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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【奇跡を売る店・短編】あの夏至の日、君と 

scribo ergo sumの八少女夕さんの企画、100000Hitのリクエスト「12ヶ月の情景」シリーズで、6月の枠をゲットしました。
6月と言えば、梅雨、紫陽花、ジューンブライドなどと雨の情景が浮かびますが、ここはやはり巨石ファンの大海としては、「巨石ファンの正月」と言われている「夏至」を外せないわと思い、テーマを夏至にさせていただきました。

本当は、以前からこそっと暖めていた「巨石探偵」なるキャラを捻出して、コラボ相手にしてください、というつもりだったのですが、書きかけて何となくしっくりこなくて、結局、『ヴィーナスの溜息』を引っ張り出してきました。
それ何? と思われる方も、全く基礎知識は不要です。初めてさんにも過去作品を見なくて済むように書いています。おかげで(解説した分だけ)長くなっちゃった。でも、連載ものでもないし、夕さんには6月中に作品をアップしてもらわなければならないのに、私がこんなにも時間をかけちゃって申し訳ないので、前後編にせずに、あっさりとアップしてしまいます。
(まぁ、夕さんが作品を書かれるのに時間がかかるって事はないでしょうけれど~)

長いけれど、あまり中身がないので、あっさりとお読みいただける……はず。
ご興味が湧いたという方は、【奇跡を売る店シリーズ】に遊びに来てやってください。
今回は、オカマショーパブ『ヴィーナスの溜息』の小町ママメインのお話です。
そして、ちょっと珍しく、感情を隠せない蓮です。和子(にこ)は小学生になりました。お約束の、蓮と凌雲のラブラブメールも登場(いや、そういう仲じゃないけれど)

夕さん、コラボは、ここに出てくる登場人物の誰か、でいいでしょうか。このシリーズ、元々がパロディなので、適当にキャラを崩壊させていただいても何の問題もありません。如何様にも料理してくださいませ。
そして、舞台は、私がまだ見ぬ巨石・ストーンヘンジがいいかなぁ。あるいは夜のない北欧の夏至でも。

そうそう、ちなみに私、今年の夏至に休みをゲットして、二見興玉神社の夏至祭(夫婦岩に日の出を見る! って4時半くらいだよ!)を見に行く予定。とてもストーンヘンジには行けないから。でも、日本は梅雨真っ只中。でっかいてるてる坊主、作らなきゃ。その次の日はパンダの餌やりチケットをゲットしたので、白浜に行ってきます(o^^o) 勤続20年記念休暇なの。

例のごとく、短くはないので(済みません)、お月さんをブックマークにしてごゆっくりどうぞ。


【奇跡を売る店・短編】あの夏至の日、君と

「日本では夏至と言っても、特別な祝い事はないな。せいぜいこいつを食うくらいや」
 男が蛸の唐揚げをつつきながら言った。その箸の持ち方が蓮の気に障るのは、ただそれが正しい持ち方では無いから、というわけではない。
「イギリスじゃ、ストーンヘンジで夏至の日の出を拝む祭りがあるっていうのにな。まぁ、日本は梅雨真っ只中か」
 この男が連に対して、あるいはこの店の誰に対しても、友好的に会話を仕掛けてくることはまずないし、たまに穏やかに始まった会話も、お互いの関係を良くしたり、理解を深めるような結果になった例しがないので、蓮は用心していた。
「そうですね。日本の夏至祭と言えば、伊勢の二見興玉神社くらいでしょうか」
 蓮は当たり障りがないように、しかし頷くだけとか無視をして、感じが悪いと絡まれることがないように、言葉を探しながら答えた。

 男は、妙な漫画模様のTシャツにジーンズ、チェック柄のシャツを羽織っている。服装は二十歳そこらの大学生のようだが、年の頃は蓮と同じくらい、三十になるかならないかだろう。面構えは悪くないが、ギスギスした尖った目つきをしているので、少なくともまともな女性は声をかけたいと思わないはずだ。
 かといって、この店に恋の相手になる男を探しに来ているわけでもなさそうだ。
「ふぅん、見かけによらず物知りやな」
 他人を小馬鹿にしたような口調はいつものことだ。蓮は余計な事まで言ってしまったと思って、それ以上会話を続けることを辞めた。そういう蓮の心の内を、男は見透かしたように笑った。

 ここはオカマショーパブ『ヴィーナスの溜息』だ。京都四条川端の角から幾つか路地を入ったところにあって、かなりクオリティの高い踊りと音楽、お笑いと手品のショーを見せることで知られている。客層は男女半々、つまり、いわゆるゲイバーという範疇での店ではない。スタッフである「ホステス」も、女装をしていても、恋愛事情は様々で、皆がゲイというわけではない。
 釈迦堂蓮は、この店のホール係兼バーテンダー見習いだった。
 色々訳ありで、心臓に病気のある子どもの父親になっている。実の娘ではないが、その子ども、和子(にこ)は戸籍上は蓮の娘だ。

