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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

☂[20] 第2章 同居人の入院(7)(改)/ 噂あるいは流言 

 誰もいないマンションの部屋の鍵を開けると、薄暗い玄関の明かりが僅かに強くなる。
 マンションの豪華なロビーに入る前に上着の雨を払ってきたが、玄関を入るとそれでもやはり重い湿気が身体を押しつぶすように感じた。

 上着を脱いでそのまま玄関脇のコート掛けに掛け、部屋に上がる。
 右手の廊下を進むと、突きあたりが親しい人を迎え入れる応接室を兼ねた居間になっていた。応接机を取り囲んで革のソファと一人掛けの椅子とが優雅に乃の字を描いて並び、左手にはバーカウンターを設えた酒類の並んだ棚が、右手には遺跡と海が描かれた穏やかな色合いの絵と寝室に繋がる扉が、奥にはくの字の廊下に繋がる扉と窓がある。
 真はソファに座り、同居人がいないのをいい事に、ここのところ室内で吸っている煙草の箱を机の上から取り上げた。吸殻が片付いているところを見ると、大和邸の執事の奥さんで、三日に一度は掃除や洗濯をしてくれている高瀬登紀恵が来てくれたのだろう。

 一本吸ったら、このマンションの上の階に住む室井涼子に会わなければならなかった。
 涼子に会うのは、僅かながら気まずい気持ちがあった。

 涼子は大きなデパートを経営するグループの社長の娘で、十年以上前に家を出て、一人でこのマンションに住んでいる。彼女を可愛がっていたグループの会長である祖父が金を出したと聞いている。彼女自身は、竹流の銀座のギャラリーからそう遠くないところで、ブティックを経営していた。
 涼子には高校時代の先輩だったという不倫相手がいた。大学を卒業して何年か経ってから母校の文化祭に行き、そこで再会して以来そのまま関係を持つに至ったという。当時、既にその男は結婚していて、子供が生まれるところだった。
 その状況で男が妻と別れることはあり得なかった。しかし男は不倫相の涼子を離す気もなかったようだった。涼子のほうも高校時代という特別な時間の一部を共有していた相手だけに、簡単に別れてしまえなかったようだ。

 涼子がこのマンションで暮らし始めてから、下の階に住んでいた長身の外国人と関係を持つまでにそう長い時間はかからなかった。この男のところにはその頃から複数の、いかにも金を持っていそうな女性がやって来ていたし、始めのうちは涼子も真と同じように、この男はヒモ暮らしをしているのだと思っていたようだった。
 涼子にとっての竹流は、始めは寂しい夜の身体を慰めてくれる相手でしかなかったのだろうが、始末の悪いことに、この外国人は女性には自然に精一杯の愛情を注いだ。勿論会っていない時間にはほとんど思い出しもしないのだろうが、会っている時間をこれほどに心地よく演出する男は、恐らく世界中を探してもそう多くは見つけられないだろう。そういう時間を騙されながら共有することは、大人の男女の間では楽しいはずだった。

 真が始めて涼子に会ったのは中学生の時だった。回りにはいない大人の女性の匂いは、時々乗り合わせるエレベーターの中でも、明らかに情事の後と分かる竹流のマンションでも、真には刺激的だった。涼子のほうも、どういう訳か自分の恋人のところに現れるこの特殊な雰囲気を持った遥かに年下の少年に、意識はしていなかっただろうが自分の女としての色香を存分に振りまいていた。
 真にとって淡い初恋の相手が妹の葉子なら、女という存在への初恋の相手は涼子だった。淡い初恋は手を握ることもキスをする事もなく過ぎていったが、女という生き物を感じさせた相手への恋は、ある時思いもかけない展開を見せた。

 それは、真がこのマンションで竹流と同居を始めてから間もなくのことだった。
 その日同居人は仕事で留守をしていて、たまたま真は涼子とエレベーターで乗り合わせた。
『竹流、留守なの?』
 涼子はいつの間にか大人になってしまった若者が、ずっと以前から彼女に特殊な感情を抱いていることは知っていたのだろう。
 涼子の問いかけに真はただ頷いた。
『飲みに来ない?』

