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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【雑記・徒然】切り取ったことば(言霊)たち~命を想う~ 

折々のことば
お盆・75年目の終戦記念日なので、それらしいことを書こうかとも思ったのですが、ぼんやりしていたら過ぎてしまったので、関係あるような無いようなことを。

朝日新聞の「折々のことば」を、気に入ったときに切り抜いておいてあります。
スクラップとか面倒くさいし、それが丁度、4つ入りの高級チョコの箱にぴったりなので、そこにストックしてあります。
順番とか考えずに入れてあるのですが、一応いつのものかは記事中に日付が書いてあるので分かります。一番古そうな日付は2015年になっているから、かれこれ5年くらいで2箱がいっぱいくらい。多いのか少ないのか、でも、その時々に気になる言葉がやっぱりあるのだなぁと思います。しみじみ見返すことは少ないけれど。
もうすぐ3箱目が要りそうだから、チョコレート買いに行かなくちゃ……((^∀^*))(ん?)

と言うわけで、最近、気になって切り抜いた言葉たちをご紹介。
あ、その前に、最近、ようやく読もうと思った葉室麟さん、そのガイド的な本からの言葉を。

「昔と現代を比較すると、多分、命の重さに違いがあるのでしょう。現代は人ひとりの命が重いという感覚がありますけれど、昔は、比べると今より軽いものだったように思います。死に対してもう少し馴染みがあったり、親しみがあったり、自分たちの生の延長上にあると思っていたのではないでしょうか。人は、それなりに働いて、最後に成仏していきます。つまり、ある種の役割を果たして、何者かになっていく過程の果てが”死”だったと僕は思います。
現代は”死”というものが疎外されて、自分たちから遠ざけられようとしています。若いということに価値を置いて、年を取るに従って価値はなくなり、その行く末である”死”は、無価値だという考え方をする人が増えているように思います。しかし、死ぬということは、生きていたという証。だから、自分自身が『ちゃんと生きてきた』といえるのであれば、『死もまた良し』です。私くらいの年齢になると、ふっとそう思うことがあります。『もう、このまま何もしないでいいのだ、すべての義務からも解放されるのだ』と考えるわけです。」


その葉室さんは66歳という若さで亡くなられたのですが、50を過ぎたら、こういうこと、言葉じゃなくても体感するんですよね。
命は重いけれど、ある程度の歳になると、そうでもないんじゃないかと思い始める。軽い、と言ったら、言葉尻を捉えてあれこれ言う人がいるから、言いにくいけれど、実感としてそうなのです。でも、ここで葉室さんが「軽い」という言葉にこめて仰っているのは(そして、私が言いたいのは)、命が大事じゃないってことじゃないのです。
ごく自然、生物学的に、生と死とはそういうものだという妙な達観がどこかに生まれてくる。

 もちろん、親しい人の病気や死は悲しいし辛いし怖い。でも、それは生命あるものとして生まれてきたからには、当たり前にあることだと思える。中には、理不尽な死もあるから、それについてはいつも納得できなくてウダウダ思うけれど、それは家族や社会という集団の中で生きているなら当たり前の気持ちですよね。
ゾウが死んでしまった仲間の死を悼むような行動を取るのは以前から知られていたけれど、最近、ゾウだけではなく、肉食動物も他の草食動物にも同じような行動が観察され始めているから(じっくり死を悼むには彼らの環境は過酷すぎる。人間がそんなシーンになかなか出逢えないだけなのでしょうね)、これは生命あるもの共通の感覚なんですね。

 話は逸れたけれど、つまり、悲しいけれど、避けられないものとは知っているのが「死」。どこかで途切れるのは「自然(じねん)の理」だと分かっている。自分については、どうなるのかなぁというのはあるし、死に方はあれこれ(痛いのはイヤだなぁとか)思うけれど、死後のことは「まぁ、いいか」って。きっと、多くの人はそうなんでしょう。怖いのは「死」ではなくて「死ぬ過程」についての不安なのではないかと思うのです。
そういうことを考え始めると、こうして「切り抜いておいておく言葉」にもそういう系統のものが増え始めたりする。

折々の言葉2

死の意識とは、死の日づけを本質的に知らないままに、死を絶えず繰り延べる意識である。
(エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』から)
言葉に添えられた文章→「犬が逝った。彼女はやがて身に起こる事態がどういうものか知らないまま、従順に死の訪れに呑み込まれたように見えた。人は死を、いつか身に降りかかるものとして意識する。そういう形で、不在の未来を存在の内に組み入れ、死をまだないものして「遅らせる」ことで、時間という次元を開くのだと、20世紀のフランスの哲学者は言う。」