 蓮は昼間、高瀬川沿いの町屋の二階で探偵事務所の留守番をしているので、今までは和子を四条河原町近くの保育園に預けて、夕方になると迎えに行き、一旦家まで連れて帰っていた。家と言っても、西陣にある昭光寺の離れを借りて住んでいるので、半ば居候のようなものだ。
 今年、和子は小学一年生になったので、西陣の小学校に通うことになり、蓮が毎日行ったり来たりする必要は無くなった。和子が小学校になったのを機に、昭光寺で放課後の学童保育を始めたからだった。副住職は教員の免許を持っているし、若奥さんが保育士の資格を持っている。

 小さな身体で、生まれてからたった六年あまりの間に人よりもずっと多くの苦しいことを抱えて生きてきた和子が、小学校に通うことができるようになったという喜びもあるのだが、不安は数え切れないほどある。学校とのやり取りの中で、昔ほどではないにしても、和子のような子どもにとって、社会の壁は高くて厚いと気づかされる事が多くなった。
 こういう時期だからこそ、出来る限り和子の側にいてやらなければと思うが、実際に蓮に安定した給金を払ってくれるのはこの店だけなので、蓮の生活状況が変わることはなかった。
 時折、仕事中に不意に和子のことを考えて、手が止まることがある。

 目の前の男は、会話を楽しむような相手を持たないからか、蓮の手元をじっと見ていることがある。目が合うと、何か見抜いているぞというように嫌味な笑いを浮かべる。もしかすると、個人的に蓮に敵意を持つような理由があるのかも知れないとさえ思える。
 先ほど、カウンターの奥の席を気に入っている馴染み客が帰ったので、今、カウンターを挟んで蓮と向かい合っているのはこの男だけだった。

 そもそもこの店には、カウンター席は八席だけで、後は広いフロアにテーブル席がぎっちりと置かれている。もともとはもう少し通路に余裕があったのだが、以前にテレビ番組で紹介されてから、週末になるとショーの予約で常に満席、予約も一ヶ月先までいっぱいということになっていって、いつの間にかテーブルの数も増えていった。
 おかげで、蓮を始めホール係の従業員は、客に迷惑にならないように席の隙間を通り抜ける技に磨きをかける毎日だった。一方で、客は近くに座った者同士、会話をすることが増えたようで、別々のグループで来ていた客が仲良くなって、次の機会にはつるんで来店することも多くなっていた。

 その日は水曜日で、一日二度のショーも終わり、すでに閉店の一時間前となっていた。徐々に引き上げていくグループが増え始めている。それでも幾つかのテーブル席では、この時間を狙って、「ホステス」たちに人生相談を持ちかける客が居残っていて、それぞれの席のムードは飲んで騒ぐというパターンから、秘密を打ち明け合う親密な雰囲気に変わっていっていた。
 この時間になると、蓮は主にカウンターの中で酒を作っているので、必然的にカウンターに座る客と話をする羽目になる。始めの頃は、接客に慣れなくて無愛想を通していたのだが、「ママ」の小町からダメ出しを食らってしまって、今ではそれなりに短い会話を繋ぐことくらいはできるようになっている。

 だが、この客は別だ。
 もちろん、たまに他のどの客とも会話を楽しむような雰囲気ではない客もいる。とはいえ、ここはそもそもひとり静かに酒を飲むタイプの店ではないので、そういう「他人から構って欲しくない」系の客は、きわめて少数派だ。大多数の客は、会話が多少苦手だとしても、隣り合わせた相手を無視することはないし、ましてや、カウンターの内側にいるスタッフに敵意を剥き出しにするようなことはない。
 蓮は黙ったまま、いくらか薄めにした山崎の水割りを出した。

「俺が酔っ払っていて気がつかないと思っているんやろ。酒を薄めても同じ値段、ぶんだくろうってのか。しけた店やな」
 男はそう言いながらも山崎のグラスを、一口で半分ほども空けた。
「さしずめ、あのばばぁの命令か」
 思わず、蓮は男を睨み付けていた。
 睨み付けてから、不意にテーブル席からの視線を感じて顔を上げると、小町ママが「ごめんね」というように軽く右手を上げた。あるいは、蓮に対して、あまり絡まないでやってね、というお願いをしているのかも知れない。

 ママがそういう顔をすることはまず無いので、蓮は当初、戸惑ったものだった。
 店の雰囲気を悪くしたり、他の客に迷惑をかけたりする酔客にはママは容赦ないところがあって、十年来の常連でもたたき出してしまうことがある。もっとも、そんな客も結局いつの間にかまた戻ってきて仲良くしているのだから、客は客でママの後腐れの無いところと寛大さに甘えているのだろう。そもそも、特殊なタイプの店なので、敵意のあるような客は始めから寄りつかない。
 だから、この男のようなタイプは、店の客にはいないのだ。つまり、この男を除いて、という意味だが。

 男は小町ママの親友の息子だと聞いている。
 蓮は一度、ママがこの男に金を渡しているのを見たことがある。その雰囲気から察するに、そうやって金を無心しに来ているのは一度や二度ではないのだろう。月に一度か二度、店にやって来て、不味い不味いといいながら蓮の出す酒を飲む。他の客に絡むことは滅多にないので、それだけは許せるのだが、小町ママのことをぼろくそに言うのが蓮には耐え難い時がある。
 おシャカちゃん、あいつが何を言っても放っておいていいからね。ちょっと飲んだら帰っていくんだから。
 ママに言われたら聞かないわけにはいかない。だから、そんなに文句ばかり言って不味い酒を飲むくらいなら二度と来るなと言ってやりたい気持ちを抑えながら、蓮は男に酒を出す。正直なところ、いつも強気なママにあんな顔をさせるこの男が気にくわないのだ。

