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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・近況】表現するということ 

うつぎ
COVID-19のために、以前よりもはるかに余裕ある時間を過ごしているのに、ブログの更新が滞っている大海です。
余裕、というのは語弊があるかも知れません。この期に及んで、実はこれまで結構しんどかったんだなぁと気がついた次第でして。
これまで、週に1回は車で片道1時間はかかる出張先に出かけていたのですが、出張に行くという行動自体のしんどさもさることながら、出張しようと思ったら、その時間分の仕事を片付けておかなければならないから、前日の帰りが必然的にかなり遅くなって、よれよれだったのですね。いや、よれよれといっても、その渦中にあるときには気がついていないのです。
現在、出張停止命令が出ているために、「片付けておかなければならない仕事」を本来の出張日に残しておけるようになったので、時間も身体も大いに楽。それを最も物語っているのが、チリテレ2号くんの走行距離ですね。こうして、毎日普通に職場に行ったらいいというだけが、こんなに楽とは! なわけです(って、職場が近くないけど、道が空いてるし)。

さらに、普段の日常業務も明らかに減っていて(同僚いわく「実はこれくらいが丁度良いんじゃないか?」)、帰宅時間もやや早め。お陰様で、お弁当作る時間があるので、なんかちょっと健康的。日常の仕事は、雑になっていたところが減って、後回しになっていたことも結構片付いて、自分で余裕があるのが分かる。それに、何より、土日の学会・研究会が全中止状態というのが大きい。
でもなぜか、睡眠時間は相変わらず4-5時間なのはなぜ? 余計なことせずに寝たら良いのになぁ。

それはともかく、これであまり困っていないってことは、これまで結構無駄なことが多かったんじゃないかって、そういうことなのかなと思ったり。

これって、いつか揺り戻しがくるのかしら。もう身体がなまってついて行けないかも(;_;)
でも、やっぱり日本人、働き過ぎだったんじゃないか? と思ったり。
一方で、今回のことで、お仕事を失った人も多い中、仕事を続けていられるってことは有り難いんだって思ったり。
with COVIDがどんな展開になるのか分からないので、柔軟な考え方が求められているってところなんでしょうね。

ただ、オンライン会議は増えてるから、資料に目を通したり、アイコンタクトで終われないから確認事項が増えたり、なので、パソコンに向かっている時間が増えたせいか、ものすごく目が疲れるんですね。
たまに森を見なくちゃって思ったら(緑を見るため)、まぁ、うちの家の庭のジャングル化が進んでおりますわな。遠くの屋久島より、近くのジャングル?
時間があるなら庭掃除しろって思うのに、出来ないのはなぜかしら。外出しないなら断捨離活動したら良いのに、やっぱり出来ない。創作活動にいそしめば良いのに、なんか料理したり、本棚あさったり(片付いてはいない)、ドツボにはまってピアノ弾き続けたり。

ねこさん
というわけで(前置き、長すぎ!)、今日はそのピアノのこと
この頃、ピアノを弾きながら、ふと我に返る時がありまして。
これって、どこに向かっているんだろう? って。

小説書くのって、私の中では(ほぼ)完全なオリジナルな世界なので、まだ私が表現することには意味があると言ってもいいかなと思う。でも、音楽、とくに競技人口の多い種目?であるピアノって、まぁ、どうなのって思うわけです。いや、三味線や民謡だってどうよって話ですけれど、私、和物に関しては自分なりに「日本の伝統を守る」自負心のようなのものはあるのです。
この間、胡弓に手を出したときも、この胡弓を作る職人さんの手からこの楽器を譲り受けたという強い気持ちがありまして。しかも、胡弓なんて、見たこともない人も多いでしょうし。いや、三味線だって触ってことのない人の方が多いかも。

