一度慎一がミュンヘンに呼ばれてやっていたオペラのサマースクールに行ったことがあったんだって。最初は、この人、ピアニストじゃないのかって疑問に思ってたそうなんだけれど、講義を受けているうちに彼のオペラへの愛情に感動しちゃって、それから彼が編曲したり作曲したいくつかの自作オペラを見て、自分も絶対オペラの演出家になろうって決めたんだって言ってた。今回、私がローマでの滞在先が慎一の家だって言ったら、大興奮しちゃって。こんな偶然、神さまからの贈り物だ、君の手術は間違いなく上手くいくって」

 それって根拠ないよね、とミクは少し不安そうに笑った後で、唇を引き結んで小さく頷いた。うん、きっと上手くいくと自分に強く言い聞かせているようでもあった。
 今日のミクはいつもよりずっと饒舌だと思った。もしかしたら、彼女の中で何かが少し、動いたのかも知れない。不安はあっても、そこから少しでも気持ちが前に向いたのだったら、そして父とあの仲間たちの歌がそのきっかけになったのだったら、本当に嬉しい。

「うん。お祖母ちゃんがね、いつも言ってた。おじいちゃんはいっぱい辛い想いをして、何回も挫折してきたんだって。自分の命に代えてもいいと思っていた大事な人を失って、指が動かなくなって、コンサートピアニストを断念して、荒れた生活を送っていたこともあったけど、でも、絶対に音楽から、そしてやっぱりピアノからも離れなかった。それは誓いでもあったんだって。だからきっとあの人はピアノの前か劇場で死ぬわよって。それを聞いて、ラーラが、じゃあ私が最期のその一瞬まで一緒にいるって決めたんだって」
 詩織はワインで頬を染めたミクの方へ少し身を乗り出した。
「ね、ミク、さっき、あんな夫婦になりたいって言ったでしょ。やっぱり、ミクには好きな人がいるのね。ね、どんな人?」

 ミクはちょっと躊躇ったようだったが、うん、とひとつ頷いて、携帯電話の中に隠し持っている一枚の写真を見せてくれた。そこには、上品な老婦人とミク、そして精悍でありながら、ちょっといたずら小僧のような雰囲気を残した若者が一緒に写っていた。ミクよりもずっと年下に見える。
「年下なの」
 詩織が何か聞く前に宣言してしまおうというようにミクは言った。

「私はずっと年上だから、彼の将来とか、釣り合いとか考えちゃって、それに彼の気持ちも分からないし、まだちゃんと告白もしていないし。それに、やっと主役の座を射止めた仕事も、ポリープのことでこの先どうなるか分からないし、色々考えちゃって。絵夢もメイコ、あ、メイコはこの人」
 ミクは写真の中の老婦人を指した。
「わたしの祖母。みんな励ましてくれるから、頑張ろうって思う半面、ひとりになると不安でどうしたらいいのか迷うこともいっぱいあって」

 ふたりで会話をするときは、日本語で話せるので、ふたりとも微妙な感情を言葉の端々に乗せることができて、初めて会ったときから不思議と壁は感じなかった。
「髪、切ったんだね」
 写真の中のミクは、長い髪をツインテールにしている。
 ミクの方が年上だが、詩織はミクに言われてから敬語を使わないようにしていた。そこに、この年下の青年への想いもあったのだと思うと、詩織は少し微笑ましく感じた。歳じゃなくて、私自身を見てという気持ちだ。

「うん。色んな思いがあって意地でも切るものかって思っていたけど、歌を辞めることになるかも知れないって思った時、これ以上何かを自分の中にため込んじゃダメだって、思いきって切っちゃった。それでも初めてこの街に来たときは本当に不安だった。お医者様の診察も、その説明を聞くのも。でも、絵夢のおかげで皆さんを紹介してもらって、今ではここがもうひとつの家みたいに感じる」
 詩織はそれを聞いて、ほっとした。自分たちが少しでもミクの役に立っていると分かることは嬉しかった。

「ポリープのことが分かってから、みんな、わたしのことを心配しすぎるくらい心配してくれて、音楽の話もね、もちろん『またいつか歌を聴かせて』って言ってくれるけれど、コンサートに行こうとか、直接音楽に触れるような機会を上手く避けてくれたりしていたような気がするの。それはそれで嬉しかったし、自分でもちょっと音楽のことを考えたくないって気持ちもあったり、一方でまた歌うために手術をするって決めたんだって気持ちを思い出したり、すごく複雑だった。慎一が今日のコンサートに誘ってくれた時も、どうして今なのかな、って思ったりして。でも、行って良かった。二つの意味で」
「二つ?」