 店の「ホステス」たちは皆、この男のことは視界の中に入れないようにしているようだ。皆、蓮よりもよほど事情を知っているだろうが、お喋りキャラを演じている者も、身内のあれこれを他人に話すことはない。それがこの業界のルールでもあるし、何よりも、それぞれ話したくない話のひとつやふたつ持っていて、不可侵によってお互いの信頼を得ているのだ。だから、蓮も敢えてママに事情を聞いたことはなかった。

「夏至に蛸を見ると、腹が立ってくるんや」
 そう言って、蛸の唐揚げを攻撃するように何度かつつき回してから、またひとつ口に放り込む。蛸に八つ当たりするのは幼稚だと言ってやりたいが、それに対して返ってきた言葉に自分が冷静でいられないような気がして、蓮は黙ったまま、他のホール係が持ち帰ってきたトレイを受け取って、奥の流しに戻しに行った。
「ばばぁ、もう還暦やろ。いつまでこんな気色悪い商売やってるつもりやろな」

 思わず、手に取ったグラスを流しに叩きつけて気色悪いなら来るなと言いに行きそうになった。その気配を察したのか、グラスを拭いていたスタッフが、放っておけよと小さい声で言った。
 蓮は一呼吸置いてから頷き、カウンターに戻った。その時、男はテーブル席の方を振り返っていて、小町ママに何か合図をしているように見えた。男は蓮が戻ってきたことに気がついて、蓮の方に向き直ると下卑た笑いを浮かべる。
 その笑いに苛ついたが、来るなと口にすることだけはなんとか堪えたのに、男の次の一言で蓮の我満も限界に達してしまった。
「俺はあのばばぁの弱みを握ってるんや」

「あの人はあなたにばばぁ呼ばわりされる謂われはないと思いますが」
 思わず言葉が口をついて出てしまってから、自分で自分の言動に驚いた。
 いつの間に、俺はこんなに我慢が利かなくなったのだろう。多分、和子の事があれこれと引っかかっていたせいだと思う。だが、職場で自制が利かなくなるなんてことは、今までなかったのに。
「なんやて」
 男が身を乗り出しそうになったその時、いつの間にか側に来ていたシンシアが蓮の腕を取った。
「おシャカちゃん、あっちのテーブルの片付けお願い。トモさん、そろそろラストオーダーだけど、何か飲む?」
 男はけっと息を吐き出して、座り直した。


 スタッフの控え室で着替えていると、帰り際に皆が蓮の肩や腕をぽんぽんと叩いていった。熱くなるんじゃないよ、というような感じでもあったし、お前の気持ちは分かるよ、というような感じでもあった。
「おシャカちゃん、あんた、変わったわね」
 声をかけてきたのはシンシアだった。

 シンシアこと宮地慎之介はすらりとした「美人」で、『ヴィーナスの溜息』のスタッフの中で最も理知的な雰囲気を持っている。あの人は生まれがいいからね、と他のスタッフが言っていた通り、立ち居振る舞いもどこか上品だった。回りのことをよく見ているし、この店でバランサーの役割を担っている。
「済みません」
 他人に気を遣わせるのが苦手で、これまであまり感情を表に出すような事は避けてきたのに、全くどうかしている。
「良い意味よ。今まであんたってものすごく冷めてたじゃない。中身は別にして、表に感情を出さないってのか。でも、人って、守るものがあると、黙ってるわけにはいかなくなるってことね。さっきみたいなあんた、嫌いじゃないわ」

「でも、ママに謝らないと」
 私服に着替え終わったシンシアはロッカーの扉を閉め、ふっと息を吐いた。
「トモさんのことはそっとしておきなさい。ママはね、あんたのそういう気持ち、ちゃんと分かってるから。でも、あんたにとって、店の連中が兄弟や家族のような存在になっていってるってこと、ママは嬉しいけれど、心配でもあるのよ。あんたのような子がいつまでもここにいちゃいけないって」
 シンシアは蓮の肩に手を置いて、少し力を入れると、お休みと言って帰っていった。
 
 店を閉めて最後に帰るのは、いつもママだった。
 着替え終わってからそっと店の中を覗くと、小町ママはカウンターの、さっきまであの男がいた席に座って、静かに水割りを飲んでいた。その横顔がなんとなく泣いているように見えて、蓮はしばらく立ち尽くしていた。シンシアには放っておくようにと言われたが、それでは理屈が通らないような気がしていた。
「おシャカちゃん、あんたも飲む?」
 蓮がいる気配に気がついていたのだろう。ずいぶん経ってから、蓮の方を見ないまま、小町ママが聞いた。
 蓮は思わず頭を下げていた。
「済みませんでした」

