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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

[雨56] 第10章 県庁の絵(2) 

絵画の話はまだまだ続きますが、今回は少し読みやすいかも……
真と葛城昇(ゲイバーの妖艶な店長かつ竹流の仲間)とのやり取り(実は恋敵同士??)、美和と真の痴話喧嘩(かなり本気)をお楽しみください。






 何か大きな力が介在しているのだろうか。
 高瀬が言っていたことが確かなら、事は国際問題だ。
 彼は『日露戦争の頃、ソ連から運び込まれた美術品のことで』竹流が三年半前何かを調べていたと言った。それが『新潟にある』、と。
 運び込まれたというのは、貿易ではあるまい。略奪か、何かと交換されたのか、いずれにしても日の当たる理由ではなさそうだ。

 勿論、戦争に略奪はつきもので、今、大国が美術館に所有している多くの絵画が、戦争の時代に敵国から持ち出されたものであることは周知の事実であるのに、それを敢えて責めるものはいない。
 それでも、誰か個人が金を積んで絵を買うと、経済力にものを言わせた略奪だと言われる。絵画は崇高なものであり、価値の分からない者が手にするのは冒涜であるかのように。
 これがたとえ最大の略奪が行われた第二次世界大戦以前の日露戦争と言えども、日本軍が『略奪』に絡んでいたとなると、何を言われるかわかったものではない。だが、一方では、金に糸目をつけなかった熱心なコレクターのおかげで、埋もれることなく今日まで永らえ、人々の目を楽しませることになった絵画もあることだろう。

「急に、びっくりするじゃないか」
 電話の向こうで相手が寝起きらしい不機嫌な声で言った。その声で、彼も竹流を捜していて眠れぬ夜を過ごしているらしいことは十分わかった。
「どこで番号、聞いたのさ」
「高瀬さんです」

 電話の向こうで葛城昇は口笛を鳴らした。
「あの爺さん、あんたには優しいんだな」
 真はその言葉は無視した。
「絵を調べて欲しいんです」
「絵?」
「フェルメールの『レースを編む女』の習作の贋作。それは竹流の手元にあったはずです。見たことはありませんか?」

「フェルメールねぇ。贋作なんか相手にしないと思うけど」
 昇はまだ寝起きの不機嫌な声のままだった。
「じゃあ、贋作じゃないのかもしれない」
「どういうことだ?」
 ようやく昇の声から不機嫌の色が消えた。

「盗んだ人間にも、盗まれた人間にも、それが本物としての価値があったということです。実は贋作か本物かということはどっちでもいい、要するにそれだけ人の心が動けばいい」
 電話の向こうの昇の気配は、随分と遠くに感じられた。
「知っているのか知らないのか分からんけど、あいつの専門の中に十七世紀のオランダなんてのは入っていない」
「捜してみて欲しいんです。彼が持っている筈だ」

 また昇は随分と間を置いた。真がいらいらしているのを試すような気配だった。
「それが、あいつの失踪と何か関係があるのか」
「多分」
「だが、あいつが俺たちに何も言わずにやった仕事だ。俺たちに分かるところにそれがあるとは思えないけど」
 昇が多少は竹流に対して腹を立てていることは想像できた。それは、彼らの大事なボスが、仲間を信頼し打ち明けてくれなかったからなのだろう。真は感情的な言葉を言いかけてやめた。

「それから、彼のために贋作を描く人間はいませんか」
「贋作? フェルメールの絵か?」
「そうです」
 昇は、今度は何か考えるような気配で暫く黙った。
「贋作作家は何人もいる。皆一流だ。フェルメールを描けてもおかしくない人間はいるにはいるが」
「その人に会いたい」

 今度こそ、昇の言葉に緊張があった。
「今は行方知れずだ」
「まさか、例の男?」
 寺崎という男は『逃がし屋』だとは聞いたが、他にもそういう特殊能力を持っているのかもしれない。
「女だ」
「女?」真は思わず聞き返した。「あんたたちの仲間ですか?」
「いや、そういうわけではないが」

 昇はまた暫く黙っていた。何か思い当たる節があるのだろうと、真は思った。辛抱強く昇の言葉を待つと、漸く昇は決心したのか、一言一言丁寧に言った。
「その女は昔、竹流の恋人だった。恋人の一人、というべきか。だが、ある時、いわゆる三角関係ってやつでごたついて、姿を消した。その三角関係のもう一つの頂点は、最後に竹流と仕事をしていたと思われる、例の消えてしまった男だ」