「慎一がね、言ってくれたの。うちの孫はちゃんとした音楽教育を受けたわけじゃないし、クラシックの歌い手でもないし、若い頃には結構荒れていて、大事な人を失ったりしたこともあって苦しんで、歌えなくなったこともあって、だからこの仕事でやっていくかどうかも迷い続けていたと思うけれど、結婚を決めたとき、自分の歌ひとつで絶対に彼女を生涯食うのに困らないようにしてみせるって思ったそうだよ、って。だから、君に彼の歌を聴いて欲しいんだ。こんなふうに歌う人もいるんだってことを見て欲しいって」
「あ、それ、母から聞いたことがある。父が挨拶に行ったとき、母のお父さんが、そんな浮き草稼業で娘を幸せにできるのかって言ったんだって。ちなみに、うちの父と母、すごい遠い親戚なんだけれどね。そうしたら、父が、その浮き草稼業ひとつで生涯彼女に不自由させないようにしてみせるって約束したって」

 詩織はミクの言葉でまた、あの父の歌に込められた想いを理解した気がした。あの歌は、私とロレンツォの結婚を(仕方がないから)認めてやるってことだけじゃなくて、日本で待っている母への想いもあったんだ。
 意地でも、この道で生きていく、そして何があっても、自分の周りの人間を幸せにする。そんな単純な想い。

「ね、詩織は今まであんまり自分の恋の話はしてくれなかったよね。私も自分の話をあまりしなかったし。でも、今日色んな事が分かった。慎一がラーラを生涯の伴侶って決めたのも、歳の差とか、自分が音楽に傾ける情熱や時間を考えたら勇気が要ったと思うし、詩織のお父さんが詩織の恋を認めるのも、あの会場で、あれだけの人々の前で宣言したのも、あんな大きな家に大事な娘を嫁に出すなんて考えたらすごく勇気の要ることだったと思う。詩織も、自分がどこまでやれるんだろうって思ったら、今でもすごく不安なんだろうなって、だからあまり嬉しそうに人に話せないんだろうなって。おとぎ話のお姫様みたいに『いつまでも幸せに暮らしました』なんて、現実にはありえないものね」
「ミク……」
 自分が大変なときに、こんなふうに他人の感情に寄り添える、そんなミクだからこそ、将来を嘱望された歌手なのだと思った。歌は心を人に届けるものだから。
 詩織は、いつか、彼女が思いきり歌うのを聴いてみたいと思った。

「今日、詩織のお父さんの歌を聴いて思った。私もあんなふうに誰かを強く想って歌いたい。もしかして手術の結果が思うようなものでなくても、何があっても、音楽から離れないでいよう、その勇気は自分が自分の力で引き寄せるんだって。どんなに苦しくても、歌を手放さない。私には大事な人がいるから。躓くことがあっても大事な人を手放さない。私には支えてくれる音楽があるから」
 ミクが、省エネのために消えた携帯の画面をもう一度点灯させて、その大事な人たちを見つめた。詩織も一緒に、微笑んでカメラに向かう三人を見つめた。
 ミクは告白もしていないし気持ちも確かめ合っていないと言ったけれど、写真の中の三人はもうすっかり家族のようだった。ミク自身は気がついていないかも知れないけれど、ここには未来もちゃんと写り込んでいる。

「名前、何て言うの?」
「ジョゼ」
 答えてから、頬を染めたミクの短くなった髪に、風が優しく触れていった。
 苦しくても不安でも、手を放しちゃいけないものがある。ミクにも、私にも。あの時、父の歌を聴いて、嬉しさと共に、責任の重さや不安も一緒にわき上がってきて震えていた私の手を握ってくれたロレンツォの手を、私はもっとちゃんと握り返すべきだった。

「星が綺麗」
「うん」
 Hasta mi final
 ありきたりだけれど、詩織は星に誓った。
 あの手を生涯離さない。私がここにいるのは、ここに至るまでに積み重ねられてきた沢山の軌跡、そして奇跡の結果だから。
 詩織は、不思議な縁で出会い、それぞれの運命の輪を廻そうと確かめ合った新しい友人のことを、今日、もっと好きになった。
-- 続きを読む --
スポンサーサイト

Category: 掌編~詩織・ロレンツォ~

tb 0 : cm 8