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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・映画】「だが、今日ではない!」~『ロード・オブ・ザ・リング』のこと~ 

「皆、とどまれ! ゴンドールの息子よ、ローハンの子らよ! わが同胞よ! 諸君の目の中に恐れが見える。恐れは私とて同じだ。何時の日か、人の勇気が失われ、友を棄て、あらゆる絆を断つ日が来るかも知れぬ。だが、今日ではない! オオカミの日が来たり、盾が砕け、人の時代は終わりを迎えるかも知れぬ。だが、今日ではない! 恐れず戦おう。この大地に、皆の大切に思うもの全てにかけて、戦ってくれ! 西方の勇者たちよ!」

Hold your ground, hold your ground! Sons of Gondor, of Rohan, my brothers! I see in your eyes the same fear that would take the heart of me. A day may come when the courage of men fails, when we forsake our friends and break all bonds of fellowship, but it is not this day. An hour of wolves and shattered shields, when the age of men comes crashing down! But it is not this day! This day we fight! By all that you hold dear on this good Earth, I bid you stand, Men of the West!

何回見ても、このシーン、かっこいいんだけれど、次のシーンでフロドがぐずぐずしているのを見て、いらっとするのは私だけではないはず。この話、だいたいフロドは何をしたんだ? かっこよかったのはサムじゃないか?
「俺に指輪は運べないけど、フロド様は運べます」
って、そこまでもしてもらって、土壇場で棄てられないで、まだぐずぐずしとる。
き~っ
しかも、指輪も自力で棄てたんじゃなくて、不可抗力で落っこちただけやん。
みんな、「フロドのために!」って言って、むっちゃ戦ってんのに!

最初から最後まで私はアラゴルンだけど、それにしても。

このラストのほうで、アラゴルンが人間の王になって、ちっこいホビットたちの前に跪いて頭を下げ、それに続いて居合わせた全ての人が彼らに頭を下げるという感動的なシーンがあるんだけれど(これってディズニーの『ムーラン』にも同じようなシーンがありますね)、まぁ、そこに至る経過はともかく、やっぱり泣いちゃうんですね。

「我が友よ。そなたたちは誰にも頭を下げる必要などない」
My friends. You bow to no one.

 そう、今日の話題はワーグナーの指輪ではなく、トールキンの『指輪物語』です。
話題と言うよりも、つぶやき、ですけれど。
あ、正確には、映画の『ロード・オブ・ザ・リング』
と言っても実は、原作を読んだことがありません。映画は何回かみておりまして、この期に及んで原作を読もうかなと思わなくもないけれど、現実問題として、もうこんな長いの、そうそう読めないかな。
実は映画はDVDも持っている。でも最近、J:COMのあるチャンネルでしばしばやっているので、そのたびに見ちゃう(というより、大体見ているからBGM状態。時々「あれ? こんなシーンあったっけ?」)。で、アマゾンで原作本をポチりかけて、「はて? 今の私に読む時間があるか?」と立ち止まったところ。

『守り人シリーズ』は、NHKの力作ドラマで映像を先に見て、すごく面白かったので(なんだかんだ言う人もいるかもだけれど、綾瀬はるかは結構嵌まってたと思う)、この期に及んで原作を全部読んでしまったけれど、だんだん長い小説を読む根性がなくなってきているなぁと思うこの頃。

一番長編小説を読んだのは、中学から大学生にかけてだったけれど、文学・小説というものは「読む時」ってのがあるんだなぁと思ったりするのです(特に長編はね)。
私にとっての「その時」に読んだもので一番長かったのは、なんと言っても山岡荘八の『徳川家康』だったかも? 
選んだ長編小説の類いは、その頃の自分を形作ったかもなぁと思います。
私の場合は、ロシア文学(ドストエフスキー、トルストイ)に始まり、ロマン・ロランなど外国小説と、日本の時代小説(司馬遼太郎、少し遅れて池波正太郎)だったかなぁ。そして、就職してから、ほぼ夜勤の待機時間に読み切ったのが『銀河英雄伝説』。

長編小説といっても、連作ものはまだ良いのですが、この『指輪物語』、一連の物語で10巻くらいもあるんね。
こういうものは、きっと若いときに読まなくちゃならないんだろうな。読むのに適した年齢ってあるかなって思ったり。そもそも、まとまった時間が持てるのは若い者の特権。
あるいは、定年になったら、読めるのかな。
もしくは、アラゴルンで読み切れるのか。
あ、でも、考えてみたら『ハリー・ポッター』はなんだかんだ言いつつ、読んだわ……別に、ハリーにではなく、私のお気に入りはこれも最初から一貫してセブルス・スネイプ先生。もう、あんなに物語的においしいキャラはいないでしょ。