「寺崎昂司」
 真がその名前を呟いたので、向こうで昇が緊張したように思えた。真はゆっくりと質問の言葉を投げかけた。
「それ、いつのことです?」
「確か、三年前、いや、もう少し前かな。冬だったから」
「一九七六年の一月ごろ?」
「その通りだ。お前、何を嗅ぎつけたんだ」

 真は受話器を握りなおした。
「漸く少しだけ分かってきただけです。あいつの背中の火傷のことを知ってますね。それは、寺崎昂司と何か関係があるんですか」
「電話でする話じゃないぞ」
 向こうで、昇が抑えた悲鳴のような声を上げた。

「時間が惜しいんです。三年半前、何があったんですか」
「俺も詳しいことはわからない。彼が仕事でウクライナに行ったときに、そこで何か仕事を請け負ったんだと思う」
「ロシア帝国時代の貴族の末裔から、過去に日本軍に『略奪』された絵画を取り戻して欲しいと頼まれた」
「多分」
「本物が混じっていた可能性は?」
「ある。大いに、ある」昇は興奮気味に繰り返した。「それがフェルメールかどうかは分からないけど」
「しかし、関わっていた人間は、それが本物である可能性が実に高いことを知っていたはずです」
「その通りだ。彼に仕事を託したのは、皇帝の血筋だったはずだ」

 真はいつの間にか自分の手を握りしめていた。まさに武史が言ったとおり、『来歴がはっきりしている』のだ。
電話ボックスの中はあまりにも狭い空間だからか、湿度が篭り酸素も足りないようで、息苦しく思えた。
「彼の火傷は、その女とも関係があるんですか」

 昇はもう隠し事をするのを諦めたようだった。
「女は自分が描いた絵、つまり贋作が何に利用されるのかを知っていて、多分その本物のほうを、少なくとも本物かもしれないものを手に入れようとしたんだろう。寺崎は彼女に惚れたかもしれないが、まさか彼女が竹流を裏切るとは思っていなかったと思う。女は自分が描いた贋作を持って消えた。それから佐渡の隠れ家で爆発事故があって、寺崎は死ぬところだった。竹流が彼を助けに行かなかったら。いや、なんか色々あって俺も記憶が混乱してるかもしれない。竹流が言った言葉を信じているだけなんだ」
「その女は、本当に行方不明なんですか」
「竹流は捜すなと言った。あいつは女を責めるのが嫌いだからな」

 ふと電話ボックスの外に凭れる美和の気配を感じて、真は漸く彼女を見た。美和は心配そうにこっちを見つめていた。昇は、真の連絡先を確認すると、何か分かったら知らせると言った。今度こそ、協力できないという気配はなかった。


 真が電話ボックスから出ると、美和は早速問い詰めてきた。
「誰ですか?」
 真は答えなかった。もしかして、ここでこんなことをしていて、美和にも危険が及ぶことはないのだろうか。もしもこの一連の出来事の中で田安が殺されたのだとしたら、相手は相当狡猾な人物だと思える。
「どうするんですか」
 先の予定を美和は聞いたようだった。

「レンタカーを借りて、とりあえず村上に行こう。蓮生という家を見たい」
 駅前に戻ってレンタカーを借りると、彼らは村上への道を辿った。真は頭の中で色々な出来事を整理するのに懸命で、隣の美和の気配を確認しそこなっていた。
「先生、何か隠し事、してるでしょ」

 この娘は何を言い出すのかと思った。だが一方で、真が今同居人の足跡を辿るのに懸命で、美和の存在を忘れているという事実に、彼女が気が付いているのだろうと感じた。
 美和は、真が電話を切った後、その内容についても今後の予定についても明確なことは何も言わず黙っていることについて、気に入らないと思っているだろう。そのうち彼女が怒り出すことは十分想像できた。ここまで一緒にこの事に関わっていたのに、急に真が秘密を持ったように思えたに違いない。

