【雑記・徒然】切り取ったことば(言霊)たち~命を想う~



スクラップとか面倒くさいし、それが丁度、4つ入りの高級チョコの箱にぴったりなので、そこにストックしてあります。
順番とか考えずに入れてあるのですが、一応いつのものかは記事中に日付が書いてあるので分かります。一番古そうな日付は2015年になっているから、かれこれ5年くらいで2箱がいっぱいくらい。多いのか少ないのか、でも、その時々に気になる言葉がやっぱりあるのだなぁと思います。しみじみ見返すことは少ないけれど。
もうすぐ3箱目が要りそうだから、チョコレート買いに行かなくちゃ……((^∀^*))(ん?)

あ、その前に、最近、ようやく読もうと思った葉室麟さん、そのガイド的な本からの言葉を。
「昔と現代を比較すると、多分、命の重さに違いがあるのでしょう。現代は人ひとりの命が重いという感覚がありますけれど、昔は、比べると今より軽いものだったように思います。死に対してもう少し馴染みがあったり、親しみがあったり、自分たちの生の延長上にあると思っていたのではないでしょうか。人は、それなりに働いて、最後に成仏していきます。つまり、ある種の役割を果たして、何者かになっていく過程の果てが”死”だったと僕は思います。
現代は”死”というものが疎外されて、自分たちから遠ざけられようとしています。若いということに価値を置いて、年を取るに従って価値はなくなり、その行く末である”死”は、無価値だという考え方をする人が増えているように思います。しかし、死ぬということは、生きていたという証。だから、自分自身が『ちゃんと生きてきた』といえるのであれば、『死もまた良し』です。私くらいの年齢になると、ふっとそう思うことがあります。『もう、このまま何もしないでいいのだ、すべての義務からも解放されるのだ』と考えるわけです。」

命は重いけれど、ある程度の歳になると、そうでもないんじゃないかと思い始める。軽い、と言ったら、言葉尻を捉えてあれこれ言う人がいるから、言いにくいけれど、実感としてそうなのです。でも、ここで葉室さんが「軽い」という言葉にこめて仰っているのは(そして、私が言いたいのは)、命が大事じゃないってことじゃないのです。
ごく自然、生物学的に、生と死とはそういうものだという妙な達観がどこかに生まれてくる。

ゾウが死んでしまった仲間の死を悼むような行動を取るのは以前から知られていたけれど、最近、ゾウだけではなく、肉食動物も他の草食動物にも同じような行動が観察され始めているから(じっくり死を悼むには彼らの環境は過酷すぎる。人間がそんなシーンになかなか出逢えないだけなのでしょうね)、これは生命あるもの共通の感覚なんですね。

そういうことを考え始めると、こうして「切り抜いておいておく言葉」にもそういう系統のものが増え始めたりする。


(エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』から)
言葉に添えられた文章→「犬が逝った。彼女はやがて身に起こる事態がどういうものか知らないまま、従順に死の訪れに呑み込まれたように見えた。人は死を、いつか身に降りかかるものとして意識する。そういう形で、不在の未来を存在の内に組み入れ、死をまだないものして「遅らせる」ことで、時間という次元を開くのだと、20世紀のフランスの哲学者は言う。」

「いつか来ると分かっていたけれど、そういう日(いつか来ると思い続ける日)がずっと続くのだと思っていた。それが今日だとは」
こどもの頃から病気があり、何回も手術を受け、そのたびに「こんなリスクがあって死ぬこともある」なんて話を聞かされていたら(でも医療者側からすると、話しておかないと後から「聞いてなかった」ということになるわけで、言わざるを得ないのが現代)、いつも死はそのドアの向こうに「在る」と感じる。手術室に入るたびにその「境」を越えるような気持ちになる。
それは、観念の中の「あちら側」ではなくて、地続きの「あちら側」なのですね。

それほどに、「いつか来る日」「あちら側」はごく身近にあったのです。今は、無理矢理遠ざけられて見えないようにされていることが多すぎないかと、そう思って逆に不安になったりします。

でも、現実にその日が来たら言うのでしょうけれど。
「それが今日とは思わなかった」

この感覚は、ものすごく理解できる気がする。これ、以前にも書いたように、『戦争と平和』のアンドレイ公爵の死のシーンが、高校生の私が死に対して抱いていた疑問に答えの一部をくれた、という内容にほぼ合致している気がします。『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの死のシーンも同じようなイメージだった。
自分自身はその「身に起こる事態」を体験していないので、もしかすると完全な理解とは言えないかも知れないけれど、「逆の体験」はあるのです。それもものすごく明確に覚えている。
「逆の体験」の感覚が今も残っているから、反対にこちら側からあちら側に行くときには、その逆の現象が起こるのだろうと思っているのです。

(シルヴィア・プラス「オーシャン1212-W」から)
言葉に添えられた文章→「母と自然。その『心優しい宇宙の中心』であった少女はある日、”第三者”になる。弟の誕生。それが私と世界の一体感を裂いて、私を『除け者』に、『悲しい海胆(ウニ)』にしたと、米国の詩人は回想する。人は世界が自分とは別のものとしてあるという事実に傷つくことから、その生を始める。」