 ママがスツールから立ち上がり、カウンターの内側に入り、水割りを作る。蓮はカウンターに座った。マドラーでかき回す氷の音が、この季節に涼やかな色を添えた。
「あんたは悪くないわよ」
 もう還暦、と言ったあの男の言葉が耳に残っていた。ママの手は確かに、もう若い男の手ではない。この年でこの仕事で、ということを、あの男は馬鹿にして言ったのだろうが、そのママに金の無心にやってくるお前は最低だと、まだ腹の底で思っていた。少なくとも、ママはこの仕事に誇りを持っているし、蓮にとっては尊敬の対象でもあった。
 蓮に水割りを出すと、ママはカウンターの内側に立ったまま、細い煙草に火をつけた。ひとつ吹かすと、口元にかすかに笑みを浮かべた。

「あの友則って子はね、私の親友の息子」
 蓮は、それは知っていると頷いた。
「あの子、私を恨んでるのよ」
 グラスの中で薄い琥珀が揺らめいている。トパーズ色の香気が立つ、と詩人が歌っていた通りだが、蓮は酒が得意な方ではない。それを知っているので、ママは相当薄い水割りを作ってくれたはずだが、それでも蓮は最初の一口で止めてしまった。
「あの子の父親、私がまだ『男』だった頃からの親友でね、幼なじみのご近所さんだったの。中学から野球やってて、そりゃまぁ格好良かったわよ。少しばかり繊細なところはあったけど、優しくて友達や仲間思いだった。そうそう、ちなみに私はこう見えて柔道やってたんだけれどね」

 それは耳の形を見れば一目瞭然だ。もともと刑事だった蓮の伯父、釈迦堂魁も同じ耳をしていたし、そもそもこの店に魁が通っていたのも、柔道を通して個人的にママとは知り合いだったからだと聞いたことがある。
「彼の家はもともと神社だったそうだけど、関係あるのかないのか、大学で歴史を学んでいたの。で、学者さんになったって訳だけど、イワクラって分かる?」
「えぇ。岩や石を神として祀ったものですね」
「彼に誘われて、よく一緒に、インディ・ジョーンズ気取りで道なき道を磐座探しに行ったものだわ。忘れ去られて、山の中に放置されている磐座なんてのもたくさんあったから。それから、夏至や冬至、春分や秋分の日には、磐座と太陽の関係を確認しに出かけたりね」

『ヴィーナスの溜息』では、小町ママが二十四節気や庚申の日など民間信仰に詳しくて、節目でちょっとしたイベントをする事が多い。おかげで、店の客もスタッフもいつの間にか暦に詳しくなっている。店では小皿料理を出しているが、夏至の前後一週間くらいは、明石の蛸の唐揚げが人気だった。
 ママの二十四節気へのこだわりはその人の影響なのかもしれない。

「今日は夏至でしょ。なんか思い出すわね。二見浦の二見興玉神社で、まだ冷たい海に入って、彼と一緒に富士山の向こうから昇る太陽を見たこともあったわね。日本じゃ夏至は梅雨の真っ只中じゃない? でもその日は、願いが通じたかのように見事に晴れたのよ。そうね、夏至には思い出がいくつもあるわ。中でも一番の思い出は、二人でストーンヘンジの夏至祭に行ったことね。ヒール・ストーンの向こうから太陽が昇った瞬間の感動は忘れられないわ」

 いつも店のこと、スタッフのこと、客のこと、ほとんど仕事のことばかり考えている、厳しくもでっかい器を持つ人だと、蓮は思っていた。あまり人に言えない事情を持つ蓮のことも、上っ面やこれまでの経緯ではなく、今の姿を見てここに雇い入れ、日常のことや和子のことまで気を遣ってくれている。還暦になろうという多くの人々の中でも、この人が選んできた人生は厳しいものだったろうけれど、それらを全部抱えながらしっかり根を下ろして、この世界で生きているのだ。
 その人が見せた、少し甘い表情に、蓮は思わず言葉を零していた。
「その人のことが好きだったんですね」

 言ってしまってから、表現を間違えたなと思った。それに、聞くべきではなかったかも知れないと思った。だが、ママは、煙草の灰を落としてほほえんだ。
「私の初恋よ。そして最後の恋」
 蓮が黙っていると、ママはカウンターの向こうから蓮の方へ身を乗り出した。
「あんた、惚れた人に告白したことある?」
「え? いえ、惚れた人って……」
 蓮が口ごもると、ママは、別に追求するつもりはないわよというように蓮から離れた。蓮は訳もなくグラスに手を添えた。心理学的にいうと、人はうろたえたときに意味もない行動をするというが、まさにそういうことだろう。

「ストーンヘンジに行った頃、彼は奥さんと上手くいってなくてね。よくある話よ。学者馬鹿で奥さんのことは放りっぱなしだったの。まぁ、もっとも他にも私の知らない色々な経緯があったんでしょうけれどね。放っておかれた奥さんは、ギャンブルと買い物に嵌まっちゃって、カード破産して、追い込まれてたのね。結局、彼が借金を返して離婚。友則は八つだった。その後、奥さんは自殺しちゃったの」
 蓮は思わずグラスから手を離した。
「それで……その人は今、どうされているんですか」
 あの男がここに来てはママに金を無心していることを、その人が知っていたら、きっと何かアクションを起こしているはずだろう。だから、答えは知れていた。
「死んじゃったわ」
 ふぅ、とママは息をついた。
「交通事故を起こしちゃってね」