 だが、頭の中で整理できたことからして、話の内容は随分突飛な気がしていた。竹流は随分思い切った詐欺をしていたのではないかと、そう思えたのだ。ただの贋作なら彼は動かなかっただろう。彼の手元に『本物』がある。内容は別にしても、真はそれが特別な本物だろうと確信していた。

 スタート地点。
 それがどこにあるのだろう。
 誰かその本物を手に入れたくて仕方がない狂信的なコレクターがいるのか。

 そもそもは、ウクライナの皇帝の末裔が、竹流に『それ』を取り戻して欲しいと頼んだ。高瀬や昇の話を総合すれば、三年半ほど前、竹流はソ連から日本に渡った絵画の件で、寺崎と一緒に新潟で仕事をしていた。その時彼は決して嫌な仕事とは思っていなかったのだ。それがどこかの時点で、嫌な仕事にすり替わった。

 竹流は、フェルメールの贋作を描くことができる女に仕事をさせていた。どの絵画が本物かは、その皇帝の末裔から聞いていただろう。竹流は新潟に渡ってしまった本物を贋作とすり替えて、その人に返すつもりだったのではないだろうか。
 しかし、それらの絵は幾人もの人間が間違いなく贋作であると証明したと言う。その時点では既に絵画は本物から贋作にすり替わっていたのだろうか。いや、昇は『女が自分の描いた贋作を持って消えた』と言った。では、まだ本物はまだ自分たちの目には入ってこずに、どこかに隠れているのか。

 だが、額縁は間違いなくあの絵だった。竹流は、真があの額縁を知っていることをわかっていたはずだ。だから、問題の絵画はあの絵なのだ。では、誰かが、本物を贋作だと言って、嘘の証明をしたのか。添島刑事は複数の人間が証明したと言っていた。しかも時政の話では、その手法も随分と科学的だったという。あるいは証明された時だけ、絵は贋作とすり替わっていたのか。
 そうではないとすれば、絵は始めから贋作なのか。とすれば、竹流が必要としていたのは『本物の贋作』ではないのか。『贋作の贋作』を必要とするなどということがあるだろうか。

 それに第一、誰かが竹流を捕まえて、あんなにもひどい目にあわせる理由がどこにも見あたらない。誰か極めて狂信的なコレクターがいて、どうしてもそれを手に入れたいと思っていて、竹流を捕まえて本物がどこにあるかを喋らせようとしたのか。
 だが、それにしてもあんなやり方をするだろうか。
 手が砕けるほどのことを?
 そのコレクターは絵に執着はしていても、竹流をあんなふうにいたぶる必要はないはずだ。

 しかも、この話のどの辺りから、新津圭一が絡んでくるのだろう。そんなに前の事件を今になって、竹流や寺崎が改めてカタをつけなければならなくなった理由は何だろう。しかも竹流はそのために、澤田の秘書だった男の息子と思われる人物の手を借りているようだ。政治に絡んだ金の動きだろうか。

 真は赤信号で思わず急ブレーキを踏んだ。『誰か』の最終目的は絵ではないのか。
「先生」
 急ブレーキに前につんのめりそうになった美和が不満の声を出した。横断歩道を渡っていた女性が、運転席を睨みつけてくる。
「明日、東京へ帰れ」

 美和は不可解なものを見るように真を見つめた。
「何の話?」
 真は返事をせずに暫く前方を見つめていた。町を少し離れたところで、車の通りはそれなりにあったが、歩行者はさっき真を睨みつけた女性以外にはいなかった。東京と違って建物は低く、穏やかな景色に思える。
 信号が変わったので、ゆっくりと車を発進させた。美和が自分を見つめている視線が突き刺さるようだった。

「北条さんに連絡を取って、帰ってきてもらうんだ。彼と一緒にいたほうがいい」
「だから何の話よ」
 美和の声が混乱を通り越して、いらつきと怒りに変わっていた。
 だが、誰が何をしたにしても、竹流があんな目にあったことだけは事実だ。しかも、この件に田安も関わっていたのだとしたら。もちろん、田安が同じ事件に関わっていたという証拠は何もないし、全く偶然の出来事である可能性もあるのだが、田安も竹流も、澤田を挟んで新津圭一と関わっている。