当時、私は幼稚園くらいだったのか、祖父母や両親・弟・叔母たちと一緒に暮らしていた「母屋」と、そこから歩いて10分ほどの(子どもにはもっとかかる)の場所にある両親の「仕事場」(温室、当時7つくらいあったかなぁ)とを往復して生活していました。弟は「跡取り息子」なので、ずっと母屋で暮らしていましたけれど(拗ねてはいない(*^_^*) それはそれで面白かったから。父に雪兎を作ってもらって、ウサギさん寒いからと言って、温室に入れちゃったりね。「ウサギさん、いなくなった~(つД`)ノ」って。そりゃそうだ)。

ある日の夜、父は出かけていて、母とふたり「小屋」にいたのですが、母が何かを取りに母屋に行かなければならなくなりました。「一緒に行こう」と言われたのですが、何かに夢中になっていた私はひとりで待っておくことにしたのです。
ところが、母が出かけてから、突然不安になったのですね。何しろ、当時は周辺はほぼ田畑で、夜ともなると、暗くて人気もない場所。雉も歩いていたようなところです。
母を追いかけようと小屋を出て、心細い街灯しかない闇の中、毎日幼稚園に行くにも、お菓子を買いに行くにも、母屋に行くにも通る、登り慣れた坂道を上がっているとき、急に、世界が「私から離れた」のです。

この世界にある全てのもの、周囲の人々、それだけではなく、母屋の暗い廊下を曲がった先にある「何か」とか、屋根裏に積まれた藁の影にいる「何か」とか、トイレの隅っこに積まれたちり紙(たまに新聞紙^^;)の影にいる「なにか」とか、そういうものでさえ、私とつながった一部だったのに、いえ、私がその大きな世界の中に取り込まれている一部だったのに、急にそこから放り出されて、それらと自分は別物だという感覚になった。自分の皮膚で、世界とは「境」されていると理解したのですね。
こういうのは、よく、母親の子宮から出てへその緒を切られたときのこととしてたとえられますが、その追体験みたいなものだったのでしょうか。

そういえば、この坂はその後、夢の中にも何回も出てくるのですけれど、夢が記憶の整理なのだとしたら、やはり、あの場所に私にとっての「境」があったのかも。その時が、自分自身の「誕生」の時だったのでしょうか。
そして、ふと思うのです。「死」は、今度は自分の外の世界、町や建物や植物たち、そういうものだけではなく、目に見えない「陰に居る何か」も含めて、この世界の全ての構成要素と、こんどは境がなくなっていってつながっていく、もう一度切り離される前のところへ戻っていく、取り込まれていくことなのかもしれないと。
そうであれば、葉室さんの仰るとおり、「死もまた、良し」といえるのかもしれないな、と少し思ったりするのでした。

私が初めて「ひめゆりの塔」を訪れたとき、そこに語りべの方がおられて、当時のお話をしてくださいました。
その時、私が真っ先に思ったこと。
「生きていてくださってありがとう」
これは頭を使って言葉になったのではなく、どこから湧き出すように感じた想いなのでした。

(「暮しの手帖」編集長・澤田康彦)
言葉に添えられた文章→「暮しの手帖社が一昨年(2018年)、戦争体験の手記を募り、編んだ『戦中・戦後の暮らしの記録』の序文から。戦死者や被災面積の『数』ではなく、出征した肉親への祈り、教師の鉄拳の硬さ、機銃掃射の恐怖、戦争孤児の思い。それらを生き抜いた人がいるから今を生きる人もある。この本には戦争体験者の『遺言状にさえ似た』言葉が連なる。」

2017年11月27日の折々のことばから。

「カドノ湯屋の玉デス、ドウゾ、ヨロシク」
(大佛次郎、随筆集『猫のいる日々』から)
言葉に添えられた文章→「猫を人の家に放り込んで去る輩がいる。可哀想と引き取ってとうとう14匹に。それに匿名のお願いの手紙が付いていたりすると、その偽善に腹が立つ。よく庭に遊びに来る小猫にある日、『君ハドコノ……』と荷札に書いて付けたら、次に遊びに来た時、荷札にきちんと返事が書いてあった。『この世に生きる人間の作法、かくありたい』と作家は記す。」

何が良いって、飼い主家族さんたちの声が入っているのですけれど「わ~、なにそれ~、もう、ほんと可愛い~」って(*^_^*) 5匹くらい飼っておられるのかな。もう全然ふてぶてしいくらい大きくなった猫さんたちもいますが、いちいち、家族みんなが猫の行動に大はしゃぎされているのです。

荷札の返事からは、この子がそちらにお邪魔しているようですがかわいがってやってね、という飼い主さんの愛情の片鱗が感じられます。「作法」とは、思いやりであって、想像力なのでしょうね。乱暴なことばや、想いのないことばは、顔が見えないだけに、慎まなければならない、そう思うのでした。

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Category: あれこれ
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