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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

【物語を遊ぼう】10.私のバイブル:『鬼平犯科帳』 

一昨日だったか、久しぶりに早く帰ることができたので、夜『鬼平犯科帳』を見ることができました。で、思っていたのとは違う順番で、この記事を書くことに。

今日は私のバイブル、鬼平犯科帳。
シリーズの最後は池波正太郎先生のご逝去で未完のままだけど、いつまでも終わらないでいて欲しいというファンの気持ちと相まって、未完は未完で良いような気はしている。
あの世に行ったら、まず池波先生をお探しして、語っていただかなければ、と思っているのです。

そう、テレビをつけてみたら『正月四日の客』だったのです。
私はなぜか、この話が大好きで。しかも、なぜかテレビの放送で偶然何回も見てしまう、不思議な縁のあるエピソード。

ある蕎麦屋に正月四日に客がやってくる。
正月四日は信州出身の蕎麦屋の女将さん=山田五十鈴の両親の命日で、早じまいをするのだけど、仕舞いかけにやって来た男も信州出身というので、真田蕎麦を挟んで故郷を共有する女将と客の間に、何となく心の縁ができる。
ある年、とある屋敷に強盗が押し込み、女を犯して殺すというむごい事件が起こっている。
実はこの蕎麦屋を訪ねてくる男は、盗賊のかしらで、用心深く、犯さず殺さず貧しきからは奪わず…という盗賊の掟を守っていたのだけれど、年も取ってきて、人手が足りなかったばっかりに流れの盗賊を雇ってしまい、その連中がむごい殺しをしてしまっていた。
それをきっかけに足を洗うことにしたが、その場合は仲間に支度金を渡さなくてはならず、このために最後のお勤めをすることに決めた。

正月四日。
蕎麦屋を訪れた盗賊のかしらは、この押し込みの準備のために、来年の正月四日はこれないが、再来年は来て、おかみさんに自分のことを話すつもりだと告げる(もちろん、理由は言わないけど)。
鬼平は、先の押し込みの下手人を探していたわけだけど、この蕎麦屋の女将がある時人相書きから引き込みの男を見つける。その時、その盗賊のかしらには腕に亀の彫り物があると聞かされた女将は驚く。
正月四日の客の腕には亀の彫り物がある。
そして、この盗賊が、今までは盗人の掟通りの綺麗な仕事をしていたのに、今回はむごい殺しをしたということも聞く。
女将の両親は、実は、女将が6歳の時に押し込み強盗に殺され、母親は犯されていた。

女将は鬼平のところに行き、何も質問しないでくれと断ったうえで、その盗賊のかしらが来年(ちょっと時間が経っている)正月四日に真田蕎麦を食べにくる、と告げる。
そして、その日。
盗賊のかしらはお縄になる。
『おかみさん、私をお売りなさったね』
女将さんは、どこかでこの盗賊の良心を感じ、期待していたのかもしれない。
『真田蕎麦の味を忘れないでおくんなさいませよ』
『ねぇ、おかみさん、人の顔はひつとじゃありませんよ。顔が一つなのは女将さんくれぇなものだ』
そして悪人らしく、引き立てられていく…
『あたしだって、顔がひとつというわけじゃありませんよ。もしかしたら黙って見逃していたかもしれない』と鬼平に告げるおかみさん。
もしも、自分に6歳の時の辛い体験がなかったら、そしてもしもその盗賊が、たまたまむごい殺しをしないままの盗賊であったなら、鬼平に黙っていたかもしれないと。
鬼平はそんな告白はさもありなんって顔で、『牢にいるうちに真田蕎麦を差し入れてやんな。人の心と食い物の結びつきは、思うように解けねぇってことよ』

役者がうまい。この亀の小五郎(だったかな、盗賊のおかしらの名前)の役者さん、真田蕎麦を食べている時は、善人顔をしていて、最後に女将さんに捨て台詞を吐くときは悪人顔なのです。
山田五十鈴もいい。静かで、人の心を顔だけで表す。
人の顔が本当にひとつじゃないということを、台詞以上に雄弁に語っている。

さらに、この『正月四日の客』は短い45分ほどの番組の中で、ものすごく時間の流れがあって(正月四日という日付で時間が一点に絞られながらもつながっていく感じ)、人の一生があって、それを結び付けているのが真田蕎麦という、登場人物にとってふるさとの味、その人の心を決めている食べ物。
蕎麦という些細なテーマを、あるいは小道具を使いながらも、スケールの大きな話で、まるで屏風絵だわと思うのです。
一本の木を描いてその向こうに森を、わずかな水の気配を描いてその先の大河を思わせる手法。

そして、いつも鬼平が言う言葉。
人は悪いことをしながらいいことをし、いいことをしながら悪いことをする。
そういう人の心の問題・闇と光は、理屈で解けることではないという、このシリーズの底辺に流れている世界観が大好き。
そんな中で、生きている人々、悪人も善人も、そのどちらでもある人たちも、市井の人々も盗賊も、そして盗賊改めやイヌと呼ばれる元盗賊で鬼平の配下になっている人々も、なんだかすべて愛おしく思える。

やっぱり無人島に行くときは『鬼平犯科帳』。
実は海外に行くときは、絶対何冊か持って行っています。

ところで、偶然見ると言うので思い出しましたが、実は私、一昔前(いや、かなり前かも)、何故かやたらアラン・ドロンの『太陽がいっぱい』のラストシーンに遭遇したことがありまして。
それも本当に、太陽がまぶしい~のシーンだけ。
貧乏な男が、死んだ金持ちの友人になりすませて、財産も恋人も何もかも手に入れて(なんでばれなかったんだ?う~ん、覚えていないけど、一生懸命筆跡をまねしているシーンが鮮烈だったな)、ついにばれて……ばれたことを知らないまま浜辺でリゾート?していて、そこへ刑事がやってくる…やたら海辺の景色がまぶしくて…で歩いてくる刑事を見て、ばれたことを悟る?のかな。
それで終わり、捕まるシーンまではなかったはず。
細かいことを覚えていないけど、その太陽がまぶしい!シーンが強烈だった印象はある。

あれはよくできたラストシーンだけどそこだけ見ても…ねぇ……

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Category: 物語を遊ぼう(小説談義)

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