「だからって、あの男」言いかけて蓮はとどまった。「すみません、トモさんがママに金を無心しに来るのは、見当違いじゃないですか」
 思わず声が荒くなっていた。
 見られちゃってたのね、とママはつぶやいた。
 両親ともあまりいい死に方をしておらず、取り残されたあの男の半生が、人よりちょっと幸福ではなかったことは認めてやってもいいが、二親に見放されたのは彼だけではない。甘ったれるなと言いたかった。
 その気持ちが顔に出ていたのか、ママが少しだけ蓮をのぞき込むようにしていった。
「あんた、ほんとに変わったわね」

 この言葉を聞くのは今日二度目になる。
「シンシアにも言われました。でも、俺は別に変わったわけでは……」
「責めてるんじゃなくて、褒めてるのよ。そんなあんたを見てるとほっとするわ。前は気持ちをほとんど表に出さなかったじゃない」
 幾分かばつが悪かったが、蓮は反論はしなかった。視線を逸らした蓮の手元に、ママの視線を感じる。わずかな時間、空気が緊張していた。
「あの子の父親は、私が殺しちゃったようなものだから」
 蓮はカウンターの下に隠した左手を握りしめた。

「ストーンヘンジで昇る太陽を見て泣けてきちゃってね。つい、決して言うまいと思っていた気持ちを打ち明けちゃったのよ。二十年以上も秘めてきた想いなのにね。旅の残りは、ぎこちなくて気まずい時間になっちゃって、帰国して、口もほとんど利かないまま空港で別れて、それが彼を見た最後になった。後から聞いた話だけれど、イギリスから帰ってすぐに彼は財産を整理して、多少は自分が金を借りて、奥さんの借金を全部返して、それから離婚したそうなの。それから自分が肩代わりして背負った借金を返すのに三年。三年後に、いきなり電話がかかってきたわ。会って話したいことがあるって」
 ママは短くなった煙草をクリスタルの灰皿で消した。
「約束した日、運悪く、大雨になっちゃって。バカよね。そんな天気の日じゃなくてもよかったのに。待ち合わせた場所に遅れそうになって、幾分かスピードを出していたんでしょうね」

「それって、あなたの責任はなにもないでしょう」
「因果関係のあるなしじゃないのよ。友則にとっては、母親の自殺は父親のせい、父親の死はその日待ち合わせていた私のせい、それでようやく収まりがついてるんだから。それにね」
 ママの骨張った手が蓮の頬を軽く叩いた。
「あんたとあの子、どこか似てるわよ」
 それはどうにも認められない、と思ったのが顔に出たのか、小町ママは小気味よく笑った。酸いも甘いも全て飲み込んだ還暦の男の笑みには、言い尽くせない深みがあるものだと蓮は思った。
「蓮」
 久しぶりに、ママからおシャカちゃんではなく名前を呼ばれて、蓮は妙にくすぐったい気がした。
「ありがとね」


<< 仕事、終わったか?
 四条大橋を自転車を押しながら歩いていると、またいつものように短いメールが来た。一日一度のこのメールは、相手の生存確認のようなものだ。
 メールの相手は、大原に構えた庵に一人で住んでいる仏師の凌雲で、もともと蓮の家庭教師だった。実は外国人だが、日本に住んでもう十五年ほどになるのか、その辺の日本人よりも綺麗な日本語を話す。清貧を絵に描いたような男で、文明の利器を使おうとしないので、蓮が携帯電話を契約して持たせた。
 大体一人で庵に籠もって仏像ばかり彫っているので、知らぬ間に倒れていても誰も気がつかない可能性があった。それで、一日に一度は連絡するように言ったら、いつの間にかこの時間になると毎日短いメールが来るようになった。

 もっとも、元来人嫌いではないようで、近頃では、近所の世話好きのおばさんたちとも親しく話をするようになったようだし、凌雲の彫る仏像のファンも増えていて、依頼の電話が仲介者のところから掛かってくることも多くなっていたが、この一日の終わりのメールは途切れていない。
 律儀な男だと思いながら、蓮は自転車を橋の歩道の隅に寄せた。

 まだ、ママと話した余韻が残っていて、胸の辺りで納得できない渦のようなものが、グルグルと音を立てている。そのせいか、しばらく返信の言葉が見つからず、携帯の画面をぼんやり見ていたら、続いてメールが来た。
<< 今日は夏至だな。
 この国で、今日夏至の話題をこんなにも聞いた一般人は自分くらいだろうなと思った。国民の祝日でもないし、夏至を気にする日本人など滅多にいないだろう。

 日本で夏至が冬至ほどに注目されないのは、何よりも日本の気候が影響していると思われる。ヨーロッパの、たとえば夏至祭で有名な北欧の国などに比べると、日本の気候は温暖で、夏至だからといって太陽のありがたさをしみじみと感じるような必要性もない。むしろ、この時期は梅雨のまっただ中で、夏至の日に太陽を拝むことができない可能性も高い。だからなのか、冬至と違って、特別な風習が伝わっている地域は少ないが、関西の一部では蛸を食べるという習わしがあるようだ。田植えの時期にあたるので、蛸の足のように根が張って、よい作物が実るようにということらしい。

