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コーヒーにスプーン一杯のミステリーを

オリジナル小説ブログです。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)。掌編から長編まで、人の心を見つめながら物語を紡いでいます。カテゴリから入ると、小説を始めから読むことができます。巨石紀行や物語談義などの雑記もお楽しみください(^^)

 

NEWS 2013/6/24 織田信長が見た景色 

hikari
長野県某市の某屋上から見たある日の夕方の景色。
高い建物はほとんどなく、畑や田んぼと家が平たんな土地に並び、その向こうに日本アルプス。

最近思うこと。
生まれ育った土地、今暮らしている土地で毎日見る景色、それが人を決めているんじゃないだろうかと。
世界遺産になった富士山。
あの雄大な山を毎日見て暮らしている人と、大きな都会の下町で人間同士の息遣いが近いところで育った人。
太平洋へ開かれた大きな海を見て少年時代を過ごした人と、古い寺や神社の境内を遊び場所にしていた人。
良し悪しじゃなくて、目に見える景色はその人の人となりの大きな部分を占めるんだろうなと思います。

そう言えば、太宰治は、津軽富士、つまり岩木山こそは天下随一の山と思っていた。
でも、東京に出て、富士山を見て打ちのめされる、でも認めたくない。
そういう井の中の蛙のくせに頑強なのが津軽人だと、そう書いていましたね。

このたび、リベンジで中津川の石を見に行き、関ヶ原の近くの養老温泉の旅館まで移動する間に、初めて岐阜城まで登りました。
下から見たことは何度かあるのですが、一度も登ったことはなかったのです。

で、その時、母と話していたのが景色のこと。
『織田信長の見た景色を見よう』
斎藤道三でもいいのだけれど、天下を取ろうと思うような人は、きっと何か特別な景色を見たはずだ、と。

斎藤道三は、もう少し遅く生まれていたら、自分が天下人を目指していただろうと言われていますよね。
織田信長は、どの時点で天下人を意識したのだろう…
やっぱりこんな景色を見た時かも。
岐阜城
丁度いいんだろうなぁ。やたらめったら高いところからではなく、見える景色は自然の雄大さばかりではなく、向こうまで続く平野の景色、川が流れて、町が広がり、眺めれば自分が一国の主であることを実感させてくれる光景。なるほど、この大きさなんだな、と。
大きすぎず、小さすぎず、この一国(美濃)を制したものが天下を制すると道三や信長に思わせた景色。

のぶなが
さて、残酷だったとも言われる信長氏。
でもあの時代、本当に彼のしたことがすべて残酷だったわけでもエキセントリックでもなかったかも……
敵将のしゃれこうべで黄金の盃を作って酒を飲んだのが残酷?

今の我々の基準で判断してはいけないのではと思う。
時々戦争をして、景気を取り戻していた時代なのです。
戦は景気を回復する手段だった……
人を殺すようなことが、と思われますでしょうか?
でも、あの時代、天災と病気と餓えで死ぬ人のほうが、戦で死ぬ人より遥かに遥かに多かった。
そういえば、日清・日露など戦争で景気が良くなったかの時代、太平洋戦争を始めたのは、やはり行き詰まった景気を回復したかったからだ(戦争をしたら、景気が良くなる!)とも。

のちの時代から、以前の時代を責めるのは、後出しじゃんけんですので、この件で、現代のわれわれの誰一人として、当時の人々の誰をも責める権利はない。
でも、反省材料にすること、そこから何かを学ぶことは大切なことだと思います。

さて、話は戻って。
戦をし、領土を広げる、そして民を潤す。
民が喜んで戦に参加したのは、戦の時は無礼講で、略奪や女を手籠めにするのは当たり前だったから。
そうでなくても、子どもの三分の一くらいは病気や餓えで亡くなっていたのでしょうから…
それが普通の暮らしだったのかも。
そういう戦国時代の民の暮らしを書いた本によると、武田と上杉の闘いが勝敗がつかなかったのは、つけなかったからなのだとか。
勝ちすぎても負けすぎてもいけない。適度に勝って、適度に負ける。
相手に体力を残すのは、また小競り合いをして、細く長く民を潤すためだとか。
勝ちすぎてしまったら、褒章として差し出す土地なども多く必要になるわけで……

そう、その中で、敵将のしゃれこうべは勝利の証だった。

比叡山の焼き討ちも……
あの時代の比叡山は、ひとつの大きな戦闘集団・政治的勢力だった。
つまり、宗教というよりも、信長にとっては、あるいは当時の他の人にとっても一つの別の国だったのかも。