 『Lord of the Ring』(これって、カタカナで見てたら『Road』かと思っていたら、指輪の主人(持ち主)ってことなのね。深い)にかこつけて、色んなことを思うんだけれど、そのひとつが、長い原作をこの期に及んで読めるかなぁ(人生もう第3楽章の終わりくらいにさしかかってるからね)、ということ。
そしてもうひとつが、この主人公(なんだよね、一応)の謎。

映画を観ていると、なぜかフロドのシーンでちょっと「いらっ」とする。
もちろん、ヘタレ主人公の話なんてざらにあるんだけれど、普通は冒険ものって、主人公は最初ヘタレでも旅の中で成長していくもんだよね? あのアムロでさえもそこそこ成長した。
なのに、このフロドときたら、見ている人をずっといらいらさせている。

でも、それはなんでだろう? って考えちゃう。
物語は虚構だから、物語の中だけでもカッコイイ主人公やキャラたちを見ていたい、と思う面もある。ダメなやつでも、何か良いところや入り込める部分を見つけて共感しながら読みたい・見たい。
が。このフロドにいらっとするのは、なんかもう、どこかにいるであろう「卑怯な自分」をずっと見ているような気になるからなのかなぁ。

 最後の『王の帰還』では、フロドはサム(フロドの家の庭師で親友)とスメアゴル(指輪を付け狙っている悪しき者、だけど、彼の中にも葛藤がある。全ては指輪の魔力?)といっしょに、ひたすら指輪を破壊するために旅をしているんだけれど、しばしば自分が指輪の持ち主になり、生きるもの全てを支配する邪悪な力を持ちたい(というよりも、指輪自体がこの世にはびこりたいという悪の権化=サウロンの象徴となっている)という欲望と戦わなければならない。というよりも、ほぼ負けている。
要するに、敵は外ではない、内にいるってことね。つまり、人って、果たさなければならない責務に対して、良心(=サム)と悪しき心(=スメアゴル)を常に両方持ちながら、旅をして戦っている、という構図なんでしょうかね。
でも、戦ってるのか? ほぼ他力本願、とか、不可抗力、なんだけど。
ううん(*´~`*)?

これは別にフロドが主人公ってことじゃなくて、いわゆる群像劇様に見たらいいのかな。

最後、エルフの船に乗ってフロドが去って行くのも、つまりは「死」のイメージの具体化で、この旅を始める前の自分にはもう戻れないという諦念が彼にある。そこはまぁ、納得なんだけれど……
なんかすっきりしないわぁ。
もちろん、もやっと感が残る小説・映画・物語、嫌いじゃないのです。いわゆるハッピーエンドは期待していません。主人公がヘタレでもいい。でもなんだかなぁ。
最近、たまにJ:COMで『水戸黄門』見ると、ほっとするのはなんでだろ? 予定調和に弱い日本人だからかな。


 で、話は冒頭に戻る。
「お前がいてくれてよかったよ、サム。」
ほんとだ! まったく、ぬけぬけと……私がサムなら、さっさと放って帰ってるわ。
原作を読んだら、何か新しい納得が得られるのかしら。
しかし、この物語、そもそも書かれたのは第二次世界大戦のころなんですね。思えばすごい。根強いファンがいて、映画化にあれこれ口を挟むのも分かる気もするけれど、個人的にはいい映画だと思う。役者は上手く揃えたな~。なんというのか、みんな顔がそれっぽい。映画しか観ていないから、分かんないけど。

あ、関係ないけれど、オーランド・ブルームは見事にエルフでしたね。海賊よりはいいや。
って、この映画、なんだかんだ言って、最後のが2003年だから、もう17年も前なのね(その後に、前日譚にあたる『ホビットの冒険』が2013年前後に公開されている)。
ううむ。

でもやっぱり、アラゴルンがかっこいいから、許す。
「だが、今日ではない!」
そうだ、なにはともあれ、その言葉を胸に、まだまだ頑張るぞ。

そう、物語には、脇役でも良いからカッコイイ誰かさんと、カッコイイ台詞があってほしい。
もちろん、カッコイイの基準は人それぞれだけれどね。
だから、もしかしたら、私がいらっとするフロドに(それでも指輪を運んでいる。まるでゴルゴダの丘を登るみたいに。もしかしたら、これはそのイメージで、死に向かって歩いている、そういう寓話なのかも)かっこよさを見いだす人もいるのかもしれないと思い直すのであった。
そういや、物語のどこかで「フロドは死ぬ(運命にある)」ってガンダルフ(魔法使い、でも中つ国では魔法はそんなには使えない。だから最後の闘いのシーンでみんなと一緒に走ってる姿を見てちょっと萌える)が言っていたような。
いや、それは「ハリーは死ぬ」って校長が言ったんだっけ? やっぱりなんか、パターンがあるのね。

ここのところ立て続けに何回か見たので(なぜ?)、ちょっとつぶやいてみました(#^.^#)
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【雑記・本】疫病退散の願い~Master KEATONを読もう!~ 