<< そういえば、ずいぶん昔、あんたに伊勢に連れて行ってもらったことがあった。
<< 覚えてたのか。
 覚えていたから、今日、思わず「二見興玉神社」の名前が口をついて出てきたのだ。
<< 月も見た。
<< そうだな。あの時は偶然、いい天気だった。

 蓮は思わず、空を見上げた。月が見えているし、笠もかぶっていないから、朝になったら太陽が昇るのが見えるだろうか。確か日の出は五時よりも前なので、あと三時間ほどだ。もっとも、盆地である京都では、日の出の時間はさらに遅れることになるし、どっちにしても、その時間にはまだ蓮は眠っているだろう。
 あの日、冷たい海の中から見つめていた光を思い出すと、不意に胸が熱くなった。凌雲は、あの岩は夫婦岩と言うよりも親子岩だな、と言った。親子を繋ぐ注連縄の向こうから昇る太陽、その太陽に重なる遙か向こうの富士を臨みながら無言で手を合わせる人々は、あの瞬間、冷え切った自らの身体のことなど忘れていただろう。その光景はまさに神々しいものだった。遙か彼方の太陽と海、富士と空よりも、禊ぎを済ませて海に立つ人々の姿、横顔が、神々しく見えたのだ。

 あの頃、自分はどんな気持ちで日々を過ごしていたのか。二親とも身近にはおらず、今でも連絡さえ途絶えている。伯父の魁は、両親に捨てられた蓮の面倒を見る気満々でいてくれて信頼できる人だったが、蓮の方は、素直に人に頼れるような性格ではなかったし、思春期独特の抵抗心もあってどうしても甘えることはできなかった。あの頃、蓮はいつも何かに対して足掻いていたのだ。
 だから、凌雲はあの日、蓮を伊勢まで連れて行ってくれたのだろうか。

 蓮は四条大橋から鴨川を見下ろした。行く川の流れは途絶えることはなく、あの山の峰の向こうからやってきて、今、蓮が立っている橋の下を流れて、やがて海へと流れ着く。川面に写し取られた月も、水の流れに揺らめいて、一時として同じ形を留め得ない。
 凌雲があの時見せてくれた夏至の太陽は、あの日、自分の中の何かを刺激したのだろう。
 だから、あの時点からここまで、曲がりなりにも時を繋いできて、今ここに立っている。
<< おやすみ。気をつけて帰れ。

 蓮は携帯の画面をしばらく見つめていた。いつでも、会って相談したいこともあるような気がするのだが、会ってしまうとわざわざ話さなくてもいいか、と思ってしまう。
<< おやすみ。
 蓮は携帯をポケットに仕舞った。
 そして、不意に、あの嫌みな男が、夏至の話をしたのには、彼なりに思うことがあったのかも知れないと考えた。

 昭光寺に帰ると、和子は離れの方で寝ていた。
 蓮が帰るのは夜が更けてからなので、それを待ちながら和子が離れでひとり眠るのは危ないからと、奥さんが母屋で預かってくれていた。だが小学生になった和子は、時々、どうあってもひとりでも離れで寝ると主張するらしい。離れと言っても、廊下で繋がっていてそれほど離れているわけではないので、とりあえずは和子の言い分を聞いてやるようにしている。和子なりに、ひとりで出来ることを周りに知らせたいのだろう。
 その寝顔を見ながら、蓮は行く先に数多重なる不安を考えた。

 これまで和子は、自分の病気のことをなんとなくぼんやりと分かっている程度だっただろう。年齢が低い間、子どもの行動に必要な身体のエネルギーは、どれほど暴れても、たかが知れている。だから、それほど「他の子は出来るのに自分はできない」と感じることはなかったはずだ。
 だが、小学校に行くようになって、どんどん体力を身につけていく同年代の健常な子どもと過ごす時間が長くなり、次々と科せられる課題を、彼らと同じようにこなすことを要求されると、必然的に上手くいかないことが増えて、その時初めて自分が「上手くやれていない」ことに気がつくことになる。

 その時、蓮は和子に何をしてやれるだろう。
 和子が躓いたとき、あの夏至の日の朝に凌雲が見せてくれたような光を、蓮は見せてやることができるだろうか。
 蓮は、そっと和子の手に触れた。そして、思ったよりも暖かいことにほっと息を吐いて、自分も隣の布団に潜り込んだ。
 目を閉じると、二見浦の日の出が蘇った。それを見つめていた、神々しいほどに美しかった凌雲の横顔を思い浮かべた。あの男は何かとてつもないものを抱えながら、全てを呑み込んで仏の現し身を彫り続けているのだ。自らの身を含めて穢れを纏いながらも、同時に穢れの全てをはね除けるような凜とした佇まいに、蓮は心を奪われていた。
 来年、あの場所に、和子と一緒に行かないかと、凌雲に言ってみようか。
 深い眠りの中に落ちていきながら、蓮はぼんやりと光の名残を追いかけていた。