 どういうつもりで涼子が自分を誘ったのか、今でも真は半分分かっているようで分からない。
 だが彼女に誘われたことは、胸をつかまれるほど刺激的で嬉しい出来事でもあった。後で来てと言われていったん部屋に戻り、それでもやはり期待をしていたのか、シャワーを浴びて何時になく丁寧に身体を洗った。
 約束の時間に涼子の部屋に行くと、軽い食事と酒を振舞われ、当たり前のようにベッドに誘われた。

 誘われた、というのはどこか間違っているのかもしれない。だが、真を部屋に迎え入れた時、涼子も明らかにシャワーを浴びた後のようで、髪は艶やかに濡れていた。その時点で、真のほうも明らかにそうなる確信を抱いた。
 ジンの匂いがふと近くで香ったと思ったとき、涼子の唇はすぐ傍にあった。グラスではなく、彼女の唇を吸い、涼子の手が遠慮がちに真の太腿に置かれた時、真の手は涼子の襟元を弄りその乳房に触れていた。

 その日の行為は、多分どの女性と共にしたものよりも、記憶に残る行為だった。彼女の身体の隅々まで手と唇で確かめ、撫でるように慈しみ、求められるままに朝まで自分を駆り立て続けた。
 その時は涼子の心のうちを考える必要を感じなかった。

 それ以来、涼子と個人的に口を利くことも会うこともない。涼子が同居人の恋人の一人であることは十分分かっているし、その同居人が留守のときであっても、もう一度彼女と夜を共にすることはなかった。
 同居人にどれくらい涼子を愛しているかと聞けば、恐らく例のごとく穏やかな笑みを浮かべて、心から愛していると言うだろう。その同居人への後ろめたさや遠慮があったからというわけではなかった。大体、真の目から見ていて、同居人が数いる恋人の中で涼子だけを特別に扱っているとは思いがたかった。
 涼子のほうが、何かにけりをつけたかったのだと思えた。

 考えても仕方がない。
 真は煙草を揉み消すと、決心が鈍らないうちに立ち上がり、マンションの部屋を出てエレベーターでひとつ上の階に上がった。

 このマンションはひとつの階に三つしか部屋がなく、エレベーターは三機ある。つまり、同じエレベーターを利用する同じ階の住人はいないことになる。涼子の住む部屋へはこの同じエレベーターを利用した。
 部屋の呼び鈴を押すと、随分と間を置いて、ドアホンから声が聞こえた。真だと分かると、涼子はまた随分間を置いてドアを開けた。
 涼子は長い髪を後ろで束ねて薄化粧をしているように見えた。
 竹流の恋人になる女は大筋では美人の域に入っている。涼子はさすがに良家のお孃さん育ちで顔つきも上品だったし、態度や気配も控えめに見えるが、何よりも仕事柄もあって、服装を含めた外見をきちんと整えた趣味のいい女だった。
 怪訝そうに自分を見つめている視線を受けて、突然訪ねてくるのは迷惑だと感じているのだろうと真は思った。同居人が留守だということは、彼の気配がここ何週間もないことで涼子のほうも分かっているだろう。そんな時に真が訪ねていけば、下心のある可能性を涼子も考えただろうと思う。
「夜分に、済みません」
 涼子はそのまま外に出掛けてもいいような服装だった。それは、あなたと寝る気はないわよ、というサインに思えたので、思わず丁寧な挨拶をしてしまった。
「どうしたの?」
 冷たい声ではなかったが、一線を引いている声だった。
「竹流が怪我をして入院しているので、見舞いに行ってもらえないかと」
 真は話しながら声が上ずっているのを感じた。それがどういう感情の反映だったのかは、自分でもよく分からない。涼子に対する感情なのか、あるいは同居人に対する感情なのか。
「入院?」
 涼子は思いも掛けない話の内容に、明らかに戸惑った顔をした。
「どういうこと?」
 真はそれには答えなかった。どう、と言われても竹流自身が何も言わないのでよくわからないのだ。それをうまく彼女に伝えられそうになかった。
「G医大病院の東病棟の八階です」

