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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨24] 第3章 同居人の恋人たち(2) 

大けがで入院している同居人・大和竹流。その恋人の一人である室井涼子はどちらかというと、気持ちがまっすぐなために苦しんでしまう大人の女です。真は嫌味を言われつつ、どうすることもできない…
そんな真のところに、怪しい電話が2本…





 翌日の昼間、仕事の合間に病院に寄ったとき、帰りがけの真を捕まえた涼子が、今日は泊まれないのと言った。そんなに毎日泊まっていなくても大丈夫だろうと言うと、涼子は複雑な表情をした。
「お茶でも飲まない?」
 真は涼子と一緒に病院の地下の喫茶室に行って、暫く無言で座っていた。個人的に彼女と二人で向かい合うのは、あの抱き合った日以来だった。今は、涼子の気配からは、そんな親しげなムードは全く感じられない。自然と真も構える態勢になっていた。
「あれからあの子、ご飯作ってくれてるの?」
「えぇ、まぁ」

 美和は特別料理が上手いわけでなかったが、マンションに来てからはそれなりに一生懸命に炊事をしてくれている。だが、そんなことを涼子が気に掛ける理由が分からなかった。
「彼女、葉子ちゃんにどこか似てるわね」
 真は思わぬ言葉にしばらく無遠慮に涼子を見つめていた。
 同居人も同じことを言っていたが、真にはそうは思えなかった。顔が似ているというわけでもないし、葉子はあんな挑発的な格好で家の中をウロウロしたりはしなかった。
「彼女がお嫁に行って、お姫様を盗られた騎士二人が、また新しいお姫様を見つけたって感じかしら」
 真は涼子が何を気にしていたのか、ようやく分かったような気がした。

 恐らく葉子は、竹流の女たちの最大のやっかみの相手だったかもしれなかった。
 いくら真が彼の身近にいても、あくまで男で、嫉妬の対象にはなりにくい。だが、葉子は別だった。葉子のことを、竹流がそれこそ言葉通り『目の中に入れても痛くない』くらい、つまり我が娘か妹のように大事にしていたのは誰の目からも明らかで、彼女の結婚式には一切の衣装や道具を準備して、一般家庭から金持ちの御曹司のところへの嫁入りに文句をつけさせなかったくらいだ。それどころか、普段名乗りを上げる事も無いのに、葉子の結婚式には本名を名乗って相手方の親戚を威圧してしまった。この俺がついているのだからこの娘を傷つけたら許さない、というパフォーマンスだったのだろう。竹流の恋人たちの誰一人として、あれほどに彼に大事にしてもらってはいないはずだった。
 女を簡単に口説き平気で手を出す男が、葉子には姫君を扱うように接する、その特別扱いは、他の女にしてみれば同性であるだけに面白くない部分があるだろう。

「あの子、貴方のこと好きなのね」
 突然思いもしないところに飛び込んできた言葉に、真は自分でも驚くほど速くに反応していた。
「それはない。第一、恋人がいる」
 涼子は返事をしなかったが、微笑んだ。好きになるのに恋人がいるかどうかは関係ないんじゃないの、というような微笑に見えた。
「あの人も、あの子と話していると楽しそうだったわ。色々と本音もこぼれるみたいだし」
「本音って」
 真は思わず口をつぐんだ。ベッドの話は確かにまずかったな、と思った。と言っても、ここでいきなり言い訳をするのも妙な気がした。

 心のどこかに存在する不可解な自分自身を感じる。その自分は涼子に、そんなに毎日側にいられたら竹流も困るんじゃないかと言いかけていた。どっちのためを思ってなのか、あの男に本気にならない方がいいと言ってやりたい。
「雑誌、読んだんでしょ」
 涼子は運ばれてきたコーヒーにはまだ手をつけていなかった。
「あれは、単に」
 涼子の何かを訴えるような視線に真はまたその先の言葉を失った。
 いくら言い訳しても仕方がないことのように思えた。彼女たちにとって事実は事実だ。真はあの男と一緒に住んでいる。ご飯も作ってもらっている。同じベッドで眠っているし、時には抱き締めてもらうこともある。だが、どれも子供をあやすようなものだ。それでも、彼女たちにはそこに伴う感情などどっちでもいいのだろう。
 その事実だけが重い。
 それに、そこにある真自身の感情は、もしかするともっと重い。
 何だか息苦しいと思えた。