 確かに日本にも太陽信仰の名残がある。たとえば、神社の鳥居の中には特殊な形のものがあり、そのひとつが太陽信仰を表しているというが、現在、身近にある宗教で、明らかに太陽を崇めているという表書きを持ったものは少ない。一方で、初日の出を拝むというように、民間信仰の中には、太陽信仰は脈々と受け継がれているのである。
 日本に農耕が根付くと、正確な暦を持ち、人々に季節を示すということが為政者にとって大切な役割となった。現在のようなカレンダーがなかった時代、人々は太陽の動き、すなわち季節ごとに異なる太陽の軌道を観察し、消えることも動くこともない「記録紙」に記した。各地に残る曰わくのある巨石の多くが、このような暦の役割を果たしていたのである。

 では、月はどうだろうか。
 この事を最初に私に気づかせてくれたのは、私の古い友人である。彼は研究者ではないが、物事の最も大切な局面を瞬時に見抜く才能に長けている。彼は言った。太陽は眩しすぎる。古代の夜空は今よりいっそう暗かっただろうから、月とて相当に明るく感じられただろう。月で十分だ。
 思えば、古来、日本人は太陽よりも月について多くの作品を残してきた。それが日本人の感性だったのだ。その日本人が、月を信仰しないわけがない。友人の言うように、自ら光らない月であればこそ、この国の時の流れを刻むのに相応しいのかも知れない。

 伊勢には謎がある。夏至の日に二見興玉神社夫婦岩の中央から太陽が昇ることはよく知られているが、実は伊勢神宮宇治橋前大鳥居の中央から月が昇るのである。古代の人がそこまで分かって鳥居を配したのか、何ら記録に残っていないのだが、友人の言葉を思い出すと、彼らが分かっていなかった訳はないと直感できる。彼らはこの神の宿る神宮に月の軌道を描いたのだ。
 同様に、ストーンヘンジでも近年、月の軌道についての調査が進んでいる。ストーンヘンジは多くの巨石が失われているため、本来の機能の全てを解き明かすことは叶うまいが、彼の地でもやはり、太陽と同時に月が重大な役割を果たしていたのである。


 嘉瀬友則は、玄関兼用のダイニングキッチンと和室という六畳二間のアパートに帰り、ふらつく足で流しに歩み寄り、食器用のワゴンに伏せてあったグラスを無造作に掴んだ。水栓を倒して、グラスに水を入れると、一気に飲み干す。音を立ててグラスを流し台に置いてから、ダイニングの椅子を引いて、倒れ込むように座った。

 あの蓮という男に何となく腹を立てているのは、くそばばぁがあいつを息子みたいに大事に思っていると、誰かが話しているのを耳にしたからだった。別に、俺以外に「息子」扱いするような相手を作るなと言いたいわけではない。だが、そんな八方美人的な、あるいは二心あるような態度が気にくわない。

 子どもの頃は、研究室に閉じこもったかと思えば、フィールドワークとやらでしょっちゅう出かけて、家に寄りつかない父親にも、そんな夫を持った不幸に酔いしれて子どもの面倒も見ないでパチンコに通う母親にも、敵意を抱いていた。当時、父の友人である鬼頭信吾は、いつもお土産を持って遊びに来てくれる優しい兄貴のような存在だった。
 その鬼頭が、どういうわけか、父と一緒にフィールドワークに出かけていたイギリスから帰ってきた後、全く家に来なくなった。

 両親の死後、友則は父方の祖父母に預けられたが、そこには伯父の家族も住んでいて、従兄弟とそりが合わなかったために、子どもながらに一刻も早く独立したいと願っていた。中学一年生のある日、何がきっかけだったかはもう忘れてしまったが、ついに家出を決意した。頼る相手を他に思いつかなかったので、鬼頭信吾を探し当てて訪ねていった。
 鬼頭は男の恋人と住んでいた。
 それで合点がいったと思った。

 父親が妻に離婚を切り出したのは、イギリスから帰って間もなくだった。お前の借金は俺が返すから、別れてくれと父は言った。もともと裕福な家庭ではなかった上に、今度は自分が借金を背負うことになった父親との暮らしには、楽しい思い出がほとんど無い。大学の客員講師の職を辞して、父親は慣れない仕事を掛け持ちしながら借金を返すことになり、友則を顧みる余裕を無くしていた。何かに取り憑かれているようにさえ見えた。。
 借金が無くなったら、父親は鬼頭と一緒に暮らすつもりだったのではないか。そういう父親の汚い本性を知っていて母親はギャンブルや買い物におぼれたのではないか。借金を完済した後、大雨の中、出かけた父親は交通事故を起こし、自分ともうひとりを巻き込んで死んでしまった。

 どこに出かけようとしていたのかは知らなかった。雨は幾日も降ったりやんだりしていて、太陽を見ない日が続いていた。葬式の時のことはよく覚えていない。だが、何となく鬼頭を見かけたような気がしていた。小雨の中、傘も差さずに立ちすくんでいた鬼頭の横顔を見た気がしたのだ。
 家出をしようと探し出して会いに行ったとき、鬼頭は恋人の男をアパートに押し込んで、友則を近くの公園に連れて行った。友則は腹を立てていた。こいつは汚いおかまだったのか。もしかして、親父をたぶらかしたのか。イギリスで何かあって、鬼頭は家に来れなくなっていたのか。