 だが、事情がどうあれ、美和に危険が及ぶことになれば、きっと真はとんでもなく後悔することになる。
「彼らが竹流をあの程度で済ませたのは、彼が切り札を握っているからだ。そうではない人間はあっさりと消されている。新津圭一も、田安隆三も。美和ちゃん、田安という人は何十年も傭兵をやっていた、戦争のプロだ。その人でさえ、あんなふうに殺されてしまった」
「でもそれは事故だったのかも知れないんでしょ。それに、もしそうなら、先生だって危ないじゃない」

 美和の感想はそっちのほうへ行ってしまった。
「君の心配をしてる」
「私だって、敵の一人や二人、やっつけられると思うわ。先生一人よりずっといいはずよ」
「君を守っている余裕がない。北条さんのところなら安全だろう。もしも君に何かあったら、北条さんに顔向けできない」

 美和は完全にむっとしたようだった。
「仁さんは今、関係ないでしょ」
「彼から君を預かっているんだ」
 思わずこぼれだした本心だった。

「預かるって、私は物じゃないのよ。それに大体もう遅いわよ。今ならまだ顔向けできるとでも言うわけ? 決闘してでも責任取るって言ったじゃない」
 真は、あの額縁が縮めた何かと自分の距離と、逆に遠ざけてしまった美和と自分の距離を、今埋め合わせることができないと感じていた。
「とにかく、今は北条さんのところにいてくれ」

 強い調子で真が言ったのに対して、美和は噛み付くように答えた。
「今更仁さんのところに帰れって、酷いんじゃないの。結局責任とる気がないんでしょ。先生って最低。エッチするときだけよければいいの?」
「運転中は黙ってろ」
 美和の言葉に急にイラついてしまい、真は堂々巡りの話を切り上げようとした。真が話を切ってしまおうとしたので、美和は完全に怒り出したようだった。

「じゃあ車を止めなさいよ。でなきゃ、飛び降りるわよ」
 美和が本当にシートベルトを外したので、真は溜息をこぼして車を脇に寄せた。
「君は、信じられないことを言うんだな」
「先生のほうが信じられない。今更なかったことにしようって言うわけ? 仁さんが他の人と寝てもいいって言うような人だから、弄べるって思ったわけ?」
「馬鹿を言うな」
「じゃあ、仁さんのことなんて持ち出さないでよ。先生と私には関係ないでしょ」

 暫く睨み合っていたが、どちらかといえば美和のほうが正論だった。真はハンドルに手を掛けて、暫く前方の真っ直ぐな道を見つめていた。美和が自分を見つめている視線が、これほどに痛いとは思っていなかった。
 真は煙草を一本抜いて、火をつけた。

 どこかで、今ならまだなかったことにできるかもしれないと思っている。事がこうなって、美和を守る義務感が面倒になっていることも事実かもしれなかった。自分ひとりの身さえ、感情さえ持て余しそうになっている。昨夜の夢が、自分の心も身体も、どこかへ戻してしまった。それを確かなものにするかのように、あの額縁が一気に感情を支配しようとしている。
 美和が自分を見つめている視線が、怒りから失望へ変わっていくのを、身体の左半分は痛いように感じていた。

「先生は、大家さんを助けたいんでしょ。私だって」
「これは、彼と俺の問題で、君には関係がない」
「何よ、それは」
「君が巻き込まれるのは、困る」
 美和は真から視線を外した。

「大家さんがいないと、夜も眠れないから?」
 怒り出すかと思っていたのに、美和の声は不安と孤独の中で随分と優しく聞こえたように思った。昨夜、夜行列車の中で美和を抱き締めながら心が違う夢を追いかけていたのを、美和はその身体ごとで感じていたのかもしれない。

「彼は、大事な友人なんだ」
 そんな言葉では言い表せないことを、美和も知っているはずだった。
「知ってる。でも、先生も、私や賢ちゃんやさぶちゃんにとって大事な人だわ」
 そう言われて、真は思わず美和を見つめた。美和の言葉は、真の感情を覆うように大きなものに思えた。
 真は煙草を灰皿に捨てた。それからゆっくりと車を車道に戻して走り始めた。暫くして美和は漸くシートベルトを締めた。






さて、もう少しだけ、絵の話、そしてその絵を持っていた豪農の家の事情にお付き合いください。
第11章は再び、『若葉のころ』です。
その前に、猫の最終回があります。それからコンビバトンをやろうかな。
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Category: ☂海に落ちる雨 第2節

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