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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨25] 第3章 同居人の恋人たち(3) 

 滲んでぼやけたようなネオンの文字、時々車の方を鬱陶しそうに見る目、夜通しあらゆる種類の騒音が通りを横切る。それでもこの新宿の街は、人混みで吐き気に襲われるというどうしようもない真の病気を、多少改善させたという不思議な治癒力を持っている。あまりにも飽和状態に詰め込まれた雑多なもの、喜びも苦しみも成功も失墜も、あらゆる幸福も不幸も、そういう全てのものに触れすぎた結果、真の心の苦しみを脱感作させていったのかもしれない。どこまでも全てを飲み込み隠すような町が、真の中の何かを庇っているのかもしれなかった。
 今日両親の元に帰った中学生も、明日幸せになれるかどうか分からない。家族は一緒にいるだけで幸福とは言えないことは、この仕事を始めてよくわかった。自分のような人間は少数だと思っていたが、そうではないのだろう。

 車を隣のビルの地下駐車場に入れてドアを閉めた時、風でうるさいから閉めるようにと書かれた張り紙が、ばたばたと音を立てていた。地下駐車場は二十台ばかりの車が停められるようになっていて、時々通りを吹き抜ける風がここまで入り込む。だが今日の場合は階段室の戸が開いているからだった。
 夜間なので、この階段を上がってもビル自体の玄関が閉まっている。それでも安全性を考えれば、まったく防犯の意識がないと言える。真はその扉を閉め、車の通ってきた通路を上がり、表に出て隣のビルへ向かった。

 調査事務所が入っているビルの階段にも風が舞っていた。真はふと息をついて、一気に階段を駆け上がった。階段の蛍光灯は切れ掛かっていて、時々妙な音を立てている。遠くはない彼方でパトカーか救急車のサイレンが奇妙な振動を残している。
 階段を上がりきったところで、目の前の状況に一瞬足が止まった。
 薄暗い廊下の明かりの中で、事務所のドアが開いているのが目に入った。
 明かりがついているならば違和感もなかったが、明らかに事務所の中は暗がりだった。真は物音がないことだけを確認して、事務所の入り口の電気を手探りでつけた。

 全く見事に荒らされている。
 一度そういうことがあった後で、個人情報が入ったようなものは奥のセキュリティのついた部屋に入れるようになった。だが、それも無駄と分かると、今度は場所を変えて本当に大事なものは、三階の宝田が寝袋を持って転がり込んでいる住居兼事務所の空き部屋の奥に入れるようになった。竹流の仲間の誰かがセキュリティを入れてくれたらしく、万が一破られても証拠が残るようになっている。尤も、最高のセキュリティは『貴重なものがあるようには見えない』ということだ。汚らしく一見何もないように埃に埋もれている部屋だけに、誰も大事なものがあるとは思わないだろう。
 しかし、今日の相手はそういうものには興味を感じなかったようだった。

 随分とひっくり返されている。ふと見ると、留守番電話のテープを入れる部分が空きっぱなしでそのテープが消えていた。何もないのでそんなものでも持っていったのかもしれないが、いくつかのどうでもいいフロッピーや他のテープ類、ビデオも消えていることがわかった。
 その時、階段を上がってくる高い靴音が響いて、事務所の前で止まった。真が振り返ると、立っていたのは、田安の店に出入りしている楢崎志穂だった。

 志穂は部屋を見回していた。
「ひどいわねぇ。よくもまぁ、こんなに引っ掻き回したものだわ。何か盗られたの?」
 この間澤田と深雪のことを聞いて真の気分を害したことなど、彼女はもう忘れているのだろうか。真が返事をせずに視線を外すと、楢崎志穂のほうも視線を外した。
「そんな顔しないでよ。この間は悪かったわ」
 それから彼女はもう一度事務所の中をゆっくりと見回した。
「何しに来たんだ?」
「別に。あなたがいたら謝ろうかと思って通りかかったら、電気がついてたから」
「謝る?」
 気分は害したが、別に謝られるようなことでもないと思った。
「私が悪いことを言ったとは思ってないけど、あなたは気分が悪かったでしょうから。留守電のテープがないの?」
 志穂は真の側までやって来てデスクの上を覗き込んだ。

「他には?」
「美和が帰らない」
「あなたの秘書?」
「共同経営者だ」
「彼女ならあなたが居候しているマンションに帰ったわよ」
「どうして知っている?」
 深雪や澤田のことならともかく、一体何故この女が美和のことまで知ってるのかということを理解できず、真は彼女を見た。
「ある男をつけてたら、たまたま彼女も同じ男をつけてたのよ」
「男? 誰だ?」
「さぁ。あなたの秘書に聞いたら?」