 鬼頭はしばらく黙ったまま低い鉄棒にもたれて、ブランコに座る友則を見ていた。それから、唐突に、あの日、自分が嘉瀬を呼び出したのだと言った。あんな大雨の中、どうしても会いたいからと呼び出して、事故に遭わせてしまって、本当に申し訳なかったとそう言った。
 腹を立てるのを通り越して、吐き気がした。あの日、月は明るくて、鬼頭の表情がよく見えてしまうような気がして、もし見えたなら、何か知りたくないことを分かってしまうかも知れないという気がして、友則は顔を上げられなかった。だから、鬼頭がどんな顔でそう言ったのかは知らなかった。

 父の日誌を見つけるまでは、鬼頭の言葉を信じていた。信じて鬼頭を恨んでいた。いや、本当は始めから鬼頭の嘘だと気がついていたのかもしれない。鬼頭は身寄りが無くなった友則に「たからせる」つもりだったのだ。
 そして、改めて思い返してみたら、あの大雨の日、あれはちょうど夏至の日だったのだ。

 友則は、羽織っていたシャツの内ポケットに無造作に突っ込んであった紙切れを出して広げた。
 祖母が亡くなって久しぶりに帰った祖父母の家で父親の日誌を見つけ、そのページを読んだ時、思わず引きちぎって持って帰ってきてしまったのだ。祖父母は父親のものは大概処分してしまっていたが、その日誌だけは祖母がそっと仏壇の引き出しに仕舞っていた。
 日誌には、父親が書きかけていた原稿の一枚も挟まれていた。

 この旅から帰ったら、離婚することを決めた。妻の借金は全て引き受ける。だが、我々が結婚生活を続けることに将来はない。気持ちがそこになければ、お互いに不幸なだけだ。
 もちろん、鬼頭の気持ちには応えられない。しかし、鬼頭が長年抱えていた気持ちを打ち明けてくれた心意気には動かされた。留まっていては苦しいばかりで前に進めないと、彼が教えてくれた。鬼頭はいつも私に道を示してくれる。
 借金を返し終わったら、鬼頭に連絡して会おう。夏至の日がいい。再び友人としてやり直せるだろう。私はまた学問を続けるつもりだと言おう。そして、次の夏至の日には、友則を連れて、一緒に二見浦にまた富士と海と重なる壮大な日の出を見に行こうと、友に伝えよう。

 くそったれ。
 友則はテーブルの脚を蹴った。
 思い込みの強い、自分勝手なところは、父親にも母親にもあった。父親との関係を修復しようという努力もせずにギャンブルにのめり込んでいた母親は、自分だけが不幸だと思い続けていた。友情に酔いしれていた父親は、鬼頭の気持ちを本当のところは理解していなかったに違いない。

 あの店に通うようになって、鬼頭のような性的少数派の人間や、表沙汰にされたくない性癖を持った人間たちが、どういう気持ちで生きているのか、少しは分かったような気がしてきた。気色悪い、とあの蓮という男に言ったのは本心だ。生理的に受け入れられない。だが、彼らの覚悟や生き方を、父親が本当に理解していたとは思えなかった。少なくとも、今、自分にはそれが分かるのだ。鬼頭は友情を取り戻したいとは思っていなかっただろう。
 だが、したり顔でそんなことを鬼頭に言えるほど、自分は偉い人間ではないことくらい、分かっている。

 両親は友則が心から頼り尊敬できるような人間たちではなかったが、詰まるところ、自分もそれを受け継いでいる。子どもの頃はただ彼らに腹を立てていたが、自分も大人になると、しょせん人とはそのように完全ではない生き物だと分かってしまった。だからこそ、余計にいたたまれなくなる。
 そんな人間たちが、濃厚な人間関係を築くとなれば、組み合わせが悪ければ、時には大きな不幸を生み出す。実は、単なるボタンの掛け違えだ。両親の関係も、父と鬼頭のことも、そう言って割り切ってしまえる話だ。割り切ってしまって、楽になるべきだ。
 それなのに、どうしても割り切れない。鬼頭の顔を見ると腹が立つ。そこにあの蓮という男の顔も重なる。あいつに腹を立てるのは、どこか自分に重なるところがあるからだと分かっている。

 友則はふらりと立ち上がり、和室の窓を開けた。煙草を吸うつもりだったが、辞めた。見上げると月が長い軌道をもう半分以上辿った後だった。月は澄んでいる。笠を被っていないから、明日は、いやもう数時間で、夏至の日の太陽が昇る。京都のような盆地では、日の出は遅いが、その光が射すまで起きていようか。そうしたら何かが変わるだろうか。

 馬鹿馬鹿しい。
 友則は窓を開けっ放しにしたまま、万年床に大の字に寝転んだ。
 まだこの先数年は、くそばばぁに父親の「遺言」を見せるつもりはなかった。もう少し、自分が親父を殺したのだという演技を続けさせて、俺に貢がせてやる。そうしている限りは、あの店に通うことが出来る。あの蓮という男に嫌われていても、少なくとも、あそこは友則にとってひとつの居場所だった。

 友則は目を閉じた。
 動画サイトで見ただけの、ストーンヘンジの夏至の日の出が、瞼の後ろにまぶしかった。

(【奇跡を売る店・短編】『あの夏至の日、君と』 了)


今年の夏至は、6月21日です(*^_^*)
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Category: 奇跡を売る店・短編集

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