ある患者さんの家族の言葉。
「いつか来ると分かっていたけれど、そういう日(いつか来ると思い続ける日)がずっと続くのだと思っていた。それが今日だとは」
こどもの頃から病気があり、何回も手術を受け、そのたびに「こんなリスクがあって死ぬこともある」なんて話を聞かされていたら(でも医療者側からすると、話しておかないと後から「聞いてなかった」ということになるわけで、言わざるを得ないのが現代)、いつも死はそのドアの向こうに「在る」と感じる。手術室に入るたびにその「境」を越えるような気持ちになる。
それは、観念の中の「あちら側」ではなくて、地続きの「あちら側」なのですね。

そういえば、飛鳥でもエジプトでも、自分たちが住んでいる場所の続きに「この境界のむこうはあの世」という場所があった。エジプトではナイルの対岸、飛鳥ではある石のオブジェが区切る向こう。
それほどに、「いつか来る日」「あちら側」はごく身近にあったのです。今は、無理矢理遠ざけられて見えないようにされていることが多すぎないかと、そう思って逆に不安になったりします。

緩和医療というのが、もてはやされているけれど、そしてその結論のひとつは「死を意識することは、今生きている意味を問い直すこと」ということになるのだけれど、脳梗塞で自由が利かない超後期高齢者の父、その父を家で介護している母を見ていると、この時間・空間の続きに「あちら側」があるのだと、自然に納得は出来る。
でも、現実にその日が来たら言うのでしょうけれど。
「それが今日とは思わなかった」

ところで、この添え文の中の「彼女はやがて身に起こる事態がどういうものか知らないまま、従順に死の訪れに呑み込まれたように見えた。」というところ。
この感覚は、ものすごく理解できる気がする。これ、以前にも書いたように、『戦争と平和』のアンドレイ公爵の死のシーンが、高校生の私が死に対して抱いていた疑問に答えの一部をくれた、という内容にほぼ合致している気がします。『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの死のシーンも同じようなイメージだった。
自分自身はその「身に起こる事態」を体験していないので、もしかすると完全な理解とは言えないかも知れないけれど、「逆の体験」はあるのです。それもものすごく明確に覚えている。
「逆の体験」の感覚が今も残っているから、反対にこちら側からあちら側に行くときには、その逆の現象が起こるのだろうと思っているのです。


自分の皮膚の壁を感じた-私は私なのだ、と。あの石ころは石ころなのだ、と。
(シルヴィア・プラス「オーシャン1212-W」から)
言葉に添えられた文章→「母と自然。その『心優しい宇宙の中心』であった少女はある日、”第三者”になる。弟の誕生。それが私と世界の一体感を裂いて、私を『除け者』に、『悲しい海胆(ウニ)』にしたと、米国の詩人は回想する。人は世界が自分とは別のものとしてあるという事実に傷つくことから、その生を始める。」

実は私は、全然傷ついてはいなかったので(弟が生まれても、そんなふうには思わなかったので)、それは悲しいとか傷つくとかいう体験ではなかったのですが、「その日」のことは、明瞭に覚えているのです。
当時、私は幼稚園くらいだったのか、祖父母や両親・弟・叔母たちと一緒に暮らしていた「母屋」と、そこから歩いて10分ほどの(子どもにはもっとかかる)の場所にある両親の「仕事場」(温室、当時7つくらいあったかなぁ)とを往復して生活していました。弟は「跡取り息子」なので、ずっと母屋で暮らしていましたけれど(拗ねてはいない(*^_^*) それはそれで面白かったから。父に雪兎を作ってもらって、ウサギさん寒いからと言って、温室に入れちゃったりね。「ウサギさん、いなくなった~(つД`)ノ」って。そりゃそうだ)。

夜は温室の管理があるので、両親と一緒に仕事場に戻って、事務所兼小屋のような建物に寝ていたのです(ちなみに、トイレは家の外の、くら~いこわ~い林の脇にあって、とてもひとりでは行けない。もちろんくみ取り(*^_^*) あ、母屋もくみ取り+五右衛門風呂でしたけどね~)。
ある日の夜、父は出かけていて、母とふたり「小屋」にいたのですが、母が何かを取りに母屋に行かなければならなくなりました。「一緒に行こう」と言われたのですが、何かに夢中になっていた私はひとりで待っておくことにしたのです。
ところが、母が出かけてから、突然不安になったのですね。何しろ、当時は周辺はほぼ田畑で、夜ともなると、暗くて人気もない場所。雉も歩いていたようなところです。
母を追いかけようと小屋を出て、心細い街灯しかない闇の中、毎日幼稚園に行くにも、お菓子を買いに行くにも、母屋に行くにも通る、登り慣れた坂道を上がっているとき、急に、世界が「私から離れた」のです。