 真はしばらく考えを巡らせたが、ようやく質問に思い至った。
「まだ澤田のことをどうかしようと思ってるのか」
「あの男は仇だから」
 真は思わず楢崎志穂の顔を無遠慮に見つめた。
「どういう意味だ?」
「だから、香野深雪にどういうつもりか聞いて欲しいって言ったでしょ」
「君の言っていることは訳がわからない」
「あなたが味方をしてくれるなら話すけど」
 真はわざとらしく息をついた。
「訳が分からないのに味方にはなれない」
「でも、澤田に呼び出されたんじゃないの?」
 ますます理解できない事態になって、真は黙って志穂の勝気な顔を見つめた。
「どうしてそんなことを知っている?」
「いいじゃない、どうでも」

 一瞬部屋の中が静寂になると、外の車の音や何かの騒音が耳についた。宴会帰りの集団の叫びらしいものに被さるようにパトカーのサイレンの音が近付き、そのままスピードを緩めずに遠ざかっていった。湿った空気が古い建物の鉄の窓枠のわずかな隙間から滑り込んでくるように感じる。
 真はまだ志穂を見つめたままだった。志穂の幾分か厚めの唇が、外のネオンの赤を跳ね返して僅かに意地悪く笑った気がした。
「怖い?」
「何がだ」
「澤田があなたをどうしたいと思っているのか。そりゃあ、愛人を寝取った男に優しい言葉は掛けてくれないでしょうから」
 そう言ってから真の顔を見て、志穂はくすくすと笑った。
「冗談よ。澤田がその気なら、とっくの昔にあなたを叩きのめしてるでしょうから。特別に教えといてあげるけど、彼は自分の愛人の恋人に興味を持ったんじゃなくて、あなたの素性に興味を持ったのよ。それがたまたま自分の愛人の恋人だった」

「素性?」
「あなたは、おめでたく自分のお父さんが脳外科医だと思っているんじゃないでしょ」
 真はさすがに息を飲み込んだ。何故この女がそんなことを話しているのだろう。自分には縁もゆかりもない女だ。
「一体、そんなことを探ってどうするつもりだ?」
「別に探ってなんかないわよ。でも、あなたも気を付けたほうがいい。あなたの知らないところで、あなたの値段はつけられてるのよ。誰かがそれをどう料理するか考えている、あなたの意思なんか何も関係ない。だから、私の味方をしてくれたほうが為になると思うわ」
「俺の、値段?」
「そう、あなたの値段も、あなたの同居人の値段も」
 真は思わず志穂につかみかかった。
「どういうことだ。同居人って、彼に何かした奴のことを知っているのか」
 志穂は心底驚いたような顔で真を見つめていた。暫く見つめ合ってから、志穂はようやく納得のいったような顔で俯いた。
「誰が何をしたのかは知らない。でも、彼の値段は特別に高いと思うわ。特に、あなたにとってはね。澤田に会って確かめたらいいわ」
 真はようやく志穂を摑んでいた手を離した。

 志穂はまだ少しの間真を見つめていたが、鼻だけで笑うと、じゃあ、と短く挨拶をして出て行った。荒らされた部屋に一人残されると、気分がますます滅入ってきた。
 もしも、澤田が深雪と寝ている男としての相川真に興味を抱いているのではなく、楢崎志穂の言ったとおり、相川真の血筋に興味を抱いているのなら、それはもっと性質が悪い話だと思えた。
 だが、冷静に考えると、もし澤田が竹流の怪我に何か関わっているのなら、澤田からの食事の誘いは願っても無いチャンスだった。

 真は派手に荒らされた事務所をもう一度見回した。床に散乱した紙や本、ファイル、開けられて中身を引っ掻き回された机やキャビネットの引き出し。元にあった位置がわからなくなっている紙類や本はともかく、机や椅子が壊された気配はなかった。
 事務所の片付けは明日にしようと思った。こんな夜中にこれを片付けるのは気が滅入る。宝田に伝言をしておかないと朝びっくりするだろうが、彼は今頃鼾をかいて眠っているだろうから、起こすのも可哀想な気がするので、彼の驚く分は仕方がないと思うことにした。
 結局真は宝田が慌てる顔を想像しながら、事務所に鍵だけを掛けてマンションに戻った。

 地下駐車場に車を停めて直接部屋に上がると、薄暗いリビングの隅で内線電話のランプが点滅していた。受話器を上げてコンシェルジェに事情を聞くと、真は部屋を飛び出してエレベーターでロビーに下りた。ロビーのソファで美和は背を向けて座っていた。向かいに回ると、思い切り膨れ面だった。
「遅くまでどこ行ってたんですか」
 真は思わず娘を持つ父親の心境になっていた。
「君を捜しに行ってた。遅いのはそっちだ」
 美和はどうして、という顔をした。真は、住人のプライバシーには興味なさそうな上品なコンシェルジェに軽く頭を下げて、美和を引っ張ってエレベーターホールに向かった。
「私だって遅くなることくらいあるわ。遊びに行く事だって。もう子供じゃないんだし」
 美和の言葉が終わるか終わらないかでエレベーターの扉が開いた。中に乗り込んで、ドアが閉まってから真は美和の顔を見ないまま言った。
「女の子が夜遅くまでふらふら遊び歩くんじゃない」
「父親みたいに私に指図しないでよ。それに私、遊び歩いてたんじゃないわ。ちゃんと話を聞いてから怒ってよ」