Masterキートン表紙
私がバイブルとしている作品(漫画であろうと小説であろうと)のひとつがこの『Master KEATON』
今回のCOVID-19流行に限らず、感染症のことを考えるたびに、医学の歴史についての本を読み直しますが、その中になぜかこの『Master KEATON』もいつも含まれているのです。
ビッグヒストリーの中では今回のCOVIDも意外な流行ではないし、人間は自分たちと科学を過信してはいけないということは自明のこと。もちろん、科学こそ光明でもある。科学というのは、発見・進歩だけではなく、検証の学問なので、常に過去と現在の出来事を分析する冷静さが必要ですね。

この『Master KEATON』の中には、2つの感染流行についての物語があって、なぜかものすごく心に残っているのです。
キートン博士は考古学者であるけれど、それでは食っていけなかったり、色々思うところがあって英国の特殊部隊でサバイバル術を身に着け、保険会社の調査員をしている。彼のテーマは大陸のケルト文明もしくはその前にあった巨石文化を築いた文明の発掘だったり、あれこれ私のツボにはまるところが多くて、時々読み返しては色々考えさせられています。
ハーメルンから来た男
まずひとつは、第5巻の『ハーメルンから来た男』
当時、阿部謹也氏の『ハーメルンの笛吹き男』が愛読書のひとつであった私は、このエピソードにものすごく惹かれたわけですが、物語は現在に近いところに舞台を置きながら、過去の出来事の謎にも迫るという作られ方をしているので、常に2重の謎を追い掛けているという仕組み。これはナチスによるジプシー(シンティ・ロマ)虐殺事件と、ハーメルン伝説の二重の謎を解き明かしていくのですが、ハーメルンの笛吹き男がシンティ・ロマの医師もしくは知恵者で、当時大流行していた天然痘の免疫を持った子供たちを連れて、各地に天然痘の免疫を広めて旅をしたという落ちになっています。ハーメルンの笛吹き男の話は、天然痘ではなく、黒死病(ペスト)のほうと結びついていますが、当時は天然痘も黒死病の一種と考えられていたので、あり得ない話ではありません。
祈りのタペストリー
もうひとつは、第10巻の『祈りのタペストリー』
スペインの古城持ちの老人が、自分の城を日本の観光業者に高く売りつけたいと思いながら、日本にやって来た。
実はこの城の教会にはあるタペストリーがあって、飢饉で食料を求める人々に城の上から石を落として追い払っているという場面が描かれていて、この老人はそれを自分の先祖の暗い歴史だと思っているのです。このタペストリーはもともと対になっていて、もう一方がどうやら売り払われて日本にあるらしい、そこにどんな暗い歴史が描かれていても、揃っていたらあと1億は高く売れるだろうともくろんでいる。そこで祇園祭です。
祇園祭というのはご存知のように「疫病退散」を祈るまつり。疫病に対する予防も分からず治療法もなかった時代、人々は祈るしかなかったのですね。キートンと山車の側面のタペストリーを見た老人、自分の城にあるタペストリーの隅っこに描かれたネズミをヒントに、もともと自分の城にあったタペストリーに対面しました。
そこには、領主夫妻と領地の民衆が城の中で仲良く平和に暮らしている絵が描かれていた。城の外の病人をどうすることも出来ないけれど、自分の領民を守るために隔離政策をとり、ネズミを追い出しているという図だったわけです。
科学としての医学が確立していたわけではないけれど、黒死病がネズミと関係していること、隔離政策が一定の効果があることは知られていたのですね。
老人は、自分の祖先が決して悪魔のような人間ではなかったと知って、城を売るのをやめたという話でした。

科学は完璧ではない。感染症に対して100%の治療策・対応策をまだ人類は手に入れていないし、今後も手に入れられないかも知れない、何しろ、敵は人類よりもしたたかな生命体だから。
そのなかで、人々がどう生きて、どのように他人を思いやるか、それをその都度試されているのかもしれないと思うのでした。
災害もまた然り。できることなら、太平洋高気圧と大陸高気圧の位置を変えたいけれど、出来ないから、今できる最善の策を考えていかなければなりませんね。今だけを見てはいけない。ビッグヒストリーがはやるのも、そういうことなのでしょう。そこに必要なのは、分析する能力だけではなく、未来に対する想像力、他人の立場・状態を思いやる想像力、かもしれません。

『Master KEATON』、持っている方は読み返してみてください。読んだことがない方は、この機会に是非!
(全18巻+1)

ところで、祇園祭。
疫病退散のお祭りを取りやめるのは、仕方がないとは言え、なんだかつらいですね。
もしかして、ちまきの通販とかしてくれないかな。いつもは手に入らない長刀鉾のちまきが買えるかも?
牛頭天王
・・・・・・牛頭天王に怒られるかしら。

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