でも、ピアノって、ものすごくポピュラーで、プロは別にしても、驚くようなアマチュアがごまんといるわけです。
さらにクラシックの世界で言うと、オリジナルを弾いているわけじゃなくて、まぁ、モーツァルトとかベートーヴェンとかショパンとか、あれこれあれこれ、世界中でみんなが同じ曲を弾いているわけです。もちろん、プロの演奏でなくても、100人弾いたら、100人とも違う演奏、個性が表れると言いますが、いやいや、そりゃ、高いレベルの話ならそうでしょうとも。

でも、「私が」ピアノを弾く、しかもこの時間をかけてこの曲を弾いているわけは何だ? もう若くもないし、頑張ったからってあと何年続けられるか分からないのに、なにを目指しているの? 
このリビングで存在感半端ないグランドピアノといい、1曲弾くために費やする時間の膨大さといい、この私が、コロナでちょっと余裕が出来たとは言え、まぁ、そこそこ忙しい仕事をしている私が、これを持ってして一体どこへ向かって何を主張しているのか?

私のピアノ歴といえば、まずは幼稚園からヤマハ音楽教室に行き、オルガン習う。小学校2年生(多分)から近所のピアノの先生に習う。中学生になって、学校が遠かったのとクラブが忙しくて辞める。多分純粋ピアノ歴6年足らず。一応、ソナタアルバムの1冊目に突入したくらいで、最後にモーツァルトのトルコ行進曲、弾いてましたわ。
そう、バッハも、ショパンも弾いたことがなかったのです。

そして、2018年8月、何を思ったか、40年?ぶりに再開。
まぁ、今更、指が動くわけでもなく、右手も左手も、パソコン打つときくらいしか活躍してなかった小指も薬指も「この期に及んで何をさせるねん」と思っていることでしょう。しかも記憶力の減退(暗譜が大変)、目も悪い(オタマジャクシが小さい)。
うちに弾かずにおいてあったピアノが可哀想だからと再開したのが、思わぬ深みに。

三味線仲間にピアノの先生がいるのですが、その人はピアノも三味線も教えていて、いわく「極めるための奥深さは置いといて、とりあえず1曲弾けるようになるまでに掛かる時間を考えると、ピアノは生徒さんの満足度がおそろしく低い」。
あ~わかるわ。まぁ、三味線の奥深さは十分分かった上で言いますが、「単旋律」を弾く三味線と比べると、ピアノって、両手と足(ペダルの恐ろしさを今更に知る)、しかも手も指10本、フル稼働なわけです。指使いひとつ間違えたらもう弾けません。スケール弾いていて、あれ? 指1本足りない! なんてことはざらにありまして。
基礎が足りていないので、指の弱さとか、届かない9度とか、ペダルの使い方とか、もう必死。

先生が弾くと、スケール弾く(ドレミファソラシド~って順番に弾く)だけで音楽なんですね。
再開して2年10か月の私、まだスケールさえ、まともに音楽に出来ません(いや、スケールとアルペジオと和音を音楽に出来たら、どんな曲でも弾けると言われますが)。
これで何かを「表現」できる時が来るのだろうか? 
そもそも表現するってなんだろう? 何を、何のためにどこへ向かって?
ここで私が一生懸命練習してても、どこへ向かっていくのか分からない私のピアノ。

数あるブログを拝見すると、1曲仕上げる時間の早さといい、そのクオリティの高さといい、すごい人たちがいっぱい居る。
こんなふうに弾けるようになるまで、私って譜読み時間も半端なく長く、えっちらおっちら弾けるまでも長く、なんか少しだけ自分のもの出来たかなと思うまでも長く……と思ったらすぐに弾けなくなり……果てしない

でも、私と同じような大人再開組(といっても、1回辞めるまでのピアノ歴がかなりの人たちも多い)もいるけれど、皆さん、真剣なんだな。飯の種になるわけでもなく、どうなるわけじゃなくても、夢中になる何かがそこにあるとしか言えない。
何より、グランドピアノの弦を張ってある中を見るだけで、わくわくするのはなぜかしら。
88鍵、230本ほどの弦。ここから出る音は宇宙。