「こんな時くらいしか彼の側にいれないの」
 涼子が不意に言った言葉の後ろに、真に対する僅かな嫌悪感が潜んでいることを感じる。自分が彼の側にいるからだ、と真は単純に思っていた。
 同居してからも、竹流は何度か涼子をマンションに誘った。真が遠慮して今日は相川の家のほうに戻ると言うと、竹流は別に構わないと言った。何が構わないのか、涼子のほうはいくら何でも真のいるマンションで竹流と抱き合うなどということはできないだろう。恨まれるだけの十分な理由だと真は思った。
「もしかして何か誤解しているんだったら」
 真が言いかけると、涼子は疲れたような表情で真を見た。
「大体、俺は彼の背中の火傷のことも初めて知った。雑誌の件もあいつらしい冗談だ。本当に誤解だよ」
 涼子は初めて、真の目をまともに見た。
「あの火傷のお蔭で、相手の女がどういう人間かよく分かるって言ってたわね。身体の傷のひとつやふたつはたいしたことじゃない、そんなものは深く残るものじゃないって。貴方に知られないようにしていたわけじゃないんでしょうけど」
 涼子は溜息をついた。
「貴方が彼と住んでいることなんて、別にどうって事じゃないわね。彼の背中の火傷に触れても、気味が悪いとは思わなくて、この男をなお愛おしいと思う女は何人もいる。それどころか、あの背中に触れて、もっとあの男を自分だけのものにしたいと思った女だっているでしょう。女は男の体の傷にも、心の傷にも弱いから。それを癒せるのは私だけだと信じたいのよ」
 まるで自分自身に言うように涼子は重くそう言うと、首を横に小さく振った。
「私、何を言ってるのかしらね。貴方に何を言っても仕方ないのに」
 それで涼子は話を切り上げた。

 涼子の思いの深さには何となく気が付いていた。だが、その時本当にはっきりと真は彼女の心の向きがわかったように思った。
 涼子はもうあの不倫相手を、情熱を持って愛してはいないのだろう。
 だが、新しい恋はもっと不幸で不安だった。
 その新しい恋の相手はその時だけの愛を捧げてくれるが、それ以上のものを求めることも求められることもない。例えば人生も心も全て求めているわけではない、かえってそういう足枷を嫌うだろう。そんな恋には走り出せないことは、涼子もわかっている。 
 涼子が例の不倫相手がやってくる日だからと言って帰っていく後姿を、真はぼんやりと見送った。今ではその長年親しんだ不倫相手は、彼女の精神安定剤になりつつあるのだろう。以前とは逆だった。

 コーヒーが冷めていくのを見送りながら、真はどうともできない気持ちを放り出したいと思っていた。人の感情は重くて、突きつけられるとどうしようもないと思う。自分が関わった人間の感情は、そこにもう一人の人間の感情が絡んで重みを増し、真にはどうしようもなくなってしまう。
 病室に戻ると、丁度看護師が氷枕を取り替えるついでに、竹流の左肩の包帯を巻きなおしていた。
 今更だが彼の美しいと言ってもいい身体に傷を負っている姿を見ると、この傷を負わせた相手を憎く思う一方で、その扇情的で愛おしい様子に、この傷の痛みを共有したいとも思う。涼子の言うとおり、この背中の傷は、誰かの心に強い憐憫と恋情を燃え上がらせても不思議ではない。
 看護師が出ていってから、竹流は黙って側に立っている真に話しかけてきた。
「医者に聞いたろう」
 真は目を逸らした。
「お前には、火傷したという一言では済まないからな。いつの間にか隠し事をしているようになってしまったが、別に始めからそういうつもりではなかった」

 涼子の心ではない、始末に終えないのは自分の心のほうだと思った。
 竹流の仲間にも、竹流の女たちにも、相川真という人間は鬱陶しい存在なのだろう。普段そんなことを考えることはなかったが、今ははっきりと彼らの拒否を感じていた。こんなにも彼を心配しても、その感情を共有していても、自分はひどく孤独なのだと思えた。
 その上、竹流の最も側にいて、彼の恋人にも仲間にも嫉妬の目を向けられている自分だけが、彼の背中の火傷のことを何も知らなかった。
 あり得ないほど割に合わない話だと思えた。

 真がマンションに戻ったのは九時前だった。美和はもしかしたら友達と出掛けるかも知れないといっていたので、遅くなるかもしれなかった。
 遅くなってもマンションに行きますからね。できれば、ひとりでもちゃんとご飯は食べといてくださいよ。期待してないけど。
 うるさい小姑のような生意気な口のききかたは、確かに少しばかり妹や同居人に通じるものがある。美和の心配通り、飯など口にもしていなかった真は、せめて酒でも飲むか、と同居人お気に入りのブランディの蓋を捻った。
一人でいるときに、マンションでブランディを開けるのは初めてだった。