その時のことは今でも鮮明に覚えていて(同時期の記憶など他にはほとんどないのに)、これを言葉で言い表わすのはすごく難しいのですが、まさに「皮膚感覚」だったかも。
この世界にある全てのもの、周囲の人々、それだけではなく、母屋の暗い廊下を曲がった先にある「何か」とか、屋根裏に積まれた藁の影にいる「何か」とか、トイレの隅っこに積まれたちり紙(たまに新聞紙^^;)の影にいる「なにか」とか、そういうものでさえ、私とつながった一部だったのに、いえ、私がその大きな世界の中に取り込まれている一部だったのに、急にそこから放り出されて、それらと自分は別物だという感覚になった。自分の皮膚で、世界とは「境」されていると理解したのですね。
こういうのは、よく、母親の子宮から出てへその緒を切られたときのこととしてたとえられますが、その追体験みたいなものだったのでしょうか。

その坂は、今でもしばしば登りますが、あの時と同じような坂に見えることはありません。子どもの目線からの坂は、巨大なものでしたが、大人になってみたら、視点が変わってしまったからかも知れません。
そういえば、この坂はその後、夢の中にも何回も出てくるのですけれど、夢が記憶の整理なのだとしたら、やはり、あの場所に私にとっての「境」があったのかも。その時が、自分自身の「誕生」の時だったのでしょうか。
そして、ふと思うのです。「死」は、今度は自分の外の世界、町や建物や植物たち、そういうものだけではなく、目に見えない「陰に居る何か」も含めて、この世界の全ての構成要素と、こんどは境がなくなっていってつながっていく、もう一度切り離される前のところへ戻っていく、取り込まれていくことなのかもしれないと。
そうであれば、葉室さんの仰るとおり、「死もまた、良し」といえるのかもしれないな、と少し思ったりするのでした。


もうひとつ、この時期にはいつも境の向こうへ行ってしまった人たちを思うと同時に、血縁があろうがなかろうが、この今へ「何か」を繋いでくれた人たちを思います。
私が初めて「ひめゆりの塔」を訪れたとき、そこに語りべの方がおられて、当時のお話をしてくださいました。
その時、私が真っ先に思ったこと。
「生きていてくださってありがとう」
これは頭を使って言葉になったのではなく、どこから湧き出すように感じた想いなのでした。

君という美しい命は、未曾有の戦災をかろうじてくぐり抜けた人、その人を守り支えた誰かの先に、偶然のように灯された一閃の光だ
(「暮しの手帖」編集長・澤田康彦)
言葉に添えられた文章→「暮しの手帖社が一昨年(2018年)、戦争体験の手記を募り、編んだ『戦中・戦後の暮らしの記録』の序文から。戦死者や被災面積の『数』ではなく、出征した肉親への祈り、教師の鉄拳の硬さ、機銃掃射の恐怖、戦争孤児の思い。それらを生き抜いた人がいるから今を生きる人もある。この本には戦争体験者の『遺言状にさえ似た』言葉が連なる。」


長くなってきたので、最後に、私がすごく気に入っている言葉をひとつ。
2017年11月27日の折々のことばから。

「君ハドコノネコデスカ」
「カドノ湯屋の玉デス、ドウゾ、ヨロシク」

(大佛次郎、随筆集『猫のいる日々』から)
言葉に添えられた文章→「猫を人の家に放り込んで去る輩がいる。可哀想と引き取ってとうとう14匹に。それに匿名のお願いの手紙が付いていたりすると、その偽善に腹が立つ。よく庭に遊びに来る小猫にある日、『君ハドコノ……』と荷札に書いて付けたら、次に遊びに来た時、荷札にきちんと返事が書いてあった。『この世に生きる人間の作法、かくありたい』と作家は記す。」

時々、訪問するお気に入りの猫ブログさんがあるのですが、その動画がすごくいいんです。
何が良いって、飼い主家族さんたちの声が入っているのですけれど「わ~、なにそれ~、もう、ほんと可愛い~」って(*^_^*) 5匹くらい飼っておられるのかな。もう全然ふてぶてしいくらい大きくなった猫さんたちもいますが、いちいち、家族みんなが猫の行動に大はしゃぎされているのです。

猫は何にも囚われずにそこにいて、好きなことをして、好きなところへ行くのだけれど、リアルには出会わない人同士が共有する感情の橋渡しをする。その時、この飼い主さんが、猫さんをどれくらい大事に思っているか、それが伝わってくることが嬉しいのです。
荷札の返事からは、この子がそちらにお邪魔しているようですがかわいがってやってね、という飼い主さんの愛情の片鱗が感じられます。「作法」とは、思いやりであって、想像力なのでしょうね。乱暴なことばや、想いのないことばは、顔が見えないだけに、慎まなければならない、そう思うのでした。


 「切り取った言葉たち」シリーズ。またいつか。
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Category: あれこれ

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