小説の場合は、やっぱり自分が作り出している世界という気持ちはあるから、自負心が勝るかな。
まぁ、たまに「あぁ、ここまで描かれちゃったか。もう私、これ以上のことは書けないわ」という作品に出逢うことはあるけれど(一番最近の衝撃は、やっぱり『女城主直虎』の政次だなぁ)、どちらかと言うと、色んな作品から刺激を受けて、私も自分の世界を描きたいと思う、あるいは思える。
あるいは、そう思えるくらいに付き合いが長いんでしょうね。酸いも甘いも知り尽くした関係?

ピアノに関しては、森に迷い込んだところ、まだまだ右も左もコントロール不能、ということかも。
いずれ、私の表現したい世界はこうなのだという自負心が生まれてくるものかしら。
まだ決めつけるのは早い。
10年目にかっこよくベートーヴェンのソナタを弾いている自分の姿をイメージして、あれこれやりくりしながら頑張ってみるかな。自分なりの基準でかっこよく。
悲愴とレッスンノート
(だんだん書き込みが増えて見にくくなる楽譜とレッスンノート←ボケ防止?)

来週は発表会
ピアノの森? 羊と鋼の森? 深い森の中におりますが、自分なりの『悲愴第2楽章』の世界、描くことができたらいいな。
でも考えてみたら、再開したとき、ショパン弾いたり、ベートーヴェンのピアノソナタに手を出そうなんて、思える状況でもなかったんだから、進歩してるのかな。
もう来年の発表会の曲もほぼ決定しているし……次々と何かを求めているうちは、幸せなお付き合いが出来ているんだろうな。
先生からお勧めされているのはショパンのノクターン13番。
ショパンコンクールの1st stageでソンジンくんが弾いてた……
他にも候補があったけれど、感情を載せやすい気がしたのでした(言ってみてるだけ)。
そう、自分を表すってこと、どこかでちょっと考えているのだな(できないけど)。

来世では目指すか、ショパンコンクール
あ、だめだ、『ダーウィンが来た!』の撮影隊になるんだった

『私のピアノは、今が一番よい音を奏でていると思います。つらいこともたくさんあった人生が全部詰まっているから。
人生って、うまくいかなくても、そんな人生の方が素敵じゃないかしら。幸せって雲の彼方にはない。自分で作るものだから。でも、それは歳をとって分かったこと。この絵日記を読むと思い出します。白い雲を眺めながら、憧れ、ときめき、夢見たその時間を。
歳を重ねていくって、あっという間。でも、気持ちは歳をとらない。だから、演奏会の前や好きな人に会う前は、いまもドキドキするのです。』

(フジ子・ヘミング)
*絵日記:14歳の時に書いた夏休みの絵日記。

フジコさんのようなつらい人生なんてことはなかったけれど、それなりに、つらいことや悲しいことはあって、泣いたり、ちょっと危ないこともあったり(生命危機?)、仕事を2週間もさぼったり(あまりにも人の生死がつらくて)だったけれど、誰でもなく自分がここに至るまでの紆余曲折はやっぱり、どこかで自分を表現する形になっているのかも。
仕事でも、小説でも、こうして書いているものでも、ピアノの音にでも。
三味線は……逆に手が少なすぎて、音に表すのが難しい(それはかなり高度だ)。
となると、10本の指を使わざるをえないピアノは、実は、何かを表すのに向いている楽器なのかも。

うまくいかなくてもいい。
夢見て、泣いて、ドキドキして。
それが全部よい音になる。
人生も。ピアノも。

(暮しの手帖社『発見!フジコ・ヘミングさん14歳夏休みの絵日記』より)

らっきょうとシャクヤク
 おまけ:うちで漬けてるらっきょう。3年もの、2年もの、1週間前。
 トップの写真はうちのウツギ。切っても切っても道路にはみ出てご迷惑を…
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Category: あれこれ

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