そもそも信長は下戸だったと言います。
彼が酒を飲んで…というエピソードは全て嘘で、信長公記にはそんなシーンは一つも出てこない。
強い男=酒も強い、という後世のイメージが作り上げた「お話」なのです。
信長が茶の湯にのめり込んだのも酒が飲めなかったから。
彼の顔は、典型的な「弥生人」(この言葉の使い方にはいささか疑問があるけれど)とか。
「弥生人」はアルコール分解酵素が少ない種族で、それが現代の日本人にも繋がっている。
ちなみに全然酔わないあなたは「縄文人」(この分類もどうかと思うけれど)。

この国の王になろう(天皇になり替わろう)とした人物は歴史上に三人いると言われているけれど(平清盛、足利義満、織田信長)、そういう点では、世界を違う方向から見ることのできた人かも知れない。
平清盛も、宋との貿易をめざし、外国を意識することで、日本という「国」を意識した人。
義満はいささかイメージが違うけれど、織田信長もやはり世界を意識した人。

地球が丸いと宣教師に言われて、理屈ではなく直感で理解したというこの男。
のぶなが
ルーペ、望遠鏡、地球儀。伴天連たちがもたらす異国の様々なものや考え方。
摩訶不思議なものに動じず、確かめ、時に利用し、ただ役に立つものを選び取っていった。
それが時には残酷と思われるのかもしれませんが、やはり彼の人気は絶大ですね。


岐阜城には人がいっぱいいました。
ロープ―ウェイは高所恐怖症の私にはいささか辛かったですが…しかも上に上がってからも、結構歩きます。
お城は昭和31年に作られたもの。だから、何があるというわけでもないのです。
展示されているものも複製がほとんど。
でも、彼が見たであろう景色は……priceless……かな?

そしてこれ。
のぶなが
のぶなが
資料館に、彼の名前を冠した、もしくは彼が登場する本が並んでいました。
全部ではないのかもしれませんが、これを見ても、彼の人気が絶大であることが分かります。


そういう意味では、彼は天下を取ったのかも。
何しろ、子孫も繁栄しているし。家系図を見ると、ものすごいです。横にも縦にも…^^;
スケートの彼もいるけれど、そうそうたる流れが現代まで続いている。

そう言えば、実は濃姫というのは、最後まで信長についていったというのは後の創作。
公記では、16歳と15歳で結婚した……以後、信長が斎藤家を滅ぼして以降、まったく名前もでてこない。
実は、信長は、後家さん(というよりも一度は子どもを産んだことがある女性)を多く妾にしていたとか。
理由は、「産めよ増やせよ」で、一度産んだ女性は産まず女ではない、つまりまた子を作ってくれるという理由だったとか。

う~ん、興味はあるけれど、あまりお近づきにはなりたくない人かも。


さて、なぜ信長?
実は、いつか書きたいと思っている時代小説がありまして。
信長は直接出てこないのですが、おやかた様に恋していた少女の壮大なるお話。
秀吉と家康と利休は出てきそう。

そしてこちらが我が家の信長コーナー。例のごとく、二重になっています。
信長
いつか、きっと。
そう決意した、岐阜城からの景色でした。




星が見
さて、先日の記事でもできたこの写真。
似ていますが、実は別の写真です。
先日の記事の写真は去年の9月のもの。
この写真は、一昨日のもの。
そう、ここでこけて、その先を見ることができなかった私にとって、この向こうは未知の世界でした。
次回、石紀行【ついに見た!星ヶ見岩】(リベンジ・中津川)、少し準備にお時間を下さいませ(^^)


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Category: 旅(あの日、あの街で)

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コメント


こんばんはー
私も金華山行った事ありますよ。
岐阜城の中には入りませんでしたけど・・
信長、残酷ですが合理主義の人だという印象があります。
私も歴史好きですので、大海さんの作品楽しみにしてますね。

かぜっぷ #- | URL | 2013/06/25 02:41 [edit]


おお、この信長コーナーはすごいですね。
我が家で、そこまでいかないけれど、普通以上に入れ込んでもらっている歴史上の人物は護良親王くらいかなあ。

あまり詳しくないくせに、でも私は三人の中では実は信長派。ちと強引な男にぐらりと来るタイプなので。

リベンジの成果、楽しみにしていますね〜。

八少女 夕 #9yMhI49k | URL | 2013/06/25 06:50 [edit]


かぜっぷさん、ありがとうございます(^^)