 そう言ってから、涼子が自分を見る微妙な敵意に、思い当たる節を見出した。
 涼子もあの雑誌を読んだだろう。あれを読んで、同居人の恋人の全てが自分の敵になったのだろうと、今更ながら真は思い至った。
 これまではただの噂だった。それが活字になり、同居人が意味合いはともかく『愛している』などという言葉を明確に示したのだ。真にとっては現実味のない言葉だが、彼女たちにとっては重い響きだ。
 真は多少居た堪れない気分になって、少し頭を下げるようにしてエレベーターの方へ戻ろうとした。
「真」それを不意に涼子が呼び止める。「あの人、具合悪いの?」
 真は涼子の方に、半分だけ向き直った。
「行ってあげてください」

 とても状況を説明できなかった。それにこれ以上涼子と向かい合っているのは苦痛に思えた。
 涼子の目は、私はあの人を愛しているの、あなたの存在など認めたくないの、と明らかに真に伝えているようだった。
 真とベッドを共にした夜、涼子がけりをつけたのは彼女自身の心の向きだったのかもしれない。心から愛しているのはあの不倫相手ではなく、素性もはっきりしない、複数の恋人を持っている異国人であるということを、自分自身に明確にしたのだろう。
 そのことを、今、涼子はその長い睫の向こうの切れ長の瞳から、真に訴えかけているように見えた。





さて、あのインタヴュー記事が色々な人間の心をかき乱しているようです。
この時代はネットなんて全く考えられなかった時代。
情報の伝達スピードは、今よりもはるかに遅い。
それでも、文字になり大衆の目に晒される。
言葉は言霊でもあるけれど、呪でもある。
(さっき、ちょうど陰陽師をやっていたので…^^; 野村萬斎さん、中井貴一さん、どっちももう大好きで)

もちろん、すべての人の目に触れるわけではないのだけれど、一度書いた人の(この場合はインタビューに答えた人の)手を離れたら、もう誰が何を思うかはコントロールが利かなくなる。
思うのは自由で、答えるのも自由。

でも、そこには明らかにルールがあるわけで。
書くほうには、その文字を公衆の面前に晒す覚悟も必要。
そして、匿名だからと言って、何をしても書いてもいい、ということにはならないという当たり前のこと。
もちろん、自分にとってはOKの範囲でも、他の人にとってはダメということもあるので、難しいのだけど、それはちゃんと語り合えるのなら分かり合える可能性があるということで……
節度、心の上品さ、思いやり、そういったものを忘れずに、でも自分の心を前に向かって伝える。

多分、竹流はこの世でただ二人に(もしかして三人)、自分の覚悟を伝えたかったのだろうけれど。

そしてここにも一人、心を乱された女性がいるようで。
室井涼子。
竹流が以前から付き合っている女性の一人。
うーん、そんなに女がいていいいのか、って話もありますが、それぞれがそれぞれのいきさつで付き合っていて、しかもこの人、一度付き合うと捨てないんですよね。
いいのか悪いのかは別にして。

開き直っていえば、モデルの一人が光源氏なので…『この野郎』な男だけど、一番大事な女も幸せにしてやれない男なんてなんだよ、ってことなんだけど、花散里も末摘花も捨てないという不思議な一面にはちょっと微笑ましいものが…ってただの優柔不断かしら。
でも『源氏物語』の醍醐味は、女三宮を正妻に迎えてから~宇治十帖だし、この人の生涯も、実は真を失ってからのほうが長かったりする。真の息子が傍にいるのだけど、親子葛藤がまたややこしくて。

あら、鬼も笑う先の話をしてしまいました。
それは大河ドラマの1年目の11月くらいの話なので、さておき。

そう、噂や伝聞が世の中を動かしているというのは、今も昔も変わらないようで。
そもそも経済を支えているのは噂やムードですし(だから風船)、ある日テレビで『ヨーグルトで長生きできる!』なんて放送されると、次の日スーパーからヨーグルトが消えるし。
元禄時代、赤穂浪士を駆り立てて仇討にまで至らせたのは、あの時代のムード、民衆の流言やパワーだという話だし。でなきゃ、隣近所の屋敷が、真っ暗闇の中の仇討を応援するべく松明を掲げたりしないわな(江戸時代なんて夜は真っ暗)。
そして、中世も、噂が時代を作ったって本も出ている。
歴史を勉強するとき、歴史学だけではなく民俗学を一緒に勉強するべきであったと今更ながらに思います。
(敬愛する網野善彦先生の受け売り^^;)

うーん、あまりにも余談のほうが長いのはまずいなぁ。

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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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