 さっきまで気休めにと思って、最近相川の家に戻ったときに持って帰ってきていた『宇宙力学論』という本を読んでいたが、どこかから字面を見ているだけなのに気が付いていた。この本は既に絶版になっていて、父、正確には伯父の功が失踪したとき、一緒に消えた本だったが、ある時古本屋で同じ本を見かけて購入したものだった。
 ブランディをグラス半分ほど飲むと、無性に煙草が吸いたくなった。咥えてライターを取り上げると、何回か空打ちのカチカチという音がして、結局火はつかなかった。
 身体の内側で急にかっとした何かが吹き上がって、真はライターを床に叩きつけた。
 昼間のことを思い出していたのだ。何かが真の神経を逆撫でしている。
 だが少し冷静になれば、同居人の女たちのことで、あるいは同居人が背中の火傷を真に隠していたからと言って、熱くなっても仕方がないと思えた。真は煙草を吸うことを断念して、せめて落ち着いて茶でも飲もうとソファから立ち上がった。

 広いダイニングを背に台所で湯を沸かしながら、真はコンロの前に突っ立っていた。
 それにしても美和の奴、一体何をやっているのだろう。
 もう十一時になる。名瀬弁護士の事務所に行った後、病院に寄る前に事務所には一度電話を入れたが、宝田が出て、美和はもう帰ったと言っていた。もちろん、友達と遊びに行くかも、とは言っていたし、真がいらいらして心配する必要もないのだろうが、遅くなるならせめて連絡ぐらいくれてもいいはずだ。ちょっと下まで見に行こうかと思ったとき、電話が鳴った。

 美和だろうと思って受話器を取り上げたが、相手は何も言わなかった。
「大和です」
 だがそれでも相手は無言のままだった。たっぷり一分近くの沈黙の後、真は受話器をどのタイミングで置こうかと考えながら、あと数秒待とうかと思った途端に、相手の声がした。
「……竹流は、どうしてる?」
 擦れた低い声だった。思わず返事をした声も上ずってしまった。
「あんた、誰だ?」
「教えてくれ」
 これは、もしかして昇と東道が言っていた連絡を寄越さなかった仲間ではないのか。
「あんた、竹流の仲間か」
「彼は生きているのか」
「生きてる。死に掛かってはいたけどな。一体」
「彼に伝えてくれ。カタはついた、だからもう手をだすな、と。それで分かる」
「……おい」
 呼びかけた途端、電話は切れた。真は呆然と受話器を握りしめていたが、プープーという耳の奥のほうの音にようやく我に返り、受話器を戻した。
 何の話だ、と思った。何がどうなっているのか分からないうちに、最後通告のような電話だけがかかってくる。カタがついたような気配は、勿論伝わってこなかった。

 力が抜けたような気がして、気を取り直して湯を沸かしていた火を止め、お茶の葉を急須に入れて湯を注ぐ。熱湯を入れるなと同居人に怒られそうだが、今日は本人がいないので熱湯でも水でもいいような気分だった。
 それを飲みかけたとき、再び電話が鳴った。
 今度こそ美和だろうと受話器を取る。
 だが、次の電話の相手はもっと意外な人間だった。さっきの電話に比べると真っ当なものの言い方をする相手だったが、内容は同じくらい意外だった。
「相川真さんでしょうか。私、澤田顕一郎の秘書の嵜山と申します」

 真は一瞬に身体が凍りついたような気がした。下世話な噂話で、香野深雪のパトロンと言われている代議士、澤田顕一郎が一体どういう事情で真に連絡をしてくるというのか。
「澤田が一度ぜひ貴方にお目にかかりたいと申しまして、もしご都合がよろしければ、明日夕食を御一緒させていただけないでしょうか」
 嵜山という男の話し方は、真の都合を聞いているようで、有無も言わせないような気配に満ちている。
 真は冷めた頭で、悪いときに悪いことは重なるのもだと考えていた。ついに澤田の利害と自分が何か不都合な関わり合い方をしたのだろうか。それとも単なる澤田の興味なのだろうか。
 別に構わないと言うと、相手は事務的な声で言った。
「では、明日七時に事務所へお迎えに上がります」

 受話器を置いてから、さすがに何てことだ、と思った。
 せっかく淹れたお茶を飲む気力もなく真はダイニングに座っていたが、何だかますます落ち着かなくなってきた。奇妙な二つの電話と、帰ってこない美和と、三つのものが真の神経に障っている。
だが、そのうち最も解決に近そうなのは、美和の行方だと思った。
 他に考えつかず、何よりも落ち着かなくて、とにかく事務所に向かうことにした。
 地下の駐車場でエレベーターの扉が開くと、湿気がのしかかるようだった。車を出して通りに出てから窓を開けると、外は六月の肌寒い夜で雨の匂いがした。車を赤信号で停めたとき、不意に昨夜の深雪の言葉を思い出した。
 駆け落ちしてくれる?
 ……まさか、澤田にもそのようなことを言ったわけではないだろう。それに、あまり知ろうとは思っていなかったが、澤田という男は女に入れあげてホテルに住まわせるような人物ではないようだった。深雪が澤田の女だという証拠は何もないし、もしそういう事実があれば、彼の政治家としての道はスキャンダルで閉ざされているはずだ。
 新宿の街に入ると、まだ夜は宵のうちだった。





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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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