金華山、登られたのですね(^^)
私は、何度か岐阜には行っているのですが、金華山は見上げるだけだったのです。でも、今回は初めて、登ってみました。あ、登ったというよりも、ロープ―ウェイに乗っただけですが…^^;
伊吹山の上から琵琶湖を見た時も思ったのですが、この高さのこの距離で山のすそ野が見えて、という高さって、上に立っていると支配している気持ちになるんだろうなと納得しました。あまり高すぎたら地平が見えないし、低すぎたらその気になれないし…

私も、かぜっぷさんと同じで、織田信長は繊細で気難しい、合理主義の人と思います。ちょっと極端だけど……
でも、自分が100%の人なので、他人にも100%を求めるんでしょうね…私の後輩に一人そういう人がいて、その人を見て、なるほどこんな人だったに違いないと思ったりしておりました。優秀でいい奴なんだけど、厳しすぎて他の人がついていけない…
いつになるのか、私の時代小説^^;
定年後の楽しみになるかも…??
でも、とても書きたい題材なので、いつかきっと!
コメントありがとうございました!

彩洋→かぜっぷさん #nLQskDKw | URL | 2013/06/25 20:13 [edit]


夕さん、ありがとうございます(^^)

あ、夕さんも、強引な男にぐらっとくるタイプですか…
そうなんですよね。惹かれてしまうんですよね。
でも、夫にはしたくないタイプですね^^;
一昨年の大河ドラマが、信長の姪たち、浅井三姉妹の話だったけれど主人公の江(徳川二代将軍妻)をそっちのけで、私は茶々(のちの淀:宮沢りえ)に嵌りました。親の仇の秀吉(しかもおっさん)を憎んでいるはずなのに、秀吉が他の女に…となると知らず知らずのうちに嫉妬し、憎みながらも目が誘っている、りえさんの演技に釘付けでした。しかも秀吉の岸谷五朗がいやらしさと農民ぽさと天下人としての誇りや驕りをまた上手く演じていて…人間的に本当に面白い構図だったのですね…
このあたりは色んな解釈があって面白いですよね。
手あかが付きまくっているのに、みんながやっぱり嵌る。
ちょっと分かる気がします。

で、護良親王なんですね(^^)
夕さんらしいけれど…かなりマイナーに行くものですね。
ちょっと素敵です。う~ん、でもなぜそこへ?
ますます夕さんに興味津々です。

彩洋→夕さん #nLQskDKw | URL | 2013/06/25 20:28 [edit]


今晩は~
ご訪問、ありがとうございました!
ちょっち、
びっくり、新記事”富士山”テーマなんです(笑
正直、日本史の武将系は、暗いところですが、
さすがに信長・秀吉。家康は知ってますが。。。
コノ中なら、やっぱり信長派が良いなー
 ↑ の弥生人、縄文人のくだり面白いなぁ。
そうそう、
以前、信長の陣羽織かなにか見た事あるけど、
今のパリコレのランウェイを歩いていても、
全然、不思議じゃない位、洗練されてて、
ビックリした覚えがあります☆

>織田信長もやはり世界を意識した人。

”うつけもの”だなんて揶揄とも驚嘆ともとれる評価、
凡人には理解出来ぬ・・・
故に、その通りなんだと思うな~

レイまま☆ #- | URL | 2013/06/25 21:14 [edit]


レイまま☆さん、ありがとうございます

こんばんは。ようこそいらっしゃいました(^^)
私も決して歴女というわけではないのです。
辺鄙な歴史にはちょっと興味がありますが…(東北地方のまつろわぬ民の歴史…海の歴史…)
でも、さすがに人気が高いだけあって、戦国時代の人間関係(敵やら味方やら仇やらどうでもいいのやら)は面白いんだなぁと、小説とドラマの知識程度なのですが^^;
私も、信長が下戸で、それは彼の顔からして明らかだ(彼の顔は弥生人)というある本の一節を読んで、なるほど!と思ったのです。私に信長ってもしかしてこんな人だったのでは、と思わせた後輩も下戸でして…顔も信長顔??
いや、それにしても強引な説ですよね!
そして、信長の陣羽織でパリコレ!
これには受けました。確かに、おしゃれな武将さんのための鎧と兜、陣羽織のファッションショーとかあったら面白そう!!

あ、レイちゃん、可愛いですね!
十二景も面白い……三十六になるのを楽しみにしております。
また遊びにいらしてください。私もお伺いいたします(^^)

彩洋→レイまま☆さん #nLQskDKw | URL | 2013/06/26 20:53 [edit]

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