 確かに自分が美和に怒る筋合いではないな、と思った。その真の表情を見たからか、美和はちょっと楽しげな顔になった。
「何か、口うるさいお父さんと一緒にいるみたい。先生の妹さんって大変だったでしょうね。夜、友達と遊びにも行けない」
 エレベーターを降り、部屋に入っても、真は話すべき言葉を上手く探せなかった。美和が時々、半分楽しそうに自分を見ている視線を感じる。居間に入って上着を脱ぐと、ソファの背に投げ出した。真が言葉もなく座ると、美和はべったりと横に引っ付いてくる。
「落ち込んだの?」
「悪かった。俺が怒る筋合いじゃないし」
「ちゃんと話も聞いてないし」
 そう言って、美和は真の顔を覗き込み、本当に身体ごと引っ付いてきた。

 生活とか態度は滅茶苦茶のくせに、美和は勘の鋭さと素晴らしくよく回転する頭を持っている。そのくせ、しゃべっている内容にどこまで本気でどこから冗談なのか分からない部分がある。やはり葉子に似ているとは思えなかった。葉子も確かに賢くて勘の鋭いところがあったが、こういう鉄砲玉のようにしゃべるけたたましさはない。
「誰をつけてたんだ?」
「どうして知ってるの?」
「ちょっとな」
 説明しがたいところだ。
「本当はね、先生が病院に行くって出て行ってから、私も病院に行って、そのまま一緒にマンションに帰ろうと思って追いかけたの。でも、病院には先生も涼子さんもいなくて、知らない男の人が面会に来てた」
「知らない男?」
「うん。見たことのない人。あんまり大柄じゃなくて、一見老けた感じだったけど、肌の艶からは四十は超えてないかな。何を話しているのかは聞こえなかったけど、敵って感じじゃなかった。でも大家さんの話し方や態度を見ていると、親しい人って感じでもなかったし。それで後をつけたの」
 真は何気なくそういうことを話している美和を見つめた。
「どうしてそういう危ないことをするんだ」
「いいじゃない。無事に帰ってきたんだから」
 真が言い終わらないうちに美和が言葉を被せるように言った。不意に美和が驚くほど顔を近づけてきたので、真は思わずひるんだ。
「それが途中で見つかっちゃったの。で、下手に関わると危ないから絶対に関わるなって。先生にもそう伝えろって」
「その男が言ったのか」
 美和は頷いた。

 その話はそれまでだった。真は美和が風呂から上がってくるまで、居間のソファで煙草をふかしていた。
 澤田と竹流にはどこかに接点があったのだろうか。それとも深雪と? しかし、竹流の普段の態度から深雪と関わっている感じはなかった。竹流は真が深雪と付き合っているのは知っていたし、もしも何か危ない女ならそれなりの警告をしてきそうだ。では、やはり竹流と澤田に接点があったのだろうか。
 いや、そう言ったのはあの女、楢崎志穂だけだ。彼女の言葉を信じるなら、というだけで、まだ信じるべきかどうかさえわからない。踊らされては駄目だと思った。
 だが、澤田の秘書は事務所ではなく、このマンションに電話を掛けてきた。真の事務所ではなく、竹流のマンションに、だ。そこに真がいることを知っている。もっとも、考えてみれば全国誌で同居していることを話したわけだから、誰だって知っているといえば知っている。電話番号を調べることくらいは、その気になれば簡単な話だ。

 美和が考え事をしている真の向かいに座った。例のごとく短すぎるショートパンツだ。年寄りくさいが、腰が冷えるからもっと温かい格好をしなさいと言いたくなる。
「先生、私今日ソファで寝るね」
 考えてみれば、もう一部屋、賢二が以前ここに居候していたときに使っていた客間があるわけで、そこならベッドがないわけではない。しかし半階下になるような造りになっているその部屋は、ちょっと遠いところにあるようで、あまり普段は入ることもない。
「構わないから、ベッドで寝なさい」
「じゃあ、一緒に寝よ」
 真は、全くこの娘は、と思って美和を見つめた。






さて、ちょっとばかり秘書/共同経営者といちゃついているように見えますが、この二人はこれから先の生涯、男と女というよりも兄妹もしくはちょっとした運命共同体という形になっていきます。
ちなみにこの美和ちゃんは、そもそも私たち(友人たち含む)の学生時代、あれこれ興味津々だったころのイメージを形にしたようなもの。
時々、インタビュワーの役割も果たしてくれます。
だから真のことにも、あれこれ興味を持っちゃうのですね。

ちょっとしばらく、二人の気持ちの行き来をお楽しみくださいませ。
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Category: ☂海に落ちる